ゲ−テの「野ばら」についてお知恵拝借 ( 09.08.06) はしがき (童は見たり)で始まるシュ−ベルトやウエ−バ−作曲の野ばらの歌は日本国内でも若い 人たちからお年寄りまで広く大勢の人たちに歌われている名曲である。 しかしこの歌の元の詩はドイツの有名な文豪ゲ−テによって、今から230年ほど前 ( 1771) に 書 か れ た も の で あ る こ と な ど は よ く は 知 ら な い 人 も お ら れ る と 思 う 。 シ ュ -ヘ ゙ ルト に よ る 作 曲 は ゲ ー テ の 作 詞 か ら 4 0 年 ほ ど 経 っ て ( 1815 ) の 作 で あ る が 、 そ れ か ら で も 既 に 94 年 ほ ど 経 過 し て い る し 、わ が 国 に 導 入 さ れ た の は 明 治 4 2 年( 1911)で あ る か ら 、そ れ か ら で も 既 に に 1 0 0 年 以 上 も 経 過 し 、そ の 間 近 藤 朔 風 氏 の 名 訳 に よ っ て 今 で も 多くの人たちに歌われてきた極めて寿命の長い名曲である。 ゲ − テ の 元 の 詩 は 1 番 か ら 3 番 ま で の 3 部 構 成 か ら な り 、ゲ − テ 22 歳 に 時 の 初 恋 の 歌 で ある。近藤朔風氏の訳詩は当時の時代情勢から1番は問題ないが2番、3番は其の侭翻訳 すことが許されないので曖昧な表現になっており、わが国では専ら1番のみが歌われてい る。 それから100年ほど経過し表現が自由に出来る平成の御世になったので、それに対応し て訳詩を見直そうかと考え、その見直しの一案をここにご披露した次第である。従ってそ れに関して多くの方のご意見、お知恵を拝借致したく本文を起案した。 ゲ − テ ( J o h a n n Wo lf g a n g v o n G o e t h e ) と は ど ん な 人 か ? ゲ − テ ( 1749— 18 32 )は ド イ ツ フ ラ ン ク フ ル ト の 生 ま れ で 8 2 歳 の 天 寿 を 全 う し た 世 界 的 な詩人で ファースト を始め、 若きウエルテルの悩み など多くの戯曲、小説を残し た ドイツを 代 表 す る 詩 人 小 説 家 、哲 学 者 で あ る 。ま た 彼 は 少 年 の 日 か ら 年 老 い る ま で 多 く の 女 性を愛した。 音 楽 家 と し て は M ozar t(1 75 6—17 91), Beethoven(1770— 18 27), Sc huber t(1 79 6—1 828) , Wer ner (1800-1833)な ど と 同 時 代 の 人 で あ る 。 ゲ ー テ の 初 恋 の 歌 野 薔 薇 ( Heiden Roeslein) 〔 野 ば ら 〕 は 彼 が 21 歳 の 時 作 っ た 初 恋 を 歌 っ た 歌 で あ る 。 彼 は 2 0 歳 の 頃 、 シ ュ ト ラ ス ブ ル ク の 大 学 で 学 ん だ が 、 そ の 時 、 町 の 牧 師 の 娘 フリ- デ リ ケを 愛 し た が 、 2 2 歳 の 時 、 学 業 を 終 え て 故 郷 に 帰 ら ね ば な ら ず 、 彼 女 と の 愛 は 実 ら な か っ た 。 フ リ- デ リケ は 一 生 結 婚 せ ず 、 幸 せ に な れ な か っ た と 言 う 。そ の 彼 女 に 失 恋 さ せ た 自 責 の 思 い を 歌 っ た の が〔 野 ば ら 〕の 歌 の 原 点 であると言われている。 次にゲ−テのドイツ語の詩とこれを筆者が忠実に逐語訳的に日本語に翻訳した文章を示 すが、訳文を紹介する前に、詩の文章だけでは判りにくいところがあるので若干補足説明 を付けておこう。 少年がばらを折るという行為とばらが少年をとげで刺すという行為は、男性と女性との間 の愛の合歓を意味するものであることを理解すると詩の意味が判りやすい。 1 番は少年と彼女即ちばらとの美しい出会いの場面を歌っている。 2 番 で は 少 年 が ば ら の 枝 を 折 り 、ば ら は 少 年 を と げ で 刺 す こ と に よ っ て 、二 人 の 愛 が 結 ば れること期待する楽しい場面である、 3番の詩の中には明示されていないが少年が故郷に帰ることによって二人の愛は破れる 場面である。 そしてその別れ際に少年が無理に交際を迫り、薔薇は抵抗する場面を表している。 彼 女 は 悲 し ん で 悩 み 、少 年 は 将 来 の 仕 事 の 為 に 心 な ら ず も 彼 女 を 捨 て る こ と に な り 彼 女 に 対しての一生自責の念に駆られるという悲恋の物語である。 ゲ−テの元の詩の逐語訳 H e i d en rö sl e i n 1 Sah ein Knab’ 荒れ野の薔薇 ein Röslein Stehen Röslein auf der Heiden, War so jung und mor gensc hön Lief er sc hnell es nah zu sehen, Sahs mit vielen Fr euden, Röslein, Röslein, Röslein r ot Röslein auf der Heiden. 1一人の少年は野薔薇が立っているのを見 た それは 若々しく朝日のように美しかった。 彼はその薔薇を見る為に急いで走りよった。 そして、非常に喜んで薔薇を眺めた 薔薇、薔薇。赤い薔薇 荒れ野の薔薇。 2少年は言った 2 Knabe spr ac h: Ic h br ec he dic h, [僕 は お 前 を 折 る よ ]と 荒れ野の薔薇に言った。 薔 薇 は 言 っ た [私 は あ な た を 刺 す わ よ ]と Röslein auf der Heiden. Röslein spr ac h Ic h stec he dic h あなたが何時までも私のことを思ってくれ Dass du ewig denkst an mic h, るように。そしてこれからは二人の愛が切 Und Ic h will’s nic ht れないかと悩む事はなくなるだろう。 leiden 3 Und der wilde Knabe br ac h’s Röslein auf der Heiden. Röslein wehr te Half ihm M usst’ es eben 何の役にも立たなかった。 sic h und stac h, doc h kein 3 そして少年は乱暴にばらを折った。 ばらは抵抗して少年を刺した。 薔 薇 は あ あ -痛 い と 叫 び 声 を 上 げ た が Weh und Ac h, leiden, そして薔薇は何時までも悩まなければ ならなかった。 Röslein, Röslein, Röslein r ot Röslein auf der Heiden. 上記訳詩には筆者独自の解釈による部分が若干ある。例えば2番で少年の薔薇を折るよとい う呼びかけに、薔薇が喜んで少年を刺すことによって対応し、二人の愛が長く続くことを願う 場 面 と か 、3 番 は 少 年 が 故 郷 に 帰 る 為 に 別 れ る 場 面 で あ る こ と な ど は 、筆 者 独 自 の 解 釈 で あ る 。 この解釈と異なるご見解の方は是非遠慮なく反論していただきたい。 ドイツ語の解釈については、あまり難しい言葉はないので問題ないと思うが、3番の 4 行目の Half(原 形 helfen)に つ い て 補 足 説 明 す る と ド イ ツ 語 の helfen は 英 語 の help と 同 意 語 で あ る が 英 語 と 若 干 異 な っ て 役 に 立 つ と い う 意 味 に 使 わ れ る 。 主 語 は Weh und Ac h で こ れ が 野 薔 薇に役に立たなかったと言う意味である。 訳詩(歌詞にあわせた翻訳) 今回提案する訳詩 従来の近藤作風氏による訳詩 1. 童 は 見 た り 、 野 中 の 薔 薇 清らに咲ける その色めでつ 飽かず 眺めぬ 紅 におう 野中の薔薇 2手折りて行かん 野中の薔薇 手折らば 手折れ 思い出草に 君を刺さん 紅におう 野中の薔薇 1. 童 は 見 た り 、 野 中 の 薔 薇 清らに咲ける その色めでつ 飽かず 眺めぬ 紅 におう 野中の薔薇 2. 童 は 告 げ ぬ そ な た を 折 る と 野ばらは 刺すよ 永久に我を 思えと 願う 紅 におう 野ばらは 楽し 3. 3 童は折りぬ 野中の薔薇 折られてあわれ 清らの色香 永久にあせぬ 紅におう 野中の薔薇 ご意見 .変 更 し な い で 従 来 の ま ま で よ い 改定したほうがよい 提案どおりでよい 次のように変えたほうがよい 童 手荒に 野ばらを 折りぬ 野ばら 防ぎて 童を 刺しぬ 騒ぐも むなし 野ばらは 去りぬ 野ばらは 悲し
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