いっこういっ き 宗教的ユートピア・弥勒信仰 み ろくしんこう ミレナリスムとしての一向一揆 — ど ちゃくて き み ん か ん し ん こ う き り じん しゅうご う し そう か 宗教的ユートピア・弥勒信仰 土着的民間信仰との習合 — あ ん ど う しょう え き り けっさく — 世紀にそびえ立つユートピア思想家 安藤 昌 益 き 『吉里吉里人』 現代ユートピア文学の傑作 — 35 2 「著作権保護コンテンツ」 目 次 とこ よ ユートピアとは何か げんぞう 古代におけるユートピアの原像:常世の国 5 み ろくしんこう 19 (2) (1) 53 71 91 18 章 1 第 章 2 第 章 3 第 章 4 第 章 5 第 章 6 第 はじめに 近年、大学や大学院など高等教育機関への留学生の増加と多様化にともない、日本語教育の現場はアカデミックな 日本語能力を高める取り組みが求められています。また、海外では日本研究を専攻する大学生・大学院生が増加し、 学術的な専門の文献を読み解く日本語読解能力と日本研究に関する基礎教育や関連する教養教育の必要性が高まって きています。 本シリーズは、日本の文化・社会への多様で高度な関心を持つ日本語学習者に日本語で書かれた専門書を提供し、 彼らの専門的な文献を読み解く能力を養い、日本の文化・社会についての専門的な基礎知識を深め、教養の裾野を広 げることを目的として編まれています。 執筆陣には、その分野に深く精通した専門家をお招きし、日本の文化・社会の様々な事象を掘り下げ、その内容を 初学者に分かり易く噛み砕いて論じていただきました。また、日本語教育に長く携わってきた編集委員との慎重な協 議を通じ、日本語学習 者にとって理解しやすい平明な日本語を用いて文章が作成されています。専門用語や難解語句 の解説欄を設け、難しい漢字にルビを付けたりした︵※日本語能力試験N1レベル以上の漢字語彙︶ほか、ビジュアル な要素を重視し、可能な限り写真や図版を掲載するようつとめました。 日本語学習者への配慮を十分にこころがけ、アカデミックな日本語力の増強を目指しながら、同時に専門的な水準 を落とさず、日本研究の多様な世界への視野を切り拓く専門的なシリーズを目指しています。 日本とは異なる文化圏で育った外国人の学生にむけて書かれているため、自ずとその視点は相対化され、グローバ ルな観点から日本の文化・社会の諸事象を捉え直す試みになっています。それはまた、急速に国際化していく現代社 「著作権保護コンテンツ」 3 会で活躍することを期待されている日本人の大学生にとっても、国際的な視点から見た日本の文化・社会研究の入門 書として役立つものとなっています。 外国人・日本人を問わず、国際社会の中の日本文化・社会に関心を持ち、そこに関わっていこうとするすべての人 に、類例のない参考書として、このシリーズを送り出したいと思います。 本シリーズ第1巻『日本思想におけるユートピア』は、高橋武智氏が海外の大学で行った講義ノートをもとに、本 シリーズのために書き下ろしてくださった論考です。高橋武智氏は、﹁わだつみのこえ記念館﹂を経て、現在﹁日本 戦没学生記念会﹂の会長を務めていらっしゃいますが、かつて、スロベニアで数年間にわたり、リュブリャーナ大学 文学部の客員教授として日本学の専門授業を担当されました。日本語を習い始めてわずか三年間程度の学部生が対象 でしたが、講義は日本語で行われ、一回九〇分の授業で本書に収められた一章分の 内容が講じられるというハードな ものでした。それにも関わらず学生達は、高橋氏の講義に熱心に耳を傾け、日本語による本格的な専門授業に取り組 むことで、日本学専攻の学生としての自信を強め、よりいっそう勉学への意欲を高めたそうです。 『日本思想におけるユートピア』では、日本の古代神話、中世から近代までの宗教的な民衆運動、現代の文学など をテーマに、日本におけるユートピア思想の歴史をたどります。本書の読者は、実現したと思ったとたんに理想とか け離れた現実に転化するという﹁ユートピアの逆説﹂が、時代を超え、国境を越えて、人間世界にあまねく通用する ものであることに気づくことになるでしょう。 二〇一四年 夏 ﹁日本研究シリーズ﹂編集委員 4 「著作権保護コンテンツ」 第 1 章 ユートピアとは何か KEYWORDS □ トマス・モアー □ ユートピア(Utopia) りょう ぎ せい □ ユートピアの両義性 はん たい がい ねん □「現実」の反対概念 ぎ じ □ 疑似ユートピア □ 四種のユートピア ぎゃく せつ □ ユートピアの逆説 「著作権保護コンテンツ」 (* ( この本の目的は、日本におけるユートピア思想の流れを歴史的に追い、そのさまざま がいろんてき あらかじ な現われを説明しようとするものです。テーマが広いのに、ページ数には制限がありま ( (* ( ご ぞう ご ( い だい ( *5) 6 ➡*は、p.16 「著作権保護コンテンツ」 すので、専門的な研究というより、概論的な話になることを 予 めご承知ください。 しゃくよ う (* まず「ユートピア」という単語について考えてみましょう。これはもちろん本来の日 本語ではありませんが、 借 用語として広く使われています。 (* も っ と 明 確 に 言 え ば、 こ の 単 語 は、 皆 さ ん ご 承 知 の 通 り、 ル ネ サ ン ス 期 の 偉 大 な ユ ~ 1536 ) の 親 友 で あ っ た モ ア ー は、 エ ラ ス ム ス の努力 に よって ベ ル Desiderius Erasmus 1466 マニ ス ト、 ト マ ス・ モ ア ー( Thomas More 1478 ~ 1535 ) の 造語 に よ る もの で す。エラ ス ムス ( ギーのルーヴァンで刊行された、彼の代表作のタイトルにこのラテン語を使ったのでし しゅう きょうか い か く た。 世 に 出 た の が、 宗 教 改 革 の 前 夜、 一 五 一 六 年 ご げん というはっきりした日付をもっていることも、この と く ちょう じ てん 各種のヨーロッパ語辞 典でこの語の語源記述を見 造词 조어 ( ますと、「ギリシア語の (ouない) + topos (場所) + - ia 宗教改革 종교개혁 外来语 / 借词 차용어 しゃくよう ご □造語 a coined word 问世 세상에 나오다 ( □借 用語 loanword, □世に出る come to be known / appear ( 単語の特 徴 です。 トマス・モアー ぞう ご ( □宗 教 改革 the Reformation しゅうきょうかいかく ご び (国、地方、大陸を表わすラテン語語尾 や — India の語尾にも現れます)から作 Australia られた」と書かれていて、「場所をもたない国」「どこにもない国」という意味である、 いち めん てき という説明が常識になっています。 か い しゃく し か し、 こ の 解 釈 は 一面的な も の で す。『 ユ ー ト ピ ア 』 の 原 著 の副題 は、「 最良の 統 ( (=楽園、理想 郷 )」 Eutopia (* 治形態を論ず」となっていることに注目してください。さらに、初版に付されたモアー ろ く ぎょう し か しょ り そ う きょう 自身による六 行 詩のなかで、作品がみずからのことを、「プラトン( Platon ) の理想国(日 ふ 本では普通『国家論』と呼ばれている書物)よりもすぐれた じ だと自負する箇所があります。 き げん ぜん 「紀元前四世紀にプラトンがただ言葉の上でだけ示した理想的な社会のあり方を、実 在 の 人 間 や 財 物 や 法 制 度 の 形 で 肉 付 け し た も の だ か ら だ 」 と も 言 っ て い ま す。 こ の 表 現 し ゅ ちょう は、プラトンが支配階級だけのために主 張 した「財産の共有制」を、モアーが全私有 という語の Eutopia せっとう じ (安楽死)などの英語の例から察していただ euthanasia が「よい」「すぐれた」の意味をもつギリシア語の接頭辞 eu(多幸感)、 euphoria ( 財産の否定にまで押し進めたことを暗示していると思われます。この引用文でモアーが 使った であることは、 前缀 접두사 「著作権保護コンテンツ」 ➡*は、p.17 7 自傲 자부 ふ じ せっとう じ にく づ □接頭辞 prefix 充实 살을 붙이다 □自負 claim/state with pride □肉付けする flesh out the details/give body and substance to 1 章:ユートピアとは何か 第 けるでしょう。 ごう せい く (場所) -ia 」と「 これらの点からみて、モアーは、ギリシア語の「 (euよい) + topos ぎ せい しょう こ ou 」から topos -ia 8 「著作権保護コンテンツ」 ( な い ) + topos ( 場 所 ) -ia 」 と い う 二 つ の 人 工 的 な 合 成 句 を、 エ ラ ス ム ス な ど、 当 時 の か い ぎゃく ユ マ ニ ス ト ら し い 諧 謔 を も っ て し ゃ れ の め し、 そ の 共 通 部 分「 + u 「ユートピア」という語をつくりだしたのだろうと推定する方が理にかなっています。 つまり、ユートピアには、「どこにもないが、よい国」「最良だが、どこにもない国」 と い う 二 重 の 意 味、 あ る い は、 さ ら に ひ と ひ ね り し て「 ど こ に も な い か ら こ そ、 よ い りょう 国」「最良だからこそ、どこにもない国」という二重の意味がこめられている、と言っ て間違いないでしょう。 ふ へん てき ユートピアという言葉がこのような豊かな 両 義性をもつこと、これこそ、この語の指 示する観念が時間と場所を超え、普 遍的に存在することの 証 拠であると言えるでしょ う。この語が一五一六年の造語に先立つもろもろの思想や作品や社会現象を指すのに使 われるのも、またモアー以後、洋の東西を問わず、この語が広く使われるようになった ことも、ここから説明できると思います。 彻底地戏谑 한껏 멋을 부려 诸多的 여러가지의 / 많은 것의 □ しゃれのめし witticism □ もろもろの various 诙谐 해학/ 익살 合理 이치(도리)에 맞다 别出心裁地 조금 더 궁리하다 かいぎゃく り と とうざい よう 领先 앞장서다 不论东洋西洋 동서양을 막론하고 □理にかなう □諧 謔 to make sense humour さき だ □ひとひねりする beat someone hands down □洋の東西を問わず □ 先立つ all countries precede りょう ぎ せい よう そ む じゅん ぞく せい ところで、ユートピアの 両 義性を構成する二つの意味要素「どこにもない」と「よ ぶんれつ てい ぎ がい ねん おもわく い」あるいは「最良な」を、今述べたように相対立し矛 盾 する属性、両立しえない二 おも わく つの属性と考えるだけでは、ユートピアの消極的で自己分裂的な定義にしか行きつけま か い しゃく ぎ せん。そういう解 釈 では、モアーの思惑をはるかに超え、この語が古今東西で広く用 い いられている現状と、この語の積極的な意義とをとらえることができないでしょう。 きょうれ つ 私の考えでは、この二つの属性は、確かに対立する一面をもちながら、同時に明確な こと 共通性によって結びついています。それはどちらも、「現実」に対する 強 烈な反対概念 だという点においてです。 た い きょく 「どこにもない」ものが「現実」の対 極 にあることは改めて断わるまでもないでしょ う。「よい」あるいは「最良な」ものは、「現実」の形をとって「実現」されていると皆 さんはお考えでしょうか。(そうお考えの人がいるとしたら、ユートピアがその人の問 たい ち 題意識にのぼることは決してないでしょう。) 私たちは、多かれ少なかれ「現実」に不 ひ はん 満や批判をいだき、こうあってほしいという「夢」や「願い」や「希望」を現実に対置 しています。 「著作権保護コンテンツ」 9 想法 생각 / 의도 无需事先交待 양해를 구할 필요가 없다 放在独立位置 대치 不能到达 다다르지 못하다 相反概念 반대개념 □ 思惑 expectation こと たい ち □断わるまでもない no need to deny □対置 contrast がいねん たいきょく 相反的极端 대극 □行きつけない reach at (a definition) □反対概念 contrary concepts □対 極 extreme opposite □多かれ少なかれ more or less 或多或少 많든 적든 1 章:ユートピアとは何か 第 そ う で す。 な る ほ ど「 現 実 」 は 打 ち 勝 ち が た い 力 を も っ て 私 た ち の 前 に 立 ち ふ さ がっていますが、「現実」を乗り越えようとする私たちの「希望」もまた、否定しがた てつがくしゃ い力をもって私たちを支え続けてくれます。二十世紀ドイツのすぐれた哲 学者であり、 ( *7) ユートピア学者であったエルンスト・ブロッホ( Ernst Bloch 1885 ~ 1977 ) とともに、「現実」 か せつ に 対 し、「 現 実 」 に 対 す る ア ン チ テ ー ゼ と し て、 私 た ち が い だ く 構 想 力・ 想 像 力 の 産 こう ぎ 物こそが広義のユートピアである、という仮説から出発することにしたいと思います。 ( *8) そうすると、ひところ流行った、ハーマン・カーン( Herman Kahn 1922 ~ 1983 ) 流の「未来 学」などは、現実を肯定もしくは承認した上で、都合のよいデータだけをコンピュー えが タ ー に イ ン プ ッ ト し て、 そ の デ ー タ の 延 長 上 に バ ラ 色 の 未 来 を 描 き 出 す の で す か ら、 ユートピアのカテゴリーのなかには入らないことになります。彼らの未来ヴィジョン こう そう て い しゅつ (* ( たぐい 앞을 가로막고 反题 안티테제(반정립) 10 ➡*は、p.17 「著作権保護コンテンツ」 □立ちふさがって stand in front/ block,阻碍, □アンチテーゼ an antithesis 难以战胜, 극복하기 힘든 不能否定 부정하기 힘든 か う ひ てい み らい いろ 美好的未来 장밋빛 미래 □打ち勝ちがたい insurmountable, □否定しがたい undeniable □バラ色の未来 a rosy future □ヴィジョン vision 构想 비젼 には、現実との断絶がないからです。 き せい 同じように、近未来の構想を提 出 してはいても、現実とのあいだが切断されていな とはできません。一九三〇年代から一九四五年に第二次世界大戦に敗北するまで、日 い 既 成 国 家 の 計 画、 い わ ゆ る グ ラ ン ド・ デ ザ イ ン の 類 も ま た、 ユ ー ト ピ ア と 呼 ぶ こ ( ( レ ナ リ ス (* ム ( (* きょうえ い け ん かい らい こっ か ( もうそう かく だい ま ん しゅうこ く( * し ん りゃく どうめいこく じ ( (* ご ぞ く きょう わ こ だい もう そう てき しょくみ ん ち しゅ ぎ だ っ きゃく しん ( 伪满洲国 괴뢰국가 本が中国の一部である東北地方に建設した傀儡国家、「満 州 国」をめぐる「五族 協 和」 (* おう どう らく ど こく さく (だ い と う あ てい こく (* はっこういち う 「王道楽土」などのスローガンは、一九四一年以降、侵 略 の拡大とともに誇大妄想的に て い しょう ミ トピアにすぎませんでした。おそらく当時の日本の同盟国、ナチス・ドイツが夢みた第 (* ( ぎ 三帝国における千年王国思想、いや千年王国妄想 と似通ったものではないでしょうか。 し ん りゃく いません。そして、植民地化し侵 略 し占領したアジア太平洋地域の各国人民から信頼 しょうめ い をかちうる地位に立ちえていない現状もまた、国策の疑似ユートピア的な性格を 証 明 していると言えましょう。 きょ り このように、ユートピアから疑似ユートピアを区別するには、そのユートピアが現実 とどのように断絶をしているのか、現実とのあいだにどのような距離をとっているかを かいらいこっ か こくさく (* 提 唱 された「八紘一宇」「大東亜 共 栄圏」などのスローガンと同じく、 植 民地主義と侵 すい しん (* 略 を推進した大日本帝国の国策を正当化し美化する役割を果たしただけの、疑似ユー りゃ く (* 測定しなければならないと思います。 □脱 却 □国策 □ 傀儡国家 to shake oneself free national/state policy puppet state だっきゃく (* 戦後七十年近くたっても、日本国家はいまだにこ の疑似ユートピアから脱 却 できて (* 国策 국책 摆脱 탈각 (* 先に述べたような広い意味にユートピアを解した場合、いくつかのレベル、もしくは 「著作権保護コンテンツ」 ➡*は、p.17 11 1 章:ユートピアとは何か 第 (* りょうい き 領 域・分野を区別することができます。 (* ( てつがくてき ~ 一 つ 目 は、 プ ラ ト ン や ト マ ス・ モ ア ー や、 フ ラ ン シ ス・ ベ イ コ ン( Francis Bacon 1561 ほ ( さき が い 12 ➡*は、p.18 「著作権保護コンテンツ」 ) の『ニュー・アトランティス』のような哲学的・思想的なユートピアです。 1626 こう かい き ~ 1745 ) の『 ガ リ ヴ ァ ー 旅 行 記 』や デ ィ ド ロ 二 つ 目 は、 ス ウ ィ フ ト( Jonathan Swift 1667 ( ふう し ~ 1784 ) の『 ブ ー ガ ン ヴ ィ ル 航 海 記 補 遺 』な ど と い っ た、 思 想 的 な 内 容 Denis Diderot 1713 をもちながらも、文学性の強い作品です。いずれも風刺がきいているのは、一八世紀の と く ちょう ユートピア作品の特 徴 と言えましょう。 しゅ ぎ ~ 1896 ) の『ユートピアだ 十九世紀においては、ウイリアム・モリス( William Morris 1834 (* よ り 』 の よ う な ユ ー ト ピ ア 的 社 会 主義 の 流 れ と、 ジ ュ ー ル・ ヴ ェ ル ヌ( Jules Verne 1828 ~ ちょうりゅう ) の作品など、サイエンス・フィクション の先駆けともいうべきものがユートピア 1905 文学の二つの 潮 流 になります。 えが て、反ユートピア・ 逆 ユートピアの作品がどちらかというと主流になります。代表的 ぎゃく 今世紀に入ると、イデオロギーの未来も、科学技術の未来も暗黒にしか描けなくなっ (* な例として、ジョージ・オーウェル( George Orwell 1903 ~ 1950 ) の『1984年』とアルダ 先驱 선구 (* □先駆け pioneer さき が じっ せん き おく てい ぎ ( みんぞくがくてき りょう ぎ せい ま ぷた うら 证实 뒷받침하다 ス・ハクスリー( Aldous Leonard Huxley 1894 ~ 1963 ) の『すばらしい新世界』の二つをあげて ともな □裏づける to endorse おきます。 しんこう 三 つ 目 に は、 社 会 的 実践 の 面 に 表 現 さ れ る ユ ー ト ピ ア が あ り ま す。 こ れ に は、 広 く こんなん 言って、信仰に裏づけられた宗教運動として現れる場合と、政治・社会運動として現れ げんみつ (* る場合の二つがありますが、両者のあいだに厳密な区別をつけることが困難であるのが 普通です。 さ 大きな困難が 伴 います。私たちは絶えずユートピアの逆説に直面し、その前で真 っ二 かわりから統一的にとらえようとしても、ユートピアには 両 義性が内在しているため、 とう いつ てき しかし、先に述べた仮説的な定義から出発して、広い意味のユートピアを現実とのか か せつてき 交じりあい支えあう形で実際のユートピアは機能しています。 実際には、これら四種のユートピアのあいだに厳密な区別があるわけでなく、互いに げんみつ いますか、民 衆 の集団的記憶のなかのユートピアをあげることができます。 み ん しゅう 四つ目として、ギリシアにおけるアルカディアのような、民俗学的なユートピアとい (* つに引き裂かれる恐れがあることを忘れるわけにいきません。 「著作権保護コンテンツ」 ➡*は、p.18 13 1 章:ユートピアとは何か 第 じっせんてき けい たい この逆説は、とくに実践的なユートピアに当てはまることですが、夢が、よりよい構 想としての社会が、「現実」に対するオルタナティブとしての新しい社会形態が、要す しゅんか ん せい こう るに「ユートピア」が実現したと思った 瞬 間に、ユートピアは一つの「現実」に、す げん めつ なわち、「ユートピアの反対物」に転化するということです。あらゆる革命が成功した い っ しゅん とたんに、一 瞬 にして希望が幻滅に変わる例は史上あまりにも多くありました。しか てん か も、その根本にある理想主義が強ければ強いだけ、その可能性が高まります。想像力が き こう 一つの制度、システム、あるいは機構に転化するだけならまだしも、しばしば想像力を あっさつ 圧殺する反革命にすら転化することがあります。そういう悲しい歴史的教訓は、実はこ じょうけ ん のユートピアの逆説性から来ているのでしょう。 げんめつ しかし、この逆説こそは、私たち人間の 条 件に思いをひそませてくれるものでありま す。私たちはどうして幻滅から立ち直り、ユートピア、すなわち希望を再び求めないでは いられないのでしょうか。ユートピアが実現したと思った瞬間に、人間は新しい現実への アンティ ( anti(対抗関係・緊張関係) ) に再び立ち返り、なおいっそう新しいユートピアを 指向してやまないでしょう。以上のような諸点を前提として、講義の本題に入ります。 14 「著作権保護コンテンツ」 替代品 양자 택일 如果只……还好 (~ 뿐이면 ) 또 모르되 ……不止 ~ 하여 마지않다 □オルタナティブ alternative □だけならまだしも if this were all, it would be well, but, □ ~てやまない can’t help but みんぞくがく とこ よ (* ( まず、日本の古代文学に現れたユートピアとして、「常世の国」の話をします。これ しゅう きょうて き そ く め ん はどちらかといえば、神話学的・民俗学的次元のアプローチによって再構成されるユー トピア像です。 ミ レ ナ リ ス ム けいたい 次 に、 中 世 か ら 近 世・ 近 代 に お け る 宗 教 的 側 面 の ユ ー ト ピ ア に つ い て 語 り ま す。 しんこう ヨーロッパでも見られた千年王国運動が東洋、特に日本ではどのような仏教的形態をと ど ちゃく おと と あ ん ど う しょうえ き けいもう り、また土 着 の信仰と習合して、どのように現象したかを考えてみたいと思います。 まさ ついで、時代を少しさかのぼりますが、十八世紀前半に出現した、ヨーロッパ啓蒙に けっさく 優るとも劣らぬ思想的達成を遂げた、「知られざる」日本のユートピア思想家安藤 昌 益 を紹介します。 しゃてい 土著 토착 不逊于 나으면 낫지 못하 지는 않은 ど ちゃく まさ おと □土 着 indigenous □優るとも劣らぬ to equal (* 最後に、現代におけるユートピア文学作品の傑作『吉里吉里人』(井上ひさし)を紹介 して、その射程を考えたいと思います。 「著作権保護コンテンツ」 ➡*は、p.18 15 1 章:ユートピアとは何か 第 ■ 参考文献 ■ (著)・沢田昭夫(訳)『ユートピア』( Thomas MORE しょけい )創元新書 1971 しゃかいたいせい )中公文庫 1978 ひ はん ) Princeton U.P. 『モア 1952 り そうてきこっ か ぞう えが かく 16 「著作権保護コンテンツ」 (菊地理夫(訳))“ More's Utopia. The Biography of an Idea ”( Jack H.HEXTER の「ユートピア」 — ある思想の伝記』御茶の水書房 ■ 推薦図書 ■ 伊達功『ユートピア思想と現代』( し そう (著)・朝倉剛・篠田浩一郎(訳)『ユートピア』( 1983 )白水社・クセジュ文庫 Jean SERVIER ■脚 注■ とうごく 婚に反対し、投獄、処刑された。 しん やく せい しょ ( ( Desiderius Erasmus ) :オランダの人文学者。ギリシア語の新約聖書刊行や、古典の * )エラスムス じん ぶん がく しゃ ( ( Thomas More ) :英国の政治家・思想家。一五一六年、理想的国家像を描く『ユ * )トマス・モアー ートピア』を発表。その後、大法官に任ぜられたが、カトリックの立場からヘンリー八世の離 し そう 人間の本質を考察し、近代的人間観の基礎を築いた人々。 ( 文主義者。ルネサンス期において、ギリシアやローマの古典の研究をもとに、 * )ユマニスト:人 こうさつ きんだいてきにんげんかん き そ きず じんぶんしゅ ぎ しゃ ( サンス期:一四~一六世紀ごろ。イタリアを中心にヨーロッパに広まった芸術や思想の革 * )ルしネ ん 新運動が起こった時期。 き ( * )ユートピア思想:その時代の国家や社会体制を批判し、理想的な社会であるユートピアを希求 する思想。 1 2 3 4 5 ちゅうかい こうてい しゅうきょうかいかく てつ がく しゃ ひ はんてき 注 解・校訂をおこなった。ルターの 宗 教 改革に対してはのちに批判的になった。 きゅう きょう べん しょうほう とな 求 し、学問的認識の方法として弁 証 法を唱えた。 か じ へん まん しゅうこく 替えられている。 はっこういち う じゅ きょう せい か りゃく しょう けんこく せい じ し そう み らい がく しゃ だい き ぼ けいかく かいらいこっ か ゆうとく し はいしゃ しん がく しゃ あらわ しゅ と ちょうたい こく こうそう しん きょう に ほん きょうぞん ( 「国体=国柄の精華は、日本だけでなく、世界中におよばさねばならない」という * )八紘一宇: しん せんそう か こうこく し かん き そ 思想で、一五年間にわたる侵 略 戦争に日本人を駆りたてた皇国史観の基礎の一つ。 くにがら 「楽土」は、そ (* )王道楽土:王道とは、中国の儒 教 の政治思想による「有徳の支配者」を指し、 たみ てんのう こう い の時民の暮らしが安定するという意味だが、ここでの「王道」は日本の「天皇の行為」とすり おうどうらく ど ( 「満 州 国」において、日本・朝鮮・満州・漢・モンゴルの五民族が仲良く 共 存し * )五 族 協 和: ぎ まんてき ようという理念を述べた欺瞞的なスローガン。 ご ぞく きょう わ ( 国された日本の傀儡国家。首都は新 京(現在の長春) 。 * )満 州 国:満州事変ののち、一九三二年にめ建 つ 一九四五年、日本の敗戦にともない 消 滅した。 まん しゅうこく ( * )グランド・デザイン:長期にわたって遂行される大規模な計画、また、全体的な構想。 すいこう ( ン・カーン ( Herman Kahn ) :アメリカの未来学者。一九七〇年に 著 した『 超 大国日本の * )ハーせマ ん だんげん 挑 戦』で、二一世紀は日本の世紀であると断言した。 ちょう ( Ernst Bloch ) :ドイツのマルクス主義哲学者、神学者。ユートピア思想 (* )エルンスト・ブロッホ えい どくとく や表現主義の影 響 から、独特のマルクス主義哲学を展開した。 しゅ ぎ てつ がく しゃ ( ( Platon ) :古代ギリシアの哲学者。ソクラテスに師事し、各地を旅行したのち、アカ * )プラトン そう せつ りん り たん デメイアを創設した。知識・倫理・国家・宇宙にわたる諸問題の考察を通して、イデアを探 6 7 8 9 10 11 12 13 「著作権保護コンテンツ」 17 1 章:ユートピアとは何か 第 こっ か しゃかいしゅ ぎ だいとう あ きょうえいけん さん てい こく せいぞんけん ろうどうしゃとう えい きょう めいしゅ じ しょう こういき しんせい ( の「生存圏」思想の影 響 を受け、 「日本を盟主とする東アジアの広域の * )大東亜 共 栄圏:ナチス こうそう ブロック化」という構想。十五年戦争の最終段階のスローガンとなった。 だい レ ナ リ ス ム もく し ろく ( (ナチス)時代のドイツが自 称 した国名のこと。神聖 * )第 三 帝 国 :国家社会主義ドイツ労働者党 ローマ帝国、ドイツ帝国に次ぐ「第三の帝国」という意味。 ミ ちょう きゅう ( 「千年王国」は、キリスト教の「ヨハネの黙示録」に予言されている。ノーマ * )千年王国思想: し ぜん き せき てき てい ぎ 享 受できると信じること」と定義した。 きょうじゅ ン・コーン (ユダヤ系イギリス人の歴史学者 1915 〜 2007 )は、 「 超 自然の力による奇跡的な 救 さい とうらい へんよう 済の日が、近い未来にこの地上に到来し、完全で絶対的な変容をもたらし、それを信者全員で か がくてき しょうせつ て語る。科学技術の発達したユートピア世界と理想の国家を描いている。 もと らく えん でん しょう やかた ( 『ニ ) :一六二七年に出版されたフランシス・ベイコンの著 * ) ュー・アトランティス』( New Atlantis か くう しゃ かい たい せい ふ 書 (未完) 。ベンサレムという架空の島の歴史、社会体制、学問の府「ソロモンの 館 」につい くうそう ( * )サイエンス・フィクション:空想に基づいた科学的 小 説。SF。 きょう こ だい じん かんが へん か えい えん そん ざい かなた ディア:ギリシアのペロポネソス半島にある古代からの地域名。楽園として伝 承 され (* )アルりカ そう だいめい し る理想 郷 の代名詞。 とこ よ きょう (* )常世の国:日本の古代人が 考 えていた、変化がなく永遠に存在する国。海の彼方にあると考 いっしゅ り そう えられていた一種の理想 郷 。 18 「著作権保護コンテンツ」 14 15 16 17 18 19 20 ■ 著者紹介 ■ 高橋武智(たかはし たけとも) 1935 年、東京生まれ。東京大学仏文科卒業後、同大学大学院で 18 世紀仏文学・思想を 専攻。文学修士、同博士課程満期退学。1965 年パリ大学に留学。1963 年から立教大学 講師・助教授を経て 1970 年辞職。以後、自由に教鞭をとり他方で翻訳・著述に専念す る。1960 年代後半から 1970 年代初頭にかけてベ平連・ジャテックにかかわる。1998 年〜 2007 年リュブリャーナ大学(スロベニア)文学部客員教授。高校時代から「日本 戦没学生記念会」の会員として活動、1994 〜 1998 年、及び現在、同会の理事長。2010 年〜 2014 年「わだつみのこえ記念館」館長を務める。 主な著作 『群論 ゆきゆきて、神軍』(共編著、倒語社) 「チェコスロバキア市民革命への道程」(緑風出版刊『シリーズ東欧革命〈1〉』所収) 『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた…ベ平連/ジャテック、最後の密出国作戦の 回想』(作品社)、ほか。 主な訳書 アンドレ・ゴルツ『エコロジスト宣言』(技術と人間 / 緑風出版) エレーヌ カレール・ダンコース『崩壊したソ連帝国―諸民族の反乱』 (新評論 / 藤原書店) イグナシ・デ ソラ・モラレス『現代美術の巨匠―アントニオ・ガウディ』(美術出版社) クロード・ランズマン『ショアー』(作品社) 『レ・タン・モデルヌ(雑誌「現代」)50 周年記念号』(共訳、緑風出版) ジャン=フランソワ・フォルジュ『21 世紀の子どもたちに、アウシュヴィッツをいか に教えるか?』(作品社) ロニー・ブローマン『人道援助、そのジレンマ―「国境なき医師団」の経験から』(産 業図書) クルトワ・ステファヌ・他『共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧(コミンテルン・アジア篇)』 (恵雅堂出版) シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源 ―歴史はどのように創作されたのか』(監訳、浩 氣社)、ほか。 ■ シリーズ編者紹介 ■ 砂川有里子:筑波大学人文社会系 教授 砂川裕一:群馬大学名誉教授 アンドレイ・ベケシュ:リュブリャーナ大学文学部 教授 福西敏宏:(株)オリエンタル群馬 上席研究員 「著作権保護コンテンツ」 106 日本語学習者のための 日本研究シリーズ Japan Studies for Japanese Learners 1 日本思想におけるユートピア 2014 年 9 月 9 日 第 1 刷発行 高橋武智 著者 シリーズ編者 砂川有里子,砂川裕一,アンドレイ・ベケシュ,福西敏宏 発行 株式会社 くろしお出版 〠113-0033 東京都文京区本郷 3-21-10 TEL 03-5684-3389 FAX 03-5684-4762 URL http://www.9640.jp E-mail kurosio@9640.jp 印刷所 三秀舎 装丁 庄子結香(カレラ) 翻訳者 Anubhuti Chauhan(英語) 劉雅静・孟煕(中国語) 林始恩・安祥希(韓国語) © TAKAHASHI Taketomo 2014, Printed in Japan ISBN978-4-87424-631-3 C0081 ● 乱丁・落丁はおとりかえいたします。本書の無断転載・複製を禁じます。 「著作権保護コンテンツ」
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