朝の15分があなたを変える。 心のごはん 2012年 3月号 Iコリント5章∼ガラテヤ6章 きょうのメニュー:Iコリント5章 『自我のお葬式』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月1日(木)Iコリント5:7「古いパン種を取り除きなさい」 聖書はいいことも悪いことも隠さず記しています。コリントの教会は道徳的に腐敗・ 堕落していました。パウロはこれに対し、怒りと悲しみの警告をしています。教会とい うのは、外側の問題でダメになるのではなく、内側の腐敗や堕落がダメにするのです。 だからパウロは「古いパン種を取り除きなさい」と命じています。 「古いパン種」とは、 古い自分の性質です。古き自我のお葬式です。どこまでも自分の肉の力に頼ろうとする 思いです。また「新しい粉のかたまり」とは、イエス・キリストによる新しい恵みの世 界、恩寵の世界です。 「古い性質」から「新しい性質」に変化するには、古い殻を打破す る必要があります。昆虫も同じです。トンボの幼虫はヤゴですが、トンボに成長するに は脱皮が必要です。蝶も脱皮して大きくなります。ところで、脱皮するとは、自我に死 ぬことを意味します。例えば、神学校を英語で「セミナリ−」といいますが、これはラ テン語の「セ−メン」 (種)から来ていると言われます。種がいつまでもガンバッテいる 間は種です。でも一粒の種の殻が破られ、砕かれ、自我に死ぬときに実を結びます。ク リスチャンの成長の秘訣がそこにあるようです。もう古い自我のお葬式は済んでいるで しょうか。 ◎ヨハネによる福音書12:24を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント6章 『自己管理の徹底』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月2日(金)Iコリント6:20「自分のからだ」 ここにも「教会内の道徳的無秩序」が記されています。具体的には、 「信者間の訴訟の 問題」 (1−8) 「肉欲に対する警告」 (9∼20)です。私たちのからだは代価を払って 買い取られたのだから、自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい、と聖書は教え ています。命は神さまのものですが、自分でも気をつけていることがあります。最近私 は高血圧です。高血圧はサイレント・キラーだそうです。上が約140以上、下が90 です。牧師はどうしても、静まって祈りとみことばを励み、デスクワークが多いので、 運動不足になりがちです。主治医からは、間食をして太ると血圧が高くなるから、運動 療法をするように言われています。もちろん、塩分を控えるという食事療法はいうまで もありませんが。午前中はデスクワーク、午後は散歩や温泉でリハビリをするようにし ています。今の自分にとって、散歩も温泉も仕事のうちです。 (周りから見ると、遊んで いるように見えるでしょうが)NHKラジオ「健康ライフ」で、 「リハビリは在宅から」 と専門医が話していました。適度に散歩しないと、老化は足からというから。もちろん、 適度に趣味を楽しみ、息抜きをして、ストレス解消に励むことも大事です。 ◎箴言17:22を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント7章 『結婚の目的』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月3日(土)Iコリント7:24「おのおの召されたときのままの状態で、神の御前 にいなさい」 まずパウロは聖書の結婚観を教えています。聖書の一般的原則は「おのおの自分が召 されたときの状態にとどまっていなさい」というのです。この原則が20節にも24節 にも記されています。次に、もっと話を進めて何のための結婚かを問うています。未婚 の男性や女性は、主イエスのために心を配って、何とかして主を喜ばせようとして時間 や労力をささげます。ところが、結婚してしまったら、夫は妻を、妻は夫を喜ばせよう として、信仰生活がおろそかになってしまうと言うのです。これは耳の痛い話です。結 婚は奉仕の終着駅でも、信仰の卒業でもありません。では、何のために結婚するのでし ょうか。聖書は「あなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためな のです」 (35)と言います。独身時代と奉仕内容は異なるでしょうが、仕えている方は 同じです。二人で祈り合えば力が倍増します。夫婦は最強のタッグチームです。結婚し ている者も、これから結婚する者も、何のために結婚するのか、結婚の目的を考えてみ ましょう。パウロは、結婚について教えるというより、結婚の目的にとどまらず、クリ スチャンの一般原理を教えています。 「おのおの召されたときのままの状態で」過ごしま しょう。 ◎マタイによる福音書18:19を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント8章 『あなたの居場所』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月4日(日)Iコリント8:9「あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきと ならないように、気をつけなさい」 偶像に供えた肉を食べて良いか悪いかが、コリント教会内で問題になりました。当時 の肉は、異教の神々にささげてから市場へ売り出されました。だから、コリント教会の ある者は、この肉を食べると偶像に犯されるのではないかと思ったのです。一方、偶像 など存在しないから、食べても平気だという者もいました。そこでパウロは自由だと言 います。しかし、信仰の弱い者が、偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人は つまずくから気をつけなさいと言います。 何という他者への配慮でしょうか。 そうです。 イエス・キリストは弱い人のためにも十字架にかかって死なれたのです。マザ−テレサ は「この人も神に愛されているひとりだから」と言って、インドで社会的に弱い立場に ある人々をお世話しました。牧会は「ひとりから」というのが私の持論です。大教会に なっても「ひとり」を粗末にしないように心掛けましょう。1年に数回、礼拝で「ハレ ルヤクラス」 (知的障害者の集い)の特別賛美があります。一般のイメージとして、教会 は「かたい、暗い、つまらない」と敬遠されがちですが、彼らには安らぎがあります。 それは彼らが教会に「ひとり」として受け入れられ、居場所があるからです。 ◎ローマ人への手紙14:10を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント9章 『信仰は生涯現役』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月5日(月)Iコリント9:23「私はすべてのことを、福音のためにしています」 パウロはいつも使命感に生きています。 この使命感が失うと、 生活が怠惰になります。 信仰にベテランはありません。 信仰に卒業や定年もありません。 信仰は年中無休であり、 生涯現役です。自分が失格者にならないように励みましょう。あるとき、こんな貴重な 夢を見ました。坂戸教会の村上宣道先生(私が聖書学院の時、説教学の先生でした)が 司会をされて、私が説教者でした。ここからすでにおかしいです。夢だからご勘弁を。 ところが、車の渋滞で遅刻して行きました。あとで先生にひどく叱られました。 「お前は たるんでいる。説教者はいかなる理由があろうとも、遅刻するとは証にならない」と。 そのとき、ハッと目が覚めました。ああ、夢でよかったと思いました。それ以来、ゆと りをもって他教会に到着するようにしています。絶対に礼拝に遅れないように気をつけ ています。最近「飢餓対策ニュース」 (5月号)で、 「良い作物は良い土壌から生まれる」 という文で教えられました。私は農家出身なので本当にそうだと思います。たとえば、 苗代の苗を田んぼに植えるときも土壌づくりしてから植えます。子育てのように手間隙 をかけます。私たちも「人生」という作物を育てています。それには、まず土壌づくり が必要です。 ◎ローマ人への手紙10:17を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント10章 『脱出の道』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月6日(火)Iコリント10:13「試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」 「聖徒で羽ぶとんにくるまって天国に行った人はいない」と言われるように、キリス ト者は、試練と誘惑から逃れることはできません。神は試練をどのように教えているで しょうか。第1に、 「耐えられないような試練」ではないというのです。神はあなたのす べてを見込んで耐えられる試練を与えて下さるというのです。茎も支えることができる 花を付けるといいます。重い花・支えられない花は咲かないそうです。だから試練で押 し潰されることはないのです。何という神の愛の配慮でしょうか。第2に、 「脱出の道」 が備えられています。打開の鍵が与えられています。昔イスラエルには「のがれの町」 という制度がありました。緊急の場合に逃げ込むことができる避難場所でした(ヨシュ ア記20章) 。ちょうどこのように、神は緊急時の避難場所を備えて下さいます。どんな に四方八方ふさがりの状態の中にあっても、天の窓は開いているのです。人生には「な ぜ」 「どうして」という四方八方ふさがりの状態があります。道が閉ざされるという挫折 も神のやり方です。聖書に「事を隠すのは神の誉れ」 (箴言25:2)とあります。聖徒 たちは試練やピンチの中で、神と出会っています。神にとって何一つ無駄なことはあり ません。 ◎エレミヤ書33:3を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント11章 『御霊の一致』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月7日(水)Iコリント11:17「私はあなたがたをほめません」 コリントの教会にはたくさんの分裂・分派がありました。プロテスタント教会にもた くさんの教派・教団があります。肢体の機能がみんな違うように、どの団体にも役割・ 使命があります。団体によって制約があり、譲れない所もあるでしょうが、その働きを 認めることが大事です。ただ強調点が違うだけです。一番超教派の盛んな県は「沖縄県」 です。ある沖縄の先生が「本土の教会はどこが違うかを見るが、沖縄の人はどこで一致 するかを見る」といいました。実は、私は単立教会で救われ、コチコチの狭い考えをも っていました。他の団体とは交わらないという排他的な考えにどっぷりつかっていまし た。それが大学生のとき、KGK(キリスト者学生会)という聖書研究会に属し、取り扱わ れました。みんな異なっても、福音宣教というひとつ目的のため協力しているのです。 今の自分があるのは、KGK のお陰です。日本で多い順に「創価学会」 (15.7%) 「立 正校正会」 (4.69%) 「霊友会」 (4.12%)「生長の家」(2.34%)「天理教」 (1.93%) 「PL 教団」 (1.42%) 、次に「キリスト教」がきます。日本では7番目 です。1%の壁を打破するため、教派・教団の壁を越えて、宣教協力しましょう。 ◎エペソ人への手紙4;16を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント12章 『キリストのからだなる教会』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月8日(木)Iコリント12:27「あなたがたはキリストのからだであって、ひと りひとりは各器官なのです」 賜物の多様性が列記されています。パウロは御霊の賜物の多様性と統一性を述べたの です。では、賜物の目的とは何でしょうか。それは「みなの益になるため」 (7)といい ます。 「益」とは、共に役立つという意味です。賜物は人と比べて優劣を競い合うためで はなく、互いに補い合うためにあるのです。教会はキリストの体です。体には一つの肢 体だけではなく、多くのもので補い合っています。その肢体はみんな働き・役目が異な ります。目は手に向かって、また頭は足に向かって「おまえはいらない」などというこ とはできません。教会のどのメンバ−も必要なのです。教会や家庭で、 「私なんか」と思 わせてはなりません。お年寄りは非生産的です。社会では定年退職の身です。お年寄り は教会の宝です。その笑顔が贈物です。そうです。ただ笑っているだけでいいのです。 どんなにその存在がまわりをアットホームにさせることでしょう。この世は仕事の量で 人を評価します。しかし、教会は違います。高齢者の人生経験を活用しましょう。シニ ア層の賜物を用いましょう。高齢者の存在そのものが証です。礼拝に座っているだけで 存在感があります。だれもいなかったら、座布団説教になります。 ◎ローマ人への手紙12;3を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント13章 『いつか会えると思うな』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月9日(金)Iコリント13:13「一番すぐれているのは愛です」 これは「愛の賛歌」です。よく結婚式で読まれるところです。単なる慈善事業よりも 優れています。もし愛がなければ、イエスは喜ばれません。聖書は「愛がないなら。何 の値うちもありません」 (2) 「愛がなければ、何の役にも立ちません」 (3)といいます。 神の愛は無条件です。以前マザーテレサの映画を観ました。インドのカルカッタで神の 愛を実践しています。ある方がマザーに日本のシスターを訓練してほしいという手紙を 出したそうです。そうしたら「日本のカルカッタで働きなさい」と返事がありました。 カルカッタは家庭の中にも、社会の中にも、日本の中にもあります。家庭が手抜きにな りがちです。教会で熱心に奉仕をするほど要注意です。教会も100%、家庭も100% というわけにはいきません。どこかが手薄になります。親孝行は親が生きているうちに した方がいいです。私は職業柄、人生の終末(お葬式)をします。ほとんどの方がもっ と「ああすれば良かった」 「こうすれば良かった」と泣いています。いつか会えると思う な、といいたいです。日本人は愛を口に出すのが苦手だといわれます。留守番をする人 がいるから教会に来られます。何かお土産を買い、愛をカタチに表すのも大事です。 ◎ピりピ人への手紙2:4を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント14章 『十字架の陰に身を隠す』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月10日(土)Iコリント14:26「そのすべてのことを、徳を高めるためにしな さい」 コリントの教会には、異言を語らなければ聖霊を受けたことにならないと主張する者 がいました。また教会の中に異言を解く者がいないのに、かってに異言を話し熱狂的に 興奮し、集会の秩序を乱していました。そこでパウロは、すべて「徳を高めるため」に すべきであると言います。 「徳を高める」という言葉が、何度も何度も強調されています (3、4、5、12、17、26) 。奉仕の場は自分の力を誇示し、自慢する場ではあり ません。自分を格好良く見せ、スポットライトを自分にあてる場でもありません。こん な話を聞いたことがあります。ニューヨーク・フィルハーモニーが「第9交響曲」を演 奏していました。演奏が終えたとき、オ−ケストラのメンバ−は指揮者のトスカニ−ニ に立ち上がって拍手を送りました。それほど上手な指揮者に感動したのでしょう。とこ ろが、 トスカニーニは大きく手を振って、 必死になって拍手をやめさせようとしました。 やっと拍手がやむと、指揮者は大きな声でいいました。 「私をほめてはいけません。すば らしいのは、この曲を作ったベ−ト−ベンです」と。人々は指揮者の謙遜な態度に感動 しました。私たちも十字架の陰に身を隠さないと、いつしかワンマンになる危険性があ ります。 ◎箴言18:12を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント15章 『おまけの人生』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月11日(日)Iコリント15:10「それは私ではなく、私にある神の恵みです」 以前「FEBC」 (キリスト教ラジオ放送)の収録がありました。局の方から「今ある は神の恵み」という内容で証をお願いされました。 「恵み」という語は、新約聖書に15 2回、パウロが101回、その他51回あるそうです。パウロの生涯をみると、神の恵 み以外ありません。私も数々の災難から守られてきました。たとえば、風呂に入ろうと して転んで、ガラスの破片が何箇所も背中にささったこと。スト−ブのやかんのお湯が 全身にかかってしまったこと。また、階段から滑って転んだこと。教会の柱の角と額が 衝突し、数センチ切ったこと。進行性の病気なので、今でも毎日転んで、出血したりし ますが、 「これくらいで済んで良かった」と思うと、いつも口から感謝が沸いてきます。 平均5年∼10年の命といわれますが、私は23年間生かされてきました。いつも死を 背負って生きています。 「おまけの人生」を歩んでいます。福音の中核は十字架と復活で す。とくに、復活は人間の常識を超えています。信じ難いことです。主イエスの復活が なければ、私たちの信仰は空しくなります。57節に「私たちに勝利を与えて下さいま した」とあります。主イエスは 絶望から希望へ、死から勝利へ、導くお方です。 ◎ローマ人への手紙8;35を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Iコリント16章 『身仕度の用意』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月12日(月)Iコリント16:13「目を覚ましていなさい」 当時のクリスチャンは、 「マラナ・タ」 (主よ、来て下さい)という挨拶をしてお互い の眠っている信仰を刺激し合ったそうです。聖書は「目ざめよ」と言いますが、それに はどんな意味が含まれているでしょうか。第1に、今がどんな時代であるか、信仰の目 を養う必要があります。キリスト者は物事の本質を見抜く力・背後にいる黒幕を見まし ょう。聖書は前兆について、にせキリスト者の出現、地震、迫害、戦争、ききん、背教 などをあげています。 今の時代は末の世です。 聖書の預言どおりに実現しつつあります。 もう「安全神話」に惑わされないことです。第2のことは、 「神に会う備えをせよ」とい うことです。必ずやってくる人類の末期、最大の敵である死に対する備えが必要です。 昔から多くの人々は、キリストの再臨の日を知ろうとしました。最近でも、終末は19 99年7月に来るというグループがいましたが、惑わされてはいけません。大切なこと は、普段から心の備えをすることです。先週もお葬式をさせていただきました。いつま でもいると思うな、と申し上げたいです。公共の施設では万一に備えて防災訓練をしま すが、確率が100%である死に対して、もっと備えるべきです。お互いに、信仰の霊 的覚醒に励みましょう。 ◎詩篇39:4を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント1章 『慰めて下さる神』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月13日(火)Ⅱコリント1:6「もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたが たの慰めと救いのためです」 聖書は「慰めの神」といいます。3節∼7節には「慰め」という語が11回出てきま す。彼はピンチの中で、神から心の平安や慰めをいただきました。神の慰めは単なる同 情ではありません。真の慰めは、一時的な気休めではなく、天よりの慰めです。復活の 日、弟子たちは不安と恐れで戸を閉めていました。その彼らに開口一番「平安あれ」と いわれました。ヨハネ20:19参照。そして神から慰めを経験した者が、今度は慰め を必要としている者を慰めることができると聖書はいいます。 「この痛みはなった人でな いとわからない」と聞きます。NHK ラジオで、病や病気を治すのでなく、人を治す治 療の大切さを何度も訴えていました。主イエスは悪い部分を癒すだけでなく(局部的な 救い) 、人が前向きに生きられるように(全人的な救い)癒して下さいます。アメリカで は3つのBに分かれるそうです。第1は「Bank」 。金だ。金! もう平安、慰めなど言 っていられない、地獄の沙汰も金次第、といい銀行に走ります。第2は「Bottle」酒だ、 酒! 飲んでウサ晴らしするしかない、と酒屋に走ります。第3は「Bible」本当の平安・ 慰め・希望を求めて、教会に走ります。あなたはどこに走るでしょうか。 ◎ヘブル人への手紙2:17∼18を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント2章 『弱者は神の有力な手段』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月14日(水)Ⅱコリント2:15「キリストのかおり」 キリスト者の使命がここに記されています。 「小さき者からの光」 (ジョン・バニエ著) には、すべての人々は何らかのかけがえのない役割を担い、受け入れるとき、社会その ものの欠けが補われると記されています。 彼は、 弱者こそ神の有力な手段だといいます。 競争社会の中で置き去りにされ、見捨てられてしまったかのような社会的弱者や障害者 の存在理由がそこにあります。 戦後の日本は、 効率主義を高めるために走ってきました。 しかし、単に「効率第一主義」に陥ってしまうと、私たちは「こころ」を失います。 「障 害者」とは、 「異なる能力」 「異なった賜物を与えられた人」と言い換えることができま す。健常者であろうが、障害者であろうが、人生の使命は「キリストのかおり」を放つ ことだと聖書はいいます。ところが、ある人は「使命イコール成功」と誤解しています。 「事業が成功した」 「スピード出世した」 「成績が上がった」 「いつも元気」など、こうし た人だけが使命を現わすのでしょうか。だとしたら、失敗、病気、挫折した人は神の使 命を現わせないことになります。世的な成功は必ずしも、キリストのかおりを放つとは 限りません。月が太陽の光を反射して輝くように、私たちも神の光に照らされて証人に なれます。 ◎Iペテロ2:9を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント3章 『人を生かす御霊』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月15日(木)Ⅱコリント3:6「文字は殺し、御霊は生かす」 「電池が切れるまで」という本を読みました。テレビでも映像化されました。長野県立 子ども病院の宮越由貴奈さんが悪性固形腫瘍で亡くなる4ケ月前に「命」を書きました。 「命はとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ。でも電池はいつか切れる。命 もいつかはなくなる。電池はすぐにとりかえられるけど、命はそう簡単にはとりかえら れない。何年も何年も月日がたってやっと神様から与えられるものだ。命がないと人間 は生きられない。でも『命なんかいらない』と言って、命をむだにする人もいる。まだ たくさん命がつかえるのに。そんな人を見ると悲しくなる。命は休むことなく働いてい るのに、だから、私は命が疲れたと言うまでせいいっぱい生きよう」 。お迎えが来るまで この地上にいたらいいです。急ぐ必要はありません。まだ命があるのは使命がある証拠 です。 「ピンコロ」や「早く楽になりたい」と、本人は思いますが、まわりの家族はただ 生きているだけでいいと思っています。人生は何年生きたかではなく、いかに生きたか です。御霊による奉仕が人を生かすのです。6節の「文字」とはモーセの律法です。律 法はいのちを与えることはできないが、御霊はいのちを与え生かすのです。 ◎箴言22:17を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント4章 『外なる人と内なる人』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月16日(金)Ⅱコリント4:16「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにさ れています」 年をとると「身体的」 「社会的」 「精神的」と3つの喪失を体験します。一般的に若い ときは獲得の時代で、年をとるにつれて喪失の時代を迎えます。まず健康を失います。 ある人は体力を失います。それらは「身体的喪失」です。また、仕事も失います。まだ 働けるのに、会社では定年があります。社会や家庭でも役割を失い、邪魔者扱いにされ ます。それらは「社会的喪失」です。また、身内や親しい人の葬儀に出る機会が多くな ります。孤独や孤立します。それらは「精神的喪失」です。身体的苦痛なら、モルヒネ で痛みを緩和できますが、 「なぜ」 「どうして」という霊的苦痛(スピリテュアル・ペイ ン)は耐えがたいものです。しかし、聖書は「外なる人は衰えても、内なる人は日々新 たにされています」といいます。今日本の平均寿命は女性が85歳、男性が78歳で、 女性は世界1位、男性は世界3位と報道されています。多くの人は心が病んでいます。 これは何を意味しているでしょうか。生活の豊かさは心の豊かさではありません。物の 便利さはイコール幸せではありません。もちろん、経済的な繁栄はどうでもいいという のではありません。幸福度が高い「ブータン」国が注目されていますが。 ◎Iテモテ6:7−8を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント5章 『触れたものに染まる』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月17日(土)Ⅱコリント5:17「見よ、すべてが新しくなりました」 私は病気になる前は、 「こうしなければ」という型にはめようと必死でした。糸がピー ンと張り詰めた状態でした。ただじっとしていると、罪悪感・罪意識がありました。奉 仕を背伸びし、肉のから元気でやっていました。動いていると、よく奉仕をしていると 自己満足していました。健康な時は教会生活が疲れましたが、今は楽です。飾らないで あるがままの自分を見せればいいと知ったからです。 「いい人をやめたら楽になる」 (曽 野綾子)という本があります。今は「燃え尽き症候群」にならないように、スローライ フを楽しんでいます。信仰はがむしゃらに頑張ることではありません。信仰は律法の世 界に生きることではなく、恵みの世界に生きることです。私の場合は病気というものが 楽にさせてくれました。病気は今まで見落していた大切なものに気付かせてくれます。 人生の寄り道・回り道・道草は貴重な体験です。そこでしか得ることのできない恵みが あります。聖書に「荒野で恵みを得た」 (エレミヤ31:2)とあります。もっとのびの びと、 人生の旅を楽しみましょう。 キリストはいっさいの束縛から解放して下さいます。 よく「触れたものに染まる」といいます。キリストに触れたら、どんな人でも変わりま す。 ◎イザヤ書43:18∼19を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント6章 『今日を生きる』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月18日(日)Ⅱコリント6:2「今は恵みの時、今は救いの日です」 すべては「今」の連続です。 「今」が積み重なって、1日になります。1日が積み重な って、1年になります。1年が積み重なって、一生になります。だから、 「今」を粗末に しないことです。信仰もそうです。昔はあ∼やった、こ∼やった、と信仰が化石となっ ていないだろうか。信仰が過去の産物となっていないだろうか。会員名簿をみると、過 去に熱心な人が今はいないことがあります。 「偉人の背後には、必ず隠れた祈りの母がい る」と聞きます。アウグスチヌスの背後には、母モニカの祈りがありました。ジョン・ ウエスレ−の背後には、母スザンナ・ウエスレ−の祈りがありました。リンカーンの背 後には、母ナンシーの祈りがありました。私たちに福音が届けられたのは、だれかが背 後で祈って下さったからです。私の友人に、病気のため早く楽になりたいと、多量の睡 眠薬を飲んで自殺をはかった人がいます。不思議なことに死のうと思ったのですが、グ ッスリ眠って、次の日パッチリ目覚めたのです。今は生かされた命を少しでもイエスさ まに恩返ししていこうとしています。私たちは以前、霊的に死んでいた者です。だから、 1節のように「神の恵みをむだに受けないように」励みたい者です。 ◎ヘブル人への手紙3:15を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント7章 『スランプ脱出法』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月19日(土)Ⅱコリント7:6「気落ちした者を慰めてくださる神」 「後悔」と「悔い改め」は似ていますが、実は全く異なります。「後悔」には希望が ありませんが、 「悔い改め」には希望があります。聖書(マタイ27:3∼5)には、 主イエスを裏切ったイスカリオテのユダは後悔したが、悔い改めず、とうとう自殺して しまったことが記してあります。主イエスを裏切ったという点では、ペテロも同じ失敗 を犯しました。しかし、ペテロは悔い改めて神のもとに立ち返りました。二人の明暗を 分けたのは、罪の大きさ、罪の重さではありません。神の前にいかに出るかという、出 方の問題でした。神が私たちに求めているのは、後悔ではなく、悔い改めです。もし御 霊の迫りを感じているなら、素直に神の前に出ましょう。 牧師をごまかせても、神をごまかすことはできません。今の試練は必ず意味がありま す。決して無駄ではありません。私は職業柄、結婚式など嬉しい場面と同時に、お葬式 など悲しい場面に遭遇します。その悲しみの中で多くのことを学びます。そこでしか学 べないこともあります。だから、聖書は「悲しみは笑いにまさる」 (伝道の書7:3)と いいます。車も迷った道・ミスをした道はよく覚えています。人生も同じです。人生の ピンチは神の出会いの時です。 ◎箴言28:13を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント8章 『天の窓を開く神さま』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月20日(火)Ⅱコリント8:3「彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささ げ」 献金は神の恵みへの応答です。献金をしたくても、できない人もいます。以前こんな 驚くべきことがありました。3番目の娘が専門学校に合格し、施設料30万円は免除に なったのですが、すぐ入学金10万円を支払わなければなりませんでした。そのお金が ありませんでした。ちょうどその時、ある方がクリスマスプレゼントとして10万円を 送って下さったのです。だれにも入学金が必要なことを話していないので、身震いをし ました。私たちはその方を「あしながおばさん」と呼んでいます。これをラッキーとか 偶然というかも知れませんが、あまりにもタイムリーなので、神の導きを感じます。こ のように神は「ほしいもの」ではなく、 「必要なもの」をいつも備えて下さいます。天地 万物を創造されたリアルなお方です。その神を人間の頭に閉じ込めてしまう危険性があ ります。特に、神を扱う職業についている者は要注意です。神はスケールのでっかい存 在です。あなたの神は小さくありませんか。神は必要とあれば、天の窓を開いて「必要 なもの」を与えて下さいます。お金に限らず、必要なものをすべて満たして下さいます。 「私の神は…あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」 ◎ピリピ人への手紙4:19を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント9章 『献金による祝福』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月21日(水)Ⅱコリント9:6「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔 く者は、豊かに刈り取ります」 献金は神の恵みの応答であると共に神への献身のしるしです。当時ユダヤにききんが あったので、パウロはエルサレム教会のために献金を集めました。ある者は貧しさの中 から「惜しみなく」献げました。ある者は「力以上に」献げました。ある者は「自ら進 んで」献げました。パウロはコリントのクリスチャンが彼らを模範にするように勧めた のです。教会は「コリントにある神の教会」(Ⅱコリント1:1)とあるように、どこ までも神の所有物です。 「の」という属格は「起源」と「所有」を意味すると、聖書学 院で学びました。便宜上、私たちは「∼先生の教会」という表現をしますが、聖書的に いうと、 「井土ヶ谷にある神の教会」ということになります。教会はだれが開拓しよう が、だれが創設しようが、聖書的に見れば、神の教会です。その神からあずかったもの を、豊かに蒔くと豊かに祝福して下さいます。うちの教会員が、月定献金がもったいな くて、少し割り引いて献金したら、仕事がだんだんと少なくなってきたと話していまし た。主イエスはちゃんと見て知っているんですね。詩篇139:1∼3。主はあなたの 財布の中身を知っています。私は、お金に対して、いつもクリーンでありたいと思って います。 ◎箴言11:25を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント10章 『対神関係の重要さ』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月22日(木)Ⅱコリント10:18「主に推薦される人こそ、受け入れられる人で す」 パウロの使徒職の弁明が10章∼12章まで続きます。ある者たちは「パウロの手紙 は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっ ていない」(10)と批判しました。パウロのような人物でさえ、批判されたのです。し かし、パウロは人が自分をどう評価するかではなくて、あくまでも「神」が自分をどう 評価するかが問題だと教えています。18節で「主に推薦される人こそ、受け入れられ る人です」 といいます。 私たちはあまりにも人のうわさやまわりの目を気にしすぎます。 横の対人関係に気を使いすぎて、縦の対神関係を忘れがちです。毎年、東京聖書学院自 治会発行の「放光」を見ますが、修養生たちが卒業間際に「これで本当に伝道者として やっていけるのか?」 と思うようです。 そのとき召命経験が決め手になるというのです。 献身したのは、自分がふさわしいからでもなく、人に頼まれたからでもなく、ただ神の 召命経験によるということを確認します。 この確信がしっかりしている間はぶれません。 この神を見失うと、失望・落胆します。雲の上でいつも輝いている太陽を見ましょう。 地上は雨天や曇天がありますが、上空はいつも快晴です。 ◎ヘブル人への手紙3:14を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント11章 『パウロの弱さ』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月23日(金)Ⅱコリント11:21「私もあえて誇りましょう」 私たちは皆何かしら「弱さ」を持っています。普通「弱さ」は、人に見せたくないも の、隠したいものです。でもパウロは「弱さ」を積極的に誇るといいます。聖書学者は この「弱さ」は一体何かと考えます。大体4つの説があります。①頭痛説 ②眼病説 ③ てんかん説 ④マラリヤ病説など。病名は隠されているので、これ以上詮索することは できません。新約聖書27巻のうち、13巻は彼の手紙だといいます。約50%です。 その彼が万能選手ではなく、何か弱さを持っていたのです。健康体で主に仕えたのでな くて、あるがままで主に仕えたのです。こうなったら、ああなったらではありません。 そのままのあなたがステキです。教会は「寄り合いバス」のようだといいます。同じバ スでも、からだが丈夫で強い人だけのバスは、せかせかしています。でも幼児もいれば、 お年寄りもいる、障害を持った人も安心して乗れる、こんな寄り合いバスはどこか人間 らしいものです。彼は「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリント12;10)と いいます。強い人とは肉体上のことではありません。彼の強さは「なった強さ」ではな く、 「された強さ」です。自分の弱さを隠さないで、さらけ出すのも大事かも知れませ ん。 ◎Ⅱテモテ2:13を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント12章 『神の力は弱さに働く』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月24日(土)Ⅱコリント12:9「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」 パウロは肉体に1つのトゲが与えられました。聖書は、病名を沈黙していますが、そ れには多くの説があります。悪性の眼病(ダマスコで一時失明したことから)とか、一 種のてんかん性の病気とか、当時流行のマラリヤなどです。彼は病気を癒して欲しいと 「三度」も祈りました。聖書学者のキャンベル・モルガンは「三度」という数字は「何 度も」と訳しています。しかし、主の答えは意外でした。 「わたしの力は、弱さのうちに 完全に現われる」 (9)というものでした。私たちは自分の願いどおりにいかないと「主 よ、なぜですか」と思います。 「神も仏もあったものではない」と不満をいいます。 「も う信仰やめた」 「教会へ行かない」とふてくさります。でも知っていただきたいのです。 それで神の恵みが消えたり、なくなったりしません。目に見えるものは時代と共に変わ りますが、神の愛は変わることはありません。神の恵みは変色しません。星野富弘さん の詩を紹介します。 「よろこびが集まったよりも、悲しみが集まった方が、しあわせに近 いような気がする。強い者が集まったよりも、弱い者が集まったほうが真実に近いよう な気がする。しあわせが集まったよりも、ふしあわせが集まった方が、愛に近いような 気がする」 ◎Iテモテ1:12を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:Ⅱコリント13章 『信仰の点検』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月25日(日)Ⅱコリント13:5「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自 分自身を試し、また吟味しなさい」 車があった頃、車検というものが義務化されていました。どんな乗り物でも使う前に 必ず検査をします。同じように、信仰も長年やっていると、マンネリ化します。点検が 必要です。 「クリスチャンなのになぜ?」と思うかも知れません。病気になったのは「信 仰が薄いから」 「祈りが足りないから」ではありません。信仰者だから風邪をひかない、 といえないように、心の風邪はだれにでもやってきます。失ったものを見ないで、今で きた部分を認めてあげるといいようです。例えば、 「お茶碗を洗えた」 「洗濯できた」 「食 事ができた」 「教会に来られた」など、平凡な日常生活の中の神の恵みを数えて見ましょ う。これらの一つ一つが当たり前ではなくて、神の御手の中にあります。五体満足でも、 あれがない、これがないと不平不満の絶えない「ないものねだり」をする人が多いです。 時計の針はその時の気分で速くなったり、遅くなったりしません。きょうは 元気だから は速く動こう、きょうは疲れたからゆっくり動こうとしません。いつも規則正しく時刻 を刻んでくれます。でも針を動かしているのは、目に見えないモーターです。同様にキ リストがあなたを生かしています。あなたは偶然ではなく、神に生かされているのです。 ◎ホセア書6:1を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:ガラテヤ1章 『下積みの準備』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月26日(月)ガラテヤ1:17「アラビヤに出て行き」 パウロは異邦人伝道の召命を受けるとすぐ、人に相談しないで、アラビヤ(荒野)で下積 みの準備をしました。最大の準備はひとり神の前で瞑想することです。彼は3年間荒野で生 活をしました。「人に相談せず」とは、神に相談すること、つまり黙想すること、祈ること を意味しています。J・ストーカーは『パウロ伝』の中で、このアラビヤを「シナイ山を中 心とする地域」と定めて、こう述べています。「ここでモーセは燃えるしばを見、その山頂 で神と語らい合った。ここでエリヤは絶望の時に狂い叫び、啓示の泉で新たに飲んだ。これ らの神の人たちの後継者たる彼の瞑想の場所として、これほどふさわしい所がありえよう か」と記しています。アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈りもの』に、 「ひとりで いる時間は、一生のうちでもきわめて重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちが ひとりでいる時にだけ湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、 音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならないことを 知っている」と記しています。毎日暮らしの中で「アラビヤ」 (静まる時と場所)を確保し ましょう。 ◎マルコによる福音書1:35を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:ガラテヤ2章 『きよめの経験』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月27日(火)ガラテヤ2:19「私は、神に生きるために、律法によって律法に死 にました」 20節のきよめの経験は、まず19節「私は、神に生きるために、律法によって律法 に死にました」という自我に死ぬ経験が先立ちます。19節の「死にました」が、過去 の一回的行為を表す不定過去であるのに対し、 「十字架につけられました」 (20)は継 続を表す完了形です。だから、 「十字架につけられています」と訳すことができます。 (新 聖書注解参照)昔十字架につけられたからいいというのでなく、日々十字架につけられ るべきです。 「信仰は点でなく、線である」というように、神の恵みは深化され、持続さ れるべきです。あるペンキ屋の話です。 「新しいペンキを塗るよりも、古い塗装を落とす 作業が大変なんです。これをきれいに落とさないと、どんなに上から新しく塗っても、 すぐはがれてしまう」と。 「罪」 (ハマルティア)とは、何か法律上悪いことをした結果 ではなくて、本来あるべき状態から離れている状態を指すといわれます。過去の決別を いいかげんにして、どんなに表面的に繕っても化けの皮がはがれます。きょう、だれに も触れられたくない部分を始末したくなったら、十字架の血潮で赦していただきましょ う。もう古い自分のお葬式は済んだでしょうか。十字架の血潮はあなたをきよめること ができます。 ◎ローマ人への手紙6:11を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:ガラテヤ3章 『信仰に国籍はない』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月28日(水)ガラテヤ3:26「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信 仰によって、神の子どもです」 パウロの伝道で多くの人が救われました。それは行為によったのではなく、イエス・ キリストを信じる信仰によったのでした。それなのに、彼らは純粋な信仰を捨てて、律 法や割礼を守ることを救いの条件としました。それは御霊で始めたのに、肉で仕上げる ことと同じだというのです。そこで「信仰義認」の教理を、アブラハムを実例に説明し ています。もはや国籍は関係ありません。キリスト・イエスにあって、ひとつです。宗 教改革者マルチン・ルターは行為義認ではなく、信仰義認という真理に到達しました。 キリスト者は自分が意識するしないにかかわらず、オーナーがチェンジしたのです。倫 理・道徳的に「いい子」になると救われるのでなく、あくまでもただ単純にイエス・キ リストを信じるだけでいいのです。 「いのちの水計画」に、 「伝道とは、私たちが神さま のために働くことではありません。神さまが私たちを通して働かれることです」とあり ました。 「私が」 「私が」と頑張って奉仕をやっていないでしょうか。御霊で始まったの に、肉で仕上げようと躍起になっていることがあります。神にゆだねましょう。人間の ピンチが神のもっとも働かれる時です。肩の力を抜いて主の御手に明け渡しましょう。 ◎Iペテロ5:7を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:ガラテヤ4章 『神の定めた時』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月29日(木)ガラテヤ4:4「しかし定めの時が来たので」 口語訳聖書では「時が満ちるに及んで」また、リビング・バイブルでは「ちょうどよ い時に」となっています。イエス・キリストの誕生は決して偶然ではなく、神の定めた 時なのです。神は摂理のうちに、あらかじめ定めた時期に、定めた場所に救い主を誕生 されました。当時の地理的・歴史的・文化的に一番いい時、最高のチャンスを選んで神 のみわざを成就しました。この世には、何事にも適した時期があります。私は農家に育 ったので、野菜の苗を植え、田植えを手伝ったことがあります。例えば、秋に稲の収穫 を期待するには、春に田植えをする必要があります。その「時」を逃したら、もう手遅 れになります。収穫物もそのままにしておいたら、雪が降ってもう刈り取ることができ なくなります。農夫は最も適したシーズンを知っています。同じように、神も最善のと きを知っています。神には神の都合があります。神はあなたに人生設計をもっています。 いつもタイムリーです。もちろん、神のなさることは隠れていますから、理解できない ことがいっぱいあるでしょう。聖書に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」 とあります。きょう、自分の思いや願いを優先させるのではなくて、神のみこころを祈 りましょう。 ◎マタイによる福音書26:39を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− きょうのメニュー:ガラテヤ5章 『肉の働きとは』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月30日(金)ガラテヤ5:25「御霊に導かれて、進もうではありませんか」 パウロは肉の働きを4つのグループに分けています。第1のグループは家庭と社会を 破壊する罪で、 「不品行・汚れ・好色」など性に関するものです。第2のグループは神へ の信仰を破壊する罪で、 「偶像礼拝・魔術」など宗教に関するものです。第3のグループ は人間関係を破壊する罪で、 「敵意・争い・憤り・怒り・党派心・分裂・分派・ねたみ」 など対人関係に関するものです。第4のグループは自分自身を破壊する罪で、「酩酊・遊 興」など快楽に関するものです。聖書はこれらに勝利する秘訣は「御霊によって歩くこと 以外にない」といいます。御霊の実は、神に対して「愛・喜び・平和」であり、隣人に 対して「寛容・慈愛・善意」であり、自分に対しては「忠実・柔和・自制」です。これ らの実は、人工的に作り出すものではなく、神が結ばせて下さるものです。試練や誘惑 に打ち勝つには、人間のガンバリではなく神の力です。人には「してもいい自由」と「し なくてもいい自由」があります。信仰すると何か窮屈で束縛されると考えがちですが、 それは全くの偏見と誤解です。信仰は律法の世界ではなく、恵みの世界です。酒やタバ コを神が悪い癖から解放して下さいます。本人の努力もあるでしょうが、その力も神が 下さいます。 ◎ローマ人への手紙7:24∼25を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今日のメニュー:ガラテヤ6章 『主の山に備えあり』 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3月31日(土)ガラテヤ6:9「失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることにな ります」 年末にスポーツハイライトがありました。最後まで「あきらめない」ことがどんなに 大事なことかをテレビで放映していました。これはスポーツだけでなく、信仰の世界で も必要なことです。9節に「失望せずにいれば」とある通りです。 「先生の条件にあった 物件はひとつもありません」 、これは年末に不動産にいわれた言葉です。実は、教会が新 会堂建設をするので、私共は近くに引っ越しをしないといけません。事前にいろんな条 件を出してお願いしていたのです。ペットがいると、ほとんど無理のようでした。お先 真っ暗でしたが、 「失望せずに」真剣に神に祈りました。不思議なことが起きました。一 番いい場所に物件が備えられました。 「主の山の上には備えある」 (創世記22:14) と旧約聖書にありますが、現状をあきらめないで祈り続けることの大切さを学んだ気が します。私たちの前に、行く手をはばむ障害物などの山々が山積しています。しかし、 大丈夫です。 「山々は主の御前に、ろうのように溶けた」 (詩篇97:5)と聖書にあり ます。確かに、現実は厳しいかも知れませんが、見えるとこによらず、信仰によって歩 みましょう。 「汝ら世にありては患難あり、然れど雄々しかれ。我すでに世に勝てり」 ◎ヘブル人への手紙10:36を読んで祈ろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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