@ lじに 血 ・ ヒ川 Kcp. H0kkHid() H れ tche@.y (l6U:l Sa@ll0 ロ り 1 @(@1 サケ・マスに 関連するアイヌ 語について 斎 藤 博 彰, Salmonid〕inguistics(nAinu Hiroaki@ Saito* いたことから , 中 ・ そ こにいる ・ 魚、 ) 言語や文化の中にはサケ・マスに関連した 言葉が多く, その意味も任の生態や形態を サクラマス サクラマスは夏に獲れるこ 的確に表現し,われわれにとって学ぶとこ ぺ : 夏の・食糧) ここではサケ・マスに関連した アイヌ語について若干述べてみたい。 カラフトマス サケ サケ卸 llで獲 れる缶、の中で最も重 カラフトマスはサケ属任 類の中でもべニザケ同様に産卵期の第二次 要な食糧源であったことから,アイヌの人々 性徴が著しく,特に雄は歯骨の発達や背の は サケ のことを シペ (シ,イペ : 本当の・ 隆起が顕著で,地方によってはセッパリマ 食糧) と呼び冬季間の大事な蛋白瀬として ス,英語でも hu Ⅲpbackedsa ㎞ non( せむし・ いた。 また,サケはカムイ・チェ プ (W申 17 さけ) と呼ばれるているが, アイヌ語では 宙 ) とも呼ばれ,明らかに他の色類 とは区 エ モイ (エ ムイ : 頭に ,束あ るいは山頂) 別されていたようであ る。 と呼称されている。 コ・ ・ サケは漁期によっても呼び名が異なり, チュク・チェプ (秋 ・ 缶 ) であ り, 冬 あ る いは晩冬に川で獲れる サケ は てタ ・チェプ (冬 ヒメ マス ベニザケ の陸封型である ヒメ マスはカパッ ・チェプ (カパル・チェプ : 魚) と呼ばれた。さらに,彼らはサ うすっぺらである・ 任 、 ) と薄い色あるいは ケ を 獲る場所の違いによっても 呼び方を変 平たい缶の意で呼ばれる。支笏湖ではチッ え , 海ではアト・ ウ ・ルン・チェア (アト プ (チプ : 舟) と誹って呼ばれ, この呼称 イ・オル・ウン・チェプ : 海 は 現在でも使われている。 ちなみに, ヒメ , ・ キ ・そこに 北海道さけ・ますふ 化場業績B 第U4 号 (StockManagel]]entSection,Hokkaid0Saln]0nHatchery ,北海道さけ・ますふ 化場事業管理課 FisheriesAgcncy ofJapan. 2- 2 Nakanoshima. ToV.ohira- ku, Sappor0 062, Japa め 年 治 明 た さ ム口 ロ 名 と 尊 直角 で あ スる サバキクニ を腰に付け,漁獲したサケ・ イ マスをこれで撲殺し,家に持ち帰った。 ま サケ・マスの 産卵湯 イチャン と はサケ・ マスの「産卵床」のことであ り, また,イ た, この棒は神に捧げる木牌としても使わ れ,漁期の始まる前に部落 (コタン) の人々 が河岸に集まり祭儀をする際に使われた。 チャン・ウニ (イチャ・ヌニ : 堀り・あ る すなむ ち,各戸から一人の男性が祭儀に参 所) は「産卵湯のある 所」の意味であ る。 加し, ヤナギヤ ミズキで木幣を作り,河岸 北海道の地名のうち,根室標津 の伊奈仁 (い の草原に幣場を設けて,神々に豊漁を祈っ ちゃに), 中頓別の一己 内 (いちやんない) た。 このように,神の魚を撲殺するこのイ は,いずれもサケ・マスが「産卵床を作っ サパキクニは神聖なものの証しでもあるが, た 所 」というアイヌ語を起源としている。 その形態は現在ふ 化場が親骨、 の撲殺に使用 している棒と 形態的には変わらないようで サケ・マスの漁具に関する言葉 ヌ 音ア イ あ る。 0 人々がサケ・マスを模 るのに使った漁 生活用品としてのサケ・マス 具にウライ (梁) やテシ (魚止め ) などが アイヌの あ る。 ウライ漁法は, Jllを両方から川下に 人たちはサケ・マスを食糧として利用した 向かって八字形に堰き止め,川の 中央部の 開いた口に袋網を設置し,川を 降りる魚を ばかりでなく,生活用品の材料としてもそ れらを用いた。特に,その皮は靴として lJ 掬い上げて獲る 方法であ る。 テシ漁法は川 片 され,サケの皮で作った靴のことをケリ 瀬に杭を打ち,そこに横木を結びつけて柵 を作り,更に竹の實を立てかけて ,サケ・ (靴 ) と呼んだ。また,男性用の長靴のこ とをタンネ ケリ マスが湖上できないようにして獲る 漁法で 靴 ), 女, 性用の短靴をオスコッケリけスッ あ る。 コッ,ケリ : 根もと・ くほんでいる・靴 ) 北海道の河川沿線には数多くのウライ や オ と (タンネ・ケリ: 長くあ る・ ・ 呼んでいた。 いずれもサケ の皮で作られ その主な漁場 ていたが, どのサケの皮でも使えるわけで が地名に残った所も少なくない。小清水町 はなく,Y剛 llへ湖上し産卵湯に集まった, の浦士別別 は ウライ・ウシ ・ペ ソぞ梁 背鰭の先が少し 白くなりかけた稚魚の皮の テシが仕掛けられていたが, ・ 群 在している・ハ けであ り,天塩川はテシ ・ みが靴 として使われたようである。 オ ・ペ ソ (魚止め・存在する・り けから派 参 考 生している。 サケ・マスを漁獲した時に, それらを撲 殺するのに棒 (頭叩棒) をよく用いるが, その頭叩棒 のことをアイヌ語では イサパキ クニ 木) (イ ・サパ・ と キ ・ニ ー :物 ・ 秋庭銭2 案創設の 言った。彼らは小滝 に 出る時いつも 一l 千歳, さけ ・ますふ化事 北海道さけ・ます 友の会, 196p. 司 ll健夫 頭 ・する・ 文 献 と漁. 日本のサケ,その文化誌 版協会,242p. 更科源蔵 ・更科光, 1976. 北海道出版企画センタコ コタン生物証11 (野獣・海獣・ 魚族篇). 法政大学出版局, 山田秀姉・1972. 北海道の川の名・ モ レウ・ ライブラリⅠ 218p. 539p. 知里真志保・1984. 地名アイヌ語小辞典. 一 103 169p. 一
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