元気企業訪問シリーズVol.25

元気企業
訪問シリーズ
Vol.25
そうしん元気発信
丸干しを主とした塩干魚の製造を主に創業 年
昔ながらの味、製法を守りながら水産加工に新たな息吹を吹き込む
活気みなぎる企業を訪ねて
国道3号沿いの田んぼの中に建つ川内工場
自転車での行商から始まり、
関東を中心に販路を拡大
国道3号沿い、薩摩川内市湯田町の川内高城温泉
入り口の田んぼの中に目立つ大きな2棟の建物。
壁に
「創業昭和14年」
「昔ながらのこだわりの干物 薩摩の
下 園 満 氏
代表取締役社長
株式会社
下園薩男商店
□所在地 阿久根市大川54(本社)
薩摩川内市湯田町1013-1
(川内工場営業本部)
□設 立 昭和46年
□資本金 1000万円
□売上高 6億円
□従業員 約100名
□電 話 0996(28)0200
(川内工場営業本部)
□FAX 0996(28)0854
(阿久根支店お取引先)
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味」と書かれている。阿久根市に本社を置き、塩干水
産物の加工販売を手がける下園薩男商店は、
ここ川
内工場と、川内川河口の船間島第2工場で、イワシや
キビナゴ、
シシャモの丸干し、
アジ、
サバの開き干しや
みりん干しなどを製造している。
下園満社長
(64歳)
の父親で創業者の下
園薩男氏は大正10年
生まれ。幼くして父
親を亡くし、5人 兄
弟の長男だった薩男
下園薩男商店のメーンとなっている丸干し製品
氏は少年期から母親
のリヤカーの行商を手伝いながら育ち、18歳のころ
に創業。当初はサバなどを串に刺して火であぶった
「ひぼかし」
や開き干しなどを作り、
自転車に積んで宮
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之城や東郷、
栗野、
大口などを行商して回っていた。
「当初は夜中の11時に阿久根を出て、宮之城の山崎
あたりで夜が明けると、
ふかし芋などで腹ごしらえを
してから民家を一軒ずつ回りながら売っていたそう
だ。さらに10代後半には地元の川畑水産創業者川畑
福二郎さんに連れられて朝鮮・台湾等との貿易も始
めていた。
」
と下園社長。戦争でインドネシアに出兵。
復員後は昭和23年ごろにいち早くトラックを購入し、
都城やえびの、
人吉などの問屋を回るなどして販路を
拡大。
下園社長も3,
4歳のころ父親の車に乗り、
都城
など一緒に回った記憶がある。
「夜に出て、
加治木あた
りで道路に駐車して睡眠をとっていると、
警察官から
不審尋問されたことを覚えている」
という。
こうした草創期を経ながら、県内の同業者に先駆
けて北九州から神戸、大阪、東京と販売先を拡大して
いった。
現在の販売先は関東が圧倒的に多い。
安心・安全を徹底させて、
悪いものを作らない工場目指す
地元の同業者の多くが業務用として出荷してい
るのに対し、下園薩男商店の製品の8〜9割は同社製の商
品として、イオンやイトーヨーカドー、西友などの大手量販
店や生協などを通じて販売されている。
「わが社も20年前は
業務用が中心だったが、大手量販店などから声がかかり、そ
の厳しい要求に応えられる製品づくりをしていくうちに品
質向上が進み、販売先も広がっていった」と下園社長。
業務用だと最終商品に自社名は入らないが、自社商品と
して出荷する場合はクレームも直接来ることになり、販売
伝統の製法を土台にして、
付加価値を高めた商品を開発
阿久根の丸干しは歴史が古く、県内ではほとんどが阿久
根に限られている。なぜ阿久根で丸干しが行われるように
なったのか。下園社長は自ら聞き取りや資料などを調べた
結果として次のように説明する。
先の信用にもつながるだけに、おいしさなど品質だけでな
「私の祖父の代に、阿久根市大川出身の松下さんという
く食の安心・安全には入念なチェックが求められる。特に
人が営む長崎の水産会社に、大川から数人が季節労働者と
生協などは370項目余りの審査項目があるなど厳しい。同
して行っていた。その松下さんの奥さんが五島から嫁いで
社では、これらの要求
きた人で、昔から中国との交易が活発な五島には“唐人干
にしっかり応えるとと
し”という丸干し製法が伝わっており、祖父たちがこれを覚
もに、その製品がいつ
えて帰郷。阿久根で大量のイワシが獲れた時に丸干し加工
仕入れた原料で、いつ
が始まったと考えられる」
加工したものかが分か
阿久根のイワシ漁はだいたい20年のサイクルで大漁と
るようなトレーサビリ
不漁を繰り返しているという。昭和29年に不漁、49年に豊
ティーにも力を入れて
漁、平成6年に激減した。それから20年後が来年にあたる。
いる。
「2、3年前からその兆しが見え始めているので、来年は大
「量が少ないところ
は、経営者が良いもの
量のイワシが水揚げされるのではないか。以前は刺身にで
安心・安全な食づくりを徹底させた衛生的な工場
きるような鮮度のものも値が暴落し、9割以上は養殖ハマ
しか作らないということを決めれば、いい原料を仕入れて
チのえさに回すぐらいしか策がなかった。これでは駄目で、
作り方や選別に少し手間をかけたらきれいな製品が出来
今度獲れる時は国内用や中国市場向けの商品開発など付加
る。しかし、わが社はたくさんの量を扱っており、多くの従
価値を高める必要がある」と下園社長。
業員が働いている。その中で20数年前から、悪いものを作ら
現在、下園社長
ない工場にしようということで徹底している」
(下園社長)
の長男、下園正博
常 務(33歳 )を 中
原料の魚の鮮度にこだわり、
国産の天然塩を使って加工
心に付加価値の
高い商品開発が
進められている。
下園薩男商店の生産量は年間1千トンを超える。その原
今年6月に発売
料の仕入れ先は現在、イワシやキビナゴなどの丸干し類は
開始された瓶詰
阿久根のほか枕崎、内之浦など、サバやアジの開き類は枕
めの「旅する丸干
崎、長崎などが多い。シシャモは商社を通じてアイスランド
し」はその第1弾。ウルメイワシの丸干しを阿久根産ボンタ
などから輸入している。
ンオイルに漬けた「阿久根プレーン」、ドライトマト、フライ
丸干しいわしの付加価値を高めた「旅する丸干し」
丸干しも開きも、できるだけ新鮮なうちに塩水漬けする
ドガーリック、トウガラシ入りのスパイシーなオイル漬け
ことでおいしい製品に仕上がる。たとえば阿久根漁港に朝
の「南イタリア風」、ハーブ入りオイルの爽やかな香りの「プ
7時半ごろ水揚げされたイワシ類は、入札を経てすぐその
ロヴァンス風」、カレーとトウガラシ入りオイルの「マドラ
場で塩水漬けし、工場に運び、10時ごろから作業が始まる。
ス風」の4種類。
商品化に最も適した8〜 10センチのイワシが獲れる期間
マスコミで大きく取り上げられ、消費者や問屋などから
は1カ月程度で、月夜やしけを考慮すると半月ぐらいしか
の反響は大きいが、
「売り手、買い手両方の顔が見える売り
獲れない。この時期は工場はフル稼働となる。
方をしたい」と、今のところインターネットのほか県内数カ
10年ほど前までは丸干し用に価格の安い山口県の長門
所だけと販売チャネルを限定している。
から大量に仕入れていた。長門から輸送してきたイワシは
下園常務は大学卒業後、東京のコンピューターソフト開
八代の借地で塩水漬けにして、そこから川内の工場まで約
発会社にエンジニアとして4、5年勤めた後、商社で水産関
2時間半。その間に塩がちょうどいい具合に魚に浸透して
係の仕事を5年間修業して帰郷。38歳の川内工場長、33歳
おり、午後3時ごろから夜の10時ごろまで作業という時代
の元イタリア料理人のスタッフらと共に若い発想で商品開
が20年ほど続いた。
発や営業に取り組み、
「旅する丸干し」に続く第2弾の試作
塩干物づくりで重要な役割を果たす塩は国産の天然塩
品も出来上がっている。こうした若い感性とチャレンジ精
を使っている。
「日本の塩はもともと専売で、財閥系が手が
神が、下園社長の豊かな経験と人脈に支えられながら、下園
けていたという歴史が背景にあるので品質がいい」という。
薩男商店の新しい時代を切り開いていく。
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