2013年1月30日 主として、1998年以降の同響卒団生の皆様 同志社交響楽団OB 田村 忠司 同響 2013年 第6回海外演奏会(プラハ公演)への支援金 御賛同お願いの件 1.ひとこと <田村忠司 (Vc・1998卒)> 1998年のドイツ公演以降、同響では3年に一度の海外公演が恒例となっています。(後輩たちの頑張りです) というわけで、また海外公演の年がめぐって参りました。 ここ数回の海外公演で現役メンバーを応援する発起人をさせて頂いていますが、この応援に御賛同頂いた皆さ んからのメッセージを読むごとに、時代は違えども、皆さんそれぞれに(辛いものも、楽しいものも)海外公演の 思い出を持っていて、それが今に通じる財産になっているのだということを再認識しています。(そして、私もそ の一人なわけです。) そのことを知っている者として、現役メンバーの頑張りに対し、彼らの後ろに、彼らと同じ気持ちを分かち合 うことのできるたくさんのOBメンバーの応援があるのだということを、額の大きさではなく、人数の多さで示し てあげられればというようなことを考えています。(舞台の上に立つ彼らを、たくさんのOBが取り囲んで「頑張れ よ」と拍手を送るイメージです。) 1回で終わる額ではなく、 例えばその10分の1の額で(彼らが演奏会後に最高の気分で飲むであろうビール一杯を 差し入れるような気持ちでもって)先々の海外公演を末長く応援し続けることができれば幸いと思っています。 今回も、ぜひ多くの皆さんからの御賛同を頂きたく、どうぞよろしくお願い致します。 2.支援金賛同者の方々からのメッセージ 今回、皆さんからは支援金賛同のメッセージを頂いたのですが、それは同時に現役さんへの応援のメッセージ にもなっているようにも感じます。現役生の皆さん、どうぞ思う存分に演奏してきて下さい。 <稲熊匠 (Hr・2011卒)> 同志社交響楽団としてイタリア演奏旅行に参加してから、もう3年になるのですね。 絢爛豪華なヴェッキオ宮殿で演奏したことは、昨日のことのように覚えています。 素晴らしい美術品と、壮大な建築物に囲まれた環境で音楽を演奏した経験は、 ただの海外旅行では決して味わえない貴重な思い出として今でも誇りに思っています。 海外公演の素晴らしさを知っているOBとして、同響の正式行事となった今、 ぜひとも後輩たちにはこの感動を味わってほしいと願っています。 海外公演は、通常の演奏会以上に時間と労力、そしてお金を必要とします。 事実、私も経済的な理由で参加を迷いましたが、先輩方の温かいご支援のおかげで 参加に踏み切ることができました。 今こそ、今度は私たちがサポート役に回る時だと思います。 支援金のご賛同よろしくお願いいたします。 <大藤 顕充(Tp・2010卒)> 2010年の海外公演実行委員長を務めさせて頂きました大藤です。 前回の海外公演では、多くの方々の有形・無形のご支援をいただき本当にありがとうございました。これまで の同響海外公演の成功もひとえに皆様のお陰です。 今回はプラハでの演奏会で、メインはドヴォルザークの『新世界より』ということです。私はハンガリー・イ タリアと2回海外公演に参加しております。 『新世界より』はハンガリーの時のメイン曲でもあり、また私がフェ アウェルで指揮した曲でもあるので思い出深いものがあります。学生の間に異国の地でコンサートを行うという 体験は、やはり貴重で、生涯の財産になっております。 私は今回、現役の海外委員会の運営のサポートのようなことを月1回行なってきましたが、今回の委員のメンバ ーは皆さんしっかりしていて頼もしい限りです。このまま演奏会を成功裏に終わらせてもらえると思います。 関西圏の学生オーケストラで唯一同響だけが定期的に海外公演を行い続けているという事を認識して、今後も この伝統が続いていくように、OBとして支援していきたいと思っております。皆様におかれましても是非ご支援 の程、よろしくお願いします。 <磯﨑 希美(Vc・2010卒)> 早いもので前回イタリアでの海外公演から3年の月日が流れました。今年もプラハにて海外公演が行われ るとの事、大変嬉しく感じております。 イタリア公演ではチーフマネージャーを務めさせていただきまし たが、準備期間は想像を絶する苦悩の連続でした。正直、開催自体が危ぶまれた時期もありました。それで も実行委員会で話し合いを重ね、 また諸先輩にも相談に乗っていただき、 多くの助言をいただいたおかげで、 何とか企画が形となり、イタリアへ無事旅立つことが出来たのだと思います。 イタリア現地でも、着いたはいいものの、半数以上の団員の荷物も楽器も届かず空港で3時間足止めされ るなど、様々なハプニングに見舞われました。しかしヴェッキオ宮殿での演奏は、それまでの諸々を全て吹 き飛ばすほどの感動を与えてくれました。 ダヴィンチ等の著名な芸術家の描いた壁画や彫刻に囲まれ演奏し た時の、あのキラキラとした音の響きは生涯忘れられません。また本番はとても寒かったのですが、現地の お客さまが惜しみない拍手を送ってくださり、あたたかい気持ちで演奏会を終えることが出来た事、終わっ た直後は達成感と安堵と様々な方への感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、 号泣した事を今も強く憶えてい ます。 学生の時に、このような貴重な体験が出来た私は本当に幸せだったなぁと思います。今後も、一人でも多 くの後輩が海外公演に参加し、自分自身の糧となるような素晴らしい経験ができればと心から思います。 支援金の御協力をよろしくお願い致します。 <上野高標(Vc・2006卒)> 前々回のハンガリー公演にOBで参加してから6年が経ちましたが、今でも当時のこと は大切な思い出として、貴重な経験として私の内にあります。 既に私が卒団してから同響団員も2巡くらいしていますが、今回の参加者達にとって も実り多い演奏旅行になって欲しいと願っています。 チェコ公演が成功するよう、そして今後も同響の海外公演が続くよう、自分が先輩方 から頂いた恩返しのつもりで微力ながら陰ながら応援していきます。 卒団生の皆様におかれましても、どうか御理解と御協力をお願いします。 <尾崎月子(Tp・2004卒)> 同志社交響楽団の海外公演も6回目を向かえ、定期的になりつつあること喜んでおります。さらに今回は二度目の プラハ公演。9年前にプラハ公演の代表を務めた私としては大変感慨深いものがあります。 プラハの地でわれわれが行う公演会場ドヴォルザークホールを見たときの感動はいまでも忘れられません。身 の引き締まる寒さでしたが、それに勝る熱いものがこみ上げてきました。と同時に、この伝統あるホールで私達 の音楽をプラハの人々の心に届けることができるのかと不安になったのも事実です。いざ、幕が開き演奏会が始 まるとそんな不安は消えて無くなりました。満席の会場で温かい拍手が鳴り止まず、まるで夢を見ているような 気分でした。 プラハ公演で得たものは、演奏会の成功だけではありません。その地に息づく文化や伝統を肌で感じることが できました。この経験のおかげで視野が広がりその後の私の人生に大きく影響を与えました。 また一度目のプラハ公演は紆余曲折を経て本番に漕ぎ着けた海外公演でした。公演が大成功に終わったのは団 員の努力もさることながら先輩方のお力添えのおかげであったことは言うまでもありません。改めて心からお礼 申し上げます。今度は私達が後輩の力になる番です。額の大小にかかわらず、一人でも多くの方々に寄付をして いただければ幸いです。 皆で海外公演が同志社交響楽団の伝統になるよう盛り上げていきましょう。 ご支援よろしくお願いいたします。 尾崎 月子 <林栄伸(Tp・2004卒)> チェコ・プラハでの海外公演から、はや9年が経過しようとしています。そして今年再び小田野宏之先生 を迎え、ルドルフィヌムでの演奏会が開催されると聞き大変喜ばしく思っています。私は幸運にも前々回の ブダペスト公演、前回のフィレンツェ公演にも立会うことができ、参加したメンバーからは「海外公演に参 加できて本当に良かった!」という声を実際に聞くことができました。演奏した曲や会場、国は違っても、 海外公演を通じて得らえる経験は参加された方すべてに共通するものであり、その時の感動や想い出を常に 心の中に携え、現在の生活を送られているものだと存じます。私自身もあの時の達成感と感動、そしてあの ビールの味を未だに忘れられずにいます。 3年毎に開催される同志社交響楽団の海外公演は既に恒例行事となっており、 これも先輩方夫々が築いて こられた伝統無くしては継続できるものではございません。一般大学のアマチュア・オーケストラで海外公 演を継続的なイベントとして行なうことは決して簡単なものではありませんし、 先のプラハ公演の際におい ても周囲の方々の温かいサポート無しでは決して成功させることはできませんでした。経済的にも社会的に も幅が広がった今、私たちの後輩に温かい眼差しを注いであげて、最高に素敵な経験のサポートに一役買っ てみませんか。 <西昭彦(Vn/Ob・2002卒)> 私にとって海外公演に参加させていただいたことは、卒業して10年以上経過した今でも鮮明な記憶として残っ ています。 3月にドイツ・オーストリア2ヶ国で演奏したのですが、3回生でしたのでチーフマネージャーの役割もあり、定 演・メサイア等の間を縫って練習・準備することはかなり大変だったと思います。就職活動も気になる時期でし た。それでも、最終的には無事に海外公演を終えることができ、現在、一社会人として仕事をしながらオーケス トラを続けられているのは当時を乗り越えた記憶があるからではないかと思います。 やはり、学生でなければできないことは学生のうちに経験しておきたいものです。私は1・2回生でVn、3・4回 生でObと2パートをつとめさせてもらいました。さらに、海外公演では前プロでOb、メインでVn(もちろん、楽器 は両方とも海外に持って行きました)と、今から思えばとんでもない無茶をさせてもらいました。これも周りの 方々の理解と協力があってこそ。それなのにドイツでは熱を出してしまい、前プロを吹いた後、メインは弾けず にホテルで寝ていました。 若干(?)の苦い思い出もさることながら、多くの仲間と一緒に苦労し、努力し、創り上げた音楽を共有でき ることは本当にかけがえのない幸せなことです。特に海外公演は毎回違った国への訪問で、普段の活動にはない 難しさや苦労も多い分、 得られるものも大きいはずです。 ついに2010年から同響の正式行事となったそうですが、 海外公演が継続されていくことで縦の繋がりもより強まるのではないでしょうか。 当時、OBの方々からいただいた様々な支援にあらためて感謝し、海外公演を経験した者として今回ぜひとも支 援させていただければと思います。そして、現役学生および同響のさらなる成長・発展を心から期待しておりま す。 <和田大資(Vn・2001卒)> 同響海外公演2013、2度目のプラハ!おめでとうございます。 僕たちの学年で同響を卒業してちょうど12年が経ちます。僕自身は、1回生の時の1998年ドイツ公演と4回生の 時の2001年ドイツ・オーストリア公演を経験させていただきました。12年前の記憶…、セピア色と鮮やかなカラ ーの部分が入り混じっています。人間の記憶は曖昧なものですが、あの時の様々な思い、小さくガッツポーズす るものから甘酸っぱいものまで、が自分の中に染み込んで、想像力のミナモトとなってくれているように感じて います。もちろん同響での学生生活全般について言えることではありますが、海外公演のインパクトは大きいで す。 微力ですが自分の身の丈にあった形で、後輩たちの海外公演を応援いたします。皆様におかれましてもどうぞ よろしくお願いいたします。 facebookや今出川祝祭管弦楽団等でお目にかかる方もいらっしゃいますが、せっかくの機会ですので、最後に 12年前の記憶の中から「旅の小話」をお届けして海外公演支援金賛同のメッセージとさせていただきます。 題して、 「Once upon a time…」 。 2001年3月某日ウィーンにて。ミュンヘンとグラーツでの演奏会を終えて、同響一行、旅の終着駅はウィーン(だ ったように思います※以下省略) 。 なぜか一人でウィーン・フィルの本拠地ムジーク・フェラインを見学に来た僕。 ちょうどウィーン・フィル定期演奏会当日。指揮はラトル、ピアノはブレンデル。チケットは完売。せっかく来 たから楽屋口でも見て帰ろうと、正面入り口から楽屋口へ。向こうからドイツ人の老婆が歩いてくる。すれ違い ざま、老婆から声がかかる…(以下、英語での会話) 。 「ねぇ、あなた、どこから来たの?」 「日本から来ました。 学生のオーケストラでミュンヘンとグラーツで演奏会をして、 昨日ウィーンへ。 「ウィーン・フィルに興味ある?」 」 「はい。もちろん。 」 「実は、用事が出来てしまって、今日の演奏会聴けなくなったから、よかったらチケットを 譲ってあげましょうか?」 「本当ですか!ぜひお願いします。夢のようです。 」当時の僕にとって奇跡が起こった 瞬間でした。ちゃんと入場できるかな、ドキドキしながらエントランスへ。無事に入場。MAXハイテンション。 階段をあがると今度はロビーでコンマスのキュッヒルがコーヒーを飲んでいる…(以下、日本語。キュッヒルさ ん日本語可) 。 「キュッヒルさん。日本から学生のオーケストラで来ました。今日の演奏会楽しみにしています。 」 「はい。ありがとう。 」キュッヒルと握手…。生涯忘れえぬ、初めてのムジーク・フェラインでウィーン・フィル を体験することができました。 <中久保大輔(Vc・2001卒)> 98年の1回生時には田村さんにドイツへ連れて行っていただき、2001年には4回生で企画をして第2回の 海外公演をドイツ・オーストリアで行いました。もう10年以上たつことを思えば、海外公演が脈々と受け継 がれて行っていることを嬉しく思います。 4回生時の第2回海外公演では「本場の人を絶対感動させてやる!」と意気込んで乗り込んだものの、日 欧の文化の違いを痛感し、悔しさと共に未知の世界を知った心地よさを感じたことをよく覚えています。私 が初めて世界を実感することができたのは、この海外公演でした。 今回の海外公演も、参加する皆さんが若い力と感性でヨーロッパにぶつかり、そしていろんなことを体験 したり学んだりできる素晴らしい機会となることを祈るとともに、応援したいと思います。 同響の熱い想いをプラハで花開かせてきてください!では気をつけて行ってらっしゃい! <一色知希(Fl・2000卒)> 海外公演を控えた皆様へ カッコイイ車や便利なパソコン、お金があればなんでも手に入るのかもしれないですが、それらを生み出して いるのはお金ではなく、人々のたゆまない努力と夢を見る力、つまり創造力です。 消費するだけではなく、創り出す喜びを大勢の仲間と共有する体験はこれからの私たちにとってなくてはならな いものだと思います。 何かを表現し、聴く人を幸せにしたいという団員の皆様の想いが、海外公演というひとつの形となって実を結 ぶことをこころよりお祈り申し上げます。 一色知希 <虎頭加奈(Vc・2000卒)> チェロパートの先輩のちゅーじさんから後輩たちへの支援の文章を、とお願いいただいたので、もう15年(驚 愕…)ほど前になる98年のドイツ公演を懐かしく思い出しました。 楽器ケースが荷物扱いになるので下着をケースの中に詰めまくったり、もちろん素晴らしいロマンチック街道 の街並みとビール。ちょうど執行回生になる2回生の終わりだったのですが、前プロでトップをさせていただき、 チェロの出だしで大変緊張しましたが、今でもあの時の藏野先生の笑顔を思い出します。またある先輩が本番直 前に貧血になられて、大変になったことも蘇りました。他大学からも参加された方もいたので、同じ公演に向っ ての連帯感も楽しかったですね。たまたまヨーロッパを放浪中の先輩が突然ホールに現れたことも! そして、やはり本場のホールでの響き。温かなお客様の拍手をいただいて、日本からの学生オケを聴きにきて 喜んでいただけるなんて、音楽は言語と国境を超えるのだな、とだいぶベタな感想ですが、肌で感じたのが思い 出されます。どこかのCMでありましたが、やっぱりモノより思い出ですね。 もちろんバイトをしてお金を貯めたのもありますが、あの時送り出してくれた両親にも改めて感謝します。同 じクラブの後輩たちが、そんな素晴らしい体験がまた出来るように少しでも支援できれば…みなさまのお気持ち をどうぞ宜しくお願いいたします。 <永峰大輔(Hr・1999卒)> 私が参加したのは、98年のミュンヘン公演でした。同響ホームページに掲載されている当時の写真を見ると、 記憶の波が押し寄せ、アドレナリンが体中を駆けめぐります。 「どうしても海外公演をやるんや!」という田村先輩の強い気持ちに引きずられ、企画の段階から公演を終え るまで、さまざまなシーンに共に立ち合いました。特に何もしていないのに、公演が近づくにつれてわけのわか らないプレッシャーにつぶされそうになり、唐突に北海道へ逃亡したのも、今では良い思い出です。 現地では、リハーサルの時間になっても来る気配のない楽器運搬トラックを延々と待ったり、飛行機の席がオ ーバーブッキングしているのを交渉し、乗務員と怒鳴りあったり。とにかく、あれがない、これがない。トラブ ルの連続の中で、あらゆるバックボーンを取り去られたまるで赤子のような自分が、一人のシンプルな意味での 人間として出来ることがどれだけ少なかったことか。ある種の衝撃であり、また新しい発見でもありました。お かげで、ブラジルで客演した音楽祭でテレビ中継が入るコンサートのゲネプロがキャンセルになったときも、ル ーマニアの講習会のファイナルコンサートで振り始めたらティンパニストがいないことに気付いた時も、さほど 慌てることはありませんでした。 同響という狭い世界から飛び出し、世界を知る。この体験がどれだけ得難く、またどれだけ素晴らしいもので あるかは、ここで語るまでもないでしょう。山崎パンの工場で夜勤のバイトに励み、ラインを流れてくるパンに おびえながら渡航費を積み立ててもなお、学生諸君には我々の支援が必要かと思います。 ヘラクレスザールでのコンサートの日、ホルンの1stを吹いていた私は、やる気がありすぎたのかチャイコフス キー交響曲第5番第2楽章のソロを一拍早く吹き始めてしまいました。終演後、ドイツ人のおばちゃんに声をかけ て貰った一言はいまでも忘れません。 「あんな素敵なソロ、初めて聴いたわ!」 3.お問い合わせ 今回の海外公演の支援金賛同のお願いに関し、御意見・御不明の点・苦情などありましたら、 本企画取りまとめの田村まで何なりと御連絡下さい。 Mail: 同響-kaigai2013@hotmail.co.jp (本アドレスは海外公演用の共用アドレスです。件名か文頭に「田村宛」と明記をお願いします。) (スパムメール対策で表記を変えています。 「同響」を「dokyo」に置き換えの上でメールをお送り下さい。) 以 上
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