有機材料科学を基盤とする有機薄膜太陽電池の開発

有機材料科学を基盤とする有機薄膜太陽電池の開発
(Development of Organic Thin-film Solar Cells Based on Organic Materials Science) 松尾 豊 (Yutaka MATSUO)
東京大学 大学院理学系研究科 化学専攻 〒113-0033 東京都文京区本郷 7-3-1
(Department of Chemistry, School of Science, The University of Tokyo 7-3-1 Hongo, Bunkyo-ku, Tokyo, 113-0033)
E-mail: matsuo@chem.s.u-tokyo.ac.jp
1. は じ め に
今世紀,自然エネルギーの利用の研究がますます盛
2. 有 機 半 導 体 と 有 機 エ レ ク ト ロ ニ ク ス デ バ
イス
んになっている.再生可能エネルギーは,太陽光を直
有機薄膜太陽電池は,有機EL素子,有機薄膜トラ
接的または間接的に利用しているものがほとんどであ
ンジスタと共に有機エレクトロニクスデバイスのひと
る.太陽光発電,太陽熱発電は,直接的利用である.
つ で あ る( 図 2 ).こ れ ら の デ バ イ ス で は ,有 機 半 導 体
水力,風力,波力,潮力発電,バイオマスは太陽光の
が主要な材料として用いられている.π電子はπ結合
エネルギーを間接的に利用するものである.地熱発電
を司る電子として結合する2つの原子の垂直方向に存
は地球内部の熱を利用するものである.太陽電池の年
在する.結合する2原子間に存在し,σ結合をとりも
間生産量は指数関数的に伸びている.しかし太陽光発
つσ電子に比べ,π電子は動きやすい性質を有する.
電は,発電コストが高いというデメリットがある.太
有機半導体には2種類ある.ひとつはp型有機半導体
陽 光 発 電 の 発 電 コ ス ト は お お よ そ 40 円 /kWh く ら い で
で,電子を供与する性質をもつ.電子を他の分子に供
あ る か ら , 電 力 会 社 の 電 力 量 料 金 ( 約 20 円 /kWh) よ
与すると,自身はホール(正孔)をもつことと同等と
り高い.天然ガス火力,石炭火力などでは発電コスト
なり,正孔を輸送する性質をもつ.平面型のπ電子共
が 約 10 円 /kWh で あ る . な お , 原 子 力 発 電 の 発 電 コ ス
役系は多くのπ電子をもち,これが光照射下で分子が
ト も 約 10 円 /kWh 弱 と 試 算 さ れ て い た . こ の よ う に ,
励起されるなどすると,他の分子に電子が移動する.
太陽光発電の最大のネックはコストである.太陽電池
もうひとつの有機半導体はn型有機半導体で,電子を
の発電コストを低下させるねらいもあって,有機薄膜
受容する性質をもつ.もともとπ電子共役系化合物は
太 陽 電 池( 図 1 )1,2) の 研 究 が 行 わ れ て い る .本 稿 で は ,
リッチなπ電子をもつが,π共役系が曲がるなどする
有機薄膜太陽電池に関する基礎的な解説を行い,最近
と,電子を受け取る性質も強くなる.フラーレンは曲
の研究開発動向を紹介する.
がったπ電子共役系をもち,球になって閉じているの
で,最も優れた電子アクセプターのひとつである.そ
の他,電子求引基を取り付けて電子受容性を付与して
得るペリレンジイミド等のn型半導体分子もある.
図1.機薄膜太陽電池モジュール(日本科学未来館研
究棟 3 階)
図2.有機半導体を用いた有機電子素子
似 て い る .逆 型 有 機 薄 膜 太 陽 電 池 で は ,透 明 電 極 側 に ,
有機半導体がもつ電子にはそれぞれエネルギー準
酸化亜鉛や酸化チタンなどの金属酸化物半導体を用い
位 が あ り( 異 な る エ ネ ル ギ ー を も ち ),そ れ ぞ れ が 異 な
た電子輸送層(電子捕集層)があり,裏面電極側に正
る分子軌道を描いて存在している.また,電子が入っ
孔輸送層がある.色素増感太陽電池では,有機色素か
ていない空の軌道が存在し,こちらも個々の異なるエ
ら酸化チタンへ電子が注入されるから,これは逆型有
ネルギー準位がある.実際に電子が存在する軌道,空
機薄膜太陽電池と構造の類似性がある.
ではあるがそこに電子を受け入れることができる軌道
を ,そ れ ぞ れ 被 占 軌 道 ,空 軌 道 と い う( 図 3 ).こ の な
かで,最も高い準位の被占軌道と最も低い準位の空軌
道 が 特 に 重 要 で あ り ,最 高 被 占 軌 道( Highest Occupied
Molecular Orbital, HOMO ), 最 低 空 軌 道 ( Lowest
Unoccupied Molecular Orbital, LUMO)と よ ば れ て い る .
化学反応や電子移動に関与し,フロンティア軌道とも
よばれる.これらは固体物性論でいうところの荷電子
帯 と 伝 導 帯 に 相 当 し ,バ ン ド ギ ャ ッ プ が HOMO-LUMO
ギャップである.有機薄膜太陽電池の高効率化におい
て , 用 い る 材 料 の HOMO, LUMO 準 位 の 設 計 が 重 要 で
あ る .用 い る 電 子 供 与 体 の HOMO 準 位 と 電 子 受 容 体 の
LUMO 準 位 の 差 が 大 き い ほ ど ,有 機 薄 膜 太 陽 電 池 に お
図 4 .有 機 薄 膜 太 陽 電 池 の 構 造 .順 型 構 造 と 逆 型 構 造 .
い て 高 い 開 放 端 電 圧 が 得 ら れ る .ま た ,深 い LUMO 準
有機EL素子と色素増感太陽電池の構造との関係
位をもつ有機半導体は電子捕集材料としてはたらく.
4. フ ラ ー レ ン の 化 学 修 飾
3)
有機薄膜太陽電池の電子アクセプターとして,フラ
ーレンやフラーレン誘導体がよく用いられる.フラー
レンは高い電子親和力をもち,電子受容能力が高い.
また,電子を受け取ったとき,構造変化が少なく,再
配 列 エ ネ ル ギ ー が 小 さ い . フ ラ ー レ ン C 60 そ の も の で
も魅力的な有機半導体材料であるが,フラーレンに化
学修飾を施すことによりフラーレンに有機分子を取り
付 け ,フ ラ ー レ ン の 誘 導 体 化 が 行 わ れ る( 図 5 ).こ れ
に よ り ,フ ラ ー レ ン 誘 導 体 の LUMO 準 位 を 変 え る こ と
ができ,また,有機薄膜固体中での分子が並ぶ構造を
制御することができるようになる.また,有機薄膜を
作製するプロセスにおいて,材料が有機溶媒に対する
図3.固体電子論と有機π電子科学の対応付け
溶解性をもつことが重要であるが,フラーレンの誘導
体化により,フラーレンは溶解性を獲得し,スピンコ
3. 有 機 薄 膜 太 陽 電 池 の 構 造
有機発電層において,有機電子ドナーと有機電子ア
ートなどによる塗布が可能になる.フラーレン誘導体
を 得 る た め に は ,合 成 化 学 の 知 識 と 設 備 が 必 要 で あ る .
ク セ プ タ ー が 用 い ら れ る . こ れ ら は p-n ヘ テ ロ 接 合 さ
れるか,混合されてバルクヘテロ接合される.有機発
電 層 の 上 下 に は ,キ ャ リ ア 選 択 層 が 用 い ら れ る( 図 4 ).
有機発電層において電子ドナーから電子アクセプター
への電子移動により生成した電子と正孔の電荷を選択
的に通す(あるいはブロックする)層が必要となる.
順型有機薄膜太陽電池の場合,透明電極側に正孔輸送
層(電子ブロック層)があり,裏面電極側にホールブ
図5.フラーレンの化学修飾によるフラーレンの誘導
ロック層がある.これは,透明電極側に正孔注入層,
体化
裏面電極側に電子注入層をもつ有機EL素子と構造が
フラーレンの誘導体化の例として,フラーレンの化
合 成 す る [60]PCBM と [70]PCBM 混 合 物 で あ る
学修飾により,有機薄膜太陽電池における開放端電圧
mix-PCBM を 開 発 し , 安 価 な ば か り で な く , 変 換 効 率
を 高 く す る こ と に つ い て 説 明 す る . PCBM は 汎 用 的 に
と素子寿命も向上させることを見いだした
用 い ら れ て い る 電 子 受 容 体 で あ る . こ れ は 1,2-付 加 形
フラーレン誘導体薄膜の電子輸送特性を向上させる目
式 を も つ 58π 電 子 共 役 系 で あ る .炭 素 原 子 が 付 加 す る
的で,有機n型ドープ材となるフラーレン誘導体の二
位 置 を 変 え , 1,4- 付 加 形 式 を も つ 58 π 電 子 共 役 系
量体を開発した
7)
6)
.さ ら に ,
.
4)
SIMEF が 合 成 さ れ た ( 図 6 ) . 炭 素 原 子 が 結 合 す る
位置が変わることにより,π電子共役系の形が少し縮
小 さ れ ,電 子 親 和 力 が 下 が り ,LUMO 準 位 が 浅 く な る .
そ の 結 果 ,電 子 ド ナ ー の HOMO 準 位 と の エ ネ ル ギ ー 差
が 広 が り , 開 放 端 電 圧 が 高 く な る ( 図 7 ).
図8.メタノインデンフラーレン
6. リ チ ウ ム イ オ ン 内 包 PCBM
リチウムイオンを内包した有機官能基化フラーレ
ン 誘 導 体 を 世 界 で 初 め て 合 成 し た ( 図 9 ) 8) . リ チ ウ
ムイオン内包フラーレンの初めての有機官能基化を行
う に あ た り , PCBM 化 を 行 っ た . PCBM を 合 成 す る 際
図6.π電子共役系の縮小による開放端電圧の向上
に活性種として系中で生成させているジアゾアルカン
を単離し,それをリチウムイオン内包フラーレンに反
応 さ せ る こ と に よ り ,目 的 の 反 応 を 進 行 さ せ た .ま た ,
HPLC に よ る 分 離 の 際 , 電 解 質 を 添 加 し た 移 動 相 を 用
い る こ と に よ り 目 的 の 化 合 物 [Li + @PCBM][PF 6 – ] を
単離・精製することに成功した.もともとフラーレン
は高い電子親和力をもつが,ケージ内にリチウムイオ
ンを内包することにより,さらに電子親和力が高まっ
た .リ チ ウ ム イ オ ン 内 包 PCBM の LUMO 準 位 は 約 –4.4
eV と 見 積 も ら れ た . 低 い LUMO 準 位 を も つ フ ラ ー レ
ン誘導体を得たことで,相手のドナー材料の設計の範
囲を拡げることにつながることが期待されるほか,有
機薄膜からすみやかに電子を奪い取る有機電子捕集材
料としての利用が考えられる.
図 7 .電 流 -電 圧 曲 線 .SIMEF を 電 子 受 容 体 と し て 用 い
た素子において,高い開放電圧が得られる.
5. 新 規 フ ラ ー レ ン 電 子 ア ク セ プ タ ー の 開 発
最小の有機付加基であるジヒドロメタノ基(メチレ
ン 基 , =CH 2 ) を 導 入 し た 56π 電 子 系 フ ラ ー レ ン 類 で
あるメタノインデンフラーレン(図8)を設計・合成
図 9 . リ チ ウ ム イ オ ン 内 包 PCBM
し , ポ リ ( 3-ヘ キ シ ル チ オ フ ェ ン )( P3HT) と 組 み 合
わ せ た 有 機 薄 膜 太 陽 電 池 に お い て 6.4% の エ ネ ル ギ ー
変換効率を得た
5)
.ま た ,安 価 な C 60・C 70 混 合 物 か ら
内包するリチウムイオンはフラーレンのエネルギ
ー準位を下げて電子親和力を向上させるだけではなく,
化学的な反応性も向上させる.4π電子系のジエンと
2π電子系のジエノフィルが反応して6員環を与える
ディールス・アルダー反応は,医薬品や有機電子材料
の合成に使われる古典的な反応であるが,内包したリ
チウムイオンはこの反応を著しく加速する.この反応
で は ジ エ ン の HOMO と ジ エ ノ フ ィ ル の LUMO が 重 な
り合って反応するが,ジエノフィルであるフラーレン
の LUMO の エ ネ ル ギ ー 準 位 を 内 包 す る リ チ ウ ム イ オ
ン が 下 げ る こ と に よ り ,ジ エ ン の HOMO の エ ネ ル ギ ー
準 位 と 近 く な り , HOMO か ら LUMO へ の 電 子 の 流 れ
込みが起こりやすくなり,反応が加速される.シクロ
ヘキサジエンをジエンとするディールス・アルダー反
図11.カーボンナノチューブ有機薄膜太陽電池
応において,リチウムイオン内包フラーレンは空のフ
ラ ー レ ン に 比 べ , 反 応 速 度 が 2400 倍 に 加 速 さ れ た
9)
.
8. 今 後 の 展 望
現在,有機薄膜太陽電池のエネルギー変換効率の最
大 値 は 12%で あ り ,シ リ コ ン 太 陽 電 池 の そ れ に 匹 敵 し
ていない.しかしながら,有機半導体が有機物である
がゆえに塗料のように塗布することが可能であり,こ
の特長を活かして軽量,フレキシブル,安価な太陽電
池にするよう,努力が続けられている.また,耐久性
の向上も望まれており,課題となっている.有機物だ
けでなく,無機酸化物やカーボンナノチューブも組み
合わせて用いた新しい範疇の有機系太陽電池の研究に
図 1 0 .リ チ ウ ム イ オ ン 内 包 に よ る LUMO 準 位 の 低 下
7. カ ー ボ ン ナ ノ チ ュ ー ブ 透 明 電 極 を 用 い た
有機薄膜太陽電池
有機薄膜太陽電池では,有機半導体を2枚の電極で
挟む構造をもつ.そして,そのうち1枚は,透明電極
である必要がある.通常,透明電極としてインジウム
スズ酸化物電極が用いられる.カーボンナノチューブ
を有機薄膜太陽電池の透明電極として用いるための方
法論を確立し,それにより,レアメタルであるインジ
ウ ム を 用 い な い 有 機 薄 膜 太 陽 電 池 を 開 発 し た( 図 1 1 )
10)
.本研究では,浮遊触媒化学気相成長・転写法によ
り作製した高純度な単層カーボンナノチューブ薄膜を
用いている.カーボンナノチューブ薄膜に酸化モリブ
デンを作用させ,カーボンナノチューブ薄膜から酸化
モリブデンへ電子を移動させる.このことでカーボン
ナノチューブにホールがドープされ,カーボンナノチ
ューブ薄膜にホールを選択的に捕集し高効率に輸送す
る機能が付与される.カーボンナノチューブ薄膜は曲
げにも強く,フレキシブル基板にカーボンナノチュー
ブを転写し,フレキシブルな有機薄膜太陽電池を作製
した.また,カーボンナノチューブの疎水性と有機金
属ペロブスカイトの疎水性のミスマッチングを克服し,
カーボンナノチューブ薄膜を透明電極として用いたペ
ロブスカイト太陽電池を開発した
11)
.
も 取 り 組 み ,高 効 率 化 と 長 寿 命 化 の 研 究 を 進 め た い
文
12)
.
献
[1] 有 機 薄 膜 太 陽 電 池 の 科 学 , 松 尾 豊 , 化 学 同 人 ,
2011 年
[2] 有 機 薄 膜 太 陽 電 池 の 研 究 最 前 線 , 松 尾 豊 監 修 ,
シ ー エ ム シ ー 出 版 , 2012 年
[3] フ ラ ー レ ン 誘 導 体 ・ 内 包 技 術 の 最 前 線 , 松 尾 豊
監 修 , シ ー エ ム シ ー 出 版 , 2014 年
[4] Y. Matsuo, Y. Sato, T. Niinomi, I. Soga, H. Tanaka,
E. Nakamura, J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 16048.
[5] Y. Matsuo, J. Kawai, H. Inada, T. Nakagawa, H. Ota,
S. Otsubo, E. Nakamura, Adv. Mater. 2013, 25, 6266.
[6] Y. Santo, I. Jeon, K. S. Yeo, T. Nakagawa, Y. Matsuo,
Appl. Phys. Lett. 2013, 103, 073306.
[7] Y. Abe, H. Tanaka, Y. Guo, Y. Matsuo, E. Nakamura,
J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 3366.
[8] Y. Matsuo, H. Okada, M. Maruyama, H. Sato, H.
Tobita, Y. Ono, K. Omote, K. Kawachi, Y. Kasama,
Org. Lett. 2012, 14, 3784.
[9] H. Ueno, H. Kawakami, K. Nakagawa, H. Okada, N.
Ikuma, S. Aoyagi, K. Kokubo, Y. Matsuo, T. Oshima,
J. Am. Chem. Soc. 2014, 136, 11162.
[10] I. Jeon, K. Cui, T. Chiba, A. Anisimov, A. Nasibulin,
E. Kauppinen, S. Maruyama, Y. Matsuo, J. Am. Chem.
Soc. 2015, 137, 7982.
[11] I. Jeon, T. Chiba, C. Delacou, Y. Guo, A. Kaskela, O.
Reynaud, E. I. Kauppinen, S. Maruyama, Y. Matsuo,
Nano Lett. 2015, in press.
[12] 電 気 計 算 ,電 気 書 院 ,2014 年 7 月 号 ,p38–44.「 有
機 薄 膜 太 陽 電 池 の 開 発 動 向 と 展 望 」, 松 尾 豊