夏、水の京都をいく - Kateigaho

J apanese tex t
2013年 春/夏号 日本語編
10周年
記念特集
(p.018)
左上:山鉾の「長刀鉾」に乗る稚児は祭りの主役。八坂神社を詣でる
夏、水の京都をいく
最後の儀式を経て、17 日の朝、祭りの巡行開始を告げる「注連縄切り」
の儀式の大役が待っている。
園祭の山鉾の装飾には、波や龍の文様など、その清らかさが厄を祓
撮影=佐藤竜一郎、田口葉子、大道雪代
うようにとの願いからか、水にまつわるものが多く見られる。「黒主山」
文=森野由佳、編集部 コーディネート=横瀬多美保
p.014
を飾る龍の刺繍(右列 2 段目)などは、綿入りで立体感を出した豪奢
なもの。
京都の中心部はいつも観光客で溢れているが、京都府全域
にまで目を向ければまた違う京都が顔を見せ始める。
季節は夏。涼感そそる京都の水を一つのキーワードに、これ
までにない京都特集をお送りしよう。
(p.019)
「動く美術館」とも呼ばれる
園祭の、山鉾の装飾の数々。多くは過去
10 数年をかけ、織りや刺繍をはじめとする京都の職人技を結集して復
元、新調されたもので、甦った鮮やかな色合いが夏の太陽に映える。
園祭ほど、国や府の事業として文化財の修復・保存に補助が充てられ
(p.015)
法然院の山門をくぐるとすぐ目の前に現れる、「白砂壇」と呼ばれる 2
ている祭事はほかにない。この祭りによって、失われつつあった数々の
つの盛り砂。水を表し、その間を通ることで心身が清められ浄域に入る
伝統技法が活かされ、そして継承されていく。
とされる。時にはその日によって描きかえられる砂紋は、この日は涼を
園祭
誘う波模様に。方丈庭園のほか、境内はそこかしこに湧き水が流れ、清
7 月 1 日∼ 31 日
らかな気配に包まれる。
www.pref.kyoto.jp/visitkyoto/en/info_required/traditional/kyoto_
city/02/
法然院
京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町 30
Tel. 075-771-2420
www.honen-in.jp
拝観時間:6:00 ∼ 16:00
1
京都の歴史と祈りとともにある祭り
東山水系の湧き水「善気水」が湧き出る
p.027
方丈庭園は、年に 2 回、限定公開される。
7 月の京都に、待ち望んだこの時季が今年も巡ってくる。京
都駅に降り立つと、どこからともなく聞こえてくる コンチキ
チン の
園祭で京都の夏が始まる
園囃子の音色。耳の奥に刻まれ、祭りが終わり
この地を後にしても、いつまでも心地よい余韻が残るようだ。
(p.016)
四条通と河原町通の辻を豪快に曲がる、山鉾のひとつ「函谷鉾」
。10 ト
町中には何ともいえない高揚感が漲る。毎年 100 万人も
ンを超す鉾が、人力で 90 度回転する様子は壮観。
の観客を魅了する京都最大の祭り、
園囃子にのって、
園祭のクライマックス
園祭の見どこ
はまず、14 日から祭りの前夜祭となる 16 日の宵山。山鉾
ろのひとつ。毎年 7 月 16 日の巡行では、32 の町内の山鉾が京都の町
がいわば巡行のデモンストレーションを行い、夜になれば
ゆったりと通りを行く山鉾巡行が一変、躍動し活気づく、
を彩る。
京都の夏を告げる八坂神社の祭礼は、今やユネスコ無形文化遺産とな
り、その歴史と規模は世界からも注目される。
幾多の提灯が灯り昼間とは違う幻想的な姿を見せる。そして
なんといっても最大の見どころは、32 の山鉾が町を巡る 17
日の山鉾巡行だ。
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この 4 日間だけでなく、7 月 1 日から一か月にわたり、毎
られた提灯に、訪れた人々の祭気分も一層盛り上がる。スタッフのみな
日のようにさまざまな行事が開催される。本祭の前後を、ゆっ
さんも来客の準備に忙しく立ち働く。祭に浮き立つ京都の町衆の様子は、
たりと一カ月、暑さを忘れて楽しむおおらかな祭事。京都に
は、敬意と親しみを込めて身近な物や場所に「∼さん」と
敬称を付ける言葉の習慣があるが、京都の人たちが口々に
「 園さん」という呼び名に、そんな想いがうかがえる。
今も昔も変わらないのだろう。
(p.021)
上・左下:奥座敷の両側に設えられる氷柱には、主人の山口源兵衛さん
(上)自ら季節の装飾を添える。
園祭の象徴・災い除けの粽のお飾りと、
江戸時代には、山鉾が絢爛を競うかのように巡行する、
振る舞われる祭りの御膳、
そして代々伝わる狩野常信による「鷹図」屏風。
現在の形になった
誉田屋の夏座敷は、祭りのしつらいの中に、もてなしの心、涼をとる知
園祭。商いをする町衆にとっては、得
意先をもてなす場、そしてその家に伝わる一級品の数々を、
恵が溢れる。
虫干しという名目でお披露目する場でもあった。山鉾町の中
では現在でも宵山の時期に、古くから続く織元などが屏風を
中心に代々伝わる装飾品を設え、町行く人々の目を楽しませ
たり、座敷に客人を迎えたりしている。
世界が注目する GO-ON の工芸の新しい形
1 ――京都市
そんな老舗のひとつ、創業 270 年余りの帯商・誉田屋は、
p.022
「黒主山」の町内として室町で暖簾を掲げてきた。「京都人
にとっては、
園さんはやっぱり特別なお祭りですから」と
「鷹
10 代目主人の山口源兵衛さん。ご自慢の狩野常信による
図」の屏風のほか、
園祭には必ずお祀りするという、商
売繁盛の神様・恵比寿さんの一刀彫りの像などを奥座敷に
園祭の歴史は、京の都の歩みとともにあった。平安時
代の貞観 11(869)年、たびたびの疫病が蔓延し、京の都
を脅かしていた。疫病神を祓い御霊を鎮めるために、神楽
や踊りを奉納したのが
ランウェイで洋服になって登場するなどと、当時の誰が想像
できただろう。京都西陣にて、大寺院御用達の織屋として創
業した「細尾」は、300 年あまりの時を経た今、京都伝統工
芸の仲間とともに、世界を舞台に羽ばたきはじめている。
設える。
武士や貴族が誂えた西陣織の着物が、1200 年後にはパリの
園祭の始まり。やがて、町を祓い
清める依 代として大小の山鉾とともに練り歩く祭礼となる。
「京都も去年は大雨で水害もあったし、東北の震災のことも
あって、ちょうど今の、なんとなく元気がない日本と一緒や
なぁ、と思って」と誉田屋スタッフの神 埼興一さんは言う。
賑わいは変わらないが、この年はなおさら、祭り本来の災
いを祓い清める祈りに想いを馳せている、と。京都の夏は、
町衆の誇りと祭りにかける心意気、そして安らかな祈りに満
京都の工芸作品を、これまでの伝統的な考え方にとらわれ
ず、純粋なものづくりとして提供するユニット「GO-ON」
。世
紀を超えて継承されてきた、老舗の主人たちを率いる「細尾」
の細尾真孝さんは、そのはじまりについてこう話す。
「2006 年にパリのメゾン・エ・オブジェに出展した際、同じ
く京都で伝統的なものづくりを続けている老舗メーカー『金
網つじ』の若旦那と出会ったのがきっかけでした」
。同じ町に
暮らしていても関わりのなかった二人が、枠のない世界へと
飛び込むことで、誰にも邪魔されずに共感し手を握り合えた
という。格式高い寺院や庭園が何百年も前から存在し続ける
京都では、その時代に生まれた伝統工芸もそれらと同じよう
に扱われている節がある。古くから変わらないものにこそ価
ちている。
値があるというふうに。しかしそれだけでは生活用品としての
必要性は衰え、次第に需要がなくなっていく。 (p.020)
老舗の帯商・誉田屋の、
園祭の客迎え。八坂神社と誉田屋の紋に彩
「細尾」に勤めたかつての職人は、激しい戦の影響で消えゆ
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く西陣織の存続を危ぶみ、命がけでフランスへと、技術を学
造形美と機能を兼ね備えた暮らしの道具」と語る。長い間、
びに渡ったという。当時としては最先端とされた「ジャカード
水や土に埋もれていた神代杉とよばれる材木を使用しており、
織機」の仕組みを取り入れ製造過程を省略することで、西陣
そのあまりに独特な杢目に「海外では、実際に手にして見て
織の帯や着物を貴族や裕福な層だけではなく、一般の人々に
もらっても、材料が木だと信じてもらえないことがよくありま
も身近なものとして愛用してもらうことが可能となった。それ
す」と話す。「Ki-oke Stool」は、素材の美しさに加えて、そ
が、1800 年代の話である。当時の職人たちが、西陣織は、
れが手の仕事によって組み合わされていることが目を引く複
船で旅をしてまで残す価値があると見込んだ結果として現在
雑なデザインだ。
にまで至る。「GO-ON」のメンバーたちは、そのような熱意
卓越した手の技を、
その製品を使いながら味わえるのは「開
を理解し受け継ぎながら、卓越した技と柔軟な脳で、新しい
化堂」の「With Handle Caddies」
(p.026 写真奥)
。ブリキ、
銅、
ものづくりに取り組んでいる。
真鍮といった板状の素材が、職人技によって円形になる。「気
「金網つじ」
「中川木工芸 比良工房」
現在は「公長齋 小菅」
密性の高い茶筒に蓋をするとき、手を離すとゆっくりと外蓋が
「開化堂」「朝日焼」
、そして「細尾」の 6 人の若者たちが一
落ちて閉まる様子にはみなさん見とれてくれます」とは八木
丸となり、Japan Handmade というブランドを世界へと発信し
隆裕さん。開化堂の入れものでしか味わえないその感覚にほ
ている。そのディレクターを務めるのが、デンマーク人デザ
れ込んだリッケ氏は、
「パスタを入れるような大きなものもあっ
イナーのトーマス・リッケ氏。海外から見た日本、伝統工芸
ていい」と一言。「Tea Pot」(p.026 写真手前)などの商品展
の美しさ。リッケ氏は、その概念をすべて分解し、素材とし
開も提案している。
て魅力的なものを、自由に組み合わせてデザインした。
最近、新しいメンバーとして加わった「朝日焼」の松林
まずは竹工芸の老舗「公長齋 小菅」の竹の照明器具
佑典さんは「ディレクターから、陶芸の世界では考えられな
「Bamboo Floor Lamp」(P.27 右下写真)
。後継者の小菅達之
かったようなアイディアを提案されて、毎回新鮮な気持ちに
さんは「頭が重く背が高いので、構造の面で難しいところは
させられます」と話し、陶器と磁器の両方を制作できる朝日
ありますが、なんとかして完全なかたちにしようと試行錯誤中
焼の特徴が、これから見せる展開に期待を膨らませている。
です」と意気込みを語る。フロアランプにしては背丈が 170
今の時代、伝統工芸の老舗であるという背景を、どのよう
㎝とやや高めだが、しなやかに交錯する竹材の影によって気
にして伝えるかはその店の主によって決まる。受け継いだも
がつけば部屋は竹林の中にある。
のを守り、留まるのか。それとも、伝統を受け継ぎつつ次の
次に「金網つじ」の「Corkscrew」(P.022 写真下)
。豆腐
ステップへ向かうのか。昔から、常に時代の先端にいた京都。
すくいや茶こしといった、日本的な製品をつくり続けてきた老
GO-ON は今、その動きを取り戻しつつある。
舗メーカーの職人でもある辻 徹さんは「海外の展示会で茶こ
しを発表したとき、使い方がよくわからないといわれてしまい
ました」と笑う。以後、辻さんは紅茶の飲み方について研究し
「Chrysanthemum Tea Strainer」
(P.024 写真上)を生み出した。
その姿勢に、狭い世界だけにこだわる昔ながらの職人の面影
(p.022)
左・
「細尾」が提案するモチーフがモダンなクッションカバー。銀箔を貼っ
た和紙を裁断して糸として織り込むなど、西陣織として最高峰の技術を
みせる。
はない。本人いわく「型破りな性格」が、デザイナーの要求
に応えさせるのだろう。
右・贅沢な立体感で、空間に華をもたらす西陣織の壁紙。「細尾」が 1
「Ki-oke Stool」(P.027 写真下左)の作り手である「中川木
年がかりで開発した、世界で唯一 150㎝幅が織れる西陣織用の織機で
工芸 比良工房」の中川周士さんは、作品を「洗練された
制作された。
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アンティークシルバーコンポート、花器/ Luca Scandinavia
Tel. 077-592-2400
手つきの籠/公長齋 小菅
www.nakagawa-mokkougei.com
(p.023)
八木隆裕(やぎ・たかひろ)
Stellar Works と「細尾」との共同作品「Laval Crown Chair」
。
開化堂
織物の、繊細な和を感じさせつつも大胆な模様が、上品な額に飾られ
1875 年創業の、日本で最も古い茶筒メーカー。取締役兼職人としてコー
た絵画のように映える。
ヒー缶や重ねられる茶筒を考案し制作を手掛ける。世代を超えて使い込
まれた茶筒の修理依頼も多く、年月を経た味わいを壊すことなく修理す
(p.024)
る。
上・老舗のテーブルウエアが揃う。煎茶器は、150 年間一つ一つ手作り
京都市下京区河原町六条東入梅湊町
で作られてきた「朝日焼」の磁器「河濱清器」
。右の円形のボックスは
Tel. 075-351-5788
開化堂と中川木工芸のコラボレート作品。トレイは開化堂の新作。
www.kaikado.jp
中・洋のスタイルにも合う黒竹うるしの箸と竹籠(公長齋 小菅)
。西陣
小菅達之(こすが・たつゆき)
織のプレイスマットとナプキンリング(細尾)の豪華さを引き締め、気
公長齋 小菅
品を漂わせる。
1898 年創業。宮内庁や宮家からも愛され続ける竹の工芸品をつくる。
アンティークグラス/ Luca Scandinavia
伝統的な職人技を維持しながら、現代のライフスタイルに合わせたキッ
竹の箸、花籠/公長斎 小菅
チンツールを提案。海外見本市の参加や新たな商品展開など、積極的
にプロデュースしている。
下・「金網つじ」のワインアクセサリーシリーズは、手の技で仕上げる
京都市中京区油小路通姉小路下ル宗林町 88
細やかな網目が特徴。トレイは開化堂、バスケットは「金網つじ」。
Tel. 075-253-1186
www.kohchosai.co.jp
(p.025)
辻 徹(つじ・とおる)
上段左から右に
金網つじ 細尾真孝(ほそお まさたか)
平安時代にまでさかのぼるといわれている京金網。「菊出し」や「亀甲
細尾
編み」といった技術は「金網つじ」が生み出した独自の手法。その最
1688 年創業。京都の先染め織物である西陣織の老舗。帯や着物をはじ
高峰の手仕事をもって Japan Handmade の製品を手掛ける。
め、新しいテキスタイルとしての絹織物を提案。海外の有名ブランドと
京都市東山区高台寺南門通下河原東入桝屋町 362-5
手を組むなど、世界との繋がりをひろげている。
Tel. 075-551-5500
京都市中京区両替町三条上ル
www.kanaamitsuji.com
Tel. 075-221-0028
www.hosoo-kyoto.com
松林佑典(まつばやし・ゆうすけ)
朝日焼
中川周士(なかがわ・しゅうじ)
400 年の歴史を誇る宇治の朝日焼。その伝統はお茶の文化と共に育ま
中川木工芸比良工房
れてきた。父である十五世窯元の豊斎さんの下で修業を積み、個展や
江戸末期(1800 年代)に創業した、京都の老舗桶屋「たる源」で修業
ワークショップを開催するなど、お茶を淹れるたのしみをひろげる活動
を積んだ祖父中川亀一が独立して構えた工房、中川木工芸。他に類を
を行う。
見ないその技術を受け継ぎ、自らがデザインした形に合わせて 300 丁
京都府宇治市宇治山田 11
近くある鉋を使いこなす。
Tel. 0774-23-2511
滋賀県大津市大物 731-1
asahiyaki.com
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(p.026)
古い民家を改装した自宅兼ギャラリーの傍らの畑では、
左・昨年秋にオープンした「細尾」のショールーム「HOSOO KYOTO」
にて。Japan Handmade のシリーズが並ぶ和の空間は、伝統とモダン
が融合した新しいライフスタイルの魅力を語る。「Precious Box」
「Water
Picher」「With Handle Caddies」のシリーズと「Tray」は開化堂、竹籠
黒谷和紙の原料となる楮をハタノさん自ら栽培している。家
族が住まう家の中は、紙の柔らかさに満ちた空間だ。床、壁、
襖 や、テーブルなどの家具にまで、ハタノさんが漉き、染
めたり絵を描いたりした和紙が貼られている。
は「公長齋 小菅」の製品。
「和紙って優しい感じがするけど、壁とか木のものに貼る
アンティークガラスコップ/ Luca Scandinavia
と表面をフラットにして、意外とシャープな空間も作り出せ
(p.027)
る面白さがあるんです」とハタノさんは、目を輝かせる。「黒
下左・中川木工芸の「Ki-oke Stool」は、オブジェとしても飾れそうな美
しいフォルム。
下右・「細尾」と Stellar Works の「Laval」シリーズの椅子。腰掛ける
という概念を超えた贅沢な逸品と「公長齋 小菅」のランプが演出する陰
谷和紙の良さである、その強度と風合いを存分に活かした
い」と、紙を漉くだけでなく、絵のキャンバスにすることは
もちろん、封筒や小箱などの生活小物作りから、内装やイン
テリアにまで。ハタノさんの表現の幅は拡がり続ける。
影は極めて斬新。
「和紙の存在価値をもっと高めていきたいんです。紙作り
GO-ON
そのものはそろそろ、さらに若い世代へ引き継いででも」と
www.goon-project.com/en/
ハタノさん。伝統工芸の継承者不足や需要の低下という時
代の流れは、当然のように黒谷にもやってきた。現在、ここ
に暮らす和紙職人は 10 人ほどで、他の和紙の産地と比べて
1
清らかな水の力で生まれる伝統和紙の
新しい形――綾部
も、格段に少ない。その全員が外から移り住んできた人た
ちで、地元出身で紙を漉いている人はもういない。しかし、
p.029
ハタノさんのような若いエネルギーが、黒谷の和紙の伝統
恐る恐る、紙の上を歩いてみる。
をしっかりと継承し、新たな生命力をもたらしている。時代
正確には、和紙を貼った床だ。紙であることを一瞬疑って
は良いほうへと流れているのかもしれない。
しまう、滑らかさと頑丈さ。だが確かに感じる、紙の温もり
がそこにあった。
京都の北部、綾部市・黒谷町。清らかな小川が流れるこ
の山間の集落には、和紙の里として 800 年以上の伝統が息
(p.028)
テーブルや床までも。紙の柔らかい質感に囲まれた、黒谷和紙漉き師・
ハタノワタルさんの暮らし。
下:黒谷川の清流に寄り添うように、和紙の作業場や民家が立ち並ぶ。
づく。原料となる楮や三椏などを煮て、繊維質に加工し、紙
を漉き上げるには、清らかな水が欠かせない。水が綺麗な
(p.029)
こと、そして豊富な流れがあること。和紙の産地としての必
ブックカバーや筆箱は、使い込むほどに味わいを増してゆく。ハタノさ
須条件だ。
んこだわりの風合いと色合いはどれも素朴で優しく、だがどこかクール。
ハタノワタルさんは、和紙漉き師を志し、16 年前にこの
地で新たな生活をスタートさせた。美術大学で油絵を専攻
www.hatanowataru.org
していた頃、キャンバスの代わりに和紙を使ってみたことが
きっかけで、その頑丈な紙・黒 谷和紙を自分で漉きたい、
と思うまでになる。
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Tango Textile 、世界へ
p.029
京都の北端、丹後半島一帯はちりめんのふるさととして知ら
川床で涼む夏の京都
──高雄、鴨川
れる。日本海に面したこの地方では、奈良時代にはすでに
p.031
絹織物の文化が栄えていた記録がある。
京都中心部から周山街道を北西へ向かうと、高山寺や神護
網野町にある丹後ちりめんの織元「田勇」の織機場では、
寺など有名な寺を擁する高雄に至る。夏の緑が覆い被さる
ガチャンガチャンと猛スピードで反物を織り上げている、数
清滝川の谷の底へと下りていく。吊り橋をわたると、川から
十台並ぶ織機の騒々しさに驚かされる。その騒々しさとは裏
のひんやりした空気に包まれる。夏の京都市内の暑さは有
腹に、意外にもこれらの機械が織り上げているのは、繊細
名だが、ここは市内中心部より温度が 3 ∼ 5 度くらい低いと
で優しい絹織物だ。
いう。川沿いにはいくつものオープンエアの座敷が設けられ
独特の「シボ」という凹凸が柔らかい表情を持つちりめん。
ている。「川 床」といって、京都ならではの夏を涼しく過ご
正絹のものは、高級な呉服や和装小物に使われる。ちりめ
す知恵のひとつだ。川を眺め、涼みながら座敷で料理をい
んの製造工程には、水が密接に関わってくる。絹糸はそも
ただける。初夏は若鮎が美味しい季節である。このもみぢ
そも、蚕の繭を煮てとるものであるし、ちりめんを織るには
家の別館「川の庵」の川床は谷に沿って 250 席もある。ど
この糸をまず、お湯で柔らかくして数本を束ね、さらに水を
こからも川が見えるように席が設けられているのが店の自慢
かけながら強く撚っていく。そしてこの撚りをかけた緯糸と、
だ。席につくと、料理が運ばれ、とっぷり日が暮れた頃、舞
撚っていない経糸を織り上げる。
妓さんが現れて踊りを披露し、その後、席を順に回っていく。
最後に、精練という工程で絹に含まれるセリシンというニ
お酒をついでもらう人もいれば、一緒に記念写真を撮る人
カワ質の成分を洗い流す。この時に糸が縮むので、撚りの
もいる。川床の夕べは楽しい。夕刻に灯った提灯の明かり
強さや右縒り・左縒りの違いがある糸を組み合わせることで、
の群れで川沿いはえも言われぬ幽玄な雰囲気となる。
細かいシボ、縦に走るシボなど、自由自在に風合いを作り
ロンドンにテムズ川、パリにセーヌ川があるように、京都
出すことができる。まさに水の力を利用した職人技なのだ。
市内の中心部には鴨川がある。それほど大河でもない、市
内をまっすぐ流れて行くだけの川であるにもかかわらず、鴨
「田勇」のちりめんは、同じく丹後の帯の織元「民谷螺鈿」が開発した
螺 鈿 や 竹 などを 織り込 ん だ 商 品( 写 真 奥 の 帯 )とともに、JAPAN
BRAND としてのお披露目以来、Tango Textile として海外のアパレルブ
ランドからも注目される。
川の名は京都人の口端によくのぼり、いかにこの川が京都
人に精神的な潤いを与えているかがわかる。この鴨川で夏
になると目立つのが「納涼床」だ。鴨川右岸にある店々が広々
とした川に向かって高床を張り出し座敷を広げる。先斗町は
丹後縮緬 田勇
高雄とはまた異なる開放感に満ちている。川を見つめて暮
京丹後市網野町浅茂川 112
らす京都人が生んだ夏の京都の風物詩である。
www.tayuh.jp 製造工程の見学ができる(要予約)ほか、ショップではちりめんなど絹
(p.031 上)
製品を購入できる。名工・重森三玲が丹後の海の情景に見立てた庭園(写
上・もみぢ家の椅子席。
真下)という隠れた見どころも敷地内にある。
左・夜は「清流の里」は雪コース(1 万 5750 円)と月コース(1 万
民谷螺鈿
床御膳」(8400 円)
。
yamatou-orimono.com/tangosilk/tamiya_raden/tamiya_index.html
上・もみぢ家の川床。
2600 円)
、昼は二段の弁当の「夏の北山」
(5775 円)か懐石形式の「川
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左ページ・川沿いに設けられたもみぢ家の座敷で、舞妓さんが川風に
やがて船は嵐山の淵へと入っていき、観光客の多い渡月
憩う
橋の周辺の賑わいが聞こえてくる。
(下)
鴨川沿いにずらり並ぶ納涼床。和食だけでなくさまざまな料理店やカ
フェなどが床を出す。川風に吹かれながらの夕べを一度は過ごしてみた
い。
(p.033)
保津川の水路は、戦国期の京都の豪商・角倉了似が当時私財を投じて
開削したのが始まり。かつては、水運として利用された木造船は、川を
下った後、川岸から人が綱で船を曵きながら上流に戻したという。
もみぢ家
京都市右京区梅ヶ畑高雄
保津川下り
Tel. 075-871-1005
保津川遊船企業組合
www.momijiya.jp
京都府亀岡市保津町下中島 2
お座敷は PM6 時∼ 8 時が基本。要予約。ただし席があいていれば当日
でも入れる。
Tel. 0771-22-5846
www.hozugawakudari.jp/en
3 月 10 日∼ 11 月 30 日(これを除く冬季は座敷形式の暖房船)
大人 3900 円、小人 2500 円(4 歳∼小学生) 貸し切りも可能
涼味たっぷり、峡谷の川下り
1 ――保津川
現代の高瀬舟を造る船大工
p.033
保津川下りは、亀岡市内から京都市の嵐山の渡月橋の手前
まで 2 時間の遊船である。かつて丹波で切り出した木材な
どの物資を京都・大阪へ運ぶための水運として開かれたこ
の水路だが、戦後のトラック輸送の発達で水運利用は姿を
消した。
強い日差しの中、亀岡の船着き場を出て、修学旅行の高
p.033
高瀬舟とは昭和初期まで使われた底が平らな木造船だ。保
津川下りの舟の形は変わらぬ高瀬舟だが今は FRP 製、グラ
スファイバーボートだ。その造船・修理を行っているのが船
大工の山内博さんだ。保津川の畔の工場の前には舟が山積
みされている。屋内で見る舟はとてつもなく大きく見える。
やはりひと夏で舟や櫂は相当傷むらしいので、メンテナンス
は欠かせない。櫂を削り出し、舟を補強し、安全を提供する。
校生たちが水浴びをしはしゃいでいる広い川原から、徐々に
川幅は狭まり峡谷へと入っていく。崖っぷちを走るトロッコ
列車の乗客たちがこちらに向かって手を振る。途中の奇岩
には一つ一つ名前がつけられているが、驚くほどのものは
1
おいしさ詰まった京の夏野菜
ない。3 人の船頭が櫂、舵、棹を交替しながら、いくつか
p.034
の急流や難所を巧みに操船して船は進んでいく。峡谷に敷
「京野菜」というのは一つのブランドといっていいだろう。こ
かれた JR 山陰本線の鉄橋をいくつも潜る。
こでは京都で作られる京都の伝統野菜のことだ。日本全国
このコースの魅力は保津峡をはじめとする岩肌を取り巻く
に土地と土地の伝統野菜があるが、京都の野菜は知名度で
森だ。険しい斜面に美しく整えられた杉の人工林、秋であ
群を抜く。京都で日常的に食べられていると同時に、京料
れば紅葉が美しいであろう広葉樹の森。なだらかな山並み
理の素材としての高級イメージが伴う。京都は野菜生産に
が行く手に広がる一瞬、ここは京都だろうかと思うような場
適しているというが、その理由の一つが、賀茂川、桂川、
所がある。
高野川という河川が上流から京都に運んできた豊富な地下
Spring / Summer 2013 Vol. 31[ 10 周年記念特集 ]
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水と土壌である。季節は夏。豊かな京都の水が育んだ、京
する季節だ。宇治は鎌倉時代、中国から茶の種と抹茶法が
都の夏野菜の健康そうな顔をご覧いれよう。
初めてもたらされた、日本におけるお茶発祥の地とされる。
世界最古の長編恋愛小説といわれる『源氏物語』の番外編
京こかぶ
「宇治十帖」の舞台としても知られる。
緻密な肉質、繊細な甘み。京料理に欠かせない。
老舗の茶問屋が多くあるなかでも、最も古く850 年余り
の歴史を持つのが、平安時代末期創業の「通圓」。川に掛
紫ずきん
かる宇治橋の東側のたもとで代々 橋守 の役割を担い、
有名な丹波の黒大豆を枝豆として利用したもの。
橋を行きかう人々にお茶を振る舞ってきた。
賀茂なす
24 代目当主の通円祐介さんに、とうとうと流れる宇治川
肉質がよく油と相性がいい。京都の漬物にも利用。
沿いに広がる茶畑に案内していただいた。宇治地方は気候
も温暖で、川に立ち込める朝霧も茶の栽培に適しているとい
水菜
う。「特に川沿いの地域は砂地が多く、根が真っ直ぐ下に伸
しゃきっとして瑞々しい食感。サラダや鍋に最適。
びる。そうすると、特に抹茶用に適している薄くて面積の広
九条ねぎ
い葉が茂るんです」。一方、山間の地域は粘土質の土壌で、
葉ねぎの代表品種。麺の薬味から鍋物まで OK。
見た目も味わいも力強いお茶が育つなど、バラエティに富
むのも宇治茶の特徴だ。
万願寺唐辛子
「宇治の茶農家や茶問屋はどこも、お茶発祥の地、茶どころ
辛みはない。ジューシーで煮ても焼いても美味しい。
としての誇りを持っています。長い歴史のなかで、それぞれ
壬生菜
のお客様筋に愛されてきた味のクオリティを保つため、ブレ
少し辛みがある。主に京漬物に使われる。
ンド技術も研ぎ澄まされました」
そのなかにあって、通圓の味とは?
鹿ヶ谷かぼちゃ
「茶葉を摘んだ後の蒸す工程、そして仕上げの 火入れ と
あっさりした味わいのかぼちゃ。日本料理の素材として。
いう乾燥の工程をいずれも軽くして、お茶本来の、あっさり
とした昔ながらの味わいを大切にしています」
金時にんじん
通圓のお茶は海外にもファンが多く、遠くはなんとケイマ
煮ると甘さと軟らかさが際立つ。内部まで真っ赤。
ン諸島の得意先まで定期発送している。コーヒーの感覚で
伏見甘長唐辛子
抹茶にミルクを合わせたり、カクテルにしたりする愛好家た
辛みはない。天ぷら、焼き唐辛子、煮物などに。
ちの目線を通じて、祐介さんもお茶の魅力を再発見するとい
う。「アメリカの精神科医の先生は、玉露を眠る前に飲んで
いると聞きました。日本では一般的に、緑茶にはカフェイン
が多いということで眠る前には控えることが多い。でも低い
宇治川の畔で爽やかな一服を
温度で淹れると、もうひとつのテアニンという成分の効果が
1 ――宇治
増幅され、逆にリラックスできるんだそうです」
p.036
宇治川を爽やかな風が渡る 5 月は、町中が新茶を心待ちに
出された玉露を一口いただくと確かに、しゃきっとした後、
全身の細胞が一瞬フッと緩むような心地よさがあった。
Spring / Summer 2013 Vol. 31[ 10 周年記念特集 ]
8
(p.036)
海外でも大人気「通圓」のお茶
宇治の夏 もうひとつの風物詩
p.033
茶摘の時季が過ぎ、宇治の本格的な夏の到来を告げるのは
宇治川の鵜 飼。烏 帽子と腰蓑という古式ゆかしい装束を
抹茶「太閤さん」
苦みが少なく、まろやかで味わい深い。提携農家の福井景一さんの畑
で栽培された最高品質の緑茶を使っている。
纏った鵜匠が、篝 火の光に集まってきた鮎を、鵜を操って
捕獲する伝統漁法だ。乗合船に乗ったり、貸切船で料理を
楽しみながら間近で観覧できる。宇治では現在、全国でも
玉露「ふじつぼ」
数少ない、女性鵜匠が 2 人活躍している。
海外でも人気のある玉露は、緑茶のなかでも最上級のもの。低い温度
で丁寧に淹れると、薫り高くまろやかな旨みが堪能できる。
宇治川の鵜飼
例年 6 月中旬∼ 9 月下旬
ほうじ茶「あづまや」
詳細は宇治市観光協会へ問い合わせを。
緑茶の中でも渋みの少ないものを選び、抹茶用の茶葉の茎の部分とブ
Tel. 0774-23-3334
レンドして焙じている。香ばしさのなかに爽やかな後口が。
Email: info@kyoto-uji-kankou.or.jp
(写真提供/宇治市観光協会)
(p.036 上)
上:通圓 24 代目の通円祐介さん。店頭の長火鉢の傍らで毎日お客様を
迎え、茶釜のお湯で淹れたお茶を振る舞ったり、試飲してもらったり。
茶どころが活気づく新茶の時季は、一日に何百杯も淹れることがある。
下:宇治川に臨む、店舗併設の茶房では、通圓のお茶と相性抜群の名
琵琶湖疏水が京都の庭々を巡る
物「茶だんご」をはじめ、お茶を使った甘味や軽食が楽しめる。
――岡崎
p.038
通圓
宇治市宇治東内 1
京都の水を語るうえで琵琶湖疏水の存在を抜きにすることは
営業時間 9:30 ∼ 17:30
できない。街の中でふと目にする水の流れは、実は隣の滋
www.tsuentea.com/engindex.htm
賀県の日本最大の湖・琵琶湖から引いた水だ。
首都が、京都から東京へと移された明治 2(1869)年、
(p.037 上)
暑い夏の日は、爽やかな冷茶でホッと一息。冷茶には、香り高く味が濃
い玉露がぴったりだ。直接氷を入れた急須で、茶葉をたっぷり使って濃
く淹れるのが美味しさのコツ。
千年もの間日本の都として栄えてきた平安京の時代は幕を
閉じ、京都の産業は衰え人口も急減した。そこへ、都市とし
ての復興を図ろうと計画されたのが、琵琶湖の湖水を引水
するという事業である。さまざまな困難を乗り越え、明治 23
(下)
左奥:宇治橋の 三の間 と呼ばれるデッキ状の張り出しから、川の上
流を望む。通圓の 10 代、11 代目はここで、太閤秀吉の茶会のために
宇治川の水を汲む大役を任されていた。
左:通圓の提携農家・福井景一さんの茶畑。茶の木が健やかに葉を茂
らせる。
(1890)年に見事開通した琵琶湖疏水は、京都の街を潤す
命の水として人々に親しまれるようになった。
その疏水の水を庭園に引くという画期的な庭作りを始め
たのが、その当時、日本庭園造園の先駆者として活躍した
作庭家・小川治兵衛だ。治兵衛は、琵琶湖疏水の第一水路
から近い南禅寺界隈にある私邸の庭作りに力を注いだ。現
在は名園に指定されている無鄰菴においても、疏水の流れ
Spring / Summer 2013 Vol. 31[ 10 周年記念特集 ]
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を活かした作庭をしてみせ、潤いのある水の庭として当時の
小川治兵衛の名庭を巡る
p.039
施主を魅了した。その隣に位置する料亭「瓢亭」に流れ込
むのは、無鄰菴から引き継がれる清流であり、その流れは
また次の私邸へと続く。京都の小さな庭の水さえも、琵琶
湖に流れ込む清冽な雪解け水の流れそのものなのだ。
●並河靖之七宝記念館
京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町 388
Tel. 075-752-3277
www8.plala.or.jp/nayspo/eng.html
南禅寺の参道を通り、無鄰菴へ続く路地を進むと、京都
の老舗料亭として知られる「瓢亭」に辿り着く。料亭の目印
である、ひょうたんの小旗に招かれ玄関に入ると、日本庭園
七代目小川治兵衛は琵琶湖疎水を利用した斬新な「水の庭」をつくった。
その代表的な仕事を巡る。並河邸はその第一作。池とそれを取り巻く植
栽が涼感を呼ぶ。
特有の、湿潤な苔を傍に構えた艶やかな露地が、小さな池
のほとりへと案内する。疏水からの水がゆったりと巡る池に
●無鄰菴
は、主のような鯉が行き来しており、時々水面を跳ねる音が、
京都市左京区南禅寺草川町 31
風情のある空間を醸し出している。
Tel. 075-366-0033
「瓢亭」の高橋義弘さんはこう語る。「ここにはレストランに
www.city.kyoto.jp/bunshi/bunka/murin_an/murin_an_top.html
流れるような音楽はありませんが、耳をすませば、清流の
七代目小川治兵衛が明治の元老・山県有朋と出会って生まれた庭。里山
流れや鳥のさえずりが聞こえてきます。茶室の中で、生きた
の田園をイメージしたナチュラルガーデン。京都市街にいることを忘れる。
自然の音に包まれて懐石料理を召し上がっていただけるの
が、いちばんの魅力だと思います」。
疏水からの豊かな水は、その清流を永久的なものにし、
枯れることのない庭とするために命を注ぎ続けている。
●真澄寺別院 流響院
京都市左京区下川原町 43-1
Tel. 075-771-3969
www.ryukyoin.jp
(p.039)
公開は春と秋の期間限定
左ページの 2 点は疏水を引いた瓢亭の庭。流れが建物と植栽を縫うよう
に庭を巡る。右 2 点は南禅寺の「水路閣」
。琵琶湖から引いた水が境内
を通るために造られた水路橋(写真/ amana images)
。
七代目小川治兵衛と八代目保太郎の合作。現在は真如苑が所有し 2 年の
歳月をかけ復元。東山を借景にした水の庭はさまざまな仕掛けで見るも
のを飽きさせない。
瓢亭の夏の料理(先付)
。煮凍り茶巾絞り(鱧、生ウニ、枝豆)
。下は、
疏水の流れる庭に面した瓢亭の座敷。(写真/小林庸浩)
(写真/藤塚光政)
瓢亭
京都市左京区南禅寺草川町 35
1
伏見の名水という京都ブランド
Tel. 075-771- 4116
p.041
hyotei.co.jp/en/
およそ 400 年前に茶店から始まった懐石料理の老舗。草庵の風情ある数
米文化が生んだ嗜好品、日本酒の名醸地でもある京都の伏
寄屋の落ち着いた空間でいただく、京野菜をたっぷり使った懐石料理、
見に、およそ 200 年以上前から「うまい酒」を追い求め続
朝粥が有名。
けている人がいる。
寛政 3(1791)年の創業時には、市内の中心部に店を構
えていたという松本酒造は、酒造りに要する上質な水を求
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めて、伏見へと移転した。なぜこの土地を選んだかという
松本酒造株式会社
疑問も、今日でもこんこんと湧き出る「伏水の名水」とよば
京都市伏見区横大路三栖大黒町 7
れる地下水を口に含めばかき消される。この名水ゆえ古くか
ら伏見の名は国内に知れ渡っている。
「水質を数値にして調べることはもちろんですが、自分の舌
Tel. 075-611-1238
www.momonoshizuku.com/
伏見の名水を味わう
p.041
で確かめないと納得ができません。しかし何年経っても、こ
の水には頷けるという確固たる自信が、伏見の水にはありま
●藤森神社「不二の水」
す」と話すのは、松本酒造の杜氏・松本日出彦さん。
京都市伏見区深草鳥居崎町 609 藤森神社内
「酒蔵を管理する両親に育てられた幼少時から、口にする
www.fujinomorijinjya.or.jp
ものはすべて伏水を使ったものでした。子どもながらに、水
の品質が料理や飲み物に影響するということを、なんとなく
知っていたような気がします」と言い、この名水の持つ存在
紫陽花の寺としても知られる藤森神社の本殿の東側に不二の水がある。
地下深くから汲み上げ、岩から清水が溢れるような仕立てにしてある。
●鳥せい本店「白菊水」
価値を、高く評価している。
京都市伏見区上油掛町 186
創業 200 年以上という長い年月の中で、変わらないもの
www.torisei.com/shop/honten.html
があるとすれば、本物の純米酒を醸し出す丁寧な造りと蔵
店の脇にある井戸には 24 時間ひっきりなしに人が訪れる。列ができる
人の真心、そしてこの地下水であるといえるだろう。
ほどで一人 10 リットルまでの張り紙がある。店内でも飲める。
現在松本酒造は、先祖代々引き継がれてきた技術を活か
しつつ、新しい試みにも挑戦しており、京都に拠点を置くイ
●清和荘「清和の井」
京都市伏見区深草越後屋敷町 8 清和荘
タリアンレストラン「IL GHIOTTONE」との共同で「RISSIMO」
www.seiwasou.com/english/index.html
という新酒を開発した。松本さんは「日本酒と聞くと、和食
料亭旅館・清和荘の敷地内にある。清和荘の料理にも使われ、だしを
と合わせることにこだわりすぎて、現代の多様な食文化では、
取るのに適した水質だという。門の開いている AM8 時∼ PM10 時なら
食卓に出ないことが多いと聞きます。そうではなくて、油物
出入り自由。月曜が定休。
や肉料理にも負けない酸味を持つお酒を造りたいと思った
のがきっかけです」と話す。
敷地内にある八角形の煉瓦煙突と仕込蔵は伏見の酒の伝
●城南宮「菊水若水」
京都市伏見区鳥羽離宮町 7
www.jonangu.com
統を継承するモニュメントだ。老舗・松本酒造は、伝統的
鳥居の手前の手水舎でこんこんと湧き出ていていただける。あらゆる病
な醸造手法を守りながら、現代のライフスタイルに合った考
気が治る霊験あらたかな水といわれている。
え方を持つことで、次世代や世界に向けて酒文化を伝えるこ
とに成功している。
(p.040)
酒米と水の品質にこだわりぬいて造られた松本酒造の名酒。純米吟醸
「桃の滴」(右)は、上質な米から溶けだした麹や酵母の豊かな味わい
の中に、ほのかな果物の香りを感じさせる松本酒造を代表する銘柄。海
外においても高い評価を受ける逸品。
1
世界が注目する山崎蒸溜所
p.043
サントリー大山崎のチーフブレンダ―を務める輿水精一さん
は「ウイスキーづくりに大切な要素は、樽と貯蔵庫、そして
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やはり水が最も重要でしょう」と話す。山崎蒸溜所の応接室
サントリー山崎蒸溜所
の窓に映る竹林は青々としてこの地の水の豊かさを語ってい
大阪府三島郡島本町山崎 5-2-1
るように見える。輿水さんが原酒のテイスティングに携わる
ようになって 20 年。その経歴のなかで手がけた数々の名酒
Tel. 075-962-1423
www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/index.html
工場見学のお申し込みは電話かメールにて受け付け。海外からの場合
のうち、シングルモルトウイスキー「山崎 18 年」が、ロン
は、電話にてご予約ください。
ドンで毎年開催される世界的な酒類コンペティション「イン
電話受付時間 9:30 ∼ 17:00(休業日をのぞく)
ターナショナル・スピリッツ・チャレンジ 2012」において、
休業日 年末年始・工場休業日(臨時休業あり)
ウイスキー部門で最高の酒に選ばれ、サントリーの数多い
受賞歴を新たに更新した。
「原酒というものは、造る場所の気候風土が、そのまま品
質に現れます。この土地には、ウイスキーづくりに最適とさ
れる湿潤な気候があり、『利休の水』と呼ばれる清らかな水
が湧き続けています。それに加えて、日本特有の四季の移
ろいが、長い期間熟成させておく貯蔵庫の環境を独特なも
のにし、サントリーの原酒を風味豊かな品質に仕上げます」
と輿水さんはいう。
およそ 80 年前、日本初のモルトウイスキー蒸溜所を、山
崎という土地に建設したのはサントリーの創業者・鳥井信治
春の味覚、京都の筍
p.043
筍 の里、京都は大原野に住む、シニア野菜ソムリエとして
活躍中の西村秋保さん。この一帯は美しい竹林と筍農家が
多いが、筍農家でもある西村さんの竹林でも、毎年多くの
筍が収穫される。京筍は色の白さと軟らかさ、風味が特徴だ。
竹林は冬が近づくと土を被せ土の栄養分を高めておく。する
と春には、滋味に富んだ立派な若竹が顔をのぞかせようと
土を盛り上げる。そのわずかな兆候を見つけ、傷つけない
ように少しずつ掘り出された筍は、毎春の食卓を彩る。
郎だった。創業者が探し当てたのは茶道の始祖である千利
休がお茶を点てたといわれる、蒸溜所の背後に位置する天
王山に育まれるこの名水だった。
蒸溜所の広大な敷地内にも、水が豊潤に湧き出る。手に
利休とお茶と水と待庵
1 ──大山崎
p.045
触れると、思わず喉を潤したくなるほどの瑞々しさに包まれ
る。
たとえば、自分とは違う文化や環境で生まれ育った人に母
国について語るとき、私たちは必ずといっていいほど、生ま
(p.042)
れ育ったその国の伝統的なものを例に挙げて話をする。そ
山崎蒸溜所の応接室から見た瑞々しい竹林。天然の湧き水をふんだん
れが日常の生活から垣間見えるとすれば、なおさらわかりや
に取り込み天へと育つその姿は、確かな良質の水と空気の存在を示す。
すく、実際にやって見せながら伝えたりする。日本において
(p.043)
上・熟成させる樽の素材によって、原酒の琥珀色の深みが変わる。
いえばお茶の文化であり、もてなしの心であるといえるだろ
う。茶道の歴史をさかのぼると辿り着くのが、いうまでもな
右からスパニッシュオーク、ミズナラ、ホワイトオークの樽で熟成。
く侘び茶の始祖である千利休だ。
左・世界でも独特な複合蒸溜溜所として知られる山崎の蒸溜室では、
利休は、1522 年から 1591 年の戦国時代に生きた茶人で
形状の違う蒸溜釜が、さまざまなタイプのモルト原酒をつくりわける。
あり、当時国司を握った将軍たちに仕えたと伝えられる。利
下・日本ならではの貯蔵樽、ミズナラ樽も眠る貯蔵庫。気候風土がよい
休が茶をたのしむためだけの小屋を建て、茶室と呼んだの
山崎では、温度管理は自然任せ。
は、室内で戦の話をしていることを隠すためという一説もあ
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るが、着目すべきはその設計力にある。
妙喜庵(待庵)
利休が手がけたとされ、唯一現存する最古の茶室「待庵」。
京都府乙訓郡大山崎町竜光 56
京都は大山崎の「妙喜庵」の敷地内にあり、1600 年前後に、
当時山崎の地に本拠を構えた豊臣秀吉の命令で建てたとの
Tel. 075-956-0103
拝観は要予約、申し込みは往復はがきでのみ受け付け。
希望日の 1 か月前に申し込むこと。
寺伝がある。「利休の、建築家としての才能は非常に秀でて
高校生以下の拝観は不可
おり、わずか二畳敷の茶室とは思えないほど奥行きのある
志納金 1000 円( 1 名)
空間に仕上げられています。竹をそのまま室内に設えたの
も利休がはじめといわれています」と「妙喜禅庵」の住職
は語る。身を小さくして「待庵」に上がり、ひと呼吸してみる。
庭は海。舟屋ライフスタイル
人が二人入れば窮屈に感じるほど狭小な室内のはずなのだ
――伊根
が、確かにそこには、無限の空間とつながっているような空
p.046
気が漂っていた。山崎の地には竹藪が多く、利休が地元の
京都には海もある。日本海に突き出た丹後半島の一角、伊
ものを使って「待庵」を造ったことも容易に想像できる。小
根は舟屋の町として知られ、京都市内の町家とはまた違う美
窓の細い竹のあしらいは精緻を極め、二重の影を落として
しい景観を呈している。舟屋は、漁船を格納する収蔵庫と
いる。綿密に仕組まれた茶室のこの暗さなのだ。
住居が一体化した建物で、伊根の舟屋群は国の重要伝統的
そして竹と土に加えて、利休が求めたものといえば、やは
建造物群保存地区に指定されている。
りこの土地の水であろう。お茶の原点である水。山崎に流れ
そこに舟屋を改装したアトリエ「伊根工房」を構え、素地
る豊かな水を目にしながら、かつて利休が、天 王山を源と
を轆 轤にのせるところから窯焼きまで、陶芸の制作活動に
するこの湧き水をこよなく愛し、茶道の道にふける姿に思い
励んでいる人がいる。もともとは油絵を描いていたという倉
を馳せてみたい。
攸佳衣さん。海とつながっている開放的な住まいに憧れて、
(p.045)
左上・窓が茶室につくられたのは待庵が最初で、室内の明るさを考えて
ここへと移り住んだ。ゆらゆらと揺れる波を見つめ、空から
も水面からも光を浴びる暮らし。そんな毎日のせいか、倉さ
配置が決められた。
んは、キャンバスには収まりきらない感情や創作意欲を掻
右上・室町時代(1492 ∼ 1501 年あたり)に建立された妙喜禅庵の敷
き立てられ、立体にして表現したいと思うようになったとい
地内。苔と松と庭石のある庭園がその重みを醸し出す。
う。
中左・障子を通して柔らかな光が差し込む待庵の内部。安堵感のある
「休憩がてらに外に出て海を眺めていると、イルカの群れが
暗さはこの茶室独特。
中右・建築当時のまま残されている下地窓。簡素なつくりが建築美を引
き立てる。
遊びにきたりする。大洋を泳ぐ生きものがここまで旅をして
帰っていく姿は、海の向こうの世界を想像させます」と目を
中下・山崎の湧き水で点てる茶。
細めて話す。倉さんが作り出す作品の、人の本来の姿をそ
下・器に湯が注がれる音、それを包む湯気、茶を点てる過程もたのしむ。
のままさらけ出したようなユニークな造形に思わず微笑んで
しまう(写真右、棚に飾られた人形)。女性の手にもすっぽ
内部に入ると、その暗さが、まるで特別な場所に招かれたような気にさ
せる。たった二畳の空間ではあるが、内部の隅を丸く塗り込むことで、
駆込天井とともに室内を広くみせており、壁の補強に使う藁を刻んだ
藁苆を表面に出して壁を塗るなど、利休の独特な設計に驚かされる。
りと収まる小さなサイズが、大切にしたい気持ちにさせる
コーヒーカップは、油絵時代の画力を活かして絵付けされ
ている。
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庭に出るような感覚で建物から海辺に出る。船着き場に
から一歩出ればそこは海。パーティへ舟で乗り付けてくる人
小さな波が打ち寄せ、海が家の中にあるようだ。本当の意
がいるのも伊根ならでは。大規模な蔵元に勤めた経験のあ
味での「海辺の生活」がここにある。伊根湾の景色は、人
る夫の健太郎さんは、酒造りに人一倍のこだわりを見せる優
をどこか懐かしい気持ちにさせる。
れた蔵人であると同時に料理も達人級。「日本酒を楽しむこ
とを前提に和風をベースに洋のエッセンスを加えたもので」
(p.047)
と、アオリイカの姿煮、オキギスのエスカペッシュ、サンマ
左上・舟屋独特の造りである船の収蔵庫。昔ここに船を収めていた。
中央・伊根町ならではの、湾から見た舟屋が並ぶ風景。
下左・工房で、波の音を聞きながら楽しそうに土をこねる倉さん。
のトマト煮(味噌とサワークリームでまろやかに仕立てたも
の)、
ウスバハギ(地元でとれる、
カワハギの仲間)の薄造り、
下中・立派な梁が伝統建築を思わせるカフェスペース。
バイガイの酢味噌和えなどが、たちまちテーブルに並ぶ。
右・工房にはユニークな倉さんの作品が無造作に並べられている。ここ
湾は湖のように静まり、夕焼け雲を海に映すに従い、酒
とは別にギャラリーも併設している。
は進み会話は弾む。ここはパラダイスだ。明日の早朝には
右下・伊根町の景色を描いたコーヒーカップとソーサー。
この静かな水面を小舟がはしり、人々は漁へと出かけるのだ
ろう。
伊根工房(アトリエ兼カフェ)
京都府与謝郡伊根町亀島 848
(p.048)
Tel. & Fax 0772-32-0071
伊根の舟屋の噂は世界に広まり、最近は海外からの豪華クルーザーがこ
火曜日定休
の湾で停泊していくこともあるという。向井酒造の浮き桟橋の上で家族・
アトリエ見学料一人 500 円(飲物代込み)
友人とパーティ。長慶寺さんならではのもてなしのスタイルである。
向井酒造
浮き桟橋の上で日本酒パーティ
京都府与謝郡伊根町平田 67
1 ──伊根
Tel. 0772-32-0003
p.048
伊根産の酒米・五百万石と古代米の紫小町を使用して造った
Fax 0772-32-0199
kuramoto-mukai.jp
「伊根満開」
。ワインのロゼの赤みを帯びた日本酒だ。日本
酒の芳醇な香りの中に果実酒のような甘みと酸味があり、こ
(p.049)
れが後を引く。発売してほどなく完売というのもうなずける。
上・浮き桟橋から見る伊根湾。海に接した木が並ぶ風景はどこか日本離
新しい感覚のこの日本酒を造ったのは、1754 年創業の向井
れしている。
酒造で杜氏をつとめる長慶寺久仁子さんだ。向井酒造は伊
中左・健太郎さんの手作り料理は、向井酒造の名酒と抜群の相性。
根の舟屋の蔵元である。
「目の前で獲れた魚を刺身にして旨い酒と味わうというの
は、本当に贅沢なこと。新鮮な料理に合わせて飲む一口が
中右・女性杜氏ならではの感性が生んだ「伊根満開」
。赤米を使った果
実酒のような日本酒。
下・浮き桟橋での宴。桟橋の浮遊感は心地よく酔いをまわす。
右・長慶寺夫妻と長男の長太郎君。海と山に囲まれてすくすくと育つ。
楽しみになるような日本酒造りを目指しています」
豊かな漁場の海を抱く伊根ならではの楽しみ方がある。
向井酒造の浮き桟橋の上で仲間を招いてのパーティだ。家
伊根湾を楽しみつくす宿
p.049
一日に一組のゲストのみを迎える舟屋の宿、「鍵屋」
。夫婦
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二人だけで、来られたお客様を十分もてなしたいという気
料理に供される土地の恵みも旅に欠かせない楽しみだ。
持ちから一組限定としている。元々の舟屋の作りを活かして、
全室個室の食事処では 海のある京都 らしく、久美浜の海
一階に、海面と同じ高さで海が望めるようになった食事ス
の幸を堪能できる。地産地消にこだわり、近隣の農家の人
ペースを設け、二階に宿泊用の部屋を用意。操船もする主
たちが宿の敷地内の畑で育てている野菜も供される。海の
は、自ら釣りに出かけ獲れたての素材をつかって料理を提
ものにも山のものにも、手を加えすぎず、素材の味を活か
供。夜、宿から釣り糸をたらしてのアオリイカ釣りは鍵屋の
している。名物は、目に舌に嬉しい前菜 11 種(写真・右中)
。
宿泊客ならではの特権だ。
旬の味を一口ずつ、コースの料理の間もゆっくりつまみなが
ら味わってもらう趣向だ。
右上・漁港である伊根町には卸売市場もある。
もうひとつ、水の恵みといえば温泉。アルカリ性でさらり
右下・鍵屋の一階から贅沢な湾の景色を独り占め。
とした夕日ヶ浦温泉のお湯は、 美人の湯 として知られ美
肌効果が抜群だ。客室の半露天風呂にゆったりと浸かり、
舟屋の宿 鍵屋
湯上がりには縁側で、庭の緑に滴る雨を眺めながらまどろ
京都府与謝郡伊根町亀島 864
む。旅先で、宿にこもるのも悪くない。
Tel. 090-9362-1682
www.ine-kagiya.net
(p.050 上)
Email info@ine-kagiya.net
丹後の春と夏はひときわ美しい季節。雨模様の日のしっとりとした風情と
はまた違い、久美浜湾の上の抜けるような青空に、雲がダイナミックに
流れる。
雨に染まる旅先の宿
1 ──久美浜
(下)
p.050
もし、旅先で雨に降られたとしたら?
古きよき丹後の原風景を伝える「宗家」の佇まい。別邸の様に、温か
い灯りに迎え入れられる。ひっそりと緑に囲まれた、くつろぎの時間。
大抵の人は旅の予定が台無しになって、憂鬱な気分にな
るのかもしれない。だが、そんな雨の風情も旅の楽しみの
ひとつと思える宿が、ここ丹後の久美浜にある。日本海に臨
(p.051 上)
「宗家」の内装には築 150 年の古民家の重厚な材が設えられている。中
庭や敷地内の小道のしっとりとした緑が目に涼やか。 む丹後は、年間の平均降水確率が 60%という雨の多い地域。
ならば、その雨ごと楽しんでもらおうと、 大人の雨宿り を
テーマにオープンしたのが「雨情草庵」だ。古民家の離れ
あまやどりの宿 雨情草庵 宗家
風に独立した 5 棟の客室はそれぞれ、古来さまざまな雨の
京都府京丹後市網野町木津 247(佳松苑内)
表情を愛でてきた日本人の心を映し、雨の情景にちなんだ
ネーミングになっている。
Tel. 0772-74-9009
www.ama-yadori.com/souke/ (Japanese only)
※雨情草庵についての詳細は KIE Partner Hotels → p.127 へ
2011 年に新たに加わった特別棟「宗家」は、竹の木立
に囲まれひっそりと佇む。昔懐かしい日本の趣を湛える、囲
炉裏部屋や古民家の古材を設えたくつろぎの空間。四季の
草花が咲き、夏になれば蛍が飛び交うささやかな庭も独り
占めできる。
Spring / Summer 2013 Vol. 31[ 10 周年記念特集 ]
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(p.053)
誰がここに橋を架けたのか?
左・傘松公園の展望台から見た天橋立。手前の海が阿蘇海、向こう側
1 ──天橋立
が宮津湾。
p.052
上・天橋立を歩くと、両側に海があるのがわかる。一本道を通学や通
大小 200 以上の島々が美しい湾、宮城県の松島。海の中に
勤の人が行き来する。
立つ鳥居の厳島神社で知られる広島県の宮島。そして京都
下・阿蘇海と宮津湾を結ぶ水路でのアサリ漁。
府のこの天橋立を加えたこの 3 つの名勝地を「日本三景」
という。あまりに有名なのですっかり知ったつもりになって
いるが、実はそれほど知っているわけではないという類いの
海辺のワイナリーと水辺の宿
1 ──天橋立
ものがあるとすれば、日本三景などはそれに当たりそうだ。
p.055
江戸時代の儒学者、林春斎が著書『日本国事跡考』でこの
日当たりのいい緩やかな傾斜地に葡萄の木々が並ぶ。目線
3 つを「奇観」として括ったのが最初だというが、もちろん
は自然と斜面を下ったすぐその先の水辺へと誘われる。天
天橋立にしても 13 世紀初期に編まれた和歌集『小倉百人
橋立のある阿蘇海だ。
一首』において詠まれているほど古くから知られている。
海の近くにワイナリ―を設立するという夢を実現させたの
天橋立ケーブルカーで展望台のある傘松公園に上がる。
は、宮津市出身で、創業 200 年の老舗の温泉宿「千 歳」
天橋立は、丹後半島に位置する宮津湾と内海の阿蘇海を南
の経営者にして「天橋立ワイナリー」オーナーの山崎浩 孝
北に隔てる細長い砂州で、それは何千年か前に海流や地震
さん。ワインへの関心が高じて、自ら醸造技術を学ぼうと、
の影響でできて発達してきたのだという。そういわれれば、
北海道の有名醸造所に就業。「初めて門をたたいたときは、
納得はできる。
素人の趣味程度しか知識がなく、白い目で見られました」と
しかし、やはり改めてしみじみ眺めてみると、確かにこん
笑う山崎さんは、10 年間にわたって修業を積み、本格的な
な風変わりな地形は日本でほかにない。海を二つに分ける
ワイン造りに携わった。社長から
「君ならいいワインをつくる」
ために筆ですっと線を引いたような、自然が作ったとしたら
と評価されたことをきっかけに、豊富な知識と経験を蓄えて
そこに何らかの「大いなる意図」が隠れているのかもしれ
帰郷。5 年間は土の性質やワイン畑の場所の調査などに費
ないとさえ思えてくるような、わかりやすすぎる地形。天橋
やし、1999 年に念願の醸造所を設立した。「山からの清水
立というロマンチックな名をつけた平安人の眼差しは果たし
が海に向けて流れ込み、冬には土の底から冷え込むという
てこれをどう見たのだろう。
海沿いでありながら山に囲まれたこの地の特性を生かして、
時代を少し下ると、室町時代に画家・雪舟が描いた『天
ここにしかないワインに仕上げることができます」との言葉
橋立図』(国宝)という水墨画がある。画聖・雪舟が 80 歳
どおり、Japan wine competition において 7 年連続で受賞
を超えて描いたというその絵は、この傘松公園あたりの方向
するなど数々の逸品を生み出している。
から天橋立を描いているのだが、視点の高さは遥かに上空
天橋立の海岸沿いにたまる貝殻を、ワイン畑の肥料とし
にあるように描かれている。天のいたずらという見立てなの
て使用し「景観を台無しにするものが、ここではすごく役に
か。しかしたしかに、展望台に立って天橋立を前にしたとき、
立ってくれる」と言う。清掃で集められた貝の再利用は、地
自分の視点が空へ空へと上っていこうとするのをここではか
元の人々からも評価されている。温泉宿とワイナリーを成功
すかに感じるのである。
に導いた山崎さんは丹後エリアで今後とても気になる存在
の一人だ。
Spring / Summer 2013 Vol. 31[ 10 周年記念特集 ]
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(p.054)
重要文化財)。それらの倉庫が「赤れんがパーク」に生まれ
「天橋立ワイナリー」のオーナーの山崎さんとスタッフの田口航さん。葡
変わった。赤れんが博物館、アートスペース、カフェなど、
萄栽培にこだわり、剪定や収穫を行うスタッフと常に連携していいワイ
ン造りを目指す。醸造所内ではテイスティングができ、好みのワインを
見つけるのも楽しい。
(p.055)
上・姉妹店であるカフェ「Café du pin」から天橋立の松並木を眺める。
中左・天橋立ワイナリーの受賞ワイン「2008 シャルドネ樽熟成」と「Café
du pin」で味わえる地元産の素材を使った料理。
さまざまな役割を割り当てられ蘇った倉庫たちの風景は、ど
こか懐かしくまた美しい。
舞鶴赤煉瓦パーク 京都府舞鶴市字北吸 1039-2 akarenga-park.com
中右・宮津湾と阿蘇海をつなぐ水道は、波が届かず静かな水面に空を
映し、一瞬海であることを忘れさせる。
下左・手の込んだ剪定作業によって、ワイン畑のセイベル種の葡萄の
浄瑠璃寺の金色に包まれる
木は毎年たくさんの実をつける。
――木津川
下右・「ワインとお宿」を掲げる温泉旅館「千歳」
。古い建物をリノベー
ションし、和と洋が調和した居心地のよさを提供している。客室から水
道を眺める。
p.056
木津川は京都府の南端、そのなかでも南の奈良県との県境
付近は平安時代の後期には多くの修行僧が集まり、庵を営
み仏道修行をしていた場所だという。そこにぜひ訪れてみ
天橋立ワイナリー
京都府宮津市字国分 123
たいある寺院がある。浄瑠璃寺だ。JR 奈良駅からバスで 30
Tel. 0772-27-2222
分ほどだが、里山や山村を抜ける道程は京都中心部の寺を
Fax 0772-27-2223
詣でる感覚とは程遠い。哲学者で思想家の和
www.amanohashidate.org/wein/
∼ 1960)は著書『古寺巡礼』で、浄瑠璃寺を未舗装の道
営業時間 10:00 ∼ 17:00
哲郎(1889
を車と徒歩で苦労して訪れた末、「あの優しい新緑の景色の
水曜日定休
内に大きい九体の仏があるというシチュエーションは、いか
ワインとお宿 千歳
にも藤原末期の幻想に似つかわしい」と書いた。その幻想
京都府宮津市文珠 472
とは何か。
Tel. 0772-22-3268
横に長い建築の阿弥陀堂は、林を背に、宝池を前に、佇
Fax 0772-22-3389
んでいる。夏の日差しから逃げるようにお堂に一歩入ると
www.amanohashidate.org/chitose/
すっと温度が下がり、薄暗がりのなかに一列に並んだ金色
の九体阿弥陀如来像(藤原時代[894 ∼ 1185]・国宝)が
港の赤煉瓦倉庫
──舞鶴
浮かび上がってくる。中央のひと回り大きな中尊の右と左に
p.055
それぞれ四体が並ぶ九体の阿弥陀様。これは『観無量寿経』
丹後半島の根元、京都府の舞鶴市は港湾都市として栄えた
という経典にある「九品往生」から来ている。
町だ。リアス式海岸の舞鶴湾は奥深く入り組み静かに海の
阿弥陀仏がいるのが理想郷である極楽浄土だ。阿弥陀仏
水を湛えている。その海沿いに明治から昭和の初期にかけ
はそこから人を迎えにきてくれる。人は現世で積んだ功徳の
て作られた、12 棟の赤煉瓦倉庫群がある(うち 7 棟は国の
違い、生き方によって九つのランクに分けられ、それによっ
Spring / Summer 2013 Vol. 31[ 10 周年記念特集 ]
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て迎えられ方が違うというシステムが「九品往生」。藤原時
岩船寺は奈良との県境に程近い木津川市に、天平元年
代は貴族が栄華を極めた時代だったが、一方で自然災害や
(729 年)に開基したとされる。本尊の阿弥陀如来坐像、三
飢饉、疫病に見舞われた災厄の時代である。西方極楽浄土
重塔などの重要文化財を有する、山間の古刹だ。別名「あ
という来世での幸せを人々は祈ったのである。
じさい寺」は、関西花の寺霊場の 15 番札所でもある。境
堂内に満ちている穏やかで平和な空気は時間が経つのを
内に咲き誇る 25 種あまり 5000 株ほどのあじさいは、6 月
忘れさせる。板扉の隙間から微かに漏れ入る柔らかな光に
の中旬から下旬にかけて見頃を迎える。
包まれた金色の阿弥陀如来は、神々しさと慈悲に満ちてい
早朝 5 時からあじさいの剪定などお手入れをすることがご
る。
住職の日課だ。昭和 11(1936)年ごろから先代が植えはじ
阿弥陀仏は東を向き、目の前には宝池。対岸には薬師如
めたものを受け継ぎ、現在ご子息の副住職も一緒に世話を
来像が安置された三重塔が立つ。薬師に苦悩の救済を願い
する。茶花にも使われる可憐で素朴な山あじさいから、鮮
送り出してもらい、振り返って池越しの阿弥陀仏に来迎を願
やかな赤紫に色づく珍しい品種など。いろいろな種類のあじ
う。祈りは水を越えて彼岸へと至る。浄瑠璃寺はそういうふ
さいを訪れる人に見てもらいたいという思いから、珍しい園
うにできている。
芸品種を見つけて購入したり、あじさい寺と聞いて、珍しい
ものが各地から送られてくることも。大切な命をお預かりし
(p.056)
て、それをどう育てて増やすか、と考えるのが楽しみな毎日
下・浄瑠璃寺の阿弥陀堂では、ひと回り大きな中尊を中心に九体の阿
弥陀仏が横一列に並ぶ。すべてを一度に拝顔できる位置はない。
右ページ・浄瑠璃寺の宝池は静かに水を湛えている。三重塔が木々の
間に見え隠れする。多くの緑に囲まれた庭園は新緑や紅葉の頃も美しい。
だという。
花たちと静かに対峙していると、まるで生き方を説いてく
れているように感じるという植村住職。「境内を訪れる人た
ちにも、花を通してお参りの心を持っていただけると嬉しい
です」。
浄瑠璃寺
(p.059)
京都府木津川市加茂町西小札場 40 拝観時間 9:00
17:00(12 月∼ 2 月は 10:00
松木立に囲まれた岩船寺の境内では、周囲の山肌にも咲くあじさいが、
16:00)
まるで上から流れ落ちてくるようにも見える。あじさいの時季、境内の
池には睡蓮も咲き、花景色を求める参拝者で賑わう。
梅雨の花・あじさいに染まる寺
──木津川
岩船寺
p.058
梅雨時に咲くあじさい。この花には、雨が似合う。穢れを祓っ
京都府木津川市加茂町岩船上ノ門 43
拝観時間 8:30
17:00(12 月∼ 2 月は 9:00
16:00)
0774.or.jp/temple/gansenji.html
てくれるような浄化の雨にそぼ濡れる花々には、どこか安ら
ぎを覚える。
「花は小さな仏様、とよくいわれます。こうしてあじさいに
ふるさとに根付くアートへの情熱
p.059
「木津川は昔から、京都と奈良の両方の文化が存在する場
囲まれる庭を眺めていると、曼荼羅のようにも見えてくる」
所。アーティスト気質を受け入れる土壌があるのかもしれな
と岩船寺のご住職・植村幸雄さん。「特に夕暮時や、月夜の
い。何より自然が豊かで、僕らのように何かを作る人間にとっ
晩には薄闇に浮かび上がる様子が幻想的です」
ては、そこら中にヒントが溢れています」
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そう語るのは、鉄の造形作家・中島和 俊さん(写真中・
彫られ、灯籠をかざす穴が穿ってある。
手前)
。中島さんは美術を志し渡米したのち帰国、現在は地
吉本さんのお気に入りは鎌倉時代の石大工・伊末行の銘
元で鉄の表現をコンセプトとした内装・設計業を営む傍ら、
がある「笑い仏」だ。 木が覆い茂る人けのない山道を登っ
創作活動を展開している。
ていくと、ふと開けた明るい場所でこの石仏と会う。
中島さんは、木津川市・鹿背山を拠点とする若手アーティ
「表情もさることながら彫刻的にいい。欠けているところも
ストグループ、「アルテ鹿」のメンバー。乾漆で表現する水
ない」
島太郎さん(写真左下)、版画作品を手がける岡田裕樹さん
自分の足で移動することが常だった時代、今よりもっと山
(写真中・奥)はじめ、全員が鹿背山生まれ。それぞれ一
深かったであろうこの道でこの優しい笑みを浮かべた仏に出
旦は故郷を離れ、戻ってきた 5 人のグループだ。
会ったなら、そこに安堵と祈りがないはずがない。仏を彫っ
ユニークな構造の中島さんの元・自宅兼アトリエ(写真中・
た石工たちの人の不安や苦しみを取り除こうという祈りが石
左)では、アルテ鹿が年に一度の展示を行ったりする アジ
仏を介して旅人と通い合うのだ。
ト として、木津川のアーティストたちのシンボル的存在と
「石仏は何も喋らない。こちらから語りかける分しか返って
もなっている。「都市部へ出ての活動もいいですが、それで
こない。石仏は道を示すと同時に人生で迷っているときの
はアルテ鹿のそもそものコンセプトが失われてしまう。この
道標です。人間は基本的に優しいのだろうと思いますね」
鹿背山から発信して、ここに人を引き付けたいんです」。
吉本さんと別れ、仏谷の阿弥陀磨崖仏を訪ねる。案内板
そんな鹿背山は近年、土地の開発による環境問題に直面
を頼りに行くが見つからず戻りかけたそのときに、見下ろす
している。この現状へのメッセージを込め、中島さんが制作
谷の向こうにある磨崖仏を見つけた。近づくと巨大な花崗岩
した巨大な鉄のギロチンや、大地にくい込む鍬などの造形
に刻まれた仏は風雨にさらされ、うっすら消えかけている。
は、市内外の話題を呼んだ。ふるさと鹿背山の原風景を守
岩が洗い流されるとともに祈りも土地に染み込んでいくよう
りたい。中島さんたちの祈りはそのまま、豊かな創作への
に思えた。
原動力となる。
(p.060)
仏谷の大門阿弥陀磨崖仏。仏の座高が 288cm ある。下は笑い仏。歳
月を経て傾いているが、仏の優しい表情は当尾でも随一。人気の石仏だ。
祈りの声が聞こえる石仏の里を歩く
(p.061 上から )
――当尾
当尾には数多くの石仏が点在する。石仏を巡るいくつかのコースも設定
p.061
されているのでゆっくり散策したい。
浄瑠璃寺や岩船寺のある山里のエリアは当 尾と呼ばれ、
磨 崖仏や道の傍らに佇む石仏の里として知られる。天気の
石仏の道を歩く吉本喜洋さん。車道沿いにも石仏はあるが、山道を歩
いて石仏を巡れば、石仏に込められた祈りがより深く感じられる。
いい夏の日、当尾の生まれで、学校で美術や地理を教えた
後、今、得意な絵で当尾の生活文化を描いている吉本喜洋
さんと共に石仏の道を辿った。
農家の人が作った季節の野菜の数々が並ぶ無人のスタンドが道に沿って
点在する。野菜を設置する農家の女性。
「子どもの頃から歩き慣れ親しんだ道です。石仏は祈りの対
車道からわずかに外れた森の中にある「やぶの中三尊」
。阿弥陀如来、
象であるとともに道標。必ず分岐点にあります」
地蔵菩薩、十一面観音菩薩が並んで岩に彫られている。
小川のせせらぎが聞こえるなか、木陰に鎮座する「からす
(唐臼)の壷二尊」は阿弥陀如来と地蔵菩薩が一つの岩に
吉本喜洋さんの描いた笑い仏のスケッチ。吉本さんは切り絵やスケッチ
で石仏や当尾の生活史を残している。
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