西武線と私 - mintetsu.or.jp

第二十七回
リレーエッセイ
西武線と私
電車と言うと、私には忘れられない光
景 が あ り ま す。 私 が 五 歳 頃 の 出 来 事 で
す。冬の初めの柔らかな日差しが電車の
窓いっぱいに広がり、その眩しさに目を
細める私がいます。その隣には父と女の
ら し で し た が、 母 が 来 た こ と に よ っ て、
今の母です。それまで父と祖母の三人暮
私の父は時代小説家の藤沢周平と言い
ます。その時の女の人が、父が再婚した
のでした。
のまま、二人の間に割って入り、座った
ニコッと頬笑み、それを見て私は仏頂面
て行きました。そのうち、その人が私に
しながら、電車はいくつかの駅を通過し
父の後ろに隠れる。そんなことを繰り返
しに、その女の人を見ては、目が合うと
を肌で感じることができました。
自然が周りにたくさんあって、日々季節
に持ち帰り、
母に料理してもらいました。
りを作ったり、春には土筆を見つけて家
案を考えている間、シロツメクサで首飾
だった父にくっついて行き、父が小説の
は 河 原 が 続 い て い ま し た。 散 歩 の 好 き
は楽しんでいました。駅に向かう途中に
な林があり、父は飛んでくる野鳥を見て
久留米は緑がとても多く、家の前に大き
幼い頃を清瀬で過ごし、その後小学生
になって東久留米へ引っ越しました。東
りな女の子に育ちました。
のトンネルができました。
道のりは両側に桜の木があり、春には桜
その後移り住んだ大泉学園もまた、緑
が多く、駅から家までの三十分ぐらいの
立っているのもやっとでしたが⋮⋮。
た。帰りの電車はもちろん、
疲れきって、
の揺れなどなんのそのという気分でし
は父の足にしっかりしがみついて、電車
大人に押しつぶされても、この時ばかり
﹁ 展 子、 動 物 園 で も 行 く か ﹂ と 言 う 父
の 声 を 今 で も は っ き り と 覚 え て い ま す。
人が座っていました。しばらく父の肩越
我が家の生活は明るいものになりまし
父 の 作 品 に は﹃ 山 桜 ﹄ や﹃ 花 の あ と ﹄
に連れて行ってくれたので、電車に乗る
た。仏頂面で、あまりおしゃべりが上手
私が小さい頃には父はよく上野動物園
のは楽しいことでした。
ではなかった私も母を相手に、おしゃべ
文・遠藤展子
Nobuko ENDO
エッセイスト。1963 年東京生まれ。時代小説作
家・藤沢周平(本名・小菅留治)の一人娘。著
書に『藤沢周平 父の周辺』
『父・藤沢周平との
暮し』
。現在、山形県鶴岡市に建設される「鶴岡
市立 藤沢周平記念館」開設に向けての準備等、
父・藤沢周平に関わる仕事に携わっている。
さん乗せて今日も走り続けるのです。
た。西武線は私たち家族の思い出をたく
に大泉学園で六十九年の生涯を閉じまし
かったのだと思います。父は、十二年前
そういったことは全て、父の影響が大き
相 手 ま で 西 武 線 沿 線 で 育 っ た 人 で し た。
た。生まれた時も、学校も就職も、結婚
とんどを、西武線沿線で過ごして来まし
りました。考えてみると、私も人生のほ
いました。父の半生は西武線とともにあ
残っている風景を父はとても気に入って
東北生まれの父が、上京して最初に住
ん だ の が 西 武 線 沿 線 で し た。 緑 や 畑 が
考えたりします。
ヒントになったのではないかと、ふっと
が、この桜のトンネルが散歩好きの父の
など桜の花がたびたび出てくるのです
イラスト・岡林玲生
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MINTETSU WINTER 2010