リスク学から見た安全と安心 - 一財)エネルギー総合工学研究所

リスク学から見た安全と安心
(財)国際高等研究所
木下冨雄
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流行語になった安全と安心
• 「安全・安心」という言葉が日本で大流行
• 政治家、行政、企業、マスコミも口を揃えて安全と安
心の大合唱
• 国民はこの耳障りのよい言葉に満足
• 安全や安心という名前のついた組織もやたらと出現
し、安全・安心がビジネス化
• 安全と安心それ自体は結構だが、ブームとしての安
全と安心は胡散臭い
• 流行の前駆現象は前からあったが、ブームになった
のは2000年前後から
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安全と安心がなぜブームになったか
• ブームの原因は沢山あるが、背景的理由は日本が
物質的に豊かになったから。人間は基本的欲求が
充足されると、より高次の欲求を目指すようになる
• マスローの「欲求の階段」理論。モノからココロへ
• 健康法や健康食、癒しやカワイイのブームも同根
• 直接的には1995年の阪神淡路大震災。平和の夢
を貪っていた国民は潜在的な危険性に目が覚めた
• 学問的には1998年の科学技術会議の提言。ソフト
サイエンスの重要性を謳って「安全・安心」という言
葉がスローガンとして使用された
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安全・安心という概念は多義的
• 安全・安心という言葉は耳に心地よい
• だが日本生まれの安全・安心は、今のところ統一的
に定義された学問的概念になり得ていない
• 少なくとも3つの使い方がされているのでは
• 第1は安全と安心がいずれも心理学的レベルの概
念とする使い方
• 第2は安全は自然科学レベルの概念で安心は心理
学的レベルの概念とする使い方
• 第3は安全は自然科学レベルの概念に国民の支持
という価値レベルの概念が加わったとする使い方
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第1の使い方
• 第1は安全と安心がいずれも心理学的レベルの概
念とする使い方
• 正確に言えば、安全は「安全感」、安心は「安心感」
という心理学的な表現になる
• ただし同じ心理学的概念でも、安心は認知レベルの
判断、安心は感情レベルの判断といえる
• いずれにしても、この場合の安全は主観的なもので
あって客観的に担保された安全ではない
• この使用法は今のところ心理学の世界だけで通用
している
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第2の使い方
• 第2は安全は自然科学レベルの概念で、安心は心
理学的レベルの概念とする使い方
• すなわち安全は客観的に担保された概念で、安心
は主観的な概念と考える
• リスク学では前者を「客観リスク」、後者を「主観リス
ク」ないし「リスク認知」と呼ぶ(正確には安心と違う)
• 両者は本来一致すべきものであるが、時には食い
違うことがある。いわゆる認知バイアス
• 例えば客観リスが高いのに主観的に低く見積もる愛
玩動物。客観リスクが低いのに高く見積もる飛行機
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第3の使い方
• 第3は安全は自然科学レベルの概念に、国民の支
持という価値レベルの概念を加えた使い方
• すなわち客観レベルと主観レベルの合成概念
• 外国の定義はこの立場が多い(Lowrance,1976)
• 日本でも客観リスクが低い米国産牛肉の安全宣言
ができないのは、国民の支持が得られないため
• なおこの定義には安心という言葉は使われない
• 国民の支持の根拠には、バックグラウンドの災害、
職業被曝のリスク、世論などを使うことが多い
• リスク学では「許容リスク」という概念がこれに該当
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安全・安心を整理すると
• 安全と安心については、先に述べたように、少なくと
も3つの考え方がある
• 1つ目の考え方は明快であるが、心理学レベルの概
念に留まっているので客観的な安全を記述できない
• 残る2つ目と3つ目は、リスク学の発想にやや近い
• ただし、いずれも「安心」に対応する概念は薄い
• その意味で「安心」は日本的な発想か?第一、安心
に対応する英語がない
• 世界標準でいうなら日本的な安全・安心は通じない。
だが日本でも規制行政は3つ目の立場では
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安全・安心への懐疑
• 「安全・安心」が今一つ歯切れが悪いのは、そもそも客観的
な「安全」を操作的に定義できないからではないか
• 現在「安全」という名で測定されているものは、実は「安全」で
はなく「リスク」にすぎない
• たとえば安全な自動車とは、モノコック構造やエアバッグを装
備したり、アンチスキッド装置が付いた車のこと
• つまり衝突やスリップの「リスク」を低減する車のことで、それ
を超えて付加的な「安全」がついているわけではない
• 安全な牛肉も同じこと。「国産牛は安全である」という表現は、
「国産牛のリスクは低い」ことを述べているだけで、牛肉につ
いて積極的な幸福感を述べているわけではない
• つまり安全とはリスクが低いことを言い換えているだけ。安全
は快適さを意味するものではない
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安全・安心からリスクへ
• 安全・安心という言葉をスローガンとして用いるのは
構わないが、学問的立場からすれば操作的に定義
可能なリスク概念を用いた方が生産的では
• すなわち安全とは「受け入れ可能な客観リスク」、
つまり「許容リスク」のこと。安心とは近似的にその
「主観的リスク」ないし「リスク認知」のこと
• 私たちが取るべき態度は「安心・安全」という定義不
能で情緒的な言葉に満足するのではなく、世の中に
絶対的な安全や安心は存在しないことを認めた上
で、その対処法を考えて納得することではないか
• 「安全神話」という表現も「安全」という言葉を使うか
ら発生する
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どの程度のリスクなら受け入れるか
• かつては絶対に事故は起こらないと「安全神話」を
主張したり、その裏返しとして「ゼロリスク」を要求す
る人がいた
• だが科学技術論的に見て、絶対的な安全もゼロリス
クもあり得ない
• だとすれば、どの程度のリスクなら受け入れるかと
いう問題が発生(How safe is safe enough?)
• これを「許容リスク」と呼び安全基準の根拠となる
• 一般的には10-6が市民の受け入れ可能なリスク
• これは自然災害のリスク値でもある
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リスク嫌いな日本人
• リスクという言葉を日本人は好まない
• 行政の人はリスクという言葉はイメージが悪いとい
い、研究者もPRAをPSAと読み替えたがる
• 機械工学や電気工学のようなモノを中心とした巨大
分野ではリスク概念の導入が遅れた
• この分野では、装置の摩耗による不具合の可能性
を、「予測される腐食や劣化」という言葉で長年表現
してきた。定期検査という発想はその名残
• 事後保全(1960年代)→予防保全(1970)→予知保
全(1980)→リスクベース保全(2000)
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リスクの文化差
• リスクの語源はラテン語のrisico。その動詞は
risicareで、絶壁の間を縫って航行するの意味
• 大航海やルネッサンス時代の冒険を厭わない時代
精神、ロンドン大火の経験からリスク回避の手法を
思いついた商人たち(保険会社の設立) 、それに確
率論的根拠を与えたパスカルなどの数学者が
15~17Cに結びついた
• そこにあるのは積極的、能動的、選択という文化
• サッカーのオシム監督の言葉「リスクを取らない選
手は私のチームにいらない」
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日本ではリスクに見合う言葉自体がない
国語辞典には「リスク=危険」と誤訳
地政学的に安全で冒険の時代精神がなかった
安全と水はタダ。存在するリスクは自然災害が中心
国土面積は世界の0.25%、放出地震エネルギーは20%
この風土が日本人のリスク観、すなわち「自分は温和しくして
いるのに他からやって来て迷惑をかけるだけの厄介者」とい
うリスクイメージを形成
• この心性をライシャワーは「タイフーンメンタリティ」と名付け
た。一種の諦観といえようか
• 日本人にとってリスクは消極的、受動的、押しつけ
• 平和で穏やかな国民性ではあるが冒険心に乏しく内向き
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リスク概念の導入で得られるもの
• リスク嫌いの日本人も、安全/危険という2分法的発想による
のではなく、リスクという確率的発想に慣れるべきでないか
• これまで巨大技術の安全を担保するために、個別科学以外
に安全工学、信頼性工学、設備管理学などが参画
• だが巨大技術はそれ以上に人文・社会系の参加が必要
• たとえばリスク学の参加によって、リスク評価、リスクマネジメ
ント、リスク分散、想定の論理、設計思想、集中と分散、シス
テムエラー、ヒューマンエラー、リスク文化、予防原則、エリー
トパニックなどの問題に寄与が可能
• 「閉じた世界」だけで安全を考えるのではなく、「開いた世界」
で衆知を集めた体制を構築すべきでは
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END
• 主催:(財)エネルギー総合研究所
• 主題:「原子力の安全を問うー巨大技術は制御でき
るか」 第1回シンポジウム
• 会場:JA共済ビル
• 日時:2011.10.8
• All rights reserved
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