№82 平成23年3月22日 【発行】 豊橋市立岩西小学校 校長室 asai-hideo@toyohashi.ed.jp 埼玉県秩父市立影森中学校校長だった小嶋登(作詞者)は、 旅立ちの 旅立ちの日 ちの日に 作詞:小嶋 荒れていた学校を立て直すために「歌声の響く学校」を目指 登 作曲:坂本浩美 編曲:松井孝夫 し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音 楽科教諭の坂本浩美(作曲者、現 高橋浩美)とともに粘り強 白い光の中に 遙かな空の 山並みは萌えて 果てまでも 限りなく青い く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなっ 君は飛び立つ 空に心ふるわせ ていった。 「歌声の響く学校」 を目指して 3 年目の 1991 年 2 月下旬、 自由をかける鳥よ 振り返ることもせず 坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、 「卒業する生徒た 勇気を翼にこめて 希望の風に乗り ちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを この広い大空に 夢を託して 残したい」との思いから、作詞を小嶋校長に依頼した。その 時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたというが、 懐かしい友の声 意味のない ふとよみがえる いさかいに 泣いたあの時 心通ったうれしさに 抱き合った日よ みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて 勇気を翼にこめて この広い大空に 希望の風に乗り 夢を託して 翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置いてあったとい う。その詞を見た坂本は、なんて素敵な言葉が散りばめられ ているんだと感激したと当時を振り返っている。その後授業 の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組ん だ。すると、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲 制作に要した時間は 15 分程度だった。 出来上がった曲は、最初はたった一度きり「3 年生を送る 今 別れの時 はずむ この広い 若い力 飛び立とう 未来信じて 信じて この広い 会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うためのサプライズ 曲のはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うように 大空に なった。ちなみに初めて披露した年度をもって、校長の小嶋 は41年に及ぶ教師生活を定年退職したため、小嶋が披露し 今 別れの時 はずむ この広い 若い力 飛び立とう 未来信じて 信じて この広い 大空に いつ頃からでしょうか。この「旅立ちの日に」が卒 たのはこれが最初で最後となった。 その後しばらくは影森中学校だけの合唱曲であったが、ま わりの小中学校でも使われだしたことで、1998 年頃までに 全国の学校で歌われるようになった。現在では「仰げば尊し」 業式で歌われるようになったのは。かつて、卒業式の や「巣立ちの歌」、「贈る言葉」などに代わり、小中高の卒業 定番の歌といえば、 「仰げば尊し」や「蛍の光」でした。 式において全国で最も広く歌われている卒業式の歌となって 今ではそれらに代わって、全国の小中高の卒業式で最 いる。 【参考:フリー百科事典 Wikipedia】 も歌われる歌になっているそうです。 人気グループ SMAP もカバーしたことのある「旅立 曲が出来上がった経緯を調べてみたら、また感動してしま ちの日に」。聴けば聴くほど味わい深く、熱いものが胸 いました。なお、作詞者の小嶋登先生は、本年2月11日、 にこみ上げてきます。岩西小の卒業式でも歌われたこ 急性心筋梗塞によりご逝去されました。享年 80 歳。謹んで の曲について、ちょっと調べてみました。 ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
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