フィリピン周遊記(3) - 市民エネルギー研究所

フィリピン周遊記
(3)
市民エネルギー研究所 井田 均
バス車掌は大活躍
バスには大変お世話になっ
バーゴス
6月29日着30日発
た。計算してみたら総計で何
バンギ 6月30日発
バス1h30m
バス4h09m
6月30日着7月1日発
ラワグ
6月28日着29日発
ビガン
総計乗車時間
バス 75時間47分
船 34時間01分
バス7h13m
と75時間47分も乗った。
バギオ 6月27日着28日発
バスには冷房付きの都市間
のほぼ直行便と、街中を乗客
バス5h27m
バス9h25m
サンフェルナンド
6月26日着27日発
バス1h47m
を乗り降りさせながら走るタ
2008年6月23日着27日発
マニラ 7月1日着2日発
7月10日着13日発
イ プ が あ る。私 は こ の 前 者
バス8h35m
「直行型」
、後者を「ハチ公バ
7月2日着3日発
ナガ
バス7h20m
船1h22m
ス型」と呼ぶ。
アレン
7月3日着4日発
バス8h02m
ハチ公バスを知らない人に
タクロバン
7月4日着5日発
は説明が必要だろう。東京都
バス3h55m
渋谷区を中心に走る小型バス
船3h29m
スリガオ
7月5日着6日発
を使ったコミュニティバスで
バス2h
フェリー7月8日∼10日
船29h10m
乗客定員は十数名。露地を小
バス3h14m
7月7日着8日発
まめに走りバス停も無数だ。
パガディアン
乗客の乗り降りも数限りない。
カガヤン・デ・オロ
7月6日着7日発
バス7h15m
バス6h25m
サンボアンガ
7月8日深夜乗船
直行型の車掌は楽だ。ほぼ
変わらない乗客を“管理”し
ていればよい。ただ通常、冷
フィリピン縦断旅行ルート図
房は効き過ぎで、長時間乗る
ことがおおいので寒くなる。
た。
感激したのはハチ公バス型の車掌の活
ハチ公バスは、冷房付きでないから窓
躍である。ほぼ無数の乗客の乗った地点
は開けっ放し。風が入ってくる。目にゴ
と降りる予定のバス停を記憶、料金の徴
ミが入り赤くなったことがあった。前日、
収はもとより、降りるバス停が近づくと
冷房なしの部屋で扇風機を点けっ放しで
声を掛けたりもする。乗客は最初に座っ
眠り、翌日窓からの風に当たり風邪をひ
た座席を移動することもあるのだから気
きかけたことも…。
が抜けない。
主体性欠如の旅
これらの仕事を当たり前のようにこな
マニラのあるルソン島の南部をバスで
す車掌を私は大いなる尊敬の目で見てい
移動していた時の話である。私はナガと
−15−
いう比較的大きい町でバスに乗る。メモ
帳にその日の最終目的地「Matnog」と
書いて、まずナガのバスターミナルで、
そこにいた人に見せた。その人は「あ、
それならこのバスだ」という風にバスを
指差す。迷わず乗車する。バスは9時14
分に発車。12時16分になる。突然、バス
の運転手が、向こうから来るバスに合図
し、私に「あれに乗れ」と言う。あわて
バスの車掌は大活躍
てバスを乗り換える。さらに14時50分ご
ろ、今度のバスの車掌が、ここで降り
ろ」という。降りたが何もない。「どう
しろというのだ」と聞くと、
「ここでト
ライシクルに乗って Matnog へ行け」と
いう。バスは去る。ボー然としていると
トライシクルが寄って来て「Matong ま
では150ペソだ」という。
車に徐行を促す工夫
何と考えてみれば、私がメモ帳に書い
た「Matong」という地名はバス停さえ
売り場はこっちだよ」と先に歩く。トラ
ないところだったのだ。それが2回もバ
イシクルの運転手は、入れない区域なの
スを乗り換え、最後はトライシクルにま
で置き去りだ。
で乗ってたどり着いた。全く主体性がな
ところが、港湾区域の入場料11.2ペソ
い行程だったが、結果オーライだろう。
を払い、フェリーの運賃を払っても5
00
荷物担ぎには困惑
ペソ札は崩れない。船会社の事務所で
さらにこの話には続きがある。
やっと500ペソ札が200ペソ札2枚と100
トライシクルは山を1つ超える30分近
ペソ札1枚になった。男がそれらを持っ
くもの走行で、フェリー乗り場のあるマ
ている。だが150ペソを払うには不十分
トングに着いた。150ペソを払おうと500
だ。
ペソ札を出すが、その若い運転手は釣り
そのうちフェリーに乗る地点に来た。
銭がないという。
私は男から200ペソ札1枚と100ペソ札1
では、フェリーの切符をまず買って、
枚を取り上げた。男はそこまで荷物を担
500ペソ札を崩そう。そう思って歩き出
いできた手間賃として20ペソを要求した
す。い つ の 間 に か 現 れ た 男 が、私 の
が、男には2
00ペソを払っているので十
リュックを担いでいる。その男が「切符
分と判断して、それ以上は払わなかった。
−16−
私の200ペソから男は私の港湾区域へ
グルグルとなっている。明らかに下痢だ。
の入場料11.2ペソを払い、さらにトライ
先ほど食べた鳥の空揚げに使っていた油
シクルの運賃150ペソを払わなくてはな
が古かったのだろうと思った。30分我慢
らない。すると男の取り分は37.8ペソに
した。ついに我慢の限界が来た。
なる。荷物の担ぎ賃20ペソより少し高い
座っていたバスの最後尾から前方へ歩
がまあよいとしよう。
いて行き、
「私のトイレのため、バスを
さて、マトングをほどなく出航した
3分間止めて下さい」と運転手に依頼し
フェリーは1時間22分の航海で、サマー
た。
ル島のアレンに着く。
数年前、インドネシアのシュラウェシ
1泊後、計算し直してみた。荷物を運
島で生水で割ったアセロラを飲んで以来
んだ男は、私の港湾区域への入場料11.2
のことだった。
ペソの他、フェリーの運賃も払ったはず
ルソン島は昭和40年、他島は昭和30年
だ。マトングからアレンへのフェリーの
マニラのあるルソン島は、日本で言う
運賃は、その朝、朝食を取った一膳飯屋
と昭和40年頃に相当すると思う。マニラ
の女主人によると1
00ペソだという。す
は言うに及ばず、他の地方都市でもそれ
ると男は、私が渡した200ペソでは、ト
なりに近代化している。民家の屋根も瓦
ライシクルの運賃150ペソは払えなくな
とトタンが混在、草葺きはたまにしか見
る。あのあとマトングの港で、荷物担ぎ
られない。
の男とトライシクルの青年運転手の間で
だがルソン島を離れると様相は一変す
どのようなやり取りがあったのだろうか。
る。
心ならずも「旅の恥はかき捨て」をやっ
私が見たのは、サマール島、レイテ島、
てしまった。
ミンダナオ島だけだが、屋根材もヤシの
バスを止めてトイレ
葉っぱを使う例が多い。ヤシの葉を屋根
アレンの朝、入った食堂は快適だった。
材として商品化、道端に山と積んである
まずマンゴージュースを楽しみ、メイン
のを何回も見た。
には鳥の空揚げとご飯を頼んだ。両方と
フィリピンは全域が農村だ。気候は雨
もなかなかの味だった。特にマンゴー
季と乾季の違いはあるものの1年中夏な
ジュースは大きなグラスに1杯。これで
ので、稲の栽培にも時季がないようだ。
30ペソ(70円)だから、何か得した気分だ。
バスの中から田植えをしているのが見ら
アレンからタクロバン行きのバスは9
れた。1家総出でもあれほどの人数は集
時ごろホテルの前を通ると聞かされ、8
まらないと思う。十数人から二十人超の
時半ごろから道で待った。幸運なことに
人々が一斉に田植えをしていた。もちろ
8時41分にバスが来て乗車できた。9時
ん手を使っての作業だ。
過ぎから腹の具合がおかしくなってきた。
−17−
おいしかった食べ物
て60ペソ(139円)だった。
フィリピンではいろいろなものを食べ
徐行強制の柵
た。酒はサンミゲルビールしかない。中
バスで走る道路はほとんど舗装してあ
華料理屋で紹興酒を探したり、韓国料理
る。だが時折何の前触れもなく未舗装の
屋でマッコリを求めたりしたが、いずれ
ダートに変わる。それと工事中の道路も
も私が入るような水準の店には置いてな
多い。片側1車線をかなり長い区間を工
かった。
事中ということで通行止め、片側1車線
だから食事にレストランか町の食堂に
通行にしている。ただ改修工事が実際に
入ると、まずサンミゲルビール。大抵は
行われているケースはほとんど見られな
グラスに氷を入れて持ってくる。ビール
かった。
が冷えていてもそうなのだから、「ノー
高速での通行を止めさせ、徐行運転を
アイス、プリーズ」と、これを断る。
推奨するため、道路上に片側1車線をふ
そのあと食事だが、フィリピンの食事
さぐ木製や金属製のゲートを置いている
は私との相性はいいようだ。ほとんどす
例が多い。ほとんど集落ごとに、たとえ
べてをおいしいと思った。
ば学校の前などに置かれる。
マニラで「インゲン豆と豆腐」という
フィピンは右側通行なので、まず右側
料理を注文した。久しぶりに冷たい豆腐
車線をふさぐ形で柵が置かれ、そこから
を食べたいと思ったからだ。だがやがて
10m ほど先に今度は左側車線をふさぐ柵
出てきたのはインゲン豆と高野豆腐を炒
が置かれている。さらに10m 先には再び
めたものだった。そうですね。日本人は
右側車線の柵だ。
豆腐というと、あの白く柔らかいものを
バスは大抵、この柵の近くに来ると、
思い浮かべるが、ここはフィリピンだっ
2速にまでギアを落として3つの柵をス
た。自分の思い込みに軽く反省。
ラロームのように曲がりぬけ、再び加速
これもマニラだが、常宿にしていた1
してトップギアに戻している。
泊1288ペソ(約3000円)の安ホテルの近く
こんな徐行運転を強制する柵に煩雑に
に、安食堂があった。旅行に出ると早寝
出会う。多い所では数百 m に1つもあ
早起きの私は、ここに朝6時半ごろ朝食
る。バスに乗っていると運転手に気持ち
に出る。
が同化しがちだ。
「ジャマだ」と思う。
ある朝、ここで食べた汁が非常におい
ガソリンも値上がりが激しいのに、こん
しかった。何をどのように調理したのか
な無駄なものは早く取り除いて欲しい、
を聞いてみた。ピーナッツを磨り潰した
と感じる。
ものにいろいろなものを加えてつくった
フェリーは快適
フィリピン料理だという。ちなみに他の
ガイドブックには、私の陸上での最終
おかずは小魚2匹と卵焼きでご飯がつい
目的地、サンボアンガからマニラへ行く
−18−
フェリーの発船時刻が載っていなかった。
私は毎日1便はあるだろうと思っていた
のだが、実は毎週火曜と木曜の、それも
深夜にスタート、マニラには2日後の早
朝5時に着く、という就航予定だ。とい
うのを、サンボアンガに着いてから知る。
着いた日が火曜日だったので、その日
の深夜に出るか、2日後に出るか、の選
択を迫られたのだ。2日後の乗船だと、
サンボアンからマニラまで乗った大型フェリー
マニラ着が日本へ帰国の前日になる。そ
れではせわしい、と判断。到着当日の乗
だった。これで3食付きだから応えられ
船にしたのだが、結果的には正解だった
ない。
と思う。2日後の便だと天候不良で快適
それにしても、最も安いエコノミーと
な運航が困難だと思われたからだ。
最高値のクラスとそれほど値段に差がな
当日は23時55分発のフェリーに対し、
いのは不思議だ。私はツーリストクラス
4時間前の20時にホテルを出発、乗船手
のベッドを確保しながら、トイレは最初
続きで顔写真まで撮られ、21時ごろから
教えられたエコノミークラスのものを使
待合室で待たされた。
い、後にツーリストクラスのトイレを
待合室で私の斜め前にライ病患者と思
使った。その差は歴然としていた。ツー
われる人が座った。顔が崩れて直視でき
リストクラスのトイレが日本のホテルの
ないほどだが、風呂に入っておらず異臭
それだとすると、エコノミークラスのそ
がするらしく、彼の頭の上には十数匹の
れは日本ではまず見られないものだった。
小バエが飛んでいた。彼は眼が見えない
ベッドも同様だ。エコノミークラスで
ようで、トイレに行くときは付き添いの
はとにかくスペースを確保しているだけ
友人の方肩につかまっていた。
で、快適な睡眠は保証されていないが、
乗船前の荷物検査は厳重を極めた。埠
ツーリストクラスではそれが約束されて
頭に置かされた手荷物は麻薬検査犬が嗅
いる。
ぎまわる検査の末に乗客に戻された。
昼間は船の上から海を見ていた。フェ
3日間、29時間余の運賃は、エコノ
リーが進むとトビウオが驚いて飛び立つ。
ミ ー2136ペ ソ、ツ ー リ ス ト2490ペ ソ、
何匹も何匹もが一斉に飛び立ち、海上の
ケイビス2667ペソで、私はその時点で買
100m 余を滑空する。飽きずに眺めてい
える最も高いツーリストにしたのだが、
た。
幸か不幸か60歳以上だったので1967ペソ
フェリーで隣のベッドに寝た69歳の
(4544円)と、2割引以上の割引き価格
フィリピン人は、なかなかの人物で、こ
−19−
れまで世界の各国を旅したという。カメ
肝心の西の空に雲があって夕日本体の写
ラを持ってヨーロッパに行くと日本人だ
真は撮れなかった。まあ、赤い空は写せ
と思われたと笑っていた。
ましたが…。
動物園はすずしい
2日目は朝起きてまず空を見た。この
マニラに着いてからの3日間はいろい
日は期待できると思った。夕方を待ちか
ろなことをした。
ねて海岸へ。ところがそのころから西方
まず日本の友人にハガキを書いた。じ
に黒雲が出てこちらへ迫ってくるではあ
つはこれがマニラではなかなか大変だっ
りませんか。「あ」。ポツポツやってきた。
た。まず絵葉書を買わなければならない。
すぐ近くのレストラン前に雨宿り。その
ホテルのフロントで聞くと「ロビンソン
とたん豪雨となり2時間はそのまま。
へ行け」。そこには郵便局の出張所があ
マニラ動物園にも行った。
るという。行くと「まだ担当者が来てい
動物園は子供連れでにぎわっていた。
ない」。待つ。やっと来た。絵葉書数枚と
動物園には樹木が多く、木陰がいっぱい。
日本への切手を購入。ホテルへ戻り記入。
40ペソ(92円)の入場料の割には楽しめ
ホテルのフロントへ出して欲しいと頼
た。最も動物としては象、タイガー、カ
むと、
「御自分でロビンソンの郵便局の出
バ、各種の鳥が目立った程度で、大した
張所へ」。またロビンソンへ行きました。
ことはなかったが、マニラで人工的な冷
マニラ湾の夕日は有名じゃないですか。
房でない樹木による自然な涼しさがいか
やはり私もマニラ湾の夕日の写真を撮り
に快適かを改めて実感した。やはり21日
たいと思いましたね。
間も暑さにさらされると、自然の涼しさ
それで2日間、歩いて10分ほどの海岸
を求めるようになるんですなあ。 (了)
へ行った。1日目はまあ晴れていたが、
「地球号の危機」ニュースレター No.3
40
2008年 9月20日発行
発 行 財団法人 大竹財団
新住所 〒1
0
30
-0
2
7 東京都中央区日本橋3−4−1
5 八重洲通ビル2階
TEL 033
- 2723
- 900 FAX 033
- 2781
- 380
メールアドレス news@ohdake-foundation.org
ホームページ http://www.ohdake-foundation.org
定 価 1部200円 送料90円
年間購読料2,000円(送料含)
購読申込先 (財)大竹財団
振込銀行 りそな銀行東京中央支店 当座0802682
郵便振替 001903
- 6
- 0834
−20−