2012 年 11 月号(通算 375 号) るうてる 箱崎群教会共同体版 -月報 メッセージと証し- 発 行 日本福音ルーテル箱崎教会 代表者 牧師 和田 憲明 〒812-0053 福岡市東区箱崎 3-32-3 TEL(092)641-5440 FAX(092)641-5480 メールアドレス wada@jelc.or.jp 箱崎教会・恵泉幼稚園 http://www.jelc.or.jp/hakozaki 奈多愛育園 http://nata.aiikuen.net/ わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたし たちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のう ちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 (『聖書』コリントの信徒への手紙一15章51―52節/P322) 我らは_人であった ぜんせいと 毎年 11 月の第 1 日曜日は「全聖徒主日礼拝」という、先に天に召された方々を記念する礼拝を守る。 「全聖徒」の全は全部・全員の意。聖徒は、聖とされた使徒のことだからイエス様の弟子、あるいはイ エス様に従おうと集まった人たちのことといってよいだろう(信仰告白『使徒信条』の「聖徒の交わり」のとお り) 。つまりこの日は、キリストの十字架を中心にこちら側(この世)と向こう側(天の国)とで心合わ せて祈るのである。 ところで、幕末から昭和初期を生きたキリスト者(クリスチャン)の内村鑑三(1861-1930)は、ま だ 19 歳だった長女ルツ子を結核のために亡くす。その葬儀の直後に書いた「我らは四人であった」は、 今なお彼の信仰を伝える詩である。ご紹介したい―― 我らは四人であった、しかして今なお四人である。戸籍簿に一人の名は消え、四 角の食台の一方は空しく、四部合奏の一部は欠けて、讃美の乱されしといえども、 しかも我らはいまなお四人である。 我らは四人である。地の帳簿に一人の名は消えて、天の記録に一人の名はふえた、 三度の食事に空席はできたが、残る三人はより親しくなった、彼女は今は、我ら のうちにある、一人は三人を縛る愛の絆となった。 しかし我らはいつまでもかくあるのではない、我らは後にまた前のごとくにある のである。神のラッパの鳴り響くとき、ねむれるものがみな起き上がる時、主が 再びこの地にきたりたもう時、新しいエルサレムが天より降る時、我らは再び四 人になるのである。 四人とは彼の家族構成を示すが、私たちも先に天に召された方々に想いを馳せるとき、かつて一緒に 過ごした人数を表題のとおり「_人」と、入れて読むことができると思う。内村は長女の眠る墓地のひ と握りの土をつかんで「ルツ子さん、万歳」と叫んだという。それはきっと、やせ我慢でも強がりでも 現実逃避でもなく、彼の聖書理解と復活信仰の現れだった。冒頭の聖書の続きは「わたしの愛する兄弟 たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ば れているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」 (同 書 15 章 58 節)とある。み言葉には、私たちの目から涙をぬぐう慰めや天に召された人々との再会の楽 しみ、そして天の国への希望が備えられている。 この日を覚えてくださったそれぞれのご家族の上に、神さまからの恵みと平安、また慰めとこれから の導きがゆたかにありますよう、お祈り申し上げます。 田代貞子姉が 10 月 23 日に天に召され、24 日前夜式、25 日告別式が箱崎教会で営まれました。以下、ご家族の同意 をいただきましたので、2008 年 10 月号の田代姉の証しを遺稿としてお載せいたします。(和田) 移りゆく日々のなかで 田代 貞子 私がよく立ち寄るバス停留所に、大きな木が立っている。幹は逞(たくま)しく、こげ茶色や乳白色、 黒、白、など多彩な色に囲まれて何とも美しい。見上げる幹に大きな葉っぱが重なって、ギラギラと輝 く真夏の太陽から地面に木陰を作っている。日傘を閉じて立ち止まり、私は思わず「ありがとう」と言 った。 その時私は、詩人で児童文学作家でもある「シェル・シルヴァスタイン」作「おおき な木」を思い出した。ここに出ている「おおきな木」とは「イエスさま」その者である と、私は思った。 私は戦前、西南学院で児童教育の勉強をしましたが、福永ツギ先生の人柄や、教えに ふれることができた事を感謝しています。絵本「おおきな木」のモットーである、「愛 とは与えることであって受けることではない」という著者の信条を、福永先生がいつも いつも仰っておられたことを思い出しました。 私が今できることは、毎週日曜日、朝早く箱崎教会に来て、教会学校で子どもたちと一緒にイエスさ まのことを学ぶことです。私は健康が許す限り続けて行きたいと願っております。 感謝 主の恵みに感謝 因 希至 私は 40 年前に三女を産んでから、3 人の娘と共に洗礼を受けました。創立 80 周年という節目にあた り、この 40 年を振り返りますと、良いことばかりではなく、つらいこと、悲しいことも多くありました が、神様のお守りと皆さんのお支えによって、今日まで只々夢中で過ごしてきました。 長女道子は苦しみながら長い時間をかけてこの世に生を受けました。母乳を飲む力もなく、面会もま まならず、一月後に初めて胸に抱いた我が子は、とても可愛く、いとおしく、 「どんなことがあっても大 切に育てなくては」と思いました。首が座らない、歩けない、言葉が出ないなど、月日とともに障害が 明らかになってきました。良い診断を求めて幾つも病院をめぐりましたが、どこもはっきりせず、最終 的に脳性まひと言われるまでに 2 年ほどかかりました。覚悟はしていましたが、とてもショックを受け た私たち夫婦に、娘はくったくのない笑顔を投げかけます。この笑顔に何度も救われ、つらい訓練や母 子入園にも耐えることができました。 道子は 4 歳の時に次女の出産のために、施設に入所し、家族と離れて過ごしました。会えるのは 2 週 間に 1 回、日曜日の面会だけでした。その時間だけは、家族が全員揃い、短くても楽しいひとときを過 ごしました。30 年後、夫の退職を機に在宅介護を決意し、家に帰ってきました。それからは、皆さんご 存知の通り、教会に喜んで通うようになりました。親子 3 人で、色んな行事に参加し、出かけては、た くさんのことを経験しました。楽しい月日はあっという間に過ぎ、私共も年を重ね、介護に限界を感じ るようになりました。案ずる中、神様の計らいで、久山療育園入所の恵みが与えられたのです。 久山は社会福祉法人「バプテスト心身障害者を守る会」による施設で、全国の多くの方々に支えられ 守られています。創立以来、 『わたしは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見え るものは過ぎ去りますが、見えないものは、永遠に存続するからです。 』 (コリントの信徒への手紙二 4 章 18 節) この聖句の様に、弱いものにこそ手を差し伸べ共に生きると言う精神のもと運営されています。 道子は入所以来、火曜日の夕方行われる礼拝(自由参加)に欠かさず参加し、祈りと賛美の時を過ご しています。その時には必ず職員さんが毎週交代で娘に付き添って下さっています。この話を聞いて、 何もできないと思いがちな障害をもつ娘ですが、以前は参加しなかった職員さんを礼拝に連れて行くと いう、伝道の一端を担っていることに気付きます。すばらしい恵みです。 神様はそのときに適った恵み、時には試練を与えてくださいます。家族揃ってぶどうの木につながり、 箱崎教会の兄弟姉妹の中に加えられましたことは、その後の試練とともに、全て主の大きなご計画だっ たのだと思い、心から感謝します。 青年会の活動について 因 てい子 いつも、青年会活動にご協力いただきましてありがとうございます。 特に毎年夏季恒例となりました島原そうめんの販売では、たくさんの方々にお買い上げいただき、感謝 しております。売上はJELCY九州(九州教区青年会)の活動に使わせていただいております。今回は 現在のJELCY九州について少しでも知っていただけたらと思い本稿を書きました。 JELCY九州の活動は、毎年 2 月に行われる総会から始まります。総会では主題聖句を決め、1 年 間の活動計画を立てます。役員の改選も行われますが、総会への出席者が少なく、活動への参加者もほ とんど固定されているので、おのずと役員の顔ぶれも決まってしまう状況です。役員構成は代表、副代 表、書記、会計で、去年に引き続き代表は山田麻衣さん(室園教会)です。私も会計をさせていただいて います。青年担当教職は室園教会の西川晶子先生です。 今年は代表の発案で、2 ヶ月に 1 回(偶数月の第 4 週土曜日に)集まり、聖書研究をしようということ になりました。その日を「オリーブの会」と名づけ、4 月(箱崎教会)、6 月(神水教会)、8 月(健軍教会) に開催されました。参加者は 5~10 人程度です。聖書研究や話を聞いた後は交流のため、近くの飲食店 に出かけたり、バーベキューをしたりしています。10 月は八幡教会で岩切先生、秋山先生にお話してい ただく予定です。12 月には場所は未定ですがクリスマス会を行います。 参加者は福岡、熊本の青年がほとんどです。県外からの参加者には交 通費の半額を補助しています。 その他の活動としては、素麺販売の案内ポスター作成、発送、オリー ブの会の案内作成発送などの事務作業を役員を中心として行っています。 また、年に 3 回程度、各教区の青年代表が集まって全国青年連絡会を 開いています。会議の場所は各教区持ち回りです。山田麻衣さんは全国の代表でもあり、私も会計をし ています。そこでは、各教区の活動報告、全国青年修養会についての話し合いなどを行います。どこの 教区も青年が少なく、メンバーが固定化しているのが悩みです。ティーンズキャンプの卒業生を青年会 へうまく繋げていないことも理由のひとつでしょう。また 18 歳から 20 代のころは、就学、就職などで 地元を離れ、忙しくて教会へ行けない時期であり、教会以外での人間関係が広がり、教会から足が遠の く時期です。私自身もそうでした。その時期を過ぎたとき、ふと教会に行きたくなる、神さまにつなが りたくなる時が来るのだと思います。神さまはその時を必ず用意してくださっているはずです。その時 がいつなのかはわかりませんが、私たちの役割は、そうして久しぶりに戻ってきた兄弟姉妹が『もどっ てきてよかった』 『やっぱり教会はいいな』と思える青年会の雰囲気を作ることだと思うようになりまし た。人数を増やすことだけが目的ではないですし、目だった活動をすればよいというものでありません。 これからも自分にできることを地道にやって、少しでも教会に貢献できればよいと思っています。 今後も青年をあたたかく見守っていただくと同時に、遠慮せず、どんどん声をかけてくださるように お願いいたします。
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