230 第四部 再度の試み 第十九章 司祭としてのマリア信心 この章では、信者たちが女性も司祭に叙階され得ることを心の 奥底で知っていることを示すために、潜在的カトリック伝統の研 究を提示する。教皇、神学者、信者たちの中にあるマリアへの愛 は、彼女が『模範的司祭』であるとの確信が世紀を通して存在し たことを物語る。今、何世紀もの間の誤解と行き過ぎが他の宗派 のキリスト信者を傷つけてきたことを理解した上で、私たちはマ リア信心についてより慎重にならなければならない。 ここで私の意図をはっきりさせたい。私は司祭マリアへの信心 がいかに素晴らしい由来があろうとも、それに戻ることを提唱し ているのではない。私は単に、マリアが「他の叙階された男と同 じように司祭であった」という確信に対する自発的な証しとして、 その意義を指摘しているに過ぎない。女性であるという理由で司 祭職が現在拒否されているが、マリアが司祭であるなら、どんな 女性も司祭になれるはずである。これは英国における黒人奴隷に 関わる有名な裁判を思い起こさせる。 1767 年、奴 隷 廃 止 運 動 の 草 分 け で あ っ た グ ラ ン ヴ ィ ル・ シャープ(Granville Sharp)は、法廷で英国においてはいかなる人 間も奴隷とされてはならないと主張して、ジョナサン・ストロン グ(Jonathan Strong)という名の奴隷を自由にしようとした。しか し、彼の主人は裁判で勝ち、黒人奴隷は完全な人間でないとの結 第十九章 司祭としてのマリア信心 231 論が出た。したがって、奴隷は英国においても主人の所有物だっ たのである。シャープは諦めなかった。1772 年に彼はリバプー ルでジェームス・ソマセット(James Somersett)と呼ばれる黒人 を自由にするための裁判を起した。シャープは、ジェームスにつ いて科学的調査を行い、彼は他の人と同じように人間であると宣 言した科学者の専門的な証言を得ただけで、初めて訴訟に勝利し た。裁判所はそこで、奴隷は黒人であっても、男女ともに英国領 内に入国するやいなや自由を獲得することを裁決した。なぜなら、 一人の黒人に適用されることはすべての人に適用されるからであ る。聖母の場合も同じことである。彼女はあらゆる特権にもかか わらず、一人の女性であったし、女性としてとどまったのである。 マリアが司祭であることへの信仰 マリアの無原罪の御宿りは、彼女が司祭であることを根拠にし て正当化され、1854 年には大急ぎで教義化されたのだが、この ことを私たちはほとんど忘れてしまった。伝統は度々ヘブライ人 への手紙 7:26 を彼女に適用した。 「このように聖であり、罪なく、 汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている 大祭司こそわたしたちにとって必要な方なのです」 。ベネディク ト会の修道院長、ジャック・バイロート(Jacques Biroat)は 1666 年に次のように書いた。「このヘブライ人へ手紙の箇所について のパウロの論議は、キリストの母について言われることである。 彼女は息子の司祭職をともにし、神と私たちとの和解の源となっ た。したがって、彼女は完全に罪の汚れがなく、罪人とは区別さ れなければならなかった。彼女は原罪から守られるべきであっ 232 第四部 再度の試み た」 。マリアはしみのない司祭でなければならなかった故に、汚 れなく宿られたのである。 マリアはイエス・キリスト以外の他の誰よりもカトリック信者 の創造力を捉え、何世代にもわたり彼女の中に聖人らしさと愛の 最高の反映を見てきたのである。カトリック信者はマリアがイエ スの母である故に彼女を好んだ。また、彼の第一の『司祭』とし て、救われた者の中で最も親密な仲間として尊敬した。 オランダの教会で司牧に携わっている女性のお蔭で、私は祭服 とストラを身につけたマリアを描いた 6 世紀のモザイクに注目す るようになった。彼女はマリアのエリザベト訪問をテーマとして 調査しているうちに、偶然このモザイクを見つけたのである。彼 女は夏休みを夫とともにそのモザイクの調査に行くことを計画し た。彼らはクロアチアのパレンソにある教区の古い教会を訪ねた。 祭壇の後ろのモザイクは、身ごもったエリザベトを祝福している 司祭の服を着けたマリアを描いたものだった。後に本書の中で明 らかにした理由故に、今日のほとんどのカトリック信者と同様、 彼女はマリアと司祭職との関係に気づいていなかった。パリの有 名なサンスルピス神学校の創立者であるジーン・ジャック・オリ エル(1608 〜 1657)なら異なる仕方で話したかもしれない。 聖母の挨拶は、エリザベトの胎に宿る聖ヨハネを聖化し、聖 霊の充全な賜物を与える洗礼の秘跡的なことばとしての効果 を持っていた……。このようにして聖母は教会における司教 として、大祭司ザカリアの息子に彼女の力を与えて、彼に聖 1) 霊をしるして、彼を聖なるものにしたのである。 第十九章 司祭としてのマリア信心 233 すべてのキリスト信者はキリストの祭司職に参与するが、マリ アのものと考えられる司祭の役割は、信者の普通の祭司職をはる かに超えるものだった。イエズス会士、サラサールのフェルディ ナンド・チリノ(Ferdinando Chrino de Salazar, 1575 〜 1646)は何世 紀も経ってから、伝統の反響を次のように書いた。 『油注がれた者』であるキリストは自分の塗油の豊かさをマ リアに注ぎ、彼女を聖なる者、永遠の司祭にした。マリアは 誰よりもはるかに優って司祭職に挙げられたのである。聖な る秘義をキリストとともに、彼が行う同じ神秘的な方法で行 う司祭たちと一致して、彼女は常にあのカルヴァリオで生け 2) 贄を捧げたように、彼と一体となってミサを捧げるのである。 伝統は燔祭を捧げる司祭としてマリアに焦点を当てる。この信 仰は初代教会に始まったもので、私が強調したい点である。これ はローマがすべての女性にダメだと宣言する司祭職のことなので ある。 聖職からマリアも排除されるのだろうか 花むこと花よめ論議の中で、ローマは最近マリアが母として、 3) 処女として、女性の真の召命の模範であると見なすようになった。 マリアを母であり、教会の模範とした古いテーマの継続である。 教会は二つの次元、すなわち、マリアのそれと使徒ペトロのそれ 4) について話し始めたのである。 使徒ペトロの次元として、聖職位階組織の中に位置づけ、司教、 第四部 234 再度の試み 司祭、助祭たちが花むこであるキリストを代表する。その機能は キリストが男であったから男性によってのみ達成され得るとする。 ローマはこれを聖職と呼ぶが、司祭的レベルで教会の中で実権を 握るのである。それは教えること、統治すること、ローマにとり 最も大切なミサ聖祭のような聖なる典礼を行うことである。マリ アの次元は愛の応答にある。すなわち、自分の体を生きた燔祭と して捧げること、キリストの証をたて、善良な信者の生活を生き ることなどである。『命を与える』母性と『独身の自己贈与』で ある処女性という二重の召命である。それは花よめとしての教会 の役割を意味し、一言でいうなら、これが聖性への招きなのだ。 男性がマリアとペトロの両次元に参加できるのに対し、女性は マリアのそれにしか与れない。ローマによれば、マリアの次元の 方がペトロのそれより高く、より崇高なので、女性たちは悲しん ではならないのである。 教会のマリアの次元はペトロのそれに先行する。すなわち、 そこから区別されることもなく、また、補足的であるのでも ない。汚れなきマリアは明らかにペテロ、その他の使徒たち をはじめとして、すべての人に優先する。これは、罪の重荷 を背負う人間から生まれたペトロと使徒たちが『罪人の中か ら聖なる』教会を形作るからというだけではなく、彼らの教 え、統治し、聖化する三重の働きは、既にマリアの中に設定 され、彼女の中で既に示された聖性の理想に沿って教会を形 作る以外のいかなる目的も持たないからなのである。現代の 一人の神学者、H.U. バルタザール(Balthasar)はいみじくも 次のように言った。マリアは「使徒たちの女王でありながら、 第十九章 司祭としてのマリア信心 235 いかなる使徒的権限をも主張しない。すなわち彼女は他のよ 5) り偉大な権能を有している」(Neue Klarstellungen)。 構図ははっきりしている。二つのキーワードは聖性と権能であ る。女性は例えば、叙階のような使徒的権能を暗黙のうちにも主 張すべきではない。なぜなら彼女たちの聖性への召命はより崇高 な身分に関するものだからである。したがって「司祭職を望む女 性たちは『より低い部分』を選び、彼女たちがより偉大であるこ とを否定すべきだと言われる。過去において、女性はその『より 劣等な地位』の理由で司祭的奉仕職から締め出されていた。現在 は『崇高な身分』が彼女たちに与えられていると考えられ、結果 6) としては同じく叙階されることがない」のである。 この点に関して多くを語ることができる。女性に対するローマ の父権的態度は、私の知人の義母のことを思い出させる。彼女は 結婚した娘の家族と長い間一緒に暮らしていた。ある日彼女が家 族の車を運転したいと言い出した時、娘の夫である私の知人はど うやって彼女に思いとどまらせるのか困り、途方に暮れた。つい に彼は次のようなことを思いついた。偉い人たちは今では自分で 運転しないで『運転手』に運転させるようになったので、自動車 を運転するのは彼女の品位を落とすことになると告げた。そこで 彼女が納得したとは思わないが、こんな風に、女性は男性よりも、 曖昧な話で誤魔化されてしまう。 マリアは比喩的に家庭内に追いやられている。マリアが最後 の晩餐にいたことすら推測されもしない。十字架の下で、復 活の時、聖霊降臨の時に彼女が担った役割は私的なもので、 第四部 236 再度の試み いつも男性使徒がとる公の役割に対して二流なのだ。このよ うに、いいようにされてしまったマリアを女性の模範にして 崇めることは、実際には現実の女性の価値を低めることであ る……。それは従順で受動的であること、従属などを、善良 な女性の宗教的価値観として推奨するのである。この価値観 は、使徒たちにイエスの復活を知らせた女性たちがまさしく 7) 捨て去った価値観に他ならない。 私はここで教皇が抱くマリアのシンボリズムのすべての側面を 8) 調べるつもりはない。私は見えなくされている伝統を探す中で、 司祭マリアへの古い信心においては、現在女性に対して禁じられ ている、すべての司祭的、使徒的、ペトロ的役割がマリアに帰さ れていることを指摘することに止めたい。マリアが女性であった にもかかわらず、真の司祭的権能が彼女には与えられていた。 マリアは犠牲を捧げた祭司であった 教父たちは、マリアのエリザベトとの関係が示すように、彼女 は祭司の家系に属していたと指摘した。聖メソディウス(Methodius)が言うように、彼女は『永遠の祭司職の保証として芽を出 したアロンの杖』であった。伝説によれば、マリアは大祭司だけ が 1 年に 1 回入ることができた神殿の至聖所で幼児期を過ごした。 「一介の女性が男性すら近づけない場所である至聖所の奥に入る ことができたなどと、誰が見たり聞いたりしたことがあるだろ う」(コンスタンチノープルの聖ゲルマヌス , Germanus)。教父たちは マリアの祭司的尊厳を暗示して、彼女を『聖所』 『契約の櫃』 『金 第十九章 司祭としてのマリア信心 237 の香炉』 『香壇』などと好んで呼んだ。 「めでたし、若いおとめよ、 犠牲を捧げる祭司、死すべき人間に慈悲深い方、彼女によって東 から西まで神の名が国々で賛えられ、どこにあってもマラキアが 言うように彼の御名に香を焚く」(ストゥディテのテオドルス , 9) 。 Theodore the Studiter) マリアの司祭職は中世期にはもっと詳細にわたって論じられた。 出発点は、マリアが犠牲的働きを行っていると思われる聖書の箇 所だった。例えば、神殿での奉献の時、マリアはクレルボの聖ベ ルナルド(Bernard of Clairvaux, 1090 〜 1153)が言うように、「神の み旨にかなう犠牲として私たちの和解のためにイエスを捧げる、 叙階されたおとめ」として働いた。カサールのウベルティノ (Ubertino of Casale, 1259 〜 1330)は他に誰も祭司はいなかったとつ け加えた。彼女のみがイエスを捧げることができた。そして、彼 女はイエス自身の次にすべての祭司の中で最も偉大であった。こ れは一般的なテーマになった。 聖なるおとめが祭壇に着くとセラフィムよりも聖霊によって 燃え立ち、彼女は跪き、御子を抱き、彼を贈り物、神によみ せられる犠牲として捧げた。「全能の父よ、全世界のために 捧げるこの供え物を受け入れてください。あなたのはしため の手から再び、後に夕べの犠牲として十字架の両腕から捧げ 10) られるこの聖なる朝の犠牲を受け入れてください 」と祈り ながら。 多くの神学者たちはマリアが十字架の下で、犠牲を捧げる祭司 の姿で立っていたことについて言及した。例えば、教会博士であ 第四部 238 再度の試み るフィレンツェのアントニウス(Antonius of Florence, 1389 〜 1459) もその一人である。 マリアは『金糸の晴れ着を着て、神の右手に立つ元后』であ る(詩篇 45:14)。彼女は正当な女性司祭である。なぜなら彼 女は自分の息子を惜しむことなく、十字架の下に立ち、アン ブロジウスが言うように、ただ苦しみと彼女の息子の死を証 するためではなく、人類の救いを実現するために、神の御子 11) を全世界の救いのために捧げ尽くしたのである 。 ファベル神父(F. W. Faber)が 1857 年に言ったように、「マリア はイエスの受肉の教役者なのである。ミサの犠牲が捧げられてい る間、司祭が祭壇を去らないように、彼女はカルバリオから下り 12) てくる権利を持ってはいなかった 」 。 マリアが女性であったことは問題ではなかったのか 今まで見てきたように、中世の神学者と同様に、ラテン教会の 人たちの考えを支配したローマ文化の中で、女性が祭司職に含ま れるリーダーシップの役割を与えられることは考えられないこと であった。女性は知的にも情緒的にも男性に劣ると考えられてい た。 『不完全な人間』として女性はいかなる公的任務に就くこと もならなかった。したがって、女性は聖なる権限を行使し、男と して完全な人間であったキリストを代表することなどの資格はな いと見なされていた。毎月のメンスのため、女性は『儀式上危 険』な存在で、不浄のため聖所に近づくことはできなかった。さ 第十九章 司祭としてのマリア信心 239 らに、神学的正当化がつけ加えられた。すなわち、キリストは使 徒団に女性を選ばなかったし、神は女性を原罪の罰として男に従 属させ、パウロは女性に教えることを禁止した等など、どのよう にこれをマリアに適用したのだろうか。 最初の 10 世紀間、緊張感はあったものの、マリアの司祭とし ての身分に関する伝統は、女性に対する司祭職のあからさまな禁 止に直面することなく発展した。4 世紀にサラミスのエピファニ ウス(Epiphanius of Salamis)は、もしマリアが祭司であったなら、 イエスは洗者ヨハネではなく、彼女から洗礼を受けたであろうと 指摘した。それはマリアの司祭としての尊厳を賞賛する伝統を止 めはしなかった。しかし、法律を重んじる中世の学者たちはこの 矛盾に正面から取り組んだ 古典的な解釈を編み出したのは教会博士の大聖アルベルト (Albert the Great, 1200 〜 1280)であった。彼によるとマリアは聖な る叙階の秘跡的霊印を受けていないが、秘跡の実質を豊かに持っ ている。どのような位階制度の中でも、上長はすべての権限と配 下の尊厳を手中に握っている。マリアは教会の中で最高レベルに あるので、司祭、司教、教皇が持っているいかなる権威をも有し ている。 最も祝福されたおとめは『聖なる』叙階の秘跡を受けなかっ たが、すべての権限を持っており、それによって恵みが与え られる。聖なる叙階を通して七つの恵みを与えられるが、彼 女はあらゆる点で恵みに満ち溢れていた。 - 叙階の秘跡には霊的力、聖職の威厳と行政権がある。し かし、 マリアは自分の中にこれら三つの『権能』をすべ 第四部 240 再度の試み て同じように持っていた。教会の教役者たちは彼らの『秘 跡的』霊印を通して有利な地位を所有するが、マリアは闘 う教会と同じく、勝利の王国の冠を持っている。最高の聖 職者は教皇と呼ばれ、神の僕の僕であるが、マリアは天使 たちの元后であり、女王である。教皇は神の僕の僕である が、彼女は全世界の皇后なのである。 - また、教役者には神からの霊的及び世俗的権限がある。 代理または身代わりであるが、彼女には神の権威による天 的権能が永遠に満ち溢れている。 - 教役者には鍵を使って繋ぎ、また、赦す権限があるが、 彼女には天国の統治を通して繋ぎ、赦すことにより支配す る正統な権限がある。 祝福されたマリアが『聖なる』叙階に付随するいかなる恵 13) みと権威にもこと欠くことがないのは明白なことである 。 大聖アルベルトは、これが単に性差に基づいて女性を叙階から 排除するような結果をもたらすことに気づいていなかったのだろ うか。多分、気づいていたと私は思う。彼が注意深く基準となる 反対リストを作ったのは重大なことである。しかし他のすべての 疑問に関する実践から逸脱し、これらに関する自分自身の判断の 表明を省いたのである。彼はその時代の文化的、神学的偏見に捕 らわれていたが、マリアにおいて女性に対する禁止が決定的に破 られたことを理解しただろうか。 他の神学者たちはいくつかの方法で聖アルベルトの考えに従っ た。 第十九章 司祭としてのマリア信心 241 - 一般の司祭においては秘跡的な霊印は外面的であるが、マリ 14) アには本来備わっていた 。 15) - 受胎の瞬間に彼女を聖別したのは聖霊であった 。 - マリアは、イエスが受けた祭司としての聖化に参与した。つ 16) まり、彼女は最高に『油注がれた者』なのである 。 - ちょうど、イエスは永遠の大祭司であるのに、正式には叙階 されなかったように、マリアも秘跡としての叙階を受けずに彼 17) の後を継いだ最高の祭司なのである 。 司祭マリアへの信心は時には必ず明白に宣言されるよう努力が 払われた。「マリアにあっては、彼女が女性であることによる妨 げは聖人の権威によって、聖書の例や理性の力によって克服され 18) た」 。ここで隠れた伝統の声がするのではないだろうか。すなわ ちそれは、偏見に取り囲まれているにもかかわらず、マリアが司 祭である以上、性差の故に女性に対して司祭職を拒否することは できないというキリスト教信仰の中心にある気づきである。 なぜこれに終止符が打たれてしまったのか マリアの司祭職に関する議論は 20 世紀の初頭に急に立ち消え になった。1903 年、レオ十三世はまだ祭服を身につけたマリア を描くことを認可していたが、1913 年、検邪聖省はそのような 19) 絵を禁じた 。1907 年、ピオ十世は「処女である司祭マリアよ、 20) 私たちのために祈ってください 」という祈りに 300 日の贖宥まで 与えたが、1926 年、検邪聖省は「司祭マリアへの信心は認めら 第四部 242 再度の試み 21) れないので、推進してはならない 」と宣言した。ちょうどその 頃、女性の叙階運動が他のキリスト教宗派の中に起こったのは偶 然のことなのだろうか。 * 訳者注:priest, priesthood の日本語訳はユダヤ教の文脈の中で使われ る時に「祭司」、「祭司職」、また洗礼によって信者は共通「祭司職」に あずかる時に用いるが、その他の場合は「司祭」、「司祭職」を使う。
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