2003/4

IRUMA INTERNATIONAL FRIENDSHIP SOCIETY
2003 年4月号
No.44
編集発行■入間市国際交流協会(入間市豊岡 1‑16‑1 入間市役所自治文化課 ℡ 964‑1111)
URL www.city.iruma.saitama.jp/i-society E-mail i-society@city.iruma.saitama.jp
来年度のスタッフ活動が決まりました
3 月 8 日(土)午後 5 時から産業文化センターにて開催された市民スタッフ会議では、本年度の市民スタッフによる事業の計
画が話し合われ、下記のとおり実施していくということを決めました。各事業については、それぞれ国際交流ニュースでお知ら
せしていきますが、提案があればこれ以外の事業が実施されることもあります。
この会議を実施し、協会の各種イベントの企画・運営している市民スタッフには、協会員のどなたでもなることができます。
市民スタッフには毎月発行される『市民スタッフニュース』が郵送されますので、それをご覧いただき、各種イベントに携わる
ことになります。こういう交流がしたい、こういうことならできるという方、市民スタッフになって主体的に国際交流活動に参
加してください。詳しくは事務局にお問い合わせください。
今号の内容
5 月 24 日(土)午前
AMIGO!(仏子)
「もっと知りたい!メキシコのこと―子どもたちのためのメキシコ文化の日」
総合的な学習の時間「国際理解教育」の補習?イベントを実施します
6 月〜7 月
場所未定
「台所から世界を知ろう!」シリーズ 外国人市民のための日本料理教室
外国人市民を対象として日本料理教室を実施します
7 月〜8 月
場所未定
外国人市民のための武道教室
ヴォ市青少年と一緒に武道体験をするものです
10 月 25 日・26 日
豊岡配水場駐車場
入間万燈まつり「ともだち広場」
おなじみのともだち広場ステージと世界各国の出店です
12 月初旬
場所未定
「台所から世界を知ろう!」シリーズ アメリカのクリスマス料理教室
クリスマスに先立ちアメリカのクリスマス料理を勉強します
1 月〜2 月
場所未定
国際交流バスツアー
過去には日光東照宮やぶどう狩り、日帰り温泉などに行きました
1 月〜2 月
産業文化センター
VIVA LA DANZA!
一昨年度に開催して好評だったダンスイベントを実施します
市民スタッフ会議
p.1
活動報告
p.2
日本語教室閉講式
中国語教室
SAI 国際交流連絡会
ヴォ市勧業博覧会
ゲストレクチャー
ゲストエッセイ
p.4
「こよなく愛するメキシコから」
「オーストラリア!」
「ヨーロピアン ホームレス」
本年度主要事業予定
総会のお知らせ
協会ホームページ
-1-
p.3
「アメリカにおける茶道の実践」
p.6
活動報告
日本語教室閉講式
岡嶌 優子
冷たい風が吹く真冬のような日々が続いていますが、季節は早春。
そして3月8日土曜日に「日本語教室」の閉講式が行われました。
今年度は皆勤賞受賞者が4名いました。働きながら、また育児をし
ながら1年間熱心に日本語教室に参加してくれました。
式の出席者は生徒25名、その家族及び友人28名、市役所協会関
係4名、スタッフ22名の総勢79名でした。後半のティーパーティーは、と
ても和やかで、にぎやかなものになりました。 歓談のあと、生徒有志に
よりペルーの「アフロ・ペルー・ダンス(アフリカ系移民から広まったもの)」
が披露されました。生徒の皆さんは自分の祖国に想いを馳せたようで
SAI 国際交流連絡会
した。そして、全員でビンゴ・ゲームを楽しみました。
3 月 8 日(土)午後 1 時 30 分から鶴ヶ島西公民館に
最後に 4 月の再会を約束して式を終了しました。
て、SAI 国際交流連絡会が開催され、入間市国際交流協
会も参加しました。この SAI 国際交流連絡会は、近隣の
所沢、狭山、飯能、日高、鶴ヶ島及び入間の国際交流協
会の連絡会議で、1 年に 2 回、各市持ちまわりで開催さ
れています。
当日は、前年度の活動報告に加えて、各協会が広報、
ホームステイ、国際交流イベントなどについて、どうい
った活動をしているのか、どのような問題点を抱え、そ
れをどうやって解決してきたかといったことが熱心に
討論されました。
中国語教室
2 月 6 日(木)から東金子公民館で週 1 回、市民スタッフの徐
中霞さんに講師をお願いして中国語を勉強しています。生
徒 8 名で中国語でのあいさつから勉強を始め、和気あいあいの雰囲気の中で 8 回の授業がありました。今後はサークルとして勉
強を続けていく予定です。
ILOGA2003 ヴォ市勧業博覧会に上谷ヶ貫獅子舞保存会を派遣!
協会と市は、来る 5 月 1 日(木)〜4 日(日)に姉妹都市ヴォルフラーツハウゼン
市 ( ド イ ツ ・ バ イ エ ル ン 州 ) で 開 催 さ れ る 勧 業 博 覧 会 ILOGA
Isar-Loisach-Gewerbe-Ausstellung に入間市の代表として上谷ヶ貫獅子
舞保存会を派遣します。
この勧業博覧会は原則として 4 年に 1 回開催されるもので、今までに入間市から
新久はやし保存会と高倉郷土芸能保存会が派遣されています。
開催中は、ヴォルフラーツハウゼン市ロイザッハホール周辺にはテントが立ち並び、
子どもからお年寄りまでたくさんの人がいらっしゃいます。
テントやその周りで入間市を紹介する写真や資料が配られたり、日本酒やお茶が
振舞われたりする中、上谷ヶ貫獅子舞保存会による獅子舞が披露される予定で
す。
前回派遣された高倉郷土芸能保存会
-2-
アメリカにおける茶道の実践
佐藤 昌三
佐藤先生は 2 年前、入間市において「21 世紀の文化交流」と題して講演されました。
このたびアメリカでの講演の日本語版を送ってくださいましたのでご紹介します。 (市民スタッフ 太田 千代子)
異国文化を導入して実践するという社会的感覚は、島国に住む
日本人たちは大昔の時代から体験してきました。
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古代建築の様式には現在でも見られる高床式住居様式の神社
建築や和服の源流は明らかに東南アジア文化の影響
7 世紀初期の中国から導入された仏教とそれに付随する仏
典・文字、建築技術その他の中国生活文化の色々
13 世紀の鎌倉時代に導入された禅仏教と宋文化・絵画/工芸
17 世紀からの欧米文化としての機械工学・医学・芸術など…
それ以後の日本文化の様式とその発展はみなさまの周知のこ
とであります。
日本文化の発展過程を見ましても、外国文化を取り込むことに
は大変熱心な日本人たちですが、日本文化を外国に伝達する思想
及びその技術には色々な問題があります。
その第一の問題として、江戸時代に確立した宗家・家元制度が
あります。
華道に始まり、能楽・茶道・香道・舞踊など、こうした家元達
は世襲制度により、その流派の長として絶え間ない自己試練によ
り、美学的理念と技量の完璧性を追求して一般の求道者達の及び
もつかない厳しい伝承修行を人生とします。その結果、家元から
口伝、秘伝という伝授様式が取られて来ました。各個の流派がそ
れぞれの流様式の庇護に力を入れて、他の流派との交流が見られ
ないのが通常で、まして外国に日本伝統芸術を普及する努力は、
皆無とは言えませんが重要視されておりませんでした。
こうした家元制度にはいろいろな難点が指摘されておりますが、
そうした問題は本日の議題としません。こうした何代もの家元達
芸術的精進のお陰で、何世紀もの昔の芸術をその時代と大差なく、
21 世紀の現在われわれが楽しめることは有難いことであります。
しかし、こうした伝統芸術は生活環境と文化的背景の異なる外
国の環境においての実践という配慮はなかったと思います。
イケバナインターナショナルはこうした伝統芸術のうち、一番
早く国際社会にアピールされたのですが、その大部分の流派は現
代活花様式を基とする草月・小原などで、花材や花器はどの国の
素材でも問題なく使用されます。そうした国際化の中でもたとえ
ば池坊古典華となると花器・花材及びその作品の展示される床の
間と呼ばれる空間も生活様式の変化により、いろいろと制約が出
て来ます。
茶道の世界においても、第二次世界大戦のすぐ後に、現在の裏
千家家元である 15 世鵬雲斎宗室宗匠(注 現在の家元は 16 世坐
忘斎千宗室)が 20 才前後の頃、新時代の茶道の在り方のひとつと
して、フードブレンダーによる抹茶の攪拌を点前の一端として公
開して大きな反響を呼んだのを、子供心にもミキサーと共に撮ら
れた新聞写真を覚えております。宗室宗匠は一椀の茶による世界
平和をモットーとして、みどりの会の創立による外国人への茶道
教育に力を入れておられることは皆さんご存知のことです。しか
し、こうした前進的な茶道教育活動も基本的にはすべての参加者
たちを擬日本人とみなし、伝統的な環境・和服による作法・道具
とその扱いにも従来のしきたりに従うこと重視しておられます。
全ての習得経過には基本の完全な習得がなくては新しい様式も正
しいものが生まれません。そうした意味での伝統理解のための基
本教育は必要だと私は信じております。
現在、ヨーロッパの各地において、禅思想・座禅の普及に従い
茶道にも大きな興味を示しており、前衛的ともいえる色々な茶道
のデモストレーションが行われております。
アメリカではヨーロッパに先駆けて、1960 年代から禅思想とそ
れに関連する禅芸術が実習されてきました。イリノイ大学ウルバ
ナ・シャンペン校で 1964 年から茶道の紹介を始め、1967 年には
学生たちの要望によって日本伝統芸術講座を創立、活花・書道・
墨絵・茶道といずれも二次元、三次元と所作による禅思想の体得
を目的とした講座は大変に好評で、2、3 学期のウエイティングリ
ストの後に受講するのですが、この間色々と珍事の発生がありま
した。まず、正座に慣れることなのですが、所定通りに座ると長
い足が後ろに飛び出して、後ろの壁やふすまに使えるために畳の
後ろに 12 インチ位の板を入れて床面の増大を図る。ふすまを開
けて茶碗と棗を捧げ持ち静々と入室する時に頭上の鴨居に額を
打ちつけ、その拍子に棗が垂直落下、きのこ雲のような緑の粉末
が茶室一面に広がり、バキュームクリーナーで清掃するまでクラ
スは休憩。そうした事故を防ぐためにふすまや障子などの建具は
7 フィートと縦長にする。
フットボールやその他のスポーツによる、あるいは肥満型の学
生にはこの正座が不可能である。が、茶道と禅は勉強したい、と
の強い要望のために当時、われわれの大日本茶道学会には存在し
なかった亭主・客を含めた立礼テーブル一式を創案して以来、協
会や慈善団体でのデモストレーションにも大変重宝しておりま
した。
こうした長年のアメリカにおける私の体験から、16〜17 世紀の
日本人の体型を基本とした茶室・道具・所作のカネワリ法感覚を
基として、西欧人の体格に合う様式、そして西洋風な生活環境の
中で楽しめる茶道の研究の必要性を強く感じておりました。
大学からの退官を機会に、フォートブラックに住居、スタジオ
や茶室を構えるにあたり、前記の必要事項を念頭に置いて茶室や
道具のデザインを進めてきました。
本日のセミナーの席上において、そうした道具の色々の紹介と
茶室の紹介をさせていただき、将来アメリカにおける茶道の発展
の必要な要点を茶道を嗜むみなさんと共に考えてみたいと思い
ます。
我々は何のために茶道を嗜むのか? 私が好みます一行物の
一つに「芸道是仏道」があります。亭主と客が抹茶を点てて、共
に楽しむ、この一見単純に思われるひとときに、一座建立を認め
て、平和に共存する喜びを芸術的な環境の中に分かち合えば、形
式は何であれ、その一座建立の空間は教会・モスク・テンプルと
同格同意義の空間と体験であると信じます。形式は変化しても、
和の心を求める思想は茶道先覚者たちの教えに従うことが大切
です。それは、人間の基本的な感覚感情は 500 年前も現在も大き
な変化がないと信じるからです。現在日本においても、現代のセ
ンスに合う道具の色々がデザインされております。
また、先日ニューヨークにおいて”The new way of Tea”と題した
展覧会がありました。色々な新旧の道具や茶室としての空間が紹
介されました。それぞれの趣向による好き嫌いはあると思います
が、茶道を嗜む現代人の一人として、またこれからのアメリカに
おける茶道発展を願って茶道のあり方の再評価の機会が到来し
たと思います。
佐藤
昌三
イリノイ大学名誉教授
大日本茶道学会 坐久庵 仙昌
北カリフォルニア日本芸術センター主事
今年、再び教鞭を執られることとなり、シカゴ郊外のエブンストンにあるノースウエスタン大学の春学期(3 月〜5 月)で
日本芸術の講座を受け持たれます。また、先頃日本文化を英語圏の子どもたち(9〜12 才対象)に紹介する本を執筆されました。
なお、Mainichi Weekly にシリーズで掲載された先生の「和のこころ」が近く本になります。
ご意見、ご質問等なんでも結構ですので事務局経由で太田までお知らせください。
-3-
GUEST ESSAY 1
こよなく愛するメキシコから
春の花「ハカランダ」が今年は例年より早く開花し、
今はもう、その鮮やかな紫色の花にとってかわり、若草
色の葉がすこしずつ顔を出し始めています。街の中に
は半そでを人の数が圧倒的に多くなり、メルカド(市場)には、私の大好き
なマンゴーがたくさん並ぶようになりました。
JICA(国際協力事業団)による、「日系社会青年ボランティア」の日本
語教師として、ここメキシコ・メキシコシティに来て早 1 年。異文化の中での
生活にも、月曜日〜土曜日まで毎朝 7 時から日本語を教える生活にも、
もう大分慣れました。
私は現在、メキシコシティの南部コヨアカン地区にある「日墨文化学院」と
いう、15 歳以上の一般成人対象の日本語学校に派遣されています。「日
墨文化学院」は、もともとメキシコオリンピックの前年の 1967 年に在メキシコ
大使館内に日本語・日本文化普及事業の一環として開かれた通訳養成
講座を前身としていて、おそらくメキシコ国内で一番大きい成人対象の日
本語学校です。学習者は主にメキシコ人であり、日系人の割合は全体の
5%未満と、意外に低いといえます。今はやはり日本文化への興味、特に
アニメや漫画がきっかけで勉強している学生が非常に多いように感じます。
私は今初級 1 コースを担当しているのですが、今日は学生に「ドラゴンボー
ル」の主題歌の歌詞を見せられ、「ikitegoran(生きてごらん?)の『ごらん』
って何ですか?」と聞かれました。(す、鋭い質問だ…と内心ドキドキ…。)
その他、日系企業に勤めていて日本人の友だちと話したくて勉強している
人、日本の建築が大好きな人、日本人の恋人がいる人(欲しい人!)
等々、大学の先生から主婦まで、様々な人たちが日本語を勉強していま
す。
ところで皆さんは、「メキシコ人」と聞いてどのような人々を想像するでしょう
か。もしかしたら、多くの方々は、メキシコ人は底抜けに陽気なラティーナで
あるとお思いになるかもしれません。が、実際は少し違います。私の感覚か
らすると、実際のメキシコ人はなかなか内面をみせずに本音と建て前を使い
分ける人々であり、その点で非常に日本人的な感覚に近いものを持ってい
ると思います。ただし、感情の表現力は抜群にあり、楽しむ時はとことん楽
GUEST ESSAY 2
近藤
克代
しむことができる人々です。授業の中でも、ゲームや競争に一生懸命で、
本気で悔しがったりうれしがったりしてくれ、私としては非常に助かっています
…。
私はよく「メキシコは何でもありだなあ…」と思うことがあります。大きい帽
子をかぶった髭のおじさんがテキーラを飲みながらサボテンの前でギターを弾
いている…というのは本当に一部の話です。桁外れのとんでもないお金持
ちから、子供をかかえ地べたに横たわる人々まで、ぴかぴかの大きいデパー
トから物置のような貧しい家まで、古代文明から現在までの様々な歴史を
抱えた本当に多種多様な国で、そのバラエティーさが、メキシコをメキシコた
らしめている気がします。私は一人の外国人としてメキシコで生活している
わけですが、メキシコはその異分子である私の存在を容易に許してくれる寛
容な社会です。つまり、外国人としていやな目に遭ったことは一度もありま
せん。親切な人々と、おいしい食べ物と、穏やかな気候と、そしてこの寛容
的な社会、これらが、私がメキシコをこよなく愛する理由です。
私のいるコヨアカン地区は、石畳の古い町並みが残る、きれいでちょっとお
洒落な街です。今アカデミー賞で話題の「フリーダ・カーロ」がかつて住んでい
たところで、今彼女の「青い家」は「フリーダ・カーロ美術館」として、連日多く
の人で賑わっています。そこから歩いて 5 分くらいの所には、ロシアのレオン・
トロツキーが亡命し暗殺されるまで過ごした家があります。コヨアカンの中心
の広場には、週末になるとたくさんの出店が出て、メキシコの民芸品やお菓
子やアクセサリーなどを買うことができます。いろいろな音楽を演奏する人や
ピエロも登場して、いつも沢山の人々がコヨアカンを訪れます。
仕事が忙しく、なかなか自分の時間が取れないのですが、ここ「何でもあ
り」のメキシコで、毎日を楽しんで生活しています。多くのメキシコ人と接し、
日本語を教えることができているのは、私にとってなんとも幸せなことです。
今回は抽象的なお話になってしまいましたが、次の機会にはもっと具体
的な楽しいメキシコのお話ができたらと思います。みなさん、お時間がありま
したら、是非一度メキシコへおいで下さい。
<近藤 克代さんは、協会の日本語教室で指導をされていました。>
オーストラリア!
「ついにきたなぁ」オーストラリアはメルボルン、タラマリ
ン空港から出た瞬間の ことを、今も鮮明に覚えてい
ます。
のんきが大好き!まだまだ学生気分いっぱいの私が、これからやろうとし
ていることそれは、名の聞いたことないような小さい山の小学校で、日本語
教師として働くことでした。
もちろん英語なんてからっきしダメで、むしろ日本語だってままならず、コミ
ュニケーション手段としては、ニコニコすることだけ。こんな小娘が 1 年間異国
で何事もなく暮らせると誰が思うでしょう? 季節が一回りして 3 月になった
今、思い出すだけでもひやひやドキドキのオーストラリア生活を、今回は少
しばかり皆さんにお話ししようと思います。
清水 まさ子
があって、外国にいる実感も全くありませんでした。「なんだ、けっこう外国っ
て暮らしやすいじゃん!」なんて,今思うと神をも恐れぬことを思っていた、ま
さにその週の土曜日から、早速ホストファミリーとの生活が始まったのでし
た。
この 1 年、いろいろなことがありましたが、それもホストファミリーぬきでは語
れません。なんと私は去年 4 月から今年 3 月まで引越し回数 8 回、6 家
族を転々としたのです。そのためホストファミリーについて書こうと思ったら、軽
く 1 冊本が書けるでしょう。誓います。
私をホストしてくれた 6 家族もの人々全てを「オーストラリア人とは・・」と
一般化するのは非常に難しいし、無理なことです。しかし敢えて言うならば、
衣・食・住の中でも住を最も大切にする人々だと言えるのではないでしょう
か。
TV をみていても家に関する情報(内装や、ガーデニング等)は非常に多
いですし、なんと私の学校には自分で家を建てたという先生(若干 26
歳!)もいます。本当に、この国の人は家を、家族を心から愛していると実
感しました。
どうしてオーストラリアに来ようと思ったのか?
オーストラリアに来たのは、大学卒業してすぐの 4 月。もし大学 3 年の私
に「あんた、大学卒業したらオーストラリア行くことになるよ」といったら、泡を
ふいてひっくり反っていたでしょう。ビクトリア州教育省から(Department of
Education &Training)毎年、関西・関東内のいくつかの大学へ日本語教
師アシスタントが募集されるのですが、私の大学にもそれが運よく来ていま
した。しかし今年にかぎって希望者が誰もいない。これじゃ、来年募集がう
ちにくるかわからない・・と思った(かもしれない)先生は、院にいって日本語
教育を専攻しようと思っていた私と友達に、(2 人とも、オーストラリアなんて
頭の片隅にもなかった)応募用紙をにぎらせ、面接をうけさせたのです。今
思えば、全く受け身な動機でした。
学校の様子
私が勤めているコカトゥー小学校(Cockatoo Primary School)は、メルボ
ルンから車で 40 分、ダンデノン丘陵というところに位置しています。メルボル
ン city からこちらに向かう電車に乗るとき、「ああ、奥多摩のようだ・・」と毎
回思います。
Prep(1 年生前、大体 5、6 歳)から 6 年生まで全校生徒 400 人弱のこ
の学校は、生徒も先生もとてもフレンドリーです。こんな小さな田舎の学校
も、他の多くの小学校にもれず日本語を選択しており、毎年このプログラム
から日本語教師を招いています。
オーストラリアは、韓国に次ぐ日本語学習者が多い国として知られていま
オーストラリアでの生活・オーストラリアの人々
運良く面接に受かった私と友達は、他 20 数名のプログラム参加者ととも
にタラマリン空港におりたちました。着いた 1 週間は色々なオリエンテーション
-4-
すが、その学習者数の中には、このような小学校の選択として、否が応にも
勉強しなくてはならない学習者の数も、含まれていることを忘れてはならな
いでしょう。
ともかく、私はこの学校で 1 年間働いて、こちらの学校教育がいかに日本
と違うか実感し、様々なカルチャーショックを受けたのでした。
移動する楽しみをも持っています。じっくりと、ラウンジカーから地平線など臨
んでみてください。まるで「世界の車窓から」のレポーターになった気分に浸
れます。ぜひ、列車に乗ってオーストラリアの大地の広大さを、ご自分の目
で確かめてみて下さい。
旅情報
さて、長々と偉そうに書いてきましたが、たった 1 年の経験でこの国を分か
った気には到底なれません。それだけ、この国は大きいし、日本とは違った
問題も沢山かかえています。月並みな意見かもしれませんが、日本とは全
く違うこの国と日本を比較することで、私は日本が好きだなぁと思えたし、日
本のいいところ悪いところがわかるような気がしました。
オーストラリアにまた来るか?とは、この頃学校のスタッフからよくされる質
問ですが、私はこう答えています。「もちろん!でも、今は日本に帰って
JAPANESE Bath につかりたいの」と。オーストラリア人は、この 1 年で、自分
の国を愛することも、私に教えてくれました。
この国がこれからも、ずっとゆったり、とうとうと流れる時の中で、息づいて
いくことを祈っています。
<清水 まさ子さんは、協会の日本語教室で指導をされていました。>
今思うこと
オーストラリアの小学校は、ほとんど 4 学期制を導入しています。タームと
呼ばれるそれぞれの学期の間には 2 週間から 5 週間の休みがあり、先生方
も子どもも、その休みを心のオアシスとして、日々学校に通っているわけで
す。
私はこのスクールホリデーを利用して、いろいろな所にいってきました。オー
ストラリアは非常に大きく、東の都シドニーと西の都パースとでは、気候も街
のつくりも全く違うのに驚きます。メルボルンからきた私と、連れの友達は、パ
ースが同じオーストラリアだと思えなく、「外国みたいだ・・」とバカな感想を述
べていたものです。
もし時間をかけて旅する余裕があるならば、私は列車で回ることをお勧
めします。確かに飛行機だと速いし、時間の節約になるのですが、この国は
GUEST ESSAY 3
ヨーロピアンホームレス
季節は 10 月…チェコのプラハ駅のベンチで寝ていると、
突然警察官に蹴られた。彼はこちらを見ながら手首の
あたりをトントンと「時間を見てみろ」とゼスチャーする。
腕時計を見ると午前 1 時半…僕は裏技で購入した「インターレールパス」(ヨ
ーロッパ人かヨーロッパ在住 1 年以上の外国人しか買えない電車のパス)を
見せて自分が旅行者である事を証明したが、警察官は首を振った…どうや
ら今日も野宿しなければならないらしい。ホームレス達が一斉に駅から近くの
公園に寝床を移す…僕もこの大移動に乗じなければならなかった。「俺は日
本からの旅行者だ!」なんてくだらないプライドは捨てたほうが良いのかもしれな
い…ボロボロの衣服や野宿生活を営む点、僕と彼等に大差は無いのだ…
強いてあげるとすれば、僕には列車のチケットがある。
これで通算何日目の野宿だろうか?僕はマントをはおり、荷物を抱えて眠っ
た。僕がこんな生活を余儀なくされたのには理由がある…旅を始めて半年、
ヨーロッパに突入してから野宿をする事は何度かあったが、それは宿代の節約
に過ぎなかった。決定的な事件はナポリ〜ローマ聞の列車の中で睡眠中、
荷物を盗まれた事だった。もっとも、列車の中で眠っていたのは前夜の野宿が
影響していることは否めない。盗まれた荷物の中には日記、アドレス帳、筆
記用具…そしてトラベラーズチェックが入っていた。仕分けしていたトラベラーズ
チェックは約 1000 ドル…旅を続けるには不十分な金額だったが、買ったばか
りのインターレールパスを無駄にするのも惜しかったし、何よりこんなあっけない
形で旅を終えるのも癪だった。僕は旅行中の再発行にかけることにし、残りの
1000 ドルで東欧と北欧を回る事にしたのだ。10 月とはいえプラハの朝は冷え
込む…僕は朝日の光に目を覚ますと、一人の青年がコーヒーを片手にこちら
を見ていた。
「どこから来たんですか?」
青年は不思議そうにこちらを見ていた。僕が「日本だ」と答えると、「日本人
がなぜ駅に …」と言いかけて、打ち消した。
「すみません、こんなことをたずねるのは失礼ですよね」
「いえ、かまいませんよ」
僕たちは駅構内のベンチに腰を下ろし世間話を始めた。そして話を進めるう
ちに、彼もホームレスだとわかった…英語、ドイツ語が湛能で、歳も若い彼な
らいくらでも就職先がありそうなものなのだが…「旅をしているんですか…僕も
昔ヒッチハイクでロンドンまで行ったことがあります」彼はその時に手に入れたと
言う西欧のコインを全部僕にくれ、さらに友情の印と手に付けていたリストバン
ドをくれた。僕はお礼に持っていた煙草全部と、中国で買った腰帯を彼にプレ
ゼントした。列車の時間ぎりぎりまで、僕たちは話をしていた。
「またプラハに来たら、僕をたずねてください。駅の奴等にジョゼフと言えば解
りますから…次は一緒にプラハを歩きましょう!」彼は目に涙を溜めている…最
後に僕は何故路上生活をしているのか尋ねてみた。「自由でいたいんです!」
彼は威勢良く答え、ホームを去った…最後の質問は愚問以外の何物でもな
冨田 孝明
かったが、僕はどうしてもそれが気になっていた。僕はチェスキークロムロフという
街へ向かった。それまでの道のりはあの歌で有名なモルダウ川やボヘミアの森
林が午後の柔らかい日に照らされ、やさしく輝いている。 ロマンティック…なん
て柄に会わない言葉を使いたくなってしまう。チェスキークロムロフは森に包ま
れた小さな町だった。僕は途中で会った旅人に薦められたホテルの戸を叩い
た。「いらっしゃい!」歳は同じくらいだろうか?きれいな金髪をポニーテールにした
かわいらしい女の子が扉を開けた。これは一つの賭けだった。僕の財布には
約 5 ドルの現地通貨が入っている…これで宿泊できなければ野宿をするつも
りだった。僕は財布から小銭だらけの現金をすべて出した。「これで泊めて欲
しいんだけど」女の子は小銭を一つ一つ数え、顔を顰めた。
「うーん…屋根裏部屋でよければ…何とかするわ」
彼女は片目をつむり、人差し指を口に当てた…内緒と言う事だろうか?とに
かく、彼女の心遣いでその日は 3 日ぶりのベッドとシャワーにありつくことが出来
た。僕は屋根裏部屋の挨だらけのベッドに荷物をおき、一階のパブリックルー
ムで見つけたギターを弾いた…最後にギターに触れたのはいつだろうか…確か
パキスタンで弘法さんに習って以来だ。
ふと目を上げると先ほどの女の子がキッチンからこちらを見ていた。僕はギタ
ーを置き、彼女の隣に座った。
「何をしているの?」
「英語の宿題よ」
彼女はノートに問題の答えを書いているのだが、スペルミスが自に付いたの
で直してあげることにした。そして宿題の手伝いが何時の間にか世間話へと
変わった…どこから来たのか、どこへ行くのか、何故旅をしているのか…僕は
旅の中で何千回と聞かれた質問にいちいち答えていた。彼女は僕の話に驚
いたりあきれたりしていた。
「ねえ、明日も会えるかしら?」
「さあ、約束は出来ないね…明日ポーランドに行こうと思っているから」
彼女はプッと吹き出した。
「誰もあなたを束縛できないわ!だってあなたは鳥みたいなんだもの!」
彼女は宿題を終えると「自分の家」という母屋へ帰っていった。僕は再びギ
ターを弾いた。ギターと鳥…このこつのキーワードは弘法さんの作った感覚的
な詩を思い出させた。
鳥が自由だなんて誰が決めたんでしょう、
自由に空を飛べても、羽を休める枝が無ければ
羽を持った事を後悔するかもしれない…
旅はまだまだ続く…
<冨田孝明さんは、平成10年度の青少年異文化体験事業でヴォ市に派
遣されました。>
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本年度主要事業予定
平成 15 年度に予定されている当協会の事業については、5 月 29 日(木)に産業文化センターで開催予定の総会にて会員のみ
なさまにご審議いただく予定となっておりますが、4 月現在で予定されている主な事業についてお知らせいたします。
なお、下記の予定事業のうち、事業名に下線がついているものは市民スタッフが中心となって実施される事業です。詳しくは
1 ページをご覧のうえ事務局にお問い合わせください。
4 月 13 日(水)〜3 月 13 日(土) 日本語教室
仏子クラス 概ね月 2 回の水曜日
図書館西武分館
4 月 19 日(土)〜3 月 13 日(土) 日本語教室
産文クラス 概ね月 2 回の土曜日
産業文化センター
4 月 29 日(火)〜5 月 7 日(水)
ヴォ市勧業博覧会(ILOGA2003)上谷ヶ貫獅子舞保存会派遣
5 月 24 日(土)
子どもたちのためのメキシコ文化の日 AMIGO!
6 月〜7 月
外国人市民のための日本料理教室
7 月 31 日(木)〜8 月 7 日(木)
ヴォ市青少年受入事業
上記期間内
場所未定
外国人市民のための武道教室 場所未定
9 月 1 日(月)
八都県市合同防災訓練参加
9 月 17 日(水)〜9 月 24 日(水) ヴォ市千年祭公式訪問団派遣
10 月 25 日(土)〜10 月 26 日(土)
万燈まつり期間
入間万燈まつり「ともだち広場」 豊岡配水場駐車場
ヴォ市訪問団・両津市訪問団受入
12 月上旬
アメリカのクリスマス料理教室
1 月〜2 月
国際交流バスツアー
1 月〜2 月
VIVA LA DANZA!
会費納入のお願い
<総会のお知らせ>
入間市国際交流協会の事業は、会員の皆様の年会費、市から
入間市国際交流協会は、下記の日程で定期総会を開催い
の補助金、事業参加者の負担金等で賄われています。
たします。一年間の協会の計画や予算などを決定する大切
これからも充実した活動を展開するために、確実な会費の確保
な会議です。
が必要です。
総会終了後、会員懇親会も予定されております。
日
時
場所未定
平成 15 年度年度の会費につきまして、お早めに納入をおねが
5 月 29 日(木)午後 6 時 30 分〜
会
場
産業文化センター2階第2集会室(事務室側建物)
内
容
平成 13 年度事業・決算報告について
いします。
なお、昨年度より各支所(東金子・金子・宮寺・藤沢・西武の計 5
支所)でも会費を納入することができるようになりました。支所で納
役員の改選について
入していただく場合は、手数料はかかりません。
平成 14 年度事業計画・予算について
通知がこのニュースに同封されています。
別紙をご覧のうえ
ご覧のうえぜひご出席ください。
協会ホームページ
お早目の納入を重ねてお願い申し上げます!
www.city.iruma.saitama.jp/i-society
会員のみなさまにさまざまな情報を提供するためにホームページを開設してから 1 年が経ちました。
従来の「協会の紹介」、
「イベント情報」
、
「姉妹都市・友好都市の紹介」、
「COM+COM(PDF 版)」、
「リンク集」のほかに、
「活動報告」、「国際交流ニュース(PDF 版)」、「各種情報/電子書庫」、「スタッフニュース(PDF 版)」が新たにアップされ
ています。
会員のみなさま、そして外国人市民の方々に役立つホームページにしていくために、今後も随時更新していきますのでぜひ
ご覧ください。
「こういったことを載せてほしい」といったご意見や「あのページは見やすい(見にくい)」といったご感想も大歓迎です。
また、ホームページ作成にご協力いただける方がいらっしゃいましたら下記にご連絡ください。
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