■ 鉄道による地域活性化に向けたシンポジウム(第2部) 日時:平成 27 年1月 18 日(日)14 時 35 分∼ 会場:ホテルニューオータニ長岡 NCホール 座談会「地域振興・防災・復興における鉄道の役割」 パネリスト 稲垣 文彦 氏 NPO法人 市民協働ネットワーク長岡 副代表理事 (公社)中越防災安全推進機構 復興デザインセンター長 波潟 郁代 氏 (株)JTB総合研究所 矢野 直美 企画調査部長 氏(講師) 文筆業・鉄道写真家 コーディネーター 鈴木 聖二 氏 新潟日報社取締役 特任論説編集委員 (鈴木氏) 改めまして新潟日報社の鈴木です。よろしくお願いいたします。 今、司会から、地域振興・防災・復興というかなり長くて難しそうなテーマの 紹介がありましたけれども、今ほどの矢野さんのお話にはいろいろなキーワード が含まれていて、楽しく聞かせていただきました。それをさらに広めていく形で 進めていければと思っています。 本題に入る前に、矢野さんのことが今のお話でよく分かったと思いますけれど も、パネリストのお二方から、それぞれの立場と鉄道の絡みも含めて自己紹介を 簡単にお願いします。 (稲垣氏) 稲垣でございます。よろしくお願いします。 自己紹介をしますと、一つは、NPO法人のほうでは、今日は長岡にお越しい - 1 - ただいていますけれども、すぐ近くにアオーレ長岡というのがございますけれど も、あそこに市民協働まちづくりということで市民協働センターがございます。 そこで市民と一緒になって協働のまちづくりを進めましょうということで、その NPO法人が仕事を一緒にやっていまして、協働センター長という立場で長岡の 協働のまちづくりをやっています。 もう一方で、中越防災安全推進機構、復興デザインセンターというところです けれども、10 年前の中越地震からの復興のお手伝い、あるいはそれに関係して、 4年前になりますけれども、東日本大震災の復興のお手伝いもさせていただいて いるところです。中越地震の話をしますと、人口減少の問題がございます。どう いった地域づくりが必要なのかということで、中越では、若者を地域に送り込ん で地域を活性化すると言われましたけれども、それを模して全国でも地域おこし 協力隊ですとか、集落支援員という外部人材を使った人口減少対策をやっていま すけれども、そのようなお手伝いもさせていただいています。鉄道にもよく乗っ ていますね。ただ、鉄道が好きかとどうかというのは分かりませんけれども、そ のような人間でございます。 昨今、地方消滅といった言葉が出てきまして、地方が大変なことになっていま すけれども、中越あるいは新潟の地域づくりの取組みというのは地方創生をリー ドしていけるだろうと思っています。ここで宣伝でございますけれども、これは、 私が大変お世話になっている明治大学の小田切先生の「農山村は消滅しない」と いう本でございます。これはすばらしい本です。これとセットでございますけれ ども、私が一緒に書いておりますが「震災復興が語る農山村再生」ということな のですけれども、これからは地方の時代、あるいは地方が日本をリードするので はないか。その中で鉄道というものが非常に大事になってくるのではないかと感 じております。そのような形の中から今日はお話をさせていただきたいと思いま す。どうぞよろしくお願いします。 (鈴木氏) ありがとうございます。 それでは、JTBの波潟さん。JTBはあらゆる鉄道の旅行を扱われているわ けですけれども、プロの立場からお話を伺えればと思います。 - 2 - (波潟氏) JTB総合研究所の波潟と申します。よろしくお願いいたします。 私は加茂市で生まれまして、12 歳で三条に引っ越しました。今、両親が共に健 在で三条市にいますので、ここのところほとんど毎日電話をして雪の状況を聞い ています。いざとなったら日帰りでも帰って、庭と玄関がすぐにツンドラ状態に なってしまうので、雪の掘り起こしをして帰ろうかと、いつも覚悟ができていま す。そんな毎日です。先ほど矢野さんから鉄道が好きか嫌いか考えたこともない 人が多いだろうというお話がありましたけれども、私自身もそうだなと思ってい たのですが、よくよく考えてみると、二十何年前に、明日、JTBの入社式とい うときも燕三条に一人で新幹線に乗って上京するとき、プラットホームに新幹線 が入ってくる様子、迎え入れるあのときの自分をなぜか今でもずっとおぼえてい て、なぜか自分の原点の原動力になっているような気がしています。 今は研究所で、どちらかというと直接新潟の地域おこしなどにかかわっている ということはないですけれども、ICTの進歩が人々のライフスタイルや価値観 にどのような影響を与えて、それが旅のスタイルにどのように影響を与えている のか。できればその未来予想もしようと思って常に研究を続けております。そう いった研究の成果を、いずれ地域活性化をされている地域の方々にも、つまり、 旅行を売っているような大都市圏の人だけではなくて、旅行者はこういうものを 必要としているということを活性化の中にフィードバックできればいいと思っ ています。 思い起こしますと、中越地震のときに新幹線が通らなくなって、私もいつ新潟 に帰れるものかと思っていた者の一人です。そのときちょうど販売促進をしてお りまして、弊社からワンコインバスというものを出していたのですけれども、や はり鉄道が開通したときのあのパワーというものは、これで多くの人たちが新潟 へ行って新潟を活性化できればこんなにうれしいことはないと。あのとき一番最 初に鉄道のすばらしさを身をもって感じました。今日はそういったことを踏まえ ながら、観光振興、地域振興に何かヒントとなるような話を、私もこの座談会を 通じて持って帰りたいと思います。今日はよろしくお願いいたします。 (鈴木氏) ありがとうございました。 お二方の話を聞いていて、先ほどの矢野さんの話もそうですけれども、鉄道の - 3 - ことを考えることは、そこの地方、地方と中央の間、地方と地方とのつながりの あり方を考えていくことなのかと、自己紹介のところですでにそういった課題が 浮き彫りになっているような気がします。 私も一言だけ自己紹介させていただくと、石川県金沢市の生まれで、新潟日報 に入社して最初の赴任地が長岡市で、毎日、長岡から新潟まで新幹線で通勤させ ていただいているハードな鉄道利用者の一人です。盆と正月には金沢へ鉄道に乗 って帰るのですけれども、今年の正月に帰省したとき、特急「北越」は1日5往 復しか走っていないのですけれども、乗っておりましたら、沿線の雪の中に立っ て、カメラを構えて撮っている、先ほどの矢野さんのお話でいえば「撮り鉄」の 方々がたくさんいらっしゃいまして、雪の中で大変だなと思っていました。しか しよく考えると、「北越」がなくなるからなのですね。これが雪の中で撮れる最 後の姿だということで、いろいろな方が沿線で写真を撮っておられました。先ほ ど副知事から3月 14 日の北陸新幹線の開業をどう生かすのかというお話もあり ましたけれども、いろいろな変化が2か月後というか8週間後ですけれども、そ ういったタイミングでここで鉄道と地域振興のあり方を考えていけたらと思っ ております。 早速なのですが、稲垣さんの先ほど自己紹介でも中越大震災ということで、今 日の朝刊を見ますと、神戸の 20 年、去年は中越大震災から 10 年、3年後の中越 沖地震、東日本大震災と、稲垣さんは災害への対応というところから、先ほどお っしゃった地域づくり、地域政策というものにかかわってこられたわけですけれ ども、防災というのは今日のタイトルにも入っているのですけれども、復興と鉄 道という視点で、ここでは鉄道というものが持っている特性や潜在力みたいなも のをまず明らかにしたうえで、それをどう生かしていくかという部分で進めたい と思います。まず、鉄道の特性をどのように見ていらっしゃるのかということで お話を伺いたいと思います。 (稲垣氏) 最後の復興というのは直接かかわりがないのですけれども、私はこんなふうに 見ているというお話をさせていただきます。私は実は週2回新幹線に乗っている という特異な人間でございまして、新潟ではなく東京へ行くということです。東 京あるいは東北が多いのですけれども、これは言っておかなければいけないと思 っているのですけれども、北陸新幹線、東北新幹線、いい新幹線が走っています。 - 4 - 緑とか赤とか、青いもの入ったりするのですけれども、上越新幹線の若干古いも のは分かりますが、ピンク色の新しいものも走らせていただくとありがたいとJ Rさんにお願いしたいのですけれども、それはよしとして、なぜ週2回行ってい るかというと、東京にいろいろな情報を得に行っているわけではないのです。基 本的に我々の新潟の取組み、地域振興にしても復興にしてもそうですけれども、 その取組みを東京に話しに行っているということなのです。 3.11 以降、あるいは中越地震以降だと思うのですけれども、大きく世の中の考 え方が変わってきているのだろうと感じております。ややもすると、これまでは 新潟というところに新幹線がなくなると、我々は東京へ行けなくなる、東京との 商売がうまくいかなくなる、あるいは東京との交流が薄くなる。どうしても東京 から何かをもらうといった、いってみれば新幹線だったり、鉄道だったりしたの でしょうけれども、最近はどうも逆になっているということなのです。この写真 は移住女子です。最近有名になりました。首都圏から女の子が新潟の地方に移り 住んできたということです。今、こういうことが起きています。中越地震のとき もそうですけれども、あのときにさまざまな交流が起きて、この地域のよさ、人 の魅力を再発見して、そこにあこがれて、都会の若者たちが移り住むようになっ てきた。こういう時代になってきたのがこの数年でございます。 この方々はみんな新潟に住んでいる人です。ここには写っていないのですけれ ども、一人、松代に移り住んだ人もいます。30 代の子ですけれども、その子が、 「松代って便利なんです」と。新幹線で行くと2時間ちょっとで東京に行けます。 たまに行くのですけれども、東京はたまに行くところでいいという話です。大き く変わってきたのが、20 代、30 代の世代が、いまや都会でばりばりで仕事をし てという価値観がございません。むしろ、自分らしい生き方、人とのつながりの 中で、自分が食べるものは自分で生産するといった暮らしをしていきたいという 若者が増えてきています。これは大きく世の中で動いています。この子たちはこ んなことを言います。東日本大震災のときに千葉に住んでいた女の子が、これは いけないと思ってスーパーに駆け込んだそうです。お米を買いに行った。そうし たら、自分の手前でお米が売り切れたらしいのです。都会で人間はこんなにも弱 いのだと。こんなところに住んでいたら人間が弱くなるということで、田舎暮ら しを始めたということを言っています。 これは防災のところにもかかわるのですけれども、これまではどちらかという と、我々が東京に行っていろいろな意味で学ぶ。あるいは東京のいろいろな産業 - 5 - がお金をこちらに引っ張ってくるという話だったと思うのです。ここからは地方 が東京の手助けをする。東京はどんどん高齢化が進んでいる。そういう中で、地 方の暮らしの中で生きがいを見いだせて、そこでいきいきと暮らしていくという ライフスタイルがどんどん出てくると思います。そういった意味でも鉄道という ものが、これまではどちらかというと一方向の時代だったのでしょうけれども、 双方向の時代になる。そのような可能性を鉄道には期待しています。人口減少と いうものはしょうがないだろうと思います。 ただ、山古志の事例あるいは川口の事例を見てみますと、人口が減ったとして も活気は以前よりも増しています。それは何か。人の流動性です。いろいろな方々 がいろいろな形で地域に入って、そこに住んでいないのだけれども、仲間同然に 田植えを、盆踊りを一緒にやるのです。それで山古志の方々が一方的に元気にな るわけではなくて、都会に住んでいる皆さん方も元気になっている。これからは 人口減少の時代は流動性をいかに確保するかという時代になってくるという意 味でも、やはり鉄道の意義というのは非常に大切なのではないかと思います。 後段では、この流動性に絡めて防災あるいは復興という話にも言及してみたい と思いますけれども、私からの第1弾の話では、一方向だった流れが双方向にな る時代がきたということをキーワードとしてお伝えしたいと思います。 (鈴木氏) ありがとうございます。 稲垣さんの話を聞いていて思い出したのは、昭和 30 年代ごろでしょうか、集 団就職列車というのがあって、若い少年たちが東京へ働きに行った。今年は戦後 70 年という節目の年でもありますけれども、70 年間近くにわたってずっと東京 が地方から人も物もお金も吸い上げるという仕組みもそろそろだめになってき て、そのことが今回の震災等で人の目に見えるようになってきて、地方から情報 発信をしていき、対等な形でやっていく。そのために鉄道というツールが非常に 印象的だったですね。松之山の山の中に行っても東京まですぐに行ける。東京の 人も松之山へ来ることができるという安心感、信頼感といったものが鉄道の持っ ている力なのだろうというお話だったと思います。ありがとうございます。 波潟さん、同じように鉄道の持っている力というものをどのように感じられて いますか。 - 6 - (波潟氏) 例えば災害があったときに復興の象徴として挙げられるのはやはり鉄道では ないかと考えています。私のところでは、旅行の動向見通しというものを毎年出 しているのです。今年 2015 年の動向見通しの中の大きなポイントして挙げたも のは、一つは訪日外人が 1,500 万人の大台に乗るという予測。これらの人たちは 何回も日本に行けば行くほど、地域へ広がっていくでしょうという予測をしてお ります。訪日外国人というのは交通弱者と同じように、車を直接運転するわけで はないので、地方への行き方として鉄道が大きな役割を果たしていると考えてい ます。 先ほども鈴木さんがおっしゃいましたように、北陸新幹線が3月 14 日に開業 いたしますけれども、物理的なことだけではなくて、さらに心理的な距離が格段 に縮まると考えています。この交通インフラの新しい需要をどのように検討する かということを研究していますけれども、ここで一つ例を挙げてみますと、2011 年に九州新幹線が開業したときに、実は鹿児島から先に指宿というところがある のですが、そこでの宿泊者が開業前の前年から比べると 138 パーセント増えたの です。ということは、鉄道というのはそこまでの力ではなくて、そこから先、あ るいは沿線の途中で降りたところからの先までに力強く波及効果を持っている ということが言えると思っています。 鉄道はいろいろな力を沿線だけではなく持っています。近年言われていること が、先ほど矢野さんから時刻表の例がでましたけれども、時刻表がデジタル化さ れてしまっていて、どうしても単純な往復ですとか、あるいは高速道路のインタ ーチェンジで降りてすぐその周辺、そこから先の移動というものがわりと少なく なってきているのです。そういった意味では、鉄道の力でそこから先をつなげる ということ。そこから先の波及効果を生み出すという意味では大変必要になって くるものではないかと思っています。 (鈴木氏) ありがとうございました。 鉄道というのは強い波及効果を持っている、軸の強いインフラであるというお 話だったと思います。その前の話でものすごく興味深かったのは、海外からの旅 行者は交通弱者であるという指摘がとてもおもしろくて、海外からの旅行者だけ ではなくて交通弱者との関係ということでも鉄道というものは大きな意味を持 - 7 - っていると思うのですけれども、いかがですか。 (波潟氏) 最初の自己紹介のときに両親の話をしたのですけれども、私は三条に実家があ るのですけれども、普通自動車が2台だったのが軽自動車2台に換わっていまし て、年末家に帰ったらついに軽自動車が1台になっていたのです。よくよく聞く と、年をとってしまうと運転しなくなる。そのかわりに鉄道に乗る機会が増えた と。隣の加茂市に行くとき、あるいは新潟市の病院へ行くときなども新幹線を利 用したり、燕三条まで行ってそこから行く。まさに旅行者、訪日外国人に限られ たことではなく、若者も免許は持っているけれども運転しないといわれていて、 それもデータで出ているのですけれども、そういった意味では、お年を召されて 車を運転しなくなった方も、旅行で来ている人たちも課題はわりと似ているとこ ろがあるのではないかと感じています。 (鈴木氏) 交通弱者の方たちのことを考える意味でも、鉄道だけを考えていたのではだめ だと。鉄道から次にアクセスする二次交通もマイカーではない、マイカーを持た ない人でもある程度、先ほど自転車の話も出ましたけれども、そういった二次交 通の整備が非常に大切だということだと思います。鉄道の持っている力というも のはそれだけでは発揮できないということを考えさせられました。 矢野さん、いかかでしょうか。先ほども矢野さんの話で一番頭に残っているの は、鉄道には笑顔があるという話です。確かに車を運転しているときにニタニタ していたらかえって気持ちが悪いくらいで、「打ち出の小槌」というキーワード もありましたけれども、笑顔に会えるというのも鉄道の本質なのではないかとい う気もします。今のお二方の話も含めて、鉄道の本質、個性、力というものを改 めてお聞かせいただけますか。 (矢野氏) 本当に笑顔に会えますし、先ほども言ったのですけれども、ローカル線に乗っ ていると土地の言葉が聞こえてくるのです。あれは旅の感覚があり、笑顔であり、 鉄道会社の運転手さんのシャッターですけれども、タレントでもないのにこんな に手を振ってもらえると。その仕事も運転手にしかない。こんないい仕事はない - 8 - なというお話をされていました。先ほどイスタンブールの例を挙げましたが、旅 行者は交通弱者というお話で、鉄道の利点というのはダイヤや地図がある。鉄道 だけではなくて、二次的な要素でその先に路線バスなりがあるというのは、私自 身は車に乗らない人間で、北海道の人間でめずらしいと言われるのですけれども、 車に乗らないので二次交通があるといいなということと、年配の方だけではなく て、これもよくお話をするのですけれども、今は車に乗れてもいつまでも乗れる わけではない。一生車の運転ができるわけではないと。そうなったときに、なく してしまった線路は戻らないということです。年配の方が車の運転ができなくな ったから息子さん、娘さんに頼んで買い物に連れて行ってもらうというのはよく あるケースだと思うのですけれども、しかし娘さん、息子さんも子育て、仕事で 忙しくてなかなか出られない。そうなると、年配の方はどんどん外へ出なくなっ てしまうと思うのです。 これはうちの母の話なのですけれども、母は足を悪くして杖をつかなければい けなくなってから外へ出なくなったのです。昔気質の人なので、そういうところ を見られるのがいやだと。しかし欧米では外へ出ますし、だれもがいつまでも車 の運転ができるわけではない。だれもがいつまでも健康なわけではない。それを 考えて、年配の方はどんどん外へ出るべきだと思います。昭和 30 年代、昭和 40 年代の高度成長期のときはバリアフリーは全く考えられていなかった時代です けれども、逆に気持ちのバリアフリーがあったのではないかと。重たい荷物を持 っている人を自然に助けてあげたり、若い人が手を引いてあげたり、ハード面の バリアフリーを整えるのも大事ですけれども、もっと年配の人が外へ出て、重た い荷物ですとか、歩くのが大変そうな方々もどんどん出れば、若い人も逆に心の バリアフリーとして手を差し伸べるということがあるのではないかと思います。 鉄道の一つの魅力というのは社交場みたいなところがあると思うのです。私は おばあちゃん子で育っているのですけれども、おばあちゃんがいて、いろいろな 世代の人たちがいっしょになる場というのはなかなかない。若い人はここ、年配 の方はここというふうになっているのですけれども、鉄道に関しては、特にロー カルだとそういうことはなくて、いろいろな世代の人たちが顔を合わせて、地べ たに座っている高校生がいたらしかってあげればいいですし、順番に並ぶことを 教えてあげればいいし、海外の人にも、日本のハートというのはそういうものだ ということを教えられるという社交場みたいな力も鉄道にはあると思います。 - 9 - (鈴木氏) ありがとうございます。 今の話を聞いていて思い出したのですけれども、最近読んだ新聞記事で、今、 地方創生で地方交付税の仕組み等も見直そうとしている中で、交付税として国か ら地方へ渡すお金の算定基準の中にマイカーの保有率を入れようと。どういうこ とかというと、公共交通に頼らずマイカーの保有率が高いところというのは田舎 ですから、田舎にたくさん交付金を措置するための算定基準として、これまでは 面積や人口などで割り切っていたのに、マイカーも算定基準に入れようと。それ は喜べばいいことなのか、悲しめばいいことなのか。新潟は全国きってのマイカ ー保有率の高いところですから、本来は喜ばなければいけないのかもしれないけ れども、やはり今の矢野さんのお話を聞いていると、違うなと。今、駅はほとん どバリアフリーで、車いすでホームまで上がれるようになっていますけれども、 そのわりには列車や駅で車いすの人に会う機会はそれほど多くない。それはやは り矢野さんがおっしゃられたような心のバリアフリーがどこかでおかしくなっ てしまった。車は密室で、ドアツードアでだれにも会わずに行ける車社会にずっ と浸ってきたところで、バリアというものがいつの間にか私たちの気持ちの中に できてしまったのではないかと。やはり社交の場として、違う立場の弱者と健常 者が一緒にいるというだけではなくて、先ほど波潟さんがおっしゃったおもてな しの場としても鉄道が持っている潜在力というのは大きい。人と人をつなぐ力は 大きいのではないかと思います。 矢野さんにもう一つだけ聞きたいのですが、「鉄ちゃん」とか「鉄子」と言い ますけれども、車が好きなカーマニアは「道路族」とか言いませんよね。なぜか 鉄道、列車の好きな人は鉄道という道のほうで呼ばれますよね。 (矢野氏) 「鉄ちゃん」、「鉄子」と言われますけれども、ただ、飛行機は「ひこちゃん」 と言われています。 「バスちゃん」というバスが好きな方もいるのですけれども、 やはり全体的に鉄道ファンというのは数が多いのと、人目によくつくから愛称で 呼ばれると思うのです。それは先ほども言った廃線なり新しい車両なりのニュー スが入るたびに鉄道ファンがという取り上げ方がされるのでそういった愛称が つくと思います。 これは推進しているのですけれども、我々は「鉄道マニア」という言葉を使わ - 10 - ないのです。 「鉄道ファン」といっています。 「マニア」という言葉はすばらしい 言葉です。どの世界もそうですけれども、「マニア」とか「博士」といわれるよ うな濃い部分があるからこそおもしろさがあるのです。ただ、語感として何とな く「鉄道マニア」というと、また何かやらかしたとかというふうになるので、 「鉄 道ファン」という言い方をしています。 (鈴木氏) 電車ファン、汽車ファンと言わないで、鉄道ファンと言うこと自体に鉄道の本 質が表れているような気がします。レールこそが鉄道の本質なのではないかとい つもしているのです。例えば私たちは子どものころ電車ごっこするときも、こう するだけではなくて、アスファルトの上に線路を描かないといやだし、そのとき もレールの上を走らせる。レールというのはいったん敷いてしまうと簡単に動か せないのです。先ほどの矢野さんのイスタンブールの話にもありましたけれども、 それにあれば非常に安心感、安定感、信頼感がある。それを象徴しているのは列 車ではなくてレールなのだと思うのです。必ず鉄道模型が飾ってあると、そのま まむき出しに箱に置いていないのですよね。線路を敷いた上に蒸気機関車なら蒸 気機関車を置く。それが大きいのではないかと。 (矢野氏) 大きいですね。放浪の画家と呼ばれている山下清さんは鉄道の線路の横を歩い て旅をされました。線路に沿っていくと必ずまちがある。どんなに山奥へ入ろう がまちがある。レールというのはまちとまち、人と人をつないで、日本の経済を 支えて、文化を支えてきたので、先ほどボルチモアの話をしましたけれども、線 路の先に広がるというのはすごく夢があると私は思います。 (鈴木氏) まちづくりの行政担当者に話を聞いたことがあるのですけれども、バスの路線 を敷いてもそこにはまちができないというのです。いつ廃止されるか分からない し、簡単に路線が変わったりすると。鉄道を敷くことではじめてそこに新しいま ちが生まれるという話を聞いたことがあります。 鉄道の本質とはどのようなものなのか。その特性の強みはどこにあるかという 話をそれぞれ伺ったのですが、それを地方の振興、活性化にどう生かしていくか - 11 - ということで、これは鉄道の関係者だけではなくて、地域の私たちも一緒に考え ていかなければいけないことで、課題もたくさんあると思うのですけれども、ど う使っていくか、どう生かしていくかということで、それぞれの立場からのお考 えをお聞きしたいと思います。 (稲垣氏) 先ほどの矢野さんの心のバリアフリーというのは非常にすばらしいと思いま した。それは、先ほどの都会の 20 代、30 代が田舎に求めていることなのです。 自然と人と人のつながりがあって、仕事に役割を持っていて、そういう人と人の つながりを求めて都会の子たちが田舎に来ているということで、心のバリアフリ ーという話とか、あるいは線路によって見えないつながりを維持しているという ことは、今後の移住などにも非常に関連してくる話なのだろうと思います。20 代、 30 代の子の特徴は、実は田舎がなくなっているのです。昔はおじちゃん、おばあ ちゃんが新潟にいます、長野にいますという話になっていたのですけれども、お じいちゃんは八王子ですとか、新宿ですという子たちになってきているわけです。 そういう子たちが田舎ということにもう1回注目し始めて新潟などに出始めて いるということです。こういった動きを新潟がしっかりととらえていくのかとい うのが大事だと思います。 先ほど二次交通の話がありました。今、海外から視察に来た人や、あるいは若 い首都圏の子たちがこちらを見に来たいといっても、車を運転できないので行け ないのです。新幹線を降りて、長岡駅から山古志までどうするかという話になる のです。バス交通もなかなかつながらない。今、長岡市さんに特区をとっていた だいて、多少チャーター実験をやっていますけれども、山古志ではNPO法人が 住民主体のコミュニティバスを走らせています。これをもっと長岡駅に乗り入れ て、長岡と山古志との交流を活性化できないかということもございます。ただ、 なかなか規制があったり難しいところもあるのですけれども、そこら辺も二次交 通というところでも住民と行政の協働の中で、あるいはJRさんとの協働の中で いろいろなことを考えてみることが必要なのではないかと、今、若い子たち、外 国人もそうですけれども、大きいホテルに行くよりも、民泊、農家レストランと いったところですから、そこにどうつなげていくかということが大きな課題なの だろうと思います。 もう一つは、多少災害のことにも触れておきますと、先ほどのように、例えば - 12 - おじいちゃんが東京だという世代になってきているということで田舎がなくな っている。今、首都直下ということが叫ばれておりますけれども、前にも関東大 震災がございましたけれども、このときも数万人単位で新潟に避難をしている。 そのときは新潟の出身、親戚がいたわけですけれども、今、田舎に親戚がいない 方も増えてきている。こういう方々をどう、首都直下のときに田舎が受けて入れ ていくかという話になると、全くはじめての土地には行けません。そういう意味 でも、日ごろからの交流の中で疑似的な親戚関係を作っておく。県では防災グリ ーンツーリズムというのをやっていますけれども、こういった親戚関係を作りな がら、いざというときには新幹線あるいは高速道路を活用して新潟に避難すると。 そのようなことを考えておかなければいけないだろうと思っています。 実際には、東北の震災では新潟を経由して中国へお帰りになる方が非常に多か ったのです。東北に中国あるいはロシアの方が暮らされていて、この方々が一時、 自分の国に避難するときに新潟を経由して新潟空港から避難されたということ があったわけです。首都直下あるいは南海という中で、日本海側にしっかりとし たアクセスがあって、そこから海外に飛び立てる。今、仁川からはどこでも行け るわけですので、そういう意味でも成田、羽田が機能しなくなったときに、新潟 空港の位置づけというものも大事なのだろうと。そういう意味で鉄道と空港、あ るいは先ほどの移住や交流、定住の話も鉄道と二次交通といったものをしっかり と新潟の中で課題認識をする。それほど遠い将来の課題ではございません。直近 の課題だと思います。行政の方々にすべてお願いするということではなくて、む しろ市民も一緒になってそういったことを考えていく必要性が今後あるのでは ないかと思っています。 (鈴木氏) ありがとうございます。 地震が起きたときにマイカーでは避難するなと言うわけです。私たちも言うし、 行政もそう言うわけですけれども、マイカーで避難しない避難の仕方を普段から 整えておかなければいけないし、私たちもどの駅へ行ってどう乗り継いでいくか ということを知っていないと災害に対応できない。原子力発電所災害の避難計画 づくりが喫緊の課題となっておりますけれども、今は大型の観光バスを何十台調 達するといいますけれども、運転手を調達できるのかどうか、渋滞したときにど うするのかということはなかなか解決しにくい問題です。そういった中で公共交 - 13 - 通をどう確保していくのか。それこそ公共交通の強靱性が問われることになると 思いますけれども、やはり考えておかなければいけないし、それを考えることが 疑似親戚の関係づくりにもつながるのだというお話だったかと思います。 先ほどの矢野さんの話でも、鉄道のいろいろな楽しみ方、生かし方がありまし たけれども、波潟さん、これからの時代の鉄道の生かし方、楽しみ方というもの をいろいろと紹介していただければうれしいのですが。 (波潟氏) 最近の鉄道は少子高齢化等で採算が悪いと廃線にしていくという姿もよく見 られていますけれども、そういうことを抜きにしてみると、今、鉄道は日本の観 光あるいは移動の中で注目を浴びていておもしろくなってきているものの一つ なのではないかと思っています。昔は、どことどこをつなぐとか、どれだけの時 間で、早さ、利便性の時代だったような気がするのですけれども、先ほど矢野さ んが鉄道好きは長い間隠れていたのではないか。特に女性はという話をされてい ますけれども、研究所、広報の仕事などもしていますと、長い間、表面的には鉄 道というのは一部のマニアのためのものだったのではないかという気がしてい ます。ところが、日本の経済社会が成熟していって、日本人の旅のスタイルも成 熟してきて、欧米の人たちがすごく近寄ってきている。そういう中で、大人向け あるいは本物志向の列車。それは普通の移動・輸送手段としての列車でも、九州 新幹線のように木目で美しいデザインのものができたりしていますし、あるいは 観光列車。観光列車は昔のイメージからいうと、SLやお座敷列車というイメー ジがあったのですけれども、そういったものから新しい形の観光列車がどんどん 登場してきていて、これが新しい鉄道の魅力というものを、時間の競争と併走し て助け合っていくのではないかと思っています。 私も実は越乃 Shu*Kura に乗りました。越乃 Shu*Kura のいいところは、全員 車ではなくて電車で浦佐まで行って越乃 Shu*Kura に乗る理由は、単純に交通弱 者とかそういうことではなくて、若者の最近の志向の中でKYを嫌うとか、ほか の人のことをすごく考えるという価値行動の変化みたいものが出てきて、だれか が運転しているのにお酒が飲めないのはいやだとか、自分ばかり運転しないのは 気が引けるとか、そういったこともあいまって、実は鉄道の旅が若者に浸透して いるのです。越乃 Shu*Kura に乗ったときに、せっかくだから、越乃 Shu*Kura に乗る前と乗った後、1泊二日で行こうと思うのですけれども、乗る前の新潟の - 14 - 浦佐界隈を観光して、そこで八海山の里に行って一杯ひっかけてから行ってしま ったのですけれども、そこから越乃 Shu*Kura に乗って、電車で悪酔いすると悪 いのでそこではあまり飲まなかったのですけれども、直江津まで行こうと思った ときに、直江津だと着く時間も時間で、できれば温泉や大風呂に入れるところに 泊まりたいと思ったので、初めて鵜の浜温泉に行ったのです。燕三条に住んでい るとあちら側のほうにはなじみがなくて行かないんです。越乃 Shu*Kura が走っ て新しい需要を創出したのではないかと、鵜の浜で降りながら実感しました。こ れがなかったら、私は多分、鵜の浜には行かなかったなと思うことがあったので す。かつそれは輸送・移動の手段としてぐるっと回る帰りはほくほく線で松代に 寄って帰ってきたのですけれども、こういう周り方もできるということもあるの で、そういった使い方をして、新しい輸送の仕方と、あとは観光列車を織り交ぜ て新しいツーリズムの需要を作っていけばいいのではないかと思いました。 稲垣さんのお話に共通するのですけれども、観光地が何年か前にやった調査の 中で、満足度の高さは必ずしもその土地に何回も行くというわけではなく、逆に 満足度は少し落ちたとして、そのまち、その地域に思い入れがあるほうが人は行 くのです。そのきっかけが、例えばボランティアで行ったとか、そのまちで交流 できたとか、そういうことだと思うので、日々のそういった取り組みがすごく大 切だと思っています。すぐに定住とはいわないけれども、私たちの予測では 2020 年までには地域に単なる旅行者だけではなくて、思い入れのある人たちの移動・ 交流は活発化するだろうとみているので、すぐ定住ということではなく、思い入 れがあって新潟に来てくれる、それも鉄道を使ってということを推進していった らいいのではないかと思います。 (鈴木氏) ありがとうございました。 鉄道は単なるA地点からB地点への移動手段ではない、それ以上の意義と価値 を持ち始めているというお話だったと思います。満足度というものが、宿のレベ ルなどだけではなくて、人とのふれあいや物語というところで、本当の意味の満 足感というものが生まれるということで、これは鉄道がどうこうということもあ るかもしれないけれども、私自身が、先ほど二次交通という言葉がありましたけ れども、二次おもてなしをやっていかなければ来てもらうこと、稲垣さんからご 紹介していただいたように、定住してもらうということは難しいのではないかと - 15 - いう気がします。なかなか大変なことですけれども、それをやらなければ、鉄道 のことだけ考えていてもだめで、その次のことを考えなければいけないというお 話だったと思います。 引き続き、矢野さんはいかがでしょうか。先ほどの話で打ち出の小槌というこ とがありましたけれども、どのように振っていったらいいのでしょうか。 (矢野氏) 今、波潟さんのお話にもあったのですけれども、思い入れを持てるというのは 人だと思うのです。おいしい思いをしようが何をしようが、人とのつながりだと 思うのですけれども、私は北海道の札幌なのですけれども、北海道というのはほ かの都市からいらっしゃる方がすごく多い場所です。昔は夜逃げなどで来るよう な土地だったのですけれども、最近は若い人に好かれるようになりました。日本 離れした広さですとか風景ですとかいろいろなことがあると思います。ただ、北 海道の人というのは、全員ではないのですけれども、大概人がいいです。私はよ く、北海道を旅される方に言うのは、困ったときは何でも聞いてくださいと。そ の前に「北海道はいいですね」という一言を入れていただくと、北海道人はうれ しくなって何でもしてあげるところがあるのです。そういうところでも満足度が 高くて、北海道に来てくださる、移住してくださる方が多いのではないかという 気がしています。 これは自分の地元の札幌の人に言うのですけれども、観光客の方を観光地で見 かけたら、皆さん大概カメラを持っています。そのときに、急いでいないかぎり 「シャッター押しましょうか」の一言を言うのは、北海道人の義務でありますと。 写真というのはみんなで来ていてもだれかが撮る。それはだれかが飲めないとい うのと似ていると思うのですけれども、だれかが撮るのでみんなの写真というの がないのです。ですから「シャッター押しましょうか」の一言でものすごくリピ ーターをつかめる。これは観光誘致にもなると思います。これも小槌の振り方で すし、先ほど、自分のまちの好きなところを歩いてくださいという話をしたので すけれども、新潟はすごく食べ物がおいしいなと思うのですけれども、横面をな ぐられるくらいを受けたのは茶豆なのです。茶豆というのは我々からすると枝豆 でしょうみたいな感じなのですけれども、めちゃくちゃおいしくて、その後、春 から夏にかけてですけれども、新潟に来るたびにスーパーに寄って茶豆を買って 帰るようになりました。 - 16 - それはやはり地元の方の情報なのです。観光客からすると、魚はおいしいだろ う、お米はおいしいだろうは分かるのですけれども、茶豆など本当に細かいとこ ろ、自分がおいしいと思ったから食べさせてあげたいと思って教えてくれたもの。 そういうものを皆さん方一個一個持つというのは大事なのではないかと思うの です。これは私の個人的な希望なのですけれども、もし新潟空港からLRTが新 潟のまちまで軌道で結ばれると、新潟、長岡といったところに新幹線が届いてい て、時間が少しあるからまちを歩いてみようというところから始まると思うので す。どこに行こうかといったときに、一人一人に聞いたら答えられるとか、昨日 教えていただいたのですけれども、新潟の小路めぐりという本を出されて、ここ へ行ったらいいよというのがあって、新潟日報さんメディアシップのビルを紹介 していただいたのですけれども、夜景が見えるところに無料には入れるのです。 しかしそれは本当に分からない情報だと思うのです。駅に着いたら、そこから、 少し時間はかかるけれども遠いところはここですよというものと、もう一つ、待 ち時間が2時間、3時間でまわれるようなところの情報が分かることが必要なの ではないかと思います。そういうときにぜひ新潟の言葉で観光客の方のお相手を してもらいたいと思います。 例えば札幌だと、 「よく来たね」を「よく来たっしょ」という言い方をします。 「さようなら」というのを「したっけね」という言い方をするのですけれども、 よく空港や駅というのはどこの国もそうなのですが2か国語ですよね。英語と日 本語。もう一つ土地の言葉を書いたら楽しいのではないかと思います。新潟の言 葉が分からず例を挙げられないので札幌の言葉でいいますけれども、札幌では 「welcome」と「ようこそ」と「よく来たっしょ」と三つ並んでいて、車内アナ ウンスや空港のアナウンスもそれをやるとすごくおもしろいのではないかと思 います。私がすごくケチなのかもしれないのですが、いつもローカル線を旅する 事が多いからかもしれないですけれども、お金をかけないでできることというの を考えていて、予算があったらインフラやハードにどーんと、これはというもの をやって、それ以外は何とか工夫で。しかしそれはひょっとしたら、皆さんも自 分の土地を愛する心、自分の土地がこんなにいいということを知ってもらいたい 心、それはまちを愛する心、地元を愛する心から生まれて、それが地域振興につ ながっていくのではないかと思っています。 - 17 - (鈴木氏) ありがとうございました。 昔から不思議だったのですけれども、空の映画よりも、道路の映画よりも、映 画や小説になるのは鉄道が多いですよね。日本で鉄道の映画作られると大概北海 道が舞台で、なぜかと思っていたのですけれども、今の矢野さんの話を聞いて、 北海道にはこういう人が多いせいなのかなと思っていました。お金をかけないで もいろいろな工夫をする。先ほど波潟さんがおっしゃった、駅を降りてからのお もてなし。そこを育てていくことが大事なことなのではないかという気がしまし た。 予定していた時間まであと数分しかないのですけれども、短い時間で恐縮なの ですけれども、鉄道にはこんな特徴があるということ、地域で生かしていく取組 みが必要だということをそれぞれの方からお聞きしてきたのですが、最後に一言 ずつ、これからの未来の鉄道へ向けて、それを生かしていく地域に向けてのメッ セージを一言ずついただけますでしょうか。言い残したことでもけっこうです。 お願いします。 (稲垣氏) ありがとうございました。私はこう思っています。これまで人口が増えていく 時代のモデルは東京にあったのだろうと思うのですけれども、これからの人口が 減少していく時代のモデルは地方にあるのだと思うのです。これからは地方にモ デルがあって、地方に学び、あるいは地方同士が学び、地方同士がつながる時代 になってくるのだと思うのです。今日はどちらかというと中央と地方という関係 でございましたけれども、もう一度、地方と地方をつなぐ鉄道という視点を持つ 必要があるのではないかと。これは個人的な話なのですけれども、明後日いわき に行くのですけれども、雪が降っていますので車はいやなので、どうやって行く かというと、上野まで出て、上野からスーパーひたちでいわきに行くのです。ど うしても首都圏を通らなければいけない。そうではなくて、もう少し横、地方と 地方をつなぐ鉄道という視点も今後は重要になってくるのではないかと思いま す。今日はありがとうございました。 (鈴木氏) ありがとうございました。 - 18 - 今日のテーマは災害、防災といったことも入っているのですけれども、災害と いうのは地震などの天災だけではないですよね。これからも長く安心して楽しく 笑顔で生きていけるというものが安全安心な社会だと。今、おっしゃったような ことも含めて、本当に私たちが暮らしていくために鉄道というものの可能性、多 様な社会を作っていくためには地方と地方との横のつながりを育てていかなけ ればいけないだろうと、今のお話から感じました。ありがとうございました。 それでは、波潟さん、お願いします。 (波潟氏) 私は普段東京におりまして、東京からの考え方、ときには海外に顔を向けて仕 事をするというスタンスも多いのですけれども、そのときに思うことは、私たち の知らない、海外なら海外の土地に行って、何が正しいのか、あるいは将来性が あるのかということを判断する引き出しをたくさん作っていかなければいけな いということで、地域の方たちも、確かに地域と東京ということだけではなくて、 今、観光というものがいろいろなところで注目されているので、観光地間の競争、 つまり新潟に来てもらうとか、新潟を選んでもらうという、これは定住にしろ観 光にしろ両方言えるのですけれども、競争に勝つという意味では、いろいろ外の ことも見て知っていかなければならないので、ぜひ新潟の人たちも、新潟は広い ですけれども、さらに県外あるいは海外に行っていい事例を見ていただいて、一 緒に活性化できればと思います。今日はありがとうございました。 (鈴木氏) ありがとうございました。 まず乗らなければ残らないし、乗って残して、残して乗ろうということですよ ね。そうすればJTBも儲かるし。ありがとうございました。 矢野さん、先ほどは新潟日報をほめていただいてありがとうございます。最後 に新潟へのメッセージをお願いします。 (矢野氏) 繰り返しになりますけれども、鉄道を利用していただきたいですし、そして鉄 道のことを考えるとき、自分は乗る、乗らないではなくて、まちにそれがあると いうことを考えていただきたいです。今だけではなく未来を考えて、災害があっ - 19 - たとき、もしくは空港ですとか、いろいろな側面から考えて、私たちのまちに線 路があるのはどうなのだろう、どのように使っていこうかというところが、それ ぞれのまちごとにテーマであり課題なのではないかと思います。地域振興は地元 ラブなところから生まれてくることがあるのではないかと思います。私もすごく お国自慢の人間と言われていて、北海道が大好きです。札幌が大好きです。新潟 の皆さんも本当に自慢していただきたい。教えていただきたいです。こんなもの がある、あんなものがあると、私は旅人として何日かしか新潟に滞在していない 人間からしてもいろいろなところがありますけれども、それでも新潟はすごくす てきだなと思います。また来たいと思います。また来て、教えていただけること を、皆さんにお会いできることを楽しみにしています。今日はどうもありがとう ございました。 (鈴木氏) ありがとうございました。 最後、普通にまとめるつもりだったのですが、実は先ほど矢野さんの話を聞い ている中で一つだけぐさっときたのは、広島の路面電車の話がありまして、今年 は北陸新幹線の年であり、地方創生元年と言われているのですけれども、戦争終 わってから 70 年という節目の年でもあります。戦争のはじまりは、日中戦争か ら太平洋戦争と戦争が始まった年から 70 年前というのはいつかというと 1868 年 の明治維新なのです。そこから 70 年で、例えば上越線が開通したのは満州事変 の年なのです。信越線が新潟までつながったのは日露戦争が始まった年です。戦 前の鉄道というのは国家を一枚岩にまとめあげて戦争するためにつくられてき て破綻を招いたのです。戦後 70 年の中でも鉄道は、先ほど稲垣さんが触れられ たように、中央に地方の富を吸い上げていって、一枚岩の効率的な社会を作り上 げていこうという中で大きな役割を果たしてきたのだけれども、今はまさに 3.11 以降の日本、地方というのは、先ほどから稲垣さんが何度も言われているように、 新たな価値観というものが求められている。 その中でこそ、これから地方は生きていけるし、時代をリードできる。そうな っていったときに鉄道というものを戦前や戦後の高度成長期と違う役割を、波潟 さんがおっしゃったように、鉄道が持っている役目は早く移動するだけではなく て、それが人と人をつなぐ、笑顔を呼んでくるといった役割を持ち始めているの だというお話がありましたけれども、やはりそこを大切にして、これから、鉄道 - 20 - というのは単に輸送機関ではないのだと。平和と地方創生というのは必ず、多機 能の中で個性を大切にする社会というものを守っていく基本的なツールとして とらえていかなければいけないのでないかと。これは私の思いが入ってしまって、 まとめになっていないのですけれども、そういった鉄道というものを見ていくこ とも、これから地方にとっては大切なことなのではないかと考えさせられました。 今日はいろいろな話をいただいて、本当にありがとうございました。皆さんも ご清聴ありがとうございました。 閉会あいさつ(星野新潟県議会議員) ご紹介いただきました星野でございます。私は先ほど東京から新幹線で入った ものですから、遅くなり申し訳なかったのですが、後半を聞かせていただいて、 本当にすばらしいと思いました。内容もいいけれども、お話。私は気になるのだ けれども、すごく間がいいし、すばらしいボイスですごいなと思いながら拝見さ せていただきました。 私は新幹線のこととなりますと、1点は上越新幹線たった1本が犠牲になった だけで、上越や新井地区の皆さんがいい形の中で運行できるわけです。たった1 本でよかったと。すごくいいダイヤを作ってもらったと思います。数本やられる かと思っていました。鉄道という一つの、今日は本当に前向きなお話をたくさん 聞かせていただきましたけれども、鉄道となると私は子どものころを思い出しま す。私どもの遊び場だったのは、線路、機関庫といって貨車を入れ替えする場所 があったのです。あそこが遊び場だったのです。機関車が止まって乗せてくれる のです。電気機関車に二、三十分乗せてもらって、宮内駅まで送ってもらったこ ともあったし、冬はラッセル車がくるとそばへ行って、中に入って来いと言われ て入っていくと焼き芋ができあがっているのです。食べていけと。そういう子ど ものころを考えると、非常に身近に感じていました。11 年前に上越新幹線が地震 で傾いたということもありましたけれども、しかしいい形の中で運行してもらっ ています。 私たちは新潟市長の篠田さんが会長で、長岡の森市長と私が副会長で、委員の 方と活性化をやってきたのです。3月に北陸新幹線が開業してもそれほど影響が あるとは思っていません。一時的にあるかも分からないけれども、そんなにみん - 21 - なが金沢に旅行に行くわけはないのですから。そう思っております。どうやって 受入体制を作っていくかということだろうと思います。今日はすばらしいこのよ うな形の中で大勢の皆様からお越しいただいて、このように開催させていただき ました。ちょうど篠田市長も森市長も今日は公務ででかけているということで、 一言最後にお礼を申し上げてこいという厳命でございますので、本日は一言関係 者に心から御礼申し上げながら、ご臨席いただきました皆様方に御礼を申し上げ ながら、ごあいさつにかえさせていただきます。ありがとうございました。 - 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