二〇一六年六月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十五巻第六号 (通巻六五二号) 冬雷短歌会文庫 ( 特別版 ) 『 怯むことなく 』別冊付録 024 2016 年・ 6月号 冬雷の表紙画をたどる 18(昭和 48 年) 小林真二画 クリーム色のコート紙に茶一色刷りの風景画。大きな洋 館が湖か海を背景に建っている。落ち着いた画だが、急 に単色刷りに変って甚だ地味になった。反面、誌面は活 況である。急逝した手塚正夫の書き残した「齋藤茂吉と 女人たち」の掲載が二月まで続き、伊藤源之助の連載「土 屋文明余論」が始まり、北小路功光の「宇治通信」、太 田行蔵の「百聞百文」も連載中と厚い論陣を誇る。作品 欄も、あの『赤光』初版「跋」で「とうとうと喇叭を吹 けば」の句を呉れた清水兼一郎氏に対し感謝の念をささ げねばならぬ、と茂吉が言った清水兼一郎その人が健在 で、毎号巻頭に新作を載せているのは今尚驚きである ・ 死ぬことを誰もよしとは思はねどあはれなりけり誰も 清水兼一郎 かも死ぬ いづ こ ・みすずかる信濃山国やまふかく何処ともなき源流の音 この時期こうした人らが冬雷に集ったことは、本誌に それだけの魅力があった証明だろう。 75 74 74 73 60 48 47 44 43 42 26 17 16 14 12 62 50 28 18 1 二 六月号 目次 冬雷の表紙画をたどる (昭和 年)……………………表 冬雷集………………………………………川又幸子他… 六月集………………………………………吉田綾子他… 作品一………………………………………栗原サヨ他… 作品二………………………………………立谷正男他… 作品三………………………………………山本三男他… 土屋文明と太田行蔵⑵……………………………大山敏夫… 今月の三十首(生き延びて)……………………山﨑英子… 四月号冬雷集評……………………………………中村哲也… 四月集評……………………………………………小林芳枝… 四月号作品一評……………………冨田眞紀恵・嶋田正之… 今月の画像…………………………………………関口正道… コラム「身体感覚を歌う」㈢……………………橘美千代… 歌誌「抜錨」発見の経緯…………………………中村哲也… 詩歌の紹介㉗〈『故郷の道』より〉…………………立谷正男… 四月号作品二評………………………赤羽佳年・中村晴美… 四月号作品三評……………………水谷慶一朗・関口正道… 四月号作品十首選…………………………昌三・説子・克彦… 歌人『赤彦』紹介…………………………………大山敏夫… 四月集十首選………………………………………赤羽佳年… 歌集 歌書御礼…………………………………(編集室)… / 18 48 表紙絵《浅間嶺》嶋田正之 / 作品欄写真 関口正道 / 題字 田口白汀 冬 雷 集 冬雷集 東京 川 又 幸 子 満開の所を通つて行きませういつもやさしい運転手さん 上野の森の二人の桜いつも仲良き思ひ出残り涙がにじむ もう少し良いことあつて良ささうと終り近づきそれのみ思ふ 死があつてわれに命のあつたことただありがたく今日の日気付く ただ一度の生涯の期に気づくことあまりに多くおどろきてゐる 粗相なく終りたる日は二歳ほど若返りたる百歳の自信 右脚の痛みおそれてゆつくりと左踏み出し車椅子に乗る 車椅子に押されて昼食の席に着くいつもの顔がひとり見えない 新しきはがき買ひおく三十枚あれば書かうの気持おこらむ 東京 小 林 芳 枝 五百円硬貨遣はず貯めむとす三年先の楽しみのため 四十枚の五百円硬貨が入る貯金箱小さくて赤いポストのかたち てのひらに乗せて確かめゐる重さそろそろ二度目の満杯となる 釣銭の硬貨にひとつ五百円ありてひときは白くひかりぬ むかしむかし歌稿締切は二十日にてポストは在りきタバコ屋のまへ 目を閉ぢて思ひみる三年先のわれ三年前より遥かに遠い 浄智寺総門 鎌倉市山ノ内 1 忙しいのがよいのだといふ然れども昨日けふ明日の飽和状態 今年初の文庫歌集付く五月号思へばたのし日々の作業も 発送用封筒一万枚とどき二十個の箱をわが部屋に積む 豊洲より藤間に発行所は移り冬雷にあたらしき風ふく気配 神奈川 浦 山 きみ子 身の内のけだるさ消えずこの夜も一人の部屋に想ひをたぐる 三月の半ばといへどまだ寒し部屋の掃除に窓開くとき 広畑を低く埋むる朝の霧間もなく空に吸はれゆくべし 山の上に平らかに垂る雲まぶし航路安定したる機窓に うつすらと雲流れゆく山の上を高度定まる飛行機は過ぐ 大空に長き翼を傾けて素速く降下はじむ飛行機 広々と刈田広がり鳥海と月山夢の中に静もる 最上川はさみて父と母の里刈り終へし田の広きが続く ひゆるひゆると雪の渡りて来る風の痛さに顔伏せ通学したり 東京 近 藤 未希子 山門をくぐる手前にて礼せむとして転びたるわれ 血が出てますよティッシュを出してあげますとやさしき人が 自分には何もわからず右眼の下と唇が切れてゐるらし血を拭ふ 本堂前にて花求めわが墓へ狭き石段ゆつくりのぼる 昨秋に石屋に頼み改造したる墓なれば草も木もなく落葉のみなり 2 冬 雷 集 以前より姉が言ひをりしコンクリートと大き石のみとなる 線香のなきに気付きて本堂に下り求め来たり火を付けたるを 大阪 水 谷 慶一朗 折りをりの風に胸毛を吹かれつつ白鷺は水にみじろがずゐる 堰堤を落ちくる水に脚を浸し青鷺は冠毛をそよがせて立つ 裏路地に会ひたる猫が一瞥し大き門構への家に入りゆく 門の前でいちど振り向き金の眼の猫が小走りに庭に消えたり 足どりの重く墓苑の坂をゆく老いの夫婦は供花をさげて 標本木のさくらに五つの花が咲き開花宣言に喝采起る 合掌に心をこめて送りたる人想ひつつ夜桜あふぐ 青くびを擡げて並ぶ大根の畑の畝に降り沁みる雨 真つ向に朝日をうけて高層のビルの反照がベランダにくる 先頭を講師が歩き河川敷をノルディックウオークの男女がつづく 東京 白 川 道 子 バイオリン抱へて通ひし田舎道春には林檎の花咲きてをり 弦の音静かに流れる四拍子ボリュームあげてシンフォニー聴く 思ひきりよく手放ししビオロンの音色懐かし第二楽章 次世代に引き継がれをりふるさとの交響楽団に想ひを馳せる 売り上げの一部は乳癌基金とぞ「プリンセチア」の鉢花を買ふ 日の射せばパーの手の跡目立ちくる昼暖かき南のガラス 3 奥方の命日らしき隣り家の窓より聞こゆ経を読む声 神奈川 桜 井 美保子 中十条赤羽線といふ道路遠い記憶のわが通学路 災害に備へて変る街並か歩道の幅も広くなりたり 道路の幅拡張されて新築の郵便局あり驚きて見る 駅前にあるはずの花屋なくなりて花持たずゆく父母の墓 路地ゆけば塀際に根を下ろしたる野芥子の花の何か親しも 紫の花を好みし母なりき墓石のそばに小さき菫 早々と彼岸に咲いてくれるのか枝垂れ桜の梢を仰ぐ 福島 松 原 節 子 千両の実を食ひ椿の蜜を吸ひ我が家のヒバに長く住む鵯 すつきりと白木蓮の蕾立ち日に日にふくらむ今が見頃よ いつせいに白木蓮の花開き一日の風に汚れ散り初む 白木蓮ことごとく散り米を研ぐ水の冷たさやはらぎきたり やはらかき細き自生の韮を摘み韮卵汁をと母の持ちくる 地蔵さまの涎掛け縫ふと言ひだして電動ミシンの修理依頼す 店先にミシンを掛ける爺様居て幼馴染か母の問ひかく 九十五過ぎても店を手伝ふと元気な爺様と母の再会 ヨーグルトの量を増やして花粉症今年は軽くすむかもしれず 愛知 澤 木 洋 子 4 冬 雷 集 新調のショッキングピンク靴をはき五十三次踏破を目指す ブラインド下ろす茶房の窓側に往き交ふ靴のさまざま見てる 指先にたつた一ミリ入り込む棘にひと日のぴりり悩まし 日帰りの東京行きより帰り来ていつもの土産と鳩サブレーを 行列に時折夫は「御座候」買ひて写真の母の前置く 何よりも悦ぶだらう庭に咲く水仙束ね彼岸の墓地へ 目を丸く母の嘆かむ梅干しを漬けゐし甕に目高の跳ねる 男なぞいつぱい居たんだ桂子師匠言つてくれるよ言つてみたいな (三月十三日) 茨城 佐 野 智恵子 桜咲く季節になりてこんなにも寒さを感じ暖房の中 ステッキを持たされて行く昼食に車を呼びてホテルに向ふ 三食の時だけ降りるエレベーターに下に住む人度度居りぬ 百人余の老人達のホームだけに我慢我慢が毎日の事 部屋を出ぬ一人の世界にイタリアのCD聞きて心あらはる もり 外出も出来ぬ吾などあり得ない昔昔は陸上選手 先輩の守さんからの話から冬雷を知り入会となる こんなにも続く事など考へず下手な短歌は日誌のやうだ 東京 赤 間 洋 子 八十歳は分岐点かな記憶力視力体力好奇心も衰退 展覧会近づきたるもデザインに迷ひがありて制作できず 5 脳と指使ふ作業は我が性に合ひてゐるのか退屈知らず 手作業に集中できる喜びは一人暮らしの特権かも知れぬ 二十八枚の型紙使ふ作品で失敗したるを師は叱らない 失敗無くば上手くならぬは師の言葉幾度失敗すれば良いのか 一人で考へてやれと言はるるが順番待ちで師を頼りをり チャレンジ精神旺盛な友は新しき型紙で染めすぐ縫ひ上げる 夏は蚊に冬は寒さに悩まされ誰も辞めない更紗染め教室 東京 森 藤 ふ み 移り来て一度も買ひしことのなき角の魚勝店を閉ぢたり 枳殻の棘に緑よみがへり小さな蕾ふくらみてゐる 遠目には梅かと思ひ近づけば杏のうす紅すももの白花 「お花見の予定ありますか」やうやくに桜咲きそめメールが届く 誘はれて来る上野は風出でて咲きはじめたる桜を揺らす 六義園の枝垂れ桜を年々に仰ぎ来て今日の咲き満つる花 川底を見下ろすほどに桜はな枝垂れて勢ふ神田川沿ひ 両側より花に膨らむ枝しだれ高き護岸を覆ひつくせり 皇居東御苑 東京 櫻 井 一 江 ウオーキングの今日のコースは変更し皇居東御苑の花見としたり 森下に友と落合ひ神保町の地下駅あがりて皇居へ向かふ 平川門を入りてゆつくり梅林坂の梅の香過ぎたる若葉眺めつ 6 冬 雷 集 乾通りの花の開きは今ひとつ苑より見ゆる公開初日の列 天守台の石垣堂々日に映えて江戸城の歴史は苑にどつしり 大奥の跡地は広き芝生となりて外国人家族の多く坐しをり 樹々の間に松の廊下跡ありその先に富士見櫓の高く聳えつ 江戸時代食されし果樹の植ゑられてミカン実りぬ果樹古品種園 大方は五分程にも咲かぬ苑に一本満開白きアマギヨシノザクラ 江戸城の正門たりし大手門へ番所の三つを見つつ辿りぬ 富山 冨 田 眞紀恵 花誘ふ今日のぬくとさ庭にいで蕾膨らむ待ち遠しさよ 水仙の花の黄咲きてわが庭に小さき春の揺れてゐるなり 庭に射す光に一日また一日量感もちて春となりゆく あの道もこの道も桜咲きてゐて今日は老いたる友とめぐりぬ 生真面目に片栗の花今年また花びらそらして庭に咲きたり 子の腕に火傷の跡の薄くありわが若き日の過ちの跡 おでんとはひとりで食べてもつまらない大根に箸をつきさしてみる 自生せし花とわが手に植ゑし花寄りあひて咲き春逝かむとす 東京 池 亀 節 子 隅田川のほとりはぐるり満開の桜並木だ車窓に眺む 電車のなか掛ける人吊革の人ことごとくスマホしてゐる異様な光景 浅草は随所に昭和の感覚あり人力車がゆく居酒屋がある 7 オレオレ詐欺もどきメールが又きたらすぐ届けよと息子言ふなり このところ声出しにくく吸入に通ひぬ耳もまた聞きづらく 幾たびも庭に大きく旋回し空の彼方へ大鴉ゆく バス停の椅子に途中のひと休み花壇のめぐり花匂ふなり 岡山 三 木 一 徳 啓蟄の日に虫たちはそぞろ動き生きとし生けるものを育てる 啓蟄を過ぎて耕すトラクター土塊ほじるカラス点々 彼岸すぎ暑さ寒さもままならず明日の天気はいかがなものか 夢二の絵を抜け出たやうな美女ひとり野辺の道筋日傘差し往く 新聞の広告見ればガンなどの病ひは治ると書き連ねゐる 時ながく使ひなれたる包丁の我が家の味は日本一なり 瀬戸内の島々舞台に芸術祭三年に一度のオブジェ楽しむ 身辺雑詠 東京 天 野 克 彦 こも 裏山に若葉の芽吹き始まれり部屋に隠れるわが目にうれし 雑木々は若葉の芽吹きに遅速あり朝に夕べに山見て過ごす いち早くもえづる若葉は小楢らし銀の産毛に林の染まる ぐ ぜ 杉山の杉の葉おほかた生え替りみどり増しゆくわが裏の山 うぐひすの若鳥いまだ幼くて口告り鳴くこゑ朝より聞こゆ 今年また去年に変はらぬ声上げて河鹿鳴くなりわが窓の下 やすらぎのこころに河鹿聴きをれば基地いできたる軍用機飛ぶ 8 冬 雷 集 いぶ 裏山のほがらほがらと明けゆきて早も来鳴ける山ほととぎす 膝つきてかたくりの花のぞきゐつ燻せかりけり山の匂ひは 槻川 埼玉 嶋 田 正 之 文明の墓所を預かる慈光寺は秩父山地のとば口に在る 本堂の暗がりに見し文明の位牌は確か春慶塗の 文化遺産に登録されたる細川紙の基を辿れば寺に繋がる この寺の隆盛時代は都幾山に七十五坊建ちたると云ふ 高句麗の曇徴伝へる紙漉の技えいえいと千四百年 槻川の山懐の陽だまりに板干しされし和紙のまばゆき 芽吹くころ浅瀬の石をそつと剥ぎカジカの卵獲りし槻川 笠山の槻の大樹の根方より湧き出しゆゑ槻川と呼ぶ 源流をたどれば嶺を振り分けて槻川となり都幾川となる 槻川はやがて都幾川に飲み込まれ更に併はさり荒川に入る 栃木 兼 目 久 楷書にて親しみ来たる孔子廟堂碑書道を始めて六十年の友 書の個展を開かんとして構想を巡らせど未だ煮つまりて来ず 四月より新学期始まるさあやるぞの抱負出で来し現役時代 水泳のオリンピック選考一発のレースに決める痛快と非情 弁当を持ちてフォークダンスに出かけ行く夕方に帰ると妻は言ひつつ 二次会はカラオケに行く慣例なり現役の頃の酒飲みのパターン 9 多めにと作れる大根冬を越し食べ切れず残りあまた捨てたり チリ産がフランスを抜きて首位となる日本への輸出外国産ワイン ヒヨドリの三十羽ほどが飛来して庭のクリスマスホーリーの赤き実を食ひ尽くす 千葉 堀 口 寬 子 咲きほこり美しきまま散りてゐる八重の椿を惜しみて拾ふ 手術待つひと月余りをいつもより長く思ふとその人は言ふ 麻酔かけ大きな手術は三回目体力信じ無事を祈りぬ 乳ガンの手術を受けて四日目の元気な八十八歳見舞ふ 桜咲き通ひつづける耳鼻科医の薬がやつと半分になる 東京 山 﨑 英 子 海棠の蕾つんつん伸びてゐるうす紅見ゆるも今日また真冬 「春は花」と華やぎ仰ぎし桜なりことしは空ろ早も過ぎたり 年々に友とさくらの上野山人混みさけてゆるり歩みき 花散らす風わが六階ベランダに掃く程散りぼふさくら花ひら 枝ひとつ残さず剪定され放題の木槿は負けず新芽の数多 丈低き木槿レモンに夾竹桃木下にしつかりすみれ咲きをり ベランダに放置の儘のシクラメン勢ひて十八本の花咲かせたり 射干咲きてくすの木こぶしの若葉の園に溢るる生気総身に受く 水仙の咲き終りたる花園に葉の束ねられ転がる如し 朝のかをり 東京 赤 羽 佳 年 10 水仙は寒さをよそに芽ぶきつつ冬の日のなか青をきはだつ 植込みのままなる球に芽吹くもの芽吹かぬものもありて揃はず 水仙の咲くを待ちつつ一週をそはそはとしてベランダに出づ プランターに幾年月の水仙か尖れる青葉に朝の日の差す 遅起きのすでに日の差すベランダに黄水仙の初咲きを知る 歯ブラシを口に出でたるベランダに黄水仙ゆれ香りかそけし ベランダに水仙咲きて近づける春陽受くべく葉をのばしをり 剣葉の水仙盛れど花もたぬものも数株こぞもあいまい 11 植ゑ置きのままなる鉢のカランコエ小花を開く寒気に黄花 茨城 沼 尻 操 年老いて毛筆に書けぬ年賀状心だけ込め書き納めたり 大方の落葉樹散り真赤なる楓一本庭を色どる 晴れ間見て老人カート押し年賀状ポストに落す音心地よし 赤紫の寒菊一株石垣の下に目ざめる様に咲きゐる 寒菊をくれたる友と逢ふ度に菊を見習ひ生きるを誓ふ 晴天の続きもみぢ葉掃き寄する無理してしまふ大晦日近く 神棚の榊取替へ緑濃く朝陽を受けて心さはやか 神棚の最上に飾る注連飾今年は倅がしつかり飾る 大阪へ曽孫帰つたそのあとにビニールの凧二つが残る 〈お詫び〉 編集人の手違いで、五月号に上記作品 が落ちました。ここにお詫びして掲載 します。 (編集室) 土屋文明と太田行蔵⑵ 大山 敏夫 くても良いじゃないの……まあ、イイか」と 歌 集『 死 と 足 る 』 巻 頭 の こ の 一 首 は、「 何 もよりによってそんなところに転がっていな いう歌のようである。「寒水」を「む」で割っ けたという気持かも知れない。なぜルビを振 「培ふ」でも良さそうだが、水をたっぷりか らないのかも意識してのことだろう。 て少し変化を与えた。文明の歌があって生ま 集ひとつとっても、どう読むか分からないと さむみづ めぐり出でし山田こほりて寒水の落ちゆ むが耳遠い言葉である。しかしそれなら いうものが結構多い。『青南後集』という歌 さむみづ く音のきこえ居るかも(『山谷集』) れた一首であることは間違いない。 としてなら使われるかも知れない。でもそれ ほかに適当な言葉があるのかと言はれる 集に於いても「せいなんこうしゅう」って読 さむみづ この歌についても太田行蔵は言う。 「寒水」には二首共にルビがつくが、「水培 ふ」にはつかない。この違いは何か。文明歌 は名詞としてのことで、動詞の「水培う」は と困る。山の間を歩き廻って出たところ 「水培」は、中国語では普通に使われてい るようである。日本語でも「水耕栽培」の略 サムミヅと仮名がつけてあるからさう読 一般的ではない。 んでいたら、桜井美保子さんに「そう読むん 4 4 4 4 4 4 4 4 ね。」といふ。一人がそれに、「でせうね。」 一 人 が、「 あ れ は ロ ク ガ ツ カ ゼ で す か い」といふ挨拶で始った。 司 会 者 の、「 で は 六 月 風 か ら 始 め て 下 さ ある日の文明短歌についての座談会が、 文章を思いだした。 しは歌集『六月風』に触れて綴られた行蔵の ごしゅう、じゃ変だし」って答えつつ、わた 4 ですか?」って言われてしまった。「たぶんね。 に田がある。どこかで水音がする。寒い 4 る。しかしその寒さうな水 さうな気がさす む みづ 日にそんな場所に出た記憶は誰にもあり 正確に言えば、動物に対して「養う」は良 いが、植物に「養う」は適さないだろう。「培う」 4 の 音 を、 寒 4 が植物の根に土をかけて育てる意味なら、「水 味となる。だから、文明の歌は、 かう」は植物に水をかけて育てる、という意 間土屋文明論』) (『さ人 むみづ 水」はちょっと肌 指摘されると確かに「寒 触りの違う響きの語だ。文明にはもう一首だ 水 の 音 と 言 ふ 勇 気 は 出 な い。 クリスマス知らぬ老われ正月を待ちて日 魚棲まぬ寒水に口そそぎ思へども古き記 さむみづ さむみづ け、この「寒水」を使った歌がある。 向に梅に水かふ(『青南集』)かめ に湛へて草 戦のあとの土より拾ひ来し甕 に水培ふ(同) の よ う に、「 に 」 〜「 水 か ふ 」 な の だ。 梅 に 水をやる。拾って来た甕に水をためて、それ どこにでも転がりたがる一升壜駅前田圃 に使っている。 との関係の深い人々である。もしその読 に驚いた。いづれも歌壇の古参で、文明 で は を か し い。」 と 言 ふ。 こ の や り と り と 答 へ る。 他 の 一 人 が、「 ロ ク ガ ツ フ ウ 怠りし一生の始をかへりみる鳳仙花植ゑ の寒む水の中(『死と足る』) 憶のかへる少し(『続青南集』)さむみづ 水」だけ 行蔵の言う「耳遠い言葉」の「寒 れども、木島茂夫は自分流に消化して次の様 水かひたりき(『青南集』) を使って草に水をやる、となる。 これなどは鳳仙花を土に植えたのだから、 12 の「ではをかしい」だのといふアヤフヤ も の に な つ た で あ ら う。「 で せ う ね 」 だ 数の読者にとつて、もつとはつきりした れたら、その座談会記録のその部分は多 い。誰か一人がそれを確かめておいてく 接著者にたづねる機会に事欠くはずはな み方に少しでも不安があるとしたら、直 ていうところか。まあ、カイと読むんだと言 とルビを振っている。茂吉の鰻、文明の韮っ 今朝くはむとす(『山下水』) と執着をみせ「韮菁」に「にらのはなくき」 秋出水すぎしあくたに伸び出づる 韮 菁 明の大好物のようであって、 際にはこちらが先に刊行されている。韮は文 下水』は『韮菁集』に続く位置づけだが、実 知ることになった喜びが歌われる。歌集『山 一般には知られていない音読みを文明自身が に決定的な意識の違いがある。 人」として歌を作っている訳じゃない。そこ でも歌人は、行蔵がのぞむように「文法の番 その基盤となる文法の方が大事なのである。 『四斗樽』は文明の力を頼りとして書かれ ている。行蔵にとっては短歌そのものより、 たりけり土屋文明 太田 行蔵 日本語のいのちこの人にたよらむと思ひ 関係あるのか。 く「近づけぬ」空気を漂わす人だったことも もある。それには、親しい周囲の人でも気安 にらのはなくき そこを読んで、なるほど文明の周囲に う歌がある訳だし、カイセイシュウって読め ヌタとよび歌とは言はぬヘソ曲り君らに とは難度が違っても難しさは一緒だ。 で みづ は率直に物をいふ人が少いらしいなと思 よ、ということなのだろう。勿論歌集名につ 4よりてなほりもするか 太田 行蔵 調は、昔の軍隊ならビンタものであらう。 つた。 (『人間土屋文明論』) いての記述など見あたらない。ロクガツカゼ わたしも「でせうね。ではをかしい」と同 じ状況になっているのが可笑しかった。 は普通「カブ・青菜」をさすようだが、一つ ウっ 」 て隣にいた小宮守が答えてくれた。 「菁」 早 く、「 カ イ セ イ シ ュ ウ だ よ。 カ イ セ イ シ ュ だ が、 右 の 歌 も あ る。 文 明 自 身 が「 意 地 悪 」 に浮かぶことを一気に書き綴ったという百首 「冬雷」昭和四十六年一月号に「人間土屋 文明百首」という連作を行蔵は発表した。頭 明自身にもあたる 同 近づけぬ近づきがたき人といふ批評は文 ぬ徳を文明はもつ 太田 行蔵 うが、わたしを躓かせたものが何だったのか どうでも良いじゃないの」って笑われてしま それにしても文明の歌は難しい。ちょっと し た 所 に す ぐ 躓 い て し ま う。「 そ ん な こ と、 きたが、行蔵に「ヌタとはよばせまいぞ」と は持った。以後わたしはしの問題に取組んで 明だが、歌を軽く見て居るんだなという印象 しの誤用問題が出始めの頃、行蔵はこうい う歌を記した葉書を呉れた。ヌタの意味は不 にニラの意味もある。なか なかカイセイって な ん だ と 言 っ た ら し い。 意 地 悪 の レ ベ ル も と、探さずには居られないのだ。 意地悪とみづから言ひて人にさは思はれ 読 め る 人 は 居 な い。 小 宮 の 文 明 に 対 す る 強 い 色々だろうが、読み方を迷う歌集名や漢字に これも大昔の話だが、冬雷のある女流に後 ろ か ら 声 を か け ら れ、『 韮 菁 集 』 を 指 さ し、 傾倒が垣間みられた瞬間だ。 も敢えてノーコメントなのはある種意地悪で とって大切だと判断したからに尽きる。 い う 気 持 な ど 毛 頭 な か っ た。 こ れ は 自 分 に 4 韮の音にカイあることを益軒よりさがし これってどう読むんですか? って尋ねられ たことがある。 「エッどれ 」って振り向くより てくれぬわが岡田君(『山下水』) 、 13 生き延びて 山﨑 英子 大連に発つ朝父の言ひましき「嫌だつたらいつでも帰つておいで」と (昭和十六年) 出帆の銅鑼鳴りひびき五色のテープ大阪港上り大連目指す 豪華なる船の食事に娯楽室夢の如くに船旅四日 (アルゼンチナ丸一万三千トン) 風と波強く荒るる云ひ伝ふ玄界灘も穏やかに過ぐ 東洋一を誇る埠頭の大連港に出迎へ受けて上陸したり 支那服に菅笠如きを頭にのせて畚をかつぐが目に飛び込めり ダルニーと呼ばるる街並み行く人も異国情緒の漂ひゐたり 街ゆけば纏足の女人目につきぬよちよち危な気歩む姿の 纏足の小靴の繻子の鮮やかに小花刺繍もびつしり愛し 梅に桃さくら連翹一斉に黄砂ともなひ春の訪れ 気候良く海産物も果物も豊富に日日を楽しみてをり マーチャヤンチャ たび テーブルにばらを飾りて帰り待つときめきのあり新妻なれば 馬車洋車乗る術覚え三越への買物等に度たび利用す アカシアの花の香漂ふ並木道馬車の蹄の音心地良し シ ー フ 三越に母校の先輩に逢ひたる事奇跡と云ひて喜び合へり 通ひ来て親しくなりたる洗濯女が或る日纏足見せてくれたり 14 今月の 30 首 ぐるぐると巻きたる長き布を解き指なき十センチ程の三角の足 大連の駅は上野を模し作られて利用する毎なつかしさ増す 大連駅より特急アジアに乗りて行く旅順奉天新京への旅 厳寒に耐ふる住宅壁厚く二重窓には花など置きて 真冬には三寒四温を楽しみて四温選びて外出なせり アカシアの並木の樹氷朝の陽に煌きゐたり稀々のこと 支那料理日本人好みの味にして遼東飯店よく出向きたり 新京支店長任命されゐし夫なりき赴任控へてソ聯参戦 社長私邸門より五本の桜の大樹庭の牡丹に人を寄せをり (日本庭園第一と云はる) 穏やかな生活もソ聯参戦に僅か七日後敗戦となる 盗難用紙幣と定めて用意をす命守らむ敗戦後の日日 物欲も全て消え失せ唯生きて祖国日本に帰り度し 大連の思ひ出胸に生き延びて帰りきませりちちははの許 (昭和二十二年) 舞鶴の低き家並みの雪景色美しかりき日本の国は 15 四 月 号 冬 雷 集 評 中村 哲也 が咲き始めた。地上に咲く花に感じた春 高層住宅の窓の手摺より、よく外を眺 めている父。眼下の地表には福寿草の花 「干しいも」の工場見学して気付く皮む きスライス干すも手作業 櫻井一江 間のだんまり続く 澤木洋子 け て い る 事 に 気 が 付 い た 作 者。 改 め て、 自治会の役員交代もつれもつれ重き時 かれたのであろう、その賀状の文字の乱 賀状を見つけた。病状が悪化する中で書 年賀状をしたためていた作者。その中 で生前の兄が、最後に送った作者への年 れもありてなつかし 堀口寛子 亡き兄の最後となりし年賀状文字の乱 りの落差に対しての驚きが感じられた。 作者の予想と実際に見た内容との、あま どが手作業であった。その工程の列挙に いたのであろうが、実際、作業のほとん 干し芋の加工場を訪れた作者。オート メーション化された製造工程を予想して の訪れを、そのまま父に見せられない作 父さんと呼び母さんと呼ばれ居り子等 者 の も ど か し さ が 感 じ ら れ る。 尚、「 眺 の戻らぬ日暮れの部屋に 浦山きみ子 めゐし」では、父は過去の存在者になる。 長 年、「 父 さ ん 」・「 母 さ ん 」 と 互 い を 呼びあってきた作者夫妻。もう子供達は、 健 在 で あ る な ら は、「 ゐ る 」 で 良 い の で つれもつれ」の声調の悪さと、字余りが の長さを思い見たようだ。また「日暮れ」 作者の地域の自治会の役員改選で何か の 語 は 夫 婦 を 取 り 巻 く 静 け さ を 感 じ る。 しら混乱があったようだ。三句目の「も ほとんど居ない。それでも、そう呼び続 その状況描写に大きな効果を発揮してお れは、懸命に記した亡き兄の誠実な人柄 はなかろうか。 各々が何処か痛みを抱へをり労りなが り、相当な波乱であった事を窺わせる。 子育てを終えて後の夫婦二人だけの時間 ら体操続く 赤間洋子 手摺より身を乗り出して眺めゐし父に の体操も続くのであろうと思った。 を続ける参加者に親近感を抱きつつ作者 れでも何とか健康維持の為、懸命に体操 きから、その事を感じたのであろう。そ ているようだ。それぞれの痛みを庇う動 にとっての凄まじい静けさを思わせた。 ならでは。また「途絶えて」の語は作者 落葉の音を、問答に例えられたのは作者 ばには聞こえなくなった。風を受けての 風が吹く度に、落ち葉が吹かれて行く 音を聞いていた作者。それすらも一月半 月は半ばを過ぎたり 冨田眞紀恵 風が問ひ落葉答ふる問答も途絶えて睦 のだろうと、しみじみ感じさせられた になっても親にとっては 子 「 」 「子」な は た娘を祖母の新米と定義する作者。幾つ 者。作者にとっては曾孫だ。祖母になっ 抱き語りかけをり 山﨑英子 娘が孫を抱き抱えている様子を眺める作 新米の祖母となりたる娘いまみどり児 を 作 者 に 思 い 出 さ せ た よ う に 思 わ れ る。 シルバー体操を始めた作者。そこに集 う人々は、体のどこかしらに痛みを感じ 見せたき福寿草咲く 松原節子 16 四月集評 らすけふの風の厳しさ 髙橋説子 月であり北風の冷たさが沁みる。 二月の異称として如月がある。草木が 蘇るという意味だというが寒さの厳しい 背浮きしてプールの天窓見てをれば雲 小林 芳枝 生みの子なき吾に三人の曾孫どちなつ 水の上に浮く心地よさ、ゆったりとし た感じがよく表れている。 なき空に白き半月 関口正子 き呉るるは今の仕合せ 橋本佳代子 三人の曾孫に慕われる日々を心底感謝 されているが、その仕合せは作者の大き な優しさの賜物なのだろうう。 ながく手を振りゐる我に気付く娘の似 た顔ふたつ笑みて近づく 穂積千代 かったが新年を迎える喜びは充分あった。 冬雷の表紙絵浅間の空の青 絵具の起 伏に思わず触れる 林美智子 ☆ 思わず触れてみたくなるような絵具の 質感がよく出て今年の表紙も素晴らしい。 ☆ 半日が精一杯と言いながら今日も一日 を畑で過ごす 松中賀代 畑仕事の楽しさが伝わる。健康のもと 感の鋭さを下句の写実で表現された。 ☆ 庭の暗がりに人には見えない何かを感 じて身構える猫。人間が失いつつある五 力蓄えており ブレイクあずさ 漆黒の庭を見つめる猫は背にひそかに ことを喜ぶやさしさが林檎の甘さに籠る。 病をもつ人が初めて自分にしてくれた こと、林檎を剥く気持ちになってくれた こと甘くて旨し 片本はじめ 心病む君吾のために林檎剥く初めての 四 粁 の 散 歩 コ ー ス を 走 り き っ た 快 感、 いい夢は目覚めを明るくさせてくれる。 物忘れ増えてきたりと愚痴言へば歌を になっているのかもしれませんね。 励めと机がとどく 石田里美 四粁の散歩の路を駆け足の心地の良さ 素晴しい励まし、元気を出して下さい。 は夢が覚めても 佐藤初雄 ☆ ☆ 機行くなり 本山恵子 冬空に低音響かせ飛行機は等間隔に三 よい母子が想像され微笑ましい。 遠くから娘達を見つけて手を振る母、 近くに来てやっと気がつく娘たち。仲の 順序よく整枝されゆく庭の樹にまつわ ☆ 機の不要な地球であってほしい。 等間隔に並んで飛ぶのは自衛隊などの 訓練機か。叶わぬ望みだがこういう飛行 る思いの湧きくる夕べ 吉田綾子 れど海風冷たし 福士香芽子 三階の南西角の吾が部屋は陽当りよけ こす。私も庭木には思い出が沢山ある。 樹木は記念に植えられることも多く、 そうでなくても家族の折々の姿を呼び起 ストレッチひとつひとつを丁寧に試せ ☆ 今のような華やかさはなく衣類も少な の正月なつかし 倉浪ゆみ 新しき下着を枕もとにおき迎へし昭和 全てよし、とはいかないけれど、部屋 に日が当たることは有難いですね。 ば聞こえる身体の声が 高松美智子 気持ちよく伸びる快感の声だろうか。 酷使されている悲鳴でなければ良いが。 きさらぎといふ美しき響きさへ吹き散 17 六月集 茨城 吉 田 綾 子 冬ながら咲き継ぐ日本水仙を供花となして仏壇に置く 尖りたる矢先のように天を指す白木蓮の堅きつぼみは 歳晩に取り込み置きしゼラニウム咲き継ぎながら春彼岸来る 木漏れ日の日々暖かく差せる庭に熊谷草の太き芽が伸ぶ ふかふかに土起こしたる畑に立ち夏の野菜の段取りを練る 濯ぎ物干す手を止めてうぐいすの本鳴きの声を暫し聞きいる 理に適う食生活に徹しつつ身軽に生きる友慎ましく ☆ ☆ 「死ぬる時わびしき思いをしたくない」と友は遺産の寄付を望みおり 東京 永 田 夫 佐 つくづくし堤にひとつ又ひとつ手折りはせぬと覗き込みたり 末娘に夫からよと渡されるホワイトデイのピンクの小箱 一週間振りの晴天干し物をひるがえしゆく梅散らす風 生垣を黄に染むエニシダ此の家の友は何処へ人住み変る 丘の上の草とり拝む春彼岸かなたに望む白き富士の嶺 川端を緑に染める春の雨細く静かに路ぬらしゆく 浄智寺総門 鎌倉市山ノ内 18 六 月 集 頂きしストッケシアの苗根付く草花好きの歌の友より 初物の蕗の薹煮て食卓へポーカーフェイスの君の頬ゆるむ コンコースに配られいたる種もらい蒔いて待たれる除虫菊の芽 栃木 髙 橋 説 子 ひと枝の河津桜の咲き満ちて上がり框に花こぼれゐつ 一番の佐野市の自慢と吾が思ふカタクリ群生地いま登りゆく 目黒川の水門近き橋をくぐる吾らの舟にゆりかもめ飛び来 屋根なしの舟は三人多く乗せ桜さくらの目黒川ゆく 目黒川のあまたの橋の何れにも桜みる人ゐて手を振り合ふ 五時までのバスの駐車に間に合はず窓より拝む靖国神社 アスファルトにチョークの円の残りゐてケンケンしてみる散歩途中に ランドセルを開けたり閉めたり背負つたり売る人買ふ人みんな笑顔で 毎日のやうに小さき嘘をつき摩擦避けつつ二人の暮し 山梨 有 泉 泰 子 真冬にも見せぬ真白な姿みせ春の日の中富士凛と立つ 仏の座一面に咲く土手に立ち富士に向かひて深呼吸する 芽の中に折り畳まれたる葉の覗く無事に冬越す鉢の無花果 だあれ 隅田川お花見クルーズ風寒し岸の桜の蕾の固し 東京の空の青さに寂しさの広がる吾を誰も知らぬ ほんのりと染まる堤の先方にスカイツリーの見えて歓声 19 下船する吾妻橋の名忘られぬ姉眠りゐる墓所のありたり 法要の席より眺めし隅田川桜咲きしや十五年前 東京 増 澤 幸 子 甘露煮にせむと採り来る金柑の種の多さに意気萎みたり 群なして草原に遊ぶ椋鳥の羽時折の風に乱るる 昨年の夏のハガキに友の見舞嬉しさ少しうすれて届く 小唄会ロック好みも正座して和服姿にはなやぎ添ふる 尿酸値言ひ合ふ友ら大声にジョッキ重ねる皿鉢囲み 車椅子に兄乗せ花の下を行く酔ひて唄ひしよさこい聞かしつ 指先の利かなくなりたる兄の手をさすりてグーチョキリハビリをする 花の下共に歩みて五十五年大川の流れ肩寄せて見る 茨城 沼 尻 操 昨日一輪今日一輪と盆梅の開き曾孫の宮参りする 目薬をさし目をとぢて聞きをればヘリ音次第に遠く消えゆく 浮雲と雀の餌拾ひ見くらべつ冷たい風に家籠りする 門の戸に寄りて歌つた人生の並木道今も口ずさみをり 年重ね思ひ出ばかりたぐり寄す繭から糸を引き出す様に 今日大寒足の運動早く止め炬燵に入りほつと息つく 隣から熱い甘酒持ちくれて心の中迄温さしみ入る 裏家のさたちやん一夜で亡き人と知りただ驚き胸つまりたる 20 六 月 集 ☆ ☆ 千葉 石 田 里 美 おみやげの程よき色の桜もち春は来たりぬ桜満開 充分に手入れの出来ぬ庭なれど春ともなれば人は訪ひ来る 奈良に住む子の友達と語らへば修学旅行の話ははづむ 八重ざくら今が盛りと誘はれて今年も生きて元気をもらふ 東京 大 川 澄 枝 棒切れのようなる足にどうしたと強くたたきて活入れ歩く 暖かき彼岸入りの寺の池の鯉ゆっくりくねり動きを止めず 今年また海猫飛来し群なして森下上空を声高く鳴く 暖かき日久びさに行く美容院おかえりなさいと迎えくれたり 青年の友らおおよそ結婚し残るメンバーは銭湯めぐりす 東京 関 口 みよ子 春まではまだある川のひとところさざ波立ちてきらめきており 母を賞め夫を励まし帰る道のど飴一つ口に放り込む 咲きたれば短き日々と知るからに時かけ開く桜と思う 身の周りつんつんぞわぞわ芽吹きいて私の手足は痒くてならぬ 図書館の「おはなしコーナー」に聞き入りてたんぽぽのよう保育園児は 大縄の作る楕円に滑り入りみんなの一人にならんと弾む ピチピチと地を打つ縄に呼応する子らの掛け声風を呼びたり 休み時間すぎて生徒は戻りゆき春日の満たす校庭残る 21 茨城 飯 嶋 久 子 踊子草ぺんぺん草など咲き乱れ無人の庭も春を告げおり 桜並木走り来たりと屋根一面花びら乗せて娘帰り来 あと何回桜見るかと思うなり今年の花はしみじみいとし 那珂川の土手にたんぽぽの黄は続く隣の町のその先の先 香り高き「春めき」という桜あり盲の友と訪ねゆきたし もてはやさるるネモフィラの丘の裏側に「桜の森」あり山桜咲く ひっそりと山桜咲く森の中一人さまよう道失いて オオウメガサソウ北限の地なり沢田湧水池時ならぬ今クレソン茂る もう要らぬといいつつ春の服選ぶ昔の友と会う予定あり 新潟 橘 美千代 咲き盛る梅の枝ごしオリオンの矩形をたどり金星にゆく くれなゐに咲き盛る梅雨風に激しく枝の揺れるも散らず わが家には孫は無いよと子の言ふを思ふ患者の赤子抱きつつ 顔の創の抜糸をさるる四歳児泣くをこらへて横たはりをり トゲぬくをこばみ後ろ手に指固く握りしわが子四歳なりき 咲き満つる桜と梅の並びたつ家はひかりを湛ふる泉 前をゆく車のまき上ぐる花びらの薄べに混じる埃をあびつ あまき香の夜風にみちくる町内の洋菓子店はいま稼働中 栃木 早乙女 イ チ ☆ ☆ 22 六 月 集 ぽかぽかと暖かくなり菜園のカキ菜も育ち初取りをする 楽しみの菜園隅のウドの株芽を出し始め土盛りをする 爽やかな黄色の小花びっしりとレンギョウが咲き庭は明るき 鮮やかに花桃水仙辛夷咲き小さな庭をそよ風通る 高知 松 中 賀 代 虎杖を見つけた友は「初物」と枯木の中に踏みこんで行く 野の花で一番すきな藪椿とどかぬ高さに花を咲かせる 楚々として鳶尾の花咲きはじめ姑と暮しし年月想う クレマチス蕾ふくらみ明日を待つどちらが咲くか白と紫 降りがけに気遣いくれる運転手無事を確かめゆっくり発車す 「骨量が上がっている」と医師の言う小魚食べる事にしてます ☆ 岩手 村 上 美 江 花の道ほぼ咲き落ちて椿あり赤から始まり白にまだらに 戦ひの無い時代に生まれ来て花を愛でるは北限の椿 散らばらず開ききらずの落ち椿その花拾ひて墓前に並ぶ 盲目の叔母は新居に手を引かれ「雰囲気見た」と言ひ放ちたり 水嵩の増して小川の澄みたるを都会の友へ直ぐに知らせむ 介護する手に指輪など要らないと結婚記念をケースに納む 産みの母育ての母と姑とその又母の恩をかうむる さつくりと次ざつくりと土を盛り種芋馬鈴薯畝に隠れる 23 松の葉の葉末に幾万露光り丸く地球を映してをらん 東京 大 塚 雅 子 機密情報漏洩防止の対策に会社に置かるる金属探知機 探知機は微量の金属見逃さず情報持ち出す機器を見つける 探知機のゲートくぐりて警備員の許可貰わずば入室できず 探知機に幾度も引っかかる社員ありてゲートの前に行列できる ☆ ベルト靴眼鏡を外して探知機をようやく通る男性社員 宮城 中 村 哲 也 二十四の女優が演ずる老婦人その晩年の飄然として 枯草に隠るる土を掻き分けて土手に水仙今年も咲けり 履きなれぬヒールにスーツでトコトコと歩める女とすれ違ひたり ひと ひ 入学の季節となれば鼻筋の似ゐるをんなと子の歩き行く 桜咲く最中に寒さは戻り来て一日降る雨花弁を濡らす 持ち来たる傘忘るなの放送も持たぬ我には無用の響き 地図に沿ひ裏道行けば幅狭き道にはみだすゴミ袋占む 行く道を聞きたき我を呼び止めて時刻を尋ぬる嫗のゐたり 神奈川 大 野 茜 年の暮れ墓石磨く丘の上は北風強く背を丸める 人垣を妻は掻き分け正月の祝ひの膳の食材求む 地下鉄を出づれば木枯し吹く道に枯葉の飛んで落ちて転がる 24 六 月 集 貰ひたる薩摩芋を漉しコロッケにじやがいも超ゆる旨さと知りぬ 十三年共に過ごせし自動車は角を曲りて引き取られ行く スカイツリー展望台に夜景見つ取り留めの無き街の広ごる 消費税国民こぞりて支払ひて国を支ふる気概を持たん 東京 永 光 徳 子 梅散りて桜咲く間の庭隅に雪柳の花密やかに咲く 机上には義母の残しし天眼鏡いつの間にやら我が手に馴染む 夕暮れの幽かな風に漂うは夫が切りたる葛の匂い 義兄逝きて慌しき日過ごし来て気づけば庭は春の装い 枕花抱えて電車に乗り込めば若者席を替わりくれたる 二年前庭の茂みに生まれたるドバトの兄弟デデッポーと鳴く 愛知 児 玉 孝 子 畑に出で久し振りなる土起しさくさく入りて体に軽し 菜園に春らしき陽気を浴びながら初めて蒔けりはつか大根 糖尿病の友は会食終えたるに足が駄目だと床に座り込む 入所したる施設に叔母を訪ぬればよく来てくれたと話途切れず 朝じめのいき良き鯛を店に買う刺身塩焼かぶと煮の贅 「わあーきれい」と花壇の花を愛でらるるこの一言に喜び湧けり 海外で銃を構える自衛官あってはならぬ安保法施行 ☆ ☆ (☆印は新仮名遣い希望者です) 25 四月号作品一評 冨田眞紀恵 ☆ 歩行器に助けられてる毎日を夏の来る 迄に卒業したい 高松ヒサ 夏には何か楽しい計画がおありの様で すね。歩行器に別れを告げる日が待ち遠 りませんが、一緒にくらしていらしたの 励みいし翁を思う 斉藤トミ子 た様ですが、立派な一生でしたね。 ☆ 御長命だったのですね。しかし晩年は お医者さんの世話になられる事も多かっ 十一枚の診察券ある 江波戸愛子 九十七年生きたるちちの引き出しに二 ☆ ですものね。 枯れたままになっている稲を見て心配 している作者、翁の体調が私も心配です。 忌明け済み夫の写真の前に坐しほほゑ む写真静かに見守る 小島みよ子 気 持 ち の 良 く 分 か る 一 首、「 静 か に 見 守る」に作者の心が良く出ている。 名が瞬時浮かばねば日記には〇〇さん 「 ぢ い ち や ん と 入 り た か つ た 」 と 孫 娘 しょうか。私など思い出そうとして無駄 大久保修司 の殺し文句を湯上りに聞く な時間を過ごしてしまいます。 しい作者、それに向かって頑張りましょ とのみ書き今日の分終る 野村灑子 う。リハビリの効果も出ている様ですね。 相手の名の咄嗟に浮かばない事は良く あります。後から思い出す事が出来たで 散り積もる落ち葉の下に蕗の薹あまた 芽吹きぬ春の色して 大塚亮子 孫娘の言葉を「殺し文句」と言いなが ら微笑んでいる作者。この家庭の幸せが きぬ一日五千歩 正田フミヱ 雪だるま小ぶりに作り皿に乗せ食卓に 目に見える様である。 結句の「春の色して」に作者の春を待 つ気持ちが凝縮されている。 臨月の嫁と並びて散歩ゆく介護のあい ☆ 一張りの和だこが冬空しめてゐて正月 歩けという医師の指導に臨月の嫁は歩 の空晴れて雲なし 田端五百子 「 冬 空 」 は「 大 空 」 と し た 方 が も っ と 間暫し楽しむ 同 置き溶くるを見ゐる 中村晴美 ス ケ ー ル の 大 き い 一 首 に な っ た と 思 う。 形ある物が徐々にその形をなくしてゆ 歩く事によってお産が軽くすむのか な、それとも体力が付くのでしょうかね。 く経緯を見ながら、作者は何を考えてい 今 は 私 達 の 頃 と は 違 っ て き た 様 で す ね。 らしたでしょうか。 日本の正月の長閑さを思わせる一首であ る。 「 言 葉 は 響 く 」 に 作 者 の 感 激 が 籠 っ て いる。 幼き日我が家で過ごしたる甥の面影の 稔りたる稲がそのまま枯れており田植 は「散歩する」としたい。 お腹の子をあまり大きくしない為と聞い 国政に関する機能を有しない天皇なが た 事 も あ り ま す。 二 首 目 の「 散 歩 ゆ く 」 ら言葉は響く 大山敏夫 こる今日の花婿 有泉泰子 作者にとっては自分の息子の様に花婿 を見ておられた事でしょう。期間は分か 26 四月号作品一評 嶋田 正之 手すりに片手つかまり杖を手に十メー 男として少し残念だが認める。 う も 息 子 は 頼 り に な ら な い よ う で あ る。 里の自慢の八海山を外してみたら如何か。 いて良かったと言う話だ。多くの場合ど ☆ 金目川のほとりに冬の陽さんさんと富 士の全き姿を仰ぐ 酒向陸江 比企ガ谷に眠る一族弔はむ白梅に寄り 所があるので親しみを覚える。金目川の ふる里の近くの慈光寺に千手観音九番札 念を象徴するかの様に作者の目に映った 企一族の墓に咲く白梅と紅梅が一族の無 作者が鎌倉を訪れた折の歌であろう。 鎌倉時代に不運な最期を遂げ滅亡した比 て紅梅咲きをり 山口 嵩 健康な人にはなかなか実感できないと ころもあろうが、一生懸命リハビリに励 のであろう。結句が見事である。 「 坂 東 三 十 三 観 音 巡 礼 」 と 題 す る 一 連 の中の一首で、秦野の金目観音にお参り む作者としては、十メートルも歩けたと 袂から眺める富士の姿が目に浮かぶ。 転ぶなよと毎日かかる子の電話膝の痛 した折の歌だ。筆者は訪れた事は無いが いう喜びがあるのだろう。頑張れ頑張れ 胸高のさらし鉢巻き生徒らが景気付け トルは何とか歩く 栗原サヨ と応援をしたくなる歌だ。 にと仮設に枹ふる 田端五百子 さは口には出せぬ 高島みい子 芹摘みに通った道も懐かしくセンター この歌の二句の「さらし鉢巻」は「さ らし腹巻」とすべきかと思うが、打ち込 育みて来た子供達がある時から上から 目線で親に忠告をする様になる。悔しい ☆ みの折に変換ミスをしたのか、いずれに が半面嬉しくもある、しかし度重なると 行きのバスにゆられて 高松ヒサ この歌も高齢者の施設に通う時の歌 だ。嘗ては畑を耕す歌を詠んでおられた 反発をしたくなるのが親の意地。 じみ思ふ高齢者われ 大久保修司 しろ、仮設住宅に暮らす方々に元気を振 娘や孫に助けられつつ迎へたり四十九 作者を高齢者と呼ぶには早すぎる感じ はするが確かに、最近筆者も反射神経が る舞おうとする生徒達の打つ太鼓の大音 蕗の薹の天ぷらつまみに酌む夫ふる里 日の法要の朝 小島みよ子 鈍くなったかなと思う時がある。なかな 作者も施設に通われる様になられ、芹を の八海山わたしも相伴 大塚亮子 夫君を見送り最も寂しい時が四十九日 あたりなのだろうかと想像する。その寂 か免許返納の決断は難しいようだが、や 摘んだ川の畔をバスの高い窓から眺めな ご夫婦の睦まじい瞬間を切り取って羨 ましい光景の歌だ。ちょっと字余りが気 しさを癒してくれるのは、娘や孫なのだ がて来る時は来るのだ。 自信ありしが夜の運転止めようとしみ に な る。 例 え ば、「 蕗 の 薹 の 天 ぷ ら つ ま ろう。良く耳にするのは、娘を生んでお がらゆく。感慨がじんわりと伝わってくる。 量が読む者にまで伝わってくる。 みに酌む夫ふる里の酒わたしも少し」と 27 作品一 埼玉 栗 原 サ ヨ 九十六歳の弟逝きたる雨の中一人の家にて祈り居るなり 農高の教師として励みたる花木を愛でし弟なりき 庭先にひつそり咲ける花大根苗下さりたる友も在さず 手をひかれ庭を歩き杏の花色鮮やかに咲くを眺むる 福井 橋 本 佳代子 庭隅に山ほど寄せたる杉落葉燃やす煙は杉葉の匂ひす 頼むなくひとりぼつぼつわが手にて庭掃除叶ふ果報を思ふ 朝の日に遊ぶ小雀を友にして草引くは楽しひとりの庭に 今のわれにどうにか歩ける二千歩を目指してけふもリハビリ散歩 承けし田の全てを託し生まれ地に老いの日静かに暮す仕合せ 習ひ事の増えて曽孫どち顔見せに来るもだんだん間遠となれり 八歳の梨里香とけふは練習用のピアノ選びに連れだつ喜び 東京 大 塚 亮 子 かざす手の餌を目がけてくる雀男の周りに群れて啄む 回送電車十輌過ぐるは長かりき地下鉄ホームに風うけて待つ 浄智寺仏殿 鎌倉市山ノ内 28 作 品 一 地下鉄の中吊り広告取り替ふる流るる如き作業見てゐる 捨てられたる弁当啄む雀らに掃くは暫く待つことにする 母を真似すつぱくなりたる古漬けを覚弥にせむと細かく刻む 友に貰ひし白き木槿の芽吹きたり忌日近づく四月に入りて 家事しつつ電車に乗りつつ故もなく友思ひをり逝きて一年 友と見し白じろ咲きゐし一本の桜は今年も咲きゐるならむ 岩手 田 端 五百子 再生の進む街並み歩むとき確か何かが切り替る思ひす 十米も嵩上げすといふ万能の防災策など存在しないのに 浮きて来る湯豆腐箸でつつきつつ女は昔の繰り言やめず 車一台通過せるのみ我だけに点る青信号月仰ぎつつ渡る 大声を出すは控へて福は内一人の膳にワインを満たす ネンネコの稚児だき取れば待合室の人ら寄り来て空気なごめり 台風の近づく気配うさぎ千匹はねる如くに岬荒ぶる 昏き蔵のぞけば夫の使ひゐし癖ある鍬の錆びてころがる 千葉 涌 井 つや子 清原を追ひかけてゆくパパラッチ松戸の病院に今到着したり わが病院ではと懐かしむ見覚えありたるカーテンの色 マスコミと野次馬多勢集りてあつといふ間の三、四日なり 病院より無言で帰りきたる友静かにしづかにわれを迎へぬ 29 歌つたり旅も一緒に御夫婦と共に行きたり過ぎし日となる お元気でと別れの挨拶したばかり翌朝奥様亡くなるを知る ☆ 愛知 小 島 みよ子 卒業を間近に控へ孫と友ドイツに城を見学に行く 未だ見ぬ国の話を真剣に聴き入る我の心晴れらか 歩を止めて一礼をして過ぎゆける目差やさしき人に安らぐ 健康の大切さ想ふ雨の昼明日は散歩と思ひ外を見る 新しく職につきたる孫に言ふ身体大切にと言葉重ねて 散歩すみ身内の温み覚えつつ心軽く本の頁繰りゆく 菜の花の莟をゆでて鮮やかなみどり頂く春の温き夜 愛知 山 田 和 子 幾つ実になってくれるか友の待つポポーは紫褐色の花を付けたり 連れてってやれないからと江戸前の寿司屋を録画これも優しさ 市役所の十三階の食堂で雑誌に載りたる昼食をとる 職員の活力のもととすすめらる餡掛オムライスにてこずる 千葉 野 村 灑 子 人さし指のささくれ今日は痛みをり亡母を想ふ風強き朝 汝の書く書道のハネの美しく今日出来たるを誉め二重丸する 一日籠り筆に書を励み五百回を自転車こぎをり夕のリハビリに 夜九時を過ぎたる電話には名のらずに「もしもし」とのみ言ひて出でたり 30 作 品 一 七つ以上呼出音を鳴らせたる電話は「お待たせしました」に「大変」をつける 毎朝のメールの最後は互ひに「今日も元気にごきげんよう」と結ぶ 両殿下御成婚の日の新聞が捨てられない部類の箱より出づる 高速バスに二時間を乗るに踵上げ爪先上げして景色も見たり 東京 荒 木 隆 一 ランドセル売場で笑顔の爺と婆些か高いが嬉しき負担 浅草寺寺宝の展示の収益は震災津波の義援金とや 世をすねる訳にあらねど懐かしき昭和の唄弾く吾が琴の会 墓石を傾けさせる樹が伐られ明るく見通しよき墓地となる 皇族が乾通りの花見客の入りの多少を気遣ひゐると 木蓮の散り敷く花弁を朝に掃くは愛でる楽しさと始末の大義さ パチンコ屋の開店を待つ朝の列皆うらぶれた姿曝して 神奈川 青 木 初 子 染井吉野の花の散るころ咲き初むる毎年律儀な花水木の花 冬の間の寒足らざるかヒヤシンスの花の芽出たり三月半ば 鼻提灯ぶる下げる如く梅の実の一つの育つ細き枝先 観光客まばらに運良く空きのあり数の少なき駅のロッカー 予報より雨風弱き吉野山頑張つて登る中千本まで 人人人造幣局の通り抜け花びら緑の御衣黄探す 仁和寺の御室の桜花満てり昨年は閑散花一つなく 31 栃木 高 松 ヒ サ 一面の緑の畑に少しずつ白き穂波が風にゆれおり 万葉の歌に詠まれたる三毳山今カタクリの花に賑わう 菜園のカキ菜の新芽柔らかく食卓飾る緑の大皿 少しずつ痛み忘れて気も紛れ桜の花に心引かれる 歩行器で行動出来る嬉しさに心明るく会話もはずむ 西風に白いビニール飛んで行く先のわからぬ空の旅へと 庭隅に植えた茗荷は三年目白き芽多く数え切れない 誕生日八十八回巡り来て夢のごとくと振り返る日日 ☆ 埼玉 小 川 照 子 彼岸には墓地に来る人に桃の花切りてやるこれ楽しみですと (三月十八日) 前の墓地桃の花にて賑はひぬ線香の煙風に揺れゐる 孫裕貴岐阜航空学校卒業式父と出席無事終りたる 卒業式より帰り来たる孫仏壇に卒業証書供へ手を合せゐる 蕾もつ絹さやに手をふれほつとせり息子と二人で仕事終へたねと 蕗の薹咲き終りゐて一面にみどりの絨毯広がりて行く テロニュースに心痛むるに日本では桜の開花北へと進む 富山 吉 田 睦 子 煙かと思ふ群雀目の前の田に降りすぐに飛びたちて行く 青天の続く春陽に幻の様に輝く雪の立山 32 作 品 一 家の横を静かに流るる今日の川落差の下の音のみ聞こゆ 去年の暮蒔きたる畑のチンゲン菜鳥が食べゆく少し残して 三歳児何か静かと覗き見れば親のスマホでそつと遊びぬ 早朝のそよ風受けて鳥達は満開桜の枝から枝へ 名を知らぬ少し大きな五羽の鳥花から花へと暫し飛びをり 千葉 黒 田 江美子 ヤングアメリカンズのワークショップ浦安に上陸十年全国に広ごる ☆ ヤングアメリカンズ二泊三日の滞在に子等とミュージカルショー仕上げゆく ワークショップのわづかな時間に心解き福島の子のダンス滑らか 大木を取り囲み咲く薄青のイヌノフグリは小人にも見ゆ サクラの仲間四〇〇株はあると言ふここ行徳の近郊緑地に 埋立地に野鳥が運び来たるタネ四十年経て樹林となれり 二分咲きのサクラ各々個性あり花の色香や葉の形多様 100番の名札付きたる山桜タネは何処より運ばれたるか 埼玉 本 山 恵 子 杖として丈夫で軽く扱いの安きは当然にして心ひかれる一本 先のなき命にあればこの冬は三回のスキーを楽しみたる夫 帰りきてスキーもボードも上達と孫を言う夫は生き生きとして Tシャツとジーパン姿からブレザーにネクタイをしめ孫は中学生 なんだろうアベシトトリマキ十首あり読めば納得おもわずニヤリとす 33 面白い歌があったねの一言にすぐピンと来るアべシトトリマキ 暇な時冬雷を読みいるらしと気づくも互いに話題にせざりき 神奈川 関 口 正 道 鳴り響く「夕焼小焼」の音高く両耳を塞がねば外を歩けず この日頃指の震へに気付きたりキイ打つ時に躊躇ふ一瞬 財布開け小銭をトレイに全て出し数へて支払ふコンビニの勘定 週一度の訪問ヘルパーのローテーション七日後は多分四十代の人 月命日雨は降れどもけふもまた墓参欠かさず兄嫁は来る 日の差せるカーテン越しに姿見ゆ窓枠の向かうの番の雀 大山の阿夫利神社のある辺り春霞消え電波塔光る まだ少し煙草吸ひたき衝動ありニコレット噛む高価なれども 戦争を憎みてゐしが吾がブログ過激な言葉を慎まむとす 茨城 大久保 修 司 クイーンエリザベス号の横浜に降りたる客が味噌汁旨しと 地中海の闇夜を進むクルーズ船にどちらが舳か分からずなりつ われ等男の欧州旅行に家族連れが妻は日本なのかと質す 病む夫を妻が看る家の玄関に柊鰯の頭残りぬ 植ゑ付け前の春の畑の土埃を嘆く媼にわれは諾ふ 玄関の前の花壇にハナ韮の群れ咲きわが家の春を告ぐなり 衝突防止の車発売され次は自動運転と胸躍るなり 34 作 品 一 福島 山 口 嵩 花筏小川の中をくねくねと風は堤に沿いて吹きゆく 花花の色が賑はふ花見山 中国語多く道にとびかふ 濃く淡く日日変りゆく花見山ボケや連翹の出番となりぬ 五年経ち未だ戻れぬ避難者に経済格差ひたひたと寄す 六年目迎へたる今も復興と頑張れの声に喘ぐ避難者 水爆に全町民は追ひ出され許可なく入れぬ「夜の森」の道 埼玉 高 橋 燿 子 青草のなかに明るき色在りて矢車草にけしや菜の花 ちさき傘回して歩む幼子が「さくらさくら」と歌いすぎゆく 背を合わせ従妹同士がゲーム機を振り回し叫び遊びいるらし パソコンのキー打つ吾は独り言多い事を夫はいいたり 半分のままに置きたる玉葱が起き上がる様に青い芽を出す お花見にソフトアイスをたべながら花びら避ける遊びする由奈 鶯の声聞く高尾の頂上にかすむ山なみ大山は何処 川越の道に迷いて中院へしだれ桜の咲き盛る庭 栃木 正 田 フミヱ リハビリから帰宅するなり疲れたと姑言いて直ぐに眠りぬ 朝になり起床出来ない姑はうがい朝食ベッドに済ます 寝る姑の異変に気付く日曜日往診専門病院を呼ぶ ☆ ☆ 35 往診の血液検査にレントゲンに脱水症状が姑の身にあり 脱水症状の治療が自宅で始まりぬ通院入院拒む姑に 正気ではおむつに小水出来ないと叫ぶ姑を二人でトイレに運ぶ 往診専門を選べば自宅が病室にて医師と看護師その都度に来る 点滴のゆっくり落ちて酸素吸い膀胱に管入る姑は在宅医療 治療中の姑の食事と水はとろみつけ誤飲予防を医師は説く 長崎 福 士 香芽子 強風にあふられてゐる花々のいとしくあれど取るなと言はる 八重咲きのチューリップの花強風にあふられゐるはいとほしきかな 奈良の姪の持ち来てくれしチューリップ八重咲きにして美しきかな 春風に咲き揃ひ匂ふ花々に水やりの苦も忘れよろこぶ 年古ればさまざまな故障出でて来て今日は腰痛マッサージに行く まんまるとまるめよまるめわが心まん丸まるく丸くまんまる 「元気なうちに死ぬ事を考へ置くべし」と何かで読んで心当りぬ もうそんな歳になつたと思ひつつ遺言状を書いてみるも 鳥取 橋 本 文 子 水仙と菜の花葉ぼたん連翹も四月の庭に黄色あざやか 石楠花の花びら赤くがく白の市松模様の蕾ふくらむ 病院の併設体操教室に通へば指導者参加者やさし 家庭にて介護の経験する人の意見も聞けて心の和む 36 作 品 一 空を見て大山を見て海岸の松林見て体操の四階 体操室に近き電線に鳩一羽今日も止まりて動くことなし 故郷の神社に鳩は多かりき鳥居の下に豆売られゐて 東京 飯 塚 澄 子 ふと見せる眼力強しちぎり絵になして出展幼き曽孫 来年の会場取りの抽選に破れて帰る浅草寺抜けて 浅草寺朝の九時には観光客押し寄せて桜の花が迎ふる 一週後会場取りの役目ある墨堤の桜花見つつ家路へ 桃色に紅混じる庭の椿赤の大輪まづ我が目引く 源氏終へ次の学びはと問ふ我に式部日記と耳打ちの人 図書館を三つ選びて資料得て式部日記の教材編集 十九年目の詩吟教室担当は福祉会館新人青年 兵庫 三 村 芙美代☆ 幸せの寄せて来るがに一夜にして咲きたる花の匂い立つ朝 花の波揺れる影より垣間見ゆ界隔てたるはらからの貌 知らせたき友に吾が名を告げたりとターミナルケア受けいる友が 嫁ぐ友送る列車の発ちし後見たる鉄路の今も目にあり 怒る力萎えて久しき年毎にうすき命となりてゆくなり 寝た切りになどさせないとこの頃の医療を話す理学療法士 センバツに流れる校歌聞きながら熱き心を取り戻すなり 37 真夜中の不審な音に声出せば風に吹かれて換気扇鳴る 東京 高 島 みい子 脚弱り自分の影にもつまづきさう一歩一歩と踏み出す散歩 若くして逝きたる夫や娘の命継ぎ足し生きるが私の使命 うとましく思ひし炊事が脳や身を支へてくれたる貴重な時間 うつむきてクリスマスローズ揺れてゐる背伸びしたかろ空も見たかろ 朝の日を集めて咲ける山吹の黄が柔らかき葉の上に映ゆ 舗装路の隙間に根を張るタンポポは色鮮やかに日に向きて咲く 折々に心向くまま求めたる小鉢の花はおよそ紅色 ああ夢で夢で良かつたと胸さするバッグと杖を電車に忘れて ☆ 東京 田 中 しげ子 新聞の広告欄の色冴えて頁の数も多くなりたり 新聞を持ち上げ読むは腕痛し小分けに外し読みて行くなり 枝切られし桜の幹に花二輪咲き出でてあり弥生の半ば ベランダより見ゆる桜木ひともとの花の蕾のふくらみ嬉し 露地行けば垣根の内の蕗生ひて庭一面を若葉の覆ふ 夜発ちて明け方の青森駅に着き浅虫海岸を歩きし戦争の旅 糸を引くむすび片手に焼き烏賊を購ひ食みたる函館の駅 茨城 姫 野 郁 子 冷える日に行方不明者の特徴を村の放送が詳しく告げる 38 作 品 一 菜の花と連翹と水仙が裏庭を黄色く包み心晴れたり 枝垂れ桜の六地蔵寺は花祭り小さな像に甘茶をそそぐ 十五本の満開の桜の四隅には人等坐りて静かな宴 四月より平泳ぎ学ぶ先生に手足を持ちて教えられたり や ご ☆ 埼玉 江波戸 愛 子 ☆ 日当りに音たてながら首を振る「くまもん」見おれば眠たくなりぬ 気が付けば目高はおらず水槽に小さき水蠆いる大き水蠆いる 何色の蜻蛉の子かと思いつつ十一匹の水蠆に餌をやる ちちの弟すなわち夫の叔父が逝くちち身罷りて五ヶ月後に 祭壇の写真の叔父に手を合わす「奥飛騨慕情」の演奏聴きつつ 叔父らしき葬儀と思う僧侶居ず戒名なしの音楽葬は ひと回り年嵩の叔父逝きてより夫の溜息日に日に深し ちち逝きて二ヶ月後に同年の田中國男氏逝きたるを知る 栃木 斉 藤 トミ子 摘めば又面倒臭き袴取りせねばならぬに土筆摘みおり 摘みきたる土筆の袴取りながら花粉症病む嫁思いおり 息子には内緒と嫁が我に言うそれだけで只かわゆく思う ザック背負い登山靴にて乗る電車高校生が席譲りくる 譲られて席に坐しつつ今日登る南郷山の山容思う 湯ヶ原の梅林公園登り来て鳶に注意と放送のあり 39 鳴きながら山頂高く舞う鳶急降下してパン攫いたり 鳴きいるは鳥と思いて見上げれば尻尾ふさふさ栗鼠群る ☆ 東京 岩 上 榮美子 今日より新しい部屋に寝る窓より街の夜景眺むる 三軒茶屋駅にも近く桜満開の公園もある そぞろ歩く人々の中を娘と二人今年一番の桜見物 することのなくて時間をもて余す娘持参のサザエさん読む 十日まり嫁の迎へに帰宅せり我家は心落ち着くところ 東京 酒 向 陸 江 渋滞のあなうれしもよ夕暮れの波きらめかせ太陽燃ゆる 輝やける大海原に燃ゆる火は静かにしずかに沈みゆきたり 愛知県産春のキャベツがわっはっは洋子浮かびて思わず手の伸ぶ 寒暖差激しき三月再発をあやぶみ籠る四日が程を 推し測る眼差し鋭く近よりて「元気」と問うも隠す術なし 六度目の申年祝うクラス会理由は毎年考えつくもの 数多いる冬雷読者の級友が詔子の短歌の無いを寂しむ 「体力のあるうち気力のあるうち」と詔子の気魄を皆に伝う 茨城 関 口 正 子 身をふたつに折りて挨拶の仕草するをさなに出会ひ心はれたり 抜かれるはまれな私を追ひこして青年の背が遠ざかりゆく 40 作 品 一 落ちてなほ色と形を保ちゐる赤き椿をよけつつ歩む 茶に濁る海の出湯の底みえず足の先よりすべりこむなり 泡だちて飛沫く荒磯をながめつつ犬吠埼の出湯に憩ふ 身罷りて六度迎ふる春彼岸夫好みし辛夷がひらく 西空に早春の陽がかたむきて見下ろす家並が瞬時華やぐ 水泳を終へて帰宅の身を照らし春の満月大きく浮かぶ 轟がうと唸りて荒ぶ風をうけ五分咲きほどの桜がしなふ 栃木 高 松 美智子 ふたたびの莟つけたる胡蝶蘭の小さき鉢を日向に移す 立ち上がりの遅きパソコン身のめぐりに重き荷物を積み置きしまま 事故あいつぐ高速バスの運転席に注意力モニターの設置されいる ☆ 都営バスに揺られて運ばる晴海通りシビックセンターの目の前を過ぐ 豊洲五丁目三の五の四一七訪いたるなけれど忘られぬ番地 介護機器ソリューション展に命うけてビッグサイトに介護の今見る 坐り心地寝心地あれこれ試しみてあの人この人の顔浮かびくる 丁寧に商品説明なしくるるは営業部長と名刺に知りたり 茨城 中 村 晴 美 春先の強き風に巻き上がる畑の土が空を黄に染む 室外に出して日浅いトマト苗風に煽れ半分しをる 去年の秋種を蒔きたる葱の苗植ゑ頃迎へ畑に定植 41 玄関に山と積みたる荷物消え夫は単身赴任先へと 単身に潮来に住める夫との電話の会話ぎこちなくなる 金曜の夜に戻りて月曜に夫は向かふ赴任先へと 平日は娘と二人簡単な夕食済ます静かなる夜 またひとつ珍しき野菜の種を蒔く風穏やかな春の陽の中 埼玉 大 山 敏 夫 樽状にふくらみゐしかな十九年前初めて持ちたる携帯電話 思ほえば最も辛き日々かさね隠るるごときアパート暮し 人の目を隠れるやうにとり出して話しき出始めの携帯電話 短歌にそんな価値あるか否かわからねど十九年経て懐かしくなし もうだめといふ訴へのごとき幾つありてのちつひにスマホ動かず ケイタイが使へぬは何としても困る環境にてスマホの買替へに走る 電話にメール主にて時々ネット観る程度にてスマホは能力余す 奥は墓地であって散策すべき境内は狭い。往 時は十一院の大寺だった。鎌倉の衰微と近代 では関東大震災で殆どが崩壊。現在は昭和時 代 の 再 興。 浄 智 寺 入 口 の 総 門 と そ の 先 の 石 段は風情がある。時代劇「武士の一分」では、 主人公の妻が墓参の折、佇むシーンに使われ た。この寺も梅、三椏、蠟梅、桜、海棠など 季節の花が美しい。 (関口) 干しぶだうふんだんに入るちぎりパン喰ひたくなりて毛呂山へ行く ◇今月の画像 JR北鎌倉駅を下りると、すぐ左側が円覚 寺、線路伝いに行き、左折すると明月院があ る。右側の県道沿いを歩くと東慶寺、浄智寺 に至る。浄智寺は鎌倉五山の一つ。五山とは 鎌倉にある臨済宗の寺の総称。建長寺・円覚 寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺の順。源氏政権 の後の北条氏が南宋を真似て設定。浄智寺の 42 身体感覚を歌う ㈢ 報 酬 系 と 依 存 橘 美千代 意思の力ではどうにもならない。依存症 という状態がある。なぜなら脳が欲してい るから。よくある依存には薬物、酒、煙草、 ギャンブルなどがある。それを与えられる と脳の報酬系回路をドーパミンが奔るの をよみ入れただけのものである」と記され 文明の『萬葉集私注』には「ただサイの目 さいの目への激しい執着が歌われる。土屋 戯。賭博でもあり、持統朝に禁止令も出た。 白各十二の石を、二つの敵陣にすすめる遊 としての此の芸術性の高さは。 酒と詩境は切り離せない。佐太郎も白秋 も蘇東坡も詩人は皆酒飲みだった。言い訳 真赤な雲の色。 北原白秋『邪宗門』 の色。なんでこの身が悲しかろ。空に 空に真赤な雲のいろ。玻璃に真赤な酒 図は小林古径の「けし」 石川忠久『蘇東坡 参考図書:樋口進『ネット依存症』、 選』 ているが、最古のギャンブル依存の歌かも 街の宿に冒険の仲間を求むといふストー 知れない。 ル の眠りを企てたものか常用による累計か詩 人と再会するを切に願う。百錠とは、永遠 ベンゾジアゼピン系睡眠薬のハルシオ ン。依存性は高いが致死性は無い。亡き恋 街上のしづかに寒き夜の靄われはまづ なってしまった。 めた筆者だったが。ミイラとりがミイラに の若者とコミュニケーションを取ろうと始 健康安全研究センターのHPによると、葉 中学の美術の教科書の表紙絵だった。こ の絵のけしは違法のけしのようだ。東京都 仮 的誇張か。孤独から解き放つ眠りの花園へ しき酒徒にて歩む 実界に連れかへりたし ア だ。ドーパミンは中脳の腹側被蓋野から放 を現 柄がなく葉が茎を取り囲み、モルヒネがと リ 出される快楽をもたらす神経伝達物質であ れるソムニフェルム種の特徴を備えてい リ ー の ま ま に き み と 繋 が る ワ ( イヤ 通信 ) 橘美千代 レバス ー チ ャ ル 想現実の界にまぎれて戻りこぬきみ る。快感へと繋がる経験を脳が記憶する。 拙作を二首。現代の病理としてネット依 存、ゲーム依存がある。パソコン、スマホ る。 ハルシオン 今亡き君はわれを待つそ やタブレット等のモバイル端末、ゲーム機 100 の進化と普及が招いたものだ。ゲーム依存 と踏み入る。もたらす眠りは逢瀬の時を延 佐太郎『帰潮』 佐藤 ゆうべのあめ よいのさと の百錠の果ての花園 大津仁明『霊人』 長する。醒めたくない夢の為の眠りを。 あらず五六三四さへ 一二の目のみには さへ − 3827 (略)晩 雨 人を留めて酔郷に入らしむ わ か る か い ら佳なるに君は会せずや 此の意自ずか みずのかみさま す す め よ う 仙王に属すべし 蘇東坡 一杯まさに水 43 万葉集 ありけり雙六の采 雙六は印度から支那、日本に渡った。黒 16 歌誌「抜錨」発見の経緯と 誌名の由来について 和紙に印刷された歌集にて「熠火」 ・ 「炙生」 ・ あとがきに充当する「葉脈後記」によれば掲 「抜錨」の三章からなり、跋文は田口白汀。 載歌は熊谷が昭和十年三月に現實短歌に参加 以来の作品からの抄出で、作歌開始の昭和二 冬雷二〇一五年二月号 木島茂夫先生生誕 記念号に「抜錨」の名称が出て来る。 たろう。 私にとってもこの雑誌にとっても幸運であっ 「熊谷君の作歌態度をひそかに注視して 田口白汀の跋に 前述の手漉き和紙の紙面使用からも、熊谷 本人にとっても力の入った歌集と言えよう。 約十年にしての第一歌集という事になる。 とにしたとの記述があり、熊谷真沙夫の歌歴 中 村 哲 也 木島茂夫 略年譜 年より九年までの作品約八百首は見捨てるこ 昭和二十二年(三十二歳)二月「抜錨」に 短 歌 雑 誌 』) 一 九 四 六 年 十 一 月 ~ 『 抜 錨 ( 四七年十月 創 ( 刊 号 ~ 十 二 号 、) 揃 十 二 部 稗田菫平旧蔵綴穴、ヤケ、シミ。 このタイトルに、眼を見張った。 入会 とある。その「抜錨」である。 昨年末、インターネット上で目にした古書 店の販売品目の一覧。 インターネットで稗田菫平氏なる人物を検 索すると、稗田菫平(一九二六~二〇一四) 歌誌「抜錨」の発行所は抜錨短歌会。この 抜錨の名称については、冬雷二〇一五年二月 るその意欲的であり先駆的である点に於て君 ゐる時に危いとおもふ位一徹野望的であ 本名・稗田金治。文芸誌「牧人」を主宰した 富山在住の詩人であった等の情報を得た。 念の為、手持ちの現實短歌を調べてみる。 しかしながら、稗田姓の出詠者は無かった。 ちらは故稗田菫平氏の旧蔵では無いとの事。 もあったので、念の為に問い合わせたが、こ 書店には同時に若干の現實短歌誌の売り出し り取つた名称と聞く。」 と あ り、「 抜 錨 」 の 歌 誌 名 が、 昭 和 十 二 年 発 会で、故熊谷真沙夫の歌集『葉脈』中よ た。同会は屋代温を中心とする短歌研究 信を受けて「抜錨」に入会する機会を得 「 本 年 二 月 五 日、 東 京 の 手 塚 正 夫 よ り 来 して作歌活動を再開せんとした当時の参加者 戦後の焼け野原に窮乏しながらも、心の糧と 嘆した(後略)」(原文句読点無し) とあり、結社内でも飛躍の作家とみなされて を目して或者は驚異瞠目し或者は畏敬賛 こ両三年のうちに猛々しく伸び来つた君 ( は吾々の周囲でも目立つ一人である 中 よく思考し探究し克服しつつ念々一 略 ) 路今日の域に自らを君は到達せしめたこ 詩人が何故、戦後すぐに出された短歌歌誌を 行の現實短歌叢書第十三編 熊谷真沙夫歌集 「葉脈」から採用された名称である事が明ら の意気込みが、誌名からも感じられる。 号の木島茂夫「みちのく」自序に 所有所蔵するに至ったのかは、今となっては かにされている。 歌誌「抜錨」はこの故稗田菫平旧蔵書の古 書売り出しの一群の中にあった。販売元の古 不明である。しかしながら長年の故稗田氏の なお熊谷真沙夫の歌集『葉脈』とは、漉き そのような熊谷の歌集の章名でもあり、抜 錨すなわち、錨を上げて出帆する事の意に敗 いたようだ。 所蔵、そして逝去後の古書市場への放出は、 44 短歌雑誌「抜錨」 十一月号 (創刊号)概略 短歌雑誌 抜錨 十一月号 昭和二十一年十月二十五日 印刷 昭和二十一年十一月一日 発行 」のロー すぐ下段に書かれた「 BATSUBYO マ字が、新しい時代の空気を感じさせる。 極めて質素な創刊誌面だ。 以前の現實短歌系の歌誌という位置付けにな 温の編集後記で締め括られている。 秀雄らの作品を掲載した抜錨集。最後に屋代 臥牛、鈴木静、伊豆はるか、池田昭子、秋山 善四郎、笹川琭玲、岡村定造、鎌形武、高橋 義徳、二ノ宮セン、村井康、村上仁子、赤澤 さらに鈴木より子、古屋數智、能勢壽郎、泉 念も」と題した文の後、故熊谷真沙夫の遺詠。 載の十一月集。横尾登米雄の「如何に高き理 「抜錨」参加者には熊谷本人や、彼を知る人々 とあるように、後に参加する木島始め多くの む歌が置かれ、この歌集を彼の霊に捧げたい 林芳枝氏の解説に「巻頭に、熊谷真沙夫を悼 冬雷誌二○一五年二月号、木島茂夫先生生 誕百年記念号の歌集『みちのく』作品抄の小 個々の人脈から獲得したと思われる。 短歌参加者以外の多くの出詠者を、主要同人 で、その結果、終戦直後の混乱期にも旧現實 また後述する藤澤古實と屋代、棒原との関 連性からも、当時も結社外の人的交流が盛ん るのではなかろうか 昭和十二年発行の現實短歌叢書第十編「現 實短歌第二歌集」の作品採録者と抜錨創刊号 を通じて熊谷真沙夫を悼むと共に、生きて詠え 出詠者は、横尾登米雄、手塚正夫、坂本凱 二、益子政太、榛原駿吉、屋代温らの作品掲 の出詠者とを比較してみた。第二歌集への採 る事への感謝の想いがあったのかも知れない。 と あ る。 大 切 な 友 人 だ っ た よ う で( 後 略 )」 榛原駿吉、屋代温。十一月集掲載の主要メンバー 録二百五名中、「抜錨」への出詠者は手塚正夫、 様の大きさだ。 応援と協力に与つた。いづれも田口白汀主宰 冬雷 「)創刊には他に、榛原駿吉(現在歩道 編集委員)、横尾登米雄(歩道幹部同人)、の 冬雷誌二○一五年二月号『青い葉を喰べる 獣』のあとがきに於いて木島茂夫は(筆者注・ 憎し君が隊長 終戦後八路軍討伐に仆れたりなによりも 熊谷真沙夫追悼号の色合いの濃いこの創刊 誌面に於いて、「熊谷真沙夫を悼む」の題が 謄写版印刷、いわゆるガリ版刷にて表紙裏 は白紙となっている。 歌 誌「 現 實 短 歌 」 時 代 の 仲 間 で あ る。」 と 述 策多きをとこのごとくにくまれし君が才 だ。そして遺詠で熊谷真沙夫の名がみえる。 裏表紙裏面には、東京都江戸川区小岩町の 抜錨短歌会の発行所の住所印が押印されるの べている事から「抜錨」は現實短歌廃刊後に、 気をこそたのみしか 表紙最下段に、第一巻第一号 抜錨短歌会 とあり、誌面のサイズはA5判。冬雷誌と同 み。実質十二頁にて発刊の辞も無く、一頁目 その歌友が中心となって創刊された「冬雷」 の前に未亡人とをり 還る日をただ待ちわびてけふここに遺骨 ある屋代温の掲載歌は からいきなり十一月集の掲載が始まる。 45 かた 嶺 」・「 土 筆 」「 み か づ き 」 の 四 誌 と 合 併 し、 今日ありて明日なき命たもちつつ日月す では、当の熊谷真沙夫の遺詠は 交戦で落命した事が判る。 代の掲載歌により熊谷は終戦後の八路軍との の中に身を投じていた事は知れてはいたが屋 「みちのく」から、熊谷が北支即ち中国戦線 ずき甦へれよ君 ここで注目すべきは、これまで木島茂夫歌集 藤澤古實と「天雲」については、藤澤古實 あったであろう。 は意外にせまし とある事から榛原も「天雲」参加者の一人で 焼あとに来りて見れば原町の八八五番地 てなかば埋みぬ 先生の住みたまひけむ壕なるか焼土崩れ 二十三日藤澤邸焼跡と題して 具体的な参加者名氏は明らかにされてい な い が、 本 号 の 榛 原 駿 吉 の 掲 載 歌 は、 七 月 他、数名が参加したとある。 に、藤澤古實の天雲短 編集後記にはその他 あまぐも 歌会の復活と歌誌「天雲」刊行に際し屋代の 今度は肺炎を引き起こし、またもや帰郷。そ しながら用紙の確保や印刷所等の問題に加え 二十一年二月に再上京。掘立小屋を建てて寝 てあったのだろう。病気治療もそこそこに翌 ような参加表明者を得て復刊の手応えを感じ 郷里に残して単身上京。壕の中で生活する悪 直後「天雲」の復刊を目指して藤澤は家族を 発行拠点でもあったアトリエ兼住居を焼失。 郷した直後の、昭和二十年五月の空襲で歌誌 族を郷里の長野県箕輪町に疎開させる為に帰 月及び九月の二ヶ月の歌誌刊行の後、戦況悪 ある。藤澤は「天雲」の編集兼発行者とし八 新たに歌誌「天雲」として同年七月に創刊と 敵に遭はぬ一日のあゆみつかれたり日暮 そ の 生 涯 と 芸 術(「 藤 澤 古 實 」 刊 行 会 編 岳 風書房刊)に詳しい。藤澤は島木赤彦編集当 の後は再び東京に住する事無く、郷里長野で の中に記されていた作品という。 るる流れみつつなほゆく 時のアララギ発行所に於いて、島木赤彦一家・ りかたり飽か なだるる如く迫り来たれる敵兵をひきよ 高田浪吉らと起居を共にし、編集雑務に携わ 銀座ゆき新宿に酔ひ歌を談 雨雲の晴れむとしつつ敵退きし南月山に みやかにいつかうつらふ せて引き寄せて正に撃たむとす 起きし、再び「天雲」復刊を模索する。しか 環境の中、肋膜炎を患い帰郷。屋代や棒原の 化によって休刊。その後、空襲激化の中で家 まづ光さす この事実は多くの歌友が、より一層熊谷の 死に無念の思いを募らせた事であろう。 長男の写真とどきたり大頭稚きわれにさ くに つち 生涯を終えている。結果として歌誌「天雲」 りながら東京美術学校 後の東京芸術大学 ( ) の復刊は幻に終わった。 を卒業。彫塑家として生計を立てつつ、アラ ともかくも、戦後の混乱による生活や物資 の不安定の最中、各々が歌作発表や向上の場 ながら似たる 戦時中の物資統制による用紙統制配給の中、 を求めて精一杯の模索と行動を重ねた結果の ラ ギ 選 者 を 経 て、 歌 誌「 國 土 」 を 創 刊 主 宰。 戦闘行為に従事するという過酷な日常に 遭って、あくまで抒情と調べを重視した熊谷 「抜錨」創刊の快挙と、それを可能にした情 ) 当局による雑誌統合の指導等の時局に応じて 熱に驚嘆する。 続 (く 昭和十九年五月「國土」を終刊。 そして当局の指示により歌誌「青垣」・「高 の作歌姿勢が感じられる作品群だ。 これらの遺詠は屋代の編集後記によると、 熊谷が戦地から屋代に送った軍事郵便の葉書 46 詩歌の紹介 たちやまさお詩歌集 『故郷の道』より㉗ 立谷 正男 落合恵子氏の講演を聞く機会があった。氏 は平和や反原発に精力的に発信している。川 たことを語った。 一人ひとりの暮らしは御先祖様の苦労の うえに成り立っていることを思い知らされ る。戦争も原発もかけがえのない歴史を分断 する。翻って、私たちが詩や短歌を楽しむこ とが出来るのも人麻呂赤人、芭蕉蕪村、茂吉 白秋啄木と先人の残した遺産を引き継いでい 両親がいて の難民の国シリアにも。 れぞれの国にかけがえのない歴史がある。か かったら何と寂しい文学の歴史だろうか。そ る。これらの人がもしも戦争などで存在しな わたしは生まれた 崎 洋という詩人の詩を紹介した。 それは祖父母がいてのこと 私事で恐縮ですが、今度 編の詩を収めた さらには曾祖父母がいてのこと そうやって十代さかのぼると 格 一 〇 八 〇 円。 関 心 の あ る 方 は 立 谷 ま で ☎︎ 二 番 目 の 詩 歌 集『 大 人 の 童 謡 も う い ち ど 故 郷 の 道 を 歩 き た い 』 を 出 版 し ま し た。 価 一○二四人となる 〇九〇 二 - 七三六 八 - 〇八八。 両親を始めとする先祖の総計は この中の一人が欠けても 戦争は 「この中の一人」を殺す 「もう一度生まれかわることができたら」 第二詩歌集より 今のわたしはいなかった いや一人だけではない 美しい心で初恋がしたいな もう一度生まれかわることができたら 未来の数え切れないいのちを 抹殺する もう一度生まれかわることができたら 原発についても避難先の老人が「みんなの 足手まといになるからお墓に帰る」と自死し 野の花のすべてを知りたいな もう一度生まれかわることができたら やさしい音楽の先生になりたいな もう一度生まれかわることができたら 雨ニモマケズのように生きたいな 篇 ◇近刊歌集のご案内 冬雷叢書第 野村灑子第二歌集 『美しいもの捜し』 (短歌研究社刊) 冬雷叢書第 篇 桜井美保子第三歌集 (編集部) * 部数僅少につき、早めにご予約をお願 『駅』 (いりの舎刊) いします。 47 95 96 90 四月号作品二評 赤羽 佳年 ☆ 垢ぬけた感じはないが明るくて歩けば ワクワクする新小岩 吉田佐好子 四句の副詞遣いをカタカナにしたとこ ろが、今風といえようか。一三四句の頭 来てたぞと手に冬雷を持ち呉るる寄合 退けて機嫌良き夫 田中祐子 ☆ 届きたる冬雷まずは経机へ置かせて貰 う何故か習慣 同 一首目は夫婦の情愛が、二首目は謙虚 さが感じられ双方共気取りなく詠んで可。 げ皆に合せてボールもよろよろ ☆ デイの人とイブのパーティでボール投 のあ音が妙味。何となくこの街のイメー 田島畊治 おもわれるので「デイケアに」としたい。 片仮名表記の多い歌だが面白味のある 歌である。初句は、本来ならデイケアと ジが湧き、体言止めも活きた。 静まれる川面は銀に光りたり耳を澄ま せば水流る音 本郷歌子 ☆ 水鳥も魚の動きもなく、決して水量の 結句は詰った感じでもあり、音は自ずと 野火止の疎水に張り出す楢の枝木の実 多 く な い 冬 の 川 面 の 様 子 が う か が え る。 下句にユーモアがあって好感。 表れるので、「水の流るる」では如何。 落として水の輪つくる 長尾弘子 ☆ 叙景の歌であり、嘱目詠で一瞬を捉え 細いのも具の片寄るも混じりいる妻の か、 二 句 に 進 行 形 を 見 る。「 轟 き 落 ち る 作れる恵方巻には 和田昌三 ☆ ている。結句「水の輪」は一語として「水 輪をつくる」としてもよいか。 三句の「混じりいる」で感じ取れるの 喜怒哀楽淡くなりゆく日常に轟き落ち は、 正 常 な も の も あ る と 言 う 事 で あ る。 る屋根の残雪 関口みよ子 ☆ 三句倒置も活きた。因みに今年の恵方 は、 感動、感受性の衰えを言うのであろう 南 南 東 微 南 で あ っ た。 関 東 で は 歴 史 は 浅 い が、 関 西 地 方 で は 昔 か ら 商 売 繁 盛 を 願 い七福に因み七つの具材を入れるという。 屋根の残雪」の下句には、活を入れられ た思いなのであろう。 復興の担ひ手になる新成人にひたすら 祈りぬこの地に在れよと 金野孝子 振袖の孫眺めゐて中学校卒業前日の津 波を思ふ 同 一首目二句に「担ひ手になる」と言い 切ってはいるが、結句のように切望する 気 持 が 強 い。「 ひ た す ら 祈 り ぬ 」 に、 二 首目の年代に期待する願望が強い。 ☆ 子育ての楽しき日々を語りつつ思いが けなし三時間過ぎぬ 飯嶋久子 自身の子育て時代には諸諸の苦労も あったろうが、楽しい思い出のみがよみ がえる。四句切れにせず続けたい。 ☆ カップの紙はがして裏のヨーグルトな めてる顔は孤独そのもの 矢野 操 初句は「カップのふた」としたい。私 なども、駅弁のふたについた飯粒から食 べはじめる。結句に作者の鬱屈をみる。 手作りのたくあんの味シンプルでポリ ポリ一本すぐになくなる 伊澤直子 ☆ シンプルに意味合いがある。三句以下 リズミカルで想像を誘うフレーズ。 48 しょう。 それぞれ自らを重ね思いを馳せることで 二人居、そして一人居の豆撒き。これ も人生の長い晩秋の歌。どう感じるかは ブルーのバケツ 関口みよ子 氷点下の朝覗けば同心円の氷が眩しい の時の季節感を歌うのは良いと思う。 いずれも暖冬を歌っている。今月号は 暖冬を歌った作品が多かった。素直にそ 四月号作品二評 とつぜんの電話の声に思案せり短歌を ☆ この次はパワースポット巡りなど計画 中村 晴美 立てる近場の遠足 吉田佐好子 いると想像できる。直な表現より読む 側 での季節商品の変わり身の早さを歌った 新仮名なので結句は「歌も流して」で も。二句三句も文字が多過ぎ。スーパー ひな菓子並べ歌も流しぬ 樗木紀子 スーパーは商魂たくましく二月四日に 縁。大事にしたい。 ☆ ネット見て合否確認出来る今書留待ち ているとか。防災に気は抜けない。 のが明白。震災後、日本は揺れやすくなっ 震災から五年。子の成長は早い。やは り原発で被災してない地域は復興が早い 波を思ふ 金野孝子 振袖の孫眺めゐて中学校卒業前日の津 に想像させる方が作品に広がりがある。 暖冬とはいえ東京でも氷が張る日も あった。氷が眩しいで太陽の光が当って ☆ 見たよとなつかしき人 岩渕綾子 外向きの歌は読む側も気持ちが良いも のです。生々としたパワーが伝わります。 見つかって恥ずかしいような嬉しいよ うな。どこで繋がるか分からない人との 素材の良さは光ります。 いし昔懐かし 山口めぐみ ☆ ベランダの隙間を抜けて来るねこは吾 少し前はパソコン、今はスマホ片手に 買物も情報収集も気楽にできる。これだ 二人居の家元旦に静まりてきのうと同 と目の合ひのそりと帰る 西谷純子 け便利になったのに日々が昔より、せわ じ夜の更け行く 本郷歌子 動きがあって良い歌。日常の小さな出 来事を上手く歌っています。 しい。のんびりは日本人の体質に合って ちちはは ☆ 男親は不器用な愛情表現で子とぶつかり 父との確執で悩んだろう作者も孫のい る年に。親だからと完璧なわけでないし 微笑みかける 野崎礼子 思い出は良きことのみ蘇り写真の父が 秋を生きるのも難しい。 は想像以上に長くなる可能性が。長い晩 かつて賑やかな時期もあっただろう家 に今は老二人。長寿の今、老二人の時間 やすいもの。時間が人を優しくさせる。 河津桜正月前に花の咲く尾張の里も異 ないのか。 ☆ 父母も幼なの声も遙かにて妻と吾との 常暖冬 田島畊治 ☆ ☆ 豆撒き終へる 立谷正男 山肌のあらわな富士山バスに見て異常 ☆ 気象を目の当りにす 石本啓子 一人居の節分の豆新聞紙に纏めて撒き て福は内なり 糸賀浩子 49 作品二 茨城 立 谷 正 男 三月に入りて彼岸を望む朝家居に近く雉子の声立つ 笹なかを出でて鶯柔かに芽吹きの山のをちこちに鳴く オレンジの蕊を守るとクロッカス日の傾くに花びらを閉づ 春彼岸線香のかをり流れ来てまた原発に逝きし人思ふ 女子学生奨学金を風俗に働き返すと聞くは悲しき 訪ね呉れし母を写真に納めたる枝垂れ桜の公園歩む 帰りゆく時惜しむがに渡り鴨山の桜の岸を移ろふ 東京 佐 藤 初 雄 躄り寄る日向の窓の庭柿は新葉萌え立つ輝きのなか 寒気去り明るき日差しに木蓮の並木路の花白く咲き継ぐ 街路樹の木蓮の花白く咲き我が住む町は春の盛りに 育てたる挿し木椿の鉢幾つ今年初めて蕾あちこち 電車にて初めて席を譲られて後期高齢と謝して座し居る 病院の待合室にマスクして居並ぶ人ら語らいも無く 苦のひとつ些か弛む治療終え生きる願いを確かめて来る ☆ 海蔵寺小門 鎌倉市扇ガ谷 50 作 品 二 灯を消して手足伸ばして床の中今日一日の息太く吐く 茨城 吉 田 佐好子 肌寒い早春の庭いち早くたわわに咲ける白ユキヤナギ いさぎよい白さが映える木蓮はロケットのよう天空めざす 奔放に腕を伸ばしたユキヤナギ風に揺られて細枝しなる 細長く葉牡丹伸びて陽のあたる方に向かってカーブを描く 日中と夜の温度差ありすぎて風邪気味なのか花粉症か 風吹けば杉の木揺れて見えねども花粉の舞うを鼻で感じる 新学期始まり登校の一年生ちょこちょこ歩く黄色いヒヨコ きょうだいは一人か二人またはゼロ祖母の時代の何分の一 ☆ 埼玉 倉 浪 ゆ み 近況を語り終へたる四姉妹堤のさくら息つめてみる 一本の桜ひつそり咲きにけり私の桜ひとり見る花 図書館のガラスの外をふうはりと桜花びらほたるの如し 玄関の赤と白の沈丁花にほひ保てり半月ちかく 薄ずみの空に淡あは白木蓮すひこまれさうに咲きしづもれり ふきのたう数へつつ摘むそつと摘む春の香りに指は染まりて 卓上に我の作りしお赤飯ピザもならびて入学の日の夕餉 菜の花にタンポポ連翹土佐水木黄の花多し春はうらうら 春休み園児の居ない園庭にブランコのみが風と遊べり 51 埼玉 浜 田 はるみ 四人で別荘に泊まる女旅学生時代を思い出したり 昼食はあんこう鍋に生ビール運転手だけノンアルコール 海沿いの鮮魚市場は盛況で価格と量と種類に驚く 露天風呂もある温泉は真黒なる湯が珍しく体ぽかぽか 朝食後浜を散歩すドドッという波の音が体に響く 好物の丸干し芋を手に入れてどんどん荷物が重くなりゆく 初めての鹿島神宮と明太子パークに寄りて帰途につきたり 埼玉 野 崎 礼 子 薄紅の桜隠しの雪が舞い信濃の春は行きつ戻りつ 採れたての冬菜の緑鮮やかに食欲の増す古里に来て セーターが一枚だけではまだ寒し炬燵にあたり桜眺める ケイタイの待ち受け画面に桜満つ病室にいる友にも送る 文豪にふと出会えそうな神楽坂路地裏に聞く三味線の音 明るめの服を好める友といて我の心も春めいていく おかしいよ本音で呟く友がいて柔軟な心取り戻したり ☆ ☆ 青森 東 ミ チ 庭ぬちに先駈けて咲く福寿草煌めく花に気持ち上向く 去年より計画したる庭ぬちの擬宝珠の移植にスコップ使ふ 擬宝珠の移植にスコップ深く差し梃子の原理に体重乗せる 52 作 品 二 スコップの木の柄が「バキッ」と音のして同時に我は尻餅を突く スコップの柄が折れるとは思はざり検査結果は尾骨に亀裂 尾骨打ち坐るも寝るも痛き日々腹這ひて花のカタログ捲る 公園から我が家の居間がよく見えると子が来て市販の目隠し立てる 整形医院にホットパックとふ手当てありコンニャク熱して我代用す 茨城 糸 賀 浩 子 早朝の厨に持てるオリーブ油つめたく固しやよいの寒さ 満開のさくら草の鉢もらいたり来年咲かす種取り用と 花かんざし今年は白が多く咲き彼岸の客をよろこばせおり すぐに乗る事なき「北斗」でもなぜか心はずめる開通の日は 陽に当たらぬ竹の子の肌柔らかく父母・夫に供う炊き込み御飯 生きのびて術後一年庭の面に椿散り敷く夜の戸をとざす 放射線治療同期の気の合う五人筑波のさくら見つつ食事す ☆ 岩手 岩 渕 綾 子 歌会に体調くづし行かざれば気遣ひくるる絆ありがたし 農道の傾りに見ゆる物体を見知らぬ人が土留めと言へり 農道に様変りして目まぐるし家建つらしく基礎工事中 高台にまんさくの花咲きみだれ散歩の吾の意欲みなぎる 国道は車のラッシュ続きをり老いたる人の姿は見えず 吾がまちが「復興特区」に決まりたり津波にめげず未来を築く 53 わが住めるベランダ前のしだれ桜今日開花して気も漫ろなり 岐阜 和 田 昌 三 選挙戦昨日終りて静かなる朝を迎えて投票に行く 山里の地に義民碑を尋ね来れば落花は注ぐ碑にも我にも 近隣の男の帰り来たるらし「只今」の声静夜に響く クラス会の案内出すも大方は体調不良で欠席と言う 予想より開花早くて殆どは散る公園に「花見の宴」 歳ゆえに店閉めるらし評判の岩魚の塩焼き食べに向かいぬ 四十人ずらり並びて三味を弾くその主宰者は教え子なりき 埼玉 田 中 祐 子 アパートの幼稚園児が越し行きて賑わいし声を寝しなに思う 輝きしその人生を想いつつ寂れる伯父の墓を清める 俯きて五弁に白く咲く花の鉢植えひとつクリスマスローズ 昨年は何故か咲かざる君子蘭今年の花序は十三を数う パンジーの揺るる庭先黄の蝶が今年はじめてふわふわ舞い来 部活動 歯の矯正等活発に日日熟しいる少女を励ます 東京 樗 木 紀 子 三月の連休遠出に自信なく高校野球をテレビ観戦す 亡き夫が応援したる出身地の鹿児島実業初戦勝ち進む 亡き母は平安高校のファンにて甲子園まで応援に行きし ☆ ☆ ☆ 54 作 品 二 老人会の地域グループの花見会満開の下無事に終りぬ 車椅子の夫と最後の花見会に参加したりき満開なりき (錦糸公園にて) 東京 石 本 啓 子 歌の評は亡き夫と息子に触れ励ましと優しさ伝わりてきぬ 本堂にサンバのリズム響きおり灯明揺れる春彼岸供養 人伝に友の病聞き電話して脳腫瘍の治療中と聞く 絵と革の教室続けいる友は病隠さぬ前向きの日日 とど 平戸のザビエル記念聖堂に入りロープの奥の祭壇を見る 唐津湾のゆるやかに曲がる海岸線「虹の松原」を止まり眺む 玄関の小ぶりの鉢を覆う花韮は気儘に伸びてゆらゆらしおり ☆ 東京 西 谷 純 子 雨の降る一日炬燵で過ごす午後再放送の相棒を見る 駐車場に忘れられゐし乳母車床に付きても気にかかりをり 長く長く引き潮にのる花筏大横川をゆつくり下る ☆ 夜空仰ぎ明日は晴れると思ひ込みシーツと掛布団カバー洗ふと決める 一本の山桜見付け腰下ろし親子三人弁当広ぐ 春 東京 林 美智子 辞書ノート筆記具揃えつつしみて少しずつ読む『低き山々』 赤褐色の明るき胸毛はモズの雄 黄緑淡きクロモジにおり ストーブを焚かぬ日続き黒豆を煮るやわき湯気間遠となりぬ 55 地区会館の二階の障子みな外し桜満開の和室に坐る 夫の禁酒七十日目コーヒーによもぎ大福が好物となる ここだくのカリンの花の空に映ゆ 今年格別と夫と見上ぐ 東京 長 尾 弘 子 啓蟄の昼下がりなり膨らめる苔の緑を虫越えてゆく あした 夜すがらの弥生の雨の明けたれば花粉情報真赤な表示 あたたかき朝となりて窓外は霞みておりぬ桜盛りて 風邪なのか花粉症かとすごす日の気分もふさぐ花の季節も 無視したる非通知電話の留守電に答えて下さいとアンケート流る ☆ 岩手 及 川 智香子 街中にかくも各所にありしかと花咲く梅の木を見つつゆく 梅過ぎて桜開花す吾が街の津波を被りたる標準木強し 海を背に屋根越しに咲く八重桜居間より眺む幸せのとき 大型の店舗ホテルの建設中新たな町の息吹き伝はる 掻き消えたる高田松原に再びの白砂のニュース心ときめく 甲子園釜石高校の初戦突破いさをしの感被災地に満つ くれなゐ 岩手 金 野 孝 子 友よりの傘寿祝ひのシクラメン無事に咲き継ぎ四年となりぬ 煤色のシクラメンの蕾ゆつくりと日を追ひ膨らみ開く 紅 満開の梅は陽差しに輝きて花弁それぞれ生き生き空むく 56 作 品 二 生前の母が使ひし洗ひ鉢吾が流しにて十八年となる 洗ひ鉢使へば思ふ海見ゆる流しに母の立ちゐし姿 チキンライスとライスカレーは遙けき日母が得意の洋食なりき 幾度も白髪のままを決めたるにやつぱり染めて黒髪保つ 如何ほどの作用か染め落ち少なしと試しのシャンプー美容師くれる ☆ 東京 富 川 愛 子 通院の往きには五分の桜花帰りは満開四時間の陽ざし 十年余会はぬ義妹は重病と聞けば急ぎて見舞ひに訪ぬ 久々に上洛すれば驚きぬ烏丸通りの変貌著し 繰り返す入退院と知る今は点滴にての治療のみといふ 昼夕と娘に食事を運ばせて家の味のみ受け入るるらし 香川 矢 野 操 猪熊の〝鳥〟の洋画さながらに野に白鷺の十数羽立つ 二月だがテレビ画面の通行人「汗ばむ」という気まぐれ気温 焼いもの安納いもと紅はるかみそ汁の具に共に入れたり 幸運はつかみきれない水張田に写る五月の鯉のぼりかな かけている眼鏡を捜すわがあほうこのごろ度数が進んだもよう 十五時に講座が終わり十分後八番ホームの「南風」にのる ボイストレーニング 東京 髙 田 光 筋肉をほぐして声を出せと言ふボイストレーニングストレッチ付き 57 訓練にアイウエオアオ繰り返し緩急付けば皆笑ひ出す アマチュアのガイドなれども声を出す仕事にあればまづは精進 朝々に鏡に己が顔写しアイウ唱ふれば妻嘆くらむ カキクケコ鼻濁音にて発すれどパソコン表記いまだ適はず 吾が前の遅き歩きにいらつきて追ひ越し見ればスマホ操る 四度目のパソコンモバイル変更はセツト割り引き安値に弱い 無料にて新たなスマホに交換すサムスン嫌ひの妻手を打てり ☆ 東京 山 本 貞 子 風のなく薄日移りて干し物の乾き切れぬと部屋に見てをり バスの時間気になりゐるも前をゆく杖をつく人を追ひ越せずをり 一人居のわれを気遣ふ子の電話に介護する身をいとへと言ひぬ 墓参りして帰る道子がわれと共に歩ける喜びを言ふ 足早にごみを出す朝だれ彼と挨拶交す声の明るさ 冴える眼に浮かぶ幻想打消して眠らむとするを繰返すなり 埼玉 山 口 めぐみ あと一日最後の入試翌日に控えて受験の一年終わる 催花雨という語を初めて聞く今日の雨に温もり僅かに感ず 受かったよスマホ片手に階段を駆け下りてくる子の笑顔 入学の準備期間の短さに用事が山積み焦る毎日 数年間行ってなかったお花見に今年こそはと満開に来る 58 作 品 二 スーツ着たる息子とふたり入学式桜の下で笑顔を写す 栃木 本 郷 歌 子 ぶり返す膝の痛みに苛立つも雛飾る手はしなやかに動く 残業の足取り鈍く帰るとき満月ありて沈丁花香る 時ならぬ暖かき日ありて胸弾むクロッカスの花開くを見つつ ペダル踏む足に力込め立ち向かう向い風にも歳にも負けじと ふりそそぐ春の日射しを楽しまん菜の花群れ咲く土手道を行く 青き芽の連なる枝は風に揺れ柳は二階の窓ガラス打つ くれない 鈍色の細き流れの幾筋か花に雨降る庭を横切る 紅 の花桃満開となりたれば幹蔽う蔦の緑隠るる ☆ ☆ (美ら海水族館) 東京 伊 澤 直 子 沖縄の桜木すでに青葉にて小き実の生る三月半ば 雲間より青空のぞき海光るこれぞ沖縄エメラルド色 弧を描く高き石垣に囲まれて礎石の並ぶ座喜味城跡 巨大なるジンベエザメの餌やりを運よく見たり立ち泳ぎで食む 樹齢二百年台風から身を守るというガジュマルの気根無数に下りる 海辺にはきのこ型なる岩多し琉球石灰岩の侵食されて (☆印は新仮名遣い希望者です) (新宿御苑) (小金井公園) 海ぶどうプチプチとろりの食感は現地ならではの新鮮なもの 芽ぶきたる雑木林の中に咲く桜の醸す雰囲気が好き 満開の桜の傍の青もみじ陽にあざやかな色見せており 59 四月号作品三欄評 いで「めぐりに咲ける花に息づく」等で 情緒よりまずは頭をよぎりたるこの大 緩やかな気息を感じさせる歌になる。 る。然しながら助詞の扱いは良くない。 量の雪の始末を 廣野恵子 これも前掲の歌と似た内容であるが、 直截的でない表白に叙情を感じさせてい 「降雪の予報に曇る空の下」で整う。 今年は都会と称する所にも大雪が降り 積もった。普段は雪景色の情緒に憧れて ☆ 羽毛布団軽いと思ひ抱へたるにひとり 人前に話下手なる吾なれば歌会の席の 水谷慶一朗 で持てず介護士を呼ぶ 池田久代 思いもよらぬ風情になった。 始末を先ず考えたと言う。情緒纏綿など いたが、この大雪に愕然として雪のあと 歌会の席で消極的な自分と比較して意 見を活発にする人は輝いていると、些か ☆ 卑下している。歌会の発言は饒舌だけで 窓を背に日向ぼこしつつ冬雷を読みて 皆輝きて見ゆ 佐々木せい子 も な ら ぬ 状 態。 三、四 句「 抱 へ し が 身 動 では歓迎されない。核心を突いた意見を 学ぶは土屋文明 野口千寿子 高齢者の錯覚は、若い頃に染み込んだ 体の感覚である。羽毛布団を抱え如何に きならず」では。五句は実際の聲。 的確にしかも端的に述べることにある。 戦時資料館あたりでの嘱目か。若くし て戦陣に散った学徒兵、特攻隊員の遺し 過ぎなお忘れ得ず 木村 宏 示されている。大いに学んで下さい。 に対して冬雷誌の姿勢、態度を詳らかに ☆ この花の何処に毒のひそめるか茎隆隆 五句「輝く人ら」で理解できよう。 として福寿草五つ 村上美江 この歌の下句は「四斗樽」以後の土屋 文明の歌として六回の掲載を以て完了し た辞世の歌など泪なくして読めないもの 切り置きし桜の薪くどに燃え黒豆煮え 福寿草の有毒云々は知らないが、元日 草とも言い春さきがけの花である。下句 「茎隆々と福寿草咲く」でもいい。 である。下句は「七拾年過ぎていまだ忘 て釜のあく取る 藤田夏見 今年の梅は開花期前半は温かく、早く 咲き始めたが寒の戻りで開花は散々であ ☆ く る釜にあく取る」で的確になる。 4 ☆ 薪をくどに焼べ」に。継いで「黒豆煮え 4 には過去回想の助動詞「し」の誤用慣用 た、大山先生の論考を指している。ここ さむ空の下に日差は日々強くなりきて れず」がいい。「得ず」は詠嘆が弱い。 マニラ湾の夕日を詠みし学徒兵七拾年 つた。三句の「日々強く」は俗。せめて 坂道を幾重も登る道すがら梅や椿の花 クドは竈のこと。煮豆の一番美味しい 炊き方だが今時珍しい。二、三句「桜の ☆ ☆ 「日々に温くなりつつ梅の蕾ふくらむ」 にひと息 川上美智子 ☆ くらいの方が収まりがよい。 気分の解かる歌だが「梅や椿の花」は 特に「や」が不味い。寧ろ花を限定しな 梅の蕾ふくらむ 卯嶋貴子 雪の降る予報の曇り空の下今年最初の 梅が咲きたり 大塚雅子 60 四月号作品三欄評 関口 正道 土色の小鳥が空へ登りてはすぐに降り 共有していればこその実感だろう。 「 離 せ 」 と ぞ ひ び き わ た る も 露 と 消 え 松の廊下はつはぶきの花 松本英夫 旅館に類する仕事なのだろう。その合 間の縫ってのことにしても、何ともパワ フルな作者。感嘆しきり。だが決して無 皇居東御苑の一角に「松の廊下」跡は ある。作者は石蕗の花を見て往時を偲ん ☆ 母上は自分で「パー」と言うのなら自 分の状態を自覚しておられる。だからこ 卯嶋貴子 人も居るのだと思っても見る。 若いがなかなか表現力豊かな作者。如 何様にも解釈できる。擦れ違いたくない にて歩速を決むる 中村哲也 ☆ 列 乱 し つ つ 児 玉 孝 子 ☆ で躍動感がある。 をよく観察されていて、下の句が具体的 ☆ 決して可笑しくはない歌になる。 三十一文字が過不足なく声調よく短歌 の見本のような歌。児童の登校時の情景 初雪を踏みて児童の弾む声真白き道を 単にテレビ観戦だけではなく父親と沿 道で応援されたことがあったに違いない。 年も快晴 佐久間淑江 亡き父と共に応援し続けた箱根駅伝今 のだろう。確実にエールを送りたい。 そ の お 道 化 だ ろ う。「 胸 を 痛 め て 」 ま で コロッケキャベツメンチチキンボール 高齢化社会、看護師は社会から要求さ れているし、娘さんもこの道に進まれる 学校入学の娘 加藤富子 これからの道を求めて進み行く准看護 だ。多分夫婦で探訪されたのだろう。 理をされないようにと祈るばかりだ。 速達で合格通知が届いた日家族全員バ 来て又飛び立ちぬ 村上美江 ンザイをする 永野雅子 ☆ 特に野鳥の観察をしているわけではな いと思うが、鳥の動きをよく捉えている。 一連の歌、前半はハラハラする。少な くとも五人は勘定できる家族でバンザイ は気持ちが判る。娘さんは幸せだ。 「土色」との表現が作者の正直な感想。 笑みて「吾はパーなの」と言い手をか 朝朝の駅への道にすれ違ふ人との位置 言わなくても十分解るので下の句は、他 ☆ ざす母を介護する胸を痛めて の言葉にすればさらにこの歌は生きる。 等購入金額約二千円 山口満子 ☆ 箱 根 の 山 登 り は 過 酷 過 ぎ る。 来 年 か ら 5 ど う せ な ら「 等 購 入 金 額 」 を カ ッ ト、 区の出発点は又、箱根湯本に戻される。 もう一品追加し!「二千円也」としても 申年の逆打ち遍路は御利益のありと誘 はれ五ヶ寺参加す 植松千恵子 子育ての思い出多き友つどうそれぞれ の子らが当時の我が年 廣野恵子 斯く言う筆者も申年。四国遍路はした いもの。御利益には関係ないが「坂東」「秩 父」観音霊場巡りは数回したが。 この歌、どこかで説明している気がす るが、多分同窓会なのだろう。子育てを ☆ 友を見舞い日帰りで山形より戻り客の 接待のいちご狩りせり 中山綾華 61 作品三 群馬 山 本 三 男 カーテンを閉ざして一人居る部屋のテレビに映る人間の顔 暇なとき観んと思いて録画せしテレビ番組観る時間なし 知らぬ間にここの空地に家の建ち洗濯物が乾されていたり 年若く見らるることがそんなにも大事なこととわれは思わず 賑やかな若者向けの音楽が聞こゆる店にいらだちており 給付金三万円の申請の書類を書くに疲れを覚ゆ 軒下に置きしレモンの鉢植えはどうやら無事に冬を越したり 膝弱き妻を乗せ来て長瀞の桜並木を車で走る パン買いにスーパーへ行く道すがらハトを襲えるカラスを見たり 絶え間なくしゃべり続ける女居るレストランから雀が見ゆる ☆ 東京 鈴 木 やよい 初めての写経に肩はこはばりて堂の窓より河津桜見る 墓参終へ農家の裏山目指し行くカタクリの群れ咲くと思ひて 猪の掘りたる跡の残る土カタクリ傾ぎて蕾つけをり 一株の菜の花狭き中洲に咲き流れに囲まれ黄の際立てる 海蔵寺庭園 鎌倉市扇ガ谷 62 作 品 三 注連縄をつけたる桜は曇天に淡く浮かびて境内静か サイレンを鳴り響かせて救急車は散りたる桜踏みて走り去る 色冴ゆるキウリに茗荷を合はせ入れ夫が作る浅漬けうまし 東京 卯 嶋 貴 子 薬局の待合室に飾らるる山の写真が毎月変わる 公園の芝生の広場に園児等はまあるく輪になり先生と踊る 花吹雪するくにたちの並木道を母と二人で車でドライブ 満月の下に満開の桜のはな陸橋から見き母が元気な頃 花が散り小さき梅の実数多生る今年の梅は如何に漬けん ☆ ☆ 静岡 植 松 千恵子 鶯の鳴き声ケキョケキョからホーホケキョと毎年聞くのみ姿を見たし 裏山に鴉の群れて鳴き騒ぐヒッチコックの「鳥」を思ひ出したり 震災の教訓と言ふが海はどこ城壁めく高き防波堤あり 小松菜の種蒔きし後冷え込みの続き今日は見る小さき芽あまた 桜咲く放映見たる翌日から上着を羽織る寒き日続く 茨城 乾 義 江 沈丁花垣根を越えて綻びて甘き香りは我を追い来る 霞たち視界不良の海沿いを目をば凝らして車走らす 成田山あれよあれよとのぼりゆく米寿と思えぬ義姉の健脚 白波をたてて寄せくる潮騒の太平洋に雨は降り注ぐ 63 義姉も淵われも淵なる過ぎし日を語りて尽きぬ宿の夜更けて 潮騒の聞こえる岬に犬吠埼の灯台しずかに光放てり 若くして闘病むなしく夫君逝き野辺の送りを済ませしと言う 岩手 佐々木 せい子 こもり居る傘寿の身には春爛漫うれしきものぞ高揚止まず 道端に杖をやすめてふと見れば寺山の桜すでに満開 真新しき娘の赤きスキー靴重くて吾には持つこと出来ず 玄関のスキー靴見る友の顔おもさにおどろく目をまるくして 大船渡にホテルルートイン進出し従姉妹のホテル安心ならず 目を閉じて居れば来し方眼裏によみがえりきて今宵ねむれず 春の陽気定まらず厚着するわれの出掛ける先はやすらぎの会 ☆ ☆ 桜 神奈川 山 本 述 子 町びとら花見和やか手作りの「ちらし」「豚汁」お代りもあり 参道の夕べの桜提灯の並び灯りて幻のやう 花吹雪香りともなひ舞ひ降りぬ深き息して花びらを浴ぶ 夜桜を仰げば「きれいだね」と聞ゆさうだ明日は夫の命日 東北に花咲かせんと桜樹の苗育てをり総持寺の庭 塾生の去りたる後の淋しさは花追ふうちに消え失せにけり 福島 中 山 綾 華 暖冬で吾妻小富士にあらわるる雪うさぎさえ去年より早し 64 作 品 三 長年に増えたる水仙庭中に白やオレンジ青空に映ゆ つねよりも早く満開の訪れて夢いっぱいの花見山あり 観光バスみごとに並ぶ駐車場中に黄色のはとバス目立つ 岩手 斎 藤 陽 子 ありがたきふるさとの山切り崩し被災の町に嵩上げの土 生きたまま鍋に入れられ鳴きながら煮られたる蟹なんと残酷 亡き祖父の語りくれたる人生訓高齢我は今こそ指針に 被災地の高校野球母を亡くしし選手ときけば涙にかすむ 米粒をまき散らすやうに雪柳小花を散らし持ち来る伯母は 春耕の時むかへたり膝を病む伯母もいきいき芋植うると言ふ 春の海のたりのたりとは詠みたくなしあの日の海は悲しいから ☆ 久しぶりの同級生の電話にも誰かの訃報かとおびえをり 茨城 豊 田 伸 一 初搾り呑む胃に染みる吟醸酒久し振りにて極楽感ず サッカーを終えきて孫が風呂に入りいつものように長湯につかる 春の日の温もり求め窓に寄る太陽の恵みありがたくして 隣りの児が母と話をする声に思わず我も聞き耳たてる 修理後に戻りたるわが自動車はパーツ交換で事故車に見えず 春の陽に芽を出す庭の雪つばき我の病に快方のきざし 春の山見渡すかぎり白淡く芽のいきおいの日増しに盛る 65 高知 川 上 美智子 真新しき車道踏み締め歩みたりバイパス開通記念ウォーキング 陸橋が幾重もアーチ作りたる変わる我が街インターチェンジ 雨ののち日差しの向こう虹架かる初孫誕生知らせが届く 咲き溢る梅は息子の卒業記念二十年なり今年の春は 初鳴きのうぐいすの声舌足らず散歩の足止め聞き澄ましおり 水田は代掻き終わりさざ波が桜の花の下に立ちおり 東京 永 野 雅 子 自宅より通学出来ぬわが娘再び始まる寮生活が 今回は家を離れても寂しくないと笑顔で語る娘の成長 玄関に積まれた荷物を宅配に出してすっきり空晴れあがる ☆ ☆ 入学式に千葉に向かう朝どしゃ降りでアクアラインからの景色も霞む 肉じゃがをよく作れたねと誉めおれば得意気にiPad娘は見せる ☆ 埼玉 星 敬 子 星谷寺の庭に可憐な花ひらく「咲き分け散り椿」めづらしき花 岩殿寺登る階段百五十観音像は飄飄と立つ ふと見れば我が庭の辺に凛としてカラーの花は大きく開く ひらひらと花吹雪する通学路体操教室の終りて戻る 春の雨しづかに降りて川土手に芽吹く柳の翳りは青し 東京 廣 野 恵 子 66 作 品 三 大悲願寺は桜並木の先という花のむこうに大屋根見ゆ 横沢の丘陵に建つ多摩の古刹静かさの中春の華やぎ 山門の仁王像に見つめられ階段のぼる我は背のばす 本堂の小さき窓より拝すればひっそり輝く大日如来 ニュースではうるさい程に花便り空をみながら花見を決める 来てみれば思いおこさる両親の花を見あげし感嘆の声 東京 山 口 満 子 休日にふいに夫に誘われて今年も国立の桜見に行く 車から咲き始めたる桜見上げ「もう少しかな」と夫は呟く 楽団の奏でる曲は緩やかに流れるようで眠気を誘う 先に立つ母に従う遊歩道散り際の桜しばし眺める 久しぶりに義父母の家を訪れて庭のノラボウを土産に貰う 春爛漫 茨城 木 村 宏 メールやめ文にて伝えん我が想い気ばかりあせる老人の春 紅梅のういういしく咲き出でてほっぺの赤き乙女となりぬ ピンク濃き河津桜は咲きそめぬ弥生の空の青く続きて 梅の花西日の中に飛んで行く激しき風に枝ならしつつ 真紅なる椿の花のあでやかさ今宵ルージュの映える娘よ 桃の花その紅色の柔らかさ吸い寄せらるるように見ている 花の色匂い立つ気のうすれ来て樹齢四百年の桜は寂し ☆ ☆ 67 栃木 川 俣 美治子 爪赤く染めてみたものの恥ずかしいいや大丈夫心うろうろ コーヒーを片手に外へ目をやれば空にも地にも春色いっぱい 忙しく過ぎつつまわり見えていず気がつけば春のまっただ中に 遠く近く見渡す限り春満ちて携帯片手に歩くあぜ道 草取りをする手にのるは目覚めたるばかりか小さなカエルがひとつ 電線に早くもつばめ二羽並ぶ背中の黒が青空に照る いつの間に降り出した雨夜のせいか過去へ未来へ私をいざなう 愛知 鵜 崎 芳 子 JR名古屋駅前様変りリニア開発でピカピカのビル わが街の春日井市の地下深く掘りリニア通すと聞くは複雑 桜の木芽吹き始める四十雀ツッピツッピと鳴き枝から枝へ 仰ぎ見る雲ひとつ無い青い空春の日差しにうきうき歩く ☆ ☆ ウォーキングの枯草の土手日差し受けあちらこちらにタンポポの咲く うららかな日差し浴びつつ来たる道初目撃の白きタンポポ 裕子 奈良 片 本 はじめ 検死終へ冷たき君の手と頬を撫づれど涙は一粒も出ず 携帯が鳴れば君かと思ひたり君を亡くして十日経てども 君亡くし半月経てどまだ部屋のどこかで我を見てゐる気のす 礼拝で君の冥福祈りをれば牧師は我の肩に手をおく 68 作 品 三 「はじめさん」「ゆうちやん」と呼びあひきもはや君亡く今は叶はず すぐに手を繋ぎし君はすでに亡く思ひ出だけを繋ぎて歩く ☆ 「はじめさん早く起きてよはい新聞」コーヒー入れくれし君を忘れず 桜 東京 松 本 英 夫 焦らすごとき寒の戻りに立ちをれば蕾のふるふ開花予想日 隅田川屋形船にて浮かれるも風はつめたし蕾はかたし 靖国神社に淡き六輪そつと咲き開花を告げる気象予報士 花冷えに蕾ためらふ乾通り盛り見せむと公開延ばせり 和歌山に福井に奈良に友の追ふ満開の桜吾がフォルダーに満つ 桜散り残る屋台に人まばら「らつしやい」の声トーン下がりぬ 春風にゆらりゆらりと屋形船所在のなさをかこちをりたり 長崎 野 口 千寿子 散歩道の赤白黄のチュウリップわが寂しさを励ましにけり ひとり旅の春めく宵の露天風呂眺める月に雲の寄り添う ☆ さくら散る鎮守の杜の忠魂碑渾沌の世に拝むはかなし カナダ ブレイクあずさ ごんごんと氷塊押し出す大河よりプレーリーの春は始まる せわしなき春訪れて北の地のレッドリバーもようやく目覚む 朝を待つ窓に聞こえる歌声はラルゴのテンポの船のエンジン アジア人ばかりとこぼす従姪よあなたも私もアジア人なのに 69 この朝も暴力幾つも伝えくる紙面読み終えコーヒー冷める もの言わぬ巨人の姿の雲のみを道連れとして歩いてゆかん 鍵盤に迷うカメムシ師の指はつまみあげたりピアニッシモで いざな ☆ 栃木 加 藤 富 子 ☆ テレビより流れ出でくるパガニーニの曲ギターとヴァイオリンの共演 各社より届く旅への誘いに気持ち揺れても行動に至らず ストーブの炎を借りて乾かそう雨天に積もる洗濯物は ほほ染めて桜の道を急ぎくる制服の子らの瞳輝く 桜は不思議な花よ古来より山にも里にも魔法をかける 夫の身のやや落ちつける春の日に妹と二人で京都楽しむ 妹と何度も旅はしてきたが二人だけは初めてのこと 埼玉 横 田 晴 美 母逝きて二十五年目の彼岸の夜夢に現れ驚きて覚む 病む友が喜寿迎えるを祝いたく庭に咲きだす春蘭を採る わが手より春蘭受けて涙ぐむ透析に通う友の手震う ヨッチャンが透析焼けの顔で向く涙がじわり頬を伝わる 薄紅の桜が満開懐かしく父の描いた油絵飾る 母が居て桜吹雪の中に立つ父は静かに絵筆動かす ☆ 花びらにまみれる子等を描く父薄紅色の絵の具飛び交う 広島 藤 田 夏 見 70 作 品 三 五十二歳昭和三十年早期退職船降りし父われは四歳 戦争の夢を見たると酔いしれる父を恐れし幼児のわれ 戦争はむごきものぞという父を思いやれざりし若き日のわれ 鼻唄の「酋長の娘」おはこなりしマーシャル群島父の歌声 乗りし船行きたる国を問いながら米寿の父を抱き運びし 目を放したるわずかの間に大往生仏間のふとん父八十八歳 商船の一等航海士ナンバーワン七つの海の男のはなし 折々に戦争のこと聞き育つ戦後生まれの戦争ぎらい わが投げしボール捕えて宙高く見よとばかりに投げくるる人 埼玉 きすぎ りくお 明らかに妻の頼みは無理なれど返事の諾否を決めかねてゐる 空仰ぎこころ弱きを妻と子に見せずにはかの苦難に対す 九年前ふとわが言ひし言葉への感情を今宵妻は語りぬ また妻を怒らせてしまひその理由を探せどさがせど思ひ当らず わが見ればさしたることもなき理由に孫をその母鋭く叱る 顔見ても分かる筈なく幼くとも喜怒哀楽は単純ならず 考へて考へて言ふ頼みごと軽く拒まれてしまひぬ妻に 千葉 荒 木 亜由美 悩み続けて頭の痛みある我は風船ひとつパンと割りたし 霧ふかき樹海の中へ入り込むように魚のいない水にひたりぬ ☆ 71 スパゲッティミートソースを真似てみる一番喜ぶはうちの夫だ 水鳥がゆっくり陸へ近づきて羽を休める流れの清く 同居している母と大きくあくびして掃除をすれば雪が降り初む 必ずしも治る病気ばかりではなくて我の身に一生ひそむ 東京 中 島 千加子 毒がある花と知れども鈴蘭は吾が定番の香りのひとつ 故ダイアナ元妃の愛せし香水は鈴蘭今日のわたしも同じ この道がパラダイスへと続きゆく斜面をくだり登つていくよ 小学校入学式があることを知つてゐるのか桜満開 カウンセラーではなくスクール・ママと呼ぶ新一年生われに抱きつく カウンセラーの先生でなくスクール・ママ案外的を得た呼称かも 通勤の脚を緩める河岸に朝陽あつめて菜の花が咲く ミモザ咲き梅が終りて桜散る水を飲み干す吾は生きてゐる 三重 松 居 光 子 高齢者と名付けられしに抗ひてけふは買ひたり赤きジャケット (☆印は新仮名遣い希望者です) 缶詰のプルタブ引くに手間取りぬしらずしらずに老いゆくわれか 常ならぬふらつき覚え計りたる血圧高きに心騒ぎぬ 塩辛きもの好まざるわれの身に高血圧症の不安の襲ふ この先はこれにて命養ふか朝食あとの薬一錠 72 み忘る食前の薬 大久保修司 水爆にロケット発射と隣国の核の脅威にただ 行機雲は 斉藤トミ子 ☆ 「卓上に置いとけ」の助言に逆らひてまた飲 えにと 高橋 燿子 ☆ 南から北の端まで真っ直ぐに空を切りゆく飛 も触手のびゆく 山口 嵩 枯草の中に椋鳥群れをなし声無く啄む前にま したり 野村 灑子 「中立」は自党の意向に添ふことか放送法へ の透きて見ゆ 田端五百子 条幅の手本届きて数日は長押に下げて目習ひ 色付きてをり 大塚 亮子 宮大工の使ふカンナの削り屑かざせば薄く陽 寿なれども 高松 ヒサ ☆ 手入れなどせぬと言ひたる友の庭ゆず金柑の 白髪にパーマをかけて少しでも若さ保たん米 作 品 一 和田 昌三 懐かし 山口めぐみ ☆ 冬なれば伊藤左千夫の墓案内苦にならずする しむ 飯嶋 久子 ☆ ネット見て合否確認出来る今書留待ちいし昔 のバケツ 関口みよ子 ☆ 群青に水色にやがて銀色に刻々変わる海を楽 の伏し目のおかほ 橘 美千代 氷点下の朝覗けば同心円の氷が眩しいブルー すぶ絆となれり 岩渕 綾子 やはらかく微笑む若き美智子さま 弥勒菩薩 く 立谷 正男 知らぬ間にあまたの人の眼に留まり短歌がむ 気持ちは春めいている 野崎 礼子 ☆ ひと本の冬木に寄れる群雀夕映えの雲遠く輝 響き伝わりてくる 本郷 歌子 ☆ スケジュールすべて手帳に書き込んですでに り空気まったり 吉田佐好子 ☆ 最終電車の子を待つ駅舎は凍てついて車輪の 酒造所の庭に干したる濾し布に湯気のほんわ 作 品 二 髙橋 説子 学の娘 加藤 富子 ☆ 入らざりしに 松本 英夫 これからの道を求めて進み行く准看護学校入 がすがしさに 川俣美治子 ☆ 日の暮れて妻の天ぷら揚げる音むかしは耳に 陽ざし受けいる 廣野 恵子 ☆ 冬の朝冷たい空気深く吸うミントのようなす う元気にこの年 斎藤 陽子 パンジーは雪の中より背をのばし花を開きて し 佐々木せい子 ☆ 三猿になれぬ我なり見て聞いて語つて暮らさ 灘見ゆ 乾 義江 ☆ 菩提寺の池の堤の五葉松津波に耐えて尚緑濃 二十センチほど積もりおり 卯嶋 貴子 ☆ くっきりと水平線の遠く見え年の始めの鹿島 よ春めく 開き暮らし見守る 鈴木やよい 元日より十五分早く日は昇り明日は節分いよ リビングに居場所定まる小さきダルマ片目見 作 品 三 天野 克彦 四月号 十首選 ただ唖然 中村 晴美 政権の暴走に胸を痛めゐる天皇と思ふ言葉を 藪蚊の居らず 高田 光 村上 美江 夜の雨が雪に変わりていたるらし目覚めれば 聴けば 大山 敏夫 四月号 十首選 73 湯澤千秋著 歌人赤彦 紹介 大山 敏夫 属しつつ作歌に取組んでいたが、周囲に勧め られて、平成十年四月から十二年十月迄「明 日香」に連載したものである。著者が亡くなっ 四月集十首選 刊行に踏み切ったとある。 友である多賀陽美、渡辺富子氏らが話し合い、 年」を迎えるに際し、著者と志を同じくした 一段抜かし 穂積 千代 手折りたる梅の一枝を瓶に差すハサミひ むきけふも休まず歩く 橋本佳代子 ゆつくりと吾を追ひぬく若者の駅の階段 リハビリの散歩は老いの身に付きて風さ 赤羽 佳年 『歌人赤彦』は、その生い立ちからはじま り亡くなるまでの五十年程を一貫し、実に肌 とつも入れざるままに 高松美智子 ☆ 勢ひよく鳥は飛び来て細枝と共に上下す て既に十年を過ぎた。折から「赤彦没後九十 理細やかに、女性ならではの暖かみのある筆 は、ほぼ「アララギ」の経営・編集権を掌握 後、その再建につとめて力を尽し、五年後に 三十七歳の時には左千夫の急逝に遭う。その 三 十 二 歳 の 時 に 伊 藤 左 千 夫 を 中 心 に「 阿 羅々木(アララギ)」が創刊され参加するが、 ラギ」十月号は、六百頁すべてが赤彦追悼に の試みであったのだろう。大正十五年「アラ に改めたとある。赤彦にとって覚悟を込めて 年 に、「 左 千 夫 忌 」 を「 ア ラ ラ ギ 夏 安 居 会 」 古泉千樫の三人が離脱する事件のあったこの め た も の で、 大 正 十 三 年、 石 原 純、 釈 迢 空、 赤彦と言えば「鍛練道」が思い浮かぶが、 良く知られるアララギ「安居会」も赤彦が始 の体温濃く香る読み物となっている。 ギの春を待つ力 林 美智子 ☆ 半日が精一杯と言いながら今日も一日を 夕空に網目のように広がりてヤマアララ るああそこまで春は来てゐる 福士香芽子 プランターにヒヤシンスの花芽がのぞきゐ りの通院出来るよろこび 石田 里美 き空に白き半月 関口 正子 杖つきてときにはよろめき歩むともひと トランポリンのやうに 高橋 説子 脊浮きしてプールの天窓見てをれば雲な 力で辿っている。研究書と言っても、小説的 し た と い う。 大 正 十 五 年 に 胃 癌 に よ っ て 満 な弾力もあり、「歌人」として語りつつ「人間」 四十九歳で他界する。赤彦の努力は「アララ 充てられた。 島木赤彦は明治九年、現在の諏訪市に生れ、 師範学校在学中の二十一歳の時に久保田政信 ギ」を二千部印刷する雑誌に育て上げていた。 赤彦を知る入門書としても、読み易くて良 いかなと思われる。新書判本文二三六頁。 の養嗣子に迎えられた。 業績は多岐にわたるが、この書は歌人とし ての赤彦に焦点を合わせる。著者は松井芒人 (現代短歌社刊 千五百円) 布団あり 永光 徳子 ☆ 畑で過ごす 松中 賀代 ☆ 山間の小さな駅の待合室古き模様の小座 の姪にも当り、赤彦系の雑誌「明日香」に所 74 編 集 室 ■米山髙仁歌集『會津好日』 「橄欖」に所属する著者の第二歌集。平成 二十年から平成二十五年までの作品を収めて には死ぬまで生きむ 世の中は諸行無常と悟れども生れしから こを閉ぢて心眼に見む ひむがしのオリオン座流星群雲厚くまな ここにはいろいろな職を持つ人達が取り上 げられている。そして作者の人間観察の眼が 店のデパートの店員 来店の児らにと風船ふくらます明日で閉 すかとガイドの笑ふ 黒田節を一番唄ひて拍手されもういいで 奥深いところまで届いている。 如月の夕日に雪野は紅く燃えひととき麗 し滅びゆく美は 元氣なきをみなの惱み聞き出しぬ聞きや 杯生きてゆかねばならないのだ。本集のタイ 自然も人間も変転極まりがない。だから精一 精神の強さがある。形あるものはいつか滅ぶ。 少年飛行兵の君 老年になるまで花見を嫌ひゐきそのかみ らぎ眠れるごとし 身に付ける管を外され夫の顏すーつと和 ることも治療と信じて 唸るなら捨てるぞと夫に言はれゐし冷蔵 格調の高い重厚な調べが読者を包む。作品 の背後には真摯に命を燃焼してゆかんとする マスクしてくぐもりてゐる我が言葉正し トル及び作品は正漢字を使っている。このこ 庫静かわれ独りとなり いる。平成二十七年七月七日発行。 く患者に傳はりゐるや とも、この歌集を印象深いものにしている。 重なる幼の泣き顏 著者は「白珠」に昭和五十一年に入社し、 昭和六十一年に同人となった。あとがきには ■伹見美智子歌集『杜の灯火』 (ながらみ書房刊) 寝たきりの媼の庭に數本のほほづきの實 著者は會津の醫家として地元の人々の診療 に尽くしている。温かい人柄で誰にでも信頼 九十歳を越えたが自分には歌があるという思 夏草の繁れる母校跡の地に猛々しく立つ 思いがけない夫の死、そしてその後の日々 を詠んだ作品。しみじみと心に響いてくる。 は赤く熟れたり されている様子が医療の現場を詠んだ作品か いが心の支えになっていたように思うとあ 往時の桜 (白珠叢書第二三六篇 青磁社刊) 四世代の絆が見える作品。幸せは身近にあ ること、日常の中にあることを気付かされる。 る娘とわたし 嬰児が汗して孫の乳を飲むそれを見つむ ら感じとれる。 る。平成二十七年七月三十日発行。 過去と現在の情景が重なり合った作品も多 い。そこに作者の人生が重ねられている。 見えずなりし母を求めて泣きし日の我と ネックレスも指輪時計も欲しがらぬ妻の 道をゆく園児の列につきそへる保母のリュッ クに小さな箒 誕生日菫飾りぬ 妻への優しい愛情が結句に満ちている。本 集にはこのほかにも妻との幸せな日常を詠ん 殺陣稽古せる悪役俳優 「下手すると主役に怪我をさすからね」 た て だ作品が散りばめられている。 75 歌集 / 歌書 御礼 戦争をにくむこころは深くして来世まで き道程 も深い傷跡を残した。改めて戦争の悲惨さ、 えるために語り部となった。原爆は多くの尊 級友らを偲び、級友らに代ってその思いを伝 めに生き残ったのだという。著者は爆死した またま盲腸炎の手術で学校を欠席していたた も父を恋うるや 被曝した方々の苦しみを思う。爆死した友ら 一枚の父の写真と手紙古り母の戦後の長 戦争で亡くなった父への思いがこの歌集の もうひとつのテーマになっているように思 のことを偲び、心をこめて友らを語る著者の ■栗原潔歌集『子らとともに』 創刊に参加し今日に至る。現在「白南風」選 う。戦争という重い事実と戦死した父を恋う 著者は昭和五十八年から平成十二年まで 「創生」に所属。その後平成十二年「白南風」 者。本集は著者の第一歌集で四一六首が収録 気持がひしひしと読者の胸に迫る。 じ形の花を寄せ合ふ 碑をめぐるマリーゴールド数へ切れず同 しく見つめられたり 十五歳の子をもつ我は亡き友の母にかな 姿が目に浮かぶようである。 い命を容赦なく奪ったが、生き残った人達に 定期テスト実力テストに日々追われ中三 されている。平成二十七年五月十九日発行。 生徒ら眼の輝かず 年』 著者は「柴折戸」に所属。これまでに歌集『花 時計』『いしぶみの賦』『白色白光』を出版し ■梶山雅子歌集『ヒロシマ (白南風叢書第五十九篇 本阿弥書店刊) 空白の日記出しつぐ子に対いいかなる会 話がわれに残れる 教育の流れを変えん気負いのみ充たし幾 年身を焦がしきぬ 十三歳の友らの爆死を語る今日十三歳の この橋もわたしと同じに年をとる燃ゆる 巻頭に置かれている。どのような状況での被 修学旅行生に ており、本集は四番目の歌集ということにな 曝詠か、またその真実の思いとは何かを読者 「寂しよ」と言へば生きゐて寂しさを知 ヒロシマをまつぶさに見て いずれも教育の現場での作。生徒らに愛情 深く接する様子が伝わってくる。そして生徒 に語りかけてくれるのは、ここに集められた りたきものよといしぶみの友 るが、これは既刊三歌集の中からヒロシマ被 ひとりひとりに注ぐ視線が実に温かい。どう 作品群である。発行は平成二十七年八月六日。 (柴折戸叢書第十四編 京都カルチャー出版) 子らに活気みなぎる 導くかを苦悩する日々のことも歌われてお この年は広島、長崎の被曝七十年目、太平洋 ■鈴木得能歌集『直歳』 心開く日の来ることを信じつつ不登校児 り、味わいの深い作品群となっている。 戦争終結の七十年目にあたる節目の年だっ 被曝のこと世に伝ふべく語れとや生者は 軍港を背に立つ父のポートレート描かん た。歌集に挟まれた栞によれば、当時著者は 響短歌会に所属する著者の第二歌集。歌集 曝詠二九二首を抄出して編まれたものであ として未だ果たさず 高等女学校一年生で原爆が投下された時、た 知らず死者の悲しみ 一枚の写真をわれに遺すのみ戦死せる父 る。編集に当たった岩田晋次氏の「例言」が の忌ばかり巡る の自律を策す ギンナンの実の熟れる頃公開授業近づき 70 76 鉢巻し腰に下げたる釘袋直歳和尚と言ふ た新聞平成二十八年四月一〇日付記事) は 平 成 二 十 八 年 度 埼 玉 県 歌 人 賞 を 受 賞。( う つの役職のひとつだという。本集により著者 直歳とは禅寺での寺務の運営管理にあたる六 名は「しつすゐ」と読む。あとがきによると がごとく川下りゆく 揺れ動くかがり火受けて鵜と鵜匠すべる はひに揺る 両脇は女子大生の屋形船鵜飼待つ間の賑 過ぎたるわれら二人に 手を繋ぐそんなことなどあつたかな六十 思う。 の作者をまた人々を呑み込んで行ったのだと る。どうすることもできない時代の渦が当時 体験のひとつとして恩師の出征が歌われてい まれているからである。また少女の頃の戦時 よって多くの尊い命が失われたことが心に刻 危機管理のファッションなるか閣僚ら作 競技場の勝者の肩に掛けられた日の丸の 二〇一五年六月二十二日発行。 め ら れ て い る。『 蓮 燈 』 に つ づ く 第 八 歌 集。 の内の払われていく バスに見るすすきの穂先波打てばこころ 蝶わが前うしろ こまやかに羽震わすは喜びと見えしじみ えり」の声ありし日よ 雪の傘払いて入る玄関のうちより「おか 人たち無言の四・五秒 いっせいにさくら激しく散りゆけば窓の わたしと猫なるお前 あたたかな命ひとつを抱いている生きて べきならむ 心に残る家族詠と旅行詠より二首ずつをあ げておきたい。読むほどに味わいが深い一冊。 住職としての仕事を持つ作者だが寺の維持 管理などにも積極的に行動する。力強い詠嘆。 ■日野きく歌集『いきつもどりつ』 (響叢書第三十一篇 いりの舎刊) ニも短命なるか 著 者 は「 短 詩 形 文 学 」 に 所 属。 本 集 に は 二〇〇七年から二〇一五年までの作品が収 三度目に名前新たに生き返るこのコンビ 馴染みたる本屋の親父何時よりか宅配便 業服にてただ目立つのみ 折々の心情が込められた一首一首には独自 の作品世界がある。その豊かさを味わいたい。 の台車押しをり 低温のゆゑか開花の少なくて新品種かと 旗思いは添えず 現代短歌社刊) 問はるる桜 幾千万の兵が身に着けともに朽ちし旗な く感じさせる。三首目は閣僚への痛烈な批判 見送りし四年生の秋 初めてのむなしさ知りぬ伊東先生の出征 著者は昭和四十三年に「歩道」に入会し佐 藤佐太郎に師事、現在は同人。本集は『赤雲』 ■香川哲三歌集『淡き光』 (短詩形文学選集 を込めた眼があり、四首目は異常気象のため 軍事郵便はがき十枚型どおりの文と端正 りいまだ遠からぬ日に か本来の花のエネルギーを出し切れない桜の なるペン字よあわれ 世の中を生き抜いていくことはなかなか厳 しいものがある。一、二首目はそのことを強 姿を捉えている。 スポーツの試合で勝者を称える日の丸の旗 に作者の思いは複雑である。かつての戦争に 作品と平成十三年から平成十九年の間に巡っ につづく第三歌集で平成二十年・二十一年の 偶さかに母から届く封書には小さきなが ら平信の文字 77 51 められている。すべての寺を巡る旅は車でた 撃たれたる兵は沈みてゆきにけりここの 黄河の水を血塗りて た四国八十八箇寺を巡礼した折の作品が収録 どったとはいえ七年を要したという。八十八 いを潜り抜けて作者は生還。そして戦後を迎 されている。 る。本集に対応する年月に父母、叔父との永 えた。 戦場では多くの兵達が弾丸に打たれて戦 死。生死の境ともいえる状況の中、壮絶な戦 別があり、その深い悲しみが連作の背景にあ 寺での作を読んでいて心が洗われるようであ うしほ の 戦争はかなしかつたよいちぜんめしちら 街なかの川をせり上がる潮の動きが印象的な 本集はこのような作品から始まる。都市の 職場で働く日々の心情が投影された一首目、 蜜すふ声むつまじく 本を作りたいと思ったこと、そしてこの祈り し一命を拾ったこと、記憶の定かなうちに一 二十年まで二年間、河南作戦(北支)に参加 巻末に「作者の言葉」がある。それは簡潔 な言葉で綴られている。昭和十八年より昭和 ■関 広範戦場詠歌集『いちぜんめし』 軍靴ではなくてよかつた 玄関にサッカーシューズみがく孫よああ のを参拝しない 国のためただ国のため戦ひてゆきたるも (歩道叢書 現代短歌社刊) るのだと思う。 執務終へ帰る宵街ひえびえと高層ビルの 灯火かがよふ おもむろに砂浸しつつ街なかの川を潮 せりあがりくる 二首目。そして三首目は枇杷の花に寄る目白 が亡くなった兵たちの心にとどきますように ああ言はず言へず逝きたる兵の事いのち とばかりに見くらべあひて を捉えて心温かい作品である。 と記されている。この欄に歌集の紹介を書い のこり咲く枇杷の一木に目白らの寄りて 高層ビルひしめく街に人群れて金融恐慌 の限りわが詠みおかむ 二十七年八月三十一日。戦後七十年の節目の と 耳 を 傾 け る こ と に 集 中 し た。 発 行 は 平 成 共に見るさくらかな 現代を見つめる鋭い視線は自身の内面にも 及ぶ。仕事に力を尽くしつつも世の動きに揉 年である。 ■歌集『エルベの石』間瀬 敬著 金の営為飽くなき資本主義社会に生き かにかくに還りきたりて還らざる兵等と おし拡げゆく ている私は戦後の生れで戦場がどういうもの 平和への祈り、戦いに散った兵達への鎮魂 の心。この貴重な歌集を大切に読みたい。 ものかね 物 だったか、本や映画の中でしか分からない。 まれ行く苦しみがあったと思う。 ああ歩きながら眠りに入るわれら思はず 今回、本集の戦場詠に触れて作者の声にじっ きてはや六十年 新しき朱塗の塔をめぐりゆく海よりわた (以上担当 桜井美保子) (天慶会出版刊) る風の香のなか 薬王寺(第二十三番) 射抜かれて死にゆく兵の呻き声いくど聞 「短歌 世紀」編集人、間瀬敬氏の第三歌集。 あの大地震大津波のあった年に職場から去ら きつつ進みたりしよ 膝をかかへて目覚む 年のこの山桜 三角寺(第六十五番) 境内をひろくおほひて枝を張る樹齢四百 本集は後半に八十八寺巡礼の折の作品が収 れたとある。 21 78 錯覚に過ぎぬ幸福感なりとも冷房の中に れここに生きゐる ぐにやぐにやの何かに変身し我ならぬわ と地球は二つある 富める人のための地球と貧困の人の地球 掉尾を飾る一連から二首。暗がりの中から 光を捕えて希望を繋ぎたいという思いが読み くらき反射のゆらぎ 闇となる木立のなかにたたへたる水あり ぢとなりて降る雨 芙蓉たかく終りの花をかかげたり光のす した生き方の生み出すものであろう。 ほっとする。歌にある「継ぐ者」とは娘婿だ 歌にはそうした強かな思いが籠り、ある意味 賢く生きる為には現実を受け入れ、積極的 に手のうちに入れる切り替えが重要だ。この に買ひ替へむとす だが、激しい目の光を感ずる。結句にちょっ げだすような歌が印象的。二つの地球は大胆 外地での作品が目立つ。いわゆる静かな自 然詠というようなものが少なくて、内面をな に何迷ふこころ の大きな賞を受賞されたと記憶する。 「 歩 道 」 所 属、 田 丸 英 敏 氏 の 第 二 歌 集。 氏 はかつて「備後表」という一連で「短歌現代」 ■田丸英敏歌集『屋上』 歌集である。 (不識書院刊) 取れる。収録歌、四七七首。読み応えのある 孫の加はる わが妻の十三回忌の法要に歩み初めたる 内面の動きを投影する。 地味に見える自然詠に鋭い作歌力を感じ る。現実をしっかり観て、そこにただならぬ に晒されて は埃のたまる 雨降らぬ池に油膜の浮かびゐて蓮の広葉 せるものがあったろう。 という。こういう形もさらに著者を奮い立た しばらくのあひだ と変化をつけて響かせる。字余りにして錘を コンピューター制御によりて手仕事より みぞれ降る寒き夕べを一人来て紅梅の色 吊している感じで、破調による韻の変化を活 きれいに畳を仕上ぐる寂し 妻の十三回忌の歌だが、この妻との別れか らの十年間が著者の休詠期間であった。歌集 して日本に逃れて来た人たちの支援ボラン 求から、仕事が終わった夜や休日に、難民と 少しでも世界の問題にかかわりたいという欲 代は凄い早さで進化し、特別の能力が無くて こういうことは畳職だけじゃなくて、ひろ く様々な製造業の現場でも起こっている。時 不用となりぬ ■歌集『河と葦』荻本清子著 磯浜に見る流木は白と化す潮に晒され日 かしている。 三十年使用する道具大型の製畳機により ティアを始めた」とある。 シンの目差す所となり、職人仕事の特殊性が 現代短歌社の第一歌集シリーズの文庫版。 昭和四十一年に上梓されたもののリメイク。 歌 の 背 景 は、「 歩 行 が 困 難 と な り、 腰 の 手 術をした。その苦しみから立ち直ったころ、 歌集名は二十三年ぶりの訪れたドイツドレ スデンのエルベ川の川原の小石のことだとあ 軽視されがちな傾向にある。 ような歌集で、心にしみた。 (現代短歌社刊) たことに因む。亡き妻に作歌の再出発を誓う 名の『屋上』もその妻が屋上に花を育ててい る。やはり強く訴えたいものが充満して爆発 継ぐ者のあれば新たな機能もつ畳の機械 も「誰でも美しく作れます」というのが、マ するような激しさが歌の中にあるのは、こう 79 「ポトナム」「青天」を経て現在「歌界」発行 人荻本氏の二十歳から二十八歳までの作品。 「二十三才で私は生い育った田圃を離脱しま した。一つの目標を持った行動ならばいつか は行動の理由が証明されましょう。しかし私 に於ては目に見えない一つ〈ふるさと〉と言 う絆からの逃走でした。この行きつくあての ●転載歌 (『短歌往来』十一月号) ●転載 (「長風」五月号・元木 巧氏) 田口白汀「現実短歌」創刊に参加。その ○冬雷 三月号。昭和三七年木島茂夫創 刊。木島は「覇王樹」を経て、昭和九年 後「冬雷」を創刊、責任者となる。木島 雷短歌会」ホームページに木島茂夫の教 至 る。 編 集 発 行 人 代 表 は 大 山 敏 夫。「 冬 の没後、編集委員会が引きつぎ、現在に 安曇野 大山 敏夫 つつと奔る飛蚊症の影も見え首を回 ない魂の彷徨、横浜・東京(大田区・品川区) しぬ薄目をあけて 浦和と職を変えるごとに居を移しました(あ とがき)」と言う。「河と葦」は、忘れ得ぬ生 仰向けに青草に居るのどかさを破る 斗樽』以後の土屋文明の歌(5) 大山敏夫。 刊 以 来 の 会 の 基 本 姿 勢 と 説 か れ る。『 四 え「下手でもよい自分の歌を詠め」が創 れ故郷の風景でもあり、志を胸に転々とした 気配ありつるめるトンボ 昭和四九年「文藝春秋』十二月号に掲載 釈。 文 明 の 引 用 歌 の 解 釈 を 通 じ て、「 お された「故人茫々」八首をきめ細かく評 赤ワインのための畑の葡萄樹は濃く 指」、「皆がら」の意味、助動詞「し」 「たる」 の用法の微妙な違いなどその心情にふれ 色づきて赤き葉の照る ンダーの花に黄の蝶ひとつ 羽閉ぢて一枚のさまゆらゆらりラベ 生き様、そこに揺れ動き乍ら夢中で生きた自 身の姿のメタファーでもあろう。 河は黒く夜を流れて海へ行く 流れに沿 いて鳴る葦の群れ 憤り守る立場のもろくして夜が来れば疲 れどっと襲える 畑の白ワインの木 な が ら 教 示。「 忘 れ ざ る 人 々 そ れ ぞ れ 栄 て掛けらるる干し物 突然変異の橙色のニジマスと聞きぬ 葉のみどり黄の輝きの眩しくて葡萄 この路をつっ走れば堀川に出ることの街 雄のかほ強顎動く する試みは注目される。 この街の傷の如くに河があり河にむかい に働き知りたるひとつ 水に浮く勿忘草の群落に花立ち上が 冬の芝踏みつつくれば水飲み場の蛇 口鋭く光を放つ 小林芳枝 に毎号最新号を一冊丸ごとPDFで掲載 会員作品評はきめ細かい。ホームページ えたる後々も皆がら栄ゆるや否や」文明。 かかげおく市街地図夜毎目に追いてのが る青を掲げて れゆくべき街あるごとし (以上担当 大山敏夫) 80 ▽今月は別冊付録に大滝詔子さん ▽中村哲也氏が思いがけず手に入 楽しみである。新しく入会された 『那珂川』、続いて六月号には大滝 ▽五月号には大久保修司氏の歌集 けた気がする。 を知って子規の歌の心に一歩近づ ち は つ )」 の 名 が あ る そ う だ。 花 一番早く咲き出すので「一初(い 規の歌が浮かんだ。アヤメの類で 今年ばかりの春行かんとす」の子 ちはつの花咲きいでて我が目には は紫、アヤメ科の美しい花だ。「い でいちはつの花を初めて見た。色 ▽緑濃い五月の連休に大船植物園 れる。本文8ポのフォントは少々 う。早く簡単に使え経費も抑えら ンテンツの再利用っていうのだろ て編集。こういうのをデジタルコ 載レイアウトをほぼそのまま使っ 重ね、刊行にこぎ着けた。本誌掲 その忙しさの合間を縫って連絡を ▽大滝さんは現在休詠中で、今し も付けることになった。 さんと打ち合わせ、冬雷短歌会文 歌」を一冊に纏めたいと考え大滝 十月十六日(日)に決定した。年 大会の概要を話し合った。今年は ▽五月の編集委員会で第五十五回 会員の方には、様々な思出もあろ 丸茂伊一様 大久保修司 う。是非書いて下さい。(大山敏夫) 田端五百子 飯嶋 久子 日締切で追悼文を募集する。古い すことだろう。 今後の作品にきっと好影響を及ぼ を辿り、感じ取ったものが、氏の ス が 出 来 た の で「 大 滝 詔 子 歌 集 」 中にぎっしりである。そんな誌面 庫特別版として制作した。スペー に一度の大きな行事として大会に い と い う こ と で 活 動 さ れ て い る。 ▽訃報。秋草喜久枝さんが老衰に か出来ないことを優先してやりた は毎年、より良い案を持ち寄って 末な紙に謄写版で刷られた文字の あがった青年歌人たちの情熱が粗 戦の焦土の中から、いち早く立ち 本誌へ紹介する連載が始った。敗 る。今後の急激な気温の変化には さになり三十度を超えた所もあ ▽五月五日は立夏。今年一番の暑 方も作品はお送りください。 ておりますので会場に来られない さい。大会は全員参加を原則とし 送付用紙を付けますのでご利用下 ▽今年も間近になりましたら詠草 きたいと願っている。 れたという「抜錨」全巻を熟読し、 方々も是非会場にお出かけいただ 詔子氏のコラム・短歌『怯むこと 細かくて読み難いが、どうぞご理 計画を立てている。今年も充実し の『怯むことなく』が付いた。 なく』が冬雷短歌会文庫として発 解頂きたい。休詠中なので、いず た一日になるのではないかと期待 *お気軽にご参加下さい。 ▽寄附御礼 *ゆりかもめ「 豊洲 」駅前 短 行された。いずれも作者の個性が れ作歌に復帰するだろう。 している。年に一度だけお会いす 「豊洲シビックセンター8階」 です。 15 回連載されたコラム「カナダ 豊かに表出された内容で、本とし ▽中島千加子さんは数年前に「編 る方も多く居られて元気なお顔に 編 集 後 記 ても立派な出来上がりである。別 集委員会賞」を受賞した実力者だ (出席者の誌上掲載作品を批評) 充分ご注意ください。(小林芳枝) 冊付録ということで、会員誰でも が、1から出直したいとのことで 第1研修室 午後1時~5時まで 歳。7月 が手に出来て、気軽に読める。こ 6月 12 日( 第2日曜日 ) 。 96 接し、親しく会話のできることも 冬雷本部例会のご案内 て逝去された。享年 のことがまた嬉しいのである。 (桜井美保子) 「三欄」からの再出発となった。 編集後記 91 to 原稿用紙はB5判二百字詰めタテ型を使 用し、何月号、所属作品欄を明記して各 作品欄担当選者宛に直送する。原稿用紙 が二枚以上になる時は右肩を綴じる。締 切りは十五日、発表は翌々月号。新会員、 再入会の方は「作品三欄」の所属とする。 担当選者は原則として左記。 作品一欄担当 大山敏夫 作品二欄担当 小林芳枝 作品三欄担当 川又幸子 (三欄選者体調不良につき、大山が代行) 一、表記は自由とするが、新仮名希望者は氏 名の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応じる。一通を返信用とし 雷 短 歌 会 頒 価 500 円 ホームページ http://www.tourai.jp 350-1142 川越市藤間 540-2-207 電話 049-247-1789 事 務 局 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 振替 00140-8-92027 ≲冬雷規定・掲載用≳ り執行する。 一、本会は冬雷短歌会と称し昭和三十七年四 ≲投稿規定≳ 月一日創立した。(代表は大山敏夫) 一、事務局は「東京都葛飾区白鳥四の十五の 一、 歌稿は月一回未発表十首まで投稿できる。 九の四〇九 小林方」に置き、責任者小 林芳枝とする。(事務局は副代表を兼務) 一、短歌を通して会員相互の親睦を深め、短 歌の道の向上をはかると共に地域社会の 文化の発展に寄与する事を目的とする。 一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。 一、長年選者等を務め著しい功績のある会員 を名誉会員とする事がある。 一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。 一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬雷」 に作品および文章を投稿できる。ただし 取捨は編集部一任とする「冬雷」の発行 所を「川越市藤間五四〇の二の二〇七」 とし、編集責任者を大山敏夫とする。 一、編集委員若干名を選出して、合議によっ て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表 記した封筒に切手を貼り同封する。一週 間以内に戻すことに努めている。添削は 入会後五年程度を目処とする。 一、事情があって担当選者以外に歌稿を送る 方は実際の締切日より早めに投函する。 〉 k.yosie@nifty.com 〉 tourai-ooyama@nifty.com ≲Eメールでの投稿案内≳ 一、Eメールによる投稿は左記で対応する。 小林芳枝〈 大山敏夫〈 データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ ローヤル企画 発 行 所 冬 て「冬雷」の制作や会の運営に当る。 一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと し、六か月以上前納とする。ただし途中 退会された場合の会費は返金しない。 *会費は原則として振替にて納入する事。 A 普通会員(作品三欄所属) 千円 B 作品二欄所属会員 千二百円 C 作品一欄所属会員 千五百円 D 維持会員(二部購入分含む)二千円 E 購読会員 五百円 一、この会則は、平成二十七年十二月一日よ 《選者住所》 大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 090-2565-2263 川又幸子 340-0824 八潮市垳 135-1 フォセット八潮駅前 小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655 2016 年6月1日発行 編集発行人 大 山 敏 夫
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