※本文は2013年2月10日(日)付けのホノルル・スター・アドバタイザー紙に掲載された、シェラ トン・コナ・リゾート&スパ・アット・ケアウホウ・ベイに関する記事を翻訳したものです。 ホテルの宿泊客が触れる、生きたケアウホウの歴史 2013年2月10日(日) By Cheryl Chee Tsutsumi ケアウホウ湾に沿い低木で一部覆われ、ひっそりとたたずむシェラトン・コナ・リゾート&スパの 珠玉の宝、それは何十年にも渡り見過ごされてきた。そして忘れられていたのは、そこに眠るケア ウホウの物語も同様だった。 2005年9月にリリー・デュドワさんが営業補佐としてシェラトン・コナで働き始めた当時、彼女はホ テルのあるカウクラエラエ・ポイントの海岸沿いをよく散歩していた。散歩の途中彼女はそこにある 史跡のようなものに気づいたが、なぜ誰もこの場所について触れないのだろうと不思議に思ってい た。 「まだ働き始めて間もない頃だったので誰にも聞けません でした。黙って仕事をこなさなくちゃと自分に言い聞かせ ていました。」とデュドワさんは言う。「数ヶ月すると総支 配人の役員秘書になりました。そして時が経つにつれ、ケ アウホウの歴史を良く知りそれを守らなければという考え が強くなり、この史跡について何か言うべきだという気持 ちが次第に高まっていきました。」 デュドワさんは勇気をふりしぼり、この場所の調査を行い その情報を新しいカルチャー・プログラムに加えてはどうかと上司に伺いを立てた。そして驚いた ことに上司はあっさり彼女に同意したのだった。 現在デュドワさんはシェラトン・コナのアラカイ・ホオル アナと呼ばれるカルチャー&レジャー・アクティビティの ディレクターを務めている。一般に提供されている3種類 の無料ヒストリカル・ウォーク(歴史散策ツアー)の監督 は彼女の業務のひとつだ。 アンティ・リリー・コング(リリーおばさん)は、生まれた 時からずっとケアウホウに住むハワイの文化情報のスペシ ャリスト。歴史ツアーのプログラムを立ち上げる際、アイ ナ(土地)と共にアンティ・リリーは案内人としてデュド ワさんをサポートした。 デュドワさんが当時を思い出しながら語った。「私が説明文や広告用の文章を書くときは、アンテ ィ・リリーに必ず見せて『これで大丈夫?』と聞いたものです。すると彼女は『どうして私に聞く の?ケアウホウの大地に聞きなさい。心と気持ちを開いて大地の声を聞いて。答えをあなたのナア ウ(直感)で感じることができるわ』と。彼女の言う通りでした。」 数年もの間デュドワさんは膨大な文献を読み漁り、地図や古い写真を熱心に調べ、遺跡横のカウク ラエラエ・ポイントで瞑想した。彼女にとってこのツアーはケアウホウの歴史に敬意を表すことと同 じだ。 「周囲に車や道路やビルがあるからといって、ケアウホウと いう特別な場所の本質がなくなってしまったわけではない、 とゲストの方々にはお伝えしています。」と彼女は言う。 「ハワイの考え方や伝統についての物語はなくなっていませ ん。そしてその物語を分かち合うことによって、ケアウホ ウの歴史を残していくことが大切だと思っています。ヘイ アウ(聖域)や他の遺跡は、昔この場所にハワイの人々が 生きていたことを教えてくれます。これらの史跡は私たち がどこから来たのか、そして先祖から学ぶ大切なレッスン があることを思い出させてくれます。」 デュドワさんは毎週5回あるツアーのうちの4回をガイドし、ケアウホウの案内人という役割と参加 者とのコミュニケーションを楽しんでいていつも元気だ。「参加者の多くは涙ぐんでしまいます」と 言う。「カウクラエラエのエネルギーは平和で力強い。私でなく、この土地そのものがゲストの皆様 に語りかけているのです。」 ヒストリカル・ウォーク(歴史散策ツアー) » 集合場所:ハワイ島シェラトン・コナ・リゾート&スパ・アット・ケアウホウ・ベイ(住所:78128 Ehukai St., Keauhou)1階プールテラス(リンク@シェラトンのラウンジ付近) » 電話:930-4900;コンシェルジュに問い合わせ » Eメール:concierge@sheratonkona.com » ウェブサイト(英語):www.sheratonkona.com/resortexperiences/cultural-tours カウクラエラエ・ヒストリカル・ツアー(カウクラエラエ歴史散策ツアー) 毎週日曜日 午後5時 無料 1時間の徒歩ツアーはレケレケ・ベリアル・グラウンド(埋葬地)を除く、下記史跡リストに掲載の箇 所をすべて網羅。 ヒストリック・ケアウホウ・ベイ・バイ・ランド&シー・エクスペリエンス(海と山を体験する歴史の 土地ケアウホウ湾) 毎週火曜日と木曜日 午前9時 上記の陸上ツアーに続きオプションとして追加可能。ハワイのセイリング・カヌー、キニキニに乗っ てケアウホウ湾を巡る1時間のツアーは一人55ドルの料金要。参加人数が限られているため、予約 は先着順。 カヌー乗船前にカメハメハ三世の生誕地を訪問。 ホロホロ・ケアウホウ-マウカ・マカイ~山から海のケアウホウ散歩~ 毎週月曜日と水曜日 午前8時 レケレケ・ベリアル・グラウンド(埋葬地)へ行く90分の無料徒歩ツアーの後、参加者は55ドルのカ ヌー乗りに任意で参加することが可能。歩いて3キロほどの距離だが、一部足元が不安定な場所があ るため注意が必要。帽子、日焼け止め、安定して歩きやすい足の甲を覆う靴着用。 史跡リスト レケレケ・ベリアル・グラウンド(埋葬地) 1819年5月に父のカメハメハ王が亡くなりリホリホが島の王位を継承すると、まず初めにしたこと のひとつにカプ(タブー)制度廃止があった。この古代から続く戒律を守ることを望むカフナたち の中にはリホリホの従兄弟にあたるケクアオカラニがいた。反乱が起き、結果的に1819年12月現在 のアリイ・ドライブの端にあたる溶岩原で二人の王族率いる軍隊の戦いが繰り広げられた。リホリ ホが勝利を収めたがその代償は高く、戦場の周りの丘にはこの戦いで亡くなった300人以上の兵士 の墓ができた。 ベル・ロック 棒や石で特定の場所を叩くと、この大きな岩から鐘のような音が響き渡る。危険が迫っていたり重 要な知らせがある時、この石は村人の注意を喚起するために使われた。 カウクラエラエ・ヘイアウ(神殿) 現在残っているものが散在する石しかないため、この神殿について知られている事実は1700年代の ものというくらいしかない。1819年にカプ制度が崩壊した後、古い戒律の象徴として見られたため 多くのヘイアウが破壊された。研究者はカウクラエラエもそのひとつと考えている。 カニカニカウラ・ヘイアウ(神殿) 海に出る前、漁師は神々にお供えをして漁の安全と大漁を祈った。海から戻ると、漁の安全と成功 を感謝し一番初めに釣れた魚を神々に供えた。この神殿は修理されておらず、昔からの姿が比較的 良い状態で残っている。 塩田 村人たちは海岸沿いにある石を敷き詰めたくぼ地に海水を運んだ。水が蒸発して残ったパアカイ (塩)は、魚の保存や薬、宗教儀式の浄化用に使われていた。 積み石 昔は石を隙間なく並べて家の土台や、牛小屋やカヌー小屋の壁を作っていた。 メネフネの木 オピウマ(アヘン)の木は幹に大きなこぶができ、それがメネフネ(伝説の小人族)の筋骨隆々と した体つきを連想せるため、メネフネの木というニックネームがついた。この小人族は夜間に活動 し、壁や道、ヘイアウ、堀、養魚池を作ったと言われている。太陽が昇るまでに仕事が終わらない と、その建築は未完のまま残されたという。
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