ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察

関東学院大学『経済系』第 234 集(2008 年 1 月)
研究ノート
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
A Study of Industrial Cluster Strategy in Europe
税 所 哲 郎
Tetsuro Saisho
要旨 産業クラスターとは,特定の産業分野に関連する企業や大学などの各種機関がネットワーク
を構築し,さまざまな交流や連携を行うことによって,新しい研究や開発を推進して事業化を行い
イノベーションが創出している状態のことである。
ヨーロッパのライン河上流域に位置する BioValley は,スイス,ドイツ,フランスの越境地域連
合の域連携型の産業クラスターである。その地域内においては,各種の関連機関が集積して連携す
るとともに活発な活動を行い,さらに多くの企業や研究者を呼び込んで地域の競争力を高めている。
一方,わが国においても地域経済再生のための方策として,全国各地で産業クラスター戦略が展
開されている。産業クラスター戦略では,経済産業省の産業クラスター計画,文部科学省の知的ク
ラスター創成事業による政府の積極的な施策も推進されているが,成功しているとは言い難い状況
である。
本稿では,ヨーロッパにおける越境地域に位置し,地域連携型クラスターとして各種関連機関の
相乗効果を発揮している BioValley について,その産業クラスター戦略としてのイノベーション創
出の仕組みについて考察する。
ライン河上流域に位置する越境地域のイノベーションの創出が見られる BioValley における産業
クラスター戦略の考察は,今後のわが国の産業クラスター戦略へのひとつのインプリケーションと
なるであろう。
キーワード 産業クラスター,越境地域連合,産学官連携,ネットワーク組織
1.
2.
3.
4.
はじめに
BioValley の概要
BioValley における産業クラスター戦略
おわりに
1. はじめに
関連機関(大学,研究機関,業界団体,ベンチャー
キャピタルなど)の組織が,地理的に集中して,か
産業クラスターとは,アメリカ・ハーバード大
学ビジネススクール教授のマイケル・E・ポーター
つ競争しつつ,同時に協力・協調している状態,地
域のことである。
氏が著書「国の競争優位」の中で提示した概念で,
したがって,当該状態および当該地域では,蓄
ある特定の分野に属し,相互に関連した企業と各
積された特定産業分野に関する情報や技術,知識,
種関連機関からなる地理的に近接した集団のこと
資金などが,産業クラスター内のネットワーク組
である [10]。
織1) を通じて広がっていくことで,競争と協力・協
つまり,IT(Information Technology:情報技
術)や情報通信メディア,バイオテクノロジー,ラ
イフサイエンスといった特定の産業分野における
企業,および専門性の高い関連業界に属する企業,
〔注〕
1)ネットワークには本部も指導者も命令系統もない。
ネットワークは自由な形式を持ち,自己組織的であっ
て,同じような世界観や価値観を通有している自律
— 132 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
調,連携によってイノベーションの創出活動2) が
フォマティクス5) ,生化学特殊化学,植物農産食
行われているのである。
品の加工を中心とした新しい産業や市場を形成し
ヨーロッパの 3 ヶ国における越境地域で産業ク
ている。また,医療技術分野においても,大学病
ラスターを形成している BioValley は,ライン河
院や地域病院と協力している医療研修機関が臨床
上流のスイス,ドイツ,フランス国境の三角地域
試験に対してデータを提供し,高度な専門技術を
に位置している。BioValley の名称は,アメリカの
持つ研究開発員,部品や機器の製造企業と問題解
シリコンバレー3) に由来している。これは,シリ
決を得意とする企業のネットワーク組織が構築さ
コンバレーにおいて,自然発生的に企業が生まれ,
れている。加えて,大規模な医療機器企業のほか
かつ発展していった成功モデルを,この地域にお
に,関連する活動的なベンチャー企業が設立,順
いて模倣して成功に導いていこうとする意図のも
調に操業している。
とで名付けられたのである。BioValley では,地域
このように,円滑な技術移転や積極的な資金支
内の企業が個別の活動を展開しているのではなく
援機能,仲介機能の提供も存在して,経済・文化・
3 ヶ国の越境地域連合を形成,各国の企業だけで
情報も活発化,優秀な人材や頭脳が集中すること
なく行政機関や大学,研究機関などを含めた,バ
も重なって,イノベーション創出の活動が活発化
イオテクノロジーやライフサイエンス分野に関す
している地域でもある。
る特定の産業分野に対して,さまざまに関連する
機関が密接な関係を維持している。
本稿では,今後のわが国の広域にわたる場合の
産業クラスター戦略の展開にも参考となるととも
BioValley の地域内では,バイオテクノロジーや
に,かつ有益な地域発展モデルとなる BioValley の
ライフサイエンス分野において,活発な地域活動
実態について,現地調査6) に基づいて,そのイノ
が見られており,治療学診断学,プラットフォー
ベーション創出の仕組みについて考察を行った。
4)
ム技術,バイオエレクトロニクス とバイオイン
BioValley の概要
2.
的で自己実現的な何百人もの個人から成り立ってい
る組織のことである [3][12]。
2)活動は,バイオテクノロジーのネットワーク組織
の構築を促進するために,
「スイス・バイオテクノ
ロジー・プライオリティ・プログラム(SPP: Swiss
Priority Program Biotechnology)
」の名称で,官民
共同イニシアチブが 1992 年から 2001 年まで実施
された。現在までに 1 億 60 万スイスフランの予算
が割り当てられて,特に技術移転の側面に力が注が
れ,大学と企業間で大規模な知識と技術の交流が行
なわれたプログラムとなった。
3)シリコンバレー(Silicon Valley)は,アメリカのカ
リフォルニア州サンフランシスコ郊外のサンタクラ
ラ・パロアルト・サンノゼ地区を通称して呼ばれて
いる。この地域では,1970 年代からシリコンを主
体原料の IC(Inter Change:集積回路)を取り扱
うマイクロエレクトロニクス関連産業が集積したた
めに,その名が付いている。
4)バイオエレクトロニクス(Bioelectronics)とは,そ
の得られた知見をもとに,生物の構成要素間の情報
を電子情報へと変換,生物の優れた機能を工学的に
応用してシリコンデバイスに代表される既存の素子
にない機能をもつ新規な素 q(バイオ素 q)を開発
BioValley は,図 1 に示すように,ヨーロッパ
中心部のライン河上流域のスイス北西部,ドイツ
南西部,フランス北東部に挟まれて発展して 3 ヶ
国の主要地域都市であるスイスの Basel,ドイツ
の Freiburg,フランスの Strasbourg の地域を結ん
だ三角地域に位置している。この地域では,バイ
オテクノロジーとライフサイエンスにおける産業
しようとする分野である。
5)バイオインフォマティクス(Bioinformatics)とは,
遺伝子解析情報を元に並列コンピュータで各遺伝子
の機能予測実験を行なったり,データベース化され
た実験結果を元に遺伝子間の相互作用を予測したり
するなど,生命科学と情報科学,情報工学が融合し
た分野である。
6)平成 17 年度∼平成 19 年度科学研究費補助金(基盤
研究 (C))
(研究課題:薄れ行く企業境界と「企業集
団,産業クラスター,産業集積」のガバナンス構造)
の支援を受けて,2005 年 10 月 30 日から 11 月 6
日までの日程でライン河上流 CBC(Cross-Border
Cluster)の調査を行った。
— 133 —
経
済 系
第
234 集
Alsace BioValley
ニーズ、人材、共同開発など
ベンチャー企業
BioValley
Deutschland e.V.
中小企業
大企業
OFFENBURG
フランス
Win Win の関係を構築
(Seeds と Needs のマッチング)
ライン河
ドイツ
KONSTANZ
スピンオフ
政策
資金
大学・研究機関
政府・行政機関
金融機関
技術・人材・教育
インフラ・補助金
ベンチャーキャピタル
スイス
BioValley Platform Basel
(出所)Beat E. Glatthaar “BioValley Interreg III Program” をもとに筆者作成。
図 1
(出所)筆者作成。
図 2 BioValley の関係
BioValley の位置
のほか図 2 に示すように,技術や人材,教育を担っ
分野を中心としたネットワーク組織が築かれて,
ている大学・研究機関,インフラ整備や補助金提
3 ヶ国の越境地域における地域連携型の産業クラ
供を担っている政府・行政機関,ベンチャーキャ
スターである。
ピタルを担っている金融機関などの各種関連団体
BioValley の大きな特徴としては,ヨーロッパの
複数の文化と言語が重なり合うとともに,技術拠
点を結ぶ線においても交差している地域である。
が集積して,それぞれが相互に影響しあって産業
クラスターを展開しているのである。
各種関連団体では,バイオテクノロジーやライ
また,3 ヵ国の地域都市は 2 時間で往来すること
フサイエンス分野の産業において,ベンチャー企
が可能な距離で,担当者が特定の都市に集まって
業と大企業・中小企業における企業間のつながり
face to face のコミュニケーションを簡単に図れる
だけでなく,大学・研究機関,政府・行政機関,金
地域圏である。さらに,ライン河上流域に位置し
融機関との Win Win の関係を構築して,Seeds と
ていることもあって,昔から主要な国際貿易路の
Needs のマッチングを行なった活動を展開してい
交差点であるとともに,ヨーロッパの北部と南部,
るのである。また,地域において,非常に競争力
西部と東部を結ぶ重要な貿易路が交差する地域で
のあるバイオテクノロジーやライフサイエンス分
ある。一方,BioValley を基準に考えると,アメリ
野の産業は,新しい起業を生み出すなど,さらに
カや極東のビジネス中心地に対して等距離の地域
この地域に対する新しい投資を呼び込む役割も果
にあって,世界的なビジネスを展開するうえにお
たしている。
また,BioValley における科学技術の側面では,
いて有利な条件を備えた地域である。
このような地域環境を有している BioValley で
大学などによる最高水準の教育機関と企業などに
は,産業クラスター全体の持続的かつ継続的な成
よる研究機関の研究活動とによって支えられてい
長のために,バイオテクノロジーとライフサイエ
る。BioValley には,大学や学校の他に独自の教育
ンスの産業分野に集中した活動を展開している。
制度があり,科学技術における雇用レベルにおい
このような BioValley に立地している企業の中に
て質(知的水準)の高い人材を育成している仕組
は,Novartis,Roche,Serono,Lonza,Syngenta
みがある。このような質の高い人材を継続的に生
といった世界を代表する著名な企業が多数存在し
みだす教育制度によって,企業はバイオテクノロ
ている。ただし,BioValley では,著名な企業だけ
ジーやライフサイエンス分野の産業において,十
の活動が注目されているのではない。企業の集積
分な資質を持ち実践的訓練を受けた従業員を採用
— 134 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
表 1 BioValley における相互補完性の状況
項目
BioValley Platform Basel
(Switzerland)
BioValley Deutschland e.V.
(Freiburg)
Alsace BioValley
(Strasbourg)
制度上の
主特徴
イノベーションと特許取得を支 それほど目立たないが,技術移 少しでも科学産業と結び付ける
援する私的機関と公的機関のネ 転と特許取得を支援するいくつ ことができれば,技術移転を推
ットワークがある。
かの公的機関がある。
進する公的機関がある。
技術的な
主特徴
公的機関の研究は低迷している 活発な基礎研究と公的機関によ 非常に活発な基礎研究が見られ
が,私的機関の活発な研究開発 る応用研究によって,イノベー るが,応用研究は低迷している。
活動が見られる。
ションを引き起こしている。ま また,私的機関の研究開発活動
た,私的機関の研究開発活動は は見られない。
見られない。
世界的市場で活躍する多国籍医 多数の中小企業が存在している。 非常に少ない数が,研究開発型
企業立地の
薬品企業が存在している。
また,僅かであるが,新興企業 企業が存在している。
主特徴
も存在している。
(出所)Beat E. Glatthaar “BioValley Interreg III Program” をもとに筆者作成。
できることが確保されており,企業活動を積極的
に展開できる重要な要因となっている。
の BioValley Platform Basel,ドイツの BioValley
Deutschland e.V.,フランスの Alsace BioValley)
ところで,BioValley における発展の歴史は,1980
年代後半に遡る。それは,この地域の企業家であ
が正式に組織されて,現在の BioValley が構成さ
れている。その後,2002 年から 2007 年にかけて,
る Georg Endress と Hans Briner の 2 人によって,
「3 ヶ国におけるネットワークからバイオテクノ
ライン河上流地域におけるバイオテクノロジー版
ロジーのクラスターまで」というテーマで Inter-
のシリコンバレーである “BioValley” を構想した
reg III European Program による,e2,752,750(約
ことにはじまる。
468,000,000 円)の予算を獲得して,BioValley にお
1996 年にスイスの Ciba と Sandoz が合併して
けるネットワーク組織の更なる拡大を目指してい
Novartis が誕生したが,同年に BioValley が創設
る。なお,この予算金額のなかで 2002 年から 2005
されて,ともに注目を集めて発展してきたのであ
年までの 4 年間の予算において,実に 86.5%もの
る。BioValley の創設にともない,この地域にバイ
e2,382,500 を占めているのが特徴である。
オテクノロジーやライフサイエンス分野に関する
BioValley の目的は,当該地域における企業と各
企業や大学,行政機関,金融機関などが参加・集
種関連団体(大学,業界団体,地方政府,政府系
積している。また,参加者に対する展示会の開催
研究機関,ベンチャーキャピタル,インキュベー
やニュースレターのメール配信,小冊子の発行を
ションセンターなど)が産官学連携を推進させて,
行うといった BioValley Promotion Team の活動
それぞれの組織が密接に連携して活動を展開,専
によって,3,000 人以上の BioValley 関連の雇用が
門性の高い資源,情報アクセス,各種機関や公共財
生まれている。
へのアクセスなどを向上させて,地域におけるイ
1997 年に BioValley Promotion Team の前ゼネ
ノベーションの創出を図ることである。BioValley
ラルマネジャーの Beat Löffler が Interreg II Eu-
では,ネットワーク組織の広がりによって,表 1
ropean Program による,e200,000(e1 170:約
に示すような 3 ヶ国地域における相互補完性を構
374,000,000 円)の予算を獲得して,BioValley にお
築して,技術力の向上に伴う技術知識の蓄積,研
けるネットワーク組織の形成を目指している。ま
究能力の向上に伴う研究情報の蓄積を行なうこと
た,1 年後の 1998 年には,3 ヶ国の中央協会(Bio-
が可能となっているのである。また,このような
Valley Central Association)と各国協会(スイス
相互補完性が,新しい商品化や新たな取引の実現
— 135 —
経
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第
234 集
BioValley Central Association
Dr. Christian Suter, President
christian.suter@suterscience.com
BioValley Central Association Board Members
Germany
Switzerland
France
(BioValley Platform Basel)
(Association Alsace BioValley)
Dr. Christian Suter, President
Mr. Rolf Rolli, Vice-President
Mr. Gérard Christmann, President
Mrs. Majo Bildstein, Secretary
(BioValley Deutschland e.V.)
Dr. Raphael Vogel, President
Dr. Bernd Dallmann, Vice-President,
BioValley Central Association
BioValley Central Association Invited Members
Coordination Switzerland
Dr. Beat Glatthaar,
coordinator BioValley Switzerland
Coordination France
Coordination Germany
Mr. Nicolas Carboni,
General Manager Alsace BioValley
Mrs. Christine Gradt,
coordinator BioValley France
Dr. Thea Siegenführ,
coordinator BioValley Germany
Mr. Manfred Claassens,
CEO BioValley Deutschland e.V.
(出所)BioValley ホームページをもとに筆者作成。
図 3 BioValley の組織
などの事業化への進展につながるといたイノベー
を展開している。現在の中央協会会長はスイス協
ションを創出が可能となるのである。
会の会長が兼務しているが,中央協会ポストは固
また,イノベーションの創出では,既存の技術
に対して新しい技術が生まれて,新しい顧客ニー
ズの把握が容易になる,新しい製品や商品の実験
定されたものではなく,3 ヶ国の各国協会の持ち
回りで担当している。
BioValley Central Association のミッションは,
が容易になる,市場参加者間の競争による刺激の
図 4 に示すように,ネットワーク,情報仲介,コ
拡大などのさまざまな効果を目指しているのであ
ミュニケーション,広報,販売促進のタスクに分か
る。今日では,BioValley は,バイオテクノロジー
れて,さまざまな活動を展開することである。そ
とライフサイエンスの分野におけるヨーロッパの
れは,会員に対する経済販売促進の活動であった
国際的な産業クラスターを形成して,代表的な地
り,大学や企業などで行われる技術移転の支援と
域となっている。
アライアンスの構築であったり,行政機関や金融
機関と協力した融資の活動を行ったりすることで
3. BioValley における産業クラスター戦略
ある。このように,BioValley では 3 ヶ国の各国協
会の調整を行うことで,それぞれの地域の特色を
BioValley の組織は,図 3 に示すように,3 ヶ国
把握し,その強みを生かした上で,集積した個々の
地域を統括する中央協会の BioValley Central As-
企業や各種団体の競争力を発揮させて,イノベー
sociation(Dr. Christian Suter 会長)を頂点とし
ションを創出しているのである。
て,スイス協会の BioValley Platform Basel(Dr.
地域政策において,税制は企業の集積を促して
Christian Suter 会長),ドイツ協会の BioValley
拠点活動を決定する上での重要な要因のひとつで
Deutschland e.V.(Dr. Raphael Vogel 会長)
,フラ
ある。3 ヶ国においては,スイスが超分権的な税
ンス協会の Alsace BioValley(Mr. Gérard Christ-
制,ドイツが分権的な税制,フランスが集権的な
mann 会長)の 3 ヶ国の各国協会で構成して活動
税制と各国で特徴の違いが見られるが,この地域
— 136 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
パートナーシップ
経済販売促進
=国際マーケティング
※タスク ネットワーク
情報仲介
コミュニケーション
広報
販売促進
大学,企業団体
=「技術移転と提携」
活動
融資
=国家の官民協力
各国 1 名の計 3 名で構成される BMT は,Interreg
BioValley
中央協会
III European Program で決められた内容の範囲を
マーケティング
製品
BioValley
メンバーの
ための
サービス
展開することでプロジェクトを推進している。
BioValley では,約 280 の研究機関,40 の科学学
術団体と 4 つの大学を含む約 600 の組織が会員と
して参加している。参加する企業や研究機関,大
学,金融機関などの会員に対しては,バイオテク
BioValley 協議会
専門家から構成
大学,R&D
産業
経済
経済販売促進
技術移転
ノロジー,ライフサイエンスに関するネットワー
ク組織のコミュニティ活動として,データベース
(BioValley に参加する会員情報)の提供,円卓会
議の開催,会報の提供,セミナーの開催,見本市
(出所)Beat E. Glatthaar “BioValley Interreg III Program” をもとに筆者作成。
の開催,ロゴポスターの提供といった各種のサー
ビスを提供している。
図 4 BioValley 中央協会のミッション
BioValley にある 400 社以上のバイオテクノロ
の税制は全体的に低率で緩やかな税率区分である
とともに,多くの国との相互協定(二国間租税条
約7) )の締結によって国際的に二重課税を防ぎ企
業にとって有利な課税環境である。さらに,ベン
チャー企業への資金調達のためのベンチャー資本
の利用や,世界の証券市場を代表するスイス証券取
引所への株式上場による資金調達も可能な地域で,
ファイナンスにおいても有利な資金環境である。
また,BioValley では,表 2 に示す各国から 15
人の専門家(科学,マーケティング,IT,ファイナ
ンスなどの分野)がボランティアで参加して BioValley Expert Team(BET:専門家チーム)を構
成して,産業クラスター全体の戦略についてアド
バイスを行なっている。
具体的には,Interreg III European Program8) の
プロジェクトが終了するまでの間,図 5 に示すよ
うな BioValley Management Team(BMT:経営
陣)と BioValley Interreg Board(BIB:プロジェ
クト委員会)に対する支援活動を行うことである。
BET では,1 年に 2 回から 3 回の会議を開催して,
ジーやライフサイエンス企業の中には,Novartis,
Aventis,Roche 等のグローバル企業が活動に参加
するとともに,約 280 の研究機関も企業に隣接す
る形態で会員として活動を展開している。個人の
側面では,企業や研究機関,大学,金融機関から
約 3,000 名がネットワーク組織のコミュニティ活
動に参加している。
また,Basel(スイス)
,Freiburg(ドイツ)
,Mulhouse(フランス)
,Strasbourg(フランス)の 4 都
市に設立されている大学では,約 7 万人の学生が
BioValley 地域で学んでいるとともに,3 ヶ国が共
同で開設したバイオテクノロジー学科を設立して,
高レベルの人材を継続的に生み出している。なお,
この地域での活動は,世界の製薬産業の約 40%の
活動を占めている。
このように,BioValley はヨーロッパにおける魅
力あるバイオテクノロジーやライフサイエンス拠
点である産業クラスターとして世界に知られるよ
うになった越境地域となっている。
3.1
BioValley 発展に関するすべての面で BMT に対
してさまざまなアドバイスを行なっている。また,
BioValley Platform Basel(Switzerland)
BioValley Platform Basel( 以 下 ,BioValley
Basel)である BioValley バーゼル協会は,スイス
7)租税条約における規定が国内法と異なる場合には,
租税条約の規定の方が優先することとなっている。
8)INTERREG の詳細については,伊藤貴啓 [2003],
清水耕一 [2005] などの研究があげられる [1][13]。
における最新のバイオテクノロジーやライフサイ
エンス分野に関する産業クラスターで,図 1 に示
すように地方都市であるバーゼル(Basel)に位置
— 137 —
経
済 系
第
234 集
表 2 各国から参加した 15 人の BET 専門家
専門家
France
Germany
Prof. Dino Moras, IGBMC, Strasbourg
M. Bernard Niel, Directeur de l’Agence de Developpement de l’Alsace, Colmar
Mme Majo Bildstein, Vice-Présidente de l’Association Alsace BioValley, Strasbourg
M. Jean-Luc Dimarcq, Directeur de SEMIA, Incubateur d’Alsace, Strasbourg
M. Gilbert Decker, CEO SODIV, Wittelsheim
M. Klaus Liedler, Protec GmbH, Freiburg
Dr. Petra Schüssler, CEO nanoTools Antikörpertechnik, Teningen
Prof. Dr. Manfred Raupp, Madora GmbH, Lörrach
Prof. Dr. Günter Kunz, University of Applied Sciences, Offenburg
Prof. Dr. Gunter Neuhaus, Universität Freiburg, Professor for Cell Biology, Managing
Director of Center for Applied Sciences
Switzerland
Dr. Rita Locher, IBR AG, Arlesheim
Prof. Dr. Daniel Gygax, Fachhochschule beider Basel, Muttenz
Prof. Dr. Hans-Joachim Böhm, F. Hoffmann-La Roche, Basel
Dr. Martin Aebi, Delegierter für Wirtschaftsentwicklung des Kantons Jura, Delémont
Dr. Rudolf Gygax, Novartis Venture Fund, Basel
(出所)BioValley ホームページより筆者作成。
Bio Valley Interreg Bord
(BIB:プロジェクト委員会)
Bio Valley Expert Team
(BET:専門家チーム)
1 国 5 人(15 名)の専門家
Bio Valley Management Team
(BMT:経営陣)
各国 1 人(3 人)のコーディネータ
(出所)Beat E. Glatthaar “BioValley Interreg III Program” をもとに筆者作成。
図 5 BioValley Interreg プロジェクト組織
している。なお,図 6 の BioValley Basel の概観
に見られるように,本部は街中のオフィスビルに
(出所)筆者撮影。
図 6 BioValley Platform Basel(Switzerland)
の概観
社などを中心とした産業都市となっている。
バーゼル地域における税制については,スイス
国内法に準拠している。法人税については,その
入居している。
バーゼルは,スイス北西部のバーゼル・シュタッ
制度は超分権的で連邦税(一律 8.5%)と州(カン
ト準州(ハーフカントン)の州都である。ドイツ
,準州(ハーフカントン)などの地方自治
トン9) )
とフランスとの国境近くの都市で,大型船舶が通
航できるライン河最上流の港を持つ最終遡行地点
の河港都市である。化学・繊維等の工業が伝統的
に発達している地域でもあるが,現在では製薬会
9)スイスの地方行政区画は,26 のカントン(Kanton)
という州から構成される。カントンは 19 世紀半ば
までに独自の軍や通貨を持った主権国家であったが,
1848 年に現在の連邦制度が確立された。
— 138 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
体税(3%から 21%)からなる。地方自治体税につ
技術,経済,政治などに関するコミュニケーショ
いては,他に資本税も存在,その税率は 0.1 から
ンとネットワークの支援(コミュニティ活動の支
5.25.%である。スイス国内のすべての州では,持
援)の 5 項目がある。BioValley では,3 ヶ国の各
株会社,管理会社に対して優遇税制を設けるとと
国協会に所属している会員は,他国の協会が提供
もに,ベンチャー企業などの新規に設立した会社
しているすべてのサービスを受けることが可能と
に対して外資系資本かどうかを問わず最長 10 年
なっており,相互支援・相互援助の機能を有して
までの法人税減免制度がある。なお,一部の州で
いるのである。
はスイス国外で販売活動を実施して,スイス国内
なお,BioValley の会員が利用できる各国協会が
法人が統括するプリンシパル会社に対する優遇税
提供しているサービスについては,次の 3 つに大別
制を実施している。また,二国間租税条約につい
される。第 1 は,バイオテクノロジーやライフサイ
ては,配当は一般 15%,親子間 10% (親子間要件
エンス分野に関して開催される講演会やミーティ
は持ち株比率 25%以上,配当支払日まで 6 ヵ月以
ング,討論会などの提供である。第 2 は,BioValley
上保有)
,利子 10% (間接融資等免税)
,ロイヤル
ガイドや機構プロフィール,企業,大学,業界団
ティ 10%(パテント譲渡益を含む)などの減免制
体,地方政府,銀行,ベンチャーキャピタル,イン
度を導入している。
キュベーションセンターなどの関連機関に関する
現在,約 30,000 人がライフサイエンス分野に従
総合データベースの提供である。第 3 は,エクスト
事している BioValley Basel は,270 の個人と団体・
ラネットを用いた機関紙 BioValley Journal(Web
組織を会員とする非営利法人(NPO: Non Profit
版)による情報の提供,およびパートナーシップ間
Organization)で,3 ヶ国地域における BioValley
の情報交換を含む会員のための情報の提供である。
活動の中心組織である。出資者としては,スイス
その他,3 ヶ国地域における共同プロジェクト
政府,5 つの州,準州が協調して融資を行ってい
の推進とプログラム作成,およびプロジェクトへ
る。この組織の目的は,会社・団体などの会員間
の参加募集,3 ヶ国地域における BioValley による
のネットワーク組織を構成して,バイオテクノロ
ベンチャー企業の設立の援助と支援,3 ヶ国地域
ジーやライフサイエンス分野に関する広範な知識
の雇用機会拡大のための枠組み提供,3 ヶ国地域
と専門的技術の提供,会員の支援を行なうことで
の大学におけるライフサイエンス分野に関する技
ある。なお,BioValley Basel における目的の大き
術移転ネットワークへの協力がある。
な特徴は,IPO(Initial Public Offering)などの
さらに,大学とのライフサイエンス分野に関する
株式の新規公開による利益を獲得することではな
研究協力と BioValley Partnership Program の構
く,世界的なグローバル企業とベンチャー企業,
築,BioValley の e-ニュースレターのメール配信,
関連機関がアライアンスを締結して活動を展開す
BioValley Journal(冊子版)の発行・配布,ライ
ることである。ちなみに,個人会員の年会費は 75
フサイエンス分野に関心を持っている人々に対す
スイスフラン(1 スイスフラン 100:約 7,500
る BioValley の広報・PR 活動,および BioValley
円),企業会員の年会費は 300 スイスフラン(約
で開催される国際イベント・地域イベントでのプ
30,000 円)
,学生会員の年会費は 25 スイスフラン
レゼンテーション,バイオパーク,イノベーショ
(約 2,500 円)となっている。
ンセンター,インキュベーターなどとの交渉や関
BioValley Basel における具体的な支援内容とし
係維持活動が行われている。
ては,スイス北西部地域の振興(特に,バーゼル
BioValley Basel では,図 7 および表 3 に
地域のライフサイエンス分野の起業支援とネット
1 DISCUSSION FORUMS(ディ
示すように, ワーク組織の構築・推進)
,バーゼル地域のライフ
2 BIOVALLEY
ス カ ッ シ ョ ン・フ ォ ー ラ ム ),
サイエンス分野における起業希望者に対する起業
3
PARTNER LINKS(パートナー・リンク),
奨励と支援,ライフサイエンス分野における,科学
REGIONAL UNIVERSITIES AND RESEARCH
— 139 —
経
Life Sciences Companies
済 系
第
234 集
Start-up Companies
(出所)筆者作成。
(出所)筆者撮影。
図 7 BioValley Platform Basel(Switzerland)
のパートナー
図8
4 REINSTITUTES (地方大学と研究機関), 概観に見られるように,本部は郊外のオフィスビ
GIONAL GOVERNMENTAL BODIES(地方の
ルに入居している。
BioValley Deutschland e.V.(Freiburg)の
概観
5 FEDERAL INSTITUTIONS AND
政府機関)
,
フライブルグは,ドイツ南西部のバーデン・ヴュ
GOVERNMENTAL BODIES,ASSOCIATIONS
ルテンベルク州の州都である。フランスとスイス
6 GLOBAL
(連邦,政府機関,協会の各種団体)
,
との国境近くの都市で,国際連合の「自然と環境の
MARKET POWER THROUGH MULTINA-
保全に貢献した連邦都市」の指定を 1992 年に受け
TIONAL PHARMA INDUSTRY (多国籍医薬品
てから世界的に有名な環境施策都市となった。現
企業)といった 6 分野のパートナーで構成されて
在,化学繊維,医療,半導体等の先端企業を誘致
おり,各種関連機関との連携したイノベーション
しているほかに,太陽エネルギーやその他環境エ
活動を行っている。
ネルギー等の環境産業の展開を軸にサービス産業
この地域では,政府などが運営する公的研究機
の発展を促進した産業都市となっている。
関の活動は低く,企業などの私的 R&D(Research
フライブルグ地域における税制については,ド
and Development)活動の展開によって,技術革新
イツ国内法に準拠している。法人税については,そ
が行われている。また,Ciba Specialty Chemicals
の制度は分権的で一律 25%,営業税も含めた実効
(Basel)
,Clariant(Schweiz)AG(Muttenz)
,No-
税率は約 38%となっている。法人税は,ドイツ国
vartis International AG(Basel)
,F. Hoffmann-la
内の居住法人である有限会社および株式会社,非
Roche AG(Basel),Syngenta International AG
居住法人の支店などの企業の恒久的施設が対象で
(Basel)といった世界的に有名なグローバル企業
ある。法人税率については,その利益が留保され
るか,配当されるかにかかわらず一律 25%であり,
の拠点が存在している。
さらに法人税額に対して連帯付加税 5.5%が賦課さ
3.2
BioValley Deutschland e.V.(Freiburg)
BioValley Deutschland e.V.(以下,BioValley
れる。営業税(Gewerbesteuer)を加えた実効税率
は約 38%から 40%である。この実効税率につて,
Freiburg)は,ドイツにおける最新のバイオテク
現在,2008 年以降に州平均で約 30%程度に軽減さ
ノロジーに関する産業クラスターで,図 1 に示す
せるという議論がある。また,二国間租税条約に
ように地方都市のフライブルグ(Freiburg)に位
ついては,配当に対する課税限度は原則 15%,利
置している。なお,図 8 の BioValley Freiburg の
子 10%,ロイヤルティ 10%などの制度を導入して
— 140 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
表 3 BioValley Platform Basel(Switzerland)におけるパートナー一覧
(1)DISCUSSION FORUMS
BC2 forums (bioinformatics)
(2)BIOVALLEY PARTNER LINKS
Basel Area Business Development
BioValley Trinational Organisation
BioValley Trinational Research Database
Online Swiss Life Sciences Database
(3)REGIONAL UNIVERSITIES AND RESEARCH INSTITUTES
Basel Computational Biology Center (BC2)
Biozentrum, University of Basel
Friedrich Miescher Institute for biomedical research
University of Applied Sciences Basel
University of Basel
(4)REGIONAL GOVERNMENTAL BODIES
Canton of Basel – Landschaft
Canton of Basel – Stadt
(5)FEDERAL INSTITUTIONS AND GOVERNMENTAL BODIES, ASSOCIATIONS
Association of Swiss Biotechnology Companies
Biotechnology in Switzerland
Federal Office for Education and Science
Federal Research Fund
Swiss Academy of Engineering Sciences
Swiss Biotechnet
Swiss Federal Institute for Technology, Lausanne
Swiss Federal Institute for Technology, Zurich
(6)GLOBAL MARKET POWER THROUGH MULTINATIONAL PHARMA INDUSTRY
Ciba Specialty Chemicals (Basel)
Clariant (Schweiz) AG (Muttenz)
Novartis International AG (Basel)
F. Hoffmann-la Roche AG (Basel)
Syngenta International AG (Basel)
(出所)BioValley ホームページより筆者作成。
いる。
BioValley 活動の中心組織で,他の国の協会と同様
BioValley Deutschland e.V. は,企業と関連機
に非営利法人で活動を展開している。この組織の
関,および新しい会社を立ち上げようとしている
役割について,会社・団体などのメンバー間のネッ
人達を支援することを目的に 1998 年に設立されて
トワーク組織を構成して,国際的レベルで,ライ
いる。現在,優秀で広範に及んだ企業・研究環境は
フサイエンス分野において競争を行うことである。
ヨーロッパにおいて特に有名な地域であり,ドイ
1 ライフサイエンス分野に関する
支援内容は,
ツで最も成功しているバイオテクノロジー地域の
2 ライフ
活動の認知度を向上させるための支援, ひとつに数えられる。この地域では,ベンチャー
サイエンス分野の新しい企業設立(起業)支援,
企業の設立(起業)は少ないが,数多くのバイオ
3 ライフサイエンス分野におけるベンチャー企業
テクノロジーやライスサイエンス分野の中小企業
4 ライフサイエンス分野に関連する
の活動支援,
の存在が見られる。
科学,経済,政治等に関するコミュニケーション
BioValley Deutschland 協会は,ドイツにおける
5 BioValley 中央協会に
とネットワークの支援, — 141 —
経
Life Sciences Companies
済 系
第
234 集
Start-up Companies
(出所)筆者作成。
(出所)筆者撮影。
図 9 BioValley Deutschland e.V.(Freiburg)の
パートナー
図 10 Alsace BioValley(Strasbourg)の概観
よって形成されるネットワーク強化と 3 ヶ国地域
企業)といった 3 分野のパートナーで構成されて
の関係促進である。
おり,各種関連機関との連携したイノベーション
TIONAL PHARMA INDUSTRY (多国籍医薬品
サービスの提供は 5 つに大別される。第 1 は,
活動を行っている。
ライフサイエンス分野における講演会やミーティ
こ の 地 域 で は ,大 学 や サ イ エ ン ス パ ー ク に
ング,討論会などの開催である。第 2 は,ナビゲー
よ る 基 礎 研 究 の も と ,公 的 研 究 機 関 に よ る
ション機能サイト,及び BioValley 会員企業サイト
応 用 研 究 の 展 開 に よ っ て ,技 術 革 新 が 行 わ
へのリンクサービスである。第 3 は,エクストラ
れ て い る 。な お ,私 的 R&D 活 動 の 展 開 は 見
ネットによる情報ネットワークの構築とキャリア
ら れ な い 。ま た ,ALTANA Pharma Deutsch-
掲示板(求人情報)の提供である。第 4 は,ライフ
land GmbH(Konstanz),Amersham Pharma-
サイエンス分野における大学・企業間の技術移転
cia Biotech(Freiburg)
,Ciba Spezialitätenchemie
ネットワークの構築である。第 5 は,起業のため
Grenzach GmbH(Grenzach)
,Clariant(Deutsch-
の融資の支援である。第 6 は,BioValley Journal
land)GmbH(Lorrach)
,DSM Nutritional Prod-
の 4 半期毎の発行である。
ucts GmbH(Grenzach),GeneScan Europe AG
その他に,BioValley が魅力的な産業クラスター
(Freiburg)
,Pfizer GmbH Arzneimittelwerk(Frei-
であることの広報・PR,及び国際的イベント・地域
burg)といった世界的に有名なグローバル企業の
的イベントの開催とプレゼンテーション,BioVal-
拠点も存在している。
ley 会員に対する見本市への出展・展示サポート,
CD-ROM やインターネットによる BioValley ガイ
3.3
Alsace BioValley(Strasbourg)
ドの提供,BioValley ロゴとコーポレートデザイン
Alsace BioValley は,フランスおける最新のバ
の使用許可,メンバーへの BioValley ServiceCard
イオテクノロジーやライフサイエンス産業分野に
の提供,BioValley で発表した科学論文の提供など
関する産業クラスターで,図 1 に示すように,地方
がある。
都市のストラスブール(Strasbourg)に位置してい
BioValley Freiburg では,図 9 および表 4 に示す
1 UNIVERSITY(大学)
2 TECHNOL,
ように,
る。なお,図 10 は BioValley Basel の概観に見られ
るように,本部は郊外の研究施設に入居している。
3 GLOBAL
OGY PARKS(サイエンスパーク)
,
ストラスブールは,フランス北東部のアルザス
MARKET POWER THROUGH MULTINA-
地域圏の首府で,バ・ラン県の県庁所在地でもあ
— 142 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
表 4 BioValley Deutschland e.V.(Freiburg)におけるパートナー一覧
(1)UNIVERSITY
University freiburg
University of Applied Sciences, Offenburg
University of Cooperative Education Loerrach
(2)TECHNOLOGY PARKS
BioTechPark Freiburg
Innocel Recearch Park
Technologiepark Offenburg
(3)GLOBAL MARKET POWER THROUGH MULTINATIONAL PHARMA INDUSTRY
ALTANA Pharma Deutschland GmbH (Konstanz)
Amersham Pharmacia Biotech (Freiburg)
Ciba Spezialitätenchemie Grenzach GmbH (Grenzach)
Clariant (Deutschland) GmbH (Lorrach)
DSM Nutritional Products GmbH (Grenzach)
GeneScan Europe AG (Freiburg)
Pfizer GmbH Arzneimittelwerk (Freiburg)
(出所)BioValley ホームページより筆者作成。
る。ドイツとスイスとの国境近くの都市で,ライ
の年商(税抜)が e763 万未満,資本金が全額払込
ン河の支流イル川に臨みマルヌ・ローヌ両運河の
済み,当該営業年度中を通じて資本の 75%以上を
基点,水陸交通の要衝である。欧州評議会や欧州
自然人が保有していた中小企業は,社会保障負担
人権裁判所,EU(European Union)の欧州議会
金は免除されるのである。さらに,社会保障負担
を擁して,ベルギーのブリュッセルとともにヨー
金は免除される中小企業で,当該営業年度 12 ヶ月
ロッパの象徴的な都市のひとつでもある。交通の
間に発生した課税対象利益のうち e38,120 までの
便の良さから伝統的に商工業が盛んな地域であり,
場合には 15%の軽減税率が適用される。また,二
古くから運河交通や漁業,皮革製造,繊維,製粉,
国間租税条約については,源泉税率は配当親子会
その他水資源を利用した産業で発達しているが,
社間 5%,配当一般 15%,利子 10%,使用料 10%な
現在ではバイオテクノロジーやライフサイエンス
どの制度を導入している。
産業が活発な産業都市となっている。
Alsace BioValley は,バイオテクノロジーやライ
ストラスブール地域における税制については,
フサイエンス分野における会社の数,科学的刊行
フランス国内法に準拠している。法人税について
物,産学協同面,研究面などの研究面では,フランス
は,その制度は集権的で,総売上高が e763 万以
で 2 番目に多い地域である。バイオテクノロジー
上の場合の税率は,実行税率 33.33%(中小企業の
やライフサイエンス分野において,世界的に著名な
場合は実行税率 15%)となっている。これに,社
大学である Université Louis Pasteur や Université
会保障負担金(CSB: Contribution sociale sur les
Marc Bloch,université des sciences humaines な
benefices)を加えた実効税率は,最大で 34.44%と
どの研究機関において,積極的な基礎研究が行わ
なる。他方,総売上高が e763 万未満で中小企業
れているために研究開発型企業が少ない状況であ
の場合には,基本税率は 15%の軽減税率が適用さ
る。また,大学はバイオテクノロジーやライフサ
れることになる。さらに,法人税額 e76 万を超え
イエンス分野に関する多くの特許を所有しており,
る企業の場合には,法人税額超過額(法人税額と
大学教員によるベンチャー企業の設立も珍しくな
e76 万の差額)に対して,3.3%の社会保障負担金
い状況となっている。
が加算されることになる。ただし,当該営業年度
現在,Alsace BioValley では,ライフサイエン
— 143 —
経
済 系
第
234 集
ス分野において 130 社以上の企業があり,約 1 万
第 3 の役割は,ライフサイエンス分野に携わって
人が働いている。Strasbourg,Colmar,Mulhouse
いるアルザス地域の企業に対して,製薬会社と大
および地方議会から融資を受けている。
学との最適な戦略的提携や必要なツールを提供し
研究面については,France Ministry of National
て支援を行うことである。第 4 の役割は,地域経
Education,Research and Technology(フランス
済やパートナーを巻き込んだアルザス地域のネッ
10)
教育省) によって推進されている。また,イノ
トワークを構築して,科学者,経済学者,資金提供
ベーションセンターの近隣には,現在までにバイ
者,政治家の密接な関係を進展させることで,ラ
オテクノロジーおよびライフサイエンス分野にお
イフサイエンス分野の開発を推進することである。
いて,100 社以上のベンチャー企業が起業(この
また,Alsace BioValley 協会が提供するサービ
うちの 1996 年から 2003 年までの 7 年間は 65 社
ス提供については,ネットワーク調整,ネットワー
が起業)している。なお,Alsace BioValley のベ
ク促進,経済発展,コミュニケーションの 4 つに
ンチャー企業は,2004 年においてフランスの全雇
大別される。
用の約 10%,フランスでの調達基金の約 35%,フ
ランスの臨床試験の約 15%を占めている。
第 1 のネットワーク調整は,バイオテクノロジー
に興味を持っている個人および組織を含めた,す
Alsace BioValley は,以下に示す 2 つの大きな
目的で 1998 年 7 月に設立されている。
べての関係者を結んだネットワーク組織であるア
ルザス・バイオテクノロジー・ネットワークの構
第 1 の目的は,ライン河上流域における 3 ヶ国
築と発展である。アルザス・バイオテクノロジー・
の BioValley 活動の推進と Interreg II と III の各
ネットワークでは,テーマ別の会議,参加企業への
プログラムを連続した活動として継続させること
訪問,カンファレンスの開催を実施している。第
である。第 2 の目的は,フランスのアルザス地域
2 のネットワーク促進は,雇用を創出している企業
のライフサイエンス分野における経済発展を促進
を誘致のための広報活動である。開催される国内
することである。なお,Alsace BioValley における
会議および国際会議への参加と見本市への参加を
目的の大きな特徴は,他の国の協会と同様に IPO
行うことで広報活動を行っている。第 3 の経済発
のみを主眼としていないことである。したがって,
展は,バイオテクノロジー・プロジェクト立ち上
設立されるベンチャー企業の多くは,グローバル
げ支援とビジネス創出のための支援である。経済
企業とのアライアンスの締結や特許権の売却が目
発展への支援では,地域専門家委員会によるプロ
的となっている。
ジェクトの評価,企業創造におけるすべての主要
Alsace BioValley 協会は,主に地方政府によっ
なスピーカーの参加,他の企業家とマネージャー
て資金提供が行なわれている組織で,他の国の協
とのネットワークの構築を行っている。第 4 のコ
会と同様に非営利法人で活動を展開している。こ
ミュニケーションは,一般人を対象とした科学的
の組織の役割としては,次の 5 つの項目をあげる
な話題に関する情報提供である。一般討論への参
ことができる。
加,情報小冊子の配布などを行っている。
第 1 の役割は,ライフサイエンス分野に関する
Alsace BioValley では,図 11 および表 5 に示
知識をアルザス地域に蓄積して,地域が魅力的な
1 LOCAL COMMUNITIES(地方組
すように,
地域であることを提示することで雇用の創出を図
2 ECONOMIC DEVELOPMENT AGEN織),
ることである。第 2 の役割は,ライフサイエンス
3 UNIVERSITIES(大学)
CIES(経済開発機関)
,
,
分野に関係の新規ビジネスのために,アルザス地
4 RESEARCH ORGANISATIONS(研究組織)
,
域に新会社の設立(起業)を推進することである。
5 OTHER PARTNERS(その他のパートナー)
,
10)詳細は,フランス教育省
http://www.education.gouv.fr/ のサイトを参照の
こと。
6 GLOBAL MARKET POWER THROUGH
MULTINATIONAL PHARMA INDUSTRY (多
国籍医薬品企業)といった 6 分野のパートナーで
— 144 —
ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
これは,複数の産業クラスターを無理に連携さ
せた広域クラスターとして展開していった結果,
あまりに広大な地域の産業クラスターとなってし
まって,本来の特徴である地理的に集中している
状態である産業クラスターとしての特色を生かし
きれていないからである。
Life Sciences Companies
また,産業クラスターの定義にある「相互に関
Start-up Companies
連した企業と各種関連機関からなる地理的に近接
した集団のことである。
」とあるように,特定の産
業分野における企業,および専門性の高い関連業
界に属する企業,関連機関(大学,研究機関,業界
(出所)筆者作成。
図 11
団体,ベンチャーキャピタルなど)の組織が,地
Alsace BioValley(Strasbourg)のパート
ナー
理的に集中して,かつ競争しつつ,同時に協力・
協調しているような,組織間の密接な環境を作り
出せていない状況が多く見られる。
構成されており,各種関連機関との連携したイノ
ベーション活動を行っている。
このように,わが国の地方都市における近隣地
域との間で,共通性や補完性によって産業クラス
こ の 地 域 で は ,大 学 や 公 的 研 究 機 関 に よ る
ター戦略を展開しているような地域連携型クラス
基 礎 研 究 の 展 開 に よ っ て ,技 術 革 新 が 行 わ れ
ターの成功事例を見つけることは困難11) な状況で
て い る 。な お ,ド イ ツ 同 様 に ,私 的 R&D 活
ある。これは,市町村レベル,あるいは都道府県
動 の 展 開 は 見 ら れ な い 。ま た ,Sanofi-Aventis
レベルの地方自治体において,各地方での地域権
(Schiltigheim),Clariant France(Huningue et
益があって,これが高い障壁になっていることが
Mulhouse)
,Dow France(Drusenheim)
,DuPont
ある。また,特定地域における独自税制の採用や
de Nemours(Nambsheim),Johnson & Johnson
行政における許認可制度の適用といった地方行政
(Illkirch)といった世界的に有名なグローバル企業
の実現において,地域連携型クラスターにおいて
の拠点も存在している。
はなかなか同一の政策を実施していくことが困難
であったこともある。
4. おわりに
今後は,わが国においては,近隣地域の産業ク
ラスター戦略において,産官学が相互に連携を行
これまでヨーロッパにおける産業クラスター戦
い,それぞれの地域(組織)で不足した知識や人
略のひとつである “ライン河上流における越境地
材,技術などを補って,その地域(組織)におい
域連合の事例” を考察してきたが,その示唆して
て活発な活動展開を行うことで,さらに多くの企
いる内容からわが国の産業クラスター戦略に対す
業や大学,研究機関,業界団体,ベンチャーキャ
る欧州の事例を適応させることについて学ぶべき
ピタルなどの関連機関を呼び込み競争力を高めて
ところは多い。
いくことが必要である。
現在,わが国の多くの地域でクラスターが存在
しているが,それぞれの地域で企業と関連機関が
相互に連携して広域クラスターとして,プロジェ
クトを推進しているものの,それぞれの地域があ
たかも国家間境界のごとく分断されているケース
が目立っている。
11)わが国においても,福岡地域と北九州学術研究都市
地域における IT 分野の連携に見られるような地域
連携型クラスター(九州広域クラスター)や大阪北
部地域(彩都)と神戸地域におけるライフサイエンス
分野の連携に見られるような地域連携型クラスター
(関西広域クラスター)なども存在する。
— 145 —
経
済 系
第
234 集
表 5 Alsace BioValley (Strasbourg)におけるパートナー一覧
(1)LOCAL COMMUNITIES
Conseil Régional d‘Alsace
Conseil Général du Bas-Rhin
Conseil Général du Haut-Rhin
Communauté Urbaine de Strasbourg
Ville de Colmar
Communauté d’Agglomération Mulhouse Sud Alsace
Ville de Saint-Louis
(2)ECONOMIC DEVELOPMENT AGENCIES
ADA - Agence de Développement de l‘Alsace
ADIRA – Association de Développement du Bas-Rhin
CAHR – Comite d’Action economique du Haut-Rhin
(3)UNIVERSITIES
Université
Université
Université
Université
Louis Pasteur
de Haute Alsace
Marc Bloch, université des sciences humaines
Robert Schumann
(4)RESEARCH ORGANISATIONS
CNRS Délégation Alsace
Ecole Supérieure de Biotechnologie de Strasbourg
Faculté de Pharmacie de Strasbourg
Faculté de Médecine de Strasbourg
Institut de Biologie Moléculaire des Plantes (IBMP)
Institut de Biologie Moléculaire et Cellulaire (IBMC)
Institut Clinique de la Souris (ICS)
(5)OTHER PARTNERS
ADIT
Alsace Technologie
ANVAR - Direction régionale Alsace
ARISAL - Association Régionale des Ingénieurs et des Scientifiques d‘Alsace
Association des doctorants et docteurs d’Alsace
Chambres de Commerce de d‘Industrie d’Alsace
CCI de Strasbourg et du Bas-Rhin
CCI de Colmar et du Centre Alsace
CCI Sud Alsace Mulhouse
Délégations régionales à la Recherche et à la Technologie en Alsace
DRIRE Alsace
Institut National de la Propriété Industrielle
Préfecture de la Région Alsace
SEMIA L’Incubateur d’entreprise d’Alsace
SODIV
Université de Haute-Alsace Cellule Université et Entreprises
ULP Industrie
(6)GLOBAL MARKET POWER THROUGH MULTINATIONAL PHARMA INDUSTRY
Sanofi-Aventis (Schiltigheim)
Clariant France (Huningue et Mulhouse)
Dow France (Drusenheim)
DuPont de Nemours (Nambsheim)
Johnson & Johnson (Illkirch)
Lilly (fregersheim)
Novartis (Huninue)
Sanofi-Synthelabo (Strasbourg)
Roche (Strasbourg, Village-Neuf)
(出所)BioValley ホームページより筆者作成。
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ヨーロッパにおける産業クラスター戦略に関する一考察
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