完全な証拠チェーンとたゆまぬ努力こそ勝訴の鍵 ——王子製紙、中国で

第32号
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目次
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知財ニュース
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松本楼への思い出
行政訴訟における訴訟取下げについて
知財ニュース
完全な証拠チェーンとたゆまぬ努力こそ勝訴の鍵
——王子製紙、中国での商標紛争全線において勝訴
2008 年6 月20 日、北京市高等裁判所より(2008)高行終字第104号を含む4 つの行政判決書が発布さ
れ、数年に亘る「王子 OJI及び 図 形」商標及 びその他 3つの 関連 商 標紛争 事件 に対し、終 審判決 が下さ
れた。同判決は、国家 商標審 判委 員会が 係争 商標に対し改めて審理 を 行ったこ とを認めた 北京市 第一
中 等 裁 判 所 の 判 決 結 果 を 維 持 す る も の で あ っ た。こ れ は、王 子 製 紙 株 式 会 社(以 下、「王 子 製 紙」と い
う)が中国での商標紛争に全面的に勝訴を獲得したことを意味する。
王 子 製紙 は、当該 商標紛 争 事件 にお い て、相次 い で取 消の 申 立を 行い、行政 訴訟 一 審、二審 など の
手続きを経 て、行政段階から訴 訟 段階に至 る までの長い 年月、艱難辛苦の権利 保護の道を 歩んできた
こ と は 言 う ま で も な い。最 初 の 取 消 申 立 て 段 階 に お い て、証 拠 の 制 限 に よ り、成 功 を 収 め な か っ た も の
の、王子製紙と弊所 代 理人は、一縷の望みを 棄てるこ となく証拠 の 収集のた めの努力を続 け、証拠とし
て 使 え る も の 全 て に 対 し、公 証 と 認 証 を 行 う こ と に よ り 証 拠 の 証 明 力 を 強 化 し た。そ れ を き っ か け に、本
件訴訟の流れを大きく変えることができ、最終的に全面的な勝利を収めることができた。
本 件 訴 訟 が 全 面 的 な 勝 訴 を 収 め ら れ た 最 も 重 要 な 理 由 は、完 全 な 証 拠 チ ェ ー ン で あ る と 考 え る。 王
子 製 紙 の 強 い 意 思 と 代 理 人 の た ゆ ま ぬ 努 力 が 有 っ て は じ め て、一 審 と 二 審 に お い て、的 確 で 且 つ 完 全
な 証 拠 チ ェ ー ン が 形 成 さ れ る よ う に な り、ま た、そ れ が 王 子 製 紙 の 主 張 に 更 な る 証 明 力 と 説 得 力 を 吹 き
込 み、裁 判 官 に 完 全 な 証 拠 チ ェ ー ン に 基 づ き、改 め て 事 件 の 経 緯 を 見 直 さ せ る こ と が で き た。そ し て、
最後には信頼しうる合理的で公平な結論が導き出されたのである。
(北京林達劉知識産権代理事務所)
フィリップスが上海で勝訴 二つの模倣企業が権利侵害により、合計40万元の賠償を判決された
名 ブ ラ ン ド で あ る PHIL IPS(飛 利 浦)の 商 標 が 模 倣 さ れ、Koninklijke Philips Electronics N. V.は 模
倣 者 で あ る 上 海 菲 浦 開 関 有 限 公 司、浙 江 飛 迪 亜 斯 電 気 製 造 有 限 公 司 を 訴 え た。本 日、上 海 市 第 一 中
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等 裁 判 所 は 本 件 に 対 し て 一 審 判 決 を 言 い 渡 し、両 被 告 は 商 標 権 侵 害 と 不 当 競 争 を 構 成 す る た め、直
ちにその権利侵害と不当競争行為を停止し、共同で40万元の経済的賠償するよう命じた。
フ ィ リ ッ プ ス は オ ラ ン ダ の 法 律 に 基 づ い て 設 立 し、存 続 す る 有 限 責 任 会 社 で あ り、本 社 は オ ラ ン ダ の
ア イ ン ト ホ ー フ ェ ン に 所 在 し、主 に 電 気、電 子、機 械 又 は 化 学 製 品 の 生 産 及 び 取 引 等 の 業 務 に 従 事 し
ている。
昨 年、フ ィリ ッ プ スは PHILIPS(飛利浦)の 商標権 者 と して上 海 市第 一中 等 裁判 所に お い て訴訟 を 起
こして、次のように主 張した。上海菲浦と浙 江飛迪亜斯 はその製品 の浴室用ラ ンプヒータ、換気扇と天
井 照 明 等 の 複 数 の 製 品 に 商 標「香 港 飛 利 浦」及 び 広 告 文 句「フ ィ リ ッ プ ス で 生 活 を よ り 幸 せ に」を 使 用
し た こ と は、商 標 権 侵 害 及 び 不 正 競 争 行 為 を 構 成 す る。し た が っ て 両 被 告 に 上 記 行 為 を 停 止 し、経 済
的損害を賠償するよう請求した。
裁判所は調査を経て、下記の事実を明らかにした。香港飛利浦会社は2006年9月に香港で登録さ
れ、温 州 市 の 林 氏 を 唯 一 の 取 締 役 兼 法 定 代 表 者 と し て い る。同 日、香 港 飛 利 浦 会 社 は 上 海 菲 浦、浙
江 飛 迪 亜 斯 と 共 同 経 営 契 約 を 締 結 し、三 者 は 共 同 で ス イ ッ チ、コ ン セ ン ト、浴 室 用 ラ ン プ ヒ ー タ、換 気
扇 及 び ラ ン プ 等 の 製 品 を 製 造 し、香 港 飛 利 浦 よ り 内 側 · 外 側 包 装 を 提 供 し、製 品 の 主 要 部 材 は 浙 江 飛
迪 亜 斯 が 引 き 受 け、上 海 菲 浦 と 浙 江 飛 迪 亜 斯 が 共 同 で 組 み 立 て ま た 包 装 を 引 き 受 け る こ と を 約 定 し
た。
そして上海市第一中等 裁判所は審 理を経て、次のように認定した。両被告は、その製品及び包装に
「飛利 浦」の文 字を 使用し、更 に生産 又 は販 売す る換 気扇製 品 の使 用説 明 書 に「フ ィリ ップ スで 生 活 が
より幸せに」等の文句を 記載し、明らかに消費者の混同を 招き、原告の「飛利浦」の登録商標専用権を
侵害している。
原告は世界的に有名な電子製品分野のメーカーであり、業界において名声が高く、両被告は同業者
の 後 進 者 と し て、原 告 及 び そ の 製 品 に つ い て 何 も 知 ら な い と い う こ と は あ り え な い。同 時 に、両 被 告
は、香 港 飛 利 浦 は 温 州 市 の 商 売 人 で あ る 林 氏 個 人 が 香 港 特 別 行 政 区 で 登 録 し た 会 社 で あ り、原 告 で
あ る フ ィ リ ッ プ ス と 全 く 関 連 性 が な く、原 告 か ら い か な る 権 利 も 取
得していないことを明らかに知っている。しかしながら、両被告は
その者と「共同経営契約」を締結した後、商標の標識及び文字を
共 同 で使 用し、更 に製品 に「香港飛 利 浦集 団投 資 股份 有限 公 司
の デ ザ イ ン · 開 発」と い う 字 句 を 記 載 し た。そ の 主 観 的 図 意 は 原
告 の「飛 利 浦」ブ ラ ン ド の 製 品 を 模 倣 す る こ と、つ ま り、原 告 の 商
標上の信用及び商業上の信用を利用して不法な利益を得ようと
す る こ と で あ り、当 該 行 為 は 不 正 競 争 を 構 成 し て い る。し た が っ
て、裁判所は上記の一審判決を下した。
(中国法院網より)
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バイエルは特許侵害のメーカーを告訴する
バイエル作物科学のドイツにおける本社は近日、江蘇省のある中等裁判所で江蘇省のある会社が
mefenpyr-diethyl 特 許 権 に 対 し て の 侵 害 行 為 を 起 訴 し た。バ イ エ ル 作 物 科 学 本 社 の 特 許 部 総 監 督
Ralf-Rüdiger Jesse 博 士 は、mefenpyr-diethyl は バ イ エ ル 作 物 科 学 よ り 発 明 さ れ た 安 全 補 助 薬 剤
で あ り、除 草 剤 に 入 れ て 作 物 の 中 の 除 草 有 効 成 分 を 加 速 的 に 分 解 し 作 物 を 保 護 す る と 称 し た。
mefenpyr-diethyl とfenoxaprop-P-ethylが混じって配 合された有 名製品である驃馬は 中 国と多くの
他の国において特許有効期間にある。
中 国 は 世 界 に お い て 発 展 の 最 も 速 い 市 場 の 一 つ で あ る。バ イ エ ル 作 物 科 学 は 中 国 お け る 業 務 分
野 を 次 第 に 拡 大 し て い る。本 社 の 戦 略 業 務 除 草 剤 部 の Christopher Dumont 経 理 は「強 力 な 特 許 保
護は絶 えずに革新 の基 礎であり、バイエルは 全力を尽く して中 国において特許 を保護する ことを続け
て 強 め、バ イ エ ル は 以 前 と 同 じ よ う に 研 究 開 発 面 に お け る 高 い 資 本 投 入 を 維 持 し、中 国 農 民 の た め
に 更 に 多 く の 先 進 的 な 植 物 保 護 の ソ リ ュ ー シ ョ ン を も た ら し、中 国 の 需 要 に 適 応 す る。特 許 保 護 が な
け れ ば、革 新 は 不 可 能 で あ る。不 法 に 製 品 を 生 産 し 販 売 す る こ と は バ イ エ ル の 特 許 権 を 侵 す だ け で
は な く、作 物 の 質 と 産 量 を 脅 し、施 薬 者 の 安 全 を 損 な い、環 境 を 汚 染 し、更 に 潜 在 し て い る 消 費 者 健
康 の リ ス ク を も た ら す こ と で も あ る。私 た ち は 中 国 政 府 が 知 的 財 産 権 利 を 保 護 す る た め に 努 力 し、権
利侵害行為を打撃する時従うできる明確な規則と制度を制定することを賞賛する」と表明した。
(農資導報より)
イタリアのグッチは森達グループの商標権侵害に対しての訴訟で勝訴
4月16日にイタリアの報道によると、上海市浦東区裁判所はイタリアのグッチ は森達グループの商
標権侵害に対しての訴訟を勝訴した。森達グループは2.6万ドルを賠償するそうである。報道による
と、森達グループが生産した女子サンダルの標識はグッチのデザインに酷似している、ということであ
る。中国では腕時計から服装、DVDまで多種の偽物が見られる。EUとアメリカは、中国に知的財産権
を保護させるため、中国にかなり のプレッシャーを掛けた。アメリカの音像業界 は偽物製品 に毎年25
億ドルの損失をもたらされると予測した。
(国家商務部ウェブサイトより)
「中国の特許登録件数は世界七位に飛躍」と英国マスコミの報道
英 国 の「金 融 時 報」に よ れ ば、東 ア ジ ア は 国 際 特 許 登 録 件 数 に お い て、特 に、電 信 及 び 情 報 技 術
の分野では早いスピードでヨーロッパを追い越した。
世界知的所有権機関の統計によると、昨年、日本松下の特許申請の件数は2100件であり、初めて
首 位 に 立 っ て い た オ ラ ン ダ の フ ィ リ ッ プ ス 電 子(2041 件)を 越 え た。中 国 華 為 技 術 は 前 回 よ り 9 位 も 上
がり、ドイツのシーメンスに次ぐランキング4位に立った。
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ア メ リ カ の 特 許 登 録 件 数 は 52280 件 で あ り、依 然 と し て 特 許 登 録 ラ ン キ ン グ の 首 位 で あ る。昨 年
に 世 界 知 的 所 有 権 機 関 に 提 出 さ れ、記 録 を 刷 新 し た 特 許 登 録 件 数 の 三 分 の 一 を 占 め て い る。日
本 と ド イ ツは そ れぞ れ第 二 位 と第三 位 で、特許 登 録 件数は 27730 件と 18134 件で あ る。韓国 は フ ラ
ン ス を 越 して、第 四 位を 獲 得し た。中 国 の特許 登 録 件 数は 38 パー セン ト を 増 加し、5456 件に 達 し、
オランダを超えて第七位を占めた。日本、韓国及び中国の三つの東アジアの国の特許登録件数は
昨 年 に お け る 全 世 界 登 録 件 数 の 四 分 の 一 よ り も 多 く の 比 率 を 占 め た。し か し、そ の 他 の 三 ヵ 国 は
遥かに取り残された。それぞれはブラジル(384件)、ロシア(507件)、インド(686件)である。
(出所:商務部ホームページ)
P&Gは特許権侵害でジョンソンを訴え
P&G 社 は ロ ー カ ル 時 間 金 曜 日(2 日)
に、ジ ョ ン ソ ン 社 が 当 社 が 有 す る 歯 の 美
白製品に関する特許権を侵害したとジョ
ンソン社を裁判所に訴えた。
P&G 社 は 昨 日 ウ イ ス コ ン シ ン 州 マ デ ィ
ソ ン 裁 判 所 に 提 訴 し、ジ ョ ン ソ ン 社 及 び そ
の 傘 下 の 部 門 で あ る McNeilPPC 部 門 が
当社の歯の美白製品の活性成分と歯の美白用ホワイトストリップの使用方法など二件の特許権を
侵害したと訴えた。
米 国 最 大 の 消 費 品 会 社 で あ る P&G 社 は 2000 年 か ら ホ ワ イ ト ス ト リ ッ プ(CrestWhitestrips)を 発
売 し た が、当 日 の 訴 状 で 裁 判 所 に ジ ョ ン ソ ン 社 は リ ス ト ホ ワ イ ト 速 溶 ス ト リ ッ プ
(ListerineWhiteningQuickDissolvingStrips)の販売を停止するよう請求した。
P&G 社 は 訴 状 に お い て、ホ ワ イ ト ス ト リ ッ プ は 3000 万 も 超 え た 消 費 者 を 有 し て い る と 述 べ て い
る。ま た、P&G 社 の あ る 発 表 で は、ホ ワ イ ト ス ト リ ッ プ は「新 た な 製 品 市 場」を 開 拓 し、発 売 以 来、
「既にP&G社の口腔内ケア製品セットの重要な部分になった」と発言していた。
P&G 社 の 本 社 は 米 国 オ ハ イ オ 州 シ ン シ ナ テ ィ 市 に あ る。当 社 は 訴 状 に お い て ジ ョ ン ソ ン 社 へ 現
金 の 賠 償 を 要 求 し て い る。別 情 報 に よ る と、当 社 は 既 に 新 た な ホ ワ イ ト ス ト リ ッ プ を 発 売 し た。こ の
種のホワイトストリップは歯の美白及び歯石除去の効果を具備しているようである。
ジ ョ ン ソ ン 社 の 本 社 は 米 国 ニ ュ ー ジ ャ ー シ ー 州 ニ ュ ー ブ ラ ン ズ ウ ィ ッ ク 市 に あ る。ジ ョ ン ソ ン 社 は
昨 年 か ら リ ス ト ホ ワ イ ト 速 溶 ス ト リ ッ プ を 発 売 し た。先 月 に、リ ス ト ホ ワ イ ト 速 溶 ス ト リ ッ プ の 販 売 は
当社のリスト製品生産ラインの四半期の販売業績を増加した。
ジ ョ ン ソ ン の ホ ー ム ペ ー ジ の 紹 介 に よ る と、「消 費 者 は 毎 日 二 回 リ ス ト ホ ワ イ ト 速 溶 ス ト リ ッ プ を
使 い、二 週 間 の 使 用 さ え す れ ば、 歯 の 美 白 に 顕 著 な 効 果 を 収 め ら れ る」と あ る。し か も、こ の 製 品
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は口腔内で完全に溶け、何の不純物も生じないようである。
ジ ョ ン ソ ン 社 の McNeilPPC 部 門 の 発 言 者 で あ る MeghanMarschall 氏 が 言 う に は、会 社 は P&G 社 の
告訴に対して何の評価もしないとのことである。
マディソン 裁判所は特 許関係の訴 訟を審理す ることで有 名である。 当裁判所は 特許関係の 案件を 審
理は、米国のほかの裁判所よりも速いからである。
な お、昨 日(2 日)の ニ ュ ー ヨ ー ク 証 券 取 引 所 の 取 引 で は、P&G 社 の 株 価 は 23 セ ン ト 下 が り、1 株 が
66.80ドルである。一方、ジョンソン社の株価は45セント上がり、1株は68.26ドルである。
(出所:和訊網)
松本楼への思い出
去る5月6日 に日本 内閣 総理大 臣福 田康夫 は松 本楼で中国 国家主 席胡 錦涛をご招 待したことで松本
楼 は 一 発 で 有 名 と な り ま し た。私 は 中 国 人 に「松 本 楼 は ど こ に あ る の か」、「松 本 楼 は ど ん な も の か」と
よく聞かれました。
幸いに、私は同月8日に松本楼でご招待を受けたことがあり、部屋は胡錦涛の控室でした。
な ぜ 福 田 総 理 は 松 本 楼 で 胡 錦 涛 を 招 待 し た の か」は 中 国 友 人 の 又 一 つ の 質 問 で す。5 月 8 日 に ご 招
待 を 受 け た 日 に 私 は 調 査 し ま し た の で、中 国 の 人 は 絶 対 に「松 本 楼」を 知 り、覚 え る 必 要 が あ る と 思 っ
て、ここに紹介致します。
恐 ら く、日 本 を 訪 問 し た 中 国 人 は、新 し い 日 本 総 理 が 正 式 に 就 任 す る 前 に 必 ず し な け れ ば な ら な い
手 続 と し て、天 皇 に 報 告 し、天 皇 か ら の 認 可 を 貰 う た め に、必 ず 渡 ら な け れ ば な ら な い 橋 で あ る「二 重
橋」と 皇 居 を ほ と ん ど 見 学 し ま す が、同 じ 千 代 田 区 に あ り、皇 居 の近 く に 所 在 す る 日 比 谷 公 園 を 見 学 す
る 人 は 少 な い と 思 い ま す。た と え、40 年 前 に 前 社 会 党 総 書 記 淺 沼 稻 次 郎 先 生 が 刺 さ れ た こ と で 知 ら れ
た 日 比 谷 公 園 講 堂 を 見学 す る た め、比 谷 園 を 訪 れ る 中 国 人 が い て も、恐 ら く 日谷 園 の 一 隅 に あ る 松 本
楼 を 見 学 す る 人 は 少 な い で し ょ う。松 本 楼 は 実 は フ ラ ン ス 料 理 で 有 名 な レ ス ト ラ ン で、日 比 谷 公 園 の 西
南 角 に 位 置 し、日 本 の官 庁 街 で 有 名 な 霞 関 ま で 近 く、「賑や か な 町 に あ る 静 か な 公 園」と 言わ れ て い ま
す。こ の 公 園 は 実 に 美 し い で す。 噴 水 も あ り 、池 も あ り、芝 生 も あ り 、カ ラ ス は 大 木 の 間 を 飛 び 廻 り、お
昼 頃 に、近所 で 勤 務 す る 職 員 は 散策 し ま す。最 近 な く なっ た よ う です が、昔 不労 者 は う ろ う ろ し て い まし
た。この公園の北は丸の内であり、大企業が集中しており、そ の南から東京駅まで歩いても15 分間ぐら
いです。とにかく一見する価値があります。
福田総理はなぜ松本楼で胡錦涛を招待したのでしょうか。実は福田総理のお父様で、前総理の福田
赴夫と関係があります。福田赴夫前総理の結婚式は70数年前に松本楼で挙げられ、その後もしばしば
家 属 の 方 方 を 連 れ て、松 本 楼 で 食 事 を 取 ら れ た こ と が あ る と 言 わ れ て い ま す。こ の た め、現 役 総 理 の
福田康夫は生れた後に、お父様と一緒に松本楼で食事をされたことがよくあったと思われます。
し か し、上 記 の 関 係 よ り は 中 国 人 に と っ て、も っ と 重 要 な 関 係 が あ り ま す。つ ま り、「松 本 楼」孫 中 山
(孫 文)先 生(1866 年 ~ 1925 年)と の 関 係 で す。孫 中 山 先 生 は 中 国 で「孫 中 山」で 広 く 知 ら れ て お り、日
本 で は「孫 文」で 知 ら れ て い ま す。「中 山」は日 本 留 学 中 に 取 ら れ た 名 前 で す。恐 ら く、福 田 総 理 は 中 日
友 好 を 深 め る 意 思 を 表 明 す る た め に、お 父 様 と の 関 係 よ り は、孫 中 山 先 生、延 い て は、中 国 と の 関 係
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で松本楼で胡錦涛を招待したのではないかと思われます。
それでは、松本楼と孫中山先生との関係を紹介しましょう。
1840 年 ア ヘン 戦 争以 後は、帝 国主義 列 強は 1000 以上 の不 平 等条 約を 中国 に 押
し 付 け た 外、鉄 砲 で 日 本 の ド ア を 叩 き、日 本 の 開 放 を 迫 ま っ て い ま し た。日 本 で は
「明 治 維 新」が 興 さ れ、「富 国 強 兵」、「殖業 興産」の 道 に転 換 し、福沢 諭 吉、高橋 是
清 な ど の 先 達 に よ り、資 本 主 義 制 度、進 ん だ 技 術 を 導 入 し た こ と に よ り、日 本 は 強
国 に な り ま し た が、中 国 逆 の 道 に 入 り、帝 国 主 義 列 強 の 植 民 地 に 陷 て し ま い ま し
孫中山先生
た。孫 中 山 先 生 は 中 国 を 救 う た め に 革 命 を 興 し ま し た。し か し、革 命 は な か な か 容
易 な こ と で は あ り ま せ ん で し た。何 度 も 失 敗 し ま し た。そ の 間 に、孫 中 山 先 生 は 日
本 へ 亡 命 し ま し た。亡 命 中 松 本 楼 と 関 係 が 出 来 た の で す。こ の 関 係 が 出 来 た 重 要
な人物は梅屋庄吉先生です。
それでは、孫中山先生と梅屋庄吉先生との関係を紹介しましょう。
孫 中 山 先 生 が 最 初 に 選 ん だ 人 生 の 道 は 武 力 で 清 王 朝 を 倒 す 道 で は な く、「中 国
人 は 東 ア ジ ア の 病 者 で あ る」と の 言 い 方 に 刺 激 さ れ て、「医 者 と し て 中 国 人 の 病 気
梅屋庄吉先生
を 治 そ う」と 言 う 道 を 選 択 し た の で す。こ の た め に 日 本 の 仙 台 へ 医 学 の 勉 強 へ 行
き、帰国後、医者として開業していました。その間に香港(ホンコン)で開業したことがあります。
梅 屋 庄 吉 は 1895 年 頃 香 港 で 写 真 屋 を 経 営 し て い ま し た。香 港 医 学 院 教 授 の ジ ェ ム ス・カ ン ト リ ー 博
士(孫 中 山先 生 の 恩 師 で あ る)の 紹 介 で 孫 中 山 先 生 と 梅 屋 庄 吉 先 生 は 香 港 で お 合 い し ま し た。そ の 当
時、梅 屋 庄吉 先 生 は 27 才、孫 中山 先 生 は 29 才 で し た。両 先 生 の 思 想 に は 共 通 し た 部 分 が 多 く、ご く 親
しい友人となりました。
そ の 頃、清 王 朝 は ア ヘ ン 戦 争 に 敗 れ て、英 国 か ら 不 平 等 条 約 の 締 結 に は 迫 め ら れ、各 地 方 に 英 国
の租界の設置を認めました。孫中山先生はついに「医者は中国人の病身を治すことが出来ますが、中
国を救うことが出来ない」と悟ってきました。先生は日本は明治維新により、強国になったことから影響
を 受 け て、医 者 の 道 か ら 身 を 引 き、武 力 で 清 王 朝 に 終 止 符 を 打 つ 決 意 を 固 め ま し た。そ れ で、梅 屋 庄
吉先生は孫中山先生と「君は兵を挙げ、我は財をもって支援す」と約束しました。
孫中山先生は中国の歴史に重要な位置を持つおり、「中国革命の父」(国
父)と 言 わ れ て い ま す。孫 中 山 先 生 は、中 国 の 真 の 独 立 を 目 指 し て、何 回 と
なく、武 力峰 起を 行いま した が失敗 を繰り返していま した。そ の間に、何 回 も
日 本 へ 亡 命 し、梅 屋 庄 吉、宮 崎 寅 藏 な ど の 方 々 よ り 物 心 両 面 か ら 多 大 な 支
援 を 頂 き ま し た。特 に 梅 屋 庄 吉 先 生 は 孫 中 山 先 生 に
支 援 す る た め に、写 真 館 の 経 営 を 止 め、映 画 製 作 の
技 術 を 学 び、そ こ か ら 得 ら れ た 財 産 を す べ て 孫 中 山 先
生の革 命 に 寄付しました。梅屋先生が寄 付した財産の
孫夫人宋慶齢先生
総 額 は 今 の 金 額 に 換 算 し ま す と、2 兆 円 に な り ま す。長
孫夫人ゆかりのピアノ
年に亘るなみなみならぬ努力により、孫中山先生は、ついて1911 年に「辛亥革命」で成功し、清王朝を
倒しました。
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松 本 楼 の 現 役 社 長 の 奥 様 の 祖 父 は 梅 屋 庄 吉 で す。孫 中 山 先 生 は
日 本 へ 亡 命 し た 時 期 に 梅 屋 先 生 の ご 自 宅 に 泊 ま り、松 本楼 で 何 回 と
なく、日本の方々と会食していました。1915年に、梅屋庄吉先生の仲
立ちにより、孫中山先 生は中国 で「国母」と言われている 宋慶齢先生
と梅屋庄吉先生のご自宅で結婚式を挙げたのです。
革 命 の た め に、孫 中 山 先 生 は 帰 国 し た 間 に、宋 慶 齢 先 生 は 梅 屋
先 生 の ご 自 宅 に 泊 ま り、燭 台 付 の ピ ア ノ を 弾 か れ て い ま し た。こ の ピ
ア ノ は 日 本 ヤ マ ハ 樂 器(株)の 前 身 で あ る 日 本 楽 器 製 造 株 式 会 社 が
1907 年 に 製 造 し た も の で あ り、日 本 産 の 最 古 の ピ ア ノ と 言 わ れ て い
ま す。こ の ピ ア ノ は 本 来 梅 屋 ご 夫 妻 は そ の 愛 娘 の た め に 購 入 し た も
の で す。孫中 山 先 生 と 松 本 楼 と の ご 縁 を 記 念す る た め に、こ の ピ ア ノ は「孫
孫中山先生と梅屋庄吉ご夫妻
文 夫 人 ゆ か り の ピ ア ノ」と し て 松 本 楼 に 寄 贈 さ れ、松 本 楼 の 一 階 ロ ビ ー で 展 示 さ
れ、胡錦涛が松本楼で食事をしたとき見学したことがあります。
孫 中 山 先 生 は 梅 屋 ご 夫 妻 に 感 謝 す る た め に、梅 屋 先 生 の 奥 様 を 表 彰 す る 意 味
で梅屋庄吉の羽織の裏に「賢母」と揮毫しました。
上 記 の 歴 史 に よ り、松 本 楼 と 孫 中 山 先 生 と の 関 係 は お 分 か り に な っ た の で し ょ う
梅屋夫人の羽織
か。福 田 首 相 が 胡 錦 涛 を 松 本 楼 で 招 待 し た こ と に よ り、松 本 楼 は 有 名 と な っ た た め、今 後、松 本 楼 へ 食
事に行ったり、見学に行ったりする人が増えると予測されます。
そ れ で は、「魏 先 生 は な ぜ 松 本 楼 を 知 っ て い る の か。な ぜ 松 本 楼 で 食 事 を し た の か」と の 質 問 が 出 さ
れると思います。
実 は、福 田 首 相 が 松 本 楼 で 胡 錦 涛 を 招 待 し た 前 に、私 は「松 本 楼」を 知 っ て い ま し た。2007 年 に 日 本
を 訪 問 し た と き、王 子 製 紙 社 の 細 田 さ ん が 紹 介 し て 下 さ っ た の で す。今 年 5 月 8 日 に 日 本 に 行 っ た と き、
同 社 の 神 谷 部 長、山 内 元 部 長、有 名 な 弁 護 士 中 島 敏 先 生 及 び 細 田 さ ん は 松 本 楼 を 見 学 す る た め に、
わ ざ と 有 名 と な っ た 松 本 楼 で 歓 迎 宴 を 設 け て 下 さ い ま し た。本 紙 面 を 借 り て 細 田 さ ん の ご 好 意、神 谷 部
長 の ご 招 待 に 謝 意 を 申 上 げ た い と 思 い ま す。本 当 に あ り が と う ご ざ い ま す。松 本 楼 で の 食 事 は 日 本 訪
問の思い出として永遠に私の記憶に残るでしょう。
もし松本楼は松本楼で食事をした人達を「松本楼お客様名簿」に記載して頂ければありがたいです。
例えば:福田赴夫、福田康夫、胡錦涛、魏啓学……。
(ハハ)
(こ の 文章 に 掲 載 さ れ た 写 真 は 松 本 楼 の パ ン フ レ ッ ト
に 基 づ い て 作 成 し た も の で あ り、最 後 の 写 真 は 中 島 敏
先生のカメラで撮影されたものです。)
中島敏先生、神谷部長、細田様と筆者等
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行政訴訟における訴訟取下げについて
前 回 の IP NEWS に お い て、「特 許 法」の 無 効 審 決 に 対 す る 訴 訟 種 類 に つ い て の 改 正 動 向 を 検 討 い
たしたところ、多くの読者から有益な意見を多数いただき、私も大変勉強になり ました。本当にありがと
うございました。最新の改正動向があれば、さらに読者の皆様と共有したいと思います。
と こ ろ で、現 在 の「特 許 法」の 規 定 で は、無 効 審 判 の 審 決 に 対 す る 訴 訟 種 類 は 依 然 と し て 行 政 訴 訟
で あ る と い う 点 を 考 慮 し て、本 論 稿 で は、行 政 訴 訟 に お け る 原 告 と 第 三 者 と の 和 解 問 題 に 係 る 最 新 の
司法解釈について、さらに読者の皆様と共に検討したいと思います。
行 政 訴 訟 の 性 格 上、訴 訟 に お い て、原 告 と 特 許 審 判 委 員 会 と が 和 解 す る 可 能 性 は あ り ま せ ん。 原
告と第三 者 とが法廷 外 で和解 に達 した場合 には、一般的に原告 は行 政訴訟 にお いて訴訟 取 下げを請
求 し ま す。こ の よ う に 訴 訟 を 取 下 げ て も、原 告 に と っ て は 単 に 行 政 訴 訟 を 終 止 す る こ と が で き る だ け で
あ り、原 告 に 不 利 な 無 効 審 判 の 審 決 を 変 更 ま た は 取 消 す と い う 目 的 を 達 成 す る こ と は で き ま せ ん。例
え ば、も し 無 効 審 判 の 審 決 に は、特 許 権 が 無 効 ま た は 一 部 無 効 さ れ た 場 合、原 告 と 第 三 者 が 和 解 に
達しても特許権は依然として無効される。このような結果が原告と第三者とって望ましい最適な結果で
はないことはよくあることです。
し た が っ て、行 政 訴 訟 中 の 和 解 制 度 に つ い て は、こ こ 数 年 来、い つ も 法 律 界 で 問 題 視 さ れ、検 討 さ
れてきた課 題であり、とくに原告 と第三者との和解結果 が係争中の 行政審決 に影響を及ぼ すかどうか
が 注 目 さ れ て い ま し た。こ の 点 に つ い て、「最 高 裁 判 所」は、2008 年 1 月 14 日 に 公 布 し、2008 年 2 月 13
日より正 式 に施 行され た「最高裁判所 による 行政訴 訟の 訴訟取 下 げ に関す る若 干問題 の規 定」という
司法解釈において、明確に規定しています。関連条項は以下のとおりです。
「第二条 訴えられた具体的な行政行為の被告による変更、原告による訴訟取下げの請求が、以下
の各号に掲げる条件に合致する場合、裁判所はそれを認めるべきである。
(一) 訴訟取下げの申請は当事者の真実の意思表示であること;
(二) 訴えられた具体的な行政行為の被告による変更は法律、法規の禁止的な規定に違反せず、職
権を超えまたは放棄せず、公共利益及び他人の合法的な権利と利益を損なわないこと;
(三) 被告は訴えられ た具体的な行政行為を 変更または 変更しようとし、それを書面により 裁判所に
通知すること;
(四) 第三者の異議がないこと。
第 四 条 各 号 の 一 つ に 該 当 す る 場 合 に は、「被 告 は 訴 え ら れ た 具 体 的 な
行政行為を変更した」と見なされる
(一) 原告の請求により法律に定められた職責を法に照らして履行する場
合;
(二) 対応する救済、補償等措置を講ずる場合;
(三) 行政裁決手続において、書面による原告と第三者との和解を認める
場合。
下 線 を 引く部 分 か ら わか る よ う に、原 告 と 第三 者 と が 和解 に 達 す れば、こ
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れ を 理 由 とし て 特 許 審 判 委 員 会 に 原 無 効 審 判の 審 決 の 変更 を 請 求 して、原 告 に不 利 な 無 効審 判 の
審決が効力を得るようなることを回避することができます。
以下は仮定の実例を通じて無効審決に対して提出した行政訴訟の中に以上述べている規定を利用
し て 和 解 と 訴 訟 取 下 げ と い う 目 的 に 達 す る 具 体 的 な ス テ ッ プ を 説 明 す る。そ の 中、原 告 は 特 許 権 者、
被告は特許審判委員会、第三者は無効審判請求人、無効審判の審決は特許権が全部無効です。
ス テ ッ プ 1 : 特 許 権 者 は 無 効 審 判 の 審 決 に 不 服 が あ り、裁 判 所 に 当 該 無 効 審 判 の 審 決 を 取 消 す 行
政訴訟を提出し、裁判所は当該訴訟を受理した;
ステップ2:特許権者と無効審判請求人が和解に達する;
ステップ3:特許審判委員会が書面ににて特許権者と無効審判請求人との和解を認める;
ステップ4:特許審判委員会が無効審判の審決を取消すとともに、書面により裁判所に通知する;
ステップ5:特許権者は訴訟の取下げを申請する;
ステップ6:裁判所は特許権者の訴訟取下げを許可する。
上 述 の 実 例 に お い て、特 許 権 者 は 無 効 審 判 請 求 人 と 和 解 に 達 す る こ と を 通 じ て、特 許 審 判 委 員
会 が 下 し た 特 許 権 が 全 部 無 効 で あ る と い う 無 効 審 判 の 審 決 を 取 り 下 げ さ せ た。そ れ に よ っ て、当 該
特許権が継続的に有効であることを維持した。
以 上 述 べ た よ う に、上 述 の 規 定 に お い て、原 告(行 政 相 手 側)と 第 三 者 と の 間 の 民 事 紛 争 に 係 る
行 政 訴 訟 で は、原 告 と 第 三 者 は 和 解 合 意 に 達 す る 方 法 で、行 政 手 続 に お け る 行 政 主 管 官 庁 に よ る
行 政 決 定 を 変 更 す る こ と が で き ま す。こ う す れ ば、原 告と 第 三 者 の要 請 を 満 た す こ と が でき る だ け で
は な く、訴 訟 資 源 を 節 約 し、訴 訟 効 率 を 高 め、さ ら に 行 政 主 管 官 庁、原 告 及 び 第 三 者 の い ず れ に
と っ て も 有 益 な も の と 言 え る の で は な い で し ょ う か。無 効 審 判 の 審 決 に 対 す る 行 政 訴 訟 に お い て も、
原 告 と 第 三 者 は 上 記 規 定 を 利 用 し て、双 方 に 有 利 な 方 法 を 選 択 し て 紛 争 を 迅 速 か つ 有 効 に 解 決 す
ることができるのではないかと思います。
【中国弁理士 王 璐】
北京林達劉知識産権代理事務所 (LINDA LIU & PARTNERS)
(このIPニュースに掲載された写真は、「松本楼への思い出」に挿入された写
真以外は、劉 新宇個人の撮影作品です。)
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