テ レ ビ ド ラ マ 企 画 〔ファースト・キスまで、あと5分〕 著 者 喜多嶋 隆 (集英社文庫) 企画 湯浅 一裕 <登場人物> 早川パセリ (17) 港区麻布十番。六本木の裏手にある商店街の洋食屋『ホームラン軒』の娘。 父親にパセリという名前をつけられたおかげで、子供の頃からいじめられていた。 だから身を守る為に柔道を習い始めた。 初段をとったのが中学 1 年生の時だ。もともと男の子っぽい性格だったし、才能があっ たのかもしれない。 とにかく、その成果あって、いじめっ子は近寄ってこなくなったけど、同時に、普通の 男の子も近寄ってくなくなった。 立川達夫 (17) 『ホームラン軒』の近所にある『魚立』という魚屋の息子。 パセリとは幼なじみで、高校では隣のクラス。 バスケットボールが似合いそうな長身なのに、文芸部に所属している。 沢田桂吾 (21) 売り出し中の若手シンガーソングライター。 シティーポップスの貴公子と呼ばれ、10 代の女性を中心に人気上昇中。 パセリが、新曲発売のキャンペーン・ポスターに使用するコピーを担当ことが 出逢いで、桂吾はパセリの真っ直ぐな性格に惹かれてゆく。 大江深雪 (17) 文芸部の部長。 大手製薬メーカー社長の令嬢で、容姿端麗で知性も高く、男子生徒の憧れマドンナ的存 在。幼い頃から、両親や周囲にちやほやされて育ってきたせいもあって、物事は、何で も自分の思い通りになると過信している。 突然入部してきたパセリを小馬鹿扱いをした深雪は、その後、コピーライターとして活 躍してゆくパセリに嫉妬し、対抗意識を燃やす。 鈴木忠男 (36) 広告代理店『アド・バルーン』の C・D。(クリエイティブ・ディレクター) 偶然、パセリの書いた『詩』を読み、広告のコピーライターとして起用した事が大当た り。その後は、パセリを【高校生のコピーライター】として売り出し、新しい仕事を依 頼する。それが次々と成功を遂げてゆく。 <ストーリー> 「残念だが、君には退部してもらうよ……」と、柔道部顧問の教師が言った。 土曜日の午後4時。渋谷。 あたしが、クラスメイトに付き合って丸井のカードの申込みをしていた時だ。 三人のスケ番風の女子高生が、あたしの名前を覗き見て笑った。 あたしの名前は、<早川パセリ>。 洋食屋『ホームラン軒』の娘。 この名前のせいで、子供の頃からずいぶんいじめられた。 柔道をはじめたのも、近所のいじめっ子から身を守る為だ。 案の定、スケ番3人と、ストリート・ファイトするハメになってしまった。 短気なのは親譲りだから仕方ないが、警察沙汰になったのはマズかった。 そんな訳で、柔道部エースのあたしは、役人教師に退部させられてしまった。 × × × 隣のクラスの<立川達夫>は、あたしの幼なじみ。 同じ麻布十番商店街にある『魚立』という魚屋の息子だ。 達夫は、あたしが退部になったことで、同じ文芸部を紹介してくれた。 「木曜日に部会があるから、《恋》をテーマに詩を書いてこいよ」 達夫が言った。 あたしがブンゲーブ!?……なんて思ったけど、誘われた時、胸がときめいた。 知らないうちに、あたしは達夫の事を、男として気にはじめていたのだ。 HBの鉛筆を握りしめたあたしは、《恋》をテーマに詩を書いた。 × × × 木曜日、放課後。学校の近くのコーヒー・ショップ『雨の木(レイン・ツリー)』 達夫は、集まった部員にあたしを紹介する。 「それじゃ、今週の課題をはじめましょうか」と、部長の<大江深雪>。 部員達が、《恋》をテーマに自分の詩を読み始めた。 部長の深雪の番になり、みんなが静まり返る。 深雪は洒落た原稿用紙を取り出し、長い髪をけだるくかき上げて読み上げた。 「銀河の彼方よりあなたのオーラが舞いおりる……ペガサスの翼より熱く、地上に舞い おりる……私は今、ガラス細工の箱舟、エーゲ海より碧き永刧の眠りに舫いを解かれて 彷徨する……」 あたしは、思わず口を半開き。 なんで、これが恋の詩なんだ!? うっとりとした表情で聞いていた部員は、深雪は読み終えると、拍手喝采。 なんと達夫も…それは、恋する男の顔だった。 「次は早川さんの番よ」 お手なみ拝見といった余裕の態度で深雪が言う。 あたしはレポート用紙を取り出し、読み始める。 タイトルは、《洋食屋の午後5時》。 「洋食屋の午後5時、私はお皿を磨いている。白いお皿たちをキュッキュッと磨いてい る。あなたのことを想いながら……トンカツのような私だから、千切りキャベツのよう な、あなたを捜しています……私はトンカツ、あなたはキャベツ……」 クスクス笑いが、とうとう爆発した。全員の爆笑。 達夫も深雪と一緒に笑っている。 あたしは、トイレに立つふりして、そのままコーヒー・ショップを出た。 × × × 『ホームラン軒』の午後5時。 あたしは、詩を書いたレポート用紙を、店のテーブルに叩きつけた。 “クソ……文芸部なんて、入るんじゃなかった” その時、店に入ってきた広告プロダクションの連中が、なにやら打合せを始めたのだが、 それは、打合せというより、喧嘩といった感じだった。 若い男は原稿をテーブルに叩きつけると、席を立ち、店を出ていく。 相手のヒゲ男は、やれやれといった表情であたしを見た。 × × × 「え!?あたしの詩を原稿に使う……?」 その夜、いつものように広告プロダクションに出前を届けると、あのヒゲ男が居て、注 文の料理を置いて帰ろうとしたあたしを呼び止めた。 デスクの上には、あたしの書いた詩が置いてある。多分……。 頭にきて投げ捨てた詩が、店で散らかったヒゲ男の原稿に紛れ込んだのだろう。 ヒゲ男の名は、<鈴木忠男>。 この広告プロダクション『アド・バルーン』のクリエイティブ・ディレクター(C・D)。 鈴木C・Dは、あたしの書いた詩を指でトンと叩いて言った。 「この《トンカツのような私だから》ってところが、実にいいンだ」 × × × うっ……ヤバい。瞬間的に、あたしは感じた。 あたしの書いたトンカツの詩は、鈴木C・Dによって広告に印刷された。 広告主の『キーピット・システム』の評判は良く、偶然にもあたしは、この結婚紹介で 結ばれたカップルと出会い、自分の書いたコピーが二人の出会いを作った事を知って、 不思議な気分になったのだ。 しかし文芸部の連中にとっては、あれだけバカにしたあたしの詩が、活字になったとい う事が面白くないのだろう。 部会で集まった部員の前で、深雪は、ぽつりと言った。 「高校野球の選手が、ユニホームに広告くっつけて甲子園に出たらどう思う?」 ずいぶん前から用意していただろうセリフに、部員も達夫も深く頷いた。 ぢぐぢょー。くやしいけど、あたしの単純な頭じゃ、やり返す言葉が見つからない。 “何が、文学の魂を商業主義に売り渡すなんて最低の人間のやることね。だ!!” あたしは、悔しさと同時にファイトが湧いてきた。 いつかきっと、達夫の目を醒ましてやる。 × × × 午後11時。客の居なくなった店に、鈴木C・Dが入ってきた。 鈴木C・Dは、今、人気上昇中・シティ・ポップスの貴公子<沢田桂吾>の新曲キャン ペーン・ポスターのコピーをあたしに書いてくれと言う。 ギャラは、前回と同じ5万円……。 確かにお金は欲しい。 達夫の誕生日が間もなく訪れる。そのプレゼントも買える。 × × × 翌日、午後4時。赤坂にあるレコード会社。 沢田桂吾担当の制作部長の<大原雄作>から差し出された名刺にあせって、思わずあた しは、生徒手帳を出してしまい、一瞬の沈黙の後、周囲は大爆笑。 またやっちまった……。 「いやあ、ユニークな娘じゃないか」 大原は、鈴木 C・D にそう言うと、ロケ現場にあたしを連れて行く。 ポスター撮りの撮影が終ると、背中から声を掛けられる。 振り向くと、桂吾だった。 あたしは、桂吾に誘われてクルマで送ってもらうことになった。 走り始めて数分後。 クルマが止まり、桂吾は、あたしの肩を抱いてキスしようとしてきた。 あたしの平手打ちが、やつの顔面をヒット! × × × まるでヨーロッパの家みたいなレストランのディナータイム。 しおらしくなった桂吾が、車内で聞いた新曲の感想を聞いてきた。 「この店のお料理と似て、おいしくないわ……飾り付けが、やたら大袈裟すぎて、気持 ちの奥まで届いてこない」と、あたしは桂吾に言う。 その意味を理解した桂吾は、何かが吹っ切れた笑顔を見せ、あたしを連れて店を出た。 × × × 広尾のマンションの11階。桂吾の部屋。 クルマの中で、あたしは桂吾にハンバーグを作る約束をした。 『ホームラン軒』秘伝のLLサイズのハンバーグを、平らげた桂吾は、言った。 「おれが今まで作ってきた曲は、薄っぺらいオシャレ感覚を派手なアレンジでごまかし てきた。でも、本当に作りたいのは、今きみが作ってくれたハンバーグのような曲なん だ。心の底から《おいしい》と叫べるようなやつさ……」 × × × 西麻布音響スタジオBスタ。みんな、緊張した表情。 「じゃ、テイク1、いきます」とディレクターの声。 ガラスの向こうのスタジオで、桂吾はあたしに、ほんの一瞬、微笑んだ。 やがてイントロが終わり、桂吾が唄い始める。 “いい曲だ……”そう思ったのはあたしだけではなかったようだ。 部長の大原、そしてスタッフの間でざわめき始めた。辺りが慌ただしくなる……。 × × × あたしの部屋で、桂吾の曲が流れる。《あのTシャツはもう着ない》。 歌詞と自分の現実がダブり、涙が溢れてきた。 ついさっき、達夫とまた喧嘩してしまったのだ。 “……I MISS YOU 君はもういない……” 気がつくと、もう朝の4時半だった。 徹夜でスタンバイしていた鈴木C・Dは、あたしのコピーを読んだ。 《彼の曲をひとりで聴いていたら、思わず泣いてしまったあたし。弱虫め!》 鈴木C・Dがスタッフに声をかけると、オフィスは戦場のようになった。 × × × 放課後。コーヒー・ショップ『雨の木』。例によって、文芸部の部会だ。 あの沢田桂吾のコピーの件は、桂吾が出演したトーク番組でバラされてしまったから、 当然、みんなは知っているだろう。 覚悟の上で、あたしはドアを開ける。 ところが……一番奥に、女王様みたいに座っている大江深雪。 「そんなに大騒ぎするほどのものかしら。あれは、一人の女の子が、沢田桂吾に宛てた 素敵なラブレターですものね」と、あたしに微笑みかけて言った。 それをきいて、達夫の表情が変わる。 “そうか、こういうホメ方をして、達夫との仲を……”あたしは、奥歯をかみしめた。 × × × 学校から帰ると、鈴木C・Dがあせった表情であたしを待っていた。 急いでタクシーに乗ると、鈴木C・Dは、あたしに事情を話し始める。 「うちが無条件で制作する事になっていた仕事に、強力な敵が割り込んできて、競争に なっちまったんだ。で、パセリの登場ってわけだ」 広告主は、男性下着メーカー。商品は、パンツ。 競争相手は、<佐々木忠行>。 糸井重里に並ぶぐらいの実力派コピーライターだ。 「セーラー服のお嬢さんが競争の相手ってのは、楽しいなあ。でも、今度ばかりは、あ なたの作戦ミスだね。商品は身をもって知る。それが、広告づくりの基本じゃないのか な?私はすでに、このパンツを愛用している」と、佐々木。 トゲのある言い方で、あたしと鈴木C・Dに、笑って言った。 その時イスを立ったあたしは、思わず叫んでしまった。 「あたしも、身をもって、その商品を体験します!」 × × × 言っちゃったものは、しょうがない……。 あたしは、部屋に鍵をかけると、机に広げたセミ・ビキニのパンツを手に取る。 ショーツを脱ぐと、あたしは恐る恐る、そのパンツをはく。 そんなあたしに、思わぬ悪夢が待ち受けていたのだ。 金曜日の1時間目・体育。今日はプールの日。 あたしは、そのパンツをはいたまま登校してしまった。 不安は見事に現実化した。 プールから戻った更衣室は、男物のパンツに大騒ぎ。 まるで、犯罪現場に残された証拠品のように掲示板に貼りつけられた。 下着をなくしたあたしは、もちろんノーパン。 でも、それよりパンツがかわいそう……。 あたしは、掲示板からパンツをむしり取ると、夢中で駆け出していた。 × × × 学校内では、大変なウワサになっていると、配達にきた達夫が言う。 噂と言いながら、達夫自身が一番気になっている様子。 事情を疑う達夫に、あたしはスカートを、気前よくめくり上げて見せる。 達夫は、商品のパンツを見て、カッコいいと呟き、そして……。 「こんなカッコいいパンツなら、パセリ、洗ってくれる?」と、言った。 意味シンなセリフにあせったあたしは、達夫のお尻を、ペシッと叩く。 その時、頭の中で、注意信号が点滅する。 コピーが出てきた……。 × × × 《ニューヨーク5番街でウワサのショーツ》 それがやつらのコピーだった。やたらカッコいい設定の広告らしい。 あたし達のコピーは、《こんなパンツなら、洗ってあげる》 絵は単純、女の子が、顔の前でパンツを広げて持っている。 × × × 事務所に帰って5分後、広告主から電話があった。 「うちの勝ちだ」と鈴木C・D。 若いスタッフたちから、歓声があがる。勝利に乾杯! 少し酔ったあたしは、胸にひかかっていた事を鈴木C・Dに打ち明けていた。 深雪に言われた事。 沢田桂吾に書いたコピーは、ただのラブレターじゃなのか。 鈴木C・Dは腕組み。そして、言った。 「いいコピーってやつはみんな、誰かへのラブレターじゃないのかな」 × × × いつもどおり、コーヒー・ショップ『雨の木』での定例会。 テーブルには、広告雑誌。《こんなパンツなら、洗ってあげる》のコピー。 実は、モデルの女の子は、あたしなのだ。 顔はスカートで隠されていたのだけど、文芸部のミステリー狂の男が、それを探り当て たようで、学校中に広まってしまったのだ。 あたしは、事実を認めて開き直ると、深雪が言った。 「部員の活躍は嬉しい事よ。ぜひ文芸部ニュースにも載せたいわ」 × × × 翌週の文芸部ニュース。ドカーンとパンツの広告とあたしの記事。 おかげで、あたしの名前を、<早川パセリ>から<早川パンツ>と呼ぶ奴が出現した。 深雪の狙いは、ズバリ成功したらしい。ところが、達夫ときたら……。 あのコピーは、いつか達夫が言った《こんなカッコいいパンツなら、パセリ、洗ってく れる?》への答えなのに、全然気づいてくれない。このドンカン男!! × × × RRRRR……! 鈴木C・Dからの電話。 30分後。コピーの打合せで、CMプロダクションに着いた。 今度は、《ミントール》っていう商品名のデオドラント・ガムのCMコピー。 なんと、あたしを推薦したのが、音楽担当の沢田桂吾だったのだ。 打合せ中に入ってきた桂吾は、完成された商品のCMの映像を見て言った。 「君は、まだ、キスの経験がないだろ」 そのCMの映像は、美しい男と女のラブシーンだった。 × × × 3日後、ひとことのコピーも、出てこない。 やはり……キスの経験もなしに、あのコピーは書けないのだろうか。 あたしは、思い切って達夫に会いに行った。 仕事として……気持ちを打ち明けるいいチャンスなのかもしれない。 けど……魚屋とはいえ、デリカシーのわからない達夫は、キスの瞬間、魚臭い体であた しに迫ってきた。 無理やり肩を引き寄せてきた達夫を、あたしは思わず投げ飛ばしてしまった。 × × × 翌日の夜、あたしは、桂吾に誘われて横浜の<港の見える丘公園>に居た。 桂吾とのデートは、ユーミンの曲に出てくる主人公のような気分にさせてくれた。 夜風と横浜港の灯が、ロマンチックに演出し、あたしの胸は緊張している。 桂吾の唇が近づいてきた……その瞬間、あたしは、思わずうつむいてしまった。 でも、桂吾は分かってくれたらしく、あたしの頬に短くキス。 「じゃ、コピー頑張って」と、素敵な笑顔を見せて微笑んだ。 × × × その帰り道。行き着けの『珍来軒』でラーメンとギョーザを食べた。 店を出ると、雨が降り出していた。 ズブ濡れになって歩く。 『ホームラン軒』の前まで着た時、私を待っていてくれた達夫を見つけた。 達夫は、あたしと桂吾のデートが気になっていたらしい。 気がつくと、あたしは、達夫の胸に寄りかかっていた。 達夫の唇が近づいてくる。 “あっダメ……あたしギョウザを食べたばかりだから……” あたしは、咄嗟に、さっき『珍来軒』でもらったグリーン・ガムに気づいて噛んだ。 その時、ピッピッ……と頭の中で注意信号。 コピーが浮かび上がってきた。 × × × 翌日・午後3時。 あたしと鈴木C・DはCMプロダクションに入って行く。 テレビの画面に美しいキス・シーンが映し出された。 ディレクターは、鋭い目つきで3秒。コピーを読む。 《ギョーザを食べたあとの私でした。でも、このとおり……》 「傑作だ」とひとこと。そして……。 《ファースト・キスまで、あと5分の人に、デオドラント・ガム<ミントール>》 と、書きたした。 × × × 1学期の終業式が終わり、あたしは、友達3人と伊豆に遊びにきている。 民宿のテレビで、あたしは初めてあのCMを見た。 美しすぎる程のキス・シーン。 そして、バックに流れる桂吾のラブ・ソング。 あたしの恋心は、達夫と桂吾の間で揺れている。 『恋は方程式じゃないんだ。そんなに簡単に答えが出るわけがないよ、パセリ』 あたしは、胸のノートに書く。 海岸を吹く風と一緒に、あたしの真夏が、はじまろうとしていた。 つ づ く
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