朝の15分があなたを変える。 心のごはん 2012年12月号 民数記36章~申命記30章 きょうのメニュー:民数記36章 「価値観の一致」 --------------------------------------- 12月1日(土)民数記36:9「イスラエル人の部族は、おのおのその相続地を堅く 守らなければならない」 マナセ部族ツェロハデの娘たちに対する結婚について、モーセは他部族の者と結婚し てはいけないといいました。相続地の継承、つまり、使命の継承を願ったからです。今 日、配偶者の選択は人生において大事な決断です。やはり、そこでも使命の一致は大事 のようです。あるカップルは「一緒にいると平安があるんだよね」と話していました。 それが決め手になったようです。サン=ペグジュベリは「愛というのは、互いに相手の 顔を眺め合っていることではなくて、同じ方向に一緒に目を向けることなのである」と いいます。聖書に「ふたりはいっしょに歩き続けた」 (創世記22:8)という言葉があ ります。夫婦が二人で向き合うと、喜びが倍加し悲しみが半減するといいます。クリス チャン同士が結婚して、クリスチャンホームを築いたからといって、問題がないわけで はありません。ただ試練を乗り越える秘訣が与えられています(マタイ18:19) 。喫 茶店でパートをしている信徒が「先生、恋人と夫婦の違いがわかりますか」と言われま した。答えは会話の多さだそうです。恋人は目を見て話すが、夫婦になると、会話がな くなり、下を見てモクモクと食事を食べるそうです。反省させられる言葉です。 ◎マタイによる福音書18:19を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記1章 「老人力」 --------------------------------------- 12月2日(日)申命記1:7「向きを変えて、出発せよ」 一般的に世の中では、老いるということは嫌がられます。敗北のように受け取られま す。しかし、 『老人力』という本があるように、高齢者が見直されています。聖書を見る と、若い人も神に用いられていますが、アブラハム、モーセ、ヨシュアなどのように信 仰の年輩者も用いられています。神は老人パワーに期待しています。教会ではシニア層 は宝の存在です。シニアの方々は、様々な学校教育、専門教育を受け、さらに結婚、子 育て、家庭生活、職場や社会での豊富な経験の持ち主です。その経験を生かした伝道牧 会、若い人への人生相談、同じ高齢者に対する相談相手など、教会の中での奉仕の可能 性は山ほどあります。教会ではヤングの方々のパワーも必要ですが、高齢者の働き人が 求められています。戦後、日本の経済復興を立て直しただけでなく、シニア層は今の教 会の土台を築いてきたのです。私は牧師として、教会こそが彼らの居場所を用意し、働 き場所を提供すべきだと思っています。マザー・テレサのことばに「人間にとって、一 番ひどい病気はだれからも必要とされていないと感じることです」とあります。主が高 齢者のモーセを必要としたように、あなたをも必要としています。 ◎イザヤ書40:29~31を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記2章 「荒野の恵み」 --------------------------------------- 12月3日(月)申命記2:7「荒野の旅」 荒野の40年間は、イスラエルの民にとって試みの時でした。そこには苦難があり、 悲しみがありました。しかし、彼らは荒野で恵みの神に出会い、取り扱われました。パ ウロは荒野の旅について、神は「約40年にわたって荒野で彼らをはぐくみ」 (口語訳) 、 新改訳では「荒野で彼らを養われました」 (使徒行伝13:18)となっています。イス ラエルの民にとって、荒野は神の育みの場であったのです。荒野でしか得ることのでき ない恵みがあるというのです。 「若い時の苦労はかって出ろ」といわれます。何でもかん でもトントン拍子にいった人と、人生に挫折し苦労をなめた人は違います。人を励ます 言葉も、健康な人の言葉と痛みを体験した人の言葉では違うといいます。自分が病むこ とによって、はじめて隣人の痛みやつらさが理解できるのかも知れません。そう思うと 神の試練は何ひとつ捨てるところがありません。 『十分に暗くなると、人は星を見ること ができる』 。これはラルフ・エマーソンの詩の一節です。昼間は見えない星も、夜には見 ることができます。出口のないトンネルはないといいます。トンネルには必ず出口があ ります。大丈夫です。試練は無駄ではありません。 ◎Iペテロ1:6~7を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記3章 「わが恵み汝に足れり」 --------------------------------------- 12月4日(火)申命記3:26「もう十分だ」 モーセは一つの個人的な体験を回想しています。それはカナンの地に入れてほしいと 重ねてお願いしたのに、神はお聞き入れ下さらなかったということです。神は「おまえ はもはや足りている。わたしはあなたが願うところよりもさらに良きことを用意してい るのだ」 (口語訳)と言うのです。ここに人間の計画と神の計画の違いがわかります。私 たちは思い通りに行かないと、 「なぜ自分だけ?」 「どうして?」と愚痴や不平をいいま す。しかし、神の恵みは十分なのです。また、人を見て嫉妬したり、自分を責めたりし ていないでしょうか。なぜ劣等感が起きるのでしょうか。劣等感は心の栄養失調、主の 愛情の不足な時に起こります。しかし、イザヤ書43:4には「わたしの目には、あな たは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とあります。多くの平凡な事の中に、 神の恵みが詰まっていることを覚えましょう。 『今日も一つ、悲しい事があった。今日も また一つ嬉しいことがあった。笑ったり、泣いたり、望んだり、あきらめたり、憎んだ り、愛したり、そして、これらの一つ一つを柔らかく包んでくれた数え切れない程の平 凡なことがあった』 (星野富弘) 。きょう、神は「わが恵み汝に足れり」といいます。 ◎ホセア書14:3を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記4章 「重荷を担う神」 --------------------------------------- 12月5日(水)申命記4:7「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、 いつも、近くにおられる」 40節まで「従順の勧め」が記されています。イスラエルが神に選ばれたのは、決し て強い民でも数が多かったからでもありません。神は、この世で価値のない者をあえて 選び、 「所有の民」 (20)とされたのです。この世は能力主義の社会であるといえます。 会社でも、学校でも、成績や仕事の量で、その人の値打ちや価値が評価されます。しか し、登校拒否や転々職(次々に仕事が変わること)などは、今の能力主義社会に疑問を 持ち、さまざまな形で今の形で今の社会に「ノー」とサインを出しているのではないで しょうか。現代は社会が病んでいます。何の能力、働きがなくても、そこに存在してい ること自体が尊いのです。本当の価値は「何をするか(doing) 」ではなく、 「いか に存在するか(being) 」にあるのです。存在そのものが生きた証しです。教会員の H兄が70歳で天に帰りました。この方は交通事故で24年間寝たきりでした。気管切 開されていて言葉を失っていました。当時小学3年生のお孫さんのカードに、 「おじいち ゃんが話せたら嬉しいけど、 おじいちゃんはおじいちゃんでいいんだよ」 とありました。 その人をあるがまま受け入れたカードに感動しました。 ◎詩篇46:1を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記5章 「北風と太陽」 --------------------------------------- 12月6日(木)申命記5:1「聞きなさい。イスラエルよ」 5章から26章まではモーセの第二の説教です。 それは世代が変わったため、 若い人々 は十戒を十分に知りませんでした。だから、十戒を再述したのです。6節は、十戒のす べてに影響を与える言葉です。つまり、十戒は単なる戒めではなく、神の恵みに対する レスポンス(応答)なのです。グリムの童話集に。 「北風と太陽」という物語があります。 ある旅人がマントを着て、旅をしていた時、北風と太陽がそれを見ていて、どっちが先 にマントを脱がすかという話です。先ず北風が一生懸命に冷たい風を吹いたら、旅人は しっかりマントを握って放そうとしません。 一方、 太陽は暖かい日差しを投げかけると、 ついに旅人は着ていたマントを脱いだというのです。実はこの物語は聖書の的をついて います。私たちは罪というマントをしっかり着ています。それを律法的に無理やりに脱 がすというやり方ではなく、逆に暖かい神の愛の日差しこそが、それを取り去るという のです。真面目なクリスチャンほど、自分を責め、律法に縛られています。解放されて いないのです。もう「エジプト」 (罪の生活)から解放されたのです。十字架の愛に満た された時、神の命令は義務や律法でなく、のびのびと自由に服従できます。 ◎ローマ人への手紙8:35を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記6章 「ありがとう」 --------------------------------------- 12月7日(金)申命記6:12「主を忘れないようにしなさい」 苦しい時は「神様、神様」と求めますが、生活が安定すると、教会から離れていく人 があります。物質上の飽満に達するときは霊的な危機のようです。だから聖書は「あな たは食べて飽きるであろう、その時、・・・・主を忘れてはならない」と言っています。聖 書はこのことを何度も繰り返し警告しています(申命記8:13、14、歴代下12: 1,26:16) 。イスラエルの民が安住の地を得て、その恵みに慣れっこになり、神を 忘れる恐れがあったのです。以前、宝くじに当選した人のその後の生活をテレビで放映 していました。 一瞬にして多額の金を手にすると、 不思議と堕落と腐敗につながります。 現代は物質的に恵まれていますが、社会全体が病んでいます。物の豊かさは必ずしも人 を幸せにはしません。飽き足りて神の恵みを忘れることのないようにしましょう。何で もかんでも順調だと有頂天になり、神の恵みを忘れやすいからです。案外主の恵みは身 近なところにあります。それに気づくか気づかないかでしょう。長男の嫁さんがおばあ ちゃんを介護して「ありがとう」をいってくれないのが一番辛いそうです。 「してもらっ て当たり前」と思うと感謝がわいてきません。 「ありがとう」と声をかけましょう。 ◎Iテサロニケ5:16~18を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記7章 「人の意表をつく神」 --------------------------------------- 12月8日(土)申命記7:7「事実、あなたがたは、すべての国々のうちで最も数が 少なかった」 神はイスラエルを「宝の民」とされました。彼らは選ばれるべき資格や価値があった からではありません。むしろ、彼らは弱小の民でした。ここに神の意外性を見ます。神 は人の意表をつくお方です。たとえば、ダビデの選びもそうでした。預言者サムエルや 父エッサイは別の人が選ばれるのにふさわしいと思っていました。しかし、神は「人は うわべを見るが、主は心を見る」 (サムエル上16:7)といい、ダビデ少年を選ばれた のです。この世で最適な人が、必ずしも神にふさわしいとは限りません。この世で実力 のある人が必ずしも神に用いられるとは限りません。さて、神は無目的にイスラエルを 選ばれたのではありません。神の選びには目的があるのです。その目的とは、あなたを 通して神の栄光が現されることです。多くの人は「ピンコロ」を願っています。なるべ く苦しまないで死にたいと思っています。なぜ苦しい思いをして生きなければならない のかということです。 「使命」とは、命を使うと書きますが、何のために命を使うかが問 題なのです。あなたがまだ生かされているのは使命がある証拠です。なぜなら、使命の 終わりが人生の最後、死だからです。当然のことですが、死ぬまで生きたらいいです。 ◎Iコリント1:28を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記8章 「自分の知識にたよるな」 --------------------------------------- 12月9日(日)申命記8:18「あなたの神、主に心を据えなさい」 イスラエルの民にとって一番警戒しなければならないのは、 「高ぶり」ということでし た。彼らはやがて食べ飽き、家を建てて住み、羊や牛が増え、金銀が増し、持ち物が増 し加わるとき、心が高ぶり神を忘れる危険性がありました。人々は心のうちに「この私 の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」 (17)というようになるでしょう。モ ーセはそのことを予測して人々に「高ぶり」を戒めたのです。これはイスラエルだけの 問題ではなく、私たちの問題でもあります。多少、お金ができ、地位や権力を得ると、 神に対する謙虚さを忘れやすいものです。 そして態度が横柄になり、 神を忘れるのです。 14節の「あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる」とは、現代への警告です。 聖書に「人は天から与えられなければ、何ものも受けることができない」とありますが、 考えてみると、私たちは何一つ持たないでこの世に誕生しました。赤ちゃんの時は裸で 生まれたのです。ところが、人生に成功や勝利をすると、自分の知識や能力を過信する のです。私の力でここまでにした、と思い上がるのです。高慢が命取りになります。神 の恵みに対する忘恩という罪を覚えましょう。 ◎箴言3:5を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記9章 「自分を誇るな」 --------------------------------------- 12月10日(月)申命記9:5「あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そ うとしておられるのだ」 イスラエルの民が占領しようとするカナンの地は、堅固な石垣で囲まれていて、だれ もその前に立ち得ない巨人でした。しかし、聖書は「あなたの神、主が、あなたの前か ら彼らを追い出そうとしておられるのだ」といいます。カナンの住民を征服したのは神 の業であり、決して人間の業ではないというのです。自分の説教や訪問や祈りの結果、 人が救いに導かれることもあるでしょう。 そのとき自分を過信しないようにしましょう。 うぬぼれてはなりません。大成功した後が問題なのです。悪魔は「でかしたぞ、お前の お陰だ」と天狗にさせます。以前のクリスチャン新聞に、十字式健康法をはじめた安久 津政人氏の対談が載っていました。全国に19ケ所も十字式道場があるそうです。安久 津氏は「神様がいやしのみ業を行ってくださる」と語ります。 「癒しは自分の発明ではな く、神様の贈物」と言い切る姿勢に、その方の謙虚さを見ます。恥はわがもの、栄光は 主のものです。自宅から下を見ると、自動車学校の車が通ります。横断歩道では歩行者 優先です。必ず一時停車します。制限速度を守っているので、ずっと列を作って走行し ます。ところが、免許をとると、態度が一変します。謙遜は最大の武器です。 ◎Iコリント3:9を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記10章 「後世への最大の遺物」 --------------------------------------- 12月11日(火)申命記10:12「あなたの神、主が、あなたに求めておられるこ とは何か」 神が私たちに求めておられることは何でしょう?それは「ただ、あなたの神、主を恐 れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に 仕える」 (12)ことです。もうすぐ今年も終わります。師走はあわただしいです。あっ という間に過ぎて行きます。神のことを優先に、第1のものを第1に。 『伴侶を天に送っ て』 (井戸垣弥生)を読みました。ご主人は32年間の結婚生活の後、地上の使命を全う して天に旅立ちました。 「神様からお借りしていた夫」 (125p)という見出しで、 「神 様から夫をお借りしていた。時が満ちて神様が取り上げられた、いや神様にお返しした」 と奥様が書いています。逆に言うと、この世にまだ命があるというのは、地上の使命が まだ残されている証拠です。内村鑑三の『後世への最大の遺物』を読んだことがありま す。人が生涯で残すものは、①お金 ②事業 ③思想 ④高尚なる生涯(信仰)だとあ りました。その中で最大の遺物は、④の信仰だそうです。案外天国まで持っていけない ものに夢中になっていることがあります。私たちは子どもや孫に何を語り継ぎ、何を残 すべきでしょうか。そのためには、まず自分が神を第1に歩むことでしょう。 ◎マタイによる福音書6:33を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記11章 「すべて主の御手の中」 --------------------------------------- 12月12日(水)申命記11:12「年の初めから年の終わりまで」 イスラエルの民が得ようとする地は「山と谷の多い地」であると記しています。 「山と 谷」とは、生活の上での好調・不調、信仰の順境・逆境といってもいいでしょう。信仰 生活は決して平坦ではありません。 うまい話ばっかりではありません。 10月21日に、 家内のお父さんは86歳の生涯を終え、天国へ旅立ちました。24日に那覇教会で告別 式を執り行われました。自分の思い・願いと異なることが多いです。あせらず、あわて ず、気長にからだのサインを謙虚に聞くことです。やはり、自分自身を知ることが大切 です。健康な人は丈夫なからだを過信するものです。病むと「一病息災」というように、 無理をしなくなります。病気は決して悪いことばかりではありません。試練の時は、神 の恵みを数えにくいものですが、恵みの雨が「年の初めから年の終わりまで」 (12)降 り注がれているというのです。何という慰めに満ちた言葉でしょうか。私たちは試練に 直面すると「神が愛ならばどうして?」 「なぜ?」とつぶやきます。しかし、そこにも神 の恵みが潤っていることを忘れてはなりません。 理解できないこと、 納得できないこと、 不条理な件、理不尽な件と同居することを恐れないようにしましょう。 ◎ヨハネによる福音書13:7を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記12章 「人生を楽しむ」 --------------------------------------- 12月13日(木)申命記12:12「主の前で喜び楽しみなさい」 「命が大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。命より大切なものがあると 知った日、生きているのが嬉しかった」 。これは星野富弘さんの詩歌の一節です。多くの 人は命が一番大切だと思っています。確かに、命があるからこそできること、健康だか らこそ、やれることがあります。少しでも長生きしたい、健康でいたい、良い学校に行 き、良い仕事につきたい、いい人と結婚をしたい等々、私たちの願いは果てしなく続き ます。これを読んだ読者が「命より大切なものって、何ですか」と聞くそうです。星野 さんは「聖書を読んであなたが自分で探して見てください。本気で探し続ければ必ず見 つかりますよ。私でも見つけられたのですから・・・・」と答えるそうです。人生は一度限 りです。人生にはスペアがありません。私の命は平均5年~10年だといいます。明日 のことはわかりません。ただ今日を精一杯生きるだけです。最近の「牧ナビ」に、ある 牧師が「音楽鑑賞のお勧め」を記しています。すばらしいことです。牧師は真面目なタ イプが多いです。燃え尽き症候群に陥らないように、趣味をやって息抜きをするのも大 事なことです。ちなみに、私の趣味は温泉です。ある信徒が「温泉牧師」と名付けてく れました。 ◎詩篇39:4を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記13章 「神のみぞ知る」 --------------------------------------- 12月14日(金)申命記13:3「あなたがたを試みておられるからである」 受洗しているから、 教会に来ているから、 絶対に試練がないということはありません。 そして試練を説明したり、解釈したりします。私は絶対に試練を解釈しないように気を つけています。病んでいる本人が神から試練の意味を受け取るのはいいのですが、健常 者が勝手に判断してはいけないのです。それは神の領域だからです。 「神のみぞ知る」で す。掘肇先生はそれを「解釈しないやさしさ」といいます。神にかわって、人間があれ これと解釈しないほうがいいです。エレミヤ33:3に「理解を超えた大いなる事」と あります。神のなさる事は理解の超えていることだと聖書は教えています。クリスチャ ンはこうあるべきだと型にはめてとらえることがあります。弱音を吐いたら、クリスチ ャンの恥みたいなところがあります。信仰は歯をくいしばって強がりをみせるつけるこ とではありません。 「疲れた」 「つらい」 「痛い」 「泣きたい」と正直に告白していいので す。身内が亡くなって悲しくない人はいません。歯医者にかかると、痛かったら教えて 下さいと言われます。信仰者や未信者である前に1人の人間です。痛かったら泣いてい いのです。聖書は「事を隠すのは神の誉れ」 (箴言25:2)といいます。 ◎ヘブル人への手紙4:15を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記14章 「次世代を担う若者」 --------------------------------------- 12月15日(土)申命記14:2「主は…宝の民とされた」 『五体不満足』を読んで感動しました。著者の乙武さんは先天性四股切断という障害 を、単なる「身体的特徴」と考えて、 「自分にしかできないこと」=「心のバリアフリー」 に少しでも貢献するため、電動車椅子に乗って活動しています。彼は「障害を持ってい ても、ボクは毎日が楽しいよ。関係ないのだ、障害なんて」といいます。障害は不便で すが、不幸ではありません。一般的に「障害者はかわいそう」とマイナスに見られがち ですが、普通に見てあげることが大切なようです。 「胎児診断」 「出生前診断」で体内の 子が障害を持っていたら、中絶する場合があると聞きます。障害がなくても、邪魔だか らと親の身勝手でコインロッカーに入れ、いのちを軽視する時代です。子どもは親の私 物、所有物ではありません。聖書は「主の子供」 (1) 「宝の民」 (2)として見てくれま す。先日「児童祝福式」を行いました。次世代を担う幼子を守り育てましょう。教会の 将来は若者にかかっています。幼子たちが教会の中心的存在となっています。子供は無 限の可能性を秘めています。洗礼を受けた者の8割は20歳以内だそうです。教会学校 の使命は大きいです。聖書は「幼子たちのために祈れ」 (哀歌2:19)といいます。 ◎マタイによる福音書19:14を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記15章 「ゆるしの規定」 --------------------------------------- 12月16日(日)申命記15:15「あなたの神、主が贖い出されたことを覚えてい なさい」 本章はゆるし年の規定について記されています。そのゆるしの根拠として、まず「主 が贖い出されたことを覚えていなさい」 (15)とあるように、対神関係にあります。か つてイスラエルの民はエジプトで奴隷の身分であったが、主がそこから解放して下さっ たのだから、対人関係でゆるしてあげなさいというのです。対人関係の前に、対神関係 (恩寵)があるのです。律法の前に神の恩寵がきます。職場のストレスの原因は「人間 関係」だそうです。多くの人は対人関係で悩んでいます。私たちは人々から受けたひど い仕打ちに対して、なかなか赦すことはできません。刃物よりも言葉の傷は深いのです。 「赦そう、赦そう」と思っても、自分の力で人を赦すことはできません。まず、自分が 十字架の血潮で過去の罪がゆるされた恵みを覚えましょう。そして「私には赦せない人 がいます。どうぞ、相手を受け入れる力を与えて下さい」と祈りましょう。Ⅰコリント 13章5節には「愛は恨みをいだかない」 (口語訳)とあります。この「いだく」とは、 メモしておくという意味だそうです。神の愛が赦す力を与えてくれます。神に罪を赦さ れた者だけが他者をも赦すことができるのです。 ◎Iヨハネ1:9を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記16章 「神の指定席」 --------------------------------------- 12月17日(月)申命記16:16「主の選ぶ場所」 イスラエルの男子は年に3回、すなわち、過越しの祭り、7週の祭り、仮庵の祭りを 守るべきことが記されています。過越しの祭りとは、エジプトから救い出されたことを 記念する祭りです。 7週の祭りとは、 収穫の祭りで後のペンテコステの記念の祭りです。 仮庵の祭りとは、イスラエルの民の荒野での放浪を記念する祭りです。ただし祭りを守 るときに条件がありました、その場所はどこでもいいのではなく、 「主が選ぶ場所」 (2, 6,7,11,15,16)で仕えるということでした。私たち夫婦は「相模原開拓」 「横浜教会」 「井土ヶ谷教会」に遣わされました。今思うと、どれも「主が選ばれた場所」 だなぁと思います。主は最善以下のことをなさいません。あなたにとって、必要だから そこを通されます。人事を決めるのは教団委員会であっても、その背後に神の導きがあ って、牧師は皆、主が派遣して下さったと受け止めています。 「置かれたところで咲きな さい」という言葉があります。あなたの家庭や学校や職場も、主が遣わされた場所です。 主は必要があって、そこに遣わしておられるのです。 「なぜ、どうして」と不本意なこと があるかも知れません。神には間違いがありません。 ◎ヨハネによる福音書15:16を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記17章 「馬にたよるな」 --------------------------------------- 12月18日(火)申命記17:16「王は、自分のために決して馬を多くふやしては ならない」 ここに王たる者の3つの心得(多くの馬、多くの妻、多くの金銀)があります。指導 者は権力(名誉欲) 、異性、金銭で人生を棒に振ることが多いというのです。これは王だ けではなく、現代の私たちへの警告でもあります。詩篇33:17に「軍馬も勝利に頼 みにはならない」とあります。ところで、あなたにとって馬とは何でしょうか。神以外 のものに頼ろうとするものは、すべて馬です。案外、リーダーは経験豊富です。経験や 実績はその人にとって財産です。それはそれで感謝なことですが、自分の経験が「馬」 (偶像)になる危険があります。じっくりお祈りすることをしないで、簡単に決断しな いことです。あせらず、あわてず、気長に、じっくりと。私には牧会で苦い経験があり ます。ずっと大教会にいたので、良いとか悪いとか別にして、大教会のやり方が染み込 んでいました。あるとき、開拓伝道に遣わされました。大教会のスタイルに当てはめよ うとしました。信徒に「その方法は大きな教会ではいいが、うちでは無理です」と注意 されました。傲慢が砕かれました。各々の教会に適した方法があります。 ◎箴言21:31を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記18章 「人を恐れるな」 --------------------------------------- 12月19日(水)申命記18:2「主ご自身が、彼らの相続地である」 イスラエルの民には約束の地で信仰的戦いが待っていました。彼らは何よりも偶像と 戦わなければなりませんでした。ある時、受洗した教会員が牧師館を尋ねてきました。 手には2つの偶像を持っていました。一つは「鶴岡八幡宮」のお守りでした。それには 「開運・厄除」と記されていました。もう一つは「川崎大師」の札でした。もう洗礼を 受けたから、要らなくなったので処分してほしいというのです。私は内心、嬉しくなり ました。それは、その方が過去の古い自分に訣別して、新たに主イエスと共に歩みはじ めたのです。クリスチャンが社会で信仰の旗印を打ち出すと、変わり者のレッテルを貼 られたり、不利になったりします。だから、隠れキリシタンで過ごそうとします。一時 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というギャグが流行しました。 「みんながやってい るから」と、この世と調子を合わせてしまいがちです。特に、日本人は善か悪かという ことよりも、多数の人がどうかを気にします。人と違ったことをすると、あの人は変わ っていると思われます。回りの目を恐れるのです。だから、わかっていても妥協してし まいます。年末は誘惑が多いです。静まって主の助けをいただきましょう。 ◎箴言29:25を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記19章 「のがれの町」 --------------------------------------- 12月20日(木)申命記19:5「その者はこれらの町の一つにのがれて生きること ができる」 のがれの町を特に設けているのは大変興味深いことです。のがれの町に至る道は、意 識的に広い道に造り、毎年これを修復する義務があり、すべての障害を取り除く必要が ありました。この「のがれの町」は私たちの避け所であるキリストの型です。Ⅰコリン ト10:13を見ると、第一に「試練の現実」 (あなたがたの会った試練はみな人の知ら ないものではない)があります。信仰者は絶対、交通事故にあわない、病気にかからな い、試験に失敗しない、失恋をしないなど、うまい話、バラ色の人生がそこに待ってい るとは限りません。第二は「耐えられない試練はない」 (絶えられないような試練にあわ せることがない)試練に押し潰され、万事休すということはありません。四方八方から の試練で途方にくれることがあっても、行きづまりません。第三に「のがれる道」 「脱出 の道」がすでに備えられています。 「誰のせいでこうなったのでろうか」と犯人捜しをし ないことです。特に子どもに問題行動が起きると、すぐ親の教育責任が問題にされがち です。 「躾ができていないから」と母親に非難が集中します。試練にあったのは、祈りが 足りなかったのでも、信仰が薄いからでもありません。 ◎Iコリント10:13を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記20章 「主イエスと共に」 --------------------------------------- 12月21日(金)申命記20:4「共に行って、…あなたがたの神、主である」 私たちが乗っている「人生列車」は、時には故障したり事故を起こしたり脱線したり します。場合によっては、列車から降りなければなりません。つまり、予定外の途中下 車を余儀なくさせられます。具体的には、病気、事故、ケガ、受験の失敗、失恋、仕事 の挫折など。人生の旅において、この「途中下車」というものが大切な意味をもってい るのです。この期間を恵みの時として受け取り、しばらく周りを散歩してみてはいかが でしょうか。途中下車して散策すると、今まで見えなかった様々な風景を新発見するこ とがあります。健康な時より、試練の時こそ、洞察力を深めるのではないでしょうか。 カール・ヒルティが「偉大な思想は、ただ大きな苦しみによって深く耕された心の土壌 からのみ成長する」 (眠られぬ夜のために)といいます。ラジオの人生相談で、あるベテ ランのカウンセラーが相談者に対して、 「この人はせっかく悩んでいるのだから、もうし ばらくそのままにしておいた方がいいと思います」と言っていました。 「せっかくの悩み だから」とは少し冷たいようですが、焦らず、あわてず、ゆっくりと自分を見つめまし ょう。せっかくのチャンスをいただいたわけだから。 ◎Iコリント3:7を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記21章 「親離れ・子離れ」 --------------------------------------- 12月22日(土)申命記21:20「私たちのこの息子は、かたくなで、逆らいます」 「先生のところでは子育てをどんな風にしているんですか」と聞かれたことがありま す。 そのとき私は失敗談を話しました。 子どもがピアノひけたらいいなあと思いました。 将来、教会で音楽奉仕の場が増えるから、また牧師の子どもは音楽のできる子が多いか ら。親の見栄やエゴも少しあったでしょう。それである信徒のお宅へ一時、通わせまし た。ところが、ピアノに興味を示すどころか苦痛や重荷になりました。 「これではいけな い」と思い、無理せず辞めさせました。最近、日本の最南端にある波照間島をテレビで みました。そこには小学校・中学校しかなく、高校はありません。高校生になると親元 を離れて石垣島でアパート暮らしをするそうです。つまり、親と 15 歳までしかいられ ないということです。私は今「親離れ・子離れ」をしています。教会員にも子供と共に 遊び、子供と一緒に旅行に行きなさいと話しています。遠くから子の自立を祈って見守 ることも親の愛情です。日野原先生は「弓がどこに飛んでいくかは子供の仕事」といい ます。子を支配し、干渉しすぎると親が多いと嘆いています。子は親の敷いたレールに 乗りません。子は親の所有物ではありません。子はお客です。 ◎詩篇119:9を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記22章 「聞くという奉仕」 --------------------------------------- 12月23日(日)申命記22:3「知らぬふりをしていることはできない」 井土ヶ谷では新会堂建設途上ですが、最初は傍観者が多かったようですが、最近は献 金や祈りを通し、みんなが重荷を持つようになりました。愛の反対語は「憎しみ」では なく、 「無関心」だといいます。愛はたえず隣人を見出していく力です。 「隣人である」 のと「隣人となる」ことは違います。前者はただ物理的に距離が近いことを意味し、後 者は、こちらから近づいていくことを意味します。現代は多くの人が病み、道に迷って います。物質は豊かでも、心が病み助けを求めて叫んでいます。教会に心の風邪で病ん でいる方から電話がよくかかってきます。ボンヘッハァーは「聴く奉仕」があるといい ます。ただ聞くだけで、心が癒されたり、楽になったりします。難病患者会で「最近の 医者はパソコンだけを見て患者を見てくれない」と聞きました。主は顔に耳を2つも与 えてくれました。傾聴は古代からの手法でしょう。年をとると、同じ話を繰り返すのが 得意になります。家族から嫌われます。邪魔者扱いにされます。教会員が老人ホームで ボランティアをして「ただ聞いてあげて下さい」と言われたそうです。人は皆苦労話を 聞いてほしいと思っています。きょうも隣人に耳を傾けましょう。あなたの耳を求めて いる方がいます。 ◎ルカによる福音書10:37を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記23章 「型にはめない」 --------------------------------------- 12月24日(月)申命記23:5「あなたの神、主は、あなたを愛しておられる」 15節の「逃亡奴隷」とは、外国からイスラエルに逃亡してきた奴隷と思われます。 考えてみると、私たちも霊的な奴隷であったのです。今まで縛っていたものから解放さ れて、本来立ち戻るべき主人(キリスト)につながったのです。キリスト者だから、こ うしてはいけない、ああしてはいけないと律法に束縛され、自分の首を締めています。 真面目なキリスト者ほど弱音をはいてはならないと型にはめています。辛い時、悲しい 時は思いっきり泣いていいのです。神の前に「いい子」ぶる必要はありません。背伸び しないで、ありのままで。子供は家庭で「いい子」を演じる事があります。親はいい子 だと安心します。それが思春期になると、 「お母さんは私の身の回りだけでなく、考え方 に至るまで何から何まで支配しようとしている」と不平不満を口にします。長い間苦労 して育ててきて、しかも良かれと思ってやった末に、こんなことを言われ親はショック を受けます。 「誰のおかけで・・・・」と親子ゲンカになります。こんな時、 「そうだったの。 お母さんは、あなたがそんなふうに感じていたとは知らなかったわ。長い間、あなたの ことを理解できないでごめんね」と相手の気持ちを共感してあげるといいです。 ◎マタイによる福音書10:29~30を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記23章 「ただいるだけでいい」 --------------------------------------- 12月25日(火)申命記23:18「思い起こしなさい」 かつて自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさいといいます。昔どん な生活をしていたか、過去の恵みを思い出すと、神への感謝がわいてきます。 「小さな命 を守る会」の辻岡先生の説教を聞いたことがあります。人工中絶によって、年間300 万あるいは500万ともいわれる赤ちゃんが産声をあげる前に殺害されているといいま す。1日に1万人以上、実に10秒に1人の割合です。ナチスの優生思想で、障害者や 難病の患者は「T4計画」という安楽死の犠牲になりました。その数は20数万人とい われます。安楽死といえば聞こえはいいが、最初にガス室に送られたのは、ユダヤ人で はなく、知的障害者だったのです(日本ダウン症協会熊本支部会報) 。国家や社会の役に 立たないという理由だけで、簡単に人を殺害したのです。うちの教会では知的障害者も 献金当番をします。外部の講師は皆感心します。何ができても、できなくても、存在そ のものがすばらしいのです。神の目から見たら、皆「高価で尊い」存在です。あなたも 望まれて生まれてきた一人です。自分や他人がどう見るかではなくて、神が自分をどう 見るかが大切です。遺伝子診断や出生前診断から守られたのは、神の恵みです。 ◎Iコリント15:10を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記25章 「群れを去った人への配慮」 --------------------------------------- 12月26日(水)申命記25:18「落後者をみな、切り倒したのである」 アマレクは群れから落伍した動物を襲うようにイスラエルを攻撃しました。それも疲 れ、くたびれて弱った機会を狙って襲いました。教会から離れた人は、まさにこの攻撃 にさらされようとしているのです。さて教会から遠ざかった人への配慮はどのようにし たらよいでしょうか。①手紙や電話をするのもいいでしょう。決して責めず、お説教調 にならず、押し付けがましくなく関わることです。②その方が信頼している教会員が訪 問して、ゆっくりと話を聞いてあげるのもいいでしょう。教会生活に疲れきっています から、そんな時、自分ならどうしてほしいかを考えましょう。あせらず、じっくりと、 あきらめないで関わることです。③必ず帰ってくると信じて祈り続けることです。祈祷 は祈闘です。イスラエルの落伍者を救ったのは、アマレクと戦ったヨシュアよりも、背 後で祈ったモーセの祈りがあることを忘れてはなりません(出エジプト17:11) 。以 前久しぶりに来た信徒が、週報箱に名前があるのを見て号泣しました。彼にどう接した らいいか教えてほしいといったら、 「お茶でも飲みに遊びに来ませんか」と書いてあった 文が良かったと話してくれました。いつも覚えていることを目に見える形で。 ◎ローマ人への手紙12:15を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記26章 「家庭の武器」 --------------------------------------- 12月27日(木)申命記26:17「きょう」 今日の箇所は4章の終りから続いたモーセの第2の説教の締めくくりです。モーセは 「きょう」という日に、神の恵みへ応答すべきことを勧めています(3、16、17, 18) 。神は「今、すぐに、ただちに」従うことを求めていますが、私たちは「あとで」 「いつか」と言ってしまいやすいです。物事を慎重に決断をすることは大切なことです が、時にはその慎重さが「きょう」という決断を逃してしまうことがあります。ある石 橋をたたいて渡る青年が、宣教師たちの「just do it」 (ともかくやってみましょう)と いう言葉をよく耳にするそうです。何事も慎重で、重い腰を上げる性格なので、ともか く実行することを学んだといいます。 家庭には祈祷という器が与えられています。 でも、 あることと使っているのとでは違います。最近、私は携帯を買いました。文字が小さい ので、いつも不携帯です。老化現象のひとつで小さい文字が見えないのです。持ってい るだけで、活用していないのです。神は公平に祈祷のカギをプレゼントされています。 よく用いている人のカギは輝いていますが、あまり使っていないカギは錆びています。 ところで、あなたのカギはいかがでしょうか。御霊の言える如くせよ。 ◎ルカによる福音書11:8を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記27章 「聖書通読の重要性」 --------------------------------------- 12月28日(金)申命記27:9「静まりなさい」 暮れは忙しいです。バタバタと動きがちです。静まって、新しい年の標語を受け取り ましょう。詩篇46:10に「静まって」 (口語訳)とあります。主イエスも「祈り」 (マ ルコ14:35)の中で、 「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、な さってください」と祈られました。じっくり静まることをしないで、神のみこころを求 めることはできません。さあ、きょうから始めましょう。よく祈って、神の声を聞くの です。私たちは毎日いろんな声を聞きます。でも、一番聞かなければならないのは、神 の声です。ところで、どうやって神の声を聞くのでしょう。族長時代には夢や幻で神の 声を聞きました。しかし、いまは啓示された聖書の言葉で主は語られます。だから、普 段から地道な聖書通読が必要です。ある人がパッと聖書を開けたら「ユダは首をつって 死んだ」が出て来ました。次に、開けたら「あなたも同じようにしなさい」と。次に開 けたら「いますぐしなさい」と。人間は自分に都合のいいように私的解釈をします。Ⅱ ペテロ1:20.あたかも聖書の言葉を裏付けにし、自分を正当化します。聖書の意味 が理解できなくてもいいから順々に聖書通読に励みましょう。 ◎ルカによる福音書10:42を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記28章 「神はわが家の財務省」 --------------------------------------- 12月29日(土)申命記28:6「あなたは、はいるときも祝福され、出て行くとき も祝福される」 モーセはイスラエルに、主のみ声に聴き従い、そのご命令を守り行なうなら祝福を得、 主のご命令とおきてとを守り行わないなら、呪いを受けると言いました。 「置かれた所で 咲きなさい」といいます。神が遣わされた場所で主と共に歩めばいいのです。 「家が貧し くてよかった。さみしい田舎でよかった。お母さんが病気でよかった。いたわってあげ てよかった。喜んでくれてよかった。色盲で医者になれなくてよかった。牧師になって よかった。なにもかもよかった」 (河野進詩集より) 。貧乏もいいものだと思います。牧 師家庭から二人の留学生(ニューヨークとロンドン)が出るなんて奇跡です。神はわが 家の財務省です。 長女は3ケ所でバイトしてお金を蓄えました。 親に甘えられないので、 巣を飛び立ついい機会になりました。自立、親離れのチャンスです。本当にピンチはチ ャンスです。親も「子離れ」や「空の巣症候群」から脱皮できました。わが家のキーワ ードは「節約」です。うちの信徒の息子が大学生になり、1人暮らしを始めました。彼 は「先生、親の有難みがわかった」といいました。何1つ無駄ではないですね。神は「ほ しいもの」ではなく、 「必要なもの」をいつも備えて下さいます。 ◎箴言30:8を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記29章 「なぜと問うなかれ」 --------------------------------------- 12月30日(日)申命記29:29「隠されていることは、私たちの神、主のものであ る」 申命記29章~30章はモーセの第3の説教です。浜田山教会の舟喜信先生は『キリ スト者が神を信じるということ』の中で、 「わからないことや未解決の問題と同居するこ とに慣れるようにしましょう」と言います。先生は信徒にそれを口癖のように言うそう です。私は牧会していて、 「なぜ、あの信徒にああいう試練があるのですか」という「わ からないこと」 「隠れた事」にしばしば直面します。その時、神に成り代わってその試練 を説明し、解釈しがちです。 「解釈しないやさしさ」というものがあります。阪神大震災 で子供を亡くした母親の追跡調査でこんなものがあります。まず、 「周囲にしてほしくな かったこと」について、そこには「ガンバッテという言葉」 、 「話した方が楽になります よ」というカウンセラーの強制的とも思えるような指導などがありました。次に「して ほしかったこと」としては、 「悲しみを共感してほしかった」 、 「何もしてほしくない。黙 って受け止めていてくれるだけでいいのです」など、 「そっとしておいて」という声が多 かったということです。病んでいる人に対して、慰めようとしてガンバッテと語るより も、ただ黙って痛みや悲しみを共感することがどんなに有難いことでしょう。 ◎エレミヤ書33:3を読んで祈ろう。 --------------------------------------- きょうのメニュー:申命記30章 「親子伝道の秘訣」 --------------------------------------- 12月31日(月)申命記30:19「あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなた の子孫も生き」 聖書は、家族をあげて信仰が継承されることを望んでいます。そこで大事なことは、 夫婦仲の良いことです。 「子供は夫婦の愛情のこぼれで育つ」といいます。エペソ書5章 を見ると、親子関係の前に、まず夫婦関係がきています。人間関係の基本は家庭生活で す。両親が愛し合っているか否かは子供はよく見ています。以前「児童養護施設」の映 画をみました。やはり、親子関係は夫婦関係ですね。子供は犠牲者です。夫婦だからこ そ忠告ができます。あからさまに責め、注意できるのは妻だけです。 「何を偉そうなこと を言っているか、女のくせに」と思われるかもしれません。 「内助の功」という言葉があ ります。私が主治医に「うちのカナイはオッカナイです。リハビリの鬼コーチです。歩 くのが趣味です」と話したら、主治医は「工藤さんが今あるのは奥さんのお蔭ですよ」 と言われました(笑) 。箸は1本では役に立ちません。2本で互いに支えあい、補い合い、 仕え合い、一つの働きをします。よく「井土ヶ谷教会は家族で来ているから羨ましい」と いわれます。子供が信仰の遺産を継承してほしいので、教会では年に数回合同礼拝をし ています。何とか福音が家族に浸透することを願いながら。 ◎使徒行伝16:31を読んで祈ろう。 ---------------------------------------
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