2007年10月号

I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
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NO.113
2007 年 10 月号
OCTOBER
I N T E R C U L T U R E
■■ 学校法人 千里国際学園 Senri International School Foundation (SISF) ■■
千里国際学園中等部・高等部 Senri International School (SIS) 併設 大阪インターナショナルスクール Osaka International School (OIS)
〒 562-0032 大阪府箕面市小野原西4丁目4番 16 号 TEL 072-727-5050 FAX 072-727-5055 URL http://w ww.senri.ed.jp
オーストラリアホームステイ
サマーキャンプ報告
日本の次世代リーダー養成塾
サイエンスキャンプに参加
英検1級に4名合格
2007 夏 「オーストラリアホームステイ」 「サマーキャンプ」 I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
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中二階にて
大迫弘和
SIS 校長
アントン・チェーホフという多くの美しい
短編小説 ・ 戯曲を書いたロシアの作家
がいますが、 その作品の中に 「ミシュー
シ、 君はどこにいるの?」 という有名な
ことばで結ばれている 『中二階のある家』
という作品があります。 「中二階」 といえ
ば私たちの学園にもそれに当たる場所が
あるのをご存知ですか。 一階の図書館
の中にある螺旋階段を上るとそこにマル
チメディアの教室やコンピュータのサー
バー室のあるフロアがあります。 そのフ
ロアを出て2階の普通教室に行くために
は保護者会室の横の階段を上がってい
きます。 一階のフロアから階段を上がり、
二階に行くために階段を上がる場所、 正
に 「中二階 a mezzanine 」 にあたる場所
がそこです。
前置きが長くなりましたが今回は皆さん
にそのSISの中二階に保管されているSI
Sの宝物のことを知っていただきたいと思
います。
図書館の中にある螺旋階段を上り中二
階のフロアに入り、 右手に進み、 その奥
までいくと小さな本棚があります。 その本
棚の中には 「ぐるんぱのようちえん」 「こ
んとあき」 「オリビア」 等々何冊もの絵本
が並んでいます。 それらの絵本のペー
ジを開いてみてください。 それは 「点字」
の絵本、 点訳絵本です。
1991 年の開校からずっと活動を続けて
いるSISの点字クラブ。 16 年余の活動の
中で完成した点訳絵本の総数は、 顧問
をしてくださっている青山比呂乃先生か
ら見せていただいたリストによるともう 40
冊を越えています。
点訳絵本は目の見えないお母さんの、
目の見える我が子と絵本を楽しみたいと
いう願いから生まれたもの。 透明な塩ビ
シートに文章を点訳し、 絵の部分も同じ
シートで形を切り抜き、 絵本にじかに貼り
付けて、 目の見える人と見えない人が一
緒に楽しめるように工夫したものです。 S
ISの点字クラブも例えば 「ぐるんぱのよう
ちえん」 では主人公の象のぐるんぱの形
が目の見えない人に分かるよう塩ビシー
トで貼られています。
出来上がった点訳絵本は実際に目の
見えない方に読んでいただいて、 不都
合がないか、 意見を伺ってもいます。 昨
年度8年生の 「ハンディキャップについ
て考える」 に協力してくださった濱本捷
子さん (『インターカルチュア # 110 2007 年3月号 11 ページ』 参照) が、
これまで何度も点字クラブの作成した点
訳絵本を実際に読んでくださり、 アドバイ
スをくださっています。
「中二階」 にある小さな本棚には、 そこ
に並ぶ点訳絵本の製作者の名前が、 開
校時の7年生からずっと残されています。
たくさんの懐かしい名前がありました。 僕
がまだ担任をしていた頃僕のクラスにい
た本当に何事にも精一杯誠実に努力を
続けていた生徒、 自分自身体に困難を
もち車椅子で6年間がんばった生徒、 今
は医学部で学んでいる生徒、 一人ひとり
の生徒の顔がはっきりと思い出され、 そ
して、 ああ、 この子達がここでもくもくと点
訳絵本の作成をしていたのだな、 と 16
年間分の感動が、 僕の心を占めました。
SISは国際学校として、 日本国内にと
どまらないスケールを持った教育を行っ
ていますので、 学園のもつイメージはか
なり華々しいものになっているところがあ
ります。 しかし、 これまでも何度か伝えて
きましたが、 私たちSISが大切にしてい
るものは、 そのような華々しさでは決して
なく、 今回の点字クラブの点訳絵本作成
のお話のように、 地道にもくもくと日々積
み上げられている営為である、 と言って
過言ではありません。 しかもその営為が、
私がかつて 『学園の願い』 として書いた
「世界の痛みを自己の痛みと感じ、 自ら
の生を自らの責任において引き受け、 そ
して与えられたいのちを確かなものと感じ
つつ生きていく」 ことにつながるものであ
るなら、 それ以上にうれしいことはありま
せん。
国際人とは?とよく尋ねられます。 「5
つのリスペクト」 を身につけた人こそ国
際人の名に値する、 と日々考えています
が、 さらに突き詰めていくと 「思いやり caring」 の一語に行き着くように思う今日
この頃です。 国境や民族を越えた思い
やりを持った人こそ、 世界のどの場所に
おいても受け入れられ、 敬愛される真の
国際人なのではないかと。
SISの生徒たちが、 SISという国際学
校で、 そのような人に向かって成長して
くれることを願っています。
「点訳絵本、 中二階から図書館の真ん
中に移していただけるでしょうか。」
青山先生にそのようにお願いしました。
千里国際学園基本方針
千里国際学園では、 自分の行
動に責任を持ち、 よい人間関係
を維持していく能力が、 生徒各
自に備わっていると信じます。 こ
の考えにもとづいて、 次のような
行動の目安がつくられています。
<5つのリスペクト>
自分を大切にする
他の人を大切にする
学習を大切にする
環境を大切にする
リーダーシップを大切にする
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オーストラリアホームステイ
柴田美奈
中等部3年
私はこの夏休みにオーストラリアホーム
ステイに3週間行ってきました。 皆もそう
だと思いますが、 私のホストファミリーは
とても良かったです。 そのおかげで思っ
ていたよりも楽しむ事ができたのかもしれ
ません。
初めて会ったのはホストマザーの Sue
でした。 バディの Shona は Irish Dance
をやっていて来られなかったらしいです。
第一声から元気に声をかけてくれて、 私
の緊張を大分ほぐしてくれました。 私は
その時あまり話せませんでしたが、 彼女
はずっと一人で話し続けていてくれたの
で会話が途切れることはありませんでし
た。 家に着き、 彼女はホストファザーの
Steve と Shona の兄の Stewart を向かえ
に行ってしまったので、 私と Shona、 二
人きりになってしまいました。 どちらも緊
張していて困りましたが、 最初に声をか
けたのは私でした。
「時間があるなら私と遊ばない ?」
そして急遽用意したシャボン玉で遊び
ました。 彼女も少しずつ話してくれるよう
になり、 他愛の無い会話でしたが、 この
ときに初めて第一関門を突破した様な気
持ちになりました。 その後ホストファミリー
全員に会い、 だんだんと自然に言葉が
出てくるようになりました。 Steve は色んな
面白おかしい話を必死に簡単な言葉で
話してくれて、 私も電子辞書を片手に必
死に分かろうと努力しました。 そうしてい
る間にいつの間にか 1 週間が過ぎていま
した。 けれど、 勿論こんなにスムーズに
行くわけではありません。 実は Stewart と
のコミュニケーションは全くと言って良い
ほどとれていませんでした。 このままで良
いのかなと小さな疑問も私の中にありま
した。 が、 そんな時 Shona はバンドの練
習があるからと言う理由で彼と2人で帰ら
なければならなくなりました。 また、 初め
に逆戻りするような気持ちでした。けれど、
今度声かけてきてくれたのは私ではあり
ません。 彼からでした。
「今日は何をしたの ?」
これも、 日常的な会話の一部にすぎま
せんが、 相手から声をかけて来てくれた
事により、 この言葉は私の心の大きな支
え と な り ま し た。
また、 他愛もな
い話をして、 そ
の夜は5人全員
でテレビを観て、
これで私はやっ
と家族になれた
か な と 思 い、 と
ても嬉しかった
です。
学校では、 友
達も先生もとて
もフレンドリーで私は学校にいる時間が
一番好きでした。 英語が不十分だからと
人見知りがあるので、 その分コミュニケー
ションをとりづらいときもありましたが途中
言って笑う生徒もいないし、 気を使いす
ぎる生徒もいません。 私達にも普通の友
達のように接してくれるので私としても話
しやすかったです。 それに、Shona のとっ
ているクラスではほとんど必ず日本人の
生徒がいました。 本当は良くない事と分
かっていますが、 でもそれが逆に日本語
を使わない様にしようという志にもなりまし
た。 それに、 教室移動などで忙しかった
ので話す機会は多くありませんでした。
行く前、 私が一番気にかけていた事は
やはりホームシックです。 たった3週間で
も絶対なる。 そう思っていたのでそれに
自分が耐えられるのかどうかという事が一
番心配でした。 ところが、 まったくそんな
心配は無かったです。 結構自分の家に
いる様な気分になれたし、 初めのほうは
慣れる事に必死でホームシックの事など
すっかり忘れていました。 なので、 私に
とって一番大変だった事はコミュニケー
ションをとる事だと思います。 日本人同
士でも初対面で仲良くするのは難しいの
に、 まったく日本語の出来ない人達と共
同生活をしなければいけない、 こういうの
は精神的にしんどいです。 だけど、 それ
は初めだけだし気を使っているのは相手
も同じ、 なら自分から話しかけたほうが何
故か勝った様な気分になってきます。 あ
まり偉そうな事は言えませんが、 それが
コミュニケーションをとれたと感じる第一
歩だと思います。 少なくとも私はそうでし
た。 とにかく、 話せば話すほど良いし自
分から話しかければなお良いです。 私は
からプライドとか全て捨てて、 今思えば
やけになっていたのかも知れません。 で
も、 そうした事によって楽しい時間が過ご
せたので全く損はありませんでした。 そ
れに緊張しているのは私だけではありま
せんでした。 Shona も初めは緊張してい
た様で全く話しかけて来なかったし、 目
も合わせてくれませんでした。 私も合わ
せませんでしたが…。 でも2週間目にな
ると大分緊張はほぐれます。 なので、 彼
女から私の部屋に入ってきてトランプをし
たりしました。
私はこのオーストラリアホームステイで
色々な貴重な体験をしました。 これに参
加して、 英語だけでなく、 人と接する事
や自分でやっていく大変さを知りました。
コミュニケーションの面において私が編
み出した対処法は、 先程から繰り返して
きたように、 話す ・ 話しかける、 です。
どんなに下手な英語でもきっと相手は理
解してくれます。 私も1単語1単語並べ
て片言で話しても皆理解してくれました。
たまに出来ないときもあってそのときは絵
を描いて説明したり、 身振り手振りで一
生懸命に説明します。 そうすれば相手
からも良いリアクションが得られると思いま
す。 このホームステイは本当に良かった
です。 私は正直言って帰りたくなかった
ので、 「帰りたくない」 と言っていました。
すると Shona はこういってくれました。
「いつでも戻ってきてね。」
今まででこれ程嬉しかった言葉はありま
せんでした。
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< サマーキャンプ報告 >
里山家族
田中 守
理科
今年から 『森のキャンプ』 は大阪の南・
紀泉わいわい村に場所を移し、 入学し
たての7年生全員が参加する新しいキャ
ンプとして生まれ変わりました。 SIS に入
学した生徒は必ずこのキャンプに参加
し、 高校生のフィールド ・ レンジャーと共
に過ごす3日間から、 『SIS』 を学びます。
『里山家族』 は新入生と高校生の 「つな
がり」 がメインテーマです。 高校生と新7
年生が家族のように近い存在となり、 SIS
での目標となってくれること願い、 期待を
こめて 『里山家族』 と名づけました。
高校生のレンジャー1人に3から4人の
7年生というグループをファミリーと名づ
け、 活動しました。 ファミリーが力を合わ
せて、 お釜でご飯を炊き、 七輪で鮭を
焼き、 五右衛門風呂を沸かす生活をし
ました。 昼間はパンを焼いたり、 燻製を
作ったり、 クラフトを作ったりといろいろな
ことに挑戦しました。 みんなのためにプロ
グラムの準備をしてくれたグループもあり
ます。
高校生はレンジャーとして参加します。
熱い思いを持ったリーダーたちが集まっ
て、 大きな責任と期待を背負い、 誰にも
まねできないプログラムを作っていきまし
た。 活動は6月から毎日打ち合わせを重
ね、 下見や研修キャンプも行いました。
特に今年はまったく新しいプログラムへ
の挑戦となり、 ずいぶん苦労していたよう
です。
『里山家族』 の写真は、 CD-ROM の
形で図書館から借りることができます。 原
則として1泊2日の貸し出しです。 家のコ
ンピュータにコピーして使ってください。
たくさんの枚数があり、 他の人に迷惑に
なることが考えられますので、 図書館内
で見るのは遠慮してください。
フィールドレンジャー報告
廣田佳代子
高等部3年
今年のキャンプは、 5月に衝撃を受け
たところから始まった。 1つは、 彩都から
新しい場所に移ったこと。 もう1つは、 7
年生全員が来る、 つまり必修化となった
こと。 名前は 「森のキャンプ」 から 「里
山家族」へ、そして「フォレストレンジャー」
から 「フィールドレンジャー」 へ。 去年
と同様だと信じ込んでいた私にとっては、
驚きを隠せない出来事であった。
まだ7年生必修でない時に私が SIS で
初めて参加したキャンプが 「森キャン」
だった。 このキャンプですっかり 「レン
ジャー」 に魅了されてしまい、 高校生に
なったら私もレンジャーになると心に決め
ていた。
そ し て 10 年 で 念 願 の フ ォ レ ス ト レ ン
ジャーとなった。 それから毎年恒例のよう
にこのキャンプに参加するようになり、 高
校生最後の今年の夏、 あこがれ続けた
ヘッドになった。 今年は体制も一変し、
ほとんどのレンジャーがキャンパー ( 7年
生 ) と共に行動することとなった。 裏方と
して動くのは私を含め2人だけだった。 こ
れまでのキャンプを “真似” したくはな
かったが、 過去に例がない今年のキャン
プを、 私はどうして進めていけばいいか
わからずにいた。 そうこうしているうちに
も時間は過ぎ、 私たちは不安定なまま、
毎日行われる1ヶ月間のミーティングを進
めていった。 分かっているけど上手くで
きない、 そんなもどかしさと苦しさが続い
た。 今まで見てきたレンジャーのようには
上手くいかず、 本当に情けなかった。 そ
れでも時は無常にも過ぎてゆき、 とうとう
キャンプ当日を迎えた。
予定より 15 分遅れてキャンパーである
7年生は到着した。 ここからだ。 気合を
入れて向かった。 天気も晴れでいいス
タートになった。
司会が話し始めて2泊3日のキャンプは
始まった。 1ヶ月かけて作り上げたプロ
グラムが動き始めた。 夕方には1番心配
であった 「晩ごはん作り」 が始まり、 見
回りをしながらみんなの様子を確認した。
予想以上にとてもうまくいっており、 胸を
なでおろした。 しかし、私はいつでも“次”
のことを考えるという役目があり、 安心ば
かりしてはいられなかった。 どうしても次、
次と考えていくのが難しくて、 必死だと、
笑顔がなくなっていると叱られた。 何も大
きな失敗は起きていなかったが、 不安と
焦りで余裕はゼロ。 正直笑っていられな
かったこともあった。 しかしそんなわけに
もいかない。 ヘッドという立場で全体を見
渡す者に余裕も笑顔もなくては、 それが
全員に伝わってしまう。 切り替えなけれ
ば、 ととにかく笑顔でいた。
キャンパーが就寝時間を迎えた後、 レ
ンジャーはミーティングをするために集
まった。 1日目が終わったのだ。 今度は
次の日の打ち合わせだ。 でも1人、 2人、
遅 刻。 1 人、 2 人、 寝 て い る。 み ん な
責任感がないのか、 やる気がないのか。
ちがう、 私以上に動いて、 キャンパーと
の時間を過ごして疲れているのだ。
2日目は雨だった。 この日はなによりも
時間を費やしてきた選択プログラム 「チョ
イプロ」 の日。 あらかじめキャンパーの
みんなにプログラムを選択してもらい、 グ
ループを解体して、 お昼ごはん作り、 竹
水鉄砲作り、 キーホルダー作りなど様々
なことを行った。
しかし、 午前の活動が終わるころ、 レ
ンジャーにもキャンパーにも疲れが見え
始めた。 何かが崩れそうだった。 その
時、 レンジャー 18 人で一瞬だけ集まっ
た。 そしてレンジャーの1人が口を開い
た。 みんなでがんばろう、 と。 この言葉
のおかげでみんなスイッチが入った。 素
直にがんばろう、 そうみんなが思ったと
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思う。 これが私の思っていた 「理想の形」
に近いのかもしれないと思った。 みんな
が互いにフォローし合っている。 18 人が
ひとつに感じる。 それからは、 遅れや失
敗があっても、 みんながカバーして、 フォ
ローし合うようになっていった。
それをさらに実感することにもなった出
来事が、 夜のキャンプファイヤーで起こっ
た。 キャンプファイヤーは多少遅れなが
らも順調に進んでいたが、 途中で通り雨
が降ってきて、中止となってしまった。キャ
ンプファイヤー担当のレンジャーはとても
悔しそうにしていた。 ここで諦めていいの
か。 そうはいかない。 部屋の中で再開
しようと先生にも言われ、 私たちはまた
全力で動き始めた。 キャンパーをもう一
度呼び戻しに走っていったレンジャー、
いままでいた場所を片付け始めるレン
ジャー、 部屋の準備を始めたレンジャー。
それぞれがバラバラに動きながらも、 キャ
ンプファイヤーを再開したい一心で動い
た。場所が変わっても、みんな笑顔で戻っ
てきてくれて、 私は大満足だった。 何よ
りみんなが1つになった気がした。
私自身も、少しずつではあったが、“次”
に目を向けられるようになっていた。 す
でに3日目のことが頭にはあった。 この
日の夜のミーティングでは一人ひとりに
話しをしてもらった。 みんな顔が輝いて、
疲れながらも楽しんでいるように見えた。
誰一人として明日の存在も忘れてはおら
ず、 みんなで “次” を見ていた。 大丈
夫だと思った。
ハプニングがありながらも、 みんなが楽
しく過ごしていくうちに、 とうとう最終日と
なった。 気が付けば、 片付けなども時間
通りに済みあとは帰るだけとなっていた。
このキャンプの一番最後に私はみんな
の前で話をさせてもらった。 裏方の存在
や私自身の思い。 つたない言葉だった
がきっと伝わったはず。 これでキャンプ
終了だった。
みんながバスに向かい始めた時、 思わ
ず涙が出た。
みんな笑顔だった。
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このキャンプをやって本当によかったと
思った。
私は頼りない、 とても下手なリーダー
だった。 “次” を見ることも、 みんなをま
とめることも最後まで満足いくようにはで
きなかった。 ただ、 いつでも誰かが助け
てくれて、 支えてくれて、 見守ってくれ
ていた。 1人で全て背負っていると思っ
ていたけど間違いだった。 ずっと 18 人
が一緒になってやっていた。
ずっと思い描いていたようなリーダーに
なれたとは思わない。 でもみんなはつい
てきてくれた。 今年はこの 18 人でつくっ
たキャンプ。 誰が抜けても加わってもで
きなかった。 受験生であるこの年にやる
のはとても大変だとわかってはいたが、
このキャンプは私には不可欠であり、 教
室では学ぶことができない多くの経験が
できたのだと信じている。
7年生必修化となったことでこのキャン
プの見られ方は変わり、 場所も移り、 ま
たヘッドという立場に立ち、 全てが初め
てのことだった。 “初めて” は不安だら
けで、 何度も涙し、 苦しみ、 悩んだが、
私にはかけがえのないものとなった。 ここ
まで誇らしく思えるこのキャンプに参加で
きたことを、 今改めて感謝したい。
2007-2008 年度
オールスクールプロダクションは『ホンク!』
大迫奈佳江
プロダクションチーム代表、 OIS 日本語科 ・ 音楽科
今年度のオールスクールプロダクションは、 アンデルセン童話 『みにくいあひるの子』
をベースにしたミュージカル ・ コメディー 『ホンク!』 (HONK!) です。 公演は 2008 年
2月 14 日 (木) より 16 日 (土) に行われる予定です。
このミュージカルは、 イギリスのソングライターコンビのアンソニー・ドゥリューとジョージ・
スタイルスの作品で、2000 年には 「ローレンス・オリヴィエ賞」 最優秀ミュージカル賞を、
『ライオンキング』 を抑えて受賞した作品です。 この作品は子供から大人まで、 すべて
の世代が楽しめる、 笑いあり涙ありの心温まるミュージカルですから、 ASP に最適だと
言えます。 さらに、 この作品のメッセージが、 SIS と OIS のどちらもが毎日のように経験
している 「違うことはすばらしい」 ということ、 「心をひらくことが大切だ」 ということも、 両校にぴったりのミュージカルだと
言えるでしょう。
オーディション ・ リハーサルの日程等は追ってお知らせいたします。 また、 今年度は衣装を保護者の方々が担当して
くださることになりました。 お手伝いいただける方がございましたら、 獅子倉さんにご連絡ください。
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嗚呼、 マリンキャンプ
宗正久志
社会科
みなさんは海洋キャンプというとどういう
イメージを持ちますか?私にとってのそ
れは学校の仲間と盛り上がり、 さらに強
い友情を築く場所であり、 同時に集団行
動の大変さと重要性を感じさせられる貴
重な場所でもあります。 今回、 私は初め
てその海洋キャンプに 「 教師 」 という立
場で参加しました。 「楽しい中にも学ぶ
ことがある、 楽しみながら、 でも成長して
帰ってほしい」 という強い思いを私は持
ち、 このキャンプに臨みました。 実際に
生徒達はこのキャンプを通して成長した
と思います。 そして、 私自身も教師とい
う役割の難しさと重要性を再認識し、 少
しは成長できたのかな、 と思っています。
6月 29 日金曜日の春学期最終日を迎
え、 ほっと一息ついたのもつかの間、 そ
の2日後に私は中学生 ・ 高校生合計 44
人に連れられて徳島県阿南市にある海
洋キャンプへと駆り出されました。 本来な
らば 「44 人を連れて 」 というのが教師の
あるべき姿でしょうが、 教師1年目の私に
してみれば、 まさに 「44 人に連れられて
」 でありました。
彼らへの最初の難関 (?) は、 キャンプ
施設に着くまでの道中にありました。 集
団でのバス移動といえば、 そう 「 トイレ休
憩 」 です。 トイレ休憩に立ち寄ると、 停
車時間は 10 分のはずなのに時間は 15
分経っても数名の生徒が帰ってきませ
ん。 20 分経過し、 にこにこしながら帰っ
てくる彼ら。 笑顔でご当地名物を手にし
ていました。 これには私も言葉を失いま
した。 正直、 「 これでこれからの4日間だ
いじょうぶかなぁ 」 と不安になりました。
阿南市の YMCA 施設へ到着した後で、
その不安は現実のものとなりました。 到
着して直ぐの開村式。 「2 列に並びなさ
い 」 という現地スタッフの指示に 3 列や 4
列になって並ぶ生徒。 私たち教員がそ
れを注意すると、 2列に並ぼうとする。 し
かし、 それは蛇のようにクネクネした列。
そして、 午後のプログラムのカヤック。 そ
の開始時刻になっても生徒は揃いませ
んでした。 しかも、 よく見れば遅れてい
るのはリーダー役の高校生…。 5分遅れ
て登場。 おいおいおい、 それで本当に
い い の か?! そ
の後のカヤックの
時間はとても楽
し く 過 ぎ て、 み
んなに笑顔と開
放感が広がりま
し た。 が、 私 に
してみれば、 生
徒は集団行動や
リーダーシップについての意識がほとん
どなかったように思えました。 その夜の
リーダー会議が長びいたのは想像に容
易いことです。
しかし、 2日目、 少しずつみんなの眼
差しが変化してきます。非常に盛り上がっ
たカッター演習でのことです。 カッターと
は 10 人程度が一緒に漕ぐ船で、 みん
なの力がばらばらだと全く前に進みませ
んが、 揃った時の速さと言ったら、 もう何
にも代え難い感動を与えてくれる乗り物。
このカッターで、 リーダー的な存在感を
強く見せてくれたのが、 あの高校生リー
ダー達だったのです。 彼らを中心に 「 前
~へ、1,2!! 」、「 あと少し、頑張ろう!
」 とみんなが大きな声を張り上げ、 仲間
を励まし合う。 そう、 この頃から彼らの眼
差しが変わったのです。 みんなで1つの
ものをつくろう、 とする姿勢が見えてきた
ように思います。 中学生もその高校生の
姿に感化され、一生懸命にカイ ( オール )
を漕いでいました。 みんなの顔が、 団結
する大切さと喜びを感じ、 それに向かっ
て進むリーダーの顔になってきた。 私も
生徒と一緒に必死になってカイを漕ぎな
がら、 海にこだまする生徒たちのかけ声
と、 それに比例するように夏の風を切っ
てぐいぐい加速するカッターに心地よい
充実感を覚えました。 多くの生徒も 「 カッ
ターでみんなの力を合わせることができ
て、 1つになれたと思う 」 という感想を述
べていました。
その後のプログラムでは、 遅刻してく
る生徒の数は減り、 またみんなで助け
合って食事を配膳したり、 重い物を運ん
だりする姿をしばしば見るようになりまし
た。 そうなってくるとプログラムも前よりも
スムーズにいきます。 例えば、 恒例の夜
の肝試し。 男女入り乱れての夜のイベン
トに、 生徒全員大盛り上がり。 最終的に
数名を泣かせてしまうという大成功 (?) を
収めました。 私自身もこの頃から、 生徒
に注意を払いながら、 プログラムを楽し
む余裕も出てきたように思います。 楽し
みすぎたという反省もありますが…。 無
人島で1日過ごした時には、 生徒に混
じってフリスビーをしたり、 ウニを捕ったり
しました。 いつもは接することのあまりな
い高校生と戯れたり、 私のクラスでクー
ルな女の子が、 必死になって手を何度も
刺されながらもウニを捕りまくる姿を見たり
と、 彼らの新しい一面を見ることができ、
とてもいい経験ができました。
プログラム全体を振り返って、 私が最も
印象に残っていることは、 彼ら全ての 「
成長 」 を見ることができたことです。 もち
ろん、 全ての子どもたちが同じように成
長した、 何でもできるようになったという
わけではありません。 それぞれの子が、
スタートラインも違いましたし、 成長する
スピードも違うわけですから。 しかし、 最
初正直頼りがいのあまりなかったリーダー
が最後には、 大きな声を出しながら、 ま
た時にはさりげなく励ましながら後輩を支
えていたのは事実です。 また、 ばらばら
だった個人が、 みんなで協力しよう、 盛
り上げようと他人のことを前よりも考えられ
るようになったのも事実だと思います。 そ
ういう意味で私は、 全ての生徒がちょっ
とだけ 「 大きくなった 」 と信じています。
まさに 「 楽しみながら、 学ぶ 」 を実行し
てくれたと思います。 このキャンプで培っ
たことをこれからの学校生活で活かして
いってほしいと思います。 そして私も今
後の教師としての糧としたいと思います。
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ドルフィンスイムキャンプ
合志智子
情報科
昨年から新しいキャンプとしてスタートし
た 「ドルフィンスイムキャンプ」 は、 今年
は参加募集人数を増やし、 23 名の高校
生、 14 名の中学生、 そして馬場、 相良、
加納、 合志の4名の引率教員、 総勢 41
名で海と海の生物を堪能してきました。 7
月1日 (日) から3日間、 和歌山県にあ
る串本海中公園での 「海の学校プログ
ラム」 に参加し、 2日目の午後は太地へ
移動し、 「ドルフィンスイム」 を楽しみま
した。 キャンプの場所が紀伊半島の先端
ジャンプをさせたり、 背中に乗って泳い
なので、 梅雨前線や風の影響をとても受
だりしました。 このときはとても従順なイ
けやすく、 出発前の天気予報は3日間と
ルカたちでしたが、 自由時間になると反
も雨でしたので、 無事プログラムが実施
対に人間のほうが遊ばれているかのよう
できるかどうか心配でしたが、 3日目の朝
な場面も多くみられました。 3日間のキャ
に海中観光船が強風のため欠航となり乗
ンプでは、 皆それぞれ串本の海や生き
船できなかった以外は、 プログラムはす
物やドルフィンスイムを楽しんだようです。
べて予定通りに行えました。 この時期は
以下は、 昨年に続きドルフィンスイムキャ
3日に1度程度しか出航できないそうで、
ンプに2度参加してくれた、 12 年生の本
来年こそはと思っています。
廣定也君によるレポートです。
串本海中公園は私たちがキャンプで訪
ドルフィンキャンプを終えて
れる直前に、 水族館がリニューアルオー
本廣定也
プンしました。 昨年までとは違った新しい
高等部3年
館内で、 表 (一般客側) と裏 (飼育員
去年にも参加したドルフィンキャンプ。
側) の両方から、 展示されている生き物
今回のメンバー、 良い意味では陽気で
を見たり、 触ったりしました。 水族館で
明るく、 悪い意味では騒がしい。 飽き
昨夏に誕生したアカウミガメの赤ちゃんを
ることの無い二泊三日が送れそうなメン
抱っこしての記念撮影が、 一番人気だっ
バーだった。
たようです。 水族館は閉館後の夜間にも
前日までの予報では曇りまたは雨と、
見学し、 暗闇に光るサンゴや、 夜も眠ら
良い予報ではなかったが、 その陽気な
ないで泳ぎ回るクロマグロなど、 昼間とは
ムードのおかげか、 晴天とまではいかな
違う様子も観察できました。 1日目午後
いが最後の日以外は良い天気ですごせ
のシュノーケリングでは、 水着に着替え
た。 特に二日目の晩はキャンプとは関係
た後、 炎天下でウェットスーツを着るのに
ないが満天の星空を見ることができた。
みんな大苦戦し、あまりの暑さに海に入っ
もしドルフィンキャンプに来るなら一度は
たときほっとしたようです。 シュノーケリン
夜の空を見上げてほしい。
グ前に串本の海の生き物についての講
さて肝心のシュノーケリングといえば、
義を、 学芸員の方から受けましたが、 海
去年とはスポットが違い、 かなりきれいに
の中で実際にその生き物を見つけること
サンゴ礁が見ることができた。 自分達の
ができ、 「エイだ!」 「ニモだ!」 と大騒
下数十センチにすごい量のサンゴがあ
ぎでした。 結構長い時間シュノーケリン
る、 枝状のスギノキミドリイシ、 丸いサン
グをしていましたので、 宿に戻ったときは
ゴのキクメイシその他色々…中にはサン
少し疲れた様子でしたが、 しっかり食べ
ゴを蹴ってしまう人もいたぐらい、 近くで
て元気を回復し、 夜のレクリエーションで
サンゴを見ることができた。 サンゴ礁の中
は皆パワー全開でした。
にはさまざまな生き物がいて、 フグやク
2日目のドルフィンスイムでは、 順に
マノミ、 青く輝くソラスズメダイなど可愛ら
イルカに合図を出してお辞儀や握手や
しくきれいなものから、 ガンガゼやナマコ
など危険なもの、触りたくないものなど (ナ
マコは触った) 様々な生き物がいてみて
いるだけで楽しくなる。
キャンプの目玉、 ドルフィンキャンプも
去年は水温が低く暑いところが好きな自
分は凍死してしまいそうだったが、 今回
は適温。 しかし練習中は遊べても、 残
念ながら自由時間中、 ことごとくイルカ
にスルーされ触ることすらできなかったた
め、 ずっと海老と遊んでいた自分。 しか
し中にはイルカとずっと一緒にいたり、 イ
ルカと共に泳ぐ人がいたり、 河童が泳い
でいたりと見ているだけでも自分が遊ん
でいるように楽しかった。 最後の日は残
念ながら雨のためグラスボートも磯遊びも
できなかった。 しかし、 水族館内めぐり
やお土産タイム延長など、 それはそれで
楽しい最後でもあった。
今回のキャンプは 12 年である自分に
とっては最後のキャンプであったが、 最
後のキャンプにふさわしく、 笑いが絶え
ない楽しいキャンプだった。 このキャン
プを盛り上げてくれた先生方、 そして陽
気で明るいメンバーに感謝。 このキャン
プは学年を気にせず皆が楽しめるキャン
プ、 このキャンプは来て後悔することは
無い非常に良いキャンプである。
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
写真文芸帳作成キャンプ 斎藤 数
理科
今年の写真文芸帳キャンプは、 関西を
抜け出して、 東京 ・ 横浜での撮影会と
なりました。
参加者 28 名、 引率教員4名。 いつも
のとおり、 撮影地は決定した形で提示し
たのではなく、 3箇所の候補地 ( 東京・
横浜、 熊野古道、 松江周辺 ) を示して
撮影希望地を聞きました。 その結果、 圧
倒的多数で東京横浜に決定したのです。
行く先の関係から、 夜行バスを使わざる
を得なかったのですが、 深夜のバスの中
でのマナーは OK。 大きな問題もなく全
員元気に東京駅に着くことができました。
初めて深夜バスの利用とあって、 浅い眠
りの生徒もいたようですが、 あの憧れの
東京に到着!といった雰囲気で、 東京
到着後は、 周りをきょろきょろしながら、
また、 エスカレーターの乗り方が大阪と
逆だ、 などのことで盛り上がりながらも、
きびきびと行動していました。 神田に移
動して、 先ず荷物をホテルに置き軽快
な撮影支度で横浜へ。 雨降りとなってし
まったため、 予定していたグループに分
かれての行動はとりやめ、 全員一緒に次
のコースを回りました。 まず、 桜木町か
ら、 ランドマークタワー・帆船の日本丸・
赤レンガ倉庫などを見て、山下公園から、
中華街に入り、 ここで、 自由行動としま
した。 一部コースの変更はあったものの、
順調なスタート。 各自昼食を中華街で食
べ、 十分時間をとって撮影を終えました。
午後は、 予定通りグループ行動。 開通
したばかりの 「みなとみらい線」 を使い
横浜、 東京に出、 4つのグループはそ
れぞれ4人の教員に引率され、 浅草・原
宿などなど東京の各所を回って、 沢山の
写真を撮り午後の部が終了となりました。
ホテルに戻って一休憩してから、 今度は
希望者のみ夜の東京タワーへと向かい
ました。 夜空に浮かぶライトアップされた
東京タワーが目に入るや否や、 全員一
斉、 同口同音に 「わーッ、 きれー、 高
(たけ) ー」 と歓声がもれました。 また、
展望台へのガラス張りのエレベーター内
では、 「速 (ハエ) ー、 怖 (コエ) ー」
だのと、 またまた全員による歓声。 展望
台では、 天井にセットされた何万という青
い発光ダイオー
ドが天の川とし
て光り、 そこか
ら見える夜景も
ただただ素晴ら
しいものでした。
そ ん な わ け で、
初 日 は、 興 奮
と歓声の一日で
した。 さて、 翌
日は、 朝からそれぞれのグループに分
かれて、 渋谷やお台場フジテレビスタジ
オ、 浅草 ・ 下町など周り撮影。 再び東
京駅に集合し、 昼便で帰途につきまし
た。 この2日目の撮影会も前日同様、 ど
のグループもひたすら感動の半日だっ
たようです。 たとえば、 浅草グループで
は、 昼はみなもんじゃ焼きを食べたので
すが、 作り方を事前に読みマスターして
あったにもかかわらず、 実際店屋の主人
がテキパキと、 巧妙にへらを使ってもん
じゃ焼きを作るのを、 固唾を飲み、 真剣
な熱いまなざしを注いで、しっかと見守り、
へらの先にある煮えた野菜を全員の目が
同じように追っていました。 そして、 つい
にそれを食べたときのおいしそうな、 これ
以上ないというふくよかな満足顔は、 思
い出すたびにうれしくなってしまいます。
この2日間は、 生徒にとって新鮮な楽
しい思い出となって、 それこそ1生残るこ
とでしょう。 夜行のバスも経験しましたし、
写真も沢山撮りました、 おいしい本場の
中華も食べました。 帰った後の文芸帳の
作成は、 楽しみながら作っていたようで、
せかされせかされの作成現場でしたが、
なんとか A 4版クリアブック2冊からなる文
芸帳が完成しました。
引率してくださった、 木村先生 ・ 池田
先生そして宮澤先生、 大変なご苦労が
あったことと思います。 また、 文芸帳作
成の際には合志先生にお世話になりまし
た。 お忙しいところどうもありがとうござい
ました。
次に生徒からの感想の抜粋を載せま
す。
★東京はとても不思議なところです。 他
の人の事は気にせず、 自分のやりたい
ことを堂々とやっているのがビックリしまし
た。
★親から東京バナナを買ってこいと言わ
れたときは、 たいへんでした。 どこで売っ
ているか分からないからです。
★東京タワーは、 テレビでしか見たこと
がなかったので楽しみでした。
★行く前のイメージは、 すごく都会的で
緑とかも全然ないと思ったけど、 言って
見たら結構緑とかあったからびっくりしま
した。
★横浜は、 沢山海があってとってもいい
ところでした。
★東京ははじめてでしたので、 ドキドキ
でした。
★東京駅に着き、 その大きさに驚きまし
た。 朝早くなのに人が沢山いて ・ ・ ・
★渋谷では、 雑誌やテレビで見たことの
あるところが沢山あって、 感動しました。
ハチ公とも記念撮影しました。
★東京タワーでは、 キャラクターののっ
ぽんと写真を撮りました。 イルミネーショ
ンや上から見る夜景はとてもきれいでし
た。
★違和感があったのは、エスカレーター。
みな左に並んでるから、 うちが一人だけ
右に並んでたら、 かなり目立ちました。
★もんじゃ焼きはおいしくて、 むっちゃお
なか一杯になりました。
★山手線は聞いたことはありましたが、
実物を見たことが無かったので、 うれし
かったです。 東京タワーに登って満足感
を実感しました。 東京タワーから見下ろ
す街の光は、 意識がなくなるほど、 綺麗
でした。
★山手線の電車にも乗ることができ大満
足です。 それぞれの生徒の思い出が沢山集まっ
たアルバムは、 図書館においてあります。
ぜひご覧になってください。
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
心の旅 2007
岩本麻里
高等部3年
今年の心の旅には、 11 年が1名、 12
年が 22 名、 引率の先生が2名の計 25
名が参加しました。 場所は例年通り高野
山の宿坊、 惠光院さんで、 7月2日 (月)
~7月5日 (木) の期間、 滞在させてい
ただきました。
初日の朝、 難波駅に集合し、 青山先
生の 「すぐに電車が出るそうなので急い
で下さい。」 の一言で駅の構内を走り、
なんとか電車には間に合いました、 笑。
2時間という長い時間電車に乗り続けて
いたのですが、 ずーっと喋っていたの
で時間の過ぎるのが早く感じられました。
電車を降り、 ケーブルカーに乗り、 バス
に乗って、 やっと目的地の惠光院に着き
ました。 とても綺麗なお寺で、 感動しま
した。 着いてすぐに昼食とオリエンテー
ションがあり、 そこで各自この旅での目
標をたてました。 その後は皆で、 教えて
いただきながら数珠作りをして、 自由時
間のあとは初めて阿字観をしました。 こ
れは真言密教の瞑想法のひとつで、 「世
界と自分はひとつ」 と実感する修行です。
阿字観で大切なのは呼吸を意識するこ
とで、 私達はこれを毎日朝晩の計6回で
習得できるよう頑張りました。 4回目にな
ると皆もう慣れたものでしたが、 この阿字
観においての一番の強敵は睡魔でした。
夕方の阿字観で襲われることは無いので
すが、 朝6時半からのものではもう…。
その後、 夕食をいただきました。 ここ
での食事はすべて精進料理で、 思って
いたよりも量も多く (しかもご飯はおかわ
り自由!笑)、 とても美味しかったです。
夜には一回目の融解の集いがあり、 お
寺の方々とまずは仲良くなろう!という趣
旨で智世と文香が企画し、 司会進行して
くれました。 最初、 私達は少し緊張して
いたのですが、 皆さんとても気さくな方々
で、 年齢も近かったので、 ゲームを始め
るとすぐに仲良くなれ、 とても楽しかった
です。
2日目は阿字観をしたあと、 護摩供養
に参列しました。 護摩供養とは護摩木や
お香を火にくべ、 お経を上げてご本尊を
供養し、 そのご加護を願うものです。 目
の前で火が焚かれるとその熱気と、 なん
とも言えない不思議な雰囲
気に圧倒されました。 朝食
後は作務、 つまり廊下など
の拭き掃除などをしました。
広くて長いお寺の廊下はと
ても走り甲斐があり、 皆で
するお掃除は楽しかったで
す。 でも、 私達のように短
い間だけではなく、 毎日の
作務でこの広いお寺を常
に綺麗に保っているお坊さん達はすごい
なぁと思いました。
その後、 写経をしました。 久しぶりに
筆を握ったので、 最初は少し緊張しまし
たが、 静かな空間の中、 自分の早さで
書き進めて行くことができたので、 すぐに
集中し、 落ち着いて写経することが出来
ました。 自分の名前や祈願することを書
き足し、 最後にお坊さん二人と一緒に読
経しました。
昼食を頂いた後は、 諸堂礼拝に向か
いました。 惠光院の近辺には様々な寺
院などが多くあり、 その一つにはビルマ
の寺院もありました。 そこの地下には通
路があり入れるようになっており、 明かり
の一切ない中を皆で歩いたりもしました。
その後、 自由時間を経て、 午後の阿字
観をしました。 夕食の後は2回目の傾聴
の集いで、 今回はグループごとに一人
ずつお坊さんに付いていただき、 自分
の将来のことや疑問などを話し合いまし
た。 普段はあまり喋ることの無い人のこと
も色々知る良い機会になりました。
早起きにも慣れた3日目は惠光院のご
本尊さんにお経をあげた後、 いつもの様
に阿字観をし、 朝食をいただき、 作務を
済ました後、奥の院散策に出掛けました。
奥の院には弘法大師が眠っておられ、
一番奥の御廟までの道中には織田信長
や豊臣家といった様々な歴史上の有名
人のお墓もあります。 高い木々が生い茂
り、 石畳の敷かれた道を挟んで灯篭や
像、 お墓などが所狭しと立ち並ぶ様子は
静かな迫力がありました。 奥の院散策の
後は自由時間だったのですが、 生憎の
大雨で惠光院に帰り着く頃にはズボンも
ずぶ濡れで、出かけるのは断念しました。
昼食を頂いたあとは、 夕食前の阿字観ま
での長い自由時間を約半数の人は屋内
で過ごし、 残りの人は買い物などに出か
けました。
雨は夜まで降り続き、 予定されていた
花火と、 このキャンプの影の目玉とも言
われている肝試しも中止せざるをえない
かと思われましたが、 その時間になると、
雨が止み、 結局両方ともすることができ
ました。 先にした花火では、 私たち生徒
はもちろんのこと、 お坊さんたちも打ち上
げ花火を手に持ち、 とても楽しんでいた
様に見えました。 その後の肝試しは昼間
に散策に出かけた奥の院で行われまし
た。 ご住職がして下さった怖い話が、 唯
一の明かりが蝋燭の火という奥の院の闇
を深め、 より一層不気味に感じさせまし
た。 先に出発した人々の悲鳴を聞きな
がら、 まさに一寸先は闇という中、 追い
かけられたりしながら歩くのは本っ当に怖
かったです。
いよいよ最終日の4日目の朝。 最後の
阿字観、 護摩供養、 朝食、 そして作務
を済まし、 名残惜しい空気の中、 荷物を
まとめ、 最後にご住職からこれからの私
たちの人生に大きく関わるであろう大切
なお話をして頂き、 お寺に別れを告げま
した。
ただ忙しくこなすだけだった日々を抜け
出し、 短い間とはいえ、 こういう形で皆
と楽しく夏休みの初めを過ごせたことは、
これから始まる受験への日々をいい形で
迎え、 そして乗り越えるための起爆剤に
なったと思います。 貴重な体験、 毎回
様々な種類のものを出して下さる美味し
いお料理、 優しい心遣いで私たちを受
け入れて下さった惠光院の皆さん、 本当
にありがとうございました。 そして引率を
して下さった青山先生と森先生、 とても
楽しく、 貴重な時間を過ごすことができ
たのも先生のお陰だったと思います。 あ
りがとうございました!
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
国際交流農業キャンプ
亀井 潤
高等部2年
People need food to live
People in this world
Be together Takami 国際農業キャンプは7月1日から7月5
日の4日間、 栃木県西那須野にあるアジ
ア学院にて行われました。 今回の参加
人数は引率の親見先生、 志垣先生も含
めて合計 14 人 (12 年3名、 11 年3名、
10 年5名、 8年2名)、 幅広く個性的なメ
ンバーがそろいました。 初日は新大阪に
朝早く集合、 新幹線 ・ 電車 ・ バスを複
雑に組み合わせ約6時間後に無事目的
地に到着。 (旅の途中、 先生1人 ・ 生徒
4人の目の前で電車のドアが閉まってし
まい、 ホームに置いてきぼりにされるとい
う不思議な事件はありましたが。 笑)
その日はセミナーハウスという学院の施
設で中村さんから色々と説明を受けて、
アジア学院 (ARI) を1周しました。 ARI
では自然のサイクルをうまく人間の生活と
併行することによって全てが成り立ってい
ます。 例えば、 畑には害虫に強い野菜
とそうでないものが交互に植えてあり、 無
農薬を可能にしていました。 牛 ・ 豚 ・ ウ
サギなど家畜の排斥物、 食卓の残りは
コンポストに回され肥料としてリユースさ
れる上、 バクテリアがごみを分解すると
きに発生する熱で発電なども行っていま
す。 ビニールハウスや農業に必要な道
具のなかには手作りのものが多く、 機会
や道具は大切に使われていました。 又、
田んぼには鯉の幼魚が放し飼いにして
あるなど、 様々な場所で無駄がないよう
工夫がなされ、 驚くばかりでした。 これら
全ては学院のモットー “Recycle Reduce
Reuse” に基づいており、 お金かけなく
ても農業ができるということの証明でもあ
りました。
学院の見学を終えた一行はセミナーハ
ウスに戻り、 14 人での自炊。 一家のごと
く楽しい食事を終えた後、 次の日のため
に労力を蓄えようと皆早めに就寝しまし
た。
翌朝さっそく待っていたのが 6:30 のラ
ジオ体操。 (ARI の研修生 ・ ボランティ
ア ・ スタッフの人々との初対面ということ
で、 寝ぼけていた生徒たちも目が覚めた
10
のでは。 笑) 本格的に農作業が
始まったのはそれからであり、 14
人はモーニングファームワークのた
め5つのグループに分かれました。
畑仕事、 豚 ・ 鶏小屋の掃除、 牛
の世話、 草刈 ・ 魚など、 ARI の人
たちと混ざって作業に取り組み、 皆汗を
流したことでしょう。
仕事の後続いたのは学院の研修生の
人達と一緒に食べる朝ごはんでした。 ア
ジアから集まった研修生、 日本 ・ ドイツ
からのボランティアの人々との国際交流
のため生徒たちは (先生ももちろん) な
るべく違うテーブルに分かれて食事を取
りました。 初日から会話を盛り上げようと
努力する皆の姿が食堂のあちらこちらで
見られました。 日がたつにつれ、この 「食
事」 という日常的な時間は私たちにとっ
てとても重要になり、 「食」 を見つめなお
すきっかけともなりました。
食後は ARI の人達と礼拝堂に集まり、
アジア学院を建てた高見さんのお話を聞
きました。 「人々にとって食べ物は命であ
る。 世界の人々よ、 友に生きよ。」 _こ
れらの言葉で終わった祈り。 あのときの
高見さんの言葉は、 私達がこのキャンプ
で実感し、 体験したことそのものと深くつ
ながっていきました。
一日の中で午前 ・ 午後の2回ずつ行
われた農作業はかなりの肉体労働を必
要とする作業であったにかかわらず、 楽
しい思いでとして残りました。 雨に打たれ
ながらも麦の収穫競争、 ARI の人々と一
緒に行った大掛かりの宝探しのようなジャ
ガイモほり、 そして最後に家畜の餌とな
る藁集め。 又、 毎日朝 ・ 夕に行われる
ファームウォークでは私たちの普段の生
活では体験できない色々なものと出会え
ました。 畑仕事と野菜収穫、 鶏の餌づ
けと卵の運搬、 牛そして豚の世話、 どれ
も慣れない作業であった分とても良い体
験になったと思います。 これらの農作業
に励む中、 ARI の人達そして私たちが
汗を流しているのは自分たちのためであ
り、 自給自足のためであることを実感す
ることができました。 つまり 「生」 と 「食」
の親密な関係を、 農作業を通じて実感し
て初めて、 農業の大切さに気づくことが
できたのです。 そして農業での労力は食
事の時間には感動となって ARI の皆に
帰ってきていたようにも思えます。 取り立
てのびわや野菜、 農場の牛乳やヨーグ
ルト、 一年前収穫されたトウモロコシで料
理されたコーンブレッド。 努力のあとのだ
からこそ嬉しさ、 おいしさ、 そしてありが
たみが普段の何倍にも感じられました。
そして何よりもこのキャンプを楽しくし
てくれたのが ARI の研修生との交流で
す。 このキャンプは農業キャンプであり
ながらも、 国際交流キャンプでもあるの
です。 アジア学院は名の通りアジア ・ ア
フリカの国々から様々な文化背景を持っ
た人達が集まり、 友に生活をしていまし
た。 素敵な笑顔が印象的なソロモン諸島
の Jones さん、 いつも明るくて枇杷をた
くさんとってくれたマダガスカールの Aina
さん、 丁寧に自国の紹介をしてくれたス
リランカの Chandra さん、 いつもジョーク
を言って皆を楽しましていたカメルーンか
らの Eric さん。 最後の日も熱心に飼育
方法を教えてくれたガーナからの Ababio
さん、 フィリピンからの Fred さん、 そして
Dario さん。 最後の夜は遅くまで ARI の
人達と食堂に残り、 会話、 音楽をたのし
みました。 そしてその締めくくりに花火を
しましたが、 中には花火が大好きで振り
回して大はしゃぎをしている研修生もい
て、 皆で楽しいひと時を過ごすことがで
きました。
アジア学院での最後の日となった7月4
日の朝、 セミナーハウスをきれいに掃除
してから ARI の人々に感謝とお別れの挨
拶をしました。
あっという間に過ぎた3泊4日の国際交
流キャンプ、 一週間ぐらいはいたかった
という声も聞きました。 それほどこのキャ
ンプは充実しており、 印象的な体験もい
くつもできました。 最後になりましたが、
キャンプ中ずっと見守ってくださった新見
先生、 志垣先生、 私たちをサポートして
くださった中村さん、 そしてアジア学院の
皆さん、 本当にありがとうございました。
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
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100km ウォーク
棒は棒でも鉄の棒?鉛の棒?
平田一恵
保健体育科
7月1日 (日) ~4日 (水) に行われ
た100km WALK は私にとって今回、 い
えいえ、 人生初挑戦の大業だった。
メンバーは教員4名に、 心意気ある8人
の生徒たち。 田中 ( 憲 ) ・ 高橋両ベテラ
ン先生以外は、 誰も 「100 kmを歩く」 と
いうことがどんなものであるか全く想像も
ついていなかった。
幸い天候に恵まれ、 3日間ともほどよく
曇り空または雨で、 著しく体力を消耗す
るような日照りはほんどなかった。 8人の
メンバーはこの日に備えて事前に歩く練
習を行っており、 体調ともに準備は万端
であった。
一日目、 琵琶湖の沿岸をスタートし、
景色や珍しい看板、 普段見慣れぬ生き
物などの写真を取りながら軽快に歩き出
す。 100 k m WALK 恒 例 の ク イ ズ 大 会
が高橋先生を中心に繰り広げられ、 皆
が歩くことを楽しむことができた。 それで
も夕方が近くなると足の疲労は限界に達
し、 足だけが自分の体とは別物のような
感覚が襲う。 そう、 足が棒。 でもそれは
決して木の棒ではなく、鉄か鉛の棒といっ
たところであった。 皆 (私だけ?) がこ
の足の痛みとともに、 あと二日も歩けるの
かと少し不安になりながら一日目が終わ
る。
二日目もひたすら歩く。 休憩時に配ら
れるチーズやチョコレートそしてお互いの
笑顔に癒されながら力をふりしぼる。 夜
は民宿に宿泊し、郷土料理を味わうなど、
さらなる疲労と戦いながらも琵琶湖ライフ
を満喫した二日目だった。
三日目、 この日の休憩ポイントでの楽
しみは、 もはやチョコレートでもなくアイス
クリームでもなく、 なんとタイガーバーム
を塗ることだった。 休憩ポイントに着くや
否や、 皆が一斉に塗りだす様子。 鉛の
足は限界寸前だが、 皆がゴール目指し
てとにかくがんばるしかなかった。 そして
ついに琵琶湖とも別れを告げ、 柳ヶ瀬ト
ンネルを抜けて福井県へ。 敦賀まであと
一息!そして誰も挫折することも、 挫折
しかけることもな
く無事に気比の
松原まで完歩
することができ
た!! そ の 頃
あたりはちょうど
日が沈む直前
で、 そ の 光 景
がゴールをいっそうドラマチックな瞬間に
してくれた。 この3日間、 いつも遅れが
ちな私と気長に歩いてくれた8人の生徒
さん、 どうもありがとう!!また、 このプロ
グラムの立案 ・ 運営と歩きながらも様々
な場面でいつも支えてくださった他の先
生方に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、 みなさんお疲れ様でした!!
以下はがんばって 100 km完歩を成し
遂げたメンバーの感想の一部です!
・ 楽しかったが足はかなり痛くて歩くのが
大変だったが、 そういう苦痛を乗り越え
て完歩したことはきっと将来の自分に役
立てると少し思った。
・ 滋賀県では合計8本の 「ありがとうござ
います」 という看板があったそんなに感
謝されることをした覚えは無いのだけど。
民宿ではご飯がすごく美味しかったし、
皆障子一枚とかで区切られているし、 す
ごく家モードだなというのが見えて、 大家
族になったようで楽しかった。
・ 三日目はもう足痛い痛い ・ ・ ・ 車で
通過するトンネルがめちゃ楽しかった。
最後はとにかく走った。 足痛すぎる・・・。
・ ただ思い返してみるといつの間にか歩
くのに熱中していて疲れることも、 本来
の目的の一つでもあった 「カメラの録画」
でさえも忘れていました。 今回は本当に
どうもありがとうございます!
・ 歩きながらいろんな人と会話したりゲー
ムしたりするから、 5kmがすごく短く思
えたり、 逆になにもしなかったら、 3km
がすごく長く思えたりで、 無意識ってす
ごいものなんだと実感した。
・ 仲間がいたからこその 100 kmウォーク
完歩!そしてタイガーバームのすさまじ
い力にカンシャ!
・ 気比の松原を抜けてゴールした時には
かなりの達成感を感じられた。 また、 最
初のときの状況から考えて本当に 100 k
m歩けるとは思っていなかった。 もし次に
長距離を歩く機会があったとしても、 今
回のように完歩できると思う。
・ みんな 100 km歩ききったる!!という
この一見単純な目標は想像以上にキツ
イ!とは実は思わなかった。 それはこの
メンバーやテンポや雰囲気や主に天候
によったものではないかと思える今が素
晴らしい。 ヨロヨロ歩くコや (つかれ過ぎ
て) ひざを曲げたままでないと進めない
コも、 皆ギブアップしなかった!この全
員完歩という事実が今嬉しいです。 今年
の夏休みはすごく幸先良く感じます。
11
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
職業体験プログラム
「その人がいて、 その仕事がある 2nd
Season」
水口 香 ・ 山本靖子
英語科
テレビドラマや本で描かれる仕事を見
て、 「かっこいい」、 「こんな職業につい
てみたい」 と思うことがよくあります。 世
の中には素適な仕事がたくさんあり、 将
来の道を決めることはそうたやすいことで
はありません。 今回このプログラムに参
加した生徒たちも、 最初は憧れの気持
ちから仕事選びを始めましたが、 その仕
事の真髄に触れ、 実はそのプロがいてこ
そ、 その仕事があるのだということを学び
ました。 どの生徒も、 日々の課題に真剣
に向き合い、 自らを通してオリジナルの
ものを作り上げたプロの精神に触れ、 何
倍も成長して帰ってきました。
本年度は7名が参加者し、「農家」、「看
護師」、 「障害者支援」、 「翻訳」、 「ファッ
ションデザイン」、 「フライトアテンダント」、
「国際支援」 の体験をしました。 キャン
プから帰ってきた生徒が口にする 「自分
は思うには ・ ・ ・ 。」 という響きはこれま
でとは違い、 社会に心を広げ、 社会的
視点から自らを語っています。
本年度は体験に入る前に、 グラフィック
デザイナーの三木健先生にご講演を賜
り、 グラフィックデザインのお仕事につい
てお話を伺いました。 若かりし日、 グラ
フィックデザイナーになりたいといっても
理解を示してもらえなかった経験、 わか
りやすさを追求したデザインのあり方、 コ
ピーとオリジナリティーの違いなどについ
てご説明をいただき、 「時代が三木先生
を追いかけているかのように感じました。
生徒からは 「自分の手ひとつで仕事をし
ておられる姿に、 本当のプロの精神を見
た。」 と感動の声が上がりました。
今回から4回にわたって、 体験談のご
報告をさせていただきます。 まず1回目
は、 「農家」、 「障害者支援」、 「翻訳」、
「ファッションデザイン」 についての生徒
のレポートからの抜粋です。 第2回目は
「フライトアテンダント体験」、 第3回目は
「看護師体験」、 第4回目は 「国際支援
活動体験」 をご紹介させていただきます。
12
「誰のための自然保護活動?」 農家体
験
西本 航 (SIS 11 年 )
今、 人々は自然を守るための運動に忙
しい。 しかし 「自然」 とは人間が作った
言葉であって、 「自然」 と呼ばれるもの
はそれ以前からあったのだ。 では、 我々
は一体何をしなくてはならないのだろう
か。 それを知りたくて自然に関わる仕事
を選んだ。 今回、 小野原にある田んぼを管理して
いる小児科医の先生に出会った。 彼は
かなりしっかりした信念を持って農業に取
り組み始めている。 彼の行っている農業
は農薬や肥料をなるべく使わないように
する方法だ。 田に住む他の小さな生物
たちを守り , ともに生きる事 「共生共存」
ではなく 「共生」 を目指している。 今人々
は他の小さな生き物を犠牲にし , 一時の
財布のために頑張っている。 他の生物
たちを殺し , そして食する。 日常的に行
われている些細な事だ。 しかし、 小さな
蟲にも小さな命がある。 最近、 温暖化のおかげで , 苗を6月の
半ばに植えることができなくなってきた。
6月の半ばだと早すぎるのだそうだ。 だ
んだん植える時期をおくらせる必要があ
るそうだ。 もしもこのまま暑くなり続ければ
植える時期を遅らせるだけでは耐えられ
なくなる可能性がある。 " 自然のために
○○をしよう " みたいなキャッチフレーズ
を掲げている人たちがいるが、 それはお
かしい。 「人が住みやすい自然を作る」
とは、 何か矛盾していないか。 このキャ
ンプを通して、 自然を守るという事につ
いて真剣に考えることができた。
◇
「私の言葉が活字になる!」 翻訳体験
松岡悠子 (SIS 11 年 )
翻訳家 Juliet Capenter 先生 (OIS 保
護者) にご指導いただき、 2年後に出版
予定の歴史本の一部を翻訳させていた
だきました。 自分のペンが活字となる緊
張感を味わいました。
体験当日はまたに期待と不安が入り混
じるという心境でした。 もちろん憧れの仕
事を体験するというのは楽しみでしたが、
一方で私のとぼしい英語力でがっかりさ
れないだろうかという不安が頭の中をぐる
ぐる回っていました。 まず始めに、 先生
が現在翻訳を手がけておられる作品 (ミ
ステリー、 ノンフィクション、 映画字幕な
どかなりの種類のものを一度に担当して
おられるのに驚きました) を見せていた
だき、 その後に Ms. Denton の伝記を日
本語する作業の一文を私に任せてくださ
いました。 原文を読み、 そのニュアンス
を的確に伝えるにはどうしたらいいのだ
ろうか。 この単語を使うか、 別の単語を
あてるか ・ ・ それともここで文章を切った
方が自然だろうか ・ ・ たった一文を完成
させるのに 30 分以上も頭を抱えていまし
た。 この作業の繰り返しが翻訳業なのだ
と思うと気が遠くなりますが、 同時に自分
の納得するものが出来た時の達成感は
計り知れないと思いました。 さらに翻訳
に関わる editor という、 翻訳家と切って
も切れない深い繋がりがある職業の存在
を知り、 翻訳家と相談しながら一冊の本
を完成させていくところがとても魅力的に
思えました。 将来の視野が大きく広がっ
たと思います。
◇
「華やかさのかげに」 ファッションデザイ
ン : 松尾信明 (SIS 11 年 )
自分の将来について具体的な方向
性を見出すために、 一番興味のあった
ファッションデザインの仕事を選び、 「イ
ンフィニティー」 という会社で3日間研修
させていただきました。 今回はデザイン
の仕事だけでなく、 服装関連全体の仕
事の流れ、 アパレル業界の事情につい
て教えていただきました。 時期的には夏
のセールが終わり、 秋物の発表にとりか
かる頃でした。 そこで展示会のために、
商品の色見本を作成したり、 パソコンで
品番を打ち込み、 貼り付ける作業をさせ
てもらいました。 こんな地味な作業も人
目に触れることを考え、 きっちりしないと
いけないと感じました。 また生地選びや
ボタンの種類、 アイロンがけの方法など
を教わり、 その一つ一つを選んで作品を
つくりあげる大変さと、 またこの世界の広
さを知りました。 後日展示会に行ったとき
に自分の作った札を見たときには実感が
わきました。商品が店頭に並ぶまでには、
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
本当にたくさんの人の手を通してやっと
出来上がることに感動しました。
インフィニティーの従業員の方は、 どの
方も親切で、 嫌な顔一つせず、 接してく
ださいました。 一人一人の個性を大切に
した素敵な会社でした。
この体験を通して、 不安が取り除け、
将来についてじっくり考えることができま
した。 想像では好きなことばかりできる仕
事が多いように思いますが、 実際はどの
仕事も地道な作業と努力が必要だという
ことを知りました。
◇
「適度な距離感」 障害者支援活動体験
小澤 悠 (SIS 11 年 )
以前からボランティア活動をしたいと考
えていましたが、 なかなか行動に移す
機会がありませんでしたが、 今回 「職業
体験プログラム」 で第一希望だったカウ
ンセラーの仕事が資格の問題でできず、
廣田先生に勧められ箕面市社会福祉協
議会主催の障害者支援キャンプに参加
することになりました。 私が担当させてい
ただいたのは、 水を見ると興奮してしまう
症状がある 1 つ年上の方でした。 まず保
護者の方と対面し、 症状や常備薬につ
いて説明を受けました。 この方は、 人の
ペットボトルを見ると飲んでしまったり、 バ
ケツの水をひっくり返したり、 手を洗う水
を飲んでしまうという症状があり、 彼の行
動を止めることが私の仕事でした。 しか
し、 花火用のバケツの水をひっくり返して
しまったり、 近づこうとすると拒否された
りして、 少し自分の無力さを感じることは
ありましたが、 ボランティアの仕事をして
いる限り多大な責任がかかっているのだ
と思い、 彼の傍を離れませんでした。 彼
以外の障害者の方とも友達になりました。
彼らは普通の人に比べて純粋で極端に
傷つきやすく、感情の起伏が激しいので、
過剰なまでの干渉は返って彼らを傷つけ
てしまうことになると分かりました。 ある程
度の距離感を持つことが大切だと学びま
した。
これ以外に大変なことは何一つなく、
ただ楽しいばかりで、 ボランティアとして
2 0 0 7
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ではなく一人の友達として良い思いで作
りができました。 次の日の解散は少し寂
しい気持ちになりました。 カウンセラーと
いう仕事の重要さ、 そして知的障害者の
方々の純粋さを生で触れることができま
した。
◇
最後になりましたが、 ご協力いただい
たプロの方々、 誠にありがとうございまし
た。 ボランティアとは言え、 懇切丁寧な
ご指導を賜り、 貴重な学習をさせていた
だきました。 皆様の益々のご発展を心か
らお祈りしております。
学校説明会のお知らせ
参加型公開授業 (Participation Day)
10 月 13 日 (土) 10 : 00 ~大迫校長による授業の紹介 10 : 45 ~ 11:45 公開授業
予定されている授業
□4 ・ 5年生向け
音楽 (コーラス)、 美術、 理科 (生物)
本校教員が、 本校の施設を使って 4 ・ 5 年生向けの楽しいアクティブティーの形での授業を提供します。
□6年生から中学3年生向け 音楽 (管楽器)、 美術、 理科 (物理)、 理科 (化学)、 英語 (帰国生向)、 数学 ( 中学生向け )
SIS において実際に行われている授業のそのままを体験していただきます。
◇受付は全て開始の 30 分前から始めます。
◇事前予約は必要ありません。 当日受付にてお申し込みいただきます。
◇授業の希望者が定員を上回った場合、 先着順ではなく、 抽選で決めさせていただきます。 (全員がいずれかの授業を
受けていただけるように努力いたしますが、 不可能な場合には授業見学をお願いすることもあるかもしれません。
◇英語の参加型公開授業は英語圏からの帰国生向けのみとなっています。
第3回学校説明会 11 月 11 日 ( 日 ) 13:30 より 入試説明 個別相談
◇受付は全て開始の 30 分前から始めます。
◇どの回も、 生徒 ・ 保護者 ・ 学校関係者 など全ての方を対象としています。
◇パンフレット他資料は当日ご参加下さった方全員にお配りします。 ただし、 一般生徒用募集要項の配布は9月以降に
なります。
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日本の次世代リーダー養成塾に参加して
人生観が変わる経験
洪 知仙
高等部3年
全国から向上心の強い高校生が集まる
という規模の大きさ、 マハティールマレー
シ ア 前 首 相、 私 が 一 番 大 好 き な 映 画
「パッチギ」 製作者の李鳳宇さん、 国連
元事務次長の明石康さん、 「ミスター円」
と呼ばれ、 現早稲田大学教授の榊原英
資さん、 芸術家の千住博さんといった豪
華すぎるほどの講師の方の講義を聴ける
チャンスはこれしかない!と思って一目
散に応募したリーダー塾。 一次試験の
書類審査と二次審査の面接を何とか突
破することができた。 合格したのは良い
ものの、 それまでに読んでおかなければ
ならない参考図書が20冊近くあり、 自分
が一番好きな本のプレゼンテーションを
行うのでその準備をしておくことが課題と
して出された。 勉学面、 知識の豊富さ
の面では自分は絶対他の塾生より遅れ
ているから、 人の倍も努力しなければな
らない!と必死に参考図書を読みあさっ
た。
リーダー塾とは一次 ・ 二次試験を通過
した 160 人の高校生が1クラス 20 人にク
ラス別けされ、 講師の方々の講義を一時
間聴き、 質疑応答の後、 各クラスでディ
スカッションをするのだ。携帯も没収され、
20 人部屋で寝るのでほとんどプライベー
トの時間などない。俗に言う「山籠り合宿」
のようにも感じられたほどだ。 まず驚かさ
れたのは高校生のレベルの高さだ。 初
日からたくさんの友達と話したが、 普通、
高校生が初対面の人と話す場合、 始め
に出てくる質問は 「どこから来たの?」、
「部活は何してるの?」 とか 「彼氏はい
るの?」 のようなことがあげられる。 しか
しリーダー塾で初めて話す人にまず始め
に聞かれるのは 「どこから来たの?」 で
その次に出てくる質問が・・・ 「将来の夢
は?」 である。 そこから発展して、 いく
ら初対面であっても 「教科書問題につい
てどう思う?」 とか 「これからの次世代教
育はどうあるべきだと思う?」 と聞かれ、
初日の夜、女子寮 203 号室ではディベー
ト状態になっていたのだ。 圧倒されまくっ
て、 日ごろは口数が多い私でも初日は
何も発言できず、 電気が消えていても夜
14
中3時まで一人眠りに
つ け な か っ た ほ ど だ。
初めの頃は不安でどう
しようもなかったのだ。
しかし日が経つにつれ
ていつもの私が発揮で
きた。 大阪から来たの
はSISの福井麻衣さん
と私の二人だった。 地
元紹介プレゼンテー
ションがあり、 私と麻衣
ちゃんは大阪代表とし
て発表した。 大阪らし
いテンションの高さで色んな大阪知識を
発表し、 その後色んな人に 「大阪のプ
レゼン良かったよ!」 とか、 「大阪に是
非行ってみようと思った!」 とか言われ
てとても嬉しかった。 また、 最終日のキャ
ンプファイヤーでは直介という大阪出身
の男の子と 「大阪のおばちゃん」 という
コントを披露するほど大阪アピールをし
た。 色んな地方の方言を話す友達が集
まる中で私にはいつの間にか 「大阪魂」
が芽生えていたと思う。
講義もとても充実していた。 多くの先生
が数々の名言を残してくれて、 これから
自分の人生のモットーにしようと思えるよ
うな考えも教えてくださった。 たとえば早
稲田大学教授の榊原英資さんの 「異質
なものを理解する」 という考えや、 インプ
ロというゲームで体験したリーダーたるも
のLの leader (グループを引っ張ってい
く) とRの reader (提案を的確に読める)
であるべきだ、 という事。 佐賀県知事の
古川康さんの 「リーダーになるための7
つの条件」、 元タイ蔵相のタノン ・ ビダヤ
さんの 「リーダーたるもの熱い心と冷めた
頭を兼ね備えるべきだ」 という事・・・など
などである。 一方で 「日本は単一民族
国家」 だと堂々と主張なさっていた先生
もいた。すべての事を鵜呑みにせず、「疑
いの目」 を常に持つことも大事だと同時
に思った。 ひとつひとつの発言がとても
かけがえのないものとなった。 その中で
も私は皇室医務主管であり、 東大名誉
教授の金澤一郎さんと、 私の尊敬する
李鳳宇さんの質疑応答の時間に挙手し
て、 何とか指名され、 質問することが出
来た。 金澤さんのときはバイリンガリズム
と脳の関係についてと、 笑いが脳に与え
る影響について質問した。 李さんの時は
私が 10 年の頃に思い悩んでいた在日と
して、 日本にも属さず韓国にも属さない
ぽっかりとした 「無所属感」 について尋
ねた。 二人ともとても良い質問だねとおっ
しゃってくださったので嬉しかったし、 長
年疑問に思っていたことが解決されてよ
かった。 また今年のテーマは 「命」 だっ
た。 宗教学者 ・ 山折哲雄さんのときに宗
教とは元来、 人の休まり所を求めるため
の役割でもあるのにも関わらず、 何故宗
教が原因で戦争が起きるのか?という事
を質問した。 また3時間の命についての
ディスカッションを通してこれからは自分
の命を大切にしていこうともちろん思った
し、 人間は生きていくうちに動物や植物
を殺すが、 それを活かしていこうと考える
ようになった。
定年退職後はスペインで初となるた
こ焼き屋を経営したいという夢がある私
は起業家 ・ 経営者希望の集まりに入っ
た。 毎晩一時間ほどのミーティングで自
分たちの夢、 中国経済発展の光と影な
どといったテーマを決めてディスカッショ
ンしたりなどした。 みんなとても目的意識
が高く、 学生のうちに起業するといった
子がたくさんでとても良い刺激になった。
同じ八組の 20 人のメンバー+担任の早
苗ちゃん (NTTドコモ)、 塩ちゃん (九
州電力)、 重ちゃん (APU) のみんな
にはとても感謝しているし、 同じ時間を
共有できてとても幸せだった。 一橋大学
の教授である竹内弘高さんがおっしゃっ
ていたように mission,vision,values を自分
でしっかり考えながらこれから先の人生を
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
展開していきたいと思う。 私の使命。 と
は何か?というのをみんなにも考えてほ
しい。 そして来年もSISの人にこのリー
ダー塾に是非参加してもらいたい。 私自
身受験を目の前にして2週間の受験勉強
ブランクを作ってもいいのか?ととても不
安だったが、 夏期講習では得ることがで
きない素敵な人々との出会いや、 それ
こそ人生観が変わる経験が出来るのだ。
向上心があるSISの仲間たちには本当に
お勧めのサマープログラムだ。 最後にな
りましたがこのプログラムを紹介してくだ
さった新見先生、評価書を書いてくださっ
た志垣先生、 そして毎年私に素敵な体
験を援助してくれる両親には心から感謝
します。
◇
将来の理想像が明確に!
福井 麻衣
高等部3年
私は、 7月下旬から2週間、 福岡県で
開催される 『次世代リーダー養成塾』 と
いうセミナーに参加しました。 これは現
在、 日本やアジアのリーダーとして活躍
していらっしゃる方々を講師に招き、 日
本全国から集まった、 国の将来を自分た
ちの手で引っ張っていこうと考えている志
高い高校生 160 人が授業をうけ、 ディス
カッションを重ねるというものです。
何故私が受験勉強等で忙しい高3の夏
にわざわざこのセミナーに参加したのか。
前々から参加してみたいという気持ちは
あったのですが、 高校1年、 2年の夏は
短期で海外に留学していたので、 参加
することが出来ませんでした。 そして、
高校3年生の時にまた募集のチラシがク
ラスの掲示板に張ってあるのを目にした
のでした。 初めは、 「大学受験を控えて
いるのに参加している場合じゃない」 と
諦めていました。 しかし、 「こんなに貴重
な体験はおそらく高校生のうちしか体験
できないのでは…」 と思い、 先生にも手
伝っていただき、 募集期限ギリギリで書
類を送りました。 そして、 書類審査、 面
接を通り、 はれて第4期リーダー塾生と
なったのでした。 今では参加して本当に
良かったと思っています。 先生方の講義
は色々なことを考えさせられました。 前マ
レーシア首相や元国連事務総長、 大学
教授、 柔道元オリンピック選手、 元タイ
大蔵大臣、 獣医師、 宗教学者、 芸術家、
企業の取締役、 県知事、 徳川家末え
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い、映画プロデューサー、農業経営者と、
普段会えないようなありとあらゆる方々が
総勢 21 人も集まり、 私たちに沢山のこと
を教えてくださいました。
また、 高校生 160 人で過ごした2週間
は掛替えのないものでした。 20 人ごとの
クラスとなり、 Canon や電通、 資生堂、
ドコモといった日本を代表する企業の中
堅社員の方々が担任となって、 皆でディ
スカッションを行ったり、 プレゼンテーショ
ンをしたりします。 皆それぞれ違う意見を
持っていて、 ディスカッションを重ねるご
とに沢山の新たな意見、 考え方に刺激
を受ける毎日でした。 2週間はあっという
間に過ぎ、 今年のテーマ 『命』 につい
て半日話し合った後、 目標宣言をしまし
た。 学生企業家になりたい人、 ノーベル
賞を受賞したい人、 国連で働きたい人、
医者として皆を助けたい人…160 人様々
な思いを打ち明けました。 皆それぞれ
勧めします。 夏休み2週間削って行って
も損はありません!自分の日本を含む世
界に対する意識、 理想のリーダー像が
本当に変わります!少しでも興味がある
人はぜひ参加してみてください。
(このリーダー塾のことで分からないことな
どあれば、 私のところまで気軽に聞きに
来てください。)
目指すものは違うけど、 夢を大きく持ち、
それに向かって突き進んでいる人ばかり
で、 私自身も頑張らなければ、 と励まさ
れました。 夜には楽しいキャンプファイ
ヤーもありました。 笑いあり、 涙あり、 ダ
力や分析力・決断力を養います。
◇◇◇
日本の次世代リーダー養成塾とは
全国の高校生を対象に、日本だけでなく、
世界に通用する人材の養成を目指した2週
間のサマースクールです。経済界や、地方
自治体から日本の将来を背負って経つ人材
を危ぶむ声が出され、2004 年に開塾しま
した。日本や世界を代表する学者、経済人
を講師に招き、ディスカッションを積み重
ねて、リーダーとして必要な多面的な思考
主催: 日本の次世代リーダー養成塾
塾長: 御手洗冨士夫/社団法人日本経済
団体連合会会長
塾生: 高校生(1年生~3年生)160 名
ンスあり、 歌あり、 恋あり… (?) とにか 《主なスケジュール》
く騒ぎ、 盛り上がりました。 最後は、 たっ 2月下旬 募集要項発表
た2週間でここまで仲良くなれた友達と別 4月 塾生募集開始
れを惜しみ、 友情の絆を深め合っていま 5月 書類審査、面接
6月 塾生決定
した。
このセミナーに参加したお陰で、 将来 7月下旬~ 塾開催
の理想像が明確になり、 その実現に向 8月上旬
けてより学ぶ意欲が高まったと思います。
皆さんにもこのリーダー養成塾は絶対お
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サイエンスキャンプに参加して
津高毬絵
高等部2年
私は今年初めてサイエンスキャンプに
参加しました。 参加したプログラムはか
ねてから関心があった分野の、 「原子力
エネルギーや放射線利用の研究開発を
体験しよう」 というもので、 日本原子力
研究開発機構 東海研究開発センター原
子力科学研究所 (原研) で4日間お世
話になりました。 原研では大きく分けて6
つのトピック、 「原子力 ・ 放射線につい
ての基礎知識」 「原子炉」 「放射性廃棄
物の処理」「中性子の利用」「核融合」「電
磁波」 について学びました。
全体を通して、 原研での研究はこれぞ
最先端!と感じました。 私は原研では原
子炉についての研究だけが盛んなのだ
と思っていましたが、 原子炉を利用して
の研究、 またはそれ以外の研究もどんど
ん進んでいるのです。 自分の知らないと
ころでこんなに研究が進んでいる事にと
ても驚きました。
それらの研究の中で私が一番興味を
持 っ た の は、 核 融 合 に つ い て で し た。
核融合とは簡単に言えば原子と原子を
くっつける事を言いますが、 核融合で出
るエネルギーを利用した発電は従来の
核分裂による原子力発電より、 安全 ・ 環
境に優しい ・ 原料が安定して供給でき
る、 というとても魅力的な面があります。
私は地球環境問題に関心があるので、
地球温暖化を食い止める事ができるか
もしれない将来性のあるエネルギー「核
融合」 についてさらに興味がわきまし
た。
サイエンスキャンプでは最先端の科
◇◇◇
学に触れるというのが第一目的ですが、 サイエンスキャンプとは
第二として全国各地から集まった高校生 サイエンスキャンプは、文部科学省の科
と親睦を深めるのも大切な事です。 サイ 学技術関係人材総合プランの施策のひとつ
エンスキャンプに参加する高校生は自 「サイエンス・パートナーシップ・プロジェ
分から志願しているわけですから、 科学 クト」の一環として実施されています。先
への情熱を皆持っています。 そのような 進的なテーマに取り組み、最先端の研究施
高校生の集まりなので、 すぐ意気投合 設・実験装置等を有する大学・公的研究機関・
し、 別れの時は涙するほど親睦を深める 民間企業の研究所が、夏休み・冬休み・春
事ができました。 最初はオタッキーな高 休みの3日間高校生を受け入れて、ライフ
校生の集まりなのかな・・・と想像していま サイエンス、情報通信、環境、ナノテクノ
したが、 皆活発で科学について程よくオ ロジー・材料、エネルギー、製造技術、
(宇宙・
タクで (私はついていけませんでしたが 海洋等の)フロンティア、地球科学などの
・・・) 実際は明るく楽しいキャンプでした。 科学技術分野において、研究開発の第一線
キャンプ会場に着くまでかなり緊張した で活躍する研究者・技術者による直接指導
のですが、 結果的に素晴らしい4日間を をおこなう、本格的な実験や実習を主体と
過ごす事ができました。 お世話してくだ した、科学技術体験合宿プログラムです。
さった方々に、 心から感謝しています。 主催 : 独立行政法人科学技術振興機構
この4日間で得た知識を無駄にしないた 受入機関:サイエンスキャンプ事務局(財
めにも、 興味を持った分野を更に勉強し 団法人日本科学技術振興財団振興事業部)
ていきたいと思います。
「ヘラルド朝日」 英語論文優秀賞
卒業生長谷翠さん
SIS 第 14 期卒業生 (2007 年3月卒) で立命館大学国際関係学部1回生の長谷翠さんが、
朝日新聞社発行の英字紙 「ヘラルド朝日」 主催の第2回英語論文コンテストで優秀賞に選
ばれました。
コンテストは大学生、大学院生、短大生が対象。 (1) 20 年後の私 (2) 地球温暖化対策 (3)
メディアの活用――の三つの課題から一つを選び、 英語で 800 単語でまとめるもの。 670 通
の応募があり、最優秀賞1点、優秀賞5点、奨励賞1点が選ばれました。 長谷さんの作品は「20
年後の私」 についてで、 英国に9年間生活し、 帰国後しばらく母国の文化になじめずに苦
労をした体験をもとに、 同じことで苦しむ子どもたちのカウンセラーになる夢を伝え、 「2カ国
語を話し、 二つの文化を知る特性を積極的に生かしたい」 と訴えました。
(参考記事) http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000707100001
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異動のお知らせ
<新任>
田中美帆
カウンセラー
はじめまして。 カウンセラーの田
中美帆です。 今回、 廣田先生が
育児休暇から戻られる来年の3月ま
で、 後任で勤務させていただくこと
になりました。 実は私は、 千里国
際学園の第7期卒業生です。 千里
国際学園には、 中学2年生の秋に
アメリカからの帰国生として編入し、
学園生活を5年間送りました。 学校
を卒業してから早7年が過ぎたもの
の、 卒業後も千里国際学園と縁が切れることなく土曜学校で
の勤務を続けていたため、 慣れ親しんだ場所でのお仕事とな
ります。 縁というものは不思議なもので、 実際私が高校3年生
の時にスクールカウンセラーになりたい!と決心したのも、 本
学校のカウンセリング室の存在が大きかったのが第一にありま
す。 スクールカウンセラーになりたいと決めたものの、 臨床心
理学を勉強するには…と色々悩んでいた高校三年生の春に、
カウンセラーを目指されていた廣田先生 (当時 HFL の先生)
が千里国際学園に勤務されました。 先生も丁度、 大学で心理
学を勉強中だったため、 色々と相談に乗ってくれました。 そし
て7年後、 高校3年生の時に描いていた夢を母校で叶えられ
るとは夢にも思って見ませんでした (まさか廣田先生の後任
で!)。 今回、 このような形で学校に戻ってこられたことを大変
嬉しく思っております。 カウンセラーとしてはスタートを切った
ばかりですが、 在校生の皆さんの学園生活に寄り添い、 今私
にできる精一杯の力で皆さんをサポートしていきたいと思って
おります。 短い間ですが、 遠慮なくカウンセリング室まで足を
運びに来てください。 私も皆さんから、 学ぶことが多くあると思
います。 どうぞよろしくお願いいたします。
オフィスアワー : 月 ・ 水 ・ 金 8:30am ~ 4:45pm (Room 345)
Dr. Clarence Coombs
Library / PYP Coordinator
I am Clarence Coombs, a
Canadian from Newfoundland.
I have spent the past 10 years
working in Beijing, Bangkok
and Bali as Librarian and PYP
Coordinator. I have my undergraduate degrees in Education
and Library while my Masters
and Doctorate are in Curriculum
Development. I have 33 years of
teaching experience in total and
have worked as a high school
English teacher. Most recently my studies have led to
working with teachers on ESL in the Mainstream and literacy acquisition in the lower grades. I enjoy traveling and
especially look forward to finding my way around Japan
and learning a little of the language. If you have any questions or concerns about the library or the PYP curriculum,
please do not hesitate to contact me.
◇◇◇
<新任>
Lucia Alessio-Waskow
Peter Ninnes
Steven Hall
Dawn Inada
Miho Tanaka
Kazue Okamoto
Masayo Arimoto
Mayumi Kitamura
OIS Elementary
OIS Science
Technology
OIS Kindergarten
Counselor
OIS JSL
OIS JSL
Special Programs
◇◇◇
<退任>
Donald Gagner
Gillian Stevens
Julian Jefferys
Kevin Whitmore
Sandra Klapste
Ralf Ibald
OIS Science
OIS Elementary
OIS Social Studies
Technology
Art
German
秋学期編入生紹介
アドミッションズオフィス
≪国別≫
アメリカ
中国
イギリス
ポーランド
フィリピン
国内インター
4名
4名
1名
1名
1名
2名
≪学年別≫
7年
8年
9年
10年
11年
4名
3名
2名
3名
1名
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N o . 1 1 3
<復職しました>
贅沢しましょう
カナダでの1年を終えて
見島直子
国語科
1年の休職期間を経て、 9月から本校
に復職しました。 改めてよろしくお願いし
ます。
休職期間中の約半分は、 カナダのケ
ベック州で主にフランス語の勉強をして
いました。 ケベック州については、 《カナ
ダの中で、 フランス語を唯一の公用語と
する異色の地域》 程度のお粗末な知識
しか持たないままに渡航した私でしたの
で、 実際にケベック州に住んで、 その特
異な文化や歴史を詳しく知ることが出来
たのは、本当に貴重な体験でした。 まず、
フランスの入植地 「ヌーベルフランス」 と
して始まった歴史や、 フランス語が唯一
の公用語である現状などから、 今でもフ
ランスへの郷愁や共感といったものを強
く持っているのだろうと勝手に思い描い
ていた想像は見事に裏切られました。 か
といって 「カナダ人」 という意識は低く、
常に自分たちのことを 「ケベック人」 だ
と頑固に主張する彼らは、 実にユニーク
な人々でした。 たとえば、 ケベックのフラ
ンス語は 「なまりが強い」 とはよく言われ
ることですが、 ケベック人に言わせれば、
彼らのフランス語は現在本国フランスで
使用されているそれよりも古い (ルイ 14
世時代の語彙や発音を保持しているそう
です!) のであって、 ケベックのフラン
ス語こそが本来のフランス語だ、 というこ
とになります。 いずれにせよ、 カナダ国
内にあってフランス語を公用語として維
持していこうという意識は非常に強く、 そ
れゆえに (あるいはその裏返しとしての
危機感ゆえに)、 第二外国語としてのフ
ランス語教育は非常に充実しています。
私にとって、 フランス語学習はそういっ
た土地柄を目のあたりにして突如わいて
でた好奇心ゆえでした。 ともに学んだ仲
間の大半は、 フランス語を専門に学ぼう
とする若い学生か、 あるいはケベック州
へ移民申請するために必要となるフラン
ス語を習得する目的で来ていました。 で
すから、 私がケベック州に移民する気も
なく、 また仕事の必要に迫られて勉強し
18
て い る のでもなく、 要
は 「当面何の必要も
ないのにわざわざ休職
期間を使ってフランス
語を学んでいる」 とい
うことを知った彼らの大
半が、 「へえ、 物好き
なことですね」 と不思
議な目で私を見るのは
まあ仕方のないこととし
て、 中には 「いやいや、 ホントはもっと
深い理由があるのでしょう」 などと見当違
いの興味を示して私を困らせる人もいる
始末でした。
しかし私にしてみれば、 これは極上の
贅沢でした。 「そこに山があるから」 なら
ぬ 「そこにフランス語があるから」 学ん
でみたわけですが、 先に触れたように、
ケベック州のフランス語教育は非常に充
実している上に、 そこで学ぶ仲間のモチ
ベーションも非常に高いと来ているので
すから、 これほど理想的な環境はありま
せん。
「贅沢 (ぜいたく)」 というのは 「必要
ではないけれど(それがなくても十分やっ
ていけるけれど)、 あれば自分を豊かに
してくれるもの」 ではないでしょうか。 た
とえば、 たまに高級レストランで食事をす
ることはちょっとした贅沢でしょうし、 コン
サートやお芝居を観に出かけるなんてこ
とも贅沢なことですが、 とにかくそういっ
た贅沢を、 私たちは別にどうしても必要
ではないけれど、 豊かになりたくてする
ように思います。 フランス語は私にとって
まさしく 「どうしても必要という訳ではない
けれど自分を豊かにしてくれるもの」 でし
た。 この年になって (!?) 新しい外国
語を一からはじめるのはむろん簡単では
なかったのですが、 「若い者にはまだま
だ負けんぞお!」 とばかりに大真面目に
頑張ってきました。 言語ですから半年や
そこいらでものになるわけではありません
が、そこはこれからです。 わたしの「贅沢」
はまだまだこれから続くというわけです。
さて、 国語の教員としての私は、 受け
持ち授業の中に常に古典を教えるクラス
があります。 古典を教えていると、 「なん
だってこんな古臭くって必要ないものを
勉強しなくちゃならんのか」 といった顔を
している諸君を見ることもありますが、 そ
こはそれ、 必要でないものこそ君を豊か
にするかもしれないのであります。 今、
自分に機会の与えられているものを喜ん
で学びましょうよ。 「役に立つか、 立たな
いか」 はあとになってしかわからないこと
も多く、 したがって 「当面役に立つか立
たないか」 で、 すべてを判断するのは
実にけち臭いともいえます。というわけで、
古典は贅沢。贅沢をしましょう。うふふふ。
うまく落ちがついたところで、 今回のご挨
拶といたします。
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2 0 0 7
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世界陸上大阪大会雑感
ボランティアで参加して
中村亮介
社会科
この原稿を書いているのは、 秋学期も
2週目に入った9月初旬です。 まだまだ、
残暑が厳しい時です。 丁度、 1週間前
に世界陸上大阪大会が閉幕しました。
私は通訳ボランティアとして8月 20 日か
ら 25 日の開会式までと、 最終日、 閉会
式の9月2日に選手村のある中ノ島のホ
テルと長居競技場を行ったり来たりして
いました。 結果は皆さんもご存知のように
日本勢はなかなか苦戦していました。 授
業やHRクラスで秋学期早々、 世界陸上
の自慢話をしたのでその事にはあえて触
れませんが、 身近に感じた世界的イベン
トの裏側を少し、 お話したいと思います。
ボランティア初日、 集合場所である中
ノ島のホテルに集合時間のおよそ 30 分
前に到着しました。 午後3時からのシフト
だったので、 2時半にホテルの1階ロビー
に行くと、 大会ボランティアのユニフォー
ムを着た大勢の人が忙しそうに動いてい
ました。 その合間に明らかに選手と思わ
れる人達が、 各国の代表ジャージを着
てロビーをうろうろしていました。 私は早
速、 自分の仕事をする場所はどこかボラ
ンティアのユニフォームを着ている人に
聞きましたが、 誰一人答えられる人がい
ませんでした。 仕方がないので、 同じ色
のユニフォームを着ている人の後に着い
て行き、 ようやく2階のボランティアセン
ターの場所が分かりました。 しかし、 時
間の3時になっても誰も何も言ってくれま
せん。 ようやく、 3時 15 分くらいになり、
係りと思われる人が簡単な説明を始めま
したが、 要領を得ません。 仕方なく、 近
くにいたボランティアの人と自分たちで仕
事を見つける事にしました。
私たちの仕事は、 到着した各国の選
手、 関係者を無事にホテルにチェックイ
ンさせる等、 細かいケアーをする事でし
た。 一人ひとりのボランティアに担当国
が振り分けられて、 その国の方々をお世
話するというものでした。 しかし、 同時に
バスで多くの選手団がホテルに到着する
ので、 自分がどの国の担当かを示すも
のが必要だったのですが、 それも用意さ
れていませんでした。 またまた、 ボラン
ティアが手作りで担当国の国旗を描い
たり、 プラカードを作ったりしました。 ボ
ランティアいセンターには世界地図もな
く、 担当する国がメジャーな国なら分か
りますが、 小さな国だとどこにあるかも
分かりません。 そこで、 翌日、 自分の
所にある世界地図を持っていき、 国旗
の絵本も持っていきました。
2日目からは、 更にドンドンと各国の
選手団が選手村であるホテルに到着し
ました。 しかし、 ここでも大きな問題が
起こりました。 もうすでに報道されてい
たのでご存知に方も多いと思いますが、
なぜか最後のドイツ選手団と入場する事
ホテルの部屋が足りないという、オーバー
ブッキングの事態が起こったのです。 理
由は色々あったようですが、 何十時間も
かけて飛行機で到着し、 チェックインの
ために何時間も待たされた挙句に 「部
屋がないので他のホテルに移ってくださ
い。」 では、 誰も納得するわけはありま
せん。 激怒する選手や関係者、 チェッ
クインカウンターの人もボランティアです。
言われた事をこなすだけで精一杯なの
に、 詰め寄る選手や関係者たち。 その
間に入って事情を説明する私たち通訳
のボランティア。 確かに観光旅行で来て
いるわけではなく、 ある意味、 それぞれ
の国の期待を背負ってこの大阪に乗り込
んできた人達です。 このような受け入れ
態勢では、 激怒するのも仕方がないと思
いました。
そのほか色々と小さなトラブルがありま
した。 帰宅も日にちをまたいだ 12 時1時
という時もありました。 ボランティアに中に
は卒業生の保護者の方や卒業生、 同僚
の先生もいました。 また、多くのボランティ
アの人達とも知り合う事ができました。 開
会式、 閉会式にも参加することが出来ま
した。 小さい頃、 東京オリンピックや (年
が分かりますが) 札幌冬季オリンピック、
大阪万博の閉会式を見てなぜか感動し
ていたのを思い出しました。 そして、 自
分もなの輪の中には入れたらなあー!
なんて思っていたのが現実になりました。
閉会式ではボランティアもフィールドに選
手と一緒に入っても良いと言う事になり、
になりました。 何万にもいるスタジアムの
トラックに降り立ち、 スタンドを見上げた
時、 すごい所でみんな競技をしていたん
だなあー、 と改めて感心しました。 閉会
式の間は各国選手たちが互いに健闘を
称え合っていました。 握手をする人、 ハ
グをする人、 お互いに記念撮影をする
人、 様々でした。 たまたま、 日本選手
団と同じ場所にいたので、 ハンマー投げ
の室伏選手とツーショット撮ってもらいま
した。 気さくに快く写真に納まってくれま
した。 (自慢の写真です。)
最後に閉会式が終わって長居のスタジ
アムを去ろうとした時に、 ケニアの選手、
役員の人達がホテルまでのシャトルバス
に乗るのに手間取っていたので、 お手
伝いをしたところ、 バスの時間が合わな
いということで、 地下鉄で帰る事になり、
途中の淀屋橋まで案内する事になりまし
た。 その中にその日の朝に 42 kmを走り
抜いた女子マラソンの金メダリストのヌデ
レバ選手も一緒でした。 道々、 彼女とも
色々話をする事ができました。 最後のボ
ランティアの仕事が、 ヌデレバ選手のお
世話だった事が、 なんだか自分自身に
対するご褒美だったように思えました。
今回のボランティアを通して、 感じたの
は世界的なイベントに参加をし、 色々な
事が見られた、 色々な人に出会えた事
がとても自分にとって大きな収穫になっ
たと思います。 生徒の皆さんも将来、チャ
ンスがあったら、 是非このような世界的な
イベントに参加することをお勧めします。
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それでも、 こぎ続けて… ( 前半 ) 松本直也
中等部3年
旅は、 5人が自転車旅行をすると決めたと
きから、 すでに始まっていた。
それは、今年の4月。 僕、大倉敬太郎 (敬
ちゃん)、四軒町俊 (俊)、藤見彬弘 (あき)
の4人で、 なんとなく、 西宮にある飴谷英晃
(アメちゃん) の家まで、 自転車で行った時
のことだった。 西宮まで片道2時間もかから
ず、日帰りで簡単に往復してしまい、その時、
『チャリでもっと遠くまで行く』 とみんなで決
心した。 色々話し合っていくうちに、 旅の行
き先はいつの間にか、 鹿児島になっていた。
まずは、 ルート作成に取り掛かった。 図書
館に集まり、 とりあえず、 一番でかい地図帳
を取り出した。 適当に町を選んで、 山は避
けるよう、 海岸沿いの道を選ぶなどしながら、
簡単な距離測定をした。
次 に、 キ ャ ン プ 場 を 調 べ て み た が、 予
想外にキャンプ場が少なく、 山のてっぺん
や、 島にあったり、 オートキャンプ場だった
り、 都合の悪いものばかりだ。 それでも、 頑
張って計画を作っていった。 効率をあげる
ため役割分担をし、 リサーチ用の Google
Account を作り、 そこに、 地図情報や、 旅
行のカレンダーなどをまとめていった。
キャンプ場の次は、 自転車修理店を検索
した。 場所によっては 40km 以上の修理店
のない道が続く所があり、 不安にかられた
が、 できるだけの資料は集めた。 コインラン
ドリー、 温泉、 病院、 交番、 海水浴場、 コ
ンビニ、 ATM、 郵便局とリサーチを徹底し
ていった。 帰るためのフェリーをチェック、
宿泊施設全てに電話確認、 熱中症対策、
自転車のチューブの張替え方、 15 歳以下
で外出する時の法令のことについて、 さらに
は佐多岬の干潮 ・ 日の出まで調べた。 情
報収集に約一ヶ月かかった。 これぐらいしな
いと親を説得できないだろうと思ったからだ。
しかし、 後でわかったことだが、 「これぐらい」
では甘かった。
さて、 これをどうやって親に発表しようか。
教室を借りて発表したいが、 学校側は協力
してくれるのか?僕の不安とは裏腹に、 合
志先生、 高橋先生、 宗政先生に全面的に
バックアップをしていただいた。 先生方、 本
当にありがとうございました。
5月に入ってから、 毎日、 みんなで図書
館に6時まで残って、 リサーチや発表の準
備をした。 発表用に、 パワーポイントで全て
20
のリサーチをまとめた。 パンフレットも作成し
て、幾度も改良を加えた。 最後には、56 ペー
ジの本になってしまった。
6月 18 日、 待ちに待った、 発表日。 僕た
ちは、 今までの努力をすべて懸けた。 発表
には保護者、先生、ゲストも呼んだ。 発表は、
2時間以上にも及んだ。 成功したと、 僕は
思った。
夏休みに入ってからも、 みんなで集まって
計画を練った。 発表は終わったが、 旅に行
ける事になったわけではない。 親から出さ
れた条件を満たさなくてはいけない人もいた
し、 お金の問題もあった。
さらに別の問題も発生した。 あきの親は、
フェリーを使うことに反対だったのだ。グルー
プ内で、 亀裂が起きたが、 みんなで行くし
かなかった。 今までのリサーチの少なくとも
半分を犠牲にしてしまう。 リーダーとして、 ま
とめなくてはいけなかったが、 今までの努力
が無駄になるのが、 ものすごく悔しかった。
それでも、 行かないほうがすべてを犠牲に
してしまう…。
僕は最後まで反対し続けたが、 渋々、 変
更に同意した。 何時間も話し合った結果、
プランをかなり短くし、 瀬戸内海一周になっ
た。 鹿児島への 1300km は 800km になって
しまった。
ある日、 突然、 あきが 「トレーニングをす
る!」 と言い出した。 親をさらに説得するだ
けではなく、 旅に向けて体力的に備え、 み
んなの自信をつけるのに有効だからだ。 最
初 は、 荷 物 な し で 西 宮 ( 片 道 21km) に
何回も行っていたが、 それだけでは短いの
で、 日帰りで京都 (38km) に行った。 夏
休みからは、 荷物ありで、 日帰りで神戸空
港 (42km)、 須磨海岸 (45km)。 ついには
1泊2日で琵琶湖 (100km) への本格的な
トレーニングを実施した。 最後まで、 体と精
神を鍛え上げた。
カウントダウンは一週間を切った。 練習で
気付いたことや、 工夫すべき点を話し合っ
た。 みんなで、 コーナン、 Sports Depo と自
転車店 Asahi をかけまわって、 必要な物をリ
ストアップした。
みんな、 出発日が待ち遠しかった。 出発
の前日は、 落ち着かなかった。 ずっと楽し
みにしていた旅に、 明日出発できると思うと、
ものすごく胸がはずんだ。 同時に、 本当に、
行けるのか?正直、 こんな旅に出るなんて、
信じられなかった。
しかし、 まさかの出来事が起きた。 あきが
親からの承諾を得ていないと、 メールしてき
たのだ。 事態は最悪。 なんと、 『親子の縁
を切る!』 とまで言われたらしいのだ。 僕
は、 ひたすら電話をかけて、 状況を確認し
た。 頭の中は混乱の渦、 いや、 竜巻だっ
た。 アメちゃんと敬ちゃんにも電話をかけ、
解決策を考えたが、 僕達には、 どうすること
もできなかった。 すべては、 あきにかかって
いた。 電話のやり取りは、 何時間も続いた。
けれども、 状況は変わらず。 もはや、 絶望
的だ。 こうなれば、 こっちから、 行動するし
かない。 あきひろを犠牲にして、 4人で行く
プランを考えた。 だが、 新プランを聞いたア
メちゃんは、 猛反対した。 『この旅は5人で
行かなくちゃ、 意味がない!』。 しかし、 俺
は 『行かないほうが、 もっと意味がないじゃ
ないか!つぶされてたまるか!』 と反論。
二人とも、 意志を曲げなかった。 話し合い
は深夜まで続いた。 最後に、 もう一度、 あ
きに電話をした。無念にも、期待はかなわず、
僕はあきらめの言葉を吐いた。 絶望の底に
突き落とされた僕は、 ついに寝込んでしまっ
た。
次の朝、 起きると、 いきなり母さんが、 『あ
きひろが、 今朝、 行けるようになったみた
い!』 と言ってきた。 寝不足で、 喜ぶという
より、 さっぱり意味がわからなかった。 急い
で出発する準備をした。
みんな (アメちゃん以外) が学校に集まっ
てきた。 あきの武勇伝を聞くと、 『徹夜で母
さんを説得し、 最後の最後に父さんの承諾
を得た』 とのこと。 信じられなかった。 みん
なで行ける…。 こみあがる、 嬉しさ。 あきを
信じきれなかった僕が、 少し恥かしかった。
こうして旅は、 スタートラインをきった。
【次号に続く】
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学年だより
●中等部1年生 (7年生)
自分への約束事
岡本茉莉
3組担任、 国語科
長い夏休みも終わり、 いよいよ秋学期が
始まりました。 今学期からは三上直夏さん
(1組)、 脇田優作くん (1組)、 田沼将人
くん (2組)、 海江田凪砂さん (3組) の
4名を迎えて、 ますます学年全体がにぎ
やかになってきました。
2ヶ月にも及ぶ夏休みを過ごすにあたっ
て、 7年生は事前に 「自分への約束事」
を決めました。 その上で、 せっかくだから
「普段はできないこと」 に挑戦しようと、 そ
れぞれに目標を掲げました。 そして、 秋
学期の初日に、 この夏休みにどんなこと
をしたのかを発表し合いました。 旅行に
行った人、 たくさん本を読んだ人、 ひた
すらだらだらとすることを満喫した人。 内
容はそれぞれでしたが、 みんな 「自分へ
の約束事」 を守りながらいろいろな挑戦を
することができたようです。
さて、 今学期はまた臨海学習やスポー
ツデーなど、 初めての学校行事がたくさ
んあります。 しかも先学期と違うことは、 O
ISの7年生との交流の場がぐっと増えると
いうことです。 春学期の行事や夏のキャン
プなどを通して、 SISの7年生や先輩たち
とはかなり親しくなってきたと思いますが、
この機会に是非OISにもたくさんの友達を
作ってください。 言葉の違いなどで交流
が難しいと感じることもあるかもしれません
が、 少し勇気を出して話しかけてみれば、
意外とすぐに仲良くなれると思います。
これからスポーツデーに向けては、 T
シャツ作りや競技の練習、 パフォーマンス
の練習などを通して、 大勢で協力して活
動する機会がたくさんあります。 「恥ずか
しい」 「めんどうくさい」 などと思わずに、
思い切り楽しんで参加してみましょう。 楽
しめば楽しむほど、 いいものが出来上がり
ます。 そして一生懸命になればなるほど、
みんなは成長します。 楽しんで、 協力し
合って、 一緒に思い出に残る日々を作り
上げていきましょう。 数々の行事を通して
みんなが成長していく姿を見るのを楽しみ
にしています!
●中等部2年生 (8年生) 「あわないメガネ」
中村亮介
3組担任、 社会科
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罰でも受けるかのように考え、 罪の意識を
持ちやすく、 他人には怒りや葛藤を感じ
ます。
9 レッテル貼り…ミスするとすぐ 「自分
はダメ人間だ」 と、 他人のミスでも 「あの
ろくでなし」 とレッテルを貼ってしまいます。
それは感情的で、 偏見に満ちています。
10 個人化…何か良くない事が起こった
時、自分に責任がないような場合でさえも、
自分のせいにしてしまい、 自分を責めて
しまいます。
メガネが合わなくなったら、 取り替えます
ね。 ゆがんだ考え方が、 落ち込みのトラ
ブルの原因だと気付いたら、 その考え方
を変えます。 たったそれだけの事で気分
が楽になり、 生活も仕事も、 明るく前向き
になります。 落ち込みも、 人とのトラブル
も少なくなり、 前向きになります。
自分の 「マイナス思考」 に気が付き、
自分の 「ゆがんだ考え」 に気が付くだけ
で、 あなたの生活は変わってくると思い
ます。 考えを変える訓練をしたりする事も
でき、 そうすると、 メガネを替えたときのよ
うにあなたの世界は変わってくるものです
よ。
◇
という、 文章です。 これを読んでいて、
随分自分に当てはまる事が多いな、 と思
いました。 世の中には沢山の人がいます
が、 一体、 どれくらいの人が自分の 「心
のメガネ」 の度があっていないことに気づ
いているんでしょうね。 また、 それを替え
るすべを知っている人がどれくらいいるん
でしょうね。 皆さんはこれを読んでどう思
いましたか?
私が通っている教会の牧師さんが、 毎
週、 週報の中に小さなチラシを入れてく
れます。 「牧師からのことば」 というものな
んですが、 先日 (9月9日の日曜日) の
チラシに 「あわないメガネ」 というタイトル
のチラシが入っていました。 牧師さんの許
可を得て全文を掲載します。
◇
メガネが合わなくなって、 ものがはっきり
見えない。 それだけではなくて、 頭が痛く
なることがあります。 ものの見方、 物の考
え方が、 片寄っているため、 人との交わ
りが出来ず孤立してしまったり、 自分を責
めて暗い気持ちや、 嫌な感情になる。 そ
ういうことってありませんか、 感じませんか。
嫌な気分の原因は、 考え方の片寄り、 ゆ
がみにあります。 考え方のゆがみについ
て、 みなさん考えたことがありますか。
1 全部か無か思考…物事を白か黒か
のどちらかで考える考え方。 少しでもミス
があれば、 完全な失敗と考えます。
2 一般化のしすぎ…たった一つの良く
ない出来事があっても、 世の中すべてが
そうであると考える。
3 心のフィルター…たった一つの良くな
い事にこだわってそればかりをくよくよ考
え、 現実を正しく、 全体的に見る目が暗
くなってしまう。
4 マイナス化思考…なぜか良い出来事
を無視してしまうので、 日々の生活がす
べて悪いように、 暗く、 悲観的になってし
まう。
5 結論の飛躍…根拠もないのに悲観的
な結論を出してしまう。 ①心の読みすぎ ●中等部3年生 (9年生)
…ある人があなたに悪く反応したと早合点 Take an initiative.
してしまう。 ②先読みの誤り…事態は確 山本靖子
3組担任、 英語科
実に悪くなると決めつける。
6 拡大解釈 (破滅化) と過小評価… オーストラリアホームステイプログラムに
他人の成功を過大に評価し、 他人の欠 参加した人、 その他のサマープログラム
点を見逃し逆に、 自分の成功を過少に、 に参加した人、 自分がこれと思うものに打
欠点を過大に評価します。 双眼鏡のトリッ ち込んだ人、 のんびりと過ごした人、 各
クとも言います。
人それぞれの長い休みを過ごして、 元気
7 感情的な決め付け…憂うつな感情は な皆がまたさらにパワーアップして学校に
現実をリアルに反映していると考え 「こう 戻ってきました。 先学期で2人の仲間と
感じるんだから、 それは本当のことだ。」
と思う。 自分の感じを重んじすぎ。
8 すべき思考…なんにでも 「-すべき」
「-すべきでない」 と考え、 そうしないと
さよならしなければならなかった学年です
が、 今学期から2組にアメリカから帰国生
の四宮菜帆子さん、 中国からの帰国生、
八尾彩加さんという新しいメンバーを迎え
21
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2 0 0 7
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ることが出来ました。
●高等部 1 年生 (10 年生)
次ぎの目標にむかって行動を起こし始め
今学期は、 9年生にとってはとても忙し 10年生のスポーツデー
ました。
い学期であり、 1つの節目の大切な学期 木村典子
放課後、 教室やフィールドをのぞくと、
でもあります。 それは1つに、 いよいよクラ 3組担任、 国語科
新しいリーダーとして組織をまとめている
ブ活動や一部のクラスでは高等部の仲間 10年生の秋学期が始まりました。 2組に 11 年生たちの凛々しい姿を眼にします。
入りをしたこと、 一部のクラスでは自分で 宮前あゆかさん ・ 清水稜太君、 3組に村 これまでは先輩に習って動いていました
授業選択も始まったということがあります。 西紗季さんが帰国生として入学してきまし が、 今や後輩たちから頼られる存在です。
また、 スポーツデイ、 学年旅行と学年全 た。 前日のオリエンテーションでは4月に 指示を出す声や立ち姿に大きな変化が見
体として取り組む大きな行事が2つも控え は入学生だった上田君とエリザベートさん られます。
ています。
が手伝ってくれました。 3人とも心強かっ また、 学年活動においては、 学年旅行
そういった色々な活動の中で、 高校生 たと思います。 自分たちが受けたサポー 委員やスポーツデイ学年委員など、 11 年
活も少し見えてきた9年生のこの時期、 大 トをすぐ次の人に受け継ぐ、 これが SIS の 生の輪を強めようとがんばっている生徒た
切なことは何だと思いますか。 あるいは、 良さですね。 またこの3人の人たちも次に ちがいます。 特に 9 月は学年旅行の目
先生たちが期待していることは何だと思い はサポート役に回ってください。
的地を決定する重要な月です。 夏休み中
ますか。 ( これは人それぞれであるので、 1 0 月 8 日 の ス ポ ー ツ デ ー に 向 け て、 に各グループが作成した候補地の旅程を
あくまでも私の考えですが、 4組の目標 LHR 委員を中心に動いています。 今私 発表し、 行き先を決定します。 学年旅行
にもなっているので、 他の先生方も同意 は LHR 委員の係りをしているのですが、 委員は、 この選考が民主的に行われるよ
してくれると思っているのですが。 ) それ 私が動く前に全て計画を立てて動いてく う選考管理委員会を発足しました。 一方、
は、 色んな活動をもっと生徒主導でやっ れています。 LHR 委員は各クラスより2~ 学年委員は 10 月 8 日のスポーツデイに
ていって欲しいということです。 もちろん 3名出ていて、 全部で9名のグループで 向けて、 OIS ・ SIS が一団となって楽しめ
生徒の自主性を尊重するこの学校、 これ す。 各競技のサインナップや応援の方法 るよう、 細やかな点に配慮しつつ、 共に
までも自分たちでやってきたことは沢山あ 等、 やることはいっぱいありますが、 着実 手を取り合って、 着々と準備を進めてい
ると思いますが、 さらにその機会が増え に計画を立ててやっていることに、 さすが ます。 またパフォーマンス、 T シャツ作成
ます。 例えば、 スポーツデイ。 去年まで 10年生になったと感心しています。 まだ グループなど小グループでの活動も活発
は PE の先生がサインアップをやってくれ まだこれから実際に進んでいきますので、 で、 どのグループも互いの意見を尊重し、
ました。 しかし今年からは学年が責任を 躓くこともあるかもしれませんが、 後ろで それらをうまくまとめようと懸命です。
持ってやらなければなりません。 企画もパ 見守りながら何とか成功のうちに終了する また個人レベルにおいても、 コンテスト
フォーマンスもさらに生徒が中心にまとめ ことを願っています。 8日は10年生はどん で優秀な成績をおさめたり、 地道に続け
てくれることを期待しています。 また、 学 な活躍をしてくれるのでしょう。 とても楽し てきた創作活動に新たな課題を見出すな
年旅行も自分たちで場所を決め、 計画を みです。
ど、 いよいよ長年の努力が実を結び始め
練っていきます。 委員だけでなく一人ひと 10年生は86名の集団です。 今留学に ました。 今後も All School Production、 コ
りが自主的に動いていくことがとても大切 2名出ていますので、 毎日84名が登校し ンサートなど、 11 年生の更なる飛躍が見
になります。 そんな自主性を伸ばす絶好 ています。 スポーツデーが終われば、 進 られる行事が待っています。 のチャンスが沢山転がっているこの時期、 路から今後の進路についての1回目の話 11 年生にとっては実りの季節を迎えまし
新しいことをやってみるのに最適の時期で もあり、 高校生の実感がますます出てくる た。 これからの活躍が楽しみです。
もあると思います。 今まで、 ちょっと興味 でしょう。 あっという間の10年生の毎日だ
があったけれどやらなかったことなど、 ぜ と思いますが、 有意義な生活を送ってく
ひ、 積極的に参加していって、 今後の学 れることを、担任団の一人として願います。 ●高等部3年生 (12 年生)
生生活の基礎を作っていって欲しいと思
教室の風鈴
います。
馬場博史
1組担任、 数学科
ところで、 賢い皆のこと、 いまさら言う必 ●高等部2年生 (11 年生)
要もないと思うのですが、 生徒主導、 自 11 年生、 実りの季節
私が授業をしている教室には風鈴があり
主性=自分の好きなように好きなことをや 水口 香
ます。 授業中の静寂の中、 時折自分の
る、 では決してないってことは、 わかって 3組担任、 英語科
存在を訴えるように、 チリンと音を出して
くれていますよね。 逆に自主性を持つと 今年は 1 日早く秋学期が始まりました。 雰囲気を和ませてくれます。 私がつけた
いうことは自分の行動に責任をしっかり持 ホームルームではいつものように土産話 のではありません。 今年の春学期だった
つこと、 他を尊重して、 その意見にも耳 に花が咲き、 それぞれが表情豊かな笑顔 と思いますが、 気づいたら教室の天井の
を傾けて行動をすることでもあるということ、 を見せています。 しかし同時に、 気持ち エアコンの噴出し口の近くについていまし
忘れていたら、 もう1度思い出してみて欲
しいと思います。
22
は新たな目標に向かって動き出している
のを感じます。 SIS での生活が折り返し地
点になり、 「さあこれからどうする?」 と心
の声が聞こえたのでしょうか、 おのおのが
た。 ある日、 落ちて割れたのですが、 誰
かがまたつけてくれて今のが二代目になり
ます。 授業中 「うるさい」 とか 「気が散る」
(次ページ★に続く)
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英検1級に4名合格
英語検定試験の報告
水口 香
2 0 0 7
N o . 1 1 3
ドイツ語検定合格者報告
桂木 忍
ドイツ語
英語科
2007 年 9 月 7 日 ま で に 報 告 が あ っ た
2007 年度第1回英語検定試験の合格者
をご紹介させていただきます。 英検1級
に、 井藤航太君 (SIS12 年 )、 臼井恵里
奈さん (SIS11 年 )、 大倉敬太郎君 (SIS9
年 ) が合格しました。 また、 澤山凌介君
(SIS7 年 ) が 2006 年度第 3 回の試験で
合格していたとの報告がありました。 お
めでとうございます。 更なる飛躍を楽し
みにしております。 この他の級について
もたくさんの方から合格の報告がありまし
た。
1級 4名
準1級 4名
2級 9名
準2級 5名
3級 1名
合格者の皆さんおめでとうございまし
た。 引き続きがんばってください。
井藤航太君 臼井恵里奈さん Not
Available
大倉敬太郎君 澤山凌介君 また、 学園ウェブページの 「最新ニュース」 に、 秋季 ・ 冬季に全国各地で開催さ
れる英語等コンテスト募集のお知らせを掲載しています。 こちらも奮って応募してくだ
さい。
2007 年6月 24 日に全国で行わ
れたドイツ語検定に SIS から次の
4名が合格しましたので、 紙面を
かりてご報告します。
3級 中元美里、井藤航太 (SIS12
年)
4級 宮本麻央 (SIS11 年)、 丸
野元樹 (SIS12 年)
日頃の勉強の成果ですね、 お
めでとう!なお、 秋のドイツ語検
定の願書も学校に来ています。
受験希望者はぜひ桂木に声をか
けてください。 また、 図書館には
2006 年度の過去問題集もありま
す。
中国語資格試験結果
柳 蕙心
中国語
中国語検定及び、 漢語水平考
(★前ページの続き)
という生徒はほとんどいません。
音を出すのは2通りの場合があります。
ひとつは窓とドアを開けていて風通しの
良い時、 もうひとつはエアコンを 「High」
で使っている時です。 同じ音がしている
のですが、私には異なる音に聞こえます。
その音から 「風鈴の気持ち」 が伝わる
のです。 自然の風を受けているときは気
持ち良さそうに感じるし、 人工的な風を
受けているときは少し不機嫌そうに感じま
す。 本当は同じ音ですから私の思い込
みです。
なぜそう思うかといえば、エアコンを使っ
ていると地球温暖化の原因である 「温室
効果ガス」 を排出しているであろうからで
す。 現在地球上のあらゆるところで気温
が上昇し、 生態系に大きな影響を及ぼし
ています。 微力であってもより多くの人が
自覚して行動すれば、 その抑止力にな
ることと思います。 授業のときにこんな話
をしながら、 少々暑くてもエアコンを止め
て窓を開けようと言ったら、 生徒から反対
の声はあまり出ません。 みんな重要な問
題と捉えてくれているようです。 そのかわ
り私は団扇 (うちわ) をいくつか用意し
て貸し出しています。
今年の夏も記録的な暑さでした。 クー
ルビズといいながら、 ネクタイをはずして
も上着を着たままの政治家をよくテレビ
で目にします。 薄着にしてエアコンを弱
くするべきです。 なるべく機械に頼らず、
自然環境をリスペクトしたいものです。 教
室だけでなく、 研究室や事務室も同様
ではないでしょうか。
S317 教室の風鈴は、 これからも時々
優しい音を出して、 12 年生全員の進路
が無事に確定するまで、 しっかりと見守っ
てくれることでしょう。
(HSK) の結果が出ましたの
で、 お知らせ致します。
中国語検定
準1級
田中輝樹 (SIS7 年 ) (2007 年3
月受験)
4級
谷 南津子 (SIS11 年 )
リース恵実 (SIS12 年 )
漢語水平考
(HSK)
基礎
2 級 三木真夏 (OIS7年)
初 ・ 中級
3 級 奥恵美子 (SIS12 年 ) 5 級 永墓万友美 (SIS12 年 ) ●学校を通して受験しなかった場
合や、他の検定試験結果も掲載い
たします。編集部までお知らせく
ださい。
23
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
読書の勧め
青山比呂乃
図書館
*ヨーロッパで気がついたこと、 SIS で思ったこと - 読書の
勧め
以前、 フランス語ができるようになってきた話を書きましたが、
今回は今年の夏、ベルギーとオランダで思ったことを書きます。
オランダ留学している友人を訪ねていった時のこと。 パリから
ベルギーのフランス語圏の町を経て、 オランダの小さな大学
町ティルブルグに列車でたどり着きました。 フランス国内では
もちろん、 書かれている言葉も聞こえてくる言葉もフランス語。
ベルギーのブリュッセルでは、 聞こえてくるのはほとんどフラン
ス語だけれど、 町の中のいろいろな表示、 レストランのメニュー
などは、 フランス語とフラマン語 (オランダ語) の 2 ヶ国語。
そして、 オランダの町にいってみたら、 目に入るのも聞こえて
くるのもオランダ語。 電車で 2, 3 時間の距離なのですが、 変
わるのです。 ベルギーで、 オランダ語表示を見ながら 「推測
はできなくもないけど、わからないなあ」 と頭で思っていたのが、
音もそれに変わったとき 「あっ、 わからなくなった!」 と肌で
感じました。
実際のところ、 オランダ人は、 母語のオランダ語と英語に加
えてフランス語、 ドイツ語など、 3 ヶ国語くらい話すのが普通な
ので、 何をするのも英語ができればあまり困らないのですが、
やはり日常話したり書いてあったりするのはオランダ語です。
当たり前といえば当たり前のことですが。
振り返ってこの千里国際学園。 初めてここに来た、 英語しか
話せない人、 日本語しか読めない人は、 きっとこんな風に 「わ
からない!」 と感じていたんだなあと、 オランダで、 はたと気
がつきました。 学園が始まった時からここで働き続けているうち
に、 私が慣れっこになっていたバイリンガル環境は、 まったく
もって普通ではありません。
「わからない」 という状況は、 もちろん相当なストレスですよ
ね。 SIS の多くの生徒は、 授業やクラブや友達関係、 いろい
ろな形でそれを体験し、 多くの苦労の中で何とか努力を重ね
て、 次第に何とか様々なレベルのバイリンガルとなっていって
います。 海外でそれを経験してからここにやってきた人もいる
でしょう。 常に 「わからない!」 ストレスに囲まれつつ、 それ
を言語獲得に理想的な環境とポジティブに受け止めて、 それ
を何とか生かして自己実現に生かしてもらおうというのが、 ここ
千里国際学園なのです。
図書館もまたそうした環境です。 英語の資料 ・ 日本語の資
料が半分ずつを占め、 OIS の幼稚園生徒から小中高校生も
SIS の中高生と共に図書館を使っています。 英語しか話さな
い先生、 生徒、 そして、 送り迎えのついでに立ち寄る保護者
もいらっしゃいます。 もちろん他の言語も聞こえてきます。 韓
国語、 中国語、 フランス語、 オランダ語、 etc. それは、 言葉
だけのことではなく、 生活習慣その他、 誤解や無理解も起こり
やすい場でもあります。 でも、 言葉ではなくて、 分かり合える
と感じることもしばしば。 そして、 図書館の豊富な本は、 積極
24
的にバイリンガル (さらにはトリリンガルなど) になっていくには、
とっても役に立ちますよ。
私の場合、 日本で生まれ育ち留学もしたことはないので、 こ
こに来るまでの英語のレベルは日常会話程度でした。 それ
が SIS で 2、 3 年過ごすと、 以前はまったく聞き取れなかった
CNN や BBC などのニュースの英語が聞き取れるようになって
いたのです。 ところが、 ある程度慣れてくると、 それ以上に英
語力が伸びなくなりました。 私が慣れたということもありますが、
周りの英語スピーカーが、 私がちょっと変な英語で話しても、
理解してくれるようになってしまったという慣れもあります。
何とかしたいと思いつつしばらく時が過ぎて、 それでも少し
ずつ英語力が上がっているように思えた時、 何が良いのかと
振り返ってみると、 読み書きでした。 つまり、 この学園では、
図書館のお知らせ一つ出すにも、 メールでも掲示でも英語で
も書かなければなりません。 特にメールの場合、 短時間で英
文を読み書く訓練としてなかなか大変なものがあります。 ただ、
これも次第に慣れてきて、 多少変でも何とかなってしまうように
なる。 では、 さらに英語を豊かにするには?そう、 きちんと書
かれた本を読むことなのです。 本というのは、 それを書くのに
かかっているエネルギーを考えても、 言葉をよく練ってぎゅっ
と固めてあるものです。 短時間でもその言語に本当に浸りたい
ときには読書はとてもよい方法です。
私の場合、 そう思って好きなファンタジーなどを読み始めた
のですが、 なかなか進まず、 途中でいやになってしまうので、
最初のうちはいつも挫折していました。 ついに 1 冊分厚い本
をともかく読み終えることに成功したのは、 「ハリー ・ ポッター」
の第 2 巻。 日本語の本を読む 5、 6 倍の時間がかかりました
けれどね。
成功の秘訣は、 もちろん 「早く先が読みたい!」 という気
持ちになる本であることと、 日本語訳がでるのに時間がかかる
(日本語版がない) こと。 その後も、 これだけは日本語版が
出る前に英語版原書を読み続けて今に至ります。 現在第 7 巻
の半分まで来ましたが、 最初の頃より読みやすく、 より細かい
ところまでわかるようになった気がします。 「ハリー ・ ポッター」
はこれで終わってしまうけれど、 次は、 図書館に幼稚園から
大人レベルまで 2 万 7 千冊もある英語の本から、 改めて自分
に合うものを探してみようと思うのです。
一方、 問題は日本語環境。 千里国際学園では、 日本の他
の環境に比べると、 英語を聞き話し読み書きする機会 ・ 時間
が多いです。 ということは、 逆に、 相対的に日本語に触れる
時間が少ないのだということです。 放っておくと、 国語力が伸
びにくいといえます。 もちろん国語やその他の授業を通して、
訓練をしているわけですが、 本当に日本語もよく使える人であ
るためには、 自分で自覚して日本語で読書を続けて、 自分の
日本語力をいつも鍛えておくことはとっても重要だと思います。
(次ページ★に続く)
I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
「留学オリエンテーション」 のご案内
栗原真弓
カウンセリングセンター
SISでは、 大変多面的かつ深く考えられた教育が施されて
います。 ですから SIS で学べることは非常に多く、 さまざまな
ことを身につける機会に溢れています。 留学しなくても国際的
視野で物事を捉える力や語学を習得することは、 本学園にお
いて十分可能です。
しかし、色々な理由から SIS 在籍中に海外の学校に留学 ( 最
長1年 ) する生徒が毎年数名います。 留学するからには、 海
外で充実した日々を過ごしてほしいと願っています。 そして良
い結果をもたらすためには十分な準備期間が必要であること
が過去の例でも実証されています。
『生徒と保護者のためのハンドブック』 の中の 「留学に関し
て」 (P.14) にあるとおり、 在籍中の留学については SIS の規
定があり、 定められた手順に従って準備を進めていくことにな
ります。 一方、 交換留学生として留学する場合は、 選考試験
が出発日の1年前から始まります。 例えば 10 年生の夏に出発
する場合は、 9 年生の春から選考試験をする団体もあるので、
それ以前に留学窓口であるカウンセリングセンターに相談する
ことが求められます。
カウンセリングセンターでは、5 月と 10 月に「留学オリエンテー
ション」 と称して SIS 在籍中の留学についての説明会を実施
しています。 「留学オリエンテーション」 では、 SIS 留学規定
や手順について詳しく説明し、 交換留学斡旋団体や試験日
程について紹介します。 また、 留学から戻ってきた SIS 生徒
に体験者ならではの助言などを話してもらいます。 留学につ
いての情報が欲しい人や計画中の人は、 ぜひ参加してくださ
い。 保護者の方もどうぞご参加ください。 日時 ・ 場所は、 次
の通りです。
日時 : 10 月 11 日 (木) 放課後 3:45p.m. ~
場所 : 3階会議室
その他のイベント
・ アメリカ、 オーストラリア、 イギリス、 カナダなど様々な海外
の大学代表者が、 秋から冬にかけて当学園へ学校訪問され
ます。 また、 10 月にはイギリスやカナダの大学のミニフェアが
あります。 興味のある人は Senri Update の月間予定や、 SHR
でのアナウンスに気をつけておいて下さい。
・ PSATの実施・・・ 10 月 20 日 ( 土 ) 午前中。
申込締切は 10 月 12 日 ( 金 ) → 1900 円を持ってカウンセリ
ングセンターへ来て下さい。 定員 50 名に達した時は期日前
に締切ります。
アメリカの大学に入学するためには SAT という試験を受ける
必要があります。 また、 海外サマープログラムの高度なアカデ
ミック・コースに申込む際、 SAT の点数を要求される場合があ
ります。 PSAT は、 SAT の模擬試験にあたり 、 年に 1 度行わ
れますので、 必要だと感じる人は受けてみて下さい。 結果は
12 月頃にきます。
・ 海外サマープログラム・オリエンテーション・・・海外のサマー
プログラムについて、 資料や体験者の報告を元に 、 ご説明し
ます。 詳細は 11 月のインターカルチュアをご覧下さい。 11 月
12 日 ( 木 ) 放課後に行う予定です。 ( 注 : 9年生で行くオー
ストラリア・ホームステイプログラムとは違って、 個人で申込み、
参加するものです )
ご質問等はカウンセリングセンター・スタッフの小野寺まで・・・
072-727-5061( 直通番号 ) fonodera@senri.ed.jp
(★前ページの続き)
例えば高校 3 年になって、 大学受験の願書に志望理由など
を書く時期になって、 日本語作文であわてないためにも。
ということで、 皆さん、 英語も日本語もたくさん借りてたくさん
読んで、 素敵な本物のバイリンガルになってください!
*図書館紹介
編入生、 その保護者の皆さん、 千里国際学園図書館によう
こそ!
図書館は学校の授業日はいつも、 朝の8時から夕方4時半
までずっと開館していますので、 保護者の方も機会がありま
したらいつでも訪問してください。 保護者の方も登録すれば、
本を借りる事もできます。 利用規則は生徒と同じで、 生徒の
利用に支障が出ない範囲に限られます。 詳しくはお気軽に図
書館まで問い合わせてください。
なお、 4時半から6時までは、 中高生の勉強のために毎日
開館しています。 4時半の下校時刻以降に図書館に残る手続
きは、 貸出デスク横においているサインナップシートに必要事
項を記入することだけです。 ただし、 7,8年生は、 帰りの HR
までに担任の先生のサインを許可書にもらって同時に提出す
ることになっています。皆さんの放課後の安全管理のためにも、
夕方の開館利用者ニーズを把握するためにも、 きちんと記入
するようにしてください。
*日本語図書館システムが新しくなりました
夏休みの間に、 今まで 1991 年以来使っていた古いシステ
ムから、新しいウィンドウズ上で動くシステム 「ライブラリーワン」
に切り替えました。 それに伴い、 誰でも学園のサイトから入っ
て、 ある図書などの資料が図書館にあるかどうか検索をするこ
とができるようになりました。 他にもいろいろ便利な機能を備え
ているようなので、 順次導入していきます。 フル稼動するまで
はしばらくかかると思いますが、今まで以上によく使いこなして、
SIS での勉強に役立ててください。
25
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2 0 0 7
N o . 1 1 3
数学者講演会に参加
馬場博史
数学科
◆数検4級に合格
文部科学省認可財団法人日本
数学検定協会主催第 137 回実用
数学技能検定試験(数検)4級(=
中学2年終了程度) に中等部1年
田中輝樹君が合格されました。 おめでとうございます。
数検は、 英検、 漢検に並ぶ三大検定試験のひとつで、 毎
年4月、 7月、 11 月の3回実施されています。 数学の場合、
内容がほぼ教科書と合致しており、 その級に合格することは、
その内容の学習成果および定着を充分認めることができます。
また合格すると調査書等に記入することができます。 出題範
囲は、 3級=中学3年終了程度まで、 準2級=数学Ⅰ ・ 数学
Aまで、 2級=数学Ⅱ ・ 数学Bまで、 準 1 級=数学Ⅲ ・ 数学
Cまで、 1級=大学教養程度まで。 また合格基準は、 1 次 :
計算技能検定…全問題の 70%程度 2 次 : 数理技能検定…
全問題の 60%程度となっています。 奮って受検して下さい。
◆第2回グラフ電卓プログラミングコンテスト近づく
SIS/OIS 数学科では昨年より、 生徒諸君自作のグラフ電卓
プログラム発表の機会を持っています。 9月末までに数学科
に提出されたプログラムを予備選考し、 日時を決めて予選通
過者による発表会をします。 入賞者には表彰状と副賞を授与。
また、 最優秀者は 12 月に行われるプレゼンテーション大会に
出場できます。 発表会の日時はまもなく連絡いたします。
◆数学者ピーター・フランクルさん講演会に4名参加
朝日新聞夕刊に 「私の教育再生」 を連載している、 数学者
で大道芸人のピーター・フランクルさんの講演会が 6/17 (日)
に箕面市グリーンホールで開催され、 4名の生徒が参加しまし
た。 感想を紹介します。
楢木耀 (中1)
今日の講演会とてもおもしろかったです。 難しいことも言った
りしてましたが途中で笑いを入れてたので飽きずに全部聞くこ
とができました。 30 秒間を聞いてそれを実行しなくてはいけな
いことに気付いたので、 実行するきっかけができました。 大道
芸はレベルが高くすごかったです。 全部合わせてすごくすごく
楽しかったです。
江頭佑駿 (中2)
ピーターさんの話が、 大道芸とうまく組み合わさってとても愉
快でした。 彼のジャグリングを見て、 自分も上達しようと思いま
した。 楽しかったです。
浜口百香 (高3)
日本では英語学習熱が高
まっているが、 英語を苦手とす
る日本人が多いのも事実。 世
界一難しい言語を母国語として
話す日本人に英語を学習する
能力がないわけがなく、 リラック
スして間違いや失敗を恐れず
26
にチャンレンジするだけなく、 英語を学習する前にまず母国語
を正しく理解し、 話せるようになることが最も大切であるというこ
と。 また即効性を求めず地道に能力を身につけようとする心構
えが必要だということも改めて学びました。」
阪上夏希 (高2)
私がまず驚いたのは彼の日本語が流暢であったことと、 他国
である日本の事情を非常によくご存知であったことです。 そし
て話し方や進め方は観客をひきつけるものであり、 態度にも知
性が溢れていました。 お話のメインは今の日本の教育問題で
した。 『クラブ中毒』 と言える学生の実態や現在の英語教育
に関することなど SIS 生の私にとって新鮮な内容もあり、 興味
深く聞くことができました。 また大道芸も披露され、 私は中でも
数学を交えた (2,1,1/2,1/4,0…回転の ) ジャグリングが印象に
残っています。 今回私は学生又は一子供として楽しんで聞い
ていましたし、今聞くことができて良かったと思っています。 が、
今回の講演を私が本当に、 今以上に必要とし聞きたくなるの
は私が大人、 もしかしたら母、 いずれにしても教育者の立場
に立ったときだと思います。 また機会があれば聞きに行きたい
です。
◆ 「数学や理科の好きな高校生のための市大授業」 参加者
募集
11 月 18 日 ( 日 ) に大阪市
立大学理学部 (杉本キャン
パス) で開催されます。 前半
13:00 ~ 14:30 と 後 半 15:00
~ 16:30 で 2 科 目 受 講 で き
ま す。 数 学 の 講 義 題 目 は
「ニュートンさん3次方程式を
解いてください」 で、 前半に
開講されます。 他にも、 理科
の講義が行われます。 参加
費は無料。 希望者は数学科
まで申し出てください。 詳細
は、 http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/koudai/
中等部生徒会選挙結果(6月 13 日実施)
中村亮介
MS 生徒会担当、 社会科
会長
8-3 岡部あずみ
副会長
8-1 中島彩花
書記
8-1 浦上 直
会計
8-1 臼井愛理沙
春学期中に前年度の役員と引継ぎを行い、 秋学期か
ら新中等部生徒会をスタートさせていく予定です。 関係
各位のご理解とご協力に感謝いたします。 I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
English Drama Festival
パーマー怜主 高等部2年
去る6月 25 日、 ここ千里国際学園の
シ ア タ ー で 毎 年 恒 例 の EDF (English
Drama Festival) が行われました。 この
EDF は色々な学校の英語演劇部が集ま
り、 お互いに 30 分程度の劇を発表し合
うもので、 始まって以来今年で 15 年目
になります。 SIS の EDC (English Drama
Club)は他校から毎年「発音がきれい」「英
語が滑らか」などの評価をもらっています。
一時は参加校が 10 校を超えた年もありましたが、 最近では2、
3校で集まるささやかな発表会となっています。
今年の EDF の参加校は、 開催当初から毎年参加してくれて
いる長野高校、 今年が初めての参加だった西浦高校、 そして
SIS の 3 校でした。 長野高校は “Snow White” を、 西浦高
校は “The Wizard of Oz” を、 SIS は手塚治の漫画 「火の鳥」
を英訳/脚本化した “The Phoenix” をそれぞれ発表しました。
長野高校、 西浦高校、 どちらの発表も衣装から小道具まで念
入りに用意され、 見応えのあるものとなっていました。
さて SIS の EDC では過去の劇の多くがコメディーであること
を振り返り、 今年は真摯なテーマの劇に挑戦してみようという
理由から、 生命の神秘や人間の絆を繊細に描いた手塚治の
漫画 「火の鳥」 を選びました。
今年は久々に新入部員が一人増えたこともあって、 いつも
以上に練習に熱が入っていた気がします。 今年は劇の台本
が用意できるまでに時間がかかり、 その分短い時間で劇を仕
上げなければいけなかったのでいつもより大変でした。 しかし
そんな大変さなどは横目に、 いつも通り笑いの絶えない EDC
でした。 毎年思うのですが、 この笑いが EDC の部員皆に劇
を演じる楽しさ、 そしてやりがいを保障している気がしてなりま
せん。 これからも EDC が笑いの絶えない場所であり続けるこ
とを心から願っています。
最後になりましたが、 照明 ・ 音響をやってくれた裏方の皆さ
ん、 その他ご協力をいただいた方々、 本当にありがとうござい
ました。
心臓停止 ・ ・ 最初の3分何をするのか?
弥永千穂
スクールナース
9 月 9 日は救急の日でした。 学校に AED 〔自動体外
除細動器〕 を設置してから約2年が経ちます。 幸いにも
一度も使用することがなくてすんでいます。 みなさんは
AED ってもう知っていますか? AED はいろんな公共施設
でも見かけるようになりました。 例えば北千里の駅にもお
いてあります。 AED は心臓にショックを与える器械です。
テレビドラマなどでも医師が心臓のとまった患者さんへ
使っていますよね?心臓は電気信号で正しく動き血液を
全身へ送っています。 その電気信号が何らかのかたちで
乱れたら心臓はけいれんをおこすだけで血液をおくること
ができません。 例えば、 胸に強いボールがあたって倒れ
て意識、 呼吸がない場合などは十分その可能性が考え
られます。 その時にこの AED ですぐにショックが与えられ
れば、 心臓の動き 〔電気信号〕 が正常に戻り、 命が救
われる可能性が高くなるのです。 AED は誰でも使えるシ
ンプルな器械です。 この器械についているパッド 〔シップ
のようなもの〕 を胸に貼り付けます。 器械は心臓がけいれ
んしている状態 〔心房細動〕 を確認して 「ショック」 を与
えるための充電を行います。 そうして初めてショックボタン
が使えるようになります。 (必要がない時にショックボタン
を押してもショックを与えることはできません。) 有効になっ
たショックボタンを救助者が押せば、 ショックを与えること
ができます。 心臓が止まった時は心臓マッサージと AED
が必要です。 そして何よりもタイミングが大切です。 救急
車を呼んでも到着まで平均 7 分くらいかかります。 そして
心臓が止まって 4 分たつと脳細胞はダメージを受け始め
ます。 最初の 3 分以内に救急車・助けを呼ぶ、AED 手配、
そして心臓マッサージを始めることが大切。 これは救急隊
やスクールナースではできないことです。 その場にいた人
がその人の運命をにぎってしまうのです。 身近な大切な
命を救うことができるかもしれない手段が救命法 (CPR、
心肺蘇生) です。 もう CPR を習った人はたまには復習を、
そしてこれから勉強する人はぜひ関心をもって身につけ
てもらえればと思います。 身近にあるAEDをぜひ見つけ
てみてください。
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I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
2 0 0 7
N o . 1 1 3
ふれあい交流学習 (保育実習) を終えて
泉田真由美
生活科学科
6 月 6 日と 13 日の 2 日間に分かれて、 保
育の授業内でのテストを無事パスできた 14
名の生徒を連れて小野原学園に行ってきま
した。 昨年に引き続き、 2 回目となるふれあ
い交流体験ですが、 ほとんどの生徒にとって
は、 初めての体験で、 保育園に着くまでは、
期待と不安で緊張している様子も見られまし
た。 園では、 自分で製作した絵本を持って
各年齢毎のクラスに1~2名ずつ担当者とし
て園の先生方の指導を受けながら、 午前中
の園生活を体験しました。 園児達の元気いっ
ぱいの笑顔や声を前にして、 最初は戸惑い
も感じられたようですが、 すぐに打ち解け、
帰りのバスでは、 皆やり遂げた達成感と程よ
い疲労感で満足そうな顔ばかりとなりました。
少子化が進む現在、 高校生にとって日常
生活の中で、 幼い子と接する機会が非常に
少なくなってきています。また、虐待やいじめ、
ひきこもりなど、 子どもたちが社会の中でかか
える悩みや問題も深刻になってきており、 一
人ひとりの子どもが、 望まれて生まれ、 健や
かに育てられる社会でなければ、 未来に希
望と誇りをもって生きていくことは困難となると
予測されます。 子どもの人権が保障され、 子
どもが真に大切にされる社会であるために、
乳幼児と実際に接する体験学習が、 今、 高
校生に必要であり、 またそれは生徒自身を
発達させ、 新しい体験として、 人とかかわる
力を育てることにつながると思われます。 実
際に保育園を訪問し、 一緒に遊ぶなどのふ
れあいの体験を行うことにより、 乳幼児のあり
のままを見つめ、 子どもと接し遊んだり、 頼り
にされたりすることに喜びを感じ、 子どもの行
動のおもしろさや素晴らしさに気づく体験を、
高校生のこの時期にぜひともしてほしいと思
い、 ふれあい交流学習を始めました。
「愛について」
古岡祐輝
高等部3年
先日、 0才から1才の子供たちが通う保育
園のひよこ組に行ってきました。 そこで、 僕
は心の温まる、 何にもかえられない体験をし
てきました。 ひよこ組に入ってすぐ、 僕に近
づいてきてくれ、 下手で不器用ながら、 その
日、 お世話をした、 たつや君とたつや君から
学んだことについて書きたいと思います。
たつや君は、 そのときまだ生まれて11ヶ月
28
で、 やっと、 たてるようになったような、 ひと
みがとても大きく、 とても元気で、 とても可愛
い子でした。
き~色とくろ色のしまもようのふくをきていた
たつや君、 あの愛らしい手をもつたつや君、
僕にむかってころびそうになりながら歩いてき
てくれたり、 抱きついてくれたたつや君、 お
もちゃをわたしてくれたり、 とりかえしたり、 ほ
かのおもちゃをくれたたつや君、 おむつをか
えるとき、 あばれたり、 ぼうしをいくらかぶせ
ても、 ぬいでなげたりしたたつや君、 ごはん
をあげるとき、言葉にならない、宇宙語 (喃語)
で、 いや、 たつや君にとっては意思表示で、
「おちゃ」 (?) と言って、 おちゃを飲ませて
あげたら、 いっぱいのんだたつや君、 なか
なかいすにすわろうとせずにあばれたたつや
た、 子供たちは結構重たくて、 腕が疲れまし
た。 でも、 たつや君と過ごした一日はとても
楽しかったです。 たつや君の愛らしい笑顔を
みて、 心が和み、 その時、 悩んでいたことを、
くだらないものにしてくれました。 たつや君の
ためなら、 何でもしてあげられるような気がし
ました。
泉田先生は、 「育児」 は 「育自」 でもある
とおっしゃいました。 まさにそうだと思いまし
た。 子供たちの顔を見たり、 寝かせたり、 一
緒に遊んだりすると、 自分も昔はこんなに小
さかったのかなと思い、 育児の大変さを思い
ながら、 色々と考えさせられました。 子供た
ちから学ぶことはとても多いと思いました。
たつや君、 元気に育っていってほしいな。
「保育実習を経て」
君、 いっしょにすべり台をすべったたつや君、 山本 舞
僕の不注意であたまを2度ゴツンとうって、 な 高等部3年
きそうになったけれど、 なかなかつよく泣かな 私は昔から嫌いの域に達するほど子どもが
かったたつや君、 パジャマに着がえさせてあ 苦手だった。 何を喋っているのか、 何が言
げようとしたら、 なかなか着ず、 いやがって、 いたいのか、 何を求めているのか、 何が楽し
にげようとした、 でも、 結局着てくれた、 でも、 くてボールや砂場で遊ぶのか、 私はさっぱり
僕がパンツを前後逆にはかせてしまっていた 理解できなかった。 何が気に食わないのか、
ので、 保母さんに一瞬で着がえさせられてし 大声で泣いている姿を見るとイライラすること
まったたつや君、 ねむらせようとして、 抱っこ もあった。 自分は絶対に一生子どもとは関わ
したとき、どこかへんなところをみて、キョロキョ りの無い人生を送りたいと思っていた。しかし、
ロしていたが、 目をとじたり、 あけたりをくりか 私は先学期、 child care の授業を選択した。
えして、 また、 あくびを何度かして、 ねむっ 子どもについて勉強し、 実際に保育園に行っ
てしまった、 さっきの元気はどこにいったの? て子どもと触れ合うという子供尽くしの授業で
と言いたくなった、 僕の腕の中でねむった、 ある。
あの優しく穏やかな愛らしい寝顔をもつたつ この授業を選択しようと思ったきっかけは、
や君、 以上全てをひっくるめて、 僕はたつや 以前授業を受けていた友達がとても楽しそう
君のことが、 忘れられません。
だったからだ。 別に子ども嫌いを克服したい
たつや君が僕の方に向かってきてくれた とか、 将来の為を思って選択したわけでは決
時、 勘違いかもしれませんが、 僕を選んでく してない。 楽しく単位が取れればいい。 それ
れたのではないかと思うと、 嬉しかったです。 だけであった。
たつや君は僕のことなど全く覚えていない 授業は、 一通り子どものことを勉強し、 テス
でしょうが、 僕は、 たつや君のことをよく覚え トに合格して保育実習に行くという流れだっ
ていて、 よく思い出します。 これを俗に恋と た。 なんとかテストは合格だった。 保育園の
いうのでしょうか、 いや ・ ・ ・ 。 僕には、 はっ クラスは0歳から5歳のクラスがある。 私は5歳
きりとはわかりません。
児のクラスを選んだ。 5歳なら、 ある程度こち
たつや君と一日一緒に過ごして、 短い体 らの言っていることが理解できるだろうと思っ
験でしたが、 少しは育児の大変さを知ったと たからだ。 そして、 教室で絵本を読んであげ
思います。 小さい子達は、 とても危なっかし て、 お昼寝して終了。 しかし、 実際に保育
いので、 いつも傍にいて、 目を離さずにい 園に行って、 その考えは甘かったのだと思い
ないと、 とても心配でハラハラしたし、 それ 知らされた。園庭で奇声を発しながら走り回っ
に、 抱っこしてあげることも、 おむつをかえる ている園児たちはどう見ても5歳児クラスの子
ことも、 全てが新しい体験で、 最初は何をど ども達である。 私は、 走ったのは一体何年
うすればいいのか分からず、 悩みました。 ま
(次ページ★に続く)
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高知県遠征アクアスロン、 大会新記録で優勝
馬場博史
ランニングクラブ・トライアスロンクラブ顧問、 数学科
■ 「いごっそうアクアスロン」 大会新記録
で優勝
7/29 (日) 高知県幡多郡黒潮町で開催。
本学園から 22 名が参加。 炎天下でまさに灼
熱のレースでしたが、 一般リレーの部は大会
新記録で優勝、中学生は男女2名ずつ入賞、
他の参加者も厳しい暑さの中で奮闘しまし
た。 また特別に団体賞も受賞し、 副賞として
本場のカツオのたたきをいただきました。 以
下に感動のゴールをした阪上夏希さんの感
想文を紹介します。
今回の大会は私にとって初めてのアクアス
ロンであり、 やったことのないような長距離で
もありましたが、 本当に有意義で貴重な経験
ができました。 前夜のカツオパーティーから
始まり、 帰りのバスが出る間際まで地元の人
たちの暖かさに触れていたように思います。
景色も食べ物も雰囲気も良く、 素晴らしい地
域だなぁと思いました。 もちろんレース自体
にも達成感はありましたし、 先生をはじめ多
くの人に励まされてのゴールは感動ものでし
た。 しかし私はそれと同じぐらい、 あの土地
の空気が魅力的でした。 是非次回も参加し
たいです。 次はもう少しタイムを縮められるよ
うにして…。 関わられたすべての人に感謝し
ます。 ありがとうございました。
中学個人 ( 一人で Swim 200 m + Run 2
km) 女子2位鍋島詩織、 同3位櫛野弘
奈、 男子2位藤見洋佑 ( 以上 SIS7)、 同
3位馬場健人 (OIS8)、 岩田彩沙、 萓嶋
智、 楢木耀 ( 以上 SIS7)
一般個人 ( 一人で Swim 1500 m + Run
10 km) 阪上夏希、 高橋直人、 上田祐
樹 ( 以上 SIS10)、 小澤悠、 春名暢、 津高毬
絵、 小林朋世 ( 以上 SIS11)、 宗正久志、 馬
場博史 ( 以上 Faculty)
一 般 リ レ ー ( 二 人 で Swim 1500 m と Run
10 km) 優 勝 中 島 徳 市 (SIS12) & 佐 藤 直
仁 (Coach)、 吉 積 彩 (SIS12) & 岡 本 茉 莉
(Faculty)、 森 岡 瑛 美 (SIS10) & 為 岡 稚 子
(SIS10)
■キッズジュニアトライアスロン浜寺公園
8/26 (日) 厳しい暑さの中で3名が完走し
ました。
中学 (Swim 300 m, Bike 9 km, Run 3 km) 男 子 7 位 馬 場 健 人 (OIS8)、 9 位 田 和 良 馬
(SIS8)、 平田透 (SIS7)
■吹田市長杯トライアロン
9/2 (日) 千里北公園で開催。 本学園か
ら生徒 ・ 教員 ・ 保護者 27 名が参加。 残暑
厳しい中でののレースでしたが、 9名が入賞
しました。
中学 (Swim 500 m, Bike 10 km, Run 2.8 km)
<入賞>男子1位池田憲治 (SIS9)、 3位藤
見洋佑 (SIS7)、 女子1位中野華奈江、 2位
吉積悠 ( 以上 SIS9)、 3位櫛野弘奈 (SIS7)
<他の参加者>鍋島詩織、 岩田彩沙、 萓
嶋智、 楢木耀、 廣井洸司、 平田透 ( 以上
SIS7)、 田和良真 (SIS8)、 Kento Baba (OIS9)、
藤井資也 (SIS9)。
高校以上 (Swim 1000 m, Bike 20 km, Run 5.6
km)
<入賞>一般男子2位小澤悠 (SIS11)、 一般
女子2位津高毬絵 (SIS11)、 壮年男子2位馬
場博史 (Faculty)、 3位中野隆司 (parent)
<他の参加者> James Freijah (OIS10)、 森
岡瑛美、為岡稚子、高橋直人、上田祐樹 ( 以
上 SIS10)、 亀井潤、 春名暢、 小林朋世 ( 以
上 SIS11)、 Raymond Terhune (OIS12)
実習が終わった後、 私の中にはなんとも言
えない充実感があった。 最後までイライラが
消える事は無かったが、 それを越す何かが
私の中にあった。 解ったことは、 子どもは同
じ目線になればこちらの意図を理解し、 心を
開いてくれるということだ。 私は他人と同じ目
線で物事を考えようなど、 思ったことが無かっ
た。 所詮、 他人は他人で目線などでは解り
合えない大きな壁があると思っていたからだ。
しかし、 目線を合わすだけで子ども達とは仲
良しになれた。そして優しい気持ちになれた。
私はこの実習で、 今まで私に欠けていた何
かを得た気がする。
◇
この授業は、 選択授業であるため、 もとも
と異世代である乳幼児に興味 ・ 関心をもった
生徒がほとんどでしたが、 この学習を通して、
さらに乳幼児理解を深め、 言葉本来の意味
でのケア (care) する力 (単に物理的な世
話だけでなく、 相手を気遣い心配する気持
ち) や幼い子どもと交流する力を身に付けて
帰ってくることができました。
学習に取り組む中で、 異年齢である乳幼児
を理解し、 思いやりや温かな心を育み、 ひ
いては、 人間の一生の中で高校生としての
位置づけを考えながら、 人間の成長、 発達
とそれにかかわる家庭や社会を認識すること
は大変意義深いことであると改めて感じまし
た。 皆さんの今後の人生において、 何らか
の形で今回の経験を生かしていってほしいと
思います。
最後になりましたが、 前回に引き続き実習
を受け入れてくださった小野原学園の皆様、
並びに授業等でご迷惑をおかけした先生方
に、 改めて感謝いたします。 ありがとうござい
ました。
恒例の吹田市長杯トライアスロン
(★前ページの続き)
前だろうか ・ ・ ・ という程のインドア派だから
である。
子ども達は元気という言葉では収まりきらな
い程、 元気だった。 次から次へと遊びを考
え、 引きずり回された。 そんな中で、 当然
子ども同士の喧嘩が勃発するのだ。 順番が
どうだの、 次は私と遊ぶだの、 実に小さな事
だ。 しかし、 彼らにとっては一大事なのだろ
う。 泣くは喚くはで、 私は困った。 正直、 イ
ライラは最高潮だった。 しかし、 そこに保育
園の先生が来ると、 状況はビックリする程変
わった。 先生がなだめると子ども達は素直に
謝り、 笑顔になって仲良しに戻るのだ。 先生
の力にも当然驚いたのだが、 子ども達の素
直な態度にはもっと驚かされた。 まるで 「ご
めんね」 「いいよ」 が魔法の言葉の様に感じ
られた。 そして、 そんな素直な子ども達を見
て、 初めて子どもが可愛く思えた。
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保護者会だより
保護者会活動報告 ・ 予定
PARENTS
● 「 保護者会だより」文責 : 保護者会 Public Relations Committee
ホームページアドレス http://www.sispa.jp
メイプルホールにて、お菓子と飲み物
催されました。
保護者会の活動を次の通り報告いたします。 のサービス。3行事とも、ボランティ
春学期中に開催されたため、新7年生
■Board
アの方に協力していただき、感謝して
や新入生の方が学校についてわからな
◎第一回定例会
おります。
いことを聞き不安を軽減される機会に
6月7日 ( 木 )10:30 ~3階会議室
10 月 25 日(木)
、
26 日(金)
、
27 日(土) なったり、長い夏休みの過ごし方につ
と 11 月 15 日(木)
、16 日(金)
、17 日 いての情報交換、この春卒業されたO
学校から大迫校長先生とルイス事務長
のお話と各委員会からの活動報告。
総会での補足―質問やその他―につい
(土)APACがあり、
ランチやバンケッ
トのサービスをします。
Bの方の進路状況や留学についてな
ど、和やかながらたくさんの情報交換
の場になったようです。
(学校の話だ
て話し合いました。
◎第二回定例会
■ International Fair Committee けにととどまらず、趣味のお話やお店
9月 13日 ( 木 )10:30 ~3階会議室
今年度のインターナショナル フェア
の情報交換にも花が咲きました)
学校から大迫校長先生とルイス事務長
は 11 月 23 日(金・祭)です
引き続きOIS保護者の方の参加も考
のお話と各委員会からの活動報告。
テーマは題して
慮し、OIS保護者へも親睦会の情報
「Around the World」
◎第三回定例会
を随時案内していく予定です。
10 月4日(木)10:30 ~3階会議室予定
世界各国の文化に触れながら みなさ
なお、年度途中の参加や脱会・移動も随
*秋学期は APAC・インターナショナル
んと共に楽しいひとときを過ごしたい
時受け付けていますので、参加を検討中
フェア・メイプルホールでのコンサー
と思っております
の方や転入された方など、お問い合わせ
トなど、ボランティアを募集する機会
<今後の予定>
はお気軽に保護者会ネットワーク委員会
が増えます。より多くの方の参加をお
9月 13 日 OIS&SIS合同IF委員会
07network@sispa.jp または学校玄関付近
願いいたします。
14 日 両校長よりフェアに関する
にある保護者会BOXにご連絡ください。
*定例会は保護者の方のどなたでも出
お手紙・フェアお知らせとご協力
また、学年活動としては、全学年で春
席していただけます。たくさんの方の
のお願いの手紙・出店申込書・飲
学期中に親睦会が開催されました。
参加をお待ちしています。
食ブース出店希望の方々へ計 4 枚
*スクールカレンダーにミスがありました。
のプリント配布
◎第四回定例会
10 月4日 IF委員会 (誤)11 月 2 日(金)→(正)11 月 1 日(木) ◎エコチームより ■ Hospitality Committee ■ Public Relations Committee 5月 インターカルチュア5月号発行・
6月号編集・校正。ホームページ運営。
今年度はリユース食器を購入すること
5月2日授業参観での感想募集
に決定
6 月 イ ン タ ー カ ル チ ュ ア 6 月 号 発
行・ホームページ運営。6月 12 日高
6月8日(金)カフェテリアにて、
スポーツバンケット(110 人)にバケッ
■ Network Committee 等部春季コンサートでの感想募集
トサンドと飲み物のサービス。6月 10
5月下旬に地域ネットワーク参加希望
日(日)Education EXPO カフェテリ
の方に地区名簿を郵送しました。
アにて、来賓者および参加者にお菓子
地区リーダーさんを中心に、7月上旬
7~9月 インターカル
チュア 10 月号編集・校正・
特集記事編集作業。ホー
ムページ運営。
と飲み物のサービス。6月 12 日(火) までに 24 地区中 14 地区で親睦会が開
保護者会ホームページご覧いただいていますか? http://www.sispa.jp ●保護者会室および保護者会の備品の貸し出しを行っています。
借りたい方は、yoyaku@sispa.jp 宛てに
1.いつからいつまで 2.だれが 3.何のために 4.何を 借りたいのかを明記の上、メールにてお申し込みください。追って貸し
出し担当よりお返事させていただきます。最新の予約状況は、ホームペー
ジのメインメニューの“SISPA カレンダー&予約”でご覧いただけます
ので、重複しないかどうかをご確認の上お申し込みください。
●各委員会宛のメール連絡先はこちらです!!!
Board → 07board@sispa.jp InternationalFair → 07fair@sispa.jp
Network → 07network@sispa.jp PR → 07pr@sispa.jp
Hospitality → 07hospitality@sispa.jp
●各学年委員の代表宛のメールアドレスができました!!!
たとえば7年なら sis07@sispa.jp 12 年なら sis12@sispa.jp
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保護者会における 個人情報の保護に
関する方針について(掲示)
基本方針
1.個人情報は責任を持って、安全
かつ正しく取り扱う。
2.第三者に漏れないよう管理をする。
3.利用目的にのみ使用する。
4.個人情報の取り組みは、継続して
見直しを行い、改善を図る。
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いよいよ 11 月 23 日(金)開催!
~インターナショナルフェアのお知らせとご協力のお願い~
今年のテーマ:Around the World
秋学期が始まり、いよいよインターナショナルフェアに向
けて、準備をする時がやってまいりました。
本年のテーマは です。
『Around the World』
今年は、世界陸上がここ大阪で開催され、また来年は北京で
オリンピックが開催されます。世界に目が向いている今年は、
出店ブースやエンターテイメントに本校の特徴であるイン
ターナショナルな雰囲気をより前面に出していきたいと考え
ております。また、一昨年からのテーマであるエコ活動に関
しても、引き続き行っていきますので、どうぞご協力お願い
いたします。インターナショナルフェアは、OISとSIS
が協力して取り組む大事なイベントです。先生方、生徒達が
日頃実践している「Two School together」の精神を私達保護
者が表現できる場でもあります。両校の発展の為、今年もイ
ンターナショナルフェア委員そしてSIS/OIS保護者全
員で力を合わせて、フェアを成功に導いていきましょう!皆
様のご協力をよろしくお願いいたします。
◆◆ ブース出店募集! ◆◆
各国の特色ある料理、菓子、クラフト品、ゲームなど出店
してくださる方を募集します。今年のテーマ
「Around the World」を意識して、
来場者が「異
文化」を体験できるようなブースを学年、個人、
グループでぜひ出店してください。出店して下
さる方は、10 月5日 ( 金 ) までにご連絡をお
願いします。
◆◆ エンターテイメント募集! ◆◆
フェアに花を添える大事なエンターテイメントを募集します。
今 年 は よ り 国 際 色 豊 か な 音 楽、 ダ ン ス な ど の パ
フォーマンスの披露をお願いいたします。出演し
てくださる方は、10 月 12 日 ( 金 ) までにご連絡
をお願いします。 ◆◆ 寄贈品募集! ◆◆
寄贈品は、
今年も新品とリサイクル品を募集します。値段付け、
ラッピングはこちらにお任せ下さい。10 月中旬頃から、玄関
に収集ボックスを設置いたします。ぜひ、家庭に眠っている
良品のリサイクルに協力してください。 ◆◆ エコに関するお知らせ ◆◆
ゴミゼロのフェアを目指し、一昨年より借りていたリユース
食器を本年度はフェアの売上金により購入することを決定い
たしました。自前の食器を持つ事により、借りるための煩雑
な手続き、大量の食器の運搬、洗浄〈学校外での施設における〉
のための人手の軽減が実現できます。またフェアのみならず、
学園祭にも貸し出しできますので、生徒たちの環境問題への
関心も深まるということで、学校からもご理解をいただいて
おります。
いずれも連絡先は、配布済みのプリントを参照して下さい。
プリントがお手元にない方は、07fair@sispa.jp まで。
♪6月 12 日 高等部春季コンサートに寄せて♪ ★いつも素晴らしい演奏を聞かせていただいて感動して
います。昨年から自分の子供も出演側になり、また違った
視点から聞いています。長く続けてほしいです。( 楢木千春 SIS7・10 年保護者 コンサートに行ったのは6~7回目 )
★ It was amazing concert as I expected! (M.Taya 11 年生の Grand Mother 2回目 ) ★音楽会開催おめでとう
ございます。興味深い曲を選んでおられいつものことながら感心します。今回はバイオリンのソロの演奏を楽しみに
来ました。勉強だけでなく、多方面に頑張っている生徒さんたちに心から拍手を送ります。 ( その他 5回目 ) ★校
長や先生方から聞いていましたが、コーラス・ストリングス・ブラス全てにわたってこれほどレベルが高いとは思って
いませんでした。しかし技術以上に感動したのは楽しみながら生き生きと演奏する学生達そして先生達の姿でした。昔
ブラスバンド部にいた私にとって“演奏”とは“音を楽しむ”ではなく修行の場でしたから。演奏後のセレモニーも
暖かくてよかったですね。休憩時のロビーも度々聴きにいった外国でのコンサートを彷彿とさせ・・・、心から癒さ
れた一夜でした。サーブされていたPA委員に感謝、そして巣立っていく学生達に光り輝く未来を! ( SIS7年生
保護者 初めて ) ★今回初めてメイプルホールでのコンサートを拝聴させて頂きましたが、ハイレベルなパフォーマ
ンスに深く感動致しました。美しい歌声と共に素敵なダンスも披露して下さったコーラスの皆さん、正統派クラシッ
クの繊細な魅力を再認識させて頂いたストリングス・アンサンブルの皆さん、ダイナミックな演奏を堪能させて頂い
たウィンド・アンサンブルの皆さん・・・。スプリング・コンサート 2007 の成功はメンバーの皆さんお一人お一人
の日頃の弛まぬ練習&熱い音楽への愛情と Music Faculty の先生方の素晴らしいご指導、ご努力の賜物と確信致して
おります。今後も皆様方の更なるご活躍を心よりお祈り致しております。本当に楽しいひと時を有難うございました!
(土居 SIS 10 年生保護者 初めて )★毎回楽しみにしています。その年の特色がよく出ている内容でとても見ご
たえがあります。昨年のコーラスはエイパックコーラスに参加したこともあり、バラエティーが豊かで見る目も楽しめ
てコーラスも聴き応えがありました。今年は“風になりたい”がとても聴き応えがありました。パフォーマンスもゆか
いでした。ストリングスの選曲も楽しかったです。バンド演奏はとても迫力があり聴き応えがありました。親しみのあ
る選曲でよかったです。
「蛍の光」も「屋根の上のバイオリン弾き」も聴き応えがありました。OISの卒業生のメッセー
ジも毎年楽しませてもらっています。学生と教師のふれあい、きずなが感じられて胸にジーーーンとくる光景です。イ
ンターナショナルらしい味わいあるものです。生徒のマナーも毎年よくなっています。
(SIS 12 年生保護者 オーケ
ストラ・バンドメンバーになってから毎回見ています)★先日のコンサート素晴らしかったです。私も感動しました。
コーラス。。ハーモニーがとても綺麗でした。振り付けも可愛かったですね。ストリングス。。バイオリンのソロの
音がホール中に響いていてそれに合わせた皆の音が素敵でしたね。ブラスバンド。。音の迫力に感動でした。全
体を通してですが音楽も授業の成果を披露する場所がある(あんなに音の響きの良いホール)という事に感
動しました。子供達のはつらつとした笑顔が印象的でした。(廣澤 SIS7年生保護者 )
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2007 年度PRコミッティ特集記事
卒業生は今? Vol . 1 ~ 昨年度卒業生からの便り ~
これまでのインターカルチュアで何度も取り上げられている、“生徒たちの大学選びや卒業後の進路”ですが、子供たち
の進路を考える上で、やはりいつも私たち保護者が一番気になるのは、SIS卒業生が、どういう選択をして、どうい
う人生を送っているのかということではないでしょうか。
今年度もシリーズとして4回に分けて卒業生達の進路を追っていきたいと思います。
一回目は、今年卒業した生徒たちがどういう大学生活を送っているか、質問形式で聞いてみました。
Q1. 大学生活を始めての感想
Q2. 一人暮らしの人は、暮らしぶりを教えてください Q3. うちの大学ここが“ウリ”です
Q4. SISで学んだ事で、役にたっている事
Q5. 参加してるクラブ活動やその他の活動
Q6. SISの生徒達へのアドバイス
但し、これにとらわれることなく自由に書いてくれている人もいます。
二回目以降は、昨年以前の卒業生や海外留学した卒業生の話を予定しております。 (PR委員 矢野 祐利香 )
辻 梨沙さん
慶ではなく)戦”での応援や、諸活動の
積極性や主張性も養うことができ、それ
中で感じる愛校心の強さと、自然に囲ま
もまた、私の大学での学びに非常に役
(慶応義塾大学 総合政策学部) れた広いキャンパスが売りだと私は感じ
立っていると感じています。
ています。応援歌である「若き血」も入
また、SISではライブラリーでパソ
A1. 私は大学に入学してから、様々
学してすぐに行った野球の慶早戦で覚
コンが貸し出されていたり、パソコンを
な価値観を持った人と触れ合ってきまし
え、全員が一体となってチームを応援す
利用して課題に取り組んだりなど、コン
た。私の通っている総合政策学部は、
「何
る時に感じられる“団結感”が私はとて
ピューターに触れる機会が多く与えられ
を勉強する学部」という枠にとらわれず、 も好きです。また、キャンパスに関して
ていると感じます。ですが、
このように、
は、授業の合間(
“アンスケ”
)には、皆
SISでは当たり前に身に付くパソコン
て、それにそった学習計画を創り入学し 「鴨池」と呼ばれる池の周りの芝生に集
の知識も、世間的に見た時、多分皆さん
“カモる”
(ピクニックのような
てきます。そのため、どのような経緯で、 まって、
が思っているほど「あたりまえ」ではあ
一人一人がそれぞれ自分の課題をあげ
その課題に興味を持ったのか、などの話
感じでそれぞれが自由に時間を過ごしま
りません。
をしたりすることがとても新鮮で楽しい
す)のですが、勉強で疲れた頭を休める
その他には、SIS自体の学習システム
です。私自身も、このような学習計画を
には最適です。
が大学のものと類似しているので、大学と
進めるやり方はSIS時代にも行い、変
また、キャンパスは 24 時間解放され
いう新しい学習環境にもすぐに慣れること
わっていないのですが、必修科目が少な
ており、“残留”といって、生徒は徹夜
ができたのが良かったと感じています。
いことから、自分の興味のある分野を自
で課題を仕上げることや、プレゼンテー
由に学習できるので、楽しんで勉強をし
ションの準備をすることができます。グ
A5. 私は現在、ラグビーサークルのマ
ています。
ループでの残留中には、息抜きに、夜中
ネージャーをしているのですが、そこで
キャンパス全体を使って鬼ごっこをする
はいろんな学年の人たちと交流ができる
A 2. はじめは、一人暮らしなんて怖
こともあり、郊外であるからこその魅力
ので、とても楽しいです。また、以前行っ
いし、孤独なのではないか、と不安に思っ
を多く備えている場所であると感じてい
ていたYMCAでのボランティア活動も、
ていました。ですが、私は大学の最寄り
ます。(野菜を育ててバーベキューを楽
9月から再開しようと考えています。
駅に住んでいるということもあり、近く
しむサークルなどもあり、大変人気があ
私は大学に入学して、英語を使う機会
には多くの友達が住んでいて皆同じよう
るようです)
が極端に減ってしまったので、アルバイ
な環境で生活しているので、その不安感
トは、ネイティブスピーカーの先生と触
は少しずつなくなってきました。毎日誰
A4. 大学に入学してまず驚いたのは、 れ合う機会がある某英会話学校の受付を
かの家に集まって晩御飯を食べたり、勉
私にとって当たり前であったパソコンの
強会を開いたり、Movie night を開いた
知識や、プレゼンテーションに対する免
りもしています。地域全体が一つの寮の
疫力を、他の高校の出身者はあまり持っ
A 6. 大学を選ぶということはすごく難
ような感じで、今は孤独感は無く、一人
ていないように感じられたことです。私
しいことだと思います。異なる魅力を持っ
暮らしをかえって楽しんでいます。
はSISに入学した当初、
「プレゼンテー
た色んな大学の中から選ぶわけですから、
ション恐怖症」と自称していたほど、人
悩むこともすごく多いと思います。そこ
A 3. 私の通っている大学(慶應義塾
前で話すことが苦手でしたが、SISで
でまず、当たり前と言われてしまうかも
大学湘南藤沢キャンパス)は、
“慶早(早
の学びを通じて改善され、
それと同時に、 知れませんが、オープンキャンパスに参
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して、それを補っています。
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加されることをお勧めしたいです。とい 「大学入ったらめっちゃ幻滅するよ」と
そしてAPUは英語学習にも力を入れて
うのは、私自身はキャンパスに一度も足
いろんな人に言われましたが、私のAP
います。全体的にレベルや求められるも
を運ぶことの無いまま、現在通っている
Uでの大学生活はあまり幻滅することが
のも高いので、私は今回英語を落とさ
大学を受験し、面接の際にキャンパスを
ないぐらい充実もしています。
なくて本当に本当にほっとしています
訪れた時、あまりの田舎さに驚かされま
大学という場所は、自ら行動すればど (笑)
。
した。結果的には正しい選択をしたと感
んなことでもできる所なのだととても感
それぞれ授業によっては、英語開講、
じていますが、パンフレットに載ってい
じました。授業をはじめサークル、課外
日本語開講とあり、授業も国際学生と共
る写真と、実際のキャンパスは違います。 活動、大学では探せば本当にいろんなこ
に受けています。そういう意味ではイン
また、逆に、あまり興味の無かった学校
とに参加することができます。けれど
ターナショナルな中で学ぶことが出来ま
でも、キャンパスが気に入るということ
じっと待つだけではチャンスはこない
す。でも英語のレベルは本当に人それぞ
も考えられるので、まずは大学に足を運
し、誰も助けてくれない自己責任の世界
れなので、その中でどうがんばるかは、
んで、雰囲気を感じてみてください。
なのだとも感じました。
積極性も含めすべて自分自身で決まると
あとは、自分に自信を持ってください。
思います。英語がまったくできない人も
私はAO受験を選択しましたが、AO受
A 2. 一人暮らし=自由だと私は思い
いるし、逆に日本語ができない人もいる
験は自分を模索すると同時に、自分を見
ます。門限もないし、口うるさくいろい
環境がAPUです。
失いやすいものでもあると、実際に受験
ろ言われることもなく、全て自分が好き
あと、大学自体が山の上にあって、大
してみて感じました。
なように行動でき、とても一人暮らしは
大大自然に囲まれているうえ、学校から
SISにはステキな個性を持った人が
楽しいです。
別府の町が一望できます。APUから見
集まっていると感じるので、大学の求め
もちろん自由な分、すべてが自己責任
る夜景はとてもきれいです。
る学生像に自分を作り変えてしまうので
になるのも事実です。SISと、この部
はなく、自分らしさを常に大切にしてほ
分は一緒だと思いました。家事全般から
A 4. 数 え 上 げ た ら キ リ な い し、 全
しいです。
自分の体調管理、日々のこと全て自分で
部 ! って言えるけど、一番は自分の意見
やらなければなりません。
を持つことが出来て、それを伝えること
矢野 美穂子さん
私は一人暮らしを始めて、お母さんの
が出来ることだと思います。
「大学生」っ
毎日の大変さに本当に気づかされまし
ていっても意見をもてない人もいるし、
(立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋学部)
た。今まで当たり前に用意されていたも
消極的な人もいます。その中で意見が言
のもないし、
料理にしても掃除にしても、 えるというのはとても大きいことです。
A1. 大学入学してからもう5ヶ月が 「一人分」なのに、まだまだ技術不足で
そしてそれを、人の前で言える勇気もS
すぎようとしています。入学前は大学へ
満足にできていません。これからもっと
ISで身についたことだと思います。
の期待と同じくらい、SISという特殊
きっちり全てきちんとこなせる人になり
それと私がやっていてよかったと思え
な世界から「外」にでるということ、新
たいと思います。
ることは、プレゼンです。うちの大学で
しい土地で一人暮らしを始めるというこ
はプレゼンが多くあり、授業内でのもの
となど、不安だらけでした。
A3. はじめに書いたように、APU
がほとんどですが、授業外でもプレゼン
しかし、入学して過ごしてみて、立命
の生徒の約半数は国際学生(留学生)で
をよくします。
館アジア太平洋大学(以下APU)は想
す。欧米欧州方面だけでなく、アジア、 プレゼンは場数踏めば踏むほど良いも
像していたよりも不安など感じる必要の
中東からの生徒も多くおり、キャンパス
のができると思うから、SISでできて
ない大学というのが正直な感想です。
内では日本語、英語以外の言語も聞こえ
よかったなと思います。
その理由のひとつとして生徒の約半数
るのが「普通」です。宗教も本当にバラ
が国際学生で、SIS以上に国際的な学
バラで、宗教についての知識は絶対増え
A5. 今私は、吹奏楽と模擬国連(M
校ということがあります。英語だけでな
たと思います。イスラム教の人達がお祈
UN)に入っています。どちらもサーク
くさまざまな言語がカフェテリアやトイ
りしている光景もキャンパスライフの一
ル活動の中では忙しいほうで、逆に私の
レなどキャンパス内で飛び交い、また異
部になっていて、入ったばかりの頃は写
大学生活を充実させてくれています。
文化を生活や人とのコミュニケーション
メろうかと思うぐらい驚きました(笑)
。 SISでもMUNを経験しましたが、
の中で感じることができます。
多文化な分、
「個性」を尊重してくれる
大学のものは別物です。英語重視ではな
それゆえ環境はとても良いと思いま
ので、いろんな人がいるし、見た目も意
いし、形式ばっていてSISでの「MU
す。帰国子女であることに壁を感じるこ
見もさまざまでいい刺激になります。
N」を経験していた分、初めは違和感を
とも少なく、SISと似ているので「大
またネイティブの先生も多くいて、英
覚えました。
学」とのカルチャーショック(?)は他
語の先生もいれば、違う学問担当の先生
しかし、大学でのMUNはもっと内容
の大学に比べて少ないと思います。
だったり、事務の人だったりします。
重視で「模擬国連」という意味で、本格
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的におこなっており、国際関係を深く勉
強できます。(SISのほうが世界的に
見たら「本格的」といえるのかもしれな
いけど)知識は確実なものしか使えない
らい英語のスキルを向上していくように
福井 麻友子さん
努めています。自分が積極的に行動すれ
ば、サポートしてくださる先生方が大勢
(関西学院大学 総合政策学科) います。また、三田キャンパスは自然の
ので、その分勉強はとても大変ですが、
中に学校があります。大学周辺にコンビ
国際関係、国際問題について専門的な知
A1. 私は6年間、SISのアットホー
ニもありません
(笑)
。そのため、
バイク・
識が本当に身につきます。
ムな環境の中で生活をしてきたので、大
車通学が可能です。大学近辺に住んでい
そして頭の良い先輩が多いので、とて
学に入り、キャンパスの大きさや、生徒
る生徒だけでなく、大阪から車で通う生
も良い刺激になります。国際関係を勉強
の多さに順応できるか不安な気持ちがあ
徒も多くいます。
4年間も大学に通えば、
するのが好きだから打ち込めるというの
りました。でも私の通う関西学院 三田
運転が間違いなく上手になります!
もあるし、本当にこっちが求めればなん
キャンパスは2学科しかなく、生徒数が
でも吸収できるのだと肌で感じていま
少ないので同回生の顔はすぐに覚えるこ
A4. SISで学んで役に立っている
す。
とが出来ました。顔を覚えることで、講
事は、全てだと思います。どのようにし
吹奏楽も全体としてのレベルはまだ高く
義やサークル活動等で一緒になった時に
て学んでいくべきか、どのように他者へ
ないですが、真剣に練習や演奏できる仲
話しかけやすくなり、1 学期間で友達が
伝えていくべきか、そして自分が何に興
間がたくさんいてとても良いサークル
大勢できました。一方で、4ヶ月間大学
味を持っているのか。SIS在学時によ
です。自分自身にとってもいいリフレッ
に通ってもなかなか慣れないのが、大人
く卒業生から「SISで学んだことは絶
シュにもなるし、私の中でも模擬国連と
数で受ける講義です。SISでは少人数
対役に立つ!比文だって、プレゼンだって、
良いバランスがとれています。
という事もあって、授業中は基本的にと
大学入ったら、やってて良かったって思
なによりどちらもサークル内が仲良し
ても静かで、質問があればその場で先生
えるよ!」と聞いていましたが、いざ自
で、先輩がみんなとても上下関係をあま
に聞ける環境でした。しかし、大学では
分が大学に入ってみて、本当にその通り
り気にしないフレンドリーな人達なので
1度に 200 人以上もの学生が講義を受け
だと思います。授業選択でさえ、SIS
一緒にいてて、とても楽しいです。
るので、集中できる環境とは言い難く、 の時に経験しているので、自分が納得の
教授も生徒の名前を覚えてはいないの
出来る授業の組み方ができ、有効的に時
A6. 大学に入ってSISがどれだけ
で、かなり積極的に行動していかないと
間を使えます。今までに何度も
「積極的」
素敵な環境だったのか改めてわかりまし
疑問点が残ったまま放置しておく状態に
という言葉を使ってきていますが、私が
た。
なってしまいます。私の学科は3回生の
大学で積極的に行動することが出来てい
積極的に何かできる、一人でも意見が
講義から専攻フィールドについて深く学
るのも、SISで「自分が動かなければ
言える、その意見を聞くことができる、 ぶことができるので、2年間の間に様々
当たり前のことのようなのに出来ない人
な分野に触れ、
自分が何を学びたいのか、
が、外に出れば大勢います。
もう一度見つめなおしたいと思います。
今いる環境を大切にしてください。外
ならない環境」
にいたからだと思います。
A5. ボランティアサークルは大学内
でも多々ありますが、海外に家を建てに
にでれば「ない」ものが「当たり前」に
A3. 他大学に比べてネイティブの先
行く、日本内を自転車でこいでアピール
あるSISのなかで一日一日、意味もな
生方が大勢いらっしゃいます。英語の授
をする、こんなユニークなボランティア
くすごすのではなく、いろんなものを吸
業は少人数制で週に4回、SISと同
サークルなんて面白い!と思って入った
収してください。
様、英語で行われます。といっても、生
のが「エコハビタット」です。そして私
いろんな経験ができるSISを満喫し
徒のレベルが色々なので、SISの授業
はサークルに入って4ヵ月後に、家を建
てください。さまざまな授業を取ったり、 内容と比べると物足りないと思います。 てにフィリピンまで行ってきました。私
クラブ活動したり、いろんなことをして
しかし、ここでも積極的にネイティブの
ください。それは絶対損にはなりませ
先生方と個人的に関わっていくことで、 て見る光景を通して、毎日、毎時間、多
ん。自分の興味分野はいろいろなことに
コミュニケーション能力が上がってい
チャレンジするからわかるのだと思いま
くと思います。私もSIS在学時同様、 り、また自分自身やメンバーとその物事
す。進路を決めるのにも役に立つし、大
がっつりと英語を学びたいと思っていた
学に入ってからもずっとその経験は貴重
ので、大学に入り、初めて英語の授業に
なものになります。
出た時は想像していた授業と違い、カル
何度もいうけどそれぐらい本当にSIS
チャーショックの様なものがありまし
は素敵な学校です。
た。でもこのまま4年間、不満を募らせ
その環境をフルに活かして青春を満喫
ていくだけではもったいないと思い、先
してください !
生に個人的にエッセイ等の課題を見ても
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はフィリピンでの初めての経験や、初め
くのことを吸収し、色々なことを感じ取
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について考えるきっかけとなりました。 すが、SISの先生方は本当に経験が豊
たと感じることは、やはり「出会い」の
家が完成したときの皆の笑顔とその家に
富で、色々なことを知っている方ばかり
多さです。やはり大学は人数も規模も千
移り住むオーナーさんの笑顔は本当に最
です。一人や、友達同士だけでなく、先
里国際とは段違いなので、その分様々な
高でした。家建設に行って終わりではな
生方に質問や相談をしてみることで解決
出会いがあります。それはゼミであった
く、行ったことをバネにして先に進むこ
することもたくさんあると思います。一
り、部活動であったり、形は様々ですが、
とが今の私にとって一番大切なことだと
日一日を大切に、SISでの充実した
本当にたくさんの人と出会いました。出
思います。何がどのように違うのか、異
日々を過ごしてください。
会いというのは本当に貴重なものだと考
なった文化の上でどのように改善するこ
とが出来るのか、今回の経験を通して学
んだ「考えていることを行動に移す」と
いう事を実行していこうと思います。
えているので、この大学での出会いは今
田中 亮祐さん
後自分が生きていくうえで非常に有効な
ものになるのではないかと考えています。
(関西学院大学 社会学部)
A 3.やはり関西学院大学のウリといえ
私は他にもダンスサークルに入ってい
ます。入学当初、私はSISでバスケを
私はこの春から関西学院大学社会学部
ば、綺麗なキャンパスと、キャンパス中
していたので、大学でも続けたいと思っ
に入学し、現在通っています。早いもの
央に位置する中央芝生になると思いま
ていましたが、練習時間が合わず悩んで
で入学してからもう3ヶ月近い時間が経
す。
夏の晴れた日ともなれば、
正門を入っ
いました。その時、新歓で house ダンス
とうとしています。
た瞬間に、一面に広がる中央芝生、キャ
を見て、自分もやってみたい!と思い、
ンパスのシンボルである時計台、その後
ダンス経験も無く、知識もありません
A 1.率直に感想を述べるのであれば、 ろにそびえる山々が一望でき、それはま
でしたが、house の音楽と足のステップ
期待していたよりも自分が得られるもの
さに「絶景」と呼ぶにふさわしいものが
が好きという理由だけで、ダンスサーク
が多い部分もあれば、逆に期待はずれ
あります。
ルに入りました。今は学祭に向けてチー
だった部分もあります。
ムを組み基礎練習から振りまでを練習し
先に期待はずれな部分から述べていこ
A 4. 一つ私が強く役立っているなぁと
ています。勉強だけではなく、色々な人
うと思いますが、やはり自分が一番期待
感じることは、
「積極的な発言力」です。
たちと出会えることで、自分自身を磨く
はずれであったのは回りの大学生の勉強
これは、SISで学んだというよりは、
ことができると思います。そのため今後
意欲の低さです。これはやはり特に千里
SISでは当たり前だと思っていた事な
も興味のある活動に参加していきたいと
国際学園出身であるからこそ感じること
のですが、例えばゼミでディスカッショ
思っています。
かもしれません。大学では授業は、主に
ンを行うと、
誰一人として話そうとせず、
大教室で数百人単位で行うものと、小教
話す努力すら見せません。SISでは、
A6. とりあえず、色々なことに挑戦し
室で数十人で行うものの二つに分かれま
授業でのディスカッションは勿論のこ
てください!私は6年間SISにいまし
す。小教室での授業は特に問題は無いの
と、授業外でも、例えばカフェテリアで
たが、あっという間に終わってしまいま
ですが、大教室での授業となると学習環
何か一つ議題があがれば、皆入り混じっ
した。毎日同じ生活に疲れたら、ちょっ
境は劣悪になります。特に私語が酷いで
て議論が始まったりしていました。それ
と気分を変えるために何かのイベントに
す。そしてまた、教授によってはその私
が普通だと思っていたので、大学入学後
参加してみたり、何かの委員をしてみた
語を全く注意せず、無視して授業を進め
初めてディスカッションを行うときなど
り、新しいことにチャレンジをして視野
る人もいます。前列のほうに座らなけれ
は、ある種の「カルチャーショック」を
を広げてください。また授業選択をする
ば、マイクを使って喋っている教授の声
受けました。結局そのディスカッション
ようになると、偏った授業を取るのでは
が聞こえない程私語がうるさい授業もあ
でも、自分が積極的に話しを振っていか
なく、バランスよく取ることを強く勧め
ります。実際自分が大学でであった友人
なければ、ディスカッションとして成り
ます。今、自分が興味を持っている事以
も、講義を平気でサボったり、授業に出
立つかどうかすら微妙なものでした。
外にも、実はもっと魅力的な事を見つけ
ても終始寝ていたり友人と喋っていたり
SISでは、普通に生活しているだけ
ることが出来るかもしれません。もし見
と、千里出身者からは考えられないよう
で、様々な事に「積極的」になれていた
つけられなくても、大学に入って色々な
な態度で授業に臨んでいます。じきに慣
のだと、卒業して大学に行き始めた今改
物事を知っている、経験しているという
れてはきましたが、入学当時はコレがイ
めて思います。自分が大学でであった友
ことはとても有利で、それを活かして先
ヤで授業に出たくなくなっていました。
人は、全てにおいて、
「積極性」に欠け
に進んでいくことができます。そして、 あまりネガティブな事を書きすぎると
ていると感じます。それは授業に対し
英語の授業を取りまくって下さい。SI
皆さんが大学に行きたくなくなってしま
てであったり、部活動に対してであった
Sの英語の授業は他にはないほど、スキ
うのではないかと思うので、ここからは大
り、友人関係に対してであったりと様々
ルをあげるのに本当に素晴らしい環境に
学に来てよかったと思うことを書きます。
ですが、ともあれ、何事も受動的で、自
あります。大学に入ってから常に思いま
大学に来て、現時点で私が一番良かっ
ら動こうという事をしません。逆に、自
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分が物事に対して積極的に動くと、「真
べない、かけがえない、貴重なものです。 ている。積極性や人間力、そして自己
面目やなぁ」とか、「凄いなぁ」等言わ
進路を選ぶにおいては、その学んだもの
管理などの能力は本来大学生活を営ん
れたりします。大学という場所は、自ら
を、さらに伸ばせる環境が整っている所
でいくうちに身についてくるものかも
動けば、得られるものは無限に存在しま
を選んで欲しいと思います。高校の次に
しれないが、SISの卒業生は既に身
す。そういう意味で、自分が千里国際学
待つ進路は、その先、社会人になるにお
に付けているので、他の生徒よりも、大
園に行く事によって得た「積極性」は、 いて、非常に重要なステップとなります。 学のような環境下で学びやすい状態にあ
今後様々な形で生きてくるのではないか
このステップでは、自分の好きなことを
る。だから、SISの卒業生として、大
なぁと思います。
思いっきり勉強できる最初で最後の機会
学の管理力の無さに呆れ、無気力になる
です。その先のステップで何をしたいか
のではなく、逆にその隙をついて、大学
A 5. 現在私は「文化総部 ユースホ
決まっている人も、まだぼんやりとしか
が提供している以上の教養を求めること
ステル部」という部活に所属していま
決まってない人も、是非このステップを
ができている。
す。この部は、主に春と夏に2度行われ
大切にして欲しいと思います。
最初は楽しみ半分、不安半分だった一
人暮らしも、2、3ヶ月もたてば当たり
る合宿を主な活動としています。合宿で
は、10 日ぐらいの日程で様々な場所に
旅行をします。今年の夏は自分は奄美大
島へ 10 泊 11 日の日程で行きます。他に
伊丹 夏子さん
(鳥取大学 農学部)
も、キャンプ場でキャンプをしたり、ハ
前のように慣れた。掃除、洗濯、炊事も、
面倒くさいことに変わりはないが、暫く
家事を放置すると、どう足掻いても“自
分がやらなきゃ誰がやる”状態にぶち当
イキングをしたりと、アウトドアを中心
大学は適当だ。これが私の大学に対
たってしまうので、結局はできるように
に活動を行っています。上でも述べたと
する第一印象だった。というのも、授
なる。私の通う鳥取大学の周りには、大
業の管理は雑で、教授は生徒が出
阪のように遊べる場所が泣けてくるほど
おり、ここでも沢山の出会いが
あり、千里とはまた違うタ
席しようがしまいが興味を持
無いので、授業や部活以外の時間は必然
イプの人々と一緒に活動
たず、生徒も代筆なんて序
的に部屋にこもることになる。しかし、
が出来るため、自分にとっ
の口で、遅刻者に厳しく当
山陰地方の場合、梅雨になると、どうし
て非常に有意義な時間を
たるにもかかわらず教授御
ても鬱状態になることが多いらしく、鳥
過ごせています。
本人は毎回遅刻をしたりと、 大生も例外ではない。そこで、部活やク
後輩達に部活動に関して
アドバイスするとすれば、皆さ
非常に“自由”である。この
ような自由な環境で自分の求める
ラブに入り、仲間を作って日頃の遊び相
手を見つけることが重要になってくる。
んが入学してから2~3週間、様々な
教養を得るためには、自ら積極的に掴み
私も部活に参加し、良い仲間を沢山みつ
部活、サークルが、新入部員確保のため
取るしかない。SISでの6年間は、大
けた。休みの日は部活の練習をしたり、
に新入生歓迎会(通称:新歓)を無数に
学で必要な積極性を培うために、そして
海へ行ったり、試験前は勉強に対する意
行っています。もし、特に何の活動に入
色々な状況を上手く掻い潜って行けるよ
識を高めるために皆で勉強したり、悩み
るかまだぼんやりとしている人は、是非
うな人間力を育てるためにあったと私は
を相談しあったりと、身体的にも精神的
その新歓に積極的に参加してください。 思う。大学の持つ財産から、与えられた
にも健康な関係を築くことができた。
モノによっては只飲み会をやるだけのよ
ものを受け取るだけでは大学に求める全
うな新歓もありますが、中にはその部特
ての欲求を満たすことは到底できない。 ウンドを持った人が集まる場所であり、
有の形で行い、その部のよさを実感でき
多くの生徒が教室の後ろを陣取る中、居
自分の個性を最大限に活用できる場でも
るような新歓もあります。私の所属する
眠りを諦めざるを得ない前列に滑り込ん
ある。私がSISでの経験の中で、大学
ユースホステル部の新歓は、ハイキング
で自分を追い込んでみたり、理解に困る
で役に立っていると思うことは、決して
を行いながら、ゲーム大会を行うという
授業内容は先生を追い回して質問し続け
特別に努力して得たものではなく、SI
ものでした。実はその新歓に行くまでは
たりして、自分で欲しい、必要だ、と思っ
Sで普通に生活してゆく中で自然と身に
ユースに入る気は全く無かったのです
たものを自主的に吸収していくことが大
ついたものだ。現在受験を控えていて、
が、その新歓で気持ちが変わり、入部を
切になってくる。それを可能にしてくれ
志望校や、将来の目的が決まっている人
決めました。入部する気はなくても、新
たのがSISだ。勉強自体はやる気と根
もいない人も、不安を感じている人もそ
歓で友人ができる事も多々あるので、是
気さえあれば、
努力でいくらでも補える。 うでない人も、大学で楽しく、有意義な
非新歓は積極的に参加してください。
大学での成果を左右するのは、自分の
時間を過ごすためには、自分の目指す最
ペースをしっかりと理解しているか否か
終的なゴールだけを目標とするだけでは
A 6. SISは、「非常に特殊な環境」 の違いであり、レポートやプレゼン、期
なく、身近な欲求から満たしていこうと
と言えると思います。その特殊な環境の
限が長く、自己管理の必要な課題をこな
いう意識が重要だ、ということを頭の片
中で、生活し、学んだことは、他では学
しているSISの生徒はこの能力に長け
隅にでもいいから置いておいてほしい。
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大学はSIS以上に様々なバックグラ
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温故知新
今回、インターカルチュア保護者会だよりの特集記事担当
となり、真っ先にご紹介させていただきたいと思いましたの
が、SISの創立準備はもとより 91 ~ 97 年まで校長を務め
られました藤澤先生のお話でした。
我が家の3人の子供たちは、皆SISでお世話になり、現
在は末の娘が在校しています。藤澤先生には、上の2人が通
学していた頃に何度かお話を聞く機会があり、今でも心に残っ
ています。
かつて藤澤先生は、SISほど建物や設備が充実している
国際学校は、世界に余り見掛けないとおっしゃっていました
が、まさにSISはいろんなこだわりに満ちた学校なのです。
温水プールは勿論の事、3階の端にひっそりとある和室やプ
ラネタリウム、そして迷路のような校舎の目印として色分け
されたピンクや緑、黄色のカラフルな階段等々です。
そこで、藤澤先生に、創設の頃を回顧していただくことで、
保護者の皆さまが改めてSISの魅力に気付いてくだされば
と思っています。
4回シリーズでお送りする “温故知新” の第一回は、SIS
開校への道のりです。 お忙しい中、私共の原稿依頼に快く応えて下さいました藤
澤先生に感謝の気持ちを込めて。 ( PR委員 林 桂子)
千里国際学園創設の時期を回顧して ~その1~
かん
元大阪国際文化中学校・高等学校校長 藤澤 皖
はじめに
阪神淡路大震災が起きた年の 11 月頃のこと、まだ大阪
にいた私のところへ神戸の長田区のSVC(曹洞宗ボラン
ティアセンター)から電話があり、今でも応援に来てくれ
ている東京や関西の学生の共通点は、千里国際の卒業生だ
という。この人たちは、指示をしないうちに行動してくれ
るので助かるとのことであった。「指示待ち人間にはなら
ないように」と常々話していたことを実践してくれたので
ある。また、千里国際学園のある卒業生が、外務省の私の
部屋に立ち寄った。隣室で新入省員の研修を受けていたの
である。その後、語学に一層の磨きをかけるためにフラン
スへ出かけた。彼は、千里国際学園に入ってよかったと述
懐していた。これも、一つの生き方である。
私は 40 年の教員生活を千里国際学園で終われたことを
幸せに思っている。今の世の中では、なかなか望めないこ
とを、ある程度実現させてくれたからである。引退後も海
外の学校を回り、80 か国を超えた。今回は、保護者会の
依頼をうけたことを機会に、学園の創設の頃を振り返って
みたいと思う。拙い文ではあるが、思い出すままに記録し
てみたい。記憶違いのこともあるかもしれないが、後程訂
正頂くとして、お許し頂きたい。
1、大阪国際文化公園都市構想と新国際学校研究調査会
今から 30 年近くも遡る 1980 年代のことであろうか。当
時の大阪では、国際化は緊急課題とされていた。子どもた
ちが通うインターナショナルスクールは、兵庫県にはいく
つもあったが、大阪府には一校もないので、欧米系の外国
人は、勤務地は隣接する日本第二の都市の大阪にあるとし
ても、居住地は兵庫県に定めざるを得なかった。
大阪国際文化公園都市構想は早くから生まれていた。今
年の 10 月には大阪大学と合併するという大阪外国語大学
の北部丘陵地帯を開発して、新しい街造りをしようという
のである。第二名神高速道路の構想は、そのころからあっ
たのかどうかは分からない。モノレールをそこまで延長し
ようという計画はあったかもしれない。日本初の万国博覧
会が、千里で実施されるということが、決まったとき、土
地を多く所有していた阪急電鉄は、その代替地を山間部に
広く求めていたからである。新しい都市構想には、多くの
企業が関心を寄せていたが、当時の三和銀行(現在は三菱
東京UFJ銀行)もその一つであった。
欧米人が住む環境を用意するためには、心のよりどころに
なるキリスト教会と子どもたちの教育のための学校がなけれ
ばならないという。教会は事前に用意することは難しいが、
学校なら準備しておけるのではないか。そこで、上記の2社
に加えて、箕面市とで「インターナショナルスクール設立構
想調査会」を組織して調査に当たったのである。大阪府がオ
ブザーバーになっていたことは言うまでもない。
学校を創るためには、相応の土地と資金が必要になる。
寄付金募集という課題があった。外国人の子どもの教育を
対象にした学校は各種学校扱いで、寄付は免税にならない。
そこで、日本の生徒を対象にした学校、いわゆる一条校(学
校教育法第1条に規定されている小・中・高等学校など)
を同時に創る必要もあったのであろう。当時の帰国生徒の
数は、大阪府は、小・中学生では関西でもっとも多かった
のであるが、高校生の数になると、京都や兵庫より少なく
3番目になっていた。要するに、帰国生の保護者は、大阪
より他県の高校への進学を優先していたといえよう。その
ためか、大阪にも帰国生を受け入れる学校を創りたい。そ
して、インターナショナルスクールと共存させるという案
が浮上したのである。しかし、子どもの数は減少に向かっ
ていた。時間がたてば、大阪府の私立学校を後ろ盾にした
私学審議会が、新設校に賛成しないことは歴然としている。
当時でも、初動時期としては、すでに遅かったくらいである。
これからの日本人の教育には、生きた英語教育が必要
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である。インターナショナルスクールとの共存には賛成し
たが、帰国生だけではなく、一般の国内育ちの生徒もまじ
えることによって双方の教育効果が上がると私は主張した。
一条校としての中学校・高等学校を創る以上は、周囲の私
立学校の了解を得ての私学審議会の認可は絶対に欠かせな
いのであった。帰国生だけなら了解を得られるかもしれな
いが、一般生を募集するとなると反対されることは決定的
である。
1982 年に、
ライシャワー提言を受けた臨時教育審議会は、
第三次答申で、帰国生徒、外国籍生徒、国内育ちの一般生
徒が共に学ぶ「新国際学校」の設置を提言した。阪急電鉄
では、プロ野球の阪急球団を手離していた。ちょうどその
梅田の建物に、阪急文化技術研究所を設置し、都市計画も
進めていた。国際学校プロジェクト・ティームも編成し、
学校創設の準備にもかかっていた。臨教審の提言は時宜を
得て、大阪に新たに「新国際学校研究調査会」が発足した。
座長には、当時、京都大学教育学部長で異文化間教育学
会会長の小林哲也教授、副座長は、当時の大阪大学教育学
部の梶田叡一教授(現、兵庫大学学長で中央教育審議会教
育課程部会副会長)であった。ほかにも、当時の帝塚山学
院泉ヶ丘高校の米田伸一初代校長(後に、同大学国際理解
教育研究所所長、日本国際理解教育学会会長など歴任)と
か、大阪府の教育委員も何人かおられたかと思う。横浜イ
ンターナショナルスクールの校長も委員の一人に入ってい
たが、いつも欠席していたのか会うことはなかった。
このような研究会に当時、国際基督教大学(通称ICU)
高校で教頭や教務主任の仕事より、むしろ帰国生徒教育セ
ンター長を主にしていた私も参加を呼びかけられたのであ
る。それは、研究会発足前の調査会の方々が、帰国生専門
受入れ高校としての国際基督教大学(ICU)高校を見学
にこられたとき、私が校内の案内役をしたので、多分、帰
国生教育のことを何か話していたのであろう。
三和銀行の事業調査部の方が、欧州各地の英国系の学校
を訪問し、調査を進めていた。現在の大迫弘和校長の義兄
に当たる高宮泉氏であったかと思う。私もいくつかの学校
の文書と報告書に目を通すことが出来た。日本には、当時、
英国系の国際学校が一つもなかったということや関西日英
協会の会長が大阪におられたことが、英国系の学校を創設
しようとする機運を生んでいた。
研究協議会は、日本の学校は、国内の一般の生徒と帰国
生をともに学ばせる中学校と高等学校、そしてインターナ
ショナルスクールは、原則として外国籍のこどもを対象と
した幼児部から高等部までとして、双方の学校は同じキャ
ンパスに共存させるということまでは、すぐに進んだ。ど
のような教育を行うかということでは、議論が沸騰した。
これからの教育には、グローバル・スタンダードが欠か
せない。そのためには、ユネスコも積極的に協力し、欧米
を中心に普及しつつあった国際バカロレア(IB)の教育
が模範になると話し合った。IBは、1968 年にその事務
局がスイスに成立したばかりであったが、79 年には、日
本政府もその教育課程を修了すれば大学入学資格を付与す
ると発表していた。
ジュネーブの国際学校と英国にあるユナイテッド・ワー
ル ド・ カ レ ッ ジ(U.W.C. of the Atlantic) な ど 15 校 が、
38
よ
り
PARENTS
70 年に最初に採用した。当時は、まだ高等部の最後の2
年間の後期中等教育課程のディプロマ・プログラム(DP)
だけが普及していて、中等教育課程(MYP)とか初等教
育課程 ( PYP ) は検討段階であった。
後に、当時の文部省政策課の「教育改革の実施に関する
特別調査研究」の委託で発足した東京中心の「国際学校研
究委員会」に参加したとき、調査のために、UWCやIB
の本部を訪ねることができた。そのときのIB本部の話で
は、英語、フランス語、スペイン語だけが、授業用語では、
真の国際的教育課程とはいえない。将来は、アジア系、ス
ラブ系、アラブ系などの言語も加えたい。アジアでは、日
本人の生徒が多く受験しているので、日本語を入れたいが、
日本では、4月からという特殊な学校年度を採用している
ので、UWCを創るのも困難であるし、北半球の5月と南
半球の 11 月という試験の時期にそぐわないので、躊躇し
ているとのことであった。 日本国内のインターナショナルスクールでは、すでに6
校が採用していたので、千里国際学園(仮称)でも、イン
ターナショナルスクールでは、すぐに採用をきめた。一条
校は、文部省の規定に従わないと、認可も受けられないの
で、理念だけでも生かせないかと話し合った。後に、この
ことについては、検討が続けられたのである。
2、校長人事と学校用地決定と校名
学校法人としての理事長には、学園創設を積極的に推進
していた当時の阪急電鉄の社長の小林公平氏が就任するこ
とには、だれも異存がなかった。問題は、実際に学校の教
育に当たる校長をだれにするかということであった。帰国
生の受入れ校には、日本人の校長がよいし、インターナショ
ナルスクールの校長には、英語がネイティブの人でないと
保護者は学校に子どもを入れにくいと思えたのである。
日本人としては、東京にいた私に打診があった。国際基
督教大学は母校であったが、高校は、帰国生受入れ校とし
て軌道に乗って順調に歩んでいた。帰国生から外国の学校
の教育について知らされていた私は、さらに国際的な教育
に関わってみたかった。ICU高校の設計時には、政府か
らの補助金を受けただけに制約も受けた。関西に移るため
の家庭的事情も許される状況になっていたICU 高校に勤
務しながらの準備では、大阪とは離れているので無理であ
る。開校までには2年間の準備期間が必要と思われた。阪
急電鉄の専務取締役らが、ICU高校の校長にも願いに見
え、私を迎えに来た。はじめの1年は単身赴任で大阪に移っ
た。1989 年4月はじめのことであった。
インターナショナルスクールの校長は、当初は英国人
と考えたのであるが、国際学校に対する需要調査や現実
的思考から、アメリカン・スクール・イン・ジャパン(A
SIJ)の渉外部長 (Director of Development) で日本語が
得意で日本の学校の校長も経験したことのあるジェイム
ズ・ウィジー氏が選ばれた。アメリカ人であった。ASI
JはICU高校に隣接していたので、私とは以前からの知
己の間であった。校長の英語名は、一般に、Director とか
Headmaster と呼ぶが、Director は学園長にふさわしいの
で、Headmaster と呼ぶことにした。ウィジー氏は、AS
IJを4月から離れるわけにはいかなかったで、実際の大
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阪赴任は、私より数ヶ月おくれた。その後、その年度のう が、校舎から履物を変えずに自由に出られるように。そし
ちに、他の教職員の選考に入った。
て、滑っても擦過傷を起こさないような人工芝を敷く。運
なお、校長は双児の校長と言われたように二人になった 動施設は、一般にも開放するかもしれないので、そのときに
ので、二つの学校を統合する学園長も必要になる。阪急文 は別な入口から出入り出来るとよい。テニスコートは屋上で
化技術研究所の所長として就任していた福田國彌京大名誉 もよいが必要、出来れば暗くなっても続けられるように、ラ
教授(大阪電通大学長も兼任)が適任であった。
イトを用意する。音楽室には、防音の個別またはグループ別
校舎の設計は、すでにできあがっていた。仮のものであ の練習室も必要。トイレは和服の人や共通で使用することを
る。しかし、現在の場所ではない。誘致に積極的であった いやがる人もいるかもしれないから、どこかの一つは和式に
箕面市内には違いないが、千里中央駅からも歩いてゆける する。校長室・事務室などの管理部門は、学園全体の中心に
ほどの距離にあった。ただ、地主は大勢いたが、すべての おく。教員ラウンジも近くにおく。各教員のメール・ボック
人が了解していたわけではなかった。急激な街の発展に躊 スもこの部屋に用意する。後に、ラウンジで教員の朝の連絡
躇した一人の地主が反対したのである。そのため、その仮 会を開くのには都合よかった。特別教室など、細かいところ
の設計図は、ご破算になった。
は、教科主任などの意向を尊重する。等々である。 次に、考えられた場所は、箕面駅に近い将来の学校用地 学校の名称については、現在のように、千里国際学園中
としていた箕面市の土地であった。市議会では民間に利用 等部高等部がよいと思われたが、当時の箕面市長が、箕面
させることに異議の声が出た。国道 171 号沿いの某会社 市と千里は違うと主張されたので、「千里」という表現は
の広大な敷地も候補に挙がったが、当時の経済変動の関係 使えなかった。箕面では、国内はともかく、国際的にはあ
で、これも入手はかなわなかった。そこで、阪急電鉄が宅 まり知られていないので、大阪国際文化公園から大阪国際
地開発をしていた現在の場所が最終的に選ばれたのであ 文化中学校・高等学校と呼ぶことにした。文化という言葉
る。一旦は、宅地造成をして、一部を公道にするというこ には、理科系も含まれているということを確認したからで
とで、市議会の認可を受けていた。再度、市議会で宅地を ある。英語名については、Osaka Intercultural Academy(通
学校の用地に切り替えることとして承認された。そのため、 称:OIA、以下OIAと呼ぶ)とした。Intercultural と
今でも、公道部分として予定された一部の土地は、箕面市 いう言葉は、「国際」を表す言葉として、当時アメリカで
の所有で学校法人としては、借用のかたちになっているの も普及していたし、日本国籍者の帰国生の多い日本の学校
ではないかと思う。そのほかにも、学園全体の建設費や施 なので、文化の交わりという語感を大事にした。Academy
設購入資金は、関西地域の企業等の募金に頼っていた。高 は、幼小も含まれるような School よりも高学年の中高の
騰していた当時の地価を考えると、阪急電鉄一社で負担を 学校なので、妥当ではないかと考えたのである。アメリ
するのには、全体の必要経費の中での割合が大きくなりす カ人の英語科の主任の先生も、大阪インターナショナルス
ぎる。すべての土地を購入したとは思えない。私は、財政 クールよりも、新しい表現の Intercultural がよいと述べた
には疎いので、その辺の事情は分からない。
が、こちらは、わかりやすく、Osaka International School(通
建設会社は鴻池組であったかと思うが、入札により決定 称:OIS、以下OISと呼ぶ)とした。後に、日本の中
されたことは間違いない。設計者は、東京の麻布十番にあ 高は名称を改めるが、阪急の社長に退任の挨拶に出向いた
るAURという長島孝一氏の設計事務所である。長島氏は とき、以下のように訴えていた。「箕面市長も交替したし、
東大の講師なども務めていた。設計事務所には、大阪から 大阪より、千里のほうが新鮮な感覚ではないか。国内では、
打ち合わせのためにたびたび訪れた。実際に、設計図を担 千里で十分通用する」と。ただ、英語名を International
当されていた方は、西森陸雄氏が主であり、開校1年前に School とすると、一般のインターナショナルスクールと誤
建築が始まってからも、現場に付ききりで指揮をしておら 解されるかもしれないので、Senri Intercultural Academy
れた。彼は、その後イタリア留学をした。美しい建築であっ でもよかったのではないかと思う。 (次号に続く)
たので、学園の校舎は、完成後、大阪府の街並み賞を頂いた。
設計の要素について考えたのは、二人の校長と阪急の国
際学校プロジェクト・ティームであった。生徒が一番出入 [筆者プロフィール]
りしやすい場所に図書室を設ける。日本文化理解のために 1934 年東京生れ。国際基督教大学(通称ICU)卒。同
茶道なども出来るように和室もつくる。生徒に夢を与える 高校設立準備より帰国生徒教育に関わり、阪急電鉄の招聘
ために、小さくても天文台のようなものが出来ないか。普 により来阪、千里国際学園設立に参加。1998 年退職後、
通教室は、日本の学校でも、せいぜい 24 名程度の広さで 外務省大臣官房人事課子女教育相談室長の業務委嘱を受け
『帰国子女教育の手引き』(文部省)
十分とした。後で財政難を理由に大勢詰め込まれても教育 現在に至る。主な著書、
は出来ないと考えた。しかし、授業の性質によっては、もっ 『国際理解教育における国際学校の教育』(エムティ出版)
と大きい部屋があった方が柔軟に対応できてよかったので 『英和対照学習基本用語
はないかと思えた。セミナー・ルームとして使える小教室 辞典』(アルク社、監修)
は沢山つくる。教員の研究室は、日本の中高も国際学校も 『アメリカ合衆国の教育
分けないで、教科ごとにつくる。カウンセリングの部屋 と学習評価』(国際教育
は、二つ、出入りの目立たないところがよい。会議室には 交 流 セ ン タ ー)『 は ば た
同時通訳の施設も設ける。水泳プールは、いつでも使える け若き地球市民』(アカ
ように室内で温水とする。運動場は十分な広さはとれない デミア出版会)等。
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I N T E R C U L T U R E O C T O B E R
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10 ~ 11 月行事予定
11/11 SIS 学校説明会 午後 1:30
11/14-18 APAC 音楽祭コーラス (SIS/OIS)/ オーケストラ ( ソ
ウル )
11/17 APAC コーラスコンサート 午後 5:00 ( 箕面市メイプルホール)
11/20 中等部 / 高等部秋季コンサート ( バンド ) 午後 4:00
11/21 中等部 / 高等部秋季コンサート ( ストリングス /MS コーラス )
午後 4:00
11/22 SIS/OIS 秋学期終了 ( 通常授業日)
11/23 インターナショナル ・ フェア
10/8 SIS/OIS 運動会
10/13 SIS 学校説明会 (参加型公開授業) 午前 10:00
10/15-16 イヤーブック個人写真撮影日
10/16 秋季リサイタル 午後 4:00
10/18 SIS 授業参観日
10/24-28 APAC 男女バレーボール ( 大阪& CA)/ 男女テニス ( マ
ニラ )/ 野球 (CA)
10/29-11/2 玄関コンサート
11/9-10 SIS 9年生学年旅行
編集後記
世界陸上大阪大会のボランティアをしたと聞いて、 ぜひ記事にと中村先生にお願いしました (P.19)。 華やかな表舞台
のために裏で多くの人たちがささえていることを改めて感じます。 私も大阪府トライアスロン協会理事をしている関係で、
よく大会のボランティアスタッフをする機会があります。 選手の誘導や給水をはじめ多くの仕事がありますが、 何時間も屋
外ですることが多く、 大変な重労働になります。 しかし、 そんな苦労があっても、 大会に参加した人たちが頑張ったり楽
しんだりしている様子を見るのが好きです。 一度経験してみたいというかたはご連絡ください。 さて、 夏休み明けはいつ
も通り記事が多く、 40 ページになりました。 ごゆっくりお読みください。 (馬場博史)
今号は、 夏休み中や留学中のさまざまな体験や活躍の報告が満載の特大号です。 お彼岸ではなくお盆ではないかと
思うほどの暑さの中、 早速 10 月8日のスポーツデイに向けて始まっている、 各学年のパフォーマンスの練習の元気な声
を聞きながら、 とても読み応えのある各ページを、 発行に先立ち校正のために読みました。 校正なので文章の表記や編
集の不備を見つけることに集中してじっくり読むのですが、 ついつい内容に熱中してどんどん読み進んでしまい、 何度も
読み直しました。 (合志智子)
インターカルチュアへの記事 ・ ご感想等は、 e-mail で hbaba@senri.ed.jp までお送り下さい。 インターカルチュアはバッ
クナンバーも含めて本学園ホームページ www.senri.ed.jp/interculture でもご覧いただけます。 また広報センター担当の
学園ホームページにつきましてのご意見 ・ ご感想などもお待ちしています。
編集:SIS 広報センター 保護者会だより編集:保護者会広報委員 カット:イラストレーションクラブ生徒
Senri International School Foundation (SISF)
Senri International School (SIS)
Osaka International School (OIS)
4-4-16, Onohara-Nishi, Minoh-shi, Osaka 562-0032, JAPAN
TEL 072-727-5050 FAX 072-727-5055
学校法人千里国際学園 (SISF)
年間発行予定と主な内容 ( )
は発行時期
春学期 5月号 ( 上旬 ) 卒業式、 入学式、 大学等合格状況
6月号 ( 中旬 ) 学園祭、 教育実習
秋学期 10 月号 ( 上旬 ) 夏の宿泊行事、 夏の諸活動報告
11 月号 ( 中旬 ) 運動会、 玄関コンサート
千里国際学園中等部・高等部 (SIS)
大阪インターナショナルスクール (OIS)
冬学期 2月号 ( 上旬 ) オールスクールプロダクション
〒 562-0032 大阪府箕面市小野原西 4 丁目 4 番 16 号
他に留学報告、 スポーツ結果、 各種表彰、 授業紹介、 生徒会 ・ クラブ活動等
3月号 ( 中旬 ) 入試結果、 卒業生へ贈る言葉
電話 072-727-5050 FAX 072-727-5055
千里国際学園は、 帰国生徒を中心に一般日本人生徒や日本の教育を希望する外国人生徒も受け入れて日本の普通教育を行う千里国際学
園中等部・高等部 Senri International School (SIS) と、 4 歳から 18 歳までの主に外国人児童生徒を対象とする大阪インターナショナルスクール
Osaka International School (OIS) とを、 同一敷地 ・ 校舎内に併設しています。
両校は一部の授業や学校行事・クラブ活動・生徒会活動等を合同で行っています。 チームスポーツはこの2校で1チームを編成しており、
APAC(Asia Pacific Activities Conference) の公式試合や、 近隣のインターナショナルスクール、 日本の中学・高校との交流試合等に参加していま
す。 このため、 校内ではインターナショナルスクールの学校系統に合わせて、 6年生~8年生 ( 日本の小学6年生~中学3年生春学期 ) をミドル
スクール (MS)、 9年生~ 12 年生 ( 日本の中学3年生秋学期~高校3年生 ) をハイスクール (HS) と呼んでいます。
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