Maria Sharapova marks Chernobyl 25th

Maria Sharapova marks Chernobyl 25th anniversary
マリア・シャラポワ選手、チェルノブイリ原発事故25周年にメッセージ
2011 年4月 26 日 記者:Aziyadé Poltier-Mutal
ジュネーブ、ニューヨーク(UNDP)ー「1986 年のチェ
ルノブイリ原子力発電所事故当時、そこで生活して
いた何十万もの方々はいまだに苦しんでいます」
ロシアテニス界のスターであり、国連開発計画
(UNDP)の親善大使でもあるマリア・シャラポワが4
月 26 日のチェルノブイリ原発事故 25 周年記念行事
で追悼の辞を捧げた。
旧ソビエト・ウクライナで起きたチェルノブイリの悲
劇は史上最悪の原発事故であり、西ロシアおよびヨ
©UNDP
ーロッパ全土の大気中に放射性汚染物質を放出し、原子炉周辺の 20 万人以上の人たちが避難を余儀なく
された。
「記念行事は悲しみで満たされていますが、私たちはこれが希望のときであることも分っています」とシャラ
ポワは本日公開されたビデオメッセージの中で述べている。「私たちはこの悲劇で人生が変わってしまった
すべての人たちにとって、より良い未来を築くために前へ進んでいます」と述べるシャラポワは、1987 年生
まれで、彼女の家族はベラルーシのもっとも被害のひどかった地域のひとつであるゴモルから避難してい
る。
今週初めのチェルノブイリ訪問中、パン・ギムン国連事務総長は 1986 年の事故と最近の福島県第一原発
事故のふたつに触れた。
事務総長は「私たちはこれらの悲劇から教訓を学びました。私たちは国および国際レベルでの原子力安全
基準を強化しなければなりません」と述べ、現状の安全基準の広範な見直しの必要性や IAEA の役割強化
といった、5つの緊急かつ具体的なステップを示した。
さらに事務総長は、自然災害と原子力発電の関係にさらに注意するだけではなく、原子力発電の費用便益
を見直すことやテロリストから核技術を守ることが必要不可欠である、と述べた。
2004 年以降、UNDP は国連チェルノブイリ国際協力コーディネーター(UN Coordinator of International
Cooperation on Chernobyl)として、地域インフラ、水の確保、保健、情報設備の改善のため、地域や政府を
支援してきた。特に若者、医療関係者、教師を対象とした基本的保健関連情報へのアクセス、健康的な生
活スタイルの向上、および起業家精神の育成は国連戦略の中核である。
詳細はこちら UNDP ジュネーブ:Ms. Aziyadé Poltier-Mutal Tel: +41-22-917-8368; Mobile: +41-79-349-16
10; aziyade.poltier@undp.org
マリア・シャラポワ・オフィシャルウェブサイト:http://www.mariasharapova.com/chernobyl.aspx
シャラポワスピーチ
「みなさん、今日で歴史上最悪の原発事故、チェルノブイリ事故から 25 年が経ちました。過去を振り返ると
き、私たちは緊急事態に対処した作業員の献身、汚染された地域から避難を余儀なくされた人々の苦しみ、
周辺に住んでいた多くの人々が経験した危険や恐怖を忘れてはなりません。チェルブイリの被害を受けた
地域の完全な回復はいまだ遠いものです。ベラルーシ、ロシア、ウクライナの被害地域の復興はまだ続い
ています。ご存知かもしれませんが、ゴモルにはとても縁があって、そこに住んでいた私の両親はチェルノ
ブイリ事故のためにそこから避難をしました。祖母はまだそこに住んでいます。大きな被害を受けた地域で
はありますが、大きな可能性も秘めています。この可能性を実現するために、私も自分の役割を果たしたい
と思っています。これが 2007 年に被害地域の日常を取り戻すことを目的とする UNDP 親善大使を引き受け
た理由です。チェルノブイリ原発事故 25 周年行事で述べたように、私たちは被害地の方々と団結していま
す。記念行事は悲しみで満たされていますが、私たちはこれが希望のときであることも分っています。私た
ちはこの悲劇で人生が変わってしまったすべての人たちにとって、より良い未来を築くために前へ進んでい
ます。どうもありがとう。」
出典:United Nations Sport for Development and Peace
翻訳:丹野広記