大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート 2011年度 性同一性障害と法律 :当事者が生きやすい社会を実現するために 滝本伊織 はじめに 今日、日常生活において性同一性障害という言葉を耳にする機会が増えてきたように感じる。 テレビタレントで性同一性障害を公表している方が増え、またテレビドラマや漫画のテーマとし て扱われることも多くなってきた。実際に私も、2008 年 4 月より放送された『ラストフレンズ』 というドラマで初めて性同一性障害という病気の存在を知り、興味を持つようになった。 後に触れる性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律(以下、特例法と呼ぶ)におい て、性同一性障害とは「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは 別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及 び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断 を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学 的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。 」と定義されている。要約すると、生物学 的性別と性自認が一致しない状態にあるために強い違和感を覚えたり、性自認に生物学的性別を 適合させることを望むということである。この 2004 年に制定され、2008 年に改定された特例法 によって、戸籍上における性別の取り扱いの変更が認められるようになったが、当事者にとって さまざまな問題が残る形となっている。そこで特例法の問題点をあげながら、今後どのように法 律を改定すれば当事者にとってよりよいものとなるのか、自分なりに検討してみたい。 1、特例法制定のいきさつ 特例法には定義の中に「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の 医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している」とある。また 5 つの 要件が提示されており、これらすべてを満たすとき、戸籍上における性別の取り扱い変更の審判 を請求することができる。 一 20 歳以上であること 二 現に婚姻をしていないこと 三 現に未成年の子がいないこと 四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること 1 五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている こと また 2008 年の改定以前は、 「三 現に未成年の子がいないこと」の部分が、単に「三 子がいな いこと」となっていた。 ここから、特例法が制定された背景を述べたいと思う。日本において性同一性障害が広く知れ 渡ったきっかけは、1996 年に埼玉県立医科大学倫理委員会が性転換手術を条件つきながら認め るという答申を出し、そのことについてマスコミが大きく報道したためだとされている。その後 2000 年に自由民主党が性同一性障害に関する勉強会を発足し、2003 年 5 月に南野知恵子参議院 議員が中心となって議員立法が行われた。ここで提出された法案は、神戸学院大学教授の大島俊 之氏が繰り返し論じていた私案における、1.20 歳以上であること 2.性別適合手術を終えている こと 3.戸籍を訂正する時点で婚姻していないことの 3 点に加え、4.現に子がいないことを加え たものであった。この 4 つ目の要件が当事者のなかで大きな波紋を呼ぶこととなったのである。 大島氏の私案でさえも厳しすぎるという意見が当事者の中からあがっていたが、それを上回る子 なし要件まで付け加わってしまったのである。また、自民党内においても性同一性障害に対する 理解が浅い議員が多く、「おかまや同性愛者にわざわざ法的措置をとる必要があるのか」という 無理解や偏見があり、保守的な考えを持つ議員は戸籍を神聖にして犯さざるもので家族の価値の 原点だと捉えており、これまで戸籍に関する法律案の多くが審議の段階で葬られていた。子なし 要件の削除を要求する意見が当事者からあがっていたが、国会の会期切れが 1 カ月後に迫ってお り、次の選挙で議員が入れ替わってしまった場合また一から理解者を作っていかなければならな いため、与党に子なし要件に関する申し立てを行うことは不可能であった。法律案そのものが廃 案される可能性が高かったためである。結果、このような要件はおかしいと思いつつも、3 年後 に改正することを強調した上で特例法の成立を最優先させることとなった。2003 年 7 月、さま ざまな障害をくぐり抜け、衆議院本会議において特例法は成立された。 次に、改正に至るまでを述べたい。特例法が施行される際に、強調されてきたことが前述した 通り 3 年後の改正と子なし要件についてであった。改正によってこの子なし要件は、未成年の子 がいないことと変更された。この改正案は当初、子なし要件を全面削除する流れであったが、削 除してしまっては子どもの福祉に反するという南野氏をはじめとする自民党議員の反対で、部分 緩和というかたちに収まったのである。 2、諸外国の法律 先進国の多くは、性同一性障害者の法的性別を訂正・変更する法律または判例がある。立法に よって当事者の法的地位を保障している国は、ヨーロッパを中心に、スウェーデン(1972 年)、 ドイツ(1980 年)、イタリア(1982 年)、オランダ(1985 年、民法典に記載)、トルコ(1988 年、民 2 法典に記載)、イギリス(2004 年)、スペイン(2007 年)、アメリカの 20 あまりの州、カナダのほ とんどの州の州法などである。また、判例等によって法的地位を保障している国は、フランス、 ノルウェー、デンマーク、フィンランド、オーストリア、韓国などである。法律を制定している 国では、性同一性障害であると診断されていること、結婚していないこと、性別適合手術を受け ていること、望みの性で社会行動をとっているなど日本と近似するさまざまな要件が書かれてい るが、子どもに関する記述はどの国においても書かれていない。また、日本よりも早い時期に法 律を制定している国が多く、内容も多くの章から成り立っており、要件以外にも当事者がこれか ら社会で生きていくためのさまざまな指針が示されている。一方、日本の特例法では趣旨、定義、 性別の取り扱いの変更の審判(要件)、性別の取り扱いの審判を受けた者に関する法令の取り扱い、 家事審判法の運用のわずか 5 条から成り立っている。 さらに性転換手術の際の医療保険に関しても、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、フィン ランド、カナダ・オーストラリア・アメリカそれぞれの一部の州で適応されており、イランでは 同国の当事者に無償で性別適合手術をおこなっている。また、ブラジルやキューバにおいても北 欧諸国同様に、性別適合手術が無償で提供されている。 3、問題点 現在、正確な統計はないが性同一性障害をもつ人は全国に 1 万人以上いると推測されている。 その内、2004 年から 2010 年末にかけて 2238 人が戸籍変更を行っている。特例法の問題点につ いて考察する前に、外見の性別と戸籍の性別が異なることによって起こる問題について考えてみ たい。 顔などの外見を望みの性別に近づけることは、ホルモン療法などで比較的簡単に行うことがで きる。だからといって、その人が社会の中で平穏な生活を手に入れられるという訳ではない。外 見の性別と戸籍の性別が異なるという大きな矛盾が生じてしまう。当事者の中には性同一性障害 であることが明らかになることを恐れ、保険証が提示できないために病院で治療を受けられない 者がいる。戸籍謄本が提出できないために安定した職を得られなかったり、解雇や内定取り消し を恐れて公的書類が出せないために正社員になれないなどさまざまな問題が生じている。また学 生の当事者は男女で決められた制服を着るなど、性の二分化に耐えられず不登校になってしまう 者もいる。戸籍の性別とは日本においてとても重要な意味を持っており、ここに矛盾が生じてし まうと社会はとても住みにくいものとなってしまう。これらのことから、特例法は性同一性障害 を有すると診断された人の大多数に適応されるような法律にするべきだと私は考える。 では、性同一性障害に関する唯一の現行法である特例法の問題を、5 つの要件すべてから考え てみたいと思う。 一 20 歳以上であること 3 これは、戸籍の変更は成人になってからでないとできないということである。しかし、当事者 が自分の身体の性に違和感を持つことは人によって異なるといえ、もっと幼い頃からなのではな いだろうか。以下は、2010 年 2 月 10 日付の毎日新聞の記事より抜粋したものである。 岡山大の中塚幹也教授らが当事者 661 人に聞き取り調査したところ、約 8 割が小学校高学年まで に身体的な性別への違和感を覚えていた。さらに全体の約 7 割が自殺を考え、約 2 割は未遂など の経験があった。自殺を強く考えた時期は中学生が 37%で最も多く、小学生も約 13%。中塚教授 は「今も多くの子が誰にも相談できず悩んでいるのでは」と推測する。 もし当事者が早い段階で家族に性同一性障害であることを打ち明け、治療を受けられたとしても、 戸籍が変更されるのは 20 歳になってからである。それまでの数年、あるいは十数年間を事実上 望まない性で過ごさなければならない。10 代では第二次性徴や思春期を迎え、性に関して敏感 な時期であると言えるが、このときに周りの友達や両親に打ち明けられず本人にとって偽りの性 で暮らしていくことは過酷なものであると考えられる。よって、私は戸籍変更の審判の申請がで きる年齢をもっと下げるべきではないかと考える。 二 現に婚姻をしていないこと これは婚姻している者が性別を変更した場合、同性婚となってしまい現行法の秩序において問 題が生じてしまうために加えられた要件である。離婚をした場合や内縁である場合は審判を申請 することができるとされている。当事者の中には、自分の性に違和感を持っていてもそれが障害 だと気づくことができず、社会に適応するためにさまざまな葛藤を経て婚姻関係を結んだ者も多 くいる。上川氏は、次のように述べている。 「性同一性障害」という概念が日本で知られるようになったのは、1996 年 7 月、埼玉医科大学 が公式に「性転換手術」の実施を検討していると報道されてからのことだ。それまでの社会の差 別の中で、身体の性別に何とか合わせようと努力を重ねてきた当事者は多い。その結果、婚姻し、 子を持った当事者も少なくない。(上川 2007 P.130) 性同一性障害が有名になったのは特例法が制定されるわずか 7 年前のことである。また当事者の 中でも性愛の対象はそれぞれであり、みかけでは同性同士が婚姻を結んだというケースもあり得 るだろう。この要件と次にあげる子なし要件は関連があるため、まとめて問題点を考えていきた いと思う。 三 現に未成年の子がいないこと この要件は、2004 年に制定された際には「現に子がいないこと」とされており、2 章で述べた とおり当事者の間で大きな波紋を呼ぶこととなった。上川氏はこのことに関し、次のように述べ 4 ている。 子を持った事実は努力では変えられない。性別変更を認めることによって親子関係や家族秩序が 乱れ、結果として子どもの福祉に影響が及ぶという意見はいまだに根強いが、実際には家族が受 け入れているケースもある。ホルモン療法などの治療の進展にともなって、親の外見や社会生活 はすでに望む性別で営まれていることも多いのに、外見と異なる戸籍の性別に留め置くのでは、 かえって子どもの福祉が損なわれる恐れが強い。(上川 2007 年 P.130) 特例法が改定された 2008 年時点で子どもが 20 歳を超えている場合、1988 年までに出産してい なければならない。しかし、前述した通り性同一性障害という言葉が一般になったのは 1996 年 である。現時点で未成年の子を持つ当事者も少なくないだろうということが予測される。さらに、 当事者とその家族の在り方はさまざまであり、婚姻相手にカミングアウトしている当事者もいれ ばそうでない者もいるし、子どもが幼いころから性同一性障害のことを話している者もいれば、 そうでない者もいるだろう。しかし、戸籍の変更を考える当事者は特例法の要件にもあるため、 ある程度外見の変化が完了していると考えられる。例えば父親が当事者の場合、外見の上におい て母親が 2 人いることになるため、子どもに事情を話しているケースが多いのでなないだろうか。 子どもの福祉はそれぞれの家庭の中でつくられるものであって、法律で決められることではない と思うし、未成年の子であっても性同一性障害のことは十分理解できるように思う。よって、要 件の 2 つ目の「現に婚姻をしていないこと」も含め、見なおす必要があると私は考える。 四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること これは性別の取扱いの変更を認める以上、性ホルモンの作用による影響や、生物学的性別での 生殖機能が残存し子が生まれた場合にさまざまな混乱や問題が生じることを防ぐための要件で ある。また「生殖腺がないこと」とは、生殖腺の除去、または何らかの原因で生殖腺がないこと をいい、「生殖腺の機能」とは、生殖機能以外にもホルモン分泌を含めた生殖腺の働き全般をい うとされている。次に、要件の 5 つ目をみてみたい。 五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること これは、大衆浴場などでの混乱を防ぐための要件であると言われている。これら、2 つの要件 はともに性転換手術を行っていることを前提としたものである。しかし、性別適合手術には社会 保険が適用されないために数十万、数百万という多額の費用がかかる上、身体への負担が大きい ために当事者全員が満足に手術を受けられるわけではない。また、日本国内で公式に手術をおこ なっている大学病院は埼玉医科大学、岡山大学、関西医科大学、大阪医科大学、札幌医科大学の 5 つのみで、その他にもジェンダークリニックを設けている病院はいくつかあるが、希望者が多 すぎるために施術までに時間がかかる。さらに、日本の技術では不安だといって施術医療機関の 数が多く技術も進んでいるタイ王国で手術を受ける当事者も少なくない。また、当事者の中でも 5 性同一性障害の程度は性転換手術を望む者もいれば、外見の変化で十分な者、身体的変化は望ま ない者などさまざまである。このように、全ての人が平等に受けられるわけではない手術を要求 し、またその手術自体を望まない人がいるなかで、戸籍変更の審判の要件として法律を定めてし まってよいものなのだろうか。上川氏は以下のように述べている。 自分が「性同一性障害」だと思ったらすぐに「手術するもの」と短絡してしまうような空気に、 私は同調できない。(中略)本質的には、法律が要求しているから、それに合わせて身体を変えな くてはならない、という考えには疑問が残る。自分は自分らしくいて構わない、その上で平等な 権利と義務を担う社会の枠組みこそが求められているのではないだろうか。(上川 2007 年 P.131) 確かに、法律によって性別適合手術が強制されているように感じる。自分の身体をどのようにし たいかは本人が決めることであるし、法律と異なった決断をすることで他の当事者と明確な格差 が生まれることはあってはならないことであると考える。また生殖機能をなくすという、生命活 動における重大な問題を法律で制定してしまってよいのかという疑問も残っている。 特例法全体を通して考えられる問題点は、適用される当事者の範囲が狭いことあげられる。し かし反対に、特例法では、望みの性別での社会適応状況はまったく考慮されていない。例えば、 女性としての生活・社会経験がまったくない男性でも、法律で決められた 5 つ要件を満たしてい れば、女性の戸籍に変更できるのが実態である。このことを念頭に置きながら、次の章では具体 的な解決策を考えたいと思う。 4、解決策 この章では具体的な解決策や私案を考えていきたい。まず、特例法に関して興味深いことを上 川氏が述べている。 国外で治療を受けた場合、また診断書が必ずしも「性同一性障害」に精通した「専門医」ではな い医師によって記述された場合にも、性別変更が認められている。(中略)むしろ性別変更の許可 例全体に占める「公式医療」の割合は三分の一に満たない。(中略)たとえば法令や省令に、どん な形状を「似ている」とするのかについて明確な記述はない。(中略)「似た外観をもつ」と医師 が判断することで性別の変更が認められるケースが出てきている。男性から女性に性別変更を求 めるケースにおいても、膣の有無は問われない。身体的・経済的に負担の大きいペニス形成術、 膣形成術は絶対に必要だと言えなくなっている。(上川 2007 年 P.132-133) 男性から女性への性別変更が認められた 30 名のうち、性別適合手術前に精神科医の受診歴のな いケースが 5 名、1 名の精神科医の受診しかないケースが 7 名含まれていた。特例法では、「性 6 同一性障害」を「診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する 2 人以上の医師の一般に 認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している者をいう」と規定しているが、精神 科医の診察がないまま、海外などで手術を行った場合であっても、その後、複数の医師の意見が 一致すれば、性別の変更は許可されている。(上川 2007 年 P.134) 上川氏は、特例法が実際の運用に関しては非常に弾圧的に行われていると評している。また、2010 年 2 月 10 日付の毎日新聞に以下のような記事が掲載された。 埼玉県の公立小学校が性同一性障害(GID)と診断された小学 2 年の男児(8)に対し、学年の途中か ら女児としての登校を認めていることが分かった。全校児童や保護者にも事情を公表している。 専門家によると、小学校入学時に学校と相談し戸籍と逆の性で登校を始める例は学会で数例報告 されているが、在学途中で生活上の性別を切り替えるのは初めてとみられる。(中略) 家族によると、児童は幼稚園の段階から体が男であることへの違和感があり、小学校入学後は男 児用の水着を着たり立って小便することへの苦痛を激しく訴え、不眠がちになった。(中略)主治 医の塚田攻医師は診断書に「就学等の適応を阻害しないために女性として扱う配慮が望ましい」 との意見を記した。学校側は主治医や親と相談し「本人の苦痛を取り除くことを最優先しよう」 (校長)と判断。夏休み明けの同年 9 月、校長が全校児童に、母親がクラスの保護者に説明し、 女児としての学校生活が認められた。児童は学籍は戸籍通り男児のままだが、男女別に整列する 際や体育の授業などでは女児のグループに入っている。「からかわれることもあるけれど、スカ ートをはいて学校に行けるのがうれしい。女の子の友だちもたくさんできた」と話す。 記事の中にあるように、小学校入学時に戸籍と逆の性で登校する児童の例はたびたび報道される ことがある。この児童に関して言えば、小学 2 年生の時点で自分の性自認をはっきりと認識し、 社会生活も望みの性で行っているのに現在の特例法で言えば実際に戸籍が変更されるまでに 12 年も待たなければならない。この小学校では異なる性別での生活を認めてもらうことができたが、 中学校や高校ではどうだろうか。また、いつこの児童が偏見や無理解、差別の目にさらされるか 分からない。 さらに 2011 年 2 月 12 日に大阪医科大学ジェンダークリニックにおいて性同一性障害と診断さ れた小学 6 年生の当事者に対し、第二次性徴の発現を遅らせることを目的として LHRH アゴニス トによる治療が開始されることが新聞等で報道された。第二次性徴は当事者にとって望んでいな い性に移行する身体変化であるため大変な苦痛を伴うとともに、思春期前の当事者は精神的発達 の途上にあり、どのような性の在り方が自分の人格に適合しているかがまだ確定しているとはい えない。よって第二次性徴を遅らせることは、当事者が性と向き合う上で非常に有意義なことで あると考えられるが、有効性と安全性は十分に確立されているとは言えない。 近年、あまり公にはされなかった子どもの性同一性障害について注目されているからこそ、特 7 例法の要件にある「20 歳以上であること」という一文を改定するべきであると私は考える。し かし、自分の性に対する違和感や異性への憧れは当事者でなくとも誰もが抱くものであるとも考 えられる。スカートを嫌う女子や、おままごと遊びが好きな男子などは私の身近にもいたりした。 しかし、その子どもたちの全てが性同一性障害であるかというとそうではないだろう。思春期に 向かうにつれて、どの子も等しく自分の身体の変化、周りの友達そして異性との違いを受け入れ なくてはならない。それに対し極端な反応を示してしまう子もいるだろう。性自認が不安定な子 どもに対して、両親や医師が誤って性同一性障害と診断してしまい治療を開始したり戸籍を変更 してしまっては取り返しがつかなくなってしまう。そこで、戸籍が変更できる年齢はある程度性 自認が確立されると考えられる、義務教育を卒業する 15 歳から可能であると明文し、小学校や 中学校をどちらの性で通うかについては学校や両親、当事者の間で決めるという風に改定しては どうだろうかと考える。 次に、「現に婚姻をしていないこと」に関してだが、3 章で述べたように当事者の中には社会 に適応することを求めたうえで婚姻関係を結んだ者も多くいる。そのような人たちが一律に排除 されてしまうのはいかがなものだろうか。しかし、現在日本では同性婚が認められていない以上 この要件を排除することは難しいと考える。特例法では、過去の婚姻を問われるわけではないの で離婚をすれば審判の申請ができる点において、まだ救いがあると言えるだろうか。 次に、「現に未成年の子がいないこと」であるが、これは全面的に削除するべきであると考え る。この要件に関しては子どもの福祉が問題として挙げられるが、前述した通り子どもの福祉と はその家庭でつくっていくものであり、子どもにどのように性同一性障害のことを説明するのか、 戸籍変更後にどのように関係を築いていくのかは当事者とその家族が決めていくことである。例 えば、外見が完璧に女性である父親の戸籍が男のままであるのは逆に子どもの福祉を害してしま うだろうし、偏見や差別を助長するきっかけにもなり得るだろう。よって、この案件は削除すべ きであると考える。 最後に、性転換手術に関する要件である「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く 状態にあること」と「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を 備えていること」であるが、これは上川氏が述べているように基準があいまいで医師の判断に委 ねられていることから、「性同一性障害に関し、何らかの身体的治療を受けていること」という 程度に改定することが良いのではないかと考える。性転換手術に関する要件をなくしてしまえば、 外見はどこからどうみても男性の人でも戸籍を女性に変えることができてしまう。そうすれば社 会で混乱を招いてしまうだろう。また、女性の方が所得税法や生活保護制度において有利な取り 扱いを認められているために、性同一性障害と偽って戸籍を変更することを防ぐ必要もある。治 療の程度は当事者の意志や経済的、身体的理由を考慮しつつ決定し、医師が変更後の性別で問題 なく社会生活を送ることのできる身体と判断することで、この要件を満たせるという風にすると 8 良いのではないだろうか。 ここで、私の考える私案についてまとめてみたいと思う。 性同一性障害の定義は、現行の特例法と同じく、 「診断を的確に行うために必要な知識及び経験 を有する 2 人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している 者をいう」とする。次に戸籍変更の審判の要件であるが、 「15 歳以上であること」、 「現に婚姻を していないこと」、「性同一性障害に関して、何らかの身体的治療を受けていること」という 3 つに絞りたいと思う。しかしこの法律はあくまで枠組み程度であり、個々の事例に対しては当事 者の取り巻く環境や、移行後の性別でどの程度社会に適合して生活できるかを最も重視して裁判 所で審査されるべきである。私が考えた私案の 1 番の目的は、法律によって当事者のなかに線引 きをしてしまうことを避けるということである。当事者の努力ではどうにもできないことを要件 として取り込んでしまっては、その適用範囲外の者が、法律が改定されない限り一生救済されな いということを指している。現在、残念ながら特例法改定の動きはみられていない。しかし、法 律の定める要件をあいまいにすることによって、より慎重で正確な判断が医師に求められるよう になる。性同一性障害を専門とする医師は国内にはまだ少なく、また医師の数に比べて当事者の 数が多すぎるというのが現状である。当事者とは長い年月を重ねてカウンセリングを繰り返し、 周りの人たちとの関わりや社会の中でどのように生きていくか、性別適合手術はどうするかなど を決めていかなくてはならない。よって、1 人でも多くの当事者が適切なカウンセリングを受け られるように専門医の育成も重要となっているだろう。 さらに、特例法に関して性別変更に伴い発生する法律問題が残されているという指摘がある。 婚姻した一方または双方が当事者の夫婦が第三者の子である未成年者を養子に取れるのか、養子 縁組をしたパートナーの一方または双方が性別変更をし、離縁した後に婚姻できるか、そして、 所得税法の寡婦控除、生活保護制度における特別加算金などのように、単に女性であるという理 由のみをもって有利な取り扱いを認めている諸法令については、調整が必要であるにもかかわら ず、そのための法改正が提案すらされていない、などである。これらの問題も、当事者が戸籍を 変更した後により生きやすい社会を実現するために解決しておくべきものだろう。 5、まとめ 最近では、性同一性障害を始めとして同性愛やニューハーフなどといった方がメディアに登場 する機会も多くなったが、ジェンダーマイノリティに対する差別や偏見は日本に根強く残ってい るように感じる。実際に戸籍を変更した後も、職場からの理解が得られずに職を失ったり、自殺 してしまう当事者もいると聞く。当事者の方がより生きやすい社会をつくるためには、多数派で ある健常者が性同一性障害について正しく理解し、当事者から発せられる小さな声を聞き、受け 入れることではないだろうか。確かに、当事者が抱える悩みを健常者が理解することは難しいだ 9 ろう。しかし、それ以前にみんな平等に 1 人の人間であり、等しく自由を与えられる権利を持っ ている。その自由を奪ってしまっているのが私たちの無理解や差別なのである。今後、1 人でも 多くの当事者が望みの性で社会生活を送ることができ、堂々と青空の下を歩ける日が 1 日でも早 く来ることを願わずにはいられない。健常者である私ができることは何だろうと考えたときに、 性同一性障害について勉強し、それを知らない人たちに向けて発信していくことではないかと考 えた。当事者の方々の小さな声を大きくする、拡声器になれたら良いなと考えた。私の書いたレ ポートが、今まで性同一性障害に興味がなかった人たちの目に触れ、少しでも関心を持ってもら えたら幸いである。 参考文献 上川あや (2007 年) 『変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から』 岩波新書 大島俊之 (2002 年) 『性同一性障害と法』 日本評論社 南野知惠子 (2004 年) 『解説性同一性障害者性別取扱特例法』 日本加除出版 gid.jp 一般社団法人 gid.jp 日本性同一性障害と共に生きる人々の会 http://gid.jp/html/GID_law/index.html 10
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