セレウコス朝 セレウコス1世 (BC312-281) 皇帝名の下の年代は在位期間 マグネシアの戦 いに勝利 BC190 スキピオ・アフリカヌス BC236-BC183 アンティオコス3世 (BC223-BC187) 皇帝、教皇、王は在位期間を数字で示し、 教父は生存期間を示す 離反 アルサケス朝パルティア BC247-224 アンティオコス13世 (BC69-BC63) イエス� 前4�生誕28�ヨハネによる洗礼30/4/9�十字架の死 ユリウス=クラディウス朝 アウグストゥス (BC27-14) ペトロ�(?33-?67) リヌス�(?66-?78) アナクレトゥス�(?79-?91) ガイウス(カリギュラ) (37-41) オクタウィア 54-62 皇后 クインティリアヌス �35-100 修辞学 ネロ (54-68) 皇后 ポッパエア 62-65 ガルバ (68-69) ダマスコへの途中、復活したキ リストに出会って回心�36 妻 ロゴスの種子理論:キリストは完全 なかたちで神的ロゴスであるが、 彼の受肉以前にも全ての人間が理 性的精神の内に同じロゴスをいわ ば種子として所有している。 ロゴスそのものであるキリストの受 肉により、キリスト以後、彼を受け 入れる者は完全無欠の真理を所有 する オト (69-69) フラヴィウス朝 ヴェスパシアヌス (69-79) 五賢帝朝 ネルヴァ (96-98) ローマのクレメンス�(?91-?101) 172年頃 モンタノス(?-179) がフリギア(小アジア 中西部)で始めた予 言活動 マルクス・アウレリウス (138-161) セヴェルス朝 セプティミウス・セヴェルス (193-211) ウィクトール1世�(189-199) ゼフィリヌス�(199-217) sacramentumはロ ーマ軍兵士たちの公 的誓約としての「旗 の誓い」を意味してい た 弟子 カリストゥス1世�(217-223) サクリフィカティ:sacrificati 実際に犠牲を捧げた者たち 東方教会では秘 義:μυστήριονの 意味を守り続けた 犠牲を捧げた者には証 明書、リベルス リベラティキ:libellatici 偽の証明書により迫害を 切り抜けた者たち カルタゴの キュプリアヌス �200-258 アフリカ最初の司教殉教者 対立 カルタゴ教会に背教者 (棄教者):lapsiの続出 迫害を神の試練、意味 深い計画であるとみな す カタロイ(清純派 あるいは厳格派) 派をつくる 弟子 この頃教義上の著作 もラテン語が使われ るようになった ラクタンティウス �250-325 没収資産の返還 エウティキアヌス�(275-283) 帝の招聘によりニコ メディアで宮廷付き の修辞学教師となる ~290 クラウディウスIIゴティクス 268-70 ドナウ川以北 アウレリアヌス 270-75 ート族へ譲渡 エウゼビウス�(310) 二番目の皇后ユスティナ�� (370-388) ギリシア語著作のラ テン語翻案 「皇帝は教会の中に あり、教会の上には ない」と宣言 ラヴェンナに宮廷を移動�� 402 ダマスス 1世(366-384) 西ローマ皇帝 ホノリウス 395-423 対立と一派の粛正 対立教皇ウルシヌス� (366-367) 追放 シリキウス(384-399) アナスタシウス1世(399-401) ヌミディアの アウグスティヌス� 354-430 ブリタニア出身 ペラギウス �354-427 自由と恩寵の問題 開催 四福音書を改訂し 「ウルガタ版」を提出 384 東ローマ皇帝 テオドシウスII世 (408-450) 西方教会に大きな影響 を及ぼしたがヴァンダ ル族の侵入により中 断、イスラム侵入により 消滅 アクイタニアの プロスペル �390-455 220/25 異端者による洗 礼の無効性を決定(ローマ 教会の見解に反対) 418 ペラギウス説の排斥 西ゴート王ヴァリア 415-418 スペインに西ゴート王国 反駁 ランス司教レミギウス 436-533 カソリック の洗礼 フランク王国創始者 クロヴィス メロビング朝 465-511 マルセイユの サルウィアヌス 400-480 アンテミウス 467-472 教皇レオ の特使と して出席 子 ヌルシアの ベネディクトゥス 480-547 修道規則 ホルミダス(514-523) カッシオドルス �485-580 執政官 ヘノティイコンを起 草 474-491 モンテ・カッシーノにベネデ ィクト会創立(黒い修道士) 529 アルルのカエサリウス 470-542 レオヴィギルド 在568-586 シルウェリウス(536-537) ウィギリウス(537-555) アレイオス主 義から カトリック教会 へ転向させる 罷免(統一令を支持して いたがカルケドン会議支 持派となったため) アカキウス分裂 484-519 ユスティニアヌス朝 ユスティヌス1世 518-527 アレイオス派 を弾圧 ローマ法大 全(Corpus Iuris Civilis) を編纂させる ペラギウス1世(556-561) レカルド 在586-601 工作 ササン朝ペルシアと永 久平和条約締結 532 大教皇グレゴリオス1世(590-604) ランゴバルド族東北イタリア 侵入 568 ササン朝クテシ フォン侵攻 628 ヤルムーク河畔の 戦い(636)に敗れ てシリア・パレスチ ナを奪われる ボニファティウス3世(607) ボニファティウス4世(608-615) フェリエールのルプス 805-862 ボニファティウス5世(619-625) ホノリウス1世(625-638) セウェリヌス(640) ヨハネス4世(640-642) 招集 討伐遠征の折に エウゲニウス1世(654-657) ローマで会見 ウィタリアヌス(657-672) アデオダトゥス2世(672-676) ド王が代々 グアダレーテの戦い 者の結婚を不許可とす る等) テオドシウス3世 715-717 ヨハネス7世(705-707) シシニウス(708) コンスタンティヌス(708-715) 戴冠 聖画像禁止令に反 対して破門宣告 グレゴリウス2世(715-731) グレゴリウス3世(731-741) ランゴバルド族を破 り、奪還したラヴェン ナを寄進「ピピンの寄 進」 ザカリアス(741-752) シリア(イサウリア)朝� 717-802 レオーン3世 717-741 ラベンナをランゴバルト族 に占領され、イタリアにお ける最後の根拠地を失う 751 教皇庁はローマ帝国か ステファヌス3世(752-757) ら離反・自立 イスラムから ステファヌス4世(768-772) ランゴバルド王国 を滅ぼす 西ローマ帝国皇帝戴冠 800 ランゴバルド王国滅亡 774 中部イタリアが カール大帝によ り寄進される ハドリアヌス1世(772-795) エイレーネーの即 エウゲニウス2世(824-827) フォティオスの分離 グレゴリウス4世(827-844) 870 メルセン 条約によりロ タリンギア分 割 レオ4世(847-855) ベネディクトゥス3世(855-858) 863 ハドリアヌス2世(867-872) 皇帝主催教会会議で破門 867 ヨハネス8世(872-882) ローマ皇帝として ハドリアヌス3世(884-885) ローマ皇帝 カール3世(882-887) 884フランク王国を統一 として戴冠 させる ロマヌス(897) 公認 ストゥディオス修道院院長 のテオドロス759-826 トリコス(公主 シリアのネストリ 教)がダマスカス ウス派や単性論者 に置かれる 千夜一夜物語 ペルシャ人哲学者 シラクサを失う シチリア侵攻 ベネディクトゥス4世(900-903) 獄死させる レオ5世(903) レオーン6世 (886-912) 対立教皇クリストフォルス (903-904) 「知恵の館」 設立 公式教義とする 攻撃 アル・アシュアリー 873-935 アシュアリー派 反対 ターヒル朝 821-873 ダミエッタ侵攻 ニカイア信条の((聖霊が)父より ムタワッキル (847-861) 出で)ἐκ τοῦ Πατρὸς ἐκπορευόμενονを西方教会が(父 アナスタシウス3世(911-913) と子から出で)ex Patre Filioque ランド(911-914) ファーティマ朝 909-1171 proceditとした問題 ヨハネス10世�(914-928) アフマド・イブン・ハンバル 780-855 ハンバル派 ムータジラ派 予定論を排する アッバース朝アグラブ王国 800-909 フィリオケ問題 セルギウス3世(904-911) ムハースゥビー -857 バクダード派のスーフィー ハールーン・アッ=ラシード (786-809) 東ローマの攻勢に反撃 新プラトン主義 ラービア・アル・アダウィーヤ 717-801 バスラ派のスーフィー アブー・アブドゥッラー・ムハ ンマド・シャーフィイー -820 シャーフィイー派 775 攻勢 797,803,806 755 イスマイール派 マーリク・イブン・アナス -795 マーリク派 ネストリオス派カ コンスタンティノープル総 主教フォティオス1世 (858-867) 878 アブー・ハニーファ -767 ハナフィー派 ヨハネス9世(898-900) 909に創設されたクリュ ニー修道院からクリニュ ニー会 ベレンガーリオ1世 (888-924) マケドニア朝 バシレイオス1世 (867-886) ニケフォロス・フォカスを派遣 し南イタリア(マウナ・グラエキ ア)を(アグラブ朝から?)奪回 885 ステファヌス7世(896-897) テオドルス2世(897) アルヌルフ (887-899) パリ伯ウード (888-898) バクダード・アッバース朝 アブー=アル=アッバース (750-754) マアムーン (813-833) フォルモスス(891-896) ボニファティウス6世(896) ジャアファル・アッ=サーディ ック 702-765 聖画像破壊論者の排斥 コンスタンティノープル総 主教ニキフォロス1世 (806-815) 任命 ミカエル3世 (842-867) 連携 ステファヌス6世(885-891) スンナ派 反対 流刑 ハワーリジュ派 敵対 がスタッフとなる 罷免 敵対 ムルジア派 第3コンスタンティノポ リス公会議 680-681 マリヌス1世(882-884) 戴冠させる シャルル2世(843-877) ルートヴィヒ2世死後イタリ アに侵攻しカール2世 (875-877)となる シーア派 第2ニカイア公会議 787 流刑 テオフォロス1世 (829-842) ラテラノ教会会議にて廃位を宣言 ニコラウス1世(858-867) イタリア王 イコン破壊派 を弾圧 アモリア朝 ミカエル2世 (820-829) 863-867 セルギウス2世(844-847) 東フランク王国 ルートヴィヒ2世 (843-876) ロタリンギ ア分割 ウマイア朝 ウマーウィヤ1世 (661-680) ワリード1世 (705-715) レオ3世による聖画像破壊 運動(イコノクラスム) 730-843 イコノグラムを継続 レオーン5世 (813-820) パスカリス1世(817-824) 招集 聖画像擁護 エイレーネー 797-802 位を無効とする レオ3世(795-816) ヴェルダン条約 843 中フランク王国 ロタール1世 (843-855) カリフ�アリー (658-661) ダマスコスのヨアンネス 650-750 アラブ人キリスト教徒 反対 コンスタンティノス6世 780-797 ステファヌス5世(816-817) 奪回し成立 スペイン辺境伯領 カタルーニャ 801 キリスト単意説 (Monotheletisumus) 断罪 イスラム勢力下の東方 教会をつなぎとめるた め、キリスト単意説に関 する論争を禁止(651) コンスタティノポリス総司教 ゲルマノス1世 (715-730) 罷免 コンスタンティノス5世 718-755 パウルス1世(757-767) ルートヴィヒ1世(敬虔王) �(814-840) 攻撃 ウマーウィヤとの妥協に反 対して離脱 アクロイノンの戦い (740)に勝利して小ア ジア西部をイスラム勢 力から奪回 ヨハネス6世(701-705) ロンバルデ ィアの鉄王 冠 カール大帝 �(768-814) カリフ�ウスマーン (644-656) イスラムに小アジア、ア フリカ、アルメニア、ロー ドス島等を奪われる ハザール王国 の援助により帝 位に復帰 ユスティニアヌス2世 (685-695), (705-711) の署名を求める(聖職 コノン(686-687) セルギウス1世(687-701) コルドバのウマイヤ朝 756-1031 証聖者マクシモス 580-662 ウマイア朝によるコンスタン ティノポリス包囲を撃退 トゥルロ公会議条項へ ヨハネス5世(685-686) ピピン3世 カロリング朝 �(751-768) カリフ�ウマル (634-644) アガト(678-681) ベネディクトゥス2世(684-685) ウマイヤ朝 カリフ�アブー・バクル (632-634) コンスタンティノポリス包囲 674-678 レオ2世(682-683) 711滅亡 ムハンマド 570-632 610-613 コンスタンティヌス4世 668-685 ドヌス(676-678) 戴冠 勅令「エクテシス(キリスト 単意説的信仰解明書)」を 公布し単意説を擁護 638 筆頭秘書官に任ぜられる 単意説批判を布告 断罪 ラテラノ教会会議 649� 反対 ニハーヴァンドの 戦い(642)に敗れ ササーン朝滅亡 エルサレムを奪 三章論争、すなわちネスト リウス派としてのモプスエ スティアのテオドロスの著 作、キュロスのテオドレトス がアレクサンドレイアのキュ リロスを論駁した書、エデ ッサのイバスがセレウケイ アのマリに宛てた書簡が断 罪された われる(638) 参加 ランゴバルト族 第二回コンスタンティノ ポリス公会議 553� 単性説勢力の強いシリ ア、パレスチナ、エジプ トにおいて分離教会が 形成 単意説反対に協力 逮捕・流刑 したため逮捕配流 マルティヌス1世(649-653) ランゴバル エルサレムのソフロニオス (634-638) エルサレムの総主教 コンスタンス2世 641-668 両性単意説支持勅令に反対 テオドルス1世(642-649) ネストリオス派教会設 立 オリゲネス主義 の断罪�553 マを招く カルケドン信条 に対する緩和 政策(単性説 の容認) 筆頭秘書官を務める 和解を工作 サビニアヌス(604-606) シセブト 612-621 庇護 起草 単性説支持者との ヘラクリウス朝 ヘラクリウス 610-641 受け容れを拒否 指導 断罪 ヨアンネス・クリマクス 579-649 シナイの修道院長 (611-614) 皇后テオドラ 単性説の支持者 エデッサのイバス 350-428 影響 ヤズデギルド3世 632-651 ランゴバルト族 によるローマ包 囲 ヨアンネスは、マリアを神の母と宣言するとともに、 それが「神であるロゴスが受肉し、人間となって、 受胎の瞬間から処女から受けた神殿を自分に一 致させたからである」と述べた。キュロリスはこれ以 後「神のみことばの唯一の受肉した本性」という表 現を避けるようにした ディデュモスの断罪 エデッサの神 学校を閉鎖 出席を拒否しシス セルギオス(コンスタンティ ノポリス総主教) (610−638)� ペラギウス2世(579-590) セビリャのイシドルス 560-636 セウェロス 465−538 アテナイにおける 哲学教授を禁止 ユスティニアヌス1世 527-565 支持 ホスロー1世 531-579 小アジアで広まる。人間の 霊魂には悪魔が存在してお り、それは洗礼を通しても 追い出されえず、祈りと禁 欲生活を通してのみ、聖霊 が霊魂に入り、欲情から救 われると説いた 反対 マケドニオス2世 に代わり助言者と なる 哲学者移住 東ゴート王トティラ 542-552 単性説の容認を受 諾 キュリロスとアンティオ ケイアのヨアンネスの 合同文書�433 キリスト両性説、すなわち、キリ ストは「真に神であり、理性的 魂と肉体からなる真の人間で ある」を宣言 エウアグリオス・ポンティコ スの断罪�553 ディオニュシオス (Dionyusios)文書 500頃シリアで成立 キリスト単性説とカルケドン 信条との調停を図る統一 令(ヘノティコン)を宣布 (482) マケドニオス2世(コンスタ ンティノポリス総主教) (495−511)� 追放 西征により東ゴ ート滅亡 セビリャ司教 レアンデル 560-601 ファーラービー 870-950 新プラトン主義下のアリスト テレス研究 レオ6世�(928) ステファヌス8世�(928-931) ヨハネス11世�(931-936) 戴冠 原因 レオ7世�(936-939) ステファヌス9世�(939-942) ニケフォロス 2世フォカ マリヌス2世�(942-946) フランス王国カペー朝 ユーグ・カペー 940-996 サンチョ3世ガルセス �(1004-1035) ザクセン朝 ローマ皇帝オットー1世 (962-973) ヨハネス12世�(955-964) (963-969) ストゥディオスのシメオン (新神学者シメオン) 949-1022 イマーム・アル・ハラマイン レオ8世�(963-965) サーマーン朝 873-999 ベネディクトゥス5世�(964) ヨハネス13世�(965-972) オットー2世 (967-983) ベネディクトゥス6世�(973-974) 1036以降分裂 ヨハネス15世�(985-996) オットー3世 (996-1002) グレゴリウス5世を追放し グレゴリウス5世(996-999) 血縁 対立教皇 ボニファティウス7世� (974、984-985) 死に関係? ヨハネス14世�(983-984) バルセロナ伯 ラモン・ベレンゲー4世 �(1004-1035) 高官の子弟 ベネディクトゥス7世の ベネディクトゥス7世�(974-983) アラゴン王国 ラミロ1世 �(1035-1063) アンティオ ケイア奪回 ス アガペトゥス2世�(946-955) ローマ皇帝とし て戴冠させる 対立教皇 ヨハネス16世� (997-998) て簒奪 南イタリア守備担当マニアケス シルウェステル2世�(999-1003) が反乱し死亡の後、ノルマン人 ヨハネス17世(1003) アラゴン連合王国成立 アルフォンソ2世 �(1004-1035) ヨハネス18世�(1004-1009) ザーリアー朝 コンラート2世 (1027-1039) セルギウス4世�(1009-1012) 罷免 ヨハネス19世�(1024-1032) ンリヒ2世の支持得 選出後破門される グレゴリウス6世�(1045-1046) クレメンス2世�(1046-1047) (1042-1055) シルウェステル3世�(1045) 簒奪と売買 ダマスス2世�(1048-1048) 大シスマ レオ9世(1049-1054) ステファヌス10世�(1057-1058) 1098に創設されたシト ー修道院からシトー会 (白い修道士) ニコラウス2世�(1058-1061) カノッサの屈辱 1077 擁立 グレゴリオス7世(1073-1085) 対立教皇�クレメンス3世 (1080,1084-1100) ホノリウス2世(1124-1130) 皇帝戴冠を条件に支持 ロタール3世の支持得 イノケンティウス2世(1130-1143) 対抗のためローマ教 アレクシオス1世コムネノス (1081-1118) ファーティマ朝から 皇ウルバヌス2世に傭 擁立 擁立 フリードリヒ1世 (1152-1190) 兵提供を要請 新暦の編纂 エウゲニウス3世(1145-1153) パスカリス3世(1164-1168) ハドリアヌス4世(1154-1159) カリストゥス3世(1168-1178) アレクサンデル3世(1159-1181) インノケンティウス3世 (1179-1180) ルキウス3世(1181-1185) アナスタシウス4世(1153-1154) アイユーブ朝 1169-1250 ウルバヌス3世(1185-1187) サラーフッディーン (1171-1193) グレゴリウス8世(1187-1187) ハインリヒ6世 (1191-1197) クレメンス3世(1187-1191) ローマ皇帝に戴冠 第4回十字軍コンスタンティ ノープルを陥落させる 1204 ケレスティヌス3世(1191-1198) インノケンティウス3世(1198-1216) フリードリヒ2世神聖ローマ皇帝 (1220-1250) バレンシア征服 1238 レコンキスタは 一応の終結 (1242-1258) 知識人として交流 グレゴリウス9世(1227-1241) (1218-1238) アレクサンデル4世(1254-1261) 承認、フランシスコ会の会 ウルバヌス4世(1261-1264) クレメンス4世(1265-1268) コンクラーヴェ グレゴリウス10世(1271-1276) カルメル会創立パレス ティナで発祥1226 を改正 インノケンティウス5世(1276) ハドリアヌス5世(1276) テンプル騎士団を異端 審問により壊滅させる 1307 ヨハネス21世(1276-1277) ニコラウス3世(1277-1280) パライオロゴス朝 ミカエル8世パライオロゴス (1261-1282) 破門 マルティヌス4世(1281-1285) ホノリウス4世(1285-1287) ニコラウス4世(1288-1292) 教皇離宮アナーニを フィリップ4世 (1285-1314) ケレスティヌス5世(1294) 襲撃 支配 ボニファティウス8世(1294-1303) アビニョン教皇庁 アラゴン王家が シチリア奪回を目論む シチリア王となる ベネディクトゥス11世(1303-04) 1282 クレメンス5世(1305-14) シャルル4世 (1322-1328) 父は元老院議員 ベネディクトゥス12世(1334-42) シエナのカタリナの訴え クレメンス6世(1342-52) カラブリアのバルラアム 1290-1348 によりローマに帰還 インノケンティウス6世(1352-1362) カール4世神聖ローマ皇帝 (1355-1378) オスマン帝国 (1281-1922) オスマン1世 (1299-1326) アンドロニコス2世 (1282-1328) ヨハネス22世(1316-34) ハインリヒ7世神聖ローマ皇帝 (1312-1313) 養育 ヴァロワ朝 フィリップ6世 (1328-1350) アル・カーミル インノケンティウス4世(1243-54) ドミニコ会、カルメル会を 則を認可 ペドロ3世 �(1276-1285) ムスタアスィム ケレスティヌス4世(1241) ハイメ1世征服王 �(1213-1276) フィリップ3世 (1270-1285) アンゲロス朝 イサキオス2世アンゲロス (1185-1195),1203 ホノリウス3世(1216-1227) 破門 アッシジにてフランシス コ会創立 1209 マリク・シャー (1072-1092) エルサレムを奪う ウマル・ハイヤーム 1048-1131 対立教皇�ウィクトル4世 (1159-1164) (1377) ウルバヌス4世(1362-70) グレゴリオス・パラマス 1296-1359 アトスの修行者を非難 オルハン (1326-1362) ムラト1世 (1359-1389) グレゴリウス11世(1370-78) ウルバヌス6世(1378-89) ボニファティウス9世(1389-1404) 破門 シャルル5世 (1364-1380) 支持 インノケンティウス7世(1404-06) ピサ教会会議 廃位 廃位 グレゴリウス12世(1406-15) クレメンス7世(1342-1394) 1409 選出 退位を宣言 ベネディクトゥス13世(1394-1417) 廃位宣言 コンスタンツ公会議 (1414-1418) アレクサンデル5世(1409-1410) 不支持 ヨハネス23世(1410-15) 選出 公会議主義者が推挙 マルティヌス5世(1417-31) エウゲニウス4世(1431-47) ニコラウス5世(1447-55) バーゼル公会議 (1431) 廃位 コンスタンティノス11世ドラ ガセス (1449-1453) コンスタンティノー プル攻略により滅亡 メフメト2世 (1444--1446) (1451-1481) フェリクス5世(1439-49) カリストゥス3世(1455-58) ピウス2世(1458-64) パウルス2世(1464-71) シクストゥス4世(1471-84) 子 チェザーレ・ボルジア�1475-1507 インノケンティウス8世(1484-92) アレクサンデル6世(1492-1503) ピウス3世(1503) マルティン・ルター 1483-1546 レオ10世(1513-21) ためにドイツにおける贖宥状 ハドリアヌス6世(1522-23) の販売を認める 95か条の論題 1517 カール5世神聖ローマ皇帝 (1519-1556) イタリア戦争 1521-1525 否定 セリム1世 (1512--1520) クレメンス7世(1523-34) 認可 イエズス会 1534設立 フランソワ1世 (1515-1547) バヤズィト2世 (1481--1512) ユリウス2世(1503-13) サン・ピエトロ大聖堂建設の 1537 パウルス3世(1534-49) 密約 ユリウス3世(1550-55) 招集 マルケルス2世(1555) トリエント公会議 (1545) パウルス4世(1555-59) ピウス4世(1559-65) ウルガータ版が唯一の聖書であることを確認 ピウス5世(1566-72) 教皇庁艦隊派遣 レパントの海戦 (1564) グレゴリウス13世(1572-85) 信仰義認、聖書のみ、 万人祭司 シクストゥス5世(1585-90) トリエント信条 (1564) ウルバヌス7世(1590) 天正遣欧少年施設謁見 グレゴリウス14世(1590-91) グレゴリオ暦採用 インノケンティウス9世(1591) ジョルダーノ・ブルーノ処刑 クレメンス8世(1592-1605) ブルボン朝 アンリ4世 (1589-1610) レオ11世(1605) パウルス5世(1605-21) グレゴリウス15世(1621-23) ウルバヌス8世(1623-44) ルイ13世 (1610-1643) 裁判 ガリレオ・ガリレイ接見 インノケンティウス10世(1644-55) アレクサンデル7世(1655-67) ルイ14世太陽王 (1643-1715) 弾劾 ガリカニスム クレメンス9世(1667-69) クレメンス10世(1670-76) インノケンティウス11世(1676-89) フリーメーソン排斥の アレクサンデル8世(1689-91) ルイ15世 (1715-1774) カルロス3世 (1759-) スペインからイエズス会を追放 弾劾 ジャンセニスム フランスからイエズス会を追放 反イエズス会 イエズス会擁護 「Apostolicum pascendi」 1765 ルイ16世 (1774-1792) フランス革命 1789 1738 クレメンス11世(1700-21) インノケンティウス13世(1721-24) 1764 1767 教皇文書「イン・エミネンティ」 インノケンティウス12世(1691-00) イエズス会の東洋宣教のための適応政策を禁止 ベネディクトゥス13世(1724-30) 「Ex quo singulari」 クレメンス12世(1730-40) 「Omnium solicitudinum」 ベネディクトゥス14世(1740-58) クレメンス13世(1758-69) クレメンス14世(1769-74) ナポレオンが教皇領に侵攻 ピウス6世(1775-99) 1793 ピウス7世(1800-23) レオ12世(1823-29) サルデーニャがローマを占領しロ ーマはイタリア王国首都となる 1871 第一次世界大戦 1914=1918 イエズス会復興 1814 イエズス会解散命令 Dominus ac Redemptor 1773 ピウス9世(1846-78) 無原罪の御宿り(Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)を信仰箇条と決定 1854 レオ13世(1878-1903) 回勅、資本と労働の権利と義 務(Rerum Novarum) ピウス10世(1903-14) 1891 ピウス8世(1829-30) グレゴリウス16世(1831-46) ベネディクトゥス15世(1914-22) ピウス11世(1922-39) イタリア政府とラテラノ条約 1929 ピウス12世(1939-58) ヨハネ23世(1958-63) 聖母の被昇天を教義に 1950 パウロ6世(1963-78) ソ連崩壊 1991 ヨハネ・パウロ2世(1978-2005) ベネディクトゥス16世(2005-13) 第二バチカン公会議 1962-65 フランシスコ(2013-) 回勅、いのちの福音 (Evangelium Vitae) 1995 批判 1094 イスマイール派分裂 ルキウス2世(1144-1145) ホーエンシュタウフェン 家 コンラート3世 (1138-1152) ドミニコ会創立 1206 スーフィズムの理論化 対立教皇�アナクレトゥス2世 (1130-1138) られず ケレスティヌス2世(1143-1144) 国内通過 対立教皇�グレゴリオス8世 (1118-1121) ハインリヒ5世の支持 カリストゥス2世(1119-1124) 第3回十字軍総司令官 1189 コンスタンティノープル総 主教ミカエル・ケルラリオス (1043-1059) ミカエル7世ドゥーカス (1071-1078) 第1回十字軍の パスカリス2世(1099-1118) 批判 ガザーリー 1058-1111 ヨーロッパ名アルガゼル アを失う ウルバヌス2世(1088-1099) ゲラシウス2世(1118-1119) ロタール3世 (1133-1137) 捕虜となり小アジ ウィクトル3世(1086-1087) 破門 フィリップ1世 (1270-1285) クに認められる (1059-1067) ロマノス4世ディオゲネス (1068-1071) 南イタリア最後の拠点バ ーリを失う 1071 アレクサンデル2世(1061-1073) イブン・スィーナー 980-1037 ラテン名アウィケンナ 宰相ニザームルムル ドゥーカス朝コンスタンティ ノス10世ドゥーカス 相互破門 1054 ウィクトル2世�(1055-1057) ハインリヒ4世 (1084-1105) 分裂を抑えられず 弟子 セルジューク朝 1038-1157 コンスタンティノス9世モノ マコス ベネディクトゥス9世�(1047-48) キエフ・ロシアのキリスト教改宗 989 帝国領が失われる られず ベネディクトゥス9世�(1032-44) 庇護し戴冠を受ける (976-1025) キエフ大公ウラジーミル1世と 妹アンナを縁組みさせる 1043 対立教皇 グレゴリウス6世� (1012) 世を追放するもハイ ベネディクトゥス8世�(1012-24) 議によって3人を ハインリヒ3世 (1046-1056) コルドバのイブン・ルシュド 1126-1198 ラテン・アヴェロエス派 スートリ教会会 バシレイオス2世ブルガロ クトノス が南イタリアに侵入 ベネディクトゥス8 偽マカリオス(メソポタミア のシメオン?380-430?) アンティオケイアのヨアンネス -442 教父達の封印: キュロリスによる論法(権 威の定まった著述家の証 言による論証) ネストリオス派と して弾劾 カルケドン公会議において確認 されたキリスト両性説を否定す るキリスト単性説 西方教会は 反発 アナスタシウス1世 491-518 東ゴート王 オドリクス 474-(493-526) アレイオス派を支持 単性説容認により 西方教会内に分 裂の危機 コンスタンティノポリ ス教会会議 448� 復位に協力 フェリクス4世(526-530) アキテーヌ分王国 アレクサンドレイアの司教 ディオスコロスによって罷 免・追放される 断罪 カルケドンの公会議 451� 断罪 アカキオス(コンスタンティ ノポリス総主教) 471-489 スレイマン1世 (1520--1566) オスマン・マムルーク戦争 メッカ・メジナを保護権を得る マムルーク朝 1250-1517 キリスト論における人間性 の強調、聖書の字義通り の解釈。人間性はロゴス・ 知恵・神性の神殿・幕屋と 定義され、イエスは「神を 宿した人間」、「神を担う人 間」と呼ばれる。キリスト養 子説と取られかねない表 現でもある。そこでアンテ ィオケイア派はこれを「分 離のキリスト論」を唱える オリゲネス主義者 エウアグリオス・ポンティコス� 345-399 ポントスに生まれる アポリナリオスの異端が 潜んでいるとして「キュ リロスの12の破門条項 反論」を著述 積極的に受け容れ アカキウス分 裂和解提案 ゲルマン人教皇ポニファティウス (530-532) 追放 エウノミオス派(非相似派) 父の本質と子の本質との間 には類似がないとする、極 端なアレイオス主義。398 年アルカディウス帝による 焚書に遭う コンスタンティノポリスの助 祭に叙する メッサアリア派 断罪 フラウィアノス(コンスタンテ ィノポリス総主教) -449 レオ朝 レオ1世、トラキア出身帝 457-474 ゼノン 西ローマを打倒し ラヴェンナに都 推挙 ネウストリア分王国 反駁 引用 ペーローズ 459-484 逮捕・投獄 ベネディクトゥスの 修道規則 開催 エウノミオス 335-392 カッパドキアに生まれる 反駁 アポリナリオス派 マリアをテオトコス(神の 母)でもなくアントローポト コス(人間の母)でもなく、 キリストコス(キリストの母) と呼ぶべきと主張 モプスエスティアのテオド ロス 350-428 エフェソスの公会議� 431 エフェソス強盗会議 449� オリゲネス論争 イタリアの王オドアケル� (476-493) 友好的 ヨハネス1世(523-526) 執政官 西方皇帝に 指名 西方皇帝 に指名 西ローマ滅亡 教権 (Sacerdotium) の政権 (Imperium)に対 する優越を主張 する書簡送付 エウティケス 378-454 庇護 カイロ・アッバース朝 1508-1517 父と子の関係を説明するにあ たりギリシャ哲学におけるロゴ スの概念を援用する。これによ り、子の永遠の誕生、被造界の 原型、認識の原理としてロゴス の機能を説明 指導者となる フィロカリア(オリゲネス 文書の抜粋集)編集 キュロスのテオドレトス 393-466 る断罪 グノーシス主義が本来、 キリスト教と別個に存在 した証拠とされている 極端なアレイオス 主義を非相似派 (アノモイオイ)と 呼ぶ ナジアンゾスのグレゴリ オス�325-390 カッパドキアのアリアン ゾスに生まれる 唯一の人格 (prosopon)に おける神性と人 性の合一 招集 ロムルス・アウグストゥルス� 475-476 ヘノティコンが カルケドン信 条に反対する ものとし破門 ゲラシウス1世(492-496) ヤズデギルド2世 438-457 支持 ネポス 473-475 部下 軍司令官�オレステス 475-476 フェリクス3世(483-492) 従属説:御子は父に従 属する� 友人 哲学者流入 マルキアヌス 450-457 カルケドン公会議 の開催要請 大教皇(Magnus)レオ1世 (440-461) リヨンのエウケリウス 380-449 ボエティウス �480-524 西方アリストテレス哲学の源泉 ブルグント分王国 フン族アッティラ (433-453)と会見 し引揚を説得 ヒラリウス(461-468) ラオディケイアの アポリナリオス 310-390 キュリロス派によ 対岸のナグ・ハマディで 1945年にコプト語で書 かれたグノーシスの諸 文書が発見された 本性的に同等であるが 起源として父を有する 招集 シンプリキウス(468-483) エイサゴーゲ ー注解を著す アウストラシア分王国 シクストウス3世(432-440) エジプトの修道制を西 方に導入(マルセイユに 男子修道院と女子修道 院を創設) アルルのホノラトゥス レランスの修道院設立 410 招集 相互不可侵条 約441 追放 著書「自由意志」において「神はすべてのこ とをあらかじめ知っておられるが、このことは 我々から自由を奪うことにならない、なぜな らば神はわたしが自由に何を選択するかを 予知されるのだから」と説く。同時に彼は「意 志が正しく起動されるためには、恩寵が絶 対的に必要である」と論ずる(キリスト教神 学事典:教文館) 415:アレクサ ンドレイアのヒ ュパティアをキ ュリロス派が虐 殺 東方教会 神の母と呼ぶべきと して攻撃 単性説の影響 アレキサンドレイアのキュリ ロス � 370-444 断罪 支持 ヨハネス・カッシアヌス� 360-435 半ペラギウス主義 エクラヌムの ユリアヌス �380-454 攻撃と追放に 成功 ケレスティヌス1世(422-432) 反駁 半ペラギウス論を 論駁 甥 支持 断罪 恩恵論を擁護 コンンスタンティノポリスの ネストリオス 381-451 コンスタンティノポ リス司教に叙階: 428 著書を焚書命令: 435 下エジプトのケノボスキ オンに修道共同体を創 設した。 時課:共同体の祈りの 時間を守ることへの求 め ディデュモス 310�-398 ヨアンネス・クリュソストモス 344-407 コンスタンティノポリス の大司教に 397 任命 バシレイオスの規則 友人 弟子 弟子 パコミオスPachomios 287-347の修道院建 設 反駁 タルソスのディオドロス -394 エウストキウム� 368-418 三女 対立教皇エウラリウス(418-419) 司教罷免 380頃コンス タティノポリス において教え を受ける 反駁 ペラギウス主義 カルタゴ教会会議 �220-536 地方教会会議の総称 長女 寡婦のパウラ �347-404 弟子 ブレシラ �364-384 小マクリネ 327-379 弟 アレイオス派をサベリオ ス主義として反駁 ニュッサのグレゴリオス 335-394 キリスト単性説(Monophysitismus):人 間の本質をなす精神と肉体がそれぞれの 独自性を失うことなく合一して一つの全体 となっているように、キリストはロゴスと肉 から一つの統一された現実的生命となっ た。肉を支配する活力はロゴスに由来する 知遇 アンティオケイ アにおいて講 義を聞く 弟子 親交 反駁 参加 ヒエロニュムス �347-419 後にマカリオスが著した と称する文書「偽マカリ オス文書」が出現する アレイオス 256-336 ー ロゴスは神の被造物で あるので同質ではない 影響 断罪 弟子 アレキサンドレイアの司教 テオフィロス � 345-412 東ローマ皇帝 アルカディウス (395-408) ボニファアチウス1世(418-422) マリアの永 続的な処女 性を主張し 勝利 寡婦のマルケラ �325-410 エウアグリオス・ポンティコ ス� 346-399 キリストに人間の霊魂 がなかったとすると人 間の霊魂の救済がなく なる プラトン主義の影響 ヘルウィディウス� 380頃活動 師父の言葉 西ゴート族、アラリックI世に ローマを蹂躙される 410 ウァレンス�� 364-378 追放 ゾシムス(417-418) 招集 書簡の 交換 支持と インノケンティウス1世(401-417) アレキサンドレイア学派 391:アレクサ ンドレイアの 非キリスト教 施設破壊を許 可 弟子 仲介・調停 コンスタンティノポリス 公会議�381 ニカイア信条の再確認 西ゴート族にトラキア定住を 許可 異端と異教徒を弾圧 (キリスト教の国教化) バシレイオス330-379 カッパドキアのカイサレ イアに誕生 影響 アンティオケイア学派 ゴート族への布教 グラティアヌス (375-383) テオドシウス朝 テオドシウス帝�� (379-395) 新約聖書正典 が制定された ニコメディアのエウセビオス� -342 フン族に追われたゴート族にド ナウ川を渡ることを認め、その 後、ゴート族の反乱にハドリアノ ポリスで敗れヴァレンス帝戦死 (エジプトの)マカリオス 300-391 断罪 キリストは神および聖霊 から自らを区別 ヴァレンティニアヌ幼帝�� (375-392) 帝のテサロニケ虐殺 に対して後悔懺悔を 要求し屈服させる 反駁 弟子 父方の祖母 弟 キリストは父の本性より神 の独り子として生まれ、造ら れずして生まれ、父と同一 本質(ホモウーシオス)であ る ニトリア砂漠に修道院 建設 大マクリネ -340 ニカイア公会議�325 ニカイア(ホモウーシオ ス)信条を採択 アレキサンドレイアのアタナ シオス� 296-373 キリスト教正統信仰の父 砂漠の師父アントニオス� 251-356 エルサレムのキュリロス 315- 反アレイオス 神の国の現れとみる 東方皇帝 ヴァレンス 364-378 アレイオス派擁護 弟 オリゲネス的 従属説の神 学的傾向の ため同情的 ホモウーシオスとい う語がサベリオス主 義に通じるとして使 用に反意 同一本質説 親交 弟子 教会会議 で破門 シャープール2世 309-379 隠修士アムン 288-350 弟子 サベリオス 的異端を感 じていた 長男 元老院から 勝利の女 神の祭壇を 撤去させる グレゴリオス・タウマトゥルゴス 213-270 黒海沿岸ポントス地方生まれ カッパドキア教会の創設者 タウマトゥルゴスとは奇跡を行う 人の意味である 万物救済 アレキサンドレイアのアレク サンドロス�250-328 クテシフォンの戦い 363 ユリアヌス戦死 ヴァレンティニアヌス朝 ヴァレンティニアヌス�� 364-375 ベジエ教会会議�356 ミラノ(メディオラヌム)の アンプロシウス �339-397 著書「テオポントスへ� ー�神における受苦と不 受苦について カイサレイアのエウセビ オス� 263-339 ミラノ寛容令 313 非難攻撃 擁護 カイサレイアのパンフィ ロス�-309 帝の改宗 息子 イスパニアを経て侵入してきたヴ ァンダル族(アレイオス主義を奉ず る)の脅威にさらされてアフリカ教 会がニカイア信条の釈義を求めた 独居あるいはその集落 ルキアノス 240-312 アンティオケイア学派 魂の先在と コンスタンティヌスI世と リキニウスの共同統治 313-324を経て ユリアヌス帝背教者�� (361-363) 州知事に起用されて ミラノに赴任(72-3) ポルフュリオス駁 論 ガレリウス帝�� 305-311 コンスタンティウス2世�� (337-361) アレイオス主義者 追放 355 358 復帰 皇帝の意向に沿 う会議 �?-355 秘跡の正当な授け手の問 題 コプトの師父 アリストテレスに基礎 東方 コンスタンティヌス朝 コンスタンティヌス Ⅰ世�� (306-337) 最初のキリスト教徒皇帝 アタナシオスをロ ーマで保護 リベリウス(352-358-366) ラテン訳 リキニウス帝�� 308-324 知遇 ローマ人のユリウス1世(337-352) 新プラトン主義 ポルフ ュリオス�232-305 「エイサゴーゲー」を著 す マクシミヌス・ダイア帝�� 310-313 コンスタンティノポリス の完成 330 ドナトゥス 旧約に対する安易な アレゴリー解釈を忌 避した予型論的解釈 (typologia)を主張 キリスト教徒寛容令 マルクス�(336) ミラノのアクセンティウス �?-374 アレイオス派司教 独居 弟子 弟子 コンスタンティウス帝�� 305-306 闘争 断罪 弟子 アフリカ生まれの マリウス・ウィクトリヌス� 281-365 キリスト教に回心 355 マクシミアヌス帝�� (285-305) マルケルス1世�(306-309) 対抗 修道生活 モドウス(様態)的モナ ルキアニズム:唯一の 神が様々なモドウスを 取って現れたとする(サ ベリオス主義) ホモウーシオ スの語も排斥 ラテン訳 のダキアをゴ 西方 シェルウェステル1世�(314-335) サベリオス的なニカイア 信条と相似本質説は和 解が可能とする サモサタのパウロス� -272 のキリスト養子説 アンティオケイア教会会議� 268 ガリア皇帝朝(ガリアの簒奪 者) ポストゥムス� 260-269 ディオクレティアヌス朝 ディオクレティアヌス� (284-305) 四帝制度(テトラウルキア) を創始 四つの勅令 カイウス�(283-296) 反対したため小ア ジア(フリギア)に 追放され後に復帰 デュナミス的モナルキ アニズム:キリストは洗 礼の時に神の霊により 力(デュナミス)を受け たことで神の養子とさ れた 共同修道生活 マルケリヌス�(296-304) ポワティエのヒラリウス �315-367 西方で最初に三位一体論 を著した オリゲネス� 185-254 神の三一性の否定 ガリエヌス帝 253-68 ミルディアデス�(311-314) プロスキリアヌス �340-386 厳格主義 259 ガリア統 治を委 任 サベリオス� -260 の天父受苦説( 父受難説) 寵をうける フェリクス1世�(269-274) サルディカ教会会 議342-343でアレ イオス派を弾劾 仮現説:十字架上のイ 影響 エスからデュナミスは 去ったとする 異端を宣告 エデッサの戦い 著書「救われる富者は 誰か」 著書「創世記講話」 反駁 プロティノス205-270 の新プラトン主義 「エネアデス」を著す プロブス 276-82 ラクタンティウス �250-325 アフリカ出身の護教家 300頃キリスト教に改宗 正統教義に立脚した覚 知(グノーシス)の神学 批判 子(共同皇帝) ギリシャ人のディオニシウス� (259-268) 修辞学を学ぶ ホモイウシオ ス神学を学 ぶ マニ教に改宗 244 ウァレリアヌス帝� Valerianus� 253-260 ギリシャ人のシクストゥス2世 (257-258) シッカのアルノビウス ~300~ 後にキリスト教に改宗 マニ � 216-277 ミッシケの戦い 貞操の賜物について 殉教 アレクサンドレイアのク レメンス� 150-215 弟子 ガルス帝�Gallus 251-253 法的措置による国家諸 神礼拝 ローマ人のステファヌス(254-257) 怒りを含む「感情」 πάϑοςが元来「苦しみ」 「受動性」を意味する言 葉であるので、エピクロ ス学派は神に感情があ ることを否定し、ストア学 派も神が怒ることはあり 得ないとした 北方民族に優勢 シャープール1世 241-272 ノウァティアヌス 190対立教皇251 コルネリウス(251-253) ローマのノウァティアヌス 対立教皇�251 最初の軍人皇帝 二元論:グノーシス主義�精神的な もののみを認め、物体的なものは 否定(ヘレニズム世界における、人 間を魂として理解し、神から遣わさ れた救済者によって自分がこの世 や身体を超えるものであると知らさ れ、そして開放される)-> (天地創造の教えの否定)(キリスト の人間性否定) 戦闘 殉教 ローマ教会を自らの 母教会とみなす 厳格な取り扱い アレキサンドレイア学派 弟子 デキウス帝�Decius (249-251) ファビアヌス(236-250) シッカの アルノビウス �?-300- アレクサンドレイア教理 学校創始者 アレクサンドレイアのア ンモニオス・サッカス� ?-? ピリップス・アラブス (244-249) 250 キリスト教禁令の 発布と犠牲委員会の組 織 背教者の教会へ の復帰願い ササーン朝ペルシャ アルダシール1世 (226-241) ゴルディアヌス (238-244) 避難 緩和策 パンタイノス� ?-200 グノーシス主義者のエ ジプト出身のウァレンテ ィノス�?-160- 弟子 三世紀末までには大部 分がマニ教に吸収され た 軍人皇帝朝 マクシミヌス・トラクス 235-238 ギリシャ人のアンテル(235-236) 北アフリカの教父(ニカイア 公会議以前のラテン教父 の方向を定めた) 三一神論における三性の強調、キ リスト論における神性の強調、聖書 の比喩的解釈(予型論と寓喩的解 釈) 弟子 受肉論か ら反駁 侵攻により滅亡 207 セウェルス・アレクサンデル 222-235 ポンティアヌス(230-235) 神の兵士たちの 誓約という表象と 連環 ティア戦争 エラガバルス 218-222 ローマのヒッポリュトス 170-235 対立教皇�(217-235) 非難 ウルバヌス�(222-230) アンキュラのバシレイオス� ?-364 類似(相似)本質( ホモイウシオス)説 マルキオンの二元論: 旧約の神(創造、律法、義の神)と新約の神(福音の神、イエスの父なる神、善な る神)を対立させる。 イエスの到来は預言の成就ではなく、キリストは突然カファルナムに降りたとす る。旧約聖書の予型的解釈を拒否し、パウロ主義に立って新約聖書編纂(ルカに よる福音書とパウロの10書簡)した。この説に対する反動として を中心とした比喩的解釈の発展と聖書の正典が定められた マクリヌス (217-218) 後輩 パウロの神学用語で ある信仰の「秘義: μυστήριον」はラテ ン語ではギリシア語 から転化した mysteriumのほかに sacramentumが使 われた。 スミュルナのポリュカル ポス�?-156 アルタバヌス4世 (216-224) 第8回パル カラカラ (211-217) 迫害時代に棄教しその後教会 に復帰した人々に対して厳しい 償いを課した ラテン語神学術語を創作 三位一体:trinitas 実体・本性:substantia 位格:persona 秘跡:sacramentum 信仰規範:regula fidei ヒエラポリスのパピアス� ?-130- プラトン哲学の影響 リヨンのエイレナイオス� 130-200 エレウテルス�(175-189) ローマの文化・宗教・風習 (偶像崇拝、兵役、観劇、 婦人の宝飾) ペラのアリストン� ?-140- エルサレムで逮捕されローマへ 護送�61-64 ソテル�(167-174) 批判 パウロ神学の弁証法的全 体の動機づけは、義と慈愛 が同一の神の中に共存す ることによる緊張である(H. ヨナス「グノーシスの宗教」 アントニヌス・ピウス (138-161) モンタノス派 カルタゴの テルトゥリアヌス �160-220 アテナイのアリステイデ ス�?-117- マルキオン派 コンモドゥス (177-192) 参加 シラスと共にシリア、キリキア、 テサロニケ、アテネ、コリント等 宣教(第2回宣教)�50-52 オスロエス1世 (109-129) テシフォン占 領 アニケトゥス�(?155-167) � バルナバと共に小アジア宣教 (第1回宣教)46-49 パウロ主義の単 純化 殉教者ユスティノス 100-165 ア戦争(116)ク ハドリアヌス (117-138) アンティオケイアでバルナバと 共に宣教�40 二元論の ポントスのマルキオン� 85-160 (101-102) (105-106) アンティオケイアのイ グナティオス�?-110 エルサレムでヤコブに会う39 反駁 第5回パルティ ピウス1世�(?142-?155) 異端宣言 ダキア戦争 トラヤヌス (98-117) エウァリストゥス�(?101-?108) アレクサンデル1世�(?109-?116) シクストゥス1世�(?116-?125) テレスフォルス�(?125-?136) ヒギヌス�(?136-?142) 使徒会議 エルサレムで48年に開かれた、ア ラム語を話すユダヤ人使徒:ペト ロ、ヤコブ、ヨハネ、ギリシア語を話 すユダヤ人使徒:パウロ、バルナ バ、異邦人の改宗者:テトス、が参 加 異邦人キリスト者に律法は不要と 議決した。ユダヤ人キリスト者の割 礼と律法は救いがキリストのみによ るという印として理解された ファリサイ派としてのパウロ ダ マスコのキリスト教徒を迫害 クラウディウス (41-54) 娘 アラム語:シリア語とも 呼ばれる パウロ 5-64 タルソスで生まれたユ ダヤ人でありローマ市 民権を持つ ティベリウス (14-37) その後西方教会では、 sacramentumが祭儀的側 面から秘跡や典礼を意味す る語となるのに対して mysteriumはそこに秘めら れた意味・真理としての秘 義・奥義を示すものとなった マウリア朝 チャンドラグプタ (BC317-298) 協定締結 メガステネスを派遣 異端となったメッサリア派と共 通部分を持つマカリオス文書を 守るため何者かが古代マカリ オスの名を用いた マカリオス文書 東方教会:十世紀 頃から古代修道制 の記録として評価さ れる 西方教会:十六世 紀以降、古典著作 として影響を与える 「神の恩恵が命じているこ ととは、自分の知恵と自分 の意志によって、また自ら の労苦や努力によって、各 人が精神的な成長を自ら のものとすること」と自由意 志について述べる マケドニオス派 聖霊の神性を認めない
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