戦後日本の雑誌メディアにおけるサッカ ー言説とその受容

戦後日本の雑誌メディアにおけるサッカ
ー言説とその受容
-「読むスポーツ」の規範と教養主義への近接92)佐藤彰宣*
so063084@ed.ritsumei.ac.jp
Contents
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 雑誌上での「知的」なサッカー像
Ⅲ. サッカーを教え説く啓蒙メディア
Ⅳ. おわりに
Ⅰ. はじめに
本稿は、戦後の日本社会における雑誌メディアを通したスポーツの語りとその
受容について、サッカー雑誌を事例に検証するものである。ここでは、日本初の
サッカー専門誌が創刊された1960年代から1970年代にかけての時期を対象に、
雑誌上でのサッカー言説を整理し、論者や読者たちがサッカーというスポーツに
いかなる価値づけを行っていたのかを明らかにする1)。そのうえで、雑誌という
メディアでスポーツを読む、いわば「読むスポーツ」としての営みが、当時の日本
社会とスポーツ文化においてどのような意味を持っていたのかを歴史社会学的に
考察したい。
現在でこそ、サッカーは野球と並ぶ「国民的スポーツ」として、海外サッカーの
* 立命館大学大学院博士課程後期課程 歴史社会学․メディア史
1) 1980年代以降の日本社会におけるサッカーの受容については、뺷キャプテン翼뺸などのマンガ文
化や、家庭用ビデオ、BS放送などの新たなメディアとの関係性も踏まえたうえで、議論をする
必要がある。そのため、これらの状況については稿を改めて検討したい。
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日本研究
제25집
試合情報もテレビなどで大きく報じられるが、日本社会でサッカーがこれほどの
人気 を得 たのは、実はJリーグが創設 された1990 年代 に入 ってからのことであ
る。それ以前の日本におけるサッカーの受容のされ方は、今とは全く異なるもの
であった。サッカー関連の雑誌出版社を運営する岩本義弘は、当時を以下のよ
うに振り返る。
海外のサッカー中継と言えば「三菱ダイヤモンドサッカー」しかなかった時代、
サッカー雑誌におけるワールドサッカー情報は結果及びレポートが主だった。あの
試合にはどんな選手が出場したのか。どんなプレーをしたのか。写真と文字によっ
てのみ、僕らは世界のサッカーに触れることができた。2)
興味深いことに、ここでは「三菱ダイヤモンドサッカー」というテレビ番組があ
りながら、「写真と文字によってのみ」、すなわち雑誌を通して「サッカーに触れ
ることができた」ことが強調されている。では、メディアを介したサッカーの受容
において、テレビでの放送が存在しながら、ファンたちはなぜ雑誌を主として読
んでいたのだろうか。
本研究は、雑誌メディアとの関係において戦後日本の大衆的なスポーツ受容
のあり様を捉え直そうとするものである。後述するように戦後、広範な読者を有
したスポーツ雑誌の役割に着目しなければ、戦後日本のスポーツ文化の全体像
は見えてこない。その意味で、サッカー雑誌を対象とした本稿は、スポーツ雑誌
から戦後日本のスポーツ文化とメディアの関係を考える歴史社会学的研究の一
端となろう。
戦後日本におけるメディアとスポーツの関係を扱った先行研究としては、メ
ディア研究やスポーツ社会学の領域でこれまで一定の蓄積がある。吉見俊哉「テ
レビを抱きしめる戦後」(2010年)や山口誠「뺷聴く習慣뺸とその条件:街頭ラジオ
とオーディエンスのふるまい」(2003年)などでは、ラジオやテレビといった放送メ
ディアに着目し、日本社会において野球などの大衆スポーツが放送メディアを介
してどのように受容されていたのかを丹念に論じている。
2) 岩本義弘「編集長敬白」뺷ワールドサッカーキング뺸2005年4月号、p.114.