蟷螂の斧

AJELC Newsletter No. 3
November 20, 2005
目次:
巻頭言
第 3 回例会報告
第 3 回例会に参加して
鈴木 博
坂井 孝彦
羽鳥 博愛
小嶋 義勝
中島 優子
三宅 美鈴
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4
4
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私の研究
水野 晴光
服部 久美子
坂内 正
第 3 回例会予告
河内山 有佐
浅野 博
事務局よりお知らせ・編集後記
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AJELC とは、Association for Japanese and English Language and Culture(日英言語文化研究会)の略
です。日英の言語文化に関心のある方々が集まり、研究活動を行っています。
蟷螂の斧
鈴木 博
差だけでなく、国家の経済的な利害を優先さ
せる政治の論理がある。同盟関係にある日米
間でさえその問題がある。昭和59年に東大
の坂本健氏(現教授)がパソコンの基本ソフ
トとしてトロンを開発し全世界に無料公開し
たところアメリカの強引な働きかけによって
その動きが止められ、まもなくウインドウズ
が世界市場を制することになったのはその一
例である。異文化間理解の地道な教育などは
国家の経済的な利害の前には所詮は蟷螂の斧
なのかも知れない。
そのように悲観的になっていた時に、NHK
のテレビ番組「世界へおくる平和へのメッセ
ージ~日野原重明と小澤征爾 共鳴する魂
~」に出会った。92歳の現役医師と指揮者
小澤征爾の呼びかけで行われた行事のドキュ
メンタリーである(2005 年 11 月 3 日 BS-2
放送、11 月 10 日ハイビジョン放送)
。外国語
で意思を伝え合い、平和共存の可能性を信じ
てその実現に邁進する人々の熱意が痛いほど
伝わってきた。まだまだ可能性はある。蟷螂
の斧などと悲観的になってはいけないと思っ
た。
(東京大学名誉教授)
私は、外国語(英語)教育、言語と文化、
異文化間コミュニケーション、および音声学
の研究と教育に42年間たずさわったが、そ
の間ずっとそれらが間接的にではあっても世
界の平和へ貢献するという信念というか願い
を持ち続けていた。英語を初めとする外国語
を学ぶこと自体がそうであるが、学習した言
語を通して文化を異にする人たちとの意思の
疎通が行われると相互理解が進み、それが相
互の文化的差異への敬意と共存の愉しみと意
欲につながると思ったからである。授業をし
ていると、その考えが間違っていないと思う
ことが少なからずあり、心強く感じたもので
ある。社会の動きも、少なくとも対人的なレ
ベルでは文化的な差異を相互に認め合いなが
ら共に生き歩む方向へ向かっているように思
えた。
しかし、昨今の国際状況を見ると残念なが
らその考えは甘すぎると思わざるを得ない。
欧米各国とイスラム文化各国との争いは文明
の衝突の不可避なことを示している気がして
くる。その背景には宗教を基盤とした文化の
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November 20, 2005
第 3 回例会報告
研究発表
「英訳比較:日本人の心の歌-情感の示し
方/伝え方-Greg Irwin /中野一郎/ Susan
Osbornの各英訳歌詞から」
坂井 孝彦
日本人の心の歌「赤とんぼ」「浜辺の歌」
に対応する各三種類の英訳詞を併記してその
心情と情感の示し方/伝え方について比較考
察した。
名詩歌から連想されるアナログ的な連続画
像/音感/味覚などに日本語母語者は理屈抜き
ですぐに同調同化する。こういう名歌詞を英
訳化する場合には、日本語の言語共同体の中
での前提事項や内輪的な暗黙了解事項を見抜
いて,訳詞にはこれを補足しつつ,言霊から
の汲み取り可能な情感/感慨と英語にはつき
ものの理屈とをないまぜにして人生への考察
や感嘆を,論理を凝らして語るようにせねば
ならない。英語で描写される情景は多数の断
続的なデジタル静止画から選んだ一枚の輪郭
の明確な切り絵的な静止画の世界である。英
語における美的情景描写では透明感のある心
象風景が優先する。こういう心象が理屈を織
り交ぜて筋を通して紡ぎ出されていかなけれ
ばならない。言霊とロゴスがないまぜにされ
て新たに創造されるもの―これが英訳詞のよ
うである。
中野の訳詞は原詞の意味内容を忠実に逐語
転換したdirect correspondenceに近く,日本
語の言語的特徴が訳詞中にも散見される。中
野は黒子に徹して忠実訳を志向している。こ
うした忠実訳によれば日本人には明白な季節
感/寂寥感などの情感が訳詞読者にも受容さ
れ易い形(receptor-friendly)で伝播されて
いくのであろうか。
Irwin訳/ Osborn訳がその答を暗示する。英
語人は赤とんぼをa dragonflyとしただけで
は秋という季節感を連想してくれないらしい。
秋の季節感を醸成するのにIrwinはその訳詞
に季節を明示するlate in November
という語句を訳補する。この工夫が原詞全体
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に漂う秋の季節感を具象化する。Irwinの英訳
は翻訳上の問題点を克服する適切な処方箋-
補足/削除/変容/語句選択/語句配列の工夫-
にあふれ,点描的和文を線描的英文に転換さ
せて,論旨を貫く動的等価訳(dynamic
equivalence translation)としている。一語
一訳を超え,忠 実さ/麗しさの両立を図り,
訳詞読者にこなれた意訳詞を提示している。
Osbornの英訳は訳詞読者に受容され易い麗
しさを提示している名訳詞である一方,原詞
の意味転換に関しては忠実さを欠く。Osborn
の印象画風/創作風な訳詞は原詞の雰囲気/詩
情を訳詞のなかに彷彿させている一種の機能
的等価翻訳(functional equivalence
translation)である。原詞作者の心境になり
きりそれを心とした受け手志向の訳詞を創造
している。
日本文化圏での通用事象の受け止め方が英
語文化圏では異なることもあるので,翻訳を
単なる言語的変換に留まるものとしないで異
文化変換の行為として捉えていくことが大切
になる。Irwinの動的等価翻訳やOsbornの機能
的等価翻訳が示唆する文化の伝え方にはこの
観点からも見習うべき点が多い。
(明治大学非常勤講師)
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講演
「擬態語を通して日本語の動詞にせまる」
めることが大切で、他の同種の論文から例を
引用してすますべきではないと述べた。
また、H.E. Palmer の「英会話の理論と実
際」では、一つの英文に幾つもの訳語をつけ
ると学習者は後で活用できる。一つだけの直
訳的な訳では役に立たないと言っていると、
次の例をあげた。The weather was perfect.
は「天候は完全だった」では不十分で、
「申し
分のない天気だった」とか「理想的な上天気
だった」にあたると教えるのが望ましい。最
初の訳だけでは生徒はこの英語は使えない。
英語の教師は擬態語などを使って、英語を日
本語らしく訳すことを工夫するのも大切であ
ると教育論にまで及んだ。
(東京学芸大学名誉教授)
羽鳥 博愛
ねずみの鳴き声を「チュウチュウ」と表し
たり、火が燃える様子を「パチパチ」と表す
のが擬音であるが、なんとなくその雰囲気を
表す「がっぽり儲ける」や「すっぽり包む」
の『がっぽり』や『すっぽり』のような語を
『擬態語』と言う。擬態語は日本語には非常
に多く、ちょっと気をつけていると、日常の
会話の中にいくらでも見つかる。
このことは国立国語研究所編の「談話語の
実態」
(秀英出版)でも指摘されている。同書
によると、或る調査では 318 語中、擬態語や
擬声語は 115 語(36%)もあると言う。擬態
語は副詞だから、副詞が多いということは日
本語では動詞が多く使われる、つまり日本語
は動詞中心でなりたっている言語だというこ
との1つの証明であるというのが今回講演者
が言いたいことの要旨であった。
当日は、英語に対して与えられた訳語、日
本語に対して与えられた訳語のそれぞれのお
もしろい実例(いずれもベテランの役)が幾
つか示された。
They
spoke
softly
like
children
whispering in school. (彼らは学校でおしゃ
べりしている生徒のようにひそひそと話し
た。)
Tommy has been running heavy-footedly
from one room to another. (トミーは部屋か
ら部屋へとどたばたと駆け回っていた。)
今日はくたくたに疲れた。→ I’m utterly
exhausted today.
靴の底にガムがベットリとくっついてとれ
ないんだ。→ I’ve got some chewing gum
stuck to the sole.
こういう例を見るとたしかに、英語の表現
を辞書にあるような訳語で訳していたのでは
感じが出ないが、日本語の下線部のように表
現するとそれがいかにも日本語らしい。これ
はよく言われる日本語は情緒的言語だという
ことを示している。
講師は日英語比較の在り方として、この種
の研究では、生の実例を自分で探して論を進
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國吉先生を初め多くの先生方と親交を持つ事
ができたのは、思いもよらない喜びでした。
お世話をして下さいました先生方に心から感
謝申し上げます。戦艦大和、呉の町から出か
けてまいりますので、今後ともよろしくお願
いいたします。
(広島国際大学助教授)
第 3 回例会に参加して
第 3 回例会は、後期開始直後であり、入試、
学園祭等と重なった先生も多く、参加者は
あまり多くはありませんでしたが、初参加の
方も数名いらっしゃり、新たな出会いが生ま
れました。今回も数名の方からご感想をお寄
せいただきました。
小嶋 義勝
坂井孝彦先生のご紹介による「赤とんぼ」
の英訳詞3種類が互いに大きく異なることに
驚きました。外国人訳者の一人が「小焼け」
の理解に非常に苦しんだというお話では、異
文化理解の難しさを改めて実感致しました。
羽鳥博愛先生による擬態語のお話の中で、
「むっくり」に対する英訳が和英辞典間でか
なり異なっているという御指摘がありました。
擬態語の持つ意味の広がりや豊かさと、同時
にその曖昧性を再度認識させられました。
両先生に心より感謝申し上げます。
(千葉県立市原高等学校教諭)
中島 優子
第3回例会に出席させていただきました。
坂井先生の発表では、
「赤トンボ」の歌の英訳
を読み、実際にテープを聞きながら、英訳の
難しさに改めて気づかされました。羽鳥先生
の発表では、日本語と英語の擬態語を比較し
ながら、2 つの言語を訳すことの難しさを痛
感しました。大学生を対象とした英語指導で
は、このような点が肝心であるというご指摘
は、大変勉強になりました。これからも本研
究会に積極的に参加したいと思います。
ランカスター大学大学院(大学院生)
三宅 美鈴
坂井先生の日本の童謡を例にとられた興味
深いご考察を拝聴し、翻訳の難しさを再認識
させられました。また、羽鳥先生のご講演で
は「むっくり」が「突然」なのか「おもむろ」
なのかの日本語論議や「学生には使える日本
語」を伝授すべきだとのお言葉が印象に残っ
ております。例会後の懇親会では、奥津先生、
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認できるようになる。したがって、ある単語に
私の研究
ついての熟知性があればあるほど、ますますそ
ことばの慣れのプロセス:日常語と専門語
れを再認するのに要する時間も短くなる。この
ことから、単語を再認することが、読みのプロ
水野 晴光
セスの決定的な構成要素であることがわかる。
英米人が日常使用する単語に対する慣れを
外国語の学習で、絶えずわれわれの頭を悩ま
身に付ける一つの方法として、1,000 語以内の
すのは未知の単語の意味であろう。たとえば、
語で書かれた本を大量に読むことが考えられる
英語の単語にしても、ある単語の意味は一つと
であろう。しかし、この種のリーディング教材
は限らない。だから文章を読む場合、その文脈
は幼児向き、青少年向きのものが多く、大人が
で、ある単語が辞書に載っている何番目の意味
満足できる内容のものは数も限られているので
で使われているかを決定することは、とりわけ
痛し痒しの感無きにしも非ずであろう。そこで
学習初期の大きなハードルである。
私は、2 年前、今日の英米社会で日常多用され
イリノイ大学の語彙調査では、高校卒業程度
ている基本語約 1,000 語から成るグローバル・
の人が持っている平均的な語彙数は約 45,000
イングリッシュの日英対比例文教材『基本語英
語から 60,000 語であろうと推定している。し
会話 Be, Have, Go, Go!』を Z 会出版から出し
かし、英米人が日常生活で行うコミュニケーシ
ていただき、幸いにも大変好評を得たので、私
ョンの 90 パーセント強は、基本的な 1,000 語
のゼミの学生などにすすめている。
以内の単語で行われているのである。他方、専
(神奈川大学教授)
門用語も、その分野の原書に絶えず接していれ
ば、それらの単語が異なった文脈で絶えず現れ
る。その結果、それらの語は 2〜3 カ月もすれ
シェイクスピア受容と映画
ば馴染みのあるものとなり、自由に意味がとれ
るようになる。単語の慣れ(熟知性)は、異な
服部 久美子
る文脈の中でその語に接する頻度数に大きく左
右されるといえる。
しかし、新聞やジャーナルなどを万遍なく読
幼いときに読んだ世界児童文学全集に、ハッピ
んでいる場合は、なかなかことばに対する慣れ
ーエンディングに終わる『リア王』があった。ネイア
がつき難い。これは新聞やジャーナル特有の単
ム・テイトによるシェイクスピア改作をそのまま子供
語や慣用法がある上に、内容のジャンルもあら
用に適用したものである。その対局をなすように、
ゆる分野にわたっているため、単語の熟知性が
日本でのシェイクスピアの受容の歴史は、高邁な
形成され難いことによるものと考えられる。
文学、学問という衣をまとってきた。しかし、当時の
一般に成人は、読む際にすぐに利用できる複
民衆が放つ奔放、ダイナミックなエネルギーは、同
雑な視覚的情報の膨大な蓄積をさまざまなとこ
時に繊細で人としての優しさと苦しみに満ち、現実
ろから獲得する。そこで、人がある単語を読む
や歴史を見据える冷徹な意識を底流としてかいま
とき、統一的な知覚が自動的に瞬時に、しかも
見せる。本を手に取り、繰り返し作品を精読して、
無意図的に生じる。この現象はストループ効果
せりふの華麗さ深さ、そこから生まれる想像の広が
とよばれる。その結果、単語をまとまりのある
りに魅せられることはもちろんであるが、この多元
単位として再認する能力が獲得されてくるので
性は舞台上で演じられることで本領を発揮する。
ある。つまり、われわれは、一つの単語に出会
語られるせりふの音やリズムの美しさ、せりふが紡
う機会が増えれば増えるほど、ますますその単
ぎ出す世界の壮大さには、上演の度に新たな感
語に馴染むようになり、ますますそれを早く再
動が呼び起こされる。
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AJELC Newsletter No. 3
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昨年『シェイクスピア映画論』の翻訳を出版した。
認知されていない。
「言語文化とはすなわち『文
シェイクスピアが世界中で世代を超えて受容され
学』を指すのである」と断定なさる英米文学の
ている一つの証が、シェイクスピア作品の映画化と
大家もいらっしゃるので、比較言語学ならまだ
いえる。演劇というジャンルを超えて、オーソン・ウ
しも比較文学と間違えられる場合もある。
ェルズ、ローレンス・オリヴィエ、ケネス・ブラナーな
どんなことに関心をもち・例を探したり・分
ど、優れたシェイクスピア俳優が作品の映画化に
析したり・考察を加えるのかを説明させていた
取り組み、舞台とは違ったシェイクスピア受容を開
だく機会があっても、ひどい言い方をなさる方
拓してきた。日本の優れたシェイクスピア受容とみ
だと「あ、要するに翻訳とかに役立つかもしれ
なされる黒澤明監督による映画『蜘蛛巣城』、『乱』
ない雑学の類ね」と片付けられてしまう。私と
は世界的に高名である。映像という新たな表現手
しては、「音素や音節構造の特徴と『漢字かな
段を得て、シェイクスピア作品は更に幅広く人々の
交じり文』という表記上の特徴との組み合わせ
心をつかんだ。古典におけることばや文化が世界
が、日本語を『文字で表記した場合の認識度が
を駆けめぐり、変化しながら人々をつなげてきたの
高い言語』にしている」ことを明らかにしたい、
である。
という考えも持っているし、また、日本語の言
映画では、原文のせりふは相当の割合でカットさ
語文化が中国語や朝鮮語(韓国語)から受けた
れ、華麗なことばは映像言語で置き換えられる。演
影響にとても強い関心がある。英語の言語文化
劇台本である原本と映画作品の間には緊張感が
がラテン語やギリシア語また特にフランス語か
存在し、それぞれの映画が抱えるテーマや時代の
ら受けた影響との対照、という意味においても。
最近、英語に由来するカタカナ語についてい
特殊性が浮かび上がる。オリヴィエの『ハムレット』、
ロシアのコージンツェフの『リア王』など、私たちは
ろいろ気になることがあって(ということは逆
過去の優れた材料を得て、ことばや文化を含む比
に英語以外の言語に由来するカタカナ語にも敏
較研究をすることで自分が所属する時代や文化を
感になっているということだが)、「そもそも
自覚することができる。ことばと文化のつながりは、
語彙の保持と受容に関わる私たちの態度はどう
また新たな地平を獲得することになるのだ。
いうものなのだろう」などといまさらながらの
時代を超えて、異なる文化とことばを超えて、シ
疑問を強く意識するようになってきた。外来の
ェイクスピアの時代には存在しなかった映像という
言語文化の取り込みは、一般的には英語にも日
メディアを得た今、日本人としてどのようにシェイク
本語にも共通する興味深い点の一つだと思うが、
スピアを受容するのか。これが現在の私の研究テ
私自身がまだまだ知らない・解っていないこと
ーマである。
が多すぎるためになかなか考えがまとまらない、
というのが実情である。それでも、若い学生た
ちの刺激的な質問や情報提供に励まされながら、
たっぷりの好奇心と ちょっぴりの使命感
「一緒に学んでいこうよ、もっと英語のこと・
日本語のこと」精神で頑張っている。
坂内 正
今日教えたことが「明日、使えるものばかり」
(テレビ番組『トリビアの泉』のキャッチ・コ
ピー)、そんな講義を目指しながら好きな勉強
勤務先の短大英文学科で2年次専門選択科目
の一つとして『日英言語文化比較』という科目
を続けられる身の幸せをつくづく噛みしめつつ、
を教えるようになってから、ちょうど10年にな
日々をおくっている。たっぷりの好奇心とちょ
る。「日英言語比較」であれば、科研費の分類
っぴりの使命感を持って。
(北星学園大学短期大学部教授)
でも言語学・音声学の研究分野の領域の一つと
して公式に認められもするが、私の関心の対象
である「言語文化の比較」というのは、あまり
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16:10-17:10 講演
第 4 回例会予告
浅野 博(筑波大学名誉教授)
第 4 回例会を次の通り開催いたします。皆様
「英文法の指導と文化の問題」
<講演要旨>
お誘い合わせの上、ぜひご参加くださいますよ
言語と文化が密接な関係があることは誰しも
うお願い申し上げます。
否定できない。だとすれば、言語の規則である
日時:12 月 10 日(土) 15:00-17:30
文法も文化と関係が深いことは当然である。で
場所:明治大学駿河台校舎
はなぜ、文法指導は面白くないと嫌われるので
リバテイー・タワー 1113 教室
あろうか。日英語の「命令文」を例に、文法の
JR 中央線・総武線 御茶ノ水駅
指導と考え方の本質に迫りたい。
御茶ノ水橋口下車 徒歩 5 分
17:10-17:20
内容:
15:00-15:05
17:45-
会長挨拶
諸連絡
懇親会(兼 忘年会)
会場:お茶の水・神保町周辺
15:05-15:55
会費:4,000 円-5,000 円程度
研究発表
「CALL教材に見るジェンダーと対立表現」
河内山 有佐(和洋女子大学専任講師)
<発表要旨>
本発表では、英語のCALL教材における会話ス
トラテジーとジェンダーの関係を、男女の対立表現
の使用に焦点を当てて考察する。欧米の先行研
究を見てみると、言語使用における男女間の違い
は、音韻レベル、語彙レベル、文法レベルから談
話レベルに至るまで顕著に現われており、特に
1990年代以降の研究では、会話のスタイルに男女
差があるとするものが多く見られる。対立表現のス
トラテジーに関しても男女間の違いが報告されて
おり、男性は断定的な言い切りの対立表現を用い、
女性は、直接的な言い方を避け、曖昧にぼかすと
いう手段を用いる傾向があると言われている。今回
は、このように談話分析を通して解明が進んでいる
表現の適切な使用法が実際に日本で使用されて
いるCALL教材の中の会話に用いられているかど
うかを探る。
15:55-16:10 休憩・情報交換
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AJELC Newsletter No. 3
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3.Newsletter への寄稿のお願い
事務局だより
今回から、会員の皆様の研究について紹介す
る「私の研究」というコーナーを設けました。
今後、いろいろな方にご執筆いただきたいと思
事務局から3点ほどご連絡をいたします。
っております。どうぞよろしくお願い申し上げ
1.第 5 回例会について
ます。
第 5 回例会は偶数月に行う予定でおりました
また、日英語比較に関する新刊書、ならびに
が、2 月は入試業務で多忙な時期でもあるので、
会員の方の新刊書の書評を Newsletter にてご
3 月 11 日(土)に明治大学駿河台校舎リバティ
紹介することになりました。こちらにつきまし
ータワーにて開催することになりました。詳細
てもぜひご推薦いただきたくお願い申し上げま
は次号の Newsletter にてお知らせいたします。
す。
なお、前号の Newsletter でもお知らせいた
しましたように、講演ならびに研究発表をして
くださる方を募集しております。日英語の比較、
文化、英米文学、英語学、英語教育に関する発
表等をお願いしたく存じます。自薦・他薦は問
いません。事務局までご連絡いただきたくお願
い申し上げます。
2.お詫び
前号の Newsletter にて、第 4 回例会の期日
を 12 月 8 日(土)とご連絡いたしましたが、
12 月 10 日(土)の誤りです。ここにお詫び申
し上げます。
また、期日の誤りをご指摘くださった会員の
皆様に厚く御礼申し上げます。
編集後記:今回より企画委員の葉田野不二美氏が
編集に加わることになりました。過去 2 号は 1
人での作業でしたが、葉田野氏が加わってくれた
ので、心強い限りです。今後も一層充実した
Newsletter を作成したいと思います。(C.B.)
AJELC Newsletter 第 3 号
2005 年 11 月 20 日 発行
発行人:奥津 文夫
編集:AJELC 事務局 馬場 千秋・葉田野不二美
発行所:〒185-0014 東京都国分寺市東恋ヶ窪 3-10-51 馬場千秋方
連絡先:Tel/Fax: 042-328-4066 E-mail: ajelc@hotmail.co.jp
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