近代 日本の「政治と仏教」の クロスロード

近代日本
の「政治と仏教」の
クロスロード
はじめに――問題の所在
まず、近代日本仏教史研究のパイオニア
の一人である吉田久一の言葉に耳を傾けた
い。吉田によれば、近代日本仏教は「資本
主義に対してはほとんど発言力がないのに
引き替え、政治と宗教という対向関係を軸
として動いて」きた(吉田 1992 [1959], 2)
。「政
治と仏教」の対向関係という歴史的現実を
踏まえ、近代日本の「政治と仏教」の関係(仏
教的政教関係)は、近代仏教研究の重要な
問題系を形成してきた 。
1
本論は、この問題系を主題化し、先行研
究のレビューを通じて、この問題系に関す
る研究領域と研究視点を整理することで、
今後の研究の方向性を眺望したいと思う。
その際、近年の「宗教」概念の再検討問題
や Engaged Buddhism 研究を参照すること
で、この問題系に関する問題提起もあわせ
て行いたいと思う。
Ⅰ.日本の「近代仏教」とは何か?
(1)「近代仏教」の問い直し
本論では、日本の近代仏教を議論の対象
とするが、そもそも、
「近代仏教」とは何を
意味するのだろうか? 現在、マイナーな領
域ながらも、近代日本仏教史研究は学的領
域として存在し、日本近代仏教史研究会と
いう学術団体も存在する 2。しかし、「近代
仏教」研究史を振り返ると、その歴史は決
して古くない。林淳によれば、
(日本の)
「近
代仏教(modern Buddhism)研究は、第二
次世界大戦後に始まった。戦前に『明治仏
大谷栄一
Ōtani Eiichi
教』として理解されていた研究のトピック
が『近代仏教』として捉え直されたのであ
る」
(HaYashi 2005, 204)。日本の「近代仏教」
とは明治維新以降の仏教の形態を意味する
わけだが、
(その研究自体は戦前からあるも
のの)「近代仏教」というカテゴリー化とそ
られるようになった「近代仏教」概念は、
の研究領域の画定は、戦後になされたと指
決して所与の概念ではないということであ
摘しているわけである。
る。さらに言えば、「仏教」概念自体が「宗
具体的な研究成果を見ると、1950 年代か
教(religion)」概念のサブ・カテゴリーと
ら 60 年代にかけて、吉田久一『日本近代仏
して、近代以降に新しく創りだされた概念
教史研究』(1959 年)
、法蔵館編集部編『講
であることにも注意を払う必要があるだろ
座近代仏教』全 6 巻(1961–1963 年)
、吉田『日
う 。この問題については、James E. Ketelaar
本近代仏教社会史研究』
(1964 年)、柏原祐
泉『日本近世近代仏教史の研究』(1969 年)
などの成果が刊行されている。また、仏教
者の一次史料をまとめた史料集として、
『現
代日本思想大系 7 仏教』(1965 年)と『明治
文学全集 87 明治宗教文学集(一)』
(1969 年)
も吉田の編集と解説によって公刊されてい
る。
この中の
『講座近代仏教』
第 1 巻・概説編で、
「近代仏教の形成」について述べている吉田
の次の発言に注目したい。
仏教の近代化とは、幕藩仏教から近代仏教
へということである。そこには多くの指標
点があげられる。宗旨仏教から宗教として
3
の研究が参考になる。彼によれば、島地黙
雷や万国宗教大会(1893 年)に出席した土
宜法竜、蘆津実全、釈宗演らの明治仏教の
イデオローグたちは、同時代の社会や政治
情勢に見合った「仏教」の(再)定義を行
い、そのことを通じて、「近代的な仏教」認
識が編成されていったという(KeteLaar
1989=2006)
。近代になって新たに創りださ
れた「仏教」概念が当時の仏教者や仏教集
団に受容され、さらにそうした「仏教」概
念にもとづく、さまざまな新たな思想や運
動が「近代仏教」とカテゴライズされ、
「近
代日本仏教史」として研究されてきたので
あり、現在も研究されているわけである。
の仏教へ、教団仏教から信仰仏教へ、個人
ふたたび、吉田の研究を参照すれば、(近
的戒律から社会的な新戒律仏教へ、あるい
代日本仏教史における「近代仏教」の動向
は島地大等が『明治仏教史』(『解放』大正
の中でも)20 世紀初頭の日本社会における
十年十月)でいわれたように、現相仏教(宗
派仏教)から実相仏教(本質仏教)へ等々
の変貌がみられる。(吉田 1963, 63)
ここには、ややもすると、「近代仏教の形
成」を優位とする目的論的な見方が投影さ
れているようにも見えるが、現実的には「宗
旨仏教」
「教団仏教」と「宗教としての仏教」
清沢満之の精神主義運動と境野黄洋、高島
米峰らの新仏教運動は、「近代仏教成立の指
標点」(吉田 1991b [1964], 15)と評価されて
いる。具体的には、「前者は人間精神の内面
に沈潜することによって近代的信仰を打ち
立てんとし、後者は積極的に社会的なもの
に近づくことによって近代仏教の資格を獲
「信仰仏教」(とモデル化された諸現象)
、さ
得しようとした」(吉田 1992, 325)と指摘さ
らには仏教系新宗教や民俗仏教等が多元的
れている。つまり、私的空間における個人
に並存してきたと考えたほうが、近代日本
的な内面的信仰の確立と、公共空間におけ
の仏教のあり方に関するより実態に即した
る社会活動・政治活動の展開が、「近代仏教
理解であろう。
成立の指標点」とされていることがわかる。
ただ、ここで問題としたいのは、このよ
この点を、前述の「宗教」概念の問題に
うに 1950 年代以降に研究者たちによって語
ひきつけて考えてみたい。近代日本の宗教
36
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言説の成立と形成を分析した磯前順一によ
(3) 改 革 主 義 (reformism)、(4) 新 伝 統 主 義
れば、明治初年に religion の訳語が「宗教」
(neo traditionalism) の 4 類型を提示している。
に統一される以前には、「宗旨」のようなプ
伝統主義とは「変化は必要でもなければ望
ラクティス的な意味(非言語的な慣習行為)
ましくもない」(BeLLah 1965=1975, 248)と
を強く含むものと、「教法」のようなビリ
考える、変化を拒絶するパターンのことで、
ーフ(概念化された信念体系)を中心とす
新伝統主義は「他のいかなる価値よりも優
るものの二つの系統が存在した(磯前 2003,
れていると考えられている、伝統的文化価
35)。しかし、しだいに前者の「キリスト教
値を防護するために、近代的な観念と方法
を軸とするビリーフ的な『宗教』観」が優
を利用すること」(同、244)、いわば伝統と
位化していったことを、磯前は指摘してい
近代性との調和を図るパターンである。こ
る (同、41)。磯前のいうビリーフ的な「宗
れらに対して、伝統的価値の変革を行うの
教」観にねざした「仏教」観が、戦前の精
が改革主義で、「伝統的宗教は近代性と両立
神主義運動や新仏教運動のメンバーたちに
しうるものであり、実際、歴史的に逸脱し
共有されており、また、戦後の近代仏教研
た部分さえ除去すればその『本質』は、
社会・
究者たちの研究の前提にもなっている。
文化的発展を推進させることにある、とい
つまり、「近代仏教」をめぐる当事者たち
うことを示すために、伝統的宗教の『近代的』
と研究者たちが前提としていた(前提とし
または『改革的』形態を作り出すこと」
(同、
てきた)「仏教」観は、ビリーフ的な「仏教」
243)と定義されている。
観であることに留意した上で、以下、仏教
的政教問題を論じることにしよう。
(2)アジアにおける「近代仏教」の
比較研究
ここで、日本の「近代仏教」の特徴をよ
こ の Bellah の 類 型 は、1990 年 代 以 降 の
欧米で進展している Engaged Buddhism 研
究でもたびたび参照されており、アジアの
socially engaged Buddhism 諸運動はほぼ大
体、改革主義に相当すると指摘されている
(KinG 1996, 420; Deitrick 2003, 256) 。
4
り明確に把握するために、近代アジア宗教
先に見た精神主義運動と新仏教運動を象
(仏教)に関する比較研究を一瞥しておきた
徴とする日本の「近代仏教」も、いわば、
い。
この改革主義に相当することがわかる。前
日本を含むアジア諸地域の近代化は、西
者が個人的な信仰確立のための仏教改革(と
洋世界のインパクトの下に開始された。非
個人変革)であり、後者が社会的・政治的
西洋世界における近代化が「西洋近代から
な活動を通じての仏教改革(と社会改革)
の文化伝播に始まる自国の伝統文化のつく
を志向するものである。このように、日本
りかえの過程」(富永 1990, 40)を意味する
の「近代仏教」は、より正確には、仏教改
のであれば、その「つくりかえ」
(再編成)
革運動として位置づけることができるであ
のあり方を問う必要がある。
ろう。
Robert Bellah は、近代化に対する諸アジア
この仏教改革という側面に注目して、イ
社会の文化的反応(宗教的反応)に着目して、
ンド、タイ、ミャンマー(ビルマ)、スリラ
近代アジア宗教の類型として、(1) キリスト
ンカ、中国、ベトナム、日本というアジア
教への改宗、(2) 伝統主義(traditionalism)、
地域の「仏教近代改革運動」を比較分析し
南山宗教文化研究所 研究所報 第 16 号 2006 年
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たのが、島岩である。島は、各地域の運動
共空間で社会活動・政治活動を実践した、
に共通する特徴として、(1) 原点・原典回帰
とまとめることができる。
主義、(2) 合理主義的・人間主義的仏教解釈、
なお、近代日本の仏教の存在形態に関す
(3) 在家主義的な宗教的平等主義、(4) 社会
る類型としては、以下のような類型を考え
改革的傾向、(5) 知識人中心の啓蒙主義、(6)
ることができるであろう。近代日本の仏教
キリスト教に対抗しうるものとしての仏教、
的政教問題を検討する時、近代仏教(仏教
という指摘をしている(島 1998, 8)
。そし
改革運動)
、教団仏教、民俗仏教それぞれが
て、南条文雄・高楠順次郎・渡辺海旭・荻
何らかの形で「政治」に関わっており、そ
原雲来らの近代仏教学、新仏教運動、精神
主義運動、田中智学と本多日生の日蓮主義、
新興仏教青年同盟(新興仏青)の妹尾義郎
らの活動を取り上げ、これらの特徴は「日
本における仏教改革運動のなかにも、多か
れ少なかれ共通に認めることのできるもの
であ」り(同、 8)、これらの動きは「いわ
ゆる既成教団側から生まれた仏教近代改革
運動であり、知識人を中心とする啓蒙主義
的な仏教近代改革運動であった」(同、 10)
と 結 論 づ け て い る。 筆 者 は、 こ れ ま で 日
蓮主義の研究に取り組み(大谷 2000, 2001.
2004)、現在は新興仏青の研究を通じて、近
代日本の「国家と仏教」「政治と仏教」の研
究を進めているが(大谷 2003a, 2005, 2006)、
島の指摘は妥当であると考える。
つまり、日本の「近代仏教」(と称される
仏教改革運動)は、近代アジアの仏教改革
運動と共通性を持ちながら展開され、とく
に社会・政治志向的な仏教改革運動は、伝
統的な教説をビリーフ的な「仏教」として
再編成・再解釈しつつ、近代日本社会の公
れぞれの政治的関わりや政治活動を分析す
ることが重要となる。しかし、本稿では近
代仏教(仏教改革運動)と伝統教団を念頭
に置きながら、以下の議論を進めることに
する。
Ⅱ.「政治と仏教」の問題系
(1)近代日本の「政治と仏教」の
対向関係
近代日本宗教史研究を顧みると、政教関
係の研究は、いわゆる国家神道研究を中
軸として進められてきた 5。また、政教関
係を論じた(相沢 1973/1966; 佐藤・木下編
1992; 善家 1993) 政教分離を論じた(井上
1980/1969; 平野 1995; 大石 1996; 百地 1997; 桐
ヶ谷・藤田 2001; 阿部 1989)など、法学の立
場からの研究の蓄積もある(阿部は宗教学
の立場)。
そして、仏教的政教関係については、幕末・
維新期についての(徳重 1935; 辻 1949, 1984
[1931])明治期を対象とした(土屋 1939; 吉
田 1991a [1959], 1991b [1959]; 池田 1976, 1994)
、
教団仏教
伝統教団
(仏教系)新宗教
民俗仏教
図:近代日本の仏教の存在形態
38
民俗志向
合理主義志向
近代仏教
(仏教改革運動)
大正期を対象とした(土屋 1940)、大正・昭
和期を対象とした(孝本 1988)、明治から昭
和期までを包括的に扱った(吉田 1998)や
(柏原 1990)らの宗教史的な観点からの研究
をはじめ、明治中期の宗教行政を制度史的
に分析した(羽賀 1994(第 6 章))
、真宗の
政教関係、真俗二諦論を対象とした(藤井
南山宗教文化研究所 研究所報 第 16 号 2006 年
1987; 信楽 1988; 新田 1997 [I 部 ]; 藤原 2001)、
とな」った、と孝本は述べる(孝本 2000,
日蓮主義の政教関係を論じた(望月編 1968;
62)。 こ の( 辻・ 村 上・ 鷲 尾 1979 [1926–
戸頃 1968, 1972; 西山 1985, 1988, 1995; 大谷 2001,
1929])以降も一次史料の集成は、(文部省宗
2004; OkuYaMa 2002; Stone 2003; 松岡 2005)、
教局編 1977–1978; 伊達 1974; 安丸・宮地 1988)
戦後日本の政教関係を考察した(中野毅
でなされている。
2001, 2003)、近現代日本仏教の政教関係に
一方、研究の進展を見ても、この領域は
関するトピックを網羅的に論じた(池田他
近代日本仏教史研究の定番的な領域とし
編 2000)などがある。
て、(1) であげた諸研究の中で宗教史的な観
ただし、これら多くの研究蓄積があるに
点から検討されている。ただし、「政府の宗
もかかわらず、
「国家と仏教」
「政治と仏教」
教政策、仏教界のリーダーたちの社会的ネ
(さらには「国家と宗教」「政治と宗教」
)研
ットワークの広がり、政府の政策に対する
究における分析枠組や分析概念を提示した
各仏教教団のリーダーたちの政治的活動な
研究は(国内の研究については、管見の限
ど、多くの論点が検討される必要がある」
り で は ) き わ め て 少 な く、 中 野 実( 中 野
(HaYashi 2005, 206)と、林が指摘するよう
1998)や中野毅(中野 2003)の研究以外に
に、より具体的な仏教界の動向と政府の政
見当たらない。ここでは、中野毅の議論に
策との関係が分析されてしかるべきであろ
依拠して、仏教的政教関係(とくに仏教者・
う。
仏教集団の政治活動)に関する研究視点を
例えば、明治前半期の政教関係の政策に
提示したいと思うが、その前に、
「政治と仏
ついて重要な役割をはたした真宗について
教」に関する研究領域をより詳細にカテゴ
は、(従来の先行研究で)
「真宗教団の活躍
ライズし、(上記の研究を含む)先行研究を
についてはしばしば言及されてきた。しか
さらに整理したいと思う。
し、その場合には、政府の宗教政策に対す
(2)「政治と仏教」の研究領域
る抵抗者としての位置づけしか与えられず、
政策の形成過程における重要な主体という
整理に際しては、まず、ハード面(制度的、
位置づけが与えられることはなかった」
(新
政策的側面)とソフト面(イデオロギー的、
田 1997, 87)と、新田均は述べている。たし
教学的側面)に区分し、さらに前者を A. 国
かに伝統教団に関する先行研究では、明治
家体制・政治制度と仏教者・仏教教団との
前期の真宗のような抵抗者としての役割か、
関係、B. 宗教制度の変遷、C. 政治参加の形
多くの伝統教団の体制順応者としての役割
態に分け、後者を A. 政治的イデオロギーと
に大別して論じた研究が多いが、政府の「政
仏教、B. 戦時教学に区分することにする。
策の形成過程における主体」(や政策の実施
①ハード面
A. 国家体制・政治制度と仏教者・仏教教
団との関係
「近代における宗教史研究の進展は、村上
専精・辻善之助・鷲尾順敬編『明治維新 神
過程における主体)的な側面についても、
(林
の指摘するように)仏教界の社会的ネット
ワークや教団のリーダーたちのより具体的
な政治活動に注目しつつ、研究を進めてい
く必要があるだろう。
仏分離史料』が大正十五年から昭和四年に
B. 宗教制度の変遷
かけて・・・・・・刊行されたことが大きな契機
この領域は、A の領域を宗教制度という
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観点から分析したものと位置づけることが
仏教者・仏教集団のより具体的な政治活
できよう。数多くの先行研究の中でも、と
動の検討は、まさに政治制度や宗教制度へ
くに(豊田 1938; 梅田 1971 [1963]; 井上 1980
の仏教者・仏教集団の関与/参加を分析す
[1969]; 文化庁文化部宗務課編 1983 [1970])は、
ることになる。しかし、この領域に関する
近代日本の宗教制度の変遷(に対する仏教
研究はきわめて少ない。明治後期の伝統教
者・仏教教団の対応)を辿るのに有益であ
団による仏教公認運動、大正から昭和初期
る。林は「近代仏教史を宗教と国家の関係
の僧侶参政権運動、昭和初期の衆議院議員
[に関する研究]の一環として検討すること
選挙や地方選挙への僧侶や在家仏教者の立
が必要であ」るが、「基礎的な制度史の研究
候補による政治参加などが、仏教者・仏教
が欠落している」と重要な指摘をしている
集団の政治活動に相当するが、この領域に
(HaYashi 2005, 206)。この領域の充実は、林
ついては、続くⅢ (2) で詳しく検討したい。
の指摘に応えるものになるであろう。
なお、(梅田 1971 [1963]; 井上 1980 [1969])
は、宗教法(第一次・第二次宗教法案、宗
教団体法、宗教法人令、宗教法人法)につ
いて論じている(ただし、梅田の場合は宗
教法案には言及が少ない)。1899 年(明治
32)の第一次宗教法案の評価を再検討した
小島伸之は、この宗教法案が帝国議会に提
出されたものの、「貴族院によって否決され
実際に運用されることはなかったが、国家
と宗教の関係を統一的に規定したわが国最
初の立法として、これまで多くの研究の対
象となっている」
(小島 1998, 25–26)と指摘
している。つまり、
「国家と仏教」「政治と
仏教」の関係を考える上で、宗教法の検討
が重要な研究視点となることが、小島の研
究を含む先行研究で示されていると考える
ことができよう。
また、宗教制度の研究については、とく
に伝統教団を支えた社会的基盤(家制度)
との関連を分析することが必須であろう。
近世・近代の真宗と家制度との関連につい
ては、森岡清美の古典『真宗教団と「家」
制度』(森岡 1978 [1962])があるが、いわば、
こうした宗教社会史的な観点も宗教制度の
分析には不可欠である。
C. 政治活動の形態
40
②ソフト面
A. 政治的イデオロギーと仏教
Bellah は、Ⅰ (2) で紹介した類型のうち、
純粋の伝統主義を除くものは、自由主義、
ナショナリズム、社会主義の 3 つの世俗的
イデオロギーと結びつくと指摘している
(BeLLah 1965=1975, 259)。また、筆者は、近
代日本の政教関係を考える際、国家(政治)
と宗教を媒介するのが政治文化であると論
じたことがある(大谷 2003b; また HaYashi
2005, 206–207 も参照)。ハード面だけではな
く、ソフト面からも政教関係を考察するこ
とが重要である。近代日本仏教の場合、と
くにナショナリズム、社会主義との結びつ
きが顕著であろう。
「仏教とナショナリズム」については、日
蓮仏教(日蓮主義)のケースが典型的である。
Ⅱ (1) で 紹 介 し た( 望 月 編 1968; 戸 頃 1968,
1972; 西山 1985, 1988, 1995; 大谷 2004; OkuYaMa
2002; Stone 2003; 松岡 2005)らの研究が、
「日
蓮主義とナショナリズム」の結びつきを考
察している。筆者は、「日蓮主義はナショナ
リズムを基盤として、その形成や変容と同
時に編成され、ナショナリズムの信憑構造
を通じて普及していった」、と論じたことが
ある(大谷 2004, 157)。このことが他宗派に
も当てはまるのかどうかは、検討を要する
南山宗教文化研究所 研究所報 第 16 号 2006 年
問題である。
この「戦争と仏教」の問題は、現在的に
また、「仏教と社会主義」については、
ますます重要性を帯びている問題系である
ま ず、 明 治 社 会 主 義 の 流 れ の 中 に、 仏 教
が、研究の進展は十分ではなく、(
「戦争と
社会主義の系譜が存在したことが確認でき
平和」
「戦争と非戦」の問題などを考える上
る。新仏教運動の毛利柴庵(真言宗)
(佐藤
でも)今後の研究の進展が求められている
1978)、大逆事件に連座した高木顕明(真宗
領域であろう。
大谷派)(玉光他 2000)
、内山愚童(曹洞宗)
(柏木 1979; 森長 1984)
、初期社会主義者の加
藤時次郎(日蓮宗在家信者)(成田 1983)ら
の思想と行動には、「仏教と社会主義」の結
びつきを見ることができる(ただし、愚童
の場合は無政府主義) 。
6
以上、ハード面とソフト面に分けて、「政
治と仏教」の研究領域について整理した。
次に、「政治と仏教」研究の分析枠組や分析
概念、そして仏教者・仏教集団の政治活動
(政治参加)を分析するための研究視点につ
いて考えてみたい。
こうした明治仏教社会主義の系譜に対し
て、昭和初期に仏教にねざした社会主義を
主張し、仏教社会運動を実践したのが、新
興仏青の妹尾義郎である。妹尾については、
(稲垣 1974; 松根 1975)の先行研究があるが、
妹尾の仏教社会主義を主題的に論じたのは、
(吉田 1966, 1993)である。明治期から昭和
期を貫く仏教社会主義の流れについては、
国内のキリスト教社会主義や他のアジア諸
地域の仏教運動との比較によって、その特
徴がより明確になるであろう。
B. 戦時教学
近代日本における仏教者・仏教集団の政
治的役割を顧みた時、戦争協力の問題を無
視することはできない。この問題について
は、「仏教者の戦争責任」を論じた(市川
1970, 1975)、戦時期の仏教教団の活動を考察
Ⅲ.仏教運動のポリティクス(politics)
(1)「政治と仏教」への研究視点
Ⅱで見たように、筆者が近代日本の「仏
教と政治」の研究領域にカテゴライズした
研究成果は数多くあるのだが、そもそも「仏
教(宗教)と政治」の研究自体を問い直し
た研究はきわめて少ない。ここでは、その
数少ない成果のひとつである中野毅の研究
を参照する。
中野は「宗教と政治との関わりを検討す
る場合、国家との関係と政治との関係を峻
別する必要があるのではないだろうか」
(中
野 2003, 140)と指摘する。中野の指摘に従
えば、本論でいう仏教的政教関係も「国家
と仏教」「政治と仏教」に区別して考えるべ
きであろう。
した(中濃編 1977)、戦時期の仏教者の思想
さらに中野は、近代国家を「権力機構を
を検討した(栄沢 2002)、真宗の戦争責任を
そなえた法的・政治的団体として性格づけ
論じた(菱木 1993)、禅仏教と戦争の関係を
られた組織体」(同、 140)と定義し、「国家
分析した(Victoria 1997=2001, 2003; HeisiG
と宗教との関係とは、ある国家体制や国家
and MaraLDo 1995)などがある。そして、
構造の下で宗教がいかなる位置におかれて
戦争を宗学によって正当化した戦時教学に
いるか、いかなる権利を保証されているか
ついては、真宗に関する (大西 1995)、曹
という問題であり、また既存の国家体制に
洞宗に関する(工藤 1997, 1998)などの成果
対して宗教がいかなる態度をとり、いかな
がある。
る運動を展開するかという問題としても提
南山宗教文化研究所 研究所報 第 16 号 2006 年
41
起される」(同、 141)と規定する。つまり、
析枠組と分析概念の整理は、仏教的政教関
筆者がカテゴライズした研究領域のうち、
係を検討する上できわめて有益である。
ハード面の A がこの「国家と宗教」の関係
に相当するわけである。
一方、中野は「宗教と政治」との関係に
ここで、筆者は、(中野の議論を踏まえた
上で)仏教者・仏教集団の政治活動(政治
参加)を分析する際、制度的な政治参加(選
ついて述べる際、まず、「政治」概念を次の
挙制度を通じての行政への政治参加)と、
ように規定する。「社会関係の中で抵抗に逆
非制度的な政治参加(宗教運動を通じての
らっても自己の意思を貫徹するあらゆるチ
行政への集合的挑戦)という 2 つの次元を
ャンス」という Max Weber の「権力」定義
区別したいと思う。この区別によって、宗
を踏まえて、「個人なり集団なりが特定の方
教者・宗教集団のより重層的な政治活動(政
法(制裁、威嚇、実力の行使等)によって、
治参加)が分析できるのではないか、と考
他の個人や集団の意思および行動に影響を
える。
与えうる能力」を、(国家のみならず、あら
ゆる社会集団相互に広く見られる)
「『広い』
意味での『政治』
」と定義し、「『国家』に焦
点を合わせた権力の行使を「『狭い』意味で
の『政治』」
(同、140–141)と定義している。
「政治」を広義と狭義の両面から把握した上
で、そのうちの狭義の「政治」概念を踏まえ、
「宗教と政治」との関係、宗教者・宗教集団
の政治活動(政治参加)を次のように規定
する。
では、近代日本仏教史で実際にどのよう
な制度的な政治参加と非制度的な政治参加
があったのかを手短に確認することで、仏
教者・仏教集団の「政治活動の形態」につ
いてまとめておこう。
(2)仏教者・仏教集団の政治活動
(政治参加)
前述した明治後期の伝統教団による仏教
公認運動、大正から昭和初期の僧侶参政権
狭い意味での政治と宗教との関係とは、一
問題、昭和初期の普通選挙への参加を、仏
定の国家体制下での国家の統治権力の行使
教者・仏教集団の主たる制度的な政治参加
に、宗教が影響を及ぼすか、また、逆に、
として考えることができる。仏教公認運動
それによって宗教が影響を被るかという問
は、近代日本最初の宗教法案の提出と外国
題である。この次元で、宗教が国家が行う
立法や行政、司法などに、現行法で認めら
れた方法と限定性をもって関係する運動を、
宗教による『政治活動』と呼び、主体的な
面を強調する用語として、『政治参加』を用
いる。(同、141)
筆者が上記に述べたハード面の B と C が、
人内地雑居問題に対応して、伝統教団が中
心になって組織されたが、それは「宗教法
案の論議の過程で、とくにわが国古来の仏
教を国風に合致するものとして特別に公認
の宗教法人団体とし、公的な権益を得よう
とするもの」だった(柏原 1990, 143–144)
。
いわば、研究領域のハード面の「宗教制度
この狭義の意味での「政治と仏教」の関係
の変遷」にも関わるトピックとしてもこの
に関する分析に相当し、とりわけ、この政
問題があるにもかかわらず、研究は(柏原
治活動(政治参加)の分析が、仏教者・仏
1956; 1990, 141–147; 赤松 1981)を数えるばか
教集団の政治的役割を考察するための重要
りである。
な研究視点になるであろう。中野による分
42
また、より具体的な制度的な政治参加と
南山宗教文化研究所 研究所報 第 16 号 2006 年
して、宗教政党の結成と選挙制度への参加
の問題がある。
の後、合法左翼の無産政党との連携を強め、
(妹尾ら数名のメンバーは)人民戦線運動に
仏教集団による宗教政党の結成は、日蓮
関与していく。つまり、無産政党との連携
系の在家仏教教団・国柱会による立憲養正
の下、仏教改革と社会変革をめざす仏教社
会の設立(1923 年 11 月)を嚆矢とする。た
会運動を通じて、政治活動を実践したわけ
だし、これは田中智学の日本国体学(日蓮
である。こうした新興仏青の運動は、非制
主義的国体論)に依拠した「国体主義の政
度的な政治参加であるといえよう。
治運動」であり、仏教理念にもとづく宗教
政党とはいえない。とはいえ、田中は、こ
の政党を率いて、翌 1924 年(大正 13)2 月、
衆議院議員選挙に自らが立候補している(結
果は落選)(cf. 大谷 2001)。その後、田中澤
二(智学の次男)が率いた立憲養正会は革
新的な右翼運動を展開し、1942 年(昭和 17)
に政府から結社不許可処分を受け、解散に
追い込まれている。
仏教者の選挙立候補は、普通選挙法の実
施によって本格化した。1928 年(昭和 3)2
月の第 1 回普選の衆議院議員選挙で浄土宗
の椎尾弁匡が当選し、地方選挙では 110 余
名の僧侶が立候補し、100 余名が当選した。
30 年(昭和 5)の第 2 回普選の時は僧侶お
よび寺院出身者 15 名が立候補し、7 名が当
選している(宗派は真宗 4、曹洞 1、臨済 1、
天台 1、政党は民政 6、政友 1)(藤谷 1967,
430)。こうした普通選挙への参加やそれに
先立つ僧侶参政権問題については、近代仏
教史の通史(藤谷 1967; 柏原 1990; 吉田 1998)
で言及されるだけで本格的な研究は皆無で
ある。ただし、戦後の宗教者の議会進出や
おわりに
以上、近代日本の「政治と仏教」の関係
に関する先行研究のレビューを通じて、こ
の問題系に関する研究領域、研究視点そし
て研究の展望を提示した。
1950 年代以降、吉田久一、柏原祐泉、池
田英俊らによって開拓された近代日本仏教
史研究は相当量の蓄積を有しつつも、未開
拓の分野も数多く存在する。また、研究の
中心に位置する仏教的政教問題についても
多くの先行研究がありながらも、明確な分
析枠組や分析概念、研究視点、方法論が完
備しているというわけではない。
本論では、「仏教」や「近代仏教」概念自
体を自己言及的に問い直し、近代アジアの
仏教運動(宗教運動)との比較も視野に収
めつつ、近代日本の「政治と仏教」の問題
系を問い直す必要性を論じた。また、この
問題系に関する研究領域をカテゴライズし、
政治制度・宗教制度の制度史的分析、仏教
者・仏教集団の政治活動(政治参加)の分析、
仏教者・仏教集団のイデオロギー分析など
公明党の結成については、
(中野 2003)が詳
の研究領域が存在し、各領域の研究が重要
しい。
であること、さらに中野毅の研究に依拠し
一方、非制度的な政治参加であるが、こ
ながら、
「国家と仏教」研究と「政治と仏教」
れは、昭和前期に仏教社会主義にもとづ
研究を区別し、狭い意味での「政治と仏教」
く仏教社会運動を組織した妹尾義郎の新興
研究が仏教者・仏教集団の政治活動(政治
仏教青年同盟の運動が当てはまる。妹尾は
参加)を分析することになり、それを制度
1931 年(昭和 6)に「仏教無産政党」の設立
的な次元と非制度的な次元に区別して検討
を提唱したが、結局、それは実現せず、そ
することの重要性を示した。こうした研究
南山宗教文化研究所 研究所報 第 16 号 2006 年
43
視点を組み合わせることで、より重層的な
分析が可能になると考えられる。
現代世界の宗教動向を見ると、
「政治と宗
教」の関係に関する研究は、今後、なお一層、
その重要性が高まると予想される。近代日
本の歴史的コンテクストにおいて、
「政治と
臣らの制度史研究、宮地正人の政治史研究、安丸良
夫の思想史・精神史研究、原武史、高木博志らの天
皇制文化研究などを想定している(cf. 大谷 2001, 6–
8)。
6. 明治期の「仏教と社会主義」の関係については、
(船山 1961)が参考になる。また、内山愚童と高木
顕明については、(末木 2004)も参照のこと。
仏教」がどのように向き合い、また、交差
したのか、そして仏教者・仏教集団はどの
ように政治に関わり、どのような政治的役
割を果たしたのか。近代日本の「政治と仏教」
の対向関係について、さらなる研究の進展
が求められている。
注
1. 孝本貢も、近現代仏教史研究の主題をまとめた
論考の中で、「国家と宗教」という課題と、仏教教
団の「近代的再組織化」の課題が、近代日本仏教史
研究の「二つの研究潮流」であることを指摘してい
る(孝本 2000, 63–64)。
2. 故・池田英俊氏を初代会長とし、近代仏教史に
関心のある有志によって 1992 年 12 月に日本近代仏
教史研究会は発足し、現在に至るまで、研究大会や
夏期セミナーの開催、機関誌『近代仏教』の刊行など、
活発な活動を続けている。詳しくは、研究会のホー
ムページを参照のこと(http://wwwsoc.nii.ac.jp/mjbh/
index.html)。
2. 例えば、次の三枝充悳の指摘を見よ。「現在わが
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4. ちなみに、(Engaged Buddhism 研究以外の)近代
アジアの「仏教と政治」に関する近年の研究として、
(Harris 1999)や(Heine and Prebish 2003)が参考
になる。
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