平和構築における DDR の成果、限界と今後の役割 ―日本の支援の道―

平和構築における DDR の成果、限界と今後の役割
―日本の支援の道―
瀬谷ルミ子
(広島大学大学院国際協力研究科連携融合事業研究員)
rseya@hiroshima-u.ac.jp
*本研究報告書に記載されたすべての内容を、著者の許可無く転載・複写することを禁ず
る。
The Process, Challenges and Future Role of Disarmament, Demobilisation and
Reintegration (DDR) in Peacebuilding:
The Potentials of Japanese Future Contribution to Peace-building
Rumiko Seya
(Research Fellow, HIPEC, Hiroshima University)
Abstract
This paper attempts to examine the roles and challenges of DDR (Disarmament,
Demobilisation and Reintegration) in the context of peacebuilding, in view of the
prospective future Japanese role.
First, this paper provides an overview of the DDR
process based on the past experiences in post-conflict countries. While DDR is
regarded as one of the limited options to meet the immediate needs in security and
development after peace agreements, the negative aspects caused by DDR, such as the
trade-off between issues of justice, should not be neglected. There are potential ways to
minimise some of these dilemmas by providing more comprehensive options for
achieving peace.
There are both positive outcomes and limitations in Japan’s leading
role in DDR in Afghanistan, and the experience has to be utilised for improved future
contributions. At the same time, the experience played a role of presenting dilemma
current Japanese national and international policies possess, which has a significant
implication to Japanese future role in peacebuilding.
© The Copyright of this research report belongs to HIPEC.
はじめに
冷戦以降、特に 1990 年代前半より、世界各地にて多発する武力紛争後の和平合意に、兵
士の武装解除、動員解除、社会復帰(Disarmament, Demobilisation and Reintegration:DDR)
の実施が明記される傾向が高まっている。1994 年以降より、現在までの間に 34 の DDR が
実施され、シエラレオネ、モザンビークなどにおいては成功裏に完了されたと評価されて
いる1。その一方、内紛の再発により、DDR が実施半ばで中止された例や、同じ国で何度
も実施が試みられた場合もあり、成功・失敗例を含めた評価および教訓を検証する必要が
指摘されていた。
そのようななか、2004 年にスウェーデン政府主導で開始された Stockholm Initiative on
Disarmament, Demobilisation, Reintegration (SIDDR)により、過去の DDR の包括的なレビュ
ーと今後への提言が議論され、2006 年 2 月に最終報告書が取りまとめられた2。これを踏
まえ、今後のより効果的な DDR 実施を考えていく必要が認識されたと言える。しかし、
その一方、一定の方法論を確立したことが実質的な DDR の権威付けにつながり、他の選
択肢もあり得た国々でも DDR がなし崩し的に実施される傾向を助長する恐れもある。現
実には、DDR が紛争後の全ての問題を解決できるとの考えは一部では薄れつつあるものの、
紛争後に設立される国連平和維持活動(Peacekeeping Operation: PKO)のマンデートの優先
事項に DDR が挙げられる傾向は高まっている。
本稿では、まず DDR の本来の役割と弊害につき、過去の DDR の実施例を参照しながら
検証することとする。そのうえで、アフガニスタン DDR における日本の経験に基づき、
日本が今後平和構築支援に携わっていくうえで生じる議論と問題点を整理したい。
第1節
1-1
DDR プロセスの概要
DDR の実施目的
基本的には、DDR ごとに状況に応じた個別の実施目的が設定される。そして、アフガニ
スタン DDR が軍閥解体ではなく小型武器回収を目的とすると認識されたように、その目
的を誤解されることも少なくない。その一方、ほぼ全ての DDR に共通して求められる成
果も存在する。
DDR 実施が求められる背景として、まず第1に、国軍や警察を再建する治安部門改革
1
The Swedish Government Offices, Stockholm Initiative on Disarmament, Demobilisation
Reintegration Final Report (The Swedish Government Offices, February 2006), p9.
2
See Ibid., and <http://www.sweden.gov.se/siddr>.
(Security Sector Reform: SSR)の前提またはその一部としての役割が挙げられる。和平成
立後の治安上の脅威とならないように、群雄割拠していた武装勢力を解体し、中央政府の
文民統治に基づく新たな治安維持機構を設立するものである。単に肥大した国軍の人員削
減を目的とする場合もあるが、過去 10 年間にアフリカで実施された DDR のほぼ全てが内
戦後の国軍再建プロセスと連動していることからも、両者は密接不可分な存在であること
が分かる3。第 2 に、DDR により武装勢力の指揮命令系統を解体することにより、新政府
を正当化するために実施される民主的選挙において、妨害工作を行う可能性のある不穏分
子の芽を摘む目的がある。これは、単に武器を回収し兵員を引き離すことによる治安上の
効果に加え、各武装集団からの圧力を抑えた公平な選挙の実施環境をつくる意味で、ガバ
ナンスの観点からも重要といえる。第 3 に、DDR により、兵職を失った除隊兵士が職業訓
練等を通じ新たな職を得て、復興の担い手としてコミュニティに貢献することによる開発
面での効果も期待される。DDR による直接的な裨益者は除隊兵士のみである一方、その波
及効果として、新たなインフラ建設や小規模ビジネスが増加することより、他の地域住民
にも副次的な裨益が及ぶこともあるからである。ここで挙げられた「治安、ガバナンス、
開発」は、それぞれ和平プロセスの根幹を成す重要な要素である。そのため、その各々の
分野で一定の成果を挙げることは、民衆の平和・復興への要望に応え、中長期的な中央政
府の安定化を目指すうえで不可欠であると言える。
また、DDR においては、対象武装勢力の経済基盤を弱体化させることが効果的であるた
め、その資金源となる非合法ビジネスに何らかの措置を施す議論の呼び水となる場合もあ
る。たとえば、シエラレオネにおいて反政府勢力であった革命統一戦線(Revolutionary
United Front: RUF)は、支配地域であるシエラレオネ東部で産出されるダイヤモンドを隣
国リベリア経由でヨーロッパ等に密輸し、その資金を元に武器を購入し勢力を維持してい
た。そのため、DDR を実施するにつれ、元司令官による元兵士のダイヤモンド採掘業務へ
の動員の阻止、密輸防止のための国境管理体制の構築、地方・中央政府による天然資源の
管理制度の整備などの必要性が認識され始め、2002 年に立案された国家再建計画はこれら
の問題への対応を盛り込まれたものになった4。根本的な解決には、当然のことながら密輸
取引先となる周辺諸国政府・非合法集団への対応も必要であり、DDR の枠内での対応には
限界もある。その一方、アフガニスタンの軍閥の資金源である麻薬への対策のように、和
平・復興プロセス当初より、SSR の枠内で DDR との関係が明確化されていた例もある。
その結果として、DDR と麻薬双方の問題に対して、相乗効果のある対応策の実施体制およ
び協力関係を初期の段階から築くことが可能となった5。
3
See United Nations, Conference Report on Disarmament, Demobilisation, Reintegration (DDR) and
Stability in Africa (United Nations, New York, 2005).
4
違法天然資源採掘への国家対策方針については、UNDP, National Recovery Strategy Sierra Leone
2002-2003 (Government of Sierra Leone and UNDP, 2002), p53
5
上杉勇司・篠田英朗・瀬谷ルミ子・山根達郎「アフガニスタンにおける DDR:その全体像の
2-2
和平合意から DDR 実施までの流れ
和平、SSR、復興プロセスと DDR の実施プロセスが如何なるタイミングで関わってくる
のか、その典型的な関係を図 1 に示した。まず、近年結ばれる多くの和平合意において、
国連 PKO の展開、さらに選挙のタイミングに焦点を合わせた武装解除の実施が明記されて
いる6。シエラレオネにおけるロメ合意に見られるように、DDR の対象となる武装集団を
特定するだけでなく、DDR 協力への実質的な見返りとして、政治政党としての認可や兵士
に対する恩赦が言及されることもある7。そして、この和平合意の段階で重要となるのが、
DDR のオーナーシップが当該国政府を含めた当事者にあることを、国際社会のプレゼンス
のもと明確にすることである。和平合意は、必ずしも全ての紛争当事者の参加を得ること
ができず、不完全な場合もある。その一方、政府軍・反政府軍を含む各武装勢力による DDR
への参加合意を明記できれば、その後 DDR に非協力的な態度をとった勢力に対する制裁
や圧力をかける法的根拠として活用することが可能となる。同時に、当事者同士に対し、
あくまで和平プロセスの枠内で立ち回る公的な責任を共有させることにもなる。これに国
際社会の効果的なモニタリングをプレッシャーとして加えることができれば、いわゆる「勝
利者」であることの多い現政権が、自分寄りの派閥に有利な形で一方的な武装解除を行う
動きを牽制することも可能となる。
DDR に関する政治合意不在が DDR 実施の妨げになっている例として、現在のハイチが
挙げられる。国連ハイチ安定化ミッション(United Nations Stabilisation Mission in Haiti:
MINUSTAH)自体のマンデートのひとつが DDR であるにも関わらず、各武装勢力の間に
和平・政治合意がなく、ハイチ政府および武装勢力を DDR に向かわせる圧力が存在して
いない8。そのため、DDR 担当政府機関が設立されたが、結局は形骸化しているという状
況にある。その一方、アフガニスタンにおいては、脆弱かつ部分的であった和平・政治プ
ロセスの進展を DDR が促進する現象も生じ、状況に応じて DDR は単なる和平プロセスの
一部としての役割以上を果たす可能性が示された9。また、アフガニスタンでは、国連 PKO
部隊の不在が DDR 実施の最大の制約であり、そのためアフガニスタン国防省が国連の支
援により設立されたアフガニスタン新生計画(Afghanistan’s New Beginnings Programme:
ANBP)とともに DDR の実施機関となる以外に選択肢がない旨決定された。しかし、この
決定が、結果として和平合意を補完する形でアフガニスタン国防省の DDR におけるオー
考察」
、HIPEC 研究報告シリーズ No.1、広島大学連携融合事業、2006 年、19 頁。
6
停戦・和平合意締結以前から国連 PKO が展開している場合もある。
7
See Lomé Peace Agreement (July 9th, 1999), Part Two Article III, Part Three Article IX and Part Four
Article XVI
8
Personal interview conducted with Desmond Molloy, Chief DDR Section, MINUSTAH/UNDP on 25th
January 2006
9
上杉・篠田・瀬谷・山根、前掲論文、18 頁。
ナーシップを明確にし、DDR を進める上で障害となる国防省内外の勢力に対して、必要な
圧力を与えることを可能とした。
和平合意を経て DDR が実施されるプロセスに合わせ、DDR の対象となる武装勢力の規
模、展開地域、所有武器数、司令官の経歴、資金源、周辺支援国などの諜報・情報収集が
行われることになる。そして、これらの情報に基づき、武装解除・動員解除・社会復帰の
実施期間、およその対象兵士数、必要となる予算規模も含めた DDR 実施のための全体計
画が策定される。ここで主に情報収集を行う主体は、当該国政府、国連 PKO の軍事・政務
部門、各国外交団、外国駐留部隊等である。そして、この局面において、精度の高い情報
を入手可能なアクターを如何により多く巻き込むことが出来るかが、抵抗勢力に対する交
渉や DDR の戦略的な実施の成否を大きく左右する。アフガニスタンにおいては、国連ア
フガニスタン支援ミッション(United Nations Assistance Mission in Afghanistan: UNAMA)政
務官、連合軍、地方復興チーム(Provincial Reconstruction Teams: PRTs)より、軍閥に関す
る 詳 細 な 情 報 が 提 供 さ れ た こ と が 大 き く 役 立 っ た 10 。 さ ら に 、 国 際 治 安 支 援 部 隊
(International Security Assistance Force: ISAF)から重火器の所在を撮影した衛星写真が提供
されたことにより、軍閥が隠し持っていた重火器の正確な所在や位置が明らかになり、
DDR と並行して実施された重火器集中管理(Heavy Weapons Cantonment: HWC) の進捗にも
大きく貢献した事実もある。
10
アフガニスタンにおける PRT の DDR への貢献については、Yuji Uesugi, The Provincial
Reconstruction Teams (PRTs) and their contribution to the Disarmament, Demobilization and
Reintegration (DDR) process in Afghanistan, HIPEC Research Report Series No.3, Hiroshima
University Partnership for Peacebuilding and Social Capacity, March 2006.
図1:和平・復興・SSR プロセスと DDR の位置づけ
安定化
PKO復興関
連事業をUN
DP等へ移行
UNDPまたは世銀が
DDR信託基金設置
武装・動員解除(DD)
ポストDDR事業実施
・残存武器回収
・民兵解体
・コミュニティ復興
・武器規制法整備
・和解促進
国軍改革・再建
復興事業・新規産業への除隊兵士の吸収
戦争犯罪対処・和解への環境作り:特別法廷・司法改革・真実和解委員会等
警察改革・法執行能力強化(武器不正取引・使用・犯罪取締まり等)
長期開発フェーズ
PKO、政府、国際治安部隊、国連等に
よるDDR対象武装集団・兵士に関する
諜報・情報収集
社会復帰(R)
DDR参加を
兵士の戦争
犯罪恩赦の
条件とする場
合あり
国連PKO撤退
国連PKO・UNDP
内にDDR担当部門
(文民)設置
DDR実施計画策定
SSR・
復興
緊急援助フェーズ
DDR
(出所:筆者作成)
DDR対象武装
勢力の特定(政
府軍、反政府軍、
市民自警団等)
政府機関DDR委員
会設立
連動
政策・
体制整備
DDR実施
を明記
選挙実施
国連PKO設立
和平合意
停戦
紛争中
和平プロセス
武装勢力
の政治参
画可否に
つき言及
1-3 武装解除の実施
武装解除を実施する際に重要となるのが、第 1 に、武装解除を行うタイミングである。
DDR は、政治的・経済的野心を持つ各武装集団の勢力図を再構築する政治的なプロセスで
ある。そのため、武装解除は、その勢力基盤に最初にメスを入れる作業として、最も拒絶
反応が起こる段階である。実際に、過去のシエラレオネやリベリアなど、武装解除の最中
に紛争が再燃して DDR が失敗した事例は数多い11。ここで重要となるのが、選挙を視野に
入れた和平プロセスの各段階に応じ、武装解除の果たす役割と及ぼす影響を最大限考慮し、
実施を進めることである。具体的には、武装解除の準備段階においては、政治プロセスと
タイミングを合わせ、各武装勢力の指導者が意思決定プロセスに参加する場を提供するこ
とが必要となる。これにより、各勢力のコミットメントの既成事実化を進めることができ
るだけでなく、意見を表明する場を与えることにより、不満や懸念を抑えつつ、武力行使
ではなく交渉が選択肢となりつつあることを徐々に実感させることができる。そして、武
装解除実施段階においては、国軍・警察再建プロセスと歩調を合わせることにより、武装
解除に伴う治安の空白の発生を出来る限り抑えることが重要となる。これにより、武装解
除後の身の安全を懸念する兵士や司令官に対し、一定の安全を確保することにより DDR
参加を促すことが可能となる。さらに、選挙までの武装解除完了に最終的な目標を据えつ
つも、それ以前の日程に部分的・地域的な武装解除の達成目標を設定し、武装解除に応じ
ない武装勢力に集中的に圧力をかけることも効果的である12。アフガニスタンにおいては、
「1 年間で武装解除完了、3 年間で社会復帰完了」の大枠の期間設定に加え、2004 年 10 月
に実施された大統領選挙などの政治プロセスの節目と合わせ、DDR および重火器回収の目
標設定を行った。これらの目標設定に基づき、国際社会が一丸となり国防省および軍閥に
圧力をかけたことが、なし崩し的に武装解除の期限が破られることを最小限に留め、さら
に政治プロセスと連動したタイミングで武装解除において成果を挙げることに成功した要
因のひとつであったと言える。
第 2 に重要となるのが、武装解除の際に対象として認定する基準設定である。たとえ武
装解除の実施期間や DDR の対象となる武装勢力が特定されたとしても、何をもって戦闘
要員であったかと認定するかの基準は、どの DDR においても大きな議論となる13。アフガ
11
シエラレオネのように勢力が大きく二分されていると大規模反乱が起こりやすく、実際に反
政府軍が首都に 2 度侵攻したが、アフガニスタンのように多数の勢力が小競り合いしている場
合は、民族同士が結束して大規模な反中央政権連合を作るのさえ防いでおけば、首都に侵攻す
るほどの反乱がおこる可能性は逆に少なくなるとの分析も出来よう。
12
現実には多くの国において、武装解除の遅れや治安の悪化により選挙日程が延期される事態
が生じる。
13
戦闘要員のみとするか、部隊の給仕や強制労働をさせられた児童や女性を含めるかも重要な
点である。多くの場合、18 歳未満の児童兵士には国連児童基金(United Nations Children’s Fund:
UNICEF)による社会復帰プログラムが提供されるが、女性に関しては DDR に含まれる場合も
あれば、NGO(非政府組織)による支援が行われる場合、何の支援も行われない場合もあり、
ニスタンのように、司令官のもとある程度の統制の取れた部隊解体を対象とする場合は、
各部隊・軍隊に認定されることを DDR 参加認定基準とし、集団単位で武装解除を進める
ことが可能となる。一方、反政府勢力や民兵は、各戦闘員が比較的緩やかな指示系統のも
と個別に行動している。この場合、武装解除に応じるかの判断も含め、個人単位で行動す
ることが想定され、あくまで兵士個人に焦点を当てた基準設定が必要となる。また、武装
勢力は、主に兵士と武器によって構成される。しかし、武器拠出のみを認定基準とした場
合は、DDR が単なる武器買い取りプログラムと誤解を招き、大量の武器が氾濫する地域で
は、武器を持った一般市民ですら参加可能となってしまう。一方、司令官や部隊に兵士と
認定されることだけを基準にした場合も、司令官のもとに大量の武器が残され、勢力を温
存したい司令官により認定された一般市民が偽りの兵士として大量に押しかける事態が生
じる14。シエラレオネにおいては、戦闘用の武器を供出することを基準とし、最終的に小
型武器 2 丁につき兵士 3 名を DDR に参加させる限定的な集団武装解除で合意した。しか
し、これにより、武器を所有する司令官が独自の裁量で DDR に参加する権利を部下の兵
士に売る事態が発生し、結果として指令系統がより強化されるという問題も生じた15。一
方、アフガニスタンでは、国防省が作成した DDR 対象部隊の兵員リストをさらに地元の
長老たちが精査し兵士と認定するメカニズムを導入したのに加え、1 兵士 1 丁の武器提出
を義務付けた16。それにも関わらず、各軍閥から送られた偽りの兵士も武装解除に参加し
た事実は否定できず、システムとして完璧であるとは言えなかった。しかし、当初提出さ
れた兵員リストを精査した結果、実在の兵士は半分以下であったことが明らかになった事
例もあり、一定の効果を発揮したことは評価できる。別の例としては、武装集団とギャン
グ等の犯罪集団の違いが明確ではないうえ、多くの構成員が日雇いで各集団間の所属を変
えるため識別が困難なハイチの状況が挙げられる。ここでは、今後の対応策として、各コ
ミュニティに DDR の対象となる武装集団の司令層を特定させることが予定されている17。
また、武装解除時に支給する一時金は、兵士を DDR に参加させるインセンティブとな
るほか、除隊後の当面の生活費用として、兵士が生活苦のため再び武装集団に戻ることを
防ぐ役割がある。金額設定は、当該国の生活水準、武装集団・違法ビジネスより得られる
収入との兼ね合いや、単なる武器の買戻しにならないように、当該国および周辺諸国での
武器の市場売買価格に応じて決められる。金額を低く見積もりすぎると、戦闘参加や周辺
国で武器を売却する方が実入りがあるとして、兵士と武器双方が他国に流れる事態が生じ
問題の実態把握とともに包括的な支援体制の構築が求められる。
14
The World Bank, Sierra Leone Disarmament and Demobilization Programme Assessment Report:
Executive Summary and Lessons Learned (Government of Sierra Leone / World Bank, July 2002), p9.
15
Ibid., p19.
16
2003 年 9 月に策定されたアフガニスタン DDR 実施規定(Disarmament, Demobilisation and
Reintegration Plan for Afghanistan)に基づき、戦車、装甲車等の重火器を提出した場合は、事前
に規定された基準に応じ1機につき複数名の兵士を DDR 参加認定した。
17
Personal interview conducted with Desmond Molloy, Chief DDR Section, MINUSTAH / UNDP on
25th January 2006.
9
る。逆に高く設定しすぎると、DDR に武器を売るほうが利益になるとして、周辺国から
DDR 実施国への武器の流入が起こる。いずれの場合も、金額設定を誤ると、DDR により
周辺国を含む地域全体に新たな武器流出入ルートが作られることになり、地域安全保障の
点からも極めて危険である。たとえば、既に武装解除が完了したリベリアとこれから武装
解除を開始する予定の隣国コートジボアールの場合、生活水準の高いコートジボアールの
方が武装解除時支給の一時金および DDR 参加の恩恵の費用が高く設定されているため、
リベリアから残存した武器を持った兵士が流入する恐れが懸念されている。このほか、元
司令官による部下からの一時金の搾取も深刻な問題である。この問題が特に深刻であった
アフガニスタンでは、最終的に、武装解除時の一時金の支給を停止する代わりに、社会復
帰プロセス時の日当を増額することで対応した。しかし、武装解除実施半ばでの政策転換
は混乱と誤解を招くこともあり、当初からこのような危険を回避する措置を検討する必要
性がある。
1-4 動員解除から社会復帰に向けて
動員解除は、兵士にかけられていた軍の指揮命令を解き除隊するプロセスである。基本
的に、ある程度まとまった量の食料支給、DDR の概要説明、希望する職種の聞き取り、除
隊兵士 ID カードの発給等が行われる。シエラレオネのように、1 週間キャンプに収容して
様々な啓蒙を行う場合もあれば、アフガニスタンのように最低限の項目のみ実施し、1 日
で完了する場合もある。如何に手間と時間をかけようとも、動員解除プロセスのみで元兵
士が戦闘員としてのメンタリティを払拭するのは非現実的であろう。しかし、軍隊に忠誠
を誓っている兵士ほど、既に軍と決別したことを象徴的に表すことが効果的であるとして、
除隊証書やメダルの授与などの儀式が一定の心理的効果を与えることが期待できるとされ
ている。シエラレオネにおいては、反政府軍(RUF)の支配地域の情勢が悪化した際に、
キャンプ内の除隊兵士を同地域に帰還させることが治安上不可能になったため、長期間除
隊兵士を滞在させるため膨大な維持費がかかる結果となった18。また、元司令官と配下の
兵士が同じキャンプに一定期間収容された場合に、司令官の指揮系統が維持され、経済的
搾取や心理的従属関係がキャンプから出たあとにも引き継がれてしまう事態が生じること
などから、動員解除は短期間で済ませるべきであるとの意見もある。
動員解除時の除隊兵士への聞き取りにより、各兵士の経験、能力、希望に応じて、どの
社会復帰を選択するかが決定される。ここで、何をもって「社会復帰」と見なすべきか、
どこまで DDR の枠組みで支援すべきかについては意見が分かれるところである。単なる
スキルの習得だけでなく、職を得て自立するまで支援をすべきとの意見もあるが、一般的
には、農業、各種職業訓練、国軍への吸収等が主流となっている。アフガニスタンにおい
18
The World Bank, <op.cit.>, p4.
10
ては、小規模ビジネス起業、教員養成、地雷除去員訓練など、比較的多様な社会復帰オプ
ションが提示され、地域コミュニティと除隊兵士の関わりをより広く持たせることに一定
の効果があったと言える。同時に、社会復帰プロセスは、生活の糧を失った除隊兵士たち
に、新たな収入源を確保するスキルを得る機会を与えるという経済的な意味以上の役割を
持っている。武装・動員解除により、それまで強者の立場にいた兵士たちが経済的・社会
的不安の最中におかれたときに、犯罪行為や再動員以外のほぼ唯一の選択肢となるのが社
会復帰プログラムである。そのため、ここで新たな社会における自分の生活像が具体的に
想像でき、将来に期待を持つ方向向かわせられない限り、紛争状態の心理からの脱却を促
すことは困難であろう。兵士のなかには、必ずしも自ら希望して兵士となったのではなく、
強制的に武装集団に服役させられていた者も数多く存在する。その場合、兵士の人生にお
いて初めて自らに決定権のある選択肢を与えられる経験となる場合もある。そのため、除
隊兵士が再び元の武装勢力に戻ることのないような支援を提供することは、社会的にも大
きな意味があるといえよう。
一方、一定の階級以上の司令官たちは、部下の兵士と同様の職業訓練に参加することを
不満に思い、それを理由に武装解除の段階から協力を拒否する場合が少なくない。司令官
たちが社会に適切な形で再統合されない限り、配下の兵士を再動員する可能性が高いため、
その場合は司令官に特別な社会復帰オプションを提供することがある。アフガニスタンに
おける司令官インセンティブ・プログラムでは、およそ 400 名の司令官に対し、司令官の
階級に応じた社会復帰基準に基づき、新国軍・警察・政府要職、海外での医療支援、小規
模起業オプションなどを提供した。しかし、明確な司令官の任命過程がなく、
「自称」司令
官が多数存在したため、各司令官の経歴の検証には時間を要した。司令官に対する特別な
恩恵を設定することは、リスク回避を重視する取り組みとしての意義はあると言えよう。
その一方、後述する加害者(司令官・兵士)と被害者間の格差をさらに助長させる側面も
あることは十分認識されなければならない。
このように、社会復帰プロセスが大きな役割を担っていることは理解できよう。その一
方、短期間に大量の兵士を処理できる武装・動員解除プロセスと違い、希望職種ごとに一
定規模の職業訓練を受け持つことができる非政府組織(Non Governmental Organisation:
NGO)の特定が必要となるため、兵士の希望を聞いてからの調整にある程度の時間が必要
となる。その結果、場合によっては、武装解除から社会復帰プログラムを提供するまでに、
半年以上も兵士が待たされることもある。この遅れは、単にその期間を無職で過ごすこと
による経済的な焦燥感に留まらず、期待に反する失望感、家族やコミュニティに対する体
裁、後回しにされることのよる中央政府・国際社会への反感などの形で、除隊兵士が不安
や不満を増幅させる大きな原因ともなる。また、本来「治安阻害要因」として「DDR され
た」兵士たちがこのように不満を抱えている状態が続くことにより、地域住民も不安を感
じることにつながる状況にもなりうる。そして、実際にこの不満が暴力や犯罪の引き金と
なった場合は、地域住民も一体となった DDR 批判を引き起こしかねない。それと同時に、
11
DDR のあとに続く和平・復興プロセスも、結局は信用できないと、和平の歩み全体に対す
る疑心を駆り立てる恐れもあるのである。
社会復帰プログラムを迅速に提供する必要性は認識されているが、ドナーからの資金を
管理する側の構造的な原因もある。社会復帰に必要な資金は、UNDP や世銀の管理する
DDR 信託基金を通じて、職業訓練を請け負う各 NGO に対して提供される。その際に、各
NGO の実施能力の把握しドナーへのアカウンタビリティーを確保するため、実施計画と予
算見積もりを事前に申請し、契約の承認を受ける必要がある。一方、最終的にどの職種の
訓練を何名の兵士が希望しているかは、動員解除が終わるまで把握できない。結果として、
動員解除が終わってから NGO の契約作業が終わるまで、除隊兵士が待たされることにな
るのである。この期間に生じるギャップを解消するために、社会復帰の準備が整うまでの
数ヶ月間兵士に短期日雇い労働を提供し、不満を和らげるストップ・ギャップ(Stop-Gap)
と呼ばれるプロジェクトが近年行われるようになっている。シエラレオネにおける
Stop-gap プロジェクトは、元兵士と周辺コミュニティの住民を 50%ずつ雇い、地域の希望
に応じた道路舗装・インフラ建設などの共同作業を実施した。それに加え、作業中の食事
も共にし、砂や材木・労働力など、コミュニティで調達可能なものは地域住民の貢献とし
て提供することを促した。結果として、単なる除隊兵士の不満のガス抜き以上に、地域社
会とのつながりを強める事業となったことが評価された19。アフガニスタンにおいても、
既に実施されている復興プロジェクトに、社会復帰待ちの除隊兵士を出来る限り吸収する
ような調整が他の援助機関との間で行われた。
先に述べたように、DDR が行われるタイミングは、和平プロセスにおいて政治的にも脆
弱な段階であることが多い。また、各派閥・武装勢力が何らかの理由を見つけ、自らの政
治的地位を少しでも強めようとする時期でもある。実際に、武装勢力が社会復帰プロセス
への不満を政治取引の材料とし、和平合意の不履行や現政権への糾弾を行うことはよく見
られる。このような状況においては、たとえ先述の Stop-gap のような短期的な措置であっ
ても、必要な支援と復興に向けた何らかの動きが現実に起こっていることを示すことが重
要となる。これにより、武装勢力による議論のすり替えを最大限に回避できるとともに、
国全体が未だ復興に対して不安感をもつ時期に、地域住民に一定に希望を与えることも出
来よう。
さらに、長期的な対策として今後優先的に取り組まれるべきなのは、社会復帰プロセス
における民間企業やビジネスの活用である。紛争直後の社会においては、一般的に、復興
支援を活用した建設事業は多い一方、それ以外の就業の機会が限られている。このため、
除隊兵士に優先的に限られた就業の機会を提供することで、他住民との軋轢が生じる事態
となる。そこで、限られたパイを奪い合うのではなく、パイ自体を拡大するため、新規産
業の発掘や新たなビジネス機会に応じた技能の習得を社会復帰の一環として行うことも出
19
シエラレオネにおける Stop-gap プロジェクトの概要については、
<http://www.ke.undp.org/UN21Awards-Winners.pdf>, p2
12
来る。これは、DDR のみならず、長期的な開発の観点からも効果的であるといえる。紛争
後の地域への民間企業の参入においては、治安に加え、不十分な電気・輸送インフラによ
る制約が足かせとなる場合が多いのも事実である。しかし、大規模でなくとも、農作物や
天然資源の簡易加工施設の提供などは、実際に現在アフガニスタンで徐々に実施されてい
るように、不可能ではない。これには、社会復帰プロセスの計画段階から、起業やビジネ
スの経験を有した専門家と協力し、将来的に輸出産業としても成立しうる分野を見据えた
支援を組み込むことが重要であろう。これにより、労働市場の拡大のみならず、経済基盤
自体の底上げを行うことができ、不十分な雇用機会の奪い合いによる不満や社会不安をあ
る程度解消する可能性もあるため、今後検討すべき点であると言える。
第2節
平和構築における DDR の役割と限界
前節では、DDR を実施する前提に基づき、その目的、プロセスおよび生じる問題につき
議論を行った。武装解除の失敗や不十分な社会復帰が原因で、紛争の再燃につながった場
合、DDR により治安の悪化と混乱が生じたと解釈されることは否定できない20。その一方、
DDR がプログラムとして成功裏に実施されたと評価された場合でも、逆に平和構築プロセ
スから見た場合望ましくない影響を及ぼす場合もある。本節では、DDR を実施することに
より社会に生じる不の影響と、その場合の DDR 以外の選択肢について分析したうえで、
平和構築プロセスのなかで今後 DDR が果たしうる役割につき考察したい。
2-1
DDR の概念の限界
冒頭に述べたように、紛争後に DDR を実施する傾向は近年高まっている。その一方、
DDR 実施を決定する前に、当該国の状況や紛争のコンテクストを十分考慮して決定がなさ
れているかは疑問が残る場合がある。この点につき、現在のハイチにおける国連 PKO の
DDR 統括責任者は、
「DDR は世界ですでに認知され、シエラレオネにおける成功によりハ
イチでも実施の機運が高まった経緯がある。しかし、実際にハイチの治安回復のために必
要なのは、武装勢力から武器と兵員を引き離す DDR ではなく一般の犯罪集団を対象にし
た暴力削減(violence reduction)である。この問題は国連 PKO が撤退した後も引き続き残
されるであろうし、我々がハイチにおけるプロセスを DDR と呼んだのは間違いであった」
と述べている21。冒頭に紹介した SIDDR のプロセスのように、DDR を如何に効果的に進
めていくかの議論が行われることは不可欠である。他方、ハイチの例のように、DDR を紛
20
United Nations, Lessons Learned Unit, Department of Peacekeeping Operation, Disarmament,
Demobilisation and Reintegration of Ex-combatants in a Peacekeeping Environment: Principles and
Guidelines (New York, December 1999), p16.
21
Personal interview conducted with Desmond Molloy, Chief DDR Section, MINUSTAH / UNDP on
25th January 2006
13
争後支援のパッケージとして実施することにより、現実のニーズと整合性が取れなくなる
事態が生じることもあると言える。
DDR を実施しても治安が改善できなかった、もしくは治安の空白が生じたとの理由で、
DDR が批判されることもある。治安の改善については、第 1 節で述べたように、DDR 単
独で達成できるものではなく、国軍・警察などの治安維持機を中心とする SSR、政治プロ
セス、さらに周辺諸国との和平も視野にいれて考える必要があり、ひとえに DDR に責任
があるとの議論は適切ではないだろう。その一方、現在のコートジボアールやアフガニス
タンのように、和平合意の段階で DDR の対象に含まれなかった武装勢力が存在する場合、
DDR を進めるにつれ、勢力の不均衡が生まれる恐れがある22。アフガニスタンにおいては、
ボン合意に参加しなかった民兵に加え、南部を中心に一定の勢力を保持していたタリバン
の存在により、DDR に応じた軍閥の安全が逆に脅かされる事態が生じた。さらに、DDR
実施前の協議の際に、米軍主導の連合軍による対テロ作戦「不朽の自由作戦」(Operation
Enduring Freedom: OEF)に協力している武装勢力は、たとえ DDR 対象である部隊所属で
あっても、OEF が終わるまでは DDR には参加させないとの意向が米国から表明された。
米国にとって、アフガニスタンにおける優先事項は、対テロ作戦と出口戦略(Exit Strategy)
の機能も果たしうる中央政権の基盤強化および新国軍創設であるため、他の復興支援はそ
の優先事項を妨げない形で行われるべきとの姿勢を表した事例であるとみることも出来よ
う23。このように、DDR の枠内で扱うには政治・治安上限界のある武装勢力を例外とした
結果、武装解除の完了後に引き続きこれらの武装勢力に対処するために非合法武装集団の
解体(Disbandment of Illegal Armed Group: DIAG)が実施されることとなった。この時期に
は、和平プロセスと対テロ戦も山場を越えた感があり、非合法集団の位置づけも変容して
きたために行えた決定であるといえる。しかし、DDR 実施時に存在したようなアフガニス
タン国内のイニシアティブを後押しするほどの原動力もなく、今後に残された課題は多い
と言える。
2-2
DDR による価値基準の逆転
DDR とは、和平プロセスの遵守と治安維持を極力重視するために、本来戦争中に犯した
罪に応じて裁かれる立場である兵士に対し、恩赦に加え社会復帰のための恩恵を与える事
22
上杉・篠田・瀬谷・山根、前掲論文、21 頁。
同様に、武装解除の初期段階に治安の空白が生じる恐れのある地域への新国軍の派遣を米国
に要請した際に、万が一被害が生じた場合に新国軍の権威が損なわれるとの理由で応じられな
かった事例や、大統領選挙に際する取引と引き換えに、DDR に応じていない軍閥に対し日本の
復興支援を別途提供するよう米国から要請が出された事例もあった。また、アフガニスタンに
おける米国主導の国際支援・平和構築支援体制の概要については、篠田英朗「アフガニスタン
平和構築の背景と戦略:DDR に与えられた役割の考察」、HIPEC 研究報告シリーズ No.2、広島
大学連携融合事業、2006 年、12-16 頁。
23
14
業である。特別犯罪法廷などは、ごく一部の武装勢力指導者を追訴するのみであり、戦争
中に起こった事実を被害者・加害者双方が語る真実和解委員会(Truth and Reconciliation
Commission: TRC)には、法的措置をとる機能はない。そのため、ほぼ全ての場合、脆弱
な和平プロセスを破綻させないためのいわば妥協の産物として、和平合意において兵士の
大半に恩赦を与える決着になる。アフガニスタンにおいては、一部の司令官を除き、兵士
を犯罪者と見る傾向はなかったが、社会的強者であるとの認識はあったと言える。そして、
司法改革が SSR の一角として和平プロセス当初から認識されていたにも関わらず、武装解
除の段階で戦争犯罪について議論することは、ただでさえ困難であった軍閥や司令官との
交渉を頓挫させるとして、意図的に忌避された経緯がある。最終的に、「移行期正義
(Transitional Justice)」の議論がようやく行われ始めたのは、DDR 開始から 2 年以上経過
し、武装解除がほぼ完了してからであった24。
とりわけ、武装勢力による暴力や被害が深刻である場合、しかるべき司法措置による一
定の正義が確保されないことに加え、加害者を優先して恩恵が与えられることにより、被
害者は 2 重の意味で不公平な状況に置かれることになる。紛争が起こった以上、物理的・
経済的損害や死傷者の被害をなかったものとすることは不可能である。しかし、現実には、
指導者層の経済的・社会的な既得権益争いが紛争の原因だった場合でも、停戦後には復興
のために各ドナーから当該国に対しても支援が行われることになる。その支援をもとに、
平和構築の一環として実施される DDR が、被害者の失望を増幅し、紛争の代償が被害者
に集中する構図を生み出している現実は見過ごされるべきではない。これに対し、被害者
に対する経済的支援を行うことにより、不公正感をある程度是正することも出来よう。し
かし、これにより解消されうるのは経済的な不公正感のみであり、正義が確保されないこ
とに対する失望は、妥当な司法・正義の確保を行うことによってのみ和らげられるといえ
る25。
現状で最も懸念されるのは、最終的には加害者は罰せられずに得をし、被害者は何の保
障もなく損をするという逆転したメッセージが、道徳的観念以上に身近な現実として、
DDR を通じて被害者・加害者双方に浸透し定着してしまうことである。この場合、短期的
にはその目的を達成したはずの DDR が、長期的には平和構築の本来の目的に反する効果
を生んでいることになる。紛争が繰り返し発生している国においては、いわゆる無処罰の
文化(culture of impunity)が、本来法執行をつかさどるはずの警察や司法を始めとする社
会全体に浸透していることも多い。そのような状況のなかで DDR を実施する場合、兵士
に対する無条件の恩赦を出来る限り避け、被害者や一般市民の信頼回復にわずかでも貢献
できるような経済的・社会的条件を付与する可能性を最大限模索しながら、プロセスを進
めていくことが重要であろう。その上で、実施可能な司法措置や支援は、できる限り多く
の対象者に遅滞のない形で実施することが必要となる。
24
25
上杉・篠田・瀬谷・山根、前掲論文、19 頁。
The Swedish Government Offices, op.cit., p30.
15
また、別の面で価値基準の逆転を生じさせるのが、DDR や児童兵にドナーの支援や研究
の関心が集中する現実であろう。当然、それだけ必要性が高く、取り組みの重要性が認識
されていることの表れでもある。その一方、シエラレオネのように児童兵と元兵士に世界
の関心と支援が集まった結果、コミュニティ内で元兵士は存在価値があるとの認識が徐々
に生まれた場合もある。その結果、DDR 終了後も元兵士自身が兵士であったことをアピー
ルし、援助機関に対しさらなる支援を求める現象が数多く起こった。これは、支援の集中
が、結果として社会的な価値観が逆転する事態に影響した一例であることは否めない。こ
のような事態を回避するためには、DDR は治安を改善する一環で行われるものであり、対
象者への支援は限定的であるとの認識を当初から広く啓蒙する必要があろう。
2-3
平和構築における今後の DDR の役割
DDR を行うことで、成果と同時に弊害が生まれることは認識されながらも、現実には紛
争後の復興において、DDR は不可欠な存在としての地位を確立しつつあると言える。和平
プロセスにおいて DDR を実施することが合意された以上、その現実を踏まえた上で必要
となるのは、単なる DDR 賛美または批判ではなく、平和構築のために DDR がより望まし
い形で果たしうる役割を建設的に考えることであろう。
第一に挙げられるのは、政治・政策レベルで合意した和平合意を施行する際に、DDR が
果たしうる起爆剤的な役割である。この段階は、和平政策を平和構築支援に移すプロセス
であり、とくに政治的に機微な合意内容を、対立勢力の抵抗を抑えつつ実行に移すことが
求められる。しかし、治安・政局も脆弱である時期であることもあり、合意に沿うような
勢力間での円滑な協力体制を築く糸口が見出せない場合、合意締結で生まれた和平への流
れが停滞し、膠着状態に陥ることも少なくない。そのため、この時期に、国際社会から多
大な政治的・金銭的支援を受ける DDR が現場の国連 PKO 等の優先事業として実施される
ことは、突破口として他の復興支援や SSR を開始する流れを作る効果があると言える。ア
フガニスタンにおいて、武装解除が停滞していた時期には目立った動きのなかった麻薬対
策や司法改革が、2004 年後半から大々的な取り組みを開始したことも、DDR がその時期
軌道に乗ったことと無関係ではない。また、今後 DDR 実施が予定されているスーダンに
おいても、UNDP 警察再建担当者と UNICEF の児童兵担当官は共通した見解として、「南
部スーダン政府は復興支援に協力的であるため、南部地域での支援が行いやすい。一方、
北部スーダン政府は、他国から干渉を受ける必要のない先進的な統治を行っているとの自
負がある。実態に反して、警察再建の必要性もないとの態度をとり、児童兵の存在も否定
しているため、北部において支援事業を行うことの出来ない状況が続いている。DDR が北
部地域においても開始されることが契機となり、その他の SSR・復興支援が行えるように
16
なることを期待している」26と述べている。これは、DDR が、他の復興支援の実施を助長
するための一定の役割を担っていることを表していると言えよう。
第二に、DDR を他の復興支援と効果的に連携させることにより、DDR に集まる国際社
会の関心と支援を、注目されにくい他のニーズにまで広げる役割があろう。既に行われて
いる例としては、除隊兵士に加えて他の地域住民、障害者、難民、国内避難民を裨益者と
することにより、包括的な支援事業を実施することが挙げられる。これにより、DDR の枠
を超えた平和構築支援において、何らかの措置がとられるべき問題に対しても裨益を広げ
ることが可能となる27。除隊兵士もあくまでコミュニティの一員であるとの前提に基づい
た 住 民 全 体 に 対 す る 支 援 を 行 う こ と で 、 経 済 的 自 立 を 軸 に し た 社 会 復 帰 ( economic
reintegration)だけでなく、地域と共存するための社会復帰(social reintegration)を促進する
効果も期待できよう。
第三に、復興支援における軍の役割について賛否両論ある近年の状況に対し、DDR の経
験を今後の平和構築支援における教訓として生かしていくことが出来ると考えられる。
DDR は、最終的に市民社会への統合を目指す試みであることから、民生部門が統括すべき
事業である。その一方、武装解除の部分は、武器の安全な回収や兵士との効果的な折衝の
ため、国連 PKO の軍事監視団(Military Observers)をはじめとする軍事部門からの協力を
得て進められる必要がある。社会復帰プロセスにおいても、元司令官や兵士の追跡調査に
おいて、情報面で軍の協力を得ることもある。つまり、DDR を実施する上では、試行錯誤
しながら軍との協力体制を模索することが不可避であると言える。DDR においては、情報
収集、治安確保、輸送等のロジ面における軍の協力が、効果的な支援の実施に貢献してい
る。その一方、民生部門との調整が不十分なまま、軍が独自の判断で DDR につき啓蒙し、
DDR とは異なった基準で除隊兵士を含めた復興支援を行った場合など、逆に地域住民の間
に混乱を招くこともある。そして、国連人道問題調整官事務所(UN Office for the Coordination
of Humanitarian Affairs: UNOCHA)のスーダン駐在軍民調整官によると、同様の軋轢が DDR
以外の復興支援においても見られるとのことである28。たとえば、南部スーダンに国連 PKO
として駐留しているバングラディシュ部隊は、軍活動に加え、積極的に地雷除去やインフ
ラ建設などを実施している。しかし、他の援助機関が持続可能なサイクルで実施している
スーダン人育成に主眼を置いた地雷除去訓練との調整は行われておらず、本来地域住民が
地雷除去員として得るための雇用機会を、費用対効果を気にする必要のない PKO 部隊が奪
っているとの批判も多い。今後は同部隊による農業支援も計画されているが、専門分野で
26
Personal Interview conducted on 10th and 11th February 2006.
シエラレオネにおいては、「コミュニティ内での和解促進」という要素のみでは支援が集ま
り に く か っ た 事 業 に 対 し 、 DDR 完 了 に 時 期 を 合 わ せ た 平 和 構 築 へ の 移 行 プ ロ グ ラ ム
(Reintegration and Transition to Peacebuilding Project)として、元兵士とコミュニティがスポーツ、
芸術、社会活動などを通じ交流する包括的なプログラムであるとの問題意識を明確にしたとこ
ろ、その必要性が認識された事例もあった。
28
Personal Interview conducted on 10th February 2006.
27
17
ない支援を如何に軍が責任を持って実施できるかについて、疑問の声も上がっている。民
生部門と軍事部門の協力に基づいた支援である DDR が、他分野において援助機関と国連
PKO 等の軍事部門の情報の共有の場を提供するなどして、何らかの道筋を提示する役割を
果たすことが出来るのは事実であろう。しかし、それと同時に、軍の復興事業への関与や、
援助機関と軍の協力の是非については、援助機関の方針や状況に応じて様々な見解がある。
そのため、本稿においては、問題提起に留め、その評価は別の機会に譲ることとしたい。
2-4
DDR 以外の選択肢の可能性
このように見ると、DDR は、最善に近い形で実施することが出来れば、和平合意、治安
改善、経済復興、和解問題など、中長期的に様々な分野を横断的に結びつけ、効果的な連
携を図ることを可能にする試みであると言える。しかし、裏を返すと、他の支援との調整
や配慮が不十分な形で実施された場合には、平和構築における様々な分野に対し、負の影
響を与えうるとも言える。DDR が、他の支援分野に与える影響を批判されることが多いの
はこのためでもあろう。そして、DDR が加害者や強者である兵士に無罪放免となる権利や
付加価値としての経済的恩恵を与える限り、紛争被害者や社会的弱者が感じる不公正感を
広げる側面があることは否めない。DDR への支援が集まる現状の陰で、このジレンマは必
要悪として見過ごされる以外に選択肢はないのであろうか。
ひとつの可能性を示すことが出来るのは、ハイチにおいて実施予定のイニシアティブで
あろう。これは、シエラレオネにおいて武装解除完了後の 2002 年から現在まで DDR の補
完的支援として実施されている武器回収と地域開発支援(Arms for Development: AfD)の
経験に基づいたものである29。AfD は、各コミュニティが、地域において基準を満たす数
の武器を回収することと引き換えに、希望する復興支援を受けることが出来るしくみであ
る。先に述べたアフガニスタンにおける民兵解体を目的として実施されている DIAG も、
この形態をとっている30。
ハイチでは、DDR に関する政治合意と政府の主導意識が欠如しているという制約があっ
たなかで、ほぼ唯一協力体制を構築しうる地域コミュニティに重点を置く AfD を選択した
側面もある。しかし、それが結果的として、地域社会に広く根付いている犯罪集団への対
処が優先課題であるハイチのニーズに即した形となったとも言える。現在の計画では、犯
罪集団の指導者層、武装した若者、女性などの個人を対象にした DDR の規模は極力抑え、
29
AfD の概要については、United Nations Development Programme, Arms for Development Draft
Annual Report 2004 (UNDP Sierra Leone, 2004).
30
ちなみに、カンボジアで実施された AfD においては、コミュニティごとに事前のアセスメン
トに基づき算出された数の武器回収することが求められた。また、シエラレオネにおいては、
コミュニティ内の全ての武器を回収させ、その後シエラレオネ警察を含めた掃討調査を行い、
隠し持っている武器がないことが確認され始めて基準を達成したと見なす手法がとられるな
ど、状況に応じてその内容には幅がある。
18
より包括的なコミュニティを対象とした AfD により、武器回収と復興支援の提供に重点を
置く予定である。31。政治合意の不在のため、現時点では元兵士に恩赦も与えられないこ
とになっており、DDR と AfD のプロセスに伴う形で、司法改革、警察再建、銃規制整備
が計画されている32。当然、政治的条件が整わないなかでプロセスを進めることの懸念も
ある。一方、シエラレオネの AfD も、コミュニティとの信頼醸成を根気強く行ったことが
支援の拡大につながった経緯があるため、同様の信頼構築が和平合意を形成する動きを側
面支援する可能性もある。何よりも、コミュニティ全体への支援に重点を置くことにより、
加害者・被害者間の格差を抑える試みとなることが期待できよう。また、国連 PKO と UNDP
の統合部署が支援を担当することにより、PKO が撤退した後も引き続き長期的な取り組み
を継続することが可能な体制となっている。
ハイチにおける試みは、未だ実施の初期段階であるため、今後の経過に基づいた評価を
行う必要がある。その一方、DDR の抱えるジレンマを最大限解消し、公平かつ効果的な平
和構築支援を実施するためのひとつの方向性を見出す糸口になる可能性もあろう。
第3節
アフガニスタンの経験を通じた日本の平和構築支援の道
アフガニスタンにおいて、日本が UNAMA と務めた DDR を主導する役割は、日本にと
ってのみならず世界的に見ても新たな試みであった。アフガニスタン DDR に対する日本
の関わりと成果については、別の論稿で検証を行っている33。本節では、アフガニスタン
DDR における経験を踏まえたうえで、今後の平和構築支援における日本の位置づけにつき
考えてみたい。
3-1
政治・政策面における日本の役割
日本のアフガニスタンにおける DDR 支援における役割が評価されたといえるのが、政
治・政策面でのイニシアティブであろう。これには、現地語に堪能な日本大使の派遣によ
り、カルザイ大統領をはじめとするアフガニスタン政府とも緊密な関係を築くことが可能
となったことが大きかったといえる。日本大使としての影響力を行使し、各軍閥や現地有
力者に対し交渉にあたったほか、DDR の主導国としての日本の立場を、国内メディアを通
31
UNDP, Projet d’appui des Nations Unies en faveur du Programme National de Désarmement, de
Démobilisation et de Réinsertion en Haïti: Plan de Travail Octobre 2005 à Juin 2006 (UNDP
Haiti/MINUSTAH/Government of Haiti, 2005).
32
Personal interview conducted with Daniel Ladouceur, Deputy Chief DDR Section, MINUSTAH /
UNDP on 15th November 2005.
33
上杉・篠田・瀬谷・山根、前掲論文。
19
じアフガニスタン国民に対し周知させたことは重要であったと言えよう34。親日感情の強
かったアフガニスタンにおいて、日本が DDR 実施を呼びかける役割を担ったことが、結
果として武装解除に対する猜疑心をある程度抑える側面があったと考えられる35。また、
国際機関での DDR 実施経験を持つ専門家を日本大使館の DDR 班長として派遣したことに
より、アフガニスタン政府および国際社会との議論を牽引する役割を果たすことが可能に
なったと言える。
一方、日本が DDR を主導することに対し、懸念が生じたことがあったのも事実である。
DDR の実施協議にあたり、日本と UNAMA に加え、連合軍、ISAF、カナダ、イギリス等
の他ドナー国からの協力や助言は不可欠であった。複雑な政治状況のなか、DDR 自体が和
平プロセスを促進する役割も担っていた状況を考えると、主導国と国連だけでなく、国際
社会が一枚岩になることが重要であったことは多くが認識していた。実際に、DDR におい
て形成された協力体制が、他の SSR 支援を議論する SSR 調整委員会(SSR Coordination
Committee)に引き継がれている事実も、その裏づけになると言える。そのような状況を踏
まえた上で、とくに顕著だったのが、日本の情報収集能力の弱さであろう。UNAMA や
ANBP には現地語に堪能で軍閥や地域情勢にも知見のある担当官が複数存在しており、政
治交渉や情勢分析に不可欠な存在であった。連合軍や ISAF も、独自の軍事情報および分
析力をもとに多大な貢献をした。他方、日本は、独自の情報収集が可能な DDR 担当の政
務官を重要なタイミングで派遣することが困難であり、大使館の人員体制で対応すること
も出来なかったため、結果として他機関が精査した情報に頼らざるを得なかった。たとえ
ば、イギリスなどの他国は、国防省・内務省等、鍵となる機関に効果的に人員を派遣し、
主導分野である麻薬対策支援に必要な情報を独自に入手していた。逆に日本の場合は、主
導分野であるはずの DDR の協議を通じて新たな情報を得て、外交や邦人保護に役立てる
ことが多かった。常に他機関から一歩遅れたタイミングで情勢を把握する結果となったこ
とが、DDR における日本の主導力評価に影響を及ぼしたことは否定できない。
日本が国連と同規模に適当な人員を派遣することは不可能であり、自衛隊の参加のみで
情報収集能力が飛躍的に改善すると考えるのも理想主義的である。その一方、各アクター
の思惑が複雑に絡む状況において戦略性の求められる支援を行う際には、たとえば DDR
のような「分野」の専門家に加え、外務省が重点的に育成している「地域」の専門家双方
の連携が不可欠であると言える。一般的に、ハード面(建設・インフラ整備等)における
支援より、ソフト面(人材・技術面等)における支援のほうが、はるかに少ないコストで
多くの情報を入手でき、影響力を行使できる側面もある。同時に、規模は小さくとも効果
的な配置により経験を積んだ人員を政府内外に蓄積することは、今後の平和構築実施にお
34
詳細は、駒野欽一「私のアフガニスタン:駐アフガニスタン日本大使の復興支援奮闘記」
(明
石書店、2005 年)。
35
武装解除の現場において、中堅司令官や兵士より、
「DDR を米国や国連が実施していたら武
器の供与には応じないが、日本が主導しているからこそ信用して参加する」との意見を聞くこ
ともあった。
20
いてのみならず、日本が効果的に外交政策を効果的に進めていく上でも有益であろう。
また、唯一 DDR の主導国を務めた経験も生かしつつ、今後日本が国際的な政策提言を
行う役割を模索していくことも出来よう。すでに日本が中心となった支援体制は構築して
いる人間の安全保障に加え、国連のもとに設立が決議された平和構築委員会にも積極的に
貢献し続けることにより、無償資金を通じた支援と併せた日本の支援政策が国際的な意味
を持つことになろう。
3-2 支援実施面での日本の役割
アフガニスタンの DDR を実施面から評価する際、日本が実施期間の三年間途切れるこ
となく、DDR の実施期間である ANBP に必要な資金援助を行ったことは、十分に評価さ
れるべきである36。DDR を実施するうえで、政治交渉と並んで重要となるのが、如何に必
要な資金を枯渇させることなく実施プロセスを進めていくかである。実際に、DDR 信託基
金にドナーから必要な資金が集まらなかったことにより、社会復帰支援の実施が停滞し、
DDR 自体が失敗に終わる例もある。また、資金不足から生じるプロセスの遅れを、武装勢
力が国際社会や現政権批判に利用し、政局が混乱に陥る場合もある。資金援助面において、
唯一日本に制約が生じたのは、ODA 大綱により、武装解除に関わる部分への拠出が行えな
かった点であるが、最終的には、イギリスやカナダ等他ドナーと調整することにより、対
応することとなった。シエラレオネの場合、DDR 資金の不足が深刻だったため、国連安全
保障理事会において国連 PKO の代表が支援を呼びかける必要があった。このような国際的
なアピールを準備するにあたっては、現場の実施機関が従来の DDR 業務に加えて多大な
労力を費やす必要が出てくる。アフガニスタンにおいては、日本が独自に資金拠出したこ
とに加え、他ドナーへ率先した支援の働きかけを行った。その結果、DDR 実施機関に及ぶ
負担が抑えられ、本来業務である DDR の実務に専念する環境整備に貢献したと言えよう。
一方、長年の開発支援における経験に基づき、日本が重点的な支援を予定していた社会
復帰において、日本の直接的な実務面での支援が限定的になったことは、今後への課題と
なろう。先述の ANBP への資金面での支援に加え、大使館から NGO に対して行われる草
の根無償支援は、比較的迅速かつ広範囲に実施され、DDR との連携も最大限行われていた。
また、国際協力機構(Japan International Cooperation Agency: JICA)の支援を通じ、ドイツ
の NGO が実施した除隊兵士支援のための労働市場調査により、具体的な雇用機会が数値
として算出されたことは、結果として軍閥や司令官と武装解除の交渉を有利に行ううえで
大きく役立った。他方、日本が実施した職業訓練指導員の養成を通じた社会復帰支援は、
除隊兵士の職業訓練が求められた時期よりもやや遅れて開始される結果となった。この背
36
日本は ODA を通じた資金援助として、DDR の実施機関である ANBP に対して約 9,100 万ド
ルを拠出したほか、他の援助機関を通じ、元兵士、難民、一般住民を含めた地域総合開発等に
対しても支援をおこなっている。
21
景には、ボン合意のスケジュールに沿って進展した DDR プロセスにおいて、急速に変化
する支援ニーズに既存の援助スキームを対応させていくことに多大な困難が伴った側面が
あったことも事実である。また、とくに DDR 開始直後は ANBP が武装解除の実施に重点
をおいていたこともあり、社会復帰支援において他援助機関との連携を行う準備が十分に
行われなかったことも要因として挙げられる。支援のタイミングを調整することが課題と
される一方、JICA の専門家制度を活用した経験は、今後の平和構築分野において、当該国
の自立を視野に入れた長期的な観点に基づく支援を日本が行ううえでの大きな可能性を示
すことになったと言える。たとえば、アフガニスタンの労働社会省への専門家派遣を通じ、
職業訓練実施能力を底上げする試みや、建設・農業分野の専門家の協力により、社会復帰
を側面支援する技術的な助言が与えられたことは、短期的な成果に重点を置くことが優先
とされる通常の社会復帰支援とは一線を画すものであったと言える。アフガニスタンの場
合、DDR を管轄する政府機関は、国防省および政策協議のみを行う DR 委員会であったた
め、日本の技術専門家を派遣するには適切であるとは言えなかったかもしれない。一方、
DDR の実施自体にも責任を負う政府 DDR 委員会が設立されている国に対しては、シエラ
レオネ等で世界銀行が実施しているような専門家派遣の可能性を検討する道もあるといえ
る。
第 1 節でも触れたように、復興支援と長期的発展の間に生じるギャップは、社会復帰支
援に留まらず、復興・開発の観点からも取り組みが行われるべき問題である。この問題を
克服するためには、新規産業に発展しうる分野における支援を行うことも有効であり、日
本の民間企業をより活用できた部分もあったと思われる。アフガニスタンでは、インフラ
整備に関わる復興支援における日本の民間企業との連携は積極的に行われていた面もあっ
た。元兵士の社会復帰支援や他の復興支援に対し、民間の視点を取り入れることにより、
新規産業の発掘や旧政府系工場の再建を現実的な再興に向けて行う可能性も皆無ではない。
技術専門家を見つけることが困難な起業分野において、日系企業職員を出向等の形で当該
国政府や援助機関、雇用創出プロジェクトに派遣するなど、民間セクターを柔軟に活用す
る支援体制を考えていく必要はあると考えられる。
また、日本の NGO の社会復帰支援に対する関与については、組織ごとの活動の優先度
やキャパシティの問題から、直接 ANBP と隊兵士支援の契約をする例は見られなかった37。
一方、政治・政策面でのニーズに応じて発足し、日本の NGO により運営された DDR 国際
監視団(International Observer Group: IOG)は、運営体制における課題はあった一方、NGO
による新たな支援のひとつの可能性を示す役割を担ったと言える。NGO が、如何に DDR
を含めた平和構築支援に携わるべきかは、優先事項や中立性の観点から様々な見解があろ
う。また、資金援助を受ける関係であれ、政府の意向に沿った平和構築支援の実現のため
にトップダウン的に援助実施機関や NGO が活用される体制は推進されるべきではない。
37
一方、独自に除隊兵士を含めた地域住民に対する職業訓練を実施する団体も存在した。
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一方、イニシアティブがどこから発するにせよ、現場のニーズがある限り、それに対応す
るための実施能力や支援体制が整備されていることが望ましいのは確かである。急速にさ
まざまなニーズが生じうる平和構築に対して、何らかの対応が求められる事態に備え、一
定の経験に基づいた支援オプションの蓄積を行うことは、政府、JICA、NGO に限らず必
要であろう。
アフガニスタンにおける社会復帰プロセスの完了は、2006 年 6 月が予定されている。し
かし、その以前の段階であっても、司令官や兵士の社会復帰の追跡調査と客観的な評価を
日本が提唱し実施することは可能だったであろう。ANBP が、独自に一部の除隊兵士を対
象にした追跡調査も行っている。しかし、第三者機関により客観的な社会復帰率と現状を
把握することにより、DDR が公式に完了される前に、大きな不満につながりうる問題に何
らかの対策を行うことができたであろう。司令官については、より政治・治安的な側面か
らの追跡調査が必要となろう。多くの DDR において、社会復帰支援が不十分であったと
して不満が残されることは多い。DDR は、そもそも治安確保や安定化を含めた包括的な効
果を見るべきとの観点から、明確な基準に基づいた評価が行われていないのも事実である。
しかし、平和構築の観点からの影響調査に加え、日本の今までの開発支援における経験を
生かし、社会復帰において客観的な評価を導入することを検討する価値はあると考えられ
る。
3-3
平和構築支援を含めた日本の選択肢
近年、日本国内の学生や研究者、援助関係者の間で、紛争問題や DDR、平和構築全般に
関する関心は高まっているといえる。教育の分野においても、大学の修士レベルにおいて
は、紛争と平和に関連するコースの数は増加しているほか、外務省や諸研究機関の後援に
よる危機管理や平和構築関連の短期研修、シンポジウムの場が設けられるようになってき
た。また、日本人の国連職員の不足、平和構築に関わる人材の不足に対し、国連採用ミッ
ションの招致、JPO(Junior Programme Officer)制度の運用により、とくに若手レベルへの
雇用機会の提供は積極的に行われている38。今後、政府主導で実施の余地があるのは、若
手職員に比べてさらに少ないといわれる幹部レベルでの日本人の国連への派遣を、ODA 支
援などと組み合わせて効果的に行うことであろう。一方、人材育成は政府のイニシアティ
ブだけで成り立つものではなく、その他の方法でも各個人が援助機関において必要な経験
を積む機会は多い。このような経験を自発的に重ねる人口が増えることで、国際機関・援
助機関で求められる要件を満たす人材が自然と育っていくものと考えられる。
他方、このような分野と接点がない人々が、新たに関心を得る機会が限られていること
38
JPO 制度は、外務省主催で毎年行っている国際機関への派遣制度で、この選考試験に合格す
ると原則 2 年間の任期で、派遣取決めを結んでいる国際機関に若手の P2 レベルの職員として
派遣される。
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も事実である。アフガニスタン国内および国際会議等においては、アフガニスタン DDR
における日本の主導的な関わりがある程度認知されている一方、日本国内においては、そ
の事実すら一般的にはあまり知られていないのが現実である。過去に実施されてきた DDR
東京会議やシンポジウムに加え、より一般向けの PR や広報を行うことにより、今まで同
様の問題に触れる機会がなかった人々に認識を広めることも可能であろう。この議論のひ
とつとして、メディアの役割が挙げられることがある。ごく一部の例を除き、必ずしも広
い関心があるとはいえない国際問題に比べ、高い関心と視聴率の期待できる国内に根ざし
たコンテンツを流す傾向を、資本主義とジャーナリズムの間に存在するジレンマと指摘す
る声もある39。一方、これは、メディアのみを切り取って論じられるべきではなく、結局
は外交政策を含めた日本の社会構造の一部を反映した問題として捉えるべきであろう。
DDR を含めたアフガニスタンおける復興支援は、日本の重点支援国における重点支援分
野として、資金・人材面で多大な貢献が費やされることとなった。一方、純粋に現場のニ
ーズに対して行われる平和構築支援は、日本の外交政策全体から見た場合、主流となるに
はいまだ程遠い存在であると同時に、極めて複雑な立場に位置づけられていることも事実
である。たとえば、イラク問題と自衛隊派遣に関する報道は、日本においても日常的に行
われ、国民の間にも認識は比較的広まっている。その一方、政府がイラクに対する自衛隊
の派遣を「国際貢献」と呼ぶことと、アフガニスタン DDR において日本が非武装で主導
したような「平和構築」の違いが、一般的に認識されているかについては疑問が残るとこ
ろでもある。イラクに対する自衛隊の派遣は、イラク戦争が始まった経緯や、空爆による
住民の被害に関わらず、日米関係を機軸とする日本の安全保障に基づく「外交政策主導型」
の判断のもと行われた。そして、それは現場の住民の平和に対するニーズに基づいて行わ
れる「平和構築内在型」の支援とは一線を画すものとして認識されるべきである。アフガ
ニスタンにおける例だけを見た場合も、日本は DDR に代表される平和構築支援を行う一
方、自衛隊により連合軍の対テロ戦に対する燃料補給活動をインド洋にて行っている。平
和構築支援においては一貫して国連を軸にした支援を行ってきた日本は、外交政策の優先
度に基づき、必ずしも国連の決議に基づくものではない形で紛争問題にも同時に関与する
という複雑な立場に置かれている。異なる方針から生みだされるこの矛盾は、日本の政府・
社会においてのみならず、国際的にも今後より顕在化していくであろう。その一方、アフ
ガニスタン DDR における日本の役割は、国際的に比較的中立的な立場であるとの認識が
残されていた日本だからこそ可能であったとも言える。その経験を重視し、平和構築に基
づいた支援を重視する国として、日本が将来的に国際社会においてに果たせる役割を模索
する道もあろう。今後の日本のあり方の推移については、引き続き注目していく必要があ
39
これに対し、独立系ジャーナリストにより、現場での実施取材を軸にしたインターネット配
信等の新たな報道機会の発掘や、映画の形での情報発信の提供などの試みも行われ始めている。
フリーランス・フェスティバル、東京大学大学院情報学環、アジアプレス・インターナショナ
ル、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会、Days Japan 主催(東京、2005 年 12 月 10 日)。
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る。
おわりに
本稿では、今後も復興支援において一定の役割を担うことが予想される DDR につき、
まず第一節において、その目的とプロセスを概観する作業を行った。そして第二節におい
て、DDR が平和構築において果たしうる役割を、肯定的側面と否定的側面から確認し、さ
らに DDR 以外の可能性も含めた代替策を模索する作業を行った。第三節においては、ア
フガニスタンの DDR において、日本が政策、政治、実施面で果たした役割を検証したう
えで、今後日本が平和構築支援へ関わっていくうえで生じうる矛盾と議論の整理を行った。
DDR が実施されるようになってから 10 年以上が経ち、既に援助としては新しい概念と
は言えない段階に差し掛かっている。一方、実務家や経験の蓄積は、ようやく行われてき
た段階であるのも事実である。DDR は、複雑な政治・治安状況など、外部要因に多分に影
響されるプロセスである。それゆえ、紛争が再燃し中断された場合は明らかな失敗とされ
る一方、滞りなくプロセスが終了した場合も、平和と安定の観点からは、何を持って DDR
の成功と断言するか、その基準がいまだに曖昧である。和平合意前後の時期は、それまで
断絶していた社会のなかで、それぞれの当事者が前進か後退かを見極めつつ、生き残りを
かける最も不安定な時期である。そのため、主要な紛争に関与した集団を解体し、それぞ
れの当事者を社会に回帰させる作業をこの時期に行う DDR は、それ自体が新たな社会の
再構築を体現するプロセスであるとも言えよう。和平、政治、司法、治安、開発、和解な
ど、紛争を経験した国で避けて通ることの出来ない課題ほぼすべてとの関わりが生じ、時
に軋轢やジレンマを生むのもそのためであろう。そして他の問題との関わりが大きいだけ
に、失敗したときの影響も計り知れないという、諸刃の剣であるとも言える。
DDR をアフガニスタンで実施しなかったら、または日本が主導しなかったら、との仮定
に基づく議論は、既に DDR が日本の主導で行われている現段階においては、代替策が提
示されない限りあまり意味を持たないのかもしれない。一方、今後 DDR を実施するか判
断する際には、状況に応じた適切な検証が十分に行われるべきである。プロセスが失敗し
た際に最も影響を受けるのは、援助機関でもなく、ドナーでもなく、研究者でもなく、意
思決定プロセスに声を届ける機会も限られている現地の住民であろう。
本稿で考察したように、現在実施しうる支援のなかで、DDR は紛争による被害を受けた
社会の最大公約数のニーズを満たす試みであると見ることもできる。しかし、それと同時
に、DDR 以外の支援を引き続き模索し選択肢をふやすことにより、柔軟に紛争や社会の状
況に応じることも求められる。アフガニスタンにおける日本の経験は、日本が今後どのよ
うに紛争と平和の問題に関与していくか、その可能性のひとつを提示する役割を担ってい
る意味で、極めて重要であったと言える。
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