腎臓と代謝のシステム生物学入門 - University of California, San Diego

System Biology of Kidney and Metabolism for Beginners
腎臓と代謝のシステム生物学入門
University of California, San Diego
Rintaro Saito ♢ 斎藤輪太郎
2015 年 11 月 25 日
腎臓について学ぶ意義
恐い病気といったら、何を思い浮かべるだろうか。例えば「癌」を浮かべる人は非常に多いだろう。
確かに癌は命に関わる未だ恐ろしい病気である。厚生労働省の資料によれば、継続的な医療を受けて
いる患者は 152 万人 (平成 20 年) いるようである。しかし、腎臓病の患者数はそれより一桁多い 1300
万人である。
実は腎臓病も恐い病気である。腎臓で一度機能が失われた部位は多くの場合、二度と回復しないし、
病気が進行すれば、定期的に血液を機械で濾過する人工透析が必要になる。さらに病状が悪化すれば
命すら脅かされる。従って健康な生活を維持するということだけを考えても、腎臓について勉強する
ことには大いに意義がある。
筆者は腎臓の専門家ではなく、ましてや医者でもないが、縁あって腎臓の研究に参加することになっ
た。そして腎臓について勉強する必要に迫られたのだが、いきなり医学書を読むのはやはりハードル
が高い。一方最近はインターネット上に様々な情報が溢れており、腎臓に関しても易しく解説してい
るサイトが沢山ある。
本冊子*1 の内容は基本的にインターネットから収集した情報がベースとなっている。これにさらに専
門書や入門書、論文に掲載されていた関連事項を加筆して編集した。当然情報の質としては玉石混交に
なるので、本冊子に書かれていることが事実である保証はどこにもない。従ってもし本格的に腎臓に
ついて学ぶ目的で本冊子を利用するならば、専門書と照らし合わせて随時事実確認をお願いしたい*2 。
本冊子で述べられている事項の中で必ずしも自明でないものには極力その出典を付けるようにした。
本冊子は筆者の 2 つの視点からの興味に基づいて編集した。1 つは、先ほども述べた健康という視点
である。腎臓に対する一般的な興味は腎臓病にならないようにするためには、どうすればいいか、であ
ろう。これを理解するために、まずは腎臓の仕組みから始め、その後に腎臓病のメカニズムについて解
説した。
もう 1 つは研究対象としての腎臓である。腎臓病のリスクを早期に診断するためにはどうすればい
いか、腎臓病になってしまったら、どのような治療をすればいいか、盛んに研究が行われている。特に
筆者は腎臓病患者の組織・細胞中において分子レベルでどのようなことが起きているか、ということに
興味を持って研究を進めている。そこで本冊子では分子レベルの話も詳しく採り上げた。
腎臓病には複数の原因・症状・メカニズムがあり、1 つの病気として考えるのはむしろ無理があるほ
どである。その中でも特に糖尿病の合併症としての腎臓病は近年特に問題になっているため、糖尿病
に関しても詳しい解説を行った。
本冊子を理解する上での前提知識はそれほど多くない。医学に精通していなくても恐らく理解でき
るであろうが、分子レベルの話を理解する上で、分子生物学の知識は欠かせない。また化学の知識、特
にまたエネルギー代謝についての知識があれば、読みやすいだろう。これらについては筆者が監修し
た「最新分子生物学即席入門」や「膜の構造と機能」などの冊子がインターネット上で無料で入手でき
るので、そちらを参照して頂きたい。
近年分子生物学の実験技術が進歩し、細胞中の状態に関する膨大な情報が得られるようになってき
た。もちろん腎臓の細胞も例外ではない。こうなると、腎臓やその疾患について研究するためには、医
学の知識だけでは必ずしも十分ではない。他に化学や分子生物学に関する知識はもちろん、大量のデー
*1
*2
「入門者用腎臓ノート」
、
「腎臓科学入門」というタイトルを経て現在のタイトルに改められた。
本冊子に誤りなどを見つけられた方は golgo8128@yahoo.co.jp まで連絡をお願いします。その他ご意見、ご批判、執筆参
加なども歓迎いたします。なお、健康相談や病気の相談については、当方ではなく、医師の方へお願いします。
3
タを処理・解析し、細胞内の現象をモデル化するためには数学や統計学、情報科学、そして時には物理
の知識が必要である。
分子生物学では個々の遺伝子やタンパク質などの部品に注目するだけでなく、複数の部品が組み合
わさってシステムとしてどのように振舞っているかを包括的なデータをもとに解析するシステム生物
学という分野が近年発展を続けているが、その波は腎臓の世界にもいまや押し寄せつつある。まさに
腎臓の研究はこれから面白くなろうとしている。そのような最新の話題や関連する知識をなるべく沢
山盛り込もうとしたものの、全てを網羅することはとてもできず、また、本冊子の内容が散漫になって
しまった感も否めない。
しかしながら、本冊子が腎臓の本質を理解したり、健康に気をつける上で役立つだけでなく、そんな
腎臓の面白さまでも伝えることができれば、幸いである。
5
目次
第1章
腎臓の構造と機能
7
1.1
腎臓入門 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
7
1.2
腎臓の構造 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
11
1.3
ネフロンの構造と機能 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
12
1.4
腎小体の構造と機能 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
15
腎臓の医学
17
2.1
腎臓病 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
17
2.2
腎臓の濾過機能の指標 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
18
2.3
糖尿病 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
20
2.4
糖尿病性腎症 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
22
2.5
治療薬 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
25
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
27
3.1
エネルギー代謝 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
27
3.2
脂質の役割 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
43
3.3
酸素の有毒性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
47
3.4
分岐アミノ酸 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
47
3.5
ナトリウム依存性グルコース輸送担体 (SGLT) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
48
3.6
腫瘍壊死因子 (TNF) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
49
3.7
トランスフォーミング増殖因子 (TGF) . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
49
3.8
転写因子 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
51
3.9
オートファジー . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
52
腎臓を研究するための方法論
61
4.1
モデル動物 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
61
4.2
コホート研究 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
61
4.3
分析化学 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
64
4.4
ネットワーク生物学 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
67
4.5
代謝流束均衡解析 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
67
4.6
統計解析 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
78
4.7
データベース . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
81
4.8
サンプル・データ管理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
82
第2章
第3章
第4章
目次
6
付録 A
統計学の補足
85
A.1
確率分布とその特性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
85
A.2
正規分布からの標本の基本的性質 [39] . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
87
A.3
2 つの正規分布の平均差の検定 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
88
参考文献
91
索引
96
7
第1章
腎臓の構造と機能
1.1 腎臓入門
1.1.1 概論
我々ヒトは食物をエネルギー源として摂取しているが、食物分子から代謝によってエネルギーを獲
得する過程で様々な老廃物が生じ、その中には人体にとって有害な物質もある。腎臓は血液中に含ま
れるこのような老廃物を濾過し、尿として膀胱に送り出す役割を持つ [1](図 1.1)。
腎臓は腰の少し上の背中側に背骨を挟んで左右に 1 個ずつある、大人のこぶし程の大きさで、そら
豆によく似た形の臓器である。1 つの腎臓の中には、ネフロンと呼ばれる組織が 80∼120 万個程ぎっ
しりと詰まっている。このネフロンの糸球体と呼ばれるところが、全身をめぐる血液を濾過するいわ
ゆるフィルターの役割をしている。糸球体は毛糸が丸まったような形をした毛細血管の塊で、腎動脈
を通って送られてきた血液中の不要なものがここで濾し取られ、濾過された血液は腎静脈を経て心臓
へ戻っていく。
血液から取り除かれた余分な水分や老廃物などは、尿のもと (原尿) として尿細管へ送られ、尿細管
では原尿中に含まれる身体に必要な物質が再吸収され、残った尿は尿管を通って膀胱に溜まる。
1 日に作られる原尿は 150ℓ にもなるが、その 99% は再吸収され、残り 1% の約 1.5ℓ が尿として体
外に排出される。
尿細管では再吸収される水分とナトリウム (Na)、カリウム (K)、リン (P) などの電解質の量を調節
し、体内の水分や電解質が一定に保たれるようにバランスをとったり (図 1.2)、水素イオンの量を調整
して体内の pH を一定に保つ働きをしている。
腎臓はこのように血液中の老廃物をこし出し尿をつくるだけでなく、身体の恒常性を保つ役割をし
ており、各種のホルモン分泌にも関係している (表 1.1)。腎臓に流れてくる血液を一定に保つため、腎
臓は血管を収縮させて血圧を上昇させる働きのある物質 (レニン renin、アンジオテンシン angiotensin)
や、血管を拡張させて血圧を下げる働きをする物質 (プロスタグランジン、腎カリクレインなど) を分
泌している。腎臓はまた、赤血球の生成を促すホルモン (エリスロポエチン erythropoietin) を分泌した
機能
具体例
老廃物の排泄
尿素窒素、クレアチニン、尿酸
水・電解質調節、酸・塩基平衡の維持
水、Na、Cl、K、Ca、P、Mg、水素イオン
内分泌器官としての機能
エリスロポエチン産生、レニン産生、ビタミン D3 活性化
表 1.1
腎臓の主な機能 [27]
第 1 章 腎臓の構造と機能
8
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⓶㉁
Heart
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⭈㟼⬦
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Kidney
⭈⮚
Ureter
ᒀ⟶
Urinary bladder
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᤼ฟࡉࢀࡿ
図 1.1
腎臓の位置と働き [2]
り、カルシウムの吸収を助けるビタミン D の活性化にも関わり、骨の強化や血液中のカルシウム濃度
の調整にも関係しているのである。
腎臓病には、腎臓そのものに何らかの原因があって起こる一次性腎臓病と、糖尿病や高血圧、痛風な
ど他の病気が原因で起きる二次性腎臓病がある。二次性腎臓病の糖尿病性腎症では、血糖値の高い血
液によって糸球体に硬化が生じて、糸球体のフィルター機能が低下する。腎硬化症では高血圧によっ
て腎臓内の細い動脈に動脈硬化が生じ、腎臓を流れる血液の量が減って腎機能の障害を起こす。
腎臓病には急性と慢性の経過をたどるものがあり、一般に急性の場合は治療によって比較的治りや
すいが、慢性の場合 (慢性腎臓病、CKD) はゆっくりと進行し最終的に腎臓の機能が著しく損なわれる
場合が少なくない。
腎臓病になると、糸球体の働きが悪くなり、フィルターからタンパク質など身体に必要なものまで漏
れ出したり、逆にフィルターが詰まって余分な水分が排出できずにむくんだり尿として排泄されるは
ずの尿素などの廃棄物がたまって身体に害を及ぼすようになる (尿毒症)。
1.1 腎臓入門
(a)
9
(b)
体内Na量の増加
摂取水分の増加
Increasing amount of Na in a body
Increasing amount of water uptake
細胞外液Na濃度の上昇
血清Na濃度の減少
Increasing concentration of extracellular Na
Decreasing concentration of Na in serum
渇中枢刺激
抗利尿ホルモンの分泌増加
Stimulation of thirst center
Increasing excretion of anti-diuretic
hormone
飲水量増加
Increasing amount of water uptake
抗利尿ホルモン分泌抑制
Down-regulation of of antidiuretic hormone excretion
尿濃縮(尿量減少)
Urine condensation
(Decreased urine excretion)
水利尿
water diuresis
細胞外液量の増加
Increasing extracellular fluid
渇感の抑制
Down-regulation of dipsia
飲水量の減少
Decreasing amount
of water uptake
細胞外液Na濃度の正常化
Restoration of extracellular Na concentration
体内水分量正常化(血清Na濃度正常化)
Restoration of amount of water in a body
(Restoration of serum Na concentration)
血圧の上昇
心房性Na利尿ペプチド増加
Increasing blood
pressure
Increasing amount of atrial
natriuretic peptide
レニン-アンジオテンシン系の抑制
Down-regulation of Renin-Angiotensin
System
尿中Na排泄の増加
Increasing amount of excreted Na in urine
図 1.2
水・Na 量の調節 [27]
腎臓病が進行して腎不全の状態になると、尿毒症で身体の様々な器官・臓器で、様々な症状を引き起
こし、また昏睡に陥り命に関わることもある。そのため腎臓病が進むと、末期には血液の濾過を機械に
肩代わりしてもらう血液透析や自分の腹膜を使って行う腹膜透析といった人工透析治療が必要になっ
てくる。従って腎臓の仕組みを理解し、健康な腎臓を維持することは我々の生活にとって大変重要で
ある。
1.1.2 老廃物の排泄
食物は栄養学的には炭水化物 (糖質)、脂質、タンパク質の三大栄養素 (これらが細胞の中でどのよう
にエネルギー (ATP) に変換されるかについては、節 3.1 で述べる) と、ビタミン、ミネラルの 2 種類の
微量栄養素、それに水などからなる。炭水化物と脂質の分子構造の多くの部分を水素、炭素、酸素が占
めるため、その代謝産物も大部分が水と二酸化炭素になる。一方タンパク質も水素と炭素、酸素が基本
的構造となっているが、タンパク質を構成しているアミノ酸は全て窒素 (N) を含んでいるため、代謝
産物として窒素を含む以下の物質が生成される (図 1.3)[27]。
尿素窒素 (Urea nitrogen)
ヒトがタンパク質などから取り入れた窒素のうち、過剰分が尿の中に尿素
の形で排泄される (成人は尿素を 1 日 30g ほど排泄する)。生体内では、尿素回路によりアンモ
ニアから尿素が産生される。
クレアチニン (Creatinine) 主に筋肉で作られて血中に入り、糸球体で濾過された後、殆ど再吸収され
ず速やかに尿中に排出される。
第 1 章 腎臓の構造と機能
10
食物 (Food)
三大栄養素 (Nutrients that provide energy)
• 炭水化物 (糖質)
(Carbohydrate, saccharide)
• 脂質 (Lipid)
• タンパク質 (Protein)
ビタミン (Vitamin)
電解質(Na、K、Clなど。Electrolyte)
老廃物 (Metabolic wastes)
水、二酸化炭素
(Water, carbon dioxide)
窒素を含む尿素窒素、
クレアチニン、尿酸
(Urea nitrogen,
creatinine, uric acid)
摂取した量に応じて排出。但し脂
溶性ビタミンは尿に排出されない。
(Excreted depending on amount
of ingestion. Fat-soluble vitamin
not excreted to urine.)
水 (Water)
水 (Water)
図 1.3
尿に排出される老廃物および元の食物の成分
尿酸 (Uric acid) ヒトや他の霊長類では、尿酸はプリン代謝の酸化最終生成物である。
Na、K、Cl などのミネラルは電解質*1 であるが、これらはその結合の形を変えることはあっても、そ
れぞれ摂取した量に応じて排泄される。
まとめると、食べ物として摂取した栄養素の代謝産物・老廃物として体外に排出されるべき物質は主
に二酸化炭素、水、尿素窒素を中心とする窒素代謝産物と電解質である。
1.1.3 慢性腎臓病を防ぐには
慢性腎臓病 (CKD, Chronic Kidney Disease) とは慢性に経過するすべての腎臓病を指す [4]。わが国
には約 1,330 万人 (20 歳以上の成人 8 人に 1 人) の患者がいると推定されている [5]。生活習慣病 (高血
圧、糖尿病など) との関連も深く、誰もが罹患する可能性のある病気である。腎臓は体を正常な状態に
保つ重要な役割を担っているため、CKD によって腎臓の機能が低下し続けることで、様々なリスクが
発生する。
CKD は初期には自覚症状がほとんどない。それが CKD の怖いところで、患者を増加させている原
因でもある。そして腎臓は一度あるレベルまで悪くなってしまうと、自然に治ることはない。放って
おくと、どんどん進行して取り返しのつかないことになる恐れがある。
CKD が進行すると、夜間尿、むくみ、貧血、倦怠感、息切れなどの症状が現れてくる。これらの症
状が自覚される時は、既に CKD がかなり進行している場合が多いと言われている。つまり、体調の変
化に気をつけているだけでは早期発見は難しいと言えよう。そこで定期的に健康診断を受け、尿や血
圧の検査をすることが早期発見につながる。特に尿タンパク陽性になったときは要注意である。
一般的に腎臓病の予防には
• 適度な水分補給による脱水の予防
*1
溶媒中に溶解した際に、陽イオンと陰イオンに電離する物質
1.2 腎臓の構造
11
• 体温を適切に保つ (寒さや暑さをなるべく避ける)
• 適度な運動で血液循環を良くする
• 排泄を我慢しない
• 細菌感染に気をつける (体を清潔に保つ)
が考えられる [3]。さらに気をつけるべきは生活習慣病である。
メタボリックシンドロームは、過食と運動不足によって内臓に脂肪が蓄積した結果、高血糖や高血
圧、脂質異常などの症状があらわれている状態である。実は、メタボリックシンドロームは CKD の危
険因子である。メタボリックシンドロームの症状である「高血圧」
、
「高血糖」
、
「脂質異常」は腎臓の働
きを低下させる要因である。
内臓脂肪型肥満
内臓脂肪型肥満になると、糖尿病性腎症の指標であるアルブミン尿 (タンパク尿の一
種) が出やすくなることが知られている。肥満の人は糖尿病や高血圧を合併していることも多
く、体重を適正に管理することが重要である。
高血糖
実は、高血糖の状態が続く糖尿病は、透析療法にいたる原因となる病気の第 1 位である。糖尿
病になると腎臓の尿をつくる働きが低下し、体内に余分な老廃物や水分が溜まる。これがさら
に腎臓に負担をかけることになる。
高血圧
高血圧になると腎臓の働きが悪くなり腎臓の働きが悪くなると高血圧が悪化するという悪循
環の関係にある。そのため血圧のコントロールはきわめて重要である。
脂肪異常
脂質異常症は、CKD の発症と進行の危険因子である。また、動脈硬化など心血管病の危険
因子でもあるので、コレステロール値を目標値まで下げることが重要である。
このように、生活習慣病と CKD は深く関連しており、生活習慣病を防ぐことが、CKD を防ぐこと
につながる。
ここまで腎臓およびその疾患の全体像についておおまかに説明してきたが、以降はいよいよ腎臓の
詳細を説明していこう。
1.2 腎臓の構造
図 1.4 に示すように、腎臓はそら豆状の形をしており、重さは平均 130 g 程度で、直径約 10 cm、幅
約 5 cm、厚さ約 3 cm である。腎臓を垂直に切った断面を観察すると、外側は皮質 (cortex)(図 1.5)、内
側は髄質 (medulla) と呼ばれる 2 つの領域がある。この皮質と髄質は腎臓の機能的単位であるネフロ
ン、血管、リンパ管神経などから成り立っている。髄質は十数個の円錐状の塊に分かれており、その形
から腎錐体と呼ばれ、腎洞に突き出すその先端部は腎乳頭 (renal papilla) と呼ばれる。
腎臓への血流は、安静時では心拍出量*2 の約 1/4 に相当する。腹部大動脈から枝分かれした腎動脈
(renal artery) は尿管の隣から腎臓に入り、葉間動脈 (interlobar artery)、弓状動脈 (arcuate artery)、小葉
間動脈 (interlobular artery)、輸入細動脈 (afferent arteriole) に次々と枝分かれする。この輸入細動脈は
糸球体毛細血管 (glomerular capillary) となり、糸球体毛細血管は合流して輸出細動脈 (efferent arteriole)
になった後、もう一度毛細血管 (peritubular capillary、尿細管周囲) になる。この毛細血管がネフロンに
血液を供給している。静脈はほとんど動脈と平行するように配置されており、小葉間静脈 (interlobular
*2
心臓は周期的に収縮を繰り返すことによって血液を動脈へ拍出するポンプ機能をもつが、このポンプ機能は 1 分間に拍出
する血液量で表され、それを心拍出量あるいは毎分心拍出量と呼ぶ。したがって心拍出量 (mℓ/分) は、1 回の収縮で拍出
する量 (1 回拍出量) と 1 分間に収縮する回数 (心拍数) の積によって決定される。
第 1 章 腎臓の構造と機能
12
Renal pyramid
⭈㗽య
Arcuate artery
ᘪ≧ື⬦
Arcuate vein
ᘪ≧㟼⬦
Superior renal capsule
ୖ➃
Interlobular vein
ᑠⴥ㛫㟼⬦
Cortex
⓶㉁
Interlobular artery
ᑠⴥ㛫ື⬦
Medulla
㧊㉁
Renal artery
⭈ື⬦
Interlobar artery
ⴥ㛫ື⬦
Interlobar vein
ⴥ㛫㟼⬦
Renal vein
⭈㟼⬦
Renal hilum
⭈㛛
Renal pelvis
⭈│
Nephron
ࢿࣇࣟࣥ
Ureter
ᒀ⟶
Minor calyx
⭈Ὕ
Major calyx
኱⭈ᮼ
Renal papilla
⭈ங㢌
Minor calyx
ᑠ⭈ᮼ
Renal capsule
⭈⿕⭷
Renal column
⭈ᰕ
Inferior renal capsule
ୗ➃
図 1.4 腎臓の構造と各部位の名称 [1]
vein)、弓状静脈 (arcuate vein)、葉間静脈 (interlobar vein)、さらに腎静脈 (renal vein) となって下大静
脈に連絡する。
1.3 ネフロンの構造と機能
ネフロン (nephron、図 1.6) とは、腎臓の基本的な機能単位であり、腎臓の皮質部分に位置する腎小
体とそれに続く 1 本の尿細管を指す [1]。ヒトの場合は左右の各腎臓にそれぞれ 80∼120 万個ほど存在
し、各ネフロンで濾過、再吸収、分泌、濃縮が行われ、原尿が作られていく。
腎小体 (図 1.7) には一本の輸入細動脈が入り、一本の輸出細動脈が出てゆく。腎小体に入った輸入細
動脈は分枝して毛細血管となり塊を作る。この塊を糸球体と言う。糸球体を形成する毛細血管は再び
一本に集まり、輸出細動脈となって腎小体から出てゆく。糸球体はボーマン嚢で包まれており、ボーマ
ン嚢からは一本の尿細管が出ている。
糸球体を構成する毛細血管では血球成分や大質量のタンパク質は漏れ出ずに、血漿成分や体内の毒
素だけが濾過されてボーマン嚢へ流れ出る。漏れ出なかった血液成分は再び一本の輸出細動脈となっ
て腎小体から出てゆく。一方糸球体で濾過された毒素などは、ボーマン嚢で受け止められ、尿細管へと
1.3 ネフロンの構造と機能
13
(a)
Glomerulus
糸球体
Proximal tubule
近位尿細管
(b)
Distal tubule
遠位尿細管
図 1.5
ラットの腎臓の皮質
核のみ染色してある。(a) 腎表面付近の皮質部分、(b) 皮質の少し深い部分。遠位尿細管がやや多く含まれ
ている。
流れてゆく。尿細管壁では糸球体から流れ出た水分や栄養を再吸収したり、濾過し切れなかった毒素
をさらに排泄したりして、原尿を作ってゆく。
ボーマン嚢より出ている尿細管は腎皮質から腎髄質の方へ下行するが、この部分を近位尿細管と呼
ぶ。腎髄質へ辿り着くと尿細管は狭くなり、U ターンして再び皮質の方へ上行する。この U ターンす
る部分をヘンレのループと呼ぶ。そのまま上行して皮質へ辿り着くと尿細管は輸出細動脈と接する (交
わったり吻合する訳ではない)。この接する部分を傍糸球体装置 (juxtaglomerular apparatus, JGA) と言
う。傍糸球体装置を経た尿細管は遠位尿細管と呼ばれる。遠位尿細管は再び髄質の方向へ下行しなが
ら互いに集合し、集合管となって腎髄質を貫通して腎盂に開口する。
JGA にはおおむね次の細胞が含まれる。
• 遠位尿細管の緻密斑 (macula densa) の細胞
• 輸入細動脈の平滑筋細胞
• 輸入細動脈の顆粒細胞
• 輸出細動脈の平滑筋細胞
第 1 章 腎臓の構造と機能
14
Efferent arteriole
㍺ฟ⣽ື⬦
Glomerulus
⣒⌫య
Bowman's capsule
࣮࣐࣎ࣥᄞ
Proximal convoluted tubule
㏆఩ᒀ⣽⟶
Cortical collecting duct
㞟ྜ⟶
Juxtaglomerular apparatus
ഐ⣒⌫య⿦⨨
Distal convoluted tubule
㐲఩ᒀ⣽⟶
Loop of Henle
࣊ࣥࣞࡢ࣮ࣝࣉ
Afferent arteriole
㍺ධ⣽ື⬦
Arcuate artery
ᘪ≧ື⬦
Cortex
⓶㉁
Duct of Bellini
࣮࣋ࣜࢽ⟶
Peritubular capillaries
ഐᒀ⣽⟶ẟ⣽⾑⟶
Arcuate vein
ᘪ≧㟼⬦
Medulla
㧊㉁
図 1.6
ネフロンの構造 [1]
• 両細動脈と緻密斑に挟まれた糸球体外メサンギウム細胞
これに糸球体内のメサンギウム細胞を加えることもある。ボーマン嚢の上皮や内皮細胞はこの近傍
にあるが、JGA には通常含めない。これらの細胞群が協力して共通の機能を営むシステムを作ってい
る。JGA の機能には 2 種類ある。JGA の一つ目の機能は、尿細管糸球体フィードバックである。遠位
尿細管を通る尿の流量によって、糸球体濾過量を調節する。尿流量が増えると、濾過量を減らすという
制御が行われ過剰な濾過を防ぐ。この仕組みの入力は尿中の塩素イオン濃度、出力は輸入・輸出細動脈
の血管抵抗ということはわかっている。遠位尿細管は尿を希釈する働きを持ち、尿の流量が大きいと
希釈が十分に行われずに尿中の塩素イオン濃度が高くなる。それに対して、糸球体毛細血管の圧を下
げるという制御が行われて糸球体濾過量が減る。
JGA の二つ目の機能は、レニンの分泌である。レニンは顆粒細胞から放出される蛋白分解酵素で、
血漿中にあるアンジオテンシノーゲンというタンパク質を特異的に分解してアンジオテンシン I (AI)
というアミノ酸 10 個のペプチドを生成する。AI は、血管内皮細胞 (特に肺) が持つ転換酵素によって
速やかに分解されて、アミノ酸 8 個から成るアンジオテンシン II(AII) を生成する。AII は、極めて生
理活性の高い物質で、全身の血管平滑筋を収縮させて急速に血圧を上昇させる強力な働きがある。ま
た、副腎皮質に作用して、電解質コルチコイドであるアルドステロンを放出させる。アルドステロンは
集合管上皮細胞に作用して、ナトリウムの再吸収とカリウムの分泌を増強し、体液量を増す。これによ
り循環血液量が増えて中長期的に血圧が上昇する。
JGA からのレニンの放出は、短期的および中長期的に血圧を上昇させる。顆粒細胞は、平滑筋細胞
と同等の位置にあり血圧によって伸展させられる。この血圧=伸展力が低下すると、レニンを放出す
る。しかも、顆粒細胞は糸球体の入口という位置にある。このように傍糸球体装は、糸球体の濾過に不
可欠な糸球体の血圧が低下したときに、レニンの分泌によって全身の血圧を上昇させ、まわりまわって
糸球体の血圧を確保する機能がある。
1.4 腎小体の構造と機能
15
Renal corpuscle
⭈ᑠయ
(a)
Afferent arteriole
㍺ධ⣽ື⬦
Proximal tubule
㏆఩ᒀ⣽⟶
Myocytes
➽⣽⬊
Distal convoluted
tubule
㐲఩ᒀ⣽⟶
Macula densa
⦓ᐦᩬ
Granular cells
㢛⢏⣽⬊
Mesangium
Efferent arteriole
- Extraglomerular cell
⣒⌫యእ࣓ࢧࣥࢠ࣒࢘⣽⬊ ㍺ฟ⣽ື⬦
Juxtaglomerular
apparatus
ഐ⣒⌫య⿦⨨
Bowman's space
࣮࣐࣎ࣥ⭍
Podocytes
ୖ⓶⣽⬊㊊⣽⬊
Basement membrane Bowman's capsule
Mesangium - Intraglomerular cell
࣮࣐࣎ࣥᄞ
ᇶᗏ⭷
⣒⌫యෆ࣓ࢧࣥࢠ࣒࢘⣽⬊
Glomerulus capillary
⣒⌫యẟ⣽⾑⟶
(b)
parietal epithelial cell
glomerulus
capillaries
mesangium
cells
podocyte
図 1.7
腎小体の構造 [1]
(a) 左上のネフロン全体図の水色で囲った部分を拡大して示した。本図では左側が血管極 (vascular pole)、
右側が尿管極 (urinary pole) である。 (b) 腎小体の画像。
1.4 腎小体の構造と機能
腎小体 (renal corpuscle、図 1.7) とは、尿生成の出発点となる袋状の組織であり、両生類以降の動物
に見られる。
右腎臓、左腎臓とも内部にそれぞれ約 100 万個の腎小体が点在する。腎小体内部は空洞を形成し、
第 1 章 腎臓の構造と機能
16
そこに露出する毛細血管の塊「糸球体」から濾過された液体が尿の原料、原尿となる。原尿を生成する
機能を備えた器官は腎小体 (糸球体) に限られる。原尿は腎小体につらなる 1 本の管、尿細管を経て吸
収・分泌過程を経たのち、尿となり最終的には体外に排出される。ネフロンとは一対の腎小体と尿細
管のことである。腎小体は肥大することにより、原尿を濾し出す濾過性能が高まることはあるものの、
いっさい再生しない。
全ての腎小体は皮質に分布する。腎小体へ流入する輸入細動脈、流出する輸出細動脈は一箇所に集
まるが、この部位を血管極と呼ぶ。血管極は尿細管の接続口、すなわち尿管極とちょうど逆の位置にあ
る。血管極の両血管の間には、腎小体に入る直前の輸入細動脈側に傍糸球体細胞 (juxtaglomerular cell、
顆粒細胞) が、輸出細動脈側に、メサンギウム細胞 (糸球体外血管間膜) が密に集合している。両細動脈
と傍糸球体細胞、メサンギウム細胞に接して遠位直尿細管の太い上行脚の終部が接し、腎小体側の太い
上行脚の内壁には緻密斑と呼ばれる密な細胞が集まる。なお、遠位直尿細管の太い上行脚とは、腎小体
から発した尿細管がヘアピン状の経路を経て戻って来た部位を呼ぶ (尿細管の末端に近い部分)。
輸入細動脈から腎小体内部に入り込んだ血管は直後に糸球体と呼ばれる毛細血管に分岐しもつれ合
う (毛細血管ワナ)。毛細血管は腎小体内部に直接露出しているのではなく、足細胞と呼ばれるシダの
葉状の細胞に表面を覆われ、また足細胞間は 1 次突起と呼ばれる噛み合わせによって結ばれている。
足細胞は球状に糸球体を取り囲んでおり、これを糸球体嚢、もしくは発見者の名にちなんでボーマン
嚢と呼ぶ。原尿は足細胞同士の噛み合わせの隙間から濾過されてくる。毛細血管ワナを形成する個々
の毛細血管同士は、メサンギウム細胞 (糸球体内血管間膜) によって分離されている。外葉と糸球体ワ
ナの間には原尿で満たされた空隙、すなわちボーマン腔 (糸球体腔) が広がり、そのまま、尿細管につ
ながっている。
糸球体濾過を行うために、糸球体の内部には約 50 mmHg という高い圧力が封じ込められている。こ
の圧力を封じ込めるための実質的な障壁は、糸球体全体を外から包む基底膜と足細胞であり、血圧によ
る外向きの膨張力を受ける。メサンギウム細胞はこれに抗して基底膜を内向きに牽引し、糸球体の複
雑な形態を維持している。
17
第2章
腎臓の医学
2.1 腎臓病
腎臓病 (kidney disease) または腎不全 (renal failure) は、その名の通り、腎臓の働きが悪くなる (腎障
害、nephropathy) 病気である。腎臓は体の中の毒素や老廃物の除去、水分の調節といった、生命を維持
し、身体の環境を一定に保つ大切な役割を担っており、腎臓に問題が起こると身体中にさまざまな影響
が出る。一度失われた腎臓の機能は、多くの場合は回復することがなく、慢性の腎不全となる*1 。さら
に腎臓の機能が低下し腎不全が進行すると、体の中に老廃物がたまり、尿毒症の症状が現れる。
腎臓病にかかった腎臓に見られる変化の 1 つとして腎臓の線維化 (fibrosis) がある。一般に臓器組織
が何らかの障害を受けたときに、コラーゲンなどの線維性物質を産生する細胞が障害のある組織に集
合して、欠損部分を埋める「応急的処置」を線維化と呼ぶ [28]。腎臓の線維化は細胞外マトリックス
(extracellular matrix, ECM)*2 が過剰に蓄積する過程であり、糸球体硬化 (glomerulosclerosis) と尿細管
間質性線維化*3 (tubulointerstitial fibrosis) によって特徴付けられる [41]。
腎臓病によって溜まった老廃物を取り除くためには、腹膜透析 (PD) や血液透析 (HD) といった透析
療法、あるいは移植といった何らかの腎代替療法が必要になる。一時は「不治の病」とも呼ばれた腎臓
病だが、近年の治療技術の進歩によって、早期に治療を開始すれば、腎臓の機能の低下を防いだり、進
行を遅らせたりできるようになってきた。また、透析をめぐる技術や環境も進化を続けており、透析に
入る前の生活とそれほど大きな隔たりなく透析生活を過ごすことのできる治療の選択肢も増えてきて
いる [8]。
腎臓病には主に以下の種類がある。
糸球体腎炎 (Glomerulonephritis) 何らかの原因で腎臓内にある糸球体に障害が起こる病気である。全
身性の疾患が、背後に隠れているケースもある。健康診断でタンパク尿を指摘されて発覚した
り、他の病気の治療中に発見されるケースもある。ネフローゼ症候群 (後述) の状態では、浮腫
(むくみ) を訴え、病院にかかるケースもある。腎生検を行い実際に腎臓の組織をみることで診断
を確定する。治療は原因となる疾患により異なるが、主としてステロイド (副腎皮質ホルモン)
の内服加療などを行う。代表的な慢性糸球体腎炎には次のような病気がある。
• 微小変化群
• IgA 腎症
*1
急性の腎臓機能障害の場合など、例外はある。
細胞の外に存在する超分子構造体。細胞外基質ともいう。ヒトを含めた脊椎動物に顕著な成分は、コラーゲン、プロテオ
グリカン、フィブロネクチンやラミニンといった糖タンパク質 (一部は細胞接着分子) である。
*3 尿細管と尿細管の間の組織を間質という。
*2
第 2 章 腎臓の医学
18
• 膜性増殖性糸球体腎炎
• 膜性腎症 (membranous nephropathy, membranous glomerulonephropathy)[27] 糸球体基底膜
の上皮側へのびまん性*4 の免疫複合体の沈着によるびまん性の糸球体係蹄壁の肥厚を特徴
とする原発性糸球体疾患である。無症候性タンパク尿で発症し、次第にネフローゼ症候群
を呈するようになることが多い。
• 巣状糸球体硬化症 (focal glomerulosclerosis, focal segmental glomerulosclerosis)[27] 一般的
に高度のタンパク尿が見られ、顕微鏡で血尿が観測される。ネフローゼ症候群となるが、治
療は困難。組織学 (histology) 的には、特に皮質の傍髄質部を中心に一部の糸球体に巣状か
つ分節性 (segmental) に硝子様物質の沈着 (hyalinosis) と硬化 (sclerosis) が観測される。腎
機能は低下を続ける。
糖尿病性腎症 (Diabetic nephropathy)
糖尿病に由来する腎臓病である。現在、透析患者の導入原因の
第一位 (約 40 %) を占めている。糖尿病による高血糖状態は、糸球体にも障害を起こし、その結
果、最初は微量アルブミンタンパク尿とよばれる尿が見られるようになる。後述のネフローゼ
症候群の状態になることもある。さらに腎障害が進行すると腎臓の機能は徐々に失われ、血液
を濾過する働きが悪くなる。節 2.4 でさらに触れる。
腎硬化症 (Nephrosclerosis)
高血圧や動脈硬化症に由来する腎臓病である。高血圧や動脈硬化症にな
ると、腎臓の細い血管が硬くなり、血液が流れにくくなる。血行障害は、糸球体などの腎臓の組
織に障害をおこし、腎不全へ進行する。
多発性のう胞腎 (Polycystic kidney disease)
腎臓にのう胞 (液体が溜まった袋) がたくさんできて腎臓
を圧迫し、腎臓の機能が低下する遺伝性の病気である。脳動脈瘤など、特有の合併症を伴って
いることがある。この他、
「急性腎炎」
「腎盂腎炎 (じんうじんえん)」などがあるが、どの病気で
あっても、治療せずに放置すれば、最後には腎不全にいたる可能性がある。
ネフローゼ症候群 (Nephrotic syndrome)
腎臓病の一種類としてよく聞かれる「ネフローゼ症候群」と
は、何らかの原因で腎臓に障害が起こることにより、タンパク質が尿中へ排出されてしまう状態
を指す。単一の病気をさす言葉ではない。ネフローゼ症候群の患者には、下記のような症状が
発生する。
• 尿中へのタンパク量の排泄が増加する (タンパク尿)
• 血液中のタンパクの量が低下する (低タンパク血症)
• 血液中のコレステロールが増加する (高コレステロール血症:脂質異常症)
• 全身のむくみ (浮腫)
ネフローゼ症候群の原因として、慢性糸球体腎炎など腎臓そのものの障害によるもの (原発性)、
糖尿病などの代謝異常や膠原病・感染症・毒物などが原因となるもの (続発性) などが考えら
れる。
2.2 腎臓の濾過機能の指標
2.2.1 血中クレアチニンの測定
クレアチニンは筋肉運動のエネルギー源となるアミノ酸の一種クレアチンが代謝されてできた物質
であり、尿酸や尿素窒素と同様に老廃物の一つである [9]。クレアチニンは腎臓の糸球体で濾過される
*4
範囲を明確に限定できない大きな広がり方をしている病変状態
2.2 腎臓の濾過機能の指標
物質
19
血漿濃度
排泄量
mM/ℓ
mM/日
(mg/dℓ)
(g/日)
再吸収率
クリアランス
(%)
(mℓ/分)
Na+
140
175(4.0)
99.2
0.87
Cl−
105
175(6.0)
99.0
1.16
25
5(0.3)
99.9
0.14
4
75(2.9)
87.7
13.00
2.5(10)
7.5(0.3)
95.3
2.08
HCO−
3
+
K
Ca2+
PO4
1(3)
20(0.7)
82.6
13.90
グルコース
5(90)
0(0)
100.0
0.00
尿素
4(24)
330(20)
48.4
57.30
クレアチニン
0.9(1)
144(1.6)
0.0
110.00
尿酸
0.2(3)
4.8(0.8)
85.0
16.70
93%
1.5ℓ/日
99.0
水
表 2.1
血漿中の主な物質の濾過、吸収および排泄 [27]
が、尿素窒素とは違って尿細管ではほとんど再吸収されずに、尿中に排泄される (表 2.1)。筋肉運動の
代謝産物であるため、筋肉量に比例した量となる。
クレアチニンは、腎臓が正常にはたらいていれば、尿として体外に排泄される。つまり血液中のク
レアチニンが多いということは、腎機能が障害されているということになる。この検査は簡単な上に、
腎臓以外の影響は受けにくいので、腎機能、糸球体機能のスクリーニング (ふるい分け) や経過観察の
ための検査として行なわれている。
しかし、クレアチニンは腎機能が 50% 以下になるまでは上昇しないため、軽度の腎機能障害の判定
には適当とはいえない。そこで診断にあたっては後に説明する腎糸球体機能の変化をさらに正確に測
定するクレアチニン・クリアランスの測定を行う。
血中クレアチニンを検査するには、血液を採取し、酵素を利用した試薬を加え、比色計で色の変化を
調べる。基準値の範囲は以下の通りである。
• 男性 … 0.5∼1.1 mg/dℓ
• 女性 … 0.4∼0.8 mg/dℓ
クレアチニン値は筋肉量に比例するので、一般に女性より男性のほうが 10∼20% 高値になる。年齢
による変動はほとんどない。高齢者では年齢とともに腎糸球体濾過率が低下するが、筋肉量も減少す
るため、ほぼ一定になる。
血液中のクレアチニンの高い数値は、腎機能が低下していることを示唆する。日本人間ドック学会の
判定基準では、男性が 1.2∼1.3 mg/dℓ、女性が 0.9∼1.0 mg/dℓ は、場合により経過観察が必要とされて
いる。一般に中程度の腎不全では 1.5 mg/dℓ を超え、重症では 2.4 mg/dℓ 以上になる。そして、クレア
チニンの値が 5 mg/dℓ を超えると回復は難しくなり、10 mg/dℓ が人工透析を始める一つの目安となる。
第 2 章 腎臓の医学
20
2.2.2 GFR とクリアランス
腎臓の主要機能の 1 つは糸球体で血液を濾過することであるから、濾過の効率を示す指標があれば、
腎臓がしっかりと機能しているかを知る目安になる。ここではまず、GFR とクリアランスという 2 つ
の重要な指標を説明しよう。
GFR は糸球体濾過値 (Glomerular filtration rate) の略であり、濾過の役目を果たす糸球体が 1 分間に
どれくらいの血液を濾過し、尿をつくれるかを表す。一方、クリアランス (clearance) とは、対象となる
血液中の 特定の 溶質が毎分どの程度除去されているかを示す値である。血漿の溶質濃度を P(mg/dℓ)、
尿中の溶質濃度を U(mg/dℓ) とし、1 分間の尿量を V (mℓ/min) とすると、クリアランス C(mℓ/min)
は、
C=
U ×V
P
(2.1)
で表わされる。GFR はイヌリンのように濾過が自由で、かつ尿細管で再吸収も分泌も受けない物質の
クリアランス値で表される。GFR の測定にはイヌリンの他に、マンニトール、クレアチニンなどが用
いられる。但し、これを正確に測定するためには 24 時間畜尿をしなければならず、検査手技も煩雑に
なるため、沢山の患者を一度に検査するのが困難である。
そこで、実際には以下の式を用いた GFR の推定値 (estimated Glomerular Filtration Rate) が診断に使
われることが多い。男性の場合、
eGFR(mℓ/min/1.73m2 ) = 194 × 血清クレアチニン−1.094 × 年齢−0.287
(2.2)
と定義されるが*5 、女性の場合は、式 2.2×0.739 と調整される。eGFR に応じた CKD のステージを表
2.2 に示す。
2.3 糖尿病
我々が食物を摂取し、これを消化すると、グルコースが作られ、これが体を動かすエネルギー源とな
る。すなわちグルコースが血液の流れに乗って体の細胞に運ばれて、筋肉や臓器で使われる。血糖値
は血液中にそのグルコースがどのくらいあるかを示す。現在は家庭でも簡易に血糖値を測定できる機
器が開発されている (図 2.1)。
インスリン (insulin) は、体内で唯一血糖を下げるホルモンで、食後に血糖が上がらないように、調
節する働きがある。さらに、血液中のグルコースを体内の細胞に送り込んで、活動エネルギーに変えた
り、脂肪やグリコーゲンに変えて、エネルギーとして蓄えておくようにする働きもある。
すいぞう
インスリンは、膵臓(pancreas) に存在するランゲルハンス島 (膵島) の β 細胞から分泌されるが、こ
のインスリンというホルモンが足りなくなったりすると、グルコースがエネルギーを必要としている
細胞の中に運ばれなくなって、血液のなかに溢れてしまう。これが糖尿病である [10]。つまり、インス
リンが不足したり (インスリンの分泌量) うまく作用しない (インスリン抵抗性) と、グルコースが細胞
に取り込まれなくなって、血液中のグルコースが使えなくなってしまう。そして血糖値が上昇してし
まうのである。
*5
実 際 に 臨 床 を 行 っ て い る べ サ ニ ー・カ ー ル 先 生 に よ る と 、UCSD で は 、MDRD 式 を 使 っ て い る 模 様 。そ れ は
eGFR(mg/dℓ) = 175 × 血清クレアチニン−1.154 × 年齢−0.203 と定義される。女性の場合はこれに 0.742、黒人の場合は
これに 1.212 が掛けられる。
2.3 糖尿病
21
eGFR
ステージ
状態
(病期)
0
1
2
3
診療計画
(mℓ/min
/1.73m2 )
CKD には至っていないが、リス
クが増大した状態
CKD スクリーニングの実施(ア
≥ 90
ルブミン尿など)
、CKD 危険因子
を軽減させる治療。
腎障害は存在するが、GFR は正
常または増加
上記に加えて、CKD 進展を遅延
≥ 90
させる治療、併発疾患の治療、心
血管疾患のリスクを軽減する治療
腎障害が存在し、GFR 軽度低下
腎障害が存在し、GFR 中等度低
下
60 ∼ 89
上記に加えて、慢性腎臓病の進行
度の評価
上記に加えて、CKD 合併症を把
30 ∼ 59
握し、治療する (高血圧、貧血、続
発性上皮小体機能亢進症など)
4
腎障害が存在し、GFR 高度低下
5
腎不全・透析期
15 ∼ 29
<15
上記に加えて、透析又は移植の準
備
もし尿毒症の症状があれば、透析
または移植の導入
表 2.2 CKD のステージと診療計画 [6]
CKD 発症のリスクファクターとして、高齢(最も大きな要因だが個人差が大きい)、CKD の家族歴、過
去の検診における尿異常(蛋白尿が大事)や腎機能異常および腎形態異常、脂質代謝異常、高尿酸血症、
NSAIDs などの常用薬、急性腎不全の既往、高血圧、耐糖能異常や糖尿病、肥満およびメタボリックシン
ドローム、膠原病、尿路感染症、尿路結石などがある。CKD ハイリスク群では、CKD 発症前から高血圧、
糖尿病などの治療や生活習慣の改善を行い、CKD 発症予防に努めることが重要である。
図 2.1
家庭での血糖値の測定
第 2 章 腎臓の医学
22
さらに筋肉や内臓にエネルギーが運ばれないので、全身のエネルギーが不足することになる。
高血糖症 (hyperglycemia) は血中のグルコース濃度が過剰である状態で、通常血糖値が 10mmol/L
(180mg/dℓ) 以上からとされる。125mg/dℓ 以上の状態が慢性的に続くと臓器障害を生じうる [1]。
糖尿病には以下の種類がある。
1 型糖尿病 (Diabetes mellitus type 1, type 1 diabetes) 膵臓のβ細胞というインスリンを作る細胞が
破壊され、からだの中のインスリンの量が絶対的に足りなくなって起こる。子供のうちに始ま
ることが多く、以前は小児糖尿病とか、インスリン依存型糖尿病と呼ばれていた。
2 型糖尿病 (Diabetes mellitus type 2, type 2 diabetes) インスリンの出る量が少なくなって起こるも
のと、肝臓や筋肉などの細胞がインスリン作用をあまり感じなくなる (インスリンの働きが悪
い) ために、グルコースがうまく取り入れられなくなって起こるものがある。食事や運動などの
生活習慣が関係している場合が多い。わが国の糖尿病の 95% 以上はこのタイプ。
遺伝子の異常やほかの病気が原因となるもの
遺伝子の異常や肝臓や膵臓の病気、感染症、免疫の異
常などのほかの病気が原因となって、糖尿病が引き起こされるもの。薬剤が原因となる場合も
ある。
妊娠糖尿病
妊娠をきっかけとして糖尿病の症状 (血糖値が高くなる) が発症することをいう。出産す
れば解消するが、高血糖が続けば 2 型糖尿病と診断されることもある。もともとの糖尿病患者
が妊娠することは「糖尿病合併妊娠」という。基本的には食事療法と運動で血糖値をコントロー
ルしていく対応が主だが、血糖値が改善されないと胎児にも影響が出る可能性もあると言われ
ているため、インスリン注射などの治療が必要となる場合もある。
グルコースはそのアルデヒド基の反応性の高さからタンパク質を修飾する作用があり、グルコース
による修飾は主に細胞外のタンパク質に対して生じる。細胞内に入ったグルコースはすぐに解糖系に
より代謝されてしまう。インスリンによる血糖の制御ができず生体が高濃度のグルコースにさらされ
るとタンパク質修飾のために糖毒性が生じ、これが長く続くと微小血管障害によって生じる様々な合
併症を発症する。既存の血管から新たな血管枝が分岐して血管網を構築する生理的現象を血管新生
(angiogenesis) というが、例えば、糖尿病性網膜症 (diabetic retinopathy) は血管障害によって酸素欠乏状
態になった網膜から、病的な血管が新しく出来るために起こる目の機能障害である。他に合併症として
糖尿病性神経障害 (diabetic neuropathy) や糖尿病性腎症 (diabetic kidney disease, diabetic nephropathy)
などがあり、後者については次節で説明する。
2.4 糖尿病性腎症
2.4.1 糖尿病性腎症の概要
腎臓病は糖尿病の深刻な合併症の一つであり、糖尿病性腎症 (diabetic kidney disease) と呼ばれる。
これは、糖尿病によって腎臓の糸球体が細小血管障害のため硬化して数を減じていく疾患である [1]。
糖尿病で血糖の高い状態が 10 年以上も続くと、全身の動脈硬化が進行し始め、腎臓に障害が及ぶと
蛋白尿、ネフローゼ症候群等を経て慢性腎不全に至る。
透析導入した患者の 43.7% が糖尿病を原疾患 (腎臓病に至った元々の原因) としている [26]。糖尿病
性腎症は主に以下のような経過を辿る。
腎症前期
機能しているネフロンの数が減少すると残されたネフロンには大きな負荷がかかり、GFR(糸
球体濾過量) が一時的に増加する。このように GFR が増加する事を濾過過剰 (hyperfiltration) と
2.4 糖尿病性腎症
23
eGFR
Normoalbuminuria
Microalbuminuria
Macroalbuminuria
(mL/min/1.73m2 )
(ACR < 30mg/g)
(ACR 30-300mg/g)
(ACR >300mg/g)
> 60
中
中
高
30 − 60
低
中
高
< 30
低
低
高
表 2.3
アルブミン尿と eGFR から推測される糖尿病性腎症罹患の可能性
Normoalbuminuria:微量アルブミン尿陰性、Microalbuminuria:微量アルブミン尿、Macroalbuminuria:顕性
アルブミン尿。
言う。
微量たんぱく尿期
ごく初期の段階では、微量のアルブミン尿 (microalbuminuria)*6 のみが検出される。
その量は、ふつうの尿タンパクの定性検査では分からないほど微量だが、このときに厳格な血糖
コントロールを実行すれば、腎症への進行を食い止めることも可能である。従って、尿タンパク
の一部を占めるアルブミンを、ごく微量のうちに測定し、より早く異常を発見し治療を開始する
ことが重要となる。
顕性たんぱく尿期
個人差はあるが、微量タンパクが出始めて 3∼5 年のうちに、大量のタンパク尿が
出るようになる。といっても、最初は多かったり少なかったりするが (間欠性たんぱく尿期)、や
がて、常に出るようになり (持続性たんぱく尿期)、腎臓の機能は著しく低下する。この時期を顕
性腎症期といい、すでにかなり腎症が進行していることを示している。
ネフローゼ期
さらに放置しておくと、尿中のタンパクはさらに大量になり、血液中のタンパク質が減
少する。むくみが出るとともに、高コレステロール血症 (脂質異常症) など、ネフローゼ症候群
と呼ばれる諸症状 (高血圧) を呈してくる。
腎不全期
腎臓の機能がさらに低下し、正常の 5∼10% にまで低下すると透析療法が必要となる。一
般に、糖尿病性腎症の患者は、透析療法へ移行する時期が他の腎臓病の方と比較して早いとい
われている。それは、糖尿病による様々な合併症を併発している場合が多いためである。現在、
我が国における糖尿病性腎症からの透析患者数は、新規の全透析導入患者の 40% を超えるまで
になっている。
2.4.2 糖尿病性腎症の危険因子と診断
糖尿病性腎症の危険因子 (risk factor) として考えられるのは、糖尿病を患っている期間、血糖の調整
(glycemic control) 不良、高血圧 (hypertension)、そして蛋白尿 (proteinuria) 等である [40]。これらに加
え、人種、家族の病歴、高齢、そして性別 (男性の方がリスクが高い) 等がある。
糖尿病性腎症の最も確実な診断方法は、病変部位の組織の採取と観察、すなわち生体組織診断
(biopsy) である。しかし通常はアルブミン尿の検出による早期診断が勧められる。検査開始の目安の
一例は、1型糖尿病が発症して 5 年後、あるいは2型糖尿病発症後すぐである [40]。
アルブミン尿の量は変動が大きく、これだけでは正確な診断が難しいため、通常は老廃物であるク
*6
アルブミンは一群のタンパク質に名づけられた総称で、卵白(albumen)を語源とし、卵白の構成タンパク質のうちの約
65% を占める主成分タンパク質に対して命名され、さらにこれとよく似た生化学的性質を有するタンパク質の総称として
採用されている。代表的なものに卵白を構成する卵アルブミン、脊椎動物の血液の血漿に含まれる血清アルブミン、乳汁
に含まれる乳アルブミンがある。アルブミンは一般的に肝臓で生成される。
第 2 章 腎臓の医学
24
Chronic hyperglycemia៏ᛶ㧗⾑⢾⑕
Chronic dyslipidemia ៏ᛶ⬡㉁௦ㅰ␗ᖖ
AGEs
NADPH
oxidase
ANGII
PKC
MCP-1, IL-6, IL-18
TNF-α, TNFR1
CD 40-ligand
ROS
Oxidative stress 㓟໬ࢫࢺࣞࢫ
Inflammation ⅖⑕
Collagen type IV
TGF-β, BMP-7
8-OHdG
8(F2a)-isoprostane
4-hydroxy-2-nonenal
3-nitrotyrosine peptide
Pentosidine
Fibrosis ⧄⥔⑕
Tubular injury
ᒀ⣽⟶യᐖ
Glomerular
injury
⣒⌫య㞀ᐖ
NGAL, NAG
KIM-1, RBP4
L-FABP, H-FABP
α1 and β2 Microglobulin
Diabetic Nephropathy
⢾ᒀ⑓ᛶ⭈⑕
図 2.2
Albuminuria
Adiponectin, Transferrin
Ceruloplasmin, Laminin
Podocyte markers
糖尿病性腎症のバイオマーカーおよびその候補 [42]
レアチニンが尿中にどれくらいあり、それに対してアルブミンがどれくらいあるか、すなわちアルブ
ミン・クレアチニン比 (ACR, albumin-to-creatinine ratio) を計算する。アルブミン・クレアチニン比と
eGFR から推定される罹患の可能性を表 2.3 に示す。
2.4.3 糖尿病性腎症のバイオマーカーの探索
一般的にバイオマーカーとは、病態生理学的な過程や薬理学的な応答を反映する生物学的な物質の
ことを指す [42]。理想的なバイオマーカーが満たす条件としては、疾患の存在や病状の進行、今後罹
患するリスクを予測できる上で
• 簡便に測定可能
• 非侵襲性
• 正確な予測が可能 (感度・特異度が高い)
• 再現性が高い
2.5 治療薬
• 時間・費用が抑えられる
等が挙げられる。
多くのバイオマーカーの候補が発見されたが (図 2.2)、現在でもアルブミン尿が糖尿病性腎症の診断
や分類の標準的な物質となっている。
2.5 治療薬
2.5.1 パリカルシトール
パリカルシトール (paricalcitol) は 1,25-ジヒドロエルゴカルシフェロール、すなわち活性型ビタミン
D2 のアナログであり、慢性腎不全に伴う二次性副甲状腺機能亢進症 (SHPT) の治療に用いられる [1]。
米国ではアボットラボラトリーズ (Abbott Laboratories) によって Zemplar の商品名で経口カプセル製
剤及び注射剤が販売されている。
パリカルシトールは内因性活性型ビタミン D であるカルシトリオールの側環 (D2 部) と A 環 (19-ノ
ル) を化学修飾合成した化合物で、生物学的な活性を持つビタミン D のアナログである。動物実験及び
in vitro 試験のからパリカルシトールの生物学的作用はビタミン D 受容体への結合によってもたらされ
ていることがわかっており、その結果としてビタミン D 由来の一連の反応が選択的に惹起される。ビ
タミン D もパリカルシトールも副甲状腺ホルモン (PTH) の生合成と分泌とを阻害することによって血
中の PTH 濃度を低下させることが示されている。
2.5.2 ピルフェニドン
ピルフェニドン (Pirfenidone) は米国で発見された新規の抗線維化薬である [30]。創製当初は抗炎症
薬として開発が開始されたが、その途上で炎症モデルとして検討されたイヌ肺感染症モデルにおいて
線維化を抑制する効果を有することが見出され、その後は抗線維化薬として開発されてきた。本薬は、
抗線維化作用を有し、特発性肺線維症に対して効果を発揮する可能性が示された世界初の薬剤である。
最近は糖尿病性腎症の治療にも効果がある可能性が示されている [43]。
動物実験ではブレオマイシン (BLM) 誘発肺線維症モデルをはじめとして肝硬変モデル、慢性腎不全
モデルなどで各臓器における明らかな線維化の抑制と機能低下の抑制が本薬投与によって認められて
おり、本薬が抗線維化作用を有することが確認されている。このように幅広く各種線維症モデルで作
用が確認できるところから本薬は broad spectrum antifibrotic agent とも称される。
本薬の作用機序としては、肺線維症モデル、腎線維化モデル、肝硬変モデル等において本薬投与によ
り組織の線維化形成に関与するとされる形質転換増殖因子 (TGF-β ) の mRNA 発現抑制が確認されて
いる。また、エンドトキシン誘発急性炎症モデルでも腫瘍壊死因子 (TNF-α ) 産生抑制作用が認められ、
TNF-α が肺線維化に重要な役割を果たしているという報告もされていることから、この TGF-β 産生
抑制作用と TNF-α 産生抑制作用という 2 つの作用が本薬の抗線維化作用において特に重要な役割を果
たしていると考えられている。
肺における本薬の抗線維化作用はハムスターの BLM 誘発肺線維症モデルを用いた検討が多数報告
されており、その作用は主に TGF-β や血小板由来増殖因子 (PDGF) など増殖因子の産生抑制作用に起
因すると考えられている。また、マウスの BLM 誘発肺線維症モデルを用いた検討でコラーゲン生合成
に関与する熱ショックタンパク質 (HSP47) の肺における発現が抑制されていることから、HSP47 発現
抑制を介したコラーゲン生合成抑制によるという推測もされている。
25
第 2 章 腎臓の医学
26
一方、エンドトキシン誘発急性炎症モデルでは TNF-α 産生抑制作用に加えて抗炎症性サイトカイン
として知られるインターロイキン (IL)-10 の著しい亢進作用が認められる。IL-10 がマウス BLM 誘発
肺線維症に抑制的に作用するという報告もあることから、本薬の抗線維化作用に IL-10 産生亢進作用
が関与する可能性もある。
27
第3章
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
3.1 エネルギー代謝
3.1.1 食物からの ATP の合成
我々が生きてゆくためにはもちろん食物を摂取する必要があるが、その最も大きな理由は、食物から
生きてゆくために必要なエネルギーを得るためである。化学的にはこのエネルギーは ATP(アデノシン
三リン酸) と呼ばれる分子に蓄えられている (図 3.1)。ATP が ADP(アデノシン二リン酸) という分子に
変わるとき蓄えられたエネルギーが放出され、細胞内の様々な活動に使用される。従って食物からエ
ネルギーを得る過程は、食物から ATP を合成する過程であるとみなすことができる。食物から ATP が
合成される過程の全体像を図 3.2 に示す。ATP は解糖系と電子伝達系で合成されることに注意しよう。
ATP が ADP と無機リン酸 (Pi ) に加水分解される反応の自由エネルギー (∆G) は全反応物の濃度に
2
アデニン
アデノシン三リン酸
-
-
-
リボース
三リン酸
Production
エネルギー生産
Consumption
エネルギー消費
2
-
-
アデノシン二リン酸
二リン酸
図 3.1 ATP と ADP の化学構造
糖類の表現にはハース投影式 (Haworth projection) を使用した。
第3章
28
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
Food
食物
Protein
タンパク質
Lipid
脂質
Sugar
糖
Glycerol
グリセリン
Amino acid
アミノ酸
Fatty acid
脂肪酸
グルコース
細胞質
解糖系
ピルビン酸
ミトコンドリア
Acetyl-CoA
アセチルCoA
2
電子伝達系
2
2
図 3.2
食物からのエネルギーの摂取
細胞外シグナル因子としての ATP[38]
ATP は細胞外シグナルを担う因子としても働く。細胞膜のプリン受容体が細胞外 ATP に反応す
る。プリン受容体は大きく P1 受容体と P2 受容体に分けられ、P2 受容体はさらに P2X と P2Y の
サブグループに分けられる。ATP は膵 B 細胞からのインスリン分泌を抑制するが、これはグル
コース依存性の P2Y 受容体を介するメカニズムによると考えられている。また、P2Y 受容体刺激
により、GLUT1 によるグルコースの取り込みも抑制される。
なお、興味深いことに、ATP は腫瘍細胞の成長を抑制するという報告もある。
自由エネルギー
細胞を構成する分子は振動、回転、並進運動のエネルギーのような原子間の結合に蓄えられたエ
ネルギーを持っているが、自由エネルギー (Free energy, kcal/mol) はある系から取り出して、化学
反応の進行などの仕事に利用できるエネルギーである。特に細胞内のような定温定圧を仮定でき
る系ではギブスの自由エネルギー (G) が用いられ、その定義は、
G ≡ U + PV − T S
である。ここで U は系が持つ内部エネルギー、P は圧力、V は体積、T は温度、S はエントロピー
を表す。また標準自由エネルギー Go はある物質について一定の濃度 (1M)、温度 (25◦ C)、圧力 (1
atm) の状態で測った自由エネルギーである。化学反応は常に ∆G ≤ 0 となる方向に進む。
3.1 エネルギー代謝
29
OH
HO
HO
O
フルクトース-1,6-ビスリン酸
OH
OH
グルコース
ピルビン酸
ジヒドロキシアセトンリン酸
ピルビン酸
ジヒドロキシアセトンリン酸
図 3.3
解糖系の概観
依存するが、細胞内の普通の条件では-11 ないし-13 kcal/mol である。生合成反応の中には加水分解の
∆G が-13 kcal/mol でも足りないものもある。このような場合は、ATP はまず AMP(アデニル酸、アデ
ノシン一リン酸、adenylic acid、Adenosine monophosphate) とピロリン酸 (PPi ) に加水分解され、その
後ピロリン酸が加水分解される。これによって全体で-26 kcal/mol の自由エネルギー変化が得られる
[25]。
ATP と同様に NADH(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド) もエネルギーを運ぶ分子 (活性型運
搬体、activated carrier) である。エネルギーを持っていないときは酸化型の分子 NAD+ として存在す
るが、高エネルギー電子 2 個とプロトン (H+ ) を受け取ると還元型の NADH になる。NADH は食物分
子を酸化して ATP を合成する反応の中間体として機能する。
3.1.2 解糖系
食物は消化されたあと、糖類は解糖系と呼ばれる一連の化学反応の経路へ進む。解糖系は ATP 生成
の中心的経路であり、そこでは我々にとって最も重要な糖であるグルコース 1 分子がピルビン酸 2 分
子になる。そしてその過程で 2 分子の ATP と NADH が合成される。すなわち、図 3.3 に示すように、
グルコース 1 分子につき ATP2 分子が消費されるが、その後の反応で 4 分子の ATP が得られるため、
差し引き 2 分子の ATP が得られる。このときの ATP は ADP から生成される。解糖系の詳細を図 3.4
に示そう。
ADP は ATP からエネルギーが放出されたときにできる低エネルギーの分子であり、自由エネル
ギーは ADP の方が低い。それでは ADP から自由エネルギーのより高い ATP はどのようにして合
成されるのだろうか。実は解糖系では ADP から ATP が合成されるというエネルギー的に起こり
にくい反応が、2 つの酵素によってエネルギー的に起こりやすい反応と共役させられているのであ
る。すなわち、グリセルアルデヒド 3-リン酸 (Glyceraldehyde 3-phosphate、G3P) がグリセルアルデ
ヒド 3-リン酸脱水素酵素 (glyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase) によって酸化されるときに放出
されるエネルギーを用いて NADH および高エネルギーリン酸結合を持った 1,3-ビスホスホグリセリ
ン酸 (1,3-Bisphosphoglycerate、1,3-BPG) が合成される (図 3.5)。次にホスホグリセリン酸キナーゼ
(phosphoglycerate kinase 、PGK) によって 3-ホスホグリセリン酸 (Glycerate 3-phosphate) が合成され
る際の、その結合の加水分解のエネルギーを利用してリン酸基が ADP に転移して ATP が合成される
のである。
血液によって酸素が十分に供給されていれば、解糖系で生成されたピルビン酸はミトコンドリア内
第3章
30
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
2
Pyruvate
ピルビン酸
Glucose
グルコース
ATP
Pyruvate kinase
Mg ++
ATP
Hexokinase
Mg ++
ADP
+
H
ADP
Phosphoenolpyruvate
ホスホエノールピルビン酸
Hydrogen
水素
Carbon
炭素
Oxygen
酸素
Phosphate group
リン酸基
Inorganic phosphate
H2 PO4 無機リン酸
Mg++
Fructose 6-phosphate
フルクトース-6-リン酸
Nicotinamide adenine
ニコチンアミドアデニン
ジヌクレオチド
Phosphoglycerate
mutase
Enzyme
Hexokinase 酵素
ADP
Adenosine diphosphate
アデノシン二リン酸
Enolase
Mg ++
2-phosphoglycerate
2-ホスホグリセリン酸
NAD+ dinucleotide
Adenosine triphosphate
アデノシン三リン酸
H2 O
Phosphoglucose
isomerase
Magnesium ion (cofactor)
マグネシウムイオン (補因子)
ATP
H2 O
Glucose 6-phosphate
グルコース-6-リン酸
ATP
Phosphofructokinase
Mg ++
3-phosphoglycerate
3-ホスホグリセリン酸
ADP
Irreversible reaction
(highly exergonic)
不可逆反応
(高エネルギー発生)
Fructose 1,6-bisphosphate
フルクトース-1,6-ビスリン酸
ATP
Phosphoglycerate
kinase
Mg ++
Reversible reaction
可逆反応
ADP
Fructose bisphosphate aldolase
Triosephosphate isomerase
Glyceraldehyde phosphate
dehydrogenase
Mg ++
NAD+
H2 PO4
Dihydroxyacetone phosphate
ジヒドロキシアセトンリン酸
Glyceraldehyde 3-phosphate
グリセルアルデヒド-3-リン酸
図 3.4
+
NADH, H
1,3-bisphosphoglycerate
1,3-ビスホスホグリセリン酸
解糖系の詳細
×2 はグルコース 1 分子につき、対応する分子が 2 つ得られることを表す。
Free Energy 自由エネルギー
3.1 エネルギー代謝
31
NADH
Synthesis of 1,3Bisphosphoglycerate with
high binding energy
高エネルギー結合を持つ
1,3ビスホスホグリセリン酸
の合成
ATP
NAD
ADP
Breaking 1,3Bisphosphoglycerate high
energy bond
1,3ビスホスホグリセリン酸
の高エネルギー結合の切断
Oxidization energy of C-H bond
in Glyceraldehyde 3-phosphate
グリセルアルデヒド3-リン酸の
C-H結合の酸化エネルギー
図 3.5
共役反応による NADH と ATP の合成
C-H 結合の酸化エネルギーにより、NADH が生成されるとともに、高エネルギーのリン酸結合が出来上が
る (左)。この高エネルギー結合の切断によって ATP が合成される (右)。
Glucose
グルコース
2 NAD+
2 ADP
2 ATP
Glycolysis
解糖系
2 NADH
Two pyruvic acids
ピルビン酸2分子
+2H+
Regeneration of NAD+
NAD+ の再生
図 3.6
2 NAD+
Two lactic acids
乳酸2分子
乳酸が作られる発酵
のクエン酸回路という代謝経路に入り、ここで NADH がさらに生成される。ミトコンドリアの内膜に
存在する電子伝達系という代謝経路では、その NADH を使って酸素を消費しながら、より多くの ATP
が合成される (詳しくは小節 3.1.4 参照)。
しかし、細胞は常に必要量の酸素を利用できるわけではない。例えば激しい運動をしているときは、
血液による筋肉への酸素供給だけでは追いつかない。このような場合は、解糖系だけを使って ATP を
生産し、筋肉を動かしている*1 [33]。このとき、筋肉細胞では発酵 (fermentation) のプロセスが動いて
*1
酸素を使わずに成長できる嫌気性生物にとっては、解糖系が ATP を得る主要代謝経路である。ちなみに、悪性腫瘍の腫
第3章
32
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
ATP synthase
ATP合成酵素
Intermembrane space
膜間部分
Cristae
クリステ
Ribosome
リボソーム
Matrix
マトリックス
DNA
Inner membrane
内膜
Outer membrane
外膜
Granules
顆粒
図 3.7
動物のミトコンドリアの構造 [1]
いる (図 3.6)。発酵は細胞質で動く嫌気的なエネルギー獲得経路であり、ここで NADH が NAD+ に再
生されるとともに、ピルビン酸は乳酸などに変わって*2 細胞から排出される。
3.1.3 ミトコンドリアの構造と機能
ミトコンドリアは ATP を生産する細胞小器官で、真核生物の細胞に広く存在する。ミトコンドリ
アには、外膜、内膜、マトリックス、外膜と内膜の間の部分である膜間部分の 4 つの区画が存在し、エ
ネルギーの合成においてそれぞれが重要な役割を担っている (図 3.7)。
外膜
ポリンと呼ばれる輸送タンパクをもち、それが大きな親水性チャネルを構成している。そのた
め膜間部分の分子構成は、5000 ドルトン以下の分子については細胞質とほぼ同じになっている。
内膜
膜輸送タンパクによってマトリックスに入る分子の種類の選択をするという機能と、マトリッ
クスから送られてきた高エネルギー電子を使って電子伝達系でプロトンを膜間部分に汲み出す
という機能を持っている。
マトリックス
膜を通ってきたピルビン酸と脂肪酸を酸化してアセチル CoA を作り、クエン酸回路を
回す。そしてできた高エネルギー電子を内膜の電子伝達系に送る。また、電子伝達系で形成さ
れたプロトン勾配を使ってマトリックス内部にある ADP から ATP を合成する。
膜間部分
マトリックスから送られてきた ATP を用いて、ほかのヌクレオチドをリン酸化する。
3.1 エネルギー代謝
33
O
O
C
CoA
CoA
C
CO2+NADH, H+
C
Acetyl-CoA
CoA
O
C
O
O
C
C
C
C
O
O
Citrate synthase
Oxaloacetate
Coenzyme Q
GTP
Guanosine
triphosphate
CoA
Pyruvate dehydrogenase Enzyme (酵素)
O
O
O
O
cis-Aconitate
C
C
C
NADH, H+
Aconitase
C
Water
C
C
C
Coenzyme A
C
O
C
Q
Aconitase
Water
O
C
Sulfur (硫黄)
Adenosine
triphosphate
Water
Citrate
Pyruvate carboxylase
C
Oxygen (酸素)
S
ATP
NADH Nicotinamide adenine dinucleotide
C
-
O
O
O
O
-SH
HCO3 + ATP
ADP + Pi
Carbon (炭素)
-SH + NAD+
Pyruvate dehydrogenase
S
C
O
Acetyl
O
Hydrogen (水素)
C
C
C
Pyruvate
O
O
O
O
Malate dehydrogenase
NAD+
O
O
D-Isocitrate
C
NAD+
O
O
O
C
C
C
C
C
Malate
O
C
C
Citric acid cycle
C
O
O
O
C
O
O
O
NADH, H +
Isocitrate dehydrogenase
CO2
Fumarase
O
O
C
C
C
α -ketoglutarate
Water
C
C
O
O
O
NAD+ +
Fumarate
O
O
C
-SH
NADH, H+ + CO2
C
C
CoA
α--ketoglutarate dehydrogenase
C
Succinyl-CoA
O
O
O
QH2
Succinyl-CoA synthetase
C
S
C
Q
Succinic dehydrogenase
GDP + Pi
Succinate
O
O
C
C
C
C
C
O
CoA
O
CoA
-SH + GTP
C
O
O
図 3.8
クエン酸回路 [1]
Pyruvate: ピルビン酸、Acetyl-CoA: アセチル CoA、Citrate: クエン酸、cis-Aconitate: cis-アコニット
酸、D-Isocitrate: D-イソクエン酸、α -ketoglutarate: α ケトグルタル酸、Succinyl-CoA: スクシニル CoA、
Succinate: コハク酸、Fumarate: フマル酸、Malate: L-リンゴ酸、Oxaloacetate: オキサロ酢酸
3.1.4 クエン酸回路
クエン酸回路*3 と電子伝達系は、共に酸素呼吸が可能な細胞すなわち、ミトコンドリアを有する細胞
のみに存在するエネルギー代謝経路である。クエン酸回路はミトコンドリア内膜内 (マトリックス) に
存在し、電子伝達系はミトコンドリア内膜上に存在している。
ミトコンドリアを有する細胞では、解糖系によって生じたピルビン酸をピルビン酸脱水素酵素複
合体 (pyruvate dehydrogenase complex) という 3 種類の酵素からなる巨大な複合体によって二酸化
炭素とアセチル基に分解し、さらにこのアセチル基を CoA(補酵素 A) に結合させ、アセチル CoA*4
を生産する。脂肪由来の脂肪酸を分解する酵素も、ミトコンドリアでアセチル CoA を合成する (小
*2
*3
*4
瘍細胞内では、嫌気環境のみならず好気環境でも、解糖系に偏ったグルコース代謝が観測される。これをワールブルグ効
果 (Warburg effect) という。
醸造やパンの製造に使われる酵母ではエタノールと CO2 に変わる。
他に TCA 回路、TCA サイクル (tricarboxylic acid cycle)、トリカルボン酸回路、クレブス回路 (Krebs cycle) などの呼び
方がある
「アセチルコーエー」と読む。
第3章
34
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
Cytochrome oxidase complex Cytochrome b-c1 complex
䝅䝖䜽䝻䝮㓟໬㓝⣲」ྜయ
䝅䝖䜽䝻䝮b-c1」ྜయ NADH dehydrogenase
NADH⬺Ỉ⣲㓝⣲」ྜయ
H+
H+
H+
Intermembrane
space
⭷㛫㒊ศ
H+
Outer membrane
እ⭷
Inner membrane
ෆ⭷
eNAD+
O2
O2
ATP synthase
ATPྜᡂ㓝⣲
NADH
2H2O
H+
Electron transport chain
㟁Ꮚఏ㐩⣔
ATP
ATP
ADP + Pi
ADP + Pi
NADH
Citric acid
cycle
Pyruvic acid
Acetyl-CoA
䜰䝉䝏䝹CoA
Pyruvic acid
䝢䝹䝡䞁㓟
Matrix
䝬䝖䝸䝑䜽䝇
Fatty acid
Fatty acid
⬡⫫㓟
図 3.9
CO2
CO2
Mitochondrion
䝭䝖䝁䞁䝗䝸䜰
電子伝達系
節 3.1.7 で説明する)。ピルビン酸脱水素酵素複合体の活性はピルビン酸デヒドロゲナーゼキナーゼ
(pyruvate dehydrogenase kinase) によるリン酸化と、ピルビン酸脱水素酵素ホスファターゼ (pyruvate
dehydrogenase phosphatase) の脱リン酸化によって調整されており、複合体の脱水素酵素 (E1) がリン
酸化されると、活性が下がる [48]。
アセチル CoA はオキサロ酢酸と結合し、クエン酸となってクエン酸回路というループ状の代謝経路
に入る (図 3.8)。アセチル CoA は 2 つの炭素を有し、オキサロ酢酸は 4 つの炭素を有する分子である。
クエン酸はその合計、6 つの炭素を有している。クエン酸回路は回転しながら徐々に炭素を酸化して減
らしつつ電子を NAD+ に渡していく。この「電子を渡す」ことこそがクエン酸回路の大きな意義であ
る。NAD+ は電子を受け取って大きな還元力を持つ NADH になる。回路を一周すると、NADH が 3
分子できることになり*5 、また回路中の炭素の酸化過程で CO2 が 2 分子放出される*6 。
3.1.5 電子伝達系
電子伝達系の意義は「ATP を生産する」ことにあると言えるだろう。クエン酸回路で合成された
NADH から得た電子が電子伝達系を流れるときのエネルギーを用いて H+ がマトリックスから膜間部
分に汲み上げられる。結果的にミトコンドリア内膜を境に、膜間部分では H+ が増え、マトリックス側
では e− が増る (図 3.9)。
このようにして生じたプロトン勾配を利用して ATP 合成酵素がリン酸を使って ADP をリン酸化
*5
*6
他に GTP が 1 分子、FADH2 が 1 分子生じる。
この時に使われる酸素は実は分子状酸素から取り入れるのではなく、H2 O から取り入れている。
3.1 エネルギー代謝
35
酸化還元電位
分子から分子に電子伝達が起こる際の標準自由エネルギー変化 ∆Go の尺度となるのは、酸化還元
電位の差 ∆E0′ (mV) である。ある原子から電子が取り除かれる反応を酸化、逆に電子が与えられる
反応を還元と呼ぶが、酸化還元電位は、電子の物質に対する親和性を表す指標である。プロトン
(H+ ) に対する電子の親和性を基準 (標準酸化還元電位 E0′ = 0) として親和性が低い物質は低い酸
化還元電位を、高い物質は高い酸化還元電位を持つ。電子はより酸化還元電位が高い方に移動す
る。酸化還元電位を測るためには、下の図のように、対象となる酸化還元物質対を 1:1(等モル)
に混合した溶液と、基準として運んできた他の酸化還元物質対の等モル溶液を連結する電子回路
をつくり、両者の間の電位差 ∆E0′ を測定する。このとき、∆E0′ = E0′ (受容体) − E0′ (供与体) であ
り、また、
∆Go = −nF∆E0′
が成立する。ここで F はファラデー定数 (0.02306 kcal mV−1 mol−1 )、n は酸化還元電位の差が
∆E0′ のときに輸送される電子の数である。例えば NADH⇌NAD+ +H+ 2e− の反応の酸化還元電位
を測ると −320 mV となり、H2 O⇌ 12 O2 +2H+ +2e− は +820 mV なので、NADH から O2 への電
子伝達は極めて起こりやすいことが分かる (結果として 12 O2 +2e− +2H+ となり、O2 が消費されて
H2 O ができる)。この場合、∆E0′ = 1140 となり、n = 2 より、∆Go = −52.4 kcal/mol となる。
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し、ATP を合成する。NADH が酸化されて放出された電子は最終的に酸素に移って水分子が出来上が
るため、ここで酸素が消費される。このように ATP が合成される工程は酸化的リン酸化 (Oxidative
phosphorylation) と呼ばれる。
酸素を使用しない発酵で 1 分子のグルコースから獲得できる ATP の数は 2 個である。これに対し、
酸素を使って 1 分子のグルコースを完全に酸化して H2 O と CO2 にすると、全体で約 30 分子の ATP
が得られる。酸素を用いる呼吸代謝が ATP を獲得する上でいかに効率が良いか、よく分かるであろう。
3.1.6 食物の備蓄と利用
これまで述べてきたように、生物が活動するためには常に細胞内で ATP が必要となる。これは生体
内で起こる多くの化学反応のエネルギー源となるからである。しかしヒト以外の自然界の生物にも目
第3章
36
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
ヒトの飢餓状態 [1]
成人では基礎代謝量は体重の 25∼30 倍、すなわち、体重 60 kg の男性なら 1500∼1800 kcal 程
度である。ヒトは日々の活動のエネルギー源として、肝臓と筋肉にグリコーゲンを蓄えているが、
これは、絶食後約 1 日ですべてグルコースとなり全身で使い果たされる。グリコーゲンを使い果
たした結果、血糖値が低下すると、肝臓中で脂肪酸の分解経路である β 酸化回路が活性化され、
肝臓中の脂肪がβ酸化を経てケトン体 (β -ヒドロキシ酪酸、アセトン、アセト酢酸) に変化し血
流中に流出する。ケトン体は、全身でグルコースに代わるエネルギー源として利用される。した
がって、栄養が欠乏するとまず肝臓や筋肉中のグリコーゲンが、ついで肝脂肪がエネルギー源と
して使われる。飢餓状態が更に進むと、体脂肪や皮下脂肪など肝臓以外の脂肪が血流に乗って肝
臓へと運ばれ、これもまた、肝臓で β 酸化されてケトン体に変わり、同様にエネルギー源となる。
これにより、ヒトは、理論上は水分の補給さえあれば絶食状態で 2∼3 ヶ月程度生存が可能であ
り、この限界を越えれば餓死に至ることになる。たとえば、仮に、体重 70 kg、体脂肪率 20% と
し、脂肪のカロリーを 9 kcal/g、絶食により運動強度が下がった結果として低下する基礎代謝量を
1200 kcal/日とすると、70 kg×0.2(体脂肪率)× 9 kcal/g / 1200 kcal/日 = 105 日、となり、この計算
だと、ヒトは絶食後 3 ヶ月半ほど生存することができることになる。
ただし、これはあくまでエネルギーの計算上というだけで、実際には健康な状態を維持すること
は不可能に近い。その理由は、ヒトの体内ではタンパク質、核酸、無機塩類、その他様々な生理
活性物質が緩やかに代謝回転しており、それらの新規合成のために、必須アミノ酸や必須脂肪酸、
ミネラル類や、様々なビタミンなどを食物より摂取する必要があるからである。逆にこれらの摂
取がない場合、筋肉などがアミノ酸に分解して、別のタンパク質の合成のためのアミノ酸源や糖
の原料 (糖新生) として使われることになる。
を向けると、現実には生物は常に食物にありつけるわけではない。そこで生物には食物分子を備蓄す
る機構が備えられている。
動物の場合、肝臓や筋肉など多くの細胞の細胞質にグリコゲンという多糖が小さな顆粒として存在
し、急な必要性に素早く対応できるようになっている。一方、脂肪は脂肪組織にトリアシルグリセロー
ル (triacylglycerol) と呼ばれる中性脂質として貯蔵され、必要なときは血中に放出される*7 。これはグ
リコゲンに比べ備蓄性に優れるという長所があり、また 1g 当たりのエネルギーもグリコゲンの約 2 倍
である。
ちなみに植物の場合、食物をデンプンと脂肪という形で蓄えており、どちらも葉緑体に蓄えられ、日
光から ATP を生産できない時に使われる。種子には多量のデンプンや脂肪が蓄えられており、成長す
るためのエネルギーや生体分子として使われている。発芽中の種子は、必要に応じて、脂肪をグルコー
スに変えられる*8 。
体外から摂取された食物分子や、体内に備蓄された糖や脂肪は、解糖系やクエン酸回路を中心に異化
反応によって利用される。異化反応によって、細胞は、エネルギーだけでなく、体を作るために必要な
材料を作る。この代謝経路は、複雑に枝分かれしているが、調節機構の巧妙な働きにより、調和を保っ
ているのである。
*7
*8
脂質そのものに関しては節 3.2、脂質を利用したエネルギー代謝については小節 3.1.7 でさらに触れる。
動物細胞では糖は脂肪に変えられるが、脂肪酸は糖に変えられない。
3.1 エネルギー代謝
37
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図 3.10 β 酸化の経路
γ
脂肪酸は肝臓などエネルギーを必要としている細胞に運ばれた後、CoA と結合して脂肪酸アシル CoA (RC
β
α
H2 CH2 CH2 CO–SCoA) となる [34]。この分子の末端が炭素数 2 のアセチル CoA に分解される。体内の脂
肪酸は炭素数が偶数のものが多いので、2 つずつ切っていくとちょうど余りが出ずに全ての炭素がアセチ
ル CoA になる。脂肪酸のカルボキシ基 (-COOH) がついている炭素を α 炭素、その隣を β 炭素というが、
まず β 炭素をカルボニル基 (-C(=O)-) に酸化して、α と β の間で切ると、アセチル CoA がちょうど 1 つ分
脂肪酸から離れることになる。残った方は今まで β だった炭素がカルボニル基からカルボキシ基に変わっ
ているので、炭素の 2 つ短い脂肪酸になっている。α –β 結合の開裂はアシル CoA 転移酵素によって CoA
を新しいカルボキシ基の側にも付けながら行われるので、短くなった脂肪酸 CoA を先ほどと同様に新しい
β 炭素の位置で酸化していけば、またアセチル CoA が取れる。こうしてアシル CoA 分子中の全ての消費
可能な炭素がアセチル CoA に変換されるまで回路をまわる [35]。
3.1.7 脂肪の β 酸化
β 酸化は脂肪酸を酸化して脂肪酸アシル CoA(fatty acyl-CoA。脂肪酸と補酵素 A のチオエステル)
を生成し、そこからアセチル CoA を取り出す代謝経路のことであり (図 3.10)、1904 年ヌープ (Franz
Knoop, 1875-1946) によって発見された。β 酸化は 4 つの反応の繰り返しから成り、反応が一順するご
とにアセチル CoA が 1 分子生成され、最終生産物もアセチル CoA となる。脂肪酸アシル CoA の β 位
において段階的な酸化が行われることから β 酸化と名付けられた。β 酸化は脂肪酸の代謝の 3 つのス
テージ (β 酸化、クエン酸回路、電子伝達系) の最初 1 つであり、生成されたアセチル CoA はクエン酸
回路に送られ、CO2 へと酸化される。動物細胞では脂肪酸からエネルギーを取り出すための重要な代
謝経路である。植物細胞においては発芽中の種子の中で主に見られる。
3.1.8 AMPK によるエネルギー代謝の制御
細胞内のエネルギー量を適切に保つためには、ATP の生産量と消費量を適正に維持しなければな
らない。AMPK(AMP 活性化プロテインキナーゼ) は細胞内のエネルギー恒常性を維持する酵素であ
り、ATP の生産量が低下して AMP や ADP の量が相対的に上昇した時に、異化代謝経路 (catabolic
第3章
38
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
LKB1
ᰤ㣴㣚㣹(㺖㺼㺷㺘㺎㺛ࠊ02)
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STRAD
MO25
ADP
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㺸㺚㺼㺛㺟㺻
AMP
CAMKK2
P
γ
Abbo A769662
β
Glucose
Metabolism
ࢢࣝࢥ࣮ࢫ௦ㅰ
PFKFB3
GYS1
TBC1D1
G F AT 1
Lipid
Metabolism
⬡㉁௦ㅰ
Ca2+
AMPKα
Cell growth,
Autophagy
⣽⬊ᡂ㛗
࣮࢜ࢺࣇ࢓ࢪ࣮
HMGR
HSL
TSC2
IRS1
ACC1
ATGL
Raptor
p53*
ACC2
PLD1
ULK1
p27*
Transcription
㌿෗
Polarity
ᴟᛶ
CLIP170
Tau
GBF1
K LC 2
MLC K*
HDAC4/5/7
p300
CRTC2
Srebp1
FOXO3
Cry1
Histone2B
HNF 4α
TR4
P G C-1α
T IF 1α
S rc-2
AR E B P
C hrebp
図 3.11 AMPK シグナル伝達経路 [59]
細胞がストレスに晒されて AMP や ADP の濃度が上昇すると、AMPK が活性化され、その基質がリン酸化さ
れることにより、細胞内の様々な経路が制御される。図には制御される主な経路およびその因子を示した。但し
斜体で示されている因子に関しては本当に AMPK の基質なのか、検証が必要である。赤で示されている因子は
AMPK の他のファミリー因子 (SIK1、SIK2、MARK、SAD) の基質となるものである。アスタリスク (*) は間接
的に AMPK によって制御されると思われる因子を表わす。LKB1 は AMP または ADP の濃度上昇を検知して
AMPK を活性化するキナーゼであるが、CAMKK2 はカルシウム濃度の上昇を検知して AMPK を活性化する。な
お図の上の方に示したように、AMPK を活性化する薬剤 (AICAR など) がいくつか知られている。
pathway) を活性化して ATP の生産量を増やすとともに、同化代謝経路 (anabolic pathway) を抑制する。
哺乳類のような真核生物では、この酵素は成長や代謝の一般的な調整を行い、肝臓や筋肉、脂肪などで
は、より特化された代謝の制御を行う。例えば筋肉細胞でエネルギーが欠乏したときに AMPK は活性
化し、PPARGC1A(後述) の特定のアミノ酸をリン酸化する。これによって、ミトコンドリア遺伝子の
発現が上昇する。
AMPK は触媒サブユニット (catalytic subunit)α と調整サブユニット (regulatory subunit)β 、γ からな
る複合体である。細胞内の ATP の濃度が下がると、AMP または ADP は直接 γ サブユニットに結合
し、AMPK は構造変化を引き起こしてリン酸化される。なお、Thr172 のリン酸化により AMPK は活
性化されるが、セリン・スレオニンキナーゼ LKB1 はこの反応を直接触媒できる。
図 3.11 に示すように、様々な細胞ストレスが AMPK 活性化につながる。例えば栄養飢餓状態や長
時間の運動により AMP や ADP の濃度が上昇すれば、活性化が起こる。また幾つかの薬剤によって活
3.1 エネルギー代謝
39
RTKs
NF1
Ras
PTEN
P13Kα
B-raf
PDK1
STRAD
Erk
P
MO25
LKB1
P
P
Rsk
P
AMP
P
Akt
P
TSC2
TSC1
P
γ
AMPKα
β
RHEB
P
P
P P P
ATG13
FIP200
ULK1
P
P
Raptor
mTOR
PRAS40
P
4ebp
Autophagy
࣮࢜ࢺࣇ࢓ࢪ࣮
S6K1
Cell growth
⣽⬊ᡂ㛗
図 3.12 Ras/PI3K/mTOR パスウェイと LKB1/AMPK パスウェイのクロストーク [59]
活性化に寄与するリン酸化を赤い”P”で、抑制に寄与するリン酸化を黄色い”P”で示した。
性化される。例えば、2 型糖尿病患者にしばしば投与される薬剤メトホルミン (Metformin) は LKB1 依
存的に AMPK を活性化する。AICAR は同じく AMPK のアゴニスト*9 であり、AMP の疑似化合物と
なって、AMPK の γ サブユニットに結合する。
細胞が栄養飢餓状態に置かれると、AMPK は代謝状態に応じて細胞の成長を阻害するスイッチとし
て機能する。この最もよく知られた機構は、mTORC1 パスウェイの阻害である (図 3.12)。mTORC1
は細胞の成長を制御するとともに、オートファジーを制御する。オートファジーは細胞内のオルガネ
ラや細胞質ゾル内の物質を分解して栄養が少ない時に代謝物質を確保する。
活性化された AMPK は ULK1 依存的なマイトファジー (ミトコンドリアのオートファジー) を引
き起こすとともに、PPARGC1A に依存した転写を活性化させ、ミトコンドリアの生合成を行う(図
3.13)。これによって損傷したミトコンドリアが置き換えられる。このような仕組みは腫瘍細胞の生存
や造血幹細胞の多分化能、肝臓における脂質の維持、そして筋骨格の持久力などと深い関わりがある。
PPARGC1A(Peroxisome proliferator-activated receptor gamma coactivator 1-alpha、PGC-1α 、ペロキ
シソーム増殖因子活性化受容体 γ コアクチベータ 1α ) は、エネルギー代謝に関わる遺伝子を制御する転
*9
アゴニスト (Agonist) とは生体内の受容体分子に働いて神経伝達物質やホルモンなどと同様の機能を示す作動薬のこと。
現実に生体内で働いている物質はリガンドと呼ばれる。それは、持っている作用が生体物質とまったく同一であれば利用
する意味がない (その物質そのものを用いればよい) ためである。そのためアゴニストとされる物質は、生体物質とは少し
違った性質を持っている。多くの場合、それは分子間選択性であったり、標的分子への結合力であったりする。対義語と
してアンタゴニストがある。これは、同様に受容体に作用するが、作用する事で受容体の活動を抑制する薬剤のことであ
る。
第3章
40
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
P
γ
β
ATG13
AMPKα
PGC-1α
Other
PPARδ
TFs
ULK1
FIP200
Mitophagy
࣐࢖ࢺࣇ࢓ࢪ࣮
図 3.13
Mitochondrial biogenesis
࣑ࢺࢥࣥࢻࣜ࢔ࡢ⏕ྜᡂ
AMPK によるミトコンドリアの分解と生合成の制御 [59]
Cold, fasting
ప ࠊ⤯㣗
cAMP
PKA
VHL
P
CREB
HIF1
CREB
Glycolysis
ゎ⢾
ERRα
NRF-1
NRF-2
RIP140
ERRα
PGC-1α
Mitochondrial biogenesis
࣑ࢺࢥࣥࢻࣜ࢔⏕ྜᡂ
PPARα
Deacetylation
⬺࢔ࢭࢳࣝ໬
Phosphorylation
ࣜࣥ㓟໬
AMPK
SIRT1
Fatty acid oxidation
⬡⫫㓟㓟໬
AMP/ATP
NAD+/NADH
Energy deprivation
࢚ࢿࣝࢠ࣮Ḟஈ
図 3.14 PPARGC1A によるエネルギー代謝の制御 [53]
3.1 エネルギー代謝
写共役因子であり、これによってミトコンドリアの生合成が行われる。例えば核内受容体*10 PPAR-γ と
相互作用する事によって複数の転写因子と相互作用できるようになる (図 3.13、3.14)。また、cAMP 応
答配列結合タンパク (cAMP response element-binding protein、CREB) や核呼吸因子 (nuclear respiratory
factors、NRFs) と相互作用し、その活性を制御する。これによって、外部生理的刺激とミトコンドリア
合成を連動させている。さらに筋繊維の種類の決定を行う主要因子でもある。持久力トレーニングを
行うとヒトの骨格筋の PPARGC1A が活性化する事が報告されている。また PPARGC1A が肝臓で糖
新生 (glyconeogenesis)*11 や脂肪酸 (fatty acid) の β 酸化 (β -oxidation) に関わる遺伝子の発現を上昇さ
せることにより、血中グルコース濃度を一定に保つ役割があることが多数の研究により明らかになっ
ている。
このタンパク質はさらに、血圧の制御や細胞内コレステロールの恒常性、肥満の進行に関わる可能性
が指摘されている。ミトコンドリアの機能低下は筋骨格の脂質の過剰蓄積や脂肪の酸化の低下につな
がる可能性が指摘されており、PPARGC1A の活性が下がると、ミトコンドリアの数が減ることが考え
られる。実際に 2 型糖尿病の患者では PPARGC1A の発現量が低下しており、ミトコンドリアの数も
少ないという統計もある [51]。
近年フォルスコリン*12 で処理した HepG2 細胞*13 中で PPARGC1A やこれと関連する転写因子
(CEBPB, ESRRA, NR3C1, HNF4A, HSF1, GABPB) がゲノム上のどの領域に結合するか、また結合サ
イトに何か顕著な DNA 配列パターンが見られるか、ChIP-seq によって網羅的に調べられた。その結
果、多くの場合に PPARGC1A はいくつかの他の転写因子と共にゲノムに結合すること、またその組み
合わせによって制御する遺伝子の機能も異なる傾向があることが分かった [50]。
2 型糖尿病の患者の筋骨格では PPARGC1A の過剰メチル化が起こっており、メチル化の度合いはミ
トコンドリア DNA(mtDNA) の量と逆相関していることが報告されている [49]。
3.1.9 UCP1 とエネルギー代謝調整
脂肪酸やグルコースなどの化学的エネルギーは、必要に応じて ATP に合成され、筋肉運動や能動輸
送、生合成など利用された後、最終的に熱となるが、生体は熱エネルギーを回収利用する仕組みを持
たないので、体外に放散するのみである。従って、これらの過程をバイパスあるいは繰り返せば熱産
生が増え、エネルギーが消費されることになる。UCP は、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を脱共
役させる活性を持つ (図 3.15)[31]。すなわち、細胞内でグルコースや脂肪酸が分解されると NADH や
FADH2 が生成され、これらが電子伝達系で酸化される過程で放出されるエネルギーは、いったんミト
コンドリア膜を介するプロトンの電気化学的勾配として保存される。このエネルギー勾配にしたがっ
てプロトンがミトコンドリア内に流入する際に、膜 ATP 合成酵素を駆動して ADP と無機リン酸を縮
合させる。
*10
核内受容体 (nuclear receptor) とは細胞内タンパク質の一種であり、ホルモンなどが結合することで細胞核内での DNA 転
写を調節する受容体である [1]。発生、恒常性、代謝など、生命維持の根幹に係わる遺伝子転写に関与している。ヒトで
は 48 種類存在すると考えられている。核内受容体はリガンドが結合すると、核内に移行し DNA に直接結合して転写を
制御する。すなわち転写因子の一種である。
*11 飢餓状態に陥った動物が、グルカゴンの分泌をシグナルとして、ピルビン酸、乳酸、糖原性アミノ酸、プロピオン酸など
の糖質以外の物質から、グルコースを生産する経路。1 分子のグルコースを新生するのに、ATP を 6 分子必要とする。ほ
とんどは肝臓の細胞で、一部は腎臓で行われる。
*12 cAMP の濃度を上昇させる化合物。これによって PPARGC1A が活性化し、飢餓状態のときにグルカゴンによって制御さ
れるパスウェイが活性化する。なお、グルカゴンは、インスリンとともに血糖値を一定に保つ作用をするホルモンであり、
インスリンとは反対に血糖値が下がって糖を必要とするようになったときに肝細胞に作用してグリコーゲンの分解を促進
する。
*13 ヒト肝癌由来細胞
41
第3章
42
Sympathetic
nervous system
Retinoic acid
Thyroid hormone
Thiazolidines
Norepinephrine
AC
β
Glucose
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
Lipoprotein
TG
HSL
cAMP
FFA
CREB
PKA
Glyc.
β-ox.
UCP1 gene
CO2
TCA
A.-CoA
NADH
FADH2
ATP
CREB
H2O
PGC-1
ADP+Pi
H+
ATP
E. transp.
Chain.
PGC-1
R
syn.
RXR
UCP
L
R
PPAR
T3
PGC-1
RXR
TR
UCP1
H+
PGC-1
FFA
NRF
CO2 H2O
Heat
Genes related to
mitochondrial
functions
図 3.15 UCP によるエネルギー散逸と褐色脂肪 UCP1 遺伝子発現の調節 [31]
β : β アドレナリン受容体、Gs: G 蛋白質、AC: アデニル酸シクラーゼ、PKA: プロテインキナーゼ A、
CREB: cAMP 応答配列結合蛋白質、TG: トリグリセリド、FFA: 遊離脂肪酸、HSL: ホルモン感受性リパー
ゼ、PPAR: ペルオキシソーム増殖剤応答性受容体、PGC-1: PPARγ コアクチベーター 1、RXR: レチノイド
X 受容体、TR: T3 受容体、R: レチノイン酸、L: PPAR リガンド、NRF: nuclear respiratory factor
このように、普通のミトコンドリアでは電子伝達と ATP 合成が内膜でのプロトン濃度勾配を介して
密に共役しているが、UCP はこのプロトン濃度勾配を短絡的に解消する特殊なチャネルである。従っ
て、UCP が活性化されると化学エネルギーが ATP を経ずに直接熱へと変換され、散逸消費されること
になる。UCP には、熱産生部位である褐色脂肪細胞に特異的な UCP1 のほかに、白色脂肪組織や骨格
筋、脾臓、小腸など全身に幅広く存在する UCP2、主に骨格筋にある UCP3 などが知られているが、中
でも UCP1 については、
1. 肥満動物では UCP1 の機能が低下している
2. 多食しても肥満しない動物は UCP1 が増加している
3. 人為的に UCP1 の発現を低下させたマウスは肥満し高発現マウスは痩せる
などの事実が知られており、個体レベルのエネルギー消費と肥満進展に一定の役割を果たしていると
信じられている。
UCP1 は、褐色脂肪細胞の β アドレナリン受容体の刺激によって活性化される (図 3.15)。すなわち、
寒冷暴露や多食などによる交感神経の活動亢進や β 受容体アゴニスト投与によって β 受容体が刺激さ
れると、アデニル酸シクラーゼ→プロテインキナーゼ A →ホルモン感受性リパーゼと一連の酵素が活
性化され、細胞内中性脂肪から脂肪酸が遊離する。この脂肪酸は、酸化分解されて熱源となるのみなら
3.2 脂質の役割
43
O
O
C
1
α CH2
2
β CH2
3
γ CH2
4
δ CH2
5
ε CH2
⬡⫫㓟࢔ࢩࣝᇶ
CH2
acyl group of fatty acid
CH2
H
C
Ⅳ໬Ỉ⣲ࡢᑿ
hydrocarbon tail
9
C
10
H
CH2
H2C
CH2
H2C
CH2
H2C
CH2
ω CH3
18
図 3.16 脂肪酸の一種であるオレイン酸の化学的構造
IUPAC(国際純正・応用化学連合、International Union of Pure an Applied Chemistry) の命名法では、カルボキシル
基の炭素を C-1 とし、以下順番に番号を付与する。慣用的な命名法では、カルボキシル基の隣が α で、それに続
く炭素を β 、γ 、δ のようにギリシア文字で命名する。カルボキシル基から最も離れた炭素は鎖の長さに関係なく
ω で表される。赤の二本線は炭素原子間の二重結合を表し、ここで脂肪酸の尾が折れ曲がる。
ず、UCP1 に直接作用して H+ チャネル機能を活性化する作用を持つ。β 受容体刺激に伴うプロテイン
キナーゼ A の活性化は、cAMP 応答配列結合蛋白質 (CREB) などの転写調節因子を介して UCP1 の遺
伝子発現を増加させる効果もある。これには、T3 やレチノイン酸、チアゾリジン誘導体に対する核内
受容体 (TR、RXR、PPAR) の存在が必要であるが、これら全体を束ねる因子として PPARγ コアクチ
ベーター 1(PGC-1)が発見された。現在は、CREB が直接 UCP1 遺伝子のプロモーターに結合するの
ではなく、PGC-1 の遺伝子発現を増加させ、生成した PGC-1 が TR、RXR、PPAR 間の複合体形成を仲
介するとされている。PGC-1 は他のミトコンドリア蛋白質の遺伝子発現を調節する nuclear respiratory
factor (NRF) と結合し、ミトコンドリアの増生を促す作用もある。
3.2 脂質の役割
3.2.1 脂質の多様性
脂質 (lipid) はタンパク質、糖質、ヌクレオチドと並んで細胞に必須の成分である。その化学的構造
は非常に多様であり、また脂肪や油から、コレステロールのようなステロイドまでかなり広い範囲の物
質を含む。脂質のうち室温で個体のものを脂肪 (fat)、液体のものを油 (または油脂、oil) と呼んでいる
[33]。
脂質の中で一番単純な構造を持つものは脂肪酸 (fatty acid) であり、一般式 R-COOH で表される。R
は炭化水素の尾である。脂肪酸の一種であるオレイン酸の構造および脂肪酸の各部位の名称を図 3.16
第3章
44
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
に示そう。脂肪の性質はそれを構成するの性質によって決まり、脂肪酸の性質は含まれる炭素の数と
二重結合の数および位置で決まる。全ての炭素間が 1 本の結合 (一重結合) で結ばれた脂肪酸を飽和脂
肪酸といい、2 本の結合を含む脂肪酸を不飽和脂肪酸という。
様々な生物の脂質から 100 種類以上の脂肪酸が発見されている [35]。生体膜の成分として重要なの
は、リン脂質 (phospholipid)*14 の一種であるグリセロリン脂質やスフィンゴ脂質などであり、両者とも
両親媒性脂質*15 である。小節 3.1.6 で述べたように、トリアシルグリセロール (triacylglycerol) は細胞
内代謝に必要なエネルギーを貯蔵する役割があり、多くの生物で利用されている。
3.2.2 Lipoxin A4 による腎臓の線維化の抑制
エイコサノイド (eicosanoid) は脂肪酸の一種であり、ω -6 脂肪酸*16 のアラキドン酸 (arachidonic acid)
から作られ、哺乳動物の血圧、体温、平滑筋の収縮などを制御している。
消炎は内在性のリポキシンやレゾルビン、プロテクチン等の脂質メディエータ (lipid mediator) によっ
て調整される反応である。リポキシン (Lipoxin) は生体内で合成されるエイコサノイド (eicosanoid) の
一種で、ω 脂肪酸由来の生理活性物質である。リポキシンには炎症を起こさせる物質を阻害したり、免
疫細胞の異常な増殖を抑えたりすることが分かってきた [17]。また、このリポキシンに注目すると鎮
痛物質 (抗炎症剤) アスピリンの薬効を新しく説明できる。アスピリンの投与によって、特殊なリポキ
シンの合成が促進され、その特殊なリポキシンが炎症を抑えていることが分かってきたのである。
リポキシンが腎臓の炎症を抑える可能性についても研究が進められている。リポキシンは、急性の炎
症において好中球 (neutrophil) や好酸球 (eosinophil) の輸送を抑え、マクロファージの活性化や貪食除
去 (efferocytosis) などによって炎症を収束させる*17 。また、リポキシンによってコラーゲンの蓄積と
腎臓細胞のアポトーシスが抑制され、その際に TNF-α と IFN-γ の発現が抑えられるとともに、消炎を
促進する IL-10 が活性化されることがラットを使った実験により確かめられた [81]。さらに、リポキ
シン A4 は TGF-β に誘導されて起こる Smad2 や MAP キナーゼの活性化を抑制することが分かった。
3.2.3 脂肪細胞
脂肪細胞 (adipocyte) は、細胞質内に脂肪滴を有する細胞であり、白色脂肪細胞 (単胞性脂肪細胞、
white adipocyte) と褐色脂肪細胞 (多胞性脂肪細胞、brown adipocyte) に分類される [1]。白色脂肪細胞
には大型の脂肪滴が存在し、中性脂肪を貯蔵する働きを持つ。褐色脂肪細胞には小型あるいは中型の
脂肪滴が多数存在し、細胞小器官が発達しており、単胞性脂肪細胞から遊離した脂肪酸を取り込んでエ
ネルギーを燃焼させ熱を生産する。
前駆脂肪細胞が、脂肪細胞への脂肪酸輸送を促進する転写因子である PPARγ 等の因子によって刺激
されて成熟脂肪細胞 (正常脂肪細胞) となる。カイロミクロンや VLDL の中性脂肪をリポタンパクリ
パーゼによって分解し、脂肪酸を脂肪細胞へ運ぶことによって脂肪細胞が成熟する。また、グルコース
が脂肪細胞へ取り込まれると脂肪酸が合成される。通常の脂肪細胞は、インスリン受容体を介さずに
*14
構造中にリン酸エステル部位 (酸とアルコールから水が取れて結合した構造を持つ化合物をエステルという) をもつ脂質
の総称。両親媒性を持ち、脂質二重層を形成して糖脂質やコレステロールと共に細胞膜の主要な構成成分となるほか、生
体内でのシグナル伝達にも関わる。
*15 親水性の頭部と、疎水性の尾部を持つ脂質。
*16 脂肪酸の鎖の最後の二重結合の位置が最後から 6 番目にある。
*17 このような現象を指すのに pro-resolving という用語がよく使われる。これは炎症を収束させ、さらにアポトーシス小体
(apoptotic body) の除去や リンパ管 (lymphatic) を使った白血球 (leukocytes) の排出などの「後片付け」をすることを意味
する。
3.2 脂質の役割
グルコースの取り込みを促進し、さらに、インスリン受容体の感受性を良くするアディポネクチンを分
泌する。高カロリー摂取や運動不足などによって脂肪細胞は次第に肥大化していき、肥大化脂肪細胞
となる。脂肪細胞の大きさが上限に達し、これ以上脂肪を溜め込めない状態になると、周囲の前駆脂肪
細胞が PPARγ などによって刺激されて成熟脂肪細胞となり順次肥大化していく。また、脂肪細胞も細
胞分裂し、脂肪細胞の数も増加する。白色脂肪細胞はヒトにおいて 250-300 億個あり、直径は成熟脂
肪細胞において 70-90 μ m であり、肥大化脂肪細胞は 130-140 μ m まで大きくなる。褐色脂肪細胞の
直径は 20-40 μ m である。
脂肪細胞が肥大化すると、インスリン抵抗性を惹起する種々の物質 (TNF-α 、脂肪酸、レジスチン)、
肥満中枢を刺激して食欲を抑制するレプチン、インスリン受容体の感受性を良くするアディポネクチ
ンの分泌低下、血液凝固を促進する物質 (plasminogen activator を阻害して血液凝固の溶解を阻害する
物質)
、単球やリンパ球の遊走を引き起こす単球走化性タンパク質 (monocyte chemoattractant protein)、
昇圧作用を持つ生理活性物質アンジオテンシン II の原料となるアンジオテンシノーゲンなどが分泌さ
れる。
脂肪細胞が肥大化すると、過剰に分泌されたレプチンが交感神経の活動を亢進させ、血管を収縮させ
ること等による、血圧の上昇やレニン-アンジオテンシン系の活性化が起こる。アンジオテンシノーゲ
ンは肝臓で産生されるが、肥大化脂肪細胞からも産生、分泌される。アンジオテンシノーゲンから生成
されたアンジオテンシン II は、副腎皮質球状帯に作用してナトリウムの再吸収を促進するアルドステ
ロンの分泌を促進し体内に水分を貯留する。また、脳下垂体に作用し利尿を抑えるホルモンである抗
利尿ホルモンであるバソプレッシン (ADH) の分泌を促進し同じく体内に水分を貯留する。これらのこ
とにより高血圧を招く。肥満患者において高血圧症が多いのはこのためである。また、肥満細胞の肥
大化 (肥満) によるインスリン抵抗性の発現は高インスリン血症をきたす。高インスリン血症は、腎尿
細管へ直接作用してナトリウム貯留を引き起こし、これが水分を貯留し結果として血糖値を下げる作
用につながるが、水分の貯留により高血圧を発症させることとなる。
脂肪細胞が肥大化すると、特に内臓に存在する脂肪細胞から遊離脂肪酸が遊離される。この脂肪酸
の一部が骨格筋や肝細胞に運ばれ、骨格筋内へ運ばれた脂肪酸はタンパク質分子をリン酸化する酵素
であるプロテインキナーゼ C を活性化し、更に NF-κ B に関連した Iκ Bα のセリン残基をリン酸化す
る酵素複合体である Iκ B kinase (IKK)が活性化されて、インスリン受容体基質である IRS1 タンパク
のセリン残基をリン酸化する。この経路によって IRS1 タンパクがリン酸化されると、正常なリン酸化
過程が阻害され、結果的に IRS1 以降のシグナルが伝達されず、インスリン依存のグルコーストラン
スポーターである GLUT4 を膜に移送できなくなる。GLUT4 が機能しにくくなると、インスリンによ
りグルコースが細胞に取り込まれにくくなる。この状態がインスリン抵抗性となる。もう一つのメカ
ニズムとし、脂肪細胞から単球走化性タンパク質である MCP-1 が遊離され、MCP-1 は単球を引き寄
せ、細胞外に出た単球は活性化されてマクロファージとなる。このマクロファージは脂肪細胞の周囲
に集積し、ここから腫瘍壊死因子として知られる TNF-α を分泌する。TNF-α が受容体に結合すると
セリン・スレオニンキナーゼである JNK(c-Jun amino-terminal kinase)がインスリン受容体基質であ
る IRS1 タンパクのセリン残基をリン酸化する。この経路でも上記メカニズムと同様にインスリン抵抗
性となる。 また、TNF-α は、GLUT4 の発現を抑制する作用もある。TNF-α のこれらの作用は著明な
インスリン抵抗性を示す。さらに加えて、脂肪細胞から分泌されるアディポネクチンは、TNF-α や遊
離脂肪酸と異なり、インスリン受容体の感受性を上げるが、脂肪細胞の肥大化によりアディポネクチン
の分泌が低下し、結果としてインスリン抵抗性を示す。
脂肪組織 (adipose tissue) は、脂肪細胞で構成された疎性結合組織の解剖学的用語である [1]。 主な
役割は脂肪としてエネルギーを蓄えることであるが、外界からの物理的衝撃を吸収することで重要な
45
第3章
46
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
器官を保護したり、外界の温度変化から断熱して体温を保ったりする機能も持つ。近年はホルモンを
作り出す重要な内分泌器官としても注目されており、TNF-α やレプチン、レジスチン、アディポネク
チンなどの産生に関与する。
3.2.4 アディポネクチン
脂肪細胞からは様々な生理活性物質が分泌されているが、これらを総称してアディポサイトカイン
(Adipo-cytokine) という。アディポサイトカインには、動脈硬化を予防する「善玉アディポサイトカイ
ン」と、動脈硬化を促進させる「悪玉アディポサイトカイン (PAI-1 や TNF-α )」がある。正常な状態
では、これら善玉・悪玉アディポサイトカインの分泌バランスはよく保たれるが、内臓脂肪が蓄積した
状態では、善玉アディポサイトカインの分泌量が減り、悪玉アディポサイトカインが過剰に分泌され
る。この分泌の乱れが生活習慣病を招き、動脈硬化や糖尿病を進展させる。この善玉アディポサイト
カインの一つであるアディポネクチン (adiponectin) *18 は、抗糖尿病作用、抗動脈硬化作用、抗炎症作
用、抗肥満作用を併せ持つ分子であることが多くの研究によって明らかにされ、まさにメタボリック・
シンドロームの中心的存在として注目されている、
アディポネクチンは内臓脂肪細胞で作られる善玉物質で、大阪大学分子制御内科学教室の松澤教授
のグループによって発見された [11]。アディポネクチンの分泌は内臓脂肪と相関しており、内臓脂肪
が増えれば血液中のアディポネクチンは減少する。心筋梗塞などの冠動脈疾患の患者でアディポネク
チンが低い群ほど死亡率が高くなる。また糖尿病患者でもこの数値が低く、インスリン感受性が低い
ことも報告されており、動脈硬化にもなりやすい。
アディポネクチンには以下の作用がある。
• 血管平滑筋細胞の増殖抑制作用、血管内皮細胞と単球の接着阻害作用、マクロファージの貪食能
の低下作用などによる動脈硬化を抑制
• 脂肪細胞のインスリン感受性を高めることによる抗 2 型糖尿病作用
• 内臓脂肪のサイズを小さくすることによる脂肪燃焼作用
他に、メタボリックシンドロームの改善、高血圧の予防、抗ガン作用、脳卒中の予防、心筋梗塞の予
防、高脂血症の改善、コレステロールの正常化、老化防止、血栓の予防、インフルエンザの予防、生活
習慣病の予防などの効能が報告されている。
このアディポネクチンは、標準な体格の人の血液中には多く存在し、内臓脂肪が増加すると反対に減
少することが明らかになった。アディポネクチンは、体の中で血液中を流れて全身を巡り、血管の傷つ
いているところを見つけると素早く入り込み修復する。脂肪細胞は過剰のエネルギーの貯蔵庫という
役割の他にもさまざまな生理活性物質を分泌する内分泌細胞としての役割を持つことが分かってきた。
またアディポネクチンは骨格筋に対して運動と同様の効果を発揮することが、分子レベルでの作用
機序の解明から明らかになった。骨格筋で主に発現しているアディポネクチン 1 型受容体の活性化薬
が実現すれば、その投与により運動と同様の効果が得られ、メタボリックシンドロームやインスリン抵
抗性、2 型糖尿病などの発症予防・治療効果も期待できるという。
アディポネクチンと腎臓病の関係を調べる研究も進められている [74, 75]。肥満患者において血漿
(blood plasma) 中のアディポネクチンの量はアルブミン尿の量と逆相関の関係にあることが確かめられ
ており、またアディポネクチンをノックアウトしたマウスでは、アルブミン尿の量の増加や、足細胞の
*18
アディポは「脂肪」
、ネクチンは「くっつく」という意味。
3.3 酸素の有毒性
損傷*19 が見られた。足細胞の培養細胞では、アディポネクチンの効果は AMPK の活性と関係し、両者
は足細胞のアルブミン透過や機能不全を抑制した。これは両者は足細胞で NADPH 酸化酵素 Nox4 を
減少させ、酸化ストレスを減らしているためと考えられる。前述のノックアウトマウスにアディポネ
クチンを投与したところ、アルブミン尿の症状が回復し、足細胞の状態の改善、糸球体の AMPK の活
性の上昇、そして (尿や糸球体のマーカーの情報から) 酸化ストレスの減少が見られた。これらの観測
結果から、アディポネクチンは足細胞で AMPK の活性を制御して酸化ストレスを調整することで、ア
ルブミン尿の重要な調整因子になっていると考えられる。
3.3 酸素の有毒性
節 3.1 で学んだように、好気性代謝を行う多くの生物にとっては効率良く ATP を生産する上で酸素
は欠かせないし、ヒトも当然酸素なしには生きられない。しかし酸素は実は細胞にとって有毒でもあ
る。酸素は容易に 1 個の電子を受け取ってスーパーオキシド (スーパーオキシドアニオン、超酸化物、
superoxide, O−
2 ) になってしまうからである [33]。不対電子をもつ原子や分子、あるいはイオンのこと
をフリーラジカル (遊離基、free radical) というが、スーパーオキシドもフリーラジカルの一種である。
スーパーオキシドの反応性は極めて高く、生体のタンパク質や DNA と化学反応をして損傷を与えてし
まい、またこれが老化の原因の 1 つであることが確かめられつつある。
スーパーオキシドのように酸素分子がより反応性の高い化合物に変化したものを活性酸素 (reactive
oxygen species, ROS) という。活性酸素は電磁波や空気汚染などの原因で発生するが、そもそも免疫シ
ステムやミトコンドリアの代謝など通常の生体維持活動からも発生してしまう。そこで人体はスーパー
オキシドを無毒化するために、SOD(スーパーオキシド・ディスミューターゼ、superoxide dismutase)
という酵素を持っており、スーパーオキシドを酸素とより毒性の低い過酸化水素 (hydrogen peroxide,
H2 O2 ) に分解する。細胞内では過酸化水素をさらにカタラーゼやペルオキシダーゼで水と酸素に分解
して無毒化している。
NADPH オキシダーゼ (Nox) は活性酸素を発生させ、腎臓の血管障害の原因になると考えられてい
る [44]。
Brownlee らのグループは、糖尿病の高血糖症が引き金となってミトコンドリアから活性酸素が発生
する仮説を提示しているが [45]、Assimacopoulos-Jeannet らのグループは活性酸素の発生はそもそも
グルコースの濃度が低いときでも起きているという実験結果を得ている [46]。
3.4 分岐アミノ酸
分枝鎖アミノ酸 (branched-chain amino acids, BCAA) とは、分枝 (任意の炭素原子に 2 以上の別の炭
素眼原子が結合) のある脂肪族側鎖を有するアミノ酸である [1]。タンパク質を構成するアミノ酸では、
ロイシン、イソロイシンおよびバリンの 3 種の分枝鎖アミノ酸がある。先述の 3 種の分枝鎖アミノ酸
はヒトでは必須アミノ酸であり、筋タンパク質中の必須アミノ酸の 35% を占め、哺乳類にとって必要
とされるアミノ酸の 40% を占める。分枝鎖アミノ酸は臨床では、火傷の治療や、肝性脳症の治療に用
いられている。
分枝鎖アミノ酸の分解には分枝鎖 α -ケト酸デヒドロゲナーゼ複合体 (BCKDH) が関与している。こ
の複合体が欠損すると、分枝鎖アミノ酸およびその毒性副産物が血液や尿に蓄積し、メープルシロップ
*19
fusion of podocyte foot process
47
第3章
48
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
尿症が発症する。関与する酵素は分枝鎖アミノトランスフェラーゼと 3-メチル-2-オキソブタン酸デヒ
ドロゲナーゼ (2-メチルプロパノイル基転移) である。BCKDH 複合体によって分枝鎖アミノ酸はアシ
ル CoA 誘導体に変換され、これは続いてアセチル CoA もしくはスクシニル CoA となり、最終的にク
エン酸回路に組み込まれる。
血 液 中 の 分 岐 ア ミ ノ 酸 の 濃 度 が 健 常 者 と 糖 尿 病 患 者 で 有 意 に 異 な る こ と が LC-MS (liquid
chromatography-mass spectrometry) で確かめられており [47]、これらのアミノ酸がインスリンの抵抗
性を増長したり、インスリンの分泌を抑制している可能性が考えられている。さらに、これらのアミ
ノ酸が糖尿病のリスク診断に使えることが期待されている。
3.5 ナトリウム依存性グルコース輸送担体 (SGLT)
ナトリウム依存性グルコース輸送担体 (Sodium-Glucose Transport Proteins, SGLT) とは、生体内のグ
ルコースの取り込みメカニズムの一種で、細胞内外のナトリウムの濃度差を利用して、グルコースを細
胞内に取り込むことが知られている [12]。
SGLT のサブタイプとして、主に消化管、心臓、骨格筋、肝臓、肺、腎臓の近位尿細管にある SGLT1、
腎臓の尿細管にある SGLT2 などが確認されている。とくに腎臓の尿細管にある SGLT2 は原尿中のグ
ルコースを血液中に再吸収させる役割を担っている。
腎臓は血液中の老廃物をろ過して尿として排泄するはたらきをもつ。腎臓に入った血液は、糸球体
という毛細血管が集まっている器官でろ過され、尿細管を通って体に必要なものは血液に再吸収され、
不必要なものは尿として体外に排泄される。
けっしょう
腎糸球体でろ過された原尿には、 血 漿 と同じ濃度のグルコースが含まれているが、それをナトリウ
ムとともに尿細管細胞内に再吸収するのが SGLT2 である。糖尿病でない人の尿にグルコースがほとん
ど含まれないのは、SGLT2 のはたらきで体に必要なグルコースが血液に再吸収され、体外に排出され
ずに済んでいるからである。
糖尿病の患者の場合は、高濃度のグルコースが近位尿細管へ流入するため、SGLT2 がフル稼働して
もなお再吸収できない部分が尿糖として尿中に排泄されている。この SGLT2 による大量のグルコース
再吸収が高血糖の要因となる。
この生理メカニズムから、尿糖を増やせば血糖が減って、血糖が正常化すれば、膵でのインスリン分
泌の負担が軽くなるのではないかということをコンセプトに、SGLT 阻害剤の開発が進められてきた。
SGLT2 阻害薬の作用によって血液中に再吸収されるはずだったグルコースを、そのまま尿として排
泄させるため、血糖値は上昇しないことになる。
SGLT2 阻害薬の開発は世界各国で進められており、糖尿病治療薬の新たなターゲットになっている。
SGLT2 阻害薬の作用によるさまざまな障害を改善することができ、さらに血糖値の低下によって疲弊
した膵臓の β 細胞の負担を低下させ、分泌能力を回復させることも可能と考えられている。
SGLT2 阻害薬は、海外を含めてまだ発売されたものはない。現在、国内外で臨床試験 (治験) が実施
され、安全性、有効性についてより多くの症例の集積が進められている。
3.6 腫瘍壊死因子 (TNF)
3.6 腫瘍壊死因子 (TNF)
腫瘍壊死因子 (Tumor Necrosis Factor, TNF) は、サイトカイン*20 の一種であり、狭義には TNF は
TNF-α 、TNF-β (リンホトキシン (LT)-α ) および LT-β の 3 種類である [1]。TNF-α は主にマクロファー
ジにより産生され、固形がんに対して出血性の壊死を生じさせるサイトカインとして発見された。腫
瘍壊死因子といえば一般に TNF-α を指していることが多い。これらの分子は同一の受容体を介して作
用し、類似した生理作用を有する。広義に TNF ファミリーと称する場合には Fas リガンドや CD40 リ
ガンド等の少なくとも 19 種類以上の分子が含まれる。
TNF-α は細胞接着分子の発現やアポトーシスの誘導、炎症メディエーター (IL-1、IL-6、プロスタグ
ランジン E2 など) や形質細胞による抗体産生の亢進を行うことにより感染防御や抗腫瘍作用に関与す
るが、過剰な発現は関節リウマチ、乾癬などの疾患の発症を招く。
脂肪組織は炎症性サイトカインを分泌しており、TNF-α により細胞内へのグルコースの取り込み阻
害やインスリンに対する感受性低下が生じる。また、TNF-α は脂肪細胞や肝細胞における脂肪酸の産
生を促進し、主に TNFR1 を介して抗グリセリン血症を引き起こすことが報告されている。
3.7 トランスフォーミング増殖因子 (TGF)
トランスフォーミング増殖因子 (Transforming Growth Factor、TGF) またはトランスフォーミング成
長因子は、自然に存在する多くの特色ある増殖因子の 1 つである [1]。他の多数のシグナル経路と同様
に組織発生、細胞分化、胚発育における極めて重要な役割を果たす。そして糖尿病性腎症との関わりも
深い。
糖尿病性腎症患者には GFR の低下やアルブミン尿が観測されるが、このような症状の原因には糸球
体や尿細管の基底膜の肥大、足細胞の機能低下、メサンギウム細胞や尿細管間質性のマトリックスの拡
大などが含まれる。
糖尿病性腎症にかかった腎臓において、TGF-β は高グルコースにより誘導されて細胞外マトリック
ス (extracellular matrix, ECM) を産生し、繊維化を促進するマスター制御因子である。TGF-β は IV 型
コラーゲン (type IV collagen)、フィブロネクチン (fibronectin)、ラミニン (laminin) といった細胞外マ
トリックスを構成し、糖尿病性腎症の腎臓に蓄積するタンパク質の合成を促進することが知られてい
る (図 3.17)[57]。糸球体細胞中の高グルコースによって TGF-β が過剰に発現すると、マトリックスタ
ンパク質の沈着が増加し、糸球体硬化 (glomerulosclerosis) につながる。また、このような過剰発現が
起こると、足細胞のアポトーシスが起こり、フィルターとしての腎臓の機能が低下してしまう。
このように、糖尿病性腎障害の病理学的変化の成立にかかわる主要なサイトカインと考えられてお
り、これまでにヒト糖尿病腎組織、モデル動物腎組織での TGF-β を介したシグナル伝達系の異常を示
唆する研究成果が多数蓄積されている [29]。
糖尿病性腎症の進行には男女で差が見られ、女性の方が進行が遅い傾向がある。これは図 3.17 に示
すように、女性で特に多く存在するホルモンであるエストロゲンが TGF-β のシグナル伝達経路の様々
な箇所を抑制するためであると考えられている [57]。逆に男性に多く存在するホルモンであるテスト
ステロンは糖尿病性腎症を進行させると考えられているが、まだ研究途上である。
AMPK を活性化し、mTOR を抑制するとアルブミン尿と腎臓肥大が抑えられるというモデルが提唱
*20
サイトカイン (cytokine) とは、免疫システムの細胞から分泌されるタンパク質で、特定の細胞に情報伝達をするもの。
49
第3章
50
E2
Macrophages in kidney
腎臓内のマクロファージ
RAAS
?
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
T
E2
E2
TGFβ
E2 ? USF1
CK2
Egr-1
Sp1
Collagen expression
コラーゲンの発現
Smad2/3
E2
Podocyte apoptosis
足細胞のアポトーシス
ECM accumulation
ECMの蓄積
Kidney Damage
腎臓の損傷
図 3.17 TGF-β による糖尿病性腎症の進行と、エストロゲンによる進行の緩和 [57]
E2: 17β -estradiol (estrogen, エストロゲン)、T: testosterone (テストステロン)、RAAS: renin-angiotensinaldosterone system (レニン-アンジオテンシン系)
Diabetes / High glucose
糖尿病 / 高濃度のグルコース
TAK1
LKB1
AMPK
ATP/AMP
mTOR
TGFβ
pSmad2/3 --- Smad4
TGFβ?
TGFβ-responsive gene expression
TGFβ-応答性遺伝子発現
Proximal tubule cell apoptosis
近位尿細管の細胞のアポトーシス
Proteinuria
尿タンパク
Kidney Damage
腎臓の損傷
図 3.18
糖尿病性腎症における TGF-β 、AMPK、mTOR の相互作用 [57]
3.8 転写因子
51
されているが、TGF-β の経路と AMPK、mTOR の経路にはクロストークが存在し、盛んに研究が行
われている (図 3.18)。現在のところ、AMPK は TGF-β のシグナル伝達を抑制していると考えられて
いる。
3.8 転写因子
3.8.1 TGF-β /Smad 経路
Smad は TGF-β スーパーファミリーによる細胞内シグナルの伝達を担う転写因子であり、哺乳類で
は 8 種類が発見されている [29]。節 3.7 で述べたように、TGF-β は腎臓の線維化を促進するマスター
制御因子であるが、一部は Smad 依存的に糖尿病性腎症を促進する [56]。終末糖化産物*21 やアンジオ
テンシン II など線維化促進因子も Smad を活性化しうる。Smad3 は線維化を促進するが、Smad2 は抑
制的であることがノックアウト実験から分かる。また Smad7 は Smad3 を抑制し、糖尿病性腎症の進
行を抑える。TGF-β は Smad3 を活性化し、腎臓の線維化を介在する miRNA(micro RNA、マイクロ
RNA) を制御する。このとき、miR-21 と miR-192 の発現が上昇し、miR-29 と miR-200 のファミリー
の発現は抑制される。
3.8.2 USF1 による TGF-β の発現制御
USF1 は普遍的に発現している転写因子であり、TGF-β のプロモータ領域のグルコース応答因子で
ある E-box モチーフ (CANNTG または CACGTG) に結合する。糖尿病性腎症を調整するキーとなる
転写因子についてはそれほど多くの事が知られているわけではないが、USF1(Upstream Stimulatory
Factor 1) はグルコースによる TGF-β の発現をメサンギウム細胞にて調整することが分かってきた。実
際、糖尿病に罹ったマウスで USF1 をノックアウトすると、アルブミン尿が減少し、メサンギウム細
胞のマトリックスの増殖も減ることが実験で示されている [58]。この時、ノックアウトマウスでは、
TGF-β およびレニン (renin) の減少した。次にマウスのメサンギウム細胞の培養細胞では高い濃度の
グルコースは AMPK の活性を低下させ、USF1 の核移行を促進することが確かめられた。AICAR に
よって AMPK を活性化させると、USF1 の核への蓄積は減少した。これらの実験結果から、USF1 は
糖尿病性腎症を調整する重要な転写因子であり、アルブミン尿、メサンギウム細胞のマトリックスの蓄
積、TGF-β およびレニンの誘導に大きく関与していることが示唆されている。
3.8.3 ヒートショック転写因子
さら
HSF1(heat shock transcription factor) は転写因子の一種であり、ストレスに晒された時に、速やかに
ヒートショック関連遺伝子を転写することで知られている。ヒートショックという名称から熱ストレ
スだけを連想してしまうかも知れないが、ヒートショック関連遺伝子は実は熱ストレスだけでなく、細
菌感染や炎症、エタノール、活性酸素、重金属、紫外線、飢餓、低酸素状態などの細胞に対する様々な
ストレスにより誘導されることが知られている [1]。そしてこの因子が糖尿病や腎臓病にも関係する可
能性が出てきた。例えば糖尿病になってインスリン抵抗性が強くなると、本来インスリン感受性のあ
る細胞の HSF1 の発現量が低下する傾向があり [79]、また糖尿病患者で HSF1 の活性が下がると、細
胞の老化が進行し、余命が低下するため、糖尿病患者で HSF1 を発現させる遺伝子治療の研究も進め
*21
advanced glycation end products. タンパク質の糖化反応によってつくられる生成物。
第3章
52
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
ユビキチン-プロテアソームシステムによるタンパク質の分解
細胞内で不要になったタンパク質の多くはプロテアソーム (proteasome) という巨大な酵素複合
体で分解される。プロテアソームは細胞内に大量に存在し、細胞内全タンパク質の 1% を占める
[36]。ユビキチン (ubiquitin、76 アミノ酸) という小型のタンパク質が分解の標的となるタンパク
質に「分解の目印」として結合し、その後プロテアソームによる分解が起こる (ユビキチン化さ
れたタンパク質の中にはリソソームで分解されるものもある)。標的タンパク質のユビキチン化
(ubiquitination) にはユビキチン活性化酵素 (ubiquitin-activating enzyme) E1、ユビキチン連結酵素
(ubiquitin-conjugating enzyme) E2、ユビキチンリガーゼ (ubiquitin ligase) E3 の 3 種類の酵素が
働く。
られている [80]。
PPARGC1A はミトコンドリアの生合成を行う転写共役因子だが (小節 3.1.8 参照)、PPARGC1A のゲ
ノム上の結合領域と HSF1 のゲノム上の結合領域が HepG2 細胞で重なることが分かり、PPARGC1A と
HSF1 が機能的に関連していることが示唆されるとともに、HSF1 がカロリー制限や飢餓状態 (fasting)
の細胞で機能している可能性が指摘されている [50]。
3.9 オートファジー
3.9.1 オートファジーの主要な機能と種類
真核細胞は細胞内物質の分解機構として主にリソソーム (lysosome) とプロテアソーム (proteasome)
を持っている。オートファジー (autophagy、自食) は、細胞が持っている、細胞内のタンパク質を分解
するための仕組みの一つであり [1]、細胞質内の物質がリソソーム (動物細胞の場合) や液胞 (vacuole、
植物や酵母菌の場合) に運ばれて分解される。これは酵母からヒトにいたるまでの真核生物に見られる
機構であり、細胞内での異常なタンパク質の蓄積を防いだり、過剰にタンパク質合成したときや栄養環
境が悪化したときにタンパク質のリサイクルを行ったり、細胞質内に侵入した病原微生物を排除する
ことで生体の恒常性維持に関与している。
オートファジーの機能低下は代謝の異常につながるため、近年オートファジーが糖尿病性腎症の治
療法を開発するためのターゲットになるのではないかと注目されている [60]。
オートファジーは、そのメカニズムの違いから (1) マクロオートファジー、(2) ミクロオートファ
ジー、(3) シャペロン介在性オートファジーの 3 つに分けられる (図 3.19)。
マクロオートファジー
細胞がある種のストレス (アミノ酸飢餓の状態や、異常タンパク質の蓄積) に
晒されると、細胞質中の一部で、過剰に作られたタンパク質や異常タンパク質と共にリン脂質が
集まり、オートファゴソーム (autophagosome)*22 と呼ばれる細胞内構造の形成がはじまる。集
積したリン脂質は脂質二重膜を形成し、さらにそれが成長していくことで、細胞質成分やオル
ガネラなどを二重のリン脂質の膜で取り囲んだ小胞 (vesicle) が形成される。この小胞形成には、
Atg(以前は Apg という名称で呼ばれていた) タンパク質と呼ばれる一群のタンパク質が関与し
ている (表 3.1)。酵母や植物細胞では、形成されたオートファゴソームは液胞と膜融合し、その
内部に取り込まれた異物などは液胞内部の分解酵素によって分解される。動物細胞においては、
*22
自食胞、またはオートファジー小胞 (Autophagic vesicle) とも呼ばれる
3.9 オートファジー
53
Macroautophagy
࣐ࢡ࣮ࣟ࢜ࢺࣇ࢓ࢪ࣮
Microautophagy
࣑ࢡ࣮ࣟ࢜ࢺࣇ࢓ࢪ࣮
Chaperone-mediated
autophagy
Lysosome / late endosome
ࣜࢯࢯ࣮࣒ᚋᮇ࢚ࣥࢻࢯ࣮࣒
ࢩࣕ࣌ࣟࣥ௓ᅾᛶ
࣮࢜ࢺࣇ࢓ࢪ࣮
Hsc70 &
Substrate cochaperones
基質
+VS ࠾ࡼࡧ
ࢥࢩࣕ࣌ࣟࣥ
Autophagosome
࣮࢜ࢺࣇ࢓ࢦࢯ࣮࣒
Invagination
陥入
Lysosome
ࣜࢯࢯ࣮࣒
Lamp-2A
Lysosome
ࣜࢯࢯ࣮࣒
Autolysosome
࣮࢜ࢺࣜࢯࢯ࣮࣒
Degradation products (e.g., amino acids) ศゎࡉࢀࡓ⏘≀ ࢔࣑ࣀ㓟࡞࡝ Protein syntheis, energy production, gluconeogenesis, etc.
タンパク質合成、エネルギー生成、糖新生など
図 3.19 オートファジーの 3 つのメカニズム [61]
第3章
54
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
オートファゴソームが形成されると、次にオートファゴソームと細胞内のリソソームが膜融合
を起こす。こうしてリソソームと融合したものをオートリソソームと呼ぶ。オートリソソーム
の内部で、オートファゴソームに由来する分解すべきタンパク質と、リソソームに由来するさま
ざまなタンパク分解酵素が反応し、この結果、オートファゴソームに取り込まれていたタンパク
質はアミノ酸やペプチドに分解される。このとき、オートファゴソームの二重膜のうち、内側の
脂質膜も同時に分解される。
ミクロオートファジー
異常タンパク質を直接、液胞やリソソームに取り込み、その内部で分解する
機構。
シャペロン介在性オートファジー
シャペロンが異常タンパク質に結合することによって、液胞やリ
ソソームへの取り込みを行い、その内部で分解する機構。
本節では特に断りがない限り、オートファジーはマクロオートファジーを指すものとする。
オートファジーには非選択的なものと、対象を選択的に選ぶものがある (図 3.20)。非選択的なもの
は、栄養飢餓状態になったときに細胞内の物質を分解して必要な「部品」を得るために起こる。選択的
なオートファジーは、栄養の供給がある状態で起こり、余分な細胞や損傷した細胞を分解するために起
こる。また分解する対象によって、以下の呼び方がある。
ペキソファジー
ペルオキシソームを選択的に分解する [73]。ペルオキシソームには生物種によって
様々な機能があるが、脂肪酸の酸化 (α -/β 酸化)、過酸化水素 (H2 O2 ) の解毒という 2 つの機能
は共通している。
マイトファジー
ミトコンドリアを選択的に分解する。これによってミトコンドリアの数を調整した
り、損傷したミトコンドリアを除去したりする [72]。酵母菌では ATG32、哺乳類では BNIP3L
が因子として関わっている。後生動物 (metazoa) では、parkin や PINK1 も関わっている。
ゼノファジー 細胞内に侵入した細菌を分解する。
オートファジーは、個体発生の過程でのアポトーシス (apoptosis、プログラムされた細胞死)、ハンチ
ントン病などの疾患の発生、細胞のがん化抑制にも関与することが知られており、オートファジーの機
能が低下すると、代謝の異常など様々な障害を引き起こす可能性がある (図 3.20)。
3.9.2 オートファジーにかかわる分子群
オートファジーの主要な機構は以下の 3 つに分けることができる (図 3.21)[63]。
1. Atg9 およびその巡回システム。これには Atg9 そのものの他に、ULK1(Atg1) キナーゼ複合体
(ULK1 と Atg13 が結合) などが含まれる。
2. PI3 キナーゼ (Phosphoinositide 3-kinase、PI3K) 複合体 (Vacuolar protein sorting Vps34, Vps15,
Beclin1(Atg6,Vps30), Atg14)。
3. ユビキチン様タンパク (Ubl、ubiquitin-like protein) システム。これには以下が含まれる。
• Ubl タンパク質である LC3(Atg8) と Atg12、活性化酵素 (Atg7)
• ユビキチン結合酵素に類似した酵素 (Atg10、Atg3)
• LC3 修飾プロテアーゼ (Atg4)
• Atg12 結合タンパク (Atg5、Atg16)
3.9 オートファジー
55
Non-selective autophagy
非選択的オートファジー
Selective autophagy
選択的オートファジー
(a)
(b)
(c)
p62
LC3
(d)
p62
LC3
Ubiquitin
ユビキチン
?
Ubiquitinated
protein
ユビキチン化された
タンパク質
LC3 p62
?
##
# #
#
?
LC3 NDP52
Parkin
?
LC3 OPTN
Damaged
mitochondria
損傷した
ミトコンドリア
?
Bacteria
バクテリア
Impairment of autophagy
オートファジー機能低下
Keap1
p62
p62
p62
p62
p62
p62
p62
Casp8
p62
Nrf2
TRAF6
p62
Aggregate
formation
凝集体形成
Keap1
NF-κB
Amino acid
insufficienty
アミノ酸不足
NF-κB activation
NF-κB 活性化
Nrf2
##
# #
#
##
# #
#
##
# #
#
Nrf2 hyperactivation ROS production
Nrf2 過剰活性化
ROS 発生
Chronic infection
慢性感染
Apoptosis
アポトーシス
図 3.20 非選択的・選択的オートファジーと機能低下による影響 [61]
(a) 栄養飢餓状態でオートファジーは細胞質内の物質を非選択的にアミノ酸などの「細胞部品」に分解す
る。このプロセスに障害が起こると、細胞はアミノ酸不足に陥ってタンパク質の合成機能が低下し、エネ
ルギー合成ができなくなって飢餓状態に耐えられなくなる。(b) LC3 結合タンパク p62 はオートファジー
の特異的な基質である。オートファジーの機能低下は p62 の蓄積につながり、p62 の足場タンパクとして
の機能が増幅され、NF-κ B(免疫反応において中心的役割を果たす転写因子の一つであり、急性および慢性
炎症反応や細胞増殖、アポトーシスなどの数多くの生理現象に関与している) の活性化などの下流のシグナ
ル伝達経路が活性化される。(c) ミトコンドリアの膜の機能が失われると、Parkin が PINK1 依存的にミト
コンドリアに局在し、外膜タンパク質をユビキチン化する。これによってマイトファジーが起こる。(d) 侵
入したバクテリアがユビキチン化され、p62 などのオートファジー受容体がバクテリアを隔離する。
オートファゴソームが生成される細胞内部位は Phagophore assembly site (PAS) と呼ばれる。PAS は
小胞 (あるいは phagophore) とオートファジーの機構を成す主要タンパク質の集合体であり、その形態
はオートファゴソーム形成の時期に依存する。
Atg9 はオートファジーに関係する主要な膜貫通タンパク質の中で唯一多種間で保存されている。
Atg9 は細胞中の PAS と PAS でない部位の間を巡回し、オートファゴソームの形成に関与する。この
巡回によってオートファゴソームの形成に必要な膜が PAS に運ばれているのではないかと考えられる。
Atg9 が PAS に存在しない場合、Ubl タンパク質も PAS に誘導されない。
第3章
56
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
Autophagosome
オートファゴソーム
LC
3-P
E
Insulin growth factors Amino acids
アミノ酸
インスリン成長因子
LC
3-P
E
Atg12
mTORC1
Atg12-Atg7
ULK1-Atg13FIP200-Atg101
complex
proLC3
Atg4
Atg12-Atg10
LC3
Autophagy induction
オートファジー誘導
Atg12-Atg5
LC3-Atg7
At
RalB
g9
L
Atg12-Atg5-Atg16L1 LC3-Atg3
Exo84-exocyst
Atg9L
vesicle?
WIPIs
PI3P
LC
Isolation
membrane
隔離膜
P
Beclin1-Atg14Ambra1-Vps15Vps34 (PI3K)
complex
PI3
ULK1-Atg13FIP200-Atg101
complex
LC3-PE
Atg12-Atg5
-Atg16L1
complex
Beclin 1
Endoplasmic reticulum
小胞体
3-P
E
-PE
LC3
Bcl2
P
PI3
DFCP1
?
PI
3P
DFCP1
Omegasome
オメガソーム
図 3.21 オートファゴソームの形成 [61]
上記の隔離膜 (isolation membrane) は phagophore とも呼ばれる。図中では隔離膜があたかも小胞体から
生成されるように描かれているが、実際は隔離膜がどのように生成されるかはよく分かっていない。
ULK1(Atg1) はセリン・スレオニンキナーゼであり、このキナーゼ活性はオートファジーに必須であ
る。Atg13 は ULK1 複合体の調整サブユニットである。ULK1 複合体は PAS から Atg9 を運び出すと
ともに、どれくらいオートファジーを起こすかを制御すると考えられている。
WIPI(Atg18) と Atg2 は表在性膜タンパク質 (Peripheral membrane protein) である。これらの PAS へ
局在は ULK1、Atg9、そして PI3K 複合体に依存する。WIPI も Atg2 も Atg9 と相互作用することがで
きる。また WIPI はホスファチジルイノシトール-3-リン酸 (Phosphatidylinositol 3-phosphate, PtdIns3P,
PI3P) に結合することができ、これはオートファジーに必須である。PI3K 複合体は恐らく PAS で WIPI
のような PI3P 結合タンパクを誘導し、Atg9 の運び出しを行う。
細胞内ではユビキチン様タンパクシステムの一部である LC3(Atg8) の C-末端 (グリシン) はホスファ
チジルエタノールアミン (Phosphatidylethanolamine、PE) に結合しており、Atg12 は Atg5 のリシンに結
合している。LC3 の C-末端は結合前にシステインプロテアーゼ Atg4 によって切断されることにより、
グリシンが C-末端に露出する。これらの結合反応はともにユビキチン活性化酵素 (Ubiquitin-activating
3.9 オートファジー
57
Yeast
gene
Atg1
Mammalian gene Biochemical function
ᶵ⬟
ULK1, 2
⺮ⓑ㉁䝸䞁㓟໬㓝⣲䠖Atg13, Atg17, Atg29䛸」ྜయ䚹
Atg2
Atg2?
Atg3
Atg5
Atg3
Atg4A, 4B,
Autophagin3, 4
Atg5
Atg6
Beclin-1
Atg7
Atg7
LC3, GABARAP,
GATE-16
Atg9L1, L2
Atg10
Atg4
Atg8
Atg9
Atg10
Atg11
Atg12
Atg13
Atg14
Atg12
?
?
Atg15
Atg16
Atg17
Atg16L
?
Atg18
WIPI-1, 2, 3, 4
Atg19
Atg20
Atg21
Atg22
Atg23
Atg24
Atg25
Atg26
Atg27
Atg28
Atg29
?
Atg30
Atg31
?
?
Ser/Thr protein kinase
Peripheral membrane protein, interacts with
Atg9
E2-like enzyme, conjugates PE to Atg8
Cysteine protease cleaves Atg8 C-terminus
Atg18䛸」ྜయ䜢ᙧᡂ䛧䚸䛥䜙䛻Atg9䛸┦஫స⏝䚹
E2ᵝ㓝⣲䠖Atg8䜢≉␗ⓗ䛺ᇶ㉁䛸䛩䜛䚹
䝅䝇䝔䜲䞁䝥䝻䝔䜰䞊䝊䠖Atg8Cᮎ➃䛾ศゎ䛚䜘䜃⬺PE
໬䚹
Atg12䛸」ྜయ䜢ᙧᡂ䚹㝸㞳⭷䛾ఙ㛗䛻㛵୚䚹
Conjugated to Atg12 through internal Lys
Component of Vps34 complex, BH3-like domain,
Vps34 PI3K」ྜయ䛾䝃䝤䝴䝙䝑䝖䚹
Bcl-2 interacting protein
E1-like enzyme, activates Atg8 and Atg12
E1ᵝ㓝⣲䠖 Atg8, Atg12䛻ඹ㏻䚹
ࣘࣅ࢟ࢳࣥᵝ⺮ⓑ㉁㸸PE(ࣜࣥ⬡㉁)࡜⤖ྜయࢆᙧ
Ubiquitin-like protein conjugated to PE
ᡂࠋ
Integral membrane protein, interacts with Atg2 Atg2-Atg18」ྜయ䛸┦஫స⏝䛩䜛⭷⺮ⓑ㉁䚹
E2-like enzyme, conjugates Atg5 and Atg12
E2ᵝ㓝⣲䠖Atg12䜢≉␗ⓗ䛺ᇶ㉁䛸䛩䜛䚹
Adaptor protein: Engulfment of API to Cvt vesicle ࢔ࢲࣉࢱ࣮⺮ⓑ㉁㸸 API ࡢCvtᑠ⬊࡬ࡢྲྀࡾ㎸ࡳ
(㓝ẕCvt9)ࠋ
(Yeast Cvt9)
Ubiquitin-like protein conjugated to Atg5
䝴䝡䜻䝏䞁ᵝ⺮ⓑ㉁䠖Atg5䛸⤖ྜయ䜢ᙧᡂ䚹
Phosphoprotein component of Atg1 complex
Atg1」ྜయ䛾䝃䝤䝴䝙䝑䝖䠖㣚㣹≧ែ䛷⬺䝸䞁㓟໬䚹
Subunit of Vps34 PI3K complex
Vps34 PI3K」ྜయ䛾䝃䝤䝴䝙䝑䝖䚹
ࣜࣃ࣮ࢮᵝ⺮ⓑ㉁㸸࣮࢜ࢺࣇ࢓ࢪࢵࢡ࣎ࢹ࢕ࡢศ
Lipase-like protein: Degradation of autophagic
ゎ(㓝ẕAut5/Cvt17)ࠋ
body (Yeast Aut5/Cvt17)
Component of Atg5-Atg12 complex
Atg5-Atg12」ྜయ䛸┦஫స⏝䚹
Subunit of Atg1 complex
Atg1」ྜయ䛾䝃䝤䝴䝙䝑䝖䚹
PIP3⤖ྜ⺮ⓑ㉁䠖 Atg9/Atg2-Atg18」ྜయ䛾䝃䝤䝴䝙䝑
Peripheral membrane protein, PI(3,5)P binding
䝖䚹
Receptor of API in Cvt pathway (Yeast)
Cvt⤒㊰࡟࠾ࡅࡿAPIࡢཷᐜయ(㓝ẕ) ࠋ
Receptor of PI3P in Cvt pathway (Yeast)
Cvt⤒㊰࡟࠾ࡅࡿPI3P⤖ྜ⺮ⓑ㉁(㓝ẕ)ࠋ
Receptor of PI3P in Cvt pathway (Yeast)
Cvt⤒㊰࡟࠾ࡅࡿPI3P⤖ྜ⺮ⓑ㉁(㓝ẕ)ࠋ
ᾮ⬊⭷⺮ⓑ㉁㸸࣮࢜ࢺࣇ࢓ࢪࢵࢡ࣎ࢹ࢕ࡢศゎ࡟
Vacuole membrane protein: Involved in
㛵୚(㓝ẕ)ࠋ
degradation of autophagic body (Yeast)
Involved in formation of Cvt vesicle (Yeast)
Cvtᑠ⬊ࡢᙧᡂ࡟㛵୚(㓝ẕ)ࠋ
Cvt⤒㊰࠾ࡼࡧ࣌ࣝ࢜࢟ࢩࢯ࣮࣒ศゎ(࣌࢟ࢯࣇ࢓
Related to Cvt pathway and pexophagy
ࢪ࣮)࡟㛵୚ࠋ
࣌࢟ࢯࣇ࢓ࢪ࣮࡟㛵୚(㓝ẕ)ࠋ
Involved in pexophagy (Yeast)
䝇䝔䝻䞊䝹䜾䝹䝁䝅䝹䝖䝷䞁䝇䝣䜵䝷䞊䝊䠖䝨䜻䝋䝣䜯䝆䞊
Sterolglucosyltransferase: Pexophagy (Yeast)
(㓝ẕ)䚹
PI3P binding protein in Cvt pathway (Yeast)
Cvt⤒㊰䛻䛚䛡䜛PI3P⤖ྜ⺮ⓑ㉁(㓝ẕ)䚹
࣌࢟ࢯࣇ࢓ࢪ࣮࡟㛵୚(㓝ẕ)ࠋ
Involved in pexophagy (Yeast)
Subunit of Atg1 complex: Forms complex with
Atg1」ྜయ䛾䝃䝤䝴䝙䝑䝖䠖Atg17䛸」ྜయ䜢ᙧᡂ䚹
Atg17
࣌࢟ࢯࣇ࢓ࢪ࣮࡟㛵୚(㓝ẕ)ࠋ
Involved in pexophagy (Yeast)
Involved in autophagosome formation.
䜸䞊䝖䝣䜯䝂䝋䞊䝮䛾ᙧᡂ䛻㛵୚䚹18␒┠䛾ᅉᏊ䛛䠛
表 3.1 Atg 遺伝子とその機能 [13, 62]
水色のマスはオートファゴソームの形成に必要な因子である。ウェブサイト [13] から取得した情報は灰色
で示してある。さらにどのような因子がオートファジーに関与しているのか、盛んに研究が進めらている
[64, 65, 66, 67, 68]。
enzyme、E1 enzyme) に類似した酵素 Atg7 に触媒される。ユビキチン結合酵素 (Ubiquitin conjugating
enzyme、E2 enzyme) に類似する酵素は LC3 を基質とするものは Atg3 であり、Atg12 を基質とするも
のは Atg10 である。
Atg12 によって修飾された Atg5 は Atg16 と複合体を形成する。この複合体と LC3-PE は生成中の
phagophore に付着する。Atg12-Atg5-Atg16 複合体は主に phagophore の外側に付着するが、LC3-PE
は外側にも内側にも付着する。オートファゴソームの形成が完了すると Atg12-Atg5-Atg16 複合体は細
胞質ゾルに放出されるが、LC3-PE はリソソームと会合するまでオートファゴソームに留まる。リソ
ソームと融合後は LC3-PE はリソソームの内腔に放出され、分解される。
mTOR(mammallian Target Of Rapamycin) は、グルコースやアミノ酸などの栄養源を感知し、細胞
の増殖や代謝、生存における調節因子の役割を果たすセリン/スレオニン・キナーゼである [16]。抗
生物質ラパマイシンの標的分子として発見されたこの酵素は近年、mTORC1(mTOR Complex1) と
第3章
58
腎臓病・糖尿病の分子メカニズム
mTORC2(mTOR Complex2) という二種類の複合体を形成し、独立したネットワークを持っているこ
とが明らかになった。mTOR、Raptor、mLST8 (Gβ L) からなる複合体 mTORC1 は、前述の栄養源
の他、成長因子、ホルモン、ストレスなどによって活性化される。活性化 mTORC1 は、4EBP1 や
p70S6K といったタンパク質合成や細胞増殖に関わる分子をリン酸化し、mRNA の翻訳 (4EBP1)、オー
トファジーの抑制 (ATG13)、リボゾームの生合成 (p70S6K) などに関与している。一方 mTOR、Rictor、
mLST8(Gβ L)、Sin1 からなる複合体 mTORC2 は、栄養源の調節は受けず、成長因子による刺激を受
けた PI3K によって活性化される。活性化 mTORC2 は Akt や SGK、PKC をリン酸化し、アポトーシ
スの抑制、細胞の成長、細胞骨格の制御などに関与している。
最近、mTORC1 に選択的な阻害剤であるラパマイシン (rapamycin) が癌の治療に有効であることが
報告された。これらのシグナル伝達機構がさらに解明されることにより、癌や免疫疾患の効果的な治
療法につながるのではないかと期待されている。
3.9.3 オートファジーの誘導プロセス
オートファジーが引き起こされる典型的な要因は栄養飢餓状態である [69]。哺乳類の多くの種類の
培養細胞では、アミノ酸を欠乏させると、オートファジーが強力に引き起こされるが*23 、その仕組み
は非常に複雑で完全には理解されていない。アミノ酸の欠乏を検知する分子として、GCN2(tRNA 結合
タンパクキナーゼ)、class III phosphatidylinositol 3 (PI3)-kinase、Beclin 1 などが候補に挙がっている。
またショウジョウバエの遺伝学的実験より、インスリンシグナルが in vivo において重要な要因である
ことが示されている。さらにある種のホルモンや成長因子もオートファジーの制御に関わっていると
考えられている。これらのアミノ酸飢餓シグナルやインスリン成長因子シグナルの多くは栄養状態に
反応するシグナルのマスター調節因子である mTOR(mammalian target of rapamycin) に集まる。実際、
ラパマイシンなど mTOR を阻害する化合物を投与すると、オートファジーが引き起こされる。
これらの制御経路に存在する因子以外にもオートファジーの誘導に関与する多くの因子が明らか
になりつつある。例えば、Bcl-2 は通常は Beclin 1 に結合しているが、飢餓状態になるとこれが外
れ、オートファジーが引き起こされる。他にも活性酸素 (ROS, reactive oxygen species, 節 3.3 参照) や
AMPK(AMP-activated protein kinase, AMP 活性化プロテインキナーゼ, 小節 3.1.8 参照) の関与が報告
されている。
3.9.4 オートファゴソームの形成
オートファジーに関係する膜の形成動態は酵母菌、植物そして動物でよく保存されている [69]。オー
トファゴソーム形成の最初の段階は、オルガネラを含む細胞質内の物質を phagophore あるいは隔離膜
(isolation membrane) と呼ばれる特殊な膜で隔離することである。これが進行すると、オメガソームと
いう構造を経て、オートファゴソームという典型的には二重膜のオルガネラが形成される (図 3.21)。オ
メガソームの形成にはホスファチジルイノシトール 3-リン酸 (PI3P, phosphatidylinositol 3-phosphate)
が必要である [70]。
酵母菌では 31 個のオートファジーに関与するタンパク質 Atg(autophagy-related) が同定されている
が、その多くが細胞中のオートファゴソームが形成される箇所 (PAS) に集まる。ちなみに酵母菌では、
PAS が Cvt パスウェイ*24 にも使われている。
*23
*24
酵母菌では窒素 (nitrogen) の欠乏がオートファジーを引き起こす最も強い刺激となる。
アミノペプチダーゼ 1(Ape1) と α -マンノシダーゼ (Ams1) を細胞質ゾルから液胞に輸送する経路。これも選択的オート
3.9 オートファジー
哺乳類では LC3 はユビキチン様タンパク質であり、ホスファチジルエタノールアミン (PE, phos-
phatidylethanolamine) と結合した状態で隔離膜に存在する。in vitro では、酵母菌のオーソログ Atg8
はリポソーム (liposome)*25 の融合を媒介することから、LC3 は phagophore の伸長に関与していると
考えられている。Atg12-Atg5-Atg16 複合体は LC3 を膜に取り入れるリガーゼ (E3 ligase) として機能
する [70, 71]。
*25
ファジーの一種とも考えられる。
細胞膜を構成するリン脂質から作製される人工の微粒子。その内部に DNA やタンパク質などを入れることができ、細胞
と融合させてリポソーム内部の分子を細胞内に導入する実験 (lipofection) に利用される。
59
61
第4章
腎臓を研究するための方法論
4.1 モデル動物
ヒトに存在する疾患の多くはマウス (あるいはラット) にも存
在するため、マウスはヒトの疾患を研究する上で適した動物であ
る (図 4.1)。遺伝的に均一のマウス系統が 450 種類以上存在し、
対応する表現型も調べられている。また、遺伝子をノックアウ
トするための実験手法も確立されている。
糖尿病や糖尿病性腎症のマウスモデルの開発も進められてき
た [76, 77, 78]。例えば、薬剤ストレプトゾトシン (Streptozotocin,
STZ) は膵臓のランゲルハンス島 β 細胞に対して毒性を持って
おり、マウスに投与すると、糖尿病を引き起こす。Akita マウス
(C57BL/6-Akita) は秋田大学医学部衛生学教室にて開発された非
図 4.1
実験で使用されるマウス
の例 (C57BL/6J KO マウス 3 匹)
肥満型インスリン欠乏型糖尿病マウスモデルであり、現在糖尿病
の研究のため世界中で幅広く使用されている [32]。Akita マウスは Insulin2 遺伝子における Cys96Tyr
の単一遺伝子変異 (Ins2Akita ) により正常インスリン欠乏状態に陥り、約 4 週齢から 400mg/dℓ 以上の高
血糖状態をきたす。以上は、1 型糖尿病のマウスモデルであるが、2 型糖尿病のマウスモデルもある。
例えば、高脂肪食を与えて糖尿病マウスを作製する方法がある。また、アディポサイト由来のホルモン
であるレプチン (leptin) のレセプターに変異のある db/db マウスも 2 型糖尿病の研究に使用される。
4.2 コホート研究
コホート研究 (cohort study) とは分析疫学における手法の 1 つであり、特定の要因に曝露した集団
と曝露していない集団を一定期間追跡し、研究対象となる疾病の発生率を比較することで、要因と疾
病発生の関連を調べる観察的研究である [1]。要因対照研究 (factor-control study) とも呼ばれる。主
に 1 回の調査を行なう横断研究 (cross-sectional study) と、2 回以上にわたり調査を行なう縦断研究
(longitudinal study) がある。
米国の National Institute of Diabetes and Digestive and Kidney Diseases (NIDDK) は 2001 年に腎不全
のコホート研究 CRIC(Chronic Renal Insufficiency Cohort) を立ち上げた [83]。この研究の目的は、腎
臓病と心血管疾患 (Cardiovascular disease: CVD) を進行させる危険因子 (risk factor) を調べ、これらの
疾患のリスクを予測するモデルを構築することにある。
FinnDiane 研究 (The Finnish Diabetic Nephropathy study, FinnDiane study) はフィンランドの国家プ
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
62
トランスジェニックマウスの作製 [36]
fertilized egg
受精卵
DNA
transfection
target gene
target region
fertilization
ཷ⢭
cell division
at every 12-24
hours
homologous
recombination
ES cells
NEO
plasmid
blastocyst
胚盤胞
inner cell mass
Day 4
内部細胞塊
NEO
transplant
-ation
ES cells
cells resistant
to G418
Week 3
egg becomes
blastocyst
after 3-4 days
birth of
chimeric
mouse
Week 8
adult
chimeric
mouse
受精から 3∼4 日後にできる 64 個の細胞からなる胚盤胞 (blastocyst) の内側には 13 個の細胞から
なる内部細胞塊 (inner cell mass) があり、時間を経るとこれがマウスの体になる。内部細胞塊は胚
から抽出して培養可能で、これを他の胚に移植すると、そこに定着する。どのような組織にも分
化できるので、胚性幹細胞 (embryonic stem cell, ES 細胞) とも呼ばれる。遺伝子に操作を加えた
ES 細胞を用いれば、トランスジェニックマウスを作製できる。ES 細胞を移植したキメラマウス
は体の一部が ES 細胞由来となる。生殖腺が ES 細胞で置き換わったキメラマウス同士を交配する
と、遺伝子対が 2 つとも置き換わった (homoallelic) マウスが生まれる。
ロジェクトとして行われている 1 型糖尿病の研究である。21 の大学と主要な病院、33 の地区病院、
そして 26 の主要な保健所から集められた 4,201 人の 1 型糖尿病患者 (2009 年) の追跡調査 (follow-up
study) が行われている。その中で糖尿病から慢性糖尿病性腎症になると、死亡率が 2 倍以上に上がる
ことが確かめられ、糖尿病の合併症としての腎臓病の深刻さが改めて浮き彫りになった [82]。
4.3 分析化学
63
(a)
(b)
tap water
soy sauce
red wine
mixture of red wine
and soy sauce
図 4.2
tap water
red wine
soy sauce
mixture of red wine
and soy sauce
ティッシュペーパーにいくつかの液体を垂らした例
(a) ティッシュペーパーに水道水、醤油、赤ワイン、醤油と赤ワインを混合したものを垂らした例。特に醤
油と赤ワインの混合液が浸み込んだ領域で、内側と外側の色が異なっていることが確認できる。(b) ティッ
シュペーパーの後ろから光を当てて撮影。
D
stationary phase
ᅛᐃ┦
mobile phase
⛣ື┦
E
retention time
ಖᣢ᫬㛫
図 4.3
クロマトグラフィーの原理
(a) 試料を含む移動相を固定相の中で移動させる。(b) 移動の速度が物質によって異なるため、時間ととも
に物質の種類ごとに分離される。各物質が検出器に到着すると、時間差を持つピーク群となってクロマト
グラムに現れる。
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
64
4.3 分析化学
4.3.1 クロマトグラフィー
紙に単一色の液体を垂らすと、色ごとに液体が分かれることがある (図 4.2*1 )。これは色素の種類に
よって紙の中を移動する速度が異なるためである。これはクロマトグラフィーの原理を理解する上で
有用な現象である。
平面上や筒の中で試料を移動させ、移動の速度の違いから試料中に含まれる複数の物質を分離する方
法をクロマトグラフィーという (図 4.3)[37]。移動する場所になる平面や筒を固定相 (stationary phase)、
移動させるために流す液体や気体を移動相 (mobile phase) という。
クロマトグラフィーの主流はガスクロマトグラフィー (Gas Chromatography, GC) と液体クロマトグ
ラフィー (Liquid Chromatography, LC) である*2 。前者の移動相は気体、後者のそれは液体である。固
定相は管状の容器に入っており、カラムと呼ばれる。GC は試料を気化してカラムへ導入するため、気
化する物質でなければ分析ができない。一方 LC は揮発しない物質も分析可能であり、糖類、タンパク
質なども分析の対象となる。
カラム内に導入されて移動する物質は、出口に配置された検出器に到着したものから順に電気信号を
発生させる。この電気信号の経時的変化を記録していくと、図 4.3(b) に示すようなグラフを描くこと
ができる。このようなグラフをクロマトグラム (chromatogram) と呼ぶ。クロマトグラムの横軸は試料
注入後の経過時間、縦軸は検出した信号の強さを表す。各ピークは各物質を表す。試料注入からピー
クが検出されるまでの時間を保持時間 (retention time) という。
保持時間はクロマトグラフィーの条件が一定なら物質によって決まった値になるため、これを標準
物質の保持時間と比較することによって各物質を特定する (定性)。ピークの高さまたは面積が濃度を
反映していれば、各物質の定量も可能である。
4.3.2 質量分析法
質量分析法 (Mass Spectrometry, MS) とは、試料の質量電荷比を求めるときに使用される分析法であ
る [1]。高電圧をかけた真空中で試料をイオン化すると、静電力によって試料は装置内を飛行する (図
4.4)。飛行しているイオンを電気的・磁気的な作用等により質量電荷比 (m/z) に応じて 分離 し、その後
それぞれを検出することで、質量電荷比を横軸、検出強度を縦軸とするグラフを描くことができる。こ
のグラフを質量スペクトル (mass spectrum) という。物質の分離には例えば以下の方法がある [1, 37]。
四重極型 (quadrupole) イオンを 4 本の電極内に通し、電極に高周波電圧を印加する*3 ことで試料に
摂動をかけ、目的とするイオンのみを通過させる分析法である。イオンビームが通過中に電圧
を変化させることで通過できるイオンの質量電荷比が変化し、質量スペクトルを得ることがで
きる。
イオントラップ型 (ion trap)
*1
イオンを電極からなるトラップ室に保持し、この電位を変化させること
この実験は即興であり、実験のデザイン、結果の解釈に問題点が多く、あまり信用してはいけない。例えば、垂らす液量
を正確に測って全て等しくなければならないし、そもそも様々な液量で試行する必要がある。内側と外側で色が異なって
見えるのは、内側と外側で液の成分が異なるというよりも、むしろ単に外側の方が液が少量であるための可能性もある。
*2 近年のハイスループット化された液体クロマトグラフィーは、高速液体クロマトグラフィー (HPLC, High performance
liquid chromatography) と呼ばれる。
*3 電気回路に電源や別の回路から電圧や信号を与える事を意味する。
4.3 分析化学
65
(a) electron beam, ion,
fast atom, laser
ions traveling
through field
+
separation
by mass
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
+
fragmented and
ionized samples
heavy ß
(b)
+
+ +
+
à light
10000
[CH3-O]+
9000
8000
Methyl loss
࣓ࢳࣝᇶ㞳⬺
Ionic strength
࢖࢜ࣥᙉᗘ
7000
6000
Ethyl loss
࢚ࢳࣝᇶ㞳⬺
5000
C4H10O
M+
4000
3000
2000
1000
0
0
5
10
15
20
25
30
35
40
45
50
55
60
65
70
75
80
85
90
m/z
図 4.4 質量分析法の原理 [37]
(a) 電子線、イオン、高速原子、レーザー等を照射して試料をイオン化した後、それらのイオンにスピード
をつけて空中を飛ばし、質量電荷比 (m/z) ごとに分けて質量スペクトルを描く。(b) エーテルの質量スペク
トルの例。
で選択的にイオンを放出することで分離を行う。
磁場型 (magnetic sector) イオンを磁場中に通し、その際に受けるローレンツ力による飛行経路の変
化を利用する。
飛行時間型 (Time-Of-Flight, TOF)
イオンに電圧をかけて飛ばすと、軽いものほど遠くへ飛ぶが、こ
の質量による飛行時間の差を利用して分離する。生命科学の分野で頻繁に使用される。
質量分析では、試料分子が正または負の電荷を 1 つだけ持ったイオンの他、2 価以上に荷電した多価
イオン、イオン化の過程、あるいは装置を飛行中に解離したイオン (フラグメントイオン)、あるいは試
料同士が会合した会合イオンなどが生成する。また、通常では分子は同位体元素を含んでおり、それぞ
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
66
れのピークはこれに由来する分子固有の分布をもって現れる。質量分析で得られる情報は、
1. 分子量
2. フラグメントイオンのパターンから推定される分子の種類や構造
3. 元素の組成
である。
分子をイオン化するには様々な方法があるので、いくつか例を挙げよう。
電子イオン化 (electron ionization, EI) 対象となる分子に直接電子を照射し、分子中のイオンを弾き出
して、プラスのイオンやそれが壊れた多くの断片イオンを発生させる。
エレクトロスプレーイオン化法 (ElectroSpray Ionization, ESI) 液に溶かした試料を電圧をかけたキャ
ピラリーから噴霧した後、溶媒を揮発させる。すると、液滴の電荷が反発しあって細かく分か
れ、1 つの分子イオンになる。
マトリックス支援レーザー脱離イオン化法 (Matrix Assisted Laser Desorption / Ionization, MALDI)
試料をケイ皮酸化化合物などのマトリックス*4 と混合し、真空中でレーザーを照射してマトリッ
クス分子を励起して間接的に分子をイオン化する*5 。大型の生体分子 (タンパク質、ペプチド、
多糖など) のイオン化に適している。
質量スペクトルは場合によってはかなり複雑になるため、未知物質の質量スペクトルを帰属するこ
とは容易ではない。 逆に、この豊富な情報量は、既知物質の同定や未知物質の構造決定にはきわめて
強力な手段となるため、有機化学や生化学の分野で非常に多用され、また重要な分析法となっている。
4.3.3 クロマトグラフィーと質量分析法の組み合わせ
一般にクロマトグラフは複数の成分を含む試料の分離には適しているが、例えば LC だけでは分離し
た各成分の詳細な同定は困難である (原理的には、標準試料を用いて保持時間を調べることである程度
の同定は可能であるが、ピークの重なりなどもあり現実的には困難)[21]。これに対して、質量分析は
単一の成分のみを含む試料の定性は得意であるが、多成分系に適用するとピークの重なりなどの問題
が生じてしまう。したがって、これら二つの方法を上手く組み合わせることで相補的な利用によって
多成分系の定性・定量分析が可能となる。
例えば、ガスクロマトグラフ (GC) と質量分析計 (MS) を組み合わせた装置がガスクロマトグラフ質
量分析計 (GC-MS) だが、この場合分離能力に優れる GC と定性能力に優れる MS の組み合わせによっ
て、対象となる物質の分離と定性を効率よく行うことができる。生命科学の研究では液体クロマトグ
ラフ (LC) と質量分析計を組み合わせた装置である液体クロマトグラフ質量分析計 (LC-MS) も広く使
われている。
4.3.4 分析化学とメタボローム研究
代謝産物の総体をメタボローム (metabolome) というが、メタボロームプロファイルは細胞内の状態
を知る大きな手掛かりとなる。細胞内のタンパク質のプロファイルを取っても、例えば翻訳後修飾等
*4
*5
ここでは対象となる化合物のイオン化を支援する化合物を意味する。
MALDI の開発と実用化は島津製作所の田中耕一氏の研究成果に拠るところが大きく、この功績により、田中氏は 2002
年にノーベル化学賞を受賞している。
4.4 ネットワーク生物学
も考慮する必要があり、表現型と直接関連付けるのは必ずしも容易ではない。これに対して代謝産物
は細胞内プロセスの最終産物であり、細胞内でどのような生化学的反応が起こっているかをより直接
的に知る手掛かりとなる。このため表現型と関連付けるのが比較的容易と言えるだろう [84]。細胞内
のメタボロームプロファイリングには、GC-MS や LC-MS など様々な装置が使用される。
メタボロームのプロファイリングには測定対象を限定する方法 (targeted metabolomics) と網羅的に
測定する方法 (untargeted metabolomics) がある。前者は特定の代謝経路に焦点を合わせてその代謝経
路に含まれる代謝産物だけを測定したい場合に採用される。一般的な手順としては、あらかじめ注目
している代謝産物の標準化合物 (standard metabolites) を使ってそれらを正確に測定できるよう、分析
装置を最適化し、次に実際のサンプルを解析する。後者の網羅的測定では、まずサンプルを LC-MS な
どで測って、多数のピーク群を取得し、次にそのピーク群をコンピュータで分析して、有意なピークを
抽出し、それをピークのデータベースと照合して代謝産物を推定する。
4.4 ネットワーク生物学
近年酵母ツーハイブリッド法などの実験技術の進歩により生体内で起こる分子間相互作用を網羅的
に調べることが可能になってきた。このような分子間の相互作用の集合、すなわち分子間ネットワー
クを解析することにより生命現象を解明しようとする分野をネットワーク生物学という。
Cytoscape[14, 85] はネットワーク解析と可視化のためのプラットフォームであり、多くの研究現場
で使用されてきた (図 4.5)。Cytoscape を用いた腎臓細胞のネットワーク解析もようやく始まったとこ
ろである [87]。
近年膨大な量の相互作用データを解析する新たな情報処理技術 (バイオインフォマティクス) が次々
と開発されている。Cytoscape には多くの重要なネットワーク解析機能が標準装備されているが、それ
でも新たに開発された技術を Cytoscape 本体に次々と実装してしまうと、本体が肥大化してしまい、煩
雑なインターフェースになってしまうだけでなく、開発効率が悪い。そこで、より特定の目的に特化し
た情報処理技術については、App と呼ばれる機能拡張ソフト (Cytoscape 2.8 まではプラグインと呼ば
れていた) に実装されている。
App の開発は UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校) だけでなく、UCSF(カリフォルニア大学
サンフランシスコ校)、トロント大学等様々な機関で進められている。また Cytoscape を開発している
中心の研究機関でなくても、新たな情報処理技術を開発した機関がユーザに使いやすいように App と
して実装するケースも少なくない。
開発された App は通常 Cytoscape App Store というサイトに登録される [86]。このサイトは App の
情報が満載であり、ユーザは興味のある App を探したり、各 App の機能や他のユーザによる評価など
を調べたりすることができる。
4.5 代謝流束均衡解析
4.5.1 代謝流束均衡解析の概要
疾患の治療に有効な薬剤の開発は通常困難を伴い、費用もかかる。疾患の治療に有効と思われる細
胞中の分子を決めて、それを標的とするような化合物を探すのが一般的な手法であるが、この方法で開
発された化合物による治療が失敗に終わることも多い。この原因の 1 つに、ヒトが持つ代謝システム
の包括的な理解や活用が十分でないことが挙げられる。しかしながら、近年の実験技術の進歩により
67
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
68
Edge attribute table
(A)
(B)
Node attribute table
YOR141C
Gene
Symbol
ARP8
Expression
log ratio
-0.078
YBL008W
YLR052W
YDL002C
HIR1
IES3
NHP10
0.000
-0.071
0.019
Locus tag
Network import
Table import
(D)
(C)
Locus tag: YOR141C
Gene Symbol: ARP8
Exp. log ratio: -0.078
Genetic
YBL008W
YOR141C
Locus tag: YDL002C
Gene Symbol: NHP10
Physical Exp. log ratio: 0.019
Physical
Locus tag: YLR052W
Gene Symbol: IES3
Exp. log ratio: -0.071
(E)
Genetic: red
Physical: blue
Node fill color - Continuous mapping
low expression log ratio → close to red
high expression log ratio → close to yellow
YDL002C
Physical
Locus tag: YBL008W Genetic
Gene Symbol: HIR1
Exp. log ratio: 0.000
YLR052W
Import Network
From File Icon
Edge stroke color - Discrete mapping
-0.08
0.02
Node label - passthrough mapping
use Gene Symbol as node label
App pull-down menu
Visual Style
VisMapper
Import Table
From File Icon
VizMapper tab
VizMapper panel
Main network
view
Attribute browser
panel
(F)
図 4.5 Cytoscape のフレームワーク
4.5 代謝流束均衡解析
ゲノムレベルのデータが収集され、生化学的な知識がより蓄積したことにより、システムレベルの解析
も必ずしも不可能ではなくなってきた。本節で取り上げる代謝流束均衡解析を利用すれば、計算機上
で代謝をシステムレベルで解析可能であり、既に腎臓の代謝のモデル化や、薬剤が腎臓の代謝に与える
影響の予測に応用されている [89]。
代謝流束均衡解析 (Flux Balance Analysis, FBA) は代謝モデルを解析する数学的手法である [1]。モ
デル化された生化学システム中の各反応の化学量論係数 (stoichiometric coefficient) を拘束条件として
線型計画法 (linear programming) を適用し、最適化を行う。この手法はさらにシステムが定常状態であ
ることを前提とする。これによって、代謝ネットワーク中に存在する化合物の濃度は一定であると仮
定することができる。そして研究対象に応じて特定の表現型が選ばれて関連するパラメータが最大化
される。
流束均衡解析の利点の一つは、代謝物質の濃度あるいは酵素反応速度 (enzyme kinetics *6 ) に関する
情報なしに解析を行うことができる点にある。つまり定常状態を仮定することによって、栄養の量が
一定である限りその詳細情報が不要になるし、どの代謝物質の代謝流束 (metabolic flux) の合計も 0 と
考える以上、反応速度に関する情報も不要になる。特定の目的関数の最大値を数学的に求めるために
は、化学量論係数だけで十分である。
目的関数は本質的にはシステム中の各々の構成要素が目的の産物の合成にどれくらい関わってい
るかを測る指標である。産物そのものはモデルの目的に依存するが、典型的な例として、総バイオマ
ス*7 の研究が挙げられる。特に FBA の成功している分野として、様々な条件で培養した時の大腸菌の
成長率の正確な予測がある。この例では、バイオマスの目的関数を最大化するように代謝システムが最
適化された。しかしながら、より一般的にこのモデルはどのような生成物の生成の最適化にも使用可
能で、バイオテクノロジーの分野で重要な生成物の生産量を決めるのにしばしば使用される。このモ
デル自身はケモスタットのような栄養の濃度を一定にできる機器を用いて細胞を培養することによっ
て確かめられる。そして目的となる物質の生成を測定することによってモデルの修正ができる。
これまで概観した FBA の大まかな流れを図 4.6 に示すが、以降詳細を説明していこう。
4.5.2 モデルの準備
主な手順
モデル準備の主なステップは、
1. ギャップ (情報欠落) のない代謝ネットワークの作成
2. モデルに制約を加える
3. 目的関数を作る (しばしばバイオマス関数と呼ばれる)
である。通常は対象となる生物の成長をシミュレーションするためにこのような準備が行われる。
ネットワーク
研究対象となる代謝経路の規模は単一の経路から細胞レベルの経路、組織レベルの経路、あるいは個
体レベルの経路など様々である。ただ、FBA を行う上で重要なのは、代謝ネットワークにギャップが
ないことである。通常は数ヵ月から 1 年かけて、基本的には手動でそのようなネットワークの構築を
行うことになる。詳細は小節 4.5.6 で述べるが、構築したネットワークは行列として表現する。ネット
*6
*7
kinetic は本来「動力学的な」という意味である。enzyme kinetics は「酵素反応速度論」と訳されることが多い。
バイオマス (biomass) は生物から得られる生物活性物質およびその量を表わす。
69
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
70
G00171
Other
types
of
O-glycan
biosynthesis
C01246
G00001
C00110
C00381
G00033
G00027
Various
types
of
N-glycan
biosynthesis
G00010
N-Glycan
Glycosphingolipid
biosynthesis
globo
G00011
Mucin
type
O-Glycan
biosynthesis
G00031
G00012
G00002
Glycosphingolipid
biosynthesis
lacto
and
G00047
G00093
G00094
G00097
G00169
G00098
G00095
G10598
G00004
G10599
C01290
G00023
G00113
Glycosaminoglycan
biosynthesis
chondroitin
sulfate
G06780
G13032
G08421
G13035
G09660
G02632
G00123
G00109
G00114
G00164
C00925
G00015
Genome-scale metabolic
reconstruction
ࢤࣀ࣒ࢫࢣ࣮ࣝࡢ
௦ㅰࢿࢵࢺ࣮࣡ࢡࡢ෌ᵓ⠏
G00052
G00115
G00110
C06025
G00018
C06427
C00401
C04785
C01226
C04780
C16338
C16339
C14812
C00219
C01312
C05957
C05961
C14813
C14781
C05958
C05962
C14814
C14782
C14768
G00145
C14772
C14774
C00114
C00588
C05965
C13508
C00189
C00346
C00307
C04308
C00159
C00275
C00416
C00641
C02737
C00350
C01194
br08002
C04294
C03028
C00811
C01197
C00323
C05619
C01494
C12203
C12204
C00344
C03968
C00692
C06156
C05892
C04501
C12126
C00195
C02686
C01346
C00239
C00082
C00355
C03454
C00691
C15804
C15805
C16737
C04287
C05431
C05433
C05432
C05413
C05435
C08586
C05744
C08601
C16276
C00473
C01036
C00001
C00080
C00080
C00080
C00080
C00519
C00245
C05746
C05750
C05756
C05753
C02105
C00053
C05759
C05269
C05265
C05267
C05263
C05261
C05259
C05266
C05264
C05262
C05260
C05258
C05273
C05272
C02593
C00154
C05220
C01516
C05322
C06171
C00631
C00156
C06174
C01267
C00258
C05673
C11816
C01852
C00860
C00493
C06406
C09421
C00643
C03470
C00032
C02191
C03516
C06506
C04536
C06507
C11831
C06407
Ubiquinone
and
other
terpenoid-quinone
biosynthesis
C17560
C03175
C00785
C00135
C05772
C09390
C17552
Tryptophan
metabolism
C00979
C01100
C01079
C06505
C02463
C17401
C17559
C05817
C00078
C03160
C05634
C05676
C05675
C05778
C11538
Indole
alkaloid
biosynthesis
C00430
C01717 C00463
C00780
C03557
C03263
C05848
C17554
C16519
C03506
C01252
C05123
C02700
C00388
C03167
C01051
C01024
C00748
Taurine
and
hypotaurine
metabolism
C00593
C01269
C05672
C02798
C00931
C06508
C11540
C02880
C06416
C03680
C00128
Biosynthesis
of
type
II
polyketide
products
C17541
C05194
C05179
C00283
C05852
C00270
C05894
C05268
C05178
C00885
C00506
C00097
C00957
Biosynthesis
of
siderophore
group
nonribosomal
peptides
ko00194
Peptidoglycan
biosynthesis
C05893
Fatty
acid
metabolism
C05762
Phosphonate
and
phosphinate
metabolism
C00074
C06615
C16348
C17561
Histidine
metabolism
C06612
C15547
C05635
C02637
C03309
Pyruvate
metabolism
C04633
C00469
C03824
C02220
C00222
C00084
C06614
C06613
C16242
C02139
C06320
C17562
Benzoxazinoid
biosynthesis
C04409
C16540
C06510
C16243
C16541
C06319
C11641
C09107
C03677
C02226
C02612
C00151
C06611
C06509
C03741
C00637
C01598
C00439
C03657
C04688
C05757
C04619
C06165
C05189
C06167
C00108
C00251
C05527
Sulfur
metabolism
C03232
C00008
D-Alanine
metabolism
C04620
Isoquinoline
alkaloid
biosynthesis
C05193
C05247
C01061
C05122
Acridone
alkaloid
biosynthesis
C04916
C02061
C00002
C17542
C00376
One
carbon
pool
by
folate
C05316
C05190
C06163
C01678
C02106
Retinol
metabolism
C05747
C02110
C05191
C05174
C00079
C06241
Carotenoid
biosynthesis
C08590
C01144
C05414
C07335
C00445
C00059
C00331
C05904
C00018
C00627
C11638
C06055
C00234
C00363
C04257
C01209
C01514
C05430
C00974
C00101
biosynthesis
C00080
C03648
C12137
C00415
C00459
C04702
C04851
C00332
C00509
C00389
C05623
C05594
C03479
Phenylalanine
metabolism
C00364
C00423
C02185
C05903
C05584
C05576
C05175
C00214
C00224
C00137
Inositol
phosphate
metabolism
C05580
C02514
C00337
C04896
Photosynthesis
C04006
C06054
C05583
C00921
C00005
C00034
C04063
C05212
C00958
C05588
C00788
C01161
C00645
C01243
C04756
C00547
C03758
C00365
C02741
C00006
C06892
Ether
lipid
metabolism
C04635
C00314
Vitamin
B6
metabolism
C05582
C00906
C05100
Photosynthesis
antenna
proteins
C00236
C06125
C00250
C11437
C00705
C00460
C00039
C00118
C00043
C03546
Fatty
acid
biosynthesis
C00647
C00268
C00847
C00266
C00568
C00295
C06893
C01220
C01019
C00272
C04807
C04332
Phenylalanine
C05977
C01272
C04244
Folate
biosynthesis
C01300
C15556
C02739
/
Gluconeogenesis
Flavonoid
biosynthesis
A↔B+C
B + 2C→D
C15815
C00534
C04732
C17937
Tyrosine
metabolism
C03393
C00458
C00119
Biosynthesis
of
12-
C00092
C00836
C00083
C05579
C00577
C00117
C00111
C01245
C01204
C17938
C02350
C12248
C00279
Pentose
phosphate
pathway
C02985
C05980
Cutin
C02325
C15814
C03684
C16365
Riboflavin
C04185
C05578
C05604
C00822
C20249
C01170
C00352
Sphingolipid
metabolism
C00590
C15813
C04895
C13747
Caffeine
C01094
C03715
C06041
Glycerolipid
metabolism
C00482
C02934
C00406
C02666
hsa01004
C07303
C05608
C15810
C18910
C16356
C07481
C07130
C11821
C20231
C00606
C00223
Thiamine
metabolism
C04327
C05923
C00286
C00330
C00242
C00366
C00380
C00438
C02646
C05922
C01304
C15563
C00361
C00362
C00385
C16357
C05145
C06040
C04046
C03692
C00319
C01264
C06561
C00378
C01081
C05924
C00044
C16353
C00387
C01762
C00262
C00106
C02642
br08003
Isoflavonoid
biosynthesis
C00035
C00144
C16352
C00475
C01212
C00325
C03892
Arachidonic
acid
metabolism
Biosynthesis
of
unsaturated
fatty
acids
C14775
C00655
C00294
C00147
C00299
C00055
Biosynthesis
of
vancomycin
group
antibiotics
C04631
Fructose
and
mannose
metabolism
C04549
Glycerophospholipid
metabolism
C14771
C14827
C00130
C03794
C00212
C00105
C00112
Pyrimidine
metabolism
C00203
C01050
C00269
C00422
C01595
C04717
C00020
C07480
C00540
Phenylpropanoid
biosynthesis
C00360
C00015
C00063
C00508
C00636
C03372
C01241
C00570
C06426
Linoleic
acid
metabolism
C04752
C04734
C00068
C00206
C05512
Pentose
and
glucuronate
interconversions
C00231
C05345
Amino
sugar
and
nucleotide
sugar
metabolism
C05382
C00903
C04677
C04823
C00008
C00131
C00559
C00075
C00310
Polyketide
sugar
unit
biosynthesis
C00184
C01222
C14773
C14770
C04556
C01279
C04751
C00002
C00046
C00259
C00532
C04442
C00345
G00147
C02280
C00093
C03242
C14769
C15667
C03373
C05422
C00312
beta-Alanine
metabolism
G00144
C08491
C00116
C01885
C00096
C05966
C00696
C05955
C05382
C04640
Purine
metabolism
C01041
C01114
aldarate
metabolism
C03906
C01218
C00379
C01236
C01172
C00668
C00267
C01693
C16336
C00157
C05956
C00427
C00584
C05953
C07836
C04376
C00072
C00679
C06473
C00935
C00181
C00498
C00794
G00143
C16330
C00095
C14822
C14823
C11472
C00545
C00800
C00257
C00221
C01103
Glycosylphosphatidylinositol(GPI)-anchor
C16327
Glycosaminoglycan
biosynthesis
keratan
sulfate
G10596
C14776
C07838
C00818
C00191
C00031
C02352
C00760
C00089
G13043
G00872
C05356
C03838
C18239
C02670
C03033
C00103
G00148
G00149
G13044
C03021
G00122
G10597
C14749
C00909
C05954
C06397
C03090
C00558
C00905
C00167
C00190
G13045
C00617
G00121 C03862
G00112
Glycosphingolipid
biosynthesis
ganglio
series
C14748
C01190
C00333
Puromycin
biosynthesis
C00029
C00394
C00501
C01115
C02591
G00116
G00111 G00129
G10595
C05951
C02166
C00639
C02165
C06398
C00338
C02273
C02330
C05385
Starch
and
sucrose
metabolism
C00721
C00369
G13046
C00621
G00128
G00132
G00078
C05963
C02198
C06026
C01187
C00470
Biosynthesis
of
ansamycins
C00842
C00208
C00446
Galactose
metabolism
G00017
G00006
G00127
G00077
C05964
hsa00535
G00059
C06251
Streptomycin
Glycosaminoglycan
biosynthesis
heparan
sulfate
C00124
Glycosaminoglycan
degradation
G00020
G00120
G00131
G00067
G00162
G00019
G10526
G00056
G00155
G00163
G13037
G00008
G00119
G00066
G00124
G00055
G00057
C04824
G13033
G13036
G13040
G13039
G00050
G00054
C11907
G13050
G13031
G11040
G00009
G00118
G00005
G00130
G00062
G00063
C06024
G10611
C02189
G13049
G13048
G13047
C00573
G00108
G00060
G00039
G00040
Butirosin
and
neomycin
biosynthesis
C04919
G00024
G00025
G12626
G10841
G00013
G00014
G00036
G12625
G00035
G00003
hsa01003
G00045
G01813
G00170
Other
glycan
degradation
series
G00037
G00044
G00043
Lipopolysaccharide
biosynthesis
G00029
G00030
G10694
G00048
G00046
G00042
C00194
C05818
C13309
C00399
C00777
C01847
C05895
C11542
C06032
Glycine
C02658
C06098
C08579
C08614
C13433
C06082
C13455
C13453
C05276
C05275
C03221
C00022
C01528
C00186
C05172
C00133
Anthocyanin
biosynthesis
C15970
C04246
C05748
C05758
C05754
C05751
C05760
C00136
C05270
C01944
C05274
C01832
Zeatin
biosynthesis
C06076
C04432
C05745
C05749
C05752
C05755
C05223
C05761
C05764
C16238
C00725
C05519
C00037
C00371
C16239
C16237
C00719
C05989
Propanoate
metabolism
C00109
C18218
and
chloroalkene
degradation
C00418
Carbon
fixation
pathways
in
prokaryotes
C06791
C06789
C06790
C06793
Caprolactam
degradation
C15808
C15816
C00876
C01080
C04377
C06089
C11894
C11901
C08830
C17621
C02141
C17622
C01943
C15778
C02939
C03345
C04405
C11895
C11874
C11897
C11857
C11899
C05455
C03594
C01164
C00187
C00085
C00117
C00354
C05451
C05500
C01561
C06555
C00862
C00118
C00445
C06442
C00155
C00021
C00062
C00581
C00169
C00086
C05307
Porphyrin
and
chlorophyll
metabolism
C00300
C00213
C02305
C01043
C00791
C02565
C00011
C00179
Nitrogen
metabolism
C04133
C00077
C01250
C00515
C00792
C00436
C00437
C01110
D-Arginine
and
D-ornithine
metabolism
C00134
C05539
C03972
C06231
C19929
C03912
C01165
C00048
C00313
C01010
C03539
Cysteine
and
methionine
metabolism
C04092
Alanine
C00231
C03283
C03340
C07086
C02723
C03239
C19889
Glyoxylate
and
C02575
C01182
C02714
C00019
C00073
C03618
C01732
C00236
C01137
C15699
C04462
C00311
C00951
C05295
C05306
C06503
C06504
Clavulanic
acid
biosynthesis
C00014
C00407
C00441
C00408
C00449
C00080
C01010
C06104
C01673
C05294
C02232
C05452
Steroid
hormone
biosynthesis
C05501
C01438
C00058
C00011
C00197
C00047
C00160
C00988
C00680
C00666
C03771
C00745
C00148
C01416
Aminobenzoate
degradation
C05300
C01227
C01176
C00258
Naphthalene
degradation
C00041
C12836
C06755
C12835
C12834
C12833
C12831
C06594
C12832
C00601
C05557
C02083
C06564
C00395
C15700
C15651
C15606
C01180
C07089
C00042
C04188
C03089
C07212
C03203
C06204
C06589
C02526
C01273
C03589
C00596
degradation
C08062
C08061
C11427
C06203
C16210
C06202
C00805
C07734
C07208
C07216
C07209
C07211
C06720
and
proline
metabolism
C02282
Chlorocyclohexane
and
chlorobenzene
degradation
C00091
C08060
C06754
C00097
C02923
C00399
C00080
Nicotinate
and
nicotinamide
metabolism
C10860
C06565
C00080
C00524
C00003
C06183
C01672
C00819
C00080
C00004
C00857
C00729
C15767
Glutathione
metabolism
C01213
C00080
C03453
C02501
C01185
C03287
C00217
C00153
C06599
C02480
C11425
C00253
C08276
C00025
C00026
C07213
C16204
C01124
Fluorobenzoate
degradation
C00783
C04281
C05946
C06597
C06588
C16203
C14610
C03164
C00762
C04582
C00682
C02222
C01278
C03012
C17346
C01789
C05447
C15650
C00168
C02375
C20144
C16480
C15781
C05460
C06179
C06547
C05379
C07099
C11422
C05488
C07394
C17343
C05936
C01157
C01146
C00049
C00036
C00022
C05484
C02371
C04554
C17345
C15613
C06178
C05840
C00074
C00846
C00829
C05445
C04722
C12448
C01234
C00170
C05138
C01953
C01301
C15777
C15780
C04421
C05444
C11522
C01433
C01852
C00763
Glucosinolate
biosynthesis
Tetracycline
biosynthesis
C00122
C15776
C05446
C06071
C05775
C06399
C16244
C00327
C00697
C00123
C01077
C03082
Lysine
C19887
C00209
C11508
C05454
C06070
C02483
C06087
C02477
C11543
C00882
C03492
C00233
C00671
C02291
C00049
Citrate
cycle
(TCA
cycle)
C00798
C05502
C00535
C06069
C15883
C11900
C16524
C00864
C00183
C15979
C00263
C00450
C02614
C5-Branched
dibasic
acid
metabolism
C00058
C00234
C00149
Atrazine
degradation
C03845
C01189
C05443
C05453
C15882
C11882
C11887
C02035
C00859
C00522
C18911
C15975
C15980
C00163
C04076
C01011
C19886
C05382
C01694
Methane
metabolism
C17339
C05427
C06554
C15777
C04525
C00966
C00603
C06006
C03069
C03344
C00100
C00894
C00158
Carbon
fixation
in
photosynthetic
organisms
C01274
C02378
C01902
C00199
C06090
Diterpenoid
biosynthesis
C00222
C06548
C00447
C06792
C05103
Steroid
biosynthesis
C01500
C06547
C06593
C05108
C00353
C00141
C04411
C00736
C00356
C06007
Lysine
degradation
C11435
C01118
C01107
Terpenoid
backbone
biosynthesis
C00448
C02504
C03406
C00164
C00083
Cutin
C11436
Lipoic
C00129
C00235
C09704
Pantothenate
and
CoA
biosynthesis
C02987
C01026
C00213
C00188
Cyanoamino
acid
metabolism
C00322
C04236
C00246
C11811
C00341
C03427
C16143
C09024
C01242
C00207
Selenocompound
metabolism
C00024
C00527
C00249
C16428
C00521
C11680
C15977
C00143
and
degradation
of
ketone
bodies
C00033
C00227
C05712
C00726
C00041
Biosynthesis
of
type
II
polyketide
backbone
C11437
Fatty
acid
elongation
Butanoate
metabolism
C02527
C02462
C00065
C06000
C05896
C05763
Limonene
and
pinene
degradation
Monoterpenoid
biosynthesis
Sesquiterpenoid
and
triterpenoid
biosynthesis
C09629
Insect
hormone
biosynthesis
C06408
Valine
C00828
C05271
C00877
C02094
Flavone
and
flavonol
biosynthesis
C16829
Reaction 1
Reaction 2
...
Reaction n
C13629
Styrene
degradation
C06753
C00002
C13624
C00006
C02918
Tropane
C00064
C06600
C05450
C15799
C15787
C15786
C05448
C11426
C00090
C00750
C00180
C06321
C07087
C15785
C07083
C07084
Benzoate
degradation
C00390
C00001
C00009
C04623
C00080
C06671
C02949
C06387
C00156
C00633
C01468
C06711
C06712
C00080
C06636
C06638
C00530
C13636
C02046
C05552
Penicillin
and
cephalosporin
biosynthesis
C00051
C00669
D-Glutamine
and
D-glutamate
metabolism
C00916
C00232
C01606
C00230
C03233
C02814
C06757
C06758
C01454
C11354
C06760
Toluene
degradation
C03676
C04793
C19944
C05842
Biotin
metabolism
C05843
C03325
C05921
C00334
C01909
C06756
C01037
C01092
C01063
C08301
C08300
C02765
C16719
C01575
C04351
Ethylbenzene
degradation
C05730
C06640
DDT
degradation
C01851
C02656
C06762
C04596
C16264
C06637
C00080
C07479
C01542
C06677
C06728
Steroid
degradation
C06749
Polycyclic
aromatic
hydrocarbon
degradation
C02090
C03170
beta-Lactam
resistance
C04844
C01035
C02647
C09821
Nitrotoluene
degradation
C09816
C09817
C01455
C06600
Metabolism
of
xenobiotics
by
cytochrome
P450
Mathematically represent
metabolic reactions and
constraints
௦ㅰ཯ᛂ࡜ไ⣙ࡢᩘᏛⓗグ㏙
C00003
C17268
C06670
C06322
C05122
C15791
C01419
Oxidative
phosphorylation
C14909
C00512
C01794
C02528
C15792
C07715
hsa00199
C03569
C05467
C01921
C00695
C15793
C00315
C03112
C10700
C07729
bile
acid
biosynthesis
Brassinosteroid
biosynthesis
C15794
Drug
metabolism
cytochrome
P450
C07101
C07100
Drug
metabolism
other
enzymes
C11348
1 2
-1
A
B 1 -1
C 1 -2
1
D
·
·
m
··· ···
n
om
O as
xy s
G ge
lu n
co
se
C15800
C15803
C08814
Bi
C15801
-1
-1
Stoichiometric matrix S
໬Ꮫ㔞ㄽ⾜ิ S
-v1 +
v1 - v2 +
v1 - 2 v2 +
v2 +
Mass balance defines a
system of linear equations
㉁㔞స⏝๎࠿ࡽᚓࡽࢀࡿ
ࢩࢫࢸ࣒ࡢ⥺ᆺ᪉⛬ᘧ
*
v1
v2
.
.
.
.
.
.
.
=0
vn
vbiomass
vglucose
voxygen
Fluxes v
ὶ᮰v
··· = 0
··· = 0
··· = 0
··· = 0
etc.
Define objective function
┠ⓗ㛵ᩘࡢᐃ⩏
(Z = c1 * v1 + c2 * v2 + ···)
Prediction of growth
成長の予測
Z = vbiomass
v2
Z
Calculate fluxes that maximize Z
Z ࢆ᭱኱໬ࡍࡿὶ᮰ࡢィ⟬
Solution space defined
by constraints
制約によって定義された解空間
Point of optimal v
最適のvに対応する位置
v1
図 4.6
代謝流束均衡解析 (FBA) の流れ [88]
ワークの例を図 4.7 に示そう。
制約条件
FBA では反応の流束 (flux、フラックス) 率に対して制約をつけて、その数値が決められた範囲に収
まるようにすることがポイントとなる。これは生物学的に考えると、栄養の吸収と分泌の制約と、生体
内の流束の制約がある。これによって、シミュレーションを実際の代謝により近づけることができる。
4.5 代謝流束均衡解析
71
α-D-Glucose
(C00267)
β-D-Glucose
(C00221)
ATP
䠄C00002)
R01786
R03321
R02740
β-D-Fluctose-6P
(C05345)
ATP
䠄C00002)
C00002
C00008
C00221
C00267
C00668
C01172
C05345
C05378
R04779
R01786
α-D-Glucose-6P
(C00688)
R01600
ADP
(C00008)
R02740
β-D-Glucose-6P
(C01172)
R02739
R03321
R01600
ADP
(C00008)
R02739
ATP
䠄C00002)
0 0 0 -1 -1 -1
0 0 0 1 1 1
0 0 0 -1 0 0
0 0 0 0 -1 0
-1 0 -1 0 1 0
1 -1 0 1 0 0
0 1 1 0 0 -1
0 0 0 0 0 1
R04479
ADP
(C00008)
β-D-Glucose_b
α-D-Glucose_b
β-D-Glucose_e
(C00221[e])
α-D-Glucose_e
(C00267[e])
β-D-Glucose
(C00221[c])
α-D-Glucose
(C00267[c])
ADP_ctoex
ADP_e
(C00008[e])
ADP
(C00008[c])
β-D-Glucose-6P
(C01172[c])
R02739
α-D-Glucose-6P
(C00688[c])
R03321
R02740
ADP_b
β-D-Fluctose-6P
(C05345[c])
ATP
䠄C00002[c])
ADP
(C00008[c])
R04479
C00002[c]
C00002[e]
C00008[c]
C00008[e]
C00221[c]
C00221[e]
C00267[c]
C00267[e]
C00688[c]
C01172[c]
C05345[c]
C05378[c]
ADB_extoc_tr
BDG_extoc_tr
ADP_ctoex_tr
ATP_extoc_tr
R04779_c
R01786_c
ATP
䠄C00002[c])
ADP
(C00008[c])
R01600_c
R01786
R01600
R02740_c
ATP_extoc
ATP
䠄C00002[c])
R03321_c
ATP_e
(C00002[e])
R02739_c
ATP_b
BDF16P2_biomass_tr
β-D-Fluctose-1,6P2
(C05378)
0 0 0 -1 -1 -1 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 0 1 1 1 -1 0 0 0 1
0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0
0 0 0 -1 0 0 0 1 1 0 0
0 0 0 0 0 0 0 -1 -1 0 0
0 0 0 0 -1 0 0 0 0 1 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0 -1 0
-1 0 -1 0 1 0 0 0 0 0 0
1 -1 0 1 0 0 0 0 0 0 0
0 1 1 0 0 -1 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 -1
BDF16P2_biomass
β-D-Fluctose-1,6P2
(C05378[c])
図 4.7 代謝流束均衡解析で使う代謝ネットワークの例 [1]
解糖系の最初の 6 つの反応と目的関数 (赤)、システムの境界 (緑の破線) および境界を出入りする栄養 (ATP、
ADP、BDG、ADG) を示した。また左側には対応する化学量論行列を示した。また各物質 (Compound) 及び反応
(Reaction) に KEGG ID[15] を示した。
培地
生体ないし全ての代謝システムはいくつかの栄養を入力として必要とする。通常は栄養の吸収率は
栄養の有無 (もちろん存在しない栄養を吸収することはできない) と濃度、拡散係数 (濃度が高く、よく
拡散する栄養はより速く吸収される)、そして吸収する方法 (例えば、能動輸送、促進拡散、単純拡散な
ど) によって表わされる。
もしある栄養の吸収率 (あるいは分泌率) を実験的に計測することが可能であれば、その情報を代謝
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
72
モデルの境界 (端)*8 の流束率に制約として追加することができる。これによって対象とする環境に存
在しない栄養や、対象となる生物が吸収しない栄養が代謝経路の中に入らないようにできる (流束率は
0 に制約される)。これは、吸収率に関する知識がシミュレーションに生かされることを意味する。こ
れによって、シミュレーションされた代謝の挙動がただ単に数学的にあり得るというだけでなく、実
験によって確かめられた特徴を持つようにすることができる。数学的に言えば、制約を付けることは、
FBA モデルの解空間を狭めることとみなせる。
ネットワーク内部の制約
制約は代謝モデルの境界の他に反応ネットワークの内部深くに課すこともできる。この制約は普通
は単純である。例えば、エネルギー消費を考慮に入れて方向を制限したり、反応の最大速度を制限した
りする。
4.5.3 目的関数
FBA では定常状態を実現する数学的な解 (後述する S⃗v = 0 の解) は多数存在するが、生物学的に興
味があるのは、目的とする代謝産物を適量産出するような解である。FBA モデルに目的となる代謝産
物をそれぞれ適量生成させるための関数は目的関数と呼ばれる。生物をモデリングするときは、目的
関数を一般的にその生物のバイオマスを表わすようにして、成長や細胞分裂をシミュレーションする。
もしバイオマス関数を理にかなった方法で作るか、あるいは、実験データによって完全に決めることが
できれば、例えば代謝によって代謝物質が適量生産されていることを確認したり、バイオマス生成率を
正確に予測したりすることによって、生物学的に適用可能な FBA の結果を得ることにつながる。より
小規模のネットワークをモデリングするときは、それに応じて目的関数を変更することができる。例え
ば炭水化物 (carbohydrate) の代謝経路を研究するとき、目的関数は多くの場合、ATP および NADH の
一定の存在率として定義され、この経路における高エネルギーを持った代謝物質の生成をシミュレー
ションすることになるだろう。
4.5.4 FBA の数学的説明
数学的には FBA はグラフ理論と数理計画法の 2 つの分野の応用である。解析の第一歩は適切な代謝
ネットワークの構築である。このネットワークは化合物 (ノード、node) が化学的反応 (エッジ、edge)
で結ばれたグラフ (graph) で構成される。重要なポイントは、FBA は反応の割合を求めるため、逆に言
えばエッジは反応の割合に関する情報を事前に必要としないということである。単純に化学量論係数
(stoichiometric coefficient) に関する情報をネットワークモデルの中に組み込むだけでよい。そのよう
なネットワークの性質は数学的によく調べられており、様々な分析が直接可能である。FBA は線型計
画法をネットワークを表わす行列に対して適用する。このような行列の性質はよく知られており、こ
れによって生物学的な問題をコンピュータで解析できるようになる。実際の生体内のシステムは極め
て複雑であり、システムを定義するために大量のパラメータを測定しなければならない問題にしばし
ば直面し、またときに膨大なシミュレーション実行時間が問題となるが、FBA は生体内のシステムの
単純な表現法を提供し、必要なパラメータの数も少ないため (例えば酵素の反応速度*9 、化合物の濃度、
*8
これは例えば細胞内外の境界を表す
*9
enzyme kinetic rates
4.5 代謝流束均衡解析
73
v2
A
2
reaction
compound
-v1
-v2
1
B
compound
reaction
C
v1
compound
-v1
図 4.8 3 つの化合物と 2 つの反応から構成される単純な反応ネットワークの例
拡散定数*10 などは不要)、シミュレーションに必要な時間を大幅に減らすことができる。
グラフ中のノードとエッジは各ノードに対応する化合物の時間当たりの変化を示す連立微分方程式
として表わすことができる。これによってグラフを行列に変換できる。図 4.8 に示すシステムの例で
は、全ての代謝物質の濃度および全ての反応の流束は以下の 3 つの微分方程式で表現することがで
きる。
d[A] d[C]1
=
= v2 − v1
dt
dt
d[C] d[C]2
=
= v1 − v2
dt
dt
d[B] d[C]3
=
= −v1
dt
dt
(4.1)
連立微分方程式を解くことはこのケースでは難しくないが、式の数が増えると、計算時間が急激に増
加してしまう。さらに反応速度を決定することは、生物学的に大きな問題を抱える。
4.5.5 定常状態の仮定
FBA は定常状態、すなわち化合物の濃度が一定 ([C]i = 一定) であることを仮定することで、多くの
計算に関わる困難を克服する。式 4.1 の例で言えば、
d[C]1
d[C]2
d[C]3
=
=
=0
dt
dt
dt
あるいはより一般的に、
d[C]i
=0
dt
を仮定する。これによって問題は元となるシステムの流束均衡を求めることに単純化される。数式で
表せば、
*10
diffusion constant
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
74
v2 − v1 = v1 − v2 = −v1
(4.2)
であり、これで解くことが簡単になった。ちなみに式 4.2 の唯一の解は v1 = v2 = 0 である。
4.5.6 化学量論行列
このような数式による表現方法は他の生化学ネットワークに対しても広く使用することができ、さ
らに行列はより強力な表現方法となる。式 4.1 の化学量論行列 (stoichiometric matrix, S) は、


−1 1
S =  1 −1
−1 0
(4.3)
となる。化学量論行列は化学や代謝制御解析 (Metabolic Control Analysis, MCA)、動的システムの分
野でも使われる。ここで各次元が化学量論行列の対応する反応の流束率を表わすベクトル ⃗v = [v1 , v2 ]t
を定義しよう。式 4.3 と ⃗v の積をとり、定常状態を仮定すれば、

−1
S⃗v =  1
−1


  d[C]1   
1 [ ]
−v1 + v2
0
v
 dt 2    ⃗
−1 1 =  v1 − v2  =  d[C]
0 =0
=

dt
v2
d[C]3
0
−v1
0
(4.4)
dt
が得られる。
式 4.4 はより一般的には、
S⃗v = ⃗0
(4.5)
と表わす。この一般的な手順を化学量論行列 S の零空間 (null space) の計算という。この計算はここで
示した小規模な例だけでなく、より一般の S に対して適用でき、FBA の結果は式 4.5 を満たす ⃗v で表わ
される (図 4.9)。典型的な化学量論行列では代謝物質の数 m の方が反応の数 n よりも小さく (m < n)、
大部分の反応は線型独立なため、式 4.5 を満たすような ⃗v は多く存在し、これによって S の零空間は広
がっている。
4.5.7 生物学的知識の組み込み
制約条件への反映
線型代数では零空間の解析はよく行われる。得られる S の零空間は、生物学的ネットワーク中の流
束の釣り合いを取ることが可能な流束ベクトルの集合 (あるいはそれらの線型結合) を表しているに過
ぎない。しかしながら、システムを微分方程式で表現しようとすると不足している情報が多すぎると
いう問題が発生するが、零空間の解析はそのような大きな問題を回避することができる。
微分方程式 4.1 の流束 v1 および v2 は背後にある式の反応速度に依存する。反応速度は一般的に反
応を触媒する酵素の速度論パラメータと代謝物質の濃度からミカエリス・メンテンの理論 (Michaelis-
Menten kinetic theory) により導き出される。生きた生物から酵素を単離してその反応速度のパラメー
タを測定したり、生体内の代謝物質の濃度や拡散係数を測定するのは簡単なことではない。従って代
謝をモデリングするのに微分方程式を使うのは極めて難しく、使えるとしても詳細に研究されている
モデル生物に限られる。FBA は定常状態を仮定することにより、このような問題を回避する。ただ、
それでも解空間の広さの問題は残る。
4.5 代謝流束均衡解析
75
ATP_b
 33 
 33 


 67 


 50 
 50 

r 
v = 100 
200


200
 50 


 50 


100 
R02739_c
R03321_c
ATP_e
(C00002[e])
R02740_c
R01600_c
ATP_extoc
R01786_c
ADP_ctoex
R04779_c
ATP_extoc_tr
α-D-Glucose_b
β-D-Glucose_e
(C00221[e])
α-D-Glucose_e
(C00267[e])
β-D-Glucose
(C00221[c])
α-D-Glucose
(C00267[c])
ADP
(C00008[c])
ADP_e
(C00008[e])
ADP_ctoex_tr
BDG_extoc_tr
ADG_extoc_tr
BDF16P2_biomass_tr
ATP
䠄C00002[c])
β-D-Glucose_b
R01786
R01600
β-D-Glucose-6P
(C01172[c])
ATP
䠄C00002[c])
ADP
(C00008[c])
R02739
α-D-Glucose-6P
(C00688[c])
R03321
R02740
ADP_b
β-D-Fluctose-6P
(C05345[c])
ATP
䠄C00002[c])
ADP
(C00008[c])
BDF16P2_biomass
R04479
β-D-Fluctose-1,6P2
(C05378[c])
図 4.9 FBA の結果の例
エッジの太さが求められた流束率に比例するように代謝ネットワークを描画した。制約が課せられている
流束をオレンジ色で、バイオマスを赤で示した。
FBA にはさらに 2 つの手順がある。それは、システムの生物学的な制約を正確に表現すること、そ
して、対象となるシステムあるいは生物に自然に起こる流束に最も近い流束を求めることである。化
学量論行列は最初はほとんどの場合、劣決定 (underdetermined、S⃗v = 0 の解空間が点ではなく、広がっ
ている) であるが、生物学的な原理を制約条件として組み込むことによって、実際の生物を反映したモ
デリングになるとともに、解空間を狭めることができる (図 4.10)。
熱力学的原理の反映
原則として全ての反応は可逆的だが、実際には多くの反応は方向性を持っている。これは反応物質
の濃度が生成物の濃度より高いことが原因のこともあるが、多くの場合は、生成物の自由エネルギーの
方が反応物質の自由エネルギーより低いからである。反応は理想的には −∞ < vi < ∞ の範囲で起こる
が、特定の反応については、方向を持たせるように熱力学的定数を当てはめることができる。
0 < vi < ∞
(4.6)
式 4.6 のケースでは反応は順方向に進む。実際には流束は有限であるから、以下の式 4.7 に拘束される
ことになる。
0 < vi < vmax
(4.7)
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
76
v3
Unconstrained
solution space
制約のない解空間
Constraints ไ⣙
(1) Sv = 0
(2) ai < vi < bi
v1
v2
v3
Optimal solution
Allowable solution space
ไ⣙ࢆ‶ࡓࡍゎ✵㛫
v3
最適解
Maximization of Z
Z ࡢ᭱኱໬
v1
v1
v2
v2
図 4.10 制約による解空間の制限と最適解
測定した流束率の反映
実験的に測定された流束率 vi,m があれば、誤差 ε を考慮しつつその測定値を用いて代謝モデルに制
約を課すことができる (式 4.8)。
vi,m − ε < vi < vi,m + ε
(4.8)
これによって既知の流束率をシミュレーションに正確に再現することができる。ネットワークの境界
における栄養の取り込みの流束率は比較的簡単に測定することができる。そして、放射性同位体で代
謝物質を標識したり、NMR で観測可能な代謝物質を調べたりすることによりネットワーク内部の流束
率を調べることもできる。
目的関数 (バイオマス) の最適化
制約を課した後でも、数学的に可能な流束の組み合わせは普通は多数存在する。もし何を最適化し
たいかが定義されていれば、線型計画法を用いて単一の最適解を探索することができる。ある生物の
全代謝ネットワークに対してよく行われる最適化は、以下の式 4.9 のように、化学量論行列に組み込ま
れた代謝物質を入力とするバイオマス関数 (vbiomass または vb ) の最大化である。
max vb
⃗v
subject to S⃗v = 0
(4.9)
4.5 代謝流束均衡解析
77
ATP_b
ATP_e
(C00002[e])
ATP_extoc
ADP_ctoex
ATP
䠄C00002[c])
β-D-Glucose_b
α-D-Glucose_b
β-D-Glucose_e
(C00221[e])
α-D-Glucose_e
(C00267[e])
β-D-Glucose
(C00221[c])
α-D-Glucose
(C00267[c])
ADP
(C00008[c])
ADP_e
(C00008[e])
R01600
β-D-Glucose-6P
(C01172[c])
R02739
α-D-Glucose-6P
(C00688[c])
R03321
R02740
ADP_b
β-D-Fluctose-6P
(C05345[c])
ATP
䠄C00002[c])
ADP
(C00008[c])
R04479
BDF16P2_biomass
β-D-Fluctose-1,6P2
(C05378[c])
図 4.11 反応の除去が流束に与える影響
エッジの太さは反応除去後に求められた流束率の大きさを表している。図 4.9 と比較すると、反応の除去
が流束にどのように影響するかが分かる。この例ではバイオマスの減少が観測されている。
一般的には、もし単一の「最適な」解が望まれるならば、適切な反応に対してバイオマス関数を定義
し、その最大化または最小化を行う。さらに一般的に言えば、線型計画法を用いて最大化または最小化
するための関数を、重み ⃗c を付加した反応として以下の式 4.10 のように定義する。
max ⃗v ·⃗c
⃗v
subject to S⃗v = 0
(4.10)
化学量論行列の中で単独のバイオマス関数 (反応) がある場合、⃗c のバイオマス関数に対応する位置
は 1(あるいは正の数) となり、その他の位置は 0 になる。複数のバイオマス関数がある場合は、各位置
は対応する目的関数の重みとなり、対応する目的関数がない位置は 0 になる。
4.5.8 摂動のシミュレーション
単一の反応の除去
FBA は通常それほど計算機に負担をかけずに実行することが可能である。1,000 個程度の反応を含
む代謝ネットワークのバイオマスを最適化する流束の計算は、(もちろん計算機の性能にもよるが) 数
秒で終わるだろう。従って、反応を除去したり、流束の制約条件を変更した後の影響をモデル化するこ
とも比較的簡単にできる。
単一の反応の除去は、バイオマスへの影響が特に大きい反応を代謝ネットワークの中から探すため
によく使われる手法である。ネットワーク中の各々の反応を 1 つずつ除去し、バイオマスを測ること
により、それぞれの反応が重要なのか (反応の除去によってバイオマスが大幅に減少する場合)、あるい
は重要でないのか (反応を除去してもバイオマスがそれほど変化しない場合) を予測することができる
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
78
(図 4.11)。
反応の阻害
反応を完全に除去するのではなく、少し阻害したい場合、FBA では流束に制約を付けることによっ
てこれをシミュレーションすることができる。阻害の効果は反応を除去するときと同じく適切な閾値
を設けることにより、バイオマスが大幅に減少するか、あるいはそれほど変化しないかに分けることが
できる。この閾値は一般的には任意に決めるしかないが、シミュレーションに基づき実際に反応阻害
した細胞の成長率を計測することにより、適切な閾値を決めることが可能である。
結果の解釈
FBA を行うときに、ネットワーク中の遺伝子、タンパク質、反応の関係 (関係を表わす行列) が分
かっていれば、反応の除去や阻害の結果を生物学的に解釈しやすくなるだろう。すなわち、重要な反応
が予測されれば、その反応に関わる酵素・遺伝子を特定することができ、特定の疾患の原因となる遺伝
子を予測したり、病原体 (pathogen) にとってどの酵素が重要であり、また薬剤の標的になり得るかを
予測できるだろう。
複数の反応の除去
1 つの反応を除去するだけでなく、一度に 2 つの反応を除去した解析も行われる。これは単一の薬剤
が複数の標的を持つケースや、複数の薬剤を投与したときの効果を調べるときに有用になり得る。
培地の種類による影響
FBA はさらに、培地が注目している代謝経路に与える影響をシミュレーションするときにも使われ
る。大腸菌 (Escherichia coli) では、培地に応じた成長率の予測値が実験データとよく合うことが確か
められた [90]。
4.6 統計解析
4.6.1 t 検定
スチューデントの t 検定 (Student’s t-test) は以下の式で行う (節 A.2 参照)。
t=
X1 − X2
√
X1 X2 · n1 + n1
1
2
S
(4.11)
但し、
SX1 X2 =
√
(n1 − 1)SX2 1 + (n2 − 1)SX2 2
n1 + n2 − 2
(4.12)
である。
一方、等分散を仮定できない場合は、ウェルチの t 検定 (Welch’s t-test) を行う。
X1 − X2
t=√
s21
N1
+
s22
N2
(4.13)
4.6 統計解析
79
ここで自由度 ν は
(
ν=
s21
N1
s41
N12 ν1
s2
)2
+ N22
s4
(4.14)
+ N 22ν
2 2
で近似される (節 A.3.2 参照)。但し、νi = Ni − 1 である。
4.6.2 分散分析
腎臓病患者に特有な物質や現象を見つける上で統計解析が重要となる場面が数多くあるだろう。こ
こでは頻繁に使われる分散分析 (ANalysis Of VAriance, ANOVA) について手短に解説しよう。
今、I 個の対象となる標本 (sample, サンプル、1, 2, · · · , i, i + 1 · · · , I) が J 個のグループ (1, 2, · · · , j, j +
1, · · · , J) に分類されているとし、標本 i はグループ j = φ (i) に属する。各標本 i は関連する値 yi を持
つとし、全体の真の平均 (母集団の真の平均) を µ 、各グループ j の値の真の平均を µ j = µ + α j とす
る。ここで、αφ (i) はグループ φ (i) の平均の全体平均 µ からの”ずれ”を表す。各グループ j の値の平均
の推定量は
y{i|φ (i)= j} =
1
yi
ν ({i|φ (i) = j}) {i|φ∑
(i)= j}
(4.15)
である。但し ν ({i|φ (i) = j}) はグループ j に属する標本の数とする。この時分散分析で考える統計モ
デルは、
yi = µ + αφ (i) + εi
(4.16)
である。但し、εi は平均 0、分散 σ 2 の正規分布にしたがう誤差項である (εi ∼ N(0, σ 2 ))。帰無仮説 H0
は、
H0 : α j = 0
for all j
(4.17)
for some j
(4.18)
であり、対立仮説 H1 は、
H1 : α j ̸= 0
である。さて、全標本の平均値を y = 1I ∑Ii′ =1 (yi′ ) とし、全変動 (SST)、級間変動 (SSB)、級内変動
(SSW)*11 を
I
SST = ∑ (yi − y)2
i=1
J
SSB =
∑
(
)2
y{i|φ (i)= j} − y
(4.19)
(4.20)
j=1
)2
I (
SSW = ∑ yi − y{i′ |φ (i′ )=φ (i)}
i=1
と定義すれば、
*11
SST: Sum of squares total, SSW: Sum of squares within, SSB: Sum of squares between
(4.21)
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
80
SST = SSB + SSW
(4.22)
SSW
2
∼ χI−J
σ2
(4.23)
SSB
2
∼ χJ−1
σ2
(4.24)
SSB/(J − 1)
J−1
∼ FI−J
SSW/(I − J)
(4.25)
である。ここで、
が成立するが、H0 の下では、
が成り立ち、さらに、
となる。
これを一般化して議論しよう。今 X を n × (p + 1) の独立変数 (covariate)、y を従属変数 (response
variable) として、線型回帰モデル
y = Xβ + ε
(4.26)
を考える。但し ε ∼ N(o, σ 2 I) とする。ここで β が以下の制約式 4.27 を満たすかどうか、検定するこ
とを考えよう。
{
H0 : Aβ = α
H1 : Aβ ̸= α
(4.27)
但し A は r × (p + 1) である。制約なしの最小自乗推定量を β̂ 、制約付最小自乗推定量を β̃ とすれば、
n− p−1
F=
r
(
|y − X β̃ |2 − |y − X β̂ |2
|y − X β̂ |2
)
{
∼
r
Fn−k−1
r
Fn−k−1
(δ 2 )
(under H0 )
(under H1 )
(4.28)
となる。式 4.28 の括弧の中は、(SST − SSW)/SSW=SSB/SSW を表す。 すなわち式 4.28 は、
F=
n − p − 1 SSB
·
r
SSW
(4.29)
と書き直せる。式 4.29 はさらに、
n − p − 1 SSB
F=
·
=
r
SSW
r
SSB
σ 2 r2
(n−p−1)
SSW
σ 2 (n−p−1)2
(4.30)
と変形できるが、2 つのグループしかないときは一次元配置モデルでは p = 1, n = 1 となるので、式
4.30 より、
SSB
∼ χ12 ,
σ2
2
χn−2
SSW(n − 2)
∼
σ 2 (n − 2)2
(n − 2)2
ゆえに、
χ12
2
χn−2 (n − 2)2
2
∼ tn−2
4.7 データベース
81
となるから、両側 t 検定と同じである。
従属変数が質的データの場合は、ロジスティック回帰分析 (logistic regression) 等が使われる。
4.6.3 多重検定
検定を一回行うだけならば、 p 値 (p-value) をそのまま統計的有意性 (statistical significance) の指標
にすればいいだろう。仮説が偶然によって棄却される確率 (第 1 種の過誤を犯す確率) はその p 値に
よって与えられる。一方検定を複数回行うと、複数の p 値 (p-value) が得られるが、それは実際に第一
種の過誤を犯す確率より小さい値になってしまっている。従って、複数回の検定を行う場合、 p 値 の
補正が必要となる。
まずはボンフェローニの補正 (Bonferroni correction) について紹介しよう。この補正の原理は次の通
りである。事象 A1 , A2 , · · · について、
∪
P(
i
Ai ) ≤ ∑ P(Ai )
(4.31)
i
が成立する。式 4.31 をブールの不等式 (Boole’s inequality) という。
今、帰無仮説 H01 , H02 , · · · , H0n の p 値を p1 , p2 , · · · , pn とする。I0 を帰無仮説群の中で正しいものの集
合 (未知) とし、その個数を n0 とする (n0 ≤ n)。FWER (Family-wise error rate) は、少なくとも 1 つの
Hi について、第一種の過誤を犯す確率である。
α
α
式 4.31 を使えば、H0 の条件下では P(pi ≤ ) = min( , 1) が成立することに注意して、
n
n
(
)
∪
α
α
α
α
FWER = P
(pi ≤ ) ≤ ∑ P(pi ≤ ) ≤ n0 · ≤ n · = α
n
n
n
n
i0 ∈I0
i ∈I
0
(4.32)
0
となる。ボンフェローニの補正は、検定が独立でなくても使用可能であり、第一種の過誤を最も避ける
(保守的、conservative) 補正であるが、検出力 (power) が低いという欠点がある。
検定の独立性を仮定できる場合、Benjamini-Hochberg 法による FDR (false discovery rate) の計算等
が行われる [91]。FDR は棄却した仮説の数 (R) の中で実際には正しい仮説の数 (V ) の割合の期待値
(E(V /R)) と定義される。今、仮説群 H01 , H02 , · · · , H0n の p 値が p1 , p2 , · · · , pn で与えられているとしよ
う。FDR を q∗ 以下に抑えたい場合は次のような手順を踏む (図 4.12)。
1. p 値を昇順 p(1) ≤ p(2) ≤ · · · ≤ p(n) に並べ替える。
(1)
(2)
(n)
2. これに対応するように仮説も並べ替え、H0 , H0 , · · · , H0 とする。
3. p(i) ≤ ni q∗ となる最大の i を求め、これを k とする。
(1)
(2)
(k)
4. H0 , H0 , · · · , H0 を全て棄却する。
4.7 データベース
インターネットの急速な発達・普及に伴い、自由にアクセスできる公共データベースも整備され
てきた。これは医学・分子生物学の分野でも例外ではなく、例えば米国国立衛生学研究所 (National
Institute of Health, NIH) の組織 NCBI(National Center for Biotechnology Information) は文献データ
ベース PubMed や遺伝子情報データベース”Entrez Gene”など様々なデータベースを開発している
[18]。
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
0.6
0.8
1.0
82
0.2
0.4
p(i)
0.0
q*
5
10
i
15
20
i=n
i = argmaxi’(p(i’) ≤ i’/n·q*)
図 4.12 Benjamini-Hochberg 法による FDR の調整
複数回の検定 (本例では n = 23) を行った結果得られた p 値が昇順に並べられ、通し番号 i = 1, 2, · · · , n が振られて
′
いる。FDR を q∗ 以下 (本例では q∗ = 0.05) に抑えたい場合、p(i) ≤ ni q∗ となる最大の i (i = argmaxi′ p(i′ ) ≤ in q∗ )
を特定し、i 以下の点に対応する仮説を棄却する。本例では、i = 3 となり、赤い点およびその左側に位置する 2 つ
の点に対応する仮説が棄却される。
腎臓科学の分野でもデータベースの整備が進めされつつある。Nephromine[19, 92] はミシガン大学
と Compendia Bioscience が共同で開発した腎臓組織の発現データのデータベース・Web システムであ
り、データ解析のためのツールも提供している。
KUPKB(The Kidney and Urinary Pathway Knowledge Base)[20, 93] は腎臓に関わるパスウェイなど
の情報を統合した知識ベースであり、セマンティック・ウェブの技術を導入している。これを利用する
ことによって、バイオマーカの探索や腎臓の疾患や尿代謝に関するパスウェイのモデリングが容易に
なることが期待される。KUPKB は英国マンチェスター大学とフランスの Inserm Toulouse が開発・保
守を行っている。
4.8 サンプル・データ管理
一般に大量の実験用サンプルが得られれば、それだけ多くのデータを集めることができるが、それら
のサンプルを正しく整然と管理する仕組みが必要になってくるだろう (図 4.13)。どの保管設備にどの
サンプルが格納されているかを管理するアプリケーションソフトウェアは Freezerworks[22] などが入
手可能である。
また多くの人員が関わる研究では、得られたデータをそれらの関係者間で共有する仕組みも必要に
4.8 サンプル・データ管理
83
図 4.13 サンプル保管設備 (biorepository) の例
(2) Design your data collection instruments
from Project Setup
(1) Select project from My Projects
- Upload Data Dictionary to design by spreadsheet
- Online Designer can be used to see how each instrument look
like. One can also try “Preview instrument“.
- Current Data Dictionary can be downloaded from Upload Data
Dictionary tab.
(3) Go to Applications: Data Import Tool
- Download your Data Import Template
- Fill in the data sheet and upload it
(4) Go to Data Collection and complete
all incompleted records
Go to Applications: Data Export
Tool to download the data
(5) From Project Setup, Move your project to
production status
図 4.14 REDCap によるデータ収集・管理の流れ
第 4 章 腎臓を研究するための方法論
84
なってくる。REDCap[23] は医療および橋渡し研究*12 用のデータベースを設計するためのソフトウェ
アであり、インターネット用のブラウザーでのデータの入力や共有、管理を容易にする (図 4.14)。
いずれにせよ、大量のサンプルやデータを実験と連動してどのように管理してゆくかは、研究室の運
営にとって重要な事項であるので、関係される方は研究室の情報管理システム (laboratory information
management system, LIMS) について情報収集することを勧めたい。
*12
主に医学や生物学における基礎研究の成果の中から有望な知見を選び出し、通常の医薬品や医療機器の開発に要する試験
物製造から臨床研究に至るまでの工程を一体的に捉えた開発戦略を策定することにより、効率的効果的に医療としての実
用化につなげることを目的とする医学研究の一領域である。(translational research)
85
付録 A
統計学の補足
A.1 確率分布とその特性
我々が自然界や社会現象に含まれる対象の性質を調べるとき、その性質を数値で表すことができた
り、分類できたりすることが多い。例えばある社会集団の構成員であるヒトの背の高さは身長 (cm) で
表すことができる。このような 1 つ 1 つの数値は全く不規則に見えても、特定の性質を表す数値を大
量に収集すると、その分布には規則が見出されることがある。統計学では対象となる数値、すなわち
確率変数が、ある特定の分布に従っているということを前提として議論を進めることが多い。特に統
計学では正規分布が対象となる集団の数値の確率的性質を表すモデルとして頻繁に使われる。平均 µ 、
分散 σ 2 の正規分布 N(µ , σ 2 ) は以下のような確率密度関数によって表される。
(x−µ )2
1
−
f (x) = √
e 2σ 2 ∼ N(µ , σ 2 )
2πσ
(A.1)
特に N(0, 1) の標準正規分布は以下の確率密度関数で表される。
1 2
1
f (x) = √ e− 2 x
2π
(A.2)
各々の確率分布がどのような特徴を持っているかを知ることは、それらの確率分布を対象となる確
率的数値のモデルとして使用する上で重要である。例えば、確率分布の平均や分散は直感的にも分か
りやすく、頻繁に使われる。さらに、より一般化された特徴抽出方法として、積率母関数 (moment
generating function) や特性関数 (characteristic function) が使用される。積率母関数 MX (t) は確率変
数を X として、etX の期待値として定義される。すなわち、
MX (t) = E(etX )
(A.3)
特性関数 φX (t) は eitX の期待値として定義される。すなわち、
φX (t) = E(eitX )
(A.4)
積率母関数と特性関数との間には次の関係が成立ことが直ちに導かれる。
φX (t) = MX (it)
確率密度関数 f (x) の特性関数は
(A.5)
付録 A
86
φX (t) = E(eitX ) =
∫ ∞
−∞
eitx f (x)dx
統計学の補足
(A.6)
であり、これはフーリエ逆変換の式と同じ形をしている*1 。
式 A.2 の標準正規分布の積率母関数は、
∫ ∞
MX (t) =
1 2
1 2
1
etx √ e− 2 x dx = e 2 t
−∞
2π
(A.7)
となる。次に二項分布に従う確率変数を標準化したものが従う分布の積率母関数を求めてみよう。ま
ず、二項分布の確率関数 P(x) は
n!
px (1 − p)n−x for x = 0, 1, 2, · · · , n − 1, n
x!(n − k)!
P(x) =
(A.8)
である。x を標準化した変数 z は
x − np
z = z(x) = √
np(1 − p)
(A.9)
であり、その逆は
√
x = ℘(z) = ⌊z np(1 − p) + np⌋
(A.10)
P∗ (z(℘(z))) = P(℘(z)) = P(x)
(A.11)
また z の確率関数 P∗ (z(℘(z))) は、
である。P∗ (z(℘(z))) は以下の確率密度関数 f∗ (z) で近似的に表すことができる。
f∗ (z) =
1
1
P∗ (z(℘(z))), ∆z = √
∆z
np(1 − p)
(A.12)
さて、 f∗ (z) の積率母関数は、
∫ ∞
MZ (t) =
−∞
∫ ∞
etz f∗ (z)dz =
∫ ∞
−∞
etz
1
P∗ (z(℘(z)))dz
∆z
1
≈
e
P∗ (z(℘(z)))dz
∆z
−∞
n
n
√t(x−np) 1
√t(x−np)
= ∑ e np(1−p) P(x)∆z = ∑ e np(1−p) P(x)
∆z
x=0
x=0
tz(℘(z))
(A.13)
ここで二項定理を用いれば、
√ t
np
ln Mz (t) = − √
t + n ln(1 − p + pe np(1−p) )
np(1 − p)
*1
(A.14)
∫∞
関数 f (x) のフーリエ変換 (Fourier transform)F(w) は F(w) = −∞
f (t)e−iwt dt 。F(w) の逆フーリエ変換 (inverse Fourier
∫
1 ∞
iwt
transform) は f (t) = 2π −∞ F(w)e dw。
A.2 正規分布からの標本の基本的性質 [39]
87
となり、n → ∞ をとれば、limn→∞ ln MZ (t) = 12 t 2 となるから*2 、
1 2
lim MZ (t) = e 2 t
n→∞
(A.15)
となり、標準正規分布の積率母関数 (式 A.7) と一致する。即ち、n が大きくなると、二項分布と正規分
布の統計的性質は類似してゆくことが示唆される。
A.2 正規分布からの標本の基本的性質 [39]
正規分布 N(µ , σ 2 ) に従う確率変数 X の n 個の標本 X1 , X2 , · · · , Xn を考える。標本平均 X = 1n ∑ni=1 Xi
の Z 変換は、標準正規分布に従う。すなわち、
)
√ (
n X −µ
Z=
∼ N(0, 1)
σ
(A.16)
1
標本分散 σ̂ 2 = n−1
∑ni=1 (Xi − X)(σ 2 の不偏推定量) に (n − 1)/σ 2 を掛けた値 Q は自由度 n − 1 の χ 2 分
布に従う。すなわち、
Q=
(n − 1)σ̂ 2
2
∼ χn−1
σ2
(A.17)
ここで、Z と Q は互いに独立となる。また分布の期待値は、
2
) = n−1
E(χn−1
(A.18)
式 A.16, A.17 より、
Z
T=√
=
Q/(n − 1)
)
√ (
n X −µ
σ̂
(A.19)
式 A.19 は標本平均 X の Z 変換 (式 A.16) において、σ をその推定量 σ̂ で置き換えたものに他ならな
い。このような式 A.19 による標本平均の変換を t 変換という。
さて、標準正規分布に従う確率変数を自由度 n − 1 の χ 2 分布に従う確率変数で割った値は自由度
n − 1 の t 分布に従う。
√
N(0, 1)
χn2 /(n − 1)
∼ tn−1
(A.20)
従って、標本平均 X の t 変換は、自由度 n − 1 の t 分布に従う。すなわち、
)
√ (
n X −µ
T=
∼ tn−1
σ̂
*2
(A.21)
ln(1 + 変数) および e変数 のテイラー展開 (Taylor expansion) を利用する。テイラーの定理は f (x), f ′ (x), · · · , f (n−1) (x) が
[a, b] で連続で (a, b) で f (n) (x) が存在すれば、
f (b) = f (a) +
f ′′ (a)
f (n−1) (a)
f (n) (c)
f ′ (a)
(b − a) +
(b − a)2 + · · · +
(b − a)n−1 +
(b − a)n
1!
2!
(n − 1)!
n!
となるような c(a < c < b) が存在することを主張する。これをもとに以下の関数 f (x) のテイラー展開が導出される。
∞
f (x) =
∑
n=0
f (n) (a)
(x − a)n
n!
付録 A
88
統計学の補足
A.3 2 つの正規分布の平均差の検定
A.3.1 2 つの分布の分散が等しい場合 [39]
今度は正規分布 N(µX , σ 2 ) に従う確率変数 X の m 個の標本 X1 , X2 , · · · , Xm と、正規分布 N(µY , σ 2 )
に従う確率変数 Y の n 個の標本 Y1 ,Y2 , · · · ,Yn を考えよう。2 つの分布の分散は等しい (σX2 = σY2 = σ と
おく) が未知である。平均差 d の推定量として標本平均の差 dˆ を考えると、
) )
( (
1 1
+
σ2
dˆ = X −Y ∼ N d,
m n
(A.22)
となるから、帰無仮説 d = 0 のもとで、
√
dˆ
1
m
+ 1n σ
∼ N(0, 1)
(A.23)
一方、分散 σ 2 の推定量としてそれぞれの標本分散
σ̂X2 =
)2
1 m (
Xi − X
∑
m − 1 i=1
σ̂Y2 =
1
n−1
n
∑
(
)2
Y j −Y
j=1
は独立であって、これらに (標本数 − 1)/σ 2 を掛けた値は χ 2 分布に従う。
(m − 1)σ̂X2
2
∼ χm−1
σ2
(n − 1)σ̂Y2
2
∼ χn−1
σ2
(A.24)
(A.25)
式 A.24, A.25 を足せば、
(m − 1)σ̂X2 + (n − 1)σ̂Y2
2
∼ χm+n−2
σ2
(
)
(m − 1)σ̂X2 + (n − 1)σ̂Y2
2
E
= E(χm+n−2
) = m+n−2
σ2
(A.26)
(A.27)
ゆえに、σ̂ 2 = ((m − 1)σ̂X2 + (n − 1)σ̂Y2 )/(m + n − 2) とおけば、
(
E(σ̂ 2 ) = E
(m − 1)σ̂X2 + (n − 1)σ̂Y2
m+n−2
)
= σ2
(A.28)
となり、式 A.28 の σ̂ 2 は σ 2 の不偏推定量であることが分かる。σ̂ 2 を合併標本分散 (pooled sample
variance) という。
式 A.20, A.23, A.26 より、
σ̂
√
dˆ
1
m
+ 1n
∼ tm+n−2
(A.29)
A.3 2 つの正規分布の平均差の検定
89
A.3.2 2 つの分布の分散が等しいとは限らないとき
分散が等しくない時の t 検定の近似の元となるのは、以下に述べるウェルチ-サタスウェイトの式
(Welch-Satterthwaite equation) である。n 個の標本分散 s2i (i = 1, 2, · · · , n) があり、それぞれの自由度が
νi であるとする。今、ki を正の実数として、
n
χ ′ = ∑ ki s2i
(A.30)
i=1
を考えると、χ ′ は νχ ′ の自由度を持つ χ 2 分布で近似できる。ここで νχ ′ は、
(
νχ ′ ≈
∑ni=1 ki s2i
∑ni=1
)2
(A.31)
(ki s2i )2
νi
と表される。
さて、2 つの分布の分散が等しいとは限らないとき σX ̸= σY 、平均差 d の推定量として標本平均の差
dˆ を考えると、
)
(
1
1
dˆ = X −Y ∼ N d, σX2 + σY2
m
n
(A.32)
となるから、帰無仮説 d = 0 のもとで、
√
dˆ
1 2
m σX
+ 1n σY2
∼ N(0, 1)
(A.33)
ここで、
Q∗ =
1 2 1 2
σ̂ + σ̂
m X n Y
(A.34)
r∗ =
1 2 1 2
σ + σ
m X n Y
(A.35)
とおくと、ウェルチ-サタスウェイトの式 (A.30, A.31) より、Q∗ の分布は自由度 r の χ 2 分布で近似で
きる。ここで、
(
r=
σ̂X2
m
+
σ̂X4
m2 (m−1)
σ̂Y2
n
)2
(A.36)
σ̂ 4
Y
+ n2 (n−1)
である。さらに、
E(Q∗ ) = r∗
(A.37)
だから、式 A.18 より Q∗ の分布を近似する χ 2 分布の自由度は r∗ で近似できる。ゆえに、式 A.20,
A.33, A.34, A.35 より、
√
1 2
1 2
ˆ
d/
m σX + n σY
Q∗ /r∗
=√
dˆ
1 2
m σ̂X
+
1 2
n σ̂Y
≈ χr2
(A.38)
91
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索引
ADP, 27
AMP, 29
ATP, 27
ヒートショック, 51
皮質, 11
分散分析, 79
fibrosis, 17
ボーマン嚢, 12, 16
GFR, 20
Zemplar, 25
アセチル CoA, 33
アディポサイトカイン, 46
アディポネクチン, 46
アルブミン, 23
アンジオテンシン, 7
マイトファジー, 54
マトリックス, 32
ミトコンドリア, 32
メサンギウム細胞, 14
メチル化, 41
ラパマイシン, 58
移動相, 64
インスリン, 20
リソソーム, 52
リポキシン, 44
エリスロポエチン, 7
レニン, 7
解糖系, 29
化学量論行列, 74
化学量論係数, 69, 72
活性酸素, 47
還元, 35
クエン酸回路, 33
クリアランス, 20
クレアチニン, 18
クロマトグラフィー, 64
血管新生, 22
固定相, 64
サイトカイン, 49
酸化, 35
酸化還元電位, 35
酸化的リン酸化, 35
糸球体, 7, 11, 12, 16
脂肪, 43
脂肪細胞, 44
脂肪酸, 43
自由エネルギー, 28
腎小体, 12, 15
髄質, 11
電子伝達系, 33, 34
尿細管, 12
ネフロン, 7, 11, 12, 16
バイオマーカー, 24
発酵, 31
謝辞
UCSD のクマール・シャーマ教授には腎臓について学ぶきっかけを作って頂くとともに、丁寧な研究指導をし
て頂いた。トレイ・アイデカー教授には私の P.I. としてネットワーク生物学に関する熱い研究指導をして頂いた。
ボブ・ナビオー教授には生化学やミトコンドリア代謝について熱く語って頂いた。ベサニー・カール先生には臨床
や腎臓学について丁寧に説明して頂いた。マギー・ダイアモンド・スタニック博士には、腎臓の分子レベルのメカ
ニズムについて教えて頂いた。同じ腎臓学の研究室の宮本聡先生およびマンジュラ・ダーシ博士には腎臓の貴重な
写真を提供して頂いた。UCSD のアンディー・ティル博士およびネットワーク生物学の研究室の同僚のコーイェ
ル・ミトラ博士とはオートファジーの研究について楽しく議論させて頂いた。お二人は私の楽しい飲み仲間でもあ
る。同研究室の同僚の医者である JP は私の奇問にも丁寧に答えてくれた。ロキ・ナタラジャン教授およびグレッ
グ・ハナム博士には実践的な統計学について丁寧に教えて頂いた。グレッグ君は当時大学院生だったが、現在シー
ケノムというごく最近出生前診断の新技術の開発で日本でも一躍有名になった企業に遺伝統計学者として勤務し
ている。ハーシャ・ビスワナサン氏は私が UCSD で初めて研究指導を行った学部生で、腎臓の代謝ネットワーク
の解析に精力的に取り組んで頂いた。まずはこれらの方々に厚く御礼を申し上げたい。
ところで、本冊子の代謝関連の記述のベースとなったのは、「膜の構造と機能」というオリジナルテキストであ
る。これは私がかつて在籍した大学で担当した授業「基礎分子生物学3」の履修者の方々が作成した図や文章を編
集したものである。この執筆を担当し、授業中に発表して頂いたのは以下の方々である (年度→名簿順)。喜久田
薫氏、大下和希氏、中島乃雅氏、野崎慎氏、馬場藤貴氏、松村香澄氏、村上慎之介氏、木戸信博氏、関口いずみ氏、
井内仁志氏、佐藤淳美氏、新土優樹氏、中川真菜氏、長谷部百合子氏、町田裕隆氏、明地亮輔氏、川崎顕史氏、山
村頼子氏、碓井利宣氏、梅田栄美氏、臼居優希氏、石黒宗氏、青木莉子氏、川崎翠氏。この方々をはじめとした履
修者の方々と一緒に代謝に関する授業を作り上げた経験は、今の私の腎臓代謝の研究にとても生かされている。こ
れらの方々にも深く感謝したい。
Rintaro Saito, 2014