フィリピン情 報 No.23 フィリピンの父 ・ホセ・リサール殉 死 の日 Martyrdom of Dr. Jose Rizal 処 刑 の銅 像 に見 つけた彫 刻 家 のエラー Sculpture's error of the execution statue 本 日 12月 30日 は 、フィリピン 独 立 運 動 の 闘 士 にしてフィリピン の 国 民 的 英 雄 のホ セ・リサールが、 スペイン軍 の手 で処 刑 された記 念 日 です。医 師 、著 作 家 、画 家 でもあった彼 の意 志 は、フィリピンの 人 た ち に 受 け 継 が れ 、 フ ィ リ ピ ン 独 立 の 英 雄 と して 、 今 で も 愛 し 続 け ら れ てい る 人 物 です 。 8人 の 高 祖 父 の 内 、 一 人 は 日 系 フ ィ リ ピ ン 人 と さ れ て い ま す 。 彼 の こと の 多 くは 本 稿 で 書 きま せ ん が 、 彼 の 人 柄 の一 面 を垣 間 見 るインタネット新 聞 に接 しましたので、その一 部 を披 露 します。 本 日 のマニラ・タイムズには、 Jose P. Rizal: One geek of a ladies’ man who charmed 10 women と題 する記 事 を、リサール公 園 の一 角 にある処 刑 場 の銅 像 写 真 つきで書 い てい ます。「1人 の女 性 を魅 了 した極 め男 性 の物 語 り」とでも訳 せるテーマです。 GEEKという単 語 の意 味 を辞 書 でみると、 「(サーカスなど)グロテスクなことをする見 世 物 師 」とか、「蛇 使 い」とあります。リサールに関 してのこ の言 葉 は、10人 もの女 性 を魅 了 したという意 味 で、女 性 にとっては魔 力 的 な存 在 の人 物 だったと解 したほがイイでしょう。 興 味 あ る こ とは 、 リ サ ー ル を取 り 巻 く10人 の 女 性 の 中 に 、日 本 人 女 性 が あ っ た ことで す。 1 888年 二 度 目 のヨーロッパ旅 行 の途 中 で日 本 に立 ち寄 ったのです。そこで会 ったのが「うすい・せいこ」とい う日 本 人 女 性 。 リ サ ー ル は 愛 情 をこめ て「お せ い さ ん」と 、彼 女 を呼 んだ そ うで す 。サ ム ライ の 娘 で 、 知 性 と美 貌 の女 性 。墨 絵 と日 本 語 をリサールに教 えたと。歴 史 家 の弁 によると、もし、リサールが愛 国 主 義 でなか ったら 、その おせ いさんと結 婚 してい た だ ろうと推 測 します。そ の 背 景 には、当 時 日 本 のスペイン代 表 であった人 物 が、リサールに金 になる仕 事 を勧 めていたからです。リサールの手 紙 に よると、彼 は「お政 さん、おせいさん、サヨナラ。あなたみたいに私 を愛 してくれた女 性 はいません」と。 ちなみに、リサールの胸 像 と彼 が書 いた誌 の記 念 日 が日 比 谷 公 園 にあるとかです。 ふと、リサールのそういった一 面 を知 るにつけて想 います。かくいう私 は、祖 国 を捨 てて(?)、この地 に骨 を埋 めることにして生 きています。どんな人 生 局 面 が訪 れるか分 かりませんが、人 間 の一 生 って、 ほんのちょっとした考 えとか、動 機 が人 生 を大 きく変 えるものだ、とつくずく感 じます。 さて、そのマニラ・タイムズ紙 の同 記 事 の関 連 写 真 が目 を引 きました。マニラのリサール公 園 の一 角 にある処 刑 場 の一 連 の彫 刻 銅 像 です。15,6人 のスペ イン兵 士 が銃 を構 えて発 砲 した瞬 間 の像 を 前 に、撃 たれたリサールがのけ反 るように棒 立 ちしている写 真 です。その傍 に銅 像 に手 を当 てて写 っ ている男 性 の写 真 です。 全 く同 じ構 造 の写 真 を、私 が リ サール の 像 に 手 を当 てて写 した 写 真 があ るの です。実 は そ の 時 に 、 い ち 早 く発 見 した 「矛 盾 」が あ る の です。 写 真 では 銃 殺 され た 瞬 間 直 後 の リ サ ール は スペ イ ン 軍 に 背 を向 けていますが、説 明 によると、リサールは目 隠 しもないまま、スペイン軍 処 刑 執 行 者 に正 面 向 き合 っていたそうですが、銃 撃 の瞬 間 に、後 ろ向 きののけ反 っているのです。 そ こで見 つ け た 矛 盾 が あ る の です 。 銃 弾 が リ サ ー ル の 胸 を貫 通 し て 背 中 に 飛 び 出 す 生 々 し い 弾 痕 後 が 痛 ましく彫 刻 され ているのです。ところが 、デス!肝 心 の胸 から入 った銃 弾 の 痕 跡 がまったく彫 刻 されていないのです!生 々しさが彫 刻 の本 意 とすれば、両 面 に弾 痕 があってしかるべきだ、という のが初 めて拝 観 した私 の直 感 だったのです。明 らかに彫 刻 師 もしくは、原 本 作 成 者 のミスとしか、思 われません。当 局 に伝 えてみることも考 えましたが、それきりにしています。 280年 近 く、スペ インの植 民 地 下 にあった フィリピンですが、私 がフィリピンの人 た ちに声 を大 にして 語 っていることの一 つは、その長 い期 間 に、フィリピンの人 たちは先 祖 代 々、現 在 に至 って通 い慣 れ てきている築 数 百 年 の教 会 やチャペルに家 族 ぐるみで通 ってきて、宗 教 文 化 をはじめとするスペイン 西 欧 文 化 を採 り入 れてきた 。西 欧 化 といえば、日 本 の160年 とはドエライ差 異 だ 、と。そ の最 た るも の は ロ ー マカ トリッ ク 教 。 総 人 口 の 80数 パ ー セン トが カトリ ッ ク 信 者 であ る と い うフ ィ リピ ン 独 特 の 民 族 文 化 が、厳 然 と現 在 に継 承 されているのです。 そ の 後 の ア メリ カ植 民 地 下 の 半 世 紀 でか れ ら が 得 た も の 、そ れ は 英 語 で す。 フ ィ リ ピ ン の 第 二 国 語 であ るか れらの英 語 力 は、ニ ッポ ン 人 の 比 では到 底 ありません。1千 万 人 が海 外 で働 き生 活 してい るのがフィリピン人 。対 するニッポン人 はその十 分 の一 にすぎません。 グローバリゼーション時 代 にあって、その格 差 が将 来 に意 味 するものを体 感 しつつあるのが私 です。 高 齢 社 会 と人 口 減 に悩 む ニ ッポンに対 し、貧 困 率 は高 くとも、天 然 資 源 もあり、人 口 増 は 悩 みのひ とつともなっているほど活 力 充 分 で、国 際 感 覚 バツグンのフィリピンとの格 差 は、遠 からず表 面 化 す るでしょう。それをこの眼 で見 届 け 、書 き続 け てい くのも、私 の人 生 に与 えられた務 め であると思 うの が、リサール没 の本 日 の私 の想 いです。 2010年 12月 30日 吉田祐起 (原 爆 生 存 証 言 執 筆 者 /健 康 ・生 きがいづくりアドバイザー) yoshida.yuuki@a-bombsurvivor.com Back to Top (Jpn) Back to Top (Eng) (Copyright 2004-2010 Yuuki Yoshida All Right Reserved)
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