戦略思考の原点 - Strategy

Management
Journal vol.21
ブーズ・アンド・カンパニー
マネジメント・ジャーナル vol.21
2 01 2 A u t u m n
特集
戦略思考の原点
巻頭言
日本的企業に求められる戦略とは
岸本 義之
The Right to Win ̶ 勝つ権利
チェザレ・メイナルディ、アート・クライナー [監訳:加藤 瑞樹]
企業戦略に不可欠なオペレーション戦略
ティム・ラセター [監訳:岸本 義之]
戦略的思考の3ゲーム
ティム・ラセター、サラス・サラスワティ [監訳:井上 真]
この文書は旧ブーズ・アンド・カンパニーが PwCネットワークのメンバー、Strategy& になった
スティーブ・ジョブズ・ウェイ
ジョン・カッツェンバック [監訳:吉田 泰博]
2014 年 3 月 31 日以前に発行されたものです。詳細は www.strategyand.pwc.com. で
ご確認ください。
21
vol.
2012
Autumn
Contents
Booz & Company
Management
Journal
マネジメント・ジャーナルは、
経営コンサルティング会社
ブーズ・アンド・カンパニーが、
経営戦略についての
さまざまな課題をテーマに、
経営の基幹を担われている皆様
に向けて発行する季刊誌です。
特集
戦略思考の原点
巻頭言
日本的企業に求められる戦略とは
3
勝つ権利
4
岸本 義之
The Right to Win
̶
チェザレ・メイナルディ、アート・クライナー
[監訳:加藤 瑞樹]
企業戦略に不可欠なオペレーション戦略
12
戦略的思考の3ゲーム
18
スティーブ・ジョブズ・ウェイ
24
ティム・ラセター
[監訳:岸本 義之]
ティム・ラセター、サラス・サラスワティ
[監訳:井上 真]
ジョン・カッツェンバック
[監訳:吉田 泰博]
Booz & Company
M a n a g e m e n t J o u r n a l Vo l . 2 1 2 0 1 2 A u t u m n
1
Booz & Company
M a n a g e m e n t J o u r n a l Vo l . 2 1 2 0 1 2 A u t u m n
特集 ◎ 戦略思考の原点
岸本 義之(きしもと・よしゆき)
(yoshiyuki.kishimoto@booz.com)
この文書は旧ブーズ・アンド・カンパニーが PwCネットワークのメンバー、Strategy& になった
2014 年 3 月 31 日以前に発行されたものです。詳細は www.strategyand.pwc.com. で
ブーズ・アンド・カンパニー 東京オフィスの
ご確認ください。
ディレクター・オブ・ストラテジー。20 年以
上にわたり、金融機関を含む幅広いクラ
イアントとともに、全社戦略、営業マーケ
ティング戦略、グローバル戦略、組織改革
などのプロジェクトを行ってきた。
巻頭言
日本的企業に求められる戦略とは
岸本 義之
「日本企業には戦略がない」という批判を受けることは多
また、どんなに分析的にポジショニングを考えても、現実
い。それでも日本企業が世界市場を席巻していたころは、戦
の環境変化の不確実性には対応できないという批判もある。
略がなくても競争に勝てればよいというようなムードもあっ
これに関して、より不確実な状況における思考法に言及して
た。しかし、新興国企業に猛烈に追い上げられ、欧米 企業が
いるのが、
「戦略的思考の 3 ゲーム」である。また、不確実な環
巨大合併などで競争力を上げようとしてくるなか、多くの業界
境において自らの道を切り開いたアップルのリーダーについ
で日本企業には逆風が吹いている。
て、
「 スティーブ・ジョブズ・ウェイ」で紹介している。
本号は、今あらためて戦略論の本質を問い直そうとするもの
今日の日本企業が認識しなければならないことは、競争環
である。戦略論といえば、
『競争の戦略』出版以来、30 年もその
境が大きく変化しているということである。先進国の市場に
中心に君臨するのがマイケル・ポーターである。他の戦略論者
向けて、欧米のライバルに追いつき、追い越せで頑張ればよ
は、ポーター理論とどう差別化を図るかということに腐心して
かった時代はとうに終わり、成長を目指すには新興国市場を
きたといえる。30 年もたてば経営環境は大きく変化するのに、
攻めなければならず、そこではより低コストの新興企業が急
なぜポーター理論は今でも中心にあるのかといえば、戦略の
成長を遂げている。過去に築いたポジションは根底から覆さ
本質はポジショニングにあると、極めて明快に割り切ったため
れるリスクをはらみ、長年にわたって培ってきた現 場改善 型
といえる。
ケイパビリティもまた、新たなライバルに追いつき、追い越さ
ポーター理論と他の理論の相対的な位置関係を整 理した
れてしまう。
のが「 The Right to Win ― 勝つ権利」という論考である。
現場主導型の落とし穴は、大きな構造変化の流れを見落とす
ポジショニングがどんなによくても競争優位はやがて脅かさ
点にある。ちょっとした変化であれば、現場での調整によっ
れるということは、じつはポーター自身も言及していたこと
て修正は効く。しかし、大きな変化に対しても現場の調整で
なのであるが、そうした現実を踏まえると、優位を長 期に持
どうにかしのげると考えていると、しのげなかったと気づい
続させるためのケイパビリティをどう定義し、どう伸ばしてい
たときには手遅れになってしまうのである。過去の延長線上
くかが重要になる。
で戦えなくなるのなら、過去とは異なるケイパビリティを身に
ポーター 理 論はオペレーションの能 力に注 意を向けてい
つけなければいけなくなる。しかし、過去を自己否定するよ
な いという批 判 が あ るが、かといって 現 場 主 導 のオペレー
うな方針転換は現場からは出てこない。まさに経営トップが
ション改善だけで競 争力を維持し続けることも困難である。
大 局観を持って判断を下さなければならないのである。そう
その点に着目した論考が「企業戦略に不可欠なオペレーショ
した節目の時代にあるからこそ、戦略論の本質を問い直すこと
ン戦略」である。オペレーションの能力をどのように高める
が必要になる。
のかの道筋を定め、それを明示的に示すことも重要である。
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この文書は旧ブーズ・アンド・カンパニーが PwCネットワークのメンバー、Strategy& になった
2014 年 3 月 31 日以前に発行されたものです。詳細は www.strategyand.pwc.com. で
ご確認ください。
The Right to
Win
勝つ権利
著者:チェザレ・メイナルディ、アート・クライナー
監訳:加藤 瑞樹
「自社の戦略はいかにあるべきか」。これはすべての経営者
流行からの脱 却が必要であると論じている。そのうえで、企
がつねに思い描いている命題である。では「自社の戦略を検
業固有のアイデンティティに立脚し独自で一貫性のある戦略
討するフレームワークはいかにあるべきか」はどうか。戦略の
を用いること、ポジショニングは所与として求められるケイパ
内容ほど真剣に議論されず、見過ごされがちではないか。
ビリティを伸ばすことが最良の道であると説く。馴染みのあ
本稿で著者は、戦略論は
「勝つ権利」を得るために体系化さ
る戦略理論の体系的理解とともに、自社の戦略の検討のあり
れた理論であり、各理論には長短があること、戦略論という
方を再考する機会になれば幸いである。
( 加藤瑞樹)
時刻は午前 8 時、場所はとある世界的な大手加工食品メー
第 2 の選択 肢では、企業側が顧客にさらに歩み寄り、顧客
カーの役 員会議室。過去 2 カ月にわたり、上級職 15 名から成
が欲しがる食品を製造する。オンライン上で募ったアイディア
るチームが、成長に向けた数々の選 択 肢を探り、3 つの基 本
を自社の提供製品に盛り込むことや、自在な食べ方ができて
戦 略を 選び出した。今、それぞ れの 要旨が 20 分 間の簡 潔 な
便利かつバランスのよい食事を 忙しい勤労 者 世帯向けに提
プレゼンテーションで説明されようとしている。
供することが考えられる。
第 1の 選 択 肢は、イノベーション 重 視。斬 新でユニークな
第 3 の選択肢では、より積極的に競争に臨むことによって、
パッケージングをほどこし、最 先 端の栄養 成分を含み、新た
食 品セクター の力学 を 変 容させる。新しい加 工 技 術に投 資
な便利さを実現した、今までにないタイプのスナックや食品
し、コスト削減のために事業規模を適正化し、重要な買収を
を矢継ぎ早に開発していくというものだ。
成し遂げることによって、自社がカテゴリー・リーダーとなる。
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特集 ◎ 戦略思考の原点
チェザレ・メイナルディ
(cesare.mainardi@booz.com)
アート・クライナー
(kleiner_art@strategy-business.com)
加藤 瑞樹(かとう・みずき)
(mizuki.kato@booz.com)
ブーズ・アンド・カンパニーの CEO。ポール・
strategy+business 誌 編 集 長。著 書 に
ブーズ・アンド・カンパニー 東京オフィスの
レインワンドとの 共 著 に The Essential
The Age of Heretics: A History of the
ヴァイス・プレジデント。金融、総合商社、
A d va nt age: H ow to Win wi t h a
Radical Thinkers Who Reinvented
航空、鉄道、医療、公的金融機関、官公庁な
Capabilities-Driven Strategy(Harvard
C or por ate M a nagement ( Jossey-
どに対し、企業再生、新規事業戦略、民営
Business Press, 2010)がある。
Base, 2008 )がある。
化支援、M&A 、業務・組織の構造改革など
のプロジェクトを 数多く手がける。東 京
オフィスの金融セクター、パブリックセク
ターのリーダー。
スクリーン が 真っ白に なった 後、CEO が 身を 乗り出して
おいて高い 水準 の 一貫 性 がみられる場合のみ、
「勝つ権 利 」
シンプルな質問をした。
「 我々に最も強い『勝つ権利』をもた
が得られるということである。
らしてくれるのは、どの戦略だろうか」。その落ち着いた直球
すべての企業戦略は、本質的には「勝つ権利」をめぐる理論
の質問に、そこに座っているすべての者が思わず背筋を伸ば
にほかならない。だからこそ、ビジネスでの成 功の本質を理
した。なぜならその質問は、つねにそうした言い回しで表現
解しようとする者にとって、戦略論の歴 史はためにもなるし
されるわけではないものの、あらゆるビジネス戦略の根底に
魅力的でもある。筆者は、ビジネス戦略理論について書かれた
横たわっている核心的な問いかけだからだ。
複数の文献をもとに、
「勝つ権利」を各戦略理論の基本原理
「勝つ権利」とは、参加する市場がいかなる競争環境にあって
によって整理したマップを作成した(図表1参照)。マップは戦略
も、さらなる成功の機会を保証する力のことである。スポーツ
の 四 大 学 派を図示しており、それぞ れ が 競 争 社 会における
選手のコーチが、
「あの子には試合で勝つ権利がある」と言う
長期的な成功の本質についての仮説を示している。
ところを想像してみてほしい。あるいは、教師が「あの学生は
よい成績を取るに値する」と言うところでもよい。彼らが真に
戦略における基本的な緊張
言わんとしているのは、
「 あの競争者は、この試練を迎え撃つ
ために必要な能力を備えた、まさにこの競争の場にいるべき
我々が今日知っているようなビジネス戦 略 の歴 史は比 較
プレーヤーだ」ということだ。こうした競争者はときに負ける
的浅い。主流ビジネスに対して「戦略」という言葉が最初に
こともあるが、長 いス パンで見 れば揺るぎのない 優 位性を
活字で用いられたのは、1962 年にアルフレッド・チャンドラー
おのずと確立し、奇跡かと思われるようなことをいとも簡単
の著書
『組織は戦略に従う』が発行されたときだった。それ以
そうにやってのけるようになる。スポーツや学 術よりも形式
来、ビジネス戦略の分野には目立ったトレンドやアイディアが
が変幻自在で予測ができないビジネスにおいては、このような
数多く登場したが、それらは互いに相反する内容を持ち、また
本質的な優位性は稀有なものだが、競争激化の現在において
多くの場合、企業をかなり異なった方向に導いた。そうした
はその重要性は増している。
違いはあるにしても、四大戦略学派はいずれも同一の基礎的
「勝つ権利」という表現は傲慢に感じられるかもしれない
な問題、つまり、ビジネスにおける2 つの相反する現実の間の
が、生まれながらにそれを得られる企業はひとつもない。
「勝
緊張という問題を解こうとするものであった。
つ権利」は獲得するものである。そのためには、自社が持つ
ひとつ目の現実は、優 位は一 時的なものであるということ
最も特長的で重要なケイパビリティと、ターゲット顧客へのア
である。市場で最も強力な地位でさえも、新参の企業との競
プローチを準備し、そしてそれらに合った適切な商品とサービ
争、資本の流れの変化、技術面のトラブル、新たな規制制度、
スのみを提 供するよう自制することを、日々の実務のなかで
政治上の変化、そして予測不可能な事業環境の影響を受けか
つねに意 識する必要がある。ブーズ・アンド・カンパニーでは
ねない。そうした影響が収束し安定に向かうことはない。企
このアプローチを「ケイパビリティ主導の戦略」と呼んでいる。
業 が互い の 技 量を模倣したり凌 駕したりしていくにつれて、
弊社の研究と経験から明らかになったのは、どの企業の場合
ビジネスというゲームは継続的に難易度を増すからだ。新興
も、市場戦略、ケイパビリティ体系、そして商品ラインナップに
市場の急速な経済成長により、新たに何百もの活気に満ちた
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図表1 : 戦略概念の概観図
これら四象限はそれぞれ、勝つ権利の本質をめぐるビジネス戦略における基本的な思想学派を表している。
X軸は誰が戦略についての主要な決定の責任を負うかを示している。左側には、集団的選択(会社中のできるだけ多くの人々の間に戦略的思考が浸
透)を支持する見解が置かれている。右側には、トップダウン型の形成(戦略が少数の上級幹部によって構築される)を支持する見解が置かれている。
Y軸は戦略が現在志向とみられるか未来志向とみられるかを示している。上側は、企業の長期的な目標に向かって行動することを支持する見解、下側
は、企業の戦略の方向性を企業の現在の状態に合わせて設定することを支持する見解である。
適応
将来
Adaptation
事象に対応して迅速かつ
独創的に行動する
(組織学習)
Position
ポジショニング
優位な立場を利用する。
突出した地位を築いてそれを維持する。
(市場のポジショニングを前提)
マイケル・ポーター
『競争の戦略』
ヘンリー・ミンツバーグ
W・チャン・キム、
レネ・モボルニュ
1980年
『戦略計画』
『ブルー・オーシャン戦略』
2005年
1994年
ブルース・ヘンダーソン
Essays
トム・ピーターズ、
ロバート・ウォーターマン
1966年
『エクセレント・カンパニー』
ケネス・アンドルーズ
『経営戦略論』
1971年
1982年
多数
少数
ゲイリー・ハメル、
C・K・プラハラード
ウィリアム・アバナシー、
ロバート・ヘイズ
『コア・コンピタンス経営』
「経済停滞への道をいかに制御し発展に導くか」
1994年
W・エドワーズ・デミング
『ハーバード・ビジネス・レビュー』
Out of the Crisis
クリス・ズック
1980年
1986年
ラム・チャラン、
ラリー・ボシディ
『経営は
「実行」
』
2002年
オペレーショナル・
エクセレンス Execution
『本業再強化の戦略』
2001年
マイケル・ハマー、
ジェイムズ・チャンピー
『リエンジニアリング革命』
1993年
オペレーショナル・エクセレンスに向けて
人とプロセスを調整する
(品質運動)
Concentration
集中
会社の現在の中核事業に
注力する
(プライベートエクイティ)
現在
出所:ウォルター・キーチェル著『経営戦略の巨人たち』
( 日本経済新聞出版社、2010年)、
アート・クライナー著 The Age of Heretics: A Histor y of the Radical Thinkers Who Reinvented Corporate Management( Jossey-Base, 2008)、
ヘンリー・ミンツバーグ、ブルース・アルストランド、ジョセフ・ランペル著『戦略サファリ』
( 東洋経済新報社、1999年)
注 :年は原著発行年
競合企業が世界経済に引き入れられているが、これも優位を
上層部を含む多くの人々を無理矢理追い出し、違った考え方と
より一時的なものにしている。
能力を持つ新しい社員と入れ替えただけだ。リーダーたちが
柔軟に身構え、変わり続ける市場の要求に応じて姿かたち
変革の必要を認識している場合、または企業の存亡がかかっ
を 変えていくことが 答えだと考える人もいるかもしれない。
ていることを知っている場合であっても、このようにアイデン
しかし、企業にはそれができない。企業のアイデンティティは
ティティを変えることは難しい。アイデンティティを一新しよう
な かな か 変 わらな いという第 2 の 現 実 が 立ちはだ かるため
とする意図的な努力が払われなければ、ゆくゆくは優位性を
だ。自らを他のすべての会社から突出した存在にしている根
内部から蝕んでしまうほどまでに停滞しかねない。ジム・コリ
源的なクオリティ、すなわち業務プロセス、企業文化、独自の
ンズ、クレイトン・クリステンセン、ドナルド・サルといった著述
ケイパビリティといったものは、決断を重ねていくうちに徐々
家が指摘しているように、名門企業はいとも簡単に、自己満
に築き上げられ、組織としての慣行や対話を通じて継続的に
足や過信(コリンズ)、硬直した顧客関係や技術の衰退(クリ
強化されていく。自らを徹底的に作り変えてみせた企業はごく
ステンセン)、あるいは無為無策(サル)の餌食となってしまう
わずかしかなく、またそれを成し遂げた企業はたいてい、経営
のである。
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特集 ◎ 戦略思考の原点
戦略を実現に導く根本的な要因は、
独特かつ一貫した企業アイデンティティである。
一方、アイデンティティの「持続性」は弱点であると同時に、
る SWOT分析の起 源である)。表計算ソフトが世に登場する
強さの源でもある。潤沢なケイパビリティの凝 集と息の長い
たいぶ前のことであり、企業はそれらに関するデータを込み
企業文化なくしては、どんな企業も存在感を示すことはおろ
入った書類にまとめ上げるために大量のプランニング要員を
か 長く存 続 することすらまま ならな い。戦 略を 実 現 に 導く
雇い入れ、複雑な分析を積み重ね、年間戦略が議 論された。
根本的な要因である競争優位の源は、独自の一貫した企業ア
それらの計画が現 実の世界 の業 績や課題と必ずしも関連し
イデンティティである。それこそが、顧客、投資家、従業員やサ
ないことは、その後徐々に明らかになっていった。
プライヤーを惹きつける。
ポジショニング学 派における転機 が 訪 れたのは 1966 年、
戦略の一時的流行は、一貫性に欠けた、効果の薄い行動に
ボストン・コンサルティング・グループ
( BCG )の創業者ブルー
企業を走らせることが少なくない。しかし正しいやり方は、新
ス・ヘンダーソンが、自ら「経験曲線」と呼ぶものに基づいた
しい理論を採用し続けることではなく、その企業ならではの
サービスを売り始めたときだった。複数の企業間や業界間の
「ケイパビリティ主導の戦略」、すなわち自社のビジネスにつ
コストと価格のデータを分析することで、ヘンダーソンは、業
いて一貫性のある独自の理論を打ち出すことである。顧客に
務 運営の 経 験 が 技 能 の向 上をもたらしていくにつれて生 産
とっての現在、そして将来における価値は何か。それを実現す
能力が上昇し、コストが下がることを示してみせたのである。
る、自分たちの最も重要なケイパビリティは何か。それを商品
たとえば、テキサス・インスツルメント
( TI)は自社の半導体チッ
とサービスラインナップにどのように結びつけているか。こ
プと電子計算機の価格を数カ月ごとに下げた。顧客が競合他社
れらの選択をしっかりと行うことが、長期的に勝つ権利をも
から TI に乗り替えてくるにつれて売上高が上昇し、そうすると
たらしてくれる企業アイデンティティを築き上げることに寄与
ますます生産コストが下がったため、TI は価格をさらに下げる
する。
ことができた。取扱量が増えたことから、各種の手続きコスト
図 表 1 の 4 つ の 基 本 的 な 思 想 学 派、
「 ポジ ショニ ング
や広告効率まで向上したのである。
( position)」
「 オペレーショナル・エクセレンス
( execution)」
勝つ権利は、自社のセクターの売上シェアにおいてトップ
「適応( adaptation)」
「集中( concentration)」はいずれも、
の位置を維持し、経験曲線を最大限に活用した企業に与えら
適切に用いられれば、企業戦略家たちに大切なことを伝えて
れるというのがヘンダーソンの考えだった。これを用いれば、
くれる。
部門ごとに分析を行い、優れた事業部門とそうでないものに区
分をすることができた。かの有名なプロダクト・ポートフォリ
ポジショニングの価値
オ・マトリックスは、ある会社の事業を「スター
( star)」
(高成
長/高シェア)、
「負け犬( dog )」
(低成長/低シェア)、
「問題
1960 年代に登場したポジショニング学派では、勝つ権 利
児( question mark )」
(高成長/低シェア)そして「金のなる
は、重要なすべてのファクター(市場、内部のケイパビリティ、
木
( cash cow)」
( 低成長/高シェア)に分けて、投資の再分配
社会的ニーズ)を包括的に分析した企業によって得られると
に明白な根拠を与えるものだった。
いう仮 定に立っており、具体 的には強み、弱み、機 会 そして
このマトリックスは登 場 後しばらくの 間 は人 気 を 博した
脅威を定義することが主眼であった(今日もなお普及してい
が、実際の場面においては重大な欠陥を抱えていた。用いる
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のが過去の成功の回顧的な分析であることから、たとえば競
記事で最もリプリントの依頼が多いもののひとつであり、同誌
合他社が同じアプローチを採るようになった場合など、状況
の歴史のなかで最も論争を呼んだ論文のひとつでもある。彼
に変化が生じたときでも、将来にわたって同じ行動を続けたい
らは、
「勝つ権利」は実践とオペレーショナル・エクセレンス、
という欲求を抑え難いものにしてしまうのである。このこと
すなわち、よりよい業務慣行、プロセス、技術、そして製品の
は、多くの企業を負の効果を招くような戦略に走らせる結果
開発と展 開から来るという考えに基づいた 別の戦 略思 想学
となった。
派を創始したのだった。
TI を含めたいくつかの企業は、自社製品のコモディティ化
彼らオペレーショナル・エクセレンス学派が発したメッセー
を助長する容赦ない価格競争に引きずり込まれ、フォードや
ジは、幹部研修、そしてシックス・シグマなどの業務慣行を重
ゼネラル・モーターズは1979 年と1980 年に 5 億ドルを上回る
用することで業務 運営重 視 型戦 略 の 有力な例を 示してみせ
規模の損失を被った。ビジネス・リーダーたちはポジショニン
たゼネラル・エレクトリックやモトローラといった会社によっ
グ学派の英知に、そして勝つ権利をめぐるその主張に疑問を
て増強された。
抱くようになっていった。
オペレーショナル・エクセレンスは、トヨタに代表されるよ
うな品質運動の基本理念でもあった。W・エドワーズ・デミン
オペレーショナル・エクセレンス学派の逆襲
グは 190 0 年生まれのアメリカの 統 計 学 者で、第 2 次 世界大
戦 直 後 から日本 で 定 期 的にコン サル ティング をするように
ポジショニング学 派に最も神 経を 逆 撫でされが ちだった
なり、日本企業が自社の生産システムを構築する手助けをし
のは、製造とオペレーションの分野であった。実際のところ、
た。1993 年の死去まで精力的に教鞭を取ったり、並みいる世
ポジショニング学派への反動は、ハーバード・ビジネス・スクー
界のトップ企業を相手にコンサルティングに従事したりした。
ル
( HBS)のオペレーション・マネジメント学部の 2 人の教授に
彼の見解では、無駄を排除し、統計的手法を使いこなせるよ
よって起こされた。
うに会社中の人々を訓練し、そして人々が自分の仕事に心の
1979 年の夏、アメリカの自動車産業に停滞を感じとっていた
底から打ち込 んでいるときに覚える内からの「仕事 の喜び」
HBS の自動車製造の専門家ウィリアム・アバナシーと、同じく
を培うことで、自社の日ごとのプロセスや慣行に磨きをかけ
組立ラインの研究で知られるロバート・ヘイズは、戦略目標と
てレベルを高めていく企業こそが勝つ権利を手中にするのだ
しての市場シェアと財務面の成長への依存がアメリカの産業
と言った。
を傷つけてしまっているという結 論を導き出した。実際、当
オペレーショナル・エクセレンス学派はことあるごとに試練
時 の 米国 企 業は短 期 的なリターンの 得られない 取り組みを
を与えられたが、1990 年代前半を通じて、とくに MITの情報
敬遠しており、それが米国経済全体を苦しめていた。
工学の教授であるマイケル・ハマーがこれを「リエンジニアリ
アバナシーとヘイズは、
『 ハーバード・ビジネス・レビュー』誌
ング」と呼ばれるアプローチへと発展させた後、影響力を伸
に寄稿した「経済停滞への道をいかに制御し発展に導くか」
ばし続けた。ハマーによれば、
「 勝つ権利」は、自社のすべての
(『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』1980 年11月
12 月号)でこの結論を書き表した。これは今なお同誌の掲載
プロセスをあたかも一から設計し直すかのような目で見つめ
直した会社に授けられるものだと言った。
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特集 ◎ 戦略思考の原点
ポーターは自らに有利な市場か差別化可能な市場で戦うべきと聞いた。
しかし多くの企業は泳ぎ方を知らない
「ブルーオーシャン」
に活路を見出そうと試み、失敗に終わった。
残念ながら多くの企業は、レイオフのツールとしてリエンジ
より優れた業務運営にはつながるけれども、そもそもどの事
ニアリングを用いてしまい、オペレーショナル・エクセレンス
業 を業 務 運 営 の対 象とするのかという問 題 は素 通りしてし
はハイテク・バブルの浮かれ気分には太刀打ちできなかった。
まっていたのである。
1990 年代の終わりまでには、実践をベースとした戦略は主と
ポーターは、全般的に条件が有利な業界や市場か、企業が
して事業の生産サイドに追いやられてしまったのである。
自らを差 別 化できる業 界や市場 のどちらかを 選 択するよう
訴えた。
「 戦略の本質」のなかでポーターは、比較的妙味のない
マイケル・ポーターの優位
業界における差別化の事例として、サウスウエスト航空を取り
上げている。彼らの成功は、他の航空会社のようなスポーク・
オペレーショナル・エクセレンス学派のもうひとつの大きな
アンド・ハブ型の経路モデルには倣わず、
「ユニークかつ有益
限界は、HBS 教授のマイケル・ポーターによって最も端的に言
な戦略ポジション」
(単一機材・直行経路・座席指定なしなど
い表されている。1970 年代後半から1990 年代前半にかけて
の制限的なサービスなど)を提供するという選択に発してい
の自身の初期の著作のなかで、ポーターはポジショニングを
た。高効率な運 航を実現していたのだから、これにオペレー
かつてないほど洗 練させた。企 業 を取り巻く環 境の 混 沌 状
ショナル・エクセレンスも関係していたことは確かだ。しかし、
態を、
「 バリュー・チェーン」と「ファイブ・フォース」
( 競合相手、
その中 核的な強みは、明 確な市場戦 略を 通じた簡便性の 追
顧客、供給業者、新規参入業者、代替品)に整理し直したので
求だったのである。
ある。すなわち、あらゆる事業について、その価値ポテンシャル
ポジショニング学派は、1980 年代および 90 年代を通じて
と競争の激しさの分析に使うことができる2 つの枠組みだ。
の西欧における企業競争力の蘇りの大きな推 進役となった。
ポーターはその後、
『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に
W・チャン・キムとレネ・モボルニュは『ブルー・オーシャン戦略』
掲載された自らの代表的な寄稿記事「戦略の本質」
(『ダイヤ
のなかで、ポジショニング派の主張をその極限まで発展させた。
モンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』1997 年 3月号)のなか
彼らは、大 企 業は自らの 業 界に対 する従 来 の見 方 から脱 却
で、オペレーショナル・エクセレンスが競争優位を保証できる
し、まだ競合相手が1社もいない場所で、それまではなかった
のは限られた時間においてのみだと指摘した。以後は、他の
新しいポジションを自ら探り当てるべきだとアドバイスした
会社が追い上げ てくるに従って、これもやはり利益 の縮小に
のである。
つながるというのである。実際、フォード、GM を含む欧米自
しかしながらポジショニング学派の限界は、1990 年代およ
動車メーカーは、1980 年から 2010 年にかけてまさにそれを
び 2000 年代に顕著になった。業 界 構造は変化しうるもので
地で行ってきた。30 年を要したが、これらの企業の自動車の
あり、先導的な企業の行動によって形成されうるという点を
品質と再販価値は、概してトヨタやホンダのそれに匹敵する
マイケル・ポーターは骨を折って説明したが、一 部の業 界は
レベルに向上した。
本質的によく、その他は救い難いほど悪いと言っていると解釈
ポーターにしてみれば、リエンジニアリング、ベンチマーキン
されがちであった。難しい事業や、高度に規制されている業界
グ、アウトソーシング、変更管理といった実践重視の考えには、
に身を置いている多くの企業リーダーにとっては、特異なケイ
すべ て共 通した戦 略上の 制 限 が あった。それらはいず れも
パビリティや実践における腕前を身につけていくことに実際
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ビジネス・リーダーたちにこれらの戦略を紹介した思想家は
自らのアプローチの限界を認識し、
それらの誤った適用に対する警告までしていた。にもかかわらず、
ビジネスマンたちはそれらを誤って適用してしまう。
の利点はなかったのである。なかには、自らが特異なケイパビ
な性質が非一貫性につながりやすいことから生じている。い
リティを 1つも持っていない 場での 新規事 業、言うなれば泳
ずれも異なったケイパビリティのニーズを抱え、異なった市場
ぐことを知らない「ブルー・オーシャン」に入ることによって切
ポジションにある幾多の商品とサービスの歩調を一致させる
り抜けようと試みた会社もあった。こうした努力は概して失
ことは、到底無理なのである。
敗に終わった。そして 2000 年代が進むにつれ、マイクロソフ
トなど羨望の的であるような市場ポジションを持つ企業が、
中核への集中
グーグルといった新たな競合相手が出現したときに自らの優
位が 衰えていく様を目の当たりにしもした。このことがポー
そこで 魅 力が 出てくるのが 4 つ目の 戦 略思 想 家グル ープ、
ターの仮説を反証したわけではなかったが、彼の考え方に疑問
集中学派である。その先駆者は、
『 コア・コンピタンス経営』の
符がつくことにつながってきた。
著者で、最も効果を上げている会社の成功の原因は選りすぐ
りの「コア・コンピタンス」のセットにあるのだと主張したゲ
適応学派と実験学派
イリー・ハメルと C・K・プラハラードだった。コア・コンピタン
スとは、企業が独自のやり方で競争に臨むことを可能にして
1990 年代から、もう1つの戦略思想家グループがポジショ
くれる根本的なスキルと技術的ケイパビリティ
(新式のハード
ニング学派とオペレーショナル・エクセレンス学派とは別の見
ウェア、ソフトウェア、システム、バイオ技術、金融工学といっ
解を打ち出すようになった。マギル大学経営大学院教授のヘ
たもの)のことだ。それらに集中するとともに、長期的視野に
ンリー・ミンツバーグが唱えた説を代表とする、戦略を永続的
立つ「戦略的意図」をまとめ上げるためにそれらを活用した企
な適応としてとらえる考えである。自著の歴史書『戦略計画』
業が、勝つ権利を我が物にするというわけである。
で、ミンツバーグはポジショニング学派
(彼はこれを「デザイン
この学派によれば、勝つ権利とは自らの中核事業にこだわり、
学派」と呼んだ)を杓子定規であるとして切り捨てた。実践が
成 長と価 値の 実 現に向けてそれらを 活用するための 新たな
重要であることは認めており、経営者たちが実務においてし
方法を見つける企業に授けられる傾向があると述べている。
てきたことの分析にその著 作の大部分が割かれてはいるが、
これが意味しているのは、企業の中心的なケイパビリティから
ポーターと同様、ミンツバーグもまたオペレーション・エクセ
手をつけることによって会社を差別化していくということだ。
レンスは成功に不十分と考えた。彼の戦略アプローチの核心
ところが実務においては、集中戦略が、旧来のアプローチ
は、経営上の意思決定に対するもっと独創的で実験的なアプ
が 時 代 遅 れ に なったときでさえ、それらに固 執する方途と
ローチを見つけることにあった。
なってしまうことがよくある。多くの 企業がこの戦 略を焼き
このように、適応学派(ミンツバーグの命名によれば「ラー
畑 式 の 縮 小 行 動 に 転 換してしまうのであ る。そうした 企 業
ニング学派」)の経営幹部は、分析とプランニングに代えて、新
は、コストを削減して研究開発やマーケティングへの投 資を
たな方向を試してみることによって勝つ権利を獲得しようと
最小 限に抑えて 我 が 身を削ぎ 落とし、当 初こそ 利 益 を 伸 ば
した。
すが成長を維持することはできない。そうした企業は、自社
適応学派にも大きな限界があるが、それは、その自由奔放
の既存 の中 核 事 業に関係があるように思われる商品または
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特集 ◎ 戦略思考の原点
サービスを通じて成長しようとするが、多くのものは期待を
さなければならない。そのための材料はすでにそれぞれの企
下回る利益しか上げられないのである。
業の中にある。今がそれに取り組む絶好のタイミングである。
日々の習慣としての戦略
("The Right to Win" by Cesare Mainardi with Ar t Kleiner,
strategy+business, Issue 61 Winter 2010)
ビジネス・リーダーたちにこれらの戦略を紹介した思想家
の多くは、自らのアプローチの難点や限界を認識し、それらの
誤った適用に対する警告までしていたということを心に留め
ておくことが大切である。にもかかわらず、ビジネスマンたち
はそれらを誤って適用してしまう。各理論はこうして見込みと
裏腹の結果をもたらし、次なるものに出番を譲っていく。
あなたの会社は、勝つ権利をめぐるこれらの戦略理論から
どうすれば最大のメリットを得られるだろうか。
それは、短兵急に答えを求めがちな姿勢を改め、一歩下がっ
て、競争の仕方、競争に際し駆使するケイパビリティ、そして
的確なポートフォリオ判断をひっくるめた企業アイデンティ
ティを、全体的に見つめなおすことによってもたらされる。
ケイパビリティ主導の戦略プロセスは、市場のポジショニン
グを前提にして、ケイパビリティをそれに合わせて伸ばすとこ
ろに本質がある。議論の過程においては、確固としたポジショ
ニングを維持すること、新しいケイパビリティをもって実践に
臨むこと、競争のプレッシャーに素早く適応すること、そして
成長への基盤としての中核事業に集中することという四学派
それぞれの考えがみな一斉に前面に出てくる。このプロセス
を体 得するのには時間がかかるし、それはまたときとして非
常に困難でストレスに満ちた作業ではあるが、それを成し遂
げたあかつきには、企業は継続的な恩恵を得ることになる。
過去 50 年間多くの 企 業は、戦 略理論 家たちに頼ることで
戦略についての答えを得ようとしてきた。しかし、勝つ権利を
得るためには本来、自社ならではのアイデンティティと、それ
ぞれが置かれた事業環境とを踏まえ、独自の理論をつむぎ出
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この文書は旧ブーズ・アンド・カンパニーが PwCネットワークのメンバー、Strategy& になった
2014 年 3 月 31 日以前に発行されたものです。詳細は www.strategyand.pwc.com. で
ご確認ください。
企業戦略に
不可欠な
オペレーショ
ン
戦略
著者:ティム・ラセター
監訳:岸本 義之
日本企業の多くは、
「現場力」
「 品質改善」
「 コスト削減」など
全体が共倒れに近い状況に陥りつつある。ボトムアップの阿
のオペレーションに注 力して欧米 企 業との 相 対 的な優 位性
吽の呼吸で伝える現場オペレーションだけでなく、新たなグ
を築いて業績を伸ばした。しかし、
「戦略がない」と批判され
ローバル競争環境に合わせた、明示的なオペレーション戦略
た日本企 業同士の同質的競 争が 際 限なく続いた 結果、業 界
を再構築すべき時期なのではないだろうか。
( 岸本義之)
オペレ ーション 戦 略 の 核 心 とは何だろうか。自 社 の オペ
レーション効果をひたすら追求した 10 年間の結果、多くの業
レーション戦 略とは何かと問われれば、多くの 経営トップは
界で同質的競争化の道に入り込んでしまった、とポーターは
「リーン」あるいは「シックス・シグマ」といったコスト削減や
主張している。オペレーション効果追求の一辺倒では共倒れ
品質改善の取り組みについて語るだろう。重要ではあるもの
を引き起こし、最後には業 界再編に向かい、そこで生き残る
の、こうしたプログラムが競争優位を作り出し、企業戦略全体
のは、
「 本当の競争優位を持つ企業ではなく、ただ単に他社よ
を支えるということは、稀である。
り長く生き延びた企業」だとポーターは言う。
私はヒントを求め、1996 年秋にマイケル・ポーターが『ハー
こうした風 潮を非常に懸 念したポーターは、経営トップた
バード・ビジネス・レビュー』誌に発表した論文
「戦略の本質」
ちの注意を引くために、書き出しのフレーズを「オペレーショ
を引っ張り出した。ポーターは、企業が戦略の重要性を完全
ン効果は戦略ではない」という太字の見出しにした。さらに
に見失っているのではないかと懸念した。数ある日本の競合
ポー ターは「ほとんどの日本 企 業には 戦 略が ない」という
企業に追いつこうとしてコストと品質のギャップを埋め、オペ
タイトルの囲み記事を入れ、挑発的に批判した。この囲みの
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特集 ◎ 戦略思考の原点
ティム・ラセター
バージニア 大 学 ダー デ ンスクール を は
岸本 義之(きしもと・よしゆき)
(yoshiyuki.kishimoto@booz.com)
じめとするトップビジネススクールで 教
ブーズ・アンド・カンパニー 東京オフィスの
鞭 を と る。The Portable MBA( Wiley,
ディレクター・オブ・ストラテジー。20 年以
2 0 1 0)、Strategic Product Creation
上にわたり、金融機関を含む幅広いクラ
(McGraw-Hill, 2 0 07、ロ ナ ルド・カ ー
イアントとともに、全社戦略、営業マーケ
バーとの 共 著)など4 冊 の 著 書 が あ る。
ティング戦略、グローバル戦略、組織改革
ブーズ・アンド・カンパニーの元ヴァイス・
などのプロジェクトを行ってきた。
プレジデント。オペレーション戦略に関
して25 年以上の経験を持つ。
ポーターの主張を細かく検討してみると、
戦略とオペレーションの間には意外なほどに
共通項が多いことがわかる。
なかで、ポーターはトヨタ自動車の社名こそ挙げてはいない
ポジショニングは、競合他社とそう変わらないかもしれない。
ものの、
「 TQM(総合的品質管理)、ジャストインタイム生 産
しかし、トヨタの生産方式は、サプライチェーンの機能に対す
方式、カイゼンなど、大きく賞賛された概念を広めた企業」を
る画期的な視点から生まれたものである。ディーラーに車を
攻撃した。模範的な生産方式と、それに触発されたオペレー
「押し込んで」ディーラーが提供するローンや値引きで顧客を
ション革命の賞賛に対して、ポーターなぜここまで否定的に
買う気にさせるのではなく、トヨタは顧客が望む車を「ジャス
なるのだろうか。
トインタイム」で生産した。こうした先見の明が、一連のオペ
ポーターは、成 功する企業においてオペレーションの質が
レーションのイノベーションにつながり、その結果、トヨタは
高いことは当然のはずと考え、オペレーションから分離した
顧客の要求の変化に容易に対応できるようになった。
ものとして戦略を定義していたのである。戦略とは「独自性
ポーターは、オペレーション効果やトヨタをはじめとする日
の高い、価値あるポジションを創出することであり、そのため
本メーカーを矮小化するのではなく、全体的な企業戦略を成
にさまざまな活動が必要となる」とした。ポーターはさらに
功させるにあたって「オペレーション戦略」がいかに重要なの
「戦略とは、競争におけるトレードオフ
(二者択一)の判断」で
かを説明すべきであった。ポーターは、イケア、バンガード、サ
あり、そこには「何をしないかを選択することも含まれる」と
ウスウエスト航空などの先駆的な企業の「活動システム」を
指摘した。ポーターは最後に、企業のさまざまな活動が調和
描いてみせたが、優れた「戦略的適合性」を自ら強化していく
していることの重要性を強調し、
「戦略の成否は、多くのもの
システムをどうやって作り出すのかについては、ほとんど指針
ごと(少数ではなく)を円滑に実行し、それらを一体化できる
を与えていない。だが、これこそがオペレーション戦 略 の本
かどうかにかかっている」と述べている。
質なのである。
オペレーションの 実 務 者 や 学 者 は、ポー ターがオペレー
ションを軽視していることに憤りを覚えたが、ポーターの主
オペレーション戦略を定義する
張を細かく検 討してみると、戦略とオペレーションの間には
意 外なほどに共 通 項 が 多いことがわかる。ポーター自身 の
ポーターに対して公平を期すために書き添えるが、オペレー
定義によれば、有効な全体戦略のためには、オペレーション
ションを軽視したのは彼だけではない。戦略企画の実務者た
戦略が重要な必要条件となるのである。ポーターは、コスト
ちは何十 年もの間、オペレーションという機能を拒 絶してき
と品質改善を重視する日本流のやり方を拒絶し、トヨタなど
た。同じくハーバード・ビジネス・スクール教授であるウィッカ
の企業のオペレーション戦略が、ポーター式モデルの戦略の
ム・スキナーは、1969 年の
『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌の
本質 である差 別 化されたポジションの 形成にいかに有 効で
論文のなかで、製 造 部門に対して経営トップの関心がもっと
あったかを評価していない。正直なところ、トヨタ「製品」の
注 がれるべきであると、実務家たちに気づかせようとした。
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多くの企業では、
オペレーション戦略が
アドホックに決められている。
「製造:企業戦略のミッシングリンク」と題されたこの論文は、
し現実には、オペレーション戦略において、どのケイパビリティ
25 年以 上も前にポーターの主張を予言していた。そこには、
を構築し、長期的に向上させていくかを明確に考えなければ
「生産システムがトレードオフと妥協を伴うことは、不可避で
ならない。
ある」と書かれていたのである。しかし、スキナーは戦略的ポ
ポーターのポジショニングという考え方、スキナーの製造に
ジショニングに焦点を当てるのではなく、オペレーション領域
関する意思決定の領域、バーニーのケイパビリティに基づく戦
において重要なトレードオフを解決する必要のある「意思決
略、これらを合体することにより、オペレーション戦略の適切
定領域」を重視した。
な定義をより幅広い観点から考えることができる。つまり、オ
彼の製造戦略の概念は、より幅広い「オペレーション戦略」
ペレーション戦略とは、企業全体が望む競争上のポジション
の 枠 組み へと進化し、他の 研 究者がスキナー の 理 論を土台
を獲得するために必要な、オペレーション体制上の決定とオペ
として議論を展開するようになった。1970 年代後半には、ス
レーション上のケイパビリティの進化を導くものでなければな
ティーブン・ホイールライトが「製造インフラ」に関わる意思決
らない。
定の重要性を説いた。
業務プロセスにおける戦略的決定を重視するという、この
オペレーション体制に関する意思決定
考え方は、最終的にリソース・ベースド・ビュー
(RBV)と呼ばれる
戦略枠組みの論者に支持されることになる。ポーターの産業
多くの 企 業 では、大小多数の 業務上の 決 定の累 積 効果に
組織論的な経済理論においては、成否を左右する決定的要因
よってオペレーション戦略がアドホックに決められている。計
は業種の選択であると考えるのに対し、RBV 理論では戦略の
画的な方法でオペレーション戦略を公式に設計し、文書に残
中心的指針としてケイパビリティに焦点を当てる。経営資源に
すことは稀である。せいぜいいくつかの業務上の重要な選択
基づく視点に沿った戦略論の歴史は、エディス・ペンローズが
が、全体的な企業戦略のなかで示されている程度だろう。しか
1959 年に著した『企業成長の理論』にさかのぼる。1990 年代
し、一流企業の過去の決定の事例をいくつか見ると、上手く設
初頭にジェイ・バーニーが普及させたこの戦略論は、産業では
計された業務戦略の重要性が浮き彫りになる。
なく企業に焦点を当てたボトムアップの視点を取り入れ、ケイ
オペレーション体制に関する意思決定とは、オペレーション
パビリティ構築の必要性を重視している。
設備に
「何を、いつ、どこで、どのように」投資するのかを明らか
企業は競争上優位なポジションを支えるために独自の活動
にするものである。オペレーション戦略の当初の論理は生産
を選択しなければならない、とするポーターの主張は、ケイパ
工場に焦点を当てたものだったが、物流施設やコールセンター
ビリティ構築の難しさをほとんど考慮に入れていない。ポー
でも同様の問題に取り組む必要がある。相互に連関する以下
ターの考え方によれば、コングロマリットが一連の選択 肢の
の 4つの決定が、最終的に企業のオペレーション拠点網の規模
なかから業種を選択できるように、企業は一連の選択肢のなか
と範囲に影響を及ぼす。これらは、その企業の競争上のポジ
から活動を選択するだけでよいことになる。戦略企画の担当者
ショニングに照らし、明示的かつ包括的に取り組むべきもので
が競争優位を生み出すような活動を慎重に選択し、オペレー
ある。
ション部門のリーダーは単にそれを実行するだけとなる。しか
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特集 ◎ 戦略思考の原点
1990年代半ば、
アマゾンは、
当時の趨勢だったアウトソーシングに逆らって、
物流センターの垂直統合型ネットワークを構築した。
1. 垂直統合
ティを構築し、1989 年には、当初の需要が予想を下回ったにも
最初に考えるべきことは、
(ポーターの言う)
「 活動」のどれを
かかわらず、まだキャパシティ増強を継続した。経営陣は、新
社内で行うか、アウトソーシングするかを、競争優位を念頭に
しい効率 基 準規制が 新技 術に有利に働くと確信していたと
置きながら検討することである。ヘンリー・フォードがデトロイ
ころ、実際にその通りとなり、今日まで続く競争優位を生み出
トに最初に作ったリバー・ルージュ工場は、フォードがモデル T
した。
とモデル Aで自動車ビジネスに革命を起こした時代の典型的
な垂直統合の姿であった。大量の鉄鉱石が工場内の製鉄所に
3. 設備の立地
送り込まれ、ここから組立工場に必要な部品をすべて一貫生産
設備を自前で持つかアウトソーシングするかのいずれの場
で供給していた。フォードのシステムは大量生産と規模の経
合でも、その設備をどこに立地させるかの選択において、ト
済という新しいパラダイムを取り入れたものであり、数十もの
レードオフが発生する。Zaraブランドで知られるスペインの
小規模な競合企業に対しての優位を築きあげた。
衣料品会社インディテックスは、規模を要するパターン裁断作
最近では、1990 年代半ばに誕生したアマゾン・ドットコム
業は社内で行い、労働力を要する縫製を周辺地域の小規模な
が、当時の趨勢だったアウトソーシングや、インターネット小売
零細業者に外注している。多くのファッション小売業者は、安
新興企業の典型的パターンに逆らって、物流センターの垂直
い人件費を利用するため裁断・縫製作業をアジアに外注してい
統合型ネットワークを構築した。アマゾンは、アウトソーシン
るが、サプライチェーンが長くなるために、前倒しで早期にデザ
グに依存すると自社の競争優位が脅かされる恐れがあること
イン決定したり、数量確約したりすることが必要になる。イン
を知っていた。オペレーション担当役員はかつて「彼らは我々
ディテックスの、即応性の高いサプライチェーンは、同社の戦略
を教師にして、同じサービスを競合他社に提供するかもしれな
に適っている。社内で裁断を行うことにより管理が行き届く
い」と説明した。
ため、縫製工場の立地に伴う人件費のデメリットをある程度埋
め合わせることができる。
2. 設備のキャパシティ
また、工場の立地の決 定にあたっては、知的財産のリスク
ある程度の垂直統合によって十分な競争優位を得られると
や輸送コストのバランスも考えなければならない。そこで、イ
計画したとして、次の課題は設備の規模を決 定することであ
ンテルは知的財産を保護するため、ハイテク・ウエハ製造工場
る。需要が立ち上がる前にキャパシティを積極的に構築して
のほとんどを先進国に建設している。また、中国の家電メー
おくべきなのだろうか。それとも市場の不確実性が低下したと
カー、ハイアール・グループは、太平洋を渡って大型冷蔵庫を輸
きに合わせて、キャパシティを少しずつ増やすという保守的な
送する莫大なコストを回避するため、サウスカロライナに冷蔵
道を歩むべきなのだろうか。1987 年のコープランドの事例を
庫工場を建設した。
考えてみよう。当時、エマソン・エレクトリック・カンパニーの一
部門だったコープランドは、スクロール・コンプレッサを導入し
4. 加工技術
た。これは住宅用空調に初めて応用されたまったく新しい設
最後に、生産体制の配置に関わる決定にあたっては、その
計コンセプトであった。同社は、需要拡大に先行してキャパシ
施設で用いられる加工技術を考慮に入れなければならない。
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市場での差別化された望ましいポジションに焦点を絞って
ケイパビリティを育成すべきである。
ここでもう一度、コープランドのスクロール・コンプレッサを
別化された望ましいポジションに明確に焦点を絞ってケイパ
取り上げてみよう。この新設計が導入されてから十数年が経
ビリティを育成すべきである。
過したころ、コープランドは中国工場を持つ必要性を感じてい
しかし、どこから始めればよいのだろうか。業界で競争する
た。競合他社の多くはすでに中国での生産を開始しており、人
うえでの重要なオペレーション・プロセスが何であるかを、オ
件費が安いというメリットがあれば、コープランドの規模のメ
ペレーション戦 略 の実務者が 明らかにできれば 理 想的であ
リットを一部失うとしても、埋め合わせることができると思わ
る。多くのオペレーション業務にあてはまる6 つの一般的なプ
れた。そこで、親会社エマソンは 2000 年に新たなスクロール・
ロセスについて以下に考察する。
コンプレッサ工場を蘇州に開設したが、この新工場の加工技
術に関して、コープランドはまったく異なる決定を下した。知的
1. イノベーションと製品開発
財産保護の面で不安があるため、同社は、たとえば、独自の加
競争優位を生み出すためには、オペレーションのケイパビリ
工技術を中国には投入せず、米国工場から重要なスクロール・
ティが企業の競争上のポジションの支えとなっていなければ
プレートを輸入したのである。
ならない。ここでもう一度、インディテックス
( Zara )を考えて
みよう。同社は、ファッション業界のリーダー企業たちとは異
オペレーション上のケイパビリティ
なり、大物デザイナーを中心として、イノベーションや製品開
発のケイパビリティを構築しているのではない。多くのデザイ
オペレーション体制構築には重要な戦略的決定が必要であ
ナーをチームで使うというインディテックスのアプローチは、
るが、経営陣は同時に、戦略的に妥当な独自のケイパビリティ
一般的な「ベストプラクティス」ではなく、Zaraブランドのポジ
を構築するためのオペレーション活動にも関心を向ける必要
ショニングのもとでこそ競争優位を生み出す。このチームは、
がある。ポーターは、競争上の差別化とは明確に結びつかな
500人を超える Zara の店長から何が売れているかの情報を毎
いオペレーション効果の追求を拒 絶し、これらのケイパビリ
日収集し、協働で作業を進めている。
ティを構築することの重要性を過小評価している。
ポーターと同様に、多くのオペレーション担当役員もまた、
2. 顧客サービス管理
独自のケイパビリティ構築について考えることをせず、
「ベスト
米国の自動車保険会社プログレッシブは、保険金請求の処
プラクティス」をやみくもに追求している。言い換えれば、最も
理方法を通じて評判を高めた。同社は、白の SUV 車を多数配
手ごわい競争相手がすでに身につけているケイパビリティを
置して、事故のその場で査 定し見積もりを行うという手法で
伸ばそうとしているのである。実際のところ
「ベストプラクティ
競争優位を形成した。最近、プログレッシブは一部の市場で、
ス」という概念は、ポーターが攻撃したオペレーション効果の
顧客サービスをさらに一歩前進させた。修理代金に見合う保
誤った発想につながるものである。業界内のすべての企業が
険金を支払うのではなく、修理を引き受けることにしたのであ
導入すべき普遍的に優れた方式など存在しない。こうしたモ
る。プログレッシブは、サービス水準を向上させたにもかかわ
デルは、競争の同質化を招き、往々にして破壊的な、単純コス
らず、値上げは行わなかった。むしろ、自前の修理工程での効
ト競争に行きつく。そうならないようにするには、市場での差
率化によって経費を節減し、これらのケイパビリティを自己負
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特集 ◎ 戦略思考の原点
担で構築したのである。
6. 人材の獲得と育成
多くの企業は、
( 実態はともかく)人材こそが最も重要な財産
3. オペレーションのプランニングとコントロール
だと宣言している。オペレーションに関わるすべてのケイパビ
アマゾンは前述の通り、物流網の垂直統合という戦略的決
リティは、人材に依存している。よって、総合的なオペレーショ
定を下した。こうした体制構築への投資を活かすため、アマゾ
ン戦略とは、適材をどのように獲得し、育成し、つなぎとめる
ンはオペレーションのプランニングとコントロールという分
かを明示したものでなければならない。経営学の第一人者た
野でも、競争上優位なケイパビリティを構築した。たとえば、ア
ちは、ゼネラル・エレクトリック
(GE)のクロトンビル・ラーニン
マゾンは翌日配送を指定できる正確な注文期限を顧客に伝え
グ・センターと、同社の後継者選定プロセスを通じた経営人材
ている。これほど広範囲にわたる商品を扱いながら、これほど
育成を絶賛する。GE の企業規模の大きさと、ビジネスの多様
の正確さで管理できる企業は他にない。その規模とオペレー
性を考えると、企業内の多くの部門を渡り歩き、新鮮なエネル
ション上の競争優位を活かし、アマゾンは食品や靴の販売と
ギーを注ぎ込み、新鮮なものの見方を示すことができるマネ
いった、インターネット小売が最も困難とされる分野をも攻略
ジャーへ投資することは正しい判断である。
し続けている。
理論から実践へ
4. 購買とサプライヤー育成
ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング
(HAM)は
ウィッカム・スキナーが 40 年前に強調したように、また本稿
過 去 20 年間にわたり、日本 の 親 会 社のもつ購買とサプライ
で紹介した事例によって裏づけられるように、オペレーション
ヤー育成のケイパビリティを活かしながら、現地サプライヤー
に関わる決 定にはトレードオフが存在する。どんなに優秀な
基盤の拡充へ投資を重点的に行ってきた。ローカライズが戦
経営陣であっても処理能力には限界があるため、優先順位づ
略的に必要であった一方、米国内のサプライヤーでは同社の品
けが必要になる。マイケル・ポーターが指摘したように、戦略に
質基準を満たすことができなかったため、ホンダは当初、サプ
は、何をするかの決定と同じくらい、何をしないかの決定が必
ライヤー育成に投資するしか選択肢がなかった。しかし、時間
要となる。オペレーション戦略とは、生産体制の投資決定と、
の経過とともに、同社は大きな収穫を手にすることになった。
ケイパビリティ構築の投資への指針を提供するものである。こ
今やサプライヤーは、ホンダがアコードなど手ごろな価格の
れらの決定に一貫性、すなわち「フィット
(適合性)」があるかど
大 量 生 産車を 追 求し 続 けるうえで、重 要な 役 割を果 たして
うかによって、全体的な企業戦略が目指すポジショニングを有
いる。
効に達成できるかが決定される。
多くの企業ではオペレーション戦略が明示的に策定されて
5. 品質管理
いないことは事実だが、結局のところ、オペレーション担当役
品質管理もまた、差別化された競争上のポジションを支え
員が下した決定が、競争優位を生み出す
(もしくは失わせる)の
るケイパビリティの構築機会の1つである。たとえば、パーム・
である。自社のオペレーション担当マネジャーは正しい選択
レストランとマクドナルドはいずれも優れた品質管理のケイパ
を理解していると確信できるだろうか。それとも、
「ベストプラ
ビリティを持っているが、両社は異なる品質ポジショニングに
クティス」をやみくもに追求しているだけではないだろうか。
重点を置いている。ロンドンからロサンゼルスまで約 30 店舗
を展開するパーム・レストラン・チェーンは、顧客の好みに応じて
焼いたハンドカットの熟成ステーキを取りそろえた豊富なメ
(“A n E s s e n t i a l S t e p f o r C o r p o r a t e S t r a t e g y ” b y T i m
Laseter, strategy+business, Issue 57 Winter 2009.)
ニューで評判を築いた。マクドナルドの品質管理プロセスは、
世界100 カ国以上の 3 万1,000 店にのぼる店舗で、ばらつきの
ない商品を提供することに重点を置いている。パーム・レスト
ランは「スペックそのものの質の高さ」、マクドナルドは「スペッ
ク通りの品質」で競っていると言える。
Booz & Company
M a n a g e m e n t J o u r n a l Vo l . 2 1 2 0 1 2 A u t u m n
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この文書は旧ブーズ・アンド・カンパニーが PwCネットワークのメンバー、Strategy& になった
2014 年 3 月 31 日以前に発行されたものです。詳細は www.strategyand.pwc.com. で
ご確認ください。
戦略的思考の
3ゲーム
著者:ティム・ラセター、サラス・サラスワティ
監訳:井上 真
従 来、日本 企 業は自社の 技 術 的 強 みや既存 のリソースの
下ではたしてどちらがより有効なのだろうか。あるいはどちら
延長線上から新規事業や戦略を発想することが多く、対する
にも属さない他のアプローチは存在しないのか。戦略の重要
欧米企業は市場の機会や競合・自社のポジショニングの分析
性が 叫ばれる一方でその 有用性にも議 論がある今日におい
を通して計画を立て、ときとして大胆な M& A などを駆使して
て、あらためて自社の戦略的思考の類型と経営環境について
事 業 展 開を行うことが 多かった。戦 略 策 定に向 けてこれら
振り返ってみる必要があるのではないだろうか。
( 井上真)
2 つは対照的なアプローチのようにみえるが、今日の経営環境
あなたなら、次の 3 種類の運だめしゲームのうちどれにトラ
とができる。
イしたいだろうか。
第 3 のゲームでは、目隠しをして壺から1回玉を引くごとに
第1のゲームは、赤玉75個と黒玉 25個が入った壺の中から目
1ドルだけ払えばよい。また、くじを引く回数に制限はない。
隠しをして40 個の玉を取ることができる。くじ引きの前には
この壺には赤玉と黒玉が入っているかもしれないが、黄色の
400ドルを支払わなければならない(1回につき10ドル)。赤玉
角錐、ダイヤモンドの指輪、ドル札、噛んだ後のチューインガ
を引いたら20ドルもらえるが、黒玉なら何ももらえない。
ムなど、簡単に言えば、何でも入っている可能性がある。この
第 2 のゲームも、赤玉と黒玉の入った壺から目隠しをして1回
ゲームに賭けはなく、賞金もない。ただ自分が引き当てたもの
引くごとに20ドルがもらえるチャンスが与えられる。この場合、
をもらえる。
赤玉と黒玉が何個ずつ入っているかはわからない。つまり、赤
これら3 つのゲームは異なる考え方を示すもので、それぞれ
玉が100 個で黒玉がゼロかもしれないし、黒玉が100 個で赤玉
異なる戦略パラダイムに合致している。3 つのパラダイムはす
がゼロかもしれない。しかし、玉を1回引くごとに 5ドル支払う
べて、広範囲にわたる数学的な確率理論と経営戦略研究をも
だけでよく、しかも毎回どちらの色に賭けるか決めることもで
とにしている。そしてそれぞれが、異なる状況で異なる企業に
きる。やめたくなればいつやめてもよく、最大 50 回まで引くこ
有効であることが証明されている。
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Booz & Company
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特集 ◎ 戦略思考の原点
ティム・ラセター
サラス・サラスワティ
バージニア 大 学 ダー デ ンスクール を は
バージニア 大 学 ダー デ ンスクール准 教
井上 真(いのうえ・まこと)
(makoto.inoue@booz.com)
じめとするトップビジネススクールで 教
授。著書に Ef fectuation: Elements of
ブーズ・アンド・カンパニー 東京オフィスの
鞭 を とる。The Por table MBA( Wiley,
Entrepreneurial E xper tise( Edward
プリンシパル。消費財・小売業、プロセス
2 0 1 0)、Strategic Product Creation
Elgar, 2 0 0 8)、 共 著 に Effectual
産業(化学・鉄鋼など)などの業種におい
( McGraw-Hill, 20 07、ロナルド・カー
E n t r e p r e n e u r s h i p( R o u t l e d g e ,
て、全社戦略・事業戦略策定、
買収前・買収
バーとの 共 著)など4 冊 の 著 書 が ある。
2011)がある。認知行動に基づくミクロ
後デュー・デリジェンス、収益性改善プロ
ブーズ・アンド・カンパニーの元ヴァイス・
経済的基礎づけと起業を専門とする。
ジェクト(営業生産性向上、コスト削減な
プレジデント。オペレーション戦略に関
ど)を行ってきた。とくに日本企業の海外
して 25 年以上の経験を持つ。
戦略支援など、海外チームと協働するグ
ローバルプロジェクトに豊富な経験を有
する。
ビジネススクールでは、DCFなどの定量的分析手法を学ぶ。
言うなれば、
第1の壺ゲームの仕方を学ぶのである。
第1のゲームは、我々が「プランニングとポジショニング」と呼
きない)は、とくに先進的な製品ラインをもつ成熟企業におい
ぶモデルである。経営者は、目の前の不確実性の度合いを予測
て、経営者が意思決定を行うときの手法を表す。第 3 のゲーム
するため、情報を収集・分析し、その結果に基づいて未来に賭け
(混沌とした経営環境と高レベルの戦略的意図)は、起業家精
る。第 2 のモデルである「組織学習」は、不確実性の度合いを予
神にあふれる経営者に最も適した意思決定スタイルを表す。そ
測できない場合に、経営者が、次々と展開していく事象に対して
れぞれの意思決定のゲームにおける自分の傾向や資質を理解
ダイナミックに対応する。これら2 つのモデルはいずれも、戦略
し、該当するパラダイムを自分の置かれている環境にうまく当
的決定は外部環境に対して単純に対応すべきであるという前
てはめれば、不確実な世界の中で成功する確率を高めること
提に基づいている。第 3 のモデルである「積極的トランスフォー
ができる。
メーション」は、これらとは異なる。ここでの決定は、単なる
(偶
然生じた)環境への対応や、環境を予測するための試みではな
プランニングとポジショニング
く、プレーヤーの資源の活用と、環境自体を形作る事象に焦点
を当てることだからである。
これら 3 つの戦略パラダイムの基礎を十分理解するには、確
さて、どのゲームに挑戦したいだろうか。あなたの選択はお
率理論とその歴史をさらに詳しく見ておくことが有益だ。古
そらく、あなたのリスク許容度とこれまでに受けてきたビジネ
代ギリシャの時代から、数学者と哲学者は、壺を使って種々の
ス教育を反映したものになるだろう。さらに重要なのは、どの
実験を繰り返してきた。しかし、最初の記述が表れたのは、18
壺が読者の経営環境に近いと思われるかである。それぞれの
世紀初頭になってからのことだった。数学者ヤコブ・ベルヌー
ゲームに対して読者が感じる親近感は、読者の業界の成熟度、
イが、確率と統計という新しい科学について解説した教科書
あるいは少なくともその業界における読者の企業の役割を示
を発表したのである。ベルヌーイのツールは、不確実性を前に
している可能性が高い。
して真実を見分けるための明確な仮説検証を可能にした。こ
第1のゲーム
(壺の中身が比較的予測しやすい)は、キャリア
れにより、科学革命は頂点を極めた。続いて、科学革命のなか
の早い時点で多くの経営者が教育を受けた意思決 定の手法
で厳密な数量化が行われ、産業革命に向けた筋道の土台が築
を表す。しかし、多くの場合、今日のビジネスの実態にはそぐ
かれた。1900 年にダートマス大学タック・スクール・オブ・ビジ
わない。第 2 のゲーム
(プロセスは予測可能だが、結果は予測で
ネスが、商学において修士の学位を初めて授与した。今や米国
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M a n a g e m e n t J o u r n a l Vo l . 2 1 2 0 1 2 A u t u m n
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コーニングの技術的ケイパビリティは、
ナイトの不確実性の世界に対応してきた。
だけで1,000 以上の教育機関が、確率統計の分析技術を身に
組織学習
つけた MBA 取得者を毎年10万人以上輩出している。
彼らは全員、マイケル・ポーターの有名な
「ファイブ・フォース」
1921年、シカゴ大学の経済学教授フランク・ナイトは、古典的
モデルや、ディスカウンテッドキャッシュフロー( DCF)などの
な壺問題のロジックに異論を唱えた。確率と統計の学問で取
定量的な意思決定の手法を学ぶ。言うなれば、彼らは第1の壺
り扱われる「リスク」の概念は、真の不確実性とは「まったく別
ゲームの仕方を学ぶのである。業界 構造を理解し、将来の不
のものだ」とナイトは指摘した。ナイトは、確率分布によって予
確実性を予測し、投資収益率がプラスになりそうな市場を選
測可能な「リスク」と確率的事象ではない「不確実性」を明確に
択する。
区別し、
「ナイトの不確実性」と呼ばれる概念を構築した。今回
この モ デル に 基 づ く 典 型 的 な 事 例 として、19 6 0 年 から
に当てはめていえば、第1の壺は反復可能で客観的に知られる
1977 年のインターナショナル・テレフォン・アンド・テレグラ
確率分布に基づく
「リスク」であり、第 2 の壺は成功も失敗も1回
フ・コーポレーション
( ITT )が挙げられる。この間、同社のトッ
限りで確率分布そのものがわからない「ナイトの不確実性」で
プとして 重 責を担ったの はハ ロルド・ジェニーン であった。
あるといえる。 ジェニーンは、年商 7億 6,000 万ドルの電話機・サービス中堅
他の自然科学からひらめきを得て、経営戦略が進化を遂げ
メーカーを、世界数十カ国で事業を展開する年商 170 億ドル
ることはよくあることだ。1980 年代半ばに、学者たちは 2 番目
のグローバルなコングロマリットへと変身させた。ジェニー
の壺と似た組織学習を伴う戦略パラダイムを発表し始めてい
ンは既存のコア事業にとらわれず、自動車部品、化粧品、ホテ
た。ヘンリー・ミンツバーグは、ナイトの不確実性
(すなわち未
ル、保険、半 導体を含むさまざまな業 界で企業買収を進め、
知の確率分布)に満ちあふれるビジネスの世界では、プランニ
350 社 以 上を 吸収した。会 計 士としての 訓 練 を 受 け たジェ
ングとポジショニングのツールだけでは安心できない。企業
ニーンが、ビジネスユニットのマネジャーたちに会うために、
は、未来を予測し、そのなかに自社をポジショニングすること
いくつものブリーフケースに財務報告書を詰め込んで世界中
に力を費やすよりも
「創発的戦略」を採用すべきである、と提唱
を駆け回った話は有名である。ジェニーンは、戦略的決 定に
した( 1985 年の論文
「意図的戦略と創発的戦略」)。ミンツバー
関してマネジャーたちに大きな裁 量を与える一方で、成果に
グは、プランニングとポジショニングのパラダイムで示された
ついては財務指標で厳しく管理した。
「意図的戦略」の必要性を否定はしないが、2 番目の壺の選択
1980 年代あるいはそれ以前に正式なビジネス教育を受け
肢が与えられた場合に、経営者たちは別のアプローチをとる
ているならば、これはあなたが教わった唯一の意思決定モデ
必要があると主張した。
「 創発的戦略そのものは、現実的なパ
ルかもしれない。しかし、それ以降の数十年に経営に携わって
ターンまたは一貫性を求めて、1回に1つのアクションを起こし
きたのであれば、たとえ正式なビジネス教育を受けていなく
ながら何が機能するかを学ぶことを意味する」。言い換えれば、
ても、自身の 経 験に照らしてこれ 以 外 の 2 つのパラダイムの
赤玉か黒玉かを当てるのだが、1回1回の結果を見ながら推測
ほうがより共感できるだろう。
を調整する、という意味である。
学習する組織としてよく例に挙げられるコーニング・インコー
ポレーテッドは、このパラダイムが学術的に説かれる以前に
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特集 ◎ 戦略思考の原点
成功する起業家は、
未来は予測不能だが、
それでもコントロールできると信じている。
実践していた。同社は1851年にニューヨーク州で小さなガラ
グの信奉者は、業界がどのように展開するかを予測し、それに
ス会社としてスタートしたが、21世紀に至るまで、研究開発を
従って賭けをする。そして学習する組織は、次々と展開される
まるで宗教のように信奉していた。この会社は当初から、低コ
環境にダイナミックに対応する。しかし、これらの戦略パラダイ
ストの生産者との競合を避けるため、ガラス製造技術の開発に
ムはどちらも、外部環境が戦略を決定づけると仮定している。
投資した。海運業、鉄道業向けの優れた信号用ガラスで初の特
次の第 3 のパラダイムは、前の 2 つのパラダイムとは違って、将来
許を取得したのをはじめとして、ガラスとセラミックスに関する
の環境を形作ろうとする者に当てはまる。
深い知識をもとに一連のイノベーションを生み出していった。
たとえば、トーマス・エジソンは1880 年に、新発明のためのガラ
積極的トランスフォーメーション
ス電球製作をコーニングに依頼した。また、コーニングが開発
した高速電球製造工程は、何十年間にもわたって同社に持続
起業家的嗜好を持つ一部の人は、
「 人は曖昧さを避ける」と
可能な優位をもたらした。
いうエルスバーグのパラドックスとは逆に、曖昧さを好む。ス
そして同社の最新のイノベーションの例であるゴリラガラス
ティーブ・ジョブズは、先見の明のある起業家だった。
「 このま
は、今やスマートフォンやタブレット市場を席巻している。一
ま一生、砂糖水を売り続けたいのか、それとも世界を変える
般にこれらのイノベーションの技術的な起源は、商業化成功の
チャンスをつかみたいか」という、ペプシコ幹部引き抜きの際
数十年前にさかのぼる。たとえば、同社がゴリラガラスで使用
のジョブズの台詞は有名だ。ジョブズなら恐らく、この壺の
している融解工程は、もともとは1960 年代の自動車用途での
ゲームをすべて拒否して、自作のゲームを作り出していただろ
取り組みに始まる。このガラスの特性は優れていたが、自動車
う
( 24 ページ
「スティーブ・ジョブズ・ウェイ」参照)。
メーカーがコストを理由に採用を見送ったため、長い間お蔵入
じつは大半の起業家は当初は明確な戦略的ビジョンという
りになっていた。ところが、2006 年にアップルのスティーブ・ジョ
ものを持っていない。おそらく、そのようなビジョンを持つ
ブズが、傷つきにくい軽量の iPhone用スクリーンを求めてコー
者が成 功するのは稀だからだろう。成 功する起業家は、積極
ニングに接触してきた。今や、ゴリラガラスは同社の次なる成
的トランスフォーメーションのパラダイムに従う傾向がある。
長エンジンになりそうな勢いである。
つまり彼らは、単に受け身的に学び、反応するのではなく、自分
「コア・コンピテンシー」の概念が学界で説かれるよりずっと
の環境を積極的に作り上げるために運命の気まぐれを利用す
以前から、コーニングの経営陣は「コア・コンピテンシー」に継続
る。彼らは、中身のわからない壺からくじを引き、その結果を
的に投資する必要性を本能的に理解していた。同社の技術と
事業の構築に利用する方法を考え出すことを好むのである。
プロセスのケイパビリティは、160 年以上もの間、ナイトの不確
筆者のサラス・サラスワティは、1998 年の博士論文で積極
実性の世界に対応してきた。第 2 の壺のゲームをことのほか巧
的トランスフォーメーションの戦略 の基 礎を築いた。この論
みにやってみせたのである。
文は、ノーベル賞を受賞した行動経済学者ハーバート・サイモ
おそらく、組織学習モデルは、教養教育
(学生がとくに何か専
ンの監修を受けている。2 億ドルから 65 億ドルの規模を持つ
門の訓練を受けるのではなく、あらゆることを身につける)を受
さまざまな企業の創立者 27人を認知科学に基づいて調査した
けた経営者の共感を呼ぶだろう。プランニングとポジショニン
結果、成功する起業家は、未来は基本的に予測不能だがコン
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リアルネットワークスは、
パートナーシップを構築することにより、
インターネット業界での覇権争いを
生き残ることができた。
トロールできると信じていることが明らかになった。未 来に
自分の熱意がそがれることを許さない。すなわち、壺からレ
対するこのような考え方は、戦 略策 定に対して前の 2 つとは
モンを引き当てたら、レモネードを作るための砂糖を嬉しそ
根本的に異なるアプローチを生み出し、それは以下の 4 つの
うに探し回るのである。
原則に表される。
最後に、このパラダイムは壺のゲームに加わりたいと考える
第一に、このパラダイムは目標志向のアクションではなく、
人たちのなかに身を置くように経営者たちを仕向ける。彼ら
手段主導のアクションで始まる。起業家は、明確なビジョン、
は無 数のパートナーシップを形成する。最初の顧客をパート
あるいは製品アイディアを持ってスタートするのではなく、自
ナーにしたり、最初のサプライヤーを投資家にしたり、最初の
分が何者なのか、自分は何を知っているのかを考えたあとで、
投資家を顧客や社員などにしたりすることもしばしばである。
協業の機会を求めて将来のステークホルダーのネットワーク
彼らは最終的に、ステークホルダー
(投資家、顧客、サプライ
に関わっていく。新しい組み合わせが発見され、設計される
ヤー、社 員)がさまざまに組み合わさった「クレージーキル
過程で戦略的ビジョンが融合することもあるが、このビジョ
ト」を作り上げる。これらのステークホルダーは、協働して事
ンがプロセスを牽引することはない。手段、機会、ステークホ
業と環境を作り出すことへの意欲を共有する。
ルダーがプロセスを牽引するのである。
積極的トランスフォーメーションの実践例として、デジタル
第二に、このパラダイムは事業機会の評価において、期待値
メディア企業のリアルネットワークス・インクが挙げられる。
に基づく手法ではなく、許容可能損失に基づく手法を用いる。
創業 者のロブ・グレーザーは、マイクロソフトで億 万長 者に
言い換えれば、未来は本来予測不能なものなので、起業家精
なったあと、自身 の 先 進 的 な 政 治 的メッセージ を 配 信 する
神にあふれる意 思 決 定 者は、第 1と第 2 の壺のプレーヤー の
目的で 1995 年にプログレッシブ・ネットワークスを立ち上げ
ように未来の予測や期待値の計算に時間を割いたりしない。
た。しかし、グレーザーが初期のブラウザ
「モザイク」で実験を
そうではなく、起業家はたとえ失敗したとしても、会社が倒産
行った時に出した結 論は、メッセージよりチャンネルが重要
に追い込まれないかたちで実験を構成しようとする。こうした
ということだった。さらに当時のウェブの帯域の狭さがオー
反復実験
(我々の例で言えば、第 3 の壺から毎回1ドルだけ払っ
ディオへのチャンネルを制約すると判断し、インターネット・
てくじを引くこと)は、価値のある新しい組み合わせが生まれ
ビデオの計画棚上げを決定した。彼は許容可能損失の原則を
る機会を創出し、それによって前進する道を形作るのである。
適用し、立ち上げたばかりの同社をソフトウェア開発会社に
第三に、このパラダイムは不測の事態を避けるのではなく
転換した。そして1年もしないうちに「リアルオーディオ 1.0」
利用しようとする。こういった意 思決 定者は、未 来が予測不
を生み出した。費 用は、おおむねグレーザー自身のポケット
能であることを受け入れている。だから、彼らはフレキシブル
マネーで賄われた。リアルオーディオは当初、ABC ニュース
なままであり、不測の事態を利用して手段と目標に立ち戻る
などの 進 歩 的 なコンテンツを放 送していた が、当時 支 配 的
のである。たとえて言うなら、彼らは壺に手を入れて予 測不
だったネットスケープのブラウザパッケージの一部として、ま
能な出来事に出くわすたびに、こう問いかける。この不測の
もなくリリースされた。リアルオーディオは、放 送 局メディア
事 態によって、次の新しい 機 会が開かれるだろうか。深刻な
をコンピューター用にアレンジした汎用チャンネルとして機
不測の事態に直面したときでさえ、彼らはただ、そのことで
能した。アップル の iTunes ミュージックストアのオーディオ
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特集 ◎ 戦略思考の原点
ダウンロードモデル( 2003 年)やアマゾン MP3( 2007 年)の
うか。あなたは未来をコントロールできるだろうか、それとも
先駆けであった。
外部環境があなたをコントロールするのだろうか。自分が挑戦
1995 年12 月、グレーザーは棚上げしていたインターネット・
しているゲームと各モデルの適用方法を意識しておくことが
ビデオ会議 の開発において他の新興 企業に先行されている
肝 要 だ。状 況 に 応じて 壺 から壺 へ 、ゲーム からゲームへ と
ことを知ったが、彼はただ、この 企業の創立者たちにリアル
切替えができるように、十 分なフレキシビリティを持たせる
ネットワークスへの参加を持ちかけ、これが次なる製品
「リアル
ことが理想である。
ビデオ」につながった。
リアルネットワークスは、その歴 史を通じて提 携 のネット
ワークを構 築していった。この ネットワークによって、イン
ターネット業界での覇権争いを生き抜くことができた。また、
(“Three Games of Strategic Thinking” by Tim Laseter and
Saras Sarasvathy, strateg y+business, Issue 67 Summer
2012.)
不測の事態を利用することで、オーディオ・ビデオ・ストリーミ
ング、モバイルアプリケーション、ゲームを含む幅広いソフト
ウェア製品を提 供するまでに成長した。これらは、年間合計
約 4 億ドルの収入を生み出している。
パラダイムの選択
意思決 定の 3 つのモデルは、それぞれ異なる状況下で最 大
の効果を発揮する。多くの経営者は自らの体験と成功に基づ
いて1つの戦略パラダイムを適用するが、状況によっていつも
最大の効果を得られるとは限らない。長きにわたって支配的
だったプランニングとポジショニングのモデルは、高度に多
角化したコングロマリットの 衰 退と並行して人 気を失った。
組 織 学 習モデルは、コーニング で長いあいだ 成 功を収めた
実績があるが、証券市場は必ずしもそれを評価していない。
積極的トランスフォーメーションについても多くの起 業家が
成功を収めてはいるものの、このアプローチがつねに確実な
成功をもたらすわけではない。
した がって、あな たは自分自身 のツール キットを求めて、
これらのパラダイムを偏見のない目で見なければならない。
あなたは未来を予測できるだろうか、それともできないだろ
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スティーブ・
ジョブズ・
ウェイ
著者:ジョン・カッツェンバック
監訳:吉田 泰博
スティーブ・ジョブズの偉業の数々は、彼が2011年10月に亡く
「これは 君の本だよ。僕は読 みさえしない」と約束してアイ
なるかなり前からすでに伝説となっていた。アップルは長らく
ザックソンの自由に任せるかたちで(これは彼としては珍し
ニッチ・プレーヤーとみなされていたが、世界で最も時価総額
い)、その執筆を託したのだった。
の高い企業になった。
ジョブズのようなレベルの成 功を収められれば、どんな経
企業文化の重要性と影響力を重視
営者でも有頂 天になるだろうが、ジョブズのようなリーダー
になることを目指すべきなのだろうか。その前に、まずは彼
アイザックソンは、19 世 紀 半ばに流行した偉人 論を 地で
のマネジメント・スタイルを吟味してみるべきであろう。リー
いくように、ジョブズを自身の決断と影響力で世界の潮流を
ダーとしてのジョブズは、ダイナミックではあるものの、物議
決める英 雄的なリーダーとして描くこともできたはずだ。ス
を醸す存在であり、その成功は天才イノベーターとしてのジョ
ティーブ・ジョブズが強情で意思の強いリーダーだったのは確
ブズの才能によるところが大きかった。
かであり、また彼が開発を指示した商品とサービスは、多くの
一般に、傑出したリーダーの多くが残す伝説は、時が経つ
人々の生活のあり方とコンピューター、出版、映画、音楽、携帯
につれて明らかになっていくものだ。ところが我々は、現時点
電話など多くの産業のありかたを一変させてきた。
ですでにジョブズのリーダーシップを驚くほどはっきりと評
しかしそれと同時に、ジョブズのリーダーシップ・スタイルは
価できてしまう。それというのもウォルター・アイザックソン
複雑なものでもあった。彼は物事に打ち込んでいるときには
の名著
『スティーブ・ジョブズ』のおかげである。それは、冗長
著しい集中を示し、リスクを伴う行動に出るだけの自信に溢
さや退屈さとはまず無縁の 600 ページにわたる物語だ。ジョ
れ、強いカリスマ性をもって、自分の野心の飽くなき追求に大
ブズは、CNN の前 CEOで『タイム』誌編集長も務めたアイザッ
勢の従 業員や顧客を巻き込 んだ。一方、人間関係の面では、
クソンに 5 年にわたってしつこく働きかけ続け(同書に繰り返
未熟なところもあった。短気で強情で、時にはきわめて冷酷に
し出てくるように、ジョブズの 執 拗さのエピソードは多い)、
物 事 を酷 評した。アイザックソンが 言うように、ジョブズは
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特集 ◎ 戦略思考の原点
ジョン・カッツェンバック
(jon.katzenbach@booz.com)
吉田 泰博(よしだ・やすひろ)
(yasuhiro.yoshida@booz.com)
ブーズ・アンド・カンパニーの組織・変革・
ブーズ・アンド・カンパニー 東京オフィスの
リーダーシップ・プラクティスのシニア・
シニア・アソシエイト。金融機関・製造業な
ヴァイス・プレジデント。ニューヨークにあ
どの業界に対し、事業戦略立案、大規模 IT
るカッツェンバック・センターのリーダー
システムの企画・開発マネジメントなどの
も務める。著書に
『インフォーマル組織力』
コンサルティングを数多く経験。システム
(税務経理協会)などがある。
エンジニアを経て現職。
「この時代で最も偉大な実業家」になり得たにもかかわらず、
企業文化を作り上げた(アニメ映画界でピクサーが圧倒的な
実際には気まぐれで要求が厳しく、横暴だった。1990 年代に
成功をするとは誰も予見できず、のちにウォルト・ディズニー・
「サーバントリーダー」
(旧来型の英雄型リーダーではなく、献
カンパニーがヒット作品制作力を確保するためにピクサーを
身的で気配りにたけ、組織を支えるタイプ)が人気を博するよ
買収したが、これによってジョブズはディズニーの最大株主と
うになったが、それとはまったくの対極をなしていたのだ。
なった)。
ジョブズの破壊的と思える振る舞いは、時として業績を悪化
ジョブズが他の多くのリーダーよりはるかに優れていた点
させることもあったが、幾度も最高の実績をたたき出すことも
は、直感的に企業文化の重要性と影響力を理解していたこと
あった。彼の破壊的な言動は、自身が生み出した企業に独創
だろう。
「 優れた製品を作る意欲に満ちた人々がいる息の長い
的で力強い文化を築く効果もあった。彼が出戻ったアップルで
会社、一世代も二世代も経っても際立っている会社」を作り上
は 2 回、その間に関わった NeXTとピクサーにおいても、彼が
げるというのが彼のビジョンであり、その達 成の前提となる
戦略的な組織能力を維持するには、企業文化が重要であると
ジョブズは認識していたのだ。その真偽を議論するのは難し
いが、アップルがそれを成し遂げるかどうかは、時間が経てば
わかるだろう。
ジョブズ流リーダーシップの光と陰
リーダーシップに対するジョブズの気まぐれなアプローチ
は、魅力的であると同時に困惑も招いてしまう。たとえば、人
との結びつきについてジョブズは移ろいやすい人物であった。
私生活においても仕事においても、彼はあまりにも簡単に人
に入れ込み、冷めたのである。最高の人材を絶えず追い求める
ことで、彼は非常に能力の高い組織を作り上げることができ
た。しかし一方で、一流プレーヤーにまだなっていない多くの
人物(なることはなかったかもしれない人物も含めて)を見捨
て、彼らが果たしえた貢献を逃してしまってもいた。とはいえ、
ジョブズが今まで見捨ててきた人々の多くが、渋々ながらも彼
の長所に対する敬意を失わずにいたことは、驚くべきことと言
えよう。なかには、人使いの荒さを知っていながら引き返して
きた者さえいたのだ。
Illustration by Jack Unruh
チ ームワー クに関しては、非 常に 効 果 的 だ が マイナスも
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誤った戦略、
市場
または製品に当てはめてしまうと、
彼のような振る舞いは
会社を潰してしまいかねない。
大きい手法を用いた。アップルの共同創立者スティーブ・ウォ
ションを行う能力が、彼のぞんざいさを和らげる働きをして
ズニアック率いる黎明期の製品開発チーム以降、可能性の限
いたのである。
界を超える成果を上げるよう、ジョブズはつねに発破をかけ
てきた。少数の強者はこれに応え、この試練を乗り切る努力
ジョブズの DNA に欠けていたもの
から得たプライドをモチベーションに変え、最 優秀の人材へ
と登りつめた。しかし、他の多くの者にとっては無用なフラス
ジョブズほど製品とデザインの細部に気を配ったリーダー
トレーションとなった。このようなリーダーの言動の結果、励
はほとんどいない。彼はつねに、簡便性、機能性そして顧客ア
ましを与えれば成果を上げたかもしれない人々が去っていっ
ピールを先に考え、コストや販売量、ひいては利益までも後回
た。ジョブズ流のアプローチはまた、二流プレーヤーが持つ
しにした。そうしたこだわりは、彼の会社の戦略やマーケティ
心理的コミットメントを弱めてしまう。ほとんどの企業では、
ングの能 力には不可欠のものだった。これらの点において、
二流プレーヤーが組織のチーム作業において一流プレーヤー
ジョブズは自らが尊敬してやまないウォルト・ディズニーとエ
の 3 倍以上を担っているのだ。
ドウィン・ランド
(ポラロイド創業者)の二人と同じタイプの起
ジョブズには、自分の目的に合わせて現実をゆがめてしま
業家型リーダーであった。
うという癖もあり、そこに辛抱のなさ、批判的な態度、ぶっき
ジョブズが「顧客は、我々が見せるまでは、自分が何を欲し
らぼうさが加わった。一方で「ジョブズ流のやり方」は、将来
いのかわかっていない」と言ったことはよく知られている。彼
に向かっての説得力のあるビジョンを作り上げることができ
には実際、顧客が買って楽しんでくれる製品を開発するうえ
る。彼 が自分 の 会 社で築いた 力強い企 業 文化を見てみると
で、絶対確実ではないにしても驚異的といえる能力をもち、さ
いい。彼がアップルを追い出されていた 10 年の間にも、彼が
らに、それらに息を吹き込むことに対する自信と勇気、そして
築いた文化の土台は生き続けていたのである。他方で、ジョ
意欲があった。このことを可能にしたのはジョブズが驚異的
ブズによる現実の歪曲は極端に他者をはねつける結果になり、
に無駄のないデザイン感 覚を持っていたことだが、アイザッ
とくに彼 が 有 望なアイディアや取り組みをクズだとして却下
クソンはその原点がジョブズによる禅の習得にあるとし、さ
するために現実の歪曲を用いたため、信頼性を損ねることに
らに踏み込んで、副収入として自宅のガレージで車を修理し
なってしまった。
ていた機械工だったジョブズの養父にあるとしている。彼の
他のリーダーが、いい点も悪い点も含め、こうした特 徴を
天才的な才能は
「本能的で奇想天外、時に魔法のような、イマ
真似したら、ジョブズばりの成果を上げるだろうか。端的な答
ジネーションのジャンプ」にあったとアイザックソンは述べて
えはノーである。誤った戦略、市場または製品に当てはめて
いるが、その才能の大部分は、多様な領域を統合する能力を
しまうと、彼のような振る舞いは会社を潰してしまいかねな
源としており、とくに人文科学と自然科学の統合
(芸術分野と
い。結局のところ、ジョブズがこれほどまでの成功を生むリー
工学分野の合成)に秀でていた。
ダーになれたのは、画期的な製品やサービスの構想を描いて
年齢と経験を重ねるにつれて、スティーブ・ジョブズは人々
実現することに関する、広く称賛される才能のおかげだった。
を率いることもうまくなっていった。ジョブズは自分 の 欠 点
これまで誰もやったことがない方法で顧客のためにイノベー
について深く考えるような人間では決してなかったが、アイ
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特集 ◎ 戦略思考の原点
ザックソンは、ジョブズの 2007 年 のある会 議における発言
を引用している。重要な欠点を、いくぶん不本意に、遠回しに
吐露しているのだ。
「 ウォズニアックと私は何から何まで全部
やってしまう会社を興したので、人と協力することはあまり得
意ではありませんでした」と、アップルの設計理念に関して彼
は言っている。
「 アップルがそうしたものを自社の DNA のなか
にもう少し持てていたとしたら、非常にいい働きをしてくれて
いたはずです」。そうしたものが 彼のリーダーシップ DNA の
なかにもっとあったとしたら、ジョブズもまたその恩恵に浴し
ていたことだろう。もし彼にもっと時間があったならば、その
ギャップを完全に埋めることができたかもしれないが、それ
はもう誰にもわからない。
(“The Steve Jobs Way” by Jon Katzenbach, strategy+business,
Issue 67 Summer 2012.)
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