リレーエッセイ け 込 み 乗 車 の 私 を、 じ ろ り と 見 上 げ て、 すぐに本に顔を戻した。教師、あるいは 混雑しないかわりに、乗り継ぎに時間 鮮やかに覚えている。 がかかった。当時、京王相模原線も小田 いときでも十五分くらい待たないと次の 図書館司書か。いずれにしても、こわそ 電 車 が 来 な か っ た。 朝 は さ ほ ど で も な 校風が肌に合わなくて、学校がきらい だったから、毎朝、途中下車したくてた 文・井上荒野 Areno INOUE 東京生まれ。1989 年「わたしのヌレエフ」で 第 1 回フェミナ賞を受賞し、デビュー。2004 『 切 羽 へ 』 で 第 139 回 直 木 賞、11 年『 そ こ 年『潤一』で第 11 回島清恋愛文学賞、08 年 『あなたがうまれたひ』など絵本の翻訳も手 へ行くな』で第 6 回中央公論文芸賞を受賞。 掛けている。最新刊に『だれかの木琴』 (幻 て、私は今ここにいる。 錯 覚 が い つ も あ っ た。 そ ん な 時 代 を 経 やると、電車が逆方向へ走り出すような やってきた電車に乗り込み窓の外に目を からない、途方に暮れた靄の中。やっと にいるのか、どこへ向かっているのかわ メージがまといついている。自分がどこ 通 学 時 間 に は、 白 っ ぽ い 靄 の よ う な イ いつも空いていたこともあって、あの ケープだった。 い て 時 間 を 潰 す だ け の、 情 け な い エ ス 町をあてもなく歩き、公園でお弁当を開 気もない子供だったから、ただ見知らぬ を観にいくとか、喫茶店に入るとかの勇 学校をさぼったことが何回かある。映画 ま ら な か っ た。 実 際、 降 り て し ま っ て、 冬舎)がある。 撮影/三原久明 第三十四回 白い通学時間 高校生のとき、電車で一時間半ほどか けて通学していた。 東京調布市の自宅から、町田市にある あ る と き、 駆 け 込 み が 間 に 合 わ な く 急多摩線も、本数が少なかったので、短 て、しまりかけたドアに通学鞄だけをか うな人だと思っていた。 まで出れば一本だったが、朝の通勤ラッ 私立校まで。バスを使って小田急線の駅 シュを避けて大回りしていた。京王相模 げ、日記とも小説ともつかないものをち かったが、下校時には連絡が悪いと三十 まちまと書いていた。アメリカンコミッ ろうじて挟んで、発車を遅らせてしまっ えれば、同じタイミングで車掌さんがド クの﹁スーパーマン﹂の絵柄を表紙にし 原線、小田急多摩線、小田急線の三本乗 下りなので、はじめの二本は朝の通学 ア を 開 け て く れ た の か も し れ な い が ︶、 た大判のノートで、中身を読み返すのに 分以上待つこともあった。そんなときに 時 間 で も が ら が ら だ っ た。 同 じ 車 両 に 私 の 体 を 車 内 に 引 っ ぱ り 込 ん で く れ た。 はホームのベンチに座ってノートを広 乗っている人たちの顔を全員覚えられる どうもありがとうございます。はじめて たことがあった。そのとき彼女が席を立 ほどだった。その中のひとりに、現在の は多大な勇気が必要だけれど、今も捨て ち、両手でドアをぐぐっと開いて︵今考 私くらい、つまり五十歳くらいの女性が 彼女と言葉を交わした。そのあとすぐに り継ぎ。 いた。太っていて、眼鏡で、地味だがこ う車内放送が流れると、私を見てふふっ ﹁無理なご乗車はおやめください﹂とい られずとってある。 だわりがありそうな服を着ていて、いつ と悪戯っぽく笑った彼女の顔を、奇妙に も本を読んでいた。私が最初に乗る電車 に彼女はすでに乗っていて、たいてい駆 イラスト・岡林玲 28 MINTETSU SPRING 2012
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