チリのスペイン語の特徴 VOL.2

チリのスペイン語の特徴 VOL.2
笹川 潤子
第四節 文法的特徴
チリのスペイン語の文法で独特なのは tú よりも親しい間柄で次のような動詞の活用が存在することである。
図2 1 特殊な活用 現在形
一般的 tú の活用 チリの若者の活用
¿Cómo estás? ¿Cómo e(s)tai? s は時々省略して日本語の 「っ」のような発音になる。
¿Cómo andas?
¿Qué tienes?
¿Cómo andai?
¿Qué tenii?(語尾の i に強勢)
¿A dónde vas?
¿Entiendes?
¿A dónde vai?
¿Entendii?あるいは¿Cachai?
¿Qué quieres?
Me ensenas
¿Qué querii?
Me ensenai
Tomas
Comes
Tomai
Comii
Miras
Mirai
図2 2 特殊な活用 接続法 Quiero que..の後に来る場合
一般的 tú の活用 チリの若者の活用
(Quiero que) respondas
tengas
(Quiero que ) respondai
tengai
te vayas
no me engañes
te vay
no me enganii
seas mi amigo
no mientas
seai mi amigo
no mintai
me mires
me querras
me mirii
me querrai
no te preocupes
no te preocupii
図2 3 特殊な活用 接続法 Me gustaría の後に来る場合
一般的 tú の活用 チリの若者の活用
(Me gustara que) respondieras
(Me gustaria que ) respondierai
comieras
fueras mi novio
comierai
fuerai mi pololo
enganaras
miraras
enganarai
mirarai
1
vieras
vierai
salieras
te lo pusieras
salierai
te lo pusierai
estuvieras
estuvierai
チリの若者の tú に対する活用が一般的活用と違うのはこの現在形と接続法現在、接続法過去 の所だけで、他
の時制に関しては¿Cachaste?など若者独特の動詞を使うことはあるが、活用そのものは一般的活用と同じで
ある。
まとめるとこの 3 つの時制は最後が s で終わるものであり、語尾は次のように変わる。
-as → -ai
-es → -ii
この活用の場合アクセントは接尾辞の-ai、-ii に置かれ、語幹の母音が tener→tienes、 querer→quieres、
acordar→acuerdas のように現在形において tu,el/ella,tienen の時は二重母音となるものはこの活用においては
tenii、querii、acordai となる。これはアクセントが 後ろに移った結果二重母音であったものが短母音化した
のだと考える。(これはアルゼンチンの voz の活用によく似ていて、その影響を受けたのだと主張する学者
もいる。)しかし、接続法過 去においてはこういった母音の変化は見られない。また活用形はもとの形が全
て-as で終わる ため-ai となる。この場合もアクセントは最後の ai に置かれる。一般的に言ってチリ人は語末
にアクセントを置きたがるようである。この他に gracias も s を省略したうえ gracia と最後 の a を最も強く
発音する。
チリのスペイン語は最初の植民者であるスペインのアンダルシア地方の人のスペイン語の影 響を今でも引き
続き保持しており、s を省略する傾向があるのは有名な事実である。しかし、 現在のアンダルシア地方とチリ
の違うところはアンダルシア地方では s を省略したまま使って いて、結果として 2 人称単数、3 人称単数、2
人称の Usted の活用がみな同じになっていると ころである。チリ人の活用も一部そのような活用が見られる
が、社会的状況を常に意識して話 すこの国ではやはり、そういった曖昧な活用のみでは満足せず、友達同士、
いわゆる同じ集団 に属する人々の間で前述の活用を用い、「同じグループ」であることを確認するのではな
いかと 思う。ちなみに前のところで述べたが、この活用は友達同士、会社の同僚の間では頻繁に用い られる
が、外国人である私と話す時はあまり用いられなかった。先ほどのインフォーマントの 30 人中この表現を用
いて私と話した人は下層階級の 2 人のみである。これは、私が彼等のグ ループに属していないから使わない
のか、それとも外国人だからわからないかも知れないと思 って使わないのかよくわからなかったので下層階
級であるが、カトリカ大学の学生であるイン フォーマントに尋ねたところ、「自分は本をよく読む(つまり
インテリだと言いたいのだろう か?)のでそういう表現は使わない。」という返事が返ってきた。こういっ
たところにもチリ人 の言葉とメンタリティーの関係が現れている。この点はアルゼンチンの voz とは異なり
用いら れ方がもっと限定されたものであると言うことになろう。
そこで「インテリは使わないのか?」という点に興味を持ったので大学卒のチリ人数人の会 話に耳を傾けて
みた。その結果わかったのは彼等は親しい間柄でも同年代や、自分より年上の 人とはあまりこの用法を用い
ず、唯一この用法を用いていたのは子供に話しかける時のみであ った。
これとは逆に中流以下の人々を主役としたテレビドラマでは若者同士の会話にこの活用が頻 繁に用いられて
いたのでやはり、アルゼンチンの voz の用法と比べるとかなり俗っぽい、自分 と同等、あるいはそれ以下の
人々に向かって話しかける用法であり、「親しみ」の度合いが高い ことを表すわけでは必ずしもないようで
ある。
第五節 語彙にみられるマプーチェ語の影響 チリの地名は先住民であるマプーチェの語彙である場合が多い。
例えば、マプーチェと結び つきの強い動物はコンドルであるが、サンティアゴの地名にはこの manque(コ
ンドルを表すマ プーチェ語)を用いたものが多く、有名なところでは Apumanque(コンドルの長)、
Manquehue(コンドルが住む所)がある。その他 Apoquindo, Vitacura などサンティアゴの人であればみな 知
っている地名もみなマプーチェ起源の言葉である。
地名に限らずチリのスペイン語には他のラテンアメリカ諸国と同様先住民言語を起源とする 語彙があるが、
2
上流階級の中には「チリのスペイン語にはマプーチェの影響など全くない、私 達は彼等から何の影響も受け
ていない」と主張する人がたくさんいて、チリの中でも優秀な人 が集うとされるカトリカ大学の言語学の教
授でさえも「チリのスペイン語とマプーチェ語は一 切関係がない」と断言する人がいて大変驚いた。チリ人
の上流階級の人々の人種差別は徹底し ていて、これを鵜呑みにすると正しい事実がわからなくなってしまう
ので、大学の先生が言っ たことを無視してマプーチェ語起源の語がどのくらいチリのスペイン語に浸透して
いるのか調 べてみた。
図2 4 マプーチェ語を語源とするチリ語
guaton ★★★★ 太鼓腹、通常 guata は「お腹」を指す
malon ★★ 一人一人が何か食べ物を持ち寄るパーティーのこと
poto ★★★★ おしり
pololo/a★★★★ 恋人、もともとはまとわりついてうるさい虫のこと
curanto ★★ クラント(南部で食べる料理)
chuico ★★★ 丸いワインの瓶
luma ★★ 警棒
huemul ★★★ アンデス鹿
cahuin ★★★★ 大騒ぎをする人、噂好き
pilucho ★★★ 裸の
laucha ★★ ねずみ
quiltro ★★★★ 雑種犬
chuncho ★★ ふくろう
pichintun★★★ 少し ここからきた pichi は子供や犬の「おしっこ」
pino ★★★★ empanada de pino(pino は挽肉を詰めたもののこと)
pehuen ★★ 木
puelche ★ アンデス山脈から西に吹き下ろす寒風
さて、先ほどチリの上流階級の人々はマプーチェの影響を頭から否定していると述べたが、 こういった語が
各階級にどのくらい定着しているのか調べてみた。これも先ほどの 30 人のイ ンフォーマントにインタビュー
をした際のテープを聴きながらこれらの語が彼等の active vocabulary(実際に自分が会話で使う単語)として
どのくらい浸透しているのかということ、 また会話の際に紙を見せどのくらい意味を知っているかという
passive vocabulary(自分では 積極的に使わないが相手がこの言葉を用いれば意味が理解できるという語)と
しての浸透率も 確認してみた。
Active vocabulary として 30 人中 100%の人が使っていたのは guata、poto、pololo、pichi、 pino の 5 つであ
った。その他の語については階級においてはそれほど差が現れず、理解度は大 体平均すると 80%くらいであ
った。上記の表に active vocabulary として頻繁に用いられる ものは★★★★、まあまあ使うものは★★★、
意味はわかるが自分ではほとんど使わないもの は★★、意味がわからなかった人が多かったものは★とふっ
ておいた。しかし、先ほどの 30 人は全てサンティアゴ出身の人にしぼったので、南や北の出身の人は含めな
かったが、マプーチェが多く住むテムコ、バルディビアなど南の出身の人達にこれらの意味を聞いたところサ
ンティアゴ出身の人よりもこういった単語をよく知っていた。
しかし、上流階級の人々はマプーチェ語の影響を否定していたが、少なくとも語彙の中には マプーチェ語の
影響がかなり見られる。音や文法面ではどのくらいマプーチェ語の影響がある のかまだ不明であるが、先ほ
どの sch や tr はどちらの音もマプーチェ語にはある音で、スペイン語本来の音ではないのでマプーチェ語の
影響と言えるのではないだろうか。しかし、これらの音に対するマプーチェ語の影響を否定した文献もある。
とは言え、こういった文献は基本的 には(少なくともチリでは)上流階級によって書かれているので本当に
偏見なく書かれているものであろうかというのが私が一年この国で過ごして抱いた疑問である。
3
第六節 きわめてチリ的な言い回しと語彙
(1)チリ的な言い回し
・「どうぞ~してください。」「けっこうです。」
Pasa, no ma.. (=no hay problema)
“¿Lo guardo en la bolsa?” “Así no ma.”
(この表現はパラグアイでも用いられている。)
・縮小辞を頻繁に用いる
Sentaditos, vamos a tomar tecito con pancito.
Chaito.
(これは南に行くとさらに顕著になる。どの国でもこの現象は見られるが、特にチリでは頻繁
に用いる。)
・「~だけ」
Dos dormitorios y no ma.. (=sólo)
・「わかった?」「いい?」
Listo?
・「わかった」「O.K.」
“Gracias.” “Ya.”
(電話などでこの ya を連発するのは日本人が電話で「うん、うん」を連発するのに似ている。)
「~ですね?」(スペインは¿Verdad?)
Ustedes tienen el servicio de taxis, ¿no e(s) cierto?
・anda (vete はほとんど使われない)
Anda a jugar con Miguelito. Anda no ma.
「とっても~ 」
super
ex. Esta carta es super rara.
(super は日本語で言えば若者の「超」に当たるのだが、チリではペルーやボリビアほどくだけた表現ではな
くどの階級に属する人も用いるがやはり、若者の方が頻繁に用いる。)
(2)チリ的な語彙
有名な How to survive in Chilean Jungle という本にもたくさんモディスモが挙げられているが、ここでは経験
上これを知らないとチリ人と会話をすることができないと思われるほど生活の中でよく用いられるものをいく
つか挙げてみる。
Onda:Buena onda(親切)mala onda(意地悪、これはスペインの mala leche/hostia/uva に相当)¿Qué
onda? (調子はどう?)
Al tiro:enseguida、メキシコでは ahorita choclo:maíz
4
palta:aguacate
harto:mucho (ex. Hay harta gente en la playa.また harto tiempo=mucho tiempo)
(tomar) once:merienda
colación:almuerzo ligero o merienda
tener tuto:tener sueno(特に子供に対して用いる)
patudo/a:sin verguenza, descarado/a 恥知らず
cuico/a:むやみに気取った人
copchento/a:噂好き(スペインの cotilla に相当するが、チリのこの語の場合 copchentar
という動詞形も持つ。)
amoroso/a:愛情深い、優しい(特に女性が使うが男性でも使うことがある)
regalon/a:甘えっ子(スペインでは mimoso/a)
¡Qué lata!:めんどうくさい。
¡Qué fome!:つまらない
filo:もうたくさん!(¡Filo contigo!といった形で用いる。)
¿Cachai?:わかった?(英語の catch it?から来ているという説がある。若者が相づちを求めるような時に使
うが、?cachaste?という過去形 cacho という一人称単数形も存在する。)
Pololo/a:恋人。(スペインなどでいう novio/a は婚約者のこと。)
Chancho:cerdo(食肉の豚、または cochino という意味でも使われるが副詞として使われる
こともある。ex. pasarlo chancho = pasarlo bien)
mono:アニメなど漫画のこと。また、自分の夫を呼ぶ時に愛情込めて mono!と呼ぶ人もいる。
一般的に自分の配偶者は自分の好きな動物の名で呼ぶことが多い。恋人同士で perrito、
perrita と呼び合う人もいる。)
mi hijita rica, mina, buena moza:スペインの guapa、maja に相当する。
flojo/a:怠け者(スペインでは vago/a)
departamento:マンション、アパート
Choro, ¡Qué genial!:かっこいい!
arrendar:alquiler
estacionar:駐車する。(aparcar はめったに使われない。)
5
hachazo, cana:二日酔い。
第七節 まとめ
チリのスペイン語を社会言語学的な見地から特に音韻的な特徴と文法的な特徴について観察してきたが、その
結果チリ人は日本人と同じくらいどういった文脈で、どういう人と会話しているのかということに注意を払う
ということがわかった。また、発音や語彙を聞けばどの程度の教育を受け、どの程度の階級に属するのかとい
うこともわかるので対面を気にする上流階級の人は特に子供の発音や語彙、敬語をきちんと使えるかどうかに
かなり注意を払う。私立の有名中学校(Colegio)などではきちんとした発音矯正の授業も設けているようで
特に d や s など一般的にチリのスペイン語において省略される音もきちんと発音するよう指導しているので
上流階級に行けば行くほど子音をきちんと発音するということがインフォーマントとのインタビューにより明
らかになった。
文法に関しては tu よりも親しい間柄で用いる活用を述べたが、これも話者間の上下の関係を常に念頭に置く
チリ人らしい用法と言える。語彙の違いというのはそれぞれの国において最も顕著に現れるところであるが、
こういった親しい間柄で用いられる活用も(アルゼンチンやパラグアイの vos など)それぞれの国で、比較し
てみると興味深いのではないかと思う。
【この記事は日智商工会議所会報 192 号(2003 年 7 月号)に掲載されました】
6