2011年3月号 隔月刊 (NPO法人)日本ビジネス航空協会 ◇ 巻 頭 日本ビジネス航空協会 理 事 上村 次郎 首都圏空港の開放 2010 年はビジネス機を含めた民間航空業界の分水嶺的な年となった。3 年以上前に地方空港 はビジネス機用にも開放されたが、海外への日本の玄関口はあくまで首都圏空港で、永年海外の 政府/ビジネス航空関係団体/利用企業より開放への強い要望、時には政治的圧力もかかった。 首都圏空港の開放以上に昨秋の日米オ-プンスカイ協定の締結は中長期的なインパクトが遥か に大きく、首都圏空港開放もその一環と位置付けられる。協定の締結により、日本の航空業界も グロ-バル競争の荒波に曝される事になるが(日本的視座)、日本も遅ればせながら国際航空社 会の成員となった、(海外の視座)と言う見方もある。 (1)70 年代より始まった米国の航空規制緩和は Pan American の経営破綻に象徴される地殻 変動をもたらし、2000 年初期には 9/11 の煽りも受け、米国大手航空会社の大半が破産法下 で再建を経験、津波は日本にも JAL の経営破綻と言う予測だにしなかった結果をもたらし た。 (2)2000 年に入り、世界は、Star Alliance/Sky Team/One World の 3 グル-プに集約される 連衡合従の戦国時代を迎え、現在も陣取り合戦は進行中。 (3)この間隙を縫った LCC の台頭も、先進国中唯一の例外国日本も圏外ではなくなった。 (4)21 世紀は、環太平洋経済圏の時代。昨年中国が日本を抜く世界第 2 位の経済大国になっ た事が確実視される様に、BRICs を始めとする新興国の台頭は現実となった。 (5)2010 年は、航空業界への黒船の号砲が轟いたと記憶されるべき年で、明治開国により世 界に追い付き追い越した日本の再現が成るか否かは今後の日本の出方にかかって居る。 以上を背景にビジネス航空業界との出会い、経緯、展望等「来し方行く末」に触れて見る。 1998 年三菱商事を定年退職、ワシントンでコンサルティング業を開業して間もなく、ビジネス 機製造の最大手 Gulfstream より日本市場参入の手助けを頼まれた。Gulfstream は General Dynamics に買収される迄三菱商事が関係した三菱自動車の提携先の Chrysler の傘下企業であ り、80 年後半三菱商事ワシントンの所長時代にオ-プンスカイの日米交渉の手助けをした事も 口コミで知り、相談が持ち込まれた。 (80 年半ば当時、空の自由化に関わった米国通商代表部日 本課長の日系 3 世グレン・フクシマ氏は現在 JBAA の会員である日本 Airbus の会長)モス会長 より、1987 年より日本参入を手懸けた事、ウオ-ル街の鬼才 Richard Santulli と組んで Fractional Ownership のシステム開発を行いビジネス機が急成長した事、世界第 2 位の経済大 国日本がビジネス機を活用するには、ビジネス機受け入れのインフラ整備、規制緩和が不可欠と 丁寧な説明を受けた。その後、日本で有志によるビジネス機利用促進の団体(JBAA)が結成さ れたので接触するよう薦められた。JBAA との出会いは 2000 年 10 月 New Orleans の NBAA Convention に参加された橋爪会長、石岡副会長、岩田常務理事との初対面。これを機に、帰国 する 2006 年 8 月迄、JBAA のワシントン事務所長として NBAA, EBAA,IBAC 等との折衝窓口 2 や業界の情報収集・伝達に携わった。 毎年秋開催される NBAA Convention(全米ビジネス航空協会年次総会)には JBAA も発足当 初の 1996 年 11 月の第 49 回の年次総会より参加しており、1999 年には日本市場開発促進の為 の Japan Access Committee も結成され、 翌 2000 年には NBAA の Affiliate Organization、2001 年 12 月、世界のビジネス航空協会の連合組織である IBAC (International Business Aviation Council) の 11 番目のメンバ-(米、カナダ、ブラジル、豪、南ア、EU, 英、独、仏、イタリア) として加盟が承認された。爾来 9 年、日本も漸く開国に踏み切ったが、この間ビジネス航空を 取巻く環境は激変した。 当初日米財界人会議に合せ米国より 26 機のビジネス機を飛ばし、成田、羽田で受け入れる 試みも行われたが、その後の進捗が見られず日本への期待は急速に萎んだ。 他方、2002~3 年頃より AsBAA (アジア) やロシア、中国もオブザ-バ-で参加する等 IBAC・NBAA の関心も日本よりアジア他地域に移行し始めた。 日本では高い規制コストもあり、ビジネス機の登録を海外に移転、折角首都圏空港の開放 が行われても、欧米は勿論、中国奥地迄の飛行航続距離を有する JA 機は現在皆無。 この間、海外の視座より見た現状、今後の展望は様変りした。最近の米国側報道では; 1. Asia-Pacific 新規ビジネスジェットの購入世界シェア-は 07 年 7%より 09 年 12%に増加。 2. 2010~20 年の地域の新規調達予測は 1500 機、中国のみで 870 機余(Embraer 予測) 3. 2009 年 Gulfstream 機は香港 22、中国 17、インド 17、日本 16(官公庁保有機が大半) 4. 地域のビジネス機受入空港の顕著な増加。松山(台北)、金浦 (ソウル)、Halim Perdana Kusuma (Jakarta), Subang (Kuala Lumpur), Seletar (Singapore), Don Muang (Bankok) 等 5. 中国は期間を特定せずビジネス機 1000 機体制を打ち出した。個々の企業が巷に流す情報 としては(信憑性はやや疑問)Beijin Capital Airlines は 2115 年にビジネス機 141 機、 Minsheng Financial Leasing は 2014 年迄に 100 機をリ-ス、 国際的なオペレ-タ-TAG (香港で 20 機をオペレ-ト) と China First Mandarin Group (8 機所有) が合弁計画を発 表。 6. 日本は何れにしても蚊帳の外。業界激変期の「失われた 10 年」のツケは大きい。 今後の対応 JBAA は 2010 年、永年の懸案であった首都圏空港の開放と言う大きな目標を果たし、次なる 段階への移行が要求される。3 年前の地方空港に続き、最大の難関であった首都圏空港の開放を 乗り越えた事は協会の大きな成果ではあるが、これはあくまで通過点の一里塚であり、ビジネス 機の一般利用者への普及と言う根幹的な目標への道のりは遠い。IBAC も昨年ロシアが 15 番目 のメンバ-として承認されたが、海外諸国、就中成長著しいアジア近隣諸国で具現化している事 を、日本としても、如何に実現すべきか、真剣に向き合う時期に来た。日本の特殊事情はあるに しても、世界は急速に変貌しており、日本も変わらねば、益々孤立、取り残される結果と成ろう。 当面の対応すべき課題に対して、ブレ-ンスト-ミング等により、協会内外の忌憚の無い活発な 3 論議の喚起を期待したい。この為には ; (1) Plan-Do-See, Plan-Do-Check-Action (計画-実行-検証-計画の見直し) Plan-Do-See のサイクルを回す事は如何なる業務に於いても基本であり、民間の先進的企業 ではでは確り定着している。首都圏空港開放が実現した事は、今後のビジネス機事業発展の 大きな原動力になり得るが、これが日本でのビジネス機の利用の現実に反映されるか、追跡 調査を行う事は不可欠。幸い、国交省でもそのニ-ズを認識し、3 月末目途に首都圏空港の 利用状況と需要動向の実態の検証の為の実態調査を外部機関に委託した。 (2) 検証結果に基づく今後の JBAA の対応 検証結果にもよるが、海外機の飛来の活発化が期待され、IBAC, NBAA 等海外のビジネス 航空関連団体、利用企業との一層の提携強化に資する事が期待出来よう。 その一方、JBAA の設立の基本目標である日本に於けるビジネス機利用の普及とこれに JBAA が如何に関わり主体的な貢献が出来るか、今後の日本に於ける利用ビジョンの新たな 策定、これを具現化する為の JBAA の取組み姿勢と体制の強化が望まれる。幸い、会員増 強の為の施策も打出されているので、これらの結果と相まって今後の協会の新たな発展を期 待したい。 ◇ ビジネス航空界のトピックス ・ 新着情報 内閣府行政刷新会議の「規制・制度改革に関する分科会、中間報告」でビジネス機に関する規 制緩和の必要性が取り上げられる 内閣府行政刷新会議では「規制・制度改革に関する分科会」を設けて「アジア経済戦略、金融等 の分野」等での規制・制度改革の必要性について、検討、協議しておられましたが、1 月 26 日 にその中間報告が公表されました。その中の物流、運輸部門において取り組まなければならない 事項の一つとして「ビジネスジェットの利用促進に資する規制緩和」及びそれに関連する「CIQ の合理化」の必要性が取り上げられ、我々協会が長年お願いしてきた事項にも言及していただい ております。 この中間報告につては更に所管官庁との折衝等を経て最終案にまとめられていくとのことです が一日も早く緩和が実現する事を願いたいものです。 中間報告の詳細は以下の行政刷新会議のホームページにも掲載されていますので御参照下さい。 http://www.cao.go.jp/sasshin/kisei-seido/meeting/2010/subcommittee/0126/agenda.html (資料1及び参考資料5に関係部分が掲載されています) 国土交通省「ビジネスジェットの推進に関する委員会」開催 1月号でお知らせしましたように、国土交通省内に「ビジネスジェットの推進に関する委員会」 が設置され、その第 1 回委員会が 12 月 22 日に開催されたのに続き第 2 回委員会が 2 月 10 日に 4 国土交通省特別会議室で開催されました(本委員会には協会の北林会長が委員として参加) 。 第 2 回委員会にも、委員以外に市村、小泉両大臣政務官、国土交通省航空局、CIQ 各本省幹部が 多数出席されビジネスジェット振興策に関し活発な議論が行われました。その一つとして次項の 成田国際空港へのビジネスジェット専用施設新設に関する具体案の提言がありました。 委員会では現在はビジネスジェット受け入れ推進関連を中心に議論が行われておりますが、今後 はビジネス航空に関する規制緩和策等についても検討、議論が行われることになっております。 委員会の情報は国土交通省ホームページ(航空、新着情報)等でも紹介されていますので御参照 下さい。 尚第 3 回委員会は 3 月末に開催される予定です。 成田国際空港(株)が成田国際空港におけるビジネスジェット専用施設の新設について提言 すでに会員の皆様には別途お知らせしておりますが、上述のように上記委員会の席上、成田国際 空港(株)から、懸案でありました成田国際空港へのビジネスジェット専用施設の新設について の具体的提言がありました(本提言につきましては成田国際空港(株)から委員会終了後別途プ レスレリースされています)。 提言の内容は以下の通りです。 ・CIQ 施設を備えたビジネスジェット用専用施設の整備の検討を本格的に行う。 ・場所としては、日本航空が再建計画の一環として返却する事になった同社成田オペレーション センター(空港第 2 ターミナルビルの南端に接続) の 1 階を改造してビジネス航空用施設を作る。 ・上記案を委員会で審議してもらい今春には結論を出す。 上記場所は高速道路への接続もよく、定期便への乗り継ぎにも便利な一等地であり、ほぼこの案 で決まるものと思われます。 ◇ 協会ニュース 2011 年度総会の開催について 正式開催通知は会員の皆様には後日お送り致しますが、以下により平成 23 年度の総会を開催す る予定にしております。 日時 : 平成 23 年 5 月 10 日(火) 16 時より 場所:メルパルク東京 尚総会後には例年通り懇親会を予定しておりますので皆様のご参加をお待ちしております。 主要協会活動(1-2 月) 1月4日 日本航空協会賀詞交歓会に出席 1 月 11 日 航空局企画室と会議 1 月 12 日 ACCJ(在日米国商工会議所)新年祝賀会に参加 1 月 20 日 全国地域航空システム推進協議会研修会及び懇親会に参加 5 1 月 24 日 航空局企画室と会議 1 月 28 日 ATEC(航空輸送技術研究センター)主催の「航空安全マネージメント・ フォーラム」に参加 1 月 28 日 ヘリコプター事業促進協議会と今後の協力関係について協議 1 月 28 日 日経新聞取材 1 月 28 日 東京ビッグサイ新年祝賀会に参加 2月3日 航空局企画室と会議 2月3日 日経新聞取材 2月7日 理事会開催 2月8日 航空局企画室と会議 2 月 10 日 国土交通省第 2 回「ビジネスジェットの推進に関する委員会」に出席 2 月 17 日 SJAC(日本航空宇宙工業会)と今後の協力関係について協議 2 月 17 日 JAPA(日本航空機操縦士協会)主催の小型機安全セミナーに参加 余白の埋め草 マーフィーの行列の法則 その1 * 他の列の方が早く進む * 別の列に移動すると、もと居た列の方が早く動き出す その2 * 搭乗ゲートへの距離は、搭乗時間までの待ち時間に反比例する * お急ぎコーナーのキャッシャーがもっとものろまである その3 * 天気が悪いと、参加者は少ない * 天気が良いと、参加者は少ない * 資料が不足していると、参加者は予想を大幅に上回る * 1 分間の長さは、トイレのドアのどちら側に居るかにより異なる The complete Murphy’s Law 6 Arthur Bloch 版より ◇ 投 稿 I love Aviation Guam でドクタージェットの世界に入った青木美和さん。初めて訪れた患者輸送のフライト では期待と不安に胸が躍ります。氏の連載第 2 弾は初めての患者輸送、新鮮な体験談と米国の 救急搬送ビジネスにまつわるエピソードです。そしてその後の美和さんの動きがメールで入っ ていますので末尾に紹介しましょう。 事務局 柳井 - Hello from Guam 第2回 “Manila!Manila!Manila!” Trend Vector Aviation International 青木美和 その日は急に訪れた。朝8時、”Miwa! Are you ready for the air ambulance flight to Manila?” とキャプテン Cooper(私達はチャックと呼んでいる)が私のオフィスに入ってきた。 SimuFlite 社で Westwind の Type Rating(型式限定)を取ってきてから1ヶ月ほどたった時 だった。Part121(米連邦航空法定期運送事業法の規定)のラインパイロットと違い、Air Ambulance (救急航空搬送)のパイロットは毎日飛ぶわけではない事を、早い時期から思い知らされた。せ っかく取ってきた Type Rating だ、早く飛びたくてうずうずしているのだがなかなか出番が来 ない。私みたいに物忘れが早い人にとっては、せっかくシミュレーターで学んだ事も飛んで習熟 しないと忘れてしまう。この1ヶ月は一度サイパンからグアムに17分の Ferry フライトをし ただけ、他に仕事は回ってこなかった。しかし、そんな残念な気持ちとは裏腹に私はこうも思っ ていた。 “この仕事は複雑な思いに駆られる。Air Ambulance の仕事がそんなにたびたびあっても喜べ る事ではないんじゃないか?そんなに救命患者がたくさんいて嬉しくなるはずも無い。”でも、 飛行機を飛ばしたい一心で患者が出る事を待ちどおしく思ってしまう私がいるのも確かだった“ そんな思いの中、不意を打たれチャックの問 いについ大きな声で ”YES!” と応じなが ら、椅子から立ち上がった。 (笑)そんな滑稽 な私の態度にチャックはやさしく微笑んで、 “Don’t worry. You will be just fine! Relax!” とウインクで、リラックスをうながす。 初めて Westwind を見たときにはあまりカッコい い飛行機だとは思わなかったが、今になっては愛 着もわき セニョーラ(スペイン語で奥様)と呼んで敬意を払っている。 (写真左) 7 その日は、急ぎのオペレーションフライトではなさそうだ。患者の様態がまだ安定していない ため、マニラまで運べるのかもまだわからないと言う。それでも、万が一に備え私たちはフライ トの準備を始めた。マネージメント側は、International Flight Plan と Catering(機内食)の 準備をし始め、整備士達はフライトがスムーズにできるようにと最善の整備に取りかかる。私達 パイロットも Crew Room でまずは天気を調べ Preflight 作業を始める。 初めてのマニラ行き。私にとっては楽しみにしていたマニラ行きも、いざ行く事になるとやは り緊張と不安が心をよぎる。今回は時間に余裕があるおかげで、チャックから Air Ambulance オペレーションとはどういうもので何をしたらいいのかを教えてもらいながらの Preflight 作業 だ。途中、チャックが私に聞いてくる、 ”美和はアメリカで飛んでいたのだろう?カナダ、メキ シコは飛んだ事があるって言ってたよな?ところで Oceanic Flight (洋上飛行)は初めてなの? “ドキっ!”実は、この日が私にとって初の Oceanic Flight となる。自分で出来るだけ勉強し、 周りの先輩にも色々教わりながら準備をしてきたつもりだが、経験のないフライトはやはり緊張 する。特にチャートを使ってのマーキングや、フライトログへの記録のとり方、そして何より HF の使い方などは知らない、やった事の無い事だらけの初マニラ行きだ。私は緊張していた。 天気を調べ、互いに気象条件は大丈夫そうだと確認を取り合う。その後、Weight and Balance を照合する。私の乗務する Westwind は Air Ambulance 以外にも Part 91(自家用航空規則)で チャーター機として飛んでいる為、Weight and Balance ではストレッチャーのついた Air Ambulance 用のデータを使うようにと指示されている。そしてグアムからマニラの経路では中 間に給油するところが無く、一発勝負となる。マニラまで行き着くか、途中から帰ってくるかの 2つの選択しかない事を知り、これもまた、初めての経験であると実感した。アメリカ本土で飛 んでいた私にはいつも途中で給油するオプションが与えられていた。ビジネスジェットで飛んで いた時にはお客と荷物を優先にしていた為、途中で給油ストップをする事もあった。グアムから マニラへのフライトでは Full Fuel で行かなければならず、まずは Fuel の重さを先に打ち込 んでから、その後に患者と付き添い、そして医者と看護師の体重をコンピューターに打ち込む。 その後に荷物がどれだけ積めるのか、を見て重量オーバーにならないようにする。医療機具がた くさん持ち込まれる為、今までのように手荷物重量の状態を大雑把に見積もっていた時とは大分 違いしっかりと計算する。これは侮れない。その後 Runway Analysis をプリントし終え、Flight Plan の Route と Fixes、そしてマニラでの Approach をレビューする。 この地域の International フライトで気に留めておかなければならないのは、Fix での Reporting Procedure。それから、 HF で ARINC( 通信の中継業務を行うサービス機関 )との更新。Guam Departure から San Francisco に Hand over(管制の引き継ぎ)される時のやり方、マニラの管制官とのやり取りは 密かにレビューしてきた。そのわけは、他のアメリカ人のキャプテン達に色々と面倒な点や苦労 話を聞かされていて、尐し構えておかねばいけないことも確かだった。あまりにも無知で出来の 悪い First Officer だと思われるのもいやだったので、チャックに確認を取るかのように留意点 を一つずつ聞くのだが、全てが“Don’t Worry!”の返事だ。私はチャックの心配するな!の言葉 に安どして飛び立つ事にした。 8 初フライトがチャックと一緒に飛べて本当に良かったと思う。なぜなら彼はコンチネンタル航 空のリタイアキャプテンで、このマリアナ諸島を20年近く自分の庭のように飛んでいる。 “計 器が無くたって勘でもマニラからグアムまで飛べるさ!”とジョークを交え笑いながら私の緊張 感を和らげてくれた。 今朝、チャックが私のオフィスに入ってきてから9時間経過していた。夕方6時に離陸する事 になった。初っ端からの夜間飛行!大丈夫かな?と思っていると、先輩は “Get used to it! Most of the air ambulance flight will be at night!” (ほとんどの患者輸送の フライトは夜間になるのが今にわかるさ)と言う。朝から緊張しているせいか、夜6時からの夜 間飛行でマニラに着くのが夜10時と聞いただけで行く前から尐し疲れ気味!この世界の事情 をあまり知らなくて入ってきた私には、初っ端からいかに大変な仕事かを Preflight の時点で感 じ取っていた。 患者が救急車で格納庫に運ばれてきた。フィリピン人の患者さんで、マニラで手術を受けるら しい。奥さんが付き添っていた。とても体格の良い患者が救急車から下ろされると、チャックは 私に“見ているように!“と、患者が乗った重そうなストレッチャーを救急隊と一緒になって Westwind のドアからキャビンに滑らせながら運びこむ。すごい力と Coordination が必要だ。 キャプテンとしての経験がさせるのだろう、掛け声を掛けながらチャックは的確な指示をみんな に送っていた。 “Miwa! Come over here… Let me show you…”とチャック。人ごとの様に感心しながら見てい る私は現実に引き戻される。そして“次回からは君がこうやってやるんだぞ!”とキャビンに乗 せられた患者の身体を看護士と協力して固定する作業を身振り手振り教えてくれた。とても狭い 入り口のドアからキャビンに固定された Med Bed(医療用ベッド)に慎重に患者を運び入れる。 四苦八苦しながらひとりの看護士は片手に点滴を持ち、チャックともう一人の看護士は半腰の辛 そうな姿勢で狭いキャビンの中の作業をする。そして患者の身体を壁にぶつけないように尐しず つ尐しずつ入れていく。 ”そっちは大丈夫か?こっちはオッケー!もう尐し高さをあげないと飛 行機のドアから入らないぞ!”などと大きな声の飛びかう作業だ。相当重そうだ!これは体力勝 負だな!と私。すごい光景を目の前にして尐し弱気になっている私にチャック言う。 “みんな 見てみろ!美和の背丈を!美和はこのオペレーションに最適だ!”看護士も私もチャックは急に 何を言っているのだろう?とチャックを見る。すかさずチャックは、 ”ほら見てみろ!背丈の小 さな美和はこの小さな Westwind のキャビンの中で作業をするのにもってこいだ!”美和!こ れ以上食べ過ぎて成長するなよ!“と、ジョークでその場の雰囲気を和らげてくれる。どっと笑 いがこぼれ、私はからかわれているにも拘らず、尐しでもお役に立てることが見つかってうれし い気持ちになった。そしてそれは、これから待ち受ける未知の世界、まったく私にとって初めて の体験”Air Ambulance”のパイロットとしてかんばる覚悟を決めた瞬間でもあった! 9 いよいよ初フライト!ランプコントロールにライフガー ドのコールサインでコンタクトする。いつもより声が尐し 緊張しているのが自分でもわかる。タワーにコンタクトし た時は、いつもトレンドベクター社のセスナ172を飛ば している CFI(教官操縦士)の私の声で“ライフガード911 GU“と呼びこむ。これにはタワーも戸惑い、 “Say your call sign again!”と聞き返す。心の中で、やっぱり!、、と苦笑 い。今度はゆっくりと落ち着いて、 “This is LIFE GUARD 911 GU, Ready for departure!” パイロットもナースや救急隊と共に迅速なオペレーションに参加 する。特にキャプテン Cooper はチームのリーダーとして的確な指 示でミスのないオペレーションを試みる。 (写真上) なんだか、はじめてジェット機に乗った時のようだった。私の初めてのジェットは Cessna 社 の Citation Encore。姿は似ていないものの、サイズ的には同じだ。久々の Air Speed コールア ウトとジェットエンジンのスプール(加速)する音を聞きながら緊張感の伴う離陸。 “Life Guard 911GU, contact Departure, Good flight!”とタワーが Checklist 実施中の私に指 示する。すぐさま、“Contact Departure, Good night!”と返し私の初マニラ行きのフライトは始 まった。 6ヶ月以上ジェット機から遠ざかっていたので、スピード感についていけるか心配だったが、 Horizon Airline でしっかりしたトレーニングを受けて CRJ700 を飛ばしていた経験が、久しぶ りでも体がしっかり覚えていた。こつこつと Flow(機上作業)と Checklists を終えて気付けば もう最初の Fix へと近づいていた。チャックが一息ついた私に色々な事を教えてくれる。 まずは、FMS に Fix を打ち込み、Flight Plan と見比べ確認を取る。そしてその Flight Plan にチェックマークや○、×などを描きながら、通過した所やこれから通過する所の ETA(到着 予測時刻)と Fuel 残量を確認する。そしてある KITSS( 位置通報点 ) に到達すると、”San Francisco ARINK に Position Report のコンタクトするんだ” とお手本を見せてくれた。そし て、VHF から HF に切り替える。 “ざーざざあーざーざーざーざー”何、この雑音!スケルチ(AM 受信機の雑音除去機能)がうまく調節できないのかとチャックの顔を見る。 何でもないかのように普通の顔をしているチャック。冷静だ。私は耳を塞ぎたい思いでかすか に聞こえてくる ATC に耳を傾けるが、雑音がひどくて聞きとれない。チャックが、Push Talk のスイッチを押し ATC と交信し始めた。 “SanFrancisco 、SanFrancisco, Life Guard 911 GU, Position!” 私はなぜチャックがこのひどい雑音の中で交信するのかまだわかっていなかった。 10 相手から、返答が来て、チャックはやっと安心したのか、コーヒーを飲み始めた。”チャックこ の雑音どうにかできる?“私は聞いた。 ”あーこれか!仕方ないんだ!SELCAL(地上局が特定の 航空機と交信したい時に呼び出す装置)が付いてないからね!“仕方ないって?”と聞き返す。そ こで私は彼からも忠告してくれなかった苦労の始まりを知った。Westwind には SELCAL が付 いていない。だからこれから3時間 HF をモニターし続けなければならない。この雑音は3時間 続く。私は SELCAL の付いた JAL や ANA の交信を聞くたびに羨ましくて仕方がなかった。信 じられなーい!こんな雑音を聞きながら3時間のフライトなんて集中できたものではない。ジー ジーがーがーザーザーと今までに無い苦しみだ。尐しでも、雑音を和らげてくれる Bose のヘッ ドセットがあって本当に良かったと思った。 マニラに近づいてきた。チャックは私に Manila Control にコンタクトするように指示する。 私は、”Manila Manila, November 911 GU”と呼びこむ。するとすかさずチャックからお叱りが。 ”No-No-No-No! Miwa! Say We are LIFE GUARD!” 私達はライフガードなんだ、としっか り伝えろ!と叱られた。すぐさま言い直してコンタクトするが、Manila Control の返事は November 911GU の一点張り。なんだか嫌な予感。時刻はすでにグアム時間の10時近く。ク ルーも尐し疲れ気味なのがわかる。チャックもあくびをしながら尐し短気になっている。そんな 中、Manila Control から Holding のインストラクションが来た。まだ、Air Ambulance パイロ ットとして自覚の乏しい私は Holding インストラクションをコピーし始めた。すると、チャッ クは大声でそして乱暴に ATC を怒鳴りつける。"Manila Manila, life Guard 911 GU! Do you understand we are LIFEGUARD!? ”俺達はライフガードなんだぞ!Holding なんて出来るわ けがない。こっちは生きるか死ぬかの患者を乗せているんだ!一刻を争って運んできているのに Holding とはどういうことか?と。マニラからの応答は無い。チャックが急に大声で怒り出すの でびっくりしたが、私は自分の立場をこの日始めて学んだ! そうだ!私は空の救急車のパイロット!確かに安全にしかも早く患者をマニラに届けないと。 その時改めてコックピットから後ろを振り返り、自分の運んでいるお客様は Airline みたいな一 般客ではなく、病人だと言う事を再認識したのだ。自分を叱りながらチャックの ATC に耳を傾 けた。 Manila からの返事はまだ無い。疲れて短気になっているキャプテンは ”Manila Manila Manila ―――マニラマニラマニラーーーー”と、返事がくるまで言い続ける。私は苦笑しなが らも私が Life Guard と言わなかった為に起きた出来事だけに申し訳ない気持ちでいっぱいだっ た。 やがて Manila から"Life Guard 911 GU. Now you are number three for ILS approach”と返 事が来た。キャプテンにとっては自分達が3番目と言う事に対しても不服の様であったが、他の Traffic の位置を聞き、自分の3番目は理にかなっている、と自分に言い聞かすかのように私に 説明してくれた。今まで、ATC の Clearance に苦情を言った事のなかった私は、キャプテンの 積極的な ATC ワークに学ぶべき姿勢を感じ、勉強になったフライトであった。 11 こ の 日 の フ ラ イ ト は 新 た な 挑 戦 ば か り で 想 像 以 上 に 大 変 だ っ た 。 私 の 初 め て の Air Ambulance の仕事はすっかり疲れてしまい、空港からホテルまでの道ではいつもならおしゃべ りな私だが、珍しく無口のままでのホテル入りでした。笑 今まで身を置いていた Airline やジネ スジェットの仕事に比べ、大きく異な る世界の Air Ambulance! 想像以 上に大変なこの世界へ飛び込んでし まい、すっかり不安になった初日の私 のフライトでした。 ほとんどのフライトは真夜中のオペレー ションになり、マニラからグアムに帰る 時は朝日を見ながらのフライトが多かっ た。疲れている中、太陽が水平線の上に 出てくるのを見ると疲れも癒された(写真左) キャプテン Cooper とマニラ上空から緊急着陸を終えて ホッとしている時のスナップ(写真左) 患者を運び入れる前のキャビンの中。 小さなキャビンにストレッチャ―が大半の面積を占めてい る為、ほとんどの荷物は後ろトイレエリアに乗せてしまう。 途中トイレに行く事の苦労は並大抵ではない(写真右) 12 =============================================== 青木美和氏のプロファイル アメリカで活躍するスーパーウーマン機長。愛知県豊橋市出身。高校卒業後、米 国東部の大学の ESL で英語を学んだあと、ワシントン州グリーンリバーコミュニ テ ィ カ レ ッジ で 航空 学 を 専攻 。 そ の 後セ ン トラ ル ワ シン ト ン 大 学航 空 学 科 Professional Pilot Course に転入、航空学で学士、工業エンジニアリングで修士 号を取得。卒業と同時に同大学の操縦教官に、7年間教官を務め、その間ビジネ スジェットのパイロットとして Cessna Encore に乗務。その後 Horizon 航空ファ ーストオフィサーとして CRJ700 に乗る。2009 年よりグアムに移動、トレンドベ クターエビエーションの次席操縦教官として日本人顧客を中心に操縦を教える傍ら、Air Ambulance のパ イロットとして WestwindII のフライトデッキでご活躍。Off には紺碧の海で SCUBA を楽しむ、マリアナ 海域はご自分の庭のようだと。 WOW !! =============================================== 青木美和氏のメール ――その後の私―― 青木 2008 年の冬、景気後退の為 美和 2010 年 10 月末 Horizon Airline から Furlough(待機)に なってしまい、早くも1年 10 ヶ月が過ぎました。その間、私にとって 未知の世界であったグアム島で、ありがたくも、パイロットの道を継続 する事ができました。それも、トレンドベクター社のおかげでグアムで は今までに無い貴重な経験をさせていただきました。 景気は回復したとまでは言わないまでも、アメリカの航空業界は尐しそ の兆が見えます。パイロット達にとって新たな希望が見え始めた現状です。やはり飛行機大国ア メリカは航空産業なしでは成り立たない国だと最近改めて感じています。さて、ここで私ごとで すが、ご報告させていただきます。 この度、Horizon Airline から呼び戻しがかかりました。以前飛んでいた、CRJ700 ではなく、 今回は Q400 (Dash 8)と言う飛行機を担当する事になり、また新たな挑戦へ飛び立とうとしてい ます。日本でもお馴染みの Q400! 読者の方にも多くの方が、Q400 に関係しておられる事でしょ う。私に先輩からのご指導をいただけたらありがたく思います。よろしくお願いいたします。 1月からシアトルベースで飛びます。アメリカ、西海岸へお越しの際は是非、 “Horizon” の ロゴマークをお探しください。機会が出来、皆様にお会い出来ます日を楽しみにしています。 Horizon Airline の制服に戻って 13 写真上 ◇ ホームページのご案内 協会ホームページ http://www.jbaa.org/ ホームページで、新着情報等より詳しい情報を提供させていただいておりますのでご利 用下さい。 ◇ 入会案内 当協会の主旨、活動にご賛同いただける皆様のご入会をお待ちしています。会員は、正 会員(団体及び個人)と本協会の活動を賛助する賛助会員(団体及び個人)から構成され ています。 詳細は事務局迄お問い合わせ下さい。入会案内をお送り致します。 入会金 正会員 団体 50,000 円 個人 20,000 円 賛助会員 団体 30,000 円 個人 年会費 正会員 1,000 円 団体 120,000 円以上 個人 20,000 円以上 賛助会員 団体 50,000 円以上 個人 10,000 円以上 ◇ ご意見、問い合わせ先 事務局までご連絡下さい。 (NPO)日本ビジネス航空協会 事務局 〒100-8088 東京都千代田区大手町 1 丁目 4 番 2 号 Tel:03-3282-2870 丸紅ビル3F Fax:03-5220-7710 web: http://www.jbaa.org e mail: webmaster@jbaa.org 14
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