プロジェクト研究報告集 2013.3 No.10

目次
巻頭文
地域・多様性・エンパワーメント
西村 知
ⅰ
報 告
地域経済合理性の選択余地とコミュニティビジネス
−床屋に見る北薩地域のポテンシャル−
1
髙野 哲也
鹿児島大学周辺の「ソーシャルビジネス」の構造
9
中武 貞文
地域資源を活かしたコミュニティ・エンパワーメント
−鹿児島市下田町・出水市高尾野町農業用水発電−
15
岩川 直浩
集落の花見
−鹿児島県伊佐市大口白木集落の事例より−
21
熊 華磊
「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」
−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・
生活支援センターの取り組み−
27
岩山 誠
地域婦人会の現状と問題
−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
39
季 慶芝
奄振法延長をめぐる動きと今後の展望
−人々の声をどこまで反映できるのか−
49
池田 忠徳
プロジェクト研究を振り返って
57
巻頭文
地域・多様性・エンパワーメント
西村 知
(「プロジェクト研究」担当)
フィールドリサーチにより,地域の問題を発見
た.次の提案は,社会経済主体の多様性に関する提
し,解決策を提示する力を養うことを目的とした
案です.つまり,これまで社会のサポート役と見ら
「プロジェクト研究」の報告会も今年で10回目と
れることが多かった人々やグループをよりよい地域
なります.教員と学生が思考錯誤しながら,ある時
社会構築のための主役とすることが欠かせないとい
は衝突しながら,現在の形となっています.私がこ
うことです.報告会では,岩山氏が聴覚障害者,季
の授業を担当した昨年より,本学のキャンパスと奄
氏が奄美の婦人会の事例について報告しました.第
美会場を中継する二元中継が始まりました.国際的
三に重要なのは,古くから地域に存在している文化
な視点を含む報告もあったことから外国人の参加者
資源を有効に活かしながら,新しい発想の技術や文
を想定して英語での解説を行いました.また,テー
化も取り入れていくということです.前者について
マの防災に実際に関わっていらっしゃる地方自治体
は,熊氏が,花見,後者については岩川氏が,マイ
の職員をコメンテーターとしてお呼びするといった
クロ水力発電の事例を取り上げました.最後に,多
企画を行いました.今年度は,聴覚障害者の報告者
様性を生かした地域のエンパワーメントには,地域
に手話通訳を付け,積極的な議論が展開する試みを
の人々の声を拾うことが重要であるということで
行いました.
す.この点に関しては,池田氏が,奄振事業の事例
今回の報告会のテーマは,「地域・多様性・エン
を報告いたしました.
パワーメント」でした.人々,社会・経済の多様性
多様な人々,多様なビジネス形態,古い地域資源
を理解したうえでそれらをうまく活かしながら地域
と新しい技術を地域にあった形でいかにミックスす
を元気にする,パワーを与える,つまりエンパワー
ることができるかを考えることが次世代型の地域社
メントするためのアイデアを受講生7人が報告し,
会の形成において重要であるということが報告会全
フロアーと活発な質疑応答を4時間半にわたって展
体のメッセージであったと考えます.このように今
開いたしました.私なりに,報告会の論点を4点に
回の報告会は,地域を活性化するための様々なアイ
まとめさせていただくと以下のようになります.ま
デアが提言され,各報告者個人の今後の研究,フロ
ずは,ビジネスの多様性に関する議論です.地域に
アーにとって実りあるものであったと思います.
ビジネスを呼び込み,定着させるためにはどのよう
なことが重要かということです.報告者の提言は,
利益がある程度(=ソコソコ)あり地域社会に貢献
できるビジネスが地域の衰退を食い止めることがで
きるのではないかという高野氏の提案です.また,
利益追求型でもなくボランティアでもないソーシャ
にし むら
さとる
西村 知 鹿児島大学法文学部経済情報学科教
授.大学院人文社会科学研究科地域政策科学専攻
「比較農業経営論」担当.
satoru@leh.kagoshima-u.ac.jp
ル・ビジネスが豊かな地域社会構築において重要で
あり,鹿児島でも,そのようなビジネスが少しずつ
展開している事実も中武氏によって紹介されまし
ⅰ
報告
地域経済合理性の選択余地とコミュニティビジネス
−床屋に見る北薩地域のポテンシャル−
人文社会科学研究科 博士後期課程 島嶼政策コース2年
髙野 哲也
1.1 はじめに
間継承の問題として必要な物は何かというと,特に重
要なのは国土であり,それを活用する為の地域文化・
本研究の目的は,過疎地域のモデル例として北薩地
地域社会・地域生活様式となる.そして,地域を引き
域を選び,経済的な地域振興のフレームワークを解明
継ぐべき次世代確保の難しい地域が,衰弱の可能性の
することにある.その際に,仮説として「地域への進
ある地域であるという見方が本稿の課題関心の要諦と
出企業が厳しい経営制約にさらされるような状況下で
なる.一方,本研究で用いる課題解決の手法にコミュ
も,地域社会は条件次第でコミュニティビジネスの成
ニティビジネスがあるが,一般的には,「地域が抱え
立可能性を保持し得る.」と呈示する.鹿児島県の北
る課題を,地域資源を活かしながらビジネス的な手法
西部に広がる北薩地域では,大型企業の撤退などに伴
によって解決しようとする事業のこと」とされている.
う雇用情勢の悪化を受けて,社会が不安定化する兆候
そこで,本稿では「地域社会の問題をビジネス的な手
が見え隠れしている.人口減少が止まらない局面の中,
法で解消する為に地域から必要とされて,地域によっ
特に周辺地域では,過疎化,少子化の進行による小学
て支えられているビジネス」をコミュニティビジネス
校の閉校が顕著である.また高齢化に伴い道路・河川
と呼ぶことにする.
愛護活動の継続が困難になるなど,集落機能の維持存
わが国に於いては,経済産業省が,「地域資源を活
続が危ぶまれる集落すら出現している.生活扶助機能
かしながら地域課題の解決をビジネスの手法で取り組
の低下など,これら住民の暮らしに直結する社会的な
むもの」1 とした上に,地域の人材やノウハウ,施設,
課題に対して取り組む術があるのであろうか,また,
資金を活用することにより,地域における新たな創業
それはどのようなスタイルなのか.本考察は,経済合
や雇用の創出,働きがい,生きがいを生み出し,地域
理性の選択という切り口で,都市機能及び生活機能の
コミュニティの活性化に寄与するものと期待し,その
担保を図るため,自立に必要なファクターを分析する.
創出と推進に取り組んでいる.調査研究,ホームペー
受け入れられる経済合理性,生活のスタイルに多様性
ジやメールマガジンによる情報提供,交流会・シンポ
を持たせることにより,自らの地域課題を改善し得る,
ジウムの開催のほか,このような事業主体を側面から
エンパワーメントの可能性を追求することが安定した
支援する中間支援組織を地域に設立する活動などを積
社会の維持の方法論の1つであることを裏付けること
極的に推進している.本稿では,この少子高齢化によっ
になる.
て,人口構成がいびつな状況になっている今日の地方
地域社会にあって,新たな事業立ち上げといったもの
1.1.2 地域振興策の分析概念
ではなく,社会のあり方として世代継承による持続可
特定する対象地域において,重要となるのは次世代
への継承という観点とコミュニティビジネスという手
法であるが,それぞれの定義に言及する.まず,世代
1 経済産業省 資料 2「コミュニティビジネス」
http://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/community/index.html
報告 地域経済合理性の選択余地とコミュニティビジネスー床屋に見る北薩地域のポテンシャルー
1
能性の視座から,現状と課題を探りつつ,暮らしの中
地域社会から姿を消し始めているのが,今次,誰の目
に移住促進の具体策を見出す試みを行う.
にも分かりやすい現象として噴出しているのである.
このような,都市部社会と地方地域社会の排出と吸収
1.1.3 移住促進の観点
による人口推移のやりとりが,歴史的根底にある.全
ところで,この課題の根底には,移住を促進すると
国的な展開として捉えるべき,この関係性を踏まえつ
いう立場から,地方で暮らすにはどういった取り組み
つ,観察すると,そこには,国勢調査メッシュ統計地
ができるのか,都市部から多くの人,流入人口を増や
図から見ても人口過密度の高い関東,中部,関西など
したいというキータームがあるのだが,ただ地域人口
大都市地域などを中心に移住セミナーを開催し,都市
を増やすという課題意識だけであれば,射程を十分に
部にいる若い子育て世代やリタイア世代をターゲット
吟味しているとは云えない.この脈絡において重要な
に据えて,地方自治体が IJU ターン者引き込み競争を
ことは,地方地域社会に内在する問題が,世代間の極
する時代になっている 3 ことに気付く.それに伴い投
端な住み分けに派生したものであることを認識する必
資的経費として投じられる財政出動も膨れ上がってい
2
要がある .すなわち 1950 年代(s20)の人口は全国
る実情もある.今日,九州新幹線の全線開通を含め,
どこででも基本的には三角錐のピラミッドを形成して
全域的な交通網の発達により流入障壁のハードルが下
いた事実から始まる.この後,戦後ベビーブームの世
がって,地方地域社会に人が入りやすくなっている.
代は中高卒業時に一気に関東,関西,中部都市圏へ就
また,航空機による移動時間の短縮で,観光流入人口
業流出し,人口を減少させ始める.高度経済成長期に
が増加し,更には,ローコストキャリアーの参入によ
生じた地方から中央への人口大移動により,大勢いた
り,その動きに拍車がかかっている状況もある.とり
はずのこの世代が転出でいなくなり,代わりに地方地
域社会から出て行かずにいた,その上の世代が相対と
して突出したこと.残った中心世代は昭和一桁生まれ
の層である.1960 年代(S30)には過疎化現象の鎮静化,
戦後直後世代が残っている場所では第二次ベビーブー
ムにより,ささやかながら人口増の経験すらあった.
この間,戦前生まれの世代は,若い人にとっては条件
不利地域の中で農業及び兼業で生活を続けていった.
この為,取り敢えず,この人たちが定住している関係
上,人口増減は安定してきた.然るに,生まれ育った
子供たちが成長しては抜けていく上に,若い人が少な
くなるので,次第に出生数が減少し,残っている人々
は粛々と年老いて行って,徐々に死亡者数が出生者数
に追い付いてきた.それの行きつくところが 1990 年
代(H2)に始まる自然動態減少社会である.大正末か
ら昭和一桁生まれ迄の世代は元気で,長寿化進行加わ
り,高齢化しても,地域崩壊には至らなかった.しか
しながら,2010 年代(H22)に入り,戦前生まれの
教育を受けて,社会形態を引き継いできた最後の世代
である昭和一桁生まれが 80 歳を超えた.そして地方
2 山下祐介(2012)
『限界集落の真実 - 過疎の村は消えるか -』
2
総務省統計局より _ 平成 22 年国勢調査に関する地域
メッシュ地図(人口総数)
3 NPO 法人ふるさと回帰支援センター 資料 3
http://www.furusatokaiki.net/area/kyushu/
JOIN 移住交流推進機構ホームページ資料4
http://www.iju-join.jp/
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
コミュニティビジネスの成立と参入及び展開の可能性
提案を行う.研究分析を進める上での問題意識として,
不安定な状態を出来るだけ安定した社会状態にするこ
とが前提であるならば「安定した地域社会」の定義が
必要になってくる.つまるところ,安定した地域社会
とは,まず,それなりに所得があって,その地域から
離れない,もっと云うと地域密着型で離れられない,
そういった状態が持続的である状況が,理論的考察か
らはそう呼ぶに相応しいと考える.論理構造からは,
日本社会古来の安心,安全,安定といった伝統的価値,
言いかえると共生の理念を包摂する社会である.この
ことは,地域社会の中で,安定指向の生活を求めるか,
付加価値の高い生活を求めるのか相反する2つの対極
性のうち,どちらのスタイルを選ぶのかというアンビ
バレントな問いかけにもなり得る.但し,どちらか1
鹿児島県より _ 地域高規格道路網図
つが絶対的なものという訳ではなく,補完的な,或い
は並存的な存在としてその多様な可能性の選択の1つ
わけ北薩地域だけ,個別に見てみると鹿児島市内から
として呈示されうるべきものであろう.ここで安定し
南九州西回り自動車道の建設が進んでおり,空港から
た収入を先立つ与件として捉える移住希望者の流入要
は北薩を横断する道路が建設されつつあるが,これら
素の仕組みを見出すことの必要性が出てくる.では,
の高速交通網の環境整備は,広域交流性や移動性を促
具体的に地方地域社会,とりわけ北薩地域におけるコ
進するのと同時に,実は,一方で外部不経済として地
ミュニティビジネスはどのようなものが存在するのだ
域の定着性には不利な影響の要素になっているとも云
ろうか.
える.云いかえれば,地域インフラの整備促進は,広
域移動性を促進しながら,地域安定性を衰弱させるこ
1.2 北薩地域の現状
とになる.今回,このプロジェクト研究で意識したこ
とは,このような状況下にあっても影響されない暮ら
ところで,「中心」と「周辺」という分析軸で云え
しに附帯する経済ツールは何かという視点である.
ば,北薩地域は県都鹿児島市からは「周辺」に位置付
けられる.かつて大和朝廷の国府が置かれ「中心」で
1.1.4 研究の目的と方法
あった薩摩川内市は相対的に「中心」から「周辺」に
前述したように,本稿の目的は,過疎地域のモデル
移行するも,地方地域社会である北薩の中においては
例として北薩地域を選び,経済的な地域振興のフレー
依然「中心」に位置する.人口とそれを支える雇用の
ムワークの解明にある.それを描くための方法とし
2 つの視点から概観することで地域の課題を明らかに
て,まず北薩地域の小規模な商店や技能業店といった
する.
経営体のフィールド調査を行った.そこから,小規模
経営体の分布マッピングを行い,現況の把握と残存量
1.2.1 人口の現状 研究の目的と方法
を推し量り,可能性を構築するという手法である.ま
まず,北薩の人口推移状況についてであるが,この
た,残存力の高いカテゴリーにターゲットを絞った上
グラフは左から 3 本が国勢調査の実数で,4 番目以降
で,ユーザーとサービスプロバイダー双方に対してヒ
は,国立社会保障人口問題研究所が 4 年前の平成 20
アリング調査を行い,2つの情報源から全体としての
年に推計した北薩 3 市 2 町の人口をまとめたものであ
報告 地域経済合理性の選択余地とコミュニティビジネスー床屋に見る北薩地域のポテンシャルー
3
る.推計は,生残率 _ 純移動率を仮定値に使ったコー
ホート要因法によるもので,実数値は総務省統計局発
表の国勢調査確報値高知,鹿児島,秋田といったとこ
ろが,過疎化の先進県と云えよう.鹿児島県は,「平
成大合併」前にあった 96 の旧市町村のうち,実に 74
市町村が過疎指定を受けていた.合併後も 48 市町村
中 42 市町村が過疎である(2007 現在)平成 17 年か
らの 5 年間だけを見た場合,鹿児島市,霧島市,龍郷
町を除いた県全体として,人口減となっている中,高
齢化がこのまま進み続けると,地域の特に周辺地域に
国立社会保障人口問題研究所推計値と国勢調査確報を
もとに筆者作成
おける過疎化,少子化の進展による小学校の閉校,道
路・河川愛護などのコミュニティ活動を継続すること
が困難になる.生活扶助機能の低下は勿論,社会機能
の維持存続すら危ぶまれる集落が出現につながり,い
よいよ暮らしと直結する問題として認識され始めるこ
とになる.
1.
2.2 雇用の現状
次に,人口と密接に連関性の高い,地域の雇用情勢
を概観する.地方政府である自治体と企業との立地協
国立社会保障人口問題研究所推計値と国勢調査確報を
もとに筆者作成
定締結の実績ベースを参照指標とする.平成 16 年 10
月 12 日以降,平成 25 年 1 月末現在迄に,41 社との
協定,1,899 名の雇用実績がある.この新規立地には
既存企業の拡充も含まれているものの,協定を結ばな
いサービス業や土建業を含めると,その数は若干増え
よう.具体例として,これまで薩摩川内市にある京都
セラミック(株)川内工場や中越パルプ工業(株)川
内工場の他に,さつま町の NGK 日本特殊陶業(株)
宮之城工場など,また九州電力(株)の川内火力発電
所や川内原子力発電所の立地により,その周辺事業所
を含めると大きな雇用を創出してきた.今次,国内外
の経済情勢にも左右される企業トレンドは撤退縮小の
局面にある.急激な景気減速により日本の製造業は大
きな打撃を受けた.それに円高が追い打ちをかけたこ
とから,工場閉鎖,リストラが相次ぎ,立地自治体の
財政や地域の雇用面で窮地に陥っている.この問題局
面の困難さの1つは雇用の先行きが不透明な情勢は,
今後も続いていくことが想定されることである.パイ
総務省統計局より _ 平成 22 年国勢調査に関する地域
メッシュ地図(65 歳以上人口割合)
4
オニア(株)鹿児島工場,及びその母体である NEC
液晶テクノロジー,富士通インテグレーテッドマイク
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
ロテクノロジ九州工場,北薩ではないが日置のパナソ
1.3 小規模経済の現状と分析
ニックデバイスオプティカルセミコンダクター(株),
横川町のアルバック九州(株)など製造業大手は相次
本稿に登場する検討対象を考察する前に経済の規模
いで海外移転や生産縮小及び撤退をしている.ここ数
という観点について整理したい.E.Fシューマッハ
年間で北薩地域全体として,約 1,900 人の雇用創出
によると,規模に関する人間の要求には二面性がある
の実績があるとしたが,パイオニア(株)1か所の撤
という.1つの答えはなく,目的によって,小規模な
退だけで約 1,000 人の雇用が一瞬にして失われてお
もの,大規模なもの,排他的なもの開放的なものと様々
り,それだけ,いかに,身の丈を越えた大型雇用が外
な組織,構造が必要になる.ものごとを建設的に成し
部要因に脆弱であるかということが当然のことながら
とげる為には常にバランスを取り戻すことが何よりも
指摘される.言いかえると,労働市場の相対的な衰退
必要だとする.どのような活動にもそれにふさわしい
と共に雇用縮小に脆弱で不安定な社会体質の顕在化で
規模というものがある 5 ようだ.
あろう.かくて,外部効果による誘致そのものの失敗
や雇用が縮小することで,社会動態からの人口減少が
1.3.1 フィールド調査の概要
始まる.企業誘致推進はもう,時代錯語が甚だしい,
問題の本質が見えにくいときはまず,現場に行って
的外れの政策へ後退したのであろうか.肯定的な側面
みることであろう.フィールド調査は 2012 年 11 月
はあるものの,そもそも大手企業は,地方地域社会が
16 日から 1 月 10 日の約 8 週間にわたって行った.
自らの力で創り出したものではない.外から来たもの
調査の過程で,ある特徴的な傾向が見えた.まず,小
は,いつまでもそこに留まるかは不明である.何かあ
学校所在地毎に小規模商店の集積が見られ,商店街が
4
れば地域はすぐに切り捨てられる .これは,誘致企
形成されていたこと.二番目に,タバコ,塩といった,
業の導入も同じであって,我々は,すでにバブル崩壊
昔の専売的なもの「昭和ライク」なものが地域独占ス
後,幾度も見てきた企業行動の常識である.であるな
タイルとして色濃く残っていた.三番目によろずや的
らば,雇用以外に新たな安定を取り戻すことが実現す
な小規模商店の多くには郵便ポストの設置が顕著で
ればよいのではないだろうか.「雇用がなければ若い
あった.四番目に地域の消費者数がさほど多くないよ
人は住めない」という神話を壊す必要があろう.仕事
うな状況のように見える場所にも関わらず,やたらに
は外から持ち込まれるものではなく,地域や地域の関
理容店や美容室が多かった.しかも,それは比較的近
わり易いまたは関わりの深い町や都市の中で内発的に
い場所にあるという事実である.
創り出されたものであるのが望ましい.雇用や経済は,
小学校周辺地区への商店集中や,また,昭和 60 年
誰かの力でこれを変えるということは難しい上に「雇
と平成 9 年にたばこ,塩の専売廃止と自由化,平成
用が欲しい」と発想していたのでは,その解決も誰か
13 年のアルコール専売廃止後を承継した地域独占の
に委ねるしかなくなる.しかし,これが生活そのもの
分布について.郵便ポスト設置については集配の実績
「暮らし」であれば,「暮らし」は自分たちの手で工夫
に伴い未利用ポストは適時撤収されるという観点から
可能な領域である.そこから発想することが,問題を
しても,観察に基づく限り,これ等の 4 つの特徴的な
切り拓き,力を動員する手がかりになる.発想の水準
残存の傾向は,地域の小経済分析にプラスファクター
を変えることがコミュニティビジネスの入り口と云え
である可能性が高いと云える.
る.
そこで,理容・美容店をクローズアップして,商圏
というキーワードで少し言及してみる.対象とした動
機は,視覚的直観的に多く点在していたという事も然
4 山下祐介 (2012)
『限界集落の真実 - 過疎の村は消えるか -』
5 E・F・シューマッハ 1986.P85 規模という意味において
問題関心的に重なっている.
報告 地域経済合理性の選択余地とコミュニティビジネスー床屋に見る北薩地域のポテンシャルー
5
考察する前に経済
整理したい。E.
考察する前に経済
規模に関する人間
整理したい。E.
いう。1つの答え
規模に関する人間
規模なもの、大規
いう。1つの答え
放的なものと様々
規模なもの、大規
。ものごとを建設
放的なものと様々
バランスを取り戻
。ものごとを建設
する。どのような
バランスを取り戻
規模というものが
する。どのような
規模というものが
概要
ときはまず、現場
概要
。フィールド調査
ときはまず、現場
月 10 日の約 8 週
。フィールド調査
の過程で、ある特
月 10 日の約 8 週
、小学校所在地毎
の過程で、ある特
れ、商店街が形成
、小学校所在地毎
、タバコ、塩とい
れ、商店街が形成
昭和ライク」なも
、タバコ、塩とい
て色濃く残ってい
昭和ライク」なも
小規模商店の多く
て色濃く残ってい
著であった。 四番
小規模商店の多く
ど多くないような
四番
著であった。
も関わらず、やた
ど多くないような
った。しかも、そ
も関わらず、やた
という事実である。
った。しかも、そ
集中や、また、昭
る事ながら,小地域での経済活動であること,1店舗
当たりの対応処理能力に限界があること,租税収入を
上げる為かつての収益専売の原理原則に類推すれば,
生活必需品はお金を確実に取れる観点からの推挙とな
る.この見方で理容・美容店の分布残存量を可視化し
てみた.マップは 3 市2町の境界を視覚的に捕捉しや
すいように,各自治体を 5 色に分けた.人口インジケー
トの最大値を統一し,濃淡で密度状況を表した.青い
筆者撮影
マークが理容店・赤いマークが美容院の分布状況とな
る.また人口は平成 22 年の国勢調査の人口小地域集
筆者撮影
計を重ね合わせ北薩地域全土を眺めると図のような感
じになる.この分布図から云えることは,それぞれの
筆者撮影
町の人口集中地には,店舗の集積が見られる.囲碁ゲー
ムのように理容美容が混在展開している中で,どちら
か片方だけが展開し陣取り合戦しているエリアがあ
る.また,全体としては,美容の数が理容の数を圧倒
しているがユニセックス店舗はまだ数える程度しかな
い.これらの実態分析から参入可能エリアと参入種別
が絞り込めそうである.
筆者撮影
筆者撮影
筆者撮影
筆者撮影
筆者撮影
筆者撮影
総務省統計局より _ 平成 22 年国勢調査に関する小地
域人口から筆者作成
という事実である。
、塩の専売廃止と
1.3.2 ヒアリング調査の概要
集中や、また、昭
ール専売廃止後を
また,サービスユーザーとサービスプロバイダー双
方の意識をヒアリングしたとろ,生産者であるプロバ
、塩の専売廃止と
ついて。郵便ポス
イダーインフォーマントの情報から判断して云えるこ
筆者撮影
ール専売廃止後を
績に伴い未利用ポ
とは,理容に共通しているのは,親の代から世襲的に
ついて。郵便ポス
う観点からしても、 そこで、理容・美容店をクローズアップし
引き継ぎ承継している点にある,また顧客がほぼ顔見
筆者撮影
績に伴い未利用ポ
の 4 つの特徴的な て、商圏というキーワードで少し言及してみ
知りの固定客層であり,隣接する同業者とは客層が重
筆者撮影
そこで、理容・美容店をクローズアップし
う観点からしても、
済分析にプラスフ
る。対象とした動機は、視覚的直観的に多く
て、商圏というキーワードで少し言及してみ
の
4 つの特徴的な
いと云える。
点在していたという事も然る事ながら、小地
6
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
る。対象とした動機は、視覚的直観的に多く
済分析にプラスフ 域での経済活動であること、1店舗当たりの
点在していたという事も然る事ながら、小地
いと云える。
対応処理能力に限界があること、租税収入を
味において問題関心的に重
域での経済活動であること、1店舗当たりの
成 22
合わせ
合わせ
じにな
じにな
れぞれ
れぞれ
見られ
見られ
在展開
在展開
開し陣
開し陣
、全体
、全体
してい
してい
度しか
度しか
エリア
エリア
もない。その流動的な消費嗜好に対応すべく
其々の業態で営業スタイルが形成されている
其々の業態で営業スタイルが形成されている
のではないかと考えられる。その動機から理
のではないかと考えられる。その動機から理
容消費層のシェアを美容業が浸食してしまう
容消費層のシェアを美容業が浸食してしまう
構図は釈然と説明できるかも知れない。
一方、
構図は釈然と説明できるかも知れない。一方、
ならないように共存受け身的な事業展開をしている. 1.
4 おわりに
消費者であるサービスユーザー側の観点を十
消費者であるサービスユーザー側の観点を十
これといった新規開拓の行動がないという点に対して
四項目の質問により聞き取り、集計した。明
これまで,地方地域社会の対症療法の可能性を内在
美容業とは対照的である.このことは,対象となるユー
四項目の質問により聞き取り、集計した。明
的な地域経済に求める視点で論じてきた.北薩地域に
ザーの性差に起因しているものと推測しえる.女性は
らかになったのは、
性別と消費嗜好の関係で、
顕在化する問題には 2 つの側面がある.現実に進行し
新しいものに目移りしがちで,男性はそうでもない.
らかになったのは、
性別と消費嗜好の関係で、
ている企業撤退に伴う雇用の問題,高齢化の問題,少
その流動的な消費嗜好に対応すべく其々の業態で営業
女性の理容消費はなく、逆に男性の
20%が美
女性の理容消費はなく、逆に男性の
20%が美
子化の問題という事実問題と,それを課題として問題
スタイルが形成されているのではないかと考えられ
視する理念的構造物である.今,地方地域が保持する
る.その動機から理容消費層のシェアを美容業が浸食
容室で消費していることが分かる。男女性差
容室で消費していることが分かる。男女性差
課題はそれぞれが絡み合い,もつれた状態で噴出して
してしまう構図は釈然と説明できるかも知れない.一
と顧客定着性との関係について見ると、近く
いる.地方地域社会が安定するには,これまでの方程
方,消費者であるサービスユーザー側の観点を十四項
と顧客定着性との関係について見ると、近く
式を書き直すことである.高齢者を構成するある年齢
目の質問により聞き取り,集計した.明らかになった
に新しいお店が出来たときに気になると感じ
に新しいお店が出来たときに気になると感じ
層が「定着」している一方で,その下の年齢層を構成
のは,性別と消費嗜好の関係で,女性の理容消費はな
する世代が「排出」しその為に子供を産む世代がなく
く,逆に男性の220%が美容室で消費していることが
る男性が
割なのに対し、女性はその約
倍
る男性が
2 割なのに対し、女性はその約
22倍
分かる.男女性差と顧客定着性との関係について見る 「少子化」が進行していること.最上位世代の退場に
近い
44 割の方が、新しい店舗に興味を示す、
よって,これから崩れることが予想される世代間バラ
と,近くに新しいお店が出来たときに気になると感じ
近い
割の方が、新しい店舗に興味を示す、
ンスを,どのようにして今後も平衡に保つのか.結局
る男性が 2 割なのに対し,女性はその約 2 倍近い 4 割
これは、美容師のインタビューを裏つける数
これは、美容師のインタビューを裏つける数
のところ,この問題が帰結すべき論理は世代継承であ
の方が,新しい店舗に興味を示す,これは,美容師の
る.世代間の地域住み分けは,個人的な視点では,各
インタビューを裏つける数値となった.
値となった。
人それぞれの自由で希望を持った選択の結果である.
過疎問題は人口問題であり,人口バランスに生じる課
題は,人口の移動または出生により解消するしかない.
とはいえ,排出されてしまった人々を呼び戻すのは,
やはり容易ではない.ただ,問題の枠組みの大きさに狼
狽えていては何も変わらない.ここに,ぎりぎりの経
済理論で生き抜く「コミュニティビジネス」の仕組み
をビルトインしえる可能性を検討する意義がある.今
後の研究の行方は,可能性の高い理美容業というツー
ルを見出したものの,ただ,誰にでも,できると云っ
た汎用性に乏しい.故に,現時点におけるフレームワー
アンケート調査より _ 筆者作成(n=31)
アンケート調査より_筆者作成(n=31)
アンケート調査より_筆者作成(n=31)
作成
作成
とする生業業種などのマップマッチング分析を進め,
構築可能性の検討を行う.これらのコミュニティビジ
ネモデルが応用され,移住と定住促進の方法論に一石
投じることが出来ればこの上もないと考える.
ロバイ
ロバイ
、生産
、生産
トの情
トの情
共通し
共通し
継ぎ承
継ぎ承
ク分析装置としての参照からその他の地域独占を可能
参考文献
[1] E ・F シ ュ ー マ ッ ハ -(1986)/ 小 島 慶 三・
酒井懋訳『スモール・イズ・ビューティフル』講
アンケート調査より _ 筆者作成(n=31)
アンケート調査より_筆者作成(n=31)
アンケート調査より_筆者作成(n=31)
談社
報告 地域経済合理性の選択余地とコミュニティビジネスー床屋に見る北薩地域のポテンシャルー
7
[2]
柏 雅之(2002) 『条件不利地域再生と論理と
たか の
てつ や
髙野 哲也 鹿児島県出身.薩摩川内市在住.
政策』農林統計協会
[3]
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鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士前期課程修了
生存と社会的企業 - イギリスと日本の比較をとお
(経済社会システム)
.同研究科博士後期課程地域科学政
策専攻島嶼政策コース在学中 .
して -』
[4]
神野直彦(2002) 『地域再生の経済学』中央公
薩摩川内市企画政策部:移住定住業務
論新社
[5]
神野直彦(2002) 『人間回復の経済学』中央公
論新社
[6]
高寄昇三(2002)『コミュニティビジネスと自治
体活性化』学陽書房
[7]
細野助博(2003)『実践コミュニティビジネス』
中央大学出版部
[8]
堀川三好 野中大志郎 菅原光政(2012)『地域
型商店街における地域活動情報の活用について』
日本経営工学論文誌 [9]
宮本憲一 / 遠藤宏一 (1998)
『地域経営と内発
的発展 - 農村と都市の共生を求めて -』平文社
[10] ムハマド・ユヌス(2010)/ 千葉敏生訳『ソーシャ
ルビジネス革命 - 世界の課題を解決する新たな経
済システム』早川書房
[11]山下祐介 (2012)
『限界集落の真実 - 過疎の村は
消えるか -』筑摩書房
参考資料
[1]『コミュニティビジネス中間支援機関のビジネス
モデルに関する調査報告』関東経済産業局(2009)
参考URL
[1] 総務省統計局ホームページ(http://www.stat.
go.jp/)
[2] 経済産業省関東経済産業局ホームページ(http:
//www.kanto.meti.go.jp/seisaku/community/
index.html)
[3] NPO 法人ふるさと回帰支援センターホームペー
ジ(http://www.furusatokaiki.net/)
[4] JOIN 移住交流推進機構ホームページ
(http://www.iju-join.jp/)
8
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
報告
鹿児島大学周辺の「ソーシャルビジネス」の構造
人文社会科学研究科 博士後期課程 地域政策コース 1 年
中武 貞文
2.1 はじめに
に積極的に参加している.そして,鹿児島市や薩摩川
内市では,「U-30」という語らいの場が若者主導で行
プロジェクト演習の報告を行う前に,博士論文の
われた.さらに,ソーシャルビジネス業界へのインター
テーマについて先ず言及したい.私は産学連携,地域
ンシップ事業についての情報交換会「九州 CP(チャ
連携を行う担当教員として鹿児島大学産学官連携セン
レンジプロデューサー)会議」に多くの大学生が参加
ターに勤務し,コーディネート活動に従事している.
している.
その経験から,近年,地域活性化活動や「ソーシャル
ビジネス」と言われる領域に属す取り組みに,若者が
今,鹿児島大学の周囲では,
積極的に参加しているように感じるようになった.私
地域の語り合いの場「U30」を作ろうという自主的
な試みを起こす若者
(鹿児島市,薩摩川内市)
が感じている事象が存在しているのかを明らかにした
いと考えたのが博士論文のテーマ設定の動機である.
テーマを単純に記述すれば「ソーシャルビジネスと大
ソーシャルビジネス事業
に参画する大学生たち
(鹿児島県鹿児島市;CP
会議の風景)
学生」となる.このテーマ下において現在,大学生を
対象としたインタビュー調査をベースに研究を進めて
いるところである.今回,「プロジェクト演習」にお
南さつま市で地域活性化
を展開する学生サークル
(鹿児島県南さつま市)
いて,博士論文テーマの周辺を補強することを目指し,
「ボランティア」〜「ソーシャルビジネス」に
参画している若者がいる
鹿児島大学の周囲にどのような「ソーシャルビジネス」
図 1 鹿児島大学の周囲での若者の取り組みの一例
が存在しているのか,そして,そこに参画している事
業者の声を集め,現状を整理することを実施した.さ
2.2 ソーシャルビジネスの捉え方
らに,本プロジェクト演習のメインテーマである「地
域・多様性・エンパワーメント」に資する情報を,「ヒ
ント」として抽出した.
博士論文及び本プロジェクト演習を進めるにあた
り,「ソーシャルビジネス」について整理する.大室
によると,1)満足をベースとした人と人の相互作用
2.1.1 鹿児島大学の周囲で観察された事象
の新しい社会的結びつきの創出 2)多様な社会的課
プロジェクト演習の具体的調査に入る前段のこの
題に対して企業や NPO/NGO などの主体が見いだす解
1 年あまりの間,筆者の日々の業務(産学連携,地域
決策 3)マクロの制度改革を通して医療,福祉,教
連携に関わる業務)においても,大学生に代表される
育領域などにおける経済的・社会的パフォーマンスの
若者がボランティアや地域貢献活動に参加している光
改善 4)新しい社会サービスの供給や社会的責任に
景に遭遇している.鹿児島県南さつま市では鹿児島大
よる社会経済システム,消費社会の変化 に整理がな
学の地域活性化サークル「Free Spot」が地域の活動
されている.本稿においては,1)と2)の捉え方を
報告 鹿児島大学周辺の「ソーシャルビジネス」の構造
9
2.2 ソーシャルビジネスの捉え方
博士論文及び本プロジェクト演習を進めるにあたり,「ソーシャルビジネス」
について整理する。大室によると,1)満足をベースとした人と人の相互作用
の新しい社会的結びつきの創出 2)多様な社会的課題に対して企業や NPO/NGO
などの主体が見いだす解決策
3)マクロの制度改革を通して医療,福祉,
教育領域などにおける経済的・社会的パフォーマンスの改善 4)新しい社会
サービスの供給や社会的責任による社会経済システム,消費社会の変化 に整
理がなされている。本稿においては,1)と2)の捉え方を「ソーシャルビジ
「ソーシャルビジネス」として論を進める.
料を編集した団体の代表 2 名にインタビューを行っ
ネス」として論を進める。
この整理に加え,経済産業省では,
「ソーシャルビ
た.このインタビューでは,現在の業にいたる経緯と
この整理に加え,経済産業省では,
「ソーシャルビジネス」の定義として,a)
ジネス」の定義として,a)社会性 b)事業性 c)
「ソーシャルビジネス」に対する考え方及び鹿児島で
社会性 b)事業性 c)革新性と有すると定義している。
革新性と有すると定義している.
の最新動向について伺うこととした.
鹿児島・ソーシャルビジネス「候補」
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
図 2 ソーシャルビジネスの位置づけについて
ソーシャルビジネスの位置づけについて
図 2
•
•
•
NPO法人BigUp
•
山下商店
株式会社ロコペリコーポレーショ •
ン
•
株式会社住まいず
•
NPO法人ローズリングかのや
有限会社えこふぁーむ
指宿シーサイドホテル株式会社 •
•
空豆の専門店「まめぞら」
•
中原水産株式会社
•
NPO法人アースハーバー
•
一般社団法人へきんこの会
株式会社OASYS鹿児島(FC
•
KAGOSHIMA)
株式会社オープランニング
•
株式会社NAWAGATE
•
株式会社ビックファイブ
•
株式会社ヨシカワプランニング •
株式会社丸屋本社
•
鹿児島プロバスケットボール株式 •
会社
•
有限会社スマイルプラン
NPO法人かごしま活性化地域創
成協会
NPO法人ネイチャリング・プロ
ジェクト
NPO法人SCC
NPO法人こころ機構
NPO法人後藤道場
•
•
•
•
•
NPO法人地域サポートよしのね •
ぎぼうず
•
NPO法人ソーシャルブレインズ •
一般社団法人鹿児島天文館総合研 •
究所Ten-Lab★
一般社団法人鹿児島コミュニティ •
シネマ
•
いいまちづくり推進組合
•
QUESTION PRODUCTS
サクラジマ大学
•
マチトビラ★
•
NPO法人おおすみ半島コミュニ •
ティ放送ネットワーク
•
NPO法人きもつき情報化推進セ •
ンター
•
NPO法人S.O.R.A.
•
NPO法人フードバンクかごしま
NPO法人いせんI・I
•
NPO法人頴娃おこそ会
•
NPO法人Lかごしま
NPO法人大隅シオン舎
NPO法人親子ネットワークが
じゅまるの家
NPO法人かごしま特産品販売促
進協会
NPO法人ガジュマル種子島
NPO法人ぐるっと鹿児島ネット
ワーク
さつま健康&環境蘇生を考える会
NPO法人ジパング
NPO法人徳之島虹の会
NPO法人日本鉄道記録保存機構
NPO法人人・自然の南風
NPO法人プロジェクト南からの
潮流
NPO法人豊栄ひっとべ会
NPO法人みどりの風かんかん
NPO法人YOU国際教育プログラ
ム
一般社団法人なかわり生姜山農園
阿久根市駅前通り会
上町タウンマネジメント
霧島心肺蘇生の会
こいじゃが阿久根実行委員会
ニコニコ会
ストリートピアノでつなぐ祈りの
ハーモニープロジェクト
松ヶ崎郷土史研究会
マンガプロジェクト鹿児島
• カウントした組織76団体
(株式会社11,NPO法人30,
一般社団法人4)
• オレンジ色の団体は大学
生がインターンシップに
参加(33組織)
図3 鹿児島大学周辺にある「ソーシャルビジネス」
候補
この定義に沿えば,図 2 に示すとおり,一般企業や
NPO をマッピングするこ
この定義に沿えば,図 2 に示すとおり,一般企業や
とが可能となる。さらに,それらと現在,経済産業省が定義している「ソーシ
NPO をマッピングすることが可能となる.さらに,そ
2.4 調査結果
れらと現在,経済産業省が定義している「ソーシャル
ビジネス」との対応関係を知ることができる.注目す
べきは,事業性が高くない領域の事業活動まで「ソー
2.4.1 ソーシャルビジネスのリスト化
これらの資料から抽出した事業者を図 3 に示した.
シャルビジネス」として包含している点である.「ソー
調査資料に掲載されていた事業者をそのままカウント
シャルビジネス」が,広義に捉えられる傾向は,この
しているため,今回この事業者を「ソーシャルビジ
定義にも起因すると考えている.本演習では,この定
ネス事業者(候補)」と呼ぶ.この事業者(候補)数
義や捉え方についても検討の余地があることを示すに
は,76 団体であり,その主要な内訳として,株式会
留める.
社 11,NPO 法人 30,一般社団法人 4 となった.最
も NPO 法人が多い結果となった.さらに,このうち
2.3 手法と具体的アクション
の 33 組織に大学生がインターンシップに参加してい
た.次に,この情報を提供した 2 団体の代表にインタ
さて,鹿児島大学の周囲でどのような「ソーシャル
ビューを行った.
ビジネス」が存在しているかを,以下の 2 点の資料か
ら調査した.一つは,「扉の向こう〜地域で未来を切
2.4.2 インタビュー1:末吉剛士氏
り開く,可能性掘り下げ留学」(NPO マチトビラ),も
末吉剛士氏は,大学生を鹿児島地域のソーシャルビ
う一つは,「キフカゴブック」(一般社団法人鹿児島天
ジネス事業者にインターン生として派遣するインター
文館総合研究所 Ten-Lab)である.この資料を採用し
ンシップ事業「鹿児島起業家留学」を主催する NPO
た理由は,NPO マチトビラ,そして一般社団法人鹿児
マチトビラの代表.年齢は 32 歳.これまでの経歴は,
島天文館総合研究所 Ten-Lab が鹿児島県下のソーシャ
大学卒業後,リクルート社を経て鹿児島へ U ターン,
ルビジネス事業の支援を行った経験を有するところ,
NPO 法人ネイチャリング・プロジェクト(現:公益財
そしてそれらを背景として現在の事業を立ち上げてい
団法人ネイチャリング財団)にて企業支援,人材育成
ることを重視したためである.さらに,この二つの資
を行い,2011 年 4 月にマチドビラ「鹿児島起業家留学」
10
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
2.4.2 インタビュー1:末吉剛士氏
写真1 インタビュー時の末吉剛士氏(2013 年 2 月
写真
1 インタビュー時の末吉剛士氏(2013 年 2 月撮影)
撮影)
写真2 SOHO かごしま内にあるマチトビラ事務所の
末吉剛士氏は,大学生を鹿児島地域のソーシャルビジネス事業者にインター
2.4.3 イン
風景.SOHO かごしまには,マチトビラと
を立ち上げ現在に至る.
写真
2
SOHO
かごしま内にあるマチトビラ事
ン生として派遣するインターンシップ事業「鹿児島起業家留学」を主催する
NPO
連携してインターンシップを展開する NPO,
氏
務所の風景。SOHO かごしまには,マチトビラ
末吉氏からのインタビューは,NPO マチトビラの
企業が入居している.
マチトビラの代表。年齢は 32 歳。これまでの経歴は,大学卒業後,リクルート
と連携してインターンシップを展開する NPO, 永山由高氏
ある SOHO かごしまの会議室にて行った.本人の了承
企業が入居している。
社を経て鹿児島へ U ターン,NPO 法人ネイチャリング・プロジェクト(現:公益
児島天文館
を取り,動画撮影を行った.インタビューは約 2 時間
2.4.3 インタビュー2:永山由高氏
財団法人ネイチャリング財団)にて企業支援,人材育成を行い,2011
年
4
月に
永山由高氏は,一般社団法人 鹿児島天文館総合研
行った(以降の永山氏についても同様).インタビュー 理事長を務める
29 歳。一般社団法人鹿児島天文館総合研
マチドビラ「鹿児島起業家留学」を立ち上げ現在に至る。
究所 Ten-Lab の理事長を務める 29 歳.一般社団法人
内容を全文掲載することができないため,以下に発言 の人のちょっとしたスキマ時間や好奇心を活用してこの
末吉氏からのインタビューは,NPO
マチトビラのある
SOHO かごしまの会議室
鹿児島天文館総合研究所
Ten-Lab は,
「街の人のちょっ
の要旨(一部)をまとめた.
/街の人がもっと元気になる仕組みをつくっていきます。
としたスキマ時間や好奇心を活用してこの街がもっと
にて行った。本人の了承を取り,動画撮影を行った。インタビューは約
2 時間
地域活動を支援する取り組みを展開している団体です。
楽しくなる / 街の人がもっと元気になる仕組みをつ
【末吉氏の発言の要旨(一部)
】
行った(以降の永山氏についても同様)
。インタビュー内容を全文掲載すること
日本政策投資銀行を経て鹿児島へ U ターン,NPO 法人ネイ
くっていきます.」をモットーに多様な地域活動を支
・ 天 文 館 で 自 営 業 を 営 む 父 の 姿 と『 リ ー マ ン
ができないため,以下に発言の要旨(一部)をまとめた。
クト(現:公益財団法人ネイチャリング財団)にて企業支
援する取り組みを展開している団体です.永山氏は大
ショック』
【末吉氏の発言の要旨(一部)
】
2011
年 7 日本政策投資銀行を経て鹿児島へ
月に一般社団法人鹿児島天文館総合研究所
Ten
学卒業後,
U ターン,
・ いつまでも『このまま』が続くことはない,何
• 天文館で自営業を営む父の姿と『リーマンショック』
NPO 法人ネイチャリング・プロジェクト(現:公益財
かしなければならない『不安』がありました. を有している。永山氏の発言の要旨(一部)は,以下の
• いつまでも『このまま』が続くことはない,何かしなければならない『不
団法人ネイチャリング財団)にて企業支援,人材育成
・ ネイチャリング・プロジェクトでの経験〜課題 【永山氏の発言の要旨(一部)
】
安』がありました。
年 7 月に一般社団法人鹿児島天文館総
を解決するヒトを後押し,解決するヒトを増や • を行い,2011
日本政策投資銀行時代に遭遇した『リーマンショッ
• すことなら自分でも取り組むことができる.
ネイチャリング・プロジェクトでの経験〜課題を解決するヒトを後押し,
合研究所 Ten-Lab を立ち上げた経緯を有している.永
とに対する疑問が生じた。
解決するヒトを増やすことなら自分でも取り組むことができる。
山氏の発言の要旨(一部)は,以下の通りである.
・ 「我がことだけではない視点で物事に向き合い
• ネイチャリング・プロジェクトでの経験〜新しい
• 地域の諸問題を解決すること,
「我がことだけではない視点で物事に向き合い地域の諸問題を解決する
『未来志向』で
• 本業を終えて(退職してから),ではなく,この業
あることが『ソーシャル・ビジネス』だと思う.
【永山氏の発言の要旨(一部)】
こと,
『未来志向』であることが『ソーシャル・ビジネス』だと思う。
している。そのために仕事の受け方にルールを設
・ 日本政策投資銀行時代に遭遇した『リーマン
ビジネスと呼ばれる事業で補助金に頼るところが
ショック』から信じていたことに対する疑問が
らとは一線を画した新たな事業モデルを目指して
生じた.
•・ ネイチャリング・プロジェクトでの経験〜新し
インターンシップで大学生が来ると企業側の若手
いビジネスの追求.
・ 本業を終えて(退職してから),ではなく,こ
の業で生き残ることを目指している.そのため
に仕事の受け方にルールを設けている.ソー
報告 鹿児島大学周辺の「ソーシャルビジネス」の構造
11
シャルビジネスと呼ばれる事業で補助金に頼る
2.5 事実と分析
ところが多いのは事実だがそれらとは一線を画
今回のプロジェクト演習で獲得した事実と分析を以
した新たな事業モデルを目指している.
・ インターンシップで大学生が来ると企業側の若
下にまとめる.
・ 「『ソーシャルビジネス』を含む諸々の事業」が鹿
手が勉強をし始める.
• 『ソーシャル・ビジネス』を目指す人は「同じニオイのする人(情報感
児島で立ち上がっている.
度,潮目を読む力)
」ではないかと感じる。
・ 『ソーシャル・ビジネス』を目指す人は「同じ
ニオイのする人(情報感度,潮目を読む力)」
・ 若者の参入も「インターンシップ」という形態で
ではないかと感じる.
観察されている.
・ 「NPO 法人ネイチャリング・プロジェクト」が母
体となっている NPO 事業がある.さらに,その
•
創出された事業間の密な人的ネットワークの存在
『ソーシャル・ビジネス』を目指す人は「同じニオイのする人(情報感
も観察される.
度,潮目を読む力)
」ではないかと感じる。
・ 30 歳代前後のビジネス志向性の強い U ターン人
材がキーパーソンとなっている.
2.6 「地域・多様性・エンパワーメント」へ向
けた「ヒント」
さらに,これら獲得した事実と分析から「地域・多
様性・エンパワーメント」に向けたヒントを以下にま
とめる.
写 真 3 イ ン タ ビ ュ ー 時 の 永 山 由年
高2氏月
写真3 インタビュー時の永山由高氏(2013
撮影)
(2013 年 2 月撮影)
・ 地域課題の解決について県内各所で取り組みが始
まっているが,革新性と事業性を兼ね備えた「ソー
シャルビジネス」にまで到達しているとはいえな
2 人のインタビューを通じ,ソーシャルビジネスに
い状況である.
写真
32 人のインタビューを通じ,ソーシャルビジネスに取り組む人材には,共通の
インタビュー時の永山由高氏
取り組む人材には,共通の経験やキャリアがあるので
(2013
年 2 月撮影)
寄付や補助金による運営を強いられている組
経験やキャリアがあるのではないかという問題意識を有するようになると共に
織が多いことからの分析
はないかという問題意識を有するようになると共にそ
2その事業の意義や意味についてさらに深く掘り下げる論考の必要性を感じた。
人のインタビューを通じ,ソーシャルビジネスに取り組む人材には,共通の
・ しかしながら,一部に高いビジネスセンスを有し
の事業の意義や意味についてさらに深く掘り下げる論
経験やキャリアがあるのではないかという問題意識を有するようになると共に
これらについては,このプロジェクト演習を契機に進めていくが,今回のプロ
た人材が,地域内にてソーシャルビジネスの基盤
考の必要性を感じた.これらについては,このプロジェ
その事業の意義や意味についてさらに深く掘り下げる論考の必要性を感じた。
ジェクト演習で得た事実と分析について,次項にまとめた。
これらについては,このプロジェクト演習を契機に進めていくが,今回のプロ
を構築しつつあり,世の中の問題を「我がこと」
クト演習を契機に進めていくが,今回のプロジェクト
ジェクト演習で得た事実と分析について,次項にまとめた。
として取り扱う人材の育成や,これら人材のネッ
演習で得た事実と分析について,次項にまとめた.
写真 4
鹿児島天文
写真 4 鹿児島天文
トワークの構築に大きく貢献している.
館 総 合 研 究 所
館 総 合 研 究 所
Ten-Lab
にて企画し
NPO 法人ネイチャリング・プロジェクト(現:
Ten-Lab にて企画し
た紙媒体の数々,地
写真4 鹿児島天文館総合研
た紙媒体の数々,地
一般社団法人ネイチャリング財団)などの存
域活動を行う組織に
域活動を行う組織に
究所 Ten-Lab
にて
寄 付 を 呼企
び寄
か
け
る
在と展開よりの分析
画し
媒び
体の
付た
を紙呼
かける
「キフカゴブック」
,
数々,地域活動を行
「キフカゴブック」
,
鹿児島で働く人々を
・ これらの取り組みが「インターンシップ」という
う組織に寄付を呼び
鹿児島で働く人々を
紹介する「しごとび
形態で一部の大学生に浸透しつつあり,前述の人
か紹介する「しごとび
け る「 キ フ カ ゴ
と」などを発行して
いる。 ブック」
,鹿児島で
材育成にも良い効果を与えている.
と」などを発行して
働く人々を紹介する
いる。
「しごとびと」など
を発行している.
インターンシップ受け入れ企業の若手社員が
大学生の活躍に刺激を受けているという指摘
2.5 事実と分析
12
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
今回のプロジェクト演習で獲得した事実と分析を以下にまとめる。
2.5 事実と分析
今回のプロジェクト演習で獲得した事実と分析を以下にまとめる。
からの分析
参考文献
[1]大室 悦賀 . (2009). ソーシャル・イノベーショ
ン理論の系譜 . 京都マネジメント・レビュー , 15, 13–40. Retrieved from http://ci.nii.
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[3]「キフカゴブック」(一般社団法人鹿児島天文館総
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[2]U-30 KAGOSHIMA
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http://www.soho-kagoshima.com/
[5]公益財団法人 ネイチャリング財団(旧:NPO
法人ネイチャリング・プロジェクト)
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[6]一般社団法人鹿児島天文館総合研究所 Ten-Lab
http://www.ten-lab.org/
なかたけ
さだふみ
中武 貞文 宮崎県出身.鹿児島市在住.
大阪大学大学院理学研究科無機及び物理化学専攻 博士課程前期修了
報告 鹿児島大学周辺の「ソーシャルビジネス」の構造
13
報告
地域資源を活かしたコミュニティ・エンパワーメント
−鹿児島市下田町・出水市高尾野町農業用水発電−
人文社会科学研究科 博士後期課程 地域政策コース 1 年
岩川 直浩
3.1 はじめに
437 ヶ所と少ない.小水力発電のポテンシャルの多く
は未利用である.日本のエネルギー自給率は,1960
平成 23 年より鹿児島大学人文社会科学科地域経営
年代 57%であったが 2006 年には 4%になっている現
研究センター重点領域研究(環境学)と産官学連携事
状もある.水力発電による自然エネルギーで中山間地
業で,鹿児島の中山間地域を活性化させる可能性のあ
域の暮らしが補えれば人口流失が続く過疎地域からの
る代替エネルギーの発展を目的に「マイクロ水力発電」
復興となり,農山村地域に人が戻り住み集落を維持す
の社会実験を推進してきた.農山村地域への自然エネ
ることが可能となる.鹿児島近郊の中山間地域で小規
ルギーの導入は,地域の活性化につながり食料とエネ
模な実証実験を行うことで水利権の問題,自治体への
ルギーの安定的な供給が可能となれば農山村地域の暮
申請手続き,地域住民への理解等の障害を探り普及さ
らしが変わる可能性がある.地域資源の農業用用水路
せるための要件を明らかにすることを研究の目的とし
を活用した水力発電の実証実験を行い,地域の理解や
た.
運用にあたっての問題点と課題を調査研究した.
3.3 鹿児島県における水力発電の可能性
3.2 背景と目的
鹿児島県は山間部や傾斜地が多く小規模河川が多数
中山間地域は,豊かな水に恵まれ水力発電の適地が
存在する.平野部は少なく河川の河口に広がる平野以
多く電力の供給源として期待できる.水力発電は 100
外はほとんど平地がない.また名称の由来であるカゴ
年以上の歴史と蓄積された技術力と実績がある.かつ
シマの「カゴ」は「崖」を意味し,四方が崖に囲まれ
て農山村地域の小規模小水力発電は,戦後の不安定
ているといわれる.この様な地形は,逆境ではあるが
な電力供給状態のなかで普及した.1952 年「農山漁
水力発電に適している.また鹿児島県は中山間地域が
村電気導入促進法」が制定され,農協などが小水力発
7割を占め,山間部の水源落差は地域資源としての役
電を運用させた.しかし 1950 年代に,中東やアフリ
割が期待できる.
カで大油田が発見され豊富で低廉な石油により火力発
電が増加した.高度経済成長の電力需要の急増にとも
3.4 ポンプ逆転水車発電とは
ない 1961 年を境に水力発電は衰退し 1970 年以降小
水力発電設備が建設されなくなった.昨今のエネル
水力発電は太陽光発電や風力発電とともに自然エネ
ギー問題により再び小水力発電が見直されている.中
ルギ-として有望であるが,大規模なダムの建設が伴
山間地域が多い日本の再生可能エネルギーの 90%は
うために環境負荷の観点からも増設は困難である.こ
水力であるといわれている.しかし 1,000kw 未満の
のため小規模河川や用水路で建設コストの安い簡易水
小水力発電はドイツが 5,500 ヶ所に対して日本では
力発電が普及する可能性がある.しかし1基あたりの
報告 地域資源を活かしたコミュニティ・エンパワーメント−鹿児島市下田町・出水市高尾野町農業用水発電−
15
発電量が僅かな簡易水力発電で運用するには,複数設
ポンプを使ったポンプ逆転水車発電方式を研
3.5
下田町むらづくり委員会
3.5 下田町むらづくり委員会
置が必要である.そこで発電機器のコストを抑えるた
究の題材とした。品質が安定しており、構造 鹿児島市下田町は、伊敷ニュ-タウンや吉
ポンプを使ったポンプ逆転水車発電方式を研
下田町むらづくり委員会
鹿児島市下田町は,伊敷ニュ-タウンや吉野町など
めに,既に量産化された汎用ポンプを使ったポンプ逆
が簡単で耐久性があり保守点検が容易である 3.5
野町などの大型団地に囲まれた里山地である。
究の題材とした。品質が安定しており、構造
鹿児島市下田町は、伊敷ニュ-タウンや吉
の大型団地に囲まれた里山地である.過疎化が進む農
転水車発電方式を研究の題材とした.品質が安定して
など多くの利点がある。しかし応用面での実 過疎化が進む農地環境を維持するために、下
が簡単で耐久性があり保守点検が容易である
野町などの大型団地に囲まれた里山地である。
地環境を維持するために,下田町むらづくり委員会会
おり,構造が簡単で耐久性があり保守点検が容易であ
用例が少なく普及を図るためには実証実験に 田町むらづくり委員会会長が中心となり、田
など多くの利点がある。しかし応用面での実
長が中心となり,田園地帯をグリ-ンツ-リズムに活
るなど多くの利点がある.しかし応用面での実用例が 過疎化が進む農地環境を維持するために、下
よる研究が必要となる。
園地帯をグリ-ンツ-リズムに活用し外部の
少なく普及を図るためには実証実験による研究が必要
用例が少なく普及を図るためには実証実験に
となる.
よる研究が必要となる。
用し外部の人を招き入れている.大阪出身者が営む「稲
田町むらづくり委員会会長が中心となり、田
人を招き入れている。大阪出身者が営む「稲
音館」では農と芸術をテ-マにするギャラリ-と併設
園地帯をグリ-ンツ-リズムに活用し外部の
音館」では農と芸術をテ-マにするギャラリ
して農家レストランで下田自家製農産物を提供してい
人を招き入れている。大阪出身者が営む「稲
-と併設して農家レストランで下田自家製農
る.水力発電実証実験に用水と土地を提供した「巌洞
音館」では農と芸術をテ-マにするギャラリ
産物を提供している。水力発電実証実験に用
ファ-ム」のオーナーは,自然豊かな下田町の無農薬
-と併設して農家レストランで下田自家製農
水と土地を提供した「巌洞ファ-ム」のオー
野菜を「潮音館」レストランの食材とし振る舞う.ま
産物を提供している。水力発電実証実験に用
ナーは、自然豊かな下田町の無農薬野菜を「潮
た「WWOOF」(農作業を手伝い無償で宿泊場所と
水と土地を提供した「巌洞ファ-ム」のオー
音館」レストランの食材とし振る舞う。また
食事を提供)を登録して下田に外国人を招き,下田町
ナーは、
自然豊かな下田町の無農薬野菜を
「潮
「WWOOF」
(農作業を手伝い無償で宿泊場
の魅力を外国にも発信している.下田町むらづくり委
所と食事を提供)を登録して下田に外国人を
3.5 下田町「関吉の疎水溝」農業用水発電 音館」レストランの食材とし振る舞う。また
員会会長は,多種多様な視点を持った人材が魅力ある
「WWOOF」
(農作業を手伝い無償で宿泊場
下田町の魅力を外国にも発信している。
日本初の水力発電は明治 25 年5月に京都 招き、
地域にしたいとの考えで,水力発電の実証実験に協力
3.5
下田町「関吉の疎水溝」農業用水発電 所と食事を提供)を登録して下田に外国人を
下田町むらづくり委員会会長は、多種多様な
市営水力発電所の稼動とされるが同時期に鹿
頂いている.
3.5 下田町「関吉の疎水溝」農業用水発電
招き、
下田町の魅力を外国にも発信している。
日本初の水力発電は明治
25
年5月に京都
児島の集成館も水力発電を開始している。幕 視点を持った人材が魅力ある地域にしたいと
下田町むらづくり委員会会長は、多種多様な
市営水力発電所の稼動とされるが同時期に鹿
末に、島津成彬が工業用動力水車の計画を立
日本初の水力発電は明治 25 年5月に京都市営水力 の考えで、水力発電の実証実験に協力頂いて
3.6 下田町地域住民への合意形成
視点を持った人材が魅力ある地域にしたいと
児島の集成館も水力発電を開始している。幕
いる。
て、29
代忠義が、明治
25
年に磯庭園の集成
発電所の稼動とされるが同時期に鹿児島の集成館も水
末に、島津成彬が工業用動力水車の計画を立
3.6 下田町は,グリーンツーリズムとして農村景観や生
下田町地域住民への合意形成
館に落差 30m、5kw の水力発電装置が完成し の考えで、水力発電の実証実験に協力頂いて
力発電を開始している.幕末に,島津成彬が工業用動
いる。
て、29
代忠義が、明治
25
年に磯庭園の集成
下田町は、グリーンツーリズムとして農村
ていた。
態系などが守られた多自然居住地域として市民の憩い
力水車の計画を立て,29
代忠義が,明治 25 年に磯庭
3.6
下田町地域住民への合意形成
館に落差
30m、
5kw
の水力発電装置が完成し
その水源となっている「関吉の疎水溝」は、 景観や生態系などが守られた多自然居住地域
園の集成館に落差 30m,5kw の水力発電装置を完成
の場となっている.平成 23 年 11 月に水力発電設置
水溝には手を加えない要件で、農地に引込ん
に引込んだ流入配管に発電機器を設置した.
だ流入配管に発電機器を設置した。
た。地域だけでなくより多くの住民に向けて
った。そこで水力発電による自然エネルギー
の理解を得るための合意形成の場が必要であ
3.7 下田町「ひかりとドラムのジャンベコ
電源を活用したイベントを企画した。
下田町は、グリーンツーリズムとして農村
ていた。
平成 23
農業用水路として田畑に利用されている。そ として市民の憩いの場となっている。
工事で農地に重機が入り,不信に思った住民がいるこ
させた.
景観や生態系などが守られた多自然居住地域
その水源となっている「関吉の疎水溝」は、
その水源となっている「関吉の疎水溝」は,農業用 年とが分かった.地域だけでなくより多くの住民に向け
11 月に水力発電設置工事で農地に重機が
の「伝統の水源」を活用した水力発電の社会
として市民の憩いの場となっている。
平成 23
農業用水路として田畑に利用されている。そ
ての理解を得るための合意形成の場が必要であった.
水路として田畑に利用されている.その「伝統の水源」
実験である。平成 23 年 12 月に史跡である疎 入り、不信に思った住民がいることが分かっ
11 月に水力発電設置工事で農地に重機が
の「伝統の水源」を活用した水力発電の社会
そこで水力発電による自然エネルギー電源を活用した
を活用した水力発電の社会実験である.平成
23 年 12 年
た。地域だけでなくより多くの住民に向けて
水溝には手を加えない要件で、農地に引込ん
実験である。平成
23 年 12 月に史跡である疎 入り、不信に思った住民がいることが分かっ
イベントを企画した.
月に史跡である疎水溝には手を加えない要件で,農地
の理解を得るための合意形成の場が必要であ
だ流入配管に発電機器を設置した。
った。そこで水力発電による自然エネルギー
ンサート」
3.7
下田町「ひかりとドラムのジャンベコン
電源を活用したイベントを企画した。
サート」
平成
23 年
17 日に巌洞ファームに設置した水
3.7 平成
下田町
「ひかりとドラムのジャンベコン
23
年12
12月月
17 日に巌洞ファームに設
力発電による自然エネルギーを地域住民に広くし知っ
サート」
置した水力発電による自然エネルギーを地域
てもらおうとジャンベコンサートを開催した.コン
平成
23 年 12 月 17 日に巌洞ファームに設
住民に広くし知ってもらおうとジャンベコン
16
サートで使用する舞台照明などすべて水力発電による
置した水力発電による自然エネルギーを地域
サートを開催した。コンサートで使用する舞
自然エネルギー電源が使われた.町内会長らの呼びか
住民に広くし知ってもらおうとジャンベコン
台照明などすべて水力発電による自然エネル
けで約 50 人が訪れ,鹿児島大学ジャンベ部の迫力あ
サートを開催した。コンサートで使用する舞
ギー電源が使われた。町内会長らの呼びかけ
る演奏を披露した.合間に水力発電の自然エネルギー
台照明などすべて水力発電による自然エネル
ギー電源が使われた。町内会長らの呼びかけ
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
で約 50 人が訪れ、鹿児島大学ジャンベ部の の場、河川法等の申請手続きの確立との要望
迫力ある演奏を披露した。合間に水力発電の であった。
自然エネルギー電源を供給しているところを
で約 50 人が訪れ、鹿児島大学ジャンベ部の の場、河川法等の申請手続きの確立との要望
見てもらった。環境に負荷をかけずに
365 日
迫力ある演奏を披露した。合間に水力発電の であった。
24 時間発電できること、水道水用のポンプを
電源を供給しているところを見てもらった.環境に負
自然エネルギー電源を供給しているところを
活用し水質汚染がないこと、使った水はその
荷をかけずに
365 日 24 時間発電できること,水道
見てもらった。環境に負荷をかけずに
365 日
まま下流に返していることを説明した。最後
水用のポンプを活用し水質汚染がないこと,使った水
24 時間発電できること、水道水用のポンプを
はそのまま下流に返していることを説明した.最後に
に
LED イルミネーションツリーの点灯式を
活用し水質汚染がないこと、使った水はその
LED
イルミネーションツリーの点灯式を行い真っ暗な
行い真っ暗な農園を幻想的に灯した。町内の
まま下流に返していることを説明した。最後
農園を幻想的に灯した.町内の主婦は「こうした小さ
主婦は「こうした小さな取り組みの積み重ね
に LED イルミネーションツリーの点灯式を
で自然エネルギーが普及していくことに期待
行い真っ暗な農園を幻想的に灯した。町内の
な取り組みの積み重ねで自然エネルギーが普及してい
くことに期待したい」と南日本新聞の取材で話すなど
3.9 出水市二級河川農業用水使用許可申請
したい」と南日本新聞の取材で話すなど訪れ
主婦は「こうした小さな取り組みの積み重ね
で自然エネルギーが普及していくことに期待
水力発電設置に河川や農業用水路から取水
た住民の理解を得ることができた。
出水市二級河川農業用水使用許可申請
したい」と南日本新聞の取材で話すなど訪れ 3.9する場合は、県知事や国土交通省などへの許
水力発電設置に河川や農業用水路から取水
た住民の理解を得ることができた。
可申請・承認が必要となる。煩雑な許可申請
する場合は、県知事や国土交通省などへの許
書の作成を要求され、許可を取得するまで
2
3.
9 出水市二級河川農業用水使用許可申請
可申請・承認が必要となる。煩雑な許可申請
~3 年かかる場合もある。特に簡易設置を目
訪れた住民の理解を得ることができた.
書の作成を要求され、許可を取得するまで
水力発電設置に河川や農業用水路から取水する場合2
指すマイクロ水力発電機の設置実績はほとん
~3
年かかる場合もある。特に簡易設置を目
は,県知事や国土交通省などへの許可申請・承認が必
ど無く、河川法、土地改良法などの法令手続
指すマイクロ水力発電機の設置実績はほとん
要となる.煩雑な許可申請書の作成を要求され,許可
きなど労力と時間を要する。設置する地方自
を取得するまで 2 〜 3 年かかる場合もある.特に簡易
ど無く、河川法、土地改良法などの法令手続
治体と県河川課との協業が重要となる。
設置を目指すマイクロ水力発電機の設置実績はほとん
きなど労力と時間を要する。設置する地方自
出水市政策経営部においても水利権確保に
ど無く,河川法,土地改良法などの法令手続きなど労
治体と県河川課との協業が重要となる。
奮闘し約 10 ヶ月を要したが、出水平野土地
力と時間を要する.設置する地方自治体と県河川課と
出水市政策経営部においても水利権確保に
の協業が重要となる.
改良区や鹿児島県土木河川課は申請書類作成
奮闘し約
10 ヶ月を要したが、出水平野土地
出水市政策経営部においても水利権確保に奮闘し約
に協力的に応じ県知事の設置許可が滞ること
改良区や鹿児島県土木河川課は申請書類作成
10 ヶ月を要したが,出水平野土地改良区や鹿児島県
もなく平成 24 年 10 月に承認された。作成さ
に協力的に応じ県知事の設置許可が滞ること
土木河川課は申請書類作成に協力的に応じ県知事の設
もなく平成
24 年 10 月に承認された。作成さ
れた申請手続きのノウハウは他の自治体から
置許可が滞ることもなく平成 24 年 10 月に承認され
れた申請手続きのノウハウは他の自治体から
も問い合わせがあり活用されていくとのこと
た.作成された申請手続きのノウハウは他の自治体か
も問い合わせがあり活用されていくとのこと
であった。
らも問い合わせがあり活用されていくとのことであっ
であった。
許可申請手続き
た.
許可申請手続き
・ 二級河川農業用水路~鹿児島県土木部河川課
許可申請手続き
3.8
・ 二級河川農業用水路~鹿児島県土木部河川課
河川管理者である県知事の許可が必要
出水市高尾野町「本町ため池公園」農業・ 二級河川農業用水路〜鹿児島県土木部河川課 河川管理者である県知事の許可が必要
3.8 出水市高尾野町「本町ため池公園」農業 河川管理者である県知事の許可が必要
3.8 出水市高尾野町
「本町ため池公園」農業
・ 構造物増改築の許可~出水平野土地改良区
用水発電
・ 構造物増改築の許可~出水平野土地改良区
用水発電
用水発電
法定外公共物管理条例許可
下田町に続き2ヵ所目は、出水市より依頼・ 構造物増改築の許可〜出水平野土地改良区
法定外公共物管理条例許可
下田町に続き2ヵ所目は、出水市より依頼 法定外公共物管理条例許可
を受け平成 24 年 12 月に設置した。場所は、3.10 出水市「LED イルミネーション点灯式」
を受け平成
24 年 12 月に設置した。場所は、3.10 出水市「LED イルミネーション点灯式」
下田町に続き2ヵ所目は,出水市より依頼を受け平
イベント
高尾野町「本町ため池公園」内農業用用水路
イベント
成高尾野町「本町ため池公園」内農業用用水路
24 年 12 月に設置した.場所は,高尾野町「本町
3.10 出水市
「LEDイルミネーション点灯式」
平成
24
年 月末に設置が終わり、12
11 月末に設置が終わり、12
である。
目的は、
公園内の
LED
外灯の電源、
平成
24
年
11
月 月
である。
目的は、
公園内の
LED
外灯の電源、
ため池公園」内農業用用水路である.目的は,公園内
イベント
日に下田町と同様に地域住民のための水
環境保全に関する意識啓発、地域の環境学習
2525
日に下田町と同様に地域住民のための水
環境保全に関する意識啓発、地域の環境学習
の
LED 外灯の電源,環境保全に関する意識啓発,地域
の環境学習の場,河川法等の申請手続きの確立との要
望であった.
平成 24 年 11 月末に設置が終わり,12 月 25 日に
下田町と同様に地域住民のための水力発電を使ったイ
報告 地域資源を活かしたコミュニティ・エンパワーメント−鹿児島市下田町・出水市高尾野町農業用水発電−
17
力発電を使ったイベントを開催した。環境保
一世帯あたりの平均電力消費量は年間約
全に関する意識啓発、環境学習の場の提供を 4.200kwh と言われる。一日分は 11.5kwh と
力発電を使ったイベントを開催した。環境保
一世帯あたりの平均電力消費量は年間約
目的に、高尾野小学校の児童 40 人に鹿児島 して、単純に 0.5kw相当の発電機と蓄電池
全に関する意識啓発、環境学習の場の提供を 4.200kwh と言われる。一日分は 11.5kwh と
大学大学院理工学研究科による「ものづく
があれば、賄える可能性はある。そのために
目的に、高尾野小学校の児童
40 人に鹿児島 して、単純に
0.5kw相当の発電機と蓄電池
ベントを開催した.環境保全に関する意識啓発,環境
3.12 農業用水発電の展望
り・科学実験」出前授業が地域連携活動とし は、ライフスタイルの見直し、機器のコスト
大学大学院理工学研究科による「ものづく
学習の場の提供を目的に,高尾野小学校の児童 40 人 があれば、賄える可能性はある。そのために
て行われた。実験を通じて発電の仕組みを体 ダウンと水利権、自治体への許可申請の簡素
一世帯あたりの平均電力消費量は年間約 4.200kwh
に鹿児島大学大学院理工学研究科による「ものづくり・ は、ライフスタイルの見直し、機器のコスト
り・科学実験」出前授業が地域連携活動とし
感してもらい、用水路の水で水力発電が稼動 化などが要件となる。
と言われる.一日分は 11.5kwh として,単純に 0.5
科学実験」出前授業が地域連携活動として行われた. ダウンと水利権、自治体への許可申請の簡素
て行われた。実験を通じて発電の仕組みを体
しているところ子供たちは興味深く見学して 3.13 まとめ
kw相当の発電機と蓄電池があれば,賄える可能性は
実験を通じて発電の仕組みを体感してもらい,用水路 化などが要件となる。
感してもらい、用水路の水で水力発電が稼動
いた。点灯式では、地元住民ら約 100 人が参 イベントを開催し、身近な自然エネルギー
ある.そのためには,ライフスタイルの見直し,機器
の水で水力発電が稼動しているところ子供たちは興味 3.13
しているところ子供たちは興味深く見学して
まとめ
加し渋谷俊彦出水市長より「小さな電力では を活用した水力発電装置が地域主体でも取り
のコストダウンと水利権,自治体への許可申請の簡素
深く見学していた.点灯式では,地元住民ら約
100
いた。点灯式では、地元住民ら約
100 人が参
イベントを開催し、身近な自然エネルギー
あるけれど、出水市にとっては大きな可能性 組めることを見てもらった。エネルギ-問題
化などが要件となる.
人が参加し渋谷俊彦出水市長より「小さな電力ではあ を活用した水力発電装置が地域主体でも取り
加し渋谷俊彦出水市長より「小さな電力では
を秘めた代替エネルギーです。今後も鹿児島 や資源問題に対して農山村地域にはエンパワ
るけれど,出水市にとっては大きな可能性を秘めた代 組めることを見てもらった。エネルギ-問題
あるけれど、出水市にとっては大きな可能性
大学と協力しながら推進していきたい」と挨
メントな可能性がある。このシステムには燃
替エネルギーです.今後も鹿児島大学と協力しながら
3.13 まとめ
を秘めた代替エネルギーです。今後も鹿児島
や資源問題に対して農山村地域にはエンパワ
拶があった。児童代表と市長による点灯のボ
料コストはかからないが、集塵カゴの清掃、
推進していきたい」と挨拶があった.児童代表と市長
大学と協力しながら推進していきたい」と挨
メントな可能性がある。このシステムには燃
タンが押され公園内の
LED 外灯と約
2,000 整備、管理と地域人材による人力で運営する
イベントを開催し,身近な自然エネルギーを活用し
による点灯のボタンが押され公園内の
LED 外灯と約
拶があった。児童代表と市長による点灯のボ 料コストはかからないが、集塵カゴの清掃、
球の
LED
イルミネーションに灯りがともっ
ことが必要である。水力発電による農山村の
た水力発電装置が地域主体でも取り組めることを見て
2,000 球の LED イルミネーションに灯りがともった.
タンが押され公園内の LED 外灯と約 2,000 整備、管理と地域人材による人力で運営する
た。
再生には「地域主権」が望ましい。このプロ
もらった.エネルギ-問題や資源問題に対して農山村
球の LED イルミネーションに灯りがともっ ことが必要である。水力発電による農山村の
ジェクトが農山村再構築の一役となりえるこ
地域にはエンパワメントな可能性がある.このシステ
た。
再生には「地域主権」が望ましい。このプロ
とを期待する
ムには燃料コストはかからないが,集塵カゴの清掃,
ジェクトが農山村再構築の一役となりえるこ
【参考文献・資料】
整備,管理と地域人材による人力で運営することが必
とを期待する
[1]新濱仁他
「ポンプ逆転水車に関する研究」
要である.水力発電による農山村の再生には「地域主
【参考文献・資料】
3.11 下田町と出水市発電結果比較
3.11 下田町と出水市発電結果比較
3.11 下田町と出水市発電結果比較
3.12 農業用水発電の展望
3.12 農業用水発電の展望
日本機械学論文集
1999 年
権」が望ましい.このプロジェクトが農山村再構築の
[1]新濱仁他 「ポンプ逆転水車に関する研究」
一役となりえることを期待する.
[2]井岡大度
「採算分岐分析法の小水力発電事
日本機械学論文集 1999 年
業への適用」日本経営工業会誌 1988 年
[2]井岡大度 「採算分岐分析法の小水力発電事
[3]板倉正和・佐藤雅之・大和昌一「これからの
業への適用」日本経営工業会誌 1988 年
【参考文献・資料】 2003 年
小水力発電」富士時報
[3]板倉正和・佐藤雅之・大和昌一「これからの
[1]板倉正和・佐藤雅之・大和昌一「これからの小水
[4]上坂博亨
論文「山間地農家における電力自給の
小水力発電」富士時報
力発電」富士時報2003
2003年
年 」2011 年
ためのマイクロ水力発電システムの構築
山間地農家における電力自給の
[4]上坂博亨
論文「
[2]井岡大度 「採算分岐分析法の小水力発電事業へ
[5]後藤眞宏
農村工学研究所施設資源部上席研
ためのマイクロ水力発電システムの構築
」2011
の適用」日本経営工業会誌 1988
年 年
究員報告「小水力発電の現状と今後の展望」
[5]後藤眞宏
農村工学研究所施設資源部上席研
[3]上坂博亨 論文「山間地農家における電力自給の
[6]後藤眞宏 「小水力利用からみた今後の農村
究員報告「小水力発電の現状と今後の展望」
ためのマイクロ水力発電システムの構築」2011
開発」 農村研究フォ-ラム 2010 年
[6]後藤眞宏
「小水力利用からみた今後の農村
年
[7]小林久「農山村の再生と小水力からみる小規模
[4]小林久「農山村の再生と小水力からみる小規模分
開発」
農村研究フォ-ラム 2010 年
分散型エネルギ-の未来像」農分協 2011 年
散型エネルギ-の未来像」農分協 2011 年
[7]小林久「農山村の再生と小水力からみる小規模
[8]清水徹朗「小水力の現状と普及の課題」農林
[5]後藤眞宏 農村工学研究所施設資源部上席研究員
分散型エネルギ-の未来像」農分協
2011 年
金融 2012 年
報告「小水力発電の現状と今後の展望」
[8]清水徹朗「小水力の現状と普及の課題」農林
[9]千矢博道「小型水力発電実例集」パワ-社 2006
[6]後藤眞宏 金融
2012 年 「小水力利用からみた今後の農村開発」
年
農村研究フォ-ラム
2010 年
[9]千矢博道
「小型水力発電実例集」
パワ-社 2006
年[7]清水徹朗「小水力の現状と普及の課題」農林金融
2012 年
[8]新濱仁 他 「ポンプ逆転水車に関する研究」日
本機械学論文集 1999 年
18
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
[9]千矢博道「小型水力発電実例集」パワ-社 2006
年
[10]永井健太郎他「中国地方の小水力の歴史」長崎大
学総合環境研究 2009 年
[11]中島羊介他「農業用水の活用による小水力発電の
可能性」2009 年
[12]南日本新聞「下田町新聞」2011 年7月 26 日記事・
2011 年 12 月 21 日記事「小水力発電,中山間地
に光」2012 年 8 月 30 日記事
いわかわ
なおひろ
岩川 直浩 鹿児島市在住
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程在学
テラル株式会社 鹿児島営業所所長
自社製品を応用したポンプ逆転水車方式による簡易水
力発電を研究している.
報告 地域資源を活かしたコミュニティ・エンパワーメント−鹿児島市下田町・出水市高尾野町農業用水発電−
19
報告
集落の花見
−鹿児島県伊佐市大口白木集落の事例より−
人文社会科学研究科 博士後期課程 文化政策コース 1 年
熊 華磊
4.1 はじめに
き,その様々な要素を捉える必要があると考えている.
そこで本研究では,鹿児島県伊佐市大口白木集落の
日本では,花といえば桜を指すというほど,桜は日
花見を調査対象とし,その出現の前後から現在にいた
本の代表的な花である.そして,今日の日本では,花
る過程を描き,集落の花見について考察することを目
見が,人々と桜とが最も濃く接触する場面となってい
的とする.本稿では,花見を,集落をエンパワーメン
る.
トする行事の一つとして捉えている.これによって,
花見は,その起源を古代に求めることができ,現在
では日本人にとってある種の慣習となっている.しか
ある行事が集落という地域をエンパワーメントする実
際の場面について理解を深めることが出来るだろう.
し,花見が日本全国で行われるようになったのは明治
以降であると考えられる.つまり,現代日本における
4.2 調査地及び調査対象の概要
花見の歴史は,百数十年しか経っていないのである.
このような花見に関する先行研究は少なくないが,
4.2.1 調査地の概要
概ね,山田孝雄の『櫻史』[山田 1941]や有岡利幸
大口白木集落(以下白木集落と記す)は,川内川支
の『桜Ⅰ』,
『桜Ⅱ』
[有岡 2007]等に代表される「花
流羽月川の西部山間地,白木川流域に位置し,地内を
見の歴史的展開に関する研究」と,白幡洋三郎の『花
出水往還が通る[角川日本地名大辞典:357].
見と桜-〈日本的なもの〉再考-』[白幡 2000]や
白木集落は,もともとは白木上と白木下に分かれて
陳珏勲の「『花見』の人類学的研究―宮城県仙台市に
おり,それぞれの公民館を有していたが,大きな行事
おけるフィールドワークに基づいて―」[陳 2005]
の時は合同で行っていた.両集落は,2004 年(平成
等に代表される「現代の花見に関する研究」という 2
16)年に現在の白木公民館が落成したことをもって合
種類の研究に分けることができる.
併し,現在に至っている.
「花見の歴史的展開に関する研究」によって,異な
白木集落の人口推移は,以下の表を参照されたい.
る時代や地域のなかで,花見の様々な要素に生じた変
化が明らかとなった 1.「現代の花見に関する研究」で
は,花見の多くを「日本」という国民国家レベルの範
囲で捉え,花見の中でも,とりわけ「花を見る」とい
う行為にのみ焦点をあてる傾向がある.そこで,筆者
は花見を特定の地域と時代のコンテキストのなかに置
1 例えば,花見の参加者という要素に関しては,最初の公家か
ら武家に広がり,江戸時代に庶民階層に広がり,さらに明治
以降国民まで広がった.
報告 集落の花見−鹿児島県伊佐市大口白木集落の事例より−
21
表 1.白木集落人口推移表2
表 1.白木集落人口推移表22
表350
1.白木集落人口推移表
2
表 1.白木集落人口推移表
301
300 301 273 273 255 245
350
2
273 273 255
350
250350
表301
1.白木集落人口推移表
301
300
245
273273
273273
255
300
200
245
255
250300117 122 122 113
245
250
150250350 301
200
84
世帯数
273
273
122
122
117
200
100200
113 255 245
300 122122
150
122
84
117
122
世帯数
113113
150
50150250117
人口
100
84 84
世帯数
世帯数
100
500100200
人口
122
122
113
500 50
150 117
人口
84 人口
世帯数
0 0
100
50
人口
0
写真 1 の左側で大きな木に囲まれているのが、白木
写真
1 の左側で大きな木に囲まれているのが、白木
神社である。白木神社は小高い山に位置し、そこから
写真
1 1の左側で大きな木に囲まれているのが、白木
写真
の左側で大きな木に囲まれているのが、白木
神社である。白木神社は小高い山に位置し、そこから
降りると白木川が流れている。橋を渡ると、両側には
神社である。白木神社は小高い山に位置し、そこから
神社である。白木神社は小高い山に位置し、そこから
写真 1 の左側で大きな木に囲まれているのが、白木
降りると白木川が流れている。橋を渡ると、両側には
畑が広がっている。100 メートルくらい歩くと、国道
降りると白木川が流れている。橋を渡ると、両側には
降りると白木川が流れている。橋を渡ると、両側には
神社である。白木神社は小高い山に位置し、そこから
畑が広がっている。100
メートルくらい歩くと、国道
447
号線に突き当たるが、その国道沿いに白木公民館
畑が広がっている。100
メートルくらい歩くと、国道
畑が広がっている。100
メートルくらい歩くと、国道
降りると白木川が流れている。橋を渡ると、両側には
447
号線に突き当たるが、その国道沿いに白木公民館
写真
1
の左側で大きな木に囲まれているのが,白木
がある。そして、白木集落の多くの家は国道を渡った
447
号線に突き当たるが、その国道沿いに白木公民館
447
号線に突き当たるが、その国道沿いに白木公民館
畑が広がっている。100
メートルくらい歩くと、国道
がある。そして、白木集落の多くの家は国道を渡った
神社である.白木神社は小高い山に位置し,そこから
ところにある。左手は白木上となり、右手は白木下と
がある。そして、白木集落の多くの家は国道を渡った
がある。そして、白木集落の多くの家は国道を渡った
447 号線に突き当たるが、その国道沿いに白木公民館
ところにある。左手は白木上となり、右手は白木下と
降りると白木川が流れている.橋を渡ると,両側には
なる。写真
1 と図 1 からわかるように、白木神社と白
ところにある。左手は白木上となり、右手は白木下と
ところにある。左手は白木上となり、右手は白木下と
がある。そして、白木集落の多くの家は国道を渡った
なる。写真
1
と図 1 メートルくらい歩くと,国道
からわかるように、白木神社と白
畑が広がっている.100
木公民館は、白木集落の中心に位置している。
なる。写真
1 1と図
なる。写真
と図1 1からわかるように、白木神社と白
からわかるように、白木神社と白
ところにある。左手は白木上となり、右手は白木下と
447木公民館は、白木集落の中心に位置している。
号線に突き当たるが,その国道沿いに白木公民館
木公民館は、白木集落の中心に位置している。
木公民館は、白木集落の中心に位置している。
なる。写真 1 と図 1 からわかるように、白木神社と白
がある.そして,白木集落の多くの家は国道を渡った
4.2.2
調査対象の概要
木公民館は、白木集落の中心に位置している。
ところにある.左手は白木上となり,右手は白木下と
4.2.2 調査対象の概要
表 1 からわかるように、人口が年々減少していく傾
4.2.2調査対象の概要
調査対象の概要
4.2.2
なる.写真 1 と図 1 からわかるように,白木神社と白
表
1 からわかるように、人口が年々減少していく傾
向がある。また、白木集落の平成
24
年の高齢者数は
白木集落の花見は、桜が咲く時期である
4 月の最初
表
1
からわかるように、人口が年々減少していく傾
表 1 からわかるように、人口が年々減少していく傾
4.2.2 調査対象の概要
表 1. 白木集落人口推移表 ²
木公民館は,白木集落の中心に位置している.
向がある。また、白木集落の平成
24
年の高齢者数は
白木集落の花見は、桜が咲く時期である
4
月の最初
年の高齢者数は
白木集落の花見は、桜が咲く時期である44月の最初
月の最初
92 向がある。また、白木集落の平成
名で、人口の
38%以上を占めている。いわゆる典
の日曜日に毎年行われる。毎年の花見では、太鼓踊り
向がある。また、白木集落の平成
24 24
年の高齢者数は
白木集落の花見は、桜が咲く時期である
表 1 からわかるように、人口が年々減少していく傾
表 1 からわかるように,人口が年々減少していく傾
92
名で、人口の
38%以上を占めている。いわゆる典
の日曜日に毎年行われる。毎年の花見では、太鼓踊り
92向がある。また、白木集落の平成
名で、人口の
38%以上を占めている。いわゆる典
の日曜日に毎年行われる。毎年の花見では、太鼓踊り
型的な過疎化、高齢化が進んでいる地域である。
と棒踊り、そして婦人部による手踊りという
種の民
92
名で、人口の
38%以上を占めている。いわゆる典
24 年の高齢者数は の日曜日に毎年行われる。毎年の花見では、太鼓踊り
白木集落の花見は、桜が咲く時期である 43月の最初
向がある.また,白木集落の平成 24 年の高齢者数は
4.
2.2 調査対象の概要
型的な過疎化、高齢化が進んでいる地域である。
と棒踊り、そして婦人部による手踊りという
3
種の民
型的な過疎化、高齢化が進んでいる地域である。
と棒踊り、そして婦人部による手踊りという
種の民
白木の就業形態について、具体的なデータを入手で
俗芸能が交替で行われる。以下、写真を利用して白木
92 名で、人口の
38%以上を占めている。いわゆる典 白木集落の花見は,桜が咲く時期である
の日曜日に毎年行われる。毎年の花見では、太鼓踊り
型的な過疎化、高齢化が進んでいる地域である。
と棒踊り、そして婦人部による手踊りという
33種の民
92 名で,人口の
38% 以上を占めている.いわゆる典
4 月の最初
白木の就業形態について、具体的なデータを入手で
俗芸能が交替で行われる。以下、写真を利用して白木
白木の就業形態について、具体的なデータを入手で
俗芸能が交替で行われる。以下、写真を利用して白木
きていないが、インフォーマントによると、大多数は
集落の花見の様子を紹介する。
型的な過疎化、高齢化が進んでいる地域である。 の日曜日に毎年行われる.毎年の花見では,太鼓踊り
と棒踊り、そして婦人部による手踊りという 3 種の民
白木の就業形態について、具体的なデータを入手で
俗芸能が交替で行われる。以下、写真を利用して白木
型的な過疎化,高齢化が進んでいる地域である.
きていないが、インフォーマントによると、大多数は
集落の花見の様子を紹介する。
きていないが、インフォーマントによると、大多数は
集落の花見の様子を紹介する。
白木の就業形態について、具体的なデータを入手で
俗芸能が交替で行われる。以下、写真を利用して白木
専業か兼業で農業に就業している。
きていないが、インフォーマントによると、大多数は
集落の花見の様子を紹介する。
白木の就業形態について,具体的なデータを入手で
と棒踊り,そして婦人部による手踊りという
3 種の民
専業か兼業で農業に就業している。
専業か兼業で農業に就業している。
きていないが、インフォーマントによると、大多数は
集落の花見の様子を紹介する。
2.白木公民館前での太鼓踊りの練習(2011
写真
白木集落における公民館や神社、白木上、白木下な
専業か兼業で農業に就業している。
きていないが,インフォーマントによると,大多数は
俗芸能が交替で行われる.以下,写真を利用して白木 年 4
2.白木公民館前での太鼓踊りの練習(2011
写真
白木集落における公民館や神社、白木上、白木下な
2.白木公民館前での太鼓踊りの練習(2011
年4
写真
白木集落における公民館や神社、白木上、白木下な
専業か兼業で農業に就業している。
月
32.白木公民館前での太鼓踊りの練習(2011
日
筆者撮影)
どの位置関係は、以下の写真と地図を用いて説明する。
年4
写真
白木集落における公民館や神社、白木上、白木下な
専業か兼業で農業に就業している.
集落の花見の様子を紹介する.
月月3 3日日 2.白木公民館前での太鼓踊りの練習(2011
筆者撮影)
どの位置関係は、以下の写真と地図を用いて説明する。
筆者撮影)
どの位置関係は、以下の写真と地図を用いて説明する。
年4
白木集落における公民館や神社、白木上、白木下な
1.白木神社付近から見た白木集落
(2012 年 12 月
写真
月 3写真
日 筆者撮影)
どの位置関係は、以下の写真と地図を用いて説明する。
白木集落における公民館や神社,白木上,白木下な
1.白木神社付近から見た白木集落
(2012
年
12
月
写真
1.白木神社付近から見た白木集落
(2012
年
12
月
写真
月 3 日 筆者撮影)
どの位置関係は、以下の写真と地図を用いて説明する。
13
日
筆者撮影)
どの位置関係は,以下の写真と地図を用いて説明する.
1.白木神社付近から見た白木集落
(2012 年 12 月
写真
13 日
13写真
日筆者撮影)
筆者撮影)
1.白木神社付近から見た白木集落(2012 年 12 月
13 日 筆者撮影)
13 日
筆者撮影)
写真2.白木公民館前での太鼓踊りの練習
写真1.白木神社付近から見た白木集落
(2012 年 12 月 13 日 筆者撮影)
図 1.白木集落の位置関係図
図 1.白木集落の位置関係図
図 1.白木集落の位置関係図
図 1.白木集落の位置関係図
図 1.白木集落の位置関係図
3.白木神社での太鼓踊りの奉納(2011
年4月3
写真 (2011 年 4 月 3 日 筆者撮影)
3.白木神社での太鼓踊りの奉納(2011 年
年4
4月
写真3.白木神社での太鼓踊りの奉納(2011
月 33
写真
日 3.白木神社での太鼓踊りの奉納(2011
筆者撮影)
年4月3
写真
筆者撮影)
3.白木神社での太鼓踊りの奉納(2011 年 4 月 3
日日写真
筆者撮影)
日 筆者撮影)
日 筆者撮影)
写真3.白木神社での太鼓踊りの奉納
(2011 年 4 月 3 日 筆者撮影)
図1.白木集落の位置関係図
2 本表は平成
2 本表は平成
24 24
年を除き、例年の『統計いさ』に基づき筆者
年を除き、例年の『統計いさ』に基づき筆者
2 本表は平成 24 年を除き,例年の『統計いさ』に基づき筆者
2作成。平成
本表は平成
24
年を除き、例年の『統計いさ』に基づき筆者
24
年はインフォーマントの提供したデータにより
作成。平成
24
年はインフォーマントの提供したデータにより
作成.平成
年はインフォーマントの提供したデータによ
2 本表は平成
2 本表は平成
24 年を除き、例年の『統計いさ』に基づき筆者
2424
年を除き、例年の『統計いさ』に基づき筆者
作成。平成
24 年はインフォーマントの提供したデータにより
作成。また、世帯数の
8484
は戸数となる。
作成。また、世帯数の
は戸数となる。
り作成.また,世帯数の
84
は戸数となる.
作成。平成
24 年はインフォーマントの提供したデータにより
作成。平成
24 年はインフォーマントの提供したデータにより
作成。また、世帯数の 84 は戸数となる。
作成。また、世帯数の
84
は戸数となる。
作成。また、世帯数の 84 は戸数となる。
22
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
写真 4.白木神社での婦人部による手踊りの奉納(2012
の歴史を持ち、少なくとも花見が出現する以前からあ
年4月1日
った芸能である。以下では、この 2 つの芸能がどのよ
筆者撮影)
写真 4.白木神社での婦人部による手踊りの奉納(2012
年4月1日
筆者撮影)
うな場面で行われたのかについて考察する。
の歴史を持ち、少なくとも花見が出現する以前からあ
った芸能である。以下では、この 2 つの芸能がどのよ
a. 太鼓踊り
うな場面で行われたのかについて考察する。
『大口市郷土誌』の記述によると、白木の太鼓踊り
ような場面で行われたのかについて考察する.
は、旧大口市では白木だけに伝わるもので、その期日
a. 太鼓踊り
a. 太鼓踊り
と場所に関して、昔は旧 7 月 18 日、羽月のお諏訪様
『大口市郷土誌』の記述によると、白木の太鼓踊り
『大口市郷土誌』の記述によると,白木の太鼓踊り
に奉納したとされている[大口市郷土史編さん委員会
は、旧大口市では白木だけに伝わるもので、その期日
は,旧大口市では白木だけに伝わるもので,その期日
1981:765]。
と場所に関して、昔は旧
月 18 日、羽月のお諏訪様
と場所に関して,昔は旧
7 月 187日,羽月のお諏訪様
また、インフォーマントによれば、白木の太鼓踊り
に奉納したとされている[大口市郷土史編さん委員会
に奉納したとされている[大口市郷土史編さん委員会
は、太閣秀吉が朝鮮出兵の際、薩摩藩も命令によって
1981:765]。
1981:765]
.
写真 5.白木公民館での手踊りの披露と、集落住民たち
出兵し、その凱旋(実際は凱旋ではないが)を祝って
また、インフォーマントによれば、白木の太鼓踊り
また,インフォーマントによれば,白木の太鼓踊り
写真4.白木神社での婦人部による手踊りの奉納 の花見(2012 年 4 月 1 日 筆者撮影)
踊られたのが始まりだという。
(2012 年 4 月 1 日 筆者撮影)
は、太閣秀吉が朝鮮出兵の際、薩摩藩も命令によって
は,太閣秀吉が朝鮮出兵の際,薩摩藩も命令によって
さらに、
「第 25 回鹿児島県民俗芸能発表大会」の紹
写真 5.白木公民館での手踊りの披露と、集落住民たち出兵し,その凱旋(実際は凱旋ではないが)を祝って
出兵し、その凱旋(実際は凱旋ではないが)を祝って
介冊子のなかで、「この踊りにはビナマキがある。ビ
踊られたのが始まりだという.
の花見(2012 年 4 月 1 日 筆者撮影)
踊られたのが始まりだという。
ナは巻き貝のことで、これは稲虫を発生させる根元の
さらに,
「第 25
回鹿児島県民俗芸能発表大会」の紹
さらに、
「第
25 回鹿児島県民俗芸能発表大会」の紹
御霊を巻き占めて外へ送り出すことを表現している
介冊子のなかで,
「この踊りにはビナマキがある.ビ
介冊子のなかで、
「この踊りにはビナマキがある。ビ
ものとか、また、雨乞いにおける竜神を表現している
ナは巻き貝のことで,これは稲虫を発生させる根元の
ナは巻き貝のことで、これは稲虫を発生させる根元の
ものとも言われ、この踊りの性格を考える上で興味深
御霊を巻き占めて外へ送り出すことを表現しているも
御霊を巻き占めて外へ送り出すことを表現している
い」[鹿児島県教育委員会 1985]という記述がある。
のとか,また,雨乞いにおける竜神を表現しているも
ものとか、また、雨乞いにおける竜神を表現している
上述の文献資料やインフォーマントの話をまとめ
のとも言われ,この踊りの性格を考える上で興味深い」
ものとも言われ、この踊りの性格を考える上で興味深
ると、白木の太鼓踊りは元々「戦勝」を祝う戦場踊り
[鹿児島県教育委員会 1985]という記述がある.
写真5.白木公民館での手踊りの披露と,集落住民た
い」[鹿児島県教育委員会 1985]という記述がある。
ちの花見(2012 年 4 月 1 日 筆者撮影)
であったが、踊り手が農民を主としていた為、「ビナ
上述の文献資料やインフォーマントの話をまとめる
上述の文献資料やインフォーマントの話をまとめ
現在の白木集落の花見では、踊り子たちは、昼前に、
マキ」などの農耕的要素も取り入れられたと考えられ
と,白木の太鼓踊りは元々「戦勝」を祝う戦場踊りで
ると、白木の太鼓踊りは元々「戦勝」を祝う戦場踊り
あったが,踊り手が農民を主としていた為,
「ビナマ
公民館へと集まって踊りを一度練習する。その後、白
る。最初は「戦勝」を祝う為に踊られた白木の太鼓踊
現在の白木集落の花見では,踊り子たちは,昼前
であったが、踊り手が農民を主としていた為、「ビナ
に,公民館へと集まって踊りを一度練習する.その
木神社にのぼり、踊りを奉納してから再び公民館前にキ」などの農耕的要素も取り入れられたと考えられる.
りは、その後、農民の生活の中に溶け込んで、お盆の
現在の白木集落の花見では、踊り子たちは、昼前に、
マキ」などの農耕的要素も取り入れられたと考えられ
最初は「戦勝」を祝う為に踊られた白木の太鼓踊りは,
後,白木神社にのぼり,踊りを奉納してから再び公民
戻り、集まってきた集落住民の前で踊りを披露する。
時期、羽月ではお諏訪様を奉納する為に踊られるよう
公民館へと集まって踊りを一度練習する。その後、白その後,農民の生活の中に溶け込んで,お盆の時期,
る。最初は「戦勝」を祝う為に踊られた白木の太鼓踊
館前に戻り,集まってきた集落住民の前で踊りを披露
その後、集まった集落住民たちは、午後 3 時まで、弁
になったのであった。
木神社にのぼり、踊りを奉納してから再び公民館前に
りは、その後、農民の生活の中に溶け込んで、お盆の
羽月ではお諏訪様を奉納する為に踊られるようになっ
する.その後,集まった集落住民たちは,午後
3時
当を食べたり、焼酎を飲んだりして花見をする。2011
戻り、集まってきた集落住民の前で踊りを披露する。
時期、羽月ではお諏訪様を奉納する為に踊られるよう
まで,弁当を食べたり,焼酎を飲んだりして花見をす
年、余興としては、輪投げゲームが行われ、2012 年 たのであった.
b. 棒踊り
その後、集まった集落住民たちは、午後
3 時まで、弁
になったのであった。
る.2011
年,余興としては,輪投げゲームが行われ,
大口地域全体の棒踊りについて、 『大口市の文化
には、余興は少なかったが、行政の方々があいさつを
当を食べたり、焼酎を飲んだりして花見をする。2011
b. 棒踊り
2012
年には,余興は少なかったが,行政の方々があ
財-調査報告第一集』によると、棒踊りの踊られる期
しに来る人が多かった。
年、余興としては、輪投げゲームが行われ、2012 年 大口地域全体の棒踊りについて,
b. 棒踊り
『大口市の文化財
いさつをしに来る人が多かった.
日は、旧 2 月から 5 月にかけての、打植祭り、馬頭観
大口地域全体の棒踊りについて、 『大口市の文化
には、余興は少なかったが、行政の方々があいさつを-調査報告第一集』によると,棒踊りの踊られる期日
音の祭り、お田植祭りなど、すなわち農耕予祝祭、田
4.3 花見が出現する以前、以後、そして現在ま
は,旧
2 月から 5 月にかけての,打植祭り,馬頭観音
財-調査報告第一集』によると、棒踊りの踊られる期
しに来る人が多かった。
4.
3 花見が出現する以前,以後,そして現在
耕直前の祈願祭、田植などの時期に踊られるのが原則
でのプロセス
の祭り,お田植祭りなど,すなわち農耕予祝祭,田耕
日は、旧 2 月から 5 月にかけての、打植祭り、馬頭観
までのプロセス
であるとされる[永井利実等 1972:126-127]。
音の祭り、お田植祭りなど、すなわち農耕予祝祭、田
4.3 花見が出現する以前、以後、そして現在ま直前の祈願祭,田植などの時期に踊られるのが原則で
白木の棒踊りに関しては、「平佐」と「ウチワケ」
4.3.1 花見が出現する以前の民俗芸能
あるとされる[永井利実等 1972:126-127]
.
4.
3.1 花見が出現する以前の民俗芸能
耕直前の祈願祭、田植などの時期に踊られるのが原則
でのプロセス
と
2
種類がある。
「大口ふれあいセンター」
4 階にある
白木の棒踊りに関しては,
「平佐」と「ウチワケ」
前節の花見の概要で紹介したように,白木集落の花
1972:126-127]。
であるとされる[永井利実等
前節の花見の概要で紹介したように、白木集落の花
歴史資料館の資料によれば、「平佐」は「花見の日の
見では 3 種の民俗芸能が行われてきた.その中でも, と 2 種類がある.「大口ふれあいセンター」4 階にあ
白木の棒踊りに関しては、「平佐」と「ウチワケ」
4.3.1 花見が出現する以前の民俗芸能
見では 3 種の民俗芸能が行われてきた。その中でも、
旧 3 月 10 日に白木神社と富士の権現様で踊」
る歴史資料館の資料によれば,
「平佐」は「花見の日られた。
婦人部の手踊りを除いた,太鼓踊りと棒踊りはかなり
と 2 種類がある。
「大口ふれあいセンター」4 階にある
婦人部の手踊りを除いた、太鼓踊りと棒踊りはかなりの旧 3また、
月 10『大口市郷土誌』のなかで「ウチワケ」に関し
日に白木神社と富士の権現様で踊」られ
の歴史を持ち,少なくとも花見が出現する以前から
前節の花見の概要で紹介したように、白木集落の花
歴史資料館の資料によれば、「平佐」は「花見の日の
あった芸能である.以下では,この 2 つの芸能がどの
た.また,
『大口市郷土誌』のなかで「ウチワケ」に
見では 3 種の民俗芸能が行われてきた。その中でも、
旧 3 月 10 日に白木神社と富士の権現様で踊」
られた。
婦人部の手踊りを除いた、太鼓踊りと棒踊りはかなり
また、『大口市郷土誌』のなかで「ウチワケ」に関し
報告 集落の花見−鹿児島県伊佐市大口白木集落の事例より−
23
関して,
「昔は旧 4 月 3 日に白木下の鳥廻氏宅の上の
「小さい頃から花見があった.婦人会の手踊り,
バトカン様に踊った.今は旧 6 月適日に白木神社で踊
棒踊りがあったんだろうね.みんな手弁当で
る」
[大口市郷土誌編さん委員会 1981:711]と
行った.花見は部落の一番の娯楽だった.白木
いう記述がある.
神社はわれわれ子供にとっても遊び場だった」.
棒踊りに関する上記の内容から,白木の棒踊りは農耕
信仰に基づいた行事の際に踊られてきたことがわかる.
・ 太鼓踊りについて
「太鼓踊りは(戦時中)一回途絶えたが,昭和
29 年に復活された」,「私は初めて踊ったのは
4.3.2 花見が出現してからの歴史
18 歳の時,市の福祉会館の落成式で踊った.
前節では,白木の太鼓踊りも棒踊りも,花見が出現
デパートや,人の家をも回って,帰りは深夜の
する以前には,農耕信仰に基づいた伝統行事の際に踊
2 時頃だった」,「平成 18 年忠元公園の桜まつ
られることが多かったことを確認した.以下では,白
りにも踊った.校区の文化祭にも 2 回踊った」.
木集落における花見の歴史や,民俗芸能が花見の際に
行われるようになった経緯,そして,農耕信仰に基づ
c. インフォーマント C(男性,84 歳,白木出身)
いた伝統行事の現在の状況について,聞き取り調査で
・ 白木の花見について
得た 3 人のインフォーマントの話から確認したい.
「小さい頃からあったから,100 年ぐらいの歴
史があるんじゃないかと言える」「昔の花見は
a. インフォーマント A(女性,83 歳,大口牛尾
出身)
盛大に行われていた.出店もあって,子供たち
はケンカして,焼酎がまわったら,大人たちま
・ 白木の花見について
でケンカしてしまった.ナンコ大会もあった」,
「公民館ができた前,観音様で花見をやってい
た.部落の人達は概ね登ってお見舞いするよ.
「山が茂っていないから,桜があった.神社の
境内から参道までずっと桜並木だった」.
花見をしなければ損するという気持ちがあっ
・ 踊りについて
た」,「昔,主人のおばさんをつれて登っていっ
「50 年ぐらい前から花見の時期に棒踊りや手
た.里帰りとしてすごく喜んでくれた」.
踊りがあった.太鼓踊りもあったが,花見と
・ 白木の伝統行事について
いうより,市のイベントで,市内を回ってお
「田の神講は覚えていない.田の神さあにお餅
金を稼いだ.晩の 12 時以降まで踊った」.
を供えることしか覚えていない.今もう消えた
のではないか」,「白木には山の神祭り(ヤマン
これら 3 人のインフォーマントの話をまとめると,
カンマツイ)が 1 年に 1 回正月の頃,まわりば
花見については,集落全体の行事の中で一番の娯楽で
んこでやってきた.夜になって,すき焼きを何
あったのと同時に,白木神社に祀っている白木観音様
台も準備して食べながら飲んでいた」,「山の神
への参拝でもあったため,「行かなきゃ」という共通
祭りも消えた.10 年ぐらいかな.久しくない
認識があった.また,民俗芸能については,花見の時
かも」,「そういうのは一つの楽しみ.人々は慰
期に棒踊りや手踊りがあったのは少なくとも 50 年前
み,交流の場を求めたんだろうね.しかし,世
からである.太鼓踊りに関しては,花見で踊られると
代が変わってきたから,そういうのは準備にい
いうより,何か大きなイベントを祝う為に,様々な場
ろいろ気を使わなければならない.小さい世代
所で踊られるという性質があった.最後に,農耕信仰
ではなかなか難しい」.
に基づいた伝統行事については,田の神講や山の神祭
り,馬頭観音祭りなどのような伝統行事はほとんど見
b. インフォーマント B(男性,71 歳,白木出身)
られなくなった.
・ 白木の花見について
24
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
4.3.3 花見が今日に至るまでの変化
以下では,聞き取り調査で気づいた花見の今日に至
るまでの 3 つの大きな変化について考察を行なう.
を頼んだ」,「昔は焼酎を飲みながら,家々を回りなが
ら踊ったが,今はまわらん.頼んでくれる人がいない
から,お金もかかる」という.
インフォーマントの話では,昔は花見の際に,踊り
a. 弁当
を現在のように,公民館と神社だけで踊るのではなく,
インフォーマント A によると, 「ここ 4,5 年は弁
頼んでくれる家や,練習の場を提供してくれた家々を
当を取るようになったが,以前は班ごとにみんなで家
もまわったそうである.昔の踊りが集落をまわった場
から材料を持ち寄せて,一緒に花見のお弁当を準備し
面をイメージすると,花見の楽しい雰囲気が集落全体
た.それこそいい交流の場だった.今は班ごとに店で
を巻き込み,花見によって家と集落とのつながりが生
弁当を取っているが,食べたいものを自宅で作って自
み出されていたといえる.しかし,現在の花見では,
分の家族で食べることもあった」という.
踊りは集落の共同場所である神社と公民館前でしか踊
昔の弁当の準備の仕方をイメージすると,それぞれ
の家から持ち寄せてきた種々の食材を見るのも一つの
られなくなり,花見の際における家と集落とのつなが
りが見えにくくなるのではないかと考えられる.
楽しみで,また,それらの食材をどのような料理に仕
上げるかについての相談や,役割の分担もあったのだ
c. 子供
ろう.それが A さんの言う交流の一つだと言える.そ
インフォーマント A によると,
「
(最近)子供が参加
して,弁当は,各班で量や内容が異なっていたかもし
しないというのはどういうことかな」
,
「親は連れて行こ
れないが,それを班ごとに比べることも一つの楽しみ
うとしない.だんだん部落に関心がなくなっていくわ
であり,同時に班ごとで同じ献立の弁当を食べること
けだね.ほかに楽しみもいっぱいあるから,今の子供
は,班内の家族による「食の共有」ともなっていたの
たちの感覚はわからない」という.インフォーマント B
であった.
によると,
「大きなイベントとして花見と六月灯,十五
しかし,現在では,高齢化や核家族化,また,会社
夜,鬼火焚きが挙げられる.その中で六月灯と十五夜
で仕事している人の増加につれて,昔のような弁当の
は子供の部でやっている」
,
「子供は踊りに関心はない.
準備ができなくなっている.従来の弁当に代わって,
何かのイベントがあれば来る.例えば去年金魚すくい
班ごとに店で取るようになった.共同で弁当を作る過
を出した時.また,わたあめ機を購入することも考え
程における楽しみや交流,役割が消えるのとともに,
ている.子供が来ないと元気がないから」という.
それぞれの家は自分の料理だけを楽しむことによっ
て,食の共有も少なくなっていくと考えられる.
子供が花見に来なくなる原因として,次の 2 点が挙
げられていることがわかる.1つは,昔は楽しみが少
なく,花見は子供にとって一番の楽しみになっていた
b. 踊り
が,現在では楽しみが多くなった為,子供が花見や踊
インフォーマント A によると,
「前踊りは村をまわっ
りに対してそれほど関心を持たなくなったこと.2 つ
た.隣りの部落まで行かれたそうだ.平成 13 年隣り
は,親の世代が集落の行事に対して義務的な気持ちだ
の家ができた時に,家の前で踊られていた」という.
け強く持つようになり,自発的に関わろうとする気持
インフォーマント B によると,「昔青年団で棒踊りを
ちが薄くなっていること.子供が来なくなることで,
した頃,今の公民館前の広場のようなところがないの
花見は活気を失っていくと考えられている.
で,人の家で毎晩(練習)した.その際,隣近所はよ
くお茶を出して,おにぎりを持ってきてくれた.それ
4.4 考察と結論
で,花見の最後は練習の場所を提供してくれた家を全
部まわった」という.インフォーマント C によると,
「18 年前,息子の家が建てられた年の花見に,棒踊り
4.4.1 考察
前章では,白木の花見が出現する以前,以後,そして
報告 集落の花見−鹿児島県伊佐市大口白木集落の事例より−
25
現在までのプロセスを記述した.花見を白木集落のエン
パワーメントとして捉え,花見のプロセスとエンパワー
メントとの関係を図示すると,以下のようになる.
伝統行事
在までのプロセスを描き,さらに,それに「エンパワー
と地域との関係を明らかにした。
メント」と「多様性」の概念を重ねて考察し,花見と
結論としては、一つの地域において、ある行事を通
地域との関係を明らかにした.
図 2.白木集落の花見のプロセス
昔の花見
トの中で捉え,花見が出現する以前,以後,そして現
してエンパワーメントする場合、その行事の内部にい
結論としては,一つの地域において,ある行事を通
かなる多様性を持たせ、それによっていかなる多様な
現在の花見
してエンパワーメントする場合,その行事の内部にい
人々を引きつけられるかによって、そのエンパワーメ
ント性の強さが左右されるのだという点を指摘でき
かなる多様性を持たせ,それによっていかなる多様な
民俗芸能
の移行
3 つの変
化
る。人々を引きつけられるかによって,そのエンパワーメ
今後の課題として、地域における多様な人々が、地
ント性の強さが左右されるのだという点を指摘できる.
域内行事におけるどのような内容に興味を持つのか
今後の課題として,地域における多様な人々が,地
について明らかす必要があるだろう。さらなる研究に
域内行事におけるどのような内容に興味を持つのかに
取り組んでいきたい。
エンパワーメント性(色の濃い部分は強い)
図 2. 白木集落の花見のプロセス
白木集落では、太鼓踊りや棒踊りといった民俗芸能
ついて明らかす必要があるだろう.さらなる研究に取
り組んでいきたい.
参考文献
[1] 有岡利幸,2007,『桜 I』, 『桜 II』,「ものと人間の
が、次第に花見のなかに取り込まれていった。また、
文化史 137-1」,法政大学出版局.
花見は、馬頭観音祭りや山の神祭りなどのような農耕
[2] 大口市郷土誌編さん委員会,1981,『大口市郷土誌
信仰に基づいた伝統行事に代わり、集落の一番の楽し
上巻』,鹿児島県大口市.
みとなっていた。これは、花見が従来の伝統行事と比
[3] 鹿児島県教育委員会,1985,『第 25 回鹿児島県民俗
べて、しきたりや信仰要素がない分、多様な人が参加
芸能発表大会』,鹿児島県教育委員会.
白木集落では,太鼓踊りや棒踊りといった民俗芸能
参考文献
[1]有岡利幸 ,2007,『桜 I』, 『桜 II』,「ものと人間
の文化史 137-1」, 法政大学出版局 .
が,次第に花見のなかに取り込まれていった.また,
花見は,馬頭観音祭りや山の神祭りなどのような農耕
[2]大口市郷土誌編さん委員会 ,1981,『大口市郷土誌
上巻』, 鹿児島県大口市 .
信仰に基づいた伝統行事に代わり,集落の一番の楽し
[4] 白幡洋三郎,2000,『花見と桜―〈日本的なるもの〉
できる性格を持ち、太鼓踊りや棒踊り、手踊りのよう
[3]鹿児島県教育委員会
,1985,『第 25 回鹿児島県民
みとなっていた.これは,花見が従来の伝統行事と比
新書.
な、多様な要素を取り入れることもできるからである。 再考―』,PHP
[5] 陳珏勲,2005,「
「花見」の人類学的研究―宮城県仙
それによって、花見は強いエンパワーメント性を発揮
俗芸能発表大会』,
鹿児島県教育委員会 .
べて,しきたりや信仰要素が少ない分,多様な人が参
台市におけるフィールドワークに基づいて―」,
『東北
することになった。
[4]白幡洋三郎 ,2000,『花見と桜―〈日本的なるもの〉
加できる性格を持ち,太鼓踊りや棒踊り,手踊りのよ
しかし、最近の花見における変化から、花見のエン
うな,多様な要素を取り入れることもできるからであ
人類学論壇 』(4),東北大学大学院文学研究科文化人類
再考―』,PHP 新書 .
パワーメント性が弱くなっているように考えられる。
学研究室,pp.21-30.
その原因は、最近の行事作りが青壮年部や子供部、婦
[6] 永井利実等編,1972,『大口市の文化財-調査報告
人部のように各部に担当を分けて、義務を与えること
第一集』,南九州郷土研究会.
る.それによって,花見は強いエンパワーメント性を
発揮することになった.
[5]陳珏勲 ,2005,「「花見」の人類学的研究―宮城県
仙台市におけるフィールドワークに基づいて―」,
『東北人類学論壇』(4), 東北大学大学院文学研究
しかし,最近の花見における変化から,花見のエン
[7] 山田孝雄,1941,『桜史』,櫻書房.
によって、集落における多様な人がまた分類されて、
科文化人類学研究室 ,pp.21-30.
パワーメント性が弱くなっているように思われる.そ
各行事に分散していることにあうように思われる。ま
た、花見のなかの踊りという要素は多様な人を引きつ
参考資料
[6]永井利実等編 ,1972,『大口市の文化財-調査報告
の原因は,最近の行事作りが青壮年部や子供部,婦人
[1] 『平成
10 年 統計いさ』
けるには力が弱くなっている。そのため、金魚すくい
第一集』,
南九州郷土研究会 .
部のように各部に担当を分けて,義務を与えることに
やわたあめ機などのような新しい要素を取り入れて、
[2] 『平成 18 年 統計いさ』
花見文化内部の多様性を増やさなければ、花見のエン
[3] 『平成 20 年 統計いさ』
パワーメント性を強くすることができないのではな
[4] 『平成 22 年 統計いさ』
よって,集落における多様な人がまた分類されて,各
[7]山田孝雄 ,1941,『桜史』, 櫻書房 .
行事に分散していくことにあるように思われる.また,
花見のなかの踊りという要素は多様な人を引きつける
いかと思われるのである。
参考資料
[1]
『平成 10 年 統計いさ』
には力が弱くなっている.そのため,金魚すくいやわ ユウ
カライ
たあめ機などのような新しい要素を取り入れて,花
4.4.2 結論
[2]
『平成 18 年 統計いさ』
熊
華磊
鹿児島市在住
[3] 『平成 20 年 統計いさ』
見文化内部の多様性を増やさなければ,花見のエンパ 中国江蘇省南京市出身
本研究は、花見を白木集落という地域のコンテキス
鹿児島大学人文社会科学研究科博士前期課程修了。
[4] 『平成 22 年 統計いさ』
ワーメント性を強くすることができないのではないか
トの中で捉え、花見が出現する以前、以後、そして現
と思われるのである.
在までのプロセスを描き、さらに、それに「エンパワ
ーメント」と「多様性」の概念を重ねて考察し、花見
4.4.2 結論
本研究は,花見を白木集落という地域のコンテキス
26
ゆう
か らい
熊 華磊 中国江蘇省南京市出身 鹿児島市在住
鹿児島大学人文社会科学研究科博士前期課程修了.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
報告
「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」
−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
人文社会科学研究科 博士後期課程 地域政策コース 1 年
岩山 誠
センター)に関してはその対応が遅れているというこ
5.1 問題の所在
とで,聴覚障害者の全国組織である全日本ろうあ連盟
5.1.1 聴覚障害者の職場定着支援をめぐる
は,政府の障害者雇用政策に関する研究会において,
状況
その対応の改善を要望している 4.さらに,全日本ろ
聴覚障害者の職場定着問題に関する先行研究は,聴覚
1
うあ連盟は,厚生労働省や高齢・障害・求職者雇用支
障害者の職場定着上の問題状況に関する調査研究 ,そ
援機構に対し,公共職業安定所(以下,職安)におけ
して職場定着における聴覚障害者本人および受け入れ
る手話対応体制や聴覚障害者に対応した職場定着支援
2
事業所の取り組みのあり方に関する研究 が中心であっ
制度の整備に関して要望をしているところである 5.
た.このような取り組みは,聴覚障害者の職場定着をめ
このように聴覚障害者への就労支援機関の対応をめ
ぐる実態や聴覚障害者とその受け入れ事業所が職場定着
ぐる課題が指摘されているにもかかわらず,こうした
を目指す上で取り組むべき内容を明らかにした.しかし,
問題に関して具体的に調査した先行研究は存在しな
こうした先行研究の視点は,聴覚障害者自身の適応努力
い.このことが,障害者雇用政策当局や就労支援機関
やその同僚・上司による配慮のあり方という職場内の自
における認識の遅れを助長する一因となっているので
発的な取り組みの促進が中心となっている.
はないだろうか.とくに,現在の障害者雇用政策の中
この点,障害者の就労支援を促進する職業リハビリ
で,地域における職場定着支援の中核的な機関として
テーションの分野においては,障害者の職業能力開発
期待され 6,全国的に設置が進んでいる支援センター
や障害状況に適した職場の開拓のみならず,採用後の
についてその聴覚障害者対応の実態を明らかにし,そ
3
継続的な支援についても重視されており ,近年は,
の整備促進の必要性をめぐる認識を高めていくことが
とくに知的・精神障害者の分野で,就労支援機関によ
できなければ,聴覚障害者は職場定着支援の枠組みか
る職場定着支援が広がるようになっている.そこで,
らますます取り残されることが懸念される.
聴覚障害者についても職場定着を目指すための枠組み
として,職場内の自発的な取り組みに加え,就労支援
機関による支援も併せて活用することが望まれる.
しかしながら,就労支援機関における聴覚障害者へ
の対応は進んでいない状況がみられる.とくに,近年,
障害者の就労支援の枠組みの中で全国的に存在感を高
めている障害者就業・生活支援センター(以下,支援
1 労働省・身体障害者雇用促進協会(1982,1983)
他
2 朝日(1998), 石原(2011)他
3 志賀(2006,2012)
4 厚生労働省「地域の就労支援の在り方に関する研究会」
〔第
4 回〕
(2012 年 2 月 14 日)
(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000024z6a.
html)
5 全日本ろうあ連盟「
(厚生労働大臣宛)聴覚障害者の労働及
び雇用施策への 要望について」及び「
(高齢・障害・求職
者雇用支援機構理事長宛)聴覚障害者の労働及び雇用施策へ
の要望について」
(http://www.jfd.or.jp/2012/11/12/pid9964)
(http://www.jfd.or.jp/2013/01/23/pid10257)
6 厚生労働省 障害者雇用対策基本方針(平成 21 年~ 24 年
度版)
(http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha02/
gaiyo/02.html)
報告 「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
27
5.2 研究の目的と方法
5.3.1 聴覚障害者に対する質問紙調査の概
そこで,今回の研究では,聴覚障害者に対する職場
容
定着支援の必要性を確認するとともに,県内の支援セ
聴覚障害者に対する質問紙調査 2012 年 10 月下旬
ンターにおける聴覚障害者対応の現状を把握した上
〜 2013 年 1 月下旬にかけて実施した.調査の目的は,
で,支援センターにおける聴覚障害者対応体制の促進
聴覚障害者の離職に関する状況と各種の就労支援機関
に向けた対応策について提示することを目的とする.
に関する聴覚障害者の認知度や利用状況を分析するこ
調査の方法として,県内の聴覚障害者を対象とした
とである.
質問紙調査および県内の下記①〜④の就労支援機関に
調査対象は,事前に調査協力の承諾を得た鹿児島県
対するインタビュー調査により入手した第一次資料を
内の就労経験を有する 10 代〜 60 代までの聴覚障害
分析する.
者 33 名である.厚生労働省が定期的に実施している
障害者雇用実態調査では在職中の障害者のみを対象と
しているが,今回の調査では無職中の者も調査対象に
(取材対象機関)
①障害者就業・生活支援センター(県内 5 カ所)
含めた.その理由は,離職を繰り返す障害者ほど無職
②鹿児島障害者職業センター
中である可能性が高く,そのような傾向を有する者が
③鹿児島労働局
抱える問題状況を捕捉するためには在職状況に関係な
④公共職業安定所(県内 4 カ所)
く対象に含める必要があると考えたことによる.
方法として,個別面接形式で就労に関する状況やこ
今回の検討対象として鹿児島県内の支援センターを
取り上げるのは以下の理由による.すなわち,社会的
れまでの就労支援機関の利用状況について質問紙調査
を実施した.
インフラが都市部ほどに広範かつ重層的に整っていな
質問紙調査の内容について,今回の報告に関連する
い地域に拠点を構えている支援センターが多いことか
ものとしては,①離職回数,②前職を自己都合で退職
ら,そこにおける取り組みや直面している課題状況を
した場合の具体的理由,③各種就労支援機関の認知度・
検討することにより,同様の状況にある他の多くの支
利用状況,の 3 項目である.
援センターにおいても参考となるような成果を得られ
次節では,以上の調査で得られた結果を分析するこ
とにより,聴覚障害者に対する職場定着支援の必要性
ると考えたためである.
支援センター以外の就労支援機関に対してもインタ
を確認する.
ビューを行ったのは支援センターと業務上連携の深い
関係機関であり,聴覚障害者対応に関しても何らかの
5.3.2 聴覚障害者に対する職場定着支援の
連携が行われていると考えたことによる. 必要性の検証
また,支援センターに対するインタビューでは,他
離職回数の状況について確認したところ,平均転職
の支援センターの参考となる好事例および聴覚障害者
回数は 3.3 回であった.全体の 9 割近くが離職を経験
対応整備をめぐる課題の把握に重点をおくこととする.
しており,5 回以上の離職経験者に限定した場合でも
なお,今回のプロジェクト研究のテーマとして「地
3 割近くに達することが明らかとなった.3,4 人にひ
域・多様性・エンパワーメント」が設定されているこ
とりが 5 回以上も離職を重ねていることになる.この
とに鑑み,以上の調査・検討にあたってはとくにエン
結果から,県内の聴覚障害者については,離職経験者
パワーメントの観点を重視することとする.
が圧倒的に多く,頻繁に離職を繰り返す傾向を有する
者も少なくないことが判る.
5.3 聴覚障害者に対する職場定着支援の必
要性と課題
28
自己都合退職者の離職理由の内訳について,離職理
由をめぐる聴覚障害者特有の背景を探るため,前職を
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
自己都合により退職した場合の離職理由について,①
くる.まず,職場での相互理解の不十分さから人間関
人間関係,②会社の理解・配慮不足,③賃金・労働条件,
係や職場の配慮など仕事上の様々な場面で問題が生じ
④仕事内容,⑤家庭の事情,⑥より良い条件の会社へ
やすいために,聴覚障害者の不満が鬱積されていく.
の転職,⑦その他,の 7 項目の選択肢から 2 つまで選
そして,彼らの不満が極限に達したとき,離職や転職
択回答させた.その結果,人間関係が約 3 割,会社の
に踏み切ってしまう.しかし,ほかの会社に移ったと
理解・配慮不足が約 2 割で,この 2 つの項目だけで約
してもそこが理解のあるところでなければ,結局同様
半数を占めた.
のパターンをたどり,頻繁に転職を繰り返すという悪
このように人間関係がうまくいかないとか,会社が
循環が生じることになろう.また,就労支援機関に関
聴覚障害者に対して十分に理解し適切な配慮を提供で
する認知度や利用状況に関するデータからは,聴覚障
きないといったようなことが生じるのは,聴覚障害者
害者が支援センターにほとんどアクセスできていない
と周囲の社員との間でコミュニケーションの支障によ
ことが判るが,そうしたことによる支援の受けにくさ
り接触機会が乏しくなりやすいといった理由などで相
もこのような悪循環を生む一因となっていると考えら
互理解が難しくなることも一因であると考えられる.
れる.
最後に,地域の主な就労支援機関である職安や支援
したがって,この悪循環を断ち切るためには,職場
センター,地域障害者職業センターに関して,上にみ
における相互理解の不足を補ったり,様々な問題に直
てきたように職場定着が不安定な傾向にある聴覚障害
面した聴覚障害者の不満を受けとめ,問題解決を通じ
者がこれらの就労支援機関にどの程度アクセスできて
て不満解消したりするような形で支援介入していくこ
いるかを調べるために,その認知状況や利用経験の有
とが必要である.そういう意味で,聴覚障害者に対す
無を確認した.その結果,職安は,ほぼ全員に認知さ
る職場定着支援の必要性は高く,就労支援機関はこう
れており,利用経験者も約 8 割に達していた一方,今
したニーズに応えることが求められる.そのためには,
回の主要な検討対象となっている支援センターについ
聴覚障害者が職安以外の就労支援機関,とりわけ支援
ては 4 人に 1 人程度しか認知しておらず,利用経験者
センターにアクセスしにくい状況がみられることもふ
に至っては一割にも満たなかった.地域障害者職業セ
まえるならば,聴覚障害者への対応体制を整えるのみ
ンターもほぼ同様の結果となっている.
ならず,その利用促進を図るための方策を講じること
各都道府県に一つしかなく,高度な専門性に基づ
も重要となる.
く対応を必要とする重度障害者を中心に支援を行って
次節では,聴覚障害者への対応のあり方について考
いる障害者職業センターはともかく,地域の身近な就
察することにより,支援センターにおける聴覚障害者
労支援機関として期待されている支援センターが聴覚
対応の現状を検討する際の視点を明確にしたい. 障害者にこの程度しか認知・利用されていないこと
は重大な課題として受けとめなければならないであろ
う.現時点では,聴覚障害者にとって職安以外の就労
5.4 聴覚障害者に対する就労支援者の対応
のあり方
支援機関は縁遠い存在であるといわざるを得ない.
また,このように多くの聴覚障害者が職安を利用し
経営学の観点をベースとして障害者雇用における就
ているにもかかわらず,支援センターに対する認知度
労支援者の役割のあり方について論究した狩俣正雄
や利用状況がこれだけ芳しくないことからすると,職
は,支援の本質は「信頼のコミュニケーション」にあ
安が聴覚障害者に対し支援センターについて積極的に
るとした上で,支援者と被支援者のコミュニケーショ
情報提供していないことが推察される.
ンの連続的な相互作用性に着目し,支援の有効性は「支
以上の分析結果を照らし合わせると,聴覚障害者の
援者のコミュニケーション能力あるいは支援の専門的
職場定着の不安定さの背景として,相互理解の不足を
知識や技能に依存する」ことを指摘する.そして,就
起点とした職場定着を妨げる悪循環が浮かび上がって
労支援者には「被支援者の要求ないし要望を聞き取り,
報告 「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
29
それに的確に対応するコミュニケーション能力」,「障
下の支援センターにおける聴覚障害者対応の現状を検
害のある人に対する専門的知識」といった 8 つの要件
討するにあたっては,筆談以外にどのような方法を講
を備えることが障害者に対する効果的な就労支援上重
じているかということを重視したい.
7
要であると強調する .
このような見解は,聴覚障害者,なかでも筆談によっ
ても確実なコミュニケーションをとることが困難な聴
覚障害者への支援においてこそ重要な意味を持ってく
支援センターにおける聴覚障害者支援の現
状
る.音声によるコミュニケーションに支障がある聴覚
障害者に対しては,その代替手段として筆談がとられ
5.5.1 支援センターの概容
ることが多いが,その聴覚障害者が筆談も不得手とし
支援センターは,障害者が地域で安定した職業生活
ていた場合は,十分にコミュニケーションが図られな
が送れるように地域の関係機関と協力して就業・生
いおそれが大きいからである. 活両面にわたる総合的な支援を行う民間機関である.
今回の就労支援機関に対する取材でも,下記の例の
2002 年の障害者雇用促進法改正で設置が始まり,現
ようにそのような課題があることを指摘する声が目
在は全国に 300 カ所ほど開設されている.就業支援担
立っていた.
当と生活支援担当の職員が配置され,就職準備支援,
職場開拓職場実習,就職後の定着支援,生活支援など
・「聴覚障害者とのコミュニケーションに関しては,
就業・生活両面から障害者の職業的自立をサポートす
独特な文章表現があり,本人の言いたいことを理
ることになっている.都道府県は,障害福祉施策を複
解できないことがある.」
数の市町村が連携して地域ニーズに応じたサービスを
・「聴覚障害者の中には,筆談では通じにくい方も
提供していくための広域圏域として「障害保健福祉県
おり,筆談で十分に伝わったかどうか,不安にな
域」を厚生労働省の指示により設定しているが,同省
ることがある.」
はこの全ての圏域への同センターの設置とその体制の
充実を目指しており,地域福祉事情を把握しやすい立
一方,筆談には支障を感じていない聴覚障害者でも,
場として,障害者雇用対策基本方針(平成 21 〜 24
手話の方がスピーディで負担が少なく最善のコミュニ
年度版)では,地域の就業支援の中核機関として位置
ケーション手段であると考えている者は少なくない.
付けている.
このような聴覚障害者に対して,その意を十分に汲
んだ支援ができるようにするためには,狩俣の指摘を
5.5.2 支援センターの聴覚障害者対応に関
ふまえるならば,安易に筆談に頼ることなく,手話等,
するインタビュー調査の概容
相手の最善のコミュニケーション形態に応じた手段に
県内の支援センターに対するインタビュー調査は
より,それぞれの障害特性をふまえた対応をすること
2012 年 11 月上旬〜 2013 年 1 月中旬までに行った.
8
が就労支援者に求められることになる .よって,以
県内には現在 5 カ所の支援センターがあり,それぞれ
「かごしま」,
「おおすみ」,
「あいらいさ」,
「あまみ」,
「な
7 狩俣(2010)
8 なお,上記の聴覚障害者のアンケート結果では人間関係や職
場の配慮などの面で不満を抱えやすい傾向が見られているこ
とから,そうしたことによるストレスが高じて精神的な変調
をきたしやすくなっている可能性も考えられ,専門的な観点
からそうした面での適切なケアを施せるようにすることも聴
覚障害者対応上重要なことであると考える.ただし,本稿で
は,コミュニケーション面の対応すら十分にできていない就
労支援機関が多い現状に鑑み,コミュニケーション面に関す
る検討を中心に行うこととし,精神的なケアの必要性に関す
る問題については別の機会で扱いたい.
30
んさつ」の名称が冠されている.これらの支援センター
を直接訪問し,聴覚障害者への対応状況についてイン
タビューを行った.ただし「なんさつ」についてはメー
ル上のやり取りとなっている.
次節では,こうしたインタビュー調査を通して把握
した,支援センターにおける聴覚障害者対応の現状を
概観する.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
ことにより,手話による対応を必要とする聴覚障害者
5.5.3 支援センターにおける聴覚障害者
への相談・支援に円滑に対応できるようになっている.
対応の概況
ただし,この支援員は聴覚障害者に専従的に対応して
前節のインタビュー調査の結果,「かごしま」,「お
いるわけではなく,他の障害者支援も行っている.
おすみ」,「あいらいさ」の 3 箇所の支援センターで聴
手話技能を有する支援員の存在意義に関して,職場
覚障害者に手話で対応できる体制を備えていることが
定着支援として,聴覚障害者が働いているある事業所
判った.その対応の形態としては 2 通りのタイプがみ
に様子をみにいったとき,手話技能を有する支援員の
られ,一つは,「かごしま」,「おおすみ」における手
方に聴覚障害者が集まってきて手話でいろいろなこと
話技能を有する支援員の配置,もう一つは「あいらい
を堰切ったように話してきた,というエピソードも聞
さ」における,手話対応体制を備えている公的機関と
かれた.
の連携であった.
また,その手話技能を有する支援員を講師として手
一方,「あまみ」,「なんさつ」は設立されてから半
話を学ぶための定期的な職場内講習も実施していると
年〜 1 年半とまだ間がないこともあり,聴覚障害者の
いうことで,その存在が周囲の職員の聴覚障害者に関
利用はごく少数で,「なんさつ」は「聴覚障害者に利
する理解促進にもつながっていることが窺われた.
用していただけないこと」自体を課題として挙げてい
他の障害者への対応等で手話技能を有する支援員が
た.相談があった場合は,筆談もしくは簡単な手話に
聴覚障害者に対応できない場合,手話通訳者を外部か
より対応することになるとのことである.しかし,
「あ
ら派遣してもらうことになるが,支援機関からの依頼
まみ」が,「コミュニケーションは一番大切であり,
だと有料になることから,聴覚障害者本人から行政に
今後聴覚障害者の支援ノウハウやコミュニケーション
よる無料の派遣制度に依頼してもらっているという.
手段について勉強していきたい」という意欲を示すな
仮に,職場定着支援の際に手話通訳者の手配ができ
ど,両センターとも聴覚障害者対応整備の必要性は認
ない場合,次善の対応策として筆談等によりコミュニ
識しており,今後の体制整備が期待される.
ケーションせざるを得ず,ベストとしての支援は難し
次節では「かごしま」,「おおすみ」,「あいらいさ」
のそれぞれの取り組みについて具体的に取り上げる.
くなるとの指摘があった.
この点,現行の行政による手話通訳者等派遣制度は,
障害者自立支援法により市町村が主体となって実施す
5.5.4 かごしま障害者就業・生活支援セン
る地域生活支援事業の内,コミュニケーション支援事
ター
業の一環として実施されており,通訳者の派遣条件に
「かごしま」は 2003 年 10 月に県内最初の支援セ
9
ついても市町村の裁量に任されている ため,聴覚障
ンターとして設立され,担当地域も県都鹿児島市を中
害者の職場への通訳者派遣の可否につき,市町村に
心に北薩地域から熊毛地域と広範にわたっている.こ
よって対応にばらつきがみられる.仮に市町村が職場
のため,支援員の数も県内最多で生活支援員 1 名,就
への通訳者派遣を不可としている場合,聴覚障害者は
業支援員 5 名の合計 6 名の配置となっている.
職場で支援センターから職場定着支援を受ける際に手
当センターでは,設立後間もない 2004 年 2 月から
話通訳者の派遣を受けられなくなり,前述の指摘のよ
手話技能を有する支援員を配置している.これは当時
うに筆談等の二次的な手段によらざるを得なくなって
の所長をはじめとする代々の所長が聴覚障害者支援に
しまうことになる.
おける手話の必要性を深く認識していることによると
「かごしま」センターのように手話技能を有する支
ころが大きいという.手話技能を有する支援員の配置
が支援センターの裁量に任されている現状において,
やはりこうした上層部の理解は重要になってこよう.
このように手話技能を有する支援員を配置している
9 障害者自立支援法 77 条第 1 項第 2 号,障害者自立支援法施
行規則第 65 条の 11 及び 12,厚生労働省社会・援護局障害
保健福祉部長通達「地域生活支援事業の実施について(
「地
域生活支援事業実施要綱」
)
」
(障発第 0801002 号平成 18 年
3 月 1 日)
報告 「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
31
から手話
不可としている場合,聴覚障害者は職場で支援センター
時の所長
から職場定着支援を受ける際に手話通訳者の派遣を受け
おける手
られなくなり,前述の指摘のように筆談等の二次的な手
ろが大き
段によらざるを得なくなってしまうことになる.
援センタ
こうした
援員を独自に配置しているところでは,その支援員の
支援員に助けてもらって,やっと仕事を見つけられた
「かごしま」センターのように手話技能を有する支援
スケジュールの調整等によりそのような事態を回避す
のです.
員を独自に配置しているところでは,その支援員のスケ
(木村氏)大工の経験があるので,当初は大工の仕
ることも可能であろうが,そのような支援員がいない
ジュールの調整等によりそのような事態を回避すること
ているこ
事を希望されていて一緒に探したのですが,なかなか
支援センターではこうした対応は不可能であり,聴覚
も可能であろうが,そのような支援員がいない支援セン
害者への
見つかりませんでした.やむを得ず断念して,食肉加
障害者にとってベストな形態での支援を提供できない
ターではこうした対応は不可能であり,聴覚障害者にと
る.ただ
ってベストな形態での支援を提供できない可能性が高ま
ているわ
ることになろう.
,職場定
業所に様
の方に聴
を堰切っ
可能性が高まることになろう.
(以上について,2012 年 12 月 10 日かごしま障害
工の仕事を紹介することにしたのです.一緒に会社へ
面接に行って採用が決まったのです.
者就業・生活支援センター 主任就業支援員 下園氏
(以上について,2012 年 12 月 10 日かごしま障害者就
より取材)
業・生活支援センター 主任就業支援員 下園氏より取材)
(場面 2)
(聴障者団体の)会員は 12 人位なんですね.
(筆者)
このセンターの事を(会員の皆様に)情報提供してい
5.5.5 おおすみ障害者就業・生活支援セン
5.5.5 おおすみ障害者就業・生活支援センター
るのですか ?
ター
当センターも「かごしま」同様,手話技能を有する支
当センターも「かごしま」同様,手話技能を有す
(A氏)ええ,そうです.
して手話
援員を配置している.主任就業支援員の木村氏は手話サ
(筆者)そうでしょうね.手話のできる支援員がい
る支援員を配置している.主任就業支援員の木村氏は
ークルの会員でもあり,手話を使用したコミュニケーシ
ますから,安心して紹介できますね.
手話サークルの会員でもあり,手話を使用したコミュ
るという
ョンが可能となっている.
ニケーションが可能となっている.
れた.
(A氏)そうなんです.ここは,仕事のことだけで
なく生活面の問題も相談できるので,助かっています.
関する理
仕事以外にもいろいろと困ることはありますから.
援員が聴
(木村氏)例えば,年金や交通事故などの相談もあ
部から派
ります.生活面が不安定ですと,仕事を続けることも
頼だと有
難しくなります.そのような生活上の問題に関する相
よる無料
談も多くあります.
(筆者)生活面・仕事面について幅広く相談支援が
に,職場
できることがこのセンターのいいところなのですね.
合,次善
ンせざる
(場面 3)
指摘があ
制度は,
実施する
援事業の
1 手話で取材に応じる主任就業支援員の木村氏
図 1図手話で取材に応じる主任就業支援員の木村氏
こちらの支援センターには 2 回訪問し,初回の訪問
(木村氏)会社は聴障者の就職に対して,好ましく
ないイメージをもっていることがありまして,そのよ
うなイメージを変えるためには支援員が支援に入って
こちらの支援センターには
2 回訪問し,初回の訪問で
聴障者が働く力を持っていることを会社に具体的に説
で木村氏へのインタビュー,2
回目の訪問で木村氏と
木村氏へのインタビュー,2
回目の訪問で木村氏と聴覚
明する必要があります.(会社と聴障者の相互理解を
聴覚障害を持つ利用者 1 名(以下,A 氏)への 3 者面
者の職場
障害を持つ利用者
1 名(以下、A 氏)への
3 者面談形式 妨げる)ひとつの理由は『耳だけの障害だから,そん
談形式のインタビューを行った.
2 回目のインタビュー
のインタビューを行った.2
回目のインタビューの中で なに支援は必要ない』という考えと『聴障者だから就
の中で要点となる 3 つの場面の会話を以下に掲載す
対応にば
職・仕事は難しい』という考えのギャップもあるよう
る.ちなみに,
A氏は地域の聴覚障害者団体のリーダー
要点となる
3 つの場面の会話を以下に掲載する.ちなみ
者派遣を
である.
に,A氏は地域の聴覚障害者団体のリーダーである.
について
行規則第 65
通達「地域生
」
(障発第
です.難しい問題だと思います.理解できる会社であ
れば,(聴障者は)十分に就職・仕事はできると思い
ます.会社の理解を広げるためにも,私達が責任を持っ
(場面 1)
(場面
1)
(A氏)聴障者への理解がない会社が多くて仕事を
(A氏)聴障者への理解がない会社が多くて仕事を探し
て取り組んでいきたいですね.
探しても,なかなか見つかりませんでした.もともと,
ても,なかなか見つかりませんでした.もともと,聴障
聴障者が応募しても採用を断る会社が多いでしょう.
32
このように利用者ご自身からも支援センターの存在
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
意義に言及する発言が見られたのは注目に値する.以
にこの事例では木村氏が手話が可能で,聴覚障害者支
上の 3 つの場面のうち場面 1 と場面 3 における会話か
援の経験が豊富なこともあり,この事例の聴覚障害者
らは,聴覚障害者の就労をめぐる会社の理解促進の必
にとってはコミュニケーションや障害特性に関する理
要性,場面 2 におけるやりとりからは,就業面・生活
面における支援の必要性を窺うことができる.
また,場面 2 では,A氏がリーダーを務めている地
解の面で心配することなく相談できる存在となってい
ュニケーションや障害特性に関する理解の面で心配する
ると推察される.
ことなく相談できる存在となっていると推察される.
その背
ことを情報提供しているというくだりがあった.実は,
的に義務
木村氏とA氏は地域の同じ手話サークルのメンバーで
どから助
ある.そこでの関わりがきっかけでA氏は木村氏に仕
支援セン
事の相談をもちかけるようになり,その後,聴覚障害
いうこと
者団体の仲間たちにも「おおすみ」センターのことを
センター
情報提供したということである.仲間達にも就労問題
層部が聴
を抱えていた方がいたことから,木村氏に相談するよ
していな
うになり,支援センターを利用する聴覚障害者が増加
村氏が手話サークルという地域の聴覚障害者関係団体
と関係を持っていたことが,聴覚障害者の利用者を増
支援セン
でいない
域の聴覚障害者団体の仲間に「おおすみ」センターの
したということであった.プライベートとはいえ,木
のように
.お客様向け
図図22 会話補助に役立つ「応答カード」
会話補助に役立つ「応答カード」
.お客様向けは
は白色,スタッフ向けに青色と色分けする等,
白色,スタッフ向けに青色と色分けする等,工夫がされ
工夫がされている.
(おおすみ障害者就業・生
ている.
(おおすみ障害者就業・生活支援センター提供)
活支援センター提供)
やすことにつながったといえよう.つまり,聴覚障害
べくもな
ように制
継続的な
てくる.
ターの方から聴覚障害者関係団体にアプローチしてい
5.5.6 手話技能を有する支援員の存在意義と課題
5.5.6 手話技能を有する支援員の存在意義
先に取り上げた「かごしま」センターおよび「おおす
と課題
日におお
くことも効果的な方策の一つとなりうるということで
先に取り上げた「かごしま」センターおよび「おお
み」センターにおけるインタビュー内容からは,支援セ
援員 木
ある.
すみ」センターにおけるインタビュー内容からは,支
ンターの存在意義にとどまらず手話技能を有する支援員
者の支援センター利用促進を図るためには,支援セン
さらに,木村氏からは,就職後,支援センターによ
援センターの存在意義にとどまらず手話技能を有する
(以上
の存在の大きさも浮かび上がってくる.本節では,手話
5.5.7 あ
者の事例の紹介もあった.この事例では,支援センター
技能を有する支援員が支援センターにいることは聴覚障
は,手話技能を有する支援員が支援センターにいるこ
「あい
の紹介で小売店に就職し,品出し業務を担当すること
害者にとってどのような意味があるのか,「おおすみ」
とは聴覚障害者にとってどのような意味があるのか,
になった聴覚障害者が,店内での作業中にお客様から
「おおすみ」センターを題材として考察したい.
センターを題材として考察したい.
る職場定着支援でスムーズに職場定着できた聴覚障害
支援員の存在の大きさも浮かび上がってくる.本節で
声をかけられた時の対応が課題となっていたため,鹿
「おおすみ」センターでは聴覚障害者が就職した後
「おおすみ」センターでは聴覚障害者が就職した後も
児島障害者職業センターのジョブコーチと連携して定
も度々相談に訪れ,職場の不満や悩みをこぼされると
度々相談に訪れ,職場の不満や悩みをこぼされるという
着支援を実施したというものである.職場定着支援の
いうことである.木村氏は手話でスムーズにコミュニ
ことである.木村氏は手話でスムーズにコミュニケーシ
専門家であるジョブコーチの助言で「応答カード」を
ケーションができるため,聴覚障害者にとっては,不
ョンができるため,聴覚障害者にとっては,不満や悩み
つくり,お客様から声をかけられた時にカードをみせ
満や悩みを十分に受けとめてもらえることで不満の解
を十分に受けとめてもらえることで不満の解消につなが
て他のスタッフへスムーズにつなぐことができるよう
にしたことで,その聴覚障害者はお客様対応を心配す
ることなく作業ができるようになったという.
支援センターはこの事例のように,地域の関係機関
と連携しながら障害者の就労・職場定着をサポートし
ているが,こうした支援のあり方は障害者のエンパ
ワーメントに重要な役割を果たしているといえる.特
かして聴
消につながりやすいであろう.さらに不満や悩みの発
りやすいであろう.さらに不満や悩みの発端となってい
端となっている問題状況も手話でのやり取りを通して
る問題状況も手話でのやり取りを通して的確に把握して
的確に把握してもらえることから,より確実に問題解
もらえることから,より確実に問題解決につながりやす
決につながりやすい面もあると思われる.この支援セ
い面もあると思われる.この支援センターでは,就職後
ンターでは,就職後も就労継続している聴覚障害者が
も就労継続している聴覚障害者が多い傾向がみられると
図 3 手
多い傾向がみられるということであるが,木村氏のよ
いうことであるが,木村氏のように手話技能を有し,聴
うに手話技能を有し,聴覚障害者への理解も深い支援
覚障害者への理解も深い支援員の存在が彼らにとって就
報告 「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
33
労継続上の高いエンパワーメント効果をもたらしている
と考えられる.この事例は,先述の狩俣の就労支援者の
役割に関する見解を実証的に裏付けるものであろう.
このように手話技能を有する支援員は聴覚障害者の就
センタ
り,そこ
職安があ
職業相談
談を手話
前後定期
員の存在が彼らにとって就労継続上の高いエンパワー
センターはJR国分駅から徒歩で3分程のところに
メント効果をもたらしていると考えられる.この事例
あり,そこからさらに裏の方へ1分進んだところには
は,先述の狩俣の就労支援者の役割に関する見解を実
国分職安があるが,そこの障害者担当部門には手話が
証的に裏付けるものであろう.
可能な職業相談員が配置されている上,聴覚障害者と
このように手話技能を有する支援員は聴覚障害者の
職員の相談を手話通訳によりサポートする手話協力員
就労支援にとって大きな存在意義を発揮しているが,
も月に 4 回前後定期的に派遣されることになってい
先述のように全日本ろうあ連盟が指摘したとおり,全
る.
国的に支援センターへの手話技能を有する支援員の配
国分職安とこのように近接していることから,支援
置は進んでいない.
センターに聴覚障害者が来所して手話で相談する必要
その背景として,手話技能を有する支援員の配置が
のように全日本ろうあ連盟が指摘したとおり,全国的に
法的に義務付けられていない上,その配置に関して行
支援センターへの手話技能を有する支援員の配置は進ん
が生じた場合には,職安の障害者担当窓口に場所を移
政などから助成金をもらえるわけでもないため,あく
でいない.
までも支援センターによる自主的な配置に期待するし
その背景として,手話技能を有する支援員の配置が法
うにしている.
かないということがある.こうした状況の下では,
「か
的に義務付けられていない上,その配置に関して行政な
センターの方でも登録するように登録を勧めてもらう
どから助成金をもらえるわけでもないため,あくまでも
ごしま」センターにおける代々の所長のように,支援
流れができているため,聴覚障害者も職安でほぼ自動
支援センターによる自主的な配置に期待するしかないと
センター上層部が聴覚障害者支援における手話の必要
いうことがある.こうした状況の下では,「かごしま」
性を深く認識していない限り,手話技能を有する支援
的に支援センターの方へ案内してもらえることから,
センターにおける代々の所長のように,支援センター上
員の配置は望むべくもないであろう.仮に配置できた
層部が聴覚障害者支援における手話の必要性を深く認識
としても,上述のように制度的なバックボーンもない
い.
を備えた支援員がいるため,国分職安からの依頼に応
よび「おおす
していない限り,手話技能を有する支援員の配置は望む
現状では,その後の継続的な配置をどう確保するかと
べくもないであろう.仮に配置できたとしても,上述の
いうことも課題となってくる.
ように制度的なバックボーンもない現状では,その後の
( 以 上 に つ い て は,2012 年 11 月 14 日 お よ び 12
継続的な配置をどう確保するかということも課題となっ
月 13 日におおすみ障害者就業・生活支援センター主
てくる.
任就業支援員 木村氏および同センター利用者A氏よ
(以上については,2012 年 11 月 14 日および 12 月 13
り取材)
日におおすみ障害者就業・生活支援センター 主任就業支
らは,支援セ
援員 木村氏および同センター利用者A氏より取材)
ていたということを強調されていた.これは,都市部
有する支援員
5.5.7 あいらいさ障害者就業・生活支援セ
に比べて職安の近くでも場所を探しやすいという,地
節では,手話
ンター
あいらいさ障害者就業生活支援センター
5.5.7
「あいらいさ」センターは地域的に恵まれた条件を
「あいらいさ」センターは地域的に恵まれた条件を活
方ならではのメリットを活かした発想であろう.そう
活かして聴障者に対応できる体制を整えている.
かして聴障者に対応できる体制を整えている.
となるのではないかと思われる.
面で心配する
察される.
客様向けは
工夫がされ
ンター提供)
義と課題
ことは聴覚障
「おおすみ」
して,手話のできるスタッフを交えて相談を進めるよ
また,国分職安で登録した障害者に対しては,支援
知らずに利用できないというようなことは起こらな
一方,支援センターには精神障害者に関する専門性
じて精神障害者対応に関して協力するなど,相互の長
所を活かした連携を図るようにしているということで
あった.
センター副所長の大浦氏は,開設場所を検討する際
に,このように職安と連携しやすい場所を第一に考え
いう意味で,他の地方の支援センターにとっても参考
なお,センターは国分職安にとどまらず,霧島市役
所や鹿児島障害者職業センターとも連携している.市
就職した後も
役所も支援センターの近くにあり,そこの福祉課には
されるという
ミュニケーシ
手話通訳者が配置されているため,生活面の相談が必
,不満や悩み
要な時には,市役所で通訳者を交えて相談をすること
解消につなが
もあるという.また,障害者職業センターには,職場
端となってい
定着支援の専門家であるジョブコーチが配置されてい
確に把握して
るが,そのジョブコーチも手話が可能ということで,
つながりやす
職場定着支援が必要な聴覚障害者に対しては,この
では,就職後
がみられると
能を有し,聴
らにとって就
たらしている
就労支援者の
であろう.
図 3 手話で取材に応じる国分職安の職業相談員
図 3 手話で取材に応じる国分職安の職業相談員
ジョブコーチとも連携しているということであった.
34
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
センターはJR国分駅から徒歩で3分程のところにあ
り,そこからさらに裏の方へ1分進んだところには国分
職安があるが,そこの障害者担当部門には手話が可能な
職業相談員が配置されている上,聴覚障害者と職員の相
このように,業務上関わりのある地域の公的機関に
5.6 支援センターの対応に関する要点整理
おいて手話で対応できる体制が整っていることが「あ
いらいさ」センターの聴覚障害者に対する支援力向上
前節における県内の各支援センターの取材の結果,
というエンパワーメントにつながっているということ
聴覚障害者の支援センター利用促進および聴覚障害者
ができる.手話技能を有する支援員を自センター内に
対応体制の整備という 2 つの面で好事例がみられた.
配置することができるのであればそれが最善ではある
まず,聴覚障害者の支援センター利用促進について
が,そのためには手話技能のみならず就労支援に関す
は,①地域の聴覚障害者関係団体に対するアプローチ
る専門知識・支援技法を備えた人材の探索や,人件費
(「おおすみ」),②連携している職安による聴覚障害者
の負担など,検討すべき課題は多く,配置を躊躇する
への支援センター利用勧奨(「あいらいさ」)という取
支援センターも少なくないことが推察される.そのよ
り組みがみられた.こうした取り組みは,特別な体制
うなときに,手話での対応体制が整っている関係機関
整備なども要しないことから他の支援センターでも実
と連携してカバーすることにより聴覚障害者に対応し
施しやすい方法だと思われる.
ていこうとする視点は重要になるであろう.こうした
一方,聴覚障害者対応体制の整備に関しては,①手
支援のあり方は,障害の特性に応じた適切な支援を図
話技能を有する支援員の配置(「かごしま」,「おおす
るために関係機関との連携による支援を重視する先述
み」),②手話対応体制を備えた公的機関との連携(「あ
の障害者雇用対策基本方針における趣旨と一致するも
いらいさ」)といったそれぞれの体制の状況に応じた
のである.
対応がみられた.ただ,いずれも,他の支援センター
ただ,公的機関の多くが必ずしも手話での対応体制
にとっては容易に模倣できる方法ではないだろう.な
を整えているわけではないという現実的な課題もある.
ぜなら,前者については,支援センターの自主的な対
事実,鹿児島労働局やその他の職安に対するインタ
応にゆだねられている現状において,コスト増につな
ビューを通じて,県内の職安は出張所も含めて 14 カ所
がる手話技能を有する支援員の追加配置をすることは
あるが,手話で対応できる体制を備えているのは 4 カ
期待しにくいからである.後者についても,「あいら
所にとどまることが判っている.さらに,地域障害者
いさ」センターのような連携ができるかどうかは,地
職業センターに関しても,手話も含めて聴覚障害者に
域の公的機関における手話対応体制の整備状況という
専門的に対応できるジョブコーチを全都道府県のセン
外的条件に左右されるためにどこの地域でもできるわ
ターに配置しているわけではないことを,センターの
けではない.こうしてみると,支援センターにおける
運営母体である高齢・障害・求職者雇用支援機構自ら
聴覚障害者への対応体制の整備を促進するためには,
10
が政府の研究会の中で認めているところである .こ
支援センターが手話技能を有する支援員を配置するよ
のため,現状としては「あいらいさ」センターのよう
うなインセンティブを持たせるようにすること,支援
な取り組みは難しい地域の方が多いと思われる.
センター独自でも取り組みやすい手段を考案するこ
(以上については,あいらいさ障害者就業・生活支
と,が重要なポイントとなってこよう.次節では,以
援センター副所長 大浦氏(2012 年 11 月 19 日),
上に述べてきたことをふまえ,聴覚障害者対応に向け
鹿児島労働局障害者雇用対策課 障害者雇用担当官 た対応策を提案し,今後の展望としたい.
長山氏(同 11 月 30 日)・国分職安統括職業指導官 泉氏・職業相談員 猿川氏・手話協力員 横溝氏(以
5.7 今後の展望
上 2013 年 1 月 8 日)より取材)
まず,一つ目の提案は,支援センターが手話対応整
備を進めるインセンティブを与えるためにそのような
10 厚生労働省「地域の就労支援の在り方に関する研究会」
〔第
6 回〕
(2012 年 4 月 10 日)
(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002bizx.html)
取り組みに対して助成する公的な制度を設けることで
ある.厚生労働省の関係団体である高齢・障害・求職
報告 「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
35
者雇用支援機構は,障害者の雇用促進を図るために
になっていることから導入上の問題は少なく,検討の
様々な助成制度を設けている.その中で現在,支援セ
価値は十分にあると思われる.
ンターに関するものとして,センター開設費用の一部
障害者雇用対策基本方針において,就労支援機関は
を助成することを目的とした「障害者就業・生活支援
障害の多様性に応じてそれぞれの特性に合わせた適切
センター設立準備助成金」制度が設けられている.そ
な支援の提供を求められており,もちろん聴覚障害者
の趣旨はもちろん支援センターを増やすことにあろ
も含めた障害者に対応できる体制を構築していく必要
う.現在,支援センターにおける聴覚障害者対応の整
がある.支援センターが聴覚障害者にも対応できる体
備の必要性が指摘されるようになっていることをふま
制を構築するためには,手話技能を有する支援員の配
えるならば,支援機構のこうした助成金制度の枠組み
置や,上記の2つ目の提案のような取り組みを自主的
の中で,手話対応体制を促すための助成制度を設ける
に行わせるだけでなく,支援センターがそのような取
ことも検討されてよいのではないかと思われる.実際,
り組みを進められるように一つ目の提案のような制度
支援センターのインタビューにおいても,「(手話通訳
的枠組みも併せて考えていくことが不可欠であろう.
者の)ニーズが頻繁にあれば,配置は必須となると考
また,「あいらいさ」センターの事例で,公的機関に
えます.そうなると,助成の必要性はあります.」(「な
おける手話対応体制が整っていることが支援センター
んさつ」センター),「(聴覚障害者が)他の方々と同
の支援力向上につながっているという波及効果があっ
様に支援やサービスを活用するためには,コミュニ
たことにも着目し,公的機関における手話対応体制の
ケーションを図るための手段が必要.手話通訳者等の
整備促進を図ることの重要性も付言したい. 活用が柔軟にできるようになることが大切.」(「あま
以上 み」センター)といったように通訳者の活用に関する
配慮を求める意見が聞かれているところである.
続く 2 つ目の提案は,オンラインのTV電話機能を
参考文献
「職業生活の質の確保と環境」
『リ
活用して,手話対応体制を整えるというものである. [1] 朝日雅也(1998)
実際にこうしたシステムは実用化されており,ドコモ
ハビリテーション研究』,No.96,pp.90-102
ショップの一部では,窓口を手話通訳者がいるところ
[2] 石原保志(2011)「聴覚障害児者のキャリア発
とオンラインで結び,聴覚障害者とのやり取りを通訳
達とセルフアドボカシー」,『ろう教育科学』, させるシステムを設けている.官公庁関係でも,山形
vol.53(1) ,pp.13-21 市役所がTV電話による手話通訳システムを活用し, [3] 狩俣正雄(2010)「障害者雇用における就労支援
聴覚障害を持つ来所者への対応を実施している例があ
者の役割」『經營研究』,vol.60(4),pp.91-111
る 11.一つの案として,鹿児島県を例にすると,
「鹿
[4] 志賀利一(2006)『職業リハビリテーション学:
児島」センターに手話技能保有者を配置した上で,各
キャリア発達と社会参加に向けた就労支援体系 センターとオンラインで結び,各センターに来所した
改訂第 2 版』,松為信雄,菊池 , 恵美子,pp.176-
聴覚障害者と支援員のやり取りを通訳させる方法が考
180 協同医書出版社
えられる.こうすれば配置に係る費用を各センターで
[5] 志賀利一(2012)『職業リハビリテーションの基
共同負担することによりコストを抑えることも可能で
礎と実践』,日本職業リハビリテーション学会,
あろう.技術的な面に関しても,今はインターネット
pp.183-200 中央法規
でスカイプなどを用いて簡単にTV電話ができるよう
[6] 労働省・身体障害者雇用促進協会(1982)『聴覚
障害者の就労実態と職場適応』,昭和 56 年度:
11 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部「障害保健福祉情報
vol.4(平成 19 年 5 月)
」
(http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenko/syofuku/files/
vol4.pdf)
36
研究調査報告書-№ 7,通刊第 72 号 [7] 労働省・身体障害者雇用促進協会(1983)『職場
における聴覚障害者の人間関係』,昭和 57 年度:
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
研究調査報告書-№ 3,通刊第 77 号
参考URL(2013年2月15日現在)
[1] 厚生労働省「地域の就労支援の在り方に関する研
究会」〔第 4 回〕(2012 年 2 月 14 日)(http://
www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000024z6a.
html)
[2] 全日本ろうあ連盟「(厚生労働大臣宛)聴覚障害
者の労働及び雇用施策への 要望について」及び
「(高齢・障害・求職者雇用支援機構理事長宛)聴
覚障害者の労働及び雇用施策への要望について」
(http://www.jfd.or.jp/2012/11/12/pid9964)
(http://www.jfd.or.jp/2013/01/23/pid10257)
[3] 厚生労働省 障害者雇用対策基本方針(平成 21
年 〜 24 年 度 版 ) (http://www.mhlw.go.jp/
bunya/koyou/shougaisha02/gaiyo/02.html)
[4] 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長通達「地
域生活支援事業の実施について(「地域生活支援
事業実施要綱」)」(障発第 0801002 号平成 18 年
3 月 1 日)
[5] 厚生労働省「地域の就労支援の在り方に関する研
究会」〔第 6 回〕(2012 年 4 月 10 日)(http://
www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002bizx.
html)
[7] 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部「障害保
健 福 祉 情 報 vol.4( 平 成 19 年 5 月 )」(http://
www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenko/syofuku/
files/vol4.pdf)
いわやま
まこと
岩山 誠 東京都出身.鹿児島市在住.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科修士課程修了
公共職業安定所の障害者担当部門で障害者の就労支援
に携わった経験をふまえ,地域政策の観点から聴覚障
害者の就労支援体制のあり方について研究している.
報告 「地域における聴覚障害者の職場定着支援のあり方」−エンパワーメントの視点からみた鹿児島県の障害者就業・生活支援センターの取り組み−
37
付録資料 聴覚障害者に対する質問紙調査結果(県内・本報告関連分)
1.世代別状況
年代
10代
該当者数
0名
構成比
0.0%
20代
2名
6.1%
30代
10名
30.3%
40代
10名
30.3%
50代
6名
18.2%
2.離職回数の状況
離職回数
0回
該当者数
4名
構成比
12.1%
1回
7名
21.2%
2回
8名
24.2%
3回
3名
9.1%
4回
2名
6.1%
60代
5名
15.2%
計
33名
100.0%
5回
6回以上
3名
6名
9.1%
18.2%
計
33名
100.0%
3.前職自己都合退職者の離職理由内訳(N=24 ※2つまで選択回答のため回答数合計とは一致せず)
会社の理
好条件の
解
賃金・
家庭の
会社への その他
計
理由
人間関係
仕事内容
・配慮不 労働条件
事情
転職
足
該当数
11
7
5
5
5
3
3
39
構成比
28.2%
17.9%
12.8%
12.8%
12.8%
7.7%
7.7%
100.0%
4.就労支援機関の認知度・利用状況(N=33)
障害者就
障害者職
公共職業 業・生活
業
安定所 支援セン
センター
ター
知って
いる
全体に対
する比率
利用経験
あり
全体に対
する比率
32名
97.0%
26名
78.8%
8名
24.2%
3名
9.1%
N= 33
10名
30.3%
3名
9.1%
報告
地域婦人会の現状と問題
−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
人文社会科学研究科 博士後期課程 島嶼政策コース 1年
季 慶芝
6.1 研究背景と目的
し,住民の生活はまったく不安定というのが実情で
あった.資料 2 から見ると,1953 年(昭和 28 年)の
島という特殊な生活環境,そして日本全土の高齢化,
少子化,離島の過疎化という社会背景の中で,奄美大
1
祖国復帰後は生活改善が主な活動で,衣食住の改善が
行われた.1975 年(昭和 50 年)は国際婦人年(Women’
島の人口の半分以上 を占める女性たちは,島の地域社
s International Year),1976 年(昭和 51 年)から
会の発展にとって,不可欠の力である.島に住んでいる
は国連婦人の 10 年が続き女性の地位向上や社会進出
女性たちの力を合わせて,島の地域社会で活動している
が強調された.つまり,奄地婦連は時代の流れのなか
組織に「奄美大島地域婦人会連合協議会」がある.
で,時代の大きな課題に応じながら,地域問題の解決
奄美大島地域婦人会連合協議会(以下は「奄地婦連」
に努めて様々な分野で活躍している.今年(2013 年)
と略称する)の結成は日本本土と行政分離し,アメリ
結成から既に 60 年余りも過ぎた現在,奄地婦連を囲
カ軍政下にあった 1951 年(昭和 26 年)7 月 25 日で
まれる社会環境は大きく変化してきた.前文で述べた
ある[奄美大島地域婦人会連絡協議会・奄美大島女性
ように,少子,高齢化の進行,国際化,情報化の進展
団体連絡協議会 2002:3].今年度(2013 年)です
などにより,奄美大島においても,各市町村の過疎化
でに 61 年の歴史をもっている.奄地婦連は奄美大島
や高齢化が急速に進み,群島の基幹産業である大島紬
地区の 14 市町村の地域婦人会の組織からなって,大
の長期にわたる低迷,本土への若年層を中心とする人
和村地域婦人会連合協議会はその中のひとつである.
口流出などの厳しい状況がある.このような社会環境
奄地婦連が結成された当時は,奄美の日本復帰運動が
の中では,島の婦人たちの生活形式も,価値観も変わっ
盛んになり始めたときでもある.奄地婦連の全員一丸
ていくと考えられる.現地調査の中では,現在奄地婦
となっての署名運動やルーズベルト大統領夫人への直
連の元で,各地域集落で活動する単位婦人会 3 は「青
接への請願など復帰運動に大きな役割を果たした[奄
少年の健全育成,高齢社会の対応,地域環境保全問題,
美大島地域婦人会連絡協議会・奄美大島女性団体連絡
男女共同参画社会の実現」などの課題に応じて活動を
協議会 2002:11].それは奄美大島の婦人たちが英
行っているが,「若年層の組織離れ,役員のなり手が
知とパワーを結集して,地域社会のために,責任を背
なく,夫の協力,理解が得られない」[大和村地域婦
負って社会へ踏み出した第一歩であっただろう.
人連絡協議会 1994:29]など,いくつかの難問に直
奄地婦連が結成された当時は,政治経済,教育,交
通も整っておらず,奄美郡民は衣食住に不自由をきた
面することにも気づいた.また,奄地婦連に繋がらず,
地元の集落で自治会の組織の一部として,活動してい
る単位婦人会の事例もある.
1 2010 年(平成 22 年)国勢調査によると,奄美群島の人口
は 118,773 人の中,男 56,733 人,女 62040 人である.
男女の比較をしてみると,総人口女性を 100 とした場合男
性は 91.4 となっている .
2 奄地婦連結成 50 周年・奄女団連結成 20 周年 記念誌 2002 年 3 月 31 日
3 最下部の地域婦人会のこと.
報告 地域婦人会の現状と問題−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
39
本研究は奄美大島地区における奄地婦連での活躍か
島で,単に「大島」とも言う 6.奄美大島は奄美群島
ら,地域社会活動の『要』だと言われる 4 大和村の地
中最大の島で,加計呂麻島,請島,与路島を合わせ
域婦人連合協議会(以下は「大和村婦人会」と略称する)
た面積は 812.56 ㎢で全群島面積の 66.0%,人口は
を事例として取り上げ,具体的には大和村婦人会は地
65,770 人で群島総人口の 55.4%を占める扇形の島で
域社会でどのような活動を行っているか,婦人会のメ
あり,現在,奄美市,大和村,宇検村,瀬戸内町,龍
ンバーたちはいかに多様な活動を通して,女性たちの
郷町の1市2町2村からなっている 7.
エンパワーメントによる地域社会の活性化に貢献して
調査地である大和村は大島本島の中部に位置し,面
いるかを究明する.これによって,島の女性組織―婦
積は 88.15 平方キロメートルの村である.国直・湯湾
人会の現状と問題を考察したいと思う.また,かつて
釜・津名久・思勝・大和浜・大棚・大金久・戸円・名
活動が盛んだった時期と比べて,現在婦人会は「会員
音・志戸勘・今里の 11 の集落がある.人口と世帯数
数の減少,活動への低い参加率,役員に偏る運営,不
から見ると,人口は 1672 人であり,世帯数は 880 戸
明確な活動目的,事業のマンネリ,行政への依存体質」
で,男性 801 人,女性 871 人が暮らしている 8.
[井上 2011]などの難問に直面している.いかに現在
交通の面から見ると,大和村は奄美市と隣接してい
の多様化する社会情勢の中で,各個人の個性や,家庭
ても,市街地との繋がりは県道しかなく,市街地から
中心の生活のあり方を尊重しながら婦人会の活力を維
大和村までは険しい坂道や急カーブがやや多い.公共
持するかは,検討すべき問題だと考えられている.本
交通手段は「道の島交通株式会社」が経営するバスが
研究でもこの問題について,婦人会の声と自分の考え
あり,片道で
40 分から一時間ほどかかる.
なく、市街地から大和村までは険しい坂道や急カーブがやや多い。公共交通手段は「
に基づき,いくつかの改善策を提示しようと思う.
島交通株式会社」が経営するバスがあり、片道で 40 分から一時間ほどかかる。
6.2 研究方法
現地での資料収集のために,筆者は去年 10 月中旬
から現在まで奄美大島に滞在して,フィールドワーク
を行っている.予備調査から本調査を経て,さまざま
な貴重なデータを手に入れた.インフォーマントへの
聞き取り調査により,婦人会の会長さんから一般の会
員までの声を聞くことができ,地元の図書館や大島支
庁で資料を借り,インフォーマントからも大切な資料
をもいただいた.フィールドワークで収集した情報,
文献と先行研究をあわせて,本研究を進めてきた.
(図 1)調査地の地図:奄美大島大和村
(図 1)調査地の地図:奄美大島大和村(出典
yahoo 地図)
(出典 yahoo 地図) 北は洋々たる東シナ海に面し、深い山並みが連なる大和村では、明るく住みよい村
りのために、女性たちからなっている女性組織である「大和村婦人会」は、学校、家
北は洋々たる東シナ海に面し,深い山並みが連なる
地域社会の連携を密にして、地域社会の各分野で活躍している。
6.4 大和村婦人会の発足と歴史概況
大和村では,明るく住みよい村づくりのために,女性
6.4.1
大和村婦人会の発足
たちからなっている女性組織である「大和村婦人会」
6.3 調査地の概況
大和村婦人会が結成されてから、今年(2013 年)で既に 59 年の歴史がある。奄美
は,学校,家庭,地域社会の連携を密にして,地域社
という社会の中で活躍する大和村の婦人会の歴史を見るために、まず大和村婦人会が
5
奄美大島は九州南方海上にある奄美群島 の主要な
4 聞き取り調査により.
5 出典:
「奄美群島の概況 2011(平成 23 年)
」
.
奄美群島は鹿児島県に属し,北方は北緯 28 度 32 分 44 秒,
南方は北緯 27 度 01 分 07 秒,東方は東経 130 度 02 分 08
秒及び西方は東経128度23分43秒の海域に飛石状に連なっ
た島嶼からなる.有人島には奄美大島,加計呂麻島,請島,
与路島,喜界島,徳之島,沖永良部島及び与論島の8島があ
る.総面積は 1,231.39 ㎢となっている.
40
された当時の社会歴史を振り返ってみよう。
会の各分野で活躍している.
1945 年(昭和 20 年)8 月 15 日に終戦を迎え、翌 1946 年(昭和 21 年)2 月に北
度以内の行政分離宣言9が出された。1951 年(昭和 26 年)7 月、奄美大島連合婦人会
6誕生。本土復帰のため、1951
「ウィキぺディア フリー百科事典」
年(昭和「 奄美大島」
26 年)2 月の財部ツキエ先生が渡米、1953 年
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5
和 28 年)6 月には基八重先生がルーズベルト夫人に陳情することがあった。[奄美大
%A4%A7%E5%B3%B6#.E9.83.BD.E5.B8.82.E5.9C.8F」
「2013
人連絡協議会
1979:116]全島郡民一丸になって、1953 年(昭和 28 年)12 月 25 日、
年 2 月 20 日閲覧」
7の祖国復帰が実現した。大和村婦人会は
出典:
「奄美群島の概況 2011(平成 23
年)
」
1953
年(昭和
28 年)4 月、こうした激動す
8会の中で結成された。結成された当初の目的は「村内各単位婦人会の連携と協調を図
「大和村役場ホームページ」
「現在の人口・世帯数」
「http://www.vill.yamato.lg.jp/update/146.asp」
「2013 年 2
婦人地位向上と、自らの教養を高めること」[大和村地域婦人連絡協議会 1994:28]であ
月 20 日閲覧」
4.2
大和村婦人会の歴史概況
大和村婦人会の歴史を知るために、婦人会の歴史に一番詳しいと言われる A さんに
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
伺った。
A さん(80 歳)
。昭和 33 年大和村大棚集落の婦人会会長に就任した。いまは老人会
長で、短歌を教えることもしている。
1946 年(昭和 21 年)2 月、奄美は本土と行政分離され、米軍政府下に置かれた。
結成当初の名称は「奄美大島連合婦人会」であった。1954 年(昭和 29 年)本土並に「奄美大島婦
連絡協議会」と改名した。
『奄地婦連結成 50 周年・奄女団連結成 20 周年 記念誌』
(2002:92)を
9
10
6.4 大和村婦人会の発足と歴史概況
会を結成した」と述べた.
また過去の状況を聞いて,奥さんは「あの時代は婦
6.4.1 大和村婦人会の発足
大和村婦人会が結成されてから,今年(2013 年)
人会が結構活躍した.奄美地婦連を中心に奄美大島地
区の各市町村まで,婦人会が結成され,祖国復帰運動
で既に 59 年の歴史がある.奄美大島という社会の中
をはじめ,社会でいろんな活動に婦人たちは参加した.
で活躍する大和村の婦人会の歴史を見るために,まず
大和村の 11 の集落を含めて,各集落でもちゃんと婦
大和村婦人会が結成された当時の社会歴史を振り返っ
人会を組織してきた.今は各原因で,昔より静かになっ
てみよう.
ているかな」.「私は会長をしたとき,婦人会の活動は
1945 年(昭和 20 年)8 月 15 日に終戦を迎え,翌
婦人の労力を軽減するための『カマド改善』事業など
1946 年(昭和 21 年)2 月に北緯 30 度以内の行政分
食生活の改善運動 11 や『婦人学級 12』などがあった」
離宣言 9 が出された.1951 年(昭和 26 年)7 月,奄
と述べた.
10
が誕生.本土復帰のため,1951
A さんの話と関連して,『奄地婦連記念誌』に記載
年(昭和 26 年)2 月の財部ツキエ先生が渡米,1953
されている大和村婦人会に関する内容を抜粋し,時代
年(昭和 28 年)6 月には基八重先生がルーズベルト
の変遷に沿って大和村婦人会のいくつの代表的な活動
夫人に陳情することがあった.[奄美大島婦人連絡協
を振り返ってみよう.
美大島連合婦人会
議会 1979:116]全島郡民一丸になって,1953 年(昭
和 28 年)12 月 25 日,奄美の祖国復帰が実現した.
(1)生活改善 13 運動
婦人会が成立された初期,奄美大島の社会現状は暗
大和村婦人会は 1953 年(昭和 28 年)4 月,こうし
く,経済的にも苦しかった.奄美大島ないし日本全国
た激動する社会の中で結成された.結成された当初の
でも,「生活改善」は大きな課題だった.国家の施策
目的は「村内各単位婦人会の連携と協調を図り,婦人
と共に婦人会はその時期「農業振興」と「生活合理化」
地位向上と,自らの教養を高めること」[大和村地域
などの「生活改善運動」を行った.以下は生活改善運
婦人連絡協議会 1994:28]である.
動の一環としての「カマド改善事業」を例として説明
する.
6.4.2 大和村婦人会の歴史概況
カマド改善事業:昭和 30 年代に,婦人会は「カマ
大和村婦人会の歴史を知るために,婦人会の歴史に
ドの改善」14 事業を取り上げた.「まだ,婦人たちは
一番詳しいと言われる A さんに話を伺った.
山に薪をとりに行かねばならぬ時代だった」その事業
A さん(80 歳).昭和 33 年大和村大棚集落の婦人
は「婦人の労力を軽減した,時間も節約された」と,
会会長に就任した.いまは老人会の会長で,短歌を教
A さんは語った.そのときの状況を振り返って,「先
えることもしている.
ず人目につくところに設置して,一般の方々に見てい
A さんは婦人会での長年の経験を持ち,地元(大棚)
の単位婦人会の役員として責任をおってきた.婦人会
についての思い出を尋ねると,
「大棚婦人会会長になっ
たとき,女性たちの労働負担が重い,御祝事の簡素化,
学ぶ場としての婦人会活動の必要性を思い大金久婦人
会会長の元野浜子さんらに声をかけて,大棚校区婦人
9 1946 年(昭和 21 年)2 月,奄美は本土と行政分離され,
米軍政府下に置かれた.
10 結成当初の名称は「奄美大島連合婦人会」であった.1954
年(昭和 29 年)本土並に「奄美大島婦人会連絡協議会」と
改名した.
『奄地婦連結成 50 周年・奄女団連結成 20 周年 記念誌』
(2002:92)を参照.
11 詳細は後文参照
12 婦人会員の教養を高めるために,グループ学習の講習会のこ
とである.
13 出典:
[農林省 1957:21]
.
生活改善は,農家の生活技術の向上を通じて,
「農家の生活
をよりよくし,考える農民を育成」することを目的とした.
14 JICA(独立行政法人 国際協力機構)により,
「カマド改善
事業」について,
「閉め切りの炊事場の床に置かれた従来の
カマドは,屈んだ姿勢での厳しい労働や煙による眼病の原因
となっていました.改良したカマドには煙突が付き,腰の高
さに設置されました.この改良したカマドは全国で広く普及
し,
農村女性の健康問題改善に貢献しました」の記述がある.
「独立行政法人 国際協力機構―事業・プロジェクト」
「http://www.jica.go.jp/activities/schemes/tr_japan/summary/
keiken05.html」
「2013 年 2 月 20 日閲覧」
報告 地域婦人会の現状と問題−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
41
ただくために,役場の玄関,農協の入り口に設置し,
して,『生活の無駄をなくす運動』を始めた.冠婚葬
また部落にも普及し,大いに喜ばれたそうだった」と,
祭の簡素化を図るため,遅まきながら昭和 56 年度か
A さんは教えてくれた.
ら新生活運動を展開し,具体的実施内容のチラシや『お
「戦後農村生活改善運動における参加においては,
返しは一切お断りします』のカードを全家庭に配布し,
行政からの働きかけと農村女性の側からの参加との相
記念品廃止に努めている」[奄美大島地域婦人会連絡
互参加ともいうべき特徴を認めることができる」,「い
協議会 1987:53]の記述がある.
ずれか一方の面のみの参加であったならば,戦後の生
活改善運動は十分な成果の実現や農村生活主体の形成
は決して生み出されはしなかった」[佐藤寛 2003]と
指摘されたように,女性たちは戦後農村の生活改善運
動の中で,重要な役割を果たしていた.
6.4.3 歴史概況についての小括
これまでの大和村婦人会の活動について,歴史的な
流れを踏まえてその特徴を小括する.
① 「婦人会」という女性組織は女性のための社会
参加への窓を開いた.
(2)婦人学級
当時の婦人学級のことについて,『奄婦連記念誌』
(1979)の中で詳しく記述されている.
「婦人たちの教養を高めるために,一般教養講座と
して月一回自治公民館で開催された婦人たちの学習活
動である.電気の知識,水難救助法,食品衛生,救急
看護,町政懇談などの指導を受けてきた.また「生花,
婦人会が組織されたことで,大和村の女性たちは家
庭生活を中心とする生活方式を変え,地域社会,奄美
大島ないし日本全国の社会参加活動を始め,つまり,
婦人会は女性たちの社会参加の窓を開いたと言える.
② 婦人会の活動はいつも時代の要求と密接してい
る.
和裁,着付,書道,茶道,短歌,舞踊,ダンス」など
例えば,戦後高度経済成長期 15 にあたり,当時の経
の講座も開催され,多数の会員が参加して勉強してい
済と生活水準を高めるために展開された「生活改善運
た」という記述がある.
動」はその時代の産物だと言える.戦後新しい時代に
(3)大和村婦人会元婦人会長 B さんの思い出:ボラ
ンティア活動と生活合理化運動
『奄婦連記念誌』(1987)の中に,元大和村婦人会
入って,婦人たちの素質が新しく問われ,婦人たちの
地位や修養を高めることを目的に,「婦人学級」の活
動も展開された.
長 B さんが書いた『大和村婦連のささやかなあゆみ』
「生活合理化運動」は日本の経済安定期 16 にあたっ
がある.B さんは 1980 年(昭和 55 年)9 月大和村
て展開された活動である.経済の不況のなかで,「冠
の婦人会長になった.
婚葬祭の簡素化」などが提唱され,大和村婦人会の
ボランティア活動:
メンバーたちは地域生活の合理化の実現に努力してい
「活動の一環として『おむつ作り』をし,年一回近
た.また,離島の人口流出,人口の自然減少などが原
隣市町村の福祉施設を役員全員で訪問し,また村内寝
因として,離島の過疎化や人口の老齢化の問題も顕著
たきり老人宅を慰問する等定着しつつ」,「昭和 62 年
になっているが,村内の老人を対象とするボランテイ
1 月より定期的に活動に踏み切ることになり,村婦連
ア活動は,いまでも大和村婦人会の重要な活動である.
福祉施設訪問実施計画書を作成して,月一回各単位婦
人会に流し,会長が責任を持って『大和の園』におら
れるお年寄りに,よりよく快適に施設での生活を過ご
すことができるような趣旨のもとに,園内全域の清掃
及び話し相手,声かけ,慰問,あわせて介護術の研修
の場とし,
活動の充実を図るようにした」と書いてある.
生活合理化運動:
「最近の経済不況にかんがみ,村婦連行事の一環と
42
15 1954 年 12 月から 1973 年 11 月まで.出典:
「ウィキぺディ
ア フリー百科事典」
「高度経済成長期」
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%BA%A6%
E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7#.E6.97.
A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E9.AB.98.E5.BA.A6.E7.B5.8C.E6.B8.88.
E6.88.90.E9.95.B7.E6.9C.9F」
「2013 年 2 月 20 日閲覧」
16 1973 年 12 月から 1991 年 2 月まで.出典:
「ウィキぺディ
ア フリー百科事典」
「安定成長期」
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%9A%E6
%88%90%E9%95%B7%E6%9C%9F」
「2013 年 2 月 20 日閲覧」
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
③ 活動は行政主導で自発性と自主性が薄かったと
言える.
大和村婦人会が結成されてから,主な活動は全国レ
ベルや県レベルの婦人組織が企画した活動をそのまま
おこなってきたが,また,行政側から助成金をもらっ
て活動を維持させることで,活動の自発性や自主性が
薄い傾向が伺えると思われる.
大和村中央公民館で行った.4 月 26 日の「大和村
地域女性団体連絡協議会役員会」と 7 月 3 日の「第
58 回大和村地域女性団体連絡協議会総会」がある.
・地域社会での活動:
(1)交通安全運動:春の交通安全運動と「交通安全
街頭キャンペーン」運動.
この二つの運動について,インフォーマントが詳し
く教えてくれた.
6.5 大和村婦人会の現在
D さん(57 歳),現在大和村婦人会の会員.「春の
交通安全運動は 4 月の初めから 15 日まで行う.四月
6.5.1 大和村婦人会の概況と組織形式
の新学期が始まる時期で,小学生の交通安全のために,
現時点では,大和村婦人会の会員数は約 200 名であ
朝小学生たちが登校する時間帯と午後学校が終わる時
る.11 の集落の中では,大和浜,湯湾釜,津名久,思勝,
間帯で,婦人会の会員たちは学校と集落と繋がるトン
大棚,名音の 6 つの集落しか単位婦人会組織が存在し
ネルの入り口で,交通を維持し,小学生たちの安全を
ていない.「戸円は過疎化の原因で,人数が少ないの
守る活動である」と述べていた.また,「『交通安全街
で,婦人会が組織できないから,他の集落には,婦人
頭キャンペーン』運動は 9 月で警視庁の活動と一緒に,
会の役職員になりたい人がいないため,婦人会はない」
交通安全の知識を村民に宣伝するために,交通安全に
と,現在大和村婦人会会長 C さんは述べた.組織と活
関するチラシを配布する活動である」と教えてくれた.
動の形式とについて,「村婦人会会長は村婦人会役員
(2)環境衛生運動:ゴキブリホウ酸ダンゴ作り.
の間で話し合い,調整によって,選ばれる.任期は一
「この活動はゴキブリを駆除するための活動である.
年.各集落婦人会会長は婦人会のメンバーの中で一番
ゴキブリを殺すために,各集落の婦人会のメンバーた
の年長者に任され,任期は一年.次の年は年齢の下が
ちは一緒に薬が入っている団子のようなものをつくっ
り順で次のメンバーを指名する」と C さんは述べてい
てから,各家庭に配布する.この運動のおかげで,大
た.また C さんの話により,「各集落の婦人会はさら
和村はゴキブリが一時絶滅するときもあった」と D さ
に『班』として分けて活動をしている.大和浜集落(C
んは語った.
さんが住んでいる集落)を例にして説明すると,大和
浜集落婦人会は三つの『班』に分けて,各班に人数は
(3)ボランテイア活動:(特老)大和の園へのボラ
ンテイア活動.
15 人ぐらいである.活動があるとき,一つの班をメ
前に述べたように,大和村婦人会は大和村老人ホー
インとして活動をして,残る二つの班はサポート役に
ム「大和の園」へのボランテイア活動を今まで行って
廻る.メインとしての班は年毎に交代する」のことも
いるのである.現在この活動は「毎年 3 回行い,三つ
分かってきた.
の集落の婦人会が交替で担当する」と,現在の会長 C
さんが教えてくれた.「去年(2011 年)は 7 月の夏祭
6.5.2 現在の多様な活動〜2011年(平成23
りの時には大和浜集落の婦人会,9 月の敬老会の時に
年)度大和村婦人会連絡協議会の報告書から〜
は大棚集落の婦人会,11 月には津名久集落の婦人会
C さんからいただいた『大和村平成 23 年度婦人会
が大和の園のボランテイア活動を担当した.手作り弁
活動報告書』から見れば,2011 年(平成 23 年)度
当をもって,老人たちへの声かけ,園内の清掃などが
では大和村婦人会の活動をおもに「大和村婦人会の組
主な内容である」と C さんが述べた.
織例会,地域社会のための活動,広域社会との連携活
(4)他の活動.防災訓練,大和村総合検診手伝い,
動」の三つの方面で把握できると思う.
移動消費生活講座研修会(電話詐欺の防止)などがあ
・組織例会:
る.
報告 地域婦人会の現状と問題−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
43
・広域社会との連携活動:
ると推測ことができると思う.
(1)上部組織への学習や研修活動:
奄美大島地区:平成 23 年度第 2 回ふるさとを興す
大島地区地域女性連学習大会,大島地区生涯学習リー
6.6 大和村婦人会に現存する諸問題および
原因について
ダー養成研修会,奄美大島地区女性団体連絡協議会研
究大会,平成 23 年度奄美市ふるさとを興す女性大会,
第 43 回徳州地域女性団体連絡協議会伊仙町大会.
鹿児島県:第 43 回九州地区結核予防婦人団体幹部
大和村婦人会は現在さまざまな問題に直面してい
る.特に「人手不足」の問題が顕著である.インフォー
マントの C さん,D さんと E さんはこの問題について,
講習会,市町村会長会.
(2)公益活動:複十字シール
年度青少年赤十字奉仕団
6.6.1 現存する諸問題
18
17
募金活動と平成 23
及び大和村赤十字奉仕団合
同研修会.
それぞれの意見を話してくださった.
C さん:
「以前は女性が結婚したら,地元の婦人会に
参加することはみんな当たり前だと思うが,現在では
結婚しても,婦人会に参加しない人もいる」と現在の
6.5.3 現状についての小括
① 「多様性」を呈している.
「大和村婦人連絡協議会報告書」の内容から見ると,
婦人会長 C さんが述べた.
D さん:
「現在婦人会の「人手不足」問題はただ「若
年層の組織離れ」ではなく,「役職員になりたく人が
現在大和村婦人会の活動は多岐に渡り,婦人会組織自
いない」,つまり「リーダー層の欠如」という側面が
身の強化から,子供の教育への重視,環境衛生,社会
あると,インフォーマントの D さんは述べた.
福祉,広域社会の公益活動まで広がっている.
② 独自の地域密着型活動へ転換する傾向が伺え
る.
E さん:「大和村婦人会は昔から地域にとって大事な
存在でありながら,現在会員の減少は大きな問題」,
「高
齢化や若年層の組織離れは全国共通の問題で,大和村
『平成 24 年度 大和村地域女性団体連絡協議会活動
19
目標(案)』 からみると,大和村婦人会の活動中心テー
マは「ウナグ
20
の力で,活力ある大和!〜笑顔と絆で
も抱えている」と大和村の元婦人会会長 E さんが述べ
た.
確かに,現地調査の中では,「会員になりたい人も,
支え合い」,婦人会活動のキーワードは「地域の支え
役職員になりたい人も減っている」のは大和村地域婦
合い」であることから分かるように,現在婦人会の活
人会の実情である.つまり,女性たちは昔のように「婦
動は主に「地域」を中心とする傾向がうかがえる.上
人会」という組織に高い関心を持っていないといえよ
部組織との繋がりや広域社会との連携も存在している
う.その原因を究明するため,現在の奄美大島が置か
が,地域社会での婦人会はやはり地元の社会で活動し
れている社会や経済の変化と地域婦人会組織自体の問
貢献したく,地元地域社会に根ざした活動を求めてい
題の二つの側面から考察する.
17 財団法人結核予防会が寄付のために作っているシール.
出典:
「ウィキぺディア フリー百科事典」
「複十字シール」
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%8D%81%E5
%AD%97%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AB」
「2013 年 2
月 20 日閲覧」
18 青年赤十字奉仕団は日本赤十字社にあるボランティアで成り
立つ「赤十字奉仕団」のひとつで赤十字の理想とする人道的
任務を達成するために赤十字事業の推進及び地域の必要に応
じて保健衛生や社会福祉等の向上のために活動している団で
ある.出典:
「日本赤十字社 大阪府支部」
「http://www.osaka.jrc.or.jp/volunteer/young.html」
「2013
年 2 月 20 日閲覧」
19 インフォーマントからいただいた資料.
20 大和村の方言,
「女性」の意味である.
44
6.6.2 諸問題の原因について
(1) 社会や経済の変化の側面:
① 社会発展による地域経済の縮小と人口減少
現在日本全国が抱えている「過疎化」,「高齢化」の
問題は離島である奄美大島でも厳しい状況である.奄
美群島の基幹産業である大島紬の長期低迷などによる
本土への若年層を中心とする人口の流出は奄美群島の
人口減少に拍車をかけた.2010 年(平成 22 年)国
調人口を 15 歳未満,15 〜 64 歳,65 歳以上の3階級
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
に分けてみると,構成比でそれぞれ 13.8%,52.6%,
地域の中で特定の目的を明確に持つ集団が形成された
33.3%となっている.人口の高齢化は全国的な傾向で
り,特定目的のための機能が地縁団体から独立したり
あるが,経済の高度成長期に若年層が流出し,過疎化
することにより,様々な機能団体が地縁団体と並存す
が進行した奄美群島の年齢構造は 65 歳以上の老年人
21
るようになり,多様化している .すなわち,女性た
口の割合が高く,その進行が急激なことが特徴である
ちの場合にも,地域でさらに多くの団体が出現して,
[奄美群島の概況 2011:52].大和村の場合は,人口
選択肢が多様化している.現地調査の中で,奄美地区
総数は 1955 年(昭和 30 年)が 5528 人であること
では,婦人連絡協議会のほか,名瀬市「更正保護婦人
に対して,2010 年(平成 22 年)の人口総数は 1765
会 22」,「児童委員会」,「国際ソロプチミスト奄美 23」,
人であり,人口減少率は 68.1%である[奄美群島の概
「大島地区生活学校連絡会」など特定の目標の下で活
況 2011:55].人口の自然減少が婦人会の会員数の
動している女性組織も多く存在している.これらの女
減少を起こしたことは想像できるであろう.
性団体の出現と存在は,会員不足の婦人会組織にとっ
また,男女の比較をしてみると,「14 歳未満では男
性の割合が高いが,15 〜 44 歳でその割合は逆転し,
女性を上回る男性の群島外流出が生じているためと思
われる」[奄美群島の概況 2011:52].つまり,結婚
適齢期の男性人口の島外流出は,島内のお嫁さんの人
数の減少と婦人会会員の減少にも繋がっているであろ
う.
て,状況をさらに厳しくするものになると筆者は推測
する.
(2)地域婦人会組織自体の特徴から:
① 「地縁団体」と「学習団体」の二つの矛盾的な
性質を持つこと
「戦後国体護持をねらう文部省に対し,婦人の民主
化を戦後の5大改革の1つとした GHO により婦人会
② 社会発展による生活様式と思考の変化 が奨励され」,文部省は「既存の組織に頼らねば目前
現在,社会発展と共に,生活形式が多様化し,個人
に迫る総選挙への啓蒙教育を行い得ず,この行政の要
的な生活方式を尊重すべきだと考えられている.婦人
請と勧励に地縁団体が応じるという形で地域婦人会が
会の組織方針も時代と共に変化してきた.「婦人会は
結成された」,「地縁団体と学習団体の両面を持つこと
その地域に住むことで半強制的に加入しなければなら
となった」[井上 2011].つまり,婦人会は一定の地
なかった時代を経て,いまや自発的に参加して活動す
域社会で地縁に基づき結成され,村落共同体の中で存
るボランテイアとして会員たちに解釈されつつある」
在する団体である.村落共同体は「共同体の秩序を維
[真鍋知子 2005].つまり,婦人会は昔より規制性が
緩和する傾向がある.それに,大和村『平成 23 年度
持し成員の自由を抑制」[見田・栗原・田中編 1994:
571 - 2]する特徴がある.
活動報告書』から見ると,婦人会の会議と活動は 3 月
また,学習団体の面から見れば,学習とは諸個人が
から 11 月まで毎月あり,パートなどの仕事を持ちな
主体として「人格の完成」を目的に自己形成してい
がら子育てもしている若い女性にとって,婦人会に参
く自己教育活動である[鈴木 1992]つまり学習の原
加するのは確かに自由な時間を制限することとなって
理は「自発性」を主とし,暮らしの中で課題に気づき
しまう.それゆえ,プライベートな時間を重視し,もっ
社会参加していく点でボランタリズムの本質と重なる
と自由に生活したいという考えの下で生活している若
い女性たちにとって,婦人会に参加しないという選択
肢を選ぶことは想像できるであろう.
③ 地縁団体から独立した機能団体と多様な社会団
体の出現
伝統的には「自治会,町内会,婦人会,青年団,子
ども会」などの地縁団体が地域コミュニティの主な担
い手であるが,近年社会経済の環境が変化する中で,
21「コミュニティ研究会 配布資料」
「総務省 HP」
「http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/community/
pdf/070207_1_sa.pdf」
「2013 年 2 月 20 日閲覧」
22 組織の目的は「母親としてまた女性の立場から,過ちを犯し
た人たちの立ち直りを支援すると共に地域の環境浄化に努
め,明るい心豊かな社会作りを目指します」
.
(奄地婦連結成
50 周年 奄女団連結成 20 周年記念誌 2002:139)
23 組織の目的は「全人類の人権の獲得,特に女性地位向上に努
め,奉仕の精神を向上し,真摯なる友情を深める国際理解と
世界友好に貢献する」
(奄地婦連結成 50 周年 奄女団連結
成 20 周年記念誌 2002:140)
報告 地域婦人会の現状と問題−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
45
[井上 2011].
以上のことから,地域婦人会が成立するにあたって
6.7 改善策について〜婦人会メンバーから
の声と自分の考え
付与された「地縁団体」と「学習団体」という二つの
性質は,実は「自由を抑制,組織加入の網羅性」と「活
動参加の自発性」という矛盾する二つの性質である.
既に述べたように,現在地域婦人会が直面する難問
は,一言でいえば「会員の減少」と「人手不足」,す
「地縁団体が有する網羅性は自発的な学習活動に停滞
なわち,婦人会組織の全体的な「衰退」である.では,
を招く原因」[井上 2011]と指摘されるように,矛盾
この社会的な難問をどう解決できるか,また,地域婦
した性質は婦人会の自身の発展にある程度の制約をも
人会が進む方向性について,以下で検討したい.
婦人会のメンバーからの声:
たらす懸念がある.
② 「目的性の曖昧さ」と「活動の無方向性」
E さん(現・大和村婦人会会員):「現状はやはり厳
「個々の単位婦人会の目的(会則より)は表現等に
しい,でも(婦人会が)このまま存続してほしい.少
違いがあるがほぼ共通して,
〈婦人の地位の向上〉,
〈地
なくてもなくならないでほしい」という発言が聞こえ
域社会への貢献〉,〈婦人共通の課題の解決と資質の向
た.
上〉〈世界平和への貢献〉〈民主主義の確立〉などのい
C さん(現・大和村婦人会会長):「現在大和村婦人
くつかが組み合わさっており,多目的であるのが特徴
会の会員は 60 歳で婦人会から『卒業』することになっ
である」[石原 1988]と指摘されるように,婦人会の
ている.この間老人クラブに入る 70 歳まで,10 年の
活動は目的が曖昧で,活動は明確な方向性が欠如して
空白がある.70 歳になっても,自分はまだ若いと思い,
いる.この点において,新たに登場しつつある「特定
老人クラブに入りたくない『老人』が多い.一方,島
な目的を持つ」機能団体との会員「争奪戦」のなかで,
では,殆どの家庭では共働きで,婦人会のメンバーは
地域婦人会は不利な立場に置かれる可能性が高いと思
60 歳以下であるため,みんな仕事を持っている.婦
われる.
人会活動に参加したくても,時間的な余裕はすくない.
③ 行政主導による自主性の欠如
もし婦人会と老人会と連携し,会員を一体にすれば,
地域婦人会と行政との関係は,「戦後民主主義を婦
婦人会が直面する『会員の減少』の難題が解決できる
人に教育する必要から団体設立を要請されたときから
し,老人たちがボランテイア活動によって,もっと充
始まる」[井上 2011].現地調査の中で,「現在地域婦
実したな生活を送れるかもしれない」と教えてくれた.
人会も行政の社会教育課と連携しながら,助成金をも
また,「他の婦人会の状況がよく分からない.市内の
らって活動をしている」とインフォーマントは語った.
婦人会はどのような活動を展開されているかまったく
「連携」と言っても,実は婦人会の活動は行政の指導
を受けて活動しているとも言える.何故かというと,
分からない」,
「婦人会組織間の交流がもっと多ければ」
と C さんは語った.
婦人会活動の内容から見れば,婦人会の成員による自
確かに,地域婦人会の現状は楽観視できないと思わ
発的な活動は殆ど見られず,これまでの「生活改善運
れる.「衰退している」のが実情である.ここまで分
動」,「婦人学級」から,現在の「環境衛生運動」に至
析してきた「原因」に基づき,時代の流れにあわせる
るまで,行政からの影響が顕著であり,婦人会会員の
ようにいくつの改善策を提示したいと思う.
自主意志のもとでの活動とはいえないからである.現
まず,行政から独立して,自発的な活動と明確な目
在の衰退傾向は行政からの自立の遅れだとの指摘[水
的の活動を求める.それは行政から分離することでは
谷 2008:7]もある.
なく,単なる行政側の下請けとして活動し,自発性が
薄い現状を変えることが期待される.自主性を育て,
明確な目的を持った活動を行うことによって,婦人会
の役員から会員までの積極性が高められると思う.
それに,インターネットを活用した広報活動の展開
46
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
が必要.
となっていると言われているように,大和村婦人会は
現在大和村婦人会はインターネット上での宣伝,広
地域社会の中で不可欠な力であることを提示してい
報活動が少ないと言える.今後はインターネットを活
る.だが,歴史で活動が盛んであった時代を経て,現
用して,地域内外に向けて活動内容を発信し,またそ
在大和村婦人会はいくつもの難問を直面している.
「会
の際には,ホームページだけではなく,ブログ,ツイッ
員の減少」などにより婦人会組織全体の「衰退」は大
ター,フェイスブックなども婦人会を宣伝する場所に
和村ないし日本全地婦連の問題になっている.この現
なると思う.
状を打破しようと思うなら,婦人会全員の努力を含め
最後に,女性の意識高揚も必要だと思う.
て,婦人会組織の自身の不足点を克服し,行政組織と
平成 24 年の大和村婦人会の活動キーワードは「地
のもっと合理的な連携を求め,周辺の婦人会組織との
域の支え合い」であった.これは大和村婦人会のメン
交流を拡大し,女性たちの地位向上の意識をもっと実
バーたちは,自分たちが,自分たちはあくまでも地域
現させることが必要だと思う.大和村婦人会のますま
の様々な活動組織の中の 1 つ,地域を支える様々な力
す発展することが期待されている.
の 1 つであると考えていることを意味していると言え
る.
しかし,実際には,大和村のような過疎・高齢化が
深刻な地域においては,地域の女性たちはもはや地域
参考文献
[1]井上多賀子(2011)「地域婦人会における地縁
において最も大きな力を有する集団であることになっ
団体と学習団体との交点」『同志社社会学研究』
ている.このことがはっきり女性たちに意識されるこ
15:24 - 41
とで,女性たちの中から有力なリーダー層が出現する
[2]石原多賀子(1998)「地域社会におけるボランタ
ことへの期待が高まる.それは婦人会の存続,発展に
リー・アソシェーションの形成と機能―地域婦人
とっては大切なことだと言える.
団体の事例研究を中心に―」『北陸大学 紀要』
第 12 号 PP205 - 228 6.8 まとめ
[3]佐藤寛(編)(2003)『参加型開発の再検討』『日
本貿易振興会アジア経済研究所 経済協力シリー
本研究は奄美大島地区大和村地域婦人会の活動を歴
史的に遡りながら,現状と現存する問題について考察
してきた.これによって,大和村婦人会の組織や活動
の特徴と状況を把握し,既存の問題に対して,いくつ
かの改善策にも提案を試みた.
ズ』第 199 号 PP165 - 184
[4]謝陽(2010)
「甑島里町「地方嫁」と婦人会活動」
『お茶の水地理』47:49 - 53
[5]夏目智子(2011)「地域婦人会の学びはいつも
OJT」『EWEC 実践研究』1:75 - 85
大和村婦人会の活動は時代の流れに沿って多岐に渡
[6]堀口知明(1964)
「地域婦人団体の成立(1)」
『福
り,女性自身が成長するための学習活動から,地元地
島大学学芸学部論集 教育・心理』296:29 -
域のためのボランテイア活動,広域社会との連携活動
35
まで,多様な活動で社会参加を行い,女性団体と女性
[7]真鍋知子(2005)「市町村合併と地域婦人会:鹿
自身のエンパワーメントを世に知らせた.「結成され
児島県の事例から」『金沢法学』48(1)
:1 - 28
て以来,時代の流れに沿って,地域の諸問題を解決す
ることを図り,実践活動を継続してきている」,「ボラ
ンテイア活動を中心とし,地域の活性化の原動力」24
参考資料
[1]奄美大島婦人連絡協議会(1979)『奄婦連記念誌
24 「大和村公民館の資料 平成 16 年『村地女連結成 50 周年式
典』を参照.
奄婦連だより(36 号))』
[2]奄美大島婦人連絡協議会(1987)『奄婦連記念誌
報告 地域婦人会の現状と問題−奄美大島大和村婦人会の事例を中心に−
47
奄婦連だより(44 号)』
[3]奄美大島婦人連絡協議会(1990)『奄婦連記念誌
奄婦連だより (48 号)』
[4]奄美大島婦人連絡協議会・奄美大島女性団体連絡
協議会(2002)『奄地婦連結成 50 周年 奄女団
連結成 20 周年 記念誌』
[5]大和村地域婦人連絡協議会(1994)『あゆみ』
参考URL(2012年2月20日現在)
[1]「奄美大島」「ウィキぺディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%84%E7%
BE%8E%E5%A4%A7%E5%B3%B6#.E9.83.BD.E5.
B8.82.E5.9C.8F [2]「日本赤十字社 大阪府支部」
http://www.osaka.jrc.or.jp/volunteer/young.
html
[3]「現在の人口・世帯数」「大和村役場」 http://www.vill.yamato.lg.jp/update/146.asp [4]「奄美群島の概況」「鹿児島県ホームページ」
http://www.pref.kagoshima.jp/aq01/
chiiki/oshima/chiiki/zeniki/gaikyou/
h23amamigaikyou.html [5]総務省ホームページ コミュニティ研究会 配布
資料 http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/
community/pdf/070207_1_sa.pdf
き
けい し
季 慶芝 中国江蘇省徐州市生まれ.鹿児島市在住.
中国山東省山東師範大学外国語学院日本語言語学科修
士課程修了.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程地
域科学政策専攻島嶼政策コース在学中.
48
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
報告
奄振法延長をめぐる動きと今後の展望
−人々の声をどこまで反映できるのか−
人文社会科学研究科 博士後期課程 島嶼政策コース 1 年
池田 忠徳
7.1 はじめに(背景と目的)
スで 200 億円ほどの規模になっている.
奄振事業は,国が定めた奄美群島振興開発基本方針,
7.1.1 研究の背景
1
奄 美 群 島 は,1953 年( 昭 和 28 年 )12 月 25 日
県が定める奄美群島振興開発計画をベースに策定され
ているが,この計画の目的は,交通基盤,産業基盤,
に米軍の信託統治下から日本へ復帰した.この日本復
生活基盤などの社会資本の整備や産業振興,人材育成
帰に伴って,1954 年(昭和 29 年)6 月 21 日に制定
等を行い,奄美群島の自立的発展を促進するというこ
されたのが,法律第 189 号「奄美群島復興特別措置法」
とである.そのため,新たな産業発展を促すよう各施
である.
策を展開してきた.また,群島民の起業,中小企業の
同法は,5 年間の時限立法であり,制定時の「奄美
金融的なサポートを直接行う機関として,奄美群島振
群島復興特別措置法」から 1964 年(昭和 39 年)に「奄
興開発基金という独自の金融組織も設置されている 2.
美群島振興特別措置法」となり,1974 年(昭和 49 年)
奄振事業の効果として,奄美群島の港湾・道路・空
に「奄美群島振興開発特別措置法」と改称され現在に
港・都市計画・下水道等のハード整備は格段に進歩し,
至っている.
群島民の生活水準も高度経済成長とも相まって飛躍的
この「奄美群島振興開発特別措置法(以下奄振法と
に向上したと言える.
いう)」に基づく「奄美群島振興開発事業(以下奄振
事業という)」は,先の奄美群島復興事業から数えて,
奄振の成果(例)
他方,奄振
奄振の成果(例)
実に 59 年もの間,奄美群島の自立的発展ということ
3
容 は,奄美の
を目標にして存続し,同事業により多額の財政措置が
もとより,生
講じられてきた.その総額は 2 兆 2 千億円にのぼり,
や祭祀の運営
多い年度では,国土交通省計上分の事業費ベースで年
民生活を大き
間 850 億円超,国費ベースで 590 億円超の予算が計
る4.
上されたこともあった.但し,前政権(民主党)にお
奄振法は,
ける,公共事業縮小の影響で,平成 24 年度は国費ベー
1 奄美大島,加計呂麻島,請島,与路島,喜界島,徳之島,沖
永良部島,与論島の有人 8 島から成り,鹿児島市の南西約
370 〜 560 ㎞の範囲に位置し琉球弧の一部を構成する.総
面積は,
1,231 ㎢.この内奄美大島は 712 ㎢であり,
沖縄本島,
佐渡島に次ぐ大きさである.気候は亜熱帯性気候で,四季を
通じて温暖・多雨.台風の常襲地帯である.また,近年,世
界自然遺産の候補地として注目されており,その自然は,特
別天然記念物アマミノクロウサギをはじめとした希少野生動
植物の宝庫とも言われている(国土交通省ホームページ「奄
美群島の概要」など参照)
.
れまで実に
であるが,こ
① 大浜海浜公園の園地整備事業,海洋展示館及びタ
① 大浜海浜公園の園地整備事業,海洋展
ラソテラピー施設「奄美の竜宮」が見える.(筆
示館及びタラソテラピー施設「奄美の竜
者撮影)
宮」が見える.
(筆者撮影)
交付金化の議
な議論が増し
2 奄振事業により,奄美群島振興開発基金には毎年出資金が計
上されている.以前は,3 億円の出資額であったが,近年の
奄振予算の減額により現在は 2 億円となっている.
報告 奄振法延長をめぐる動きと今後の展望−人々の声をどこまで反映できるのか−
てみると,ハ
49
その内発的な
村といった執
きたのかとい
るものである
奄振法は,
されている.
島民の時の政
的な法律であ
年ごとの延長によって,こ
る4奄振法は,5
.
れまで実に
59 年ごとの延長によって,こ
年もの間存続してきたわけ
奄振法は,5
であるが,ここ
年ほどの議論を振り返っ
れまで実に
59 20
年もの間存続してきたわけ
① 大浜海浜公園の園地整備事業,海洋展
示館及びタラソテラピー施設「奄美の竜
①
大浜海浜公園の園地整備事業,海洋展
宮」が見える.
(筆者撮影)
示館及びタラソテラピー施設「奄美の竜
宮」が見える.
(筆者撮影)
てみると,
ハードとソフトの在り方の問題,
であるが,
ここ
20 年ほどの議論を振り返っ
交付金化の議論等,住民の側からの自発的
てみると,
ハードとソフトの在り方の問題,
な議論が増してきているとも感じる.ただ,
交付金化の議論等,住民の側からの自発的
その内発的な議論に対して,国・県・市町
な議論が増してきているとも感じる.
ただ,
村といった執行サイドがどのように答えて
その内発的な議論に対して,国・県・市町
疑問を呈するものである.
きたのかという点では,大いに疑問を呈す
村といった執行サイドがどのように答えて
奄振法は,そもそも議員立法 5 として策定されてい
るものである.
きたのかという点では,大いに疑問を呈す
る.つまり,内実はどうであれ群島民の時の政治力に
奄振法は,そもそも議員立法5として策定
るものである.
よって成さしめた内発的な法律であったはずである.
されている.つまり,内実はどうであれ群
奄振法は,そもそも議員立法5として策定
しかし,近年では法延長の際に執行サイドからの情報
島民の時の政治力によって成さしめた内発
されている.つまり,内実はどうであれ群
だけに頼って,半ば誘導されるかのように法延長の
的な法律であったはずである.しかし,近
島民の時の政治力によって成さしめた内発
機運が醸成され,法延長と同時に静かな生活に戻ると
年では法延長の際に執行サイドからの情報
的な法律であったはずである.しかし,近
いったイベント的・セレモニー的な存続形態を繰り返
② 3 万トンバースとして拡張整備された
だけに頼って,半ば誘導されるかのように
しているようにすら思える.
年では法延長の際に執行サイドからの情報
法延長の機運が醸成され,法延長と同時に
奄美は今まさに,奄振事業という大きな財政措置を
だけに頼って,半ば誘導されるかのように
名瀬港に入港した大型クルーズ船,八月お
料)
どりでの出迎えの様子.
(奄美市広報係資
静かな生活に戻るといったイベント的・セ
奄美の人々が自らのものとして最大限に生かしていく
法延長の機運が醸成され,法延長と同時に
レモニー的な存続形態を繰り返しているよ
よう,その政策に様々な角度から積極的にアプローチし
静かな生活に戻るといったイベント的・セ
料)
なければはならない時期にきているのではなかろうか.
うにすら思える.
レモニー的な存続形態を繰り返しているよ
そして,そのことを深く考察するには,これまでの
奄美は今まさに,奄振事業という大きな
うにすら思える.
② 3 万トンバースとして拡張整備された名瀬港に入
名瀬港に入港した大型クルーズ船,八月お
港した大型クルーズ船,八月おどりでの出迎えの
3 万トンバースとして拡張整備された
②
様子.
(奄美市広報係資料)
どりでの出迎えの様子.
(奄美市広報係資
ようなトップダウンの制度論や在り方の提示,行政的
財政措置を奄美の人々が自らのものとして
奄美は今まさに,奄振事業という大きな
な思考方法,経済学的な財政論の手法ばかりではな
最大限に生かしていくよう,その政策に
財政措置を奄美の人々が自らのものとして
く,奄美の人々がどのように感じ,どのような生活設
様々な角度から積極的にアプローチしなけ
最大限に生かしていくよう,その政策に
計,将来像を描いているのかといったことを,地道な
ればはならない時期にきているのではなか
様々な角度から積極的にアプローチしなけ
フィールドワーク・現地調査などのボトムアップの手
ろうか.
ればはならない時期にきているのではなか
③ 都市整備が進んだ奄美市名瀬の市街地,本土並み
③ 都市整備が進んだ奄美市名瀬の市街地,
の生活基盤が整った.(奄美市広報係資料)
本土並みの生活基盤が整った.
(奄美市広
③
都市整備が進んだ奄美市名瀬の市街地,
報係資料)
本土並みの生活基盤が整った.
(奄美市広
このように社会資本の整備は確実に進んできた.
報係資料)
このように社会資本の整備は確実に進んで
7.
1.2 問題意識と目的
きた.
このように社会資本の整備は確実に進んで
他方,奄振事業等による経済の大きな変容 3 は,奄
7.1.2 問題意識と目的
きた.
美の各集落を動かし,農村経営はもとより,生産組織,
7.1.2
問題意識と目的
親族組織,村落自治や祭祀の運営方法にいたるまで,日2
法によって導き出すこと,いわば人類学や社会学的な
ろうか.
3
視点を持つことも必要であると考えている.
筆者の見解では,高度経済成長の時期と
奇しくも,来年度(2013 年度)は,奄美群島の本
相まった奄振事業の影響と考える.
筆者の見解では,高度経済成長の時期と
60 年,奄振法制定から 59 年が経ち,12
皆村武一(2003)109
頁.
相まった奄振事業の影響と考える.
5 回目の法延長の時期を迎える.
4 時の政権与党は,吉田茂首相が率いる自
皆村武一(2003)109 頁.
年(平成 29 年)4 月の
この機会に,奄振の影響を冷静に分析し,奄美の持
5 由党であり,1954
時の政権与党は,吉田茂首相が率いる自
選挙で奄美群島区から選出された保岡武
つ自然・文化の優位性,人々の生活の営みといったも
由党であり,1954
年(平成 29 年)4 月の
久代議士(自由党)ほか
24 名の連名によ
選挙で奄美群島区から選出された保岡武
のがどのように生かされ,反映されるのか,という視
って法案が提出されている.
久代議士(自由党)ほか
24 名の連名によ
3
4 土復帰から
点から,今回のプロジェクト研究では,具体的な事例
って法案が提出されている.
を取り上げ考察を加えた.
常の住民生活を大きく揺るがしたことは事実である 4. 2
奄振法は,5 年ごとの延長によって,これまで実に
7.2 現地調査とインタビュー
59 年もの間存続してきたわけであるが,ここ 20 年ほ
どの議論を振り返ってみると,ハードとソフトの在り
7.2.1 調査対象地の選定について
方の問題,交付金化の議論等,住民の側からの自発的
筆者は,これまでの研究過程における論点の一つと
な議論が増してきているとも感じる.ただ,その内発
して,奄振事業における公共事業の在り方を取り上げ
的な議論に対して,国・県・市町村といった執行サイ
てきた.今回のプロジェクト研究では,大型公共事業
ドがどのように答えてきたのかという点では,大いに
3 筆者の見解では,高度経済成長の時期と相まった奄振事業の
影響と考える.
4 皆村武一(2003)109 頁.
50
5 時の政権与党は,吉田茂首相が率いる自由党であり,1954
年(平成 29 年)4 月の選挙で奄美群島区から選出された保
岡武久代議士(自由党)ほか 24 名の連名によって法案が提
出されている.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
察するには,
ンの制度論や
方法,経済学
なく,奄美の
ような生活設
といったこと
・現地調査な
って導き出す
的な視点を持
いる.
度)は,奄美
振法制定から
の時期を迎え
7.2.2
7.2.2 人々
① 理髪店経
7.2.2 人々
Aさんは,
① 理髪店経
町で理髪店を
①Aさんは,
理髪店経
親)が鮮魚店
町で理髪店を
Aさんは,
釣り好きが高
親)が鮮魚店
町で理髪店を
格を持つ.
釣り好きが高
親)が鮮魚店
理髪店とい
格を持つ.
釣り好きが高
ことと,漁協
理髪店とい
格を持つ.
湾や漁港整備
ことと,漁協
理髪店とい
るのか,あわ
湾や漁港整備
ことと,漁協
考えているの
るのか,あわ
湾や漁港整備
Aさんは,
考えているの
るのか,あわ
整備は進んだ
Aさんは,
考えているの
が多いと指摘
整備は進んだ
Aさんは,
り住んでいな
が多いと指摘
整備は進んだ
過ぎていると
り住んでいな
が多いと指摘
知名瀬に住む
過ぎていると
り住んでいな
ことから,詳
知名瀬に住む
過ぎていると
知名瀬港の
ことから,詳
知名瀬に住む
への説明が行
知名瀬港の
ことから,詳
落の東側の岬
への説明が行
知名瀬港の
とから,大浜
落の東側の岬
への説明が行
知名瀬港を大
とから,大浜
落の東側の岬
ジャーボート
知名瀬港を大
とから,大浜
ー機能を備え
ジャーボート
知名瀬港を大
言う.それで
ー機能を備え
ジャーボート
とであった.
言う.それで
ー機能を備え
なっておらず
とであった.
言う.それで
停泊する漁港
なっておらず
とであった.
明を受けた漁
停泊する漁港
なっておらず
り,内心はお
明を受けた漁
停泊する漁港
文句を言う人
り,内心はお
明を受けた漁
死んだ人もい
文句を言う人
り,内心はお
このような
死んだ人もい
文句を言う人
奄振法が延長
このような
死んだ人もい
として筆者が着目した港湾(漁港)整備について事例
を挙げ,現地調査を行った.また,これに関連して奄
振についてどのような意見があるのかということを,
全体的な視点及び今回取り上げた港湾整備についての
視点といった内容を中心にインタビューを行った.
な港湾・漁港整備が行われてきたが,各集
なお,調査対象地は,奄美市名瀬大字知名瀬 6 の知
落の人口は,数百人規模であり,その効果
名瀬港(漁港)とした.その理由は,奄振事業により,
に対して,あるいは地域住民の声が本当に
多くの集落で大規模な港湾・漁港整備が行われてきた
反映されたものなのかどうかということに
② 埋め立て部分と広い後背地の一部.
(筆
ついて疑問が生じたからである.
者撮影)
② 埋め立て部分と広い後背地の一部.
(筆
が,各集落の人口は,数百人規模であり,その効果に
対して,あるいは地域住民の声が本当に反映されたも
その一例として,人口約 370 人の知名瀬
のなのかどうかということについて疑問が生じたから
集落において,平成 2 年から平成 18 年まで
である.
施工された大規模な港湾整備事業を取り上
② 埋め立て部分と広い後背地の一部.(筆者撮影)
者撮影)
(筆
② 埋め立て部分と広い後背地の一部.
者撮影)
その一例として,人口約 370 人の知名瀬集落におい
げた.
て,平成 2 年から平成 18 年まで施工された大規模な
同事業には,
港湾の改修事業に約 35 億円,
港湾整備事業を取り上げた.
環境整備に 1 億 9000 万円,総額 36 億 9000
同事業には,港湾の改修事業に約 35 億円,環境整
万円の巨費が投じられている.
備に 1 億 9000 万円,総額 36 億 9000 万円の巨費が
相当な埋め立てを含む大規模事業を行っ
投じられている.
たにも関わらず,隣接する大浜海浜公園を
相当な埋め立てを含む大規模事業を行ったにも関わ
控えた観光拠点の港湾としての役割は果た
静に分析し, らず,隣接する大浜海浜公園を控えた観光拠点の港湾
されず,単なる集落の漁港としての位置づ
性,人々の生 としての役割は果たされず,単なる集落の漁港として
ように生かさ
視点から,今
具体的な事例
けになっている.
の位置づけになっている.
このようなことを踏まえて,現地調査と
この
よ う な こ と を 踏 ま え て, 現 地 調 査 と イ ン タ
インタビューを行った.
ビューを行った.
知名瀬港の様子
知名瀬港の様子
③ 港湾中央の道路:約 400mの直線.
(筆
③ 港湾中央の道路:約
400 mの直線.(筆者撮影)
者撮影)
③ 港湾中央の道路:約 400mの直線.
(筆
者撮影)
③ 港湾中央の道路:約 400mの直線.
(筆
者撮影)
いて
程における論
おける公共事
.今回のプロ
事業として筆
備について事
④ 内防波堤,外防波堤の二重構造となっている.(筆
④ 内防波堤,外防波堤の二重構造となっ
者撮影)
.また,これ
ような意見が
的な視点及び
いての視点と
ューを行った.
市名瀬大字知
た.その理由
集落で大規模
集落.名瀬市
20 分.
① 防波堤内側部分の船溜まり様子,数隻の船しか係
① 防波堤内側部分の船溜まり様子,数隻
留されていない.
(筆者撮影)
の船しか係留されていない.(筆者撮影)
6 奄美市の南西部に位置する集落.名瀬市街地から大和村方面
へ車で約 20 分.
人々
ている.
(筆者撮影)
④ 内防波堤,外防波堤の二重構造となっ
7.2.2 人々(インフォーマント)の声
ている.
(筆者撮影)
④ 内防波堤,外防波堤の二重構造となっ
奄振法が延長
このような
遊覧船,ヨ
奄振法が延長
① 理髪店経営Aさん(50 才代男性).
ャーで使用す
7
ている.
(筆者撮影)
遊覧船,ヨ
Aさんは,知名瀬集落の近くにある朝仁町で理髪店
7
を経営している.また,実家(母親)が鮮魚店を経営4 ャーで使用す
遊覧船,ヨ
報告 奄振法延長をめぐる動きと今後の展望−人々の声をどこまで反映できるのか−
51
7
4 ャーで使用す
4
している関係と本人の釣り好きが高じて,名瀬漁協の
大きすぎるとしながらも,4 年前(平成 21 年)の奄
組合員の資格を持つ.
美豪雨災害の際は,大量に出た,災害廃棄物等の仮置
理髪店という関係から幅広い情報が入ることと,漁
協の組合員という立場から,港湾や漁港整備について
どのように感じているのか,あわせて奄振に対してど
のように考えているのか聞いてみた.
Aさんは,奄振事業によって確かに基盤整備は進ん
だが,近年では無駄な公共事業が多いと指摘する.特
き場として利用したが,広い敷地が役立ったのはその
時ぐらいのもの.
港湾整備よりも,豪雨災害の時,氾濫した知名瀬川
の河川改修に力を入れて欲しい.公共事業は否定しな
いが,集落や住民の意向に沿ったもの,生活に密着し
た事業を要望する.
に人のいない(あまり住んでいない)集落に港湾や漁
次期奄振については,小規模校の学童確保(里親制
港を作り過ぎていると言う.知名瀬港については,知
度等の就学支援)や若者の雇用,自治会・町内会など
名瀬に住む漁業関係者の知りあいもいることから,詳
地域コミュニティが使いやすい予算等の政策を期待す
しい話が聞けた.
る.
知名瀬港の整備が始まる前,事前に地元への説明が
行われたが,その際,知名瀬集落の東側の岬と大浜海
③ 知名瀬集落に在住するCさん(50 才代男性).
浜公園が隣接することから,大浜海浜公園の観光整備
Cさんは,知名瀬集落に在住し,隣りの小宿に位置
と併せて,知名瀬港を大規模に改修し,遊漁船やプレ
する奄美市総合運動公園の近くで,奄美の農水産物を
7
ジャーボート 等も停泊するマリンレジャー機能を備
直売している.Cさんにとっては,知名瀬港は愛着の
えた港の建設の話しがあったと言う.それで,大規模
ある場所でもある.と言うのは,二重の防波堤で仕切
な改修が必要とのことであった.しかし,実際にはそ
られた知名瀬港は,「奄美まつり」の舟こぎ競争 8 に
のようになっておらず,主に地元の漁船が 10 隻ほど
参加する知名瀬子ども会チームの格好の練習場所であ
停泊する漁港となっている.その当時,説明を受けた
り,Cさんは,その舟のかじ取り役兼監督を務めてい
漁師の人たちも高齢になっており,内心はおかしいと
たからである.
思っていても今さら文句を言う人はいないのではない
か,もう死んだ人もいるはずだ,とのことである.
しかし,奄振事業の在り方として,公共事業ではな
く,地元農産物,水産物を取り扱っている関係から,
このようなことから,Aさんに来年度,奄振法が延
地産地消はもちろん,本土へ向けた奄美の産物の売り
長されることについてたずねると,道路や港湾といっ
込みや生産農家育成,流通の改善の必要性を述べてい
た建設業者ばかりが儲かる仕組みではなく,観光や企
た.
業誘致等によって外から人が入ってくることにお金を
また,各種補助事業のメニューが,一般の人にもわ
使えないかと言う.ただ,シマは働く場所がないので
かるような一覧表が欲しいとのことである.そして,
人口をこれ以上減らさないためにも,土建業がなくな
奄美の子ども達が将来シマに帰って仕事に就くことが
るのは困るだろうとも言い,シマに働く場所さえあれ
できるような政策を強く希望していた.
ば,若者も帰って来ることができるので,雇用という
④ 奄美市内で会社経営をしているDさん(60 才
点を重視していた.
代男性).
② 知名瀬集落元区長のBさん(70 才代男性).
Dさんは,経営者として奄美の経済活動を担ってき
3 年前まで知名瀬集落の区長をしていたBさんは,
知名瀬港の整備について,この集落の規模からすれば
7 遊覧船,ヨット・クルーザーなどのレジャーで使用する船の
こと.
52
8 「奄美まつり」は奄美群島の中でも最大の祭りであり,毎年
八月上旬に行われる.舟こぎ競争は,その中でもシマッチュ
(島の人)が最も熱くなるイベントで,4000 人ほどの観客
の前で終日行われる.その子ども会の部で常に優勝候補に挙
がっているのが,知名瀬子ども会である.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
たひとりであり,経営団体や中心商店街の役員,PT
A会長など地域のリーダー的役割を果たしてきた.ま
7.3 奄振法延長へ向けた国・県・市町村の始
動
た,Dさんは,奄美市の指定管理者 9 の先駆者として,
名瀬地区の公民館経営にも携わってきた.このような
7.3.1 国・県の動き
立場から,奄振事業についても確固たる考え方を持っ
奄振法は,平成 25 年度末(平成 26 年 3 月末)で
ていると感じた.Dさんによれば,これまでの社会資
期限切れとなる,時限立法(日切れ法案)である.こ
本の整備を全部否定するわけではないが,大型の公共
の延長へ向けて,国(国交省)
・県は着々と準備を行っ
事業はもう必要ないと言う.そして,役所が主体とな
ている.
るのではなく,公共事業を行うに当たっても,民間の
まず,国の動きであるが,平成 24 年 1 月に国土交
活力を十分に引き出し,民間と行政が協力して事業を
通大臣の諮問機関である奄美群島振興開発審議会 12 を
行うべきであると言う.Dさん本人が市の指定管理者
開き,新たな委員を選出している.新会長は,鹿児島
であったこともあり,民間と行政の在り方については,
大学の元教授で現志學館大学教授の原口泉氏である.
10
11
「P.P.P」 や「P.F.I」 といった手法の必要性を特に述
べていた.
この審議会が,最終的・実質的に民意を反映したいわ
ば公聴会的な役割を果たす.しかし,行政側が設置す
また,新たな政権によって,従来型の公共事業が復
る審議会というものは,制度に対してあまり批判的な
活することへの懸念もあると言う.公共事業を否定す
立場の人を委員にお願いすることは少ない.また,諮
るものではないが,維持管理,補修といったこれまで
問機関であるため決定権はなく,結局は国に全権があ
整えてきたインフラ整備のメンテナンスを行う時代で
るといっても過言ではない.
はないかと言い,次期奄振法延長には,このような新
しい考え方が反映されることを期待したいとする.
この国の動きに呼応するように,県も「奄美群島の
在り方検討委員会」を新たに設置した.奄振法の延長
の前年度に県が実施する奄美群島振興開発総合調査の
今回取り上げた4名のインフォーマントへの取材か
一環で,奄振法の総括を行うとともに,群島の所得水
ら得た率直な感想は,立場や職業が違うため温度差は
準をはじめとする経済面の本土との格差や人口の流出
あるものの,シマの振興・活性化という点では,非常
など様々な課題について幅広い観点から議論し,今後
に関心が高いということ,奄美の持つ自然,文化,民
の奄振事業の方向性をまとめ,知事に提言する.前述
間の活力といったものを十分に引き出す施策,シマで
の国の審議会の鹿児島県バージョンのようなものであ
働くことのできる雇用政策を強く要望していること,
るが,委員長には,元自治事務次官で奄振審議会の委
従来型の港湾・漁港整備といった大規模な公共事業は
員も務めた松本英昭氏が就いている.
期待していないが,住民生活に必要な公共事業は否定
しないこと等である.
この在り方検討委員会における議論のたたき台は,
①奄美群島の在り方,②定住人口,③交流人口,④奄
美群島が抱える格差是正に向けた課題,⑤全体的な施
策,という 5 部の構成から成り,農業・観光・情報通
信の 3 分野を基軸に産業振興を図るべきとしており,
9 それまで地方公共団体やその外郭団体に限定していた公の施
設の管理・運営を,営利企業・財団法人・NPO 法人・市民グルー
プなど法人その他の団体に包括的に代行させることができる
制度である.
10 行政と民間がパートナーを組んで事業を行うという新しい
「官民連携」の形のこと.
Public Private Partnership の略.欧米で 1990 年代後半に
普及した概念.
11 PFI(Private Finance Initiative)とは , 公共施設等の建設,
維持管理,運営等を民間の資金,経営能力及び技術的能力を
活用して行う新しい手法.
ICT(情報通信技術)を活用した地域づくり,アジ
アを視点に入れた観光施設の誘致,移動コストの低減
と消費税の軽減税率の導入検討,奄美群島の自主的な
選択に基づく一括交付金の創設などを盛り込んだ.
12 奄美群島の振興開発に関する重要事項を調査審議する国(国
交省)の諮問機関.奄振法に明記されている.
報告 奄振法延長をめぐる動きと今後の展望−人々の声をどこまで反映できるのか−
53
このように国・県とも,法延長へ向けて,既定の路
線を着実に進めており,このことは,奄美にとっても
県へ提出され地元意見として反映させることとしてい
る.
基本的には喜ばしいところである.各委員もどちらか
基本構想である奄美群島成長戦略ビジョンとそれを
と言えば,農業・観光・情報通信といった分野のソフ
具体化した基本計画はそれぞれ 10 年間,そして実際
ト的な内容の充実を具申しているようだ.これらのこ
の事業へと反映させる実施計画は 5 年間を対象期間と
とを着実に政策に落とし込むことが必要であろうし,
している.
その後の精査も必要である.
今回,市町村においては,奄美群島成長戦略懇話会
7.3.2 地元市町村の動き(奄美群島成長戦
を設置し,県においては奄美群島在り方検討委員会を
略ビジョンについて)
設置するなど,より外部からの意見を反映させる仕組
また,法延長を見据え,地元市町村の動きも本格化
してきた.
みづくりを行ってきた.これは,行政側の演出である
にせよ新しい試みであり,とりあえずは評価されると
平成 24 年 4 月 20 日には,
「奄美群島成長戦略ビジョ
ころである 14.
ン」の提言・成果検証機関と位置付けられている奄美
群島成長戦略懇話会の初会合が鹿児島市において開催
7.4 まとめ
された.
この奄美群島成長戦略ビジョンは,奄美の 12 市町
インフォーマントとして拾い上げた事例は,まだま
村が 2012 年度(平成 24 年度)中の策定を目指して
だ少ない.しかし,これらの人々の声と,今回,延長
おり,その内容を議論し検証する奄美群島成長戦略懇
へ向けた地元行政側の立案内容を比較しても,大きな
話会は,群島内の市町村長や奄美関連の有識者をはじ
差異は感じられない.
め,県や県議会,国土交通省,奄美群島広域事務組合
総じて,奄美の特徴を生かした観光政策や奄美に定
の代表ら 16 人で構成されている.座長には,国の奄
着して働くことのできる雇用政策が,切望されており,
振審議会会長でもある志學館大学教授の原口泉氏が,
行政側のプランにも主要事項として盛り込まれてい
座長代理には琉球大学副学長の大城肇氏が選出され
る.
た.この奄美群島成長戦略懇話会によって,次期奄振
これを,次期奄振計画,予算に的確に反映させるこ
に地元の意向を反映させるべく,奄美群島成長戦略ビ
と,計画倒れに終わらないためには,特に法延長の後
ジョンを策定し,県そして国へ提案していくというこ
の新たな努力が必要である.
また,本プロジェクト研究の総合テーマである「地
とになる.
奄美群島成長戦略ビジョンの目的は,奄美群島の
域(Region),多様性(Diversity),エンパワーメント
10 年後のあるべき姿を描き,その実現に向けた取り
(Empowerment)」との関連性として,「奄美という地
組みの方向性を基本構想として示すことである.
域の持つ自然・文化・人々の生活の営みといった多様
奄美群島成長戦略ビジョンは,群島内の雇用創出に
性を,奄振によってどれだけ引き出せるのか(エンパ
重点を置き,「農業」「観光」「情報」に加えて,他地
ワーメントできるのか)」ということが,次期奄振に
域との差別化を図るための「文化」,必要な人材を誘
おいても重要であると言える.
致する「定住」の 5 つの分野
13
について,同ビジョ
これを実現するためには,国・県・市町村の垣根を
ンを基本構想とし,基本計画,実施計画を策定する.
取り払った,フランクでフラットな議論と体制づくり
今年度中に同ビジョンを策定し,国の奄振審議会及び
が求められ,それによる双方向のアイデア・政策を創
13 「農業」
「観光」
「情報」
「文化」
「定住」ということが次期奄
振のキーワードとも言える.定住は雇用政策が前提である.
14 筆者は,
集落の区長さんなどが参加し発言できるような,
もっ
とすそ野を広げた組織拡充を唱える.
54
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
然・文化・人々の生活の営みといった多様
性を,奄振によってどれだけ引き出せるの
[4] 皆村武一,2003,『戦後奄美経済社会
論』日本経済評論社.
か(エンパワーメントできるのか)」とい
[5] 山田誠編,2005,『奄美の多層圏域と
うことが,次期奄振においても重要である
離島政策―島嶼圏市町村分析のフレ
と言える.
ームワーク』九州大学出版.
これを実現するためには,国・県・市町
村の垣根を取り払った,フランクでフラッ
トな議論と体制づくりが求められ,それに
参考資料
[1]『南海日日新聞』2012/6/8/金,9 頁,
2012/08/1/水,1 頁.
よる双方向のアイデア・政策を創り出せる
『南日本新聞』2012/6/16/土,4 頁.
り出せるのかということが問われるのである.
[2]奄美群島市町村会,「奄美群島成長戦略ビジョン」
のかということが問われるのである.
[2] 奄美群島市町村会,
「奄美群島成長戦略
奄振における主人公は,奄美の人々であり,その声
骨子.
奄振における主人公は,奄美の人々であ
ビジョン」骨子.
をどれだけ拾い上げ,政策に反映できるのかという [3]鹿児島県離島振興課,2012.9,「奄美群島振興開
[3] 鹿児島県離島振興課,2012.9,
「奄美
り,その声をどれだけ拾い上げ,政策に反
ことは,21
世紀の奄振の展望を開くポイントである.
発アンケート調査」
. 群島振興開発アンケート調査」
.
映できるのかということは,21 世紀の奄振
人々の声を確実に予算化するための複数年次にわたる
[4][4]奄美市広報係,写真資料.
奄美市広報係,写真資料.
の展望を開くポイントである.人々の声を
地道なフィールド調査とフレキシブルな予算体系(大
参考URL
確実に予算化するための複数年次にわたる
[1] 参考URL
国土交通省
地道なフィールド調査とフレキシブルな予
きな規模の一括交付金化)が今後,大いに必要になっ
http://www.mlit.go.jp/kokudoseisa
算体系(大きな規模の一括交付金化)が今
[1]国土交通省
てくると考える.
後,大いに必要になってくると考える.
ku/chitok/crd_amaoga_tk_000008.ht
http://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/chitok/
ml
crd_amaoga_tk_000008.html
[2] 鹿児島県離島振興課
[2]鹿児島県離島振興課
http://www.pref.kagoshima.jp/ac07
http://www.pref.kagoshima.jp/ac07/20120711.
/20120711.html
html
いけだ
ただ の り
池田 忠徳
奄美大島生まれ.
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博
いけ だ
ただ のり
士前期課程修了.
池田 忠徳 奄美大島生まれ.
同研究科博士後期課程地域政策科学専攻
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士前期課程修
在籍.
参考文献
了.
[1] 鹿児島県大島支庁総務課
同研究科博士後期課程地域政策科学専攻在籍.
参考文献 2010-2011,『奄美群島の概況』鹿児島
奄美市役所勤務.
[1]鹿児島県大島支庁総務課
8
2010-2011,『奄美群島の概況』鹿児島県大島支
庁.
[2]鹿児島県企画部離島振興課,2013,『奄美群島振
興開発総合調査報告書原案』,鹿児島県企画部離
島振興課.
[3]鹿児島大学プロジェクト「島嶼圏開発のグランド
デザイン」編,2004,『奄美と開発』南方新社.
[4]皆村武一,2003,『戦後奄美経済社会論』日本経
済評論社.
[5]山田誠編,2005,『奄美の多層圏域と離島政策―
島嶼圏市町村分析のフレームワーク』九州大学出
版.
参考資料
[1]『南海日日新聞』2012/6/8/ 金,9 頁, 2012/08/1/ 水,1 頁.
『南日本新聞』2012/6/16/ 土,4 頁.
報告 奄振法延長をめぐる動きと今後の展望−人々の声をどこまで反映できるのか−
55
プロジェクト研究を振り返って
髙野 哲也
プロジェクト研究では,地域,多様性,エンパワーメントがメインテーマになった.地域政策科学に必須の3つのワー
ドである.ただ,この抽象的な単語の持つ幅広さの中で自己の研究テーマに引きつけるのは,さほど苦労はしなかった.
むしろ,ジャストミート感すらある.問題は,純粋に思考上の必要からつくられたコミュニティビジネスという分析の
為の概念を特定の地域実体に落とし込むことの是非という研究方法論上の難問があった.今次の地方地域社会の中にあ
る喫緊の課題は,世代交代に伴う,世代間継承であろうという観点から云うと,この分析概念はソフトランディングが
可能になろう.過疎化は,地方の一極的な問題ではなく,日本全体をして相互に人の排出・吸収の上に起こるべきして
出現しており,解決の糸口を伝統的なものに求める視点を見出せた.戦前戦後という時間軸と都市山村という地域軸の
交差するステージにあって,今を生きる各世代は,この課題の整理を担うことになる.地域の課題は何か,今回のプロ
ジェクト研究で久しぶりにフィールドに出る楽しさを味わう事ができた.自分の中に蓄積された情報が新しいものに更
新される時程,リアルな瞬間はないからである.生のサンプリング資料は,色々な意味づけによって様々な角度から解
体され咀嚼させて頂いた.
最後に,今回のプロジェクト研究報告書の作成にあたり,ご指導頂いた先生方と博士課程の皆さん,教務補佐員,そ
して多くの方々にご助言,ご助力を頂いたことに感謝申し上げます.
中武 貞文
インタビューを通じて,記録の取得と言語化する作業に大きな意味を感じました.漠然と頭にあることを,見聞きし
たことを言葉にすることで理解不足の点,論理が一貫していないことが明確になり,今の研究の位置を知ることができ
ました.今までは博士論文に直結する事象に焦点をあてていましたが,その周辺にも目を配らなければならないことに
も気づかされました.現場の声を拾い集める作業をこれからも積極的に行い,そこから得られる情報を分析し,深い論
考へと繋げていきたいと考えています.まずは,今回の調査から得られた「ソーシャルビジネス候補」の整理を,定義
も含め精緻に行うこと,周辺の事業者だけでなく,行政や大学教員などへもインタビューを展開することなど考えてい
ます.この他の研究の「幹」としては,アンケートによる定量的な分析も準備しています.これらの取り組みを,論文
完成にのみに役立てるだけではなく,自分の所属する組織にもフィードバックさせ,日々の業務を通じて積極的に成果
を地域に発信し,地域活性化に貢献したいと考えています.これらの契機を与えて頂いたこの「プロジェクト演習」と
いうプログラムに感謝すると共に,適切な指導を頂いた先生方,そしてアドバイスをくれた先輩,仲間に感謝いたしま
す.最後になりましたが,アンケートに協力頂いた皆様にもこの場を借りて感謝申し上げます.
プロジェクト研究を振り返って
57
岩川 直浩
プロジェクト研究では,農山村地域の活性化に役立てる取り組みとして,鹿児島大学重点領域研究環境学地球温暖化
チ-ムと下田町むらづくり委員会とで,疎水溝から引水している巌洞ファ-ムに簡易水力発電を設置し自然エネルギ-
を農地に活用する実証実験を平成 23 年の 12 月より続けている.設置にあたり地域へのコミットメントをより多くの
住民に対して考える必要があった.特に地域住民のなかには,農村景観に人工的なものを設置するのを快く思わない人
もいた.町内会などへの訪問で理解を得たが,より多くの住民の賛同を得ることがプロジェクト研究の要となる.その
ために地域主体のイベントを企画した.下田町に引き続き 2 ヵ所目は出水市農業公園の用水路に設置し,下田町と同様
にイベントを開催し多くの住民が集まり理解を得ることができた.身近で簡単なシステムで自然エネルギーにより発電
できる.燃料コストはかからないが集塵カゴの掃除など地域主体での管理が必要となる.僅かな発電で実用性は限られ
るが,新しい地域資源の提案として今後に期待したい.最後に,ご協力頂いた下田町,高尾野町住民,鹿児島市,出水
市役所の職員の方々,ご指導頂いた先生方に感謝を申し上げたいと思います.
熊 華磊
近年,日本においても,私の母国である中国においても,大きな自然災害や社会変動などの問題に直面しています.
その際,国全体だけでなく,各地域,各集団のエンパワーメントが求められています.そして,個人主義が進んでいる
なか,地域や集団内にいる多様な人々に対して,どのように対応し,そしてまとめるのかが,エンパワーメントを考え
る上での重要な問題になると思います.以上が,今回のプロジェクト研究の大テーマ「地域・多様性・エンパワーメン
ト」の研究背景に対する私なりの理解です.
私の研究テーマは,
「日本の花見文化」です.そして,私の目指している研究は,花見を日本社会から切り出して研
究するものではなく,日本社会における様々な地域の中で花見を描くものです.そこで,今回のプロジェクト研究では,
「集落の花見―鹿児島県伊佐市大口白木集落の事例より―」をテーマとしました.本研究では,白木集落という地域に
おける花見を地域のエンパワーメントとして捉え,地域がエンパワーメントする場面で多様性の問題とどのように関連
し合うのかについて考察しました.これによって,私の目指した「地域と花見」に関する研究をある程度実現でき,嬉
しく感じています.
最後に,今回の研究にあたって,調査にご協力頂き,優しく接して下さった白木集落の方々,そして,発表及び報告
書の作成に際して親切にご指導,ご助言してくださった先生方や,博士後期過程の先輩方,一緒にプロジェクト研究に
取り組んだ博士後期課程 1 年生の仲間達に,感謝を申し上げたいと思います.本プロジェクト研究で得られた共同研究
という貴重な経験を,今後の研究にも生かしたいと考えています.
58
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
岩山 誠
音声コミュニケーションを中心とする社会において,聴覚障害者は様々な公共サービスの利用に関して障壁に直面し
やすいものである.なかでも,就労支援サービスへのアクセスのしにくさはその最たるもの一つであると言えるだろう.
わが国における障害者雇用促進の取り組みにおける基本的な指針となる障害者雇用対策基本方針(21 年〜 24 年度版)
においては,障害者の障害特性に応じた就労支援の必要性が指摘されていながら,聴覚障害者にとってはコミュニケー
ション面でも,聴覚障害に関する障害特性への理解の面でも適切に対応してもらえない状況がみられる.今回の調査研
究では,そのような現状に対して,利用者にとってより適切なコミュニケーション形態で支援を提供することの重要性
を改めて喚起したいという思いが根本的な動機となっていた.
幸い,県内の支援センターをはじめとする就労支援機関では想像以上に聴覚障害者対応に関して先進的な対応が行わ
れており,フィールドワークを通してそうした取り組みを掘り起こすことができたことは大きな収穫であった.これら
の好事例が他の就労支援機関における聴覚障害者対応整備の参考となれば幸いである.また,私自身,この度の取材を
通して多くの示唆を受けることができただけでなく,障害者の就労支援にかける関係者の熱い思いに触れることで,同
じ就労支援に携わる者としておおいに触発されたものである.厳しい業務環境の中,快く取材に応じてくださった方々
のご厚意に報いさせていただくためにも,これらの成果を今後の研究に活かして参りたい.
最後に,取材にご協力下さった方々はもちろん,ご指導ご助言くださった先生方や先輩・同期の皆様方,さらには離
島取材での宿泊先探しや発表前の自主練習,通訳者派遣に係る調整など様々な場面でご協力下さった多くの方々に伏し
て心より感謝申し上げます.
季 慶芝
現代の日本社会において,女性は子育てや子供の教育,また家庭での看護の分野で,大きな役割を果たしているよう
である.女性組織といえば,
「日本全国地域婦人会連合協議会」が存在する.一方,離島である奄美大島の地域社会で,
深刻な過疎化や高齢化の問題を抱えている地域はまだ数少ないと言える.このような地域社会において,人口の半数以
上を占める女性たちの力は,ますます重要になってくるのではないだろうか.しかし,現在地域婦人会は様々な問題に
直面している.この実情を踏まえて,今回のプロジェクト研究では,自分の課題を「地域,多様性,エンパワーメント」
という共通テーマに関連させ,
「地域婦人会の現状と問題―奄美大島大和村婦人会の事例を中心に―」というテーマ設
定をした.
プロジェクト研究に取り組むため,奄美大島に半年滞在する予定があった.最初は,フィールドワークの経験に乏し,
どのように行えばよいのか迷ってしまった.ある時は,一週間のうちに何度も繰り返しバスで大和村まで通ったことも
あった.しかし,フィールドワークをしたことで,島の生活が体験でき,また奄美大島の人々の優しさと明るさも実感
した.
最後に,本研究にあたって,たくさんの助言をくださり,あたたかく見守ってくださった先生方と先輩方,またお忙
しい中,聞き取り調査にご協力くださった大和村婦人会の役員の方々,会員の方々の皆様に心から感謝申し上げます.
有難うございました.
プロジェクト研究を振り返って
59
池田 忠徳
平成 24 年 12 月 16 日に行われた総選挙によって,自民党が民主党から政権を奪還した.今回のプロジェクト研究
では触れることができなかったが,新しい自民党政権(安倍政権)は,アベノミクスと呼ばれる経済政策を矢継ぎ早に
打っており,平成 25 年 1 月 29 日に閣議決定された 25 年度予算の政府原案において奄振予算は,前年度比 40%増の
237 億円が計上された.予算が増えることは,奄美にとって良いことではあるが,問題はその中身である.今回の増額
は,民主党政権で減らされた農業基盤整備事業の復活が主な内容である.プロジェクト研究で考察してきた,奄美の人々
の声がどこまで反映されているのかと言えば,今回の予算増は旧来型であり,まだまだ道のりはほど遠い.ただ,予算
の枠組みが増えることは可能性も広がると解釈し,この点は今後につなげなければならない.
奄美群島が日本に復帰してから,今年の 12 月 25 日で 60 年である.そしてその 3 ヶ月後の平成 26 年 3 月末日で奄
振法が期限切れとなる.そのため,おそらく年明けの通常国会で改正法案が上程され,奄振延長の運びになると予想さ
れる.
今年 1 年間は,様々な奄美群島の復帰記念イベントが予定されており,あわせて奄振法延長の機運が全郡的に盛り
上がることであろう.しかし問題は,その後である.奄美の人々の熱が冷めないうちに,次の施策へ向けて調査し,起
案していくことが肝要だ.
また,私も研究テーマである「奄振」について,問題点をいくつかのテーマに分類し,今回,プロジェクト研究で学
んだフィールドワークの手法を用いながら,調査・研究を進めていきたい.なお,末筆ながら,本プロジェクト研究に
ご指導たまわった先生方,そして取材協力いただいた皆様に心から感謝する次第である.本当にありがとうございまし
た.
60
鹿児島大学大学院人文社会科学研究科博士後期プロジェクト研究報告会報告集 No.10
プロジェクト研究報告会報告集 第 10 号
印 刷 2013年3月21日
発 行 2013年3月27日
発行所 鹿児島大学大学院人文社会科学研究科
(博士後期課程)地域政策科学専攻
〒 890-0065
鹿児島県鹿児島市郡元一丁目 21 番 30 号
TEL 099-285-3573
URL http://www.leh.kagoshima-u.ac.jp/wp_leh/?page_id=2561
印刷/製本 濱島印刷
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ISSN 1882-5648