ヒットの真相&深層〈第36回〉 食べるラー油 ●“食べラー”大人気 売を開始すると1日100本が売れ、京都では通販も含め1日 昨年来、 食べるラー油、 通称“食べラー”が大ブームです。 数百∼2,000本売れました。 火付け役となった商品は品薄状態が続き、 2010年のヒット商品 番付にもランクインしました。そして、 いまや市販の商品だけで ●新しい食べ方提案で市場が超巨大化 はなく、 ネット上で料理方法を紹介するレシピサイトでも人気。個 ここ数年で外食を控える家庭が増えました。中食(惣菜 人がさまざまな“自家製”食べるラー油レシピを公開しています。 や弁当)や内食を心がけ節約を続けていた消費者も、長引 なぜ、 食べるラー油がこれほどブームになったのでしょうか。 く不況にただ安いだけでは満足できなくなってきます。 今回は<ヒットの真相&深層>の一環として、 この現象につ そこに現れた食べラー。ご飯にかけて食べる、 サラダにか いてみていきます。 けて食べる、 または炒め物のソースとして、 パスタにあえて…… などなど、食べ方は実にさまざまです。 ●食品メーカーからホテルまで参戦 これまで餃子を食べる時くらいしか出番がなかったラー 食べラーブームの発端といわれているのが、 『辛そうで辛 油が、新たな味わいや料理の楽しみを生み出すなど、誰が くない少し辛いラー油』 (桃屋)。ラー油に揚げたニンニクと 想像したでしょう。横ばいだったラー油の市場規模が1年程 たまねぎ、 パプリカ、 すりごまなどを加えて香り高くサクサク食 で10倍を超えた秘密は、 まさにこの用途開発、食べ方の提 感に仕上げたことがうけました。 案にあったといえます。 味のみならず、 かつてのラー油にはなかった食感、歯触り もともとアレンジ上手な日本人。ラー油の新しい使い方を といった感覚、鼻腔を刺激する香ばしい香りや、 ラー油の鮮 知ると思い思いのオリジナル料理を考案し、 リーズナブルか やかな赤色も強い訴求力があります。 つ美味しい食卓を楽みます。インターネットのレシピサイトを さらに、 ネーミングもヒットの大きな要因です。 「辛そうで辛くな のぞけば、 ラー油料理はもちろん、食べるラー油そのものを い」でも「少し辛い」……と消費者に想像させた商品名は 作ってしまうレシピも公開されています。 絶妙でした。 このヒットで他社も食べラー市場に参入。たとえば『ぶっ ●食卓に欠かせない調味料、次なるヒットは? かけ!おかずラー油チョイ辛』 (エスビー食品) は、 ごま油と唐 内食から拡大した食べるラー油人気。それがいまや外食 辛子が効いたラー油に、揚げたニンニクやアーモンドなどを のメニューや、 コンビニをはじめ中食の新商品開発に取り入 入れコクのある仕上がりに。 『辛そうで辛くない…』 と並んで れられるという興味深い現象まで引き起こしました。 二強となり、 ブームは沸点に達します。 ラー油に続き、最近ではご当地系の調味料が注目を集め そして、実は桃屋より先に発売されていた商品が京都ホ ています。昨年開催された「アンテナショップご当地調味料 テルオークラにある中華料理店「桃李」の『食べる辣油』。 選手権2010」では、大分の『かぼすこ』、青森の『バルサミィ 同店料理長とオークラが企画開発したもので、 エシャロット、 アップル』などが話題となりました。 干しニンニク、干しエビ、唐辛子などを油で揚げ、具8割、油 いずれにせよ、和洋中の垣根を超え、調味料の使い方は 分2割のまさに“食べる”ラー油に仕上げました。食べラー グッと多様化。このあたりにまた新たなヒットの芽が潜んでい が注目されるようになったため、東京のホテルオークラでも販 るのではないでしょうか。 数々の近代文学が生まれた炭団坂 炭団坂は文京区本郷にある急な坂のこと。名前の 神髄』 『当世書生気質』 を発表しました。逍遥転居 由来は 「炭団などを商売にする者が多かった」 とか「切 後には、 旧松山藩主久松家運営の寄宿舎「常盤会」 り立った急な坂で転び落ちた者がいた」 という言い となり、 正岡子規・河東碧梧桐・高浜虚子など、 後に 伝えがありますが定かではありません。 この炭団坂 日本の俳壇を担う人々が青春時代を過ごしました。 上には、 かつて坪内逍遥がくらし、 明治18年、 『小説 炭団坂はまさに近代文学発祥の坂道と言えそうです。
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