《 聖書の歴史 》 ★ この表示付であればインターネット上への転載・ コピー・無料配布が自由にできます。 Copyright c. エターナル・ライフ・ミニストリーズ http://www.eternal-lm.com 《聖書のホームページ》 http://www.bible-jp.com 《目次》 ●聖書の歴史 概説 ● 歴史A 神が保持してこられた聖書 1 神が保持してこられた聖書 2 聖書に関して神ご自身が約束しておられること 3 聖書を保持された神の方法 4 ヘルベチカの合意・フィラデルフィア告白 5 旧約聖書の正典と保持 ● 歴史B 新約聖書の写本と伝播 1 使徒ヨハネから、弟子ポリュカルポスへ 2 99%以上の写本と合致しているTR 3 世界最古の新約聖書写本 4 マルコ16・9∼20について 5 TRと同じ読み方の古代の聖書 6 ワルドー派の聖書 7 ローマ帝国東西分裂後の聖書 ● 歴史C 第一世紀から始まっていた新約聖書の改ざん 1 新約聖書が前もって警告していたこと 2 第一世紀から始まっていた新約聖書の改ざん 3 異端がはびこっていたエジプト 4 オリゲネスの信念 5 ローマ皇帝コンスタンティヌス 6 アリウス派であったエウセビウス 7 エウセビウスが作った50冊の偽聖書 8 『ベラム皮紙』に書かれたバチカン写本・シナイ写本 9 シナイ写本とバチカン写本の検証 10 外典を含むシナイ写本・バチカン写本 11 ウルガタ聖書 12 ウルガタ聖書に取り込まれている外典 ● 歴史D 新約聖書本文TRの確立と継承 1 エラスムスについて 2 新約聖書本文TRを回復させたエラスムス 3 エラスムスが退けた「異なる読み方」 4 フレデリック・ノラン博士 5 ルターの聖書翻訳 6 ウィリアム・ティンダル 7 ギリシャ語TRの数々の版 8 キング・ジェームズ版聖書の歴史 (1) 9 キング・ジェームズ版聖書の歴史 (2) ● 歴史E 聖書本文RV・バチカン写本から派生した本文と聖書 1 聖書本文RVの誕生と構成 《 聖書の歴史 概説 》 ●「聖書の歴史 」では、聖書(おもに新約聖書)の歴史と新約聖書本 文TRについて、そのあらましを知ることができます。 新約聖書の原文が書かれた後、その本文(最初の聖書記者たちが書き記した 原文通りのギリシャ語の語句、文字配列、「読み方」)がどのように伝えられ、今 日に至っているかがわかります。 そもそも神のことばが人間の歴史を通じて伝えられていくように神が 定めておられることを歴史Aで、また、それがどのようにして伝えられ てきたかを歴史B∼で理解することができます。 ● 歴史A 神が保持してこられた聖書 神が歴史を通じて聖書の本文を絶えることなく保持してこ られたこと、聖書についての神の約束と摂理について。 ● 歴史B 新約聖書の写本と伝播 使徒たちの時代以降の新約聖書の写本と伝播。 99パーセント以上のギリシャ語写本が新約聖書本文TRと 合致していること、この聖書本文が古くから諸言語に翻訳 されて保持されてきたことがわかります。 ● 歴史C 第一世紀から始まっていた新約聖書の改ざん 第一世紀から聖書の改ざんが始まっていたこと、新約聖 書自体がそのことを予告していたこと。どのように聖書の 改ざんが開始し、継承されたかについてもわかります。 ● 歴史D 新約聖書本文TRの確立と継承 宗教改革の時代に神がエラスムスを始めとする人々を用 いて新約聖書本文TRを確立されたこと、そして、神がご 自分のことばを保持してこられたことがわかります。 ● 歴史E 聖書本文RV・バチカン写本から派生した本文と聖書 《おもな執筆者》 ●フロイド・ノレン・ジョーンズ博士 コンチネンタル聖書大学(ベルギー/ブリュッセル)にて教 鞭を執り、現在は聖書に関する調査研究および神の無謬のこ とばの教えに従事。 任職された奉仕者でもあり、4冊の神学書の著者。 敬虔な妻と二人の子ども、四人の孫がいる。 著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] → Ripped out of the Bible[2007年版] ●フィリップ・マウロ フィリップ・マウロ(1859∼1952)はA.B.シンプソン牧師(クリスチャ ン&ミッショナリー・アライアンスの創立者)の教会に通った後、回心す る。優れた聖書学者・著作者であり、多くの著書がある。 著書 → 「シナイ写本とバチカン写本の検証」 → 「聖書の年代記述の驚異」 → 「ダニエルの七十週の預言」 → 「WHICH VERSION? Authorized or Revised?」(1924) ●さらに深い学びのためには、ジョーンズ博士の次の著書をおすすめしま す。Which Version Is The Bible?[2010年版] 各ページで紹介されているリ ンクや資料、《さらに深く学ぶためのリンク集 》(ホームページ掲載) からも多くの情報が得られ、理解を深めることができます。 (1)マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ヤコブ、ペテロらがギ リシャ語で手書きしたものが、新約聖書の最初の原文でした。 ただし、初めから一冊の新約聖書としてまとめられていたのでは ありません。 (2)各書物の原文を、多くのクリスチャンたちがパピルス紙などに書 き写して、写本(巻物や断片など)が作られました。 さらに写本を書き写した写本も、さらにその写本も数多く作ら れ、聖書は世界各地に伝えられていきました。 ところが、写本の巻物や断片が数多く存在しても、それぞれの内 容は新約聖書の一部であったため、全27巻の一冊の「新約聖書」 として確立することが必要となりました。 (3)1516年、オランダ人エラスムスが世界で初めて一冊のギリシャ語 新約聖書という形にしました。 1624年、この聖書本文は、Textus Receptus(テクストゥス・レセ プトゥス 『Received Text』すなわち、『神から受け入れられた本 文』の意)という名称を与えられました。 (4)この新約聖書本文TRから翻訳されてできたのが、宗教改革者のル ターによる「ドイツ語新約聖書」、殉教者ティンダルによる「英 語聖書」、イギリスの国家的取り組みによる「キング・ジェーム ズ版聖書」などです。日本語訳では、「明治元訳 新約聖書」と 「新契約聖書」と「新約聖書」です。 (1)手書きの新約聖書原本/原文 「原本/原文」=マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ヤコ ブ、ペテロらがギリシャ語で手書きしたもの。 ↓ ↓ (2)本文が書き写された数多くの写本 「本文」=最初の聖書記者たちが書き記した原文通りのギリシャ 語の語句、文字配列、「読み方」 「写本」=各書物の原文を、多くのクリスチャンたちがパピルス 紙などに書き写した巻物や断片など。 ↓ ↓ (3)新約聖書のギリシャ語本文 TR 「TR」=99%以上の写本と合致する新約聖書本文。 1516年、エラスムスにより世界で初めて集大成された。 ↓ ↓ (4)TR本文から翻訳された新約聖書 A1《 神が保持してこられた聖書 》 ●神のことばに対するサタンの攻撃 神は私たちに、聖書の目的は、私たちをキリストに導くこと、そして 私たちの人生の道案内をすることであると教えています(ヨハネ5・ 39、40)。 私たちは次に挙げる問いを注意深く考える必要があります。 (1) 神は聖書の原文に聖霊の息吹をお与えになった後、それが失わ れてしまうことをお許しになるであろうか? (2) 神は聖書本文に聖書の息吹をお与えになったのなら、彼はそれ を保持されないであろうか? (3) 原文の偽物が出回っていることは考えられないだろうか? 「いつも神のことばを嫌っていて、それを滅ぼそうとしており、神の ことばが確かなものであることについて人間の知性と心を曇らせようと してきた者」、そのような者は存在しないでしょうか? 創世記3・1によると、聖書の腐敗はサタンから始まりました。 サタンこそ、最初に聖書を改ざんした者です。 彼は園でエバに語りかけた時、神のことばに付け加え、神のことばか ら削除し、神のことばを薄めることをし、そして最終的に、神が言われ たことの代わりに彼自身の教理を差し出しました。 私たちは、悪魔が神のことばに対してこの攻撃を今もなお続けている ことを理解する必要があります。 (1)手書きの新約聖書原本/原文 「原本/原文」=マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ヤコ ブ、ペテロらがギリシャ語で手書きしたもの。 ●テモテが学んだ「聖書」も霊感されていた 「私は、聖書の最初の手書きの原本が霊感されたことだけを信じ、 その聖書本文が保持されていくとは信じない」と主張する時、それは不 信仰の言明となります。 そのように主張することは、実際、「私は、この地球上に、あるいは 少なくとも現在の私たちの手に、誤りなき神のことばが存在するとは信 じません」と言うのと同じなのです。 この言明を聖書から検討してみることにしましょう。 「あなたは、自分がだれから学んだかを知っており、幼い時から 聖なる書物をわきまえていることも知っているはずです。それ は、キリスト・イエスにある信仰を通して救いに至らせるため に、あなたに知恵を与えることができるものです。 聖書はどれも、神が息を吹き込まれたもので、教えのために も、あやまちをあばくためにも、まっすぐに正すためにも、義に よる訓練のためにも有益です。それは、神の人が、どんな善いわ ざのためにも完全に整えられた、完全な者となるためです」 (第二テモテ3・14∼17) ここで神は、私たちに聖書をお与えになった目的を述べておられま す。すなわち、「教えのため…あやまちをあばくため…まっすぐに正す ため…義による訓練のため」です。 ところで、「神は聖書をお与えになった後、聖書が失われてしまうこ とをお許しになった」と、私たちは本当に信じることができるでしょう か? もしそうであるなら、神はどうやって聖書を使ってこれらの目的 を達成させることができるのでしょうか? ●「最初の原本」と「聖書」 さて、私たちが知っている通り、現在の私たちの手元には聖書の最初 の原本は一冊もありません。 問題は、「神はご自分のことば(最初の聖書本文)を保持してこられ たのか?」ということになります。 上に挙げた第二テモテ3章の箇所には、聖書の「最初の原本」に関 しては何も言及されていません。 15節を見てください。パウロはテモテに、こう言っています。 「あなたは…幼い時から聖なる書物をわきまえている…それは、 キリスト・イエスにある信仰を通して救いに至らせる…ことがで きるものです」 明らかにパウロは、「最初の原文」の新約聖書のことを言っている わけではありません。 この「テモテへの第二の手紙」は紀元65年ごろに書かれました。ま た、テモテがパウロとシラスに同行した紀元53年ごろには、彼は同行 するに十分な年齢に達していました(使徒16・1∼4)。 したがって、テモテが幼かった当時、新約聖書はどこにも存在してい なかったはずです。また、この同じ箇所で、パウロは旧約聖書の「最初 の原文」のことをさして言ったのでもありません。 (1)手書きの新約聖書原本/原文 「原本/原文」=マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ヤコ ブ、ペテロらがギリシャ語で手書きしたもの。 ↓ ↓ (2)本文が書き写された数多くの写本 「本文」=最初の聖書記者たちが書き記した原文通りのギリシャ語 の語句、文字配列、「読み方」 「写本」=各書物の原文を、多くのクリスチャンたちがパピルス紙 などに書き写した巻物や断片など。 ●聖書の写本も霊感されている! では、写本は霊感されているのでしょうか? 最初の原文に忠実な写本も霊感されていることを、聖書自体がはっ きり教えているのです。(注1) 第二テモテ3・16、17にある「聖書」という語は、ギリシャ語の「グ ラフェー」から訳されています。 「グラフェー」はギリシャ語の新約聖書に五十一箇所あり、いずれの 箇所でも「聖書」を意味します。 事実、それは通常、旧約聖書の本文をさしています。 新約聖書を熟読すると、主なるイエス様がナザレの会堂で「グラ フェー」をお読みになり(ルカ4・21)、パウロもテサロニケの会堂で 読んだことが明らかです。 エチオピアの宦官も、エルサレムでの礼拝からの帰途、馬車に乗って 「グラフェー」のある箇所を読んでいました(使徒8・32、33)。 彼らが読んでいたこれらのものは、最初の手書きの原本ではありま せんでした。 それらは、コピー(写本)であり、コピーしたもののコピーでした! それなのに、神のことばはそれらを「グラフェー」(聖書)と呼んで いるのです。 そして、これらの「グラフェー」(聖書)は、「どれも、神が息を吹 き込まれたもの」(第二テモテ3・16)なのです。 こうして聖書は、最初の原文を忠実にコピーしたもの(写本)自体 も、「神が息を吹き込まれた」(霊感された)ものであることを証言し ているのです。 したがって、このすべてのことは、神によって与えられている一つの 約束に帰結します。 すなわち、神は、私たちにお与えになった聖書本文を保持しておられ ることです。 テモテは幼い時に、旧約聖書であれ新約聖書であれ、その最初の原 本を見たことは一度もなかったはずです。 それなのに、神は16節で、テモテが幼い時に学んだもの(聖書)は、 神の霊感によって与えられたのであり、それは今でも、「教えのために も、あやまちをあばくためにも、まっすぐに正すためにも、義による訓 練のためにも有益です。それは、神の人が、どんな善いわざのためにも 完全に整えられた、完全な者となるためです」と言っておられるので す。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Edward W.Goodrick,"Is My Bible the Inspired Word of God",pp.61-62 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.1~,170~,181~ W・マクレアン師 Rev. W. MacLean (1983)によるギリシャ語聖書本文の摂理的保持につい て → THE PROVIDENTIAL PRESERVATION OF THE GREEK TEXT OF THE NEW TESTAMENT A2《 聖書に関して神ご自身が約束しておら れること 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 神が、ご自分のことばをお与えになり、またそれを守られると約束さ れた箇所を見て見ましょう。 「ヤーウェは私に言われた。 『あなたは良く見たものだ。私は、私のことばがそれをするよ う、私のことばを見張っているからである』」 (エレミヤ1・12) ここで神は、ご自分のことばがそれをするよう見張っている、と言っ ておられます。ご自分が言われたことを実現させるためにです。 イエス様はこう言われました。 「天と地は過ぎ去ります。しかし、私のことばは決して過ぎ去りま せん」(マルコ13・31) 神は、神のことばが最初に書き記された、何らかの材質の「紙」を守 ると約束されたわけではありません。 彼は、ご自分のことばが過ぎ去ることはないと言っておられるので す。ですから、この約束により、「私たちが神のことばを、この地球上 で今もなお持っている」のでなければならないことになります。 イエス様はまた、こう言っておられます。 「姦婦の、そして罪深いこの世代にあって、私と私のことばとを 恥とした人なら、人の子も、彼の父の栄光の内に聖なる御使いた ちとともに来る時に、その人を恥とするようになるからです」 (マルコ8・38) もし神がご自分のことばを保持しておられないなら、なぜ、上記のみ ことばを言われたのでしょう? 「主の語られたことばは永遠にとどまっている」 (第一ペテロ1・25) これはイザヤ40・8から直接引用したものです。神は、ご自分のこと ばは永遠にとどまっていると言われたのです! 彼は、その最初の「紙」(あるいは石、ベラム皮紙)が永遠に存続す ると約束されたわけではありません。 そうではなく、そのことばを永遠に保持すると約束されたのです。 イエス様はこう言われました。 「聖書が廃棄されることはあり得ない」(ヨハネ10・35) こうして私たちは、神の多くの約束に基づき、「私たちは、全能の神 の、全く誤りのない生けるみことばを持っている」と、はっきり宣言す るのです。 しかし、さらにそれ以上のことがあります。 「ヤーウェのことばは、純粋なことば。地の炉で精錬され、七度 純化された銀。 ヤーウェよ、あなたは、それを守られます。 あなたは、この世代から永遠に、それを保たれます」 (詩篇12・6、7) これは神からの約束なのです! クリスチャンであるみなさん、あなたはこれを信じているでしょう か? 神は、ご自分がそれを保つと言っておられるのです。 彼は、その最初の原文を純粋で誤りのないものとして与える、と約 束されただけではないのです。 彼は、その本文を永遠に保つと約束されたのです! (1)手書きの新約聖書原本/原文 「原本/原文」=マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、 ヤコブ、ペテロらがギリシャ語で手書きしたもの。 ↓ ↓ (2)本文が書き写された数多くの写本 「本文」=最初の聖書記者たちが書き記した原文通りのギリ シャ語の語句、文字配列、「読み方」 「写本」=各書物の原文を、多くのクリスチャンたちがパピ ルス紙などに書き写した巻物や断片など。 ↓ ↓ (3)新約聖書のギリシャ語本文 TR 「TR」=99%以上の写本と合致する新約聖書本文。 1516年、エラスムスにより世界で初めて集大成された。 「この私を退け、私の語ることばを受け入れない者は、自分を裁 くものを持っているのです。 私が話したことば、それが最後の日 にその人を裁くことになるのです」 (ヨハネ12・48) 神のことばが私たちを裁くことになるのに、神は、「私たちに与えて おきながら、その後で途中で無くしてしまわれたもの」によって私たち を裁くようになる、と私たちは信じるべきでしょうか? もし、それらのことばが「もはや信頼できないもの」であるとするな ら、そういうことばによって神が私たちを裁くのは、神にとって正当か つ公正なことでしょうか? すなわち、私たちの案内役となるものが百パーセント信頼できるもの ではないのに、神は私たちに責任を取らせるのでしょうか? マタイ5・18では、イエス様は、神のことばの「一点あるいは一画も… 決して過ぎ去らない」と言われました。 彼は、特に旧約聖書のことを語られました。 イエス様は、神のことばのどんなに事細かなことであっても、それは 真実であり、誤りのないものである、と言われたのです。 その時、彼は、旧約聖書の最初の原文をさして言われたのではな く、そのコピー(写本)のコピーの、そのまたコピーをさして言われま した。 「私があなたがたを御父に訴えるようになると思ってはいけませ ん。あなたがたを訴える者がいます。モーセです。あなたがたが 望みをかけてきた者です。 なぜなら、もしあなたがたがモーセの言うことを信じていたな ら、私の言うことを信じたはずだからです。なぜなら、彼が書い たのは、この私のことだからです。 けれども、あなたがたが彼の書物を信じていないなら、どうし てこの私の語ることばを信じるようになるでしょう?」 (ヨハネ5・45∼47) イエス様は「原本」のことを言われたのでしょうか? ちがいます。なぜなら、人々はその原本を持ってはいなかったから です。 彼らが持っていたのは、原本のコピー(写本)のコピーのコピーで したが、それなのにイエス様は、その「一点あるいは一画も」変更され てはいないと言われたのです。 もし、「神は、原本が純粋なものであると約束されただけである」 とすれば、イエス様は聖書についての評価を誤ったことになります。 もし聖書に関するイエス様のこの言明が不正確であることになれば、 彼は主ではないことになり、もはや全知の方ではなく、もはや神ではな いことになってしまいます。 「あなたがたは聖書を探っています。 あなたがたは、その聖書によって永遠の命を持っていると思っ ているからです。 そして、その聖書は私について証言しているものであるのに、 あなたがたは命を持つようになるために私のところに来ようとし てはいません」 (ヨハネ5・39、40) 聖書の究極的な目的は、ここにもある通り、私たちをキリストに導く ことです。そして、私たちの人生の案内役となることです。 もし聖書が不正確なものであるとするなら、もし聖書が変えられたり 改ざんされたりしてきたとするなら、もし聖書が失われて私たちがもは や神のことばを持ってはいないとするなら、私たちはどうやってキリス トのもとに来ることができるでしょう? というのも、聖書こそが、主なるイエス様を証言するための聖霊の手 段だからです。 以上、私たちは、聖書本文が保持されていくと信じることは、 聖書の根本的な教えであることを聖書から明らかにしてきました。 そして、これらの多くの約束の文脈で述べられているのは、「神のこ とばは、どこかの洞穴か砂漠の壺の中に保持されているが、何百年にも わたって行方不明となっており、発見されて回復されるのを待ってい る」というものでもありません。 第二テモテ3・16、17で非常にはっきりと書かれている通り、霊感さ れたみことばは、神により、キリストの体への寄託物として与えられた のです。 それは、「神の人が、あらゆる善いわざのために完全に整えられた、 完全な者となるため」です。 ですから、ここに述べられている目的、神が私たちに彼のことばをお 与えになったその目的を達成するためには、主の弟子たちが神のことば をいつでも利用できる状態でなければならないのです。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.1~,170~,181~ W・マクレアン師 Rev. W. MacLean (1983)によるギリシャ語聖書本文の摂理的保持につい て → THE PROVIDENTIAL PRESERVATION OF THE GREEK TEXT OF THE NEW TESTAMENT A3《 聖書を保持された神の方法 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ●新約聖書の本文の摂理的保持 宗教改革者たちは、「ただ彼(神)のケアと摂理により」(「フィラ デルフィア告白」を参照)、聖書の原文の言葉づかいが保持されてき たことを信じていました。 エドワード・ヒルズ博士はこう述べています。 「もし、『聖書は神の摂理によって保持されてきた』という教え が重要でないとするなら、『最初の聖書は、全く誤りなく霊感さ れている』という教えが、なぜ重要なのでしょう? もし神が彼の特別な摂理によって聖書を保持してこられなかっ たのなら、なぜ彼は、そもそも、それを全く誤りのないものとし て霊感されたのでしょう? また、『聖書は、全く誤りなく霊感されている』と考えること が重要でないとするなら、『福音書は完全に真実である』と主張 することが、なぜ重要なのでしょう? そして、もしこのことが重要でないとするなら、『イエス様は 神の御子であられる』と信じることが、なぜ重要なのでしょう? つまり、もし私たちがこの信仰の論理に従うのでなければ、私 たちには聖書とその本文に関して確信できるものが何もないこと になるのです」(注1) このすべてのことは、D・O・フラー博士の次のことばをもって要約 することができます。 「もし、みなさんや私が、聖書の原文が逐語的に神によって霊 感されたと信じているなら、必然的に、それは代々を通じて摂理 的に保持されてきたにちがいないのです」(注2) ●聖書を保持された神の方法 神が最初に聖書をお与えになった際、その言語としてヘブル語(旧約 聖書)とコイネー(共通の、共通語としての)ギリシャ語(新約聖書) をお選びになったことで、神の知恵と予知と御力が明らかです。 どちらの言語も、それぞれの正典が確立されてから数百年以内に「死 んだ言語」となりました。 そのことにより、それらの語は、「時間の中で凍結した」のです。 それらの語もその意味も、どれ一つとして変化することはあり得ませ ん。 それらの言語は、ラテン語のように、削除することも付加することも できない「死んだ言語」となったのです。 それとは対照的に、英語は「生ける言語」であり、新語が絶えず付加 されており、古語は流動的な状態にとどまっています。 意味は変更することもあれば、新たな別の意味合いを帯びることもあ ります。 ●旧約聖書の本文が保持された方法 旧約聖書の時代、レビ族の祭司たちが神の生けることばを書き写して 保持しました。 どの書であろうと、その筆記者はレビ族に属していました(マラキ 2・7、申命記31・25、17・18)。 祭司エズラもイスラエルの筆記者でした(エズラ7・1∼11)。 聖書本文を保持するこの方法は、このうえない成功を収めました。 このことは、主なるイエス様が、モーセの時代から彼の時代までの1 500年間に「一点あるいは一画も」変更されていないことを証言され た通りです(マタイ5・18)。 「死海写本」のイザヤ書は、ヘブル語のマソラ本文と合致していま す。(マソラ本文は、発音を補助するための母音符号の付いたヘブル語 旧約聖書です) 現存するマソラ本文で最古のものは、紀元900年ごろのものです。 そして、そのイザヤ書には、変更されている箇所がほとんど全くないの です。 実際に、そのマソラ本文こそが真の本文であり、死海写本ではありま せん。死海写本のほうが千年以上も古いものであるのに、そうなので す。 「死海写本」は、それを守るようにと神から任務を与えられたユダヤ 人たちによって書かれたものではありません。彼らはレビ族に属しては いませんでした。彼らはエッセネ派(禁欲主義のユダヤのカルト)であ り、彼らの教義は異端の教えで満ちていました。 同様に、「七十人訳旧約聖書」の数々の写本も、それらの間でもかな り重大な相違が見られ、また、多くの箇所でマソラ本文とも合致してい ません。 ●新約聖書の本文が保持された方法 しかし、新契約においては、キリスト・イエスにおける新生を通し て、すべての人が祭司となります。 神は、信者たち(信徒たちも長老たちも含む)から成る祭司制度の手 の中に、新約聖書の本文をお与えになりました。 初代のクリスチャンたちは、それを書き写して保持しました。 初代のクリスチャンのほとんどは、裕福ではありませんでした。彼ら が書き記した「紙」は、現在の新聞紙に匹敵するようなものでした。 ほとんどの人は熟練した学者や筆記者ではありませんでしたが、彼ら は心からの畏れをもって書き写しました。 彼らは、「神のことばに付け加えたり、それから削除したり、それを 改ざんしたりする者の上には、呪いが生じる」と神が四度も警告してお られることを知っていました(申命記4・2、箴言30・5、6、詩篇 12・6、7、黙示録22・18、19)。 信者であるなら、聖書を意図的に改ざんすることは決してしないはず です。 なぜなら、これらの箇所のみことばが告げている「呪い」を信じてい るはずだからです。 真の本文を意図的に変えようしたのは、それらの警告を信じない「冒 涜者」だけであったはずです。 これらの箇所が述べているのは、文脈からすると、偶然の誤写のこと ではなく、意図的改ざんです。 新約聖書を写した書記者たちは、可能な限りに注意して念入りに書き 写しました。 というのも、彼らは、「これは、『神が息を吹き込まれたもの』であ る」と心から信じていたからです。 彼らは皇帝たちによる激しい迫害の中でも、主なるイエス様につき従 う決意をしていたのです。 書記者たちの中には、自らの命や家族の命まで犠牲にした者も多くお り、十字架刑に処せられたりライオンの餌食にされても、その献身を守 り通したのです。 ●保持されてきた神のことば 神は、「十戒」が書かれた最初の石板(また二番目の石板も)を破壊 することを、よしとされました。 また、神は、エレミヤに与えられ、バルクが書き記した原本の巻物 を、悪王エホヤキムが切り裂いて燃やすのを許容されましたが、同時 に、その最初の本文を誤りなく保持されました(エレミヤ36・22、 23、32)。 「神は、ご自分のことばを保たれる」という神の多くの約束を確かに 信じる私たちは、神がモーセにお与えになったのと正確に同じ十の「生 けることば」を、私たちもすでに持っていることを知っているのです。 たとい新約聖書の原本が発見されたとしても、それにはTextus Receptus(テクストゥス・レセプトゥス)の中に保持されてきたのと同 じ「読み方」が記されているはずであることを、私たちは信仰によっ て知っているのです。 今日存在する「神のことば」とは、神が保持してこられた聖書であっ て、その原本ではありません。 というのも、神はご自分のことばを永遠に保持されると約束されたか らです。 神ご自身が約束された通り、全く誤りのない、生ける神のことばを、 私たちはこれまでずっと持ち続けてきたのです! ……………………………………………………………………………………………… (注1)Hills,"The King James Version Defended",p.225 (注2)Fuller,"Which Bible?",p.147 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.1~,10~,170~,181~ 聖書の保持について W・マクレアン師 Rev. W. MacLean (1983)によるギリシャ語聖書本文の摂理的保持につい て → THE PROVIDENTIAL PRESERVATION OF THE GREEK TEXT OF THE NEW TESTAMENT A4《 ヘルベチカの合意・ フィラデルフィア告白 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 [一七世紀のプロテスタント教会は、自らを定義することを余儀なくさ れました。 その結果生まれたのが、聖書本文の摂理的保持の教理でした。 すなわち、神はご自分のことばを保持されるという神の多くの約束に 基づくものです。 プロテスタントのさまざまな告白文(ウェストミンスター告白、フィ ラデルフィア告白など)で、聖書の保持に関する言明を含んでいるもの はどれも、もともとは、聖書本文についての数々の問題や挑戦に対応し て書かれました。(注1) それらの信条は、聖書本文の境界を決定するにあたり、歴史の合意 (コンセンサス)に記述をもって訴えたのです。 その二つの例が、ヘルベチカの合意とフィラデルフィア告白です] ●『ヘルベチカの合意』(1675年) 「神のことばは、信じるすべての人を救いに至らせる神の御 力である。 最高位の審判者なる神は、そのご自分のことばを、モーセ、 預言者たち、および使徒たちに記述するべくゆだねられただけ でなく、それが書かれた時から現在に至るまで、父としての心 配りをもって、それを見守り、大切にしてこられた。 そのようにして、それが、サタンの狡猾さによっても、人間 が作り出す偽物によっても、腐敗したものとなり得ないように されたのである」 ●『フィラデルフィア告白』(1742年 バプテスト派) 「ヘブル語の旧約聖書およびギリシャ語の新約聖書は、神に よってじかに霊感されたものであり、また、ただ彼のケアと摂 理により、あらゆる時代に純粋なものとして保持されており、 それゆえに、権威あるものである。 それゆえ、いかなる宗教論議においても、教会は最終的には それらに訴えるべきである」(1646年のウェストミンスター告 白から取られたもの) これらの告白が「権威あるもの」とみなしている本文とは、マソラの ヘブル語旧約聖書と、TRのギリシャ語新約聖書でした。 ●神が摂理的に介入してこられたこと ところで、こう尋ねる人がいるかもしれません。 「この『摂理』とは、どういう性質のものでしょうか? 聖書が写本として伝えられていく際、その『摂理』は実際にどのよう に機能したのでしょうか?」 この「保持の教理」に含まれている、重要で不可欠な規範のいくつか は、次の通りです。(注2) (a) 神はご自分のことばを保持されることを幾度も約束されたゆ え、私たちは、神のご人格への信仰により、神がご自分のことばを守っ てこられたと信頼する。 (b) 旧約において、神がご自分のことばを保持するために祭司制度 を用いられたように、新約の時代においても、神は、新しく生まれ変 わった信者たちから成る祭司制度を通して同様に行ってこられた。 (c) 写本が非常に多く増やされたことにより、だれかが、意図的に せよ、怠慢によっても、それら全部を腐敗したもの(崩れたもの・改ざ んされたもの)とするのは不可能なはずである。 (d) さまざまな分野で生活している人々が聖書をよく知っているた め、言葉づかい(語法)でのどんな改ざんでも察知されたはずである。 (e) 学者たち(特に、ヘブル語学者)は、聖書本文の一語一語を敏 感に意識していたはずである。 (f) ミシュナ、ゲマラ、タルムードにおける旧約聖書の読み方は、 マソラ本文と完全に合致している。 (g) イエス様は当時のユダヤ人の多くの罪を非難されたが、彼らの 聖書の写本が腐敗している(崩れている)と非難されたことは一度もな く、むしろ、彼はそれらが全く正しいことを証言された(マタイ5・17 ∼19)。 (h) ユダヤ人およびクリスチャンが互いに対して行ったチェックと バランスが、さまざまな腐敗を防いだはずである。 《 ギリシャ語の写本 》 (総数 5262) 聖書本文の保持についての神の方法を、基本的に次のようにまとめる ことができるでしょう。 すなわち、数々の写本で数多くある「共通している読み方」を、正し い読み方として受け入れなければならず、また受け入れるべきです。 (B-2を参照) なぜなら、それらの「共通している読み方」が、何百あるいは何千も の写本の中に存在するからです。 この「共通している読み方」が見出される理由は、聖書以外の文書を 写す場合とはちがって、聖書を書き写す際は神が摂理的に介入してこら れたからです。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Theodore P.Letis,"The Majority Text:Essays and Reviews in Continuing Debate",p.173~ (注2)John Owen,"Of the Integrity and Purity of the Hebrew and Greek Text of the Scripture",pp.356-358 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?(2010年版) p.81~,p.1~,p.170~ 聖書の保持について → Bible Preservation → 聖書の保持/写本について W・マクレアン師 Rev. W. MacLean (1983)によるギリシャ語聖書本文の摂理的保持につい て → THE PROVIDENTIAL PRESERVATION OF THE GREEK TEXT OF THE NEW TESTAMENT A5《 旧約聖書の正典と保持 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ●聖書の正典を確立した信者たち 旧約聖書の場合、イエス様が受肉される前にその正典が決定されてい ました。 伝承では、旧約聖書を編纂した指導者は、おそらくエズラであっただ ろうと言われています。 イエス様は、こう言われました。 「聖書が廃棄されることはあり得ない」(ヨハネ10・35) イエス様の時代の人々は、イエス様が「聖書」と言われた時、彼が何 のことを言われたのか知っていました。 ユダヤ教のラビたちの著作では、旧約聖書の正典が確認されたのは、 紀元100年、ヤムニアにおけるラビたちとパリサイ人たちの会議に よってであると記されています。 その会議が正典を決定したのではありません。なぜなら、その会議 は、エルサレム神殿が破壊された後の、キリストを拒んだユダヤ人たち から成る会議だったからです。 かつて、どの正典でも、救われていない人々によって正典が確立され たことはありません。 そうではなく、神により、神を信じている人々を通して正典は確立さ れたのです! 旧約聖書は、イエス様が来られる前に正典となっていました。 イエス様は、正典がすでに決定されているものとして、「聖書が…」 と語られたのです。 イエス様が「聖書」という語を話された時、聴衆の中で手を上げてそ の説明を求めた人は一人もいませんでした。 彼が何のことを言われたのか、だれもが知っていたのです。 旧約聖書は正確に記録されました。レビ族に属するユダヤ人の書記者 たちにより、すべての語数が数えられました。 羊皮紙の文書あるいは巻物を再コピーする必要が生じると、書記者た ちは特別なタイプの羊皮紙に、特別な種類のインクを使って、特定の大 きさの何列かの中に何行かの文を書かなければなりませんでした。 それを三十日以内に検証し、原本と照らし合わせなければなりませ んでした。 もし、一枚の羊皮紙に四つのまちがいが見つかると、それ以上検証す ることをやめて、その全体を破棄しなければなりませんでした。 彼らは神の御名(四文字のヘブル語『YHWH』[エホバ、あるいは ヤーウェ])を書くたびに、自分のペンをきれいにし、汗をかくようで あれば体を洗いました。 巻物がすり切れると、神聖を汚されることのないために、それは事務 的かつ厳粛に葬られるか焼却されました。 ●イエス様によって認証された旧約聖書 私たちが今日持っている通りの旧約聖書は、モーセから1500年後 にイエス様が地上に肉体をもって現れてくださった時に、イエス様に よって認証されたのです。 イエス様は当時のユダヤ人指導者たちの多くの罪を非難なさいました が、彼らが「正典に付け加えたり、削除したり、改ざんしたりして腐敗 させた」と少しでもほのめかされたことは一度もありません。 もし、いくつかの書が正典から省かれていたとすれば、イエス様は確 かにそのことを語られたはずであり、それらの書を旧約聖書に加えられ たはずです。 また、正典に含められるべきでなかったものがあったとすれば、主な るイエス様はそれらの書を指摘されて削除されたはずです。 それとは反対に、彼が聖書に関して語られたことはどれも、彼の時代 に及んでいたその正典を確証するものでした。 主は、彼らが、口で言い伝えられてきたことを神のことばよりも優先 させていたことを叱責なさいましたが、「聖書が廃棄されることはあり 得ない」(ヨハネ10・35)と言われました。 すなわち、聖書は必ず実現するものであること、聖書は保持されるも のであることです。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.112~, p.1~,170~,181~ W・マクレアン師 Rev. W. MacLean (1983)によるギリシャ語聖書本文の摂理的保持につい て → THE PROVIDENTIAL PRESERVATION OF THE GREEK TEXT OF THE NEW TESTAMENT 聖書の霊感について:ジョンバーゴン,A. A. ホッジほか(J. W. Burgon, L. Gaussen, J. Urquhart, J. C. Ryle ,A. A. Hodge ) → The Divine Inspiration of the Holy Scriptures[pdf] B1《使徒ヨハネから、弟子ポリュカルポスへ》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 使徒ヨハネ 使徒ヨハネは長生きしたため、紀元100年ごろまで、聖書の本物の 本文と正典について、使徒として証言することが可能でした。 ヨハネは、それまで追放されていたパトモス島から戻ると、彼の福音 書と手紙と黙示録とをもって正典を完成させました。 そうして彼は、ほかの伝道者たちの書と合わせて、それらすべてを使 徒的権威をもって認可したのです。(注1) ● ポリュカルポスとガイウス ポリュカルポス(紀元69年∼155年)は使徒ヨハネの弟子でし た。 ポリュカルポスが、少なくともヨハネの書いた原本を持っていたこ とは、大いにありそうなことです。 また彼は、それ以外の新約聖書の原本に非常に近いものをいくつ か、彼の師であるヨハネから得ていたはずです。 さらに、ポリュカルポスが亡くなった時(紀元155年)には、彼は それらを持っていたはずです。 こうして、175年から200年ごろ、ガイウス(二世紀の終わり近 くに文筆活動をした「教父」)も、それらのものに接していたにちがい ありません。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Eusebius,"Ecclesiastic History",Vol.1,Bk3,ch.24 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.173~,148~ B2《 99%以上の写本と合致しているTR 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 新約聖書の真の本文として今日用いることのできる写本として、どう いうものがあるかを見ることから始めるのがよいでしょう。 一つの写本だけで新約聖書の全部がそろっているものは、私たちのも とには一つもありません。 私たちが持っているのは、数々の断片、数々の章、数々の書などだけ です。1995年までは、新約聖書の第一世紀の写本は一つも見つかってい ませんでした。[B-3参照] 《 パピルス紙写本 》 (総数 88) (1)パピルス紙写本 現存するギリシャ語のパピルス紙写本は、88あります。 それらのパピルス紙は、新聞紙のような質のものであり、通常は巻物 ですが、書物の形態をしているものもあります。 ほとんどのパピルス紙は小さな断片であるため、本文はあまり多くは 書かれていません。 その88のパピルス紙写本のうち、13のパピルス紙写本(15パーセン ト)だけが、「バチカン写本」と「シナイ写本」と合致しています。 それ以外の75のパピルス紙写本(85パーセント)は、ギリシャ語の Textus Receptus(テクストゥス・レセプトゥス。TRと表記。直訳『受 け入れられた聖書本文』)と合致しています。 《 大文字写本 》 (総数 267) (2)大文字写本 現存するギリシャ語大文字体の写本(アンシャル字体。MSSと表 記)は267あります。 そのうち、新約聖書の全部がそろっているものは一つもありません。 数々のページ、章、さらには書が欠けています。 そのうち、258の写本(97パーセント)は、TRと合致しています。 《 小文字写本 》 (総数 2764) (3)小文字写本 筆記体のギリシャ語写本(小文字で書かれており、mssと表記)は、 2764あります。 新約聖書の真の本文を記しているもののほとんどは、ギリシャ語の小 文字の写本です。 そのうち、2741の写本(99パーセント)は、TRと合致しています。 《 ギリシャ語の聖句集 》 (総数 2143) (4)ギリシャ語の聖句集 さらに、ギリシャ語の聖句集が2143あります。(聖句の教訓を含む写 本。「聖句集」とは、ラテン語に由来するもので、「読む」を意味しま す)少なくとも紀元400年から印刷技術の発明された時代まで、諸教会 で公に読まれました。(注1) そのすべて(100パーセント)がTRと合致しています。 こうして、新約聖書の真の本文を証言するギリシャ語のものは、総計 で5262あります。 そのうちの5217、すなわち、99パーセントが相互に合致しているの です。 それ以外のものは、この99パーセントの多数派の写本と合致しないだ けでなく、それら少数派写本同士の間でも合致していません。 《 ギリシャ語の写本(総計) 》 (総数 5262) ……………………………………………………………………………………………… (注1)John W.Burgon,"The London Quarterly Review" 1881 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.50~,139~,142~,152~[PDF] B3《 世界最古の新約聖書写本 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 1901年、大文字写本の三つの小さな断片がエジプトで得られ、イギリ ス、オクスフォードにあるマグダレン大学に寄贈され、その図書館の展 示ケースの中に保存されていました。それにはマタイ26章のギリシャ語 のみことばが書かれていました。 1994年、ドイツ人の聖書学者であり、パピルス紙学の 学者でもあるカーステン・ピーター・ティーデ博士が写 本の断片に注目しました。彼はそれらの断片を再度年代 測定し、その年代を紀元66年と位置付けました。 これは、第一世紀の新約聖書本文として知られている唯一の現存本文 です。(注1) ただし、それは始まりにすぎませんでした。 ティーデ博士は、レーザー・スキャンによる顕微鏡を用いて、その断 片に、マタイ26・22のTR(テクストゥス・レセプトゥス)の読み方で ある「ヘカストス・アウトン(彼ら一人一人が)」が記されていること を見出したのです!(注2) こうして、今やこの断片は、TRが、ペテロ、パウロ、使徒ヨハネ、 および私たちの主の復活のあの500人の目撃者(第一コリント15・4 ∼8)たちの時代まで古いものであることを裏付けています。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Carsten P.Thiede & Matthew D'Ancona,"Eyewitness to Jesus",pp.124-125 ティーデ博士の発見は、1994年12月24日 ロンドンタイムズ紙の第 一面にも掲載されました。 (注2)同書 pp.59-60 これらの結果は、1995年のベルリンにおける 第二十一回国際パピルス紙学会に提示され、「満場一致で承認」されま した(p.61)。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.207,208[PDF] B4《 マルコ16・9∼20について 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 マルコ16・9∼20を含んでいる写本は1800以上ありますが、含んで いないものは三つだけです。(注1) バチカン写本には、その箇所(マルコ16・9∼20)と全く同じ大きさ の「空欄」さえ残されています。 ギリシャ語写本のうちの99パーセントに、このマルコ16・9∼20の 節があるのです。 このマルコ16・9∼20は、まさしく「神のことば」なのです。 《 マルコ16・9∼20を含む写本 》 (総数 1800以上) 二つの四世紀のギリシャ語写本(バチカン写本・シナイ写本)、およ び、十二世紀の一つの小文字写本が、マルコ16・9∼20を削除していま す。 サタンはいつでも、教会からその力と権威と宣教の使命とを奪い取ろ うとしてきました。 マルコが記録しているように、この箇所はイエス様によって語られた 大宣教命令です。 それは、キリストの体なる教会に対する、大いなる力の権限の委譲で あり、教会が主なるイエス様の働きを継続するためのものです。 ● 99%以上の写本と教父たちが確証しているマルコ16・9 ∼20 現存する新約聖書の約3119のギリシャ語写本のうち、それだけで 二十七の書物が全部そろっている写本は一つもありません。 ただし、1800以上の写本がマルコ十六章を含んでおり、上に挙げ た三つの写本以外のすべての写本の中にマルコ16・9∼20があります。 (注2) ギリシャ語写本は、600対1の割合(99%以上)でこの箇所を確証 しているのです。 それだけでなく、約8000のラテン語の小文字写本、また、約10 00のシリア語版の写本、および、2000以上のギリシャ語聖句集の すべてが、この箇所を含んでいます。(注3) この箇所は、バチカン写本やシナイ写本が書かれた時代より150年 あるいはそれ以上前の時代の教会教父たちによっても引用されました。 すなわち、パピアス(紀元100年ごろ)、殉教者ユスティヌス(1 50年ごろ)、イレナエウス(180年ごろ)、テルトゥリアヌス(1 95年ごろ)、およびヒポリュトス(200年ごろ)です。(注4) ● バチカン写本とシナイ写本に残されている『痕跡』 さらに、バチカン写本には、マルコ十六章の終わりに、その十二の節 (9節∼20節)を含めるのに必要とされるぴったりの大きさの空欄があ ります。 バチカン写本を準備した書記者は、それらの節が実際に存在すること も、また、その正確な分量も、明らかに知っていたのです。 実際、ティッシェンドルフ(シナイ写本の発見者)が観察した通り、 シナイ写本のこのページには、何らかの異なる手書きの文字とインクが 表されており、また、それらの節を除去したことによって残された空欄 を埋めようとして個々の文字の間隔と大きさが変更されてもいます。 これらのことは、これが偽造文書であることを立証しているのです。 マルコ16・8は、「そして、彼女たちは急いで出て行き、その墓から 逃げ去った。彼女たちは、震えと、正気を失うほどの驚きとに捕らえら れていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐れていたからであ る」となっていますが、「神は、かつて語られてきた中で最も偉大なこ の出来事を、その8節をもって終わりにされた」と、私たちは本気で信 じられるでしょうか? 神は、この福音の良き知らせが、ご自分の弟子たちが恐れて身をすく めていることをもって終わりにするのを、果たして許されるでしょう か? マルコは、復活されたキリストが弟子たちに現れてくださったことに は何も言及しないまま彼の福音書を完結させるでしょうか? 私はそうは思いません! ……………………………………………………………………………………………… (注1)ウィルバー・ピッカリング博士(Wilbur N.Pickering)のテキサ ス州ダラスにおける『多数派聖書本文協会』でのインタビュー 1995年 (注2)1871年の当時でも、そのころ存在した写本のうちの620 の写本がマルコ十六章を含んでいることが知られていました。そして、 バチカン写本とシナイ写本だけがマルコ16・9∼20を含んでいませんで した。(John W.Burgon,"The Last Twelve Verses of the Gospel According to S.Mark",p.71 ) 1871年以降、何百もの小文字写本が発見されています。 (注3)一つのラテン語の小文字写本、一つのシリア語写本、そして一 つのコプト語写本だけが、9∼20節を削除しています。これらのことが らに関する資料の多くは、『多数派聖書本文学会』(1995年夏、ア メリカ・テキサス州ダラスにて開催)におけるウィルバー・N・ピッカ リング博士へのインタビューから得られたものです。 (注4)John Burgon,"The Revision Revised",pp.422-423 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.30~[PDF] B5《 TRと同じ読み方の古代の聖書 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 二世紀と三世紀初め以降、古ラテン語および古シリア語の新約聖書 が、小アジア、アフリカ、パレスチナで広まっていきました。 (しかし、その後、それらの聖書はヒエロニムス(382年∼405 年)により、また、おそらく、ラブラ主教(411年∼435年)によ り、改ざんされました。 彼らはオリゲネスの編纂した改ざん版聖書(245年ごろ)にならっ て、新約聖書の本文を改ざんしたのです[歴史C参照]) 新約聖書本文 TRの流れ 手書きの原本(新約 : 紀元50年∼95年頃) 古代のギリシャ語写本(99%がTRと合致) マグダレン写本…世界最古の写本 (紀元 66年 TRと合致) 古ラテン語聖書(150年頃 TRと合致) 古シリア語聖書(150年頃 TRと合致) (ディアテッサロン[四福音書の調和]153年∼172年頃) ワルドー派の聖書(TRと合致) 教父たちによる引用 聖句集(400年頃∼ 100%がTRと合致) ●古シリア語聖書 ペシッタ版は、シリア教会全体の聖書として歴史的 に有名なものです。それは伝統的本文TR(テクストゥス・レセプトゥ ス)と密接に合致しています。これは、バチカン写本とシナイ写本のい ずれよりも100年も古いものです。 ラテン語がローマ帝国の共通語であったため、多くのラテン語聖書が 帝国内のさまざまな地方に存在していました。 ●テルトゥリアヌスは、完全版のラテン語聖書(「イタラ」すなわち、 紀元157年頃に作られた最初の「古ラテン語版聖書」)について言及 し、紀元190年にアフリカ北部のいたるところで使われていたことを 述べています。 ● TRと同じ読み方のディアテッサロン ●アッシリアのタティアヌスは、「ディアテッサロン」(「四福音書の 調和」と呼ばれるもの。153年∼172年頃)を作成しました。 教父テオドレトス(390年∼458年)は、その二百枚以上の 「ディアテッサロン」の写本を小アジアとシリアで見つけました。 それらの写本は紀元170年以前からそこに存在していたものでし た。 ルカ2・33とヨハネ9・35(キリストの神性と処女降誕を述べてい る箇所)で、タティアヌスの「ディアテッサロン」にある読み方は、 TRにある読み方と同じです。 ディアテッサロンは、 (1)四つの福音書(それ以上でも、それ以下でもなく)が存在し、教 会で使われていたこと、 (2)TRの読み方を証言している古シリア語聖書(バチカン写本やシナ イ写本より200年も古いもの)が存在することを、決定的に証明して いるのです。 ●アルビ派の人々(ローマ教会によって異端者と烙印を押された人々) は、ヒエロニムスが彼のウルガタ聖書を完成させた後も、長い間、「古 ラテン語聖書」を使いました。 今日、私たちが持っているのは、これら古ラテン語聖書の五十の大文 字写本だけです。(注1) これらの聖書は、オリゲネス派の人々が不正な変更(改ざん)を 行っていない箇所では、シリア語版TRの読み方を証言しており、オリ ゲネス派の人々によって編纂された箇所では、オリゲネスのヘクサプラ の読み方を証言しています。(注2) ヒッポのアウグスチヌス(354年∼430年)もテルトゥリアヌス (160年∼220年)も、アフリカの書記者たちがそれらの写本を絶 えず編集し改ざんしていたことを証言しています。(注3) ● ヒエロニムス作成の「ラテン語ウルガタ聖書」 紀元383年頃、ローマ教皇(法王)ダマススはヒエロニムスに、 「古ラテン語」聖書全体の公式な改訂版を作るよう委託しました。 ヒエロニムスは、オリゲネスのヘクサプラを土台として翻訳し、オリ ゲネスのあのヘクサプラのすべての欄(全部で六つの欄)に記されてい るものを材料として用いて、「古ラテン語」旧約聖書を改ざんしまし た。彼は、「学者たち」が持っているもので、ふつうの人々が用いてい る聖書より「はるかに優れている」「ベラム皮紙の巻物」(すなわち、 エウセビウス作成の聖書)のことを誇りました。(注4) イタリア北部の偉大な学者であり、ヒエロニムスと同時代の人であっ たヘルビディウスは、ヒエロニムスが教皇のために新しいラテン語聖書 を作るに際し、腐敗したギリシャ語写本を用いていることでヒエロニム スを非難しました。(注5) もし、ヒエロニムスが純粋な原文通りの読み方の聖書を作ることが不 可能であったなら、ヘルビディウスによるこの非難は無意味なもので あったはずです! ……………………………………………………………………………………………… (注1)Hills,"The King James Version Defended",p.119 (注2)Ruckman,"The Christian's Handbook of Manuscript Evidence",pp77-79 (注3)"International Standard Bible Encyclopedia",Vol.4,p.970 (注4)Ruckman著書 p.78 (注5)"Post-Nicene Fathers",Vol.6,p.338 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.164∼,170∼[PDF] → 古代の聖書/古代の英語聖書について B6《 ワルドー派の聖書 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● ボードワー(ワルドー派)の聖書(注1) ローマ教会から「異端者」との烙印を押されたもう一つのクリスチャ ンのグループは、「ボードワー」の人々でした。 彼らが住んでいたイタリア北部のアルプスの渓谷に由来して、彼らは そう呼ばれていました。 それからずっと後の1175年ごろ、彼らの指導者ピーター・ワル ドーにちなんで、彼らはワルドー派として知られるようになりました。 ローマ・カトリックによりワルドー派に対して表された残虐行為ほど 大きなものは、歴史の記録にありません。 何百年にもわたり、この信者たちに対し、完全に絶滅させようとする あらゆる努力がなされ、彼らの存在自体も消し去られようとしてきたの です。 600年ごろ教皇グレゴリー1世のもとで彼らについての記録の破壊 が始まり、迫害は1655年の大虐殺の時も続いていました。(注2) この教会は紀元120年ごろに形成されました。(注3) その古ラテン語聖書(「イタリック」あるいは「イタラ」)はシリア 語のTRを表しており、157年以前にギリシャ語から翻訳されまし た。(注4) [ヒエロニムス作成のウルガタ聖書は、その「イタラ」からTRの読 み方が取り除かれたものです(注5)] ● ワルドー派の聖書と宗教改革者たち 宗教改革の指導者たち(ドイツ、フランス、イギリス)は、このTR こそが純粋(本物)の新約聖書であることを確信していました。 「なぜなら、それ自体の抵抗しがたい歴史および内的証拠のゆえだけ でなく、それが、使徒たちの時代からワルドー派の中で受け継がれてき たTRと符合していたから」(注6)でもあるのです。 ルターが彼のドイツ語聖書を作成するに際して参照した写本は、ヒエ ロニムスより前の古ラテン語聖書と合致するものでした。 その写本は、ワルドー派の聖書を、宗教改革の時期より前に話されて いたドイツの方言に翻訳したものでした。 それゆえ、ローマ教会はルターを、「ワルドー派に追従している」と して非難したのです。(注7) また、1611年のキング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちは、ワル ドー派の人々の影響を受けてきた四つの聖書を手にしていました。 すなわち、イタリア語のディオアダティ聖書、フランス語のオリベト 聖書、ドイツ語のルター訳聖書、そして英語のジュネーブ聖書です。 彼らは、昔のワルドー派の日常語で書かれた少なくとも六つのワル ドー派聖書をも知っており、その強力な証拠も存在します。(注8) ● フレデリック・ノラン博士の偉大な業績 フレデリック・ノラン博士は、ギリシャ語およびラテン語の研究およ びエジプトの年代学の研究において、すでに優れた学者でした。 彼は28年を費やして、TRの起源を使徒たちの時代にまでさかのぼり ました。(注9) 彼の調査でわかったのは、イタリア北部の初期のクリスチャンたち (ワルドー派の直系の子孫)の古代イタリア語新約聖書が、事実、TR であったことでした。彼は、古代イタリア語版聖書の残本が、ワルドー 派の人々によって作られた初期の翻訳聖書の中に埋め込まれているのを 見出したのです。 そのことにより、ワルドー派の聖書本文は、起源157年の「古ラテ ン語聖書」にさかのぼることとなり、こうしてTRが古代のものである ことを証言しているのです。(注10) ……………………………………………………………………………………………… (注1)Wilkinson,"Our Authorized Bible Vindicated",pp.19-44 (注2)同書 p.34 (注3)Peter Allix,"The Ecclesiastical History of the Churches of Piedmont",p.177 (注4)Scrivener,"A Plain Introduction to the Criticism of the New Testament",Vol.2,p.43 (注5)Kenyon,"Our Bible and the Ancient Manuscripts",pp.169-170,139144,238-243 (注6)Wilkinson著書 pp.37-38 (注7)Ernesto Comba,"History of The Waldenses of Italy",pp.190-192 (注8)Wilkinson著書 p.40 (注9)同書 p.40 (注10)Frederick Nolan,"An Inquiry into the Integrity of the Greek Vulgate or Received Text of the New Testament" ,序 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.167~ B7《 ローマ帝国東西分裂後の聖書 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 東方教会のTR聖書と、西方教会のウルガタ聖書 教会が東方(ギリシャ語)と西方(ラテン語)に分かれると、東方教 会ではギリシャ語のTR(テクストゥス・レセプトゥス)が標準になり ました。(その結果、ギリシャ正教会の公式本文として採用されていま した)しかし、西方ではヒエロニムスのラテン語ウルガタ聖書を固持し ました。その結果、東方教会と西方教会の間で進展していった憎悪は、 単なる教理上の議論を越えたものとなっていきました。 いずれの側も、相手の側が用いている写本は腐敗している(改ざんさ れている)と確信するようになりました。 つまり、それらの読み方が必ずしも同じではなかったため、東方のギ リシャ圏の人々はそのラテン語聖書に不信感を抱くようになり、西方の ラテン圏の人々も同じく、ギリシャ圏の人々が彼らの本文を改ざんした のだと確信するようになりました。 どちらの聖書も、それぞれの社会では権威あるものであり続け、両者 は、自分たちの聖書こそ真の最初からの聖なる本文であると主張しまし た。こうして二つの別個の「聖なる書」が出現したのです。 ● 東西教会間の反目 この憎悪は五世紀まで続き、いっそう高まっていきました。 五世紀になると、ローマ教皇は、ギリシャ語およびギリシャ語の文書 が西方ヨーロッパに流入するのを制限しました。(注1) 千年近くの間(紀元約476年∼1453年)、東方の過去のすべて の宝物(その記録、歴史、考古学、文学、科学など)は、西方には翻訳 されないまま、そして利用されないままでした。 ギリシャ語はヨーロッパ西部では外国語となりました。なぜなら、聖 職者たちがギリシャ語の研究は悪魔の研究だと宣言し、それを促進させ た人々をみな迫害したからです。(注2) 概して、西方はもっぱらラテン語となり、東方とは疎遠になりまし た。 西方にベールを掛け、あの暗黒時代(476年∼1453年)に突入 させることに大いに貢献したのは、そのように過去の業績にいつまでも 反対し続けたことでした。 この暗黒の支配が続いたのは、1453年の半世紀前まででした。そ れは、ギリシャ語圏の人々が、トルコから洪水のように押し寄せる侵入 者たちから逃れ、彼らの言語と文学と文化を携えて西方に来た時でし た。(注3) この分離と分裂と孤立の時期、聖書は、この二つの社会(東方と西 方)のそれぞれの地域で、教会人(修道士、司祭、主教)たちにより、 教会独自の所有物として解釈され、コピーされ、配布されました。 そして、どちらの側も、自分たちこそ「聖なる本文」に取り組んでい ると確信していたのです。 ● 西方教会のウルガタ聖書を退けたエラスムスたち エラスムスがその西方教会の「本文」を決定的に中断させたのは、十 六世紀になってからでした。(注4) エラスムスは、それを、東方教会の「ギリシャ語新約聖書正典」およ び「本文」と入れ替えたのです。 エラスムスも、ロレンツォ・バラ(約1406年∼1457年。任職されたイ タリア人司祭であり、おそらく、ルネサンス期で最も聡明な知性の持ち主でした)も、 中世ローマ・カトリック教会が「聖なる本文」としていたラテン語版ウ ルガタ聖書を退けました。(注5) ……………………………………………………………………………………………… (注1)Wilkinson著書 pp.44-45 (注2)Froude,"Life and Letters of Erasmus" ,pp.74,187,294,256 (注3)Wilkinson著書 p.44 (注4)Letis,"Brevard Childs and the Protestant Dogmaticians",p.4 (注5)同書 p.7 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.170~,199~ C1《新約聖書が前もって警告していたこと》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 羊に変装している狼たち パウロは、こう警告しました。 「どう猛な狼どもがあなたがたの中に入り込んで来て、群れを容 赦しなくなる」(使徒20・29) つまり、まちがったことを言って弟子たちを引き離し、自分たちのも とへ引き寄せる人々が、私たち自身の中から起こるようになる、という ことです。 実際、イエス様は、狼たちが羊の服を着て神の群れの中に入って来る ようになると言われました(マタイ7章)。 そのような狼を、簡単に見抜くことはできません。それは、羊のよう に見えるのです。 黙示録13章には、子羊の角を持っている偽預言者が、口を開くと、竜 の声で話すということが書かれています。 そのように、この狼たちも見かけは羊のようでありながら、人々を欺 き、そしてむさぼり食らうのです。 ● 狼が神のことばを荒らし始めた時 新約聖書の本文の腐敗(改ざん)は、パウロの時代にすでに始まって いました。 「なぜなら、私たちは、神のことばに混ぜ物をしている、 あの多くの者たちのようではないからです」 (第二コリント2・17) エデンの園で始まった聖書の腐敗化は、早くもパウロの時代にコント ロールが効かなくなっていたのです。 つまり、あの最初の使徒たちがこの地上にいた時、彼らは聖書本文の 純粋性のことで問題を抱えていたのです。 このことは、第二コリント4・2で確認され、さらに展開されていま す。 「私たちは…恥ずべき隠されたことを棄て、悪賢さをもって歩 むことをせず、神のことばにごまかしを行うこともせず」 (第二コリント4・2) このように、新約聖書の「原本」に訴えることがまだ可能であったパ ウロの時代でも、「神のことばにごまかしを行う」者たちが存在 し、 「神のことばに混ぜ物をしている」者たちが多くいたのです。 ペテロは、パウロの著作のすべてが聖書であることを述べており、そ れに敵対して自らに滅びを招いている人々がいると言っています(第二 ペテロ3・16)。 使徒たちの時代に多くの者が神のことばを改ざんしていたのであれ ば、最初の原文の読み方を含んでいない一世紀の文書を見出すことが可 能なはずです。 それがどんなに古いものであっても、改ざんされている可能性がある のです。 なぜなら、パウロもペテロも、多くの者が第一世紀に神のことばを改 ざんしていることを記しているからです(第二テサロニケ2・2も参 照)。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.13~ 聖書に関わるサタンの策略などについて(David Blunt) → Which Bible Version:Does it Really Matter? C2《 第一世紀から始まっていた新約聖書の 改ざん 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ●多くの者たちによる改ざん 第二コリント2・17は、パウロの時代に「多くの者たち」が聖書を改 ざんしていたことを述べています。(C-1を参照) 「なぜなら、私たちは、神のことばに混ぜ物をしている、あの多 くの者たちのようではないからです」(第二コリント2・17) ●アキラによる改ざん シノペのアキラ(紀元80年∼135年)は、占星術を捨てることを 堅く拒んだことと、降霊術を行ったことで、クリスチャンの社会から除 名されました。 彼は、ローマ皇帝ハドリアヌスの統治時代(117年∼138年) に、ソロモンの神殿の跡地に、ジュピター(ローマの最高神)のための 異教の神殿を建設する指揮を執り、かつて至聖所のあった場所にローマ 皇帝の像を据えました。(注20) アキラは旧約聖書をギリシャ語に翻訳した書物を新たに作り出し、そ の中で、メシア(キリスト)に関する多くの聖書の箇所を、それらが主 なるイエス・キリストに当てはめるのが不可能であるように意図的に訳 しました。(注30) (教父イレナエウスはアキラを、『聖書をゆがめる邪悪な者』として激 しく攻撃しました。『異端反駁論』第三巻) アキラは、マタイ1・23の「パルセノス(処女)」というギリシャ語 は、処女マリアのことではなく、最初の本文(原文)に崩れがあること を表している、と推測しました。 アキラによれば、その正しい理解は、イエス様は、マリアと、「パン セラス」という名の金髪のローマ兵(ドイツ生まれ)との間の私生児で ある、というものでした。 ●新約聖書の時代から存在した聖書改ざん者たち マルキオンによる改ざん(異端グノーシス派)による聖 書の改ざん140年頃 アキラ(降霊術者 80年∼135年頃)による旧約聖書の改 ざん タティアヌスによる聖書の改ざん(2世紀) 無名の四人の改ざん者たち(175∼200年頃) アフリカの書記者たちの改ざん(3世紀以前) 《オリゲネス》 ●オリゲネス作成の旧約聖書:「ヘクサプラ」(245年) ●オリゲネス作成の「ギリシャ語新約聖書」 ●マルキオンによる改ざん 教父たちの手紙と著作からは、紀元140年という早い時期に、グ ノーシス派(異端)のマルキオンが教理上の目的から聖書の本文を意図 的に改ざんしたことがわかります。 それらの教会教父たちにより、二世紀半ばまでに聖書を腐敗させた 人々の名前も挙げられています。 ●聖書を改ざんした四人の異端者たち ガイウスは二世紀の終わり近く(175年∼200年ごろ)に文筆活 動をした正統派の「教父」でした。 ガイウスは四人の異端者の名前を挙げて、彼らが聖書本文を改ざん し、弟子たちにそのコピーを作らせたことを述べています。(注1) 彼は、それらの写本が彼ら異端者自身の作品であり、彼らが「原本通 りのもの」を作ることができなかったことで、彼らは自分の罪を否定す ることができない、と非難しました。 ピッカリングが指摘しているように、もしガイウスも「原本通りのも の」を作ることが不可能であったとしたら、ガイウスのこの非難は空し いものであったはずです!(注2) したがって、それらの原本は、二世紀の終わりに、まだ利用できる状 態であったことになります。 現代の多くの学者たちは、聖書本文の「異なる読み方」のほとんど は、意図的に行われたことを認めています。 実際、ギリシャ語写本の中に見出される「異なる読み方」のほとんど が紀元200年までに入り込んだことを示す証拠があるのです。 スクリブナー博士は、こう述べています。 「新約聖書がこれまで受けてきた最悪の腐敗(改ざん)は、それ が編纂されてから100年以内に始まったものです」(注3) それから半世紀以上の後、コルウェル氏もそれに同意して、こう述べ ています。 「圧倒的大多数の『読み方』は、紀元200年より前に創られま した」(注4) G・D・キルパトリック氏は、こう述べています。 「ほとんどの意図的な変更は、すべてではないとしても、 紀元200年までになされました」(注5) キルパトリックは、新たな異なる読み方を創り出すことが紀元200 年ごろまでに終わった理由は、そのころには、それらを「売る」ことが 不可能になったからであると論じています。 彼は、オリゲネスが聖書本文を変更しようとしたことも述べていま す。 「初期の時代になされた変更のほうが、はるかに数が多かったこ とには、何の疑問もありません。… 三世紀の初め以降は、本文を自由に変更することは、もはや不 可能でした。 私たちが現在知っている情報としては、本文を意図的に変更し た最後の人物はタティアヌスです」(注6) キルパトリックは結論として、こう述べています。 「二世紀の終わりには、クリスチャンたちの考え方は、聖書本文 を意図的に変更(改ざん)することには堅く反対するようになっ ていました。…新約聖書の本文の意図的な変更のほとんどは、紀 元200年より前のものでした。 つまり、そういう変更は、紀元50年から200年の間に生じ たのです」(注7) このように、意図的な変更が聖書本文中に挿入され、新たな「異なる 読み方」が創られることは、紀元200年までにほぼ終了していたので す。そしてそれ以後は、それ以上の害を被ることはほとんどなかったの です。こうして古代のものをよしとする仮説は破棄されているのです。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Burgon,"The Revision Revised",pp.323-324 (注2)Pickering,"The Identity of the New Testament Text",pp.109-110 (注3) F.H.A.Scrivener,"A Plain Introduction to the Criticism of the New Testament",Vol.2,p.264, Pickering著書 pp.108-109 (注4)Colwell,"The Origin of Texttypes of New Testament Manuscripts",p.138 (注5)G.D.Kilpatrick,"Atticism and the Text of the Greek New Tesatmenr",pp.128-131(注6)同書 pp.129-130(注7)同書 p.131 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.155∼ C3《 異端がはびこっていたエジプト 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 一つの場所だけに由来する証言 よく知られていることですが、少数派の大文字写本(バチカン写本・ シナイ写本など)は、エジプトのアレクサンドリアからのみ生じたパピ ルス紙あるいは羊皮紙が用いられました。(注1) 問題は、こうです。 一つの場所だけに由来する証言に従うのは、慎重なことなのでしょう か? 最初の(原文の)『読み方』が一つの地域だけで生き残ったとするの は、合理的でしょうか? それとは対照的に、ギリシャ語の新約聖書本文TR(テクストゥス・ レセプトゥス)は、ギリシャ、小アジア、コンスタンチノープル、シリ ア、アフリカ、ガリア地方(フランスとベルギー)、南部イタリア、シ チリア島(イタリア)、イギリス、アイルランドなど各地に由来する小 文字写本から成り立っています。 そもそもエジプトのアレクサンドリアには、新約聖書の最初の自筆原 稿は全くありませんでした。 したがって、ローマ、ギリシャ、小アジア、パレスチナなどの地域の ほうが、エジプトよりも、真の聖なる聖書本文を所有することでは、よ りよいスタートを切ったはずです。(注2) 近年発見されたパピルス紙やバチカン写本やシナイ写本などの文書 は、すべてエジプトから生じたものなのです。(注3) ● 多くの異端のはびこっていたエジプト キリスト教の初めの世紀、エジプトは多くの異端がはびこっている地 でした。 ● ヒルズは、ボドゥマー・パピルス紙写本が、グノーシス派の異端者 たちにより、一部が不正に変更されたことを報告しています。(注4) それと同じことは、バチカン写本およびシナイ写本にも当てはまりま す。(注5) ● バーゴンもミラーも、バチカン写本およびシナイ写本にこのグノー シス派の痕跡があることを1896年に指摘し、彼らの指摘は今もなお 論駁されていません。 ● バーゴンは、その腐敗(改ざん)の根源として、悪名高いグノーシ ス派の教師、バレンティヌス(紀元150年。エジプト・アレクサンド リア出身)の名前を挙げました。(注6) ● 初期のエジプトの「教会」には、異端的な性格さえありました。 (注7) こうして、エジプトから生じた大文字写本に異端的な読み方が散布さ れていたのも、驚くべきことではないのです。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Pickering,"The Identity of the New Testament Text",pp.116-117 (注2)同書 p.105 (注3)Hills,"The King James Version Defended",p.134 (注4)Hills,"Believing Bible Study",p.78 (注5)同書 p.77 (注6)John W.Burgon,"The Causes of the Corruption of the Traditional Text of the Holy Gospels", pp.215-218 (注7)Hills,"The King James Version Defended",p.134 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.157~, p.163[PDF] 聖書に関わるサタンの策略などについて(David Blunt) → Which Bible Version:Does it Really Matter? C4《 オリゲネスの信念 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 オリゲネス : 宗教的ギリシャ哲学者 広範囲に旅をし、どこでもギリシャ 語の新約聖書を見つけると、それを自 分の教理にぴったり合うように改ざん した。 彼は『前世からの生まれ変わり』を 信じ、「人は罪のない者となるため に、煉獄に行かなければならない」と 信じた。 百科事典や参考図書を調べれば、神の偉大な人々、信仰の人々であっ たと言われているオリゲネスを見出すはずです。それらの書物では、教 会は彼らに負うところがいかに多く、オリゲネスは聖書の本文を初めて 科学的に注釈した人物である…と述べられているはずです。 ところが、諸事実をもっと詳しく調べていくと、そうではないことが わかるのです。 ●エビオン派の著作を導入したオリゲネス オリゲネス・アダマンティウスは、「ヘクサプラ」と呼ばれる「旧約 聖書」を編纂しました(紀元245年)。 それは、実際には、六つの欄がある並列聖書でした。 最初の欄にあるのは、ヘブル語旧約聖書でした。ほかの三つの欄に は、エビオン派(異端)の人々によるギリシャ語訳がありました。 ●オリゲネス作成の旧約聖書:「ヘクサプラ」(245年) 第一欄=ヘブル語聖書 第五欄=オリゲネスによる改訂版「七十人訳聖書」・外典を含む ほかの三つの欄=エビオン派(異端)の人々によるギリシャ語訳 ●オリゲネス作成の「ギリシャ語新約聖書」 エビオン派は、イエス様の倫理的教えを信じていましたが、恵みにつ いてのパウロの教えを信じていませんでした。 実際、彼らはパウロを使徒と呼びましたが、彼の数々の手紙をすべて 完全に退けていました。(注1) 彼らは、イエス様が神性を持ったお方であることを信じていませんで した。 また彼らは、ヨセフがイエス様の父であると教えました。 この三つの欄に翻訳聖書を記したそのエビオン派のうちの幾人かは、 その後、背教し、ユダヤ教に戻りました。 ●アキラによる聖書の改ざん 彼らのうちの一人(シノペのアキラ 紀元80年∼135年)は、占 星術を捨てることを堅く拒んだことと、降霊術を行ったことで、クリス チャンの社会から除名されました。 新約聖書の時代から存在した聖書改ざん者たち マルキオン(異端グノーシス派)による聖書の改ざん140年頃 アキラ(降霊術者 80年∼135年頃)による旧約聖書の改ざん タティアヌスによる聖書の改ざん(2世紀) 無名の四人の改ざん者たち(175∼200年頃) アフリカの書記者たちの改ざん(3世紀以前) 彼は、ローマ皇帝ハドリアヌスの統治時代(117年∼138年) に、ソロモンの神殿の跡地に、ジュピター(ローマの最高神)のための 異教の神殿を建設する指揮を執り、かつて至聖所のあった場所にローマ 皇帝の像を据えました。(注2) アキラは旧約聖書をギリシャ語に翻訳した書物を新たに作り出し、そ の中で、メシア(キリスト)に関する多くの聖書の箇所を、それらが主 なるイエス・キリストに当てはめるのが不可能であるように意図的に訳 しました。(注3) (教父イレナエウスはアキラを、「聖書をゆがめる邪悪な者」として激 しく攻撃しました。『異端反駁論』第三巻) アキラは、マタイ1・23の「パルセノス(処女)」というギリシャ語 は、処女マリアのことではなく、最初の本文(原文)に崩れがあること を表している、と推測しました。 アキラによれば、その正しい理解は、イエス様は、マリアと、「パン セラス」という名の金髪のローマ兵(ドイツ生まれ)との間の私生児で ある、というものでした。 オリゲネスは、これらエビオン派の人々の著作を「霊感されたもの」 とみなし、こうしてそれらを彼の「聖書」なるものの中に入れたので す。 オリゲネスのヘクサプラの五番目の欄(古典ギリシャ語で書かれまし た)は、紀元前の時代の旧約聖書のギリシャ語訳を、オリゲネスが改訂 したものだとされています。 今日、この五欄目は、本文批評家たちからは「七十人訳聖書」(注 4)として言及されています。 ●オリゲネスによる新約聖書の改ざん オリゲネスは、新約聖書に対しても関わりました。彼はおもに旧約聖 書を翻訳しましたが、他方、彼は新約聖書を「編集」したのです。オリ ゲネスは広範囲に旅をし、どこでも彼がギリシャ語の新約聖書を見つけ ると、それを彼の教理にぴったり合うように改ざんしました。もちろ ん、彼は、自分はそれらの写本を「修正」しているだけだと考えていま した。しかし、神の人々が原文の読み方を変えることはないはずです。 オリゲネスには、一人の裕福な後援者(アンブロシウス)がいまし た。アンブロシウスは、七百人以上の速記者と、大ぜいの写字生、およ び、字の達筆な若い女性たちを用意し、オリゲネスが聖書を組織的に改 ざんするのを援助しました(エウセビウス『教会史』)。(注5) オリゲネスは、エジプトのアレクサンドリアにある学校の第三代の校 長でした。その学校は紀元180年に、ギリシャ哲学者のパンタエヌス によって設立されました。 202年、パンタエヌスの後を、アレクサンドリアのクレメントが引 き継ぎました。彼は、ギリシャの哲学者プラトンの著作も、聖書が霊感 されているのと同じ意味で「霊感されている」と教えました。 彼らの著作からわかるのは、彼らは「宗教的」な人物ではあっても、 救われていないギリシャ哲学者たちであったことです。 ●オリゲネスの信念 次に述べるのは多くの資料(注6)から収集されたものであり、オリ ゲネスの数々の信念を描写しているものです。それらを調べて、彼が実 際に「教会初期の偉大な教父」であったかどうかを見ることにしましょ う。 このギリシャ哲学者は、新プラトン主義の創始者アンモニオス・サッ カス(紀元170年∼243年)から教えを受けていました。 新プラトン主義は、アリストテレス論理学と東洋のカルトの教えとの 奇妙な組み合わせです。 それは、「この世界は、『非人格の一つのもの』から生じたものであ る」と考えています。たましいが何らかの恍惚状態あるいは忘我状態に いる間、その非人格のものと結び付くことができると考えています。 その哲学の追従者であるオリゲネスは、その見解をキリスト教に融合 させようとしました。 …しかし、それらが混ざることはありません。 オリゲネスは次のことを信じていました。 1. 彼は、「たましいの眠り」を信じていました。(すなわち、 その人のたましいは、復活の時まで、墓の中で「眠っている」こと) しかし聖書は、「体から離れる」ことは「主のもと」にいることである と教えています(第二コリント5・8)。 2. 彼は、「洗礼による生まれ変わり」を信じていました。(人 は水のバプテスマによって救われるという信念) もともとはサタンが その創始者ですが、この教えを強く提唱した人として私たちが見出すこ とのできる最初の人物が、オリゲネスなのです。 3. 彼は、「万人が救われることになる」と信じていました。す なわち、サタンおよび悪霊どもを含めて、すべてのものが最終的には和 解されること、です。 4. 彼は、「イエスは一人の被造物にすぎない」と信じていまし た。 こうして、オリゲネスは、最も根本的な教理(すなわち、主な るイエス・キリストのご人格についての教理)において、クリスチャン ではありませんでした。 5. 彼は、「人は罪のない者となるために、煉獄に行かなければ ならない」と信じていました。 この教理は、聖書のどこにも見出さ れません。 6. 彼は、「聖餐式の時、パンとぶどう酒が実際にキリストの体 と血に変わること(化体)」を信じていました。 7. 彼は、「前世からの生まれ変わり」および「カルマ」を信じ ていました。すなわち、人のたましいは、この現在の地上に存在するよ り前に、別の世界で先に存在しており、その前世からの祝福あるいは呪 いを持ち込んだこと。 (イエス様の復活が、この「前世からの生まれ変わり」のまちがいを正 しています。イエス様が同じイエス様としてよみがえられたからです。 ヘブル9・27は、「人間には一度死ぬことと、その後の裁きとが取り置 かれてある」と言っています。このように聖書は、「前世からの生まれ 変わり」が存在しないことを教えています) 8. 彼は、「バプテスマを受けない幼児は地獄に行く」ことをほ のめかしました。 9. 彼は、「聖書に書かれているようなイエスへの試みが本当に 起こったとは、知的な人なら信じることができないはずだ」と主張しま した。 オリゲネスは、イエス様の言われたことを正すことさえしました。 マタイ13・38にある「種を蒔く人」のたとえの箇所で、イエス様は、 「畑とは、この世です」と言っておられます。 ところが、オリゲネスは、「畑とはイエスであった」と言いました。 その後、彼は考えを変えて、畑を「聖書のことだ」としました。 10. 彼は、「聖書は、文字通りに解釈するものではない」と信じ ていました。(オリゲネスは、「寓話的解釈の父」でした) 11. 彼は、実際に「アダム」が存在したことも、「人間の堕落」 も信じていませんでした。また、「創世記一章∼三章は、文字通りに解 釈すべきものではなく、歴史的な記述でもない」と信じていました。 12. 彼は、「マタイ十九章は、『神の人は去勢を受けるべきであ り、自分自身を去勢し続けていくべきである』と解釈するのが正しい」 と信じていました。 13. 彼は、「永遠の命は賜物ではない。むしろ、人はそれを奪っ てつかみ、保っていなければならない」と教えました。(しかし、エペ ソ2・8は、「あなたがたは、その恵みによって、信仰を通して救われ ているからです。そして、これはあなたがたから出たものではありませ ん。神の贈り物です」と言っています) 14. 彼は、「人が『代々の完成』の教理を知的に理解しないうち は、キリストはどの人間の内にも入ることはない」と信じていました。 (これは、ほとんどのキリスト教団体の約99パーセントを排除してしま うものです) 15. 彼は、「あがなわれた者たちは『体の』復活を経験すること はない」と信じていました。 (しかし、第一コリント十五章などの多くの箇所は、体の復活を教え ています) さらに、紀元200年ごろ、アレクサンドリア派の「クリスチャンた ち」は、「マリアこそが三位一体の神の『第二の位格』である」と教え ていました。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Eusebius,"Ecclesiastic History",Vol.1,Bk3,ch.27 (注2)Wallace,"A Review of the New Versions",pp.22-23 (注3)同書 pp.16,18 (注4)Floyd Nolen Jones,"The Septuagint: A Criticla Analysis",p.19 (注5)Eusebius,"Ecclesiastic History",,Bk6,ch.23 Elgin S.Moyer,"Who Was Who in Church History",p.315 John Reumann,"The Romance of Bible Scripts and Scholars",pp.98-103 (注6)A.H.Newman,"A Manual of Church History",Vol.1,pp.284-287 Herbert Musurillo,"The Fathers of the Primitive Church",pp.31,38,195,198,202-203 "Encyclopedia Britannica",Vol.16,pp.900-902 ,etc 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.92∼[PDF] C5《 ローマ皇帝コンスタンティヌス 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 太陽神の崇拝者 コンスタンティヌス(288年∼337年) 聖書本文の歴史で二番目に重要な出来事が始まったのは、コンスタン ティヌス(注1)がローマ皇帝になった時でした。 彼はキリスト教を容認すると公言しましたが、彼が回心したことが あったかどうかは、きわめて疑わしいことです。 彼の「回心」に関わる諸事実は、教会における『十字像』への崇拝を 永続させるために、ゆがめられてきたのです。 当時、コンスタンティヌスは階級間にあった分裂のただ中にいて、大 きな戦いに進んで行こうとしているところでした。 彼の軍隊には多くのクリスチャンたちがいましたが、クリスチャンで ない人々がそれ以上に多くいました。 『ミルビアン橋での戦い』の前日、コンスタンティヌスが太陽神に向 かって祈りをささげると、そこに一つの『十字』が現れ、「このしるし によって、打ち勝て」という刻印があった、と言われています。 このことをよく調べると、コンスタンティヌスが見たとされるその 『十字』は、大文字の「T」という字の上に、小さな輪が付いているも のに似ていたことがわかります。 エジプトでは、それは『アンク十字』(古代エジプトの十字架)とし て知られていました。 そのようなものは、決してクリスチャンのシンボルではありませんで した。 それは常に、バビロンのカルトの宗教的シンボルとなってきたもので す。 コンスタンティヌスが彼の軍隊の者たちに、自分は「十字」のしるし を見たと話した時、クリスチャンたちは、彼があの「クリスチャン」の 「十字架」のことを話しているのだと考えました。 異教徒たちは、それが異教のシンボルであることに気付きました。そ れが彼らを戦いのために団結させたのです。 実際、この幻を正当なものとする理由は、ほとんど存在しません。特 に、それには現実の歴史的根拠が全くないからです。 この話が歴史家たちから収集されてきた中で、唯一の権威者は、エウ セビウスです。彼は「歴史の偽造者」として非難された人です。 別の記述(コンスタンティヌスの息子クリスプスの家庭教師であるラ クタンティウスによるものと考えられる)では、ある夢のことしか述べ られていせん。 その夢の中で、この皇帝は、「彼の兵士たちの盾を『神の天からのし るし』として踏みつけ、そうして戦闘に出て行け」と命じられました。 主が異教徒の皇帝に対し、十字の紋章の付いた軍旗を作れと命じるこ と、しかも、そのしるしの下で戦いに出て行って人々を殺すよう命じる とは、聖書全体の教えとも、真のキリスト教精神とも、全く矛盾してい ます。 コンスタンティヌスは、イエス様が神としての御性質を持っておられ ることを全く信じていませんでした。 皇帝であった彼は、自分を「キリスト教徒」であると公言していた時 期、ローマの神秘カルトの高位の祭司でした。(注2) 彼が回心したとされていた時の後も、彼は幾度も殺人を犯しました。 彼は、彼の妻と息子をも殺したのです!(注3) ● 異教の信仰とキリスト教信仰の混合 コンスタンティヌスは死んだ時、太陽崇拝者たちの高位の祭司でした が、また同時に、この地上の神の教会の「最高権威者」であるとも主張 していました! コンスタンティヌスはコンスタンチノープル(イスタンブール)を献 呈した時、そのセレモニーで異教の儀式とクリスチャンの儀式の両方を 用いました。 彼が異教の信仰とキリスト教を混合しようとしたことは、彼が造った 貨幣でもわかります。(注4) 彼は貨幣に、マルスあるいはアポロ(ニムロデ)の肖像とともに、十 字架も(特に、クリスチャンと公言する人々を喜ばせるため)刻印しま した。 さらに彼は、作物の保護と病気のいやしのために、異教の魔法も信じ 続けました。 では、彼が本当はクリスチャンではなかったのなら、なぜ、クリス チャンの信仰に対して多くの好意を示したのでしょうか? コンスタンティヌスは最高の政治屋でした。 彼は、何年も厳しく残酷に迫害してもキリスト教信仰を滅ぼすことは できないことを見ていました。 彼の地位はライバルの皇帝(マクセンティウス)から脅かされつつあ り、あらゆる方面の人々から支持を取り付ける必要に迫られていたた め、自分の分裂した帝国を団結させるためにクリスチャンたちに助力を 求めたのです。 それは、とても簡単なことでした。というのも、そのころ、教会のほ とんどの指導者たちは、霊性や真理のことよりも、むしろ、人数と人気 のことを考えつつあったからです。 彼らは、そういう目的を達成するために、さまざまな「神秘」と妥協 する用意ができていたのです。このことは、ローマでは特に当てはまり ました。 コンスタンティヌスは自分の軍隊の旗のシンボルとして「十字」を採 用し、また、自分の兵士たちの盾に、「X」という交差する文字(ギリ シャ語の「キー」)を描くことにより、自分の軍隊の中に団結を確立し ようとしたのです。 キリスト教信仰を捨てた人々や世的なクリスチャンたちなら、彼らは キリストの「十字架」のために戦っているのだと思うはずです。 しかし、異教徒たちは、密議宗教の「十字」の描かれている旗印のも とで戦っていたのです。(注5) この策略は功を奏し、312年十月二十八日の『ミルビアン橋での戦 い』で勝利しました。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Ralph Woodrow,"Babylon Mystery Religion: Ancient and Modern",pp.55-59(注2)同書 p.58(注3)同書 (注4)同書 p.58 (注5)Will Durant,"The Story of Civilization.Caesar and Christ",Vol.3,p.654 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.97~,p.101~[PDF] C6《 アリウス派であったエウセビウス 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● アリウス派であったコンスタンティヌスとエウセビウス 325年、アリウス派の異端を押さえ込み、また決着を付けるべく、 ニケア会議が招集されました。 アリウスは、イエスは肉において来られた神ではないと信じていまし た。すなわち、イエスは一人の被造物にすぎないと信じていたのです。 アリウスにとって、イエスは一人の人間以上の存在ではあっても、決 して神ではなかったのです。 初代教会の歴史を記した「偉大な歴史家」とされているエウセビウス も、アリウス派でした。すなわち、宗教心はあっても新しく生まれ変 わってはいない一人の人間であり、また、アリウスの友人でもありまし た。 コンスタンティヌスとエウセビウスは、この会議の正統派の主教たち から大きな圧力を受けて、主なるイエス・キリストの神性に関し、「よ り懐柔的な見解」を取りました。 彼らは、もはやアリウス派ではなくなりましたが、それを完全に否定 しようともしなかったのです。 しかし、イエス様に関してそうすることは、決してできません。 人は、キリストの神性について、「懐柔的な見解」を取ることはでき ません。その人が本当にクリスチャンであるか否かについての根本的な 問いは、「あなたにとって、イエス様はどういうお方か?」ということ です。 もし、だれかが、「イエス様は、肉において来られた神であられ る」、「彼は、人類の罪のための血のあがないをするために、世界の 人々の罪のために死なれて三日目に死人たちの中からよみがえられた」 と信じていないなら、その人はクリスチャンではありません。 それが、「クリスチャン」についての聖書的な定義です。 「クリスチャン」とは、単に水のバプテスマを受けたことのある人、 堅信礼を受けたことのある人、あるいは、教会員名簿に名前が載ってい る人のことではありません。 ●エウセビウスが作った50冊の聖書に関わる人々 ● ローマ皇帝コンスタンティヌス (エウセビウスに対し、50冊の聖書を用意するよう指示) 太陽崇拝の高位の祭司/異教の魔法の信奉者 追放されたアリウスの復帰を指示 ● エウセビウス アリウス派/アリウスの友人 「オリゲネスこそ最も偉大な人物」と考えた ● コンスタンティヌス二世(コンスタンティヌスの息子) および彼が任命した主教たち アリウス派 アリウスは追放されましたが、二年後、コンスタンティヌスが彼の復 帰を許可しました。アリウスと同じように、コンスタンティヌスとエウ セビウスも、「イエス様と父なる神は本質的に一つである」という教え を遵守してはいませんでした。 ● アリウス派であったローマ・カトリック教会の主教たち コンスタンティヌスはローマ帝国の皇帝であっただけでなく、実質的 に、ローマ・カトリック教会の教皇でもありました。 そのような者として、彼には、教会内のすべての主教や大主教たちを 任命する義務と権威がありました。人間的な見地からすると、教会組織 はローマ政府の権威の下に完全に入っていたのです。 彼の息子であるコンスタンティヌス二世は、皇帝となった時にその権 力を引き継ぎました。彼も、父親と同様に、アリウス派でした。彼に よって任命されたすべての主教も、教理はアリウス派でした。(注1) ……………………………………………………………………………………………… (注1)E.H.Broadbent,"The Pilgrim Church",pp.21-22 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.102~[PDF] 聖書に関わるサタンの策略などについて(David Blunt) → Which Bible Version:Does it Really Matter? C7《 エウセビウスが作った50冊の聖書 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 331年、コンスタンティヌスはエウセビウスに対し、50冊の聖書を用 意するよう指示しました。彼がコンスタンチノープルに建設を予定して いた新たな教会に、それらの聖書を置くためでした。(注1) エウセビウスはそれを実行しました。 ● オリゲネスの著作から作り出された50冊の「聖書」 問題は、エウセビウスがコンスタンティヌスのためにその50冊の聖書 を用意する際、ガイドとして何を用いたかです。 エウセビウスは、オリゲネスこそ最も偉大な人物だと考えていまし た。彼はオリゲネスの手紙を800通収集し、ヘクサプラを用いたと述 べています。 こうして、エウセビウスは、パンフィルスの援助を受けつつ、旧約聖 書のためにオリゲネスのヘクサプラの第五欄を選び(注2)、アポクリ ファ(ヘブル語の正典に含まれていない数々の書。第一、第二エスドラ ス書、トビト書、ユデト書、エステル記続編、ソロモンの知恵書、ベル と竜、第一、第二マカベア書、バルク書など)を付け加え、さらに、オ リゲネスの編集した新約聖書を使って完成させました。 ●オリゲネス作成の旧約聖書:「ヘクサプラ」(245年) 第一欄=ヘブル語聖書 第五欄=オリゲネスによる改訂版「七十人訳聖書」。外典を含む ほかの三つの欄=エビオン派(異端)の人々によるギリシャ語訳 ●オリゲネス作成の「ギリシャ語新約聖書」 ↓ ↓ ↓ ●エウセビウスの50冊の「聖書」(ベラム皮紙製 331年) (バチカン写本・シナイ写本の誕生) ● 上等のベラム皮紙で作られた「聖書」 これらの「聖書」は、立派なベラム皮紙(上等の皮紙)で、ローマ政 府の印も記されて、コンスタンティンのために用意されました。 このベラム(動物の皮)は、とても上等なものであり、皮紙二枚を作 るだけのために一頭のカモシカが使われるほどでした。 このような事業のために十分な資金を持っていたのは、王室だけで あったことでしょう。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Eusebius,"Life of Constantine" ,(4)36 (注2)Ira M.Price,"The Ancestry of our English Bible",p.79 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 《 50冊の聖書の現存写本… バチカン写本とシナイ写本 》 ● バチカン写本・シナイ写本とは? ●「バチカン写本とシナイ写本…それは、エウセビウスが331年から コンスタンティヌスのために自らが監督して作った、あの最初の50冊の 聖書写本のうちの現存する二つの大文字写本です」 "Which Version Is The Bible?", p.106~ フロイド・ノレン・ジョーンズ博士 ●ジャスパー・J・レイ師(聖書教師、宣教師)は次のように述べ、七 つの参照箇所を紹介しています。 ("God Wrote Only One Bible",p.19, Jasper James Ray) 「聖書本文の権威者たちは、『シナイ写本とバチカン写本は、紀元 331年にエウセビウスによりコンスタンティヌスのために作られた50冊 のギリシャ語聖書のうちの二つの現存写本である』と信じています」 1. Burgon and Miller,"The Traditional Text",p.163 2. "Catholic Encyclopedia",Vol.4,p.86 3. Gregory,"The Canon and Text of the New Testament",p.345 4. Dr. Ira M.Price,"Ancestry of the English Bible",p.70 5. A.T.Robertson,"Introduction to the New Testament",p.80 6. Dr.Philip Schaff,"Companion to Greek Testament",p.115 7. Dr.Scrivener,"Introduction to the New Testament",Vol.2,p.270 ●David Otis Fuller博士は次のように述べています。("Which Bible",p.163 , David Otis Fuller) 「バチカン写本とシナイ写本が保存されてきたのは、おそらく、それ らがベラム皮紙に書かれたからです。ただし、当時のそれ以外のほとん どの書物はパピルス紙に書かれました。 ティッシェンドルフ(シナイ写本の発見者)およびホート(RV本文 の作成者)を含めて、多くの学者が、このバチカン写本とシナイ写本 は、エウセビウスがコンスタンティヌスの下で、コンスタンチノープル の諸教会での使用のために用意した、あの50冊の写本のうちの二つであ ると考えています」 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.103~[PDF] C8《 『ベラム皮紙』に書かれた バチカン写本・シナイ写本 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 『ベラム皮紙』に書かれたバチカン写本 バチカン写本とは何でしょうか? それは『ベラム皮紙』(上等の皮紙)に書かれた、759ページのギ リシャ語写本です。 それは旧約聖書外典(アポクリファ)も含んでいるゆえ、聖書に聖書 以外のものを付け加えているものです。 しかし、神は、「付け加えてはならない」と言われたのです。 バチカン写本には、バルナバの手紙(新約の時代の外典的書物)も含 まれています。 この書は、「水のバプテスマが、たましいを救う」と教えており、こ れも、神のことばに付け加えることです。 バチカン写本は、創世記1・1∼46・28、詩篇106篇∼138篇、マ タイ16・2、3、ローマ16・24などを含んでいないゆえ、神のことばが 削除されてもいます。 バチカン写本には、パウロの牧会書簡(第一テモテ、第二テモテ、テ トス書、ピレモン書)もありません。 この写本には、「ヨハネの黙示録」も、ヘブル9・15∼13・25も欠け ています。 これらは、イエス様のただ一度のいけにえが、数々の聖礼典(サクラ メント)を永遠に終わらせたことを教えている箇所です。 また、マルコ16・9∼20は空欄とされています。 ●バチカン写本 創世記1・1∼46・28、詩篇106篇∼138篇、 マタイ16・2、3、ローマ16・24など 含まない マルコ16・9∼20 含まない パウロの牧会書簡(第一テモテ、第二テモテ、テトス書、ピレモ ン書) 含まない ヘブル9・15∼13・25 含まない ヨハネの黙示録 含まない 「バルナバの手紙」(新約の時代の外典的書物) 含む 旧約聖書の外典(アポクリファ) 含む (→ ■ 「トビト書」(アポクリファ)の事例 参照) エラスムスは、1515年、新約聖書のギリシャ語本文を準備していた 時、バチカン写本のことも、その写本の「異なる読み方」のことも知っ ていました。 それらの読み方は、彼が見てきた大多数の写本とはとても異なるもの であったため、エラスムスはそのような読み方を擬似的なもの(偽物) とみなしました。 たとえば、バチカン写本には、「神秘、大バビロン」、「七つの頭、 すなわち、淫婦が座っている七つの山」、「その女、すなわち、地上の 王たちを支配している(七つの山を持つ)大きな都」などが含まれてい ません。これらすべては、黙示録十七章に見られるものです。 ● 『ベラム皮紙』に書かれたシナイ写本 1844年に発見されたシナイ写本(184ページ半)は、どのページも 13.5インチ 15インチの大きさです。 「シナイ写本は『完全な』ギリシャ語新約聖書である」と言われるこ とがありますが、実際はそうではありません。 ●シナイ写本 ヨハネ5・4、8・1∼11、マタイ16・2、3、ローマ16・24、 第一ヨハネ5・7、使徒8・37など 含まない マルコ16・9∼20 含まない 「ヘルマスの牧者」・「バルナバの手紙」 含む 旧約聖書の外典(アポクリファ) 含む (→ ■ 「ヘルマスの牧者」の事例参照) たとえば、シナイ写本は、「ヘルマスの牧者」と「バルナバの手紙」 を新約聖書に付け加えています。 それは、ヨハネ5・4、8・1∼11、マタイ16・2、3、ローマ16・ 24、マルコ16・9∼20、第一ヨハネ5・7、使徒8・37、および他の いくつもの節を削除しています。 これらの大文字写本に関して最も重要な事実は、バチカン写本とシナ イ写本の両方で、ヨハネ1・18の箇所を、イエス様が「生まれたひとり 子である御子」であると記す代わりに、「生まれたひとり子である神」 と記していることです。 これはまさに、あの最初のアリウス派の異端の考えです! それは、神にはイエスという名前の小さな神がいて、イエスは父なる 神より劣った神であることを意味します。 これは、初めに大きな神が存在し、彼が小さな「神」を創造したこと を意味します。こうして、イエスは一人の被造物、小文字の「god」 (大文字の「God」ではなく)となってしまうのです。 しかし、受肉の時、小文字の「god」が生まれたのではありませ ん。神は一人の御子をお生みになったのであり、御子は(彼の神性に関 して)永遠におられる方です(ミカ書5・2)。 このバチカン写本やシナイ写本の読み方が、これらの大文字写本を信 頼できない、腐敗したものとしているのです! ● バチカン写本・シナイ写本のルーツ このアリウス派の異端は、オリゲネスが旅先で見つけたギリシャ語写 本を改ざんしたことの結果として生まれたものであり、オリゲネスの著 作のコピーに由来するバチカン写本およびシナイ写本の中に現れていま す。 現代の学者たちは、この二つの古い写本は350年から380年ごろ にコピーされたものだと主張しています。 読者のみなさんは、このことが、コンスタンティンが331年に自分 のために数々のコピーを用意するようにとエウセビウスに命じた事実 と、ぴったり符号しているとわかるはずです。 ヒエロニムスが用いた材料(オリゲネスのヘクサプラ、および、彼の 編纂した新約聖書)も、ほぼ一語一語が、シナイ写本およびバチカン写 本と同じものでした。 そして、ヒエロニムスと同時代の人であったヘルビディウス(四世紀 の正統派の偉大な学者)(注1)は、ヒエロニムスが腐敗したギリシャ 語写本を使っていることを非難しました。 思い起こしてください。ヒエロニムスはオリゲネスの著作を使い、そ れからラテン語ウルガタ聖書を作り出したのです(図参照)。 同様に、シナイ写本もバチカン写本も、それらのルーツはオリゲネス にあります(図参照)。 こうして、ヘルビディウスはそれらすべてを厳しく非難したのです。 というのも、彼の時代でも、その「源泉」のギリシャ語本文が腐敗し たものであることは知られていたからです。 さらに、バチカン写本をコピーした人がだれであっても、その人は自 分が手にしているのが神のことばであるとは信じていなかったはずで す。 なぜなら、スペルのまちがい、文法のまちがい、数多くの省略、文章 全体が丸ごと再コピーされた箇所、省かれた文章や語句などがあるから です。 シナイ写本とバチカン写本は「親しい兄弟」です。それらが互いに異 なる箇所が多くあっても、それらは「同じタイプの本文」であり、オリ ゲネスのヘクサプラの第五欄と彼の「新約聖書」を使っているのです。 《オリゲネス》 ●オリゲネス作成の旧約聖書:「ヘクサプラ」(245年) 第一欄=ヘブル語聖書 第五欄=オリゲネスによる改訂版「七十人訳聖書」。外典を含む 他の三欄=エビオン派(異端)の人々によるギリシャ語訳 ●オリゲネス作成の「ギリシャ語新約聖書」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ●エウセビウスの50冊の「聖書」(331年) ↓ (バチカン写本・シナイ写本の誕生) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ●ヒエロニムス作成の 「ラテン語ウルガタ聖書」(405年) ……………………………………………………………………………………………… (注1)"Post-Nicene Fathers",Vol.6,p.338 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.106~[PDF] ジョン・バーゴン/シナイ写本とバチカン写本について → Codex Sinaiticus/Codex Vaticanus シナイ写本について(ステファン・P・ウェストコット博士:Reformation 国際神学セミナリー) → Codex Sinaiticus [pdf] シナイ写本の検証について(David L. Brown博士・牧師) → Codex Sinaiticus: It Is Old But Is It The Best? C9《 シナイ写本とバチカン写本の検証 》 フィリップ・マウロ ● 『ベラム皮紙』製のシナイ写本の発見 シナイ写本がこのような名で呼ばれるのは、アラビアのシナイ山にあ る修道院で、ティッシェンドルフによって発見されたからです。この写 本は四世紀のものと考えられています。 この写本は、その発見の出来事も含めて、スクリブナー博士の著書 (1864年)で紹介されました。 著名なドイツ人の学者コンスタンティン・ティッシェンドルフは、古 代の写本を不屈の思いで探求していました。 1844年、彼はシナイ山のある修道院を訪れていました。 その訪問のさなか、ある日、彼はゴミ箱の中から数枚の『ベラム皮 紙』(上等の皮紙)を、たまたま見つけました。よく調べると、それは 旧約聖書の『七十人訳』版の一部を含んでいて、かなり古いものである ことを示す字体で書かれていることがわかりました。 ティッシェンドルフは有名なこの発見を、次のように描写していま す。 「私は、大広間の中央に大きな広口のカゴがあるのに気付きまし た。それには、古い羊皮紙がいっぱい入っていました。 すると、そこの司書が私に、それと同じような書類の山が二つあ ると言いました。それらは、古いためにカビが生じており、焼却さ れることがすでに決まっていました。 この書類の山の中に、ギリシャ語で書かれた旧約聖書の写本が数 多くあるのを見出して、私は何と驚いたことでしょう。それらは、 私には、それまで見たことのない最古の写本のように見えました」 修道僧たちは彼に55枚の皮紙を譲りました。ただし、それから15年後 までは、それ以上のことは何も起こりませんでした。 15年後、彼はふたたびその修道院を訪れました。ただし、この時は、 ロシア皇帝の後援の下での訪問でした。 その時、彼は大きな巻物を見せられました。 その巻物の、それほど重要ではない数々の手書きの原稿の中に、シナ イ写本と呼ばれる写本が含まれていたのです。 当然のことながら、ティッシェンドルフ博士は自分の発見に大得意で した。実際、彼の熱狂ぶりは際限のないものでした。 彼はこう述べています。 「私は、自分の手の中に、最も貴重な聖書的宝物の実物があ るのだと知ったのです」 そして彼は、この発見を、「イギリスの女王のコイヌール(英王室所 蔵の108.8カラットのダイヤモンド)の発見にまさる偉大な」発見 だとみなしました。 彼は、それが古代のもののように見えるからということで、それより 後の時代の写本の読み方とは異なるどんな事例でも、このシナイ写本の ほうが正しいにちがいないと考えたのです。 ● 年数をかけて写本を検証した人々による評価 英国国教会の地方監督ジョン・W・バーゴン [1813年∼1888年])は、五年半を費やして 「福音書の大文字体の五つの写本を検証」しました。 そして、その偉大な働きを完了した時、彼は次のよ うに宣言しました。 「非常に明らかなのは、この二つの写本(バチカン写本およびシ ナイ写本)がいずれも、そしてこの二つだけが損なわれているこ とです。 そのため、私たちはそれらの写本を、霊感された聖書原文の二 つの別個の証拠として受け入れる代わりに、ひどくくずれた(改 ざんされた)、そして比較的後期の同じ一つの写本からの複製に すぎないものと考えざるを得ません」 ● 不注意な写字生による写本 1864年、F.H.A.スクリブナー博士は、『シナイ写本 の完全な検証』という本を発行しました。 (スクリブナー博士は、非常に学識のある神の人で あり、新約聖書の写本および聖書本文の歴史に関 し、当時、最も有能で卓越した本文批評学者でし た) その著書の中で、スクリブナー博士はこう述べています。 「シナイ写本は、少なくとも十人の別々の改訂者によってもたら されたような改ざん(明らかに修正がなされたという性質の改ざ ん)だらけです。 すべてのページに体系的になされている改ざんもあれば、この 写本の数々の箇所に限定されている改ざんもあります」 明らかに、このシナイ写本には、これがくずれていて(改ざんされ て)、欠陥のあるものであるという、議論の余地が全くない証拠が存在 するのです。 さらに、この写本が、まれに見るほど不注意な、あるいは(およ び)、不適格な写字生の作品であったとの結論に至らせる内的証拠もあ るのです。 ● 欠陥に満ちた文字配列 この写本では、その文章の行の配列が特異なのです。 どのページにも四つの欄があり、どの行にも約12文字があり、すべて 大文字ばかりが並んでいるのです。 ある一つの行の終わりで一つのことばを区切ろうとは全くしていない のです。 というのも、二つの文字だけから成ることば(enやekなど)でも、そ の真ん中で分断されており、その最後の文字は次の行の初めに繰り越さ れて(字送りされて)いるのです。 前の行にその最後の文字のための十分な余地があるのに、そうなって いるのです。 このことや、ほかの数々の特異な点から、私たちはその写字生の性格 や能力を考えさせられるのです。 そればかりではなく、スクリブナー博士はこう述べています。 「この写本の原文となっているものは、その数々の行が同様に区 分されていたものであったにちがいありません。 なぜなら、一行分を埋めるのにぴったりの数の文字が時々抜け ていて、文章の意味を完全に壊しているからです。 まるで書記者の目が、うっかりして、そのすぐ下の行に向いて しまったかのようです」 スクリブナー博士は、「数行が完全に抜けてしまっている」数々の事 例を引用しています。 また、「書記者が、ある行の途中で、その下の行の途中の箇所へと飛 んでしまった」数々の事例も引用しています。 以上から明らかなのは,書き写すという仕事が、不注意な写字生に よって行われたことです。 注意深い写字生なら、今述べたようなミスをこれほど頻繁にはしな かったはずです。 さらに、バーゴンはバチカン写本およびシナイ写本について、次のよ うに述べています。 「福音書だけでも、バチカン写本は1491回以上、単語や節全体 を削除しています。 すべてのページに、不注意な書き写しの痕跡があります。 シナイ写本は、全く比類のないほどの、目とペンでのエラーに満 ちています。 10語、20語、30語、40語の単語が、とても不注意なために抜け ていることが、多くあります。 文字や単語、そして文章全体までもが、二度繰り返し書かれてい ることが、しばしばあります。 あるいは、書き始めて、すぐに中断されていることもあります」 バチカン写本とシナイ写本は、現存する写本全体のうちの99パーセン トの写本と異なっているだけでなく、写本同士の間でも異なっていま す。 この二つの写本と、それ以外の多数派の写本には、多くの相違点があ ります。 福音書だけでも、バチカン写本は新約聖書本文Textus Receptus( テ クストゥス・レセプトゥス)と、次のようなちがいがあります。 ● バチカン写本は、少なくとも2877語を削除しています。 ● それは536語を付け加えています。 ● それは935語を置き換えています。 ● 2098語を転置しています。 ● そして、それは1132語を修正しています。 こうして合計7578語の逸脱がなされています。 けれども、シナイ写本は、それ以上にひどいものです。 なぜなら、この写本の逸脱の合計が、9000近くにもなるからで す。 ● 最もひどく損傷している本文! この四世紀の二つの写本(彼は、六世紀のものとされているベザ写本 もこの二つに加えて述べています)について、バーゴンは、おごそか に、はっきりとこう述べています。 「何の躊躇もなく言えるのは、これらは、最もひどく腐敗している (くずれている)三つの写本であることです。それらは、ほかのど こにも見当たらないほど、最もひどく損傷している本文であること を示しています」 また、それらは、「偽造された読み方、古代のとんでもない間違 い、および、真理を意図的にゆがめたものなどが大量にある倉庫と なっています」 初期の数世紀の間に、欠陥のある数々の写本が存在しており、その改 ざんの多くが意図的になされてきたことは、よく知られています。 また、その少数の写本(バチカン写本やシナイ写本)が、なぜ現代に まで残っているかを説明するのは、難しいことではありません。 実際、それらの写本が長く存在し続けてきたのは、それらの数多くの 欠陥のため、使用には適さないと知られていたからであると信じるに十 分な理由が存在するのです。 ● 重要な二つのこと (1)TRとは異なる新約聖書本文と合致する写本は、すべての写本の 中の1パーセントにも満たないことです。 つまり、TRは、数々の古代版聖書や「教父」たちの証言以外にも、 現存するギリシャ語本文のうちの99パーセント以上と合致しているので す。 《 ギリシャ語の写本 》 (総数 5262) (→ 《 99%以上の写本と合致しているTR 》参照) (2)この二つの写本(バチカン写本およびシナイ写本)は、その文面 が非常にくずれており、それが今日まで存在し続けてきたのは、その評 判が良くなかったからであると結論づけることができます。 《出典 : フィリップ・マウロ,WHICH VERSION? Authorized or Revised?[1924年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.149~,155~,161~[PDF] フィリップ・マウロの著書 → 「WHICH VERSION? Authorized or Revised?」(1924) シナイ写本の検証について(David L. Brown博士・牧師) → Codex Sinaiticus: It Is Old But Is It The Best? シナイ写本について(ステファン・P・ウェストコット博士:Reformation 国際神学セミナリー) → Codex Sinaiticus [pdf] ジョン・バーゴン/シナイ写本とバチカン写本について → Codex Sinaiticus/Codex Vaticanus C10《外典を含むシナイ写本・バチカン写本》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 外典を含み、「ヨハネの黙示録」を排除する写本 新約聖書には、旧約聖書からの直接的な引用が 263箇所あり、旧約聖書への言及が370箇所 あります。 新約聖書の中では、だれも、アポクリファへの 言及も、アポクリファからの引用も、一度も行っ てはいません。 イエス様はアポクリファには一度も言及なさい ませんでした。 もし、それらの書が旧約聖書に属するものであったとすれば、主がそ のことを言われなかったのは、なぜでしょうか? 旧約聖書は、イエス様がお生まれになるよりずっと前に正典として認 められていたのです。 それなのに、オリゲネスのヘクサプラの第五欄には、旧約聖書の外典 (アポクリファ)が含まれています。 バチカン写本とシナイ写本にも、旧約聖書の本文の一部としてアポク リファが含まれています。 (その新約聖書には、「バルナバの手紙」や「ヘルマスの牧者」など の外典的書が含まれています) つまり、「最も正確なギリシャ語本文」とされているはずのバチカン 写本に、アポクリファも外典的な書も含まれているのです。 しかし、アポクリファも外典的な数々の書も、正典とされたことはな かったのです。 それなのに、私たちは、バチカン写本の証言を、それ以外の何百もの ギリシャ語写本より権威あるものとして受け入れることを期待されてい るのです。 思い起こしてください。バチカン写本は「ヨハネの黙示録」を排除し ており、「神秘、大バビロン」、「七つの頭とは、淫婦が座っている七 つの山である」、「その女は、地上の王たちの上に支配する、あの大き な都である」等を省いているのです。 そのような内容を告げている箇所を省きたいと思うのは、どういう宗 教団体でしょうか? 「キリスト・イエスの再臨」や「サタンの敗北」について非常に明確 に、そして力強く述べているこの書が、サタンの攻撃の大きな標的とな るのは、驚くべきことではありません。 ● トビト書の事例 アポクリファに関して、たとえば、「トビト書」が神によって霊感さ れた書ではないことが、どうしてわかるのでしょうか? その書では、「トビト」がたまたま、スズメの糞によって盲目にされ ました(二章)。彼は、「ラファエル」という天使(自分の名前などを 偽っている天使)と付き合っています(三∼六章)。 アザリア(ラファエルの偽名)はこう教えます。 「魚の心臓と肝臓を焼いて生じる煙が、悪霊どもを撃退して追い出し てくれるだろう。 魚の胆のうが、盲目をいやしてくれるだろう(六章)。 施し(良い行い)が、『すべての罪を清めてくれるのだ』(十二章九 節)」 しかし神のことばは、イエス様が、アダムのすべての子孫の罪のため に、ご自分のあがないの死と復活において、ただ一度の完了したみわざ によって、そのことを成し遂げてくださったと教えています。 神のことばは、人間は神の恵みにより、キリスト・イエスへの信仰を 通して、ただで与えられる贈り物として救われる(エペソ2・8)ので あって、私たちが行った義の行いによるのではない(テトス3・5) と、はっきり述べています! さらに、聖書によると、悪霊を追い出すことは、イエス様の御名にあ る力と権威によってのみ達成されるのです。 ところが、オリゲネスによれば、トビト書は、四つの福音書が霊感さ れているのと同じ意味で「霊感されている」のです。 ● 「ヘルマスの牧者」の事例 「ヘルマスの牧者」という外典的な書がいいかげんなものであること は、聖書と比べると、すぐにわかります。 たとえば、ヘルマスの第三書(たとえ話)には、一人の天使(牧者) が語ることばとして、 「人はだれも、このたとえ話で述べられている四人の処女の服を着せ てもらわなければ神の国に入ることはできない」と書かれています。 さらに、この四人の処女は、「聖なる霊たち」と呼ばれており、彼女 たちの服とは、彼女たちの名前のことです。 そして、「人は、この四人の処女の服をも受けなければ、神の御子の 名を受けるだけでは何の役にも立たない」と書かれています。 こうして、この話は、イエス様の福音に付け加えてもいるし、それと 矛盾してもいます。 ところで、人間に対する、非常に巧妙な形態の異端とは、いつでも、 「イエス、および、○○」という性質のものです。 救いというテーマを扱う際、「イエス様だけ」でなく、イエス様に何 かを付け加えるものは何でも、単なるまちがいではなく、それは異端で す。 人間が福音に「さまざまな糸」を付け加えて福音を飾ろうとする時、 いつでもその福音の力を弱めてしまうことになるのです。 これらの数々の書の中で、価値のある書は、第一・第二マカベア書だ けです。それらは旧約聖書の聖典には入っていませんが、ほかの書にあ るような神話的で、いいかげんな、聖書と矛盾するようなものとはち がって、マカベア書に見られるデータはかなり信頼できる歴史的記述 (紀元前一∼二世紀の、ユダヤ人たちへの抑圧、および、専制と迫害に 対するマカベアらの反乱など)であるように見えます。 ● 英語聖書から取り除かれたアポクリファ 英語欽定訳聖書(キング・ジェームズ版)の初版にアポクリファが含 まれていることに関して、長年にわたり、多くのことが言われてきまし た。 確かに、1611年の版には、旧約聖書と新約聖書の間にアポクリ ファが入れられていましたが、ヘクサプラやバチカン写本、シナイ写本 とはちがって、それが旧約聖書の本文の中に入れられたことは一度もあ りません。 アポクリファを翻訳したケンブリッジ大学のグループは、1611年 の翻訳者たちの七つのグループのうちの一つでした。 彼らはアポクリファの全体を英語に訳しましたが、歴史的な目的のた めにのみそうしたのであって、霊感された聖書として訳したのではあり ませんでした。 その翻訳者たちは自分たちの見解が決して誤解されることのないよう に、アポクリファを霊感された正典の一部としては決して受け入れるべ きでない七つの理由を記しました。 第二版では、旧約聖書と新約聖書の間からもアポクリファは取り除か れました。 一方、それは、旧約聖書あるいは新約聖書の本文が正しいものである ことには、全く影響を及ぼしませんでした。(注1) ……………………………………………………………………………………………… (注1)Hills,"The King James Version Defended",p.230 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.113~ シナイ写本について(ステファン・P・ウェストコット博士:Reformation 国際神学セミナリー) → Codex Sinaiticus [pdf] C11《 ウルガタ聖書 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● ヒエロニムスとラテン語ウルガタ聖書 ベツレヘムの隠遁修道士であったヒエロニムスは、ローマ教皇ダマス スから、ラテン語聖書を全面的に改定するよう依頼されました。 384年ごろ、ヒエロニムスは福音書を完了させました。 386年ごろ、彼はローマの教会の卜占官たちの下でエルサレムに来 て、古ラテン語聖書を最新版にする作業を始めました。 この作業のための基準として、ヒエロニムスは何を用いたでしょう か? ヒエロニムスは旧約聖書の土台を、おもにオリゲネスのヘクサプラに あるヘブル語本文に置き、本文を「修正する」ために、ほかのいくつか の欄(彼の第五欄、およびエビオン派(異端)の人々によるギリシャ語 訳)を用いました。 彼は新約聖書の改ざんを完成させるために、オリゲネスが編纂した 「新約聖書」を大いに拠り所としたのです。 その全体の作業が完了したのは405年でした。 ヒエロニムスのラテン語ウルガタ聖書は、長年にわたりローマ教会か ら中傷されていました。 ところが、1546年のトレント会議で、その公式「聖書」として受 け入れられ、それは今日もなお使われているのです。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.105~[PDF] ラテン語ウルガタ聖書について(C.P. Hallihan) → The Latin Vulgate(pdf) C12《ウルガタ聖書に取り込まれている外典》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● アポクリファ(外典) この数々の書は、おもに、紀元前の最後の三百年の間に作られた産物 です。それは、預言が書かれることが止んでいた時期でした。これらの 書は、アレクサンドリア(エジプト)のユダヤ人たちからは、神聖な文 書の一部として受け入れられており、第二エスドラス書は例外として、 七十人訳聖書(LXX)の古代の写本の中に見出されます。(注1) 敬虔なユダヤ人たちは、エズラのもとで旧約聖書の正典を成立させた 際、アポクリファを主によって霊感されたものとしては受け入れません でした。 ヨセフス(紀元100年)は、彼の時代にこれらの書が「聖なるも の」とは、みなされていなかったことを確証しています。 彼は、正典は紀元前425年に完了したと述べています。(注2) このアポクリファは、背教のローマ(西方)教会において徐々に評価 を高めていき、トレント会議(1546年)では、そのほとんどを正典 であるとしました。その決定をした際、カトリック教会はアポクリファ を神聖なものとみなすことにおいて、アレクサンドリアのユダヤ人たち の側に付いたのです。 思い起こしてください、マリアが「クリスチャン」と呼ばれる人々か ら三位一体の神の第二位格として崇められたのが、アレクサンドリアに おいてであったことをです(「オリゲネスの信念」の第十五項参照)。 ヒエロニムスはアポクリファを拒みましたが、それが今やローマ・カ トリック教会により彼によるウルガタ聖書に取り込まれているのです。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Floyd Nolen Jones,"The Septuagint: A Criticla Analysis",pp.10-54 (注2)Josephus,"Against Apion",(1),8 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.113~[PDF] ラテン語ウルガタ聖書について(C.P. Hallihan)→ The Latin Vulgate(pdf) D1《 エラスムスについて 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 デシデリウス・エラスムスは、ローマ・カトリックの聖職者の息子で あり、彼自身も任職された聖職者でした。 1510年から1514年まで、彼はケンブリッジ大学でギリシャ語 を教えました。 《エラスムス》 エラスムスがローマ・カトリック教徒であったとの 批判がありますが、彼の時代、キリスト教界のほとん どすべてがローマ・カトリックだったのです。 彼が生きた時代は、宗教改革の前からその開始の時 期まででした。 実際、実質的に宗教改革者(その多くは聖職者たちでした)はみなカ トリック教徒でした。ですから、エラスムスがカトリック教徒であると 非難することには、正統な根拠が全くないのです。 エラスムスは教会内の不正に熱烈に抗議しました。 彼は、儀式を強調することに対しては、質素で敬虔な生活に反してお り、間違っていることであるとして反対しました。 そして彼は、そのようなことは、一人一人の手に自国語の聖書をもた らすことによって正すことができると信じたのです。 その結果、ローマ・カトリックから激しい反対が起こりました。 彼はローマ・カトリックの儀式を完全に廃止させようとしたのではな く、それに本物の霊性を伴わせようとしたのです。 ● 回心した後で洗礼を受けるべきこと 宗教改革が始まり、長年にわたり新約聖書の学びと編纂を行っていく 中で、彼の神学に変化がもたらされていきました。 彼は、徐々にではありながらも、教理の面でカトリック的でなくなっ ていったのです。 ただし、彼は公的にローマ・カトリックから去ることは決してありま せんでした。 そのため、多くの宗教改革者が彼に嫌疑をかけるようになりました。 エラスムスは宗教改革者たちに加わることは決してありませんでした が、晩年、彼の神学のうちのいくつかは、アナバプテスト派(再洗礼 派)の神学に近いものとなりました。 彼は、回心した後で洗礼を受けるべきこと、また、それを浸礼によっ て行うべきことを主張するようになりました。 彼は、幼児の時に滴礼をすでに受けていた人々のために再洗礼を施す べきことも主張しました。(注1) エラスムスの神学も、彼がローマ・カトリック教徒であることも、彼 のギリシャ語の聖書本文とは全く何の関係もありません。 その聖書本文をもたらした際、彼は、ギリシャ正教の中で使われ保持 されてきた写本にならっただけです。 ですから、エラスムスがギリシャ語の聖書本文TR(テクストゥス・ レセプトゥス)を自分で創り出したわけではありません。 彼はそれを回復させたにすぎません。 それまでは、その本物の聖書本文は、ヨーロッパ各地で、おもにラテ ン語圏で保存されていました。 (★東方教会では、ギリシャ語のTRが標準) またそれは、ローマ・カトリック教会の外部で、真の信者たちの小さ なグループの間でも広まっていました。 エラスムスは、ウルガタ聖書が、最初の古ラテン語訳聖書の崩れた版 であることを知っていました。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Abraham Friesen,"Erasmus,the Anabaptists,and the Great Commission",pp.21,45,50,53-54 フリーセンはカリフォルニア大学のルネサンスおよび宗教改革の歴史 学の教授。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.60~[PDF] フレデリック・ノラン博士:新約聖書の本文についての著作 → An Inquiry into the Integrity of the Greek Vulgate, or Received Text of the New Testament D2《 新約聖書本文TRを回復させたエラスムス 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● TRを確立した最高の学者 キング・ジェームズ版聖書が土台としているギリシャ語の新約聖書 は、1516年、スイスのバーゼルで、有名なオランダ人デシデリウ ス・エラスムスの編集の下で初めて印刷されました。 《エラスムス》 エラスムスによる新約聖書本文 TRの編纂 1516,1522年 ステファヌスによるTRの編纂 1550年 ベザによるTRの編纂 1598年 エルセビル兄弟によるTRの編纂 1624,1633年 F.H.A.スクリブナー博士によるTRの編纂 1881年 エラスムスは、当時の知的巨人であり、非常に著名な無比の学者でし た。 エラスムスは、数々の図書館を訪れ、著作物を収集して比較し、そし て出版するという働きに関わり続けました。(注1) ヨーロッパは、彼の数々の著作によって、まさに揺さぶられたので す。彼はギリシャ語の写本を分類し、また、「教父たちの著作」も読み ました。 (「教父たちの著作」とは、初代教会の牧師たちによって書かれた手 紙などであり、新約聖書のほぼ全体から取られています) イギリス国王は、エラスムスに王国のどんな地位でも与えようとしま した。ドイツの皇帝も、同じようにしました。 実際、ローマ教皇(法王)も彼に枢機卿の地位を与えようとしまし た。しかし、エラスムスは自分の信念あるいは良心に妥協しようとはせ ず、それらの申し出をきっぱりと断りました。 フランスとスペインは彼を自国に誘い、オランダは彼を最も優れた国 民として誇りました。 彼の労苦により次々と本が発行され、それらの著作物は、圧倒するば かりに大ぜいの人から求められました。 彼の頂点となる著作が、『ギリシャ語新約聖書』でした。 一千年の時を経て、ついに、新約聖書がその原語で印刷されたのです (1516年)。 ヨーロッパが、純粋な福音を読めるようになったのです。 1521年八月十三日、エラスムスはピーター・バルビリウスに宛て た手紙で、こう書きました。(注2) 「私はこの新約聖書に最善を尽くしました」 よく考えてみてください。文明世界における最高の学者が、この作品 こそ自分の「最高のもの」であると言ったのです。 ● 写本の分類 エラスムスは「ラテン語新約聖書」をすでに翻訳しており、また、こ の働きの準備として、数多くのギリシャ語写本から、「他のものとは異 なる読み方」(改ざん箇所)も収集していました。 彼はヨーロッパのいたるところを旅して数々の図書館を訪れ、写本の 読み方を収集することが可能な、どんな人物をも訪ねていました。 エラスムスは彼の見出したことを整理し、それらの「異なる読み方」 に関して自分用にメモを記していました。 彼はそういう旅をして、数百もの写本に接するようになり、それらを 二つのグループに分類しました。 彼が「偽物」とみなしたグループと、「本物」とみなしたグループで す。(注3) その「偽物」のグループは全体の中では小さなパーセンテージであり、 おもにラテン語版ウルガタ聖書の読み方と合致していました。 数百もの写本の中で、90パーセントないし95パーセントは、同じ 本文のものでした。エラスムスはこのグループを、神のお与えになった 「本物の本文」を含んでいるものと判断したのです。 《 エラスムスの接した数百もの写本 》 ● 神の摂理とエラスムス 1515年、エラスムスが完全なギリシャ語新約聖書を収集する目的でス イスのベーゼルを訪れた時、「その初版のために彼がそれまで持ってい たのは十の写本でした。そのうちの四つは、彼がイギリスで見つけたも のであり、五つはベーゼルで見つけたものでした」(注4) 自然主義の批判者たちは、エラスムスがベーゼルにあったこの数少な い写本を用いることができたのは、単なる偶然であったと考えていま す。 しかし、彼らは、神の摂理(聖書の歴史Aを参照)を十分考慮に入れ ていません。 すなわち、神はご自分のことばを見張られると約束されたことをです。 エラスムスが出版した「ギリシャ語本文」は、本当は彼自身のもので はありませんでした。 その本文は、彼が自由に使えるようにと神が摂理的に置いてくださっ た数少ない写本から、実質的に変更なしに取られたものでした。 それらの写本に含まれていた本文が、最終的には、TR(テクストゥ ス・レセプトゥス。Textus Receptus 受け入れられた本文)として知ら れるようになったのです。 そのことをはっきり示すために、故ハーマン・C・ホスキアー氏のこ とばを引用することにします。 ホスキアー氏は、『ヨハネの黙示録』の本文を含むほとんどの入手可 能な写本を照合する働きに、三十年間を費やした人です。 ホスキアー氏は、彼が調べた200以上の現存する写本に基づいて、 こう結論を下しました。(注5) 「もしエラスムスが、世界に存在するすべての写本に基づいて一つの 本文を作り出そうと努めてきたとすれば、彼にはこれ以上の成功はあり 得なかったであろうと言えます」 ジャック・ムアマン氏が述べているように、このことはまさに、神が 真の本文を保持されるという、神の導いておられる摂理の明確な一例な のです。(注6) ……………………………………………………………………………………………… (注1)D.O.Fuller,"Which Bible?", pp.225-226 (注2)James Anthony Froude,"Life and Letters of Erasmus" ,p.294 (注3)Frederick Nolan,"An Inquiry into the Integrity of the Greek Vulgate or Received Text of the New Testament" ,p.413 (注4)P.Smith,"Erasmus:A Study of His Life,Ideals and Place in History" ,p.163 スミス博士はコーネル大学の歴史学教授でした。 (注5)Herman C.Hoskier,"The John Rylands Bulletin", p.118 (注6)Jack A.Moorman,"When The KJV Departs From The 'Majority'Text",p.26 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.52~[PDF] テクストゥス・レセプトゥスについて(ディビッド・B・ローラン) → Textus Receptus フレデリック・ノラン博士の新約聖書の本文についての著作:→ An Inquiry into the Integrity of the Greek Vulgate, or Received Text of the NT TRについて( G. W. and D. E. Anderson ) → The Received Text:A Brief Look at the Textus Receptus D3《エラスムスが退けた「異なる読み方」》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● エラスムスが退けた「異なる読み方」 しばしば聞かれる主張があります。「新たに発見された材料の多く は、エラスムスおよびその後の宗教改革者たちが用いた材料より古いの だから、より信頼できるものである」というものです。 この点について、読者は、偉大な使徒パウロが、彼の時代にみことば の腐敗があると証言したことを思い出すはずです。(聖書の歴史C-1を 参照)したがって、必ずしも「最も古いもの」が「最も良い」というわ けではないのです。 また、エラスムスは、ローマ教皇の図書館員であったパウルス・ボン バシウス教授といつも手紙のやりとりをしていました。 彼は、エラスムスが求めたどんな写本の読み方でも、彼に送りまし た。(注1) 事実、1533年、エラスムスが手紙のやりとりをしていた ジュアン・セプルベーダという名のカトリックの司祭は、ギリシャ語の TRよりバチカン写本のほうが優れていることの証拠として、バチカン 写本から選び出した365の読み方をエラスムスに送りました。(注2) ところが、エラスムスはそのバチカン写本の数々の読み方を退けまし た。なぜなら、当時のたくさんの証拠から、彼はギリシャ語のTRの データが正しいものであると考えたからです。 このように、エラスムスは、キング・ジェームズ版聖書が登場するよ り百年近くも前にバチカン写本のことを知っていたのです! ……………………………………………………………………………………………… (注1)Samuel Prideaux Tregelles,"An Account of the Printed Text of the Greek New Testament with Remarks on Its Revision-",p.22 (注2)M.R.Vincent,"A History of the Textual Criticism of the New Testament",p.53 F.H.A.Scrivener,"A Plain Introduction to the Criticism of the New Testament",Vol.1,p.109 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.82~,p.49~,p.119~[PDF] D4《フレデリック・ノラン博士の偉大な業績》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● フレデリック・ノラン博士の偉大な業績 ギリシャ語の聖書本文(原典)の重要な「異なる読み方」(改ざん箇 所)について、今日の学者たちが知っているほとんどすべてのことを、 エラスムスは470年以上も前に知っていました。(注1) そのこと は、彼のメモを熟読すれば、わかります。 フレデリック・ノラン博士(1784∼1864年)はギリシャ語お よびラテン語の学者であり、優れた歴史家でもありました。 彼はエジプトの年代学を研究し、28年間を費やして、ギリシャ語の聖 書本文TRの起源を使徒たちの時代にまでたどりました。 エラスムスのメモを概観した後、ノラン博士はこう記しました。 「写本に関して、エラスムスは、我々が知っているどんなことにも精 通していたことは明らかです。 彼はそれを二つの大きなグループに分類しました。 その一つは、バチカン写本に相当するものです。 彼は、教会が、オリゲネス派の人々とアリウス派の人々によって汚染 されていたことに気付いていました。 そして、どの写本でも、そのバチカン写本と類似しているなら、その 本文は改ざんされたものであると考えられたのです」(注2) ……………………………………………………………………………………………… (注1)Edward Freer Hills,"The King James Version Defended",p.198 ●エドワード・F・ヒルズ博士 King James Bibleについての著作 → The King James Bible Defended (注2)Frederick Nolan,"An Inquiry into the Integrity of the Greek Vulgate or Received Text of the New Testament" ,pp.413-415 ●フレデリック・ノラン博士 新約聖書の本文についての著作 → The Greek Vulgate by Frederick Nolan → An Inquiry into the Integrity of the Greek Vulgate, or Received Text of the New Testament 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●→ "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.169∼ D5《 ルターの聖書翻訳 》 ● ルターがTR本文をドイツ語に翻訳する エラスムスが出版した後、ルターがドイツ語訳の新約聖書(1522 年)を出版しました。その聖書はTR(テクストゥス・レセプトゥス) に基づくものでした。それからまもなく、神はルターと彼のドイツ語訳 聖書とを用いて、あの宗教改革をもたらされたのです。 ルターとエラスムスはお互いを知っていました。 二人はいつも意見が一致していたわけではありません。彼らの間の不 一致の分野の一つは、ルターが、ローマ・カトリック教会を改革するの は不可能であると信じていたことであり、彼は、エラスムスも自分と いっしょにそこを去るべきだと考えていました。 ところが、エラスムスは、ローマ・カトリックという組織の内部から 働きかけるほうが、改革をもっと良くもたらすことができると信じてい たため、ルターと一緒になることはありませんでした。 エラスムスによるTRの編纂 1516,1522年 ルターの「ドイツ語 新約聖書」(TRから翻訳)1522年 ティンダルの「英語 新約聖書」(TRから翻訳)1526年 「カバデール訳聖書」1535年 「マシュー訳聖書」1537年 「大聖書」1539年 ステファヌス版TRの編纂 1550年 「ジュネーブ聖書」1560年「ビショップ聖書」1568年 ベザ版TRの編纂 1598年 「キング・ジェームズ版聖書」(TRから翻訳)1611年 《エラスムス》 《ルター》 《ティンダル》 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●→ Which Version Is The Bible?[2010年版] p.63~ D6《ウィリアム・ティンダル 》 ● ウィリアム・ティンダル (1494年∼1536年) ウィリアム・ティンダル(1494∼1536年)は、敬虔な若きイ ギリス人聖職者でした。 彼はケンブリッジ大学のエラスムスの下でギリシャ語を学ぶため、オ クスフォード大学を去りました。 ティンダルは非常に有能な人物で、七つの言語(ヘブル語、ギリシャ 語、ラテン語、イタリア語、スペイン語、英語、フランス語)が堪能で あり、そのどの言語も彼の母国語だと思われるほどでした。 ティンダルの最大の願いは、聖書を英語圏の人々の言語に翻訳するこ とでした。 1526年、ティンダルはその願いを達成し、英語で初めて印刷され た新約聖書を出版しました。その聖書は、エラスムスの『ギリシャ語新 約聖書本文』第三版(1522年)に基づくものでした。 彼が出版した結果、ローマ・カトリック教会はティンダルを迫害する ようになりました。 1535年、彼はベルギーのアントワープで、ヘンリー・フィリップ スによって裏切られ、神聖ローマ帝国の皇帝チャールズ五世の囚人とさ れました。 聖書を翻訳して発行したという「異端」の罪で、1536年十月、 ティンダルは火刑用の柱につながれました。 彼はそこで大声でこう叫びました。 「主よ、イギリスの王の目を開けてください」 それから彼は絞め殺され、彼の体は人々の前で焼かれました。 新約聖書が完成した後、聖書の写本を庶民の言語に翻訳してきたほと んどの人が死刑に処せられました。 D7《 ギリシャ語TRの数々の版 》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● ギリシャ語TRの数々の版 その後、ステファヌスがいくつかの版によって、エラスムスのギリ シャ語新約聖書の本文を最新版にしました。 その頂点となるものが、1550年発行の彼の第三版です。 英語圏の学者たちから広く好まれているのは、このギリシャ語本文 (Textus Receptus)です。 ステファヌスのギリシャ語本文とエラスムスの最後の版とのちがい は、ほとんどわからないくらいであり、実用としては、エラスムスの本 文もステファヌスの本文も同じです。 1598年、ベザが、エラスムスのギリシャ語本文を土台として用いて彼 の第五版を発行しました。キング・ジェームズ版聖書は、おもにベザの 第五版の本文に基づいています。ベザの第五版も、エラスムスの最後の 版とほぼ同じ読み方をしています。 1624年、オランダのエルセビル兄弟が一つの版を発行しました。 その時、その本文は、Textus Receptus(『Received Text』すなわち、 『神から受け入れられた本文』を意味します)という名称を与えられま した。彼らは、自分たちはその写本を少しも改ざんしてはいないことを 宣言し、自分たちの手中にあるその本文こそ神からじかに受け取ったも のであるとみなしたのです。1633年のエルセビルの第二版も、ヨーロッ パ大陸においてTextus Receptusとして広く採用されました。 これらの人々はみな、神がお与えになった、全く誤りのない神のこと ばを自分が扱っていると信じていました。 1550年から1624年までの間に、これらの数々の版の本文は、どのく らいちがいがあるのでしょうか? たとえば、エルセビルの版は、ステ ファヌスの版と、マルコの福音書で19のちがいがあるだけです。 事実、ステファヌスの1550年版の本文は、1624年のエルセビル兄弟 の本文と、全部で287のちがいがあるだけです。 これらの少数のちがいは、すべて「つづり字」のちがいであるため、 ほとんど無視してよいものです。 「colour」と「color」のどちらの字をつづるかという問題なのです。 ● 神が見守ってこられた聖書本文 こうして、このギリシャ語新約聖書の本文は神によって守られてきた のです。新約聖書の本文を神が保存してこられたということは、何らか の奇跡によることではなく、摂理的なことでした。 『一番最初の聖書本文』は、神の息吹を受け、神の霊感を受けていま したが、それと全く同じ意味で、この本文が神の息吹を受け、神の霊感 を受けていたわけではありません。そうではなく、このギリシャ語本文 は、神によって導かれ、神によって保持されてきたのです。 エラスムスが調べることが可能であり、また実際に調べた写本は、何 百もありました。しかし、彼は少数の写本だけを用いました。それは問 題ではありません。なぜなら、大量にあるギリシャ語本文も、実質的に はTRであるからです。 もしエラスムスが用いた本文がその典型的なものであったなら、彼 は、その大多数の写本が述べていることを記したことになります。 事実、エラスムスが用いた写本が、写本の全体と違っていた点は、取 るに足りない細部だけでした。基本的に、キング・ジェームズ版聖書の 土台となっているのはエラスムスの本文なのです。 私たちは、「thou」(なんじは)、「thine」(なんじのもの)、 「thee」(なんじに)という語が、神が全く誤りなく息を吹き込まれた 語であると言っているのではありません。 数々の写本を作った書記者たちや印刷者たちは、モーセやイザヤやパ ウロやヨハネのように「霊感を受けた」わけではなく、彼らは神に導か れたのです。ですから、「神はご自分のことばを保持される」という神 の約束への信仰によって、私たちは、ギリシャ語のTRこそ、神が導か れた本文であるとわかるのです。 神は摂理により、この本文を見守ってこられたのです。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●→ "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.65~[PDF] TRについて( G. W. and D. E. Anderson ) → The Received Text:A Brief Look at the Textus Receptus D8《キング・ジェームズ版聖書の歴史 (1)》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 聖職者たちの「千人請願」 そもそも、ジェームズ王が新たな翻訳聖書を 作ることを考え出したのではありません。 それまで四十年間統治していたエリザベス(一世)は、亡くなる数時 間前、彼女のいとこのジェームズ六世(スコットランドの君主)を指名 し、ジェームズ一世として彼女の後を継がせ、イギリスの王位に就けま した。それは1603年のことでした。 当時、英国国教会には、ピューリタン(清教徒)と呼ばれる改革者た ちが大ぜいいました。 そう呼ばれていたのは、彼らが、イギリスの教会から、あらゆるカト リックの遺物を取り除くことによって教会を清めることを目的とするこ とを公言していたからです。 そのピューリタンたちの指導者は、オックスフォードにあるコーパ ス・クリスティ大学の学長、ジョン・レイノルズ博士でした。 1604年、彼はジェームズ王に提案し、すべての国民が理解し、読 み、そして愛することのできる翻訳聖書を作るべきであると告げまし た。 ジェームズ一世自身が神学者であり、スコットランドの長老派から聖 書を学んでいる人であったため、その後、彼はその提案を承諾しまし た。 その企画がスタートしたのは、約千人の聖職者たちがジェームズ王に 一通の請願書を送った時でした。 それは後に「千人請願」として知られるようになりました。(注1) その千人の聖職者たちは、英国国教会の約十分の一の聖職者を代表し ており、レイノルズ博士が、その千人の聖職者の代弁者とされました。 彼らはいくつかの「改革」を要求しました。その結果、レイノルズ は、ハンプトン・コートでの集会で、新たな訳の聖書の作成を提案しま した。 その根拠となったのは、1539年の「大聖書」(Great Bible)が非 常に崩れた翻訳だったからです。 ジェームズ王は「ジュネーブ聖書」(Geneva Bible)によって育てら れましたが、その聖書の欄外注やコメントが多いことに不快感を覚えて いました。 新しい訳の聖書は、ギリシャ語の原文に完全に忠実で、欄外注もコメ ントも全くないものを作ることで最終的に合意がなされました。(注2) ジェームズ一世は彼らの要求に応じましたが、それに着手しませんで した。それは、あの千人の要求によって始まったのです。 ● キング・ジェームズ版聖書に関わった人々 そして、英国国教会およびピューリタンの両者から、聖職者および信 徒が翻訳に加わることになりました。 こうして、ジェームズ王の祝福のもとで、バンクロフト主教(まもな くカンタベリーの大主教となる)がウェストミンスターの地方監督と会 い、この翻訳作業を行うべき人々の名前を提示しました。 そして、イギリスの五十四人の最高の学者たちが選ばれました。ただ し、その働きが始まる前に亡くなった人々もいれば、それまでの仕事の ために参加できない人々もいました。 こうして、実際には四十七人だけがその働きに関わりました。(ほか に九人がいましたが、彼らの関わりはいくらか限定されたものでした) それらの翻訳者たちのうちのだれも、仕事による代価を受けませんで した。 この働きが始まると、この四十七人は六つのグループに分けられまし た。 ウェストミンスターの二つのグループのうち、一つは旧約聖書を担当 し、一つは新約聖書を担当しました。 オックスフォードの二つのグループも同様でした。 ケンブリッジの二つのグループのうち、一つが旧約聖書を担当し、一 つがアポクリファ(旧約聖書の外典)を担当しました。 1604年から1606年までの三年間、それぞれの翻訳者は、十五 の規定に従って、自分に割り当てられた章の翻訳を行いました。 その規定の中で最も重要なもののいくつかは、次の通りです。 (1) 「ビショップ聖書」(1568年)を規準としてそれになら い、原文の真理が許容する変更も、小さなものとすること。 (2) 欄外注は付けないこと。ただし、ギリシャ語あるいはヘブル語 の説明や、参照箇所を付けることは例外である。 (3) ティンダル訳(1526年)、マシュー訳(1537年)、カ バデール訳(1535年)、大聖書(1539年)、ジュネーブ聖書 (1560年)は、ビショップ聖書よりも本文と符号する場合に用いる こと。 聖書の同じ箇所は、同じグループの別の人によっても翻訳されまし た。 その後で、そのグループのメンバー全員が集まって、相違点を検討し ました。 そうして一つの書が完了すると、それは他の五つのグループに送られ て、再審査と意見が求められました。 各グループの二人ずつから成る特別な審査委員会が形成され、最終的 な作品を検討しました。 これらの会合で、さらに三年が費やされました(1607年∼160 9年)。 どの翻訳者も、自分が受け持つ本文が全く誤りのない神のことばであ ることを信じていました。 このような学識および献身をもって聖書の翻訳に関わった委員会は、 今まで全くありません。 このことに関して、マクルアー氏はこう述べています。 「その人々は有能な人たちでした。…神のすばらしい摂理により、 彼らの働きは幸運な時になされました。 英語が成熟して完成したものとなっていただけでなく、ギリシャ 語や東洋の言語、またラビの伝承などの研究も、それ以前も以後も なかったほどにイギリスにおいて高度なものへと達していました。 この特別な学問分野がイギリスのキリスト教界においてこれほど 高められたことは、これまで一度もありませんでした」(注3) そのほとんどの人は、教授あるいは(および)説教者でした。どの主 教にも求められた規定の第十二項は、このプロジェクトの小さな箇所を 各自の主教区内の公の場で提示し、人々からの忠告を奨励することでし た。このことにより、この働きの全体がすべての人々にオープンにさ れ、イギリスの国民全体がこの製作に関与することができました。ギリ シャ語やヘブル語を知っている何百人もの信徒や聖職者たちが意見を述 べました。 ……………………………………………………………………………………………… (注1)Alexander W.McClure,"The Translators Revived",p.57 (注2)同書 pp.58-59 (注3)同書 pp.63-64 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.66~[PDF] エドワード・F・ヒルズ博士 King James Bibleについての著作 → The King James Bible Defended 聖書の数々の版について(T. H. Brown) → The Divine Original D9《キング・ジェームズ版聖書の歴史(2)》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● KJ聖書に使われたベザ版TR 翻訳者たちは、ビショップ聖書を彼らの第一の規準書とし、「原語の 真理が許容する」場合のみ変更するようにと指示されていましたが、キ ング・ジェームズ版聖書のうち、ビショップ聖書から使われているの は、実際には約四パーセントだけです。 この新しい翻訳聖書は、ほかのどの聖書よりも、ジュネーブ聖書とよ く符号しています。(注1) この新約聖書の言語の九十パーセント以上は、ティンダルの訳本から のものです。文学的な美しさや威厳を表しているリズミカルな言葉づか いや文体が、キング・ジェームズ版聖書のいたるところで見られます が、これはこの殉教者(ティンダル)のペンによるものでした。 旧約聖書のヘブル語本文としては、当時用いることのできた四つのヘ ブル語聖書が使われました。 新約聖書のギリシャ語本文としては、テオドルス・ベザの本文が使わ れました。 ベザは、ジョン・カルビンとも交友があり、エラスムスおよびステ ファヌスのギリシャ語本文を改訂していました。 それら以外にも、多くの古代の訳本が参照され、考慮されました。 原語にはないことばで、翻訳者たちが意味を補完するために付け加え る必要があるとわかったものは、特別に扱われ、現代のキング・ジェー ムズ版聖書ではイタリック体(斜字)になっています。 すべての書が翻訳されると、ウェストミンスター、ケンブリッジ、 オックスフォードからそれぞれ二人ずつが集まり、この三つの団体のそ れぞれの完成された作品を注意深く検討しました。最後に、二人の人が その作品を再検討しました。こうして、どの聖書も、少なくとも十四 回、審査を受けたのです。 その結果、1611年の改訂版の聖書は、どの個人の産物でも、 ジェームズ王の事業でもなかったのです。 フレデリック・ケニヨン卿がいみじくも、こう述べている通りです。 「(1611年の)聖書は、一人の人の作品ではなく、一つの学校の作 品でもありませんでした。 それは、練達した学者たちと、あらゆる階層の、そしてさまざま な意見を持った聖なる人々とから成る大集団による、計画的な働き でした。 彼らの前には、彼らの案内書として、百年近くにおよぶ聖書改訂 の労苦がありました。 この聖書の翻訳は、それまでは論議されることさえなかったこと でした。 これは国家的な取り組みであり、この中で、可能な限り最善の聖 書を作り出すこと以外の関心事は、だれも持っていなかったので す」(注2) こうして、最終的な作品が印刷物として教会の前にもたらされた時、 驚くべきことは何もありませんでした。 すべてのことがオープンに、公明正大に行われたのです。 最終的な翻訳に関して決定がなされる重要な部屋には、タバコの煙は 全くありませんでした。 実際、収益のことは全く考慮されていませんでした。 長年にわたり、いくつもの版が発行され、タイプ打ちのまちがいや、 つづり字の修正、欄外の参照箇所の付加、もともとローマ字書体であっ たものからイタリック体への変更などがなされてきました。 ● 誤解されてきたこと 確かに、1611年以降、数千もの小文字写本が発見されてきまし た。このことがキング・ジェームズ版聖書を大きく改訂する必要性をキ リスト教界に正当化させるために使われてきた大きな要因です。 もし、キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちが利用できなかった大 量のデータが明るみに出されたとすれば、そのことは論理的であるよう に見えます。そして、そういう新たな材料を考慮に入れなければならな いことになります。 そういう小文字写本の中には、年代が紀元350年から380年であ ると推定されるものもあり、一方でエラスムスの少数の小文字写本は十 世紀から十五世紀のものであったゆえ、そのことは特に理屈に合ってい るように見えます。 ところが、1611年以降に発見された何千もの写本のうち、その大多数 (90パーセント∼95パーセント)の写本は、エラスムスが用いたその 少数の小文字写本のギリシャ語本文と一致しているものなのです。 ● KJ版聖書の翻訳者たちが退けた「異なる読み方」 1627年、アレクサンドリア写本がロンドンに届けられました。そ の結果、「キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちにとっては、届くの が十六年遅くて使うことができなかったのは、とても残念なことであっ た」と私たちはよく耳にします。 しかし、それは真実ではありません。 そのことは、キング・ジェームズ版聖書に関する歴史が信頼できない 仕方で伝えられていることを示す一例にすぎません。 そもそも、バチカン写本もシナイ写本も、キング・ジェームズ版聖書 の翻訳者たちにだけでなく、エラスムスにも十分知られていたのです。 (聖書の歴史 D-3参照) バチカン写本の旧約聖書の部分は1587年に印刷されていたため、 キング・ジェームズ版聖書の翻訳者たちも、旧約聖書に関しては、16 04年にはバチカン写本のことをすべて知っていたのです。 このように、1611年のキング・ジェームズ版聖書の発行に関わっ た人々は、バチカン写本にある「異なる読み方」について知っていまし た。 そして、彼らはバチカン写本を知っていたのですから、シナイ写本に ある「異なる読み方」もすでに知っていたのです。 なぜなら、それら二つは読み方が非常によく似ていたからです。(た だし、シナイ写本の最初の部分は、1844年までは発見されませんで した。それ以外の部分は、1859年に発見されました) 事実、1611年の翻訳者たちは、それらの写本の「異なる読み方」 をすべて知っており、それらを退けたのです! 彼らは、古写本A(アレクサンドリア写本)、B(バチカン写本)、 写本C、写本Dの読み方も知っており、それらがギリシャ語のTRとち がっている箇所では、それらをすべて破棄しました。 どうしてそれが可能なのでしょうか? 近年利用できるようになったそれらの多くの写本の「読み方」は、本 質的に、ヒエロニムスのラテン語版ウルガタ聖書と同じです。(注3) 宗教改革者たちは、ラテン語版ウルガタ聖書の「異なる読み方」につ いてすべて知っており、それを退けたのです。 このように、宗教改革者たちは、働きのために必要とされる資料をす べて持っていたのです。(注4) ……………………………………………………………………………………………… (注1)Alexander W.McClure,"The Translators Revived",p.67 (注2)Sir Frederick Kenyon,"Our Bible and the Ancient Manuscripts",p.306 (注3)Wilkinson,"Our Authorized Bible Vindicated",pp.81-83 (注4)同書 pp.83-85 および、 Hills,"The King James Version Defended",pp.198-199 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》 ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.82~,p.49~,p.119~[PDF] E1《聖書本文RVの誕生》 フロイド・N・ジョーンズ博士 ● 小さな変更だけのはずであった聖書改訂 1881年、英国国教会の一部の人々が、英語欽定訳聖書(キング・ ジェームズ版聖書 KJV)を改訂することを決めました。 キング・ジェームズ版聖書で満足していた英国国教会の北部主教区 は、改訂版を望んではいませんでした。 けれども、南部の主教区は変更することをよしとして、単独で事を進 めました。 ヘブル語およびギリシャ語の学者たちから成る委員会が選出され、廃 語や古代語を変えて、言語を最新のものにする任務が彼らに与えられま した。 南部の主教区は、聖書の原語の本文については、それまでのTRで満 足していたので、大きな改訂を意図していたわけではありませんでし た。 変更はどれも、重要度の小さいものだけとなるはずでした。 ところが、その委員会の委員たちは、英国国教会が与えていた指示に 反して事を進めました。 ● 作成された異質の聖書本文RV 彼らは、単に英語という言語を改善するので はなく、根本的に異なるギリシャ語本文RVを 作成しました。 「改訂版」(Revised Version RV)という誤 解を招く名前が付けられましたが、それは本当 は「改訂版」ではありませんでした。 《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2010年] 》 《聖書本文RVの構成》 ● 聖書本文RVの構成 ●「聖書本文RVの90パーセントは一語一語がそのままバチカン写本か らのものであり、残りの10パーセントのうち、約7パーセントはシ ナイ写本からのものです。… 現代の数々の聖書本文は、その90パーセントはバチカン写本を土台と し、7パーセントはシナイ写本を土台とし、約2.5パーセントはアレ クサンドリア写本を土台とし、残りの0.5パーセントは他の少数の初 期の大文字写本を土台としています」 "Which Version Is The Bible?", p.106,163 フロイド・ノレン・ジョーンズ博士 ●「このギリシャ語本文は、おもにバチカン写本およびシナイ写本に 従っています」 "New Commentary", Part3,p.721 Core "God Wrote Only One Bible",p.25 Jasper James Ray ●「ホートはバチカン写本を権威の座へと高めました」 (F.G.ケニヨン博士) "Recent Developments in the Textual Criticism of the Greek Bible ",p.71 Kenyon, Frederic G. ●「ウェストコットとホート(RV作成者)が…バチカン写本を過大評 価したからです。 ティッシェンドルフ(シナイ写本の発見者)がシナイ写本を重要視し すぎた一方で、ウェストコットとホートはバチカン写本を最高位に 置いているのです」(フィリップ・シャッフ博士) "Companion to Greek Testament ",p.227 Phillip Schaff ●「バチカン写本の中のページが欠けている場合、ホートはシナイ写本 を使いました。 ホートとウェストコットは、この二つの写本の読み方が一致する場合 は、その読み方を『使徒的なもの』として受け入れるべきだとみな したのです。… ウェストコットとホートの本文(RV)は、実質的に、すべてバチカ ン写本なのです」 (ジャスパー・J・レイ師およびホスキアー師) "God Wrote Only One Bible",p.25,26 Jasper James Ray "Genesis of the Versions",p.416 Hoskier ●さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.49~,p.119~[PDF] G. W. Anderson著『ギリシャ語新約聖書について今日のクリスチャンが 知る必要のあること』 → what-todays-christian-needs-to-know-about-the-greek-new-testament 聖書に関わるサタンの策略などについて(David Blunt) → Which Bible Version:Does it Really Matter? ★ この表示付であればインターネット上への転載・ コピー・無料配布が自由にできます。 Copyright c. エターナル・ライフ・ミニストリーズ http://www.eternal-lm.com 《聖書のホームページ》 http://www.bible-jp.com
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