10 月 15 日(土)14 :00-14 :40【研究発表 1 分科会 A】 理想的モデルのパラドクス ―ディドロの模倣論における絵画-演劇ジャンル間の交叉― 東京大学 吉成優 ディドロ(Denis Diderot)の「理想的モデル modèle ideal」説とは、古典主義的な「美し い自然の模倣」の理論に対するディドロなりの応答であり、かつ、彼自身の思想的立場に準 拠した「自然の美化」の理論の再構築といえるが、同時にそれは晩年の『俳優についてのパ ラドクス』における演劇論の理論的基盤でもあった。以下では、ディドロの「理想的モデル」 説の内に(1)古典主義的な「理想美」の定式化と、(2)ジャンル画や市民劇の舞台に描か れるような、より現実的な人物の描写についての制作論・演劇論という二つの性格があるこ とを指摘し、(3)美術論としての「理想的モデル」説と演劇論としてのそれとの間に構造 的な類似性が存在すること、したがって美術論における「理想的モデル」説もまた晩年の演 劇論におけるものと同じ「パラドクス」を含んだ主張として読解できることを明らかにする。 (1)ディドロは人体における美をその身体能力によって説明する機能主義の立場を取る が、同時に自身の生理学的な知識に基づいて〈身体機能の習慣的、職業的な行使は、プロポ ーションを「歪曲」ないし「変異」させる〉とも考えている。そのため、最も美しいプロポ ーションを有する「理想的モデル」は、一方で自然状態において万能な形態として表象され るものの、他方では一切の社会的な労働の痕跡を排した「無為の人間 homme oisif」とも位 置づけられることになる(『1767 年のサロン』)。 (2)対照的に、ディドロは『1769 年のサロン』のラ・トゥール(Maurice Quentin de La Tour)評の中では、社会における様々な職業や境遇の人物像の「美化 embellir」について論 じている。その際には、先の「理想的モデル」の身体からは排除されていた「労働の痕跡」 が、それぞれの職業的な特徴を示すものとして観察・再現されるよう求められる。この発想 は晩年の『俳優についてのパラドクス』でも踏襲され、〈俳優は役柄に感情移入せずに、役 柄の「境遇=身分 condition」や「性格 caractère」に応じた「理想的モデル」を模倣しなけれ ばならない〉という「パラドクス」に基礎を与えることになる。 (3)さらに、『俳優についてのパラドクス』において、ディドロはこの「無感性」のパ ラドクスをより一般的な仕方で定式化し直し、〈「役柄のあらゆる種類の性格に対する平等 な適性」を有する「偉大な俳優」は「すべてでありかつ無である」〉と論じている 。こうし た後年の目から遡及的に 60 年代の「理想的モデル」説を顧みるならば、ディドロは俳優- 役柄の関係と類似する逆説的な性格を(1)で検討した「理想的モデル」にも既に求めてい たことがわかる。つまり、ディドロは複数のテクストにおいて、画家によって構想された (1)の「モデル」が(2)の「モデル」のような多様で特殊な形態に変形していくという制 作過程の存在を示唆しているのだ。 その限りで、ディドロが「古代的なプロポーション」の人物像に認めた「無為の人間」と いう性格は、後年の演劇論の「パラドクス」を萌芽的に準備するものであり、かつまた、個 別性を排した普遍的な形態から特殊な形態への移行という彼独特の思考モチーフの反映とも なっているのである。
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