http://www2.odn.ne.jp/kamino 2004.7.31

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2004.7.31
1.序論
問題の背景:人道的行為の道義性
人道的行為が善意に基づく行為である限り、その道義性は問題にならないかもしれない。しか
し、その人道的行為のもたらす効果が問題となるとき、その道義性が問われることになるであろ
う。とくに、軍事的人道介入では、紛争当事者と交戦することで新たな紛争犠牲者をもたらした
り、積極的に軍事介入しなかったために、紛争犠牲者への十分な救済ができなかった、といった
問題が指摘されてきた。
先行研究との関係:国際政治理論と道義性
これまでの人道的行動に関する研究は、実証主義・経験主義に基づく方法論を用いて、人道的
行為の「善悪」に関して考察してきた。しかし、実証主義が「事実と価値」を分割し、前者のみ
を考察の対象としている限り、価値の問題である人道的行為の道義性を議論することはできない。
また、構築主義は「事実と価値」の両方を考察の対象とするが、規範それ自体の「善悪」を分析
する方法を提供してはいない。
一方、国際政治学で1990年代から一般化してきた国際規範理論では、カント義務的倫理学、
功利主義、徳倫理学といった倫理学の成果や、コスモポリタニズムとコミュニタリアニズムが論
争の焦点となっている政治哲学の枠組を用いて、戦争、核抑止、貧困、環境問題といった国際問
題に関わる道義的側面を考察してきた。
研究の目的
この研究では、国際規範理論を用いて、武力紛争下の人道的行為の道義性について考察し、こ
れに関わる国際的主体の責任の範囲を議論した上で、今後の人道的行動の在り方を探っていきた
い。
研究の主要な論点と補足的論点
主要な論点
武力紛争下の人道的行為を道義的に正当化する根拠とは何か、また、人道的行為の主体が果た
すべき義務や責任の範囲とはどれほどなのか。
3つのモラル・ディレンマ
上記の主要な論点を、モラル・ディレンマ(規範間の矛盾)として捉えるならば、以下の重要
な3つの論点が浮かび上がってくる。
①「正義の領分」
道義、倫理、規範の効力が及ぶ地理的・人的範囲は、どこまでなのか。とくに、人道的規範が、
家族・共同体・国家を越えて世界大に適用されるのか。そうである場合には、その道義的根拠は、
どこに求められるのか(コスモポリタニズム/コミュニタリアニズムの対立→第3章)。
②「人道主義の軍事化」
武力紛争の被災者を救助するためには、武力の行使は認められるのか。認められる場合には、
その道義的根拠は、どこに求められるのか(正戦論と絶対平和主義→第4章、第6章)。
③「戦闘員/非戦闘員の区別の曖昧化」
武力紛争の被災者が、同時に加害者である場合に、それでも、紛争被災者の救済をするべきか。
そうである場合には、その道義的根拠は、どこに求められるのか(正戦論と責任・義務に関する
議論→第4章、第6章)。
論文の構成
上記の主要な論点を議論するためには、以下の補足的な論点についても議論する必要があるだ
ろう。
1.国際政治と道義性(第2章)
国際政治理論では、道義性がどのように評価されてきたのかを概観した上で、国際政治におけ
る道義や倫理の意義を説きたい。
・国際政治理論と倫理学・政治哲学との接合
・国際政治と政治理論
・規範倫理学と国際政治(カント義務的倫理学、功利主義、徳倫理学)
・政治哲学と国際政治(コスモポリタニズムとコミュニタリアニズム)
・国際政治理論と道義的懐疑主義
・国際政治理論での「秩序と正義」(英国学派)
・国際政治理論・ポスト実証主義と道義性
2.人道支援と道義性(第3章)
他国の戦争や自然災害の被災者に対する人道支援の義務に関する議論を概観し、能力と責任を
有する国際的主体に、国境を越えた支援を行う義務があることを説いていきたい。
・人道主義の伝統と歴史
・距離(distance)は越えられるのか?
・配分的正義と人道支援(シンガー=功利主義、オニール、ポゲ=カント義務的倫理学、ベイツ
=ロールズ正義論・社会契約論)
・配分的正義に対する批判(ウォルツァー=コミュニタリアニズム)
*「正義の領分」と人道支援
3.戦争と道義性(第4章)
戦争の道義性についてのこれまでの議論を概観し、正戦論の原則を明らかにした上で、戦争が
「最後の手段(last resort)」である限り、これを正当化できる場合が極めて限定されている点を説
いてきたい。
・戦争と道義(現実主義、絶対平和主義、正戦論)
・正戦論の伝統と歴史
・現代の正戦論(ウォルツァー=コミュニタリアニズム、ナイジェル=コスモポリタニズム)
・正戦論の基本的原則(jus ad bellum と jus in belloの地平)
・jus ad bellum
①「正当な理由」
②「最終手段としての戦争」
・jus in bello
①「差別原則」
②「差別原則」の例外:「極度の緊急性」と「二重効果ドクトリン」
4.人道的行為の拡大と障害(第5章)
人道的行為=非暴力的手段による人道支援と、軍事手段による人道的介入
(経験的事実)
・国内武力紛争の多発と武力紛争の特徴の変質
・国際人道支援の拡大と発展
・国際人道支援の障害
・人道支援の安全性
・人道支援の戦争への転用
・人道的介入の導入と成果/失敗
5.人道的行為と道義性(第6章)
(道義的判断)=モラル・ディレンマの解明
・「人道主義の軍事化」
→正戦論:人道主義は、新しい「正当な理由」か?
→正戦論:人道的介入は、「最終手段としての戦争」か?
・「戦闘員/非戦闘員の区別の消滅」
→正戦論:「差別原則」の揺らぎ
用語の定義や解説(かなり未完成)
道義と倫理(morality/ethics)
倫理(ethics/Ethik/師hique)は、ギリシア語のethos(「住み慣れた場所」)から派生した語であ
り、住み慣れた場所で形成された「習慣・習俗」、さらには習慣の結果確立した人間の「性格」
を意味するものとなった。道徳(morality/morale)は、ラテン語のmoralisに由来し、ギリシア語の
ethosの翻訳語であり、慣習の意味をもつmosから作られた語であるという。現在では、道徳、道
義、倫理といった用語は互換可能に利用されており(厳格には意味に相違があるが)、本稿にお
いても同義語として扱う。
倫理や道徳は、いずれも、善悪(good/bad)や正邪(right/wrong)に関わり、人間の行為に関す
る判断の基準となるものである。
正義(justice)
正義(justice)は、一般的には、社会的に実現されるべき道徳や倫理を指すが、個人間の倫理や
道徳に関して、この語を用いることもある。
義務(duty/obiligation)
義務(duty/obligation)は、個人やそれ以外の主体が、規則や習慣を履行する
権利(rights)
責任(responsibility)
規範理論(normative theory)
国際政治の規範理論の目的とは、上記に挙げた善悪、正邪、正義、義務、責任、権利といった
諸概念を通じて、人間やその他の主体の行為に関する道徳的理由付け(moral reasoning)を行うこ
とにある。
2.国際政治理論と道義性
(1)国際政治と規範理論
・国際政治理論と政治理論・政治哲学/倫理学
これまでの国際政治理論では、政治的現実主義(political realism)や実証主義(positivism)(行動
論革命以後の国際政治理論)の色彩が濃厚であり、実証主義ではないにしても経験主義
(empiricism)に基づいた研究が主流であり、政治理論・政治哲学や倫理学の議論を押さえた道義、
倫理、正義(sollenの地平)に関する分析がなおざりにされてきた。それでも、1970年代末に
は、ウォルツァーの正戦論、ベイツの国際的配分正義の議論が起こり、1992年には、ブラウ
ンが、国際政治理論と政治哲学・倫理学を接合して、総論的に一つの学問的領域として確立し、
今日でも、国際政治規範・正義に関する理論は、批判を受けながらも発展を続けている。
・Martin Wight “Why is There No International Theory?” (1966年)
国際政治理論では、アナーキーな国際社会を考察の対象としており、安定的な政治秩序を実現
している国家(国内政治)を考察の対象としてきた政治理論・政治哲学を応用できない。政治理
論が実現している水準においてみれば、国際政治理論は「理論」とは呼べず、今後の国際政治理
論は「歴史」の考察を通じて構築されていくべきである。
・Chris Brown “International Relations Theory: New Normative Approaches”(1992年)
国際政治理論でも、政治理論や倫理学の成果を導入すること通じて、国際政治の規範的側面(sein
ではなくsollenの世界)を考察することが可能である。国際政治における規範的対立軸は、コスモ
ポリタニズム(cosmopolitanism)とコミュニタリアニズム(communitarianism)であり、前者はカ
ント(義務的倫理学)やベンサム、ミル(功利主義)が代表的かつ古典的な論者であり、規範の
根拠を個人の理性や行為に求め、その規範が普遍に適用されるという立場をとる。後者は、ヘー
ゲルに代表され、今日では、ウォルツァー、サンデル、テイラー、マッキンタイヤーらを中心に
議論されており、規範の根拠を共同体(とくに国家)に求め、個人の規範が共同体によって社会
的に構築されており、その規範は普遍的たりえないという立場を取る。また、国際政治の道義や
正義の問題として、正戦論(just war tradition)と国際的な配分的正義(international distributive justice)
を取り上げることが可能である。
・Micheal Walzer “Just and Unjust War” (1979年)
・Charles Beitz “Political Theory and International Relations”(1979年)
・Terry Nardin eds. “Traditions of International Ethics”(1992年)
規範倫理学(normative ethics)の対立も、国際規範理論の対立軸として考えられる。それは、カ
ント義務論(deontological ethics)、功利主義(utilitarianism)・結果主義(consequentialism)、新ア
リストテレス学派=徳倫理学(virtue ethics)間の対立であり、とくに前二者間の対立は、規範倫
理の基本的な対立軸である。また、道義的理由づけの根拠として、政治理論・政治哲学における
社会契約論、自然法思想・権利概念、宗教思想と倫理を、国際政治の道義的側面を考察する上で
応用されるようになってきた。
・Chris Brown “Sovereignty, Rights and Justice”(2002年)
1970年代末に正戦論や国際配分的正義といった議論が展開されていたが、今日では、国家
主権と政治的自決権、国際人権、人道的介入、文化の多様性、そして現在の国家主権システムそ
れ自体の道義性(ポスト国家主権システム)についても考察されるようになってきた。例えば、
Andrew Linklater “The Transformation of Political Community: Ethical Foundations of the PostWestphalian Era”
[国際規範・国際倫理学(理論的側面)]
・Chris Brown “International Relations Theory: New Normative Approaches”(1992年)
・Chris Brown “Sovereignty, Rights and Justice”(2002年)
・Terry Nardin eds. “Traditions of International Ethics”(1992年)
・Nigel Dower “World Ethics” (1998年)
・Mervyn Frost “Ethics in International Realtions”(1996年)
・Kimberly Hutchungs “International Political Theory”(1999年)
[古典]
・アリストテレス「ニコマコス倫理学」
・I・カント「道徳形而上学の基礎づけ」「実践理性批判」「純粋理性批判」
・J・S・ミル「功利主義論」
(2)政治的現実主義
ここでは、国際政治理論における道義的懐疑主義(moral scepticism)を批判する。国際政治に
おける道義性の存在を否定、あるいは、危険視してきた政治的現実主義を批判的に考察したい。
古典的現実主義(トゥキディデス、マキャヴェリ、ホッブズ)や現在の政治的現実主義(カー、
モーゲンソー、ニーバー)の思想や理論が、その議論の対象となる。
・個人間の倫理と国家間の倫理
政治的現実主義に拠れば、道徳や倫理の効力が「個人間」に及ぼされて、集団内の道徳秩序が
維持されているとしても、「国家間」には道徳や倫理の効力はないか、あるいは、集団内の道徳
や倫理よりも弱い程度においてのみ効力を発揮する。
・政治と道徳
政治的現実主義に拠れば、市民が共有している道徳や倫理は、政治の場においては通用せず、
政治家は、時として国家の存続のために手段を選ばずに行動する必要がある(マキャヴェリ「君
主論」)。
[政治的現実主義]
・David Boucher “Political Theories of International Relations”(1998年)第4-7章
・Jack Donnelly “Realism and International Relations”(2000年)第6章
・Micheal Smith “Realist Thought from Weber to Kissinger”(1986年)第4-6章
[国際倫理と政治的現実主義]
・Nigel Dower “World Ethics” (1998年)第3章
・Chris Brown “Sovereignty, Rights and Justice”(2002年)第4章
・Terry Nardin eds. “Traditions of International Ethics”(1992年)第4・5章
・Mervyn Frost “Ethics in International Realtions”(1996年)第2章
[古典]
・Chris Brown eds. “ International Relations in Political Thought” (2002年)
・トゥキディデス「戦史」
・マキャヴェリ「君主論」
・ホッブズ「リヴァイアサン」
・E. H. Carr “The Twenty Years' Crisis, 1919-1939”
・Reinhold Niebuhr “Moral man and Immoral Society”
・Hans Morgenthau “Politics among Nations”
(3)実証主義(ネオリアリズム/ネオリベラリズム)
この節では、道義性を考察の対象から外した実証主義に基づく社会科学研究を批判したい。こ
れについては、国際政治理論における実証主義理論、ネオ・リアリズム(ウォルツ)、ネオリベ
ラル制度論を道義性の観点から批判したい。
・実証主義(経験主義)における道義と倫理
経験主義では、事実(fact)と価値(value)が分割され、前者は、観察を通じて客観的な分析
の対象とすることができ、後者は、個人や文化などによって価値観が異なり、客観的な考察の対
象とはなり得ないと考えられてきた。実証主義では、直接観察できない事実を観察可能な事実に
基づいて論証し、事実と事実の間にある因果律を証明するために、経験主義の認識論に立ってい
る。国際政治理論では、ネオリアリズムやネオリベラル制度論が、程度の差はあれ、経験主義・
実証主義の基づく方法論を採用してきた。
実証主義に対して、フランクフルト学派は、考察の主体(研究者)は、特定の価値観に依拠し
て事実を分析していることから、事実の客観性は担保できず、研究者や研究自体が社会に影響を
及ぼすのであるから、因果律を証明することは困難であると主張した。また、フランクフルト学
派は、実証主義が人間の解放に役立つどころか、アウシュビッツ収容所で見られたように、技術
による人間の管理をもたらすと鋭く指摘したのである。
フランクフルト学派の議論に影響を受けたロバート・コックス(Robert Cox)は、 “Social Forces,
States and World Order”の中で、実証主義に基づく社会改革は、現在の優勢な社会秩序を部分的に
修正するものでしかなく、これを problem-solving theoryと称し、人間の福祉のための根本的な社
会変革が、批判理論の目指す方向性だと述べた。
[ネオ・リアリズム/ネオリベラル制度論]
・Robert Keohane “Neorealism and Its Critics”(1986年)
・David Baldwin “Neorealism and Neoliberalism” (1993年)
[国際倫理とネオリアリズム・ネオリベラル制度論]
・Chris Brown “Sovereignty, Rights and Justice”(2002年)第4章
・Terry Nardin eds. “Traditions of International Ethics”(1992年)第4・5章
・Mervyn Frost “Ethics in International Realtions”(1996年)第2章
(4)英国学派と道義
(5)ポスト実証主義の規範理論
この節では、ポスト実証主義の倫理について簡単に触れたい(これは本稿の目的を越える内容
である。)
・批判理論(フランクフルト学派)(Critical Theory)
・ハーバーマス「討議倫理学」→リンクレイター(Andrew Linklater)Andrew Linklater “The
Transformation of Political Community: Ethical Foundations of the Post-Westphalian Era”(1998年)
・フェミニズム・ジェンダー(feminism; gender)
・ジェンダー倫理学「ケアの倫理学」→ロビンソン(Fiona Robinson) Fiona Robinson “Globalising
Care”
・ポスト構造主義・ポストモダニズム(post-structuralism; postmodenism)
・レヴィナス「他者の倫理学」→キャンベル(David Campbell) David Campbell “National
Deconstruction”
・構築主義(constructivism/ constructionism)
構築主義では、国際政治規範を考察の対象とするが、規範をseinの地平から分析するものであっ
て、国際規範・国際倫理の諸理論のようにsollenとして分析する理論枠組みを提供していない。
(6)小括
これまでの伝統的な国際政治理論では、国際政治の道義や倫理を、sollenの射程から議論するこ
とはなかった。しかし、今日では、正戦論や国際的な配分的正義の議論に見られるように、国際
政治の道義や倫理の問題を考察する理論的枠組みが構築され、さらには、国家主権や政治的自決
権、人権やその他の諸問題についても、道義や倫理という観点から考察されるようになってきた。
本稿では、人道的行為の道義と責任を分析する理論として、国際規範・国際倫理の議論を採用す
ることとしたい。
3.人道支援と道義性
省略
4.戦争と道義性
(1)序論
「戦争が撲滅し永久平和が実現することは望ましい」、今日の社会において、これに異議を唱
えて戦争を賛美することが、国際道義に適うとは到底言いがたい。しかし、今日の国際社会でさ
れ、戦争は未だに撲滅しておらず、永久平和が実現される道程はほど遠いように思われる。
その一方、国際社会は、戦争の目的や手段に関する規制を加える道義的・法的(・宗教的)枠
組みを構築してきた。この章では、戦争と道義性に対する異なる見方として、3つの異なるアプ
ローチを取り上げて、その中でも、正戦論の一原則である「最終的手段(last resort)」を厳格に
捉えることが、戦争を最も抑止する原則として相応しいことを明らかにしたい。
(2)戦争と道義性:3つのアプローチ
現実主義(realism)
現実主義では、戦争は国益追求の手段であり、戦争に対する法的・道義的規制は、国家の存続
という目標を前にしては効果をもたないと考えられている。しかし、国家の存続や国家の利益を
追求するためであれば、無制限に殺戮・破壊行為が許される、というわけではない。経験的に見
ても、国家が、戦争の濫用だけでなく必要以上の暴力行為を自制してきたことからも、現実主義
的な戦争観は誤りであると言えよう。
平和主義(絶対平和主義)(pacifism)
絶対平和主義では、戦争はすべて道義的には許されざる行為であると考えられている。これに
は、自衛のための戦争も禁止されている。
カント義務論に拠れば、人格者を手段としてではなく目的として取り扱わなければならならず、
より具体的には、他者による行為が自らに向けられたときにでさえ、その他者の行為を道義的に
許容できる場合、これと同様の自己の他者に対する行為を道義的に正当化できる。また、その論
理は、すべての人格者に普遍的に適用されなければならないと考えられている。 例えば、<私
>がある他者を殺傷することが道義的に許容されるのは、その他者が<私>を殺傷しようとした
場合に、<私>がその他者の行為を道義的に許容できるときに限られる。しかも、この論理は、
普遍的に適用されなければならず、<私>がある他者を殺傷しようとした場合は、すべての他者
からの<私>への殺傷を許さなければならなくなり、他者を殺傷する行為を道義的に正当化する
ことは非常に困難である。戦争(=他者を殺傷する行為)も同様であろう。
しかし、他者から暴力を受けて、それに抵抗することが道義的に許容される場合には、つまり、
カント義務論の論理に拠れば、他者を攻撃すれば、どんな他者であれ抵抗を受けることが正しい
といえる。これについては道義的に正当化できそうである。
ところが、これについても、暴力には暴力で抵抗するべきなのか、暴力であっても非暴力で抵
抗しなければならないのか、という次なる問題がある。後者は、絶対平和主義の立場(非暴力抵
抗主義)であり、前者は、後で見る正戦論の立場であるが、これについては、ここでは結論を出
さないで、次の正戦論をみていきたい。
正戦論(just war tradition/ theory)
正戦論とは、特定の戦争の目的や手段を道義的・法的に許容するものである。しかし、正戦論
の一義的な目的は、戦争を道義的に正当化することではなく、戦争を道義的に規制することにあ
る。正戦論の枠組みを用いて戦争の道義性を考えるのが、現実的には妥当であるといえるかもし
れない。しかし、絶対平和主義や非暴力抵抗主義の道義的価値を否定したわけではなく、これに
も留意しながら、正戦論を詳しくみていきたい。
・Douglas Lackey “The Ethics of War and Peace”(1989年)
・Nardin ed. “The Ethics of War and Peace” (1996年)
(3)正戦論
戦争の目的と手段の道義性
正戦論では、戦争を開始する際に問題となる戦争目的の正当化(jus ad bellum)と、戦争遂行中
に問題となる戦争手段の正当化(jus in bello)の二つの次元に分けて議論するのが一般的である。
聖戦の時代とトマス・アクィナス
正戦論は、人類が戦争を政治の手段とし始めたときから存在したのかもしれない。今日の正戦
論につながる正戦論は、元々、キリスト教的価値観にその道義的根拠を置く「聖戦(Holy War)」
論であった。
・Thomas Aquinas “Summa Theologica”
トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)は、 “Summa Theologica”の中で、聖書を拠り所にして、
戦争の目的や手段に関する道義の問題を取り上げた。これは、それ以後のスコラ哲学や国際法学
にも影響を与えて、今日の正戦論の基礎をなしている。例えば、この議論は、ヴィトリア(Francisco
de Vitoria)、スアレス(Francisco Suarez)、グロティウス(Hugo Grotius)、プッフェンドルフ(Samuel
Pufendorf)に影響を与えたと言われる。
アクィナスは、戦争開始の正当化事由(jus ad bellum)として、以下3つの要件を挙げている。
①統治者による戦闘行為(私人の戦闘行為を認めない)、②正しい原因(just cause)、③正しい
意思(right intention)。
また、アクィナスは、殺人の違法性について以下の点を指摘している。無辜(innocence)の人々
を殺害することは違法である。自己防衛のための殺人では、必要以上の手段を用いて殺害に至ら
しめた場合には違法である。そして、偶発的に殺人を犯した場合、目的が違法な場合、また、目
的が合法的であっても妥当な配慮がなければ違法である。これらは、戦争の手段に関する道義性
(jus in bello)を考察する上で、重要な意味を持ってくる。
世俗時代の正戦論(倫理学と国際法)
国際連合憲章によって、自衛権や集団安全保障を目的としない武力行使が違法化されたとして
も、現実の国際政治において戦争が存在する限り、戦争の目的(自衛を含めて)や方法に関する
道義的・法的規制を検討する必要はある。20世紀の正戦論は、キリスト教を拠り所にするので
はなく、倫理学や国際法を拠り所にして議論が世俗化された(言うまでもなく、宗教を拠り所に
した聖戦論は、キリスト教やイスラム教(ジハード)を含めて未だに現存している)。
・Thomas Nagel “War and Massacre” (1972年)
トマス・ネーゲル(政治哲学・倫理学)は、功利主義に反対する立場から、功利主義に基づい
た道義的判断を、義務論で幾分均衡を取ることで、極端な暴力の行使に歯止めをかける理論を形
成した。功利主義に拠れば、「最大多数の最大幸福」が実現する限りにおいて暴力の行使が容認
されるわけであり、「最大幸福」の名の下に残虐行為を正当化できる恐れがある。義務論に拠れ
ば、絶対平和主義の項で論じたように、暴力の行使は極めて限定的にしか正当化できない。この
二つの倫理規範の均衡を計ろうというわけである。
しかし、二つの倫理規範には矛盾(モラル・ディレンマ)が存在するのは言うまでもなく、ま
た、戦争の具体的な局面において、功利主義と義務論のいずれが濃厚に適用されるのかといった
技術的な問題が解決できていない。
正戦論:国際法に依拠した正戦論
・Michael Walzer “Just and Unjust War” (1979年)
ネーゲルの倫理学を根拠とした正戦論には限界があったわけであるが、これに対して、マイケ
ル・ウォルツァー(Michael Walzer)は、国際法を拠り所にして正戦論を構築し直したといえる。
戦争開始時に問題となる戦争目的の正当化の諸原則として国際法の慣行を用いて、侵略
(aggression)の要件を定式化した、これはリーガリスト・パラダイム(legalist paradigm)と呼ば
れる。また、戦時中の戦争手段の正当化に関しても、戦争慣行(war convention)として、いくつ
かの注目される原則を定式化している。これらについては、次項で詳しくみていきたい。
正戦論の諸原則(just ad bellum / jus in bello)
ウォルツァーの正戦論が登場する以前から、jus ad bellumに関しては以下の6つの原則がすでに
確立していた。①正当な理由(just cause)、②正当性のある権威(legitimate authority)、③正当
な意思(right intention)、④最終手段としての戦争(last resort)、⑤成功の期待(probability of success)、
⑥手段と目的の均衡(propotionality)。この要件の中で、重要なものは、第一の「正当な理由」
と、第四の「最終手段としての戦争」である。これについては、これからの議論で留意するべき
点である。
ウォルツァーは、第一の「正当な理由」を構成できる条件として、「侵略」の存在を挙げたわ
けである。ウォルツァーに拠れば、国家が国際社会を構成し、国際社会はその構成国の領域的一
体性と政治的主権の権利を認める法を保持している。それゆえ、ある国家が、武力の行使、ある
いは武力行使の切迫した脅威を通じて、他の国家の領域的一体性と政治的主権を侵害する場合に
は、その行為は「侵略」であり、犯罪行為である。自衛と集団安全保障に基づく武力行使のみは、
行為の違法性が阻却されるが、それ以外の侵略行為は戦争を正当化できない。また、侵略国が撃
退された場合には、その国家は処罰の対象となる。
したがって、ウォルツァーの正戦論は、主権国家システムの維持が第一義的な目標であり、国
家の存続のための武力行使を容認している点で、現実主義の立場に近い。このようなウォルツァ
ーに議論に対して、コスモポリタニズムの論者(ベイツ、ドッペルト、ルバン)は、国家の存続
に比重が置かれた正戦論を批判して、人権などのコスモポリタニズムの価値を実現するための戦
争の正当化を議論した。ウォルツァーも指摘したとおり、人権侵害を戦争の「正当な理由」とし
た場合には、戦争行使の機会を緩和することになり、戦争を道義的に規制する本来の正戦論の目
的から遠くなってしまう。
また、jus in belloにおける二つの原則を挙げるとするならば、①手段と目的の均衡(propotionality)、
②差別原則(discrimination)がある。第一は、目的達成に必要な武力よりも大きな武力の行使は
認められないという点であり、より重要な第二は、アクィナスが8世紀前に議論していたように、
無辜の人々(非戦闘員)を殺害してはならない、言い換えると、戦闘員であれば正当に殺害でき
るという原則である(戦闘員と非戦闘員の間には適用される道義のレベルに差があるので、差別
原則と呼ばれる)。ウォルツァーは、極めて限定的な状況であるにせよ、極度の緊急性(supreme
emergency)であれば第二原則を乗り越えて、過大な武力行使が可能になると説いた。また、アク
ィナスが論じたように、ウォルツァーは、通常の戦闘で非戦闘員を巻き込んで殺害した場合であ
っても、非戦闘員を過失で殺害した場合その行為を正当化することは可能だと指摘している(二
重効果のドクトリン;Doctrine of Double Effects)。
(4)小括
1990年代の武力行使下の人道的介入を考察する上で不可欠な正戦論の原則を取り上げると
以下のようになる。
・jus ad bellum
①「正当な理由」
②「最終手段としての戦争」
・jus in bello
①「差別原則」
②「差別原則」の例外:「極度の緊急性」と「二重効果ドクトリン」
これらは2つのモラル・ディレンマ(人道目的の武力行使、戦闘員/非戦闘員の区別の消滅)
を、第6章で考察する際に、言及するので留意されたい。
5.人道的行為の拡大と障害
(1)国際人道支援の発展と障害
国内武力紛争の多発と武力紛争の特徴の変質
1990年代の武力紛争の多くは内戦であり、メアリー・カルドー(Mary Kaldor)に拠れば、
領土よりも宗教・民族アイデンティティをかけた戦いであった。また、戦争の目的が他の集団の
住民の抹殺や追放にあったので、犠牲のほとんどが非戦闘員であった。さらに言えば、非戦闘員
が武器を取り戦闘員になることも頻繁であり、非戦闘員と戦闘員の区別が曖昧になる傾向があっ
た。その結果、正戦論での「差別原則」が形骸化し、その例外的な「二重効果ドクトリン」が利
用される場合が増大した。
国際人道支援の発展と成果
・国際人道支援の対象者、地理的範囲、規模の拡大
赤十字国際委員会の設立以来、国際人道機関は、自然災害や武力紛争がもたらす被災者を救護
するために緊急人道支援を実施し、支援の対象者や支援の地理的範囲を拡大させ、組織の予算・
職員数・支部を増加させてきた。さらに、1990年代には非戦闘員を標的とする国内武力紛争
が多発し、緊急人道支援の規模がこれまでになく拡大した。
国際人道支援の障害
・治安の悪化と人道支援の安全性
国際人道機関が、武力紛争地域で国内避難民を救護するようになり、国際人道機関の現地職員
が、武力紛争や暴力行為に巻き込まれる危険が増大した。また、国際人道機関は、これまで現地
の政治的・軍事的勢力に人道支援活動の保護を要求し、活動の安全性を確保してきたが、安定し
た政治的・軍事的統治を欠いた破綻国家などの地域では、活動の安全を自ら確保する必要に迫ら
れた。
・人道支援の戦争への転用
緊急人道支援が拡大するにつれ、紛争当事者が援助物資を強奪して軍事資金に充当し、難民キ
ャンプを軍事基地として利用するなどして緊急人道支援を戦争に転用する問題が深刻になってき
た。このような緊急人道支援の戦争への転用は、戦争を激化・長期化の危険を増大させた。すな
わち、国際人道機関は、紛争被災者のための緊急人道支援がさらなる被災者を生み出すという問
題に直面した。
*国際人道支援の非暴力性
国際人道機関が、その活動を保護する軍事的手段を保持していないので、「人道支援の安全性」
と「人道支援の戦争への転用」の問題が顕在化している。
(2)武力紛争下の人道支援の安全性
どのように・どれほど国際人道機関の職員の安全は脅かされているのか?
人道支援機関の職員への犯罪
1990年代の武力紛争では、国際人道機関の国際職員や現地職員が、犯罪に巻き込まれるこ
とが多くなった。職員の殺害や暴行、不当逮捕、拉致、強盗、強姦が多発している(図:武力紛
争の国際職員の死亡数の推移、内訳)。
Causes of death in humanitarian workes in each organisation
Organisation
Intentional
violence
Unintentional
Violence
Motor
Vehicle
accident
Other*
Total
Non-governmental
23
6
10
19
58
UN programme
145
3
23
6
177
UN peacekeepers
45
13
24
6
88
Red Cross and Red Crescent societies
40
5
7
NA
52
Total
253
27
64
31
375
(3)紛争当事者による人道支援の戦争への転用
どのように紛争当事者は緊急人道支援を戦争に転用したのか?
二つの戦争の激化・長期化のタイプ
・紛争当事者間の対立や緊張の激化
国際人道機関が各勢力に対して対等に人道支援をする場合に、優勢側が人道支援を阻止し、劣
勢側が人道支援を引き出す。(「人道的救援権(被災者へのアクセス権)は、活動が阻止される
場合の問題)
・紛争当事者の権力基盤と戦争遂行能力の強化
国際人道支援が被災者に対して人道支援する場合に、紛争当事者が人道支援を戦争遂行のため
に利用する。
ソマリアの事例
・紛争当事者や武装集団が、国際人道機関の援助物資を強奪し横流しした。(ICRCの調査:援助
物資の20%の損失)
・紛争当事者や武装集団は、国際人道機関の護衛となって、援助物資を護衛料として受け取って
いた。治安の悪化は護衛料の高騰ももたらした。
「ケニア北東部では、連日のように難民や人道機関職員への攻撃があり、彼らの生命と財産に損害を与
えました(中略)。我々の救援物資が被災者の下へ届けられると確信できないときには、人道支援は無
益であるだけでなく、我々の職員と協力者を危険にさらす逆効果をもたらし、軍事指導者や盗賊に利益
を与える結果となるのです(緒方貞子・前国連難民高等弁務官スピーチより)」。
ボスニアの事例
・セルビア人勢力は、サライェヴォなどの都市を包囲して兵糧攻めを行い、都市に避難したムス
リムへの人道支援を阻止して、都市の陥落を謀った。
・ボスニア政府(イスラム教徒)は、人道支援を引き出すために避難民を危険な都市に止め、U
NHCRによる避難活動をセルビア人勢力の「民族浄化」に荷担するものとして批判した。
「ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいて、難民や避難民の保護だけでなく、まだ移動していない人々を
保護するということが、UNHCRの保護活動の一つの特徴でした。人々を強制的に別の場所へ移動さ
せることが武力紛争の目的でもあったので、UNHCRは大きなディレンマに直面したのです(中略)。
もし、UNHCRが被災者の避難を助ければ、『民族浄化』の共犯者とはならないでしょうか(緒方貞
子・前国連難民高等弁務官スピーチより)」。
ルワンダの事例
・ジェノサイドの首謀者である旧政府軍や民兵が、ザイールとタンザニアの難民キャンプにおけ
る援助物資の配給を管理し、難民を政治的に支配。
・旧政府軍や武装集団は、難民を強制的にルワンダから引き連れ、そこで徴募し、ルワンダ本国
への軍事基地として難民キャンプを利用した。
「これほどまでに政治的にも安全保障面でも致命的に泥沼化している中で、人道支援を考えねばならな
いのは、当事務所始まって以来の事態であろう。我々の人道援助と保護は、庇護を必要とする罪のない
声なき難民たちのためになされているが、現状維持で利益を得る民兵への支援にもなっている。このま
までいいはずはない(緒方貞子・前国連難民高等弁務官スピーチより)」。
「人道支援の戦争への転用」の一般性
このような緊急人道支援の戦争に与える否定的効果は、これらの事例にだけ限られるわけでは
なく、一般的に見られる現象である。
(4)人道的介入の実施
(1)国際的軍隊との連携
人道的介入の導入
国連や北大西洋条約機構(NATO)などの地域機関は、紛争被災者の救援と人道機関の職員を
保護するために、武力紛争地域に軍事介入した。多くの軍事介入は、国連憲章第7章の強制措置と
して実施され、決議には、人道支援の円滑化を図るための「必要なあらゆる措置(all necessary
means)」という文言が使用された。
(事例)イラク北部(安保理決議688)、ボスニア(770)、ソマリア(794)、ルワンダ(929)、
コソヴォ(決議なし)、東ティモール(1264)
これらの軍事介入の当初の主要な目的は、武力紛争の解決よりむしろ、治安の回復や援助物資
の搬送とその護衛などを通じた、人道支援活動の円滑化であった。
国際人道機関の介入軍との連携
・安全地域の設定
国連安保理が、ある特定の地域を「安全地域」として、国内避難民や難民を保護する場所に設
定し、介入軍がその地域の治安を回復させ、国際人道機関が援助活動を実施した。
・軍隊による援助物資の搬送と保護
介入軍は、国際人道機関による援助物資の輸送を護衛し、輸送力を生かして武力紛争の激化し
ている地域への援助物資の搬送(特に空輸)を実施した。
*軍隊の保護による非暴力性の克服
人道的介入は、国際人道機関の非暴力性を補完し、「人道支援の安全性」と「人道支援の戦争
への転用」の問題を、不十分ながらも緩和させた。
介入軍と紛争当事者との交戦状態
しかし、介入軍が、武力紛争の軍事的解決を実現するために、紛争当事者と交戦した場合に、
国際人道支援に二つの問題が発生した。
①紛争被災者の増加と緊急人道支援の必要性
介入軍は、人道支援の円滑化を目的として派遣されたにもかかわらず、紛争当事者と交戦して
新たな紛争被災者をもたらしたので、国際人道機関はさらなる人道支援を実施する必要に迫られ
た。
②国際人道機関の紛争当事者化
介入軍が、紛争当事者と交戦した結果、介入軍と連携と保護の関係に立つ国際人道機関が、そ
の紛争当事者の攻撃対象となり、円滑な人道支援の実施に支障を来した
5.人道的行為と道義性
1990年代の人道的行為(非暴力人道支援と軍事的人道介入)が行われるにあたって、二つ
の道義的問題に直面したといえる。第一は、人道主義の軍事化であり、武力紛争の被災者を人道
支援するために軍事力を行使しても道義的に許容されるのかどうか。第二は、非戦闘員と戦闘員
の区別が曖昧になり、非戦闘員が戦争に巻き込まれることが多くなったが、
(1)人道主義の軍事化と道義性
・人道支援は戦争の「正当な理由」となるのか
ベイツらのコスモポリタニズムの立場であれば、人権侵害の犠牲者を救護するための軍事行動
は道義的に許容されるであろう。しかし、ウォルツァーらのコミュニタリアニズムに従えば、人
権や人道といった国際的価値に基づく軍事介入は道義的に許されない。
ところが、マスメディアの発達した現代世界では、「彼ら」の惨状に関する情報(とくに映像)
が「私たち」に迫り来る。「私たち」に「彼ら」を救助する能力があって、行動を起こすことで
「彼ら」の生命や福利を保護できるならば、共同体の外の人間に対しても救助の手を差し伸べる
べきであるという共同体の道義・倫理(責任;responsibility)が生まれることは不思議なことでは
ない。ウォルツァーの考えるように、共同体の内と外では、道義や倫理の厚さは異なるかもしれ
ないが、共同体の外に対して適用される道義や倫理が全くないわけではない(Micheal Walzer “Thick
and Thin”)。これは、コミュニタリアニズムに立ったとしても、人道主義が戦争の「正当な理由」
になる可能性を示すものである。
・軍事的人道介入は「最後の手段」であるのか
軍事的人道介入は、武力紛争の犠牲者を救助する「最後の手段」であるのは間違いない。しか
し、この「最後の手段」を行使する以前に尽くされていなければならない国際的な行動がある。
それが、非軍事的の人道支援である。非暴力の人道支援が行われている限り、武力紛争の被災者
に対する救助は実現されており、軍事介入は必要がない。
しかし、非暴力の国際人道支援が、安全性の問題と人道支援の戦争への転用の問題を克服でき
ない場合、その結果、人道機関の職員が紛争地域で活動できない自体に至った場合には、軍事的
人道介入が「最後の手段」として道義的に許容されうるだろう。
(2)戦闘員/非戦闘員の区別の曖昧化
6.結論
2004年7月17日
東北大学政治学勉強会(2004年度)
緊急人道支援に関する予備知識
(1)主体
被災者支援の主体
被災者を真っ先に支援するのは被災者自身でありコミュニティである。その後、地方政府・地
方自治体や政府による支援が実施される。それでも即座に支援を実施しなければ、被災者の生命
や福利が脅かされた状態(緊急事態)が継続する場合に、国際的な支援が必要となる。
国際的な人道支援機関
・国際赤十字 赤十字国際委員会(ICRC)と国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)
・国際人道NGO 英国のセーブ・ザ・チルドレン、オクスファム、フランスの国境なき医師団、
米国のケア、ワールド・ヴィジョンなど
・国際連合 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連児童基金(UNICEF)、世界食糧計画(WFP)、
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)などの機関
*紛争被災者と紛争当事者
ここでは紛争当事者とは、戦闘に従事している戦闘員を意味するものとし、それ以外の人々を
紛争被災者とする。
(2)機能
援助と保護(aid and protection)
人道支援の機能には物資の援助だけでなく、暴力や人権侵害から被災者を保護し、安全な場所
に避難させることも
(3)行動原則
「人道」(humanity)
「人間の苦悩を除去・緩和し、生命や健康を保護し、人格の尊重を保障し、人類の相互理解、
友情、協力、永続的な平和を促進する」(赤十字の定義に拠る)