教化研究 No.14

1
8
1
2
71
9
ISSN0
~
5年)
2003年(平成 1
No
4
〆
研究成果報告
②海外開教)
「開教の基礎的研究 J(
浄土宗総合研究所
5年)
3年(平成 1
0
0
2
No
ダ
〆
研究成果報告
開教の基礎的研究(
②海外開教)研究成果報告
平成十三年度研究活動報告(概要)
浄土宗義 と 現 代 ・①沖土教比較論i ﹃
浄土 宗 大辞典﹄ の点検l
浄土宗義と現代 ・②浄土宗基本典籍の現代語化・ A浄土 三部 経
浄土宗義と現代・ ②浄土 宗 基本典籍の現代語化・ B四十八巻伝
浄土宗典 籍 ・版 木 の 研 究 浄 土 宗寺院所蔵文献類調査整理研究
伝道(布教教化 ) の研究 ・現代布教の検討
ホーム ペlジによる教化情報提供運 営 に関する研究
① 円本語によるホ iムペlジ
海外開教研究班
今岡
大蔵
浩志:・ 2
公口万口:・
Qd
2
健司:・ 0
達雄・
:
ω
瑛 明 :・お
真道:・詑
t
千日
柴輝:・ M
m
2
0
次
葬祭仏教研究││ 葬儀の実態的研究
内
康
1
/
慎
谷
山 田
水
正 竹 善 袖 林
村
目
日常勤行式の現代語化に関する基礎的研究
研究ノート
浄 土 宗 基 本 典 籍 の 現 代 語 化・ 浄 土 三部 経
浄 土 宗 基 本 典 籍 の 現 代 語化 ・ 四 十 八 巻 伝
活動報告
仏説阿弥陀経
典翁:・ 6
::浄土宗基本典籍の現代語化 A浄 土 三部経班・:日
斎肇:山
ω
ω
::浄 土 宗 基 本 典 籍 の 現 代 語化B四十八巻伝班・・
岩田
8
1
31
2
41
2
51
3
61
3
1
ヨーロ ッパ 開 教 の 課 題 と 展 望
浄 土 宗 総 合 研 究 所 所 員 ・嘱託 名 簿
平成十四年度
研究課題・担当者
浄 上 京 総 合 側 究所 運 営 委 員 会 委 員 名 簿
平成十五年度
編集後記
-11一
坂
上
研究成果報
左七
仁1
1-
開 教 の 基 礎 的 研 究 (②海外開教)研究成果報告
海外開教研究班
-2-
(
寺院
l)
日伯寺﹂も、既に本格的な建設の途上にあり、南米 開教区
(
サンパウロ 州・ サンパウロ市)
教 区 に つ い て 宗 門内 の理解が深まり、その将来についてよ
19 7 3年本堂落慶、
19 5 7年現在地 へ移転
1954年開基、
(a) 雨 米 浄
t京別院日伯寺
(
1)南 米 開 教 区 の 現 状 (2000年現地調査時点)
だきたい 。
ただいたことをはじめに記し、感謝のしるしとさせていた
佐々木陽明 師 を は じめ、
関係者各位の全両的なご支援をい
なお、今回の調査に当たっては、浄土宗南米開教総監
=と
ー浄土 宗南米関教区現地調査概要報告│
JD
、
南米関教区の現状と展望について
はじめに
以下は、浄上宗総合 研 究所のプロジ ェクト 研 究 ﹁
開教の
基礎 的 研 究﹂の 研究班(海外聞教担当)によって、平成卜
二年 八 月 に 実 施された、浄土宗南米関教区の現 地 実態調査
の概 要報告である 。
本年は、浄土宗南米関教五卜周年に当たり、調査 川以で
浩
19 9 3年 日伯居 間修 セ ン タ ー 落 成 。
こうした叫機に、この報告を行うことで、浄仁京市米 間
の今後の発展がますます 期 待 さ れ る と こ ろ で あ る 。
計画 中 であった開教区第 三 番U の寺院となる ﹁
イビウ lナ
谷
り建設的な議論が行われることとなれば幸いである 。
3
水
開教使、佐々木陽明(総監)。
)関 係 悩 祉 団 体
2
(
(a) 粕 神 薄 弱 児 者 施 設 こ ど も の そ の
1958年 別 院 日 伯寺 内 に 創 立
稲場ペドロ明忠、近藤秀紀(のべ 3名)
檀信徒、 950家 族
1959年 現
個人会員8 0 0 0名
、
協力者、法人会員650社
、
同児、園生数102名
イタケ l ラ 区 に 移 転 。
(檀家9 2 2、信徒28)
b)マリンガ日伯寺
パラ ナ 州 ・マリンガ市)
(
1974年間尽、
1975年 マ リ ン ガ 日 伯寺 境内に制収 。
)養主施設 ﹁
b
(
和 順 ホ l ム﹂
開 教 使 、 佐 々 木 エ ド ア ル ド 良 法 (l名)
人肘若人数3 7名
1983年十本官官落慶。
相信徒、 355家 族
協力行特別 会日4 5名
個人会員2 3 0 0名
イ・大法要
(a) 法務
)布 教 の 現 況
(3
(相家3 3 0、じ 徒25
イ ビ ウl ナ口伯方
(C)
問教使、機井総祐 (l名)
*訴制は後
、
述
3月)
修生会、御忌(1月)、秋彼岸(
4一
う ら ぽ ん 施 餓 鬼 会(7月)
開 山 忌 、 地 蔵 ま つ り(
8月
、
)
春彼岸 (9月)、御十夜(日月)
例 名 会 (ロ月)、 除 夜 の 鐘 (ロ月)。
口・檀信徒各家への巡回布教
年l回 各 家庭訪 問布教
(
棚 経 +法話+相 談)
ハ ・ 結 婚 式 、 金 婚 式 等 の 仏 式 法 要。
ニ・奥地開拓地への教線拡張の布教 。
ホ・記念式典、慰誕法要等 。
地方団体へ の布教 。
(b)青少年教化活動
イ ・こどもおてつぎ奉仕団、
教化研修会開催
(毎年1月サン パウロ ・マリ ンガ)
ハ・こ ど も 大 会 (毎年8月)
(C)
ハ ・ボーイスカウト団の発足
(
1997年3月)
ニ ・ポルトガル語による仏教研究会(毎月)
婦人会教化活動
イ・毎月 定例 の 外 、 年1度(7月)パザ l。
口 ・旅行会、其の他 。
d) 老 、 壮 年 教 化 活 動
9月)
カ ラオケ大 会(
イ ・在宅老人の福祉相談 。
u ・敬老会(3円)
H本語 による仏教研究会
ハ-
念仏講等。
(
e
) 研 修会等の 指導
企 業 、団体、制祉関係)
イ・各碍研修会 (
の指導 。
円 ・湘 徳 大 学 ブ ラ ジ ル 研 修 生 の 指 導
-5-
(毎年8月1 9月)学 生 数 名 参加 。
感が持続出来たが、愈々教化内容の充実をは
かる時、厳しい白己符聞と開教使の使命感
一体 感 を ど の 様 に 持 ち 続 け て い く か 、 そ の 努
(
4
)開 教 使 の 待 遇
(開教使の生活は縫本的には法施による)
(
b
)現 在 の 開 教 方 法 の 見 直 し
力が大切。
体
大法要仏前、法要布施、位牌堂回向料等により支
600米 ド ル 。
給 、 初 任 給700米ドル(食事、宿泊っき)
ー1
イ ・海 外 開 教 を そ の 国 に 住 ん で い る 日 本 人 、 日 系
人をその対象として考えているが、果たして
その考え方だけでよいのか 。ブ ラ ジ ル 凶 に 貞
献する浄上京間教であれば、非日系人にたい
する閲教の ・
万法を研究し、方針を立てて、実
行する必要がある。
口 ・現 在 の サ ン パ ウ ロ 、 マ リ ン ガ の2 ヵ寺中心の
開 教 で 満 足 し て よ い の か ? 日 本 の お倍と 言 う
広い範囲にポルトガル語を使用しての布教伝
道を行う場合の具体的ト刀法の研究、例えば
イ ン タ ー ネ y卜を使用する等も与えてけんる必
裂がある 。
-6-
(
5
)各 寺 院 維 持 運 営
c"60米ドル
掴 信 徒 護 持 会 費 ( 段 階 あ り ) 、 寄 付 金等にて
年間、 - 家 族会費、
BH80米ドルA"120米ドル
別H170米 ド ル
え て い た こ と に よ り 一致 協 力 、 使 命 感
して米た為に、経済的には苦しくとも目に見
(a) 今 日 迄 は 開 教 を 行 う 為 の 建 物 や 佳 築 を 中 心 と
(
l
)問 題 点 と 課 題
2) 開 教 総 監 の 考 え る 南 米 関 教 区 の 展 望 に つ い て
特
現在、日本人、日系人の外国移住者数は
(
2
)展 望
(a)
2
6 0万 人 、 そ の う ち の 叩 % に 当た る130万
人 が ブ ラ ジ ル に 移 住 し て い る 。 又、、ブラジル
よ り 口 万 人 の 日 系 人 が 日 本 に 出 稼 ぎ に 行 って
いずれ、彼 等 が ブ ラ ジ ル に 帰 国 する時
一方 で は 、ブラジル生ま
(C) そ の 為 の 人 材 の 育 成 と 派 遣 、 経 済 的 に は
とが大切である 。
加した開 教 使 が 、 責 任 あ る 開 教 を 展 開 す る こ
(b)南米関教の 中期、 長期の計画を立て、それに参
ルトガル語での開教も出来る様になっている 。
れ の 開 教 使 も2 名 が 育 ち 、 他 宗 に 先 駆 け て ポ
いうことである 。又
だまだ日本語による開教のチャンスが多いと
ち 込 ん で 来 る 事 が 予 想 さ れ て い る 。 即ち、ま
に ‘ 日 本 語 、 並 び に 日 本 の 文化 、 習 慣 等 を 持
り
貫した 開 教 助 成 が 必 要 で あ る 。
(d) 一宗 の 但 当 者 が 南 米 関 教 の 実 態を 視 て 理 解 し
ておく必要がある 。
3) イ ビ ウl ナ 日 伯 寺 開 基 に 関 す る 報 告
(
l
) 建設目的
(a) 日 系 人 を 対 象 と す る 開 教 活 動 、 サ ン パ ウ ロ 州
南 西 地 域 日 系 人 の 念 仏 信仰 の 寺 と し て 。
(b)サ ラ ナ 生 涯 教 育 セ ン タ ーとしての福祉活動、教
化 活動、サンパウロ市を含む日系社会全体の
老壮者を対象とした福祉活動、青少年の研修、
ブラジル人に対する開教、仏教教育、研修道
婦 人 会 等 の 教化 活 動 の 場 と し て 。
(C)
場、非日系ブラジル人を対象にポルトガル語
による仏教伝道のお寺として 。
建築規模
一部2階建て)
総 面 積5 6 812
m(鉄 筋 コ ン ク リ ー ト
2) 建 設 計 画 概 要
煉瓦作り、
一 7一
お
第l期から第5期 ま で
5 9 9 4 0 0 0 レアル
(
第1 ・2則は 2003年5月 竣 E その 他 は 未定)
総工費
(
約2 3 0万 米 ド ル
3) 建設に 到 る ま で の 経緯
故村上正朋氏は高知県の出身で、戦前青年時代にブ
19 9 2年に 7 2 fにて
ラジルに移住し、 イビウ│ナ郡モルド l区 に て 大 き
く山 山帽を 経 営 していた が
逝去された 。 生 前 に 辺 助 後 継 者 が い な い の で 、 開 教
総監に 対 し て 、 浄t京 南 米 教 団 に 白 七 を 合 め た 上 地
として政人の意思を尊重して教団に寄進の巾し山が
あ った 。
教団理事会、開教使会にてこの件を検討し、別場を
視 察 し 、 選 択 集8 0 0年 記 念 事 業 と し て 、 将 来 第3
イビウ l ナ 日 伯 寺﹂として 聞け得する じゃ とし
の寺院 ﹁
サンパウロ州イビウ lナ 那 モ ル ド │
寄 進 を 受け入 れ る こ と となり、土 地 の選定を行 った 。
(
4
) 寄進された土地
(a) 所 在地
区 村 上 耕 地 内 ( 別 院 日 伯 キ よ り 一山南西へ卯同
地点)
(b)上地面積 4・
約1 0万8千
5 アルケ l ルス (
平
8 ヘクタール)その中に 8 0 42
方米 "10・
m
の.部を寄進し、 それ等を活 用してほしいと の巾 し
出が あった 。
の居住家屋
1 76ぱの市崎、合相 一
陣あり 。判
しかし、 当 時 は日伯寺研修セ ンターの 建設 小 であ り
し、いずれも屋銀倍、其の他、改装が必要
クタ l ル)の中心部、 家 屋 を 含 め た 所 。
村 上 農 場(10 0アルケ l ル スH240へ
ィ・
(c- 収 地条件
資金 山、柱 、
びに問教使 スタ ッフ の 問 題 等 が あ り 、 寄
進受け入れの返事をしなか った 。
、 2女)の 合 怠
川(本亡人 、2男
村t正 川 氏 逝 去後、 仲T未 亡 人 か ら
トJ総代 を 通 じ て
今 刷 、改めて、追肱
-8-
W
I
サンパウロ中心よりイビウlナ市迄河川
口・
mM地点
イビウ lナ 市 よ り
ハ・土地は平均して幅約200m、奥行約5 5
om、家屋の在る所は前面に小川 、池があ
1ナ 郡 で 最 も 高 い 所 で 、 周 囲 の 山 々 や
り、奥の最上地は標高l千2百 mで、イビ
ウ
200度 の 大 パ ノ ラ
政治的にはH系 人 の 強 い 所 で 、 現 在 副 市 長 は 日 系 人
サンパ
(村上家縁者)。農 村 屯 化 を 始 め 出 産 物 の 大 量 生 産 等
日系人の農業関係での活躍で発展した郡で
ウロ市に較べて治安も良い所である 。
イビウ l ナ ﹂ と は ブ ラ ジ ル 先 住 民 の 言 葉で ﹁
﹁
黒い
t﹂という意味で、ブラジル独特の赫土がすくなく、
文、ブラジルの海岸山脈の中にあり、起伏に富んだ
地形で全体に日本の山岡村風景に近い 。 サ ン パ ウ ロ 市
への水の供給地として湖も大きく、自然環境保護と
観光に力を人れている、山然に忠まれている郡であ
(
6
) 浄上京の開教拠点と考えた場合
(a) 現 在 、 別 院 日 伯 寺 の 檀 信 徒 は 、 イ ビ ウ lナ 郡
マイリンキ
コチ
イビウ 1ナ 郡 に 約700家 族 の 日
を 中 心 と し た 近 隣 の 郡 も 含 め る と 約5 0家 族
ある 。 又
系を小心に、サンロ ッケ
日本語が通
ァ、パルゼングランデ、ピ エダl デ 等 隣 嫁 す
る 近 郊 耶 にE に出業を小心とし
-9-
雲海が眼下に見え
マが展望山来る 。
yキ 別 ブ ラ ジ ル 大
e
る
(
5
) イピウ lナ郡について
イビウ l ナ 郡 は サ ン パ ウ 口 市 の 約2倍 の 而 制 で 、 近
イビウ lナ 文 化 体 育 協 会 等 の 日 系 団 体 も あ
郊 阿 南 地 帯 で は 最 も 大 き な 郡 で 、 日 系 人 も7 0 0家
山犬
伝
主
I
l
A
{
フ エルナンド・エンリ
統領の別荘もあり、釣り堀や貸別抗なども多くある
しており
疏 菜 、 花 等 の 牛 産 地 と し て は 近 郊 第 一と 口われてお
一
玉
り、以近ではサンパウ口市民の別壮地としても発展
る
寺院は l ヶ寺も無く、浄土宗の問教地点とす
同圏内に生長の家の練生道場はあるが、例数
じ る 日 系 人 約 l千5百 家 族 が 在 住 し て い る 。
文、その周辺は逆に伐採山米ない森林が多く
100%を如何様にも利用することが出来る 。
樹木の伐採禁止の対象とならず、その土地の
い大サンパウロ在住者の巌も求めている、安
開発ができないことになっている 。 公害の多
b︺別院 日 伯 寺 で は ボ ー イ ス カ ウ ト 団の再発足を
全な大自然がそこに在り、心が洗われる様な
れば教線拡張出米る川町能性は大きい 。
する事にしているが、治安の関係でキャンプ
自然環境である 。
(e) 寺 院 の 所 在 地 と し て イ ビ ウ lナ 市 よ り 加 川 地
地の縦保が必要である 。又、少年教化 として
﹂どもおてつぎの第2日目は毎年(本年で 5回
万では心を洗う場所として、大自然の中で別
しかし
ているが、これら白少年教化活動の上地とし
時 念 例等 、 ゆ つ く り出米得る立屯な場所とも
点は若干不便である感がするが
て活用、又、別院の伯信徒の週末の慰安を防相
考えられる 。
)イビウlナ郡のレジ ャー施設を附りて行 つ
u
ねた家族ぐるみの教化、非日系ブラジル人の
合宿念例教化への活用等々、が考えられる 。
) 寺院名、山号、院ロワ等について
7
(
故 村 │-正川氏 の生前の思いなどを考えて、﹁正葉山
( C J mヘ ク タ ー ル 以 上 の 広 い 面 積 と 、 自 然 と 安 全
に固まれて、将米は植信徒を中心とした老人
1ナ 日 伯 寺﹂と する 。
高徳院
尚山 上に連立する念悌道場を﹁選持念仰堂﹂とす
(
イピウ
制祉施設等の住設を考えることが出来る 。
d) 寄 進 さ れ る 予 定 地 は 現 在 農 耕 さ れ て い る 為 に
史地として考えられ、自然環境保護法による
る
u
n
--A
れた折、村上氏の心の中に常に在った、高知、高精
上地の寄進の話が重ねられていた 。出場で市ド政死さ
布 教 の 折 に は 必 ず 村t家に 一泊し、その同憾な縁から
など人徳も高い人で、総肢もイビウ lナ地区の巡回
者 で 、 右 齢 化 し た 人 達 に 対 し て も 予 篤 く 按助 さ れ る
粋で清らかな心の方で、数多くいたブラジル人労働
家の先但がまつられている 。 非 常 に 勤 勉 で 正 直 、 純
許吋されなかった 。而 し て 、 村 上 家 の 例 埋 に は 高 縞
上 姓 よ り 高 橋 姓 に 変 更 す べ く 努 力 さ れ た が 、 法 律t
拓時代より﹁高橋家﹂の発展の念が大きく、生前村
寄主の村上姓に入籍された 。 し か し 本 人 は 苦 し い 開
は高橋家 。 戦 前 に 単 身 波 伯 す る 為 に 向 楠 姓 よ り 、 呼
故 村 上 正 朋 氏 は 高 知 県 高 岡 郡 葉 山村 の 出 身 で 生 家
葉山村山身の多くの家族が浄土宗に入信している 。
有
)
、 中山 家 一族、西岡家 一族、中久保家等、その他
、 川上家 一族、下元家 一族(コチア産業組介削虫
他に
等、地道な開教を通じて先記の村上、林、高橋家の
その犠な縁を元にして、巡回術教やこどもおてつ 、
ぎ
ンロ弓で回 日 の航海を杭けて波伯した 同船者であった 。
総監を合めて3名の問教使が随伴)と同じ船ボイスベ
家族は、
れたが、そのうち、林亮 一氏、高橋正男(実兄)氏の両
ある 。 そ れ は 、 村 上 氏 が 親 戚 縁 者 を 数 多 く 呼 寄 せ ら
家 が 多 い が 、 現 在 で は 浄 土 宗 へ の 転 宗 が 噌 加 しつつ
同派が無い為に禅宗という事で曹洞宗に属している
数の家は日本では臨済宗妙心与派だが、ブラジルに
全 土 に 在 住 し て い る と 言われている 。葉 山村 の 大 多
向、今回の上地の寄進に椛進役を勤められた林亮
葉 山村 の 出 身 で あ る 。
氏、林先 一氏
、 川 上公 三氏 、 西 岡 健三氏等いずれも
現布、 川 イビウl ナ地区の総代世話人は 川 上佳兜
1957年、け伯寺開 山 長谷 川良信上人 (
現
尚﹂と、政人の人徳を考え、総監の蓮社号﹁徳﹂
の ﹁
尚 徳 院 ﹂ という成名がおくられた 。
をあわせ ﹁
政 人 の 出 身 地 葉 山村 か ら は 戦 前 、 戦 後 を 通 じ て 約
350家族が手ブラジルに移住し、現庇は、それらの
子孫が分家等をし、推定1千500a
一本鉄がロブラジル
唱EA
唱EA
一氏、中山善介氏(義弟)、西岡健 三氏はいずれも村上
氏の親戚であり、呼寄で渡伯し、村上出場で働きな
イビウ lナ在住U系
がら出場を発展させ、現在ではイビウ lナ郡内でそ
れぞれが出場を経営しており
その
人のリーダーとして活躍している 。その方達にとっ
ては村k家のシンボルである大家尾や農場は
まま自分達の開拓時代のシンボルであり、ブラジル
)現地の運営委員長に西岡健三 氏を決定 。 敷 地 内
3
(
の道路作り等開始(1998年7川完了)
)イビウ lナ口伯寺開基法要(1998年8月幻口)
4
(
本堂予定地にて地鎖式 。
)村上未亡人間住セ完成、新居に移転(1998年
5
(
日月)
)顧問会、総代会、理事会、護持会役員決定(19
6
(
9 9年3月日日)(総代長 川 上公 三氏)
)民体的な設計案作成開始(中村ミルトン技師に依
7
(
参 考 資 料﹀
︿
・1
911
し
1996F14
ロ、
2
slqLIls
南米関教区の現状と展望について ﹂(佐々木陽明南米関教
﹁
、
院
1997年2川日H記)
-12一
移住の原点でもあり、若しイビウ lナ日伯寺が開基
されれば大なる協力支援を約束されている 。
8) イビウ!ナ日伯寺建設の現状報告
(約4
m
7902
)村上家より寄進された土地140,
l
(
員
中
イビウ lナ口伯寺開基について ﹂(佐々木陥別刷米関数総
﹁
と
臣
)は、上地の測日憶が完
m
663坪)家屋(8042
2,
イビウ!ナ市登記所に
了し、村上家の弁議上の指導により、 (1997年
9月)寄附譲渡子続きが
て完fする 。但し、地権の交付は、村上家の遺産
相続が終了後となる由 。
)境界線に柵(鉄条網)を設備(1997年日月)
2
(
総
浄土宗南米関教印周年記念正葉山高徳院イビウ│ナ日伯
﹁
寺建設随意書﹂ (佐々木陽明南米開教総監 2001年日
月別日記)
︿添付資料﹀
(佐々木陽明開教総監立案 ﹁
開 教 区 印 周 年 に 向 け て ﹂より)
O展 望 と 方 向 性
ブラジルは126ヶ凶の移民を受け入れている人種の州
凶の凶と 一
白わ れ て い ま す 。
ここ十数年間、文化統合という考え方や 言葉 が 強 く 言 わ
れ て お り ま す 。か つ て の 国 教 で あ っ た カ ト リ ック教やポル
トガル文化を小心とした考え方から脱却して、各移民が持
次にブラジルの日系入社会は現在130万人でブラジル
国 民 の 1 % 弱 で あ り ま す。
然し海外在住日系人の実に叩%
が ブ ラ ジ ル に 居 住 し て い ま す。戦 後 の 移 住 省 も 数 多 く 活 躍
しており、 昌 請で 言 えば、日本語のみ、 日伯両 語、伯語即
ちポルトガル語のみ、と-二段 階 に 分 け ら れ ま す 。而 し て 日
J
本移民的年を経た今日、 一 ・三世 が 中 心 の 時 代 と な り 、 国
話であるポルトガル話が主流となり、国際結婚も加速し、
出山 が 明 加 し て お り ま す。
リ入、ブラジル経済の不況により、 加万人以上のH系 て 、
-
状ですが、-万それら出稼ぎの人達が日本で数午働くこと
以上の人がブラジルに帰国すると予想され、日系入社会の
により、日本の 言 語 、 習 慣 、 文 化 等 を 身 に つ け 、 将 米 市 %
せ、統合し、囲内で共存共栄を計り、世界のどの固とも
An
ち込んだそれぞれの国の文化をブラジルに採り入れて組み
仲良くしていく、これがブラジルの文化である、という考
られています。
性を持って問教を行うべきかといいますと、次の事が考え
活 性 化 に 貢 献 さ れ る だ ろ う と 口われております 。
一
一
一
﹂れらの展望の中で、南米派上 宗 教 団 と し て ど の 憾 な 方 向
え方です。
この考え方の中で、 HK弔いえ化、或は東洋文化の般幹をな
す悌教に対して強い関心と興味が持たれはじめておりま
-13-
す
の開教を展開する事は、当初より不変であるが、現在
導者(開教使)を有する悌教教団、 寺院 は 隆 盛 に な る
哀遣する 。逆 に 、 日 伯 両 語 で 開 教 し 、 し っか り し た 指
一向 の 消 滅 と 共 に
、
迄 の 日 系 人 を 中 心 と し た 開 教 を 、百 年 二百 年 先 を 視
と の 認 識 の 中 で 、 イ ン タ ー ネ ット 、 ポ ル ト ガ ル 籍 文 書
c ・日木語のみで開教する 宗 派例教は、
野に入れたブラ ジ ル人中心の開教に徐々に変動させて
等 で広くブラ ジ ル全土に浄土教の発信と、各寺院でポ
)開教基本方針は、悌教(念帥)、教育、福祉、 三 位 一体
l
(
いく事が 重 要 で あ る 。その為には、南米開教の中期、長
ルトガル語の例教文化講座、研修等、定期的に開催し、
会 の構成員として与えていくべきである 。
するほ僚に取り組む 。而 し て 日 系 三 世 以 上 は ブ ラ ジ ル 社
地道な開教を行ない、ブラジル人の念偶者を多数輩出
期間教の基本方針を決定する 。
)布教対象を、 A、教団梱信 徒、 B、日系社会、 C、ブ
2
(
ラジ ル社会 、の3 つ に 分 け 、 そ れ ぞ れ に 必 要 な 開 教 方
針を具体的に決める 。
ホルトガ
に、より 一層 の 念 悌 信 仰 運 動 と 、 信 徒 子弟 の 。
而 の 向 上 を 計 る 。何 を 以 って 慢 秀 かと 言 え ば 、 日 伯 両
法 は 人 に よ っ て 弘 ま る ﹂の通り、先ず開教使の 学 徳 両
﹁
(
3)優 秀 な 開 教 使 の 縫 成
ル語による教化活動を行ない、各家 の信仰の後継有つ
水住開教使のみ
語 で 開 教 出 来 る 、 ブ ラ ジ ル国籍、或は 、
今 日 の 浄 土宗 開 教 の 基 礎 造 り に 協 力 支 援 さ れ た 植 信 徒
A-
く り を 推 進 し 、 植 信 徒 を し て 移 住 者 と し て の 誇 りと満
を優秀と考えず、日本語のみ、或は 短期 間 で あ っても
一体 感 と を 持 って開
足、家族ぐるみの信仰の歓びを感じていただく 。
t念 怖 を 自 ら 信 行し、使命感と
教に取り組む、明るくて躍動感のあるプロの開教使が
げ
ぬ
せる様、特に、高齢者に対する教育、福祉活動を、念
必要。
B-日 系 社会 が 求 め る 、 文 化 的 、 福 祉 的 中 心 の 役 割 が 梨 た
仰 の 実 践 行 と し て 、高 度 の レ ベ ル で 取 り 組 む 。
-14-
元 祖 様 の ご 遺 跡造 り 。 世界に拡がるお念例を考えた
(
6
)南米開教への組織的支援の強化
a-開教は苦しみでは無い、苦しいけれども僧侶として法
時、最も可能性が大きい南米関教区で、﹁南米の大地に
(
4
)﹁開教﹂概念の改革
を伝える喜びであり、ロマンである(苦しみのみ感じた
お念怖の声を﹂を合 言葉に、日制年の歴史を重ねている
4)檀信徒用日常勤行式(日伯両語)の作成
3)植信徒経史帳作成運動の推進
2)マリンガ日伯寺教化ホ l ル附幣 工事の完成
-)和順ホ lム増築に関する附帯工事の完成
om年に向けて今後予定している計画
開教を考える会﹂ の活発な運動が必要である 。
ついては、 一宗当局との連絡を密に行なう事と 、﹁南米
な支援を集中的に、組織的に行うことが大切である 。
南米開教の実績と実態を正しく認識、評価して、適切
時衰退する)。
b-開教は開教使のみが行っているのではなく、檀信徒、総
代、寺役員等、僧俗 一体で行われている事の再確認 。
開教は現場の開教使のみが行うのでなく、志を同じく
Cする人が日本に在っても 一体感の中、使命感を持って
行なう 。
d-特に長期の企画、方針等は、現場の開教使のみで行う
と近視的になり失敗に繋がる 。
(
5
)楽しい問教の環境"つくり
広大な南米の開教に取り組んでいる開教使に対して正
(
5
)青少年教化活動、例教文化講座(日伯両誌巴、五重作礼 、
地方 巡回布教等、信 仰運動、教化事業の継続と内容充
-般常識内の経済的保証、安
全な自動車の提 供
、 自己研修出来る時間的 余裕等々、
実、教化推進
しい評価と敬意を払い
楽しく開教に専念出来る環境"つくりが必要 。
6)南 米 浄 土 宗 別 院 日 伯 芳 の白蛾駆除を含めた補修工事
唱EA
F
hd
m改 築 移 管 七 事
の
と位牌作一 h
)浄 土 宗 海 外 三 間教区間教使の研修会開催、並びに、浄
7
(
七宗ブラジルセミナーの開催
附 界 的 に も 、ブラジル国内も不況の中で、先記の品川
画 、 特 に イ ビ ウ lナ 日 伯 汗 の 建 立 は 、 資 金 面 を 含 め
大きな不安を感じていますが、ぬげ上京市米問教の歴史
の大きな分岐点に立っているという認識の中で、今後
の五卜年百年を占う大きな試金石と受けとり、元祖様
8)H本 よ り の 研 修 を受け入れ、並びに、こどもおてつぎ
青年国信徒のおてつぎ運動を含めた訪日研修団の派遣
に、小納と同じく、ブラジルの土に還る若い開教使陣
のご遺跡造りを行うという自負と使命感を持つと共
)日 本 に 就 労 し て い る 日 系 ブ ラ ジ ル 人 に 対 す る 福 祉 活
9
(
の情熱と実行力を信じ、日午に向って踏み出した次第
-16
、 日 伯 親 益口炎流の推進
等
動、特に未就学児童に対する支掠活動に関する研究と
です 。何 卒 、 街 徳 街 縁 の 皆 様 の 御 理 解 と 御 支 援 と を 切
にお願い山中し上げます
実施 。
日)イビウ l ナリ伯トJの佐川侃
行少年教化研修場として寄贈された家屋の補修て事
叩周年に落成を目指す 。
地 域 の 日 系 人 の 教 化 ・ブ ラ ジ ル 人 を 対 象 と す る 伝 道
よ
岡
教化 。全 伯 浄 仁 京 信 徒 の 別 時 、 研 修 道 ぬ と し て 。問教
L
本 ww也
t 弘、イビウ lナ郡 を 小 心 と す る サ ン パ ウ ロ 州阿
修胞刊紙(サラナホ l ル的に)
日系高齢有を対象とする、一悩祉、教育を口的の保護附
肝 外 の ス ポ ー ツ 設 備 等。
A
B
C
浄土 宗南米教団
組織図
、
p
;
.
.
.
,
-・
,
;鋤 :
;λ:
:会l
r'
..
-,
.,
.
.
,
.
.
.
,
巨~~
:各傭 :
・1
ー
,- -苧,- ~ -守 I
注
:
筒;
;槍 少 :
!:
:
t:
:化:f
;敏:
l働 ;
j
l
j
t
i
l
。
。
i
唱
平成十四年度
研究活動報告(概要)
EA
唱
Qd
浄土宗義と現代・①浄土教比較論 j ﹃浄土宗大辞典﹄ の点検 j
平成 二十三年に厳修さ れる 宗祖法然t人八O O年大遠忌
卜人辞典﹂と記す)初版第 一巻が発行されて以
典﹂ (以下、 ﹁
浄土宗大辞
昭和四十九年、浄土 宗大辞典編纂委員会編 ﹁
研究意図
計
を控え、浄土宗ではさまざまな大連忌記念事業が立案 ・
来、およそ凹半世紀が経過した(昭和任卜 年・第 二巻発
はじめにiプロジェクト編成の経緯i
画され、順次実施されようとしている 多くの記念事業の
行、附和五卜丘年 ・第-.巻先行、附和五卜じ年・第四(別)
A
つに、
J
は長足の進展を示し、あるいは、宗宝や名縄文化財の指定
(解除も含めて新出資料の発見、市町村合併に伴う住居表
一
大辞典 ﹄記載事項に改訂
不の変更など、 ﹁
m補を望む声
-
論﹂中に、この事業を組み入れ、新たにスタ ッフを制成し、
クトは、それら多 方而か らのい戸を 踏 ま え 、その ぷ礎作業と
は日噌しに高まり、かっ、多岐に及んでいる 。本プロジェ
浄t 教比較
そこで、平成卜四年度から、総合研究所の ﹁
あった 。
中、宗務当局から総合研究所へ諮問された恨業の
]
1
頂
山入学をはじめ刈了間研究
巻先行)。その後、京学・仏教州f ・
康
かねてよりの懸案である 浄上京大計典﹂の点検作業﹂が
﹁
﹃
田
以下のような概要で 浄士京大辞典 ﹂点検プロジェクト ﹂
﹁
﹃
を進める運びとなった 。
-20-
木
本
大昨典﹂ の点検作業を進めるものである 。
﹁
し
て
改版増補・浄土宗大
こうした点検作業は、最終的には ﹁
﹁
新 大 辞 典﹄
) の発刊を目指している 。無 論 、 現 今
辞 典﹂ (
の出版を取り巻く環境、頒布 ・販 売 ・検 索 の 便 宜 な ど を 鑑
み
、 ﹃
新大辞典﹂ の 電 子 化 も 視 野 に 入 れ て 作 業 を 進 め て い
ることは言うまでもない 。
﹃新 大 辞 典﹂ の発刊は、
教 学 振 興 を 促 し 、 布 教 施 策 の 一助 と な る で あ ろ う 。
ただ、 ﹃
大 辞 典﹂ が 存 在 す る と は い え 、 そ れ を 全 面 的 に
﹂ を発刊 ・販 売 す る と
新大酔胤ハ
改 訂 ・増補し、加えて、 ﹁
いう一連の膨大な作業が、短期間で完了するはずもなく
一宗 を 挙 げ て の 綿 密 な 調 査 、慎重な討議、線維な 事務が 必
要となることは 言 うまでもない 。そうした作業の膨大さか
らか、現時点(平成卜五年三月末円)では、刊行まで視野
に入れた最終的な決定権をもっ組織が 一宗の 中 で設立され
ていないため、私たちの研究についても、いまだ具体的な
予 定 を 明 確 に し 得 な い の は は な は だ 残 念 で あ る 。しかし、
どのような形でそうした組織が設立され、中止を含めたい
かなる結論が下されることになろうとも、それに迅速に対
応 で き る 準 備 だ け は 着 実 に 進 め て いく所作である 。
スタ ッフ構成
総合研究所長・石上善応研究代表以下、平成十四年度の
本プロジェクト研究スタッフの構成と、研究会を円滑に進
めるにあたっての現時点でのスタッフの担当は以下の通り
である 。
ただし、ここに記す担当は大まかな・ものであって、全ス
タ yフが.項目の点検作業にあたっていること存付記しておく。
プロジェクトは膨大なデータをより効率的に処
また、本。
理する必要があり、コンピ ューター処珂による高度な編集
技術が要求されることから、発足当初から当研究所編集主
務・
大 蔵 健 司 専 任 研 究 員 を チ l フとする編集班との共同プ
ロジェクトとし、デ l タの作成・保存などの情報処理作業
を進めているので、重被するがその構成も付記しておく 。
なお、今後、実際の改訂作業に着手する段階になって、ス
タッフを大幅に増員することになろうし、多くの方々にご
執筆の手をわずらわせることとなるのは 口うまでもない 。
一
一
一
-2
1一
層
の
研究主務
研究代表
林田康順(専任研究員) 宗学、布教
石上善応(総合研究所所長)
戸松義晴(専任研究員) 海外の仏教 ・浄土教
大蔵健司(専任研究員) 宗教学 ・哲学 ・習俗
西城宗隆(研究員)
袖山 栄 輝 (研究員)
柴 田 泰 山 (研究員)
仏教学
特にインド仏教
中国仏教 ・
中国浄土教
寺院 ・詠 唱
宗史・史学・国文学
(研究員)
口同浮雄(研究助手)
士
典籍・ 美術
村田洋
和国典善(研究助手)
石川琢道(研究助手)
大蔵健司(専任研究員)
人
作業大綱
平成十四年度は、以下のような方法で作業を行った 。
(
1
) 研究会は、原則として毎週月曜日をあてる 。
(
2
) 研究会当日までに、各スタッフはあらかじめ ﹁
大辞
典﹂ の読み込みをし、加えて、項目内容が自分の担
当にあたっていた場合、綿密な調査を施しておく 。
(
3
) 研究会当日は、 ﹁
大辞典﹂の項目順に、項目内容に応
じて担当スタ ッフが記載内容についての検討結果を
報告し、それに基づいて全スタ ッフが自由に討議を
仔リっ。
(4) 討 議 の 結 果 は 、 次 の よ う な 形 で 総 合 研究所のコン
ピュ l タl中に保存し、全スタ ッフがすべての情報
を共有できるようにする 。
その検討結果を大まかに分類すれば、 (A) 総論
B) 既存項目の処理、 (
C
) 新規項目名の選定に分
けられるので、それにしたが って要点のみを以下に
2
2
スタ ッフ 福西賢兆(主任研究員) 全 般
編 集E 務
スタ ッフ 吉田淳雄(研究助子)
石川琢 道 (研究助手)
a
L
す
法
式
名
今後、 ﹃
新 大 辞 典﹂ 編 集 の 際 、 全 体 的 な 流 れ と し て 、 あ
なお、こうした分類は、あくまでも研究会内部のもので
インド ・中 国 ・ 朝 鮮 ・日 本 、 古 代 ・ 中 世 ・ 近 世 ・ 近 代 。
女副分類(必要に応じて次の副分類を付す)
るいは、 書 名 ・寺名・人名など大まかな項目毎に、執筆者
あって、今後、具体的な編集段階に入った際、執 筆 者 の 選
(A) 総論
に心得ていただきたい事項について、適宜その要点を抽出
任 な ど 、 編 集 の 効 率 化 を 目 指 す 方 策 の 一つである 。
があるもの 。
改 訂l新たに稿を起こし、現在の内容を 書 き 換 え る 必 要
大執筆者を選定する作業
② ﹃
新 大 辞 典﹂ 編 集 の 際 の 作 業 指 針
し て い る 。具体的には、項目内の構成、典籍の引用方法、
出 典 ・ 参 考 文 献 の 記 載 方 法 な ど の 統 一である 。
(
B
) 既存項目の処理
﹁
大 辞 典﹂に 所 収 さ れ て い る 既 存 項 目 の 処 理 は 次 の よ う
である 。あ ら か じ め 作 成 し て あ る コ ン ピ ューター上の項目
調査j 記 述 内 容 に 疑 問 点 ・不明点があり、正確な調査の
必要があるもの 。
一覧 に 次 の ① か ら ③ ま で の 情 報 を 記 載 す る 。
① 項目の分類 (
主分類と副分類
カ編集部内で処埋する作業
-確 認1 ﹁
大辞典﹄発刊時(執筆時)から現在までに、記
噌 補1現 在 の 記 述 に 書 き 足 す べ き 事 項 が あ る も の 。
があるもの 。
訂正 1誤 植 や 不 適 切 な 表 現 な ど を 編 集 部 で 訂 正 す る 必 要
す主分類
一般 仏 教 語 、 宗 教 ・哲 学 ・ 思 想 、 歴 史 学 用 語
宗学用語、宗史用語、伝法用語、布教用語、法式用語、
キ小日日日間五口
4口
主丙"日ド rtFJ
習俗・民間信仰、仏教美術、経典、書名、人名、寺名、地
名 、 仏 ・菩 薩 、 天 ・ 鬼 ・ 神 な ど 、 組 織 、 成 旬 、 保 留 。
qJ
9u
故事項に変更・変化が考えられ、現況の確認を要するもの 。
項目名変更i現在の項目名を変更し、内容についても若
干の手直しを要するもの 。
統合i他の 項目の記述内容と重線が多いなどの理由から
一つの項目として統合するのが望ましいと判断されるもの 。
③備考
﹁
新大辞典﹄編集の際、当研究会として執筆者に心懸け
一文 字 毎 の 検 討 終f後、各担当
ていただきたい視点をできるだけ詳細かつ具体的に記す 。
(
C
) 新規項目名の選定
﹁
あ
﹂ ﹁い﹂
﹁ う﹂など
に応じて新規項目候補をできるだけ提出し、その 一々につ
原則として、項目名のみは残し、統合の結果、残った項目
を参照するよ・っ、 それを﹁見よ項目﹂として指示する 。
いて全スタ ッフが自由に討議を行い、採用 ・
不採用 ・
保留
・
進むに応じて、あるいは、 ﹁
新大酔典﹂の編集作業が具体化
した時点で、今 一度、再検討を要す可能性を残している 。
yフは、かつて
﹁
大辞典﹂刊 行 に か か わ ら れ た 編 纂
とその 刊行 とが、少しでも円滑に進むよう、微力ながらも
組織を巾心に目指されるであろう ﹃
新 大 辞 典﹄の編集作業
大な先学諸賢のご尽力に常に敬意をはらい、いずれ 一宗の
委員の先生方やご執筆された先生方をはじめとする実に膨
究スタ
以七、私たち ﹁﹃
浄 土 宗 大 所 典﹂ 点 検 プ ロ ジ ェ ク ト ﹂ 研
おわりにiお 願 い に か え て j
目 一覧に記載する 。
項目名のみなどといった検討結果をコンピューター上の項
統廃i他 の項目の記述に吸収させるもの 。原則として
現項目名は残さない 。
項目名のみ1項目名のみを挙げ、内容については他の項
目を参照するように指示するもの 。
継続検討1項目として残すべきかどうか、検討を要する
と判断されるもの 。
-変更なし
新
なお、この作業指針は、現時点での素案であり、研究が
l
見
4
生
白
っ
地道に ﹁
大 辞 典﹄ の 点 検 作 業 を 積 み 重 ね て い く 所 存 で あ
槌 を お 願 い 申 し 上 げ 、 報 告 に か え さ せ て い た だ く 。合E
1
る 次 第 で あ る 。あ わ せ て 当。
プロジェクトへのご指導 ・
ご鞭
いただき、広くご協力を賜れるよう伏してお願い申し上げ
をご 一読いただいた大方の諸賢には、木研究へのご理解を
絡をとらせていただくことが多くなると思われる 。
本報告
ために、直接・間接に、書面や電話を通じて各寺院宛に連
今後、各スタッフが、項目に記載される内容を確認する
る
phu
nL
条
輝
③漢 訳の原文および異訳本、党本における文法解釈
と対照しつつ、宗義との整合性を検討する 。
②各種註釈書、その他既に出版された現代語訳など
無量寿経﹄巻上/林田
(
﹃
阿弥陀経﹄ /柴田 ・﹁
①各経典、担当者を定めて試訳を施す 。
現代語訳化にあたっての具体的な作業としては
作業大 綱
あった 。
寿経﹄が三十六回、その他研究方法の打ち合わせが 一回で
阿弥陀経﹄ が八回、 ﹃
語訳化を進めてきた 。内訳は ﹃
無量
時)を開催し ﹃
阿弥陀経﹂および ﹁
無量寿経﹂巻上の現代
十四年度は計四十五回の研究会(原則、午前十時l午後六
山
浄土宗義 と現代・ ②浄土宗基 本典籍 の現代 語化・ A浄土三部経
はじめに jプロ ジ ェクト編成の経緯i
浄土 三部経現代語訳班は、四十八巻伝現代語訳班ととも
浄土宗基
に研究プロジェクト ﹁
浄土宗義と現代﹂のうち ﹁
本典籍の現代語訳﹂に属し、法然上人八百年御遠忌事業の
一環として現代語訳の出版を目的としている 。
研究代表の石上善謄研究所長監修のもと、袖山栄輝、林
田康順、柴田泰山の各研究員が共同して研究活動にあた
り、編集担当者として浄土宗出版室より小村正孝師に協力
を仰いでいる 。
平成十四年度、当研究会に課せられた課題は、文字通り
浄土宗所依の経典である浄土 三部経の現代語訳である 。
底
本は ﹁
浄土宗聖典﹄巻 一所収の﹁ 三部経書き下し文﹂で
袖
内
p
o
4
を通じ、逐語的な表現から日本語としての自然な
表現に整える 。
④ 用語解説を加え、さらに研究代表による監修を受
ける 。
の以上である 。
これまで ﹁
阿弥陀経﹂については各項ごとに見直し ・
再
一応① ② ③ ④ の作業を終了した 。﹁
無量寿経﹂
平成十五年度は、 ﹃
無量寿経﹂ 巻 上 ・ 巻 下 ( 試 訳 担 当 袖
山)の現代語訳化 ・用語解説および監修を終了し、 ﹁
観無
量寿経﹂ の現代語訳化に着手したいと考えている 。
最後に十四年度の研究会開催日を記しておく 。
四月 一日 (打ち合わせ)
四月八日 (無量寿経)
四月・ 一
十 二日
検討を重ね
巻上については①②③ の作業を 一通り済ませたものの、さ
五月十 三日 (無量寿経)
無量寿経) 以上、五月計3回
五月 二十 一日 (無量寿経)
五月.一
十七日
-27-
無量寿経) 以上、 四月計3回
らなる見直し・再検討を加えていく段階にある 。
もちろん ①②③④の 作 業 を 以 って最終的な訳文を確定
させるわけではない 。
さらに広くご指導を仰ぐため別途本
﹂
ハ
月 日 (無量寿経)
二
一
六月十日 (無量寿経)
誌に掲載し、ご意見を参与にしながら完成度の高いものを
目指すものである 。なお今号では監修の終了した ﹃
阿弥陀
六月十七日
無量寿経)
経﹂ (五十六頁に掲載) のみを掲載する 。
六月 二十四日 (無量寿経)
無 量寿経)
ファッ クスにてお寄せいただければ幸甚である 。ただし、そ
七月 一円 (阿弥陀経) 以上、七月計 l回
六月 二十五日 (阿弥陀経) 以上、 ぷ月計6回
現代語訳に関するご怠見やご批判などは E メl ルおよび
n
八
の一々についてはご返答しかねるのでご了解願いたい 。
月
九月 二十 六 日 (阿弥陀経) 以上、九月計2回
九月卜八日(無冠寿経)
一月 二十七日(無量舟経)
一月 二卜日(無量寿経)
(無量痔経)
て月四日 (無批痔経)
一月計 4回
二月十日 (無量寿経)
阿弥陀経)
十月卜八 日 (
阿弥陀経)
(
ニ月卜七日(無量寿経)
卜月 二卜 日
十月 二十 二日(阿弥陀経)
二月 二十四日(無量寿経)
月卜 一日 (無比寿経)
二月六日
白寿経)
川
県
無量寿経)
三月卜 一日 (
痔経)
唯一
日
無
三月十円
卜 二川-H (
無量寿経)
4
無比寿経)
十 二月九H (
卜 二月卜日(無量寿経)
L1レしHH 相燃は寿経)
日
一川
一
三月 十 六日(無量寿経)
一
一
三月三卜 一日(無量寿経) 以上、 三月計6回
H卜六日(無量痔経)
五年間月 ・万一
円まで行われた 。
なお、 ﹃
阿弥陀経﹂の用語解説および院修作業は、千成 ト
s
ー
人
県門川日寿経) i
川
- 阿川計 l凶
b
,
十
川社 4回
十円 十八日(阿弥陀経) 以上、十月計 4回
一
一
十 一月五日(無量寿経)
t
二月 二十五日(無量寿経) 以上、 二月計6回
以
ト 一月六日(無量寿経)
日
四月 一円
、
11 11 (
1
'﹂ノ│ 伽⋮阿川嘉経)
一月ヒH (
無量寿経)
年
-28-
月
卜 二月十七日(阿弥陀経見直し ) 以上、卜-川市5回
卜 一月卜 二H (
無量痔経) 以上、卜
十
見
!
I
究所をお借りしている 。
十四年度の研究会開催日
益
口
裕
昭
浄土宗義と現代・②浄土宗基本典籍の現代語化・ B四十八巻伝
はじめに jプ ロ ジ ェ ク ト 編 成 の 経 緯i
﹁
法然上人行状絵図﹂ (
凹 卜 八 巻 伝﹂)は、あらためてい
﹃
うまでもなく浄土宗において占来から法然伝の際準として
五月 二ヒ円 (
円)
t 土
広く読まれてきたものである 。この研究班は平成卜四年度
ハ月十日 (
月)
土
からはじまり、 ﹁
凶卜八巻伝﹄ 全部の別代前訳をめざすも
(
バ)
zf
l川﹃11
nt
r
l
﹂ノ ﹄
(
月
)
E
I
のである 。伊 藤 唯真先生にご 指導いただきながら、兵柄和
一
一 口u
ト﹂同月 一一
、
-
日
人先生、千古利恵子先生、善裕昭の四名で作業を進めてい
七月 ご九 (
月)
九川 一色日 (木)
九月 二八日
十
平成十四年度は、第 一年目ということで、まず誰かがた
たきれとなる下訳を作成し、それをスタッフ全員で検討し
ていくという大枠を決め、ともかくも作業にはいった 。
これまでの作業日程は次の通り 。場所は凹人が集まりゃ
すく、資料が揃 っているということで、知思院浄t京学研
凹
f
l
- 29一
!
点
;
十
月
る
寸寸﹂
:ILl (上)
-t
Ffノ Bl'
二月卜四日 (金)
ということで完成訳に仕上げている 。
凹 卜 八 巻 伝﹄ に は こ れ ま で 、 次 の 三 つ の 現 代 語 訳 が あ
﹁
昭 和 更 制 校 注 勅 修 法 然 上 人 御 伝 全 講﹂ 全十
①早 田 哲 雄 ﹁
法 然 上 人 勅 修 御 伝﹂ (常念寺、昭和五
巻 ( 丙 念 寺 昭 和 三 九i四七年)
全訳
②村 瀬 秀 雄 ﹁
七年)
法 然 上 人 伝﹂ 法 然 全 集 別 巻 全 一会巻(春秋社
③大 橋 俊 雄 ﹃
平成六年)
問 イ 八 巻 伝﹂の 現 代 語 訳 を 独 力
いずれも膨大な内容の ﹁
で達成したものだが、このなか、本邦初にして、かつ評価
が 高 い も の は ① であろう 。本 文 と 現 代 語 訳 、 お よ び 注 釈 で
地柄成されており、その訳丈の正確さには定評がある 。まだ
仏教典籍の引例代河川訳がそれほど 一般 化 し て い な い 時 代 に
﹁
法 然J 人 辿
法
・伝記現代前択によせて ﹂ 参照、 ﹃
Jλ
E
然 上 人 研 究﹂ 三 号、平成六年)。 本 班 で も① に 多 大 な 恩 恵
文
地方に同住して資料も満足に子に人らない中、た った -人
プロセスで作業
なかなかむずかしく、実際には少し線維な 。
が進んでいるが、最終的に伊絞先生に日を通していただく
艮
今 の と こ ろ 、 ド ぷ を 点 柄 先 午 が 作 成 し 、 そ れ を ALUで検
作業大綱
る
1
1
)
でこれだけのことをよく成し遂げられたものと思う(本庄
1
討 し て い る 。ただ、日程の都 AHで 問 人 全 員 が 集 合 す る の は
1
)
土
)L
十 一月 二三 日
i
川I
﹁
)J
- Its-
十
(火)
年
q
p
l
I f
L
一斗七
) J│ ]
F
一月 二五日
主
火
火
1
)
1
)
1 月
)
4
P
1
:
J
土
比
h
n︿d
u
A
を蒙っており、読み返すごとになるほどと思わせるものが
ともかくも、平成十四年度の成果として、本誌には第
る よ う 心 が け て い る 。もちろん、本班の訳文が完成しても、
班では、よりす っきりした文 体 で 、 わ か り や す い 訳 文 に す
は冗長であったり、文体が古く多少の癖もある 。そ こ で 本
ただし、①も問題がないわけではない 。現代語訳として
で 訳 文 の 統 一を ど の よ う に と っ て い く の か 。今回は注をつ
こ れ か ら の 問 題 は な お も 多 い 。何 年 に も わ た る 作 業 の 中
いろいろなご指摘をいただき、今後に生かしていきたい 。
一怖 の 本 に ま と め て い く 計 画 と の こ と で あ る 。読者から
のような形で ﹁
教 化 研 究﹂ に順次掲載してゆき、いずれは
二巻 の 訳 文 を 掲 載 す る こ と が で き た 。 (六八頁に掲載)こ
① が 必要性を失うことはない 。少 し 冗 長 で は あ っても 、
士
口
けでないが、今後、どうしても注が必要なケ!スもでてく
ある 。
文を正維に埋解した上での丹念な訳文は、内容即日解に大い
る だ ろ う 。さらに、このぺ 1 スでゆくと、完成に例年かか
ばり強くやってゆきたい 。
る の だ ろ う か 。こ れ ら の 問 題 を 適 宜 ク リ ア l しながら、ね
に役立つ 。
問卜八巻伝﹄ は 最 初 の 序 文 が 凝 っ て い る 。
﹃
f の悲願をおこしまし
夫以我ト小川釈迦如米は、あまねく流浪 士一界の迷徒をす
くはんがために、ふかく・→等
ますによりて、忽に無勝荘厳の化をかくして、かたじ
けなく裟婆濁悪の固に人給しよりこのかた、非生に生
を別じて無延樹の花ゑみをふくみ、非減に減をとなへ
て、明凶林の胤心をいたましむ 。
ここをどう現代訴訳するかで、スタッフはそうとう頭を悩
ませたものだった 。
-3
1一
浄土宗典籍・版木の研究│浄土宗寺院所蔵文献類調査整理研究│
宣(
道
宗 総 合 研 究 所 分 室 の 研究 員が 中 心 と な り 、平成五年十月よ
Jを
浄 上 宗 寺 院 名 鍛﹂ 掲 載 の 全 浄 七 宗 五 院 の デ !
得、 ﹁
円
け軸・古文書・記録等)を、浄土宗総合研究所分宅のパソ
タ 及 び 昭 和 四 十 三 年の浄土宗宗勢調査記載の寺院什物(掛
花川
まず、既存の情報を調査後埋するため、浄上京宗務庁の
また中には、本堂や庫裏の新築・改築などで、その寺院所
本プロジェクトは帥教大学に研究宅を市川している浄t
これまでの経過
とがこのプロジェクト研究の目的である
の作作価値を認識してもらい、保存し後開に伝えていくこ
内
り計画され、平成六年四月より調査研究活動に入った 。
しこれらの小には此屯な文献煩が存在することもあり、ま
た、その寺院にとってはその寺の歴史を物語る貴重な文献
。
v
h
め'
4bφ
よって、これらの文献類を調査整理し、各所蔵か院にそ
-32-
?
ケ
蔵 の 文 献 類 が 廃 品 と し て 処 分 さ れ た り す る 例 も あ る 。しか
いまま、徽や虫食いによ って 州制限し ていく文献矧がある 。
ることは知っていても蔵の中にあって 一度も見たことがな
されているのか知らないまま、また、什物帳で所蔵してい
浄土宗寺院において、その存の住職さえ自坊に川が所蔵
目
的
次に平成六年九月と平成八年六月に ﹁
宗 報﹂ にアンケ l
合によってはカ lドでとることもある 。この時、書名
-番 号順にパソコンに人 力 (
デ ータ ベース 化)。但し場
全文献類の大まかな分類・並べかえ 。
︹﹁浄土宗典籍 ・版木の研究﹂ へ の ご 協 力 の お 願 い お
山者省・編者・奥付金寸を記針 。必要あれば順書の並べか
コンに全て入力した 。これによりどの寺院にどのような文
籍 の 保 存 状 況 を お 知 ら せ 下さい │
︺ を載
えも行う 。※十四年度からは直接デジタルカメラで題
上記分類に基づき、通醤(仮番号)を付した什塞を全
せ、回答のあった寺院及びその後研究所への依頼のあった
名品守を顕彰、パソコンに入力し、研究所で整則するト刀
献があるかが前もって把握できることになった 。 (
デlタ
fH
文献類に挟む 。
hJ
院より卜凹箇寺を調査し、このうち﹂ハ筒岸は調作終
法も取り入れた 。
漏れを防ぐためこれらは厳重に分室で保管している 。
)
録も完成またはほぼ完成、 三箇 寺 は 目 録 作 成 が 校 正 の 段 階
再度の長べかえ 。
存の古文
H
A
3
計九箇寺がほぼ完了した 。 (滋賀教区の 一筒寺は
四箇 寺 中、調貸中なのは 実 際 残 り 四 箇 寺 で あ る 。
)また
紙北川表紙文書-点だけの内容調告であるので、調作対象卜
保管 川場所に目録寄り順に収蔵 。
所級者の許可が得られれば、通事命ラベルを添付 。
通番(正式なもの・目録書け)をパソコン入力。
であり
れと平行して、市文乃・掛け州市ザの解説を現在も統行中で
(防虫剤を置くこともあり
を作成し所蔵寺院に渡すことでその寺院の調査を-応の終
O調査対象寺院の文献煩は丞符調代を似川とし、簡易口封
ラに帰り、調貨研究する 。
O所山城主院の許可を得て、屯要文献は写点・デジタルカメ
ある 。
調査 方 法
調査依頼のあった寺院での調査は以下の子順をとる 。
保管別状のに対(写真などで記録する
一3
3-
卜
了とする 。
平成十五年三月現在までの調査状況
現在までに調査した寺院、また現在調査中の寺院の調査
調査終了
古文書
調査終了
大 蔵 経 一部
調査終了
簡易目録作成完了
状 況 は 以 下 の 通 り で あ る 。 (寺院名などは所蔵者の管理上
古書籍五六七 冊
大蔵経
のこともありここでは伏せておく)
京都教区
古書籍六六八冊
簡易目録作成完了
O七九冊
古書籍 一
簡易目録ほぽ完成
古 書 籍 二O O三冊
簡易目録ほぽ完成
古 書 籍 約 五O O附
調査ほぽ終了
調査ほぼ終了
簡易目録ほぼ完成
調査ほぽ終了
古 書 籍 約 二四五 附
古文占
版 木 約 三O点 占文書
調査終了
調査終了
新潟教区
鳥取教区
富山教区
静岡教区
崎玉教区
岐阜教区
簡易目録ぽぽ完成
京都教区
古書籍約四 二O 冊
簡易目録作成中
古軸類十点
調査終了
古軸類
簡易目録作成中
巻子本
古文書
調査中
大蔵経
O 八 二附
古書籍約 一
古文書
古書籍 一八 一五 部
京都教区
古書籍約七九五 附
調査中
大阪教区
尾張教区
古書籍約六O O冊
調査中
調査終了
長野教区
鎌 倉 期 紙 背 文 書 一点
調査中
調査中
滋賀教区
古 書 籍 約 三O O冊
和歌山教区
今後の実施計画
長期にわたって続けてきたこのプロジェクト 研究も 一応
平 成 十 六 年 三月 で 終 了 す る こ と が 研 究 所 会 議 で 決 め ら れ 、
運 営 委 員 会 で 了 承 さ れ た 。こ れ 以 上 調 査 対 象 寺 院 は ふ や さ
ず、十五年度で、まだ調査の完f し て い な い 寺 院 を 終 了 さ
せねばならない 。よ っ て 、 さ ら に 効 率 よ く 調 査 を す す め る
必要がある 。
すべての調査が終了後、その結果報告及び研究成果を所
-34一
蔵 寺 院 の 許 可 を 得 て 、 何 ら か の 形 で 発 表 す る 。この最終報
告 は 十 五 年 度 中 に は時間的に困難で、平成十 六 年 度 に な ら
ざ る を え な い 。そ の 後 の 調 査 資 料 の 保 管 等 に つ い て は 平 成
0
十五年度に検討し、将来にわたって役立つ形で残していき
一こ 3
7
L
この調査は、 一寺 院 文 献 類 全 調 査 を 基 本 と し て お り 、 対
象寺院に調査した文献の簡易目録を渡して、喜ばれる結果
となるよう努力していきたい 。
-35-
ナ
ネ
ま
英
日刀
rF
ぇ 、 範 を 組師 方 に と り な が ら 、 多 面 的 に 研 究 し て 行 く 。
そこで、浄上京門の念仏信者養成の現状と方策を踏ま
会 教化 が 、 真 に 力 を 持 っ て く る の で は な い で し ょ う か 。
く 土 台 と な る は ず で あ る 。その土台を恨底としてこそ、社
養成の方法論を研究することは、教化 集団の未来を切り開
綬けるところの五重相伝﹂として、そこへ至る、念仏信者
正伝法を
状を踏まえて、念仏信者養成の最終ステージを ﹁
さまざまな問題があるであろうが、現在の宗門の現実現
機説法はどのようであったであろうか 。
が必要である 。釈尊はもとより、善導大師、法然t人の対
(布教教化) の研究・ 現 代 布 教 の 検 討
布教教化 なくして、教団の未来はない 。現在、﹁結縁五
正
浄 土 宗 の 布 教 教 化 の現状調査、研究
3
6一
重相伝﹂を受け、真に﹁念仏者﹂と 言 える人は、どれほど
宗 報 ﹂記
存在するであろうか 。確かに、この 三年間で、 ﹁
載の五重相伝厳修寺院は、全国で 2 7 1寺 院 に の ぼ る 。そ
して、念仏に喜びを見出して、お念仏の中に生活をされて
人 中の 疹陀 利 華 ﹂が、
いる人は少なくない 。まことに、 ﹁
年々誕生している 。
数においては ﹁五重 相
五重相伝﹂厳修与院は
が、しかし、全体からみると、 ﹁
地域においては西高東低であり
伝﹂厳修寺院の占める割合は全浄土宗寺院の415パ lセ
五 重 相 伝 ﹂ だ け が 、 布 教 教化 で
ントである 。もちろん、 ﹁
法
的
はない 。人間の生涯における人生のあらゆる場面での教化
方
伝
道
目
範 を 祖 師 方 に と り な が ら 、 念 仏 信 者 養 成 の 方 法 論 の 研 究。
場合によっては、他教団にも学びながら研究を進めて行き
ら﹄、S 0
五 重 相 伝 会 ア ン ケ ー ト (全寺院)集計
総 、 大 本 山 布 教 師 会 へ の 問 い 合 わ せ ・ ・ ・勧誠
師養成策
2年目
現状分析を元にして、問題点、今後の課題を
査 ・布 教 資 料 の 収 集 。
各教化センター内における布教教化の現状調
研 究 ス タ ッフ共同業務
回向師養成策
総 、 大 本 山 式 師 会 へ の 問 い 合 わ せ ・ ・・教授師
等
④
フォーム作成する 。
- 具 体 的 に ア ン ケ ー ト (記入式) 調 査 を す る 際 の
見交換を行う 。
年 間 で 3 回(本日を含み)の合同会議を聞き、怠
2
ご協力をいただく。
り、アンケート寺院のリストアップ、調査方法などの
-幕 本 的 に は 研 究 所 所 員 と 電 話 F A X等 で 連 絡 を 取
採る 。
等
7L
各センター2 名の研究スタ ッフ
浄土宗の布教教化の現状調査、研究
各教化センター長宛
研究スタ yフ 同 名 の 決 定 。
ス タ ッ フ 合 同 会 議 の 開 催 (6月口円)明照会
の推薦を依頼 。
第l回
館会議室にて 。
合同会議
- 会議の結果、 ﹃
結 縁 五 重 相 伝 会﹂ に 絞 っ た 調 査 研 究
を行う事に決定した 。
研究所研究員業務
M
m
- ・・五重相伝
五 重 相 伝 会 シ ン ポ ジ ウ ム ・ 講J
会を閉経するために 。
-37-
3 2
年
目
研究報告
①
②
③
-最終的に、各教区における現状把握、課題のまとめ
火) 1 3日 (水) ﹁
第 一回合同会議﹂
日
、 7月2日 (
日
、
6月お日 (
金
をしていただく 。
日
、
月)
ロ
、 7月辺日 (
アンケート調査票の作成(別紙)およびスタ ッフへ発
日
、 9月2日 (
月)
9月9日 月) l m日(火)﹁学術大会報告﹂
8月5日 (月)
送依頼 。
日
、
日
、 9月幻日 (金)
η、叩月刊日
金
日、日月詑日 (
問、ロ月6日 (金)
l月6日 (月)
金
初、ロ月初日 (
目
、
月)
辺
、 l月初日 (
月)
お
、 2月3日 (
弘
、 2月刊日
3月7日 金)
お
、 2月日日
初
、
-38-
木
アンケート調査表の集計作業中
研究 会
1 4 月日日
2 4 月刊日
3 4 月辺日 (
火)
4 5 月刊日
5 5 月M日
6 5 月お日
7 6 月3日
9 6 月口日
8 6 月刊日 (月)
月 火 金 金
月
月 月
火 月
⑤
⑥
スタッフ
普仙 寺
石川 一宣
加藤良光
松岸院
西光寺
陸(教化センター
*京都教区
嵯峨組
南城組
直指庵
善法 寺
畿(教化センター)
*京都教区
南部組
栄養寺
正覚寺
。中 四 国 ( 教 化 セ ン タ ー
*広島教区
*愛媛教区
*長 崎 教 区
西部組
平戸組
花木信徹
成 田 勝美
小田芳隆
ι
huM邦下 ー
し
lL
旧
時一
・
iψ月
日下部匡信
ι
長徳寺
川副春海
高橋宏文
専称寺
州(教化センター
*佐賀 教 区
後藤慎也
固満寺
海(教化センター)
*岐阜教区
現代布教研究班
八木季生客員教授
相崎組
*三河 教 区
-研 究 代 表
正村瑛明専任研究員
*新 潟 教 区
麻上昌幸
佐伯教道
高叩
h
ロH
h
巾
γ叩
'
白
'
n民HH
高叩
師
師
師
高須組
-研 究 主 務
佐藤晴輝斉藤隆尚後藤真法研究員
敦賀東
-研 究員
*福井教区
中野隆英嘱託研究員・池田常臣研究スタ yフ
長昌寺
浄道寺
長尾拓応
東海林良昌
鹿野匡文
郡嶋泰威
'h
口
H
百叩
h口H
市叩
巾
γ叩
tt
-39-
- 研 究 ス タ ッフ (全国8 ブロ yクより選出)
小樽組
北海道(教化センター)
*北 二教 区
浄満寺
雲上 寺
光 雲寺
量書院
組
*北 一教 区
A
東青組
北(教化センター)
*青 森 教 区
*宮 城 教 区
安房組
三浦組
東(教化センター
*神 奈 川 教 区
*千葉
山
自
m
豊
橋
組
松
師
1
ヒ
近
•
・
4
九
東
師
師
師
組
組
自
f
I
i
・
4
東
•
教
区
師
西
第
4
砂
・
4
関
プ
岡
達
雄
wwwサl
(POP制 限 数 無 制 限 、 日
HDD日
・η M Bを 使 用 中 で あ る 。
あることを基準として選定作業を行った 。
ラ ム 実 行 が 行 え る こ と 、 グ ル ー プ ウ ェア 等 の 運 問 が 可 能 で
母 体 が し っかりとした企業であること、 C GI等 の プ ロ グ
レ ン タ ル サ l パ サ ー ビ ス 会 社 の 選 定 に 当 た っては、経符
ント数却を発行し
得 運 用 は 平 成 十 四 年 七 月 一日に開始し、現在POPアカウ
D D容 量500MB) を 利 用 し て い る 。新 規 ド メ イ ン の 取
営 す る レ ン タ ル サ l パサービス
パ
、 POPサl パ の 運 用 は フ ァー ス ト サ ! パ 株 式 会 社 の 運
凹
ユ﹂
立したドメイン (
Z
) を取得した 。 また
(﹂。号R
E)内 に 構 築 さ れ て い た が 、 運 用 の 利 便 性 か ら 独
究 所 の ホ l ムペ l ジ は 浄 土 宗 の 保 有 す る ド メ イ ン
ル サ ー ビ ス を 導 入 し た こ と で あ る 。こ れ ま で 浄 土 宗 総 合 研
ホームペ iジによる教化情報提供運 営 ①
﹁日本語によるホ!ムペ iジ運 営﹂
研究目的
﹁日本語によるホ l ムペ 1ジ 運 営 ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト は 被 数
の 研 究 目 的 を 含 ん で い る 。平 成 十 四 年 度 の 研 究 目 的 は 、 ①
既 設 ホ ! ム ペ 1 ジの運用、 ② 所 内 イ ン ト ラ ネ ソト 構 築 運
用
、 ③ ホl ムペ l ジのあり方の研究、 ④ 公 開 シ ン ポ ジ ウ ム
の開催である 。 各 研 究 目 的 に 対 す る 研 究 経 過 を 報 告 す る 。
﹁
日 本 語 に よ る ホ l ムペ ージ 運 営 ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト の 研 究
a
メンバーは専任研究員今岡達雄、研究員斉藤隆尚、嘱託研
究 員 佐 藤 良 文 、 研 究 ス タ ッフ 小 沢 憲 雄 の 凹 名 で あ る
一、既設ホームペ lジ の 運 用
平 成 十 四 年 度 に お け る ホ l ム ペ ージ運問t の 大 き な 変 化
は イ ン タ ー ネ ット の ド メ イ ン の 取 得 と 、 サ ー バ ー の レ ン タ
」合、
A
a
τ
n
u
二、 所 内 イ ン ト ラ ネ ット の 構 築 運 用
浄土宗総合研究所の多くの研究員は常勤ではなく適時研
究 会 を 開 催 し て 研 究 活 動 を 行 っ て い る 。こ の よ う な 組 織 で
は イ ン タ ー ネ y卜 の 情 報 伝 達 手 法 を 組 織 内 に 適 用 す る イ ン
卜ラネ y卜 の 構 築 、 共 同 作 業 を 円 滑 に 進 め る た め の 悩 報 交
換 シ ス テ ム で あ る グ ル ー プ ウ ェアの適用が効果的であると
いわれている 。
先 端 的 な 研 究 コ ラ ボ レ │ シ ョンを図るために、所内研究
事 務 職 員 の み が ア ク セ ス 可 能 な 所 内 ホ l ムペ 1 ジを作
員・
成した 。ま た 、 所 内 研 究 員 ・ 事 務 職 員 全 員 に メ l ルアドレ
ス を 配 布 し 間 報 連 絡 が 可 能 な 体 制 の 構 築 、 グ ル ー プ ウ ェア
であるサイボウズ A Gを導入しスケジュールの共布市ザを行
う体制を構築し運用している 。
、 ホl ム ペ ー ジ の あ り 方 の 研 究
一
寺 院 に お け る ホ l ムペ lジ の 利 川 に 閲 し て は 、 教 団 ホ !
ムペ lジのあり方、教団内部組織(研究所等)のホームぺ l
ジのあり方、 一般 忌 院 ホ ! ム ペ1ジ の あ り 五 に 関 し て 研 究
作 業 を 行 っ た 。特 に 一般 寺 院 ホl ムペ ージ の あ り 方 に 関 し
ては、 実 際 に 運 用 さ れ て い る ホ l ムペlジ が ど の よ う な 状
況 に あ る か の 現 状 調 査 を 行 った 。手 始 め と し て 既 成 仏 教 教
団各宗派について、 ① ホl ム ペl ジ開設寺院数、 ② ホl ム
ペ ージ の 稼 働 状 況 (URLの み で な く 現 時 点 で も ホ l ム
ペー ジがあるか否か)、 ③ ホ1 ム ペlジの内容(寺院概要、
年中行事、広報、教義、法話、活動報告、事業広告、エ ッ
セイ、レスポンス、その他、個人 H P等の 記 載 が あ る か 否
か
)
、 ④ アクセスカウンター数、 ⑤ ア ク セ ス 数 と H P内 容
の関連性について、 ⑥ メl ルアドレスの表示の有無、 ⑦ オ
リジナル ・ド メ イ ン を 取 得 し て い る か 否 か 等 に つ い て 、 各
ホーム ペlジ 毎 に 現 状 調 伐 を 行 った。
平 成 十 四 年 度 に 浄 土 宗 、 浄 土 真宗 ト派、円超京および 日
差 系 、 曹 洞 宗 ・臨 済宗 および禅系、 天 台 宗 および天台系、
真言系諸宗の現状調査に諸手し、大ト刀の調資を終f してい
る。こ の 内 、 浄 上 京 お よ び 浄 土 真 宗 卜 派 に 関 し て は 附 究 論
文として発表している。
-4
1一
四、公開 シンポジ ウムの開催
寺院ホームページのあり方に関する研究を基礎にして、
﹁
インターネ ットと 寺院│評 価 と 実 践 ﹂ と 題 す る 公 開 シ
ン。
ホジウムを開催した 。公開シンポジウムでは、今後の 一
ホ lムペ lジ)の 利川十刀法を明
般寺院のインターネ ット (
らかにするために、はじめ に浄土宗総合研究所日本語ホ l
ムページ研究プロジェクトのこれまでの研究成果を報告
y卜利聞の現状
し、次い で各宗の イ ンタ ーネッ ト等の 情報担当省にパネ
ラーとしてお集まりいただき 、インターネ
有効性の 評価等につ いて パネルデイス カ ッ
とその問題点 、
ション形式で討呉川を行 った 。なお、この公開シンポジウム
に先立 って ホl ムペ lジ似れ仏教寺院へのインターネ ット
開催要領は以ドの通り であ
アンケート調資を 行い、 浄仁宗総合研究所ホ l ムペlジ上
で調査 結果を報告している
匂。
ヲ
会場
1
1
f予
パネラ
平成卜五年 二月十四日(金)十 三時1十七時
浄土宗大本山僧上寺地F二段ホ ール
全国放送された 。
導任研究員今岡達雄
晃昭
午前九時からおよび午後七時三十分からそれぞれ 三十分間
トT V ﹁
精神文化の時間﹂にて、平成卜五年 三月三十 一日
なお、この公開シンポジウムの概要はスカイパ!フェク
浄土点宗宗務情報システムセンタ ー筑後誠隆
天台宗総合 研究センター谷
w洞宗総合研究セ ンタ ー菅原寿消
l
コメンテ i タ国学院大学教授井上順孝
コーデ ィネ ータ浄土 宗 総 合 研究所専任研究員今岡達雄
、不ル ﹄
パ
アイス カ ッション ﹁寺院ホ lムペlジの将来﹂
浄土宗総合研究所
基調講演 ﹁
寺院ホ l ムペ ージの 現状 ﹂
内
τ,
.
,
.
4
円
a
a
τ
葬祭仏教研究│葬儀の実態的研究
研究目的
葬祭仏教研究班では時代的変遷が激しく地域的差異の大
きい ﹁
持儀﹂について、アンケート調査や現地調査を通し
て、持送山内俗および葬送儀礼の両而から実態的研究を行 つ
ている 。こうした調貨は、 一宗 の 研 究 機 関 と し て は 過 去 に
あまり行われた例がなく、本京における葬儀の実態につい
ての此市い
な法礎資料になると 忠 わ れ る 。
本プロジェクトで
は 、 作 儀 に お け る 問 俗 と 儀 礼 に つ い て 被 介 的 な 調 査 ・研 究
を進めることになり、今回の研究は都市部、農村部、漁村
部といくつかのサンプルが集約されている静同教区を取り
上げその 実態調査を行っているが、 同 一以内 で も そ の 版 業
形態や文化が異なる地域での葬送の実態を明らかにするも
のである 。
作業大綱
健
司
を 行 い 聞 き 取 り 調 査 を 行 った。同 時 に 大 釆 居 住 職 神 谷 高 義
よび現在の持送の実体、および習俗習慣等についての質問
同地 域 脳 住 の 栂 信 徒 に 大 乗 寺 に 御 参 集 い た だ き 、 過 去 お
礼 に対する凋資を行った
残 っている 川寺 植 信 徒 の 居 住地 域 で あ る 板 妻 地 域 の 葬 祭 儀
組大乗寺のご協力をいただき古くからの地域習慣や儀礼が
の別地調脊として、山間農村部の 一例としては附問教区東駿
対 象 と し て ア ン ケ ー ト に よ る 調 査 ・ 分 析 を う け 、 第 一回 目
平成十四年度は前年度の基礎研究としての、静岡教区を
蔵
上 人 お よ び 持 龍 寺 住 職 向 山端成上人より葬送の儀礼、習俗
習慣等の説明を受けた 。
43-
大
その後研究所で聞き取り調室内容を時系列に整理しその
内容の分析研究を行 った 。同教区の他地域との比較をする
﹁アンケ ート結果の内容について ﹂
ため平成十五年度も同同僚の調査を同教区別地械で行う事を
決定した 。
研究会
平成十四年
-四月十七日研究会
﹁アンケート内容
本年度の研究計画﹂
現地調貨の質問項目作成﹂
﹁
現地調査の質問項目作成﹂
﹁
-凹月 二卜三日研究会
二日研究会
川一
﹂
ハ
六月十日研究会
現地聞き取り調査﹂於 ・大乗トヴ
六月ト 日研究会 ﹁
一
一
現 地調査のまとめ ﹂
月 二十四日研究会 ﹁
ハ
十月 二十四 日研究会﹁今後の 研究について ﹂
φ-
現地調奇報告・次回調官について ﹂
ハH ﹁
し
十
手成十五年
-一.
川
現地調査報告 ・次回調査について﹂
三月十 一日 ﹁
ト八日 ﹁
現地調査報告 ・研究臨認﹂於 ・宗務庁
月﹂一
-:一
研究代表
福西賢兆(主任研究員)
伊藤峨真(客員教授)
研究班メンバー
研究副代表
大蔵健司(専任研究員)
武田道生(専任研究員)
西城宗降(研究員)
研究主務
研究スタ ッフ
坂上典翁(研究員)
佐藤・艮文(嘱託研究員)
熊井康雄(同)
細田芳光(同)
鷲見定信(同)
4ny
44
日常勤行式の現代語化に関する基礎研究
はじめに
本 稿 は 、 教 化 研 究 第13与 に 掲 載 さ れた ﹁日常勤行式の現
代語化に関する基礎研究﹂(福西賢兆主任研究員持)に法
ずき試作された現代品化経典を発表するものである 。
L 腔所
本プロジェクトのメンバーは、研究代表に行ト 善
長、主務に福西賢兆主任研究員、研究スタッフに佐山析郎、
山 田 隆 昭 の 体 制 で ス タ ー ト し た 。ま た 、 現 代 語 訳 の 試 作 を
伝ホ儀礼の研究員がそれぞれ役配を担当し、ビデオ収録を
行った 。
臨明本栄康
阿城京院内
現代語訳勤行式の収録(役配
維 導
J
lI 白
I
l
i
閥l 式
行 本 衆
坂上典翁
佐山哲 郎
福凶賢兆
坂
上
典
翁
代語化の絶対条件である
二、 口 語 体 で ぷ 射 し 、 文 前 体 は 使 則 し な い こ と 。(それが現
一、 勤 行 と し て 声 に 出 す こ と に 耐 え う る こ と 。
は、以下の間怠事項をあげている 。
日 常 勤 行 式 の 現 代 語 化 に あ た って、 山 田 研 究 ス タ ッフ
現代語訳の日常勤行式(山田隆昭作)
佐山研究スタッフの作成した経典を使用した 。
収 録 は 噌 上 芽 慈 雲 閣 で行った 。 尚 、 こ の収録に関しては、
音楽、 ナ レ ー シ ョ ン 、 照 明 等 は 専 門 家 に 依 頼 し た 。
進
FD
A-
三 、 仏 教 用 語 を で き る 限 り 避 け 、 平 易 な 言葉 遣 い を 心 が け
ること 。
場 に 入 ら れ ま す よ う華 を 撤 い て お 迎 え し ま す
釈 迦 如 来 に 申 し 上 げ ま す。ど う か こ の 道 場 に 入 ら れ ま す よ
う華を撒いてお迎えします
私はこのようにありたい
観 音 勢 至 も ろ も ろ の 菩 薩 に 申 し 上 げ ま す 。ど う か こ の 道 場
ょ う華を 撒 い て お 迎 え し ま す
阿 弥 陀 如 来 に 申 し 上 げ ま す 。ど う か こ の 道 場 に 入 ら れ ま す
体は清らかな香炉のように
に入られますよう華を撒いてお迎えします
倣悔偶
こころは迷いを断つ炎のように
戒めを守り平穏を保つためにこころを込めて香を焚き
宇宙 に 満 ち る み 仏 に す べ て を 委 ね ま す
わたしは速い過去からもろもろの悪い行いをしてきました
します
み仏のみ教えに従うすべての僧をこころから敬い礼拝いた
み仏のすべてのみ教えをこころから敬い礼拝いたします
すべてのみ仏をこころから敬い礼拝いたします
わたしは 今 こ れ ら の 事実 を 受 け 止 め す べて を 俄 悔 し ま す
れました
す べて の 悪 い 行 い は 体 と 言 葉 と こ こ ろ の あ り か た か ら 生 ま
りいかり、愚かさによるものです
と れ ら は わ た し と い う 人 間 に あ ら か じ め 具 わ って い た 貧
凹奉 請
このうえなく深くすぐれたみ教えは
f4f
問問 末広 口旬
宇宙 に 満 ち る す べ て の み 仏 に 申 し 上 げ ま す 。ど う か こ の 道
-46-
香
島
{
宝
干
し
わたしは今そのみ教えに出会うことができました
どれほど永い時を経ても出会うことは困難です
人々に分けへだてなく及ぼし
これまで修めてきたお念仏の力を
総回向偽
総願偶
阿弥陀知来の浄土に生まれますように
共に極楽往生の志を起て
どうかみ仏のみ教えがわたしのものとなりますように
本誓傷
阿弥陀如来が誓われた救いの願いは
極楽に生まれるためのもっとも大切なものです
りへ導くことを誓います
﹂の世に生きる人は数限りありませんが、すべての人を悟
き得る修行を極楽に生まれるためにふりむけ、永遠のいの
苦しみの源である煩悩は尽きるものではありませんが、必
定まったこころで勤める修行と乱れたこころであってもで
ちを速やかにいただきます
お念仏を唱える人々に救いの手を差し伸べ
あらゆる世界をへだてなく照らし
阿弥陀如来が放つ救いの光は
摂益文
わたしとすべての人はお念仏の力によって共に極楽に往く
を極めることを誓います
覚りへの道ははるかに速いものでありますが、必ずその道
によってわたしのものとすることを誓います
み仏のみ教えは数限りなくありますが、それらを学ぶこと
ず断ち切ることを誓います
決して見捨てることはありません
ょう勤めます
i
ウ
A
ι
τ
仏にすべて従います
西方極楽浄土にまします
心でわたしたちをお諮りください
どうか仏よ、仏の国に還られでも遥か彼方からあわれみの
﹂の道場すべてに香を突き華を撒いてお送りします
ぞれの仏の国にお還りください
﹂の道場におこしくださったもろもろの仏・菩薩よ、それ
送仏侮
仏にすべて従います
西方極楽浄土にまします、自ら迎え導いてくださる阿弥陀
人々を救い照ってくださる阿弥陀仏に従います
お念仏の力によってすべての
西方極楽浄土にまします、仏の道を成し遂げられた阿弥陀
身
わたしたちは互いにお念仏に励み極楽への道をすすみます
現代語訳の日常勤行式 (
佐山哲郎作
実際のビデオ 収録にあた っては、佐 山研究スタ
yフの試 作
を使用したが、句読にはそれぞれ(維那) (導師)を同音
部分には(同)をつけ、この印以前は句頭、以後は同音で
お香を焚きみ仏を供
は、ナレーションの台調である 。
構えた 。 稚物は、原則として用いず、念仏 一会 の み 鉦 を
用いた 。尚
します 。
託して、あらゆる世界にましますみ仏を、供養いた
香煙に -
つねに戒律を守り、禅定の境地に人る思いを、日災きあがる
りますように 。
(同)願わくはこの心が、煩悩を焼き尽くす知口誌の光であ
よ・つに 。
(維那)願わくはこの身が香炉のように清らかであります
養いたします)
(身も心も清らかになることを願い
香
局
{
礼
4
a
τ
06
(同)心から敬って礼拝いたします 。
(維那)あらゆる世界に変わることなくましますみ仏を
(同)心から敬って礼拝いたします 。
(維那) あらゆる世界に、時を越えてましますみ仏を
らの信奉を表明いたします)
(仏さまと、その教え、その教えを信 仰 する人々への心か
三宝 礼
えいたします 。
(同)どうぞこの道場にお越しください 。華を撒いてお迎
(維那)観音菩薩、勢至菩薩そして、もろもろの大菩薩よ
えいたします 。
(同)どうぞこの道場にお越しください 。撃を撒いてお迎
(維那)阿弥陀如来よ
えいたします 。
(同)み仏の教えを信仰する方々を、心から敬って礼村い
(これまでに犯してきたもろもろの穿を、 み仏の前で心か
機悔偶
(維那) あらゆる世界に変わることなくまします
たします 。
(維那)釈迦牟尼世尊よ
えいたします 。
(同)どうぞこの道場にお趨しください 。華を撒いてお迎
(維那) あらゆる世界にましますみ仏よ
(あらゆる世界の仏さまをお迎えいたします)
凹奉請
俄悔いたします 。
と心の働きによって生じたものです 。いま、そのすべてを
思かさによるものであり、それらすべての所業は、身と口
貧り、順(いか)り
(同)すべて、始めなき始めから、この身に具わってきた
もろもろの悪しき所業は
(維郎) はるか背の過去世から、現世まで重ね続けてきた
ら反省いたします 。
(同)どうぞこの道場にお越しください 。禁を撒いてお迎
-49-
十念
閉経偶
(仏さまのみ教えに出会えたことを喜び、そのみおしえを
ものを救済するために世に比類なく勝れた四十八の願いを
たてました 。 必 ず こ の 上 な い 悟 り の 境 地 に 達 し ま し ょ う 。
この願いが成就しなければ、誓って悟りをひらくことは
ありません 。
貧苦に苛(さいな)まれている
私はこの先いつまでも、大いに恵みを施す主となって
(導師)無限にも深くそして至妙なみ教えに出会うことは、
多くの者たちをすべて救えなければ、誓って悟りをひらく
体得することを誓います)
(同)どれほどの永い時を経るとも困難なことであります 。
ことはありません 。
﹂とはありません 。
すみずみまで響きわたらなければ、誓って悟りをひらく
まで響きわたることでしょう 。
悟りの道を成し遂げたならば、私の名前が十方の世界に
しかし、いま、そのみ教えと出会い、この身にいただくこ
とができます 。願わくは、仏の、み教え、おさとりがこの
身にそなわりますように 。
*導師、維那、式衆がそれぞれのパ l ト(①i③ )を独唱
した 。
四誓偶
私、法蔵菩薩は、悟りをひらき、あらゆる生きとし生ける
となりましょう 。
この上ない悟りを求めて、多くの天界の神々や人々の導師
智慧をきわめること、これらの修行に励むことで、心から
欲望を離れること、正しく精神統 一すること、清らかな
②
諦
経
①
Fhd
ハV
はかりしれない力で大いなる光を放ち、果てしない国土
をすみずみまで照らし、 三 つの垢、貧り、怒り、剛明掛かさの
(まなこ)を開いてその暗聞をなくし、多くの悪い
閣を取り除き、多くの厄難に苦しむ者を救い、彼らの智慧
の
て消え失せてしまうでしょう 。
そのために太陽と月は輝きを失い、天界の光さえも隠れ
威 厳 に 満 ち た 輝 き を 十 方 ま で い き わ た ら せ ま す。
世界を閉じて、善い世界へと導き、功徳を完全に満たして
眼
どうか私の功徳の力によって、このように最もすぐれた
尊者と等しくなれますように 。
(全員同唱)
もしこの誓いが達成されたならば、全宇宙が揺れ動いて
感 じ 入 る は ず で す。
虚空にいる天界の神々は、 美 しくみごとな華華を雨のよ
うに降らせるでしょう 。
本誓備
(極楽に往生して無上のさとりを得たいと思います)
(同)往生極楽のためのもっとも肝要なみ教えです 。 これ
て、広く功徳の宝を施し、いつも多くの人々の中で、獅子
すべての仏を供養し、多くの功徳を具え、誓願と智慧を
までに積んできた、心を安定させて勤めるべき行と、乱心
(導師)阿弥陀仏が発せられた、衆生済度のための誓願は
すべて満たし、全世界で最もすぐれた存在になられまし
いただきたいものです 。
りむけすみやかに、生死(しようじ)をこえた永遠の命を
の中にも出来うる行の功徳を、共に、往生極楽のためにふ
どこまでもいきわたり照らさないところはありません 。
何ものにもさえぎることのない仏の智慧というものは、
た。
が肌えているように堂々と法を説きましょう 。
あらゆる生きとし生けるもののために仏法の蔵を開い
③
FD
十念
摂益文
(阿弥陀仏の光明は、念仏を称えるものを照らし出し、必
楽浄土に往生いたしますように 。
(同)あらゆる世界をくまなく照らし出し、念仏を称える
(導師)阿弥陀如来のお放ちになられる救いのみ光は
遂げたいと、願いをおこします 。
(煩悩を断ち、教えを学び、多くの人々と共に極楽往生を
総願侮
ず救いとられます 。
ものを、救い導いて、決して
(維那)この世界に生きとし生ける人々の数は際限があり
ませんが
(同) ひとたび浄土に往生したならば、必ずや、その皆を
に極楽往生することをお願いいたします)
(お念 仏とお経による功徳で、すべての人々と 、ともども
総回向傷
往生したならば、必ずやそれらを体得することを誓いま
仏のみ教えは、数知れぬほどありますが、ひとたび浄土に
せんが、必ずや断ち切ることを誓います 。
昔しみの線源ともいうべき煩悩は、尽きるものではありま
さとりの世界へ導くことを普います 。
(導師)願わくは、これまで修めてきたお念仏の功徳によっ
念仏 一会
お見捨てになるようなことはありません 。
十
(
同)すべての人々が平 等に、その 無上の利益(りや く)を
たいと願うものです 。
無上のさとりを、ひとたび往生したならば、必ずや体得し
す
一
享
受 し、共々に極楽往生のぷをおこして、阿弥陀如来の極
て
にd
?“
(維那)この道場にお越しくださ ったもろもろの仏、もろ
自他をへだてず、この世に生きるものは等しく念仏の利益
を享けて、皆ともに極楽に往生し、仏道を成就したいと願
もろの 菩 降よ、それぞれの仏国に、どうぞ、お還りくださ
(同)み光のなかに 人 々 を 救 い棋ってくださる 阿弥陀仏に
(維那)西方極楽浄土にまします
(同)本願を成就さ れた阿弥陀仏に帰依いたします 。
(維那)西方極楽浄土にまします
(阿弥陀仏を礼拝して帰依のまことをあらわします)
きたり、私どもをお議りくださいますよう、どうか、お願
されておられる方々よ、互いに勧めあ ってこの 間界に還り
にまた、同じく念仏の功徳によって、既に極楽浄七に往生
還られた後も、はるか遠く私たちをお譲りください 。さら
お見送り申し上げます 。願わくは仏よ、それぞれの仏国に
維郎)西方極楽浄上にまします
(
(同)自ら来迎されて人々を導いてくださる阿弥陀仏に帰
依いたします。
(
法裂の終わりに際し、仏さまを極楽にお送りし、変わら
を頂戴し検討を進めている 。
するものである 。呪布、総合 研究所では、名ト刀而か ら怠 比
FMのU前勤行の別代語訳は、ひとつの試みとして発表
A
ぬ大きな慈悲でおまもりいただくことをお願いいたしま
送仏伺
おわりに
い申し上げます 。
(同)隅々まで至るように香を献じ、華を撒いて、心から
うものです。
す
帰依いたします 。
身
干
し
J
υ
﹁
F
今
一54-
研究ノl
ト
-5
5一
浄 土 宗 基 本 典 籍 の 現 代 語 化 ・ 浄 土 三部 経
仏説阿弥陀経
浄土 宗基 本典籍の現代語化A浄 土三 部経班
(ナンダ)・ 阿難陀(ア lナンダ)・羅喉羅(ラ l フラ)・橋
劫賓那(マハ lカ yピナ) ・簿拘羅(ヴアックラ)・阿売機
仏説阿弥陀経
党波提(ガヴ ァlンパティ)・
賓頭慮頗羅堕(ピンド lラ ・
私、阿難は釈尊から次のように聞いている 。ある時、釈
駄(アニル ッダ)たちは、とくに優れた弟子であ った。あ
鳩摩羅 什奉 詔 訳
尊が舎衛国の祇樹給孤独園(祇園精舎)におられた 。そこ
f ・阿逸多菩隣・乾陀詞提菩薩・常精進笹口凝らは、ことに
銚奈の 三減 法 師
には総勢千 -h五ト人にもおよぶ、きわめて似限れた憎たち
一
一
が会していた 。
彼らはみな煩悩を滅した偉大な修行者とし
優れた菩薩であ った。さらには帝釈 天をはじめとする無数
お
鍋
刀
そこで、釈尊は長主である舎利仰に次のように説かれた 。
刻
わ せ て 大 勢 の 古 雌 た ち が い た が 、 な か で も 文 殊 師 利法王
目
て阿羅漢と称えられ、その名は人々の間にあまねく知れ
の天人たちが集っていた 。
パラドゥヴ ァlジヤ)・迦留陀夷(カ l ロlダイン)・摩詞
渡 っていた 。なかでも長老の舎 利弗(シャ lリプトラ)を
J
はじめ、摩 剖口機連(マハ1マウドゥリヤ lヤナ) ・摩 詞
仰
のかなた、 卜刀偲にもおよぶ仏の世界を過ぎた向こうに、
拘
私たちが住む煩悩に満ちたこの裟婆世界からはるか州 十
刀
ヤl ヤナ) ・時制倶縦(マハ lカウシ ユティラ) ・離婆多
つの世界がある 。その名を ﹁
極楽﹂という 。そこにひと
迦葉(マハ lカ│シュパヤ)・
摩詞迦腕延(マハ lカl ト ゥ
(
レ lヴァタ)・周利 繋 陀伽 (シユッディパンタカ) ・難 陀
ph
d
n
hu
うか 。それは、その世界の人々には、その世界では人々が
利弗よ 。そ の 仏 の 世 界 を ど う し て ﹁
極 楽﹂と 呼 ぶ の で あ ろ
は今現在もそこにましまして、法を説きつづけている 。舎
りの仏がおられる、その名を ﹁
阿 弥 陀﹂という 。阿 弥 陀 仏
は青い光を放ち、黄色の遜華は黄色い光を放ち、赤色の蓮
が咲き誇り、その花は荷車の車輪ほど大きい 。青 色 の 蓮 華
宝 石によ って 飾 ら れ 荘 厳 を き わ め て い る 。
池の中には蓮華
あり、金・銀 ・瑠 璃 ・ 水 晶 ・成 泊 ・ 赤真 珠・幡随の七種の
ぃ極
紗 I
t
附 l
円
の升
Z長
男
前
見詰
さf
れい
視さ
取
あり
た囲
りま
い 調 べ が 突 で ら れ て い る 。ま た 、 地 面 は 黄 金 で で き て お
um
宝石が散りばめられ、極楽世界をあますところなく隅々ま
り
、 一円にじハ 一
返、天空か ら妓陀羅華の花びらが、ひらひら
また舎利弗よ 。
極楽世界には岸辺を七種の宝石で飾りた
赴いては、それを体げて各々の仏を供養する 。そうしてい
んの花びらを躍り、十万憶にも及ぶさまざまな仏の世界に
と舞い器ちてくる 。極楽の衆生は毎朝早く、花能にた く さ
てた越の池がある 。八柿の功徳が具わる水を満々と湛え、
るうちにちょうど食事の時刻となり、瞬時に極楽に 一
、
炭り
A
而が金の砂で敷き詰められている 。その池は
食 事 を 限 って、それからゆ ったりとした足取りで静かに歩
池の底には
同方を階段で凶まれており、その階段は金 ・銀 ・瑠璃・破
み 身 心 を 調 え る 行 を 修 め て い る 。会口利弗よ 。このように極
ある 。
で飾りたてている 。そ れ 政 こ の 世 界 を ﹁
栃 楽﹂と呼ぶので
また、合利邦よ 。阿弥陀仏の極楽世界では、常に心地よ
な 環 境 が 縫 っている 。
世界では、目にするものすべてが覚りを聞くための理惣的
華は赤い光を放ち、白色の必龍平は白い光を放 っている 。そ
た梁
塙を組み人 Hわせてできている 。そこから見上げると機聞が
- 57一
心身に苦しみを党えることがま ったくなく、たださまざま
は平I
J
れ ぞ れ の 漣 躍 が 締 き あ って絶妙な光 長 を織り成し、同時に
包
帯
つ 。
な幸福 に の み 包 ま れ て い る か ら で あ る 。それ故 ﹁
極 楽﹂と
空盗
芳 し い 香 り を 醸 し だ し て い る 。舎 利 弗 よ 。このように極楽
ま
呼ぶのである 。
天れ
には樹々がヒ重に列な っている 。それらすべてには四種の
れ
整っている 。
楽世界は、仏道を歩み、党りを聞くための理想的な環境が
りばめられ鈴のついた紗の惟(天空に浮かぶ網目のべ l
風がそよぎ、さまざまな宝石で彩られた並木や、宝石が散
鵡 ・舎 利・迦陵頻伽・共命などの 鳥 で あ る 。これらの鳥は
ないほど色鮮やかなさまざまな鳥がいる 。白鵠 ・孔雀・ 鶴
またさらに 舎 利 弗 よ 。極楽世界には常に、たとえようも
心が深まってくる 。舎 利弗よ 。このように極楽世界は、耳
﹂の調べを聞く者は、みなおのずと仏・法 ・僧に帰依する
で、十万種もの楽器を同時に奏でているかのようである 。
ル)を揺れ動かし、妙なる調べを奏でている 。それはまる
"
一日に六返、優雅な声で噌りあっている 。その鳴き声その
にするものすべてが覚りを聞くための理想的な環境が整つ
ない 。これらの鳥は、ことごとく阿弥陀仏がその教えを鳥
き境涯に堕ち入っているものがいょうか 。否、いるはずも
どうして悪し
うした境涯の名称すら耳にすることもない 。
在 し な い か ら で あ る 。舎 利弗よ 。極 楽 世 界 に は そ も そ も そ
楽世界には地獄・餓鬼・畜生という 三 つの悪しき娩涯は存
に生まれたのだ﹂などと思 つてはならない 。なぜなれば極
そなたは、これらの鳥について﹁生前の罪の報いとして鳥
僧を慕う気持ちが募 ってくる 。舎利弗よ 。
法・
とごとく仏 ・
ら、今日に至るまで、すでに十劫という途方もなく永い時
である 。舎 利弗よ 。阿弥陀仏が覚りを聞き仏と成られてか
る。それ故この仏を﹁阿弥陀﹂(無量寿)とお呼びするの
と極楽世界の衆生の寿命は永遠に尽きることなく無量であ
光)とお呼びするのである 。また舎利弗よ 。この仏の寿命
阿弥陀﹂(無量
界を明るく照らし出す。それ故この仏を ﹁
明を放たれ、いかなる障害物をものともせず、あらゆる位
とお呼びするのであろうか 。舎 利弗よ 。この仏は無量の光
阿弥陀﹂
舎 利弗よ 。そなたはどう思うか 。なぜこの仏を ﹁
制凋柏抑
お謝野
ものが五根・五力 ・七菩提分・八聖道分等の仏の教えを奏
ている 。
たちの鳴き声に託して伝えようと望み、阿弥陀仏がみずか
聞を経ている 。また舎利弗よ 。この仏には無数の弟子がお
柑“
でている 。極楽世界の人々はその声を耳にすると、みなこ
ら出現させたのである 。舎利弗 よ。極楽世界では心地よい
υ
F吋
QO
ない 。
大勢の 菩 薩たちも同様にその数は計り知ることがで
行者である 。その数もま ったくも って計り知ることはでき
陀仏﹂と念仏を称えつづけること 、もしくは 一目 、も し く
阿弥陀仏についての教えを聴いて往生を願い、﹁南無阿弥
舎 利 弗 よ 。男 性 で あ れ 女 性 で あ れ 善 良 な 人 々 が 、もしも
れば往生が適うのであろうか 。
)
きない 。舎 利 弗 よ 。このように極楽世界は、あらゆる衆生
は 二 日、もしくは 三 日、もしくは四日、もしくは五日、も
り、その誰もが煩悩を滅し尽くした、阿羅 漢 と い わ れ る 修
に と っ て 覚 り を 聞 く た め の 理 想 的 な 環 境 が 整 っている 。
の時間をかけて数えるより他はない 。会口利弗よ 。このよう
ない 。唯 一方法を示すならば、永遠に尽きることなく無 量
きわめて膨大なため、ま った く も っ て 計 り 知 る こ と が で き
の功徳を積んでいる 一生補処の菩薩なのである 。その数は
の多くは、 今 一度生まれ変わ った時には必ず仏になるまで
境地にいたるまで決して仏道から退くことがない 。その中
く 手 に と る よ う に 見 え る か ら こ そ 、 念 仏 往 生 の教えを説く
弗 よ 。私には、このような阿弥陀仏の救いが余すところな
まま速やかにその極楽世界へと往生が叶うのである 。
舎利
その心は乱れることなく、阿弥陀仏のお導きにより、この
し 眼 の 前 に お 立 ち に な る 。そ れ 故 命 尽 き る 時 で あ っても、
じ め と す る 型 な る 弟 子 たちとともに来迎され、その姿を現
その人が臨終を迎える時、阿弥陀仏は極楽世界の菩薩をは
途に 一心不乱であれば
な浄土のありさまを聞いた衆生は、必ずや極楽世界に往生し
のである 。この教えを聴く者は、﹁阿弥陀仏の浄土に往生
しくは 六日、も し く は 七 日
たいと願うべきである 。なぜならば、それほどに優れた聖者
したい﹂と願いをたてるにちがいなく、そして必ずや往生
また舎利弗よ 。極楽世界に往生した人々はみな、覚りの
たちと、そこでともに 会 い集うことができるからである 。
舎 利弗よ 。今こうして、念仏往生をはじめとする人知を
するであろう 。
行を積もうとも、それらでは極楽に往生するにふさわしい
はるかに超えた阿弥陀仏の功徳を仰ぎたたえるのは、私ぱ
ただし、舎利弗よ 。往 生 を 願 っ て ど れ ほ ど す ば ら し い 修
功 徳 と し て は お よ そ 及 ば な い の で あ る 。(それではどうす
p同
υ
Qd
る世界に真実を告げる広くて長い大きな舌を口から出し、
それぞれがそれぞれの償界において、仏の証としてあらゆ
する、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして、
て、それぞれがそれぞれの世界において、仏の証としてあ
めとする、ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまし
仏・無量艦仏・大光仏・大明仏 ・宝相仏 ・浄 光 仏 等 を は じ
無量相
またさらに西方に広がる諸々の世界に無蛍寿仏 ・
に超えた阿弥陀仏の幼徳を祢讃し、そして常に念仏者に心
その舌であまねく 三千大千世界を躍うのである 。そして次
らゆる世界に 真 実を告げる広くて長い大きな舌を口から出
かりでない 。ま た さ ら に 東 方 に 広 が る 諸 々 の 世 界 に 阿 閥 鞠
の よ う な 畷 偽 り の な い 真 実の 言 葉 を 述 べ ら れ る 。﹁ 汝ら
し、その舌であまねく 三千 大 千 世 界 を 調 う の で あ る 。そし
を 寄 せ 、 救 い 諮 る こ と を 説 く 経﹂ を信ぜよ ﹂ と 。
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知
諸 人 よ 。この ﹁
汝
て次のような嘘偽りのない真実の 言葉 を 述 べ ら れ る 。﹁
仏・難泊仏・日生仏・網明仏 等 をはじめとする、ガン ジ ス
-60-
仏 ・須 弥 相 仏 ・大 須 弥 仏 ・須 弥 光 仏 ・妙音仏等をはじめと
をはるかに超えた阿弥陀仏の功徳を称讃し、そして常に念
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする
ら、諸人よ 。この ﹁
に念仏者に心を寄せ、教い護ることを説く経﹂を 信 ぜ よ ﹂
人知をはるかに超えた阿弥陀仏の功徳を称讃し、そして常
仏 者 に 心 を 寄 せ 、 救 い 護 る こ と を 説 く 経﹂ を 信 ぜ よ ﹂と。
名聞光
またさらに南方に広がる諸々の世界に日月灯仏 ・
精進仏等をはじめとする、
川﹄
川
肘仏・須弥幻仏 ・無
仏 ・大 焔 一
に真実を告げる広くて長い大きな舌を円から出し、その丙
河の砂の数ほどの無数の仏がましまして、それぞれがそれ
ガンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして、それぞ
であまねく 三千大千世界を覆うのである 。そして次のよう
ぞれの世界において、仏の証としてあらゆる世界に真実を
日
ま た さ ら に 北 方 に 広 が る 諸 々 の 出 界 に 焔 一屑仏・円収勝 立
汝ら、諸人よ 。
な峻偽りのない真実の 昌集を述べられる 。﹁
告げる広くて長い大きな舌を口から出し、その舌であまね
れがそれぞれの世界において、仏の証としてあらゆる世界
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるか
の﹁
﹂
と
阿 弥 陀 仏 の 功 徳 を 紘讃 し 、 そ し て 常 に 念 仏 書 に 心 を 寄 せ
らゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるかに超えた
のない真実の 言 葉 を 述 べ ら れ る 。﹁汝ら、諸人よ 。この ﹃
あ
く 三 千大千世界を覆うのである 。そ し て 次 の よ う な 嘘 偽 り
あまねく 二-千大千世界を担うのである 。そして次のような
真 実 を 告 げ る 広 く て 長 い 大 き な 舌 を 口 か ら 出し、その 舌で
がそれぞれの世界において、仏の証としてあらゆる出界に
ンジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして、それぞれ
の﹁
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるかに
雌 偽 り の な い 真 実 の 言葉 を 述 べ ら れ る 。
﹁ 汝ら、清人よ 。こ
またさらにF方に広がる諸々の世界に師子仏・名問仏・
超えた阿弥陀仏の功徳を称讃し、そして常に念仏者に心を
救 い 諮 る こ と を 説 く 経﹂ を信ぜよ﹂
名 光 仏 ・達摩仏・法陣仏・持法仏等をはじめとする、ガン
寄 せ 、 救 い 護 る こ と を 説 く 経﹂ を 信 ぜ よ ﹂ と。
合 利 弗 よ 。そなたはどう思うか 。なぜこの経が ﹁
あらゆ
ジス河の砂の数ほどの無数の仏がましまして、それぞれが
それぞれの山界において、仏の証としてあらゆる問料に点
諮 る こ と を 説 く 経﹄ と 名 づ け ら れ て い る の か を 。 合 利 弗
る仏が念仏住生をはじめとする人知をはるかに組えた阿弥
ま ね く 千大千世界を綴うのである 。そして次のような嘘
一
士
偽りのない真実の 言 葉 を 述 べ ら れ る 。 ﹁
汝ら、請人よ 。 こ
ょ。男性であれ女性であれ善良な人々が、もしこれら諸仏
実を告げる広くて長い大きな舌を口から出し、その舌であ
の﹃
あらゆる仏が念仏往生をはじめとする人知をはるかに
が林賛している阿弥陀仏の名とこの経典の名を聞くもの
は、みなともどもにあらゆる仏から心を寄せられ、救い護
陀仏の功徳を林讃し、そして常に念仏者に心を寄せ、救い
超えた阿弥陀仏の功徳を紘讃し、そして常に念仏者に心を
寄 せ 、 救 い 護 る こ と を 説 く 経﹂ を 信 ぜ よ ﹂ と。
く 、 住 生 の 後 に は こ の 上 な い 完 全 な る 党 り の 成 地 を究める
られながら、党りに至る仏道の歩みを退転させることな
香上仏・末円光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・裟羅樹・
t仏・
のである 。それ般に舎 利弗よ 。そなたたちは 一人残らず
またさらに上方に広がる諸々の世界に先行仏 ・
宿E 仏・
宝 華 徳 仏 ・見 一切 義 仏 ・如須弥 山 仏 等をはじめとする、ガ
6
1
と
すにちがいなく、必ずや念仏を紘えて往生するであろう 。
を素直に信じる行は、極楽町凶什に住生したいとの願をおこ
であれ 善 良なる人々の中で、私の 言葉、そして諸仏の 言葉
から退転することがない 。それ故に舎利弗よ 。男 で あ れ 火
これらの人々はこの上ない完全なる党りへ至る仏道の歩み
で往生を遂げ、あるいはこの先往生を遂げる 。往生の後
はそれぞれ、既に極楽世界に住生を遂げ、あるいは今ここ
るいはこの先そう願いつつ念仏を称えて命尽きる人、彼ら
人、あるいは今そう願いつつ念仏を品称えて命尽きる人、あ
ってそこに往生したいと願いつつ念仏を称えて命尽きた
弗よ 。誰であれ、阿弥陀仏の極楽世界に怨いを募らせ、か
私の ・4JH葉、そして指仏の 言集 を 信 じ 心 に 問 め な さ い 。合利
甚だなし
の教えを説いたのである 。だからこそ、諸仏は ﹁
ゆる常識を起えて、にわかに信じ難い極楽世界と念仏往生
りでなく、あらゆる世界の人々のために、現実幽界のあら
遂げ、この上ない完全なる党りの境地を究めた 。そればか
裟婆附し界に身をおきながらも、誠になし難い 一大 事 を な し
ょ 。よく覚えておくがよい 。私 は 五 濁 に 満 ち た 悪 し き こ の
念 仏 往 生 に つ い て の 教 え を 説 か れ た か ら で す ﹂と 。令口利弗
世界のあらゆる常識を超えてにわかに信じ難い極楽世界と
ない完全なる党りの境地を究め、そればかりでなく、現実
に満ちた悲しきこの裟婆位界に身をおきながらも、この上
命濁﹂という五濁
衆生濁﹂ ・寿命が短くなる ﹁
が乱れる ﹁
煩怖制﹂ ・人心
仰が乱れる﹁見濁 ﹂・社会の道徳が乱れる ﹁
釈尊がこの経を説き終えられると、それを持聴した舎利
維い ﹂ と 称 え た の で あ る 。
小吋思議な功
識念 ﹂という人知を必える .
寄せ、救い諮る ﹁
仰はじめもろもろの憎たちゃ、あらゆる世界の天人や
作 利 州 よ 。今、こうして私が訪仏による念仏行への心を
徳を称讃したように、消仏もまた次のようなことばをも っ
人々、仲修羅らは、飲びに満たされ、
吾 首 正しく受
釈迦キ出仏よ 。
て、私の不吋思議な功徳を林讃している 。﹁
け取って心に刻むと、釈尊に対して深々と礼符し、その場
A
あなたはよくぞ、この甚だなし難くかっ希布な
から立ち去 った 。
大幅をな
劫 制 ﹂・正しい信
された 。 というのも、川代が動乱する ﹁
ヮnhu
“
仏説阿弥陀経
==闘-吉岡
+土﹁巳
-古代中国、普代五胡十 六国の 一つ。後 秦 (三八凹l四 一
のこと 。桃喪が辿てた同なので桃秦という 。
2仏教の教え全てに精通している僧侶のこと 。
一
二 政とは経
(釈尊の説法)・
律(僧団に回し、仏道修行をする者に対
して釈尊が定めた諸々の決まりごと) ・論(釈尊の教え
について解釈したもの)のことで、それらの仏教の教え
が全て納まるという 。
ー問 。九 0・中 国 南 北 朝 時 代 の 憎 。西城の亀蕊国出
﹁
般若経﹂・﹃
法
余 儀 な く さ れ た が 、 後 秦 に よ って 解 放 さ れ 長 安 に 迎 え
ら れ る 。以後、仏典の翻訳に従事した
催 経﹂・﹃
州
相
府
中
経﹂などを浅訳し、多くの門治を育成した 。
その業組は仏教史上大きな 一昨側を 受 けている
・ の 却 を 受 けた翻訳のこと 。
4k
同家的事業としての翻訳と
い・えヲ令 。
5釈尊の弟子で従弟といわれている 。釈尊の身の周りの世
話をし、多くの説法の場に居合わせた 。そのことにより
釈 尊 の 弟 子 中 で 多 聞 第 一と 称 え ら れ て い る 。 仏教経典
は原則として阿難が釈尊の説法を思い 出 し て
、 みなに
伝えるという形式を取っている 。
6林凡話でシユラ l ヴァスティーといい、古代インドのコ l
サラ国の首都 。 釈尊の活動拠点の 一つ。
yタとは﹁よく施し
7合術国のスダ ッタ長者が釈尊に寄進した林の固で、そこ
に建てられた僧院が祇凶精舎 。スダ
をした人﹂という意味であるが、 ﹁
孤独な人に食を給す
る人 ﹂でもあるから給孤独長者とも 言わ れ て い る 。コー
サラ国のジェ l タ(祇陀)太子が所有していた林の園の
七 地 を 長 省 が 買 い 取 って僧団に寄進し、ジェ l タが林
の木々を寄進したという伝承に基づき祇樹給孤独固と
称されている 。
8原意は ﹁
供養を受けるに相応しい人 ﹂であり、 ﹁
応供 ﹂と
も 訳 さ れ る 。修行者として最高の党りを得た者のこと 。
9仏弟子中、智慧第 -と林せられ、釈尊から次代の指導者
-6
3
七
E
身 。亀法国が前奈の攻略を受けた折、以後、捕虜生活を
3
と期待されていたが、釈尊よりも前に没した 。
叩仏弟子中、神通第 一と称せられ、舎利弗と並び優れた弟
えの 一つも記憶できなか った。 しかし釈尊の 指 導 の も
と、熱心に清掃を繰り返すうちに煩悩という心の垢を
い修行に勤めた 。 も と も と は 多 く の 弟fを 有 す る 修 行
日仏弟子中、頭陀第-と林され、欲望を廃するための厳し
く 期 待 さ れ た が 、 釈 尊 の 怠 向 に よ り 出 家 美mMfであ っ
カ族浄飯王の子 。釈尊の出家後、シャカ族の王となるべ
日仏弟子中、調伏諸根第 一と 称 さ れ る 釈 持 の 異 吋 泊 。シャ
取 り 除 き 、 阿 羅 混 と な った。
者であ ったが、後に釈旅に帰依した 。釈持よりも年長で
たといわれ、それゆえ愛欲に苦しむが釈尊の指導によ
,ずであったが、会口利弗と時を同じくして没した 。
あり、釈尊の没後には教団を指導した 。
りそれを断ち 切 った 。
日仏弟乙 J中、密行第 一と林される、釈尊がシャカ族Efの
。
時代にもうけられた息子であるが、釈尊の意向により
出 家 。釈 絡 を 慕 い つ つ も 、 人 知 れ ず 修 行 に 励 ん だ
雑 宝 蔵 経 ﹄ 巻第四)によると、 他 の三人 の 兄 弟
日 一説 (﹁
﹁生
﹁是午減法﹂
諸 行 無 常﹂
とともに釈尊から﹂節づっ ﹁
﹁ 利a 減 為 楽 ﹂ の 教 え を 授 か っ た の を 契 機 と し て
滅滅己 ﹂
umN
を削み仏弟子たちを・守ったという 。午 王 と も 叔
出家し、阿羅漢とな った 。また洪水の際、神通力を持 つ
て水
される 。
4一
6
ロ仏弟了中、論議第 一と除され、釈尊の説法を修行者たち
に分かりゃすく解説した 。
日仏弟子中、問答第と称され、舎利弗などと仏法につい
3
て問符を繰り返した 。 説によると全日利弗の叔父で、和
利仰 の 実 弟 と も 伝 え ら
ATH
福なバラモンの家に生まれ、山中1時 の 教 廷 を 余 す と こ ろ
μ えていた 。
なく
日仏弟子中、や禅第.と林され、
坐禅を好み、その少欲知足に徹した修行態度は釈
日出家した兄にならい仏郁子となったが、物覚えが悪く教
尊からも林されたという
れ
る
四 仏 弟 子 中 、 獅 子 肌 第 一と 紘 せ ら れ 説 法 に す ぐ れ て い た
り出家 。 神 通 力 が あ り 何 事 に も 動 ぜ ず 禅 定 を 修 し て い
辺仏弟子中、無病第 一といわれ、長寿をま っと う し た 。独
たという 。
尊の 叱貨を受ける 。しかし、それを恥じ、 一人 教 団 を 離
り坐禅を楽しみ、ことさら説法や弟子の育成には関わ
一般 民 衆 の 前 で 誇 ら し げ に 神 通 力 を 用 い た た め 釈
れ て 仏 教 流 布 の た め に 尽 力 し た と い う 。 日本では、古
ることはなかったが、臨終の際には仏弟子たちに看取
お釈尊の従荊 。出家後、釈尊の説法中に町眠りをして叱責
来、なでた部分の怪孜や病気を癒す ﹁
おびんづるさま﹂
加もともと釈尊の朋友で、シャカ族が治めるカピラ国の大
されるや、それを悔いて不眠の折汀いをたてる 。それをス
られた 。
陀の乙﹄として釈尊と同日に生まれた 。 本 名 は ウ ダ !
践した結果失明するが、心中に速くや未来を見渡す神
液 を 浴 び て 肌 が 同 点 く 変 色 し た こ と か ら ﹁カi ル ダ !
ことから、あるいは釈尊をぷ蛇から守ろうとした時、
を 繕 お う と し た 時 、 行U の 彼 に 代 わ って 釈 尊 臼 ら が 針
通力を得て、仏弟子中、天眼第 -と休される 。白らのぷ
1﹂の奇写必で
に糸を通したという 。
a
X妹 川 利﹂と は 知 的 ﹁マンジ ユシユリ
M﹁
﹁
妙吉祥﹂・﹁
妙徳﹂などとも羽仇され、 ﹁
法王子 ﹂とは ﹁
釈
仏弟了であり
ながら釈尊に行動をたしなめられることが多く不満を
い
。
4hv
お弥制汗雌の別林とされる 片
慾氏
iH
H
併ともいい、惑しみに
場するが、特に般昔経典において屯裂な教えを説いて
尊の党りを受け継ぐもの ﹂と い う 怠 味 線 々 な 経 典 に パυ
ある国のFぃ肢としてE 位 を 継 い だ が 、 釈 尊 の 導 き に よ
紅仏弟子中、教誠第 一と い わ れ 、 よ く 出 家 者 を 指導した 。
える 。
抱 い て い た が 、 釈 尊 の 指 導 の も と 附 維 部 に な ったと伝
肌ハ中には 他 に 川 名 の 人 物 が 見 受 け ら れ
イl﹂ (烈いウダ l イl) と 呼 ば れ た と い う 。なお、仏
h川
イ10生来の色黒(占代インド話で ﹁カl ラ 乙 で あ る
として親しまれ、民間の信仰を集めている 。
y
う
i
Fhd
hv
n
満ちた 菩薩 。
お﹁
香象﹂とも訳され、原意は精力に満ち溢れたオス象の
こと 。
衆生救済のために熱心に努める者﹂ のこと 。
幻原意は ﹁
もともとはインドで信奉されている
お仏教を守護する 神 。
インドラ神のことで、武勇神、雷神としての性格を有す
却党語で ﹁サハ l﹂といい、逆境に﹁耐え忍ぶ ﹂などとい
忍土﹂などとも漢訳される 。
う意を含む 。 ﹁
mlo×10000×100000000で、十兆のこ
分して記すことが多い 。
見る者の心を 喜 ばせる ﹂という意が合まれると
お語源に ﹁
適意﹂などとも訳されている 。花びら
悦意﹂ ・﹁
して、 ﹁
がスイカズラに似ているとも想像される 。
クチパシの長い鴫のような白い鳥と想像される 。
MA
百 舌 鳥﹂のこと 。ただし人語を話すと
お瀧 訳そのものは ﹁
も 言 われるところから、九官鳥とも解される 。
雅楽に朱の衣装に色鮮やか
お美 しい 声 で嶋くという小鳥。
迦陵頻﹂ がある 。
な羽をつけた稚児が舞い踊る 童舞 ﹁
ジiヴ ァ、ジ lヴ ア﹂
訂 一身に 二頭を具えた鷲 ・鷹の類。﹁
共命鳥﹂
命﹂を意味することから、 ﹁
と鳴く 声 が党語で ﹁
と名付けられたともいう 。
慧線のこと 。これらの実践により、煩悩が減せられて党
澄 浄 ﹂、② ひんやりと心地
出①清らかに澄み切 っている ﹁
甘 美 ④さらさらとした
消冷 ﹂、③ 甘味がある ﹁
よい ﹁
﹂
、
潤
軽 軟﹂、⑤水量が豊 富 で枯れることがない ﹁
感触の ﹁
りへと向かう原動力となる 。
判覚りを得るための心的状態を控える 実践項目で念党支
力・慧力のこと 。悪業を未然に防ぐはたらきがある 。
却五根が完成した段階で得 られる 信力・精進力・念力 ・定
定線
指党りを得るための 実践項目で信根・精進根・念線 ・
安和﹂、 ⑦ 飲
、 ⑤ 水面が穏やかで波立つことがない ﹁
﹂
沢
除
むと飢えや渇きが 癒されるばかりか病が平癒する ﹁
長養﹂ のこと 。
飢渇﹂、⑧ 飲むと活力がみなぎる ﹁
泣仏典では 一日を午前 ・日中 ・午 後 ・夜・深疲・未明に 六
-66-
る
と
択覚支・精進覚支・喜党支・軽安党支 ・定 党 支 ・捨 党 支
界と色界の党天界までを含む 。
をいう 。
一 世 界 と は 仏 教 の 世 界 観 に い う 三 界のうち、欲
代の悪化 。
U﹃
菩 陵 地 持 経﹄ によれば飢飽 ・疫 病 ・ 争 乱 が 発 生 す る 川
にな って し ま い 、 文 脈 上 の 整 合 性 に 欠 け る 。
し同 一と 見 る 場 合 、 自 身 で 自 身 の 功 徳 を 称 賛 す る こ と
柑古来、阿弥陀仏と同 一の 仏 か 否 か 議 論 さ れ て い る 。ただ
のこと 。最 終 的 に 平 等 で 偏 ら な い 心 が 得 ら れ る 。
制覚りを得るための 実 践 方 法 。﹁八正道﹂と もいい、正見
正思・正一
諮・正業 ・正 命 ・ 正 精 進 ・正 念 ・正定のこと 。
位党語の ﹁カル パ
﹂ の こ と で 時 間 の 単 位 を 示 す。
一 説によ
れ ば 四 十 三億 二千 万 年 。比略的に 一辺が 二回旬(約7キ
ロメートル)の 巨 大 な 鉄 の 城 を 芥 子 粒 で 一杯にし、百年
川町邪な教えや誤った考えがまかり通る信仰の乱れ 。
ω暴力や争いご と、詐欺や虚 言 を 厭 わ な い 世 相 の 乱 れ 。
-67-
に 一度 一粒 づ っ そ れ を 取 り 除 い て 空 に し て も 会 劫 に 満
一辺が 一由 旬 の 巨 大 な 岩 に 百
たないと説明されたり
日人間の 寿 命 が 長 く と も 百 年 が 限 度 な る と い う 生 命力の低
施や功徳を修めず、戒律も守らないという人心の乱れ 。
印父母や師や目上の人を敬わず、後世の報いを恐れず、布
そ の 岩 が 完 全 に 磨 滅 す る 期 間 を 一劫と
年 に 一度 天 交 が 舞 い 降 り 、 着 て い る 羽 衣 で 岩 を 一遍づ
つ撫でて行き
も 日
ノ。
一
吾
相諸仏については名林のみが知られるばかりで、他に雌認
臼 釈 尊 の 説 法 を 聴 聞 し 仏 法 を 守 誰 す る 鬼 神 な ど の 一つ。本
来 は 普 神 で あ っ た が 次 第 に 想 神 と 珂 解 さ れ る よ うにな
一々 の 解 説 は 施 せ な い 。
っ。占代インドにお
り、仏典の中ではかつて神々と争いを繰り広げ敗れた
ができない仏が多いため
いては舌で鼻を覆うことができたならば、 その人の言
とされる 。
千 大 千 と は 干 の 三 乗のことで、十億個の位界の集まり
A
葉 は 嘘 偽 り で な い こ と の 説 しと さ れ た 。
て
制
日一
判 仏 の 身 体 的 特 徴 で あ る ス 十 二相の
F
巻
四十八巻伝
浄土宗基本典籍の現代語化 B四十八巻伝班
いつくしみ
ち の 心 を 悲 し ま せ た 。釈迦在世の八卜年は、慈の雲がすべ
て の 生 き 物 を 分 け へ だ で な く 覆 い 、 滅 後 の 二千余年は、仏
法 の 水 が 変 わ ら ず 三国 に 流 れ て い る 。教えの門は、それぞ
れ に 利 益 が ま ち ま ち で あ る 。その中で、聖道の 一門は、内械
土 に お い て 自 力 を 励 ま し 、 濁 世 に お い て 悟 り を 求 め る 。た
悲 願 を 派 く お 起 こ し に な って、ただちに釈迦の同上である
ιし主っしふうニんしょヴど
加熱勝荘厳浄土での教化をやめて、おそれおおくも私達の
人残さず数うために、誰もが私のひとり子である、という
釈迦如来は、迷いの世界をあてもなくさまよう人びとを
煩悩をそなえた凡犬が、この次に生まれかわる時に、輪組
餓鬼・畜生の 三 悪 道 の 炎 か ら 逃 れ ら れ な い こ と で あ る 。
獄・
見えにくくなり、心は煩悩を起こす対象に駈けていき、地
存在も実体を持たないという点即日の円が主にへだてられて
、
だ し 、 お そ ら く は 、 時 代 が 末 世 に 主 って
'n我もあらゆる
裟波宮濁忠の国にお入りにな った時より、本米は生まれるこ
の 境 況 か ら 脱 出 で き る 教 え は 、 た だ 浄 土 の 一門 の み で あ
し向ばしょ︿ あく
ぶされて、加熱憂樹の華が咲
とがないのに誕生のありさまを 一
る。こ れ に つ い て 、 学 僧 達 の 解 釈 は 、 削 や 鈎 が 夫 を 競 い 介
むうし命
きほこり、本来は入滅されることがないのに入滅のありさ
うかのようにすぐれているが、中国情の善導和尚は、阿弥
けんごりんさらそうじゅ
まを 一
ポされて、堅固林(裟続双樹)に吹く風が集まる者た
-68-
浄土宗基本典籍の現代語化
段
法然上人行状絵図
第
さて、思いをめぐらしてみると、仏教の線本の削である
第
た。日本、中国と、固は異なるが、人びとへの教化は 一致
現れた方で、ひたすら称名という大切な行をお広めになっ
図を顕わし、我が国の法然上人は、勢至菩薩が姿をかえて
ところ、秦氏はかみそりを呑む夢を見て、たちまち懐妊し
のないことを嘆いて、夫婦が心存二 つにして仏神に祈った
る。父 は 久 米 郡 の 押 領 使 漆 時 国 、 母 は 秦 氏 で あ る 。子ども
そもそも上人は、美作国久米南条郡の稲岡荘の人であ
みまさかのどにくめなんじょうのごおりいなおかのしよう
とで、 だ れ が こ の 志 し を ほ め な い で あ ろ う か 。
しており、男性も女性も、貴い人もそうでない人も、信心
た。時国は﹁そなたが字んだ子は、きっと男の子で、朝廷
陀が姿をかえてこの世に現れた方で、ひとり本願の深い意
を獲得しやすく、紫雲や異香など往生の奇瑞が頻繁に現れ
の人びとの戒師となるに違いない﹂と言った 。秦 氏の心は
おうりょうしうるまのと き く に は た う じ
た。念 仏 の 広 ま り は 、 こ こ に 最 も 盛 ん と な っ た 。
柔和であり、身 重の苦痛がなかった 。厳しく酒・肉 ・五辛
を断ち、仏教に帰依する心が深かったという 。
tとく い ん ち ょ う し ふ う
より、ひろく皆の 言 い伝えを般し集め 、すべてにわたり旧
離れる要路があることを知るのだろうか 。ごうした理由に
線本が 二股に分かれていて伎の先のほうがよく繁っている
度その時、紫 雲 が空にたなびいた 。
館の内で家屋の西には、
月七日の孟午、秦氏は苦しむことなく男子を出産した 。﹁
-69-
ところが、法然上人がお亡くなりにな ってから、歳月は
次 第 に 過 ぎ 去 っている 。上 人 の 教 え さ と さ れ た 言葉や、 利
益の足跡を、人びとは徐々に記憶にとどめなくなってい
る 0・もし、記録して後の時代に残さなければ、誰が賢人を
い記録を検討し、真実を選び、誤りを正して、生涯の行状
h幡が 一
流れ飛んできて、そのこず
高い綜の木があったo
しる
をおおよそ記すことにした 。 おろかな人が理解しやすく、
えに懸かった 。鈴鐸の音が空に轡き、白幡の綾織の脱線が
あやおり
見る人の信心をすすめるために、数 仙の 絵図に表現し、後
I
J
q
陽に照らされて向いた 。それから七日が経って、天に上り
ついに崇徳院が御在位であ った長承 二年 (一
段
代の人々の予本として備えることにする 。往生を希う人び
見て自分も同じようになりたいと思い、誰が迷いの世界を
第
去った 。これを見聞きした人びとで、不思議な思いをもた
ない人はいなかった 。 このことがあってから、その木を
ふたUた
﹁
両幡の椋の木﹂と名づけた 。歳 月 が 過 ぎ て 、 傾 き 倒 れ て
第四段
にんみようみこにしさんしょう
時国は、先祖をたどれば、仁明天 皇 の御子である西 三条
うだいしんみな色とのひかるこうしきぷしよう
A
右大臣源光公の子孫で、式部省に仕える源家の長男である
かんべたいふうるまの
としくろうとかねた
しまったけれど、素晴らしい蒸が常に漂い、不思議な出来
年が、 御 所 の 陽 明 門 で 蔵 人 の 兼高を殺した 。その罪によっ
みえどう
事が絶えなかった 。 人びとはこれを崇めて、仏閣を建て、
て美作に配流された 。そこで、この国の久米郡の押領使で
4 とくに
誕生寺と名づけ、御影堂を造り、念仏を称えさせた 。
夢、シ﹄念。﹂ご
ある神戸の大夫、漆元国の娘と縁組みをして男子を生ませ
た。元国には男の子がなかったので、外孫を子どもとして
-70-
その昔、応神天皇ご誕生の時に、八つの幡が舞い降りた 。
人々は、天皇が正しい見解や正しい 言 葉使いなどの八つの
その跡を継がせた時、源の姓を改めて漆盛行と祢した 。慌
う る ま の るη ゆき
正しい道をご実践なさるしるしだといった 。この度の上人
行の子が重俊、重俊の子が国弘、 国弘の子が時間である 。
あずかりどころあかしげん傘い乙しやさ一えあきらほうきの
このようなわけで時国は、少しばかり家柄を自慢する気持
しげとし︿にひろ
誕 生 の め で た い し る し は 、 応 神 天皇 の時と同じである 。
き っと深い怠昧があるのにちがいない 。
ちがあって、この稲岡荘の預所明石の源内武者定明 ︿
伯老 u
守源長明の嫡男、堀 川 院 御 在 位の時の滝口であった ﹀を 見
bみみなるとのながあきらたきくち
くだして、執務に従わず、面会の 礼も 尽くさなかったので
時国を夜討ちにした 。 この子どもはこの時九歳であ った 。
定 明 は 深 く 恨 み を い だ い て 、 保 延 七 年 (一
一 四
どうかすると、西の曜に向か って座る癖があ った。天 台 大
、ぎ
て、矢をつがえて立 っていたので、小さな矢で射た 。定 明
逃げ隠れて隙間からあたりを御覧になると、定明が庭にい
生れた子どもは呼び名を勢至と 口った 。
竹馬に鞭を当て
一
一
ニ
て遊ぶ年頃から、生れながらの聡明で、大人の織であった 。
段
師智顕 の 子 ど も の 頃 の 行 い と 異 な る こ と が な か っ た そ う
の
春
第
だ
巻
﹁
おまえは、負け戦の恥辱(中
時国は深い傷をうけ、今まさに死のうとする時、九歳の
うして怨敵をうらむ心があるだろうか 。
定 明 は 傷 を 受 ける
と す る 生 活 を 送 った。この 子 ど も は 普 通 の 子 ではない 。ど
孫はみな上人の残された教えをうけて、浄土の 一行を中心
し ん で 、 念 仏 を お こ た ら ず 、 往 生 の 望 み を と げ た 。その 子
り、犯してしま った罪を悔い、来世に 受 け る 苦 し み を か な
定明は逃亡したのち、世事を捨てて心静かな 生 活をおく
段
の 眉 聞 に 突 き 刺 さ っ た 。この傷跡が残って、事が露見して
しまうにちがいないので、時国の親族が復讐することを恐
ゎ
、
。
つ﹂
ご
守﹂
れ て 、 定 明 は 逃 亡 し て ず っ と 稲 岡 の 庄 に も ど ら な か った 。
それ以来、この子を﹁小矢児﹂とな "
つけた 。この事件を見た
り 聞 い た り し た 人 々 は 誰 も が 感 歎 し な い こ と は な か った 。
第
をはらそうと思い、
第五段
第
敵 を 恨 む こ と が あ っ て は な ら な い 。こ れ は ま ったく前世に
も ま た 浄 土 門 に 帰 入 し た 。これは、勢至菩薩が仮に 姿 を 変
こ と に よ っ て 行 方 を く ら ま し 、 や が て 往 生 を と げ た 。子孫
かんが︿
得 業 は 、 も と は 延 暦寺 の学徒 で あ った 。竪者 に な る 望 みを
美 作田に 菩 提 寺 という山 寺 が あ った 。その 寺 の 院 主 観 覚
段
まえ自身も、解脱を求めるにこしたことはない﹂と 言っ て
、
姿 勢 を た だ し て 座 り 、 西 に 向 か い 、 合掌 し て 仏 を 念 じ 、 眠
るように 息 絶えた 。
第
お け る 行 い の む く い な の だ 。もし、おまえが恨心をも った
た
え て 現 れ た 上 人 の た く み な 導 き に 違 い な い 。世 の 人 び と は
恥
辱
ならば、その怨みは、何世代にわたっても尽き難いであろ
稽l
iに
山 i向
でか
越 iつ
王 fて
勾 i言
践 fつ
がた
受
。
け
少しも疑いをおこしてはいけない 。
会?
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子
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の弟であり、子どもの叔父にあたるうえ、父の遺 言 のこと
希望を叶えた 。そこで ﹁
久しの得業﹂と 言われた 。母 秦 氏
遂げられないのを恨んで、南部奈良に移り法相宗を学んで
つもりである 。ただ、母君が生きておられるうちは、朝夕
ぃ。早く比叡山に登り、 一時も早く天台の 一乗仏教を学ぶ
ぃ。特に、亡くなった父の遺 言が耳に残って、忘れられな
見て、夢にすぎない現世での栄華を避けなければならな
ひさし
もあったので 、子どもは観覚のもとに入室した 。学 問 を 学
お仕えし、貧しくとも孝行しなければならないが、 ﹃
迷い
備をした 。そうなるはずだったのだろうか、子どもはその
しまうことを惜しみ、早く比叡山へ送りだそうと、その準
感じたので、何する事もなく旧舎の世俗の生活に埋もれて
うに思って歌に詠んだ 。
は か な い こ の 世 の 別 れ に 心 は ま ど い が ち に な って、このよ
ぬらした 。迷いのこの世の習いに耐え忍ぶことができず、
袖では拭いきれないほどの悲しみの涙が、子どもの黒髪を
はかなき親の留めてし、ごの別れさへまた
いかにせん ﹂ (形見として、亡くなった父親が残したこの
﹁
形見とて
を連れて母親のもとに行き、事のいきさつを話した 。子ど
さ いと づ き た た に し は う
こうしてばかりもおれないので、比叡山凶港北谷の持宝
というのか 。
子とまで別れねばならないとは 。この上、どうすればよい
めったに会うはずのない仏教に出会った 。
目の前の無常を
﹁
私はめったに生まれることのない人間として生を受け、
もは母親をなだめで 言 った 。
たいという思いで 一杯だった 。観覚は喜んで、この子ども
考えを聞いて、故郷に制まる気持ちはなく、都に早く行き
母君は筋道を立てた説得に折れて、聞き入れたのだが
内三慰め申し上げた 。
しにならないように﹂と、 戸
いわれている 。 一時の離別を悲しんで、永遠の嘆きをお残
、
の世界を厭い、悟りの世界に入ることが本当の報恩だ ﹂と
一を聞いて十を悟つ
び取る才覚は、流れる水よりも速く
た。聞いた事柄は記憶して、決して忘れることがなかった 。
段
観党は子どもの才能を見て、とても普通の子ではないと
第
円
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司
ぽうげんこうや
たいしよう
房の源光のもとへお遺りにな った。
観覚の 書 状にはこのよ
うに述べであった 。﹁
大聖文殊像を 一体、進上申します﹂と。
き。 一
一ウあん
これは子どもが智恵に勝れていることを示すものであ っ
た。
第四段
子どもが十五才の時 、
近衛天皇の御在位であった久安 三
一四七)の春 二月十 三 日に、はるばる速い道のりを
みちこっせっしよう
旅して都にたどり着いた 。鳥羽の作り道で、法性寺殿 ︿
忠
通公、時の摂政﹀の行列にお 出会 い申した 。子どもが馬よ
りおりて道の傍らに作えていると、(忠通公が) お車をお
止めになって、 ﹁
どこから来たのか ﹂ とお 尋 ねがあ ったの
で、お供の憎が事の次第を申し上げた 。すると、子どもに
会釈 を な さ って通過された 。 お仕えする人びとは意外に
あの道で出会っ た子ども
思 った。後になって 仰 るには、 ﹁
は眼から光を放 っていた 。どう見ても普通の 子どもではな
つきの わどの
いことを知 った。だか ら、礼をしたのだ ﹂と仰 った。後に、
月輪殿の御帰依が浅 くなか ったのも、この話を耳の底に山田
めておかれたからであろうか
は っきりしないが 。
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より、自己の存在を究明していく 。
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1月にはミラノに初のイタリア支
ー2月 2日開 催の「冬季修行」には参加者数が 750人に
部が設立される 。2001年 1月 20日
のぼった(うち、 70% がイタリア人 )02001年現在の信者数は 500人(うち、 200人がイ
タリア人)。 ミラノ支 部のほかに、 トリエステ、フィレンツェ、ローマ、ナポリにも活動
拠点がある 。 イタリア支部はスペインのサンタンデールでの活動も兼務。
1苑に入信した後でも
真如苑のイタリア入信者ほぽ全員はカトリック教徒でもある 。
真由[
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自らを 史然としてカトリックであると見なしている 。
以下、信指のコメントを 一部紹介する 。
*自分のキリスト教体験は連続的に自分の仏教的要素とつなが っている 。クリスチャンで
あると同時に仏教徒である 。
*自分はカトリックだが、もっと良く自分自身の信仰 について樫解を深めるために真如苑
の教えに帰依する 。
*真如苑での活動を通じて聖書やカトリックのミサがどういうものであるかを逆に理解し
た。
彼らの多くは現在のカトリソクの教義に不満で、 「
独断的」なその環境から 「
オープン 」な
状態に向かうため 「
真埋への新しいアプローチ 」としてこの教団に魅せられている 。いわ
ば、信仰 が閃 l
その教団への純一 な帰属を必ずしも意味しない新しい宗教生活一重層的信仰
生活ーを希求したものといえよう 。多くのイタリアのカトリック教徒にとって 、真如苑は
そうした試みの 一例としての意義がある 。
(
19) スペイン人チベット仏教研究者 ]
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ものである 。この新形態仏教をヨーロ ッパ キリスト教文化圏の中でどのように広めるかが
彼の中 心 命題だった 。 また、人 r.~1 の自然な感情や 情 念を肯定した上での仏陀供 養と、自己
の意識を 向ら高めていって完全な智慧と無恨の慈悲と限りないエネルギー を備 えた 人間 す
干岐 に意識を集 中する数息観や生き物すべてに慈愛の心
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なわち仏陀となるための限延!法 (
が持てるようになる慈愛の限怨など)を重視する 。加 えて、核家族化傾 向による西区大社会
の人間疎外的現実に対するアンチテーゼとして、独身主義者だけの粕神共同体の構築をめ
ざす 。
現在、イギリス 以外に もノルウェ一、ドイツ、スペイン、フィンランド、オランダ、ス
ウェーデン、ニュージーランド、オーストラリア、米国、ネノ {-ル、マレーシア、インド
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などにセンターがあり、ダルマチャリ(在俗比 I
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問、2人の カルヤーナミ トラ
。その
年ほどかかる
2
トラからダルマチャリになるには通常
(善知識)の 指導を受ける 。受戒の前には、 3カ月の集中合宿を行う 。その後、戒と法名を
:¥家とは異なり社会的活動には積極的 に関
1
'
綬かり、性的繁欲を守って独身主義を貫くが、 ,
わ って いく 。
gimeの 中で
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社会のドラ スティ ックな変革である 。a
標は西臥・
FWBOの究極の十│
ることであ
の仏教を通じて新社会にっくりかえ
FWBO
仏教の居場所を探すのではなく、
が陥矢
一派を創設したのは、サンガラクシタ
で仏教の
f
らがヨーロッノ
1
人
ッパ
る。ヨーロ
な識の否定に見られる反キリスト教性や、家族 ・恋愛結婚
といえるだろう 。しかし、原野;
的な市民性を特徴とした FWBOの今後の動 きが、既存の仏教教団
否定に見られる反西区k
mの誕生にまで及ぶのか、その展開が注目される 。
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を巻き込んで新タイプの E
現在の主要な 加盟団体
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きれば、求職者個人が就労希望を申請で、きるようになる 。
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(
6
) エリアーデ
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聖と俗 J(風間敏夫訳
法政大学出版局
1
9
6
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)
(
7
)"
[ライシテ」は宗教に 対する不究管性の原理 で、はなく、非宗教性による宗教の共存の
原埋である 。
差異や多線性を承認しシステム内に回収する試みと軌を ー にする新しい傾向ー
一多文化主義も紹介が一巡し、日本的な 「
共生」 と結びついて語られはじめている 。
(
8
) France,
TheI
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Bureauo
fDemocracy,
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(
9
) 委員会の 「カルト j定義:過度の重要性を財政に置く、信者と彼らの家族の聞に亀裂
を生じる、信者に対する精神的だけでなく肉体的な暴力を及ぼす、児童を加入させる、「反
*'会的」思想を際傍する、公共の秩序を乱す、「司法的な問題」を有する、国家機関への
治人を試みる 。
(
1
0)AmidaR
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eなど 80前後ある 。
(
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目
(
1
2) ドイツの教会税システム:国民は住民登録の際にカトリ
y クかフ。
ロテスタントを自
己申告することになっており、これに基づいて教会税が徴収される 。教会を通じて税務署
に申(与すれば、イ也の税と同様に所得から天引きされる 。州によ って税率は奥なるが、所得
税のが~ 8
-10%である 。
(
13
) U,
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14
)円 νBOは、サンガラクシタ (
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a:本名 DennisP
h
il
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pEdwardLingwood;
1
9
2
5年イギリス生まれ)というイギリス人仏教徒が創設した仏教教団である 。同教団は、
仏教的な│演想法に加えて、仏陀供養の精神を特徴とする 。また、集団対面セラピ一方式も
導入している 。FWBOはまず、イギリス各地にセ ンターを増やしていった 。当初 FWBO
の活動の経済基盤となったのが、東洋的なアンティーク・ショップや有機農法の食料品庖
-3
8一
おわりに
ヨーロッパに対する本宗の海外布教のあり方を考えるとき、ドイツ のジャーナ
) をめ
( 山5
リストであるテオ・ゾンマーが説く 「多 様 性 を 内 包 し た ま ま の 統 介 J
ざす EUとその加盟各国の状況を視野に人れる必要がある 。本宗の教えを広めよ
うとするこの舞台は諸宗教の思想が政治と密接に係わって相対立する山界であ
る。米国と同等の経済規模・人口をのするに至り、通貨が統合され (イギリスや
r
は未加入であるが)、さらに統介拡大が予想されるヨーロッパ大陸 の
一 部 加 盟 ,r1
中で、本宗 も そ の 独自性を│剖明すべき段階にきている 。近 代 の あ ら ゆ る 価 値 観 が
この大限から発午したことを思いあわせれば、個人・社会不安の諸 相に対して法
然上人が達した境地をどのような今日的意義をもって訴求していく べきか、その
成 百 が こ の 地 で 試 さ れ る と い ってよい 。
主
j
1) 新たなヨーロ y パ宅問の拡大
(
5カ凶、そして
5年 1
9
9
2カ園、 1
6年 1
8
9
0カ困、 1
1年 1
8
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2年 9カ園、 1
7
9
│ 1
、
玉
8年 6カ│
5
9
1
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7カ国体制を計 I
2010年までに 2
:ハンガリ一、チェコ、ポーランド、エストニア、スロベニア、キプロス 。
i
l
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第H
第 2~'Ii :ブルガリア、ルーマニア、リトアニア、ラトビア、スロパキア、マルタ 。
) 州川長人・・宮島喬編 「ヨーロ
2
(
yパ統合と文化・民族問題」人丈占院、
5
9
9
1
!に発効したドイツの新凶籍法では、誕生の時点で親の一方が 8年以上合法
)2000年 1}
3
(
的にドイツに定住していて、既に永住資絡を持 っているか、または 3年以上無期限滞在許
0年間にドイツで生まれた f供も
とになれる 。また、過去 1
b
吋を持 って いれば、 ドイツ[玉!
、
点
ドイツ│孟│絡を取得できる 。蒋油、両親の国籍も取得して重国籍になる 。成人に透した H寺
1がある
二当な理 8
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!絡を選ばなければならないが、 J
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f
または 23岐になるまでにどちらかの l
助介は以後もill:国籍の例外が適用される 。
s)を合法化する
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0月、同│日への経済移民 (
1年 1
0
0
) イギリス政府は 2
4
(
Jする見通
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│首,J4万人の経済移民を許 l
三
d高でイ│
I!;管理制度を導入すると発よーした 。i
新たな彬 L
で就労できるのは、イギリス人使用
しである 。現行制度では、外国籍の布の tイギリス固いl
釘からの求人申請がある助合に限られるが、新制度では、求人条件を満たすことを証明で
-37-
[
平成 8年以降、着実に噌加傾向にある 。 この 5万人制のヨーロッパ人に対する
布教活動もあわせて検討すべき 。]
*ヨーロ ッ
ノ f人(米国人も合め)は仏教に対し て │
倶恕・内観や心理療法的など、
実 tl 活に役 \'J~ つ存 イ 1: としての 側値を見出す傾向が強い 。 そうしたニーズにどうこ
たえるか 。
*社会行動 )~'J の仏教 (Engaged
Buddhism)が最先端の仏教潮流と してヨーロ ッ
パ (特にイギリス、ドイツ 、フランス)に認知されている 。人権、教育、環境破
段、生命倫 !
'
I
!などへの対応をめぐる解決策の手 段として
1
1
0
七
生」の理念を訴える
"J能 '~I: も視野に人れる 。 本宗 の立場をどう 明 確に説くか(様々な社会問題に対し
て、本宗独自の 凡解を相極的に)
.
'
Jち出す)。
I
T時代における布教のありかた:
世界的な通信ネットワークの汗及 によって、次第に縦型ピラミッド 社会は崩壊
し、個人が既成の枠を y也えて述探していく横刀!ネットワーク社会へと推移してい
くr
'
lで
、 再応なく実態に対応し得る新たな 社会形成が築かれていくに遣いな い 。
宗教教凶もそうした忌、l
床で、組f
i
ω杉態の大規模な変革を余儀なくされることだろう 。
*ブロードバンド時代に対応した、マルチメディアの活用(映像・音声による法
要の紹介と外 |王| 請で、の解説、Ii!~学的な問題に関する各界識有との対談の映像配信
など)
*海外イ1教の 一拠点としてインターネット体制の充実をはかるため、情報発信の
i
i
tを絡段に
mやす。そのためには専従の人員が必要。全│玉│に散布:する本宗教師の
'
1から選抜して、翻訳・論文秋窄ネ ッ トワークをつ くりあげ、効率的な情報発信
体制を つくりあげる 。
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p
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国名
総数
長期滞在者数
永住者数
*******会***会***切除*会*台*会***合*****************************************************
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5
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2
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5
2
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1
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イタリア
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9
7,
9
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5
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448
,
1
オーストリア
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,
1
7
4
2
,
1
9
7
5
オランダ
1
8
4
6,
2
2
7
5,
759
ギリシャ
620
6
8
1
434
2
3
6
2,
2
6
0
3,
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スイス
4.
9
6
5,
スウェーデン
2
4
1
2,
8
2
7
4
1
4
,
1
スペイン
683
4,
7
1
7
3,
966
960
9
3
3
1
2
6
1
2
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5,
2
7
3
2
1,
2
4
8
7
3,
ノ)1-ウェー
4
5
5
9
5
2
295
フィンランド
5
4
7
1
2
3
424
フランス
4
7
5
5,
2
2
3
6
20,
2
4
9
4,
ベルギー
936
4,
936
4,
5
3
5
535
2
0
2
2,
4
1
728
3,
1
1
デンマーク
ドイツ
ポルトガル
西殴計
。
。
4
7
4
28,
5万人弱の日本人が長 期 滞 在 ・永住している 。国別トップはイギリ
[西臥だけ で 1
574、
) で、他を圧倒している 。次 に フ ラ ン ス と ド イ ツ が そ れ ぞ れ 25,
4
1
1
3,
5
ス (
1と拾抗。 スペインとイタリアは l万 人 弱。]
2
0
5,
2
:西欧からの外国人登録者数の推移:各年末現在(出典:法務省入国管理局)
資料2
H8年 H9年 H10年 H11年 H12年
0
3
7
947,
5
6
1,
54
2
9
20039,
13638,
5,
3
Fhu
qd
からではなく、ヨーロッパ人の精神生活においてどのような要素として仏教が貢
献できるかを調査。
会ヨーロッパ人が従来から抱く汎仏教的な認識からスター卜して、本宗教義への
理解に収数させるにあたり、どのようなプロセスをたどるべきか (浄土真宗も
ヨーロッパにおいて禅やチベット仏教とくらべて出遅れている感 がある 。だが 、
ドイツ「恵光ハウス」日本文化センター(デュッセルドルフ)を中心とした仏教
伝道協会 (BDK) の活動は参考になろう)。
施策例:
合革の恨レベルの交流と組織 ・機関レベルの交流を使い分ける
*ニュースレターの発刊を検討する(インターネットによるメールマガジン形式
か、現地の日本人社会への配衛か)
*ヨ ーロッパ人のメンタリテ ィに適した法要 ・法式の研究
女ヨーロッパ人に対するヨーロッパ人自身による法灯伝授の道
*翻訳活動:英語以外に、少なくともフランス語、スペイン語、イタリア語、ド
イツ 話による本宗の紹介 附子をつくる 。 ただし、歴史的な事跡に偏るのではな
く、本宗の現代的意義や社会活動状況も詳細に記載する 。
*短期交換留学制度の開設(学者はもとより、現地ジャーナリスト、異文化宗教
を'学ぶ宇生など、対象を広け、る 。)
*ヨーロッパ各地の在留邦人に対して、本宗を紹介した現地語による小冊子を寄
贈し、彼らの知人・友人などへの配布を要請。他方、日本国内に 長期在留してい
るヨーロッパ人登録者への対応も検討すべき 。
出 典 外 務 省)
資料 1:平成 12年度海外在留邦人数調査統計 (
00人以下の国は剖愛) :
(唱者注:総数 5
-34-
ス
(
1
3
0
) とイタリア (
3
0
) は総人数に対して比較的少ないといえる 。ゲルマン
気質とラテン気質との違いにより、仏教受容の形態や方向性についても 一定の特
性が見出せよう 。
I
V ヨーロッパ開教へのスタンス(私案)
基本的出発点:
*伝統的教義と現代的問題が交わるところに布教の活路が聞かれる 。
*T
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tHanh(
l
l
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iにしてもダライ・ラマにしても、殴米で評価の 高い仏教者
は、入額普遍の l
喫緊な諸テーマを題材にして分かり易く仏教を説いている 。
*経済効率俊先の社会的な限界が見えつつある今こそ、精神的オアシスとしての
仏教が求められる 。
女ネI~ ひとつをとっても、曹洞禅、臨済禅、中国禅、韓国禅、ベトナム禅など百花
練乱の篠相を 5
2し、そのほかにチベット仏教や、最近流行の NewAge宗教や心
理療法までが入り乱れている 。そうした宗教 ・仏教環境を、 「
統一」と「多様化」
が共存する最近のヨーロッパ風上にあわせてどう整合化させるか。
「ヨーロッパ問教」が担うべき特異性とは何 か .
*日系人が比 t絞的多いハワイやブラジルなどに対するアプローチとはまったく別
の道を模索しなければならない 。その際、個人主義の徹底したヨーロッパ文化の
中で、通仏教的でない真に本宗独自の価値観が発揮できるかどうかが成否を握る 。
*ヨーロッパの宗教事情について最新の知識を得たうえで、問題点(キリスト教
への幻滅 ・失望、教会出席率の減退など)の所在を 明らかにする 。既存の各有力
教会がどのような対策を講じているのかを調査する 。また青年層への浸透をどう
はかるか。
脅ヨーロッパにおいてなぜキリスト教が低迷しているのか(神との関係という垂
直軸の喪失がヨーロッパ人の精神的混乱の一因。これはもともと他者との関係と
いう横軸を持たなかったためだろう)ーその原因を探り、対案としての仏教の役
割をアピールする 。その│
際、反 キリスト教・反ユダヤ教・反イスラム教的な 立場
-33-
以下に、ヨーロッパ各国の仏教受容に関する 1つの基礎データ 注
( 24) を紹介する 。
1990年代半ばにおけるヨーロ ッパの仏教普及状況
総仏教徒数
国
自国民仏教徒数
センター数
総人口比率
*
貴
司kオ
k
*
*
*
*
*
*
*
*合*食*喰************オ"*食*****オk
*
*
*
*
*
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*
*
*
*
*
*食***********食*******食*****************
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0,
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5
0,
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300
0
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3
フランス
650,
000
1
5
0,
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30
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15
ドイツ
1
5
0,
000
40,
000
400
0
.
2
イタリア
7
5,
000
50,
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30
0
.
1
スイス
30,
000
1
0,
000
8
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0
.
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オラン夕、
20,
000
5,
000
40
0
.
1
デンマーク
8,
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5,
000
3
2
0
.
1
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ハンガリー
6,
5
0
0
6,
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1
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0
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チェコ
2,
1
0
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2,
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1
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0
2
ポー ランド
4,
5
0
0
4,
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1
5
0
.
0
1
[フランス (
6
5
0,
0
0
0
)が他国を圧倒している 。自国民仏教徒数についてもフラン
スが首位を占める (
1
5
0,
0
0
0
)。これは、人権意識が伝統的に敏感で、論理性を好
むフランス人の国民性と仏教が比較的親和性が高いことを示すものと思われる 。
イタリア (
5
0,
0
0
0
) がフランスに次いで多い(ス ペ インの場合もそうであるが、
チベット密教の場薬羅世界観において聴覚的、身体的要素が理性的言語性に優 っ
ている点が、いわゆるラテン気質の国民性に馴化 しやすいことが考えられる)。
イギリス (
5
0,
0
0
0
)の場合は 、自国民仏教徒数はフランスに次ぐが、総数との比
較ではア ジア系移民の仏教徒比率が圧倒的に高い 。
仏教関連の団体やセンターについては、イギリス (
3
0
0
) とドイツ (
4
0
0
)が
多い 。これは、理念・思想、
の体系化、組織化という点で両国の国民性の特質が現
れており、仏教団体の設立 による教勢の強化に努める傾向がある 。他方、フラン
円ノ“
qJ
ス卜教主義者層による新たな 宗教身体論の展開として、仏教の経験主義 ・
実践主
9
6
0年代から 7
0年代にかけて、
義的な側面を代表するものといえる(ただし、 1
米国からはじま った経験主義仏教の極端な現象である 「ビート禅 J(注 23) などの
影響も多少あ って、カウンター・カルチャー運動やヒッピーブームが無軌道な退
院主義や道徳的堕落を招いた)。
他方、 二度の世界大戦で国土の焦土化を経験したドイツにと っての仏教の位置
づけは、 「
平和」への希求と 「
苦」の源泉に関する探究が根底にあった 。その意
味でも、ドイツの場合はシ ョーペンハウエルやニーチェ以来の伝統として、人間
の存在苦をいかにとらえるかという点に仏教理解の比重がおかれ、イギリス(及
び米国)における 一種の経験主義的なアプローチと好対照をなすといえる 。
ヨーロ ッパ人が仏教に見出したもうひとつの特性は、その寛容性である 。
換言
すれば、仏教にも 当然ながら教説体系はあるが、キリスト教やイスラム教などの
ようにドグマ的ではない 。また、他宗教との共存を否定せず、自由な精神生活を
a
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s
s
e
zf
a
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r
e的姿勢が教条主義に対する拒否反
容認するとい った、ある意味での l
応の強い現代ヨーロ ッパ人に興味を惹起していることも考えられる 。
-31
ある点、も否めない(心理 ・肉体療法への傾斜など)。また、ヨーロッパ各国では
それぞれの風土・国民性によって仏教の受容様態が微妙に異な っている点も注目
される(カトリック固とプロテスタント圏では、仏教に対するスタンスも当然違
いがあろう)。ただ、上記のごとく、 信仰専ーの対象としてではなく、ポストキ
リスト教、ポストモダン的な生活スタイルのー要素として仏教をとらえている点
においては、西欧全体での共通性がみられる 。
イギリスでは例えば、各種仏教団体による教詩活動、ホスピスプロジェク卜、
動物愛護グループ、平和集会、心理学・ 精神医学 グループなどが存在し、その傾
向がヨーロッパ大陸にも波及しつつある 。特に従来の仏教団体から発展して、
0世
ヨーロ ッパ人の気質 にあわせてカスタマイズされた新しい仏教グループが 2
紀後半に入 ってから各地に誕生している 。 1
967年にイギ リスで創設された
F羽TBOはその代表例である 。
1
9
7
0年代以降、日 系の創価学会 インターナシ ョナルがヨーロ ッパ主要国で活発
,
0
0
0人の入信者)。
な展開を見せている(例:イギリスでは推定約 6
仏教は、神への信仰を拒絶する 一部の現代ヨーロッパ人にとり精神的なシェル
ターとしてひとつの場を設けつつあるといえる 。ダライ ・ラマは、仏教が「一種
の無神論」であり、 「人間主義」 に立脚しているという点に西殴の無神論者が
往々にして強く魅力を感じている面を強調した 。(
注 22)
また、 一般ヨーロッパ人の間で広く 信じ られている仏教=隈想というきわめて
「ナイーブ」な構図であるが、それはそれとして、現代生活のストレスやプレ ッ
シャーからの脱却と安心立命の境地を模索する彼らのニーズに合致していること
も認めざるをえない。それゆえ西殴では当初、とりわけイギリスで上座部系から
の 「
隈 想」に人気 が集ま った(タイ出身の A
j
a
h
nChahは
、 1
9
7
8年にウエストサ
セ ック スに C
h
i
t
h
u
r
s
tF
o
r
e
s
tM
o
n
a
s
t
e
r
yという膜想セ ンターを創設し、ヨーロッ
パにおける上座部系サンガの暗矢となり、以降ドイツ、イタリア、ス イスなどに
もセンターがつくられていく)。このことはさらに、禅仏教などを通じた集団隈
想の実践にもつながる 。いわばそれは、形而上学的な神学論争に蹄易した反キリ
3
0一
して従来の上座部系に加え、新たに日系仏教やチベット仏教が西l
款社会に入って
1
9
5
2年)やドイツ (
1
9
5
6年)に本絡的に紹介され
くる 。浄土真宗がイギリス (
たほか、鈴木大拙 (
1
8
7
0
-1
9
6
6
) や EugenH
e
r
r
i
g
e
l(
1
8
4
4
1
9
5
5)が米国に続いて
1
9
3
3年にイ
ヨーロッパ各地に禅の隈想や芸術を広めた 。チベット仏教の場合、 (
ovindaが創設した) AryaM
a
i
t
r
e
y
aMandalaの支部
ンドでドイツ人僧侶LamaG
を1
9
5
2年にベルリンで聞いた例が初期の取組みとして挙げられる 。
この段階に至 って仏教の実践面、特に隈想、に関心の主眼がおかれた 。つまり、第
一段階での仏教経典の学問的な解釈、第 二段階での仏教思想面への知的関心か
ら、一般市民による「個人的救済ツールとしての仏教」に比重が移った 。そして
1
9
6
0
7
0年代に ブームとなった禅宗、 1
9
8
0
θ
9
0年代のチ べツト仏教 [Ta
訂r
t
出
ha
叩n
g
l
l
k
王u (
1
9
3
5
)や C
α
h
o
罰
g
y
叩 nTn
印u
ngpa (
1
凹9
3
却9
1
凹9
8
7
η
) などが先駆者]と、さらに多
T叫
u
様な広がりを見せる 。
第三段階への移行が行われた背長を考えると、西殴社会においてリベラルな民主
主義が登場してきたこと、 キリス卜教会で他宗教に対する寛容性が見られる よう
になったこと、戦後の疲弊した西臥;各国の経済が 「マーシャル・プラン 」などに
より復興に向かい、経済的繁栄を実現したこと、 一般市民の教育水準が向上して
他の文明圏への関心が高ま ったこと、交通やコミュニケーシ ョン が飛躍的に進歩
してアジア諸国からも多数の旅行者や移民が流入したことなどが起爆剤となった
とL、える 。
Eurobuddhismという用語が近年散見される )
Jの
現代の 「ヨーロッパ仏教 (
特徴でまず挙げられることは、仏教に帰依する大半のヨーロッパ人が仏教の正式
信ー者ではなく、それぞれの教育水準、就労環境に応じて生活習慣の 中に仏教の教
えを取り入れているという点である 。そこには、自らの意思で仏教の教えを実践
に移そうとしている姿がある 。彼らは、自国の文化や宗教的なルーツを見直し、
再評価するために、仏教のさまざまな側面にキリスト教にない新鮮な価値を見出
したと考えられる 。その結果、現代ヨーロッパにおけるシンクレテイズム現象の
一要因となっているわけであるが、反面、仏教本来の方向性から議離する傾向が
-29-
たといえる 。また、仏教の神秘主義性を強調した異流のあらわれでは、ロシア生
まれのイギリス人 MadameH
e
l
e
n
aP.
B
l
a
v
a
t
s
k
y(
1
8
3
1
1
8
91)と上述の O
l
c
o
伐に
よる神智学教会 T
h
e
o
s
o
p
h
i
c
a
lS
o
c
i
e
t
yの創設があげられる 。
この時 }~J は、仏典の制訳や研究がいっそう進み、イギリス人 Thomas
W.Rhy
s
D
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v
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d
s(
1
8
4
3
1
9
2
2
) による P
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l
iT
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x
tS
o
c
i
e
t
yの設立に結実する 。 ドイツ語圏で
も
、 HermannO
l
d
e
n
b
e
r
g(
1
8
5
4
1
9
2
0)がパーリ語聖典に関する 研究の集大成と
して r
B
u
d
d
h
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f
e,
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sD
o
c
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r
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n
e,
h
i
sOrder
J(
1
8
8
1) を発表した 。
20世紀に人ると、 ドイツ人インド学者Kar
lS
e
i
d
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n
s
t
u
c
k
e
r(
1
8
76
-1936) がラ
イプチヒに S
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c
i
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t
yf
o
rt
heB
u
d
d
h
i
s
tM
i
s
s
i
o
ni
nGermany (
1
9
0
3) を設立したほ
か、イギリスでもAna
n
a
d
aMeteyya (
1
8
7
2
1
9
2
3)が 1
9
0
7年
、 B
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y
o
fG
r
e
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tB
r
i
t
a
i
nandI
r
e
l
a
n
dをロンドン に設立した 。
実践仏教の側面が重悦されるようになったのは第一次大戦後になってからであ
る。知的次兄だけでなく、全人 的な次元で仏教の教えを適用す る試みが特に
1
9
2
0年代か ら30年代のイギリスやドイツで見られ るようになった 。1
9
2
1年に、
GeorgGrimm (
1
8
6
8
1
9
4
5
) とS
e
i
d
e
n
s
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u
c
k
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rはドイツに t
h
eB
u
d
d
h
i
s
tP
a
r
i
s
hを
創設し、仏教徒コミュニティの先 駆けとなる組織づくりをめざす。同時期、ドイ
ツ人仏教徒 Pau
lDahlke (
1
8
6
5
-1928) が本絡的な上席部系僧院 t
h
eBuddhist
Houseを 1924年に建設した 。イギリスでは、 C
h
r
i
s
t
m
a
sHumphreys(
1
9
0
1
1
9
8
3
)
の活躍が特宿され、彼は 1
9
2
4年に t
h
eB
u
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d
h
i
s
tLodgeo
ft
h
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h
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h
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lS
o
-
c
i
e
t
yを設玄ーする 。総じて、 20世紀半ばまでは、ヨーロッパの仏教はドイツが肢
も盛んで、次にイギリスが続く 。 しかしフランスでも、米│可人 G
r
a
c
eC
o
n
s
t
a
n
t
L
ounsbery (1876
-1964) がLesamisduBouddhisme (仏教友の会)を 1929年に
創設し、守q
"
J誌 rLaPenseBouddhiqueJ (仏教思想、)を発 F
J
tしている 。
第三段階はおよそ 1
9
5
0年代から現杭に至る 。この段階は一般大衆への仏教の
本格的普及則!といえよう 。
ヨーロッパにおける第二次大戦の惨禍は人々の聞にキリスト教の教えに対する疑
念と不信をもたらし、これに代わる人生指針としての仏教に関心が 集ま った 。そ
28-
gha
ySan
o
fJ
eo
c
r
n、ベトナム禅の Sou
oZe
、Ta
r
te
tsZenCen
igh
nL
r
he
t
o、Nor
リ
ZenDo
rなどがある 。
te
olmZenCen
kh
c
o
)、曹洞宗/臨済宗の St
la
nsKa
je
d
la
G
(
川
ヨーロ ッパ仏教の概観
ヨーロッパの仏教受容史は大雑把 に 3段階に分けられる 。
9世紀中葉からはじまったヨーロッ パ列強の植民地主義全盛期
第一段階は、 1
に重なる 。この段階は、仏教の歴史と教義に関する学術的な研究の時代である 。
最初 に仏典や仏教の概念に関する知識の体系化 に貢献した学者は、フランス人東
re
oi
t
is
h
'
ionaI
t
roduc
t
n
'i
L
)だった 。彼の著書 r
2
5
8
1
801
1
neBurnouf(
洋学者 Euge
)がその後のヨーロッパにおける仏 教文献学の基礎
4
4
8
1
ienJ(
d
n
mei
dubuddhis
となった 。しかしヨーロッパへの仏典の本格的移入は、キリスト教宣教師たちが
アジア諸国をキリスト教団に変えて L、く取組みの中で、逆に仏教に対する関心が
彼らの間で高まった結果だった 。従って、アジアで広範に生活に溶け込んでいた
民衆宗教としての仏教には関心が もたれなかったのである 。
寺代である 。つまり、知識人、作家、
第二段階はいわゆる「エリー卜 j仏教の H
芸術家などによる自身の生活信条としての仏教の採用である 。その代表がドイツ
) であろう 。彼の哲学は、第一段階での学者
9
6
18
788
1
のショーぺンハウエル (
たちの翻訳成果を通じて、仏教思想、からも影響を受けた 。そして彼の諸著作が逆
9世紀後半の西殴知識階級に広範な インパクトを与えるようになる 。
に1
d
nArnol
rEdwi
英語圏では、仏陀の思索に詩想、を得て苦かれたイギリス人 Si
) が仏教の普及に 一役買った 。続
9
7
8
1
aJ(
i
fAs
ighto
TheL
) の詩集 r
1904
832
1
(
)
881
1
mJ (
is
ech
tCat
is
h
Budd
)が r
1907
8321
t(
t
eelOlco
t
yS
r
いて、米国人 Hen
dと同様に仏陀その人と彼の思想を 讃えた 。この段階では大乗仏典より
で Arnol
、
もパーリ語経典が重視されていた 。その中で評価・強調された点として、仏教の
理性主義、現実主義、倫理的純粋性、寛容性、近代科学との共存性などが列挙で
きる 。従ってこの段階では基本的に、仏 教の隈想的側面、共同体意識、礼拝重視
換言すれば、埋論の方が実践よりも先んじてい
の姿勢は比較的軽視されていた 。
- 27-
国家のあり方が流動化する
EU時代にあって、各国の教会が国家に依存しない横
のつながりを求めていくのは、あ る意味で白然なことといえる 。
スウェーデン教会は全体で約 2
6,
0
0
0人の職員を雇用し、約 5
,
40
0人の司祭を擁
する 。 そのうち、 3
,
3
0
0人が各教区での活動に携わってい る(しかし、約 1
,
5
0
0
人が高齢等のため、事実上、不活 動状態)。残りは海外の宣教師や学校の教 師で
ある 。女性は 1
9
5
8年に聖職位授与の資絡を得て、 1
9
印年に初の女性聖職者が誕生
した 。現紅、約 1
,
0
∞人の女性司祭が 1
3の司教区で活動している(全体の約 29%)。
定期的に教会に行く層は国民の約 10%秤.度にとどまる 。1
9
9
6年に行な ったス
ウェーデン研究所(TheS
wedishI
n
s
t
i
t
u
t
e
) のアンケートによると、 「
神の存在
を信じるか」という質問に 48%が「是」と答え、 38%が「非 j、 14%が「不明 j
と答えている 。
スウェーデンは他の北殴諸国と比 べ、自由教会 (
F
r
e
eChurch) が多い 。著名
なM
i
s
s
i
o
nCovenantChurcho
fSwedenや SwedenA
ll
i
a
n
c
eM
i
s
s
i
o
nは 1
9世紀に
おける全国伝道運動の産物で、ある 。こうした非協調主義的教会の主な特徴は、信
徒が個人的な信仰自白に基づいて いるということであり、スウェー デンにおいて
独自の存在感をも っている 。 スウェーデン自由教会評議会 (
TheSwedishF
r
e
e
ChurchC
o
u
n
c
i
l
) はこれら白 1
1
3教会 (
9教会)の統括母体であり、約 2,
5
0
0の教
区で 2
4
3,
0
0
0人の信徒を布する 。その中で最大勢力は、ぺンテコ ステ派 (
9
1,
0
0
0
人)であり、次に M
i
s
s
i
o
nCovenantChurcho
fSweden (
6
9,
0
0
0人)、 I
n
t
e
r
a
c
t
(
2
8,
0
0
0人)、救世軍 (
1
9,
0
0
0人)、パ プテイスト教会 (
1
8,
6
0
0人)、 SwedishA
l
l
i
a
n
c
eM
i
s
s
i
o
n(
1
3,
0
0
0人)、メソジスト教会 (
5,
0
0
0人)と続く 。
ローマ・カトリック教会は約 1
6
6,
0
0
0人である 。エホバの証人は現在、 2
3,
4
0
0
人、モルモン教会は 8
,
8
0
0人。なお新宗教に関しては、ハー レクリシュナや統一
教会のほか、エホバの証人、モル モン教会もこの範時の教団と見ら れている 。ス
ウェーデンにおける新宗教運動の 信徒数は 5
5,
0
00
-7
5,
0
0
0にのぼり、総人口の 1
%弱に相当する 。
日系宗教については、禅の場合、曹洞宗系の Z
en
g
a
r
d
e
nをはじめとして、 G
o
e
b
o
r
g
qL
c
o
派が優勢である 。しかし
ngma派もそれぞれ独自の地歩を築きつ
i
y
a派と N
y
k
a
S
hの人気も高く、彼の著作の大部分 がスペイン語
n
a
tH
a
h
kN
c
i
h
つある 。 また T
に翻訳されている 。
注 20)
禅に関しては現在、各地に俺禅セ ンターがある 。(
注21)
スウェーデン (
9年に
9
9
司教会)は 1
している 。スウェーデン教会(旧 l
憲法は信教の自由を保,-l,E
固から法的に分離された 。しかし同教会は国の公的支援を受け続けている 。国民
の約 84%がスウェーデン教会に所属しているが、離脱は自由とな った。脱会 を選
9年に
9
9
3人が離脱した 。1
3
2
3,
8年に 1
9
9
1
択する人の数は年々増える傾向にある (
∞0人が離脱)。
6,
∞0年には推定 1
9人にのぼり、 2
9
2
3,
教会が同から分離した際は 3
5∞0人のローマ・カトリック信徒がいる 。LF.教会
6
現在、スウ ェーデンには約 1
0万人を有する(ギリ シャ、セルビア、シリア、ルーマニア系、エストニア
は約 1
系、フィンランド系などである 。フィンランド語系住民のルタ一派も存在する)。
0万人
3
5万 0人いるといわれる 。 イスラム系は 2
0
0
7,
ユダヤ教徒は全国に約 1
仏教徒とヒンズー
であり、近年急述に噌加してモス クも各地に建てられている 。
0人程度といわれる 。公式な統計はないが、成
0
0
4,
0
0
0
,
教信徒はそれそれ、約 3
%が無神論者であると推定される 。
0
2
5
人国民の 1
国家と教会の分離という歴史的改革は、スウェーデンの急速な世俗化を示す象
徴的な事例である 。 それは確かに教会の社会的地位の 低下を如実に物訴 ってお
、
り
EU統合の流れの中で従来の国家観は 大きく揺らいでいる 。危機感を抱いた
スウェーデン教会は、国家に依存しない教会存続の道を選んだといえるだろう 。
家から独立することによ って、自主的に国内外の
l
n
_
プラスの耐を見れば、教会が l
他数派と結びつきを深めていき、新時代にふさわしい教会を形成できる可能性が
0世紀の初め頃から、教派を超えた 教会同上の
ある 。つまり、ヨーロッパには 2
tエキュメニカル運動)が徐々にで はあるが築かれ
n
e
m
e
v
o
lm
a
c
i
n
e
m
u
c
e
連待 (
てきた 。エキュメニカル運動には、そのよ うな歴史への反省が込められてい る 。
Fhd
qL
である 。 また、スペイン・ イスラム連 m
l(TheFederationofSpanishIslamic
E
n
ti
t
ie
s
:FEERI) は、不法入国-/5. (およそ 2
5万人)を計算に人れなくとも、 4
5
万人以トーのイスラム教徒がいると報告している 。ユダヤ教信徒は 約 2
5,
0
0
0人を
数える 。仏教徒は、公的 には 3
,
0
0
0人程度と他宗教に比べて甚だしく少ないが、
実数はその 3倍にのぼるとの見 方 もある 。
1
9
7
8年に忍法でス ペ インは政教分離を 宣 言 した 。 しかし現実には、カトリッ
ク教会の社会的存.{f.は非常に強力であり、政附と親密な関係を依然として保 って
L、
る 。とりわけ教会税が最大の特権であり、
2
0
0
0年度の税収は 1
,
0
0
0万ドルに達
した 。プロテスタント、イスラム教、ユダヤ教では、カトリック教会と 同等の権
利が何られるよう政}(~)に働きかけている 。 その目的は、公的資金の注入、税金免
除の拡大、メディアアクセスの改善、新規礼拝施設に関する制限の緩和などであ
る。所得税法では、カ トリック教会に対 して納税者が税額 の 0
.5239%を教会税と
して納めることを認めている 。
1
9
9
9年 5月
、
E
I
会は倣成的な 「カル卜 」教 │
到の活動に対する 反カル卜法案を
1
1
.
.
科ーし、これらの教団を院規する組織の設立について J
I
'
拘束的決議を採択 した 。
内務省の調査によ ると、ス ペ インには約 2
0
0の i
波康的なカル卜が存在するとさ
れ、その会員数は 1
0万から 1
5万とな っている 。
1
9
8
9年に成立した「カ ルト法」では、瞥 祭に対して破 j爽的性格のカルトを調
査する権限をうえ た 。その結果、警察内 部に特別組織が編 成された 。救世軍やサ
イエントロジー教 会が
1
I
出実的カルト 」と認定され、政府はこれらの教団の宗教
活動に制限を加え ている 。フランスの反カルト法とあわせ、ス ペ インでも新興系
あるいは外来系の宗教団体に対する足川、弾川が強まる危険性が内外から指摘さ
れている 。
スペインの仏教事 情 注
( 19):
従来は t
1
i
iの人気が高か ったが、近年はチベット仏教の勢いが非常にある 。現丘、
多くのチベッ 卜仏教系のセン ターがスペイン作 地に 設、主さ れ
、 Ka
幻r
u派 と Gelug
A性
q,
ゐ
注16)
イタリアおよびス ペイン (
イタリア憲法は信教の 自由を保証している 。従来、カトリ ック教会 と国家の│刻
4年の改定によりイ タリアは
8
9
9年教政条約によ って不可分だ ったが、 1
2
9
係は 1
r
民の 85%がローマ・カトリ ックである 。エホバの
1
;
f家とな った。 i
i
l
政教分離の l
0I~I
0年 3月 2
0
0
2
j人で、第二の教団 勢力とな っている (
E人は約 40J
i
目
、イタリア
政附はエホバの証人をカトリ ック教会と同等の政府公認宗教団体に認定した 。こ
れにより、 1,r1から教会税の交付 が受けられること になる 。さらに、独自の結婚式
符な傾向として、非キ
をや行し、学校を設立することも lザ能)。しかし近年-のはi
リスト教系諸問一北アフリ力、件lアジア、アルパニ ア、中東ーからの ムスリム
0刀人に迷し、別在も明えつつあ
0
系移民流入(合法・非介法を問わず)が推定 1
0人が非ア ジア系、すなわちイタリ
0
0
0,
0人で、そのうち 4
0
0
0,
る。仏教徒は約 6
0万人、
ア人を合むヨーロ ッパ系の人々であ る 。 サイエントロ ジ一教 会 は約 1
j人である 。ユダヤ教は減少 傾向
sは約 3万人、モルモン教会は約 2J
n
a
i
s
n
e
d
l
a
W
都市にシナゴーグ を擁している 。
1
にあり、現在約 3万人であるが、イタリアの 2
n
o
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tU
s
i
h
d
d
u
nB
a
i
l
a
t
heI
5年に ミラノで設立された t
8
9
仏教に関しては、 1
(UBI)という組織があり、主としてイタリアの禅系
I7)、チ ベッ
it
(
ト仏教系、 k
主部系を代表している 。 だが、同国最大の 仏教団体である創 価学会インターナ
l
I系の教団として近年注目さ
0人)は加 入していない 。 F
0
0
2,
シ ョナ ル (会員数 2
れるのは真如宛であり、イタリア人の入信容が噌えている 。カトリ ックへの疑念
心を H千ぶだけでなく、入信してむしろカトリックがよく理解できた
英│
を抱く者の │
とコメン卜する伝おもいる点が今後の開教に何らかの 示唆を与えている
注18)
(
o
r
t
n
e
C
El
スペイン憲法は信教の白由を保証している 。社会学調査センター (
6
.
3
0年 4月の調査では、国民の 8
0
0
) による 2
s
a
c
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g
o
l
o
i
c
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sS
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n
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c
a
g
i
t
s
ve
n
aI
r
a
p
9%が無信仰者、 4%が無神論者とな って
.
%がその他、 7
%がカトリ ック教徒、 2
主 義 教会団体述盟
る 。制約f
L、
)
s
e
i
t
i
t
n
usE
o
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fE
no
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r
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eFe
h
T
(
;
)
0
5万人のス ぺ イン人 プ ロテスタン卜教徒を代表する組織であり、現在約 8
は3
人 プロテスタントが同住していると推定され、その大半はヨーロッ パ人
I
E
人の外 I
-23一
*1
9
6
7午
、 TheF
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n
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eWesternB
u
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tOrderが設立さる 。(
沌 14)
*1978年、タイ上座部系の C
h
i
t
h
u
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s
tBuddhistMonasteryがサセックスに設立
さる 。
*1
9
8
0年代以降、ノーザンパ ーラ ン ドやハートフォード シャーなど各地に僧院
が住てられる 。また、東│十jアジアからの移民を対 象にした仏教コミュニ ティも設
立され、ロンドンの S
r
iL
ankanL
ondonBuddhistViharaやパーミンガムの Bur-
meseB
u
d
d
h
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tV
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aなどが省:名 。
糾i
に関して、イギリスで 最大の t
1
i系団体は、曹洞宗系の イギリス人女性 Jiyu
K
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n
n
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tが 1
9
8
3年に創設した t
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eOrdero
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tC
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s (OBC) で
あるといわれる 。 ま た 、 社 会 行 動 仏 教 家 Thick Nhat Hanhの主宰する
I
Communityo
fI
n
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b
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i
n
gJ運動も盛んになりつつ あり、これと連携して いる組
織がTheNetworko
fEngagedB
u
d
d
h
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s
t
sである 。
チベット仏教に対する 関心は 1
9
6
0年代末から 7
0年代初期l
にかけて、チベット
難民がヨーロッパに流入した時 J~l と合わせて高まった 。 チベッ卜仏教の 4大流派
の'
1で、Kagyupa派と Gelugpa派は Sakyapa派 ・Nyingmapa派よりも教勢が
強いとされる 。
ヨーロッパ i
d大の Gelugpa派は TheFoundationforthePreservationofthe
MahayanaT
r
a
d
i
t
i
o
n (FPMT) であり、全世界に 9
0のセンターを有する 。
1系宗教団 体としては、創価学会インターナショナル(公式人数は 明らか では
ないが、数千人の信有 と批定)がイギリスで 最大の日系仏教教団と なっている 。
その他では、神京各派、立正佼成会、阿含宗などがある 。浄土系では、真宗の 流
れを くむ TheP
ureL
andBuddhistFel
10wship (オックスフォードシャー)があ
る。
ちなみに、 TheNetworko
fBuddhistO
r
g
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i
s
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t
i
o
n
s(ロンドン)がイギリス内
の大小 50ほどに及ぶ仏教団体(什
15)
を結ぶ中核的存在とな っている 。
- 22
f登録の義務はない。 しかし、 1960年に制定され、 1993年に改
:
(
宗教団体は政 }
sAct)により、公益法人として 宗教団体がチ ャ
e
ti
i
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C
正されたチャリティ法 (
現11:チャリティ
リティ委員会にぜ録されると自動的に税の優遇惜置がとられる 。
jで、毎年 9000団体が登録をしている 。チャ
9)
として登録されている 団体は約 1
リテ ィのせ録を希望する │剖体(信託、法人、社団 等)は、 申請書類をチャリティ
委員会に提出する 。チャリティ委員会は、巾詰のあ った団体の公益性を独 自に判
dRevenue) にも送られ、 登録の適何
n
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In
"(
;
歳入1
1玉│
"
与しは 1
l請。呼の'
定する 。q
が !1~lì~ に協議される 。 イギリスの税法では、チャリティの本来事業には法人税を
課さない 。また収益事業はチャリティ本休ではなく、別会社を設立させ、そこで
行わせる 。 その収従をチャリティ に 寄付ーした湯合は原則非諜税 である 。
宗
「教育の振興」、「
救貧 j、
「チャリティ 」の定義について明文規定はないが、 「
がこれに該当すると 一般に解
教の賑興」および 「その他共同社会に有用 な活動J
9年にチャリティ委員 会
9
9
されている(なお、サイエントロ ジ一教会の場合、 1
I的に鑑みて宗教団体と はみなせないと結論し
教会がチャリティ法律 の L
i
J
!
、 J
は
て、チャリティ資格を 付りしなか った)。
仏教受容略史:
国のア ジア に対する植民地政策に 付随して
i
J
イギリスにおける仏教の伝播は、!J
発ゴーした 。従 って、ビルマ、タイ、スリランカの上陸部系が主流だ ったことはい
においては、他のヨーロ ッパ諸凶
9世紀半ばの仏教受容紫 明知 j
うまでもない 。 1
同様、
心だ った。
'
r
こ 学術的な関心がl
I
:
i
aJ を出版し、初めて
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4)が r
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9作
7
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*1
(に制介。
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仏陀をイギリス1l
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)
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*1880 、神科主義者のBla
がヨーロッ パ人として受成。
安
y設玄。
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ondonBuddhistS
ー TheL
、
"
41
2
9
1
0年代、 ~ììí京への関心が高まり、 1960 年代に本格的ブームを迎える
5
9
*1
1一
-2
イギリス (
注 13)
2
0
0
0年 1
0JJ
に施行された 1
9
9
8年人権法は、改宗 の自由を含む信教 の自由を
保証する 。英迎合 T
[
t
J
全体で見ると、い うまでもなくイギ リス国教会が圧倒 的に
主流であるが、ス コットランドには 長名派教会(スコ ットランドの同教 会)の信
行が 1
1
0)j人いる 。北アイルランドで は、人口の約半分 が自身をプロテス タン卜
とみなし、約 4
0%がローマ・カトリ ック教徒とみなし ており、同を 二分したか
たちになっている 。ウエールズでは 、イギリス国教会 制度が 1
9
2
0年 に 廃 止 さ れ
たため公認教会は ないが、メソジス ト派とパプテイス ト派が二大教団を 構成して
L、
るν
イギリスはまた、凶│枚最大のイスラム社会の 1
つである 。推 定 1
0
0
7
71
5
0万 人
のイスラム教徒がおり、
6
0
0以 Lのモスクと礼拝所 がある 。ロンドンの中央 モス
クとその関述のイ スラム文化センタ ーは、西臥地域で 中心的なイスラム 教の拠点
となっている 。
シーク教徒は 4
0f
j5
0万人いる 。 シーク教徒のグル ープは主にロンド ン、マ
ンチェスターおよ びパーミンガムな ど都市部に集中し ている 。 ヒンズ一教徒も
3
2万人いる 。以初jの ヒ ン ズ -;
j
'院 は 1
9
6
2年にロンドンに開 設され、現 Aでは全
同に 1
5
0以上あるといわれ る 。その他の布 )
1宗教グループとし ては、ユダヤ教徒
が約 2
9万人いる 。
2
0
0
1"
f
'
.4円に u
われた国勢調査に よると、 J
u
l
民の約 6
5%がなんらかのキリ ス
ト教のじ者である (約 4
5%がイギ リス[I;J教 会、
10%がロ ーマ・カ トリ ック教会 、
4%が長右派教会、 2%がメソジス卜教会、 4%が他のキリスト教 会)。 だが礼拝
山席 率となると、約 8
.
7%にとどまる
他庁、北アイルラ ンドでは礼拝出席 者が
3
0
3
5
%と推定される 。
国民の 2%がエホバの証人、 モルモン教、サイ エントロジ一、ユ ニテリアンな
ど新興キリス ト教系団体の信徒 である 。伐りの 5%に仏教、ヒンズ一 教、イスラ
ム教、ユダヤ教、 シーク教などが人 る
日
I
i
、
また、国民の約 2
8%が無信仰である反
70%似が糾 lの子炉紅を信じている 。
-20一
ということである 。しかし、教会離れの傾向については 、基本的には礼拝そのも
のの否定ということより、人々の生活リズムの変化が作用していると 分析するこ
とも可能だろう 。
6年、閉届時間は月曜日から金曜日までの午後
9
9
1
さらには、閉庖法の緩和 (
寺まで延長された 。日曜営業は
1
1
寺に、土曜日の午後 2時が午後 4
1
1
寺半が午後 8
1
1
6
原則的に禁止)をめぐる議論が現在も続けられている 。これは直接的には政教分
離の問題ではないが、市民生活と宗教をめぐる社会的なありプiについて、 E U全
体に通底する根本的な聞いを投げかけるものである 。
仏教受容略史:
sJ を
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18
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1
、 MaxMue
9年
7
8
*1
) の共同創設イ身
S
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P
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a
英語で出版(彼はロンドンを拠点とする P
のひとり)。
) がパーリ語聖典を独訳。
5
1
9
-1
65
18
hNeuman (
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F
l
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*オーストリア人 K
0)が仏陀の伝記を出版。
2
9
1
4
5
8
1
g(
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l
、 HermanO
1年
8
8
*1
6)がライプチヒで最初の仏教団体 The
3
9
-1
76
8
1
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3年、Kar
0
9
*1
nGermanyを設立。
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7)が、ラングーンでドイツ人初の修行
5
9
-1
78
8
1
.Gueth (
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,
3i!
0
9
*1
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憎となり、数多 くの仏典を独訳 。 その後、スリラ ンカに上座部系 僧院 I
eを設立し、多くのヨーロ ッパ人信徒を集める 。
g
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H
5)が、ミュンへンに仏教コミュニティを創
4
9
-1
68
8
1
gGrimm (
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、 Geo
1年
2
9
*1
設。
8)がベルリンに仏教センターを設立。
2
9
-1
65
8
1
lDahlke (
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4午、医師 P
2
9
*1
す第二次大戦後に日本の禅系仏教が紹介さる 。
tUnion (DBU) が創設さる 。
s
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、 GermanB
5年
5
9
*1
'EA
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}
I
)
行政裁判所は、イスラム連日1(
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i
o
n) を宗教団体として認
め、公立学校で当該宗教に閲する教育的な指導を提供する機会を与えるべきとの
ド級帯の決定を支持した 。だがこの決定はイスラム連関に加盟していない大多数
のイスラム系団体から批判を招 L、
た 。同年 1
1月、パバリア州では同州の公立学
校が 2
0
0
3
i
f
ニからドイツ訴によるイスラム教に関する教育をスター卜すると発表
した 。
ドイツは凶全体が│宜俗化の度合いを深めており、教会への出席率が年々減少し
ている 。また、教会税に関しでも変革の時期を迎えている 。教会税見直しの議論
は
、 l
直接的には長期に及んだキリスト教民主 ・社会同盟 (CDU.CSU) 政権か
られ会民主党 (SPD) と緑の党による述立政権への移行 (
1
9
9
8年)をきっかけ
に高まった 。
所得税減税を中心とする税制改革の中で、教会税の大幅な落ち込み
が余儀なくさ れたからである(す でに前政権のときからも、信者数は年々 3
0万50)j人ずつ減り、教会の
Eな収入源である教会税は減少傾向にあった)。特に
1
9
9
0年の東西ドイツ統一以来、;設気後退と噌税によって納税負担摘を嫌う多く
の人々を教会から去らせることにな ったといわれている 。従って、教会税の問題
は早晩検討を迫られるべき問題であり、 E Uの統合化進展を受けて、近年急速に
l
f
i
l民的な課題とな ってきた 。
EKDの統計によれば、 1
9
9
5年の礼祥平均出席率は 4.9%だった (
7
3年には 7%
あったが、 8
0年代半ばには 5.5%に低
F
l。教会での礼持出席頻度に関しては、毎
週日 1起必ず、あるいはほとんど欠かさず教会に行くというのが、旧西独で 11%、
旧東独が 7%である 。1
1
"
1
に数度」の割合は、前者が 1
1%、後者が 1
0% となって
L、
る 。普通の(特別な祭 日ではない) 1曜 I
Jに年数回出席するというのが、前者
1
9%、後者 25%。洗礼や堅信礼、葬儀や結婚式など家族の人生行動に直結した
礼 Hに限 っては、前有 30%、後者 22%である 。
こうした礼持出席に関する統計的数字から、ある程度特徴的な傾向が浮かび上
がる 。その 1つは、ローマカトリック教会の礼拝出席率と 比較した場合
、 地域
や1年代の追いを度外視すれば、 プロテスタン卜の比率のほうが常に下回っている
'i
o
o
0万人とな っている(主なものと して、パプテイスト教
0
他のキリスト教会が約 1
0人、メソジス
0
0
5,
6
0人、エホバの証人:1
0
0
9,
0人、モルモン教会:3
0
0
7,
会 :8
0人であり、
0
0
2,
0人など)。なお、ユダヤ教会に属する信徒は約 8
0
0
6,
ト教会 :6
総人口の 0.1%を占める 。旧ソ速からの流入者が大量に入り、ユダヤ教徒の数は
I
長している 。シナゴーグに通うだけのユダヤ教信者をも合めた総数
5
近年急速にfEl
はさらに明えると推定されるが、データは杷躍されていない 。
955年に設立されたドイツ仏教連合 (DBU:Deutsche
仏教については、 1
0以上の
) があり、 傘下に 5
n
o
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tU
s
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eUnionまたは GermanB
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団体を抱える
0部。 ドイ
0
5
sJを発行し、部数は 5,
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Lot
DBUは季刊誌 i
ツ全体の仏教徒数に関する統計はないが、同連合によると、ベトナム、タイ、台
0人、ドイツ人仏教信者
0
0
.
0
2
湾、カンボジアなどからの難民や移民の仏教徒が 1
0人と推定されている 。
0
0
.
0
0
(ほとんどは他宗教と派信)が約 1
、
0人
0
0
0人、サイエントロジー教会は 8,
5
新興教団系を見ると、統 一教会は 8
αm人、 Johannish教会は 3,日犯人などとな っている 。
,
/、ーレクリシュナ教徒協会は 5
0万人(全国民の 26.6%) が無宗教であると推定される 。
8
1
,
約2
宗教団体は登録の必要がないが、登録されると 非営利団体として扱われ、課税
免除資絡を併る 。各州当川がこれらの 11訪を審査して、定期的にこの資格を与え
る。地域税務当局が随時に謀税免除資絡の審査を行う 。
ドイツは政教分離の原則を布するが、公任法人格を備え、固からその旨承認さ
れた宗教団体は 一定率の教会税 (if'12)を信徒から徴収できる 。なお連邦憲法裁判
を求める条件を政教
所は、公係法人絡取得の要件として従来の「国家への忠誠J
従って現在はこの条件は
IJに!照らして違憲であるとい う判断を示した 。
!
分離の原 !
除外されている 。
大
州政府は、教 会が運常する学校や病院などの公径法人に助成金を 支給する 。
半の公立学校がプロテスタン卜やカトリック教会の協力により宗教授業を行って
いる 。学生の側 で ト分な興味を表明した場合、ユダヤ教の授業も行う 。公立学校
0年 2丹、連
0
0
でのイスラム教育の問題はいくつかの州で話題になっている 。2
ウt
同際的な人権擁議運動グループは同法を反民主主義 ・
反宗教的だと非難してい
るが、この法律は E Uの他国にも重大な関心を呼び、今後同様の法案を上程する
国も出てくるだろう のまた、ヨーロッパ各国で宗教団体などに対する捜査のあり
hが検討されている 。
フランス憲法では、信仰の迷いに基づいて差別することを禁じている 。
従ってこ
の新法は憲法に定めた信教の自由を制限する可能判:
がある 。ある意味でフランス
宗教界の最大の問題は、イスラム教ではなく、フランスの非宗教性原則そのもの
であるといえる 。
9世紀後
仏教については、第 三共和政による政教分離原則の成立とほぼ重なる 1
半にフランスにもオリエンタリズムの最初のブームが到来し、その中で原始仏教
に対する関心が生じる 。 その後は停滞期が続くが、 1
960年代になってカウン
ター・カルチャ一文化の隆盛とともに仏教実践者があらわれはじめ、カトリック
に心情的に反発する者や出惣的に不満をおぼえる層を広く魅きつけた 。インドシ
ナや中国系の移民流入の激化と合わせ、 1
9
9
7年には 6
0万人とヨーロッパ最大の
仏教徒人口を擁することとなった 。現在の主流はチベット仏教と禅宗 (
注10)であ
るといわれる 。
ドイツ (
注 11)
ドイツ基本法(憲法)では信教の自由を保証している 。現在、宗教に関する公
式な統計はないが、各桶の非公式データを総合すると、次のとおりである:ル
タ一派、 Uniate、 改 革 派 プ ロ テ ス タ ン ト 教 会 を 含 む 福 音主 義 教 会 (EKD:
irchenGesangbuch)はドイツ人口の 33%、すなわち 2,
7
0
0万人
E
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sK
を有する 。同教会によると、 1
1
0万人程度(同教派の 4%) しか定期的に教会に
,
7
2
0万人 (
3
3
.
4
%
)、イスラム教は約
来ない 。 その他では、カトリック教会が 2
2
8
0万 3
2
0万人 (
3.
4%-3.9%) となっている 。正教会は約 1
1
0万人(1.3%) を有
E教会が最大で、約 45万人である(ほかには、ルーマニ
し、その 11
ではギリシヤ I
E教会が 3
0万人、セルビア正教会が 2
0万人、ロシア止統会が 5万人)。その
アI
1
6
職者の数は 6
,
0
0
0
7,
0
0
0人程度に激減しているだろうという予測もある 。 また、
1
9
8
3年には 3
7,
5
0
0の小教区があり、 1
4,
2
0
0区に常駐司祭がいたが、 1
9
9
6年には
0,
7
0
0教区、 8
,
8
0
0区と減少した 。
それぞれ、 3
e
c
tと呼ぶが本稿では
フランス政府は、「カルト」教団(英・仏・西語などでは s
9
9
5年に下院は、
「カルト 」を使う)(削) については厳しい姿勢で臨んでいる 。1
カルト調査のための特別委員会を組織した 。そして 1
9
9
6年に発表された報告書
で、エホバの証人やサイエントロジ一教会を含む 1
7
3の団体がカルトと認定され
た。下院は、こうしたカルトを裁判所の決定で禁止できる法案を全会一致で可決
し、いわゆる「反カルト法 J(
A
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P
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dL
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w) が 2
0
0
1年 5月に成立した 。
この法案に対しては、新興宗教団体を含む多くの宗教関係者が危険性を指摘し
ている 。ユダヤ教やイスラム教の指導者たちも非難を繰り返した 。「
新しい宗教
裁判の始まり 」 と指摘する声もある 。
同法案では、 「
人の心理的、物理的依存性を利用して人権または基本的自由を
侵害する法人が最低 2回、刑法で有罪判決を受けた場合、解散させることができ
る」としている 。手続きについては 「
関係する省庁のほか、任意の関係者が裁判
所に要求することができる 」と定めている 。解散の前提となるのは「個人に対す
警
る攻撃、財産の侵害、薬物の違法な使用、鹿偽の宣伝jなどである 。また、 「
察はこのような 刑罰の対象にな った 団体が病院、ホスピス、年金生活者住宅、 拘
置所、公共の各種センタ一、医療機関、学校の周囲 2
0
0メートル以内に施設を設
けることを禁止で、きる 」 としている 。だが当初計画された 「
マインド・コント
ロール罪」の導入は見送られた 。
フランスでは約 3
0万人がカルト集団の被害に遭っているといわれる 。フラン
ス秘密警察は全土で少数派教団の調査に力を入れている 。「
反 カル卜法J第 1節
ではいわゆる 「
心理操作 m
e
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t
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lm
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o
nJを犯罪としている 。そのため、伝
道が 「
厳しい、繰り返された圧力 」の下での運動と見なされる場合、当該 「
伝
道」 自体が違法行為と判断される局[函も出てくる 。
phu
A
0万人といわれる(大半
1
5万人、正教会は 8万 ている 。また、エホバの証人は 2
がギリ シャ 正教もしくはロシア正教)。フランス国民の約 6%がどの宗教にも属
f
eChurcho
h
t
していない 。有力な新興教団としては、サイエントロジー教会 (
) の約 2万人などがあ
s
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2万人、ラエリアン (
0
0
0
,
y)の 5
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げられる 。
宗教凶体は政府登録が義務づけられており、課税免除の宗教団体
s
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s
A
) と課税免除されない文化系団体 (
s
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(Associ
)に分けられ、いずれも 会計財務内容を開示することが義務づけられ
s
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宗教団体は地方自治体に認可申請し、その宗教活動に対する諜税免除資
ている 。
格を 受 ける 。
7のユダ
4
9団体、 1
0
8の プロテスタント系のうち 1
3
1
,
内務省統計によれば、 1
0のイスラム系のうち 2団体が諜税免除資格を有する 。
5
0
,
5団体、 1
ヤ系のうち 1
0団体が課税免除となっているが、同省に
0
なおカトリ ック系団体の場合は、約 1
宗教団
よれば、非課税級いの教会はその数が多すぎて実数を把握できていない。
体は通常、受領した寄付に対して課税されないが、異常に多額の寄付あるいは遺
産を受領した場合、 地方自治体は 当該団体の謀税免除資格を見直す場合がある 。
地方自治体がその資格を変更した喝合、 60%の税率を現在および過去の寄付に
対して諜すことができる 。
外同人宣教師は、事前に 3カ月間の観光ビザを得ておかなくてはならない。入
j自治体に申請し、地方自治体に対して本国
同時点で、 宣教師は滞在許可書を地 J
の後提宗教団体からの書簡を提出する 。
1年にはおよそ 7剖のフランス人がカトリック信者で
8
9
各相調査によると、 1
とな った 。 また、毎月教会に参
J
1
i
!
9年 にはその率は 5l
9
9
あると答えていたが、 1
習で毎週
割程度である 。青年!
ほ どいたが、近年は 1
;l
早
1年には 2
8
9
列する人は 1
2%に過ぎないといわれるほど、若者の教会離れが進んでいる 。
参列する人は 1
0人
0
0
0,
0年には 2
0
0
、 2
0人
0
0
5,
5年には 3
7
9
0人いた聖職者は 、1
0
0
,
5年に 41
6
9
1
0年には、塑
2
0
6歳以ドが占める割合は 3分の lである 。2
と'1'-.減し、そのうち 6
-14-
f
fに先鞭を つけたものとして評価できょう 。
他の国々はおおよそ、フ ランス型(非宗教的教育)とドイツ型(教会主将の宗
教教育)の1
'
'
間的 な立場を係っている状況である 。従って、先の移民政策と問
機、独仏両│
五│
の政策ーが歩み寄ったあたりに、今後の E Uにふさわしい宗教教育の
モデルが想定される 。
以上、 一般的に市場経済に対するヨーロッパ統合の側面のみが喧伝されがちな
E Uのめざす克向性の巾で、丈化 ・宗教 ・民族という要素が「統合」プロセスと
どう係わり、どこに問題点があるのか断片的に考察してきた 。ヨーロッパ統介に
おける宗教政策ーの位置づけはまだまだ暗中棋'ぷの状態であり、政治統合の加速を
受けて徐々にその全貌が l
り
l
らかになるだろう 。しかし、国境の無意味化が異民族
交流の活発化を必然ならしめる結果、ヨーロッパはキリスト教、イスラム教、ユ
ダヤ教、仏教という各 1
f
t界的宗教および特種新興宗教の牛.き残りをかけた信荷獲
得の場となる可能性が高い 。経済・政治機構の統合とは逆に、自由な人的移動が
活発化するにつれて宗教勢力図はますます混沌とし、宗教教団の分布状況にも大
幅な変化が生じることは間違いな い 。その結果、各宗派 ・
教派の海外布教のあり
J
jにも何らかの変化や影響が加わることが怨定される 。
1 EU主要国の宗教事情
E Uというマクロ的な視点を踏まえた上で、 E Uを構成する主要国(本杭で
は、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン、スウェーデンの 5カ国
を選んだ)の宗教環境を概情的に 考察する 。
フランス (
i
I
;8)
フランス芯法は信教の白由を保証 するフランスには宗教団体の現況 に関する
公式統計がないが、国民の大多数は名目 L、ローマ ・カトリックである 。しかし
凶民のわずか 8%しか熱心な礼拝出席者ではない 。
イスラム教は第 二の勢力として約 4
00万人(総人口の約6-7%) を燦する
プ
ロテスタントは 2%を占め、ユダヤ教と仏教はともに約 1
%で 6
0万
ー7
0万人 となっ
-13-
例えばフランスとドイツでは異なる 。EU時代においては、両国とも、憲法の精
神を従来通り運用するだけでは済まない状況に直面している 。
フランスでは近年、ライシテ見直しの議論が盛んである 。
教育現場での校内暴
力や麻薬の横行ーなどが社会問題となり、人権宣言 に基づいた市民倫理の適用だけ
で卜分か、という疑問が出されているからである 。また、 青年層へのカルト 宗教
の浸透に対する一般市民の不安感も見直しに拍車をかけている 。
1
9
8
9年、ムスリム系友生徒がヒジ ャー ブ (ベ ール)を着用して登校してきた
ことが、フランス教育界で議論の対象とな った。これは、ムスリム系移民たちの
聞に、自らの宗教的アイデンティティと連動した宗教回帰現象が興隆してきたこ
とを示す象徴的な事行二だ った。従来、公教育の場へ宗教性を持ち込むことを 「ラ
表現の 自由」原則
イシテ原則」から禁 1 してきたフランス政府は、その原則と 「
9
9
4年
、 「
極端に目立つものでなく、改宗の呼び
との問で板挟みになりながら、 1
かけを目的にしていなければ、ヒ ジャーブを含む宗教的シンボルの着用を認め
る」という判断を示した 。この措置は、政教分離の原則を適用する際に宗教とキ
リスト教を同一視できた時代からの懸隔を痛感させる事例であった 。イスラム系
l
t
J
I
から出された、 「ヒジャーブ着用が認められないなら、同様に十字架や
主│会 1
キッノ¥(ユダヤ教男性が頭に乗せる丸い布)の着用も禁止せよ」という批判の前
で、政教分離の原則だけでは有効な反論を提示できなかったからである 。つまり
ヨーロッパでは、宗教多元社 会 が本絡的に到来しつつある中、キリスト教世界で
前提とされてきた原則がその恨拠を問い直されているのである 。
0
0万人いるといわれているムスリム系移民の子弟に対す
ドイツでも、囲内に 3
る宗教教育をどのように行うべきかという問題がある 。
現時点で、は、まだイスラ
9
9
9
ム教の京教教育は公立学校では行われていないが、ドイツ福音主義教会は 1
i
f
.,レポート 「イスラム教徒児童に対する 宗教教育」で、前出ドイツ 基本法第 7
条第 3項の 「
宗教凶体」をキリスト教会に限定せず、イスラム教団体にまで拡張
して解釈する方針を打ち出している 。従来 「
宗教教育=キリスト教教育」とされ
てきた構図に、宗教的寛容の精神を大胆に取り入れた姿勢は、
-12-
EU時代の宗教教
ぷlにおいて、信仰を実践に移している古-年が最も多い国はアイルランド (
4
9
%)であり、ギリシャ (42%)、イタリア (
41%)がこれに続く 。他方、デンマー
ク、スウェーデン、イギリス、フランス、ベルギーの各国では 10%に満たない 。
ここでは、 [
1
]の数値が低いほど世俗化が進展していると 言 ってよいだろう 。 ま
た、ドイツ、フランス、オランダで無神論者の割合が高いのも特徴的である 。無
宗教者は、オランダで辰も割合が高い 。
表 2の調査から分かるのは、カトリック、プロテスタント、正教会という主流
派キリスト教において、実践を伴った信仰者が必ずしも多くないということであ
るo t
#にプロテスタン卜が(民く (16%にそのことからヨーロッノ Tにおける世俗
化のイン パク 卜は、 プロテスタン 卜系において 最も顕著に現れていると 判断しで
もよいだろう 。
歴史的に、ヨーロッパ各国で宗教教育が本格的に整備され始めたのは宗教改革
の時代においてである 。プロテスタントとカトリックの双方が白派信徒の信仰心
を強化したり、自派への改宗策として宗教教育に力を入れ、義務教育制度も整え
られていった 。それ以降、プロテスタン卜かカトリックかという選択肢があると
は言 え、宗教教育はキリスト教教育とまったく同義である時代が長く続いてき
た。別の見方をすれは¥ヨーロッパがキリスト教文化圏であるという場合、キリ
スト教をベースにした西│款的均質性は宗教教育によって育まれ、維持されてきた
といえる 。ところが今日、そのキリスト教的な均質性が揺らいでおり、宗教教育
そのものの見直しが各国において進められている 。
フランス憲法の第 2条には[フランスは不可分にして、非宗教的、民主的、社
会的な共和国 である 」とあり、この理念のもとに公立学校は 「
非宗教性原則(ラ
イシテ:l
a
i
c
i
t
e)
J(沌 7) を厳格に守ってきた 。他方、ドイツ 基本法第 7条 3項には
「宗教教育は、公立学校においては、宗教に関係のない学校をのぞいて、正規の
教科目である 。宗教教育は、国の監督権をさまたげることなく、宗教団体の教義
に従って行われる jと記されており、通常、宗教教育はカトリック教会およびプ
ロテスタン卜教会の監督下にある 。このように宗教教育の位置づけについても、
1
1
表 2 各種要素別(%)
4
5
6
1
5
.
9 41
.7 6
.
0
0
.
5
1
.0
1
2
.
3 1
8
.
0 4
.
5
2
3
.
1 4
3
.
6 5
.
2
0
.
7
1
.0
1
0
.
9 1
2
.
0 3
.
3
1
5
1
9
21
.9 40.
4 6
.
9
0.
6
1
.2
11
.
1 1
4.
4 3
.
3
20
-2
4
1
7.
2 4
4
.
6 4.
5
0
.
6
0
.
9
1
2
.
0 1
5
.
7 4.
4
カトリック
2
9
.
5 5
6
.
1 6
.
6
0
.
2
0.
3
2
.
9
2.
2 2
.
0
プロテスタント
1
6.
4 51
.5 1
0.
4
0
.
2
0
.
5
8
.
0
8
.
7 3
.
9
l
正教会
4
5.
4 5
0
.
5 2
.
1
0
.
0
0
.
6
0.
8
0
.
0 0
.
6
他
4
0
.
5 3
4
.
8 4.
4
3
.
3
4
.
3
6
.
3
4.
4 2
.
0
1!l~宗教
0
.
9 1
9
.
0 2.
4
1
.
1
1
.8
2
7
.
6 4
0
.
5 6
.
5
不明
4
.
9 9
.
1
1
.4 2
1
.
1
3
.
7
21
.4 1
5.
62
2
.
2
就労者
1
5.
5 4
4
.
3 5
.
1
0
.
6
0
.
9
1
2.
0 1
7
.
3 4
.
2
専従学生
2
4
.
7 3
9
.
5 6
.
8
0
.
7
1
.3
11
.4 1
2.
6 2
.
8
無職
1
6
.
3 4
6
.
3 4
.
0
0.
3
0
.
7
11
.
1 1
5.
6 5
.
6
EU 1
5カ怪│
1
9.
4 42.
6 5
.
6
0.
6
1
.0
11
.6 1
5
.
1 3.
9
2
3
7
不明
'~I: 別
y
.
_
'
年(愉
宗教
状況
表 1・2出典:TheYoungE
uropeans,Eurobarometer4
7
.
2,EuropeanCommis-
s
i
o
n,1
9
9
7
-10-
表 1 EU域内青年の宗教意識 (
%)
国名
1
2
ベルギー
8
.
9
テれンマーク
5
.
1
4
7
5
6
.
5
3
3
.
8 2
3.
4 0
0
.
8
11
.7 1
4
.
3 6
.
1
43.
4
8
.
7 1
.6
1
.0
1
5
.
3 1
9
.
3 5
.
7
1
7.
2
3
2
.
9 1
2
.
2 0
.
5
0
.
9
7.
5 2
2
.
2 6.
4
ギリシャ
41
.9
5
2.
8
1
.5 0
.
0
0
.
7
0
.
7
スペイン
1
6.
5
5
6
.
2
2
.
6 0
.
0
0
.
1
11
.5 1
1
.
1 2
.
0
フランス
8
.
6
4
4
.
2
3
.
8 1
.
1
2
.
1
1
3.
9 2
3.
4 3
.
0
アイ)L.-ランド
4
8
.
9
3
2
.
5
7
.
2 0
.
4
0
.
0
3.
4
.
5
4
.
8 2
イタリア
41
.0
4
6
.
3
2
.
3 0.
4
1
.7
4
.
7
2
.
9 0
.
7
ルクセンブルク
1
3
.
9
3
5
.
1 1
5.
8 0
.
0
0
.
9
9
.
5 21
.
1 3
.
0
オランダ
1
5
.1
2
5
.
5
5
.
2 2
.
3
0
.
8
2
.
7 3
2
4
.
7 2
.
7
オース卜リア
2
6
.
1
3
8
.
0 1
8
.
0 1
.0
0.
6
2
.
7
4
.
9 8
.
8
ポルトガル
3
2
.
6
4
8
.
9
.
6
2
.
0 0
1
.7
7
.
9
6
.
2 0
.
1
フィンランド
4
.
1
4
7
.
6
5.
2 0
.
6
1
.5
1
6
.
1
1
0.
4 4.
5
スウェーデン
7
.
5
3
5
.
3 1
2.
2 0
.
5
0
.
7
2
2
.
8 1
.
5
6.
4 4
イギリス
8
.
2
4
2
.
6
1
.8 0.
6
0
.
2
2
0
.
2 1
8.
5 7
.
1
1
9.
4
4
2
.
6
.
6
5
.
6 0
1
.0
11
.6 1
5
.
1 3
.
9
ドイツ
EU 1
5カ国
3
-9-
不明
.
5
1
.9 0
して大規模に流入してきた 。つまり、ユダヤ教やイスラム教の動きは、 2
0世紀
の政治的
・ 経済的要因によって引き起こされた宗教の地殻変動の途中経過を示し
ているのであり、キ リスト教以外の宗教が広範囲かつ重層的に存在している点
に、今 Hのヨーロッパ宗教事情の特質がある 。
いまや、キ リス ト教世界の世俗化の進行と共に現れてきた宗教多元社会の現状
を直視せずに E Uの政治状況、ひいてはその宗教事情を語ることはできない 。今
後は、国境の廃絶化によって人々の宗教観にどのような変化が現れるのかが焦点
である 。従ってヨーロッパ開教にあたっても、 E Uの制点と域内各国の視点とい
う _J
じ的な要素ーを考慮、すべきである 。
青年の意識と宗教 教育
EU域内での宗教事情を展望するにあたり、 1
つのメルクマール となるのはや
はり占年の宗教怠識だろう 。これについて、 EUは 1
9
9
7年に 加盟 1
5カ国の 1
5
-
2
4歳の 行年約 1h人を対象にして意識調査を行った 。
調査は 、次の 7項目から 1つを選ぶ形で行われた 。
1 1be
i
le
v
ea
nd1p
r
ac
t
i
c
e信仰 を持ち、礼拝山席など実践している 。
2 1be
i
le
v
e,b
u
t1dont
'p
ra
ct
i
ce信仰 を持っているが、実践していない。
3 1p
ra
c
t
i
c
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e
i
lgi
o
n,
but1don'
tr
e
alybe
i
le
ve宗教的実践をしているが、心から
信仰 しているわけではない。
4 1bel
on
gt
oas
p
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r
it
ua
lgr
oupwh
ic
hi
snotar
ecogn
iz
edr
e
l
igi
on公 認 宗 教 以
外の団体に属している 。
5 1wou
l
dl
i
ket
oj
oi
nar
el
i
gi
o
usgr
o
u
p,
b
u
t1ha
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o
undas
u
i
t
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b
leoneye
t
宗教
団体に加わりたいが、まだ適、J
i
なものを見つけていない 。
6 1a
m aagnos
ti
c,1don
'
tknowwhe
thert
her
ei
saGoda
nd1dono
tbe
l
o
ngt
oa
r
ei
l
gi
ousgr
o
u
p無宗教者で、あり、神が存在するかどうか知らず、宗教団体にも属
していない 。
7 1a
ma
na
t
hei
s
t
,1d
on
o
tbe
i
le
v
ei
na
n
yGod無神論者であり、いかなる 神も 信
じない 。
-8-
なく、多民族・多文化(宗教)を包摂できる国家の形成がもはや不可避な状況で
あることをはっきりと物語っている 。
ヨーロッパの最大宗教勢力であるキリスト教は、カトリック、プロテスタン
卜、ギリシャ正教に大別できる 。地理的には、カトリック教圏はヨーロッパのほ
ぼ全域に広がる 。一方、プロテスタントはドイツ(特に北部)から、スウェーデ
ン、フィンランド、ノルウェーといった北欧諸国にかけて、カトリックを圧倒す
る勢力を保っている 。ギリシャ正教の分布範囲はギリシャ周辺に限定されている
が、ユーラシア大陸の東へ伝播し、ロシア正教を生み出した 。なおイギリスだけ
4年にへンリ -8世の離婚問題をめぐってカトリック固から
3
5
1
は歴史的経緯 (
教会という独自の 組織を持つ 。
玉l
離脱)から、イギリス │
かつて、科学至上 主義 ・合理主義を基礎とした近代国家の発展によ って、宗教
は、その政治的・社会的役割を弱め、個人の内面を救う役割に収赦していくと考
えられていた 。しかし、近年、ヨーロッパでこのパラダイム自体が揺らぐ現象が
起こっている 。イスラム教原理主義の勃興において象徴的に見出される「宗教復
興」と いう世俗化への反 動と見られる現象 であり、さらには 米ソ冷戦体制終鴬
宗教紛争である 。そうした意味では、皮肉な
後、多くの地域で顕在化した民族 ・
、 一方で世俗化を推 進す
ことに、ヨーロ ッパ における市場経済や情報の統合化 は
る機能をもちながら、他方で新しいタイプの宗教を生んだり、 宗教復興を加速す
るなど、むしろ宗教の社会的存在感を高める作用も果たしているのかもしれない。
例えばドイツでは、トルコ系移民の 二 世を中心にムスリムとしての目覚めを経
験し、イスラム復興に参加 していく若者が増えている 。これは、移民先社会にお
里現象に対する自己防衛と、そうし
ける麻薬の蔓延や家庭の崩壊など先進国の病I
た社会からの疎外や差別に対抗するための選択だった 。
また、近代化プロセスに伴って生じた政治システムの変革が宗教地図の再編に
もつながる 。かつてヨーロッパに広範に分布していたユダヤ教徒は、第二次世界
大戦後、中・東欧の大部分の地域で激減した 。これに対し、もともとトルコや中
960年代以降、西殴各国に外国人労働者と
東に居住していたイスラム教徒が、 1
-7-
としては、聖俗分離を制度化して世俗化が急速に進むヨーロッパ社会から 一定の
距離をおかざるをえない 。国家と教会との分離が、近代国家建設と平行して進行
した西殴社会に とって、ムスリム系移民が聖俗不可分を 主張することは、「近代
化」
の概念それ自体を否定する集団がヨーロッパ内に出現したことを意味する 。
共産主義陣常が崩壊した現在、先ごろの米国同時多発テロの例を出すまでもな
く
、 2
1世紀の新たな脅威はイスラムだとするイスラム脅威論は、西欧世界で一
定の支持を得ている 。しかしそうした脅威論が増長していけば、ヨーロッパの移
民社会は結果として自身で堅固な 壁 を築くことになり、対立の構図が深化するこ
とは必定で、ある(そうした状況下では、むしろ仏教がその中間に立 って調停役を
果たす局面も生まれてこよう)。
聖俗分離と宗教多元化
かつて エリアーデが商殴近代人を 「
近代社会の非宗教的人間」 と称した 注
( 6)
こととあわせ、現代のヨーロッ パに対しては 「
宗教の相対化」すなわち「世俗
化」とい う視点が浮上してきた 。この「世俗化 J
プロセスはヨーロ ッパの宗教現
象を理解する上でのキーワードとな っている 。
歴史的に、西欧の個人主義が何に
立脚しているかというならば、それはキリスト教ということになる 。キリスト教
はいうまでもなく 「
神と人」という関係を基盤にしているが、 「世俗化Jにより
キリスト教自身も相対 化 されたために、 「
国家と個人Jという新たな関係構造が
表面化した 。 また近世以降にヨーロッパ大陸各地で頻発した宗教戦争は特定の
「
会派・教会 Jを国教とするか否かをめぐ って 引き起こされた争乱であった 。西
欧社会はこうした苦い経験を通して、近代国 家成立に対する必須条 件としての
「
政教分離」へ と突き進んで、
きたのである 。
しかし、世俗化や宗教の多元化が進み、国家概念そのものまでが変わりつつあ
る E Uにおいて、従来の政教分離の原則だけで問題解決を図れる国家はもはや存
在しないとい って よい。E U各国における政教分離をめぐるさまざまな問題は、
ヨーロッ パ以外にも見られる今日の多層的な宗教のあり方に一石を投じるだけで
-6一
にイスラムに対しては排除の論理になる危険性がある ー方、国籍法の改正によ っ
て血統主義を捨てたドイツは伝統的な隔離主義から脱却し、ムスリム系移民に代
表される外国人労働者 の 「ドイツ人化」への是非を検討する段 階に入った 。近い
将来、 E Uレベルで移民統介政策のすり合わせが行われる際、フランスの理念的
モデルある L、はドイツの新型民族国家モデルのいずれを採附するか、その
共和│王│
折点型が模索される可 能性がなきにしもあら ずである 。その場合、移民受け入れ
問題で経験昭市なイギリスの動向(イギリスでは、第 2次大戦後の復興期、入手
に属していた国々から移民を積極的に受け
l
u
不足を解消するため、かつて大英子i'il
lから 黒 人の人々が流入し、 1960i
f
950年代には、アフリカやカリブ海諸 l
入れた 。1
ア ジア諸国からの移民が噌えた)
判
年代にはパ キスタンやバ ングラデシュなど │
0
7
t4)
i
が鍵となろう 。(
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I
!
:安凶などでは、移民勢力の台頭とあわせ、国家の分権化、 )
記 EU i
I、 t
L
(
ズI
)
経済社会分野を
心化が強まり、いわゆる民族主義が再燃する傾向も観祭される 。
中心として均質化が進 行するにつれ、それと のバランスの畏失を回 避するため
の文化的な多様竹や文 化的差異が強調されて きているからである 。
I
E
11
、 I
に
文化的 多様性」を常に念頭におく必要がある 。阿
ヨーロッパ統介の議論は、 「
殴社会 においては、移民問題はもはや民族問題ではなく、文明聞の相克をめぐる
克態として現代のヨーロッパは、西殴とイスラムとい
問題へと変l'干しつつある 。
う て つの文明 1ft 界が円常的に交錯する空間ともな っ た 。( 注 5) しかし EU を ~il" に
放諸国は今のところ、外問符の定住者に対
統合を進めているにもかかわらず、阿l
と認めない国があるなど、個々の加盟国の国家原理を
l
f
i
する参政権付与を認める l
修正してまで共通の移 民政策を確立する段階 に雫っていない。だが移民問題への
1の共通原川を雌立でき なければ、域内の 「人、物資、資
¥
1
1
五1
1悶l
1
1
対処について 1
金」移動の完全白由を 達成できず、そこから 統合の陥穿が生じる危 険性があろ
勢力とパッケージ
う。移民政策は、移民の人 々と彼らの背後に性え る宗教想念 ・
化して与えねばならないだけに、 一層の注怠を要する 。
m知│のごとく、イス ラムには原型的に聖俗 分離の発想はない 。従 ってムスリム
1
5一
ヨーロッパ統合が新たな段階を迎え、 E Uが近隣の非キリスト教国をも取り込ん
でさらに進展してゆくならば、これまで経済問題の陰に隠れていた文化 ・
民族問
題が次第に表面化して、 E Uの中心的な諜題になってくるだろう 。これは教育や
宗教など丈化的な問題としでもあらわれるが、より直接的には民族紛争という形
をとることも考えられる 。こうした文化 ・
民族に関する諸問題は、最終的には国
民│五│家の円編といった問題にゆきっかざるをえないのである 。( 2)
しかしながら、多械な民族・宗教・政治体制をかかえた国々の集合体である E
U域内では、統一 通貨流通の成功など経済・市場統合商では順調に進捗している
が、精神文化面での新たな枠組みについては確たる方向性が定まっていないのが
現状である 。とりわけ、将来的には問墳を越えて複雑に交錯している宗教への対
処方針が難問 となることが 考えられる 。外国人労働者の比率の高いイギリス、フ
ランス、ドイツなどにおいて、トルコや他のイスラム固諸国などの正式加盟がど
のような変化 をもたらすの か予断を許さ ない 。
現在、アムス テルダム条約 (AmsterdamTreaty) によってシェ ンゲン協定
(SchengenAgreement) が 「
共同体分野」 に組み込まれたことにより、 E Uで
は査証政策、 移民・雛民政 策の域内共通 化を進めてい る 。
ドイツは 1
9
9
9年 5月に同籍法を 改正して血統 主義の伝統を 修正した 。(
注3)フ
ランスのように 二 重国籍は認めるところとはならなかったが、これは歴史的な大
転換といえる 。出生地原理の導入により、ドイツの 「
国民」概念に画期的 な変更
がもたらされたからである 。ただ新同籍法の採択は、すべての国民に歓迎されて
いるわけでは ない 。保守派は、新国籍法の下で移民の流入がさらに増え、世界で
多発している民族紛争が内政に持ち込まれかねない、と懸念を表明している 。し
かし、外 I
~I 人流入問題に対する加盟各 | 五|の政策レベルでの進展は、従来の同 一 性
原理に基づく政治から、多元'
I
tの原理を'存認した政治への構造転換を象徴するも
のとして位置 付けることが できる 。 多丈化主義と いう観点から もドイツの事 例
は
、 E U人権 ・移民政策:にも;;修科をうえるだろう 。
各国の収組みについていえば、フランスのいわゆる将遍主義的な同化原理が逆
一 4-
つながっていく 。
共通外交 ・安全保障政策 」の樹立を目 指す政治
2年 2月、上記 EMU、「
9
9
翌1
司法 ・内政分野における政府間協力」の三本柱から成る E Uの基
統合、および 「
y)の調印に至った 。
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a
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c
i
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t
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a
a
M
本構想を合意 したマースト リヒト条約 (
5年 l丹、オーストリア、フィンラ ンド、スウェーデンの 新規加盟を得 て
9
9
1
5ヶ国となった E Uは、現在様々な分野においてヨーロ ッパ域内外で の緊密な
1
注 1)
連携化をめざ し、さらに統 合拡大の計画 を進めている 。(
f
go
n
i
d
n
ee
h
マーストリヒ卜条約の序文には、 「ヨーロッパ大 陸の分裂の終 結 t
J という統合の根本目的が福われている 。
t
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eEuropeanc
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ed
h
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「分裂の終結 Jとは何を 意味し、分裂 が終結したヨ ーロッパはい かなる秩序を 志
向していこう とするのか 。ここで分裂とは、独立主権を 基本原則とし た近代国家
従ってその終結には、独立主権国家システム
への分裂現象 であると考え られる 。
の解体と転換が伴う 。E Uのこうした挑戦は、グローパル化時代におけるさまざ
まな位相の秩序問題に対する国際的なモデルケースとしての意義を持つだろう 。
0年代半ばにド ロール委員長
8
9
E Uにと っての 一大転換点は先述のごとく、 1
1月のベルリンの壁崩壊によって、ド
9年 1
98
2年市場統合目 標が 1
9
9
が掲げた 1
イツ統一 と東欧を含む大ヨーロッパ建設が現実的課題になった時であった 。これ
を機に、ヨーロ ッパ統合は経済通貨統合に急逮政治統合を加えるという根本的な
軌道修正を迫 られた 。その流れは今日に及び、現在も進展中である 。人権・移民
問題や教育問 題など市民生 活の根幹にも 統合の波が押 し寄せること は必至であ
り、やがて宗 教的次元にも 波及していく ものと思われ る 。
人権と移民
2月 7日、 E U首脳会議は「 人間の尊厳、 自由 、平等、連帯 の普遍的
0年 1
0
0
2
の保護と発展 をめざす基本 権憲章を全会 一致で採択し た 。これは、 言論の
価値J
自由や参政権、死刑や拷問 の禁止、内外人の平等や少数民族差別の 禁止 、高齢者
や児童 の権利の保護 などをヨーロ ッパ市民の不 可侵の権利と したものであ る 。
3-
はじめに
ヨーロ ッパはこれまで一般に 「キリスト教文化圏」と呼ばれてきたが、近年は
移 民 の 流 入 に よ る イ ス ラ ム 教 ・仏 教 な ど 他 宗 教 の 普 及 や ヨ ー ロ ッ パ 連 合
(
E
u
r
o
p
e
a
nUnion:EU) を契機とした 宗教聞の交流活発化などにより、その状
況が劇的に変わりつつある 。
そうした動向を考える際、従来のヨーロ ッパ史において 主役だ ったキリスト教
の重要性は変わらないにせよ、 E U加盟各国における宗教多元化や世俗化の進行
が及ぼす汎殴州的な影響を視野に入れておかなければならない 。いまやヨーロッ
パ世界は、キリスト教精神の体現的存在としての地位を無条件に 享受し、自らを
文明世界のグローパルス タンダードとしていた時代から、 「キリスト教がそもそ
も現代において何の役にたつのか 」という自聞を含め、他の文化・宗教との関係
を再構築せざるを得ない時代に入 ったのである 。
本稿では、今後の 「ヨーロ ッパ仏教 Jの役割と影響を見ていく上で、国家的枠
組みを越えた新しい社会システムの実験である E Uの動向についての考察を出発
点としつつ、 E U域内主要国の宗教事情 ・
教勢ならびにヨーロッパにおける仏教
受容の歴史を探り、本宗の対臥;開教戦略に資することをめざす。
l ヨーロ ッパの統合と多文化社会
ヨーロ ッパ連合の誕生
E Uの誕生は、独仏の緊密かつ周到な連携があ って実現した 。
ヨーロ ッノfでは、 1
9
7
0年代の経済危機による EC (
E
u
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o
p
e
a
nCommun
i
t
y
)の
停滞期を経た後、 1
9
8
5年、統合の遅れに対する危機感を抱くドロール臥;州委員
会委員長(仏)のリーダーシ ップによ って
、 1
9
9
2年までに域内市場統合の完成
を目指すという 「
域内統合市場白書 j が採択された 。その問、 1
9
9
0年に 当時の
ミッテラン仏大統領とコ ール独首相が、 E MU (経済通貨統合 Economica
nd
MonetaryUni
o
n
) を形成して政治統合まで実現するとの共同提案を行い、 1
9
91
年1
2月の E U創設を期する 「マーストリヒト合意 (
M
a
a
s
t
r
i
c
h
tAgreement)Jに
-2-
ヨーロッパ開教の課題と展望
開教の基礎的研究国際交流研究スタッフ岩
目次
はじめに
Iヨーロッパの統合と多文化社会
ヨーロッパ連合の誕生
人権と移民
聖俗分離と宗教多元化
青年の意識と宗教教育
I EUl:要因の宗教事情
I
フランス
ドイツ
イギリス
イタリアおよびスペイン
スウェーテーン
凹
ヨーロッパ仏教の概観
W
ヨーロッパ開教へのスタンス(私 案)
おわりに
田 斎 肇
i
4﹃
phV
Ei
唱
'EA
唱EA
i
弓
平成十四年度活動報告
平成十四年度行事報告
四月 一日
・新任研究員・研究助手への辞令伝達式
研究所)
(
μ
u
-第 一凶所内連絡会 (研究所)
・専任研究只会議(研究所)
四月八日
第 二回所内述絡会(研究所)
四月十五円
-浄上京大辞典 研究会(東京事務所)
・第 三回所内連絡会(研究所)
・国内開教研究会 (研究所)
-現代布教研究会(東京事務所)
四月l六
・各宗派教化関係研究機関述絡協議会
(
高阿川山東京別院)
四月十八日
・分室会議 (京郡分室 )
-葬祭仏教研究会 (研究所)
凶川 一
一
十
-第四回所内連絡会(研究所)
教化儀礼声明研究会l錫杖i (研究所)
四月 二十三日
・務祭仏教研究会 (研究所)
a
四月 一卜問口
・第 二回教団付置研究所聞の懇談会(東京市 V
務所)
-実践僧侶学講座(大正大学)
四月 三十日
国内閲教西本願寺合同研究会(東京事務所)
五月 二日
-第丘副所内連絡会(研究所)
・学術大会代ぷ者会議(例教大学)
五月八日
・実践僧侶学(大 正大学)
五月九H
u
4J
・第六刷所内連絡会(研究所)
研究所)
問内関数システム ﹂打ち合せ (
・﹁
五月十日
-現代布教研究会(研究所)
五川卜 一
日
・第仁問所内連絡会(研究所)
・伝承儀礼研究会(研究所)
札月卜五H
下
凶内問教委員会(東京事務所)
五月卜 ιハ
国内問教使座談会(東京事務所)
-典時間・版木古書籍調白(相原市 )
卜H
五川一 一
-同際交流の法礎的研究研究会
(東京事務所)
・浄土宗大辞典研究会(研究所)
-第八回所内連絡会(研究所)
・勾任研究員会議(研究所)
五月 二卜三日
教学高等講習会 ﹁
僧侶養成 ﹂(大本山僧上方)
五月二十四日
現代布教研究会(研究所)
五月 二卜七日
研究所)
-基本典籍研究会 (
第九回所内連絡会(研究所)
五月 二十八日
日常勤行式の現代語化研究会
(大本山曲川上寺)
・分室会議(京都分 宅)
五月 三十 一日
・浄土教比較論研究会(大本山増上寺)
六月 三日
基本典籍研究会(東京事務所)
・葬祭仏教研究会 (研究所)
-第卜同所内連絡会 (研究所)
μ会議(研究所)
専任研究
六月五日
実践僧侶学(大正大学)
六月六 円
・現代宗教 問題研究会
﹁
仏教NGOネ ットワーク ﹂打合せ
(研究所)
六月十日
・基本興籍研究会 (研究所)
ム
唱E
4
内
AA宮
-第十 一回所内連絡会(研究所)
・葬祭仏教研究会(東 爪
a 事務所)
・教化儀礼声明研究会(東京事務所)
六月十 二日
-葬祭仏教現地調査(御殿場大乗寺)
・英諮ホ lムペlジの 研究会(研究所)
六月十四日
-分室会議(分室)
六月十七日
・第十 二回所内連絡会(研究所)
六円十八日
・現代布教研究会 (研究所)
J
sl- トlt τ1
、
・浄t・
米大計典研究会(東京事務所)
六月 一
十四日
・第十 三回所内連絡会(研究所)
六月二十五日
-国際交流研究会(東京事務所)
葬祭仏教研究会(研究所)
、
し・現代布教研究会(研究所)
六月 二十九日
・仏教福祉シンポジウム
m
﹁アジアの仏教信紙﹂ (大本 山 上岸 )
ヒ月 一日
法本興裕研究会(研究所)
-匂任研究員会 議 (研究所)
第│問同 所内連絡会(研究所)
-現代宗教・社会問題研究会 (研究所)
仁丹 二日
・現代布教研究合同会 議 (研究所)
七月 三日
・現代布教研究合開会 議 (研究所 )
七月四日
-園内問教研究会 (研究所)
・日本語ホ lムぺlジの 研究会 (研究所)
仁月 六日
-仏教NGOシンポジウム(研究所)
ヒ月八日
ト﹂白川Lt
uu
・第十五回所内連絡会 (研究所)
・日本語ホ!ムペ 1ジの研究会(附究所)
八月十 二日
・第卜九問所内述絡会(研究所)
八月十八日 i二十七日
・北米関数区宗教事情調査(ロサンゼルス)
九月 二日
-第 二十回所内連絡会(研究所)
・現代布教研究会 (研究所)
九月 三円
-教尚子日付等講例会(岡山教区)
九日l十日
・総合 学術大会(悌教大学)
九月十 二日
・日本語ホ lムぺージ 研 究 会 (附究所)
九月十じ日
卜 一凶所内述絡(研究所)
第 一
九月 1 阿川
一
二卜二同所内述絡会 (研究所)
-第一
日本語ホ 1ムペ lジ研究会(研究所)
九月 二十七日
・現代布教研究 会 (研究所)
・伝ポ儀礼研究会l散権l (研究所)
-基本山内節研究会 (研究所)
九H a
1六日
九月 lH
-実践例悩 学(大正大学)
仁円 て十 二日
-第十六問所内連絡会(研究所)
・日本語ホ lムぺlジの 研究会 (研究所)
・海外開教研究会 (研究所)
ヒ月 二十九日
・第十七刷所内述絡会 (研究所 )
八月五 日
・ドヴ任研究此会議(研究所)
・第卜八回所内連絡会(研究所)
一
. 教比較論研究会(東京事務所)
-浄
仁
・第 -一
十三回所内連絡会(研究所)
-専任研究員研究会(研究所)
十月四円
・
日 本語ホ lムペ lジ研究会(研究所)
八月六日
-現代 布教研究会(研究所)
八月八日
-海外問教研究会(研究所)
巳d
噌EA
qL
1ト﹂司44
ト1 1
-同際交流研究会(東京事務所)
・第 二卜問問所内述絡会(研究所)
十月九日
・実践的僧侶学(大正大学)
卜月十日
現代布教研究会(研究所)
-教凶付位研修懇話会(天台宗宗務庁)
卜月ト五日
-第 卜五回所内連絡会(研究所)
一
十八日
十月一
・教化団 長会議(宗務庁)
・基本興籍研究会(東京事務所)
卜月 二卜 一日
・浄上教比 較論研究会(東京事務所)
・第 二十六回所内連絡会(研究所)
市守任研究員会議(研究所 )
・
・け本部 ホ 1ムへ 1ジ側究会(研究所)
・浄 土教比較論研究会(点庶事務所)
十月 二十三日
・実践的僧俗学(大正大学)
卜月 て十四日
・葬祭仏教研究会(研究所)
│月 二卜六日
・法然セミナー
﹁そう、だから法然2002﹂(読売ホ 1 ル)
十月二十八日
-基本典籍研究会(研究所)
ul
-第 卜仁田所内述絡会 (研究所)
一
一
μ会議(東京事務所)
任研究
・専
・分室会議(京都分室)
・伝承儀礼研究会l光 明 伽 陀i (研究所)
十 一円五日
・現代布教研究会(研究所)
卜 一月六円
-現代布教研究会(研究所)
・実践的問伯学(大正大学)
十一月十 一日
-浄土宗大辞典研究会(東京事務所)
内籍研究会(研究所)
・基本山
・第 │八阿所内述絡会(研究所)
卜五H
十.川卜 一
・バチカン諸宗教対話評議会訪問(ロ l7)
十 一丹十 二日
・現代布教研究会(研究所)
卜 一月十五日
-分室会議(﹂尽都分室)
卜 一 卜八日
一
土宗大静典研究会(東京事務所)
-浄川
・専任研究ぬ研究会(研究所)
-第 一十九問所内述絡会(研究所)
・日本語ホ 1ムペ!ジ研究会(研究所)
十 一円 二十円
・実践的僧侶学(大正大学)
十 一月二十二日
-現代術教研究会(研究所)
十 一月二十五日
・浄土宗大辞典研究会(東京事務所)
・第三十回所内連絡会(研究所)
卜二月二日
・第三十 一回所内連絡会 (研究所)
・専任研究員研究会(研究所)
十二月四日
・国際交流 研究会(東京事務所)
十二月五日
-伝承儀礼研究会i後伽陀i (研究所)
十二月六日
-現代布教印刷究会(研究所)
十二川九日
・浄土宗大政山内研究会(東京事務所)
・基本興籍研究会(研究所)
・第 三十 二回所内連絡会(研究所)
・海外開教研究会(研究所)
卜 月十日
一
宇
基本山内情附研究会(東京事務所)
・
│二月ト 一日
-実践的僧侶学(大正大学)
十二月十六日
-浄土宗大辞典研究会(東京事務所)
・日本語ホ lムペ lジ研究会(東京事務所)
・第 三卜三回所内連絡会(研究所)
・法本興絡研究会(研究所)
十二月十七日
・基本興絡研究会(研究所)
62
1
十 二月十九日
浄土宗大辞典研究会(東京事務所)
・
第 三十 七 回 所 内 連 絡 会 (
研 究所)
二月三日
-葬祭仏教研究会(研究所)
-国際交流研究会(東京事務所)
三月三日
-海外問教研究 会 (研究所)
三月・ハ日
・現代語化研 究 会 (研究所)
三月仁日
・現代布教研究会(研究忠
三月十日
・浄土宗大辞典研究会(研究所)
・第四十 一回所内連絡会(研究所)
・日本語ホ lムペ ージ研究会(東京事務所)
三月四日
・日本語ホ 1 ムぺlジ研究会(研究所)
・浄土宗大辞典研究会(東京事務所)
月十四 日
一
一
公開シンポジウム
・﹁インターネ yトと寺院﹂(噌上寺)
月十七日
第四 卜凶同所内述絡回(研究所)
三月 二卜じ日
-学術大会 代表宵委員会(東 LM
事務所)
n
・第四十 三問所内述絡凶(研究所)
三月 二卜問
・伝ポ儀礼研究会(研究所)
-現代語化研究会(研究所)
葬祭仏教研究会(研究所)
三月十仁日
・浄土教比較論プロジェクト 研究会
(東京事務所)
・第四卜 二回所内連絡会 (研究所)
三月卜 一日
・浄土宗大辞典研究会(研究芭
・現代語化研 究会(東京事務所)
・運営委員会(東京事務所)
-海外開教研 究会(東京事務所)
-現代語 化 研究会(研究所)
二月 二卜六日
4
・海外問教研究会(東京事務所)
呼任研究員研究会 (研究所)
一
川 二lnH
現 代 布 教 研 究 会 (研究所)
第 三十九回所内研究 会 (研究所)
て
H二十 附日
-浄土宗大辞典研究会(研究所)
・基本山
内絡研究会(研究所)
・第四十四所内連絡会(研究所)
一
一
・浄土宗大辞典研究 会 (研究所)
・基本興籍研 究 会 (研究所)
・現代布教研 究会(研究所)
現代布教研究会(研究所)
月十日
一
一第三十八回所内連絡会(研究所)
・分室会議(京都分室)
十 二月 二十日
・現 代 布 教 研 究 会 (研究所)
平成十 五年
一月六日
・基 本 興 籍 研 究 会 (研究所)
-第 三十四回所内連絡会(研究所)
・専任研究員会議(東京事務所)
一月十五日
・実践的僧侶学(大正大学)
一月 二十日
・浄土宗大辞典研究会(東京事務所)
・基本典籍研究会(研究所)
・宗門関係機関懇話会(東京事務所)
・現代布教研究会(東京事務所)
-第 卜五同所内連絡会(研究所)
一語ホ lムペ lジ研究会(研
・日一
本
究所)
一月 二十 一日
-基本山
内符現代布教研究 会 ( 研 究 所 )
一月 一一
イ二 日
・分室会議(京都分室)
一丹 二十四日
・浄光会新年総会(増上寺)
一月 二十七日
-浄土宗大辞典 研究会(東京事務所)
・第三十六回所内連絡会(研究所)
-現代布教研究会(研究所)
i
唱Eム
円ノ臼
弓
三月二十八日
葬祭仏教研究会(宗務庄
三月三十 一日
-現代布教研究会(研究所)
-第凶十五回所内連絡回(研究所)
・専任研究員研究会(研究所)
-128-
-129-
7
,
J.
'
.
講師・研究 7
東海林良 昌
!愛野匡文 郡 嶋 奈 威
成田勝美小田芳隆
加藤 良 光 石川一宣
山県是正紀高橋宏文
日下部匡信
佐藤良純佐々木良法
野 田 隆 生 石川到 党 落 合 崇 志 安 藤 和 彦 林 俊 光
後藤↑真也花木信徹
川副春海
(現代布教の検討)
唱Eム
qJ
u
ハ
→左頁から
研究プロジェクト
講師 ・研究スタ ッフ
① 浄土宗大 l特典の点検等
② A 浄 1: 宅 l~il 経
② B凹 卜八巻 (
1
0
、
② C 基本 gQ~fi ~訳
③ 浄土宗洋本策占
O
f
i
l
幸真宏松山吉和
④i
(
.
t京典籍・版木の 研究
橋本初子松永知海
① 葬祭仏教
⑥教 化 儀 礼 の 研 究
八百谷啓人南 JI~~ 信八尾敬俊
伝承儀礼研究
⑦現代布教の検討
池田常臣
麻上昌幸佐伯教導長尾拓応
松涛誠達
生聖子普一応庄田斎肇
⑧ 国内閲教
⑨海外 J
I
日教
⑩ 国際交流
松涛弘道
⑪ A新 しい宗教動向への対応
⑪ B生命倫 !
l
l!の諸問題
!術見宗(
言 藤 森M
t介
⑫ 仏教偏担l
⑬ 円本請 によるホームページ ~'ì:
⑪ 英語によるホームページ ~/H
⑮「教化研究 JI
総研議書 JI
研究成果」
⑮ 定期的情報プロジェクト
山日1
年 昭 佐 山 fj郎
⑪ 日常草~)U 式の現代訴化 に|刻する基礎 研究
⑬ A現代における宗教の役割研究会 (
C
O剛 0
5
)
⑬ B各宗派教化関係機関連絡協議会
⑬
c1
1
'
1
際宗教研究所(lISR)
⑬ D教団{、
l
凶研究所懇話会
⑩ 宗門関係研究所との述鴇協議
⑩ A法然上人 ;卜丘霊場研究
⑫ B法然上人民の調食研究
4﹄A
ム
4E
qtU
→左頁から
関徳子
曽恨宣雄
→右頁に続く
嘱託研究員
村川洋 一
山
き
I4
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柴1
1
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柴川奈 1
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点柄和人
子
恵
l
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事実江
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ワ ッツ
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1
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Jみ),J~ f,1
鷲見定信
fi~)I: 康 k1t
芳光
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制I
生}燦良文
1
柴田奈山
!資本条康
山中 勝道
熊井康雄
白木秀治
J
柴田奈山
".野降英
1
I
紫旧奈 1
子
:
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事実 i
米j
子
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事実 i
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典f
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信
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兄
結
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}:ð~f行
j斗),i~f首
丸典子
3
J
1
}~占),M首
L典子
J
I
I
I
首
KVM
t典子
川J
島Mi裕
h典子
.
l
:
l
I
佐藤良文
小沢 )ß.~Æ住
祁
有E
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→右頁に続く
→左頁から
研 究 プロジェク ト
①浄
研究員 (
左ページ よ り続き)
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宗大辞 w
の点検等
袖山栄 輝 石川琢 道 和 田 典 善 吉 田 淳 雄
②A
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浄土三部終
② Bp
q卜八巻(1:
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② C基本興絡英訳
③浄
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宗善本;弘 '
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④ 浄土宗典籍・版木の研究
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⑤ 葬祭仏教
⑤教化 儀礼の研究ー伝承儀礼研 究ー
⑦現代布教の検討
⑧ 囲内閲教
⑨海外開教
⑩ 国際交流
⑪ A新しい宗教動向への対応
⑪ B生命倫 l
1f!の諸問題
⑫ 仏教福祉
⑬1
I"f>:請によるホーム ページ 運営
⑬ 英語によるホームペー ジ運営
⑮ 「教化研究 Ji
総研叢占 Ji
研究成果 J
⑬定期的情報プロジェク ト
⑫l
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:'fÎ~ I{iJJ 行式の現代語 化 に |品l する jま礎附究
⑬ A現代における宗教の役割研究会印刷0
5)
⑬ B各宗
派教化関係機関連絡協議会
⑬ C国際宗教研究所 (
I
ISR)
⑬ D教団付置研究所懇話会
⑬ 宗門関係研究所との連機 協議
⑫ A法然上人二十五霊場研究
⑩ B法然上人民の調査研究
唱
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→左頁から
→右頁に続く
研究代表
研究副代表
研究主務
研究員
石上善日産
梶村昇
林田康iI頂
福西賢兆
石上善~
納山栄輝
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林国康1
伊藤唯真
告干俗昭
大蔵健司
西城宗隆
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戸松義 l
件谷昭
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唯真
伊藤 l
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福西 T
竹内真道
伊藤茂樹
斉藤舜健
普裕昭
大蔵健司-西城宗 隆
今岡達雄
武田道生
坂上典翁
福西賢兆
板上!Jl!翁
八木季生
英明
正村T
青輝
佐藤 H
後藤民法
斉藤隆尚
武田道生
戸松 義 時
水谷治志
和国典善
水谷浩志
武田道生
戸松義 "i~
田丸徳善
青
戸松義 H
武田道生
水谷浩志
石上普磨、
戸松義晴
石上善日産
武間道生
長谷川匡俊
坂上雅翁
上田千年
今岡達雄
斉藤隆尚
吉田淳雄
青
戸松義 H
石川琢道
大蔵健司
善日産
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福西賢兆
石上善感
福西賢兆
石上善~
武田道生
石
吉回淳雄
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→右頁に続く
研究課題
研究プロジェ ク卜
①冷土教比較論
浄土宗大辞典の点検等
A浄土三部経
1 浄土宗義と現代
②浄土宗 J
基本典籍の現代語化
B悶十八巻伝
C基本典籍英訳
③浄土宗善本;能書
④浄土宗典籍・版木の研究
2 現代葬祭仏教研究
3 伝道(布教教 化)の研究
①葬祭仏教
⑥教化儀礼の研究ー伝ぷ儀礼研究ー
⑦現代布教の検討
@国内閲教
4 問教の基礎的研究
⑨海外開教
⑩ 国際交流
5 現代宗教・
A新しい宗教動向への対応
⑪現代宗教・社会問題への対応
社会問題への対応
B生命倫理の諸問題
6 仏教福祉の研究
⑫仏教福祉
7 ホ
ーム
へ
。
ー γ教化情報提供
⑬ 日本語によるホーム ページ運営
⑪英語によるホーム ページ運営
8 編集
⑮「教化研究 JI
総州議書 JI
研究成果」
9 特別対策研究
⑬定期的情報プロジェク ト
⑪ 日常勤行式の現代語化に関する基礎研究
A現代における宗教の世割研究会(
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M
O
S)
⑬他教団と の交流
B各宗派
教化関係機関連絡協議会
C国際宗教研究所 (
I
ISR)
D教団付置研究所懇話会
⑮宗門関係研究所との連携協議
A法然上人一十五霊場研究
⑩大遠忌関連 プロジェク卜
B法然上人展の調査研究
唱
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マ教化研究十四号をお届けする 。
マ今回掲載の成果報告は開教の基礎的研究
株式会社共立社 印刷所
印刷所
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② 海外開教)研究成果報告水谷浩志研究
員の報告を掲載する 。
マ研究ノ l卜は浄土宗基本典絡の現代語化
行
~
﹁凶十八巻伝﹄を記載し
仏説阿弥陀経﹄
の﹃
た、研究概要でも記載のとおり皆緩からの
ご意見を頂戴できれば幸いである 。
マその他の研究については、研究継続中の
ものも含め、それぞれの概要・研究経過等
を ﹁
研究活動報告﹂に記載した 。
マなお前年度より本誌はコンピュータによ
yプパブリ yシングシステム
人
石 上 善 磨 、
光行
平成 15年 7月 15日
るディスクト
研
成果報告﹂ ﹁
により作成を行い、本誌の ﹁
﹂は研究所ホ l ムペlジにも同
究活動報﹄ n
時掲載を行 っておりインターネ y卜烈境で
も閲覧が可能である 。又データは研究所内
にデジタルデータとして保存されるように
(大)
な った。
4号
教化研究第1
発行浄土宗総合研究所
集・
編
屯話 (03)5472・6571(代去) FAX(03)3438-4033
4PA
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No.14.2003
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JODOSHURESEARCHINSTITUTE
(JδdoShロSδgoKenkyujo)
TOKYO
,JAPAN