日本基督教団 麻布南部坂教会月報

牧師 松
同 第一六章一八∼二〇節
谷 祐 二
申命記 第一〇章一七∼一八節
あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者
の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を
偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の
権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えら
れる。
レビ記 第一九章一五節
あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あ
なたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者にお
もねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。
ヤコブの手紙 第二章一∼七節
わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたち
の主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔
てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金
の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、ま
た、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとしま
す。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、
﹁あなたは、
こちらの席にお掛けください﹂
と言い、
貧しい人には、
﹁あなたは、そこに立っているか、
わたしの足もとに座るかしていなさい﹂と言うな
ら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤っ
た考えに基づいて判断を下したことになるのでは
ありませんか。
わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神
は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ま
せ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継
ぐ者となさったではありませんか。だが、あなた
がたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこ
そ、
あなたがたをひどい目に遭わせ、
裁判所へ引っ
張って行くではありませんか。また彼らこそ、あ
なたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜してい
るではないですか。
印刷 有限会社 創文社 Tel(3491)8321
﹁ 神は人を分け隔てなさらない﹂︵ヤコブの手紙[九]︶
教会附属 南部坂幼稚園
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婦人会
第4日曜日 礼拝後
〒106−0047 東京都港区南麻布 4−5−6 Tel & Fax 03(3473)1276
その他の日曜日
教会学校 9:00 ∼
聖書を読む会 9:00 ∼
主日礼拝 10:30 ∼
2016(平成28年)12. 11
牧師 松
谷 祐 二
成人会
第3日曜日 礼拝後
日本基督教団
麻布南部坂教会月報
麻布南部坂教会月
報
聖書と祈り会
毎週水曜日 10:30 ∼
第一日曜日
教会学校 9:00 ∼
主日第一礼拝 9:00 ∼
主日第二礼拝 10:30 ∼
あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべて
の町に、裁判人と役人を置き、正しい裁きをもっ
て民を裁かせなさい。裁きを曲げず、偏り見ず、
賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目
をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからで
ある。ただ正しいことのみを追求しなさい。そう
すれば命を得、あなたの神、主が与えられる土地
を得ることができる。
︵新共同訳聖書︶
ヤコブの手紙は、教会の中で富者と貧者との間
に差別があってはならないと戒めます。金持ちは
上席へ案内し、貧乏人は立ちんぼうか地べたに座
らせる││これはヤコブが持ち出した仮定の話で
はありますが、相応に実情を反映しているはずで
す。このあからさまな扱いの差は、何を意味する
のでしょうか。
ある注解者によれば、この話での﹁あなたがた
の集まり﹂は礼拝ではなく││初期の教会の礼拝
では席に案内するような習慣はなかったので│
│、信者の紛争を解決するための教会法廷のよう
な場面だろうということです︵日本のプロテスタ
ント教会ではなじみが薄いですが、
カトリックや、
欧米のプロテスタント教会では今も存在する制度
です︶
。
だとすれば、問題は単に席次の差別としてだけ
ではなく、教会法廷の判決が、富者に有利に、貧
者に不利に歪められるという、より深刻な形で現
れてきたはずです。それは、旧約聖書に描かれて
いるイスラエルの古い時代から、町の門のそばで
長老たちが裁判を取り仕切るとき、しばしばなさ
れた悪習であり、神が幾度も戒めて来られた問題
でした。キリスト教会内でも、同じ問題が起こっ
ていたわけです。教会法廷でさえそうであれば、
日常生活の中の小さな場面場面でも、貧しい信者
が富裕な信者に比べて軽んじられがちであっただ
ろうことは想像に難くありません。
ヤコブは厳しい内容を、しかし愛情を込めて説
き聞かせます。
﹁わたしの愛する兄弟たち、よく
聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選ん
で、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束され
た国を、
受け継ぐ者となさったではありませんか。
だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。
﹂
最初期の教会は、例外はありますが、全体とし
ては、教会外の社会一般に比べて経済的に豊かと
は言えませんでした。富んでいるのは教会の外に
いる人々のほうでした。キリスト教を毛嫌いし、
ときに信者たちを迫害し、ローマ社会の世俗の裁
判所に訴え、信者たちが尊ぶ主イエスの名を冒涜
する人々のほうが、概して豊かであったのです。
しかし、考えてみよ、とヤコブは促します。神
は世の富裕な成功者たちより先に、世の貧しい人
たちを││つまり、わたしの愛する兄弟たち、あ
なたがたのことを││﹁あえて﹂お選びになった。
彼らより先にあなたがたの内に、イエス・キリス
トを信じる信仰心を起こし、神の国に入る特権を
お与えくださった。
神はそうして、
貧しい者であっ
たあなたがたに、豊かな恵みをくださった。それ
なのに、あなたがたは、教会の信者たちの間でも
さらに貧しい人を軽んじ、恥をかかせるのか。神
のなさり方に倣わず、
教会を外から迫害している、
富める者たちのやり方に倣うのか、と。
貧富で人を偏り見るということは、イエス・キ
リストを信じることと相容れない、この世の悪し
き知恵です。今のわたしたちも、貧富によって人
を偏り見る誘惑から、本当に自由でしょうか。こ
の世の富のあるほう、自分の得になりそうなほう
に傾く誘惑から自由でしょうか。あからさまに貧
しい人を差別はしなくとも、より富裕な人のほう
に心が向いてはいないでしょうか。自分が豊かで
あるなら、豊かにしてくださった神に感謝し、貧
しい人のためにも用いているでしょうか。逆に自
分が貧しいからといって、卑屈になったり、人を
分分
妬んだりしていないでしょうか。
アドベントとクリスマスにあたり、神ご自身が
なさったことを、
特に思い起こしたいと思います。
コリントの信徒への手紙二 第八章九節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリス
トの恵みを知っています。すなわち、主は豊かで
あったのに、
あなたがたのために貧しくなられた。
それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊か
になるためだったのです。
〔2〕
麻布南部坂教会 月報
佳 子
戦争ばっか?
松 谷
随分、いや、かなり昔、大学を卒業して
何年か後でしょうか、とある知人のお祖母
様が亡くなり、おばあちゃん子だったらし
い知人は、とても落ち込んでいました。
運 転 中 に 、 お ば あ ち ゃ ん の 思 い 出 話 を、
ポツポツと話し、
信号待ちのときに、ボソッ
と、でも死んだら終わりだよな∼と言いま
した。
死んでも終わりとは、クリスチャン一家
で育った私は、実は一度も思ったことのな
い発想だったので えーっ死んだら終わ
り? と 思 わ ず 聞 き 返 し た よ う な 気 が し ま
す。ショックを受けました。
あゝ世の中では こんな風に感じている
人もいるのだと知りました。
私は、死んでも終わりではないと思って
生きてきましたし、今も生きています。そ
れはクリスチャンなら たぶん 皆んなそう
です。そうでなければ洗礼なんて受けませ
ん。
知人はその後の話の展開で でもキリス
ト 教 な ん て、 戦 争 ば っ か じ ゃ ん と 一 蹴。
確 か に 戦 争 ば っ か に 見 え る か も。 い ゃ あ
それはちょっと違います。違うはずなんで
す 本来は。しかしうまく説明出来ず 話し
は他の話題にうつり 弁解すら出来ない自
分に悶々としてました。
死んだら終わり。⋮戦争ばっか⋮。
色 々 あ り ま し て、 周 囲 も 驚 く 行 動 に 出
ました。神学大学に入り直したのです。
キリスト教の歴史を世界史と平行して習
うことが出来ました。有り難かったです。
言 わ ず も が な 聖 書 は 歴 史。 イ ス ラ エ ル
の歴史なので、世界史と平行して覚えると
歴史の流れが 少し見えて 聖書を読むとき
の助けになりました。
昔は、悩んだ時、困ったとき、聖書のど
こかをパサッと開いて、ひたすら偶然開け
た〇〇書をザーッと読んで、心に留まる聖
句を探す みたいな読み方をしたものです。
けれども、後に知りました⋮それはちょっ
と。
もっと昔は、聖書は物語だと思っていま
した。絵のない絵本みたいな。
でも、物語の形をした日本史ならぬイス
ラエル史、さらに信仰の歴史なのだと知り
ました。
更 に 更 に 言 え ば、 信 仰 者 の 経 験 だ と 父
が教えてくれました。
神 学 校 で は、 ひ た す ら 〇 〇 書 を 読 み 通
す み た い な こ と も や っ て み ま し た。 で も
挫折しました。
そ ん な と き 夫 が 教 え て く れ た の は、 聖
書は前後の文脈で読まないと、ずれた解釈
に な っ た り、 自 分 流 の 解 釈 に し て み た り 、
とにかく、ずれるらしいということです。
それならば文脈を と思ったのですが 色
んな解釈や背景が絡み 挫折しました。
聖書を偏った読み方をしていたら、やっ
ぱり戦争や争いばっか⋮になるのではない
か と 思 う の で す。 あ の と き 私 で は な く て、
夫が知人の横にいたら違ったかも⋮ 私に
は、神学校に入っても、やっぱり説明出来
な い と 思 い ま し た。 聖 書 は 易 し そ う で 難
しいです。説教者の責任は重いなあと思い
ました。私は、聖職者の道に進まなくて良
かったです。
神学校では神学を教えてくれる けれど
信仰は教会で培われると母教会の先生がよ
く話してくれました。
告
教会で説教の良い聞き手になること そ
れならば 何とか自分も出来るようになれ
るだろうかと 訓練中です。
報
会
十三時∼十五時
十一月度︾
*十 一 月 六 日︵ 日 ︶ は、﹁ 聖 徒 の 日 ﹂ の 礼
拝をささげました。礼拝後は、昨年度天
に召された以下の方々を特に覚えなが
ら、愛餐会をいたしました。塚原愛子姉、
佐柳義子姉、吉岡立滋兄、青木幸雄兄。
*十一月十三日︵日︶の主日礼拝は、大橋
章先生︵浅草北部教会︶を説教者に迎え
特別礼拝としてささげました。
礼拝後は、
大橋先生を囲んで愛餐会の時をもちまし
た。松谷牧師は、浅草北部教会で説教の
奉仕にあたりました。
*十一月二十七日︵日︶は、日本基督教団
の謝恩日でした。当日の席上献金は教団
の年金局にお献げしました。
*日 本 基 督 教 団 で は、﹁ 熊 本・ 大 分 地 震 被
災教会支援献金﹂を開始することとなり
ました。目標額は一億八千万円、期間は
二〇一八年三月末までです。献金は、被
災十四教会・教団と宣教協力関係にある
教 会 の 建 物 復 旧 の た め に 用 い ら れ ま す。
専用封筒を用意しましたので、是非、毎
月祈りに覚えておささげください。
人
︽各部報告
成
日 時 十一月二十日
場 所 会堂会議室
出席者 五名
開会祈祷 佐藤忠昭兄
内 容
人
会
・イザヤ書四十四章二十二節から五十五章
を 輪 読 し、 話 し 合 っ た。 特 に﹁ し も べ ﹂
について、四十九章の僕は、信仰の民で
あるイスラエルの民であるとも考えられ
るが、五十三章では救い主イエスキリス
トを予告していると考えられる。
次回予定 十二月十八日 イザヤ書五十六
章∼六十一章まで。
司会者 佐柳理久兄
閉会祈祷 黙祷
婦
日 時 十一月二十七日 主日礼拝後
場 所 会堂会議室
出席者 九名
開会祈祷 杵島節子姉
閉会祈祷 全員で祈祷
内 容
一、聖書研究 詩 第一二六、一二七、一
二八編
全員で輪読し、松谷牧師の解説を聞いた。
第一二六編 巡礼歌 一二六 一∼四 バ
ビロンの捕囚となって苦しい生活を送っ
ていた人々が、悩みから救って下さると
いう、主に対する信頼を喜び謳う。一二
六 五∼六 礼拝後、主を信頼し、喜び
の歌を歌いながら、家路に就く。
第一二七編、第一二八編 家庭、結婚、子
宝など神殿礼拝で主が下さる祝福の中身
を謳っている。
一二七 一∼二 労働の内容が主の御心
に応じているかどうか、主のみ旨と一致
していれば主が労働の苦労から守って下
さる。一二七 三∼四 年老いて苦境に
遭遇した時、若い頃生まれた子供たちは
成長して、自分の強い味方になってくれ
る。第一二八編 一二八 一∼四 結婚
や家庭について、主を畏れ、信頼して生
活する人は、幸いに恵まれる。
その他協議事項
クリスマスカード作成の打合せ。