Rett 症候群患者の睡眠障害の治療法の確立に光

[PRESS RELEASE]
平 成 27 年 10 月 15 日
Rett 症候群患者の睡眠障害の治療法の確立に光
~Rett 症候群モデルマウスに体内時計の異常を発見~
1
概
要
本研究成果のポイント
○
Rett 症候群(注1)は自閉症の一種であり、MeCP2 遺伝子(注2)の変異が原因の多くを占め
ている。
○
Rett 症候群患者には睡眠障害が合併する確率が高いことが臨床的に知られていた。
○
MeCP2 遺伝子をゲノム編集技術 CRISPR/Cas9 法(注3)で欠失させた Rett 症候群モデルマウ
スで、体内時計の中枢である視交叉上核(注4)でリズム出力が低下していることを発見。
○
Rett 症候群患者の睡眠障害は体内時計の異常による可能性を示唆しており治療法に道筋。
京都府立医科大学 大学院医学研究科
八木田和弘(やぎたかずひろ)教授と土谷佳樹(つちやよし
き)講師らの研究グループは、久留米大学名誉教授、現在、聖マリア病院レット症候群研究センター長
の
松石豊次郎(まついしとよじろう)教授らの研究グループと共同で、自閉症の一種である Rett 症候
群のモデルマウスに体内時計の異常があることを明らかにしました。
これまで、
臨床的に Rett 症候群患者では睡眠障害を合併する患者が非常に多く見られることが知られ、
特に、夜間不眠と昼間の傾眠傾向があることから、Rett 症候群の睡眠障害は概日リズム(約 1 日周期の
リズム)に異常があるのではないかと想像されていました。しかし、概日リズムを生み出す体内時計と
の関連など、具体的なメカニズムはほとんど分かっておらず、睡眠障害に対する治療法に関しても確立
されたものはありませんでした。
今回、最近開発されたゲノム編集技術である CRISPR/Cas9 法を用いて、体内時計のモニターが可能
かつ MeCP2 遺伝子を欠損した Rett 症候群モデルマウスを作成し、行動リズムおよび時計遺伝子の発現
リズムを解析しました。その結果、行動リズム解析では Rett 症候群様の概日リズムの乱れが見られると
ともに、体内時計中枢において時計遺伝子発現リズムの減弱が認められました。これらの結果から、
MeCP2 遺伝子欠損により、体内時計中枢のリズム出力の減弱が生じ、それに伴って睡眠−覚醒リズム異
常が引き起こされていることが示唆されました。
本研究では、Rett 症候群の睡眠障害には体内時計中枢のリズム出力障害が関与する可能性を示してお
り、Rett 症候群患者に対する睡眠障害の治療を考える上で、メラトニン等の概日リズム調節作用を持つ
治療薬の効果をメカニズム面から支持する結果となりました。今後は、本研究の結果を受けて、Rett 症
候群患者の睡眠障害において治療法の確立に向けた臨床研究へと進むことが期待されます。
本研究は、久留米大学医学部の松石豊次郎教授(小児科学)、京都大学再生医科学研究所の近藤玄教授
(実験動物学)
、らと共同で行ったものです。
本研究成果は、2015 年 10 月 12 日(月)に「Genes to Cells(ジーンズ・トゥー・セル)誌」のオン
ライン速報版に掲載されました。
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研究の背景
地球上のほとんどの生物に備わる体内時計(生物時計・概日時計)は、
「昼と夜」という地球の環境周
期を予測し、これに先んじて身体の機能を適応させることで生体機能を維持する役割を担っています。
ヒトをはじめとする哺乳類では、睡眠覚醒リズムのみならず、内分泌やエネルギー代謝、循環器機能や
消化器機能など様々な生理機能の約24時間周期のリズム(概日リズム)を生み出し、心身の健康維持
に必須の生命機能です。シフトワーカーなど、不規則な生活を長年続けることによる体内時計の乱れは、
様々な健康問題を引き起こすことが分かっています。
Rett(レット)症候群は、精神発達遅滞および特有の常同行動(手もみ運動)を伴う自閉症スペクト
ラムに分類される発達障害の一種です。原因として、MeCP2(メチル化 CpG 結合タンパク質2)遺伝
子の変異が約90%の Rett 症候群患者に見られます。さらに、大きな特徴として、夜間の不眠と昼間の
傾眠傾向を伴う睡眠障害が高率に合併することが知られています。この睡眠障害は、睡眠−覚醒リズム障
害であり、認知症の睡眠障害と同様に、本人の QOL の低下のみならず介護者の負担も増加させるため、
臨床上の大きな問題となっています。この睡眠障害の原因として、以前から睡眠リズムつまり概日リズ
ム異常であることから体内時計との関連が指摘されていました。しかし、これまでは体内時計メカニズ
ムとの関連についてはほとんど報告がありませんでした。
哺乳類の体内時計は、司令塔である視交叉上核のみならず全身のほとんどの細胞に備わっている、普
遍的な細胞機能でもあります。体内時計は一生にわたって時を刻み続けますが、最初から備わっている
わけではなく、発生過程を通して形成されることがわかっています。八木田教授は、これまで、哺乳類
体内時計の発生メカニズム研究を通して、発生に伴う細胞分化と体内時計の形成に密接な関連があるこ
とを発見してきました(Yagita et al, PNAS, 2010; Umemura et al, PNAS, 2014)。Rett 症候群を含む発
達障害に概日リズム障害が多く見られるという指摘もされている中で、発生過程で形成される体内時計
とこれらの疾患との関連メカニズムの解明は極めて重要な医学生物学上の課題です。しかし、その実体
はほとんど分かっておらず、メカニズムの解明が待たれていました。
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研究の内容
Rett 症候群と体内時計の分子機構との関連を調べるために、体内時計をモニターできる MeCP2 欠損
マウスの作製に取り組んだ。体内時計のモニターには、時計遺伝子 mPer2 にホタルのルシフェラーゼ遺
伝子を融合させた mPER2:Luc ノックインマウスを用いるが、MeCP2 欠損マウスは生後平均8−10週
間程度しか生存できないため、通常の MeCP2 欠損マウスとの掛け合わせでは研究に必要なマウスを取得
することが困難でした。そこで、八木田教授らは、最近開発されたゲノム編集技術 CRISPR/Cas9 法を
用いてワン・ステップで mPER2:Luc / MeCP2 欠損マウスを作製する方法を確立しました(図1)
。具体
的には、mPER2:Luc マウスの受精卵を多数採取しておき、これに MeCP2 遺伝子を標的としたガイド
RNA(sgRNA)とゲノム DNA 切断酵素 Cas9 遺伝子を導入し、MeCP2 遺伝子が欠損したマウスを取得
する、という方法です。
CRISPR/Cas9 法で得られた MeCP2 欠損マウスを行動リズム解析したところ、概日リズムは見られる
ものの、対照群のマウスと比較して行動リズムが不明瞭で活動期と休眠期のメリハリが低下しているこ
とがわかりました(図2)
。これは、Rett 症候群の患者に見られる睡眠パターンとよく似ています。さら
に、mPER2:Luc / MeCP2 欠損マウスの視交叉上核における体内時計を分子レベルで解析したところ、
視交叉上核を構成する神経細胞で mPER2:Luc の発光リズムが著明に減弱していることが確認されまし
た(図3)
。これらの結果から、MeCP2 欠損マウスでは、体内時計中枢の視交叉上核におけるリズム発
振が障害され、これに伴うリズム出力の低下が行動リズムの減弱につながっていることが示唆されまし
た。つまり、Rett 症候群における睡眠障害の原因が、体内時計の異常にあるという可能性を支持する結
果となりました。
MeCP2 欠損による神経細胞の発生異常は様々なメカニズムが関与しており、視交叉上核の神経細胞に
どのような機能的異常が生じ、体内時計の発振障害につながっているのかは、より詳細な今後の研究が
必要になります。しかし、体内時計の中枢の異常が明らかとなったことで、Rett 症候群の睡眠障害の治
療は視交叉上核における概日リズム調節を標的とすることで改善できる可能性が示唆されました。
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まとめと今後の展開
本研究成果から、Rett症候群の睡眠障害には、メラトニンなどの視交叉上核に直接作用する概日リズ
ム改善薬が有効である可能性が示されました。実際、一部の専門的な医療機関から、メラトニンの投与
により睡眠障害が改善したという報告も出されています。今後は、本研究の基礎的な成果に基づいて臨
床研究がデザインされ、効果を検証していくことが必要になります。
【用語解説】
(注1)
Rett(レット)症候群
精神発達遅滞や失調性歩行、特有の常同運動(手もみ動作)を特徴とする自閉症スペクトラ
ムのひとつ。Rett 症候群の80〜90%に MeCP2 遺伝子の変異がある。X 染色体連鎖遺伝病
ではあるがほとんどが de novo 変異(親が保因者ではなく、生殖細胞もしくは発生初期に新
たに生じる変異)で生じる疾患である。男性は胎生致死であり、女児のみが罹患する。
(注2)
MeCP2 遺伝子
メチル化 CpG 結合タンパク質2(Methyl-CpG-binding protein 2)の略で X 染色体上に存在す
る。メチル化された遺伝子のプロモーター領域(メチル化 CpG)を標的として結合し、遺伝子
発現を抑制するタンパク質として発見された。他の自閉症、双極性障害、統合失調症にもこ
の遺伝子の変異が認められる場合がある。
(注3)
CRISPR/Cas9 法
細菌が獲得免疫機能として持つ、ウイルスやファージなど外来微生物由来の DNA を塩基配列
依存的に切断する酵素 Cas9 を応用した、新たなゲノム編集技術。様々な生物で遺伝子破壊や
変異導入など、新たな遺伝子改変ツールとして広く利用されている。
(注4)
視交叉上核
脳の視床下部という部位にある神経核(神経細胞の集まり)
。視神経が交叉する視交叉の上に
乗っているような形から、視交叉上核と名付けられた。
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参考図
(図1)CRISPR/Cas9 法を応用した mPER2:Luciferase ノックイン MeCP2 欠損マウスの作製
(図2)MeCP2 欠損マウス(右)で見られた行動リズムの乱れ(右下図)
(図3)MeCP2 欠損マウス視交叉上核における mPER2:Luc 発光リズムの減弱
対照群の視交叉上核におけるmPER2:Luc発光リズム(A,C上段)。
MeCP2 欠損マウス視交叉上核における mPER2:Luc 発光リズム(B,C 下段)。
発表雑誌
1)掲載雑誌名
Genes to Cells 誌
[2015 年 10 月 12 日(月)オンライン速報版掲載]
2)論文タイトル
「CRISPR/Cas9 法による MeCP2 遺伝子破壊で作成した Rett 症候群モデルマウスにおける概日リ
ズム障害」
“Disruption of MeCP2 attenuates circadian rhythm in CRISPR/Cas9-based Rett syndrome
model mouse”
by Tsuchiya et al.
【著者】
土谷佳樹1、南陽一1、梅村康浩1、渡邊仁美2、小野大輔3、中村渉4、高橋知之5、本間さと3、近藤
玄2、松石豊次郎5、八木田和弘1
(著者所属)
1 京都府立医科大学大学院医学研究科 統合生理学
2 京都大学再生医科学研究所再生実験動物研究室
3 北海道大学医学研究科時間医学講座
4 大阪大学大学院歯学研究科口腔時間生物学講座
5 久留米大学医学部小児科学教室
問い合わせ先
京都府立医科大学 大学院医学研究科 統合生理学
教授 八木田和弘
(電話) 075-251-5313 e-mail: kyagita@koto.kpu-m.ac.jp