信頼という名の大黒柱

電気新聞
連載
時評「ウエーブ」
第十回
信頼という名の大黒柱
元世界銀行副総裁
シンクタンク・ソフィアバンク シニア・パートナー
西水美恵子
信頼という名の大黒柱
月1日、国王戴冠の仏儀が「雷龍の国」ブータンの古都プナカで厳か
時評「ウエーブ」 第十回
昨年
万人を超える国民が参賀に駆けつけた。予想以上の人出に戸惑う付き人を
2人の笑顔に、心が温まった。
部 ( 在 ニ ュ ー ヨ ー ク )で ブ ー タ ン を 見 知 ら ぬ ま ま 四 半 世 紀 務 め た と い う 運 転 手
隣 国 イン ド の 大 統 領 の み 。 私 的 に 招 か れ た 数 少 な い 外 国 人 の 中 、 国 連 政 府 代 表
「 戴冠 式 は 国 民 の た め に 」 と の 御 意 を 受 け 、 他 国 の 皇 族 の 姿 は な く 、 国 賓 は
を、ニュースで垣間見た読者も多かろう。
に 行 われ た。 数 日後 、峠 を ひと つ超 え た首 都 テ イン プ ーで 開かれ た 祝 典 の模 様
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指揮しつつ参賀に臨む雷龍王5世の姿に、なぜかふと大黒柱を連想した。
早 朝 か ら 夕 暮 れ まで 、 敬 愛 と 忠 誠 の 印 に 白 絹 の ス カ ー フ を 捧 げ 、 深 々 と 頭 を
下 げ る 民 の 目 線 まで 、 ひ と り ひ と り 丁 寧 に 腰 を 屈 め 続 け る 王 。 少 数 民 族 と お 年
寄 り を 励 ま し 、 子 供 に は 頬 に キ スを と 誘 い 、 幼 児 を 抱き 上 げ 、 美 女 に 赤 面す る
People's
青年王。どこからともなく民謡が湧き上がり、快い節回しが朗々と響きだすと、
盆踊りの様な輪に飛び入って、民と笑い、楽しむ王。
2年前、父君雷龍王4世から事実上の譲位を受けて間もなく、自然に
(人民の王)という呼び名が定着した王らしい姿だった。そこには一片の
King
見 せ か け も な く 、 祝 典で 「 息 子 と し て 、 兄 弟 と し て 、 親 と し て 、 民 に 尽 く す の
が我が務め」と言い切ったリーダーの謙遜のみがあった。
多 民 族 国 家 ブ ー タン の 民 は 、 一 貫 し て 礼 儀 を 重 ん じ る 。 が 、 相 手 が た と え 王
であれ、異議あれば恐れず真正面から意見するのが国民性。
「就任から僅か70
0 日 。 国 民 の 信 頼を 掴 ん だ 王 だ か ら こ そ 、 人 口 の 6 分 の 1 が 参 賀 」と あ る 全 国
紙の祝辞も、おせじ抜き。
世 紀後 半 に
し か し 、 諸 々 の 式 典 を 滞 り な く 終 え て 一 息 つい た 4 世 が 「 権 力 は 腐 敗 す る 傾
向を持ち、絶対権力は絶対に腐敗する」と、英国のアクトン卿が
残した言葉を引用して、私を驚かせた。
「5世はこの史実を忘れるなと言い聞か
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せられて育った」と笑い、
「いかに優れたリーダーでも、独裁的な要素がある政
治 体 制 は 過ち を 犯 す 。 形 だ け の 民 主 主 義 も 同 様 。 国 民 が 信 頼 す る 民 主 主 義 が 要
だ」
年前初めて賜った謁見で、
「この世に唯一の安定は、無常なり」と、政治
改革の話題を選んだ4世。
「あの時も同じことを」と回想すると、昨年春の総選
挙 で 民 主 制 が 成 立 し 、 長 く 難 し い 学 習 の道 を 控 え る 民 が 、 若 く し て 信 頼で き る
国家元首を得た今日、「とても幸せだ」と微笑んだ。
思 い 出 話 に 花 が 咲き 、 長 年 の ご 苦 労 を ね ぎ ら い な が ら 、 我 が 国 の 政 治 や 世 界
各 国 金 融 市 場 の 迷 走 を 想 っ た 。 国 も 企 業 も 同 じ 事 。 ど ち ら の 不 安 定 も 信 頼を 失
っ た 結 果 。 そ の 根 源 は、 権 力 の 錯 覚 を 肥に 蔓 延 る 傲 慢 。 政 治 家 も 金 融 家 も 信 用
が命なのに、愚かなことだ。
「この世に唯一の安定は無常」ならこそ、信頼が国
民や顧客の安心を支える大黒柱なのだと、気付いた。
ブータンは国民総幸福量と呼ばれ る公共哲学を 国造りに実践して長い。 人
間 が 何 よ り も 望 む 幸 せ の 追 求 に は 、 衣 食 住 の 安 定 と 共 に 、 人 の心 の 和 、 家 族 と
の 和 、 地 域 社 会 と の 和 、 自 然と の 和 、 そし て 母 国 の 歴 史 と 文 化 に 帰 属 す る 自 己
認 識 の和 が 欠 か せ な いと 考 え る 。 幸 せ は物 の みで は 得 ら れ な い か ら 、 高 度 成 長
年前
を国政の目的とはせず、国造りの一手段として、
「和」を壊さない経済成長を追
求す る。 ブ ー タン の 指 導 者 層 は 常 識だ と 笑 う が 、 彎 曲 迂 回 は 多 い に しろ
後その常識を本気で貫いてきた。
にするのだろう。
(敬語敬称略)
%が幸
と い う 名 の 大 黒 柱 を 建て た 。 政 策 効 果 を 待 た ず し て も 、 そ の 大 黒 柱 が 民 を 幸 せ
せ だ と 答 え 、 世 の 専 門家 を 驚か せ た 。 常 識を 本 気で や る政 治 姿 勢 。こ れ が 信 頼
物 の 尺 度 で は ま だ ま だ 貧 し い 国 だ が 、 最近 の 国 勢 調 査 で は 国 民 の
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著者紹介
西水 美恵子( にしみず
みえこ )
1975年、米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院博士課程修了後、プリンス
トン大学助教授(経済学)
。80年に世界銀行入行。97年、南アジア地域
担当副総裁に就任。2003年に退職。現在は独立行政法人経済産業研究所
コンサルティングフェロー。07年に、シンクタンク・ソフィアバンク シ
ニア・パートナー就任。著書に『貧困に立ち向かう仕事』。
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個人メールアドレス nishimizu@sophiabank.co.jp
本稿は、西水美恵子氏が、二〇〇九年一月十五日付の電気新聞に、
寄稿したものです。
著作権は、著者に帰属しますが、配布は自由に行っていただけます。
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