なぜ北朝鮮の軍人はクーデターを 起こさなかったのか? 日本国際問題研究所 研究員 宮本 悟 http://www.jiia.or.jp/ miyamoto@jiia.or.jp クーデター クーデターとは、武力によって 迅速に政府の実権を握る行為 を指す。 多くの場合、軍部が武力に よって政府を転覆させる行為 を指す場合が多い。 粛清・左遷はクーデターの一因 1961年5月に韓国でクーデターが起こっ たが、これは左遷されていた2人が主導し た。2人は整軍派と呼ばれる軍改革を推 進するグループの一員であった。朴正煕 はそのリーダー格であった。金鐘泌は若 手将校の中のリーダー格であり、実際に 金鐘泌 朴正煕 クーデター計画を推進した首謀者であっ 陸軍情報参謀部 作戦参謀部長 た。上層部や在韓米軍と衝突した整軍派 企画課長 ↓ は失意の内にそれぞれ左遷されていた。 ↓ 第2軍副司令官 予備役 (他にも、パキスタンやチャドなど粛清や 左遷が原因のクーデターは散見される) 粛清されそうになった 軍人の選択肢 ①政府の味方になって助かろうとする ②国外に亡命する ③クーデターを起こして政府を倒す どれも選択できなかった結果、粛清される 実際、整軍派にも政府の味方になるものがいた 粛清されそうになっても、クーデ ターを起こせない場合とは? クーデターは成功と失敗で大きな差がある。 成功 ⇒ 自分だけでなく、クーデターを起こし た全員が粛清されないで助かる。 失敗 ⇒ 自分だけでなく、粛清に関係ない兵 士も巻き添えにする。 失敗する可能性が高ければ、軍人はクーデ ターを起こせないと考えられる。 クーデターに失敗する場合とは? クーデターに失敗する可能性が高ければ、軍人は、 クーデターを起こすことに躊躇するであろう。 クーデターに失敗する場合とは ①軍隊内の派閥抗争(サミュエル・ファイナー) ②軍隊を分割する制度(サミュエル・ハンチントン) ③軍隊に対抗できる組織の存在(モーリス・ジャノ ヴィッツ) これらの共通点は、政府が軍隊を分割して統制す る形態をとっていることである。 なぜ、朴正煕は左遷される前にクー デターを起こさなかったか? 整軍派が左遷されたときには、軍の上層部に は反整軍派も多かった。だから、クーデターを 起こすことは難しかった。 しかし、整軍派が左遷されると同時に、反整 軍派も左遷された。結果、中立的な参謀総長 が就任し、朴正煕は彼も巻き込むことでクー デターに成功したのである。 朴正煕と金鐘泌による クーデター防止制度 中央情報部に逮捕され、裁判にかけら れた人々。 ●中央情報部の設置 クーデター直後、朴正煕と 金鐘泌は、中央情報部を 設置した。初代部長は、金 鐘泌である。中央情報部 の最初の仕事は、クーデ ターを起こしそうな軍人を 逮捕し、粛清していくことで あった。以後、中央情報部 が機能している間、クーデ ターはなかった。 対抗勢力があればクーデターを 起こすことは難しい 中央情報部の設置による制度改編 クーデターの前 ⇒ クーデターの後 政府 政府 軍隊 軍隊 武装組織 北朝鮮でも軍人粛清はあった ●北朝鮮では、3回にわたって軍人粛清 があったことが確認されている。 1. 1953年 南労党派・遊撃隊の粛清 2. 1958年 延安派・ソ連派軍人の粛清 3. 1968年 満州派軍人の粛清 粛清された北朝鮮の 初代国家元首・金枓奉 北朝鮮のものと言わ れている銃殺現場 北朝鮮初期の派閥と軍隊 朝鮮労働党 ソ連派 民族保衛相 崔庸健 満(州派 朝鮮人民軍 朴憲永 延安派 許ガイ 金枓奉 金日成 満州派 南労党派 南朝鮮遊撃隊 総司令官 満州派、延安派、ソ連派将校多数 李承燁(南労党派) ) 1953年の粛清 原因:朝鮮労働党内の 派閥抗争 対立した派閥はお互い に軍隊を保有 粛清者:満州派・ソ連派 延安派 被粛清者:南労党派 朝鮮労働党 満州派・ソ連派 延安派 朝鮮人民軍 南労党派 南朝鮮遊撃隊 1953年の粛清の結末 ①政府の味方になる⇒あり得たが、重要幹部は不可能 ②国外に亡命する⇒受け入れ国なし ③クーデター ⇒クーデターを起こしても、朝鮮人民軍と 武力衝突する 軍隊(遊撃隊)に対抗できる組織が存在した 結果的に南労党派と遊撃隊幹部は粛清された 1958年の粛清 原因:朝鮮労働党内の派 閥抗争 対立した派閥はお互いに 軍隊に将校を輩出 粛清者:満州派 朝鮮労働党 ソ連派 延安派 満州派 朝鮮人民軍 被粛清者:ソ連派・延安派 満州派軍人 ソ連派・延安派 軍人 1958年の粛清直前の軍隊統制 金日成 (満州派) 朝鮮人民軍 最高司令官 内閣首相 朝鮮労働党 常務委員会委員長 朝鮮労働党 中央委員会委員長 民族保衛省 人民軍党委員会 朝鮮人民軍司令官 朝鮮人民軍各部隊 総政治局 1958年の粛清の結末 ①政府の味方になる⇒味方になっても粛清された ②国外に亡命する⇒ソ連派の選択(ソ連亡命) ③クーデター ⇒ A.軍人の判断だけで軍隊を動員でき ない B.満州派の部隊と武力衝突 軍隊を分割する制度と軍隊内の派閥抗争が存在した 結果的に、ソ連派と延安派は粛清された 1968年の粛清 原因:朝鮮労働党の決定 に対する軍人の反抗 ほぼ純粋に政治家と軍人 の対立 粛清者:満州派党官僚 被粛清者:満州派軍人 (軍司令官) 朝鮮労働党 満州派 朝鮮人民軍 満州派軍人 1968年の粛清直前の軍隊統制 金日成 (満州派) 朝鮮人民軍 最高司令官 内閣首相 民族保衛省 朝鮮労働党 軍事委員会委員長 朝鮮労働党 中央委員会委員長 書記局総書記 人民軍党委員会 朝鮮人民軍司令官 朝鮮人民軍各部隊 総政治局 1968年の粛清の結末 ①政府の味方になる⇒許されなかった ②国外に亡命する⇒受入国なし ③クーデター ⇒ 軍人の判断だけで軍隊を動員できない 軍隊を分割する制度が存在した 結果的に、満州派軍人は粛清された 現在の北朝鮮における軍隊統制 金正日 国防委員会 委員長 朝鮮人民軍 最高司令官 朝鮮労働党 軍事委員会委員長 朝鮮労働党 中央委員会委員長 書記局総書記 政治委員 人民武力部 人民軍党委員会 朝鮮人民軍司令官 総政治局 朝鮮人民軍各部隊 まとめ 北朝鮮の軍人粛清においては、朴正煕時代 の韓国と同じように、軍隊が分割されて統制 されていた。 現在の北朝鮮でも、軍隊は分割統制されて いる。 ⇒現在の北朝鮮でも、クーデターは起こりに くいと考えられよう。
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