DIAMOND ONLINE 2012.7.6. 第 3回 メディア化 した自 分 と「つぶやき疲 れ 」 ――情 報 発 信 できる喜 びと苦 悩 の板 挟 みに惑 う人 々 (傍 線 :吉 田 祐 起 ) ソーシャルメディアが、誰 でも情 報 発 信 できる時 代 をもたらした。 そのように言 われてすでに久 しい。情 報 発 信 することで、今 まで知 らなかったことも知 れたし、ソーシャルメディアがなければ絶 対 に親 しくなれなかった人 とも 「つながる」こ とができた。何 よりも、そうやってつながった人 たちから好 意 を寄 せられるという喜 びも 手 に入 れたんだ――。 だ が 、果 たしてそ れ は「い い こと」ばかりなのだろうか 。後 ろ指 を刺 される恐 怖 、無 反 応 がもたらす徒 労 感 ……。連 載 第 3回 は、希 望 と、その陰 にある「発 信 疲 れ 」の正 体 を追 っていこう。 1%ルール――誰 が情 報 を発 信 しているのか? イギリスの電 子 新 聞 「ガーディアン・アンリミテッド」は「 1%ルール」という経 験 則 を提 唱 してい る。それは、インターネットに接 続 してい る 100 人 のうち、自 分 でコメン トを書 いたり、映 像 をアップロードしたりするなりしてコンテンツを作 っている人 は1人 程 度 し かいないというものだ。そしてうち 10 人 がそのコンテンツに対 してコメントしたり、引 用 したりしている。残 りの89%はただ見 ているだけ 、という見 方 だ。 しかし、ブログに始 まり Twitter、Facebook で極 まった「投 稿 の簡 易 化 」と「反 応 しや すい仕 組 み」。それらが整 った昨 今 、この 1%ルールは少 しずつ様 相 を変 え、より多 く の 人 が情 報 の発 信 者 や広 がりの主 体 者 になり始 め た。この流 れのことを、ここでは 「個 人 のメディア化 」と呼 んでおく。 本 格 的 な個 人 のメディア化 。今 がその入 り口 だとすれば、この流 れは今 後 ますます 進 化 を遂 げ てい くと考 えられ る。 一 見 希 望 に満 ち たこの 流 れのどこに、ネガ ティブの 要 素 があるというのだろうか? まずは、希 望 を示 す話 から始 めよう。 最 高 齢 の「友 達 」が教 えてくれたこと 1人 、僕 のとっておきの「友 達 」を紹 介 しよう。 Facebook でのつながりの中 で最 高 齢 の友 達 は、 80歳 を超 える女 性 だ。僕 がある番 組 で Facebook についての話 をしているのをたまたまご覧 になっていて、「これは面 白 そうだ」と感 じ、すぐに Facebook に自 分 のアカウントを開 設 し、僕 に友 達 申 請 してき たことが僕 らのつながりのきっかけだ。 もちろんその方 は、インターネットのヘビーユーザーでもないし、ブログも書 いたこと がない。それでも Facebook で投 稿 するようになった理 由 は、 「自 分 の書 いたことに反 応 をもらえたら嬉 しい」「込 み入 ったことを書 かなくてもいい」 ということらしい。 Facebook で僕 とその方 がつながってから、その方 の投 稿 に僕 がコメントし、僕 の投 稿 にその方 がコメントするというやり取 りを重 ねている。使 い始 めて間 もないのに、そ のやり取 りはそ れを感 じさせないくらい テンポがいい。インターネットに慣 れた 友 達 と の違 いも、ほとんど感 じない。僕 のウォールに 流 れてくるその方 の投 稿 は、とても短 文 だが深 みがある。そして僕 がコメントをすると、すぐにコメントを返 してくれる。 そ の方 にとっては、「自 分 がメディア 化 した」体 験 は、長 い人 生 の中 できっとこれが 初 めてだろう。僕 はそのことに、ひとつの感 慨 を覚 えた。 ソーシャルメディアは、決 して 一 部 の人 だ けをメディア化 するのではない 。次 第 にそこに参 加 する人 の裾 野 を広 げ ながら、多 くの個 人 をメディア化 していくに違 いない。僕 の Facebook の「最 高 齢 の友 達 」が、その変 化 を実 感 として示 してくれている。 なぜ、ソーシャルメディアで情 報 を発 信 したくなるのか? -1- 老 若 男 女 を 問 わ ず 、 個 人 を メ デ ィ ア 化 す る こ と で エ ン パ ワ ー す る Twitter や Facebook などのソーシャルメディア。ではなぜ、これほどまでのインパクトを持 ち得 た のだろうか? 整 理 する意 味 でも、ブログと比 較 しながら見 ていくことにしよう。 第 一 に、発 信 (投 稿 )した情 報 に対 する「反 応 」が、ブログ以 上 に生 じやすい 点 が挙 げられる。ブログでも、コメントを付 けてもらったり、他 のブログで自 分 のブログが引 用 されたりするという反 応 作 用 はある。しかし、ブログにたくさんのコメントをもらったり、 他 のブログに引 用 されたりすることがさほど簡 単 でないことは、ブログを書 いたことが ある 人 であればよくわ かるだろう。また、そ も そも コメン ト欄 を閉 じてい るものも多 くあ り、双 方 向 という意 味 では少 し物 足 りない、ということもあるかもしれない。 一 方 、Facebook であれば「いいね!」ボタン、 Twitter であれば RT(リツイート)とい う形 で、た くさんの反 応 を比 較 的 簡 単 に得 ることが できる。この 「反 応 を得 られる」と いうことはとても重 要 なことで、次 のような効 果 を加 速 度 的 に生 み出 す。 (1)情 報 発 信 (投 稿 )するモチベーションが高 まる (2)情 報 の拡 散 がされやすい(情 報 を他 のユーザーが広 めてくれやすい) そして第 二 に、Facebook や Twitter はブログほどまとまったことを書 く必 要 がない 。 ブロ グでは必 要 な記 事 タイトル も不 要 で、投 稿 する文 書 も短 文 でいい( Twitter であ れば140 文 字 以 内 という文 字 数 の制 限 すらある)。思 いついた雑 多 なことでも投 稿 し やすく、写 真 やウェブサイトのリンクだけでもよい。 しかも投 稿 した情 報 はあっという間 に速 い情 報 の流 れの中 を泳 ぎ去 ってしまう。そ の性 質 がゆえに、特 定 のURLに残 り続 けるブログで求 められる思 慮 深 さのような心 理 的 障 壁 はだいぶ低 くなる。 この ように 、 投 稿 の 簡 易 性 と 反 応 の 得 や す さが 相 互 に 寄 与 し 合 っ て 、ブ ロ グ 全 盛 の頃 以 上 に、個 人 が情 報 発 信 と情 報 共 有 をしやすくなった と言 えよう。 Facebook や Twitter のようなソーシャルメディアが世 界 中 で普 及 し始 め たことは、 「発 信 すること」のハードルを下 げ、個 人 のメディア 化 を加 速 させていったのだ。一 部 の人 だけのソーシャルメディアという域 を脱 し、広 く大 衆 に利 用 の裾 野 を広 げているこ とで、その流 れはますます加 速 し、とど まる気 配 がない。 メディア化 した個 人 に振 りかかる苦 悩 自 由 形 競 泳 で英 国 代 表 としてオリンピックに出 場 するレベッカ・アドリントン選 手 ( 23 歳 )が、オリンピックの期 間 中 は Twitter をやめると報 じられた(注 )。 彼 女 は北 京 オリンピックで 2個 の金 メダルを獲 得 した選 手 で、 Twitter には5万 人 を 超 えるフォロワーがいる。そんな彼 女 が Twitter を止 める理 由 は、「オリンピック期 間 中 に、ネガティブなコメントへのストレスに対 応 したくない」 のだとか。 特 に問 題 視 しているのが、「 外 見 などの自 分 ではコントロールできないことに対 する 意 地 悪 なコメント」 だ。オリンピックで 2度 も金 メダルを取 った優 秀 な選 手 でさえも、個 人 的 な侮 辱 により傷 つけられることは少 なくない。 さらにネガティブなコメントに限 らず、 すべての行 動 がずっと見 られているという状 態 自 体 、精 神 的 負 荷 を大 きくしてしまうという。 こういった話 は、かつては有 名 人 に限 ったものだったろう。 しかしソーシャルメディアを使 うようになってから、 「自 分 ではコントロールできないこ とに 対 する意 地 悪 なコメン ト」や「すべての行 動 がず っと見 られている という状 態 」に 苛 まれるようになった人 は僕 の周 りも多 いし、もしかしたらみなさんの中 にもそれを自 覚 している人 はいるかもしれない。もはや有 名 人 に限 った話 ではないのだ。 有 名 人 は元 来 メディア露 出 が多 い傾 向 があるが、一 般 の個 人 にとってそんな経 験 は、ソーシャルメディアが普 及 した今 が初 めてだろう。ここにこそ、自 分 が初 めてメディ ア化 したことによる苦 悩 の元 凶 がある。 とはいえ一 方 で、人 気 の高 い NBAのチ ーム「オクラホマシ ティ・サンダー」のジェー ムズ・ハーデン選 手 のように、プレイオフ中 もずっ と Twitter を利 用 し、コミュニティから 元 気 をもらっている人 もいる。 -2- そしてこれも同 じく、有 名 人 に限 ったことではない。 広 く個 人 が、ソーシャルメディアの中 でのコミュニケーションにより、励 まされたり元 気 をもらえたりするのもまた事 実 なのだ。 このように、 い ま人 々は、ソーシ ャルメディアによって自 分 がメディア化 した ことがも たらす喜 びと苦 悩 の狭 間 に立 たされている 。 いっそのこと、Twitter も Facebook も止 めてしまおう、そう思 う人 もいることだろう。し かしいざとなるとなかなか止 められないのは、 メディア化 によって得 られた喜 びを忘 れ られないからだ。 ちょうどいい距 離 感 の「つながり」を得 るための「一 時 停 止 」 むしろ怖 いのは、自 分 が情 報 を発 信 できなくなること、情 報 を発 信 したとしてもそれ が拾 われず無 反 応 であることであったりする。 まるで自 分 という存 在 そのものが無 視 され、否 定 されたかのように感 じてしまってはいないだろうか 。 ネガティブな反 応 をされることと同 様 に、 Twitter の RT や Facebook の「いいね!」 の数 、すなわち反 応 のあるなしが気 になり、反 応 がないことを知 るたびに滅 入 ってし まい、徐 々に発 信 していくのが億 劫 になり、気 疲 れを自 覚 していく。 せ っかく手 に 入 れた希 望 だ 。自 分 が メディア化 した 価 値 や 喜 びを享 受 しながらも、 自 分 (の投 稿 )にネガティブな反 応 をされることと、スルーされることの 2つの苦 悩 から 脱 却 していってほしい。 前 者 の苦 悩 への処 方 箋 は、先 ほど紹 介 したレベッカ・アドリントン選 手 のように、 時 に一 時 休 止 、休 暇 を設 ける ことだ。それが許 されることは当 然 の権 利 であるにも関 わ らず、許 されない気 がしてしまう、そんな錯 覚 に陥 ることがある。だがそれは気 のせい だ。そう、正 々堂 々と休 めばいい。 そして後 者 の苦 悩 への処 方 箋 にも、それは適 用 できる。自 分 というメディアの力 を 過 信 しすぎないことだ。自 分 の発 信 がどれほど影 響 力 あるかを問 わないこと、つま り、たくさん反 応 を得 ることを自 分 に課 さない ことだ。少 なくとも、ソーシャルメディア以 前 は自 分 が情 報 を発 信 し、多 くの人 と共 有 できる環 境 などなかったのだ。それが叶 う ことの喜 びを味 わいつつ、反 応 を過 剰 に気 にせず楽 しみながら情 報 発 信 をすれば、 ちょうどいい距 離 感 の「つながり」を手 に入 れられるだろう。 吉 田 祐 起 のコメント: 本 稿 のタイトル:メディア化 した自 分 と「つぶやき疲 れ 」―情 報 発 信 できる喜 びと苦 悩 の板 挟 みに惑 う人 々のサブタイトル「情 報 発 信 できる喜 びと苦 悩 の板 挟 みに惑 う 人 々」に、何 やらこの私 が該 当 するのではないかと思 われるフシが無 きにしも非 ず 。 とんでもない!が当 事 者 ヨシダの弁 ですが、このことは稿 を改 めて週 刊 メッセージ № 205に書 きます。 Back to 私 が選 んだインタネット情 報 集 -3-
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