﹃木を植えた人々 !! ﹄﹄﹄﹄﹄

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西に中央アルプスを望みながら、森林塾 20 年目の植林
編集 早川清志
題字 島﨑洋路
89
ことであると知る人は誰も
いませんでした。
実はこの物語はフィク
ションらしいのですが、誰で
も、人知れず、一人だけでも
素晴らしい奇跡を起こすこ
助っ人で来てくださった「キノコの会」の皆さん、大活躍でした
をすべて棒に振っ
たことさえありま
した。
一方日本では、
建築用や紙の材料
の木材は、大半を
輸入に頼り、燃料
用としては石油や
天然ガスをこれま
た輸入し、薪や炭
の使用量も多くな
いので、幸か不幸
か森林面積は僅か
ながらずつ増えて
ます。今回は資
は限られてい
林をする場所
ませんので、植
とんどしてい
いうことをほ
まです。
など一部の地域を除いて森
材 の 値 段 は 安 値 安 定 し て 林の木をすべて切る、皆伐と
国なのですが、間伐などの手 となっています。
入 れ は 残 念 な が ら 滞 っ た ま さて現在の日本では、九州
植え尽くして、世界でも稀に ことが間伐意欲を低下させ、
見る人工林の森林率を誇る 手入れを停滞させる悪循環
います。先人たちの努力で植 しまい、間伐をして材を出し
え ら れ そ う な と こ ろ は 大 方 てもなかなか合わない。その
地元だからまた成長を見に来られますね
地元の﹁キノコ
助っ人である
主、遠藤さんの
た。将来の山
てもらいまし
に植林をさせ
けた後の更地
に、小屋を片付
林に戻すため
たところを山
材置き場だっ
地面が硬いところもあるが
﹃木を植えた人々
!!
20
発行
KOA 森林塾
(事務局)
℡ 0265-70-7065
とができる、というジオノの
た。 世紀の初頭から、近く
通通通通通年年年年年コココココーーーーーススススス第第第第第一一一一一回回回回回開開開開開催催催催催報報報報報告告告告告 ﹁﹁﹁﹁﹁植植植植植林林林林林﹂﹂﹂﹂﹂
思いに異を唱える方はいな
の荒地にドングリの種を蒔
いでしょう。
き始め、 二度の世界大戦の
世界の森林面積はおもに
最中も休むことなく、 歳
1953年に発表された ビCMで流れたこともあり で亡くなるまでの三十数年 発展途上国において、 過放
牧、過伐採による砂漠化など
ジャン・ジオノ原作の﹃木を ます。
間、ずっとドングリや、さら
植えた男﹄は多くの方がご存 こ の 主 人 公 は フ ラ ン ス の に は シ ラ カ バ な ど を 植 え 続 で、毎年毎年減少しつつあり
知の物語だと思います。フレ プ ロ バ ン ス 地 方 に 住 む エ ル け た の で し た 。 い つ し か 荒 ます。そして砂漠化した荒地
デ リ ッ ク ・ バ ッ ク の 印 象 深 ゼアール・ブフィエ。羊飼い 地 は 小 川 が 流 れ 、 小 鳥 が 飛 を も と の 森 林 に 戻 す の は 実
い色鉛筆による絵で、絵本や の 老 人 で 、 妻 と 子 供 を な く び 交 う 広 大 な 森 と な っ た の は大変困難なことで、羊飼い
アニメにもなっていて、テレ し 、 一 人 で 暮 ら し て い ま し で し た が 、 そ れ が 彼 の し た のブフィエも、一年間の努力
森 林 塾 通 信
平成 2 5 年度( 2 0 1 3 ) 第 1 号 5 月 9 日( 1 )
の会﹂の皆さんも含 いますが、と
年後に
分分分分分 車 に 分 乗 し て 今
栽終了。お疲れ様でした。
遠藤さんの用意してくだ
時時時時時
日の植栽現場、伊那市富
おなか一杯ご馳走様。
さった焼肉に舌鼓を打つ。
県に向かう
時時時時時 分分分分分 現 場 到 着 。 薄 曇
うのに肌寒い。若葉寒と
べよくしゃべり、よく笑
りで4月の終わりだとい 今 年 の 皆 さ ん は よ く 食
いうのかな。
う
時時時時時
分分分分分 山 小 屋 に 戻 り 解
る方が現れることでしょ
チェーンソーが欲しくな
らう。そのうちにマイ・
チェーンソーを見せても
や、ショールームの各種
ました。薪割り機の実演
今日はセールをやってい
「いつ買うの?」「今ですよ、今!!」
め、ブフィエの裔の めどなく数を
﹃木を植えた人々﹄ 十 増 や し て い る
数名での植林でした。 鹿 た ち に 通 用
300坪の更地に、 す る の か ど う
お花見もしたい、薪も か 、 後 の 対 策
欲しい、できればキノ は 山 主 さ ん た
コが出るといいなな ちにお任せで
ど と い う 欲 張 っ た 考 す。そして、下
えのもと選んだ、コナ 草 刈 り や 間 伐
ラ、ヤマザクラ、ブナ、 な ど の 手 入 れ
年
アカマツの4種類合 もきっちりで
林 で 、 皆 さ ん ほ と ん 後、
わ せ て 4 0 0 本 の 植 きれば、
ど休憩もとらずにど は素晴らしい
んどん植えて、 予定 針広混交林森
ことでしょう
よりずっと早いお昼 が出来ている
前の終了でした。
全 国 各 地 、 同 じ 悩 通年コース第
は8人で、 自己紹介をし
年度の1年目の塾生の方
時時時時時 分分分分
分 山小屋に集合。今
み を 抱 え て い る 所 は 1回
たくさんありますが、 4月 日日日日
日︵土︶
植林
鹿の食害が特にこの
地域は頻繁に起こっ
ています。事前に植
栽場所周辺には進入
う楽しい皆さんです
時 分分分分
分 すぐ隣の、森林塾
時時時時
などで間伐の実践で使わ
を購入予定の遠藤さん一
山主の山崎さん、山林
行と合流。遠藤さんに山
林に対する将来の夢など
で硬いところもあり、 そ
を話してもらう
時時時時時 分分分分分 植 林 開 始 。 更 地
んなところは山主さんが
重機で植え穴を掘ってく
れました
時時時時時 ﹁﹁﹁﹁﹁キノコの会﹂の奥様
方の奮闘もあり、予想よ
中川さん、中村さん、原さ
さん﹁キノコの会﹂の皆さ
ノキとサワラの区別、覚
ん
えましたか
時時時時時 分 乗 し て 山 仕 事 の 道 講師、スタッフ/早川、川島、
ん、 守屋さん
をした現場です。ついで
に針葉樹の樹木分類。ヒ 山主の山崎さんと遠藤
らず、苦労して人力搬出
急傾斜地なので機械が入
散
せてもらった遠藤さんの
山林を見学する。ここは 参加者/井澤さん、金児さ
ん、寿永さん、滝川さん、
30
ていただきました。 今年
は県内の方が多く、 一番
遠くからは新潟県の中川
さん。ありがとうござい
ます。
講師、イントラのあいさ
つとオリエンテーリング。
今日は信越放送のテレビ
クルーの取材があり、 塾
生の皆さんの了承をいた
だく。
島﨑先生も顔を出し、あ
りもかなり早い時間に植
10
10
いさつをしてくださいま
した 15
薪割り機の実演もありました。一台欲しいなあ!!
13
松岡
具を扱っているミズホ鋼
機 さ ん の 見 学 。 た ま た ま 取材/ S B C の 取 材 ク ル ー
14
20
27
30
15
50
20
8
9
9
10
12
今年は通年コースにご参加
近々東濃ヒノキの本場に引っ越すとか
禁止ロープを張って
鹿道を通って間伐後の山林見学
平成 2 5 年度( 2 0 1 3 ) 第 1 号 5 月 9 日( 2 )
森 林 塾 通 信
﹁ソメイヨシノの災難
の部分だけ小さな葉が開き、
エデ一族を名乗っ
ません。
﹁あんた、カ
うが ﹂とつい意見
りするのは、熟れた
です。それがはっき
サクラ属の一員なの
クラはれっきとした
即ち、ウワミズザ
はありません。
これは本人の責任で
したくなりますが、
!!
持つクローンです。自家不和 びます。
ちゃいけないでしょ
合 性 が 強 く 、 サ ク ラ ン ボ は サクラは﹁桜切る馬鹿、梅 見た目を著しく損ねます。葉
生 っ て も 種 で 増 え る こ と は 切らぬ馬鹿﹂といわれるよう 裏から胞子を飛ばし始め、こ
、切り口から腐朽菌が侵入 の枝は二、三年で枯死します
に
ほとんどありません。
毎 年 毎 年 こ の 時 期 に 民 間 しやすいなど、一般的には病 が、やがて樹全体に広がり、
気象予報業者 2
( 010年ま 気や害虫に弱い。また、谷筋 徐 々 に 樹 勢 を 衰 え さ せ る こ
では気象庁︶が発表する桜の や湿地は苦手で、根から入っ とになります。今のところ薬
開花予想︵桜前線︶は、全国 た 腐 朽 菌 に や ら れ て 幹 が 空 剤 に よ る 予 防 ま た は 治 療 方
各 地 の ソ メ イ ヨ シ ノ の 開 花 洞 に な っ た 桜 を よ く 見 か け 法は確立しておらず、葉が開
時期を予想するものですが、 ます。なかでもソメイヨシノ く前に巣病部を切除し、焼却
同 じ 場 所 に 植 え ら れ て い る は特に病弱で、霧の発生する する方法が一般的です。早期
ウワミズザクラの総状花
日本を代表する桜、ソメイ つ ク ロ ー ン の 特 徴 を 利 用 し け ら れ た ソ メ イ ヨ シ ノ の 多 状は治まるということです。
くは﹁幹心材腐朽病﹂
、
﹁こぶ もちろん切除痕への殺菌、防
ヨ シ ノ は オ オ シ マ ザ ク ラ を た予想でもあるのです。
父とし、エドヒガンを母とし ﹁佳人薄命﹂ という諺にも 病﹂﹁てんぐ巣病﹂ などにと 腐剤塗布は欠かせません。
前述した工場のソメイヨ
て、江戸時代の終わり頃、江 ある通り、この桜は樹全体に りつかれています。
がイメージしている桜の花 新潟県ではこの花の蕾を
まって咲いている、上を見な は、こんな強烈な桜の香は出
と似ても似つかない。おまけ 軸 ご と 塩 漬 け に し た も の を
ミ ズ ザ ク ラ の 花 は わ れ わ れ 目躍如です。
由 来 に こ ん な 説 が あ る ウ ワ く疑いが晴れ、サクラ属の面
ければ桜なんだが⋮。名前の せません。秋になってようや
うで、小さい花が房状にかた せん。他の桜のさくらんぼで
上向きの試験管ブラシのよ は桜以外の何者でもありま
戸染井村︵現在の東京都豊島 大きな花をつけ、満開の後、 以前、飯田市の関連工場か シ ノ は す で に 何 年 か 前 か ら
区︶で生まれたそうです。当 短 期 間 の う ち に 一 斉 に 散 っ ら、桜が﹁てんぐ巣病﹂にか 罹患しているらしく、治療痕
時 は 吉 野 桜 と い う 名 だ っ た てしまうという、まことに日 かってるので見てほしい、と もみられましたが、重症のも
のですが、吉野山のヤマザク 本人好みの桜です。そして、 いう依頼を受け、行ってみま のもあり、荒療治が必要であ
に ソ メ イ ヨ シ ノ が 散 っ て か ﹁杏仁子︵あんにんご︶
﹂とい
ら半月ほど後の、誰もが桜に い、お茶受けや咳止めの民間
という本には、芳香雅味で酒
関心が薄れたころ咲くので、 薬 と し て 使 っ て い る そ う で
実 は 隅 田 川 沿 い や ポ ト いる向きもあります。
マック河畔は、この桜にとっ カエデの名前の由来は﹁蛙 が す す む 、 と 書 い て あ り ま
て そ ん な に 好 き な 場 所 で は の手:かえるで﹂が短くなっ す。
千 年 と るところ。風通しも悪く、ソ 植 え ら れ た 全 国 各 地 の 桜 の すが、この弁によるとカエデ ﹁ヤマザクラとは
」
シノであり、いずれの名所で いなければいけませんが、丸 ヤ マ ザ ク ラ と い う 種
言 い 伝 メ イ ヨ シ ノ に と っ て 苦 手 な 名所も、ほとんどがソメイヨ の 葉 は い く つ か に 分 列 し て
え ら れ 場所だったのです。
い ﹁てんぐ巣病﹂は真菌類︵カ もこの病気と、寿命に悩まさ い 葉 っ ぱ の カ エ デ が あ り ま ︵しゅ︶があります。学名も、
名をマルバカエ
﹂﹂﹂﹂﹂ デといって卵形
も美しいため秋田県の角館
外皮はサクラのなかでは最
て 、 こ ビ、キノコの仲間︶のタフリ れていると聞きます。
の葉っぱは切れ
jamasakura
とい
す。ヒトツバカエデ、またの
Prunus
い、吉野のサクラで有名で、
わ も の るホルモン異常で、巣病部は ﹁ な ん の お の れ が 桜 か な
も 時 に 鳥の巣状に極端に分枝し、花 では樺細工︵刀の鞘や茶筒な
んなつ ナ菌によって引き起こされ
聞 き 及 芽がつきません。開花時にそ 木 肌 を 見 れ ば 桜 の 仲 間 に 込みが全くあり
!!
て
?!
は 樹 齢 秋 か ら 冬 は よ く 霧 が 発 生 す なかったのです。数十年前に て、という有力な説がありま
花の咲かない部分は「てんぐ巣病」
りで、日本中の、いや世界中 巨樹、古木があるにもかかわ 花 見 に 訪 れ る と い う 桜 で す
の ソ メ イ ヨ シ ノ は す べ て 接 らず、です。伊那市の隣、箕 が、いずれも﹁てんぐ巣病﹂
ぎ木で増えた、同じ遺伝子を 輪町中曽根の権現桜は、町の にかかっていました。工場は
資 料 で 河川敷横に建てられており、
花 の 咲 か な い 桜 と 見 ら れ て す。
﹁大日本有用樹木効用編﹂
見 上 げ る と 咲 い て い る 花 は 酒を作ったときです。この香
咲く、という同じ遺伝子を持 い 火 山 灰 土 壌 な ど に 植 え つ 年繰り返し、とりあえずの症 違いない、と思うのに、上を 小 ぶ り な さ く ら ん ぼ で 果 実
﹂﹂﹂﹂﹂ ソ メ イ ヨ シ ノ は 同 じ 時 期 に ような川沿いや、水はけの悪 に発見すれば、これを二、三
!!
ラと混同を避けるために、1 樹 自 体 の 寿 命 も 一 般 に は 六 した。工場前の駐車場にはソ る こ と を 担 当 の 方 に お 伝 え
9 0 0 年 に ソ メ イ ヨ シ ノ と 十 年 程 度 と い わ れ る ほ ど 薄 メイヨシノが8本、工場設立 しました。結局このソメイヨ
改められました。染井村の植 命なのです。母親のエドヒガ 以来植えられており、時期の シノはすべて切られ、別の広
木 屋 が 作 っ た 一 本 が は じ ま ンは全国に三百年、四百年の 休みの日には、近くの方もお 葉 樹 に 取 っ て 代 わ ら れ て し
まいました。
森 林 塾 通 信
平成 2 5 年度( 2 0 1 3 ) 第 1 号 5 月 9 日( 3 )
行かなくてはと思っている
ところです。大きな木は眺め
ているだけで威厳があると
いうか癒されますね。
東北の白神山地に一度は
行ってみたいし、北海道の山
︵大雪山とか利尻山︶ にも是
非、挑戦してみたいと思って
m︶山麓にも大木があると聞 の 大 芝 高 原 の 森 ︵ セ ラ ピ ー
央アルプス経ヶ岳︵2296 め に も で き る だ け 毎 日 近 く
と知りました。私の地元の中 いる今日この頃です。そのた
た。3日間で貴重な体験はさ の御神輿、敬老会、そば打ち い っ て い る ︶ 山 頂 付 近 に は
せてもらいましたが、なにし 講 習 会 ま で 盛 り だ く さ ん で りっぱな大木もあります。 ろ 覚 え が 悪 い の と 時 間 に 少 す。選手集めからイベントの 雑 誌 で 中 央 ア ル プ ス 黒 沢
山近くにもブナの林がある
ど︶の材料です。葉っぱは花 自分の好きな山歩き、きの 最 近 は 年 の せ い か 木 や 植 物 に は い か な い 次 第 で あ り ま コ ー ス の 一 部 に き れ い な ブ
と同時に出てきますが、これ こ採り、渓流釣り、ゴルフ三 に興味が湧き、そんなことか す。地区の公民館活動といっ ナ林がありました。駒ヶ根市
は桜餅に使われます。また、
昧
を
夢
見
て
い
た
が
、
い
ざ
退
職
ら昨年、森林塾の集中コース て も 村 主 催 ・ 地 区 主 催 の 各 の戸倉山︵私たちは富士山に
に参加させていただきまし 種スポーツ大会からお祭り 似 て い る の で 伊 那 富 士 と
材は建築材、家具、建具のほ してみると⋮。契約社員とし
か、器具や版木などにも利用 て あ と 何 年 か 勤 め る こ と は
される有用樹種です。広重や 可能であったが、還暦を機に
写楽の時代の版木は、産地で こ の 3 月 い っ ぱ い で 年 間
値段が違ったとか。
勤
め
た
会
社
を
定
年
退
職
し
ま
し は 余 裕 が 持 て る よ う に 準備・開催となにかと大変
さてややこしいのは、これ した。
なったこと、もう少し深くい で す が こ れ が 田 舎 の い い と
に カ ス ミ ザ ク ラ や オ オ シ マ 私は、KOAさんのすぐ近 ろ ん な こ と を 勉 強 し た い と こ ろ で も あ る の で 頑 張 っ て
ザクラを加えてヤマザクラ くの南箕輪村出身で現在も 思い今年は通年コースに参 やるしかないと思っていま
い た の で た ず ね て 見 た い と ロード︶をウォーキングする 思っているところです。経ヶ ことも目標の一つです。
岳はちょうど島崎先生の山 今年は通年コースでよろ
荘 か ら 北 方 向 に 見 え る 山 で しくお願いします。
登 山 の 対 象 と し て は こ れ と ◆おわりに◆
り 活 動 も し て い こ う と 思 っ い っ た 見 所 は あ ま り あ り ま 今年の春の寒さは異常で、
ています。1つは﹁大泉川を せんが、頂上付近から見る伊 連 休 後 半 に 霜 が 降 り て 氷 が
きれいにする会﹂︵天竜川の 那 谷 と 南 ア ル プ ス の 景 色 は 張り、畑に植えた胡瓜の苗が
支 流 で 地 区 を 流 れ る 小 さ な すばらしいものです。ところ 全滅してしまいました。連休
で私たちの村の中学校では 中の長野県内は山岳遭難が
という言い方もあり、木工を 同村に住んでいます。会社勤 加 さ せ て い た だ く こ と に な す。
される方は、ウワミズザクラ め 時 代 は 単 身 赴 任 等 も 含 め りました。
それでも勤めていた頃と
もヤマザクラだ、と言い切り 長 野 県 内 各 地 の 事 業 所 を ま さ あ こ れ か ら は 森 林 塾 に 比 べ る と 時 間 は あ る 程 度 あ
ます あ
( る一部かな 。
) も っ わっていました。
通 い な が ら 山 登 り や ゴ ル フ るので、地域のボランティア
グループやサークルにも入
と大雑把に山に生えてりゃ もともと山や森が好きで と今まで出来なかった︵い
ヤマザクラ、里には当然サト 二 十 代 の こ ろ は 赴 任 先 で 町 や 、 し な か っ た ︶ 畑 仕 事 も
ザクラ︵こんな種はありませ の山岳会に入り、登山に熱中 し っ か り や ろ う と 思 っ て い
ん︶と言い切る向きもあるよ していた時期もあり、海外へ た 矢 先 に 地 区 役 員 か ら 電 話
うで、まぁ、これも一理あり ト レ ッ キ ン グ に 行 っ た り し がありました。なにせ田舎な
昔から毎年、経ヶ岳競歩大会 相次ぎ、また咲いたばかりの
というのがあり全校生徒が 花芽をやられて果樹被害も
挑戦します。早い生徒はふも 相当なものだそうです。
との大芝高原から頂上︵実際 今日あたり、ようやく5月
の活動 はしていない が︶。 こ は8合目︶までほとんど走っ ら し い 暖 か な 一 日 で 一 息 つ
ちらは桧、赤松、コナラ等の て ︵ た ぶ ん そ う だ と 思 い ま いた気がしました。
分弱で行くそう 今 年 も 一 年 よ ろ し く お 願
携帯:090-4463-0062(開催日)
URL http://www.koanet.co.jp
高 原 に 自 生 す る 自 然 植 物 の す︶1時間
問、 ご 要 望 、 事 務 局 ま で 。
42
ますし、困ることもそんなに たこともあります。今でも年 もので、退職したと察知され 川︶で土手の草刈や伐採、桜
はありません。でもまがい物
に
数
回
は
近
く
の
山
に
登
っ
て
る
や否や、地区の公民館の役 の植樹等の活動。もう1つは
A A
の ヤ マ ザ ク ラ の 葉 っ ぱ で います。昔は本当に登ること 員
を や っ て ほ し い と 依 頼 が 地元の大芝高原での﹁親林自
作 っ た 桜 餅 は 食 べ た く な い だ け で 森 や キ ノ コ や 山 菜 は あり、受ける羽目になってし 然保護の会﹂での活動︵まだ
なあ。あ、皆さん桜餅の桜の あ ま り 目 に 入 ら な か っ た が まいました。当初の思惑通り 入 会 し た ば か り で 私 は 実 際
原 義勝
葉っぱは剥いて捨てます
定年退職したら
か?
投稿大歓迎。ご意見、ご質
保護育成︵特にササユリの保 です。私も 数年前中学生の いします。
護育成・増殖︶のため草刈等 時 に 参 加 し た こ と は 覚 え て を行い自然豊かな環境を後 いますが、ゆっくり歩いて
がします。私も足は丈夫な方
世に残していこうというも やっと登頂できたような気
のです。
ここ伊那谷、特に上伊那地 で す が そ の タ イ ム は 信 じ ら
方 に は 広 葉 樹 の 森 が 少 な く れません。
てブナ林はあまり多くあり 大木といえば中央アルプ
ませんが、何年か前に伊那市 ス 権 兵 衛 峠 に は 何 回 も 行 っ
主 催 で 行 っ た 入 笠 山 ∼ 鹿 嶺 ているのに、峠のジャンボ唐
高 原 ト レ ッ キ ン グ 大 会 の 松は見たことがありません。
TEL 0265-70-7065
FAX 0265-70-7994
E-mail:
mi-matsuoka@koanet.co.jp
ki-hayakawa@koanet.co.jp
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平成 2 5 年度( 2 0 1 3 ) 第 1 号 5 月 9 日( 4 )
森 林 塾 通 信