植込型補助人工心臓治療の社会基盤 - Japanese Society for Artificial

●特集「植込型補助人工心臓の時代を迎えて」
植込型補助人工心臓治療の社会基盤
東京大学重症心不全治療開発講座 / 東京都健康長寿医療センター
許 俊鋭,西村 隆,小野 稔
Shunei KYO, Takashi NISHIMURA, Minoru ONO
1.
第一世代植込型 LVAD はほぼ姿を消した。1990 年代に始
緒 言
まった植込型 LVAD の BTT 長期治療成績が向上する中で,
1960 年代に米国でスタートした人工心臓プロジェクト
TAH よりも植込型 LVAD による DT の展望が開けてきた 4) 。
は,まさに究極の心臓移植代替治療(destination therapy:
HeartMate® VE LVADと内科治療との DT 症例を対象とした
DT)としての完全埋め込み(totally implantable)可能な完
無作為比較試験(REMATCH study)の結果 5),2002 年に
全置換型人工心臓(total artificial heart: TAH)の完成を目
Hear tMate ® VE LVAD の DT 使 用 が 米 国 食 品 医 薬 品 局
指したもので,2001 年の AbioCor ® の完成まで 30 年以上を
(FDA)により承認され,保険償還された。2009 年に報告さ
要した(図 1 ⑥)1) が,長期耐久性の問題で臨床試験は現在
れた第一世代 Hear tMate ® XVE と第二世代 Hear tMateⅡ®
停止している。1982 年に臨床使用された Jar vik 7 TAH の
の DT 症例を対象とした無作為比較試験(Hear tMate Ⅱ®
後継機が SynCardia Systems TAH(図 1 ⑤)である。補助人
Destination Therapy Trial) の 結 果 6),2010 年 に は
工心臓(ventricular assist device: VAD)の開発も 1960 年代
Hear tMate Ⅱ® の DT が承認され,以後欧米で DT 使用が急
に始まるが,初期の VAD の臨床適応は開心術後心不全(体
速に普及している。
外循環離脱困難および術後早期の心不全)であり,主とし
てニプロ(東洋紡)VAD やゼオン VAD のような体外設置型
VAD(図 1 ①〜④)が用いられてきた。日本でも 1980 年に
東大型 VAD の臨床使用が始まり 2),1982 年に Jarvik 7 TAH
2.
日本における植込型 LVAD の臨床導入への産官学
の取り組み(表 1)
1) 補助人工心臓治療関連学会協議会の設立
(図 1 ⑤)を 用 い た destination therapy が始まった。2005 年
本邦では,1980 年に補助人工心臓の臨床が始まり,2010
には第二世代定常流植込型 LVAD(EVAHEAR T ™)の臨床
年まで総数 1,200 例の臨床例が報告され,最近では年間
が開始された 3)
。
100 例程度の VAD 治療が行われている 7) 。しかし,その
1980 年代になって心臓移植が普及する中で,心臓移植ブ
90%が体外設置型 VAD であり,著しいデバイスラグのため
リッジ使用(BTT)が始まった。その中で第一世代植込型
に植込型 LVAD の本邦臨床導入は遅れた。2004 年にようや
LVADと し て 活 躍 し た の が 拍 動 流 型 の Novacor LVAD,
く第一世代拍動流型の Novacor LVAD が BTT 適応で導入さ
Hear tMate ®
IP,VE および XVE LVAD である(図 1 ⑦⑧)
。
2000 年 前 後 に 長 期 耐 久 性 が 優 れ た 遠 心 ポ ン プ
(EVAHEAR T ™,DuraHear t ®)や軸流ポンプ(Jar vik
2000,
Hear tMateⅡ®)などの小型の第二世代・第三世代の植込型
定常流 LVAD(図 1 ⑨〜⑫)が臨床導入され,2010 年に至り
れたが,2 年で撤退した 8) 。撤退の理由として,
① 承認されたモデルが古く,バッテリーをはじめ消耗品
の供給が不可能となったこと
② 極端な実施施設制限のために市場が全く形成されな
かったこと
③ 6ヶ月という BTT 期間を想定し,91 日目以後在宅管理
■著者連絡先
東京都健康長寿医療センター
(〒 173-0015 東京都板橋区栄町 35-2)
E-mail. kyo-stm@umin.ac.jp
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費として 1ヶ月 6 万円しか支払われず,バッテリーな
どの消耗品の購入にも赤字が出るのみならず,在宅安
全管理のための人件費の手当ての必要性が全く認識
人工臓器 41 巻 1 号 2012 年
①∼④体外設置型補助人工心臓
①
②
③
④
⑤ ⑥完全埋め込み完全置換型人工心臓
⑦ ⑧第一世代植込型補助人工心臓
⑤
⑦
⑥
⑧
⑨∼⑫第二・第三世代定常流植込型補助人工心臓
⑨
⑩
⑪
⑫
図 1 主な人工心臓
①ニプロ(東洋紡)VAD(国循センター型),②ゼオン VAD(東大型),③ BVS 5000(ABIOMED 社),④ AB5000
(ABIOMED 社)
,⑤ SynCardia Systems TAH(SynCardia Systems 社)
,⑥ AbioCor® TAH(ABIOMED 社)
,⑦ Novacor
LVAD(WorldHeart 社)
,⑧ HeartMate® XVE LVAD(Thoratec 社)
,⑨ Jarvik 2000(Jarvik Heart 社)
,⑩ HeartMate Ⅱ®
(Thoratec 社),⑪ EVAHEART ™(サンメディカル技術研究所),⑫ DuraHeart®(テルモ社)。
表 1 植込型 LVAD 臨床導入と社会基盤構築
治験推進
・開発・審査ガイドライン(2005,2006)
製造販売承認促進
・ニーズの高い医療機器申請・認定(2007)
在宅安全管理体制の構築
・植込型 LVAD 基準案策定・提言(2008)
・人工心臓管理技術認定士認定(2009 ∼)
・補助人工心臓治療ガイドライン(2011 ∼)
補助人工心臓治療普及推進
・VAD 研修コースの開催(2009 ∼,東大・東京女子医
大・国循・阪大)
・学会主導の実施施設認定(2011 ∼)
社会基盤の確立
・「早期承認と在宅安全治療体制構築」陳情(2009 ∼)
・J-MACS レジストリーの構築(2010,PMDA)
LVAD: left ventricular assist decvice, J-MACS: Japanese registr y for
Mechanically Assisted Circulatory Support, PMDA: Pharmaceuticals and
Medical Devices Agency.
盤の確立に積極的な働きかけを行う必要性を痛感した。
2005 年に日本胸部外科学会を中心に植込型 LVAD 基準案
策定委員会が設けられ,この組織が母体となり,2008 年に
関連 6 学会・2 研究会で構成される補助人工心臓治療関連
学会協議会が設立した。補助人工心臓治療関連学会協議会
設立の大きな目的の一つが,産官学の協力の下に日本にお
ける植込型 LVAD の早期導入と在宅治療の社会的基盤を確
立することであった。
2) 医療機器臨床試験実施基準(医療機器 GCP)の制定
と医薬品医療機器総合機構(PMDA)の設立
植込型 LVAD 臨床導入促進を目的として日本人工臓器学
会は 2000 年に植込型 LVAD の臨床治験を促進する委員会
(妙中委員会)を設け,製造販売承認に必要な最小限の臨床
治験症例数についての検討を始めた。その中で「良好な治
験成績が達成されるならば 6 ∼ 10 例程度の症例数でもデ
バイスの安全性・有効性を証明することができる」という
されていなかったこと
検討結果は,日本人工臓器学会厚生労働科学研究費報告書
などが挙げられる。
に記載したのみにとどまり一般的には発表していない。学
この Novacor LVAD 撤退が大きな動機となり,関連学会
会内で提案という形にとどまっている。また 2002 年から
は第二・第三世代の植込型 LVAD の早期臨床導入と社会基
医療機器の GCP に関する薬事法改正が厚生労働省で検討
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図 2 日本における補助人工心臓の保険償還価格
デバイス価格と VAD 手術管理費(体外設置型:K603-1, 2, 3)
(定常流植込型 K604-1,2,3,4)の合算した保険償還価格で,検査
費・薬剤費・その他の材料費など・管理費は除く。
東洋紡 VAD は,平均年 2 回のポンプ交換+手術管理費(K603-1,
2, 3)として計算。DuraHeart® は,デバイスコスト+手術管理
費(K604-1, 2, 3, 4)として計算。EVAHEART ™は DuraHeart®
の価格にクールシールユニット価格(100 万円)が加算される。
され,2005 年に「医療機器の臨床試験の実施の基準」に関
の植込型 LVAD 治療成績を担保するために,① 2008 年に植
する省令が出された。それに先立ち 2004 年に PMDA が設
込型 LVAD 治療体制の基本骨格を示す適応基準をはじめと
立され,
「より有効で,より安全な医薬品・医療機器をより
する「植込型 LVAD 基準案」を厚生労働省に提言,② 2009
早く医療現場に届けることにより,患者にとっての希望の
年に在宅安全管理を担う人工心臓管理技術認定士の認定を
架け橋となる」という崇高な理念のもと,
「国際調和を推進
開始,③ 2011 年より日本心臓血管外科学会 / 日本循環器学
し,積極的に世界に向かって期待される役割を果たす」と
会が「植込型補助人工心臓治療ガイドライン」の策定作業
してドラッグラグ,デバイスラグを解消し,国際水準並み
を進めている。
の医薬品・医療機器の迅速な臨床導入を推進する役割を自
4) 関連学会主導の VAD 治療普及推進と行政の保険償還
措置
ら担うことを宣言した。
3) 植込型 LVAD:開発・審査のガイドラインとニーズ
の高い医療機器認定
これまで植込型 LVAD 実施施設は大都市に偏在する心臓
移植実施施設に限られていたが,近い将来,全ての国民が
2006 年に Novacor が本邦市場から撤退した後は,体外設
植込型 LVAD 治療を受けることが可能になるように,厚生
置型ニプロ(東洋紡)VAD 以外に保険で使える BTT デバイ
労働省は 2011 年の EVAHEART ™,DuraHeart ® の保険償還
スがなくなった。VAD ブリッジ症例は 2 年以上の長期にわ
にあたって「学会が責任をもって植込型 LVAD 実施施設・
たる入院加療を強いられる状況が続いた。このような状況
実施医認定を行う」方針をとった。関連学会により定めら
を改善する目的で,関連学会と厚生労働省,経済産業省は
れた実施施設認定基準・実施医認定基準を満たせば心臓移
日本における第二・第三世代植込型 LVAD の治験推進を目
植施設でなくとも植込型 LVAD 治療が可能になり,2012 年
的として 2005,2006 年に開発・審査のガイドラインを作
1 月 ま で に 23 施 設 が 植 込 型 LVAD 実 施 施 設 に 認 定 さ れ
成した 9)
。このガイドラインは,先の日本人工臓器学会提
た 10) 。
案を基礎に日本の優れた VAD 臨床成績を根拠として,欧米
それと協調する形で,2009 年より東京大学・東京女子医
で製造販売承認されたデバイスは治験症例 6 例,日本発の
科大学・国立循環器病センター・大阪大学などが中心と
デバイスはその 3 倍程度の治験症例数(pilot study 5 例程度
なって全国的な VAD 研修コースを定期的に開催し,チーム
+ pivotal study 15 例程度)で十分に植込型 LVAD の有効
医療としての VAD 治療の教育普及に努めた。さらに関連
性・安全性を担保できるとし,企業の臨床治験推進のモチ
学会は,在宅治療の推進を目的として植込型 LVAD の早期
ベーションを高揚させた。さらに関連学会は 2007 年に
承認とともにその社会基盤の確立の必要性を 7 万人の署名
4 種 の 植 込 型 LVAD(Hear t Mate ® XVE,EVAHEAR T ™,
を 持 っ て 国 会 な ら び に 行 政 に 訴 え た。2011 年 4 月 の
DuraHeart®,Jarvik 2000)の「医療ニーズの高い医療機器」
EVAHEAR T ™と DuraHear t ® の保険償還において植込型
として認定を求め,速やかな製造販売承認を後押しした。
LVAD の在宅安全管理を重視した保険償還システムが確立
前述したように,関連学会は補助人工心臓治療関連学会協
され,さらに 2012 年度の改定で長期在宅安全管理のため
議会を構築し,日本において欧米と同等あるいはそれ以上
の費用が引き上げられた。薬剤費や検査費を含まないデバ
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人工臓器 41 巻 1 号 2012 年
には関連学会が協力して問題解決にあたるシステムも構築
した。
3.
日本の補助人工心臓治療の今後の課題
EVAHEAR T ™,DuraHeart® は BTT 適応で保険償還され
たため,60 歳以上の重症心不全症例に対しては保険償還さ
れない。心臓移植の年齢制限を国際水準と同じく 65 歳に
定常流植込型LVAD:20例
体外設置型ニプロVAD:54例
改正するとともに,植込型 LVAD の DT 適応の保険償還に
ついてもが真剣に議論される必要がある 12) 。
図 3 東京大学における補助人工心臓(VAD)治療成績
体外設置型ニプロ VAD 54 例と定常流植込型 LVAD 20 例の 4 年生存率の比較。
ニプロ VAD は心原性ショック症例にも用いられるため,手術死亡を含み 1 年
で約 30%の症例を失ったが,VAD 装着 1 年以降も毎年 10 ∼ 15%の症例を主
に感染症・脳出血で失った。一方,定常流植込型 LVAD では手術死亡を除き,
安定期に入ってからは 4 年まで失った症例はない。
イスと VAD 治療管理費(K603-1, 2, 3 および K604-1, 2, 3,
4)として 3 年間で 3,500 万円程度が保険償還されることに
なり,患者の長期生存により病院も製造販売企業も多少の
利益が出るようになった(図 2)。それでも 3 年間という
BTT 期間を想定するならば,植込型 LVAD のデバイスおよ
び管理費は体外設置型 VAD の半額程度である。植込型
LVAD では 1 年以後の遠隔期に感染症や脳出血で失う確率
が有意に軽減され,長期の安全な移植待機が可能となるこ
とが当教室の成績(図 3)でも明らかであり,植込型 LVAD
の導入により VAD 治療の費用対効果は大きく改善するも
のと予測される。
5) J-MACS の設立
2011 年度の植込型 LVAD の保険償還に際しては,関連学
会の認定による植込型 LVAD 実施施設認定が認められ,植
込 型 LVAD 在 宅 治 療 を 推 進 す る 保 険 償 還 措 置 が と ら れ
た 11) 。この背景に,日本の各施設が欧米先進国に勝ると
も劣らない植込型 LVAD を含む VAD 治療成績をあげてきた
ことがある。植込型 LVAD 在宅治療の健全な育成のために
は,これまでの治療成績を維持・向上させていくことが要
請されている。PMDA 指導の下に関連企業と学会が協力
して植込型 LVAD 治療全例登録による成績調査のために
Japanese registr y for Mechanically Assisted Circulator y
Suppor (
t J-MACS)レジストリーを構築した。適切な適応
の下に所定の植込型 LVAD 治療成績が確保されていること
を常に学会と行政・関連企業が確認し担保し,さらに,植
文 献
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