目 次 ★ 第 26 回海外都市行政視察調査団団員名簿 ……………………………………………………… 2 ★ 団長挨拶 ☆「第 26 回海外都市行政視察に参加して」 赤平市長 親松 貞義 … … 3 ★ 視察コース ………………………………………………………………………………………………… 7 ★ 行動日程表 ………………………………………………………………………………………………… 8 ★ 「Hokkaido」:視察調査団員市の地図……………………………………………………… 14 ★ 公式訪問地視察記録 ▽アムステルフェーン市(オランダ) ………………………………………………………………… 16 ▽フォルサ市(フィンランド) ………………………………………………………………………… 22 ▽ウプサラ市(スウェーデン) ………………………………………………………………………… 28 ▽ザンクトガレン市(スイス) ………………………………………………………………………… 34 ▽ザンクトガレン市日刊新聞報道記事 ……………………………………………………………… 40 ★ 団員見聞録 ☆「北欧・ヨーロッパ4カ国紀行」 副団長 深川市収入役 今井 敏雄 … … 42 ☆「秋のヨーロッパ4カ国を訪ねて」 函館市市民部長 吉田 明彦 … … 48 ☆「オランダ、フィンランド、スウェーデン、スイス見聞録」 富良野市建設水道部長 小野寺 一利 … … 50 ☆「ヨーロッパ4カ国を訪ねて」 ☆「ヨーロッパとの出逢い」 ★ あとがき 北見市企業局次長 綱川 忠晴 … … 53 紋別市総務部渚滑出張所長 松本 正之 … … 55 北海道市長会事務局参事 居上 英二 … … 57 (表 紙) (表)ウプサラ市の象徴、ウプサラ大聖堂は北欧最大の教会で1 6世紀にス ウェーデンを独立させたグスタフ・ヴァーサ王と王妃の石棺が眠っている。 (裏)スイスアルプス・ユングフラウヨッホからアイガー方向の大氷河。 2 団 長 Leader of the Mission 親 松 貞 義 Sadayoshi OYAMATSU 赤平市長 Mayor,Akabira City. 副団長 Assistant Leader 今 井 敏 雄 Toshio IMAI 深川市収入役 Treasurer,Fukagawa City. 吉 田 明 彦 Akihiko YOSHIDA 函館市市民部長 Director,Citizen Affairs Dept. Hakodate City. 小野寺 一 利 Kazutoshi ONODERA 富良野市建設水道部長 Department Manager, Department of Construction and Waterworks Furano City. 綱 川 忠 晴 Tadaharu TSUNAKAWA 北見市企業局次長 Deputy Director, General Water and Gas Services Kitami City. 松 本 正 之 Masayuki MATSUMOTO 紋別市渚滑出張所長 Manager,Shokotsu Office Mombetsu City. 居 上 英 二 Eiji IKAMI 北海道市長会事務局参事 Assistant Director, Hokkaido Association of City Mayors. 佐 野 賢 一 Kenichi SANO 日通旅行添乗員 Tour Escort, Nippon Express Co.,Ltd. Sapporo Travel Branch. 団長挨拶 第 26 回 海 外 都 市 行 政 視 察 に 参 加 し て 赤平市長 親松 貞義 ○はじめに は、調査団の報告に記述されておりますので、 このたび、北海道市長会の海外都市行政視 私からは各国で受けた印象、その一端につい 察に参加の機会を得た。調査団の皆さんのご て触れることといたします。 協力で、当初の目的がおおむね達成出来まし たことに感謝しております。 環境問題をはじめ、少子高齢化や福祉、更 には地域経済を支える産業や観光などについ てがテーマでありましたが、先進国ヨーロッ パにおける実情については、大いに関心があ るところであり、出来るだけ多くのことを学 び吸収し、その成果を持ち帰りたいとの思い で出発しました。 視察最終日の昼食:チューリッヒのレストランにて ● 総体的な印象でありますが、各国に共通 しているのが、当然のことながら歴史の重み ●オランダ(アムステルフェーン市) であり、その中での価値観の違いのようなも のが感じられました。 ● 最初の訪問国オランダは、水と緑、そし 私達は、一般的にテレビや写真などを通じ、 て風車とチューリップの美しい国との思いで ヨーロッパの風景や建物の情景を知り想像を 訪れました。 しておりますが、それぞれの国に降り立ち身 季節的なこともあって、花はあまり見られ 近に接し、改めて言葉や文字で表すことの出 ませんでした。風車も場所によって違うと思 来ない重圧のようなものさえ感じられました。 いますが、今では観光面などの想いで保存さ れているようです。 ● 各国の現状や実施されている政策など、 運河は有名ですが、歴史的建造物と共に独 更に考え方の基本にあるものは、これら長い 特の景観をかもし出しており、これだけで観 歴史の中から生まれ、また、何度も手を加え 光地と云えると思います。 られ、今日に至っているように受け止めてき 建物の改築などでは、その都度許可が必要 ました。従って、わが国との比較においても、 であり、外壁等は常に原型が保たれるよう規 これらのことを念頭に置く必要があるものと 制を受けていることは、当然のように思えま 思います。 した。 ● 以下、各テーマや、各国の実情について ● 今日、高齢者問題が、共通の課題となっ (団長挨拶) 3 ておりますが、私共が訪れた高齢者施設は、 られました。 理想に近い施設の内容と運営がされておりま オランダでは、住宅公団などが大きな役割 した。 を果たしており、わが国に置き換えた場合、 日本では一般的に、特別養護老人ホーム、 国、地方自治体そして民間による総合的な取 軽費老人ホームとなっておりますが、当施設 り組みが求められて来ているように思います。 は日常的に自立が出来る比較的元気な高齢者 が入所されており、それぞれが個室での生活 を楽しんでおり、相互のプライバシーも保た れております。 ●フィンランド (フォルサ市、ヨキオイネン市) ● 北極圏そして森と湖で知られる、ヘルシ ンキに到着しました。 ● 道内でも私のマチを含めて、シルバーハ ロシア支配の影響を受けて来たことを示す ウジングが建設されておりますが、これは公 当時の街並みが感じられ、寺院、教会など一 営住宅を集合したものであり、管理人は配置 つひとつが、その歴史を示しているように思 されてはいるものの、ケア付とはなっていな われました。 いところが多く、大変感心させられました。 この国における女性の社会的進出はめざま 当施設では、各種の文化活動、交流の場が しく、一方、離婚率も高くなってきていると 設けられており、ボランティア等多くの方々 のことですが、社会的保障もあり全体的に明 にも支えられております。又、何より周辺に るく、開放的な感じを受けました。 は、スーパーをはじめ、日常生活に必要な各 商店が一体的に配置されており、その計画的 ● フォルサ市では、市長から街の概況につ な取り組みには改めて感服いたしました。 いて説明を受けましたが、現在は、IT産業 を含めて工業化が進んでいるとの印象を受け ました。特に、各企業が求める人材の育成に 力を入れており、専門学校では、技術の向上 を目指した研修の充実には、国が大きなバッ クアップをしているとのことです。企業の海 外進出が進むとともに、優秀な技術も移転し つつあるなか、技術国日本の更なる向上と、 アムステルフェーン市の高齢者住宅にて ● わが国では、補助制度の影響も受け、個 別の事業展開となっておりますが、長期的視 点に立ち、又、高齢者の生活と自立性を促す ため、エリア全体を総合的に考え直すことは、 一層重要になっているものと自らも反省させ 4 (団長挨拶) フォルサ市の高等技術専門学校にて 人材の育成のためには日本政府の抜本策を求 ● 日本では、ダイオキシン対策など、全国 めたいものです。 的に大きな課題となっておりますが、国民全 体の意識改革も含めて一層の取り組みが求め ● 次いで、農業関係の事情調査のため、農 られていると思います。又、ヨーロッパでも 業試験所を訪れ説明を受けましたが、後継者 国により違いはあると思いますが、日本より 難、市場開放の影響を受ける中で、農業問題 は、缶やタバコのポイ捨ては少ないように感 については、日本と同様な状況に立たされて じられました。 いるとのことでありました。 早期に法律での規制をすると共に、クリー このような中で、現在は技術の開発、新た ンな日本国を目指す努力を共にし合いたいも な食品加工など付加価値をつけるための努力 のと思いますが、どうでしょうか。 が続けられています。 ウプサラ市のゴミ焼却・発電プラントにて ヨキオイネン市の農業試験所にて ●スイス(ザンクトガレン市) ●スウェーデン(ウプサラ市) ● 市長から市の概況について、説明を受け ● ウプサラ市における環境問題の取り組み るため市役所を訪問した。 については、調査団の報告書で詳しく述べら 市役所は、駅と民間の会社と同じ建物の中 れておりますが、国全体での環境全般への対 にあり、相互に有効活用が図られているとの 応策については、わが国とは大きな格差があ 感じを受けた。 るように感じられました。 スイスは、一般的に観光国であり、又、農 業や酪農が盛んな国と理解されていると思い ● スウェーデンでは、過去 20 年間で二酸化 ますが、農業については、年々生産のコスト 炭素の排出量削減と、再生燃料の使用等で目 が高くなり、自給率も低下しているとの説明 覚しい改善と成果を挙げて来たとのことであ がありました。 ります。又、電気と熱の同時供給についての 法律で、ごみの高熱焼却施設については、す ● ザンクトガレン市は、中小企業が多く、 べてエネルギーとして供給されているとの説 各業種を通じた経済交流が盛んに行われてお 明がありました。 り、行政的にもこれらに力を入れているとの (団長挨拶) 5 話であった。 おわりに この街では、観光面に特段の力を入れてい ることはないとの説明であったが、しかし、 ● このたびの調査で、一同多くのことを学 近郊から訪れる人々の数は、相当数になると ばさせていただきました。心から感謝を申し のことであります。 上げます。 いま日本は、長引く経済の低迷、更に、分 ● 街の中心部にある文化遺産や、歴史的な 権、改革の中で、各都市における各種施策も 図書館、展示会などの各イベント、更に、各 大きな変革期を迎えております。 種の学会やコンサートなどが、多角的に取り ヨーロッパ各国には及びませんが、このよ 組まれており、それぞれが相乗効果を発揮し うな時にこそ、各国の歴史や価値観などに多 ているように思われます。 くのことを学ぶとともに、20 年、30 年、50 年 日本の観光についても、もっとその地域の 先のわが国各都市における中長期的な各種施 文化や歴史、更に、その土地や人々とのふれ 策を構築することが重要であるように思えて 合いなどが取り入れられたら、よりすばらし なりません。 いものになるのではなかろうか。一考を要す 共に頑張ろうではありませんか。 るのでは。 ● 調査団今井副団長をはじめ団員の皆さん、 ● この日は終日、地元のテレビ、ラジオ、 北海道市長会事務局、添乗員の皆さんに心か 新聞等のいわゆる密着取材を受け、随所でコ らお礼申し上げ報告といたします。 メントを求められました。 熱心な取材に驚かされましたが、北に位置 するこの地と、私達の住む北海道が今後とも 多くの交流が図られ、相互の発展に大きく寄 与されることを願っている次第であります。 ザンクトガレン市での地元報道関係者の取材状況 6 (団長挨拶) 全員元気で帰国、羽田空港にて ▲ 千歳発 → (成田経由) → アムステルダム → アムステルフェーン 10 / 12 10 / 13 10 / 14 → ヘルシンキ → フォルサ → ストックホルム → ウプサラ 10 / 15 10 / 16 10 / 17 10 / 18 → (チューリッヒ・ルツェルン経由)グリンデルワルド → ユングフラウヨッホ 10 / 19 10 / 20 → ザンクトガレン → (チューリッヒ経由) → (成田経由)→ 新千歳着 10 / 20 10 / 22 10 / 23 (視察コース) 7 行 動 日 程 表 (敬称 略) 日次 月 日 平成 14 年 10 月 12 日 (土) ∼晴∼ 現地時間 発着地・滞在地 7:00 団 員 集 7:50 千 歳 9:20 羽 田 12:40 成 田 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 合 ・新千歳空港1階 JAL カウンター前集合 結団式 発 J A L 5 0 0 を行う 着 リムジンバス 発 J A L 4 1 1 ・直行便にてオランダ・アムステルダムへ 1 17:10 アムステルダム着 専 用 バ ス ・スキポール国際空港到着 (所要時間11時間30分) (入国手続・両替など) (到着時ガイド∼ドロータ(女性) ) 18:20 ホ テ ル 到 着 ★ アムステルダム ビクトリア ホテル 泊 10 月 13 日 (日) ∼曇∼ 2 9:00 ホ テ ル 出 発 専 用 バ ス ○アムステルダム市内公共施設等視察 ・アンネ フランクの隠れ家 ・アムステルダムの国立博物館 ・国立ゴッホ美術館 ・王宮など (ガイド∼恩姫(ウニー)(女性)) 17:00 ホ テ ル 到 着 ★ アムステルダム ビクトリア ホテル 泊 10 月 14 日 9:30 ホ テ ル 出 (月) 10:00 ア ム ス テ フ ェ ー ン ∼雨∼ 庁 舎 到 3 11:30 発 専 用 バ ス ■ アムステルフェーン市視察調査 ル ①アムステルフェーン市長表敬 市 (市長は公務のため不在) 着 ※アムステルフェーン市概要説明 ・歴 史 ・市政運営 ・スキポール国際空港と市経済との関係 ・高齢者住宅など 【説明者】 ・ゲラルド レム(前広報課長) ・クラッセン(女性:広報担当) ②介護器具の販売会社 ベーンハッカー㈱視察 ※介護器具利用と行政との関係の概要説明 【説明者】 ・マルコ デュート(責任者) 12:30 8 (行動日程表) ③高齢者住宅ディグナホフ視察 ※高齢者住宅の概要説明 日次 月 日 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 続き 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 【説明者】 ・メイウ(女性)(管理責任者) (通訳∼ヤマダ)(女性) ★ アムステルダム 16:00 ホ テ ル 到 着 ビクトリア ホテル 泊 10 月 15 日 (火) ∼雨∼ 6:30 ホ テ ル 出 発 専 用 バ ス 9:10 アムステルダム発 KLM1167 ・空路ヘルシンキへ (オランダからフィンランドへ) 12:35 ヘ ル シ ン キ 着 ・バンター国際空港到着(所要時間2時間 25 分) (入国手続・両替など) 13:10 4 専 用 バ ス ○ヘルシンキ市内公共施設等視察 ・青空市場 ・ウスペンスキー寺院 ・元老院広場 ・大聖堂 ・テンペリアウキオ教会 ・シベリウス公園 (通訳∼宮澤 豊宏) 17:00 ホ テ ル 到 着 ★ ヘルシンキ ラマダ プレジデンティ ホテル 泊 10 月 16 日 8:30 ホ テ ル 出 発 専 用 バ ス (水) 10:00 フ ォ ル サ 市 庁 舎 到 着 ∼小雪∼ ■フォルサ市視察調査 ①フォルサ市長表敬 ※フォルサ市概要説明 ・歴 史 ・産業構造 ・自治制度及び行政組織 ・産業クラスターなど 【説明者】 ・タパニ ベンホ 市長 ・ティモ リィンデバル(議員、フォルサ地 区開発センターマネジングディレクター) 5 11:15 ②国立高等職業専門学校視察 ※国立高等職業専門学校の概要説明 【説明者】 ・ヤルノ トゥイマラ(専門学校) ・ティモ リィンデバル(議員、フォルサ地 区開発センターマネジングディレクター) 12:00 (ティモ リィンデバル氏を囲み昼食) (行動日程表) 9 日次 月 日 続き 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 13:20 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 ③ヨキオイネン市のアグロポリス㈱の概要説明 ※産業クラスターの概要説明 【説明者】 ・マッテイ フッリ(アグロポリス㈱社長) ・ティモ リィンデバル(議員、フォルサ地 区開発センターマネジングディレクター) (通訳∼宮澤 豊宏) 14:50 ヨキオイネン市出発 16:20 ヘ ル シ ン キ 到 着 17:30 ヘ ル シ ン キ 出 発 10 月 17 日 (木) ∼曇∼ 6 バイキングラインにて海路ストックホルムへ ガブリエラ号 ★ ガブリエラ号(約4万トン、10階構造) 船中 泊 船 9:30 ストックホルム到着 専用バス ○ストックホルム市内公共施設等視察 ・ストックホルム市庁舎(ノーベル賞授賞の間) ・王宮 ・大聖堂 ・ガムラ スタン旧市街 ・スカンセン野外博物館 ・ヴァーサ号博物館など (通訳∼山下 たず子) 17:00 ホ テ ル 到 着 ★ ストックホルム スカンディック セルゲル プラザホテル泊 10 月 18 日 8:30 ホ テ ル 出 発 専用バス ■ウプサラ市視察調査 (金) 10:00 ウプサラ市庁舎到着 ①ウプサラ市長表敬 ※ウプサラ市概要説明 ∼晴∼ ・歴 史 ・市の特徴 ・環境問題の認識とアジェンダ21の取組 ・コミューン関係ほか 【説明者】 ・ヨーン エリック トゥーン市長 7 ・アグネタ ペッタション(女性) (環境関係コーディネーター) ・カール レナートオーステット (環境健康部長) ・イングブリット ウーベルクホーデン (情報担当) 12:00 10 (行動日程表) (アグネタ ペッタションさんを囲んで昼食) 日次 月 日 続き 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 先 ・ 視 察 地 等 ②バイオガスプラント視察 ※バイオガスプラントの概要説明 ・ルネー ホーブバーク (ウプサラ コミューン技術者) 14:40 ③地域暖房視察 ※地域暖房の概要説明 ・シュハオーケ ファシェンド(バッテル ファル バルメウプサラ社の責任者) (通訳∼山下 たず子) 17:30 ホ テ ル 到 着 ∼小雨 ・晴∼ 問 13:30 16:00 ウ プ サ ラ 出 発 10 月 19 日 (土) 訪 ★ストックホルム スカンディック セルゲルプラザホテル 泊 6:00 ホ テ ル 出 発 専用バス 7:10 ストックホルム発 S K605 ・アーランダ国際空港から空路チューリッヒヘ (スウェーデンからスイスへ) 9:50 チ ュ ー リ ッ ヒ 着 ・クローテン国際空港到着 (所要時間2時間 40 分) (入国手続き・両替など) 8 10:20 チューリッヒ出発 専用バス ・チューリッヒからルツェルンを経由してグリン デルワルドへ (ルツェルン∼昼食、カペル橋、ライオン記念碑) 16:00 ホ テ ル 到 着 10 月 20 日 (日) ∼曇∼ 7:40 ホ テ ル 発 ★ グリンデルワルド アイガーブリック メイン ビルディング ホテル泊 ○スイス・アルプス ユングフラウヨッホ視察 8:20 グリンデルワルド出発 登山電車 ※登山電車で ユングフラウヨッホ山頂駅往復 ・2,865m アイガーヴァント 途中下車 10:55 ユングフラウヨッ ホ 山 頂 駅 到 着 ・3,160m アイスメーア 途中下車 ・3,454m ユングフラウヨッホ山頂駅到着 (強風) ・2,061m クライネ シャイデック駅 昼 食 9 13:30 グリンデルワルド到着 14:20 グリンデルワルド出発 専用バス 17:50 ザンクトガレン市到着 ★ ザンクトガレン アインシュタイン ホテル 泊 (行動日程表) 11 日次 月 日 10 月 21 日 (月) 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 9:30 ホ テ ル 出 発 専用バス ■ザンクトガレン市視察調査 ①ザンクトガレン市観光施設及びコンベンショ ン施設等視察 ※観光施設等概要説明 ・旧市街の保存 ・ザンクトガレン聖堂 ・修道院付属図書館 (世界文化遺産 1983 年指定) ∼曇∼ ・オルマメッセ (見本市:コンベンション施設) 【説明者】 ・カロリン デュットワイラー (観光局ボランティアガイド) ※ザンクトガレン大学の研修センターとコン サートホール概要説明 【説明者】 ・パトリシア ギュヨン (女性)(サンクトガレ ン大学ホルツヴィト生涯学習センター長) ・アストリット ナコスティン(女性) (ザンクトガレンホーデン湖観光局マーケ ティングディクター) 13:00 (観光局アストリット ナコスティンさんを囲 んで昼食) 14:00 ②ザンクトガレン市長表敬 ※ザンクトガレン市概要説明 ・市の特性 ・市の課題と重要施策 ・コンベンションの取組 ・観光行政の取組 【説明者】 ・ハインツ クリスティン市長 ・マンフレット リンク(助役で市長秘書) 16:00 ③ザンクトガレンホーデン湖観光局訪問 【説明者】 ・アストリット ナコスティン(女性) ※終日、当地のメディア(テレビ2,新聞1、ラ ジオ1)が我々調査団を取材(団長・副団長 がインタビューを受ける)し、翌朝のニュー スで報道された。 (通訳∼兼坂 さくら) 17:30 ホ テ ル 到 着 ★ ザンクトガレン アインシュタイン ホテル 泊 10 12 (行動日程表) 日次 11 12 月 日 現地時間 発着地・滞在地 交通機関 訪 問 先 ・ 視 察 地 等 10 月 22 日 10:00 ホ テ ル 出 発 専用バス ○ザンクトガレンからチューリッヒへ (火) 11:00 チューリッヒ到着 ※チューリッヒで文化施設視察 ・チューリッヒ湖 ∼晴∼ ・聖母大聖堂(1350 年代築) ・グロスミュースター教会(1100 年代築) 17:50 チ ュ ー リ ッ ヒ 発 J A L 4 5 2 ・空路帰国の途へ (クローテン国際空港から直行便にて成田へ) 10 月 23 日 12:10 成 田 空 港 着 リムジンバス (水) 14:20 羽 田 空 港 着 ・羽田空港で解団式を行う ∼晴∼ 16:50 羽 田 空 港 発 18:25 新 千 歳 空 港 着 (行動日程表) 13 14 (視察調査団員市の地図) ☆ アムステルフェーン(Amstelveen) オランダ p16 ☆ フォルサ(Forssa) フィンランド p22 ☆ ウプサラ(Uppsala) スウェーデン p28 スイス p34 ☆ ザンクトガレン(ST.Gallen) ☆ ザンクトガレン市日刊新聞報道記事 p40 アムステルフェ−ン市 (オランダ) 函 館 市 吉 田 明 彦 紋 別 市 松 本 正 之 1 0月 14 日(月) 雨 ◆主要研修課題∼高齢者福祉施策につ いて 1.はじめに 防に囲まれ、地下水のレベルが人工的に調節 オランダ(正式にはネ−デルランド王国) 紀から行われており、最近は、風車ではなく 2 されている。オランダの風車は有名であるが、 土地を生み出すための内陸湖の干拓は、16 世 は面積 41,864km 、人口 1,612 万人(2002 年3月) 汲み上げポンプが使われているとのことであ と国土も小さく(九州の約 1.1 倍)、人口も少 る。 (アムステルダム市内で、今は使われてい ない国(但し、人口密度は高い)であるが、 ない巨大な風車を見ることができた。) 経済力は強く、世界第6位の輸出国(農産物 また、オランダは花も有名であるが、4月∼ では第3位)であり国内総生産(GDP)も 5月に咲くチュ−リップ、スイセン、ヒヤシ 世界第 14 位にランクされている。労働人口は ンスが最も美しく、毎年何十万人ものツ−リ 男女合わせて 680 万人で、このうち 64%がサ ストの目を楽しませているとのことである。 −ビス業に従事し、残りが工業、農業、公務 今回の訪問では、季節が違い、残念ながら何 員となっており、失業率は 2.8%(2000 年)で 百万本も咲き乱れるというその美しい光景を ある。 見ることが出来なかったが、チャンスを作っ 日本との関係も非常に深く、歴史を紐とい て、ぜひ一度見たいと思っている。因みにオ て見ると、1600 年オランダ船が九州東海岸の ランダは世界の生花取引の 60%を占めている。 臼杵沿岸に漂着したのがきっかけとなって関 このほかに、オランダはアムステルダム等 係が始まった。1609 年平戸に貿易拠点の設置 歴史的な街並み、世界的に有名な博物館や美 を許可され、その後、日本が鎖国制度をとっ 術館、独特な運河、荘厳な建物などを数多く てからも西欧に対する唯一の窓口となった。 有していることから、毎年、外国から 1,000 万 ほどなく長崎の出島に商館が開設され、それ 人近いツ−リストが訪れているとのことであ からの 200 年間オランダは西欧と日本の貿易 る。その内の3分の1以上はドイツからで、 を一手に担い、これらを通して医学、天文学、 イギリス、アメリカ、カナダ等からも多く訪 物理学、船舶建造、土木工学、化学等広範な れている。近年は日本からのツ−リストも急 知識が日本にもたらされた。これがいわゆる 増しており、現実にあちこちで多くの日本人 「蘭学」として明治維新に日本の近代化を推 に出会った。 進する基礎知識になったのはご案内のとおり オランダ料理はどちらかと言うとシンプル であり、歴史的なつながりの深さから、2000 で、じゃがいもと野菜を多く摂っている。チ 年に日蘭交流 400 周年を記念し、両国において −ズは世界的にも有名であり、朝食時には 様々なイベントが開催された。 色々な種類のチ−ズが出されており、自分は オランダの国土の約半分は、海抜0m以下に チ−ズが苦手なので口にしなかったが訪問団 あり(我々が降り立ったスキポ−ル空港は海 のメンバ−にも人気を博していた。 また、オ 面下 4.5 mの所にある。)、殆どが平坦なボルダ ランダ人の飲み物と言えば昔からビ−ル(ハ −地帯(干拓地)である。このボルダ−は堤 イネッケン)とされているが、ワインも増え 16 (アムステルフェ−ン) ているとのことである。牛乳も酪農国らしく 中には起源が中世にさかのぼる委員会もある 大人気で、オランダ人の平均身長(男子 184㎝、 とのことである。国土の半分以上が海面下の 女子 178㎝)が世界最高である理由もここにあ オランダにとって治水は最も重要な問題であ るかも・・・。 ることを再認識したところである。業務とし てはダム、堤防、水門の建設と維持、水位管 理と排水・給水管理、水質管理を主に行って いる。 3.オランダの高齢者施策 オランダの福祉は誰もが平等に社会生活に 参加できることを原点としている。 (特定のグ ル−プの人々が、社会で隔離されることのな いようにするという思想) アムステルダムの 「国立博物館」 前にて 高齢者、障害者、低所得世帯対策等福祉政 策は大部分が自治体の管轄で、それぞれ地域 2.オランダの自治制度 の実情に即した取り組みを行っている。目標 オランダの行政は国、州、自治体(日本の は全ての住民が参加意識を持てるような、活 市町村にあたる。)の3層に分散され、国(中 力ある社会生活を促進し、維持することとし 央政府)は国家行政を、州政府と自治体政府 ている。 は地方行政を担当している。州政府は 12 あり オランダも日本同様高齢化が急速に進んで 環境、土地開発、エネルギ−、社会福祉、ス いる。65 歳以上の人口は、約 15%となってお ポ−ツ、文化などの政策を担当している。ま り、2,035 年には、総人口の 25%が 65 歳以上 た、自治体は 548 あり、各自治体政府は市議 になると予測されている。 会、市評議会(市長と評議員からなる。)、市 因みにオランダ人の平均寿命は男性が 74.6 長からなっており、担当する政策は水利と交 歳、女性が 80.3 歳となっている。 通、住宅、公共教育、厚生福祉、文化、スポ また、現在は 55 ∼ 65 歳の半数近くが就労 −ツ等である。 していないとのことであり、政府としても社 市長の任期は6年で、州知事の推薦を受け中 会的、経済的な観点からも高齢者の労働市場 央政府が任命する。市議会議員は自治体住民 への参加を奨励している。 の選挙によって4年ごとに選出される。 (オラ 高齢者の年金制度としては一般老齢年金 ンダの選挙権、被選挙権は 18 歳以上)議員定 (AOW)制度があり、65 歳になった時点で 数は住民数で決定され、また、評議員は市議 受給権がある。AOWの完全年金額を貰うた 会によって選出される。 めには 15 歳から 65 歳までの 50 年間の保険加 なお、オランダでも行政の効率化を目指し 入期間が必要としている。加入年数が満たな 小規模自治体の合併を推進する計画があると い場合、支給額が不足年1年につき2%減額さ のこと。 れる。また、AOWの受給権を持つ人の 80% オランダを象徴する組織として、国、州、 は任意加入による補充年金を受けている。 自治体と同様の公共機関である治水委員会と 次に、オランダの医療、介護保険制度であ いう組織がある。この委員会はオランダにお るが、代表的な2つの制度について記述する。 ける民主主義政治の最も古い形態のひとつで、 オランダでは介護、医療という分け方より (アムステルフェ−ン) 17 は、その治療、療養にかかる時間によって分 しての色合いが強い。 けられている。 運営母体は財団など民間団体などによるも 長期の治療、療養に対応する保険制度とし のが多く、施設は身体に障害のあるもの用、 ては特別医療費保険(AWBZ)がある。こ 痴呆など精神に障害のあるもの用、あるいは、 の保険は日本の介護保険に近く、年齢、国籍、 両者混合型のものがある。近年、デイケア・ 所得、雇用の関係を問わず、オランダの在住 システムや短期・週末入所などを取り入れて 者であれば強制的に加入させられる皆保険と いる施設が増えているが、施設スタッフの人 なっている。サ−ビス内容はナ−シングホ− 手不足が課題となっている。 ム(詳細は後述)でのケア、在宅サ−ビス、 身体障害者・精神薄弱者へのケアなど、長期 4.アムステルフェ−ン市の概要 医療ケア・看護となっている。保険者は地域 アムステルフェ−ン市はオランダのビジネ 単独保険者(Regional Single Payer)となって スの中心都市であるアムステルダム市、また、 おり、国を 31 の広域地域に分割し、それぞれ ヨ−ロッパの玄関口でKLMオランダ航空の にひとつずつケアオフィスを置いている。 ホ−ムベ−スでもあるスキポ−ル空港に隣接 保険料は定率保険料と定額保険料を支払う しており、地理的条件に優れた人口約 80,000 ことになっており、定率保険料は課税所得に 人の都市で、オランダでは中規模の都市に分 応じ、また定額保険料はそれぞれの地域の運 類されており、人口も増加傾向にある。 営主体が決定する。 この町の歴史は古く 13 世紀に遡るという。 短期の治療、ケアの制度としては強制健康 また、町の名前も昔はニュ−アムステルと呼 保険(ZWF)がある。この保険は日本でい ばれており ,1964 年に現在の名前になったと う医療保険で、加入者の年収、職業によって のことである。 3つの制度が分立している。具体的には、年 2,000 年現在、外国人住民は 5,820 人で、日 収が一定のライン未満の被保険者は疾病基金 本人が最も多く 1,740 名となっている。 保険、それ以上の被保険者、自営業者は民間 就労人口は他の地域に住んでいる人も含め、 の保険会社、公務員は公務員保険に加入する 約 33,900 人で、雇用先はオ−トメ−ション企 ことになる。 業、会計事務所、広告会社など質の高いビジ サ−ビス内容は入院、医療措置、歯科治療 ネスに集中しており、失業者も非常に少ない の一部、医薬品・手当用品等となっており、 とのことである。また、外資系企業も多く、 病院における最初の1年未満の医療サ−ビス・ その大部分はアメリカ企業や日本企業である。 看護を担っている。なお、民間保険であって (キャノン欧州本社もここにある。) も政府がサ−ビス内容と保険料の上限を定め 住民の平均可処分所得、さらに1家族当たり ている。従って、保険者は疾病基金保険と民 の平均所得は全国平均を遙かに上回っている 間保険会社となっている。 豊かな町である。 *ナ−シングホ−ム(Verpleeghuis) アムステルフェ−ン市が発展した大きな要 ナ−シングホ−ムは高齢者、身体障害者、 素は、スキポ−ル空港の拡張により空港で働 精神薄弱者のための施設で、基本的には診断 く人の住宅地として指定されたことによる。 や治療を目的としないが、医療者介護者が障 しかし、1970 年代に入り人口増から住宅地が 害・疾患を有するものに 24 時間のケアを提供 足りなくなってきた。そこで市は住宅建設を する。しかし、入所者の高齢化が進み、ほと 認めるのをアムステルフェ−ン市に居住して んど 65 歳以上となっているため高齢者施設と いる人に限ることとしたが,そのことにより 18 (アムステルフェ−ン) 高齢者が多くなる現象が生じ、各地域に高齢 文化施設を紹介した「パンフレット」を作成 者施設を建設したとのことである。 しており、日本との繋がりが深いとの印象を こうした政策を継続すると高齢者だけの町 受けるとともに、日本企業の進出を期待して になってしまうと言うことから、1,975 年から いることが窺われた。また、真実の程は定か 新市街地の建設に着手するとともに、「ゼロ」 でないがゴルフ場を造る計画を考えていると という政策をとった。この「ゼロ」という政 の話があった。 策は高齢者が死亡または転出した数だけ他の なお、アムステルフェ−ン市の具体的な高 地域から受け入れるというものであり、いわ 齢者対策については、市側の時間的な都合に ゆるプラスマイナス0ということである。なお、 よりヒアリングすることが出来なかったこと この転出、転入の動きは人口の7%程度となっ は誠に残念であった。 ている。 (2001 年現在、65 歳以上人口は 18,2%) 現在は交通アクセス等優れた立地条件を生 かし、企業進出など経済発展を図るための施 策の充実に努めている。 アムステルフェ−ン市の議場を見学させて いただいたが、市の政策の最高決定機関であ る市議会の議員定数は 35 名である。行政は前 述したように中央政府から任命された市長 (従って議会では市長を罷免することは出来 ない。 )と議会から選出された5名の助役(評 アムステルフェーン市庁舎前にて 議員)により行われている。 (助役は議会の各 政党からそれぞれ推薦され決定しており、お 5.ベ−ンハッカ−社訪問 のずと勢力の強い政党が有利となるようであ ベ−ンハッカ−社は障害者や高齢者の介護 る。 ) 用具やリハビリ器具の販売会社である。この なお、法律の改正により助役を外部から招 会社は約 50 年の歴史があり、本社はロッテル くことが可能となったとのことであるが、ア ダムにあり国内に8つの支店がある。 ムステルフェ−ン市では実施していない。 この会社は製作は行わず、外国(イギリス、 市の政策は助役を中心に色々議論し、議会 アメリカ、韓国等)からの輸入品と国内の製 へ提案する内容を決定する。 造会社から製品を購入し、障害者等が出来る 市議会は月1回開催(委員会は随時開催) 限り自力で生活ができるよう、個々のニ−ズ されており、市民にその審議内容が分かるよ に合わせ改造し、販売するほか、修理も行っ うラジオ放送している。 ている。車椅子だけでも 100 種類以上あり、 予算の執行権は市長、助役双方持っており、 サイズも色々取り揃えており障害者等の使い アムステルフェ−ン市長は警察と消防の執行 勝手が良いよう可能な限り配慮しているとの 権を持っているとのことであった。 ことであった。 意外だったのはアムステルフェ−ン市では、 販売先はアムステルフェ−ン市、保険会社、 2000 年に日本との交流 400 周年を記念し、同 ケアハウス、個人となっているが、個人への 市に赴任した日本人に早く生活に馴染んでも 販売は少ないようである。 らうため、日本語の「生活ガイドブック」と オランダには障害者福祉法(WVG)とい (アムステルフェ−ン) 19 う法律があり、障害者と高齢者の生活環境に も責任を持って質のよいサ−ビスに努めてい おける住宅設備、車椅子等の介護用具、交通 るとのことであり、良好とは云えない国の経 手段など、福祉に関して自治体のやるべき義 済状況のなかで好調な業績を上げている。 務が定められている。これらの設備によって 高齢者と障害者が自立した生活をできる限り 6.高齢者ホ−ム「ディグナホフ」訪問 維持できるようにするということがこの法律 オ ラ ン ダ の 高 齢 者 ホ − ム の原点となっている。こうしたことから、こ (Verzorgingstehuis)は緊急通報システムが設 の会社もアムステルフェ−ン市のために多様 置された集合住宅ともいうべき施設で、日本 な業務を行っている。 的老人ホ−ムのイメ−ジとは少々異なる。入 具体的な手続き方法は、車椅子などを必要 居出来るのは 65 歳以上の人であるが、55 歳以 とする人が市に相談や申し込みを行い、それ 上で障害者等特別な事情がある人は入居が可 を受けた市職員とこの会社のアドバイザ−が 能となっている。 自宅や病院、施設に出向き色々な相談に応じ ホ−ムでは自立できる比較的元気な高齢者 ている。なお、購入する場合は医療的な審査 あるいは介護を必要とする高齢者が個人のプ が必要となる。 ライバシ−を尊重しながら生活している。 この会社の販売状況は、オランダも高齢化 入居者にはキッチン、トイレ、シャワ−ル が進み足の不自由な人が多くなっていること −ム付の個室が与えられており、給食サ−ビ から、軽装備の車椅子やスク−タ−が最も多 スが必要な入居者以外は、自立生活維持につ く 75%を占めており、残り 25%は事故等で障 ながるとして自炊が奨励されている。 害を持っている人のための重装備の車椅子や 施設によっては施設に移ったという生活の 特別な措置を必要とする器具(特殊ベッド等) 断絶感や今まで住んでいた環境と変わること となっている。 のないように、自宅で使っていた家具類をそ のまま持ち込むことが許可されているところ もある。 入居者は施設内のコミュニケ−ション・ル −ムなどで文化活動等をしながら生活してい る。高齢者ホ−ム内には医師もいないし医療 施設もなく、入居者が契約している医療機関 が定期的に回診にくるシステムになっている。 施設は 20 ∼ 30 人のスタッフおよびボラン ティア団体などにより運営されているケ−ス ベーンハッカー社にて が多い。ホ−ム建設にあたっては高齢者住宅 公団と地方自治体が出資し、入居者は老齢年 購入代金の支払であるが、オランダには公 金で家賃を払っている。 的補助制度が2種類あり、前述したようにひと つは特別医療費保険(AWBZ)で措置され、 我々が訪れた「ディグナホフ」はアムステ もうひとつは法律(WVG)に基づき市が負 ルフェ−ン市の住宅地にあり、1996 年に建設 担しており、また、市の貸付制度もある。 され 95 人の人が住んでおり、個人とグル−プ なお、アムステルフェ−ン市はこの会社の ホ−ム双方で暮らしている。また、比較的若 みと契約(数年契約)しており、会社として い軽い障害を持っている人も6人居住してい 20 (アムステルフェ−ン) た。入居者はアムステルフェ−ン市民と周辺 答えてくれたのがとても印象的であった。 地域の住民である。 家賃は日本円で月6∼7万円、年金から支 払っている。光熱水費も当然個人負担である。 施設の周辺にはス−パ−、薬局、ホ−ム・ド クタ−等が居住し、また、施設内に理容、美 容室も設置されており、ペットを飼うことも 許されている。このように生活する上で必要 なものが全て整っており、快適な生活を過ご している。 スタッフは管理を行っている福祉高齢者財 高齢者ホーム「ディグナホフ」にて ボランティアのメイウ女史とともに 団から2人派遣されており、1人はフル勤務、 もう1人はパ−トである。また、管理人も1 人いる。あとは 40 人のボランティアの協力で 7.おわりに 運営しているとのことである。我々に親切に 我が国は世界的にも例をみない急速な高齢 説明してくれたメイウ女史もボランティアの 化が進んでおり、また、国民の大半が老後に ひとりであった。 不安を持っている。こうした中で、国におい 施設の中央に緑豊かな大きな庭があり、そ ては年金、医療、介護、福祉等社会保障制度 れを取り囲むように部屋や廊下がある。コ 全体の抜本的な改革に取り組んでいるが、日 ミュニケ−ション・ル−ムでは週2回食事を提 本より先に高齢者問題に取り組んだヨ−ロッ 供しており(自炊が原則) 、また、毎朝 10 時 パに学ぶことが多いと思われる。今回訪問し のコ−ヒ−ブレイクは大変人気があるとのこ たオランダは、1968 年に介護保険制度を導入 とである。 (因みにコ−ヒ−代は有料とのこ するなど質の高い高齢者福祉と効率的な運営 と)さらに、生活をエンジョイするため手芸、 に取り組んでおり学ぶべき点が多かった。 ヨガ、麻雀、ビリヤ−ド等各種のコ−スが設 高齢者ホ−ム「ディグナホフ」で幸せに満ち けられているほかインタ−ネットカフェもあ た生活をおくられている女性の笑顔が忘れら り、お孫さん等との交信を楽しんでいる。 (施 れない。 設入居者以外の人も利用できる。) オランダが取り組んでいる高齢者施策「自 実際に住んでいる女性の方の部屋を訪問す 立」と「共生」について自分なりに改めて深 ることが出来た。この方は施設内でただ1人、 く考え、今後の行政執行に生かして参りたい。 犬を飼っている人で我々を満面の笑みで快く 大歓迎で迎えてくれた。ちょうどお子様らし い人が訪れていた。 面積は約 70㎡あり、 スタンダ−ドな間取りで 夫婦2人でもじゅうぶん暮らせることができ、 ゲストル−ムもあった。 (テレビはソニ−製で あった。 )我々の「住み心地はどうですか?」 との質問に「全然問題はない、非常に満足して いる。時々子供たちも訪問してくれるし最高に 幸せである。 」と大きなジェスチャ−を交えて (アムステルフェ−ン) 21 フォルサ市 (フィンランド) 北 見 市 綱 川 忠 晴 富良野市 小 野 寺 一 利 1 0月16日(水)小雪 ◆主用研修課題∼産業クラスターについて 1.はじめに 一般社会においても約 70%の女性が就労し フィンランドはヨーロッパの中でも北欧に ある。 ており、女性の社会進出が際立っている国で 位置し、南北に細長く面積は日本の 90%位で、 人口は 519 万人と日本の約 20 分の1で北海道 の人口より少ない。 気候はバルト海とメキシコ暖流の影響もあ り、高緯度ではあるが比較的温暖である。 国土の 68%が森林、10%が湖や河川で森と 湖にかこまれた美しい国であり、郊外を車で 走ると北海道と似た景色が目にはいる。農作 物は麦、じゃがいも、ビート、白菜等と北海 道で収穫できる農作物もあるが、気象条件は ヘルシンキ市庁舎前にて 厳しく収穫量などに影響がでている。 フィンランドの歴史は近隣諸国との戦争に 2.フォルサ市 よる占領の歴史でもある。第2次世界大戦の敗 戦国でありこの戦争後にソ連に国土の 10%を (1)フォルサ市の紹介 割譲し同時に賠償金を課せられ、この金額は フォルサ市は首都ヘルシンキから 120 km フィンランドGDPの 10%に相当する莫大な で、高速道路を利用すると1時間 20 分位の近 金額であった。 い距離にあり、人口は 18,000 人でフィンラン この賠償金を支払うのに国をあげて積極的 ドの中規模都市である。 に工業へ国力を集中し、支払期限の半分近い フォルサ市庁舎を訪問しタパニ・ベンホ市 5年で完済した。この工業の発展は、農業国 長からフォルサ市の歴史と概要の説明を受け のフィンランドにとって大きな力となった。 た。 フィンランド企業の中で世界的に有名なノ フォルサ市の歴史は 1847 年、川沿いに繊維 キア社は、1990 年頃に会社の経営状態が悪化 工場ができたのが街のはじまりで、現在は繊 し、それまでの多角経営から情報通信事業だ 維工業の他に食品加工、金属加工、建設機械、 けに業務を特化し、その結果、携帯電話にお IT産業など多くの企業があり活気ある街で いて、世界シェアーの37%を占める世界最大 ある。 の企業に成長している。 また、この後調査訪問する高等職業専門学 また、フィンランドの政治の面に目をむけ 校、アグロポリス(株)などの概要について ると 1907 年に世界で初めて女性国会議員が誕 説明を受けた。 生、そして現大統領、現ヘルシンキ市長も女 その後、フィンランドの市長選出の話にな 性であり国会議員の約3分の1が女性である。 り、フィンランドの市長は間接選挙でタパニ・ 22 (フォルサ) ベンホ市長の場合は新聞で市長公募があり 20 いう会社はデジタル表示などの製品を開発し、 数人の応募者の中から議会で選任された。タ 国内はもとより海外にも輸出しており表彰も パニ・ベンホ市長は就任してまだ2ヶ月とのこ 受けている電気製品製造会社がある。 とです。 ・環境技術 フィンランドの市長の任期は一度市長に決 ・ゴミ処理施設 まると 65 歳の定年まで在職でき、タパニ・ベ 広域のゴミ分別処理が進んでいる。 ンホ市長は 45 歳とのことで、 「あと 20 年も市 これらの企業育成に対する助成、融資制度が 長を務めることができる」とジョークを交え ある。 て話してくれました。 ① ヨーロッパ連合などからの助成 ・助成地域を4段階に分けて助成額を決める が従業員が 250 人以下の企業が対象である。 ・南西ハメ地区に昨年は 224 ユーロ/人の助 成金がヨーロッパ連合と国からあった。 機械設備投資に対し 15% 建物建設に対し 10% 開発助成金に対し 30 ∼ 50% 助成の対象は革新的な商品開発である、経 営刷新につながる、国際化に対応できるもの であるなどの助成条件がある。 フォルサ市議会議場にて ② 融資制度 国からの融資制度があり銀行から借りるよ また、地方税については各自治体で税率を り利子が低く担保条件もゆるい。 決めることができ、各市が事業を進める内容 企業を設立する時には最初の 10 ケ月間までの によっても税率を変えることが出来るとのこ 運転資金を、失業者を雇用した時には とです。 19 ∼ 35 ユーロ/人の融資がある。 これらの助成制度や融資制度もあるので多 (2)南西ハメ地区とヨーロッパ連合 くの企業があり、南西ハメ地区は活気のある フォルサ地区開発センター所長ティモ・ 地域である。 リィンデバル氏から南西ハメ地区とヨーロッ 現在進んでいるプロジェクトは パ連合の話がありました。 ・アグロポリスサイエンスパーク 南西ハメ地区は、ヘルシンキなどの主要都 ・家族経営農業 市へ1∼1時間 30 分の距離にあり 150 km圏 ・新製品プロジェクト 内にはフィンランド人口の約2分の 1 の人が ・環境プロジェクト 住み、 フォルサ市と周辺4自治体は広域の産業 などがあり、企業を起こす時、成長期、安定 開発育成を目的に地区開発センターを設立し 期などに総合的なアドバイスや助成制度など た。 の支援をしている。 この地域には 1,700 の企業があり ・食品加工、金属加工、建設資材 3.国立高等職業専門学校(ポリテクニクス) ・電気、IT産業 国立高等職業専門学校を訪問しますと、み この分野は急速に伸びておりニッテロンと ぞれ混じりの天気のなか玄関前にヤルノ・ (フォルサ) 23 トゥイマラ氏が待っていてくれました。 高等職業専門学校は企業と密接な関係を持 つ専門学校で、通常は高校を卒業後に入学し 企業が必要とする人材を育てることを目的と している学校です。 南西ハメ地区にある高等職業専門学校は 4ヶ所に分散し、7,000 人の学生と 800 人のス タッフがいる。私達が視察したフォルサ市に ある学校には 700 人の学生と 50 人のスタッフ 高等職業専門学校の教室にて がいて外壁が赤レンガ造りの歴史のある美し い学校は昔の繊維工場とのことです。 この繊維工場であったものをフォルサ市が 4.アグロポリス(株) 購入して専門学校として利用できるように改 アグロポリス(株)はフォルサ市の近くの 修し、学校は維持費を含めて賃貸料を市に ヨキオイネン市にある会社で 17 市町村が共同 払っているが学校運営費のほとんどの経費は で設立した株式会社です。広域であることか 国から出ています。 ら同社にも関係があるテイモ・リィンデバル フォルサ市にある学校では、主にIT関連 フォルサ地区開発センター所長も同行いただ の授業をしており企業に就職してすぐ対応で きアグロポリス社ではマッティ・フッリ社長 きるよう技能、実務などの高等教育授業を から説明を受けた。 行っています。パソコンを使っての情報伝達、 アグロポリス(株)の説明の前段として国 物品の輸送関連などの実習・講義も行ってい 立農業試験所(MTT)の説明がありました。 る。 フィンランド各地にある高等職業専門学校 (1)国立農業試験所(MTT) は、各地にある他の専門学校ともネツトワー アグロポリス(株)から 500 m位の所にM クができており、各学校に専任の教授はいま TTがありますが、この試験所は農業、食品 すが他の学校との相互授業の乗り入れをして 関連の試験所でスタッフは 950 名、この内 350 いることも特筆すべきことです。 名が研究員として働いています。 各地の高等職業専門学校の教授は国家公務 MTTには農林省から事業費が年間約 48 億 員で給料は国から支払われ、学生が年間支払 円出ている。このほか、企業からの委託研究 う金額は、学生組合加入代、学生保険加入代 も受け、その委託料も事業費として使うこと として 6,000 円∼ 7,000 円だけで授業料はかか ができます。MTTに勤務する職員は地元地 らない。しかし、入学するにあたっては試験 域からも採用され、地域に対する波及効果も があり合格者のみ入学できます。 あることから地域でも期待されている研究所 各地にある高等職業専門学校が企業の発展 です。 に寄与し今回の主要課題である産業クラス MTTは研究成果を論文として発表するこ ターにも多大な貢献をしております。 とだけが目的ではなく研究成果を実社会に役 立ち、生かすことを最終目的としており、周 辺自治体はMTTの研究成果を農業にどのよ うに役立てるかを検討し、その結果としてア グロポリス(株)が誕生した。 24 (フォルサ) (2)アグロポリス株式会社 少ない状況ではネットワークを構築し情報提 フィンランド農業は、ヨーロッパ連合加盟 供、情報を共有することは大きな効果がある。 により農産物の価格が暴落し、効率的な農業、 これらの4項目を主体にアグロポリス(株) 生産性の向上などを図り価格競争に対応する は事業を進めている。 必要があつた。 具体的には、農業に関する研究のほとんど フィンランドの気候は厳しく競争力をつけ はMTTに委託しているが、起業者に対する るためには、個人の研究などでは限界があり、 事務所の提供、資金調達の方法、プロジェク MTTなどにおいて生まれた成果を農産物の トの経営アドバイス、コンサルタント事業、 生産から経営にいたるまで実効あるものとす 農業従事者への教育事業、企業の新製品開発 るべく産業クラスターとしてアグロポリス の手助け、マーケティングの手助け等を行っ (株)が生まれた。 ている。 産業クラスターのクラスターとは「群れ、 集落、ブドウなどの房」の意味で産業クラス (3)有機栽培プロジェクト ターとは地域の特徴を核として人、金、技術 アグロポリス(株)が取り組んだプロジェ などが結びつき一般的には産・学・官の連携 クトの中での1例として「有機栽培プロジェク のもと産業群を育成していこうとするもので ト」があるが、ヨーロッパ連合加盟により農 す。 業は大きな打撃を受け付加価値をつけた農業 アグロポリス(株)は 1995 年に始まり現在 をめざそうとの考えが根底にあると思われる。 に至るが、前述しているように周辺自治体 17 有機栽培については、国としても前向きに 市町村が共同で設立し、自治体はもとよりM 取り組み、対応している事業である。 TT、銀行、国立高等職業専門学校なども株 このプロジェクトの進め方は を所有している。 ・開発プロジェクトに興味を示す農業従事者 アグロポリス(株)の目的は企業化、商業 をさがす。 化するのが目的であり、このことからアグロ ・その農業従事者に専門学校で教育する。 ポリス(株)が取り組む事業の最終判断は市 ・専門家を派遣して教育、アドバイスをする。 場が決めると考え、その観点から ・MTTに農業技術について研究してもらう ① 食品加工、バイオテクノロジー、新しい など、総合的な見地から支援し企業化してい 手法の開発 る。このようにフィンランドの産業クラス ② 環境技術の開発 ターは、プロジェクトを起こし企業化した時 フィンランドは人口が分散し生活排水を処 に事業が成り立ち、企業として経営していけ 理して河川に放流する汚水処理技術の開発が るかなどの判断材料を、国などの公的機関が 求められており、このことに対する技術開発 積極的に情報提供し支援している。 はヨーロッパ全体の課題と捉えて今後この分 ③ 農業振興 (4)アグロポリスサイエンスパークの 現在と将来 農村の開発事業 アグロポリス㈱をより一層発展させるため ④ 農業従事者に対するIT、ネットワーク に、アグロポリスサイエンスパークが進行中 IT、ネットワーク化が進み2分の1近い で、アグロポリス㈱が中核となりそれぞれ役 農家の人がインターネットと接続可能で、 割を担当している。 野の技術は急速に伸びると考えている。 フィンランドのように広い面積の中に人口が (フォルサ) 25 ・イノタリの指導により出来た企業が数社あ り、活動する場所としてアグロポリス(株) と同じ建物に入居し活動 ⑤技術開発・製品開発部門 ・技術開発・製品開発部門を担当する会社で 2003 年に設立予定 ・新生企業が具体的に商品開発化する手伝い をする。 ・農業、バイオテクノロジー、食品加工 ・小規模な研究 ⑥キエトタニの役割 ・全体的な情報管理 ⑦エロンキエトロの役割 ・最終的に研究開発などの情報公開 各地にあるサイエンスパークは地域の産業 や企業、研究所などが一定の地域で進められ るが、アグロポリス(株)を中核とするアグ ロポリスサイエンスパークは、アグロポリス (株)が使用している建物にほとんどの企業 が同居する形をとっており、いわば地域で取 り組んでいるというよりも一つの建物内に集 めて効率よくネットワーク化しているのが特 徴ともいえる。 ①アグロポリス(株)の役割 アグロポリスサイエンスパークは、現在未 ・それぞれのプロジェクトが順調に発展する 完成ではあるが、循環がスムースに進行し新 よう調整する。 生企業が創出されると周辺地域の企業も活性 ・経営アドバイス、経営コンサルタント 化し雇用の確保につながり、結果として周辺 ②MTTの役割 自治体の税収増となり南西ハメ地区が潤うこ ・農業関連の研究をしており研究の中核 とになる。 ・大規模な研究 ・MTTで生まれたアイデアを商品化、事業 5.産業クラスターの現状と将来 化する。 フィンランドの産業クラスターに対する支 ③イノタリの役割 援はあらゆる分野で総合的に支援している。 イノタリは 2002 年に設立されたアグロポリ ① 企業を起こす時には事務所が必要となる ス(株)の子会社 ・MTTで研究された革新的な技術やアイデ アをもとに起業家を探し新しい企業を起こし、 いかに実用化するかの手伝いをする。 ④新生企業 26 (フォルサ) が事務所を貸す ② 企業が成り立つための経営支援・研究・ 経営陣の外注・事務の委託 ③ 資金の手当ても必要であるがヨーロッパ 連合・国などへの資金調達の手伝 ④ 企業が商品を売る場合の国内外のマーケ ティングの見通し・調査 組んでいるプロジェクトは 30 ∼ 50 件/年あ り業績は安定している。 産業クラスターが企業として成り立ち、成 長するには難しい問題があるが、フィンラン ドの産業クラスターはアグロポリス(社)に 見られるように、今まさに農業のように種を まき、すでに開花しているものもあるが将来 を考えると実を結ぶであろうと期待できるプ ロジェクトがあり、国や公的機関の支援態勢 のもと熱心に取り組んでいて将来明るいもの があると感じた。 今後の発展に期待をしたい。 マッティ・フッリ社長からの説明 6.おわりに このように総合的支援のもと産業クラス 北海道の産業クラスターは平成8年に「北海 ター関連の多くのプロジェクトができ新しい 道産業クラスター創造研究会」を設立し、そ 企業も誕生してはいるが、起業家のなり手が の後各地に産業クラスター研究会が設立され、 少ないのが悩みである。このことは北海道の それぞれを中核として事業化段階に入るなど 産業クラスターにおいてもみられる傾向であ 成果を上げつつある。 る。新しく企業を起こすよりは現状のまま、 北海道の地域経済を活性化するためにも あるいは既存の会社に就職したほうが生活が 産・学・官が協力して地域の特徴を生かした 安定的であったり、新しく企業を起こした後 産業クラスターの誕生に地域の期待は大きく の不安などの問題から、起業家のなり手が少 フィンランドの例に見られるように企業の将 ないのが悩みでもある。 来まで見据えた総合的支援体制も視野に入れ また、フィンランドにおいても農業者が て検討することも必要と考えます。 年々減少していることも現実であり農業従事 末筆になりましたが、私達の訪問研修に親 者に対する教育や情報提供を充実させ、セミ 切に対応して頂きました関係各位、通訳の宮 ナーなどを開くなど離農を防ぐ努力を重ねて 澤 豊宏氏に感謝申し上げ報告といたします。 いる。 新しく農業を始める人に対する対応として 農地を取得できることが最初の条件となるが、 フィンランドにおいては農業者以外の人が農 地を取得する時の制約はなく、外国人でも農 地を買うことが可能で農業を始めたい人に対 する門戸が開かれている。 フィンランドの産業クラスターは、プロ ジェクトの立ち上げ時期、成長期、安定期ま でをも見据ており、まさに至れり尽くせりの 支援体制である。 このようなことからアグロポリス㈱が取り (フォルサ) 27 ウプサラ市 (スウェーデン) 富良野市 小 野 寺 一 利 北 見 市 綱 川 忠 晴 10 月 18 日 ( 金 ) 曇り ◆主要研修課題∼環境保全対策につい て 1.はじめに 村 ) が責任を持って行っている。 スウェーデンは、スカンジナビア半島の東 学校教育、老人福祉、市町村の税金の税率、 側を占める人口 880 万人の社会福祉が進んだ 福祉サービスへの自己負担額など、住民の身 北欧最大の国である。国土は 2,700km の海岸線 近なことを決定し、サービスを提供している。 が続き、およそ半分が森林に覆われ9万以上の また、都市計画、上下水道、電気の供給の 湖が点在している。 責務も有しており、世界のどの国より国及び スウェーデン社会には、4つのコーナー・ス 県から自立しており、大きな役割を果たして トーンがあります。一番目は、成人者(18 歳) いるといわれている。 スウェーデンは、21 の県と 288 の市町村よ り成り立っている国で、市町村は、児童福祉、 は選挙権を有し、民主主義の原則である政治 に参加することができる。二番目は、言論の 2.ウプサラ市の概要 自由、宗教そして結社の自由という政治的自 ヨーン・エリックトゥーン市長よりウプサ 由、三番目は,法により平等で性、人種、年 ラ市の概要について説明を受ける。 齢に関係なく教育、医療制度の恩恵を受ける スウェーデンで4番目に大きいウプサラ市 権利があり、自活していく平等の権利、四番 は、ストックホルムの北北西 64 キロメートル 目は、全国民に必要な時にサポートできる社 に位置し、アーランダ国際空港まで車で約 20 会保険システムが確立していて安心して生活 分、首都ストックホルムまで 40 分の通勤圏に できる権利です。 あり、大学を中心として栄えてきた人口約 19 65 歳が定年で 65 歳になると国民には、就業 万人の町である。1477 年に創立したウプサラ していたか否かにかかわらず国民年金が支給 総合大学は、北ヨーロッパ最古の大学であり、 されます。スウェーデン人の平均寿命は、女 現在、約 30,000 人の学生と 500 人位の人たち 性が 81 歳、男性が 76 歳ですが、医療制度及 が大学関係で働いている。主な産業は、製造 びホームヘルパー制度が完備されており大半 業、製薬業、印刷業、食品加工業であるが特 の老人は自宅に住んでいる。2,000 年から 2,020 に製造業は、ハイテクで大学での研究に深い 年までスウェーデンの老人人口は、25%に達 つながりをもっている。また、一番成長して すると予測されている。 いるのがコンピュータ業界のコンサルタント 義務教育は、6歳から 15 歳までの9年間で、 業である。 日本の小学校と中学校を一緒にした基礎学校 ウプサラ市は、スウェーデンの都市の中で というものがある。大学以外の教育は、市町 も常にすぐそばに歴史が存在している街であ 村の責任下にあり教育費は税金から出され無 る。150 年の歳月をかけ 1435 年に建設された 料である。 ウプサラ大聖堂、1523 年スウェーデン初代国 国は防衛関係に責任を持ち、県は医療関係 王グスタフ・ヴァ- サにより建設されたウプサ に責任を持ちそれ以外はコミューン ( 市町 ラ城など街そのものが歴史博物舘である。 28 (ウプサラ) ウプサラコミューンは8政党、81 人の議員 族の多様性の3項目が挙げられた。 により運営されており、議長が市長である。 地域の「アジェンダ 21」として大切な事は、 行政職員はパートを入れ約 15,000 人の人がた ここに住んでいる住民が協力し参加すること ずさわっている。予算は約 70 億クローネ(約 に意味がある。 910 億円)である。支出の大部分は福祉、教育 国際的視野で行動するため、ウプサラには 関係であり、保育所、小中学校、教育関係に 環境大使がおり、環境大使は、何処かの所長 50 パーセント、高齢者、障害者福祉関係に 40 とかでなくその人が環境問題に関心を持って パーセントである。 働いている人、例えば教師、経済関係の人達 スウェーデンでは、自治体と環境NGOで である。 あるスウェーデン自然保護協会とが、対等な このような人達が下の方で決めた事を実行 立場で協定を結び、「ローカルアジェンダ 21」 していくことになり、どの職場でも環境大使、 を実行する為の具体的な取組みを進めている。 担当者がネットをつくり、それぞれの職場で このような自治体は、ヴェクシー、ルンド、 会議を開催し、インフォメーションを流し、 セーフル、エヴェートユルネオ、ウプサラの また、コミューン(市町村)での環境事業を 五市で地球環境の保全や持続可能な開発のた 住民に報告している。この会議に出席した人 めに戦略を策定して、パイロットプロジェク が職場でどのように廃棄物を処理していくの トに取組んでいる。 か、その知識を他の人に知らせていくことが 大切なことです。 一番大切なことは、環境循環に良い持続的 な開発を行っていくことで、一人一人が小さ なことから働きかけ、つもりつもって大きな 結果を生んでいく、例えばトイレの水をあま り流さない、あまり窓を開かないなど何事も 適度が大切なことです。 最初に環境調査を行い、私達がどのように 環境に影響を与えているか、その結果をコ ミューンの執行委員会に報告、この環境報告 ウプサラ市の風景 によってコミューンがどのように環境影響を 受けているのか、また、そこから何が出来る 3.環境保全の取組み「アジェンダ 21」 かということです。 「アジェンダ 21」実行委員会コーディネー 環境生活(私達がどのように環境を見てい ター、アグネタ・ペッタションさんより「ア るか)、環境目標(どのように改善できるのか)、 ジェンダ 21」の実行にあたり、具体的な取組 環境プログラム(何をすれば良いのか)、これ みについて説明を受けた。 を方針に組織的に行動することです。 1994 年、 「アジェンダ 21」の取組みが始ま 中央的プログラムもありますが、各行政機 り、ウプサラ地域の「アジェンダ 21」をどの 関独自のプログラムもあります。これが、そ ように進めていくか 1994 年から 97 年まで自 の独自の一つにあたると思っています。 ど 然環境、交通など 15 のグループに分かれ議論 のように水を節約するのか、エネルギーを節 が交わされた。 約するのか、どうやって緑の環境を作ってい ビジョンとして、環境問題、民主主義、民 くのか、報告書が作成されました。水質の改 (ウプサラ) 29 善を図ったり、大気の改善を図ったり、ただ まとめました。市民のパネルには、4つのグ 単に自分達が問題に対応するだけでなく、皆 ループがあり、一つのパネルにだいたい 130 人 さんにインフォメーションを流し、一緒に協 参加しています。 力していくことです。 また、色々なアンケートを送り、そのうち 環境大使の予算は年々少なくなっており、 7,000 人から回答をいただきインターネット 現在、予算額は 200 万クローネ (約 2,600 万円) で 4,800 人、アクセスを行ってくれました。 である。環境大使の給料、会議場代、その他 さらに、学生たちとどのように土地利用を 運営していくための費用であり、このような 図っていくのか、三つの学校とプロジェクト 少ない予算で出来るのは、一人一人が環境に を組み、現在まで8回の大きな集会を行いまし 関心が高いため、可能であると説明を受けた。 た。 この街で何か変化が起こるときは、多数の 意見を聞いて、それに基づいたプロジェクト を進めて行く事が大事であると思います。 未来は私達の手によってつくられます。一 部の行政機関で一般の人達が参加できない所 もありますが、だいたいのところは参加する 事ができます。また、政治家などに直接質問 することもできます。 特に環境問題について、多数の人達が自分 の意見を持ってアイデアを発言することは大 「アジェンダ 21」講義風景 切なことです。一人一人のアイデアを聞くこ とは大変な事ですが、小さなことから一つ一 「アジェンダ 21」の別の面として、外の色々 つ解決していくことが、全体として大きな環 な人達をこの中に入ってもらえるよう行動を 境問題を解決することになります。 行っている。 今回、ウプサラの「アジェンダ 21」で学ん 例えば、市民会館で環境大使が一般の人に だことは、上で決定した事を下に報告するの 情報を講演する。また、インターネットなど ではなく、住民の意見を聴いて下から上にあ で情報の提供を行っている。 げていく、この仕事の流れ、方向の転換が大 街の開発で大事な問題は、土地利用であり、 きなことでした。これからも、住民と定期的 その土地利用の中で一般の人々がどのような な決定を行う場合、お互いに意見交換を行う アイデアを持っているのか紹介します。 ことが大切なことです。 ※アジェンダ 21:環境と開発について 21 世紀 「街のためのビジョンと戦略について」 に向けて行動計画、エネルギー、バイオテク 一般の人達の考え方を集めたパネルがあり ノロジーなど様々な分野での具体的行動案や ます。どのような土地利用を図るのか、一般 資金調達策を 1992 年の地球サミットで策定。 の人、公務員、政治家、学校、会社など様々 な人達の意見を求めました。使われていない 4.地球温暖化問題の取組み 土地の利用をどのように開発していくのか、 市の環境健康部長のカール・レナートオス 政治的な決定がされていない地域をどのよう テット氏より「地球温暖化問題の取組み」に に開発をするのか「アジェンダ 21」で意見を ついて説明を受ける。 30 (ウプサラ) 地球温暖化問題に取組んでいるコミューン る。 (市町村) は政治的な組織で2つの役目を持っ スウェーデンで誰が一番信頼されているか、 ています。政治的な役目と裁判所的な役目で 誰が環境問題で信頼がおけるかグラフで表し あり、二つの役割は分離されています。 ています。一番信頼されているのは、研究者 政治的役割として、国全体から言いますと であり、次は環境団体、大学、新聞・テレビ・ 環境省、その下に自然保護庁、県の執行委員 ラジオ、行政機関、産業界、政治家の順になっ 会、コミューンがあります。スウェーデンで ています。 (ウプサラではこの順は適用されま はコミューンに非常に責任があります。コ せん。一同大笑い) ミューンでは、環境、健康、衛生、食糧など の各部門、また、レストランに特別な営業許 可を与える部門もあり、40 人の職員が働いて いる。全員4年制大学の教育を受けている。 裁判所的役割として、例えば、ある会社が 何か違反を行った場合、罰金がいくらになる かアドバイスをする機能を持っている。 活動する予算は 2,200 万クローネ(約2億8 千6百万円)、この内 1,700 万クローネ(約2 億2千百万円)は市の負担であり、残り 500 地球温暖化問題の講義風景 万クローネ(約6千5百万円)は企業からの 料金収入である。料金は年度単位であり、検 査のときなど時間単位で徴収することもある。 5.バイオガスプラント視察 料金は 1,500 クローネ(約 19,500 円)から バイオガスプラントについて、ルネー・ホー 30,000 クローネ(約 390,000 円)、小さな企業 ブバーク氏より説明を受ける。 では1時間 600 クローネ(約 7,800 円)かかる。 ウプサラ市ではバイオ肥料、環境に優しい ウプサラ市で、環境問題に負担になるよう 自動車用燃料を生産するため、牛、豚の屠殺 な企業は少ないです。一番の問題は、雑音と 場、レストラン、製薬会社、一般家庭、家畜 排気ガスです。熱の関係では、40 年間で 700 から発生する有機性廃棄物を年間3万トン処 箇所の煙突を削減、現在、50 ∼ 100 箇所の煙 理するバイオガスプラントを建設している。 突が残っている。煙突を少なくしたことは、 プロセスとして、これらの廃棄物を絶えず 大気環境にとって非常に必要なことでした。 撹拌、破砕し混合槽に収容した後、病原性細 コミューンでは、廃棄物のほとんどを焼却 菌の拡散を防止するため、70℃ で1時間加熱 し、環境、焼却場の監視など責任を持ってい 殺菌処理を行い、その後約 20 日間、3,300 立 る。環境問題では、集中的に行われていた農 方メートルの発酵層で嫌気性発酵(55℃)さ 業の肥料により、水質に問題が発生したこと せる。発酵終了後、その生成物(残留物)は があります。 従来の散布機械を使い、牧草地に散布してい ウプサラ市では、法律を決めることが大事 る。 な事でなく、情報をいかに徹底するかという 生産されたバイオガスは、主にメタンガス ことが大切な事である。例えば、インターネッ と二酸化炭素であり、乾燥後クングセンゲン トでこちらに住んでいない人も、海外に住ん 施設のガス清浄場にポンプで送くられている。 でいる人も簡単に情報を得ることが大事であ 分類分別されたバイオ(有機)肥料は、窒 (ウプサラ) 31 素、燐、カリウム、カルシウム、マグネシウ 現在、40 台のバスが生産されたバイオガス ムの栄養素が含有されている。重金属は低数 を利用して運行している。バイオガスを水で 値であり、制定された数値を十分クリアして 洗い炭酸ガス、硫化水素を除き、メタンガス いる。バイオ肥料はクングセニゲンの施設内 濃度は約 98 パーセントになる。 貯蔵庫と、半径 10 キロのサテライト(衛星) ルネー・ホーブバーク氏によると最初の目 貯蔵庫に貯蔵されます。 標は、バイオガスを約 1,000 トンのディーゼル 約 1,000 ヘクタールの近郊牧草地がこの方 にとって代わることを考えてきたとのことで 法で栄養素が供給されている。 ある。 バイオガス施設の簡易処理過程図 バイオガスは、石油の二倍弱の価格である 6.地域暖房施設調査 が、 「環境破壊を行なっていることにお金をか 地域暖房(バッテルファル・バルメ・ウプ けていることを考えると、バイオガスが高い、 サラ)について、シュハオーケ・ファシェン 安いと考えること自体問題である」と説明さ ド氏より説明を受ける。 れた言葉が非常に印象に残っている。 1,960 年代、スウェーデンの地域暖房はオイ ルを使用していたが、1,970 年代最初のオイル ショックにより、非常に石油に対する依存度 が高いことに気づきました。石油の依存度を 減少させるため泥炭に目を向け、1,980 年代に は、可燃性の廃棄物にも目を向けました。 ウプサラ市は、1,980 年代に大きなゴミ焼却 場を 2 箇所建設しました。2,000 年になると、 バッテルファルがウプサラ・エネルギーを買 収、以前はコミューンの会社でありましたが、 現在は国の会社になっている。 バイオガスプラント視察講義風景 32 (ウプサラ) スウェーデンで一番大きい処理施設がウプ サラ市にあります。ウプサラには 260 名の職員 ルしやすいようにゴミの分別に力を入れてお がおり、バッテルファル全体では 72,000 人の り、環境ステーション設置に向け進めている。 職員が働いている。 ショッピングセンターは環境にやさしい商 ウプサラ市では、廃棄物を燃焼させ地域暖 品を揃えている。メーカーは、製品にエコマー 房に利用している。1,980 年は石油の割合が非 クをつけたり、環境認証をどんどん取得し、 常に多く廃棄物は小さなものでしたが、82 年 環境に対する自覚意識が社会全体に浸透して ∼ 83 年、廃棄物の割合が 33 パーセントまで きているとのことである。 占めるようになりました。現在、もう1箇所 ウプサラ市では、屠殺場からの廃棄物、レ 廃棄物処理場を建設する計画があり、将来廃 ストランからの残飯、その他生ゴミは、バイ 棄物の割合を 65 パーセントまで高める予定で オガス施設に運ばれバイオガスを発生させ、 す。 市の乗合バスの燃料として使用するばかりで 主燃料は廃棄物と泥炭であり、林業から出 なく、肥料としても使用している。 てくるおがくずを泥炭に混ぜて使用している。 住宅暖房のエネルギーは、主に泥炭、ウッ 泥炭の資源を長く利用するためである。ゴミ ドチップ、林業廃棄物、分別されたゴミが主 処理には三つの炉があり、1時間に 31 トンの 燃料で公営ウプサラ・エネルギー公社から給 処理を行っている。 湯で一般家庭、企業に供給されている。 ウプサラ市では、約 95 パーセントの人々が ウプサラ市の循環型地域づくり、循環型社 地域暖房を利用している。 会づくりに向けた、先進的な環境対策・エネ ルギー問題に対し積極的に取組んでいる状況 を視察し、環境保全の取組み「アジェンダ 21」 の中で説明された環境循環に良い持続的な開 発を行っていくことは、一人一人が小さなこ とから働きかけ、つもりつもって大きな結果 を生んでいくということを強く実感した次第 であります。 地域暖房施設現地視察 7.おわりに スウェーデンでは、汚染されていない空気、 そして水を安心して飲めるような環境を維持 することは当然のようである。 ウプサラ市は、環境を改善する事を非常に 重要視し、基本方針に基づいて活動している。 市環境局が中心になり各部署に必ず環境責 任担当者が配置されている。 また、一般市民の環境に関する相談サービ スセンターも設置されている。市はリサイク (ウプサラ) 33 ザンクトガレン市 紋 別 市 松 本 正 之 (スイス) 函 館 市 吉 田 明 彦 1 0月21日(月)曇り ◆主要研修課題∼コンベンション・観 光振興について 1.はじめに 気候は緯度の割に暖かく湿度は少ないが山 明瞭な四季・雄大な自然や豊富な資源・味 とおりである。 覚等の優位性を持つ北海道観光は、観光ニー 【スイスの国土・地理】 岳部が多いため日中と夜の温度差が大きい。 なお、スイスの国土・地理・人口等は次の ズの多様化に対応した観光基盤の整備が進み、 体験型を始めとした新たな観光スポットが増 総 面 積:41,284k㎡(日本の 0.1 倍) 加している。 国境の総延長距離:1,882㎞(イタリア、 この状況の中にあって、今後の観光を進め フランス、ドイツ、オーストリア、 るには、自然環境保全に配慮し、景観・遊・ リヒテンシュタインに接する) 食などの魅力が楽しめ、交通アクセスや安全 湖 の 数:1,484 湖 と快適な環境等ハードとソフト両面の受入れ 氷河の総面積:約 3,000k㎡ 体制の整備を進め、通年観光の促進と地域の 首 都:ベルン(世界遺産に指定) 自然資源を活かした個性豊かな魅力ある観光 人 口:712 万人 (約 19% が在住外国人) 地づくりを目指すと共に、国内外に対して、 (人口密度 173 人/ k㎡) 積極的な宣伝・誘致活動の展開や、情報提供 体制づくり等が必要とされている。 宗教はキリスト教が多く、ローマカトリッ このような時期に、世界的に魅力のある ク(46%)とプロテスタント(40%)が二分 「スイスの観光」は如何に進められているの している。 かを現地に学ぶ機会を得たことに感謝し以下 の報告とする。 ࠴࠶ࡅᎺ ࠩࡦࠢ࠻ࠟࡦ ࠴ࡘ࠶ࡅ ࠩࡦࠢ࠻ࠟࡦᎺ ࡞࠷ࠚ࡞ࡦᎺ 2.スイスの概要 はじめに、雄大なアルプスの峰々・緑の絨 ࡌ࡞ࡦᎺ ࡞࠷ࠚ࡞ࡦ ࡌ࡞ࡦ 毯と美しい湖、歴史を偲ばせる街並みと建築 物等々日本の九州ほどしかない小さな国土で、 ࡧࠜᎺ ࡠࠩࡦ Ꮊ ࠹ࠖ࠴ࡁᎺ 「自然の恵みと歴史の重み」を充分活かして いる国「スイス」の概要について述べること にする。 ࠬ ࠫࡘࡀࡉᎺ ࠢ࡞ ࠣ࠙ࡆࠚࡦ࠺ࡦᎺ ࠔ 㧛ࡧ ࡧࠔ スイスの概要図 スイス連邦共和国は、ヨーロッパの中央部 (北緯 45 度付近)に位置し、国土の約 60%が 言葉は連邦制をとっているため地域によっ 山岳地帯で占められ、標高は最高地点のデュ て4つの国語(公用語)があり、ドイツ語を フール峰(4,634m)・最低地点のマッジョーレ 母語とする人が 63%、フランス語が 20%、イ 湖(193m)で 4,441m の標高差がある。 タリア語が7%、その他が 10%という多国語国 34 (ザンクトガレン) 家であるが、スイス全体を通して英語を話す このまちは標高が 670m あるため、農業に適 人が多く旅行者には特に不自由さは感じない。 していないことを早くから認識し、麻を栽培 産業は「通年観光」と保護政策がとられて し布を作る繊維業が 16 世紀に盛んになり修道 いる「酪農を中心とした農業」、時計や工作機 院を囲むように繊維業界が栄え、20 世紀初め 械など 100 万人以上の就業者から成る「精密機 には刺繍も有名になるのと並行し、劇場・学 械工業」が発達しており、スイス経済の基盤 校等も建設され、繊維と書籍・科学工業の町 を支えている。 として発展してきており、人口は約 70,000 人 また、世界の金融市場に確固たる基盤を支 である。 えている銀行も多く、国民 1,600 人につき1つ 612 年にアイルランドの僧ガルスが礎を築 の銀行があり、通貨はEUに加盟していない いた後の8世紀に建てられた「ザンクトガレン ためユーロではなくスイスフランが使われて 修道院」は中世ヨーロッパの学術の中心地と いるが、現在最も安定している通貨といわれ して隆盛を極め、現在はバロック建築の壮麗 ている。 なカテドラル(大聖堂)と付属図書館とが世 【スイス連邦と地方行政】 界遺産に認定されている。 永世中立国家のスイス連邦は、民主自治体 また、周辺には旧市街地があり、卵型の南 の州(カントン 20 州と6半州)から成り、連 半分は大寺院のエリアで、北半分は歩行者天 邦政府・カントン(州)・コミューン(市町村) 国がある繁華街で、かっては富を誇示したと の3つが国の基礎になっている。 いう 100 ヶ所以上もある出窓や歴史の重みを =カントン(州)= 感じさせる街並みや建造物等が印象的である。 「立法機関」は、住民の直接選挙で選出され 【ザンクトガレンの施設見学】 る一院制の州議会と 年一回開かれる州民集会 10 月 21 日(月)今日は調査団の最後の調査 がある。 で団員全員が出発時刻の 30 分前からアイン 「行政機関」は、州政府が行ない5∼9人の シュタインホテルのロビーに集合し、チュー 参事の合議制で意志決定し行なわれており、 リッヒから来た通訳の「兼坂さくら」さんの 行政組織としては参事が各部を担当し進めら 紹介を受け専用バスに乗り込み、旧市街地の れている。 歩行者天国に隣接する駐車場で、昼前の案内 「司法機関」は、各州独自の機関を持ってい をしていただく観光局ボランティアの「カロ る。 リン・デュットワイラー」さんと落ち合い、 =コミューン(市町村)= ザンクトガレンの簡単な概要を聞き市内施設 スイスには、大小様々な 3,020 もの市町村があ 見学を行なった。 り、これは州の公法に基づく団体で、州法に =旧 市 街 地= より規程され一定の権限が与えられているが、 旧市街地には、 繊維商人が富を誇示するた 司法権が無く立法権に対して行政権が強いと めと働く人の様子を見るために作ったとされ いう特徴がある。 る「出窓」が現在 100 箇所以上もあり隆盛を 極めた当時の繊維商人を偲ぶことができる。 3.ザンクトガレン市の概要 また、中世に宗教改革が行なわれ、町の内 チューリッヒから東へ約1時間、ボーデン湖 側が新教と外側が旧教に分かれたために、宗 に近く、 スイスで第7番目の都市ザンクトガレ 教の壁が造られ、今は一部取り壊されている ン市は、東スイスの中心都市でザンクトガレ が、その多くは 250 年以上現存している。 ン州の州都である。 (ザンクトガレン) 35 興味深いものを見学することができた。 また、その図書館には見学者が靴のまま履 けるスリッパが用意され施設の保護に努めて いる様子がうかがわれる。 これらは、1983 年に世界文化遺産として登 録されている。 =オルマメッセ見本市会場= 昨日まで「第 60 回スイス農業と酪農に関す るフェア(農業博)」が開催されていた会場で、 今年の参加者は 35 万人(昨年比4%増)あり、 旧市街地の出窓 後片づけが盛んに行われていたが、待ち合わ せている担当者が来れなくなっため、見学の =ザンクトガレン修道院と 大聖堂・付属図書館= みとなった。 大聖堂は 18 世紀に再建された バロック様 現在は遊園施設等も併用した広い会場や、 式の教会で、内部をフレスコ画などの装飾が 2,500 人は収容できるコンベンションホール 施され、広々としたグリーンエリアのある教 などが設置され、農業博の他、世界の医師学 会である。 会・おもちゃ博・バカンス博等 年間を通じて 修道院は 当時ヨーロツパの学問の中心とし 様々な催物が実施されているとのことでした て名をはせ、200 年前から修道僧はいないが、 が、農業フェアを見学できなかったのが残 現在は州の所有となり、州議会と行政機関が 念! 入っている。 =ザンクトガレン大学研修センター= この会場は、古くはテント形式だったが、 市街地を見下ろす丘の上にある大学の付属 施設である研修センターを訪問し、パトリシ アギュヨンさんの説明を受けた。 1995 年にチューリッヒのブルーノテローザ 氏の設計により建設され、「採光と広い空間」 「著名な芸術家のモニュメント」を重要視し、 基礎の岩盤に夏期間に熱を蓄積して冬季間消 費する独得な「空調設備」のある2階建ての 施設で、各種機器を備えた研修・会議室やセ ミナールーム・コンサートホール等がある。 図 書 館 施設の利用は大学の他に、銀行や保険業等の 民間企業の研修・会議や、エンジニア等の養 隣接して僧院付属図書館があり、ロココ式 の重厚で華麗な内部は2階建構造になってい て、書庫には千年前の写本や2千冊もの手書き 書物が 15 万冊以上あり、独特な閲覧カードの 配置やナポレオンがこの町から撤退するとき に贈られた 2,700 年前のエジプトのミイラ等 36 (ザンクトガレン) 成にも有料で利用されている。 銀行・保健・情報・サービス等の第3次産業 の比重が高くなってきている。特にスイス農 業は生産コストが高く、自給率も低くなって おり、市の農業労働力も全労働者 55,000 人に 対し 65 人と少ない。 一方、ザンクトガレンには大企業は無いが、 様々な中小企業が多く、経済交流は盛んであ 研修センター る。 また、観光については、湖や山も無いため 休暇・バカンスを楽しむ「観光都市ではない」 4.ザンクトガレン市訪問 が、文化遺産・展示施設・コンベンションへ 午後から市の中心地にあり、駅と民間企業 の参加等による人々の集まりが観光も兼ねて 及び市が同居するユニークな「ザンクトガレ いる(一般的な観光とは「休暇などのバカン ン市役所」を訪問し、ハインツ・クリスティ ス」を対象と考えている)。また、市民劇場で ン市長から市の概要や現在の問題点等の説明 は、オペラやコンサートを意欲的に上演され を受けた。 ている。 ザンクトガレン市の人口は約7万人でスイ 観光予算としては、 「ザンクトガレンボーデ スでは7番目の都市だが、 「見通しがきき、足 ン湖観光局」に毎年数拾万フラン投資してい で移動できる街」である。これはデメリット る。 ではなく、どの施設にも簡単にいくことがで さらに、歴史的遺産等の維持や保護に対し きるため、 「市の活性化にとっては大きなメ ては、これらを保護すべきものとして指定し リットだと思っている。」との市長の説明から た時点で、維持する義務を課すとともに、そ 始まり、今抱えている都市の問題点として れが民間所有であれば市が経済的な場面での ① 都市間の企業誘致競争と既存企業定住 確保の問題 援助をして維持している。 「オルマ見本市会場」の運営は、東部地域の ② 市では住宅地の提供が困難なため、高 州等で構成する「独立した協同組合」 (市長が 所得者の都市離れ(周辺の町村へ)や、 会長)が運営しており、経費は2千万∼2千 低所得者の流入が進んでいる問題 5百万フラン(約 20 億円程度)である。 ③ 市が行わなければならない都市機能整 来年予定の大きなものとして、 「農業博」等 備や道路網の整備維持管理や、各種都市 の他、スイスで2回目となる「世界手工業選 活動さらには施設等の建設に伴う高税率 手権」が予定されており、日本からの参加も による人口の流出 ある。(前回もオルマで実施) 等様々な問題が懸念されている。 ガレン市の議会は 63 人の議員で構成され年 都市として将来的にもこのような業務や活 間 15 回の議会が開かれている。また、行政は 動を行なっていけるのか疑問であり、今後国 市の閣僚5人によって進められ、市職員数は約 がすべきステップとして、都市の共同活動や 1,800 人である(教員は含まず)。 国・州・市町村レベルの均等な経済政策の調 以上の内容について市長の説明があったが、 整に取組んでいかなければならないとの考え 市の「観光行政」については消極的な感じを 方の説明があった。 受け、次の訪問先である観光局に向かった。 また、産業では第1次及び2次産業が減り (ザンクトガレン) 37 5.ザンクトガレンボーデン湖観光局 ドイツが 22%、イタリア・オーストラリア・ 市役所の近くにある「ザンクトガレンボー アメリカが3%前後で、日本からは1%以下で デン湖観光局」(以降「GB観光局」と記述) ある。 を訪問し、マーケティング・ディレクターの ○観光客の動機は、ビジネスで来る人が最も アストリット・ナコスティンさんから以下の 多く、次に会議・集会等、オルマ等を利用し とおり説明を受けた。 た展示会、劇場や野外音楽会等がある。 スイスには、 「スイスツーリズム」という組 また、フリータイムでは、文化遺産や旧市 織があり、各国に出先機関があるとともに、 街地の見学や、ボーデン湖のバカンスに来る 国内にも 12 地域に「観光局」が設置され、こ 人が多い。 このGB観光局は東スイス地域の観光を受持 =GB観光局の財務(予算)= ち、マーケティングや広報・販売活動等を行 ○観光局の予算は、180 万フラン(約1億 4,400 なっている。 万円)で、その大半はザンクトガレン市と州 =GB観光局の組織概要= で負担している。 ○営利を目的としない団体で(日本のNHK この他の収入としては、市町村や会員の負 的なもの) 、450 の会員で組織され、9名の理 担金(51%)、ガイド料等サービス業務からの 事が監督官となり 11 名のスタッフと見習3 収入(18%)、宿泊税(8%)、その他の収入 名・研究生1名の 15 名で運営している。 (23%)である。 また、ボランティアは全て有料である。 また、支出については、殆どがマーケティ ングに係るもので、広報活動・販売活動があ る(人件費含む)。 =マーケティングの手段= ○ガイドブックや地図・チラシなどの更新の ためのPR活動に最も経費がかかっている。 また、毎年ドイツのベルリンで開かれてい る観光にとって重要な博覧会への参加や国内 の見本市にも出展している。 ○国際的なコンベンションには「スイッツ ナコスティンさんを囲んで アーランド・コンベンション&インセンティ ブ・ビューロー」という団体に加盟し、諸外 =東スイス観光局の観光概要= 国でコンベンション活動を行っている。 ○担当する地域には 20 の地方自治体があり、 また、ドイツ・オーストラリア・スイスで ホテル数は 78(ベッド数 2,400 床)・レストラ 組織する「ボーデン湖ミーティング」という ン関係 829 店を有する。 団体にも加盟している。 ○観光ハイライトは、図書館等の世界文化遺 ○会議・コンベンションは、大半が大学や病 産・旧市街地・博物館・劇場・小動物園・フ 院等の民間が多く、開催手法が馴れていない リータイム施設等があり、特に図書館とボー ため、観光局が支援し実施している現状にあ デン湖は2大ハイライトである。 る。 観光客の入込みは、年間約 25 万人で時期的 これの大きなものでは、農業博の他、2年毎 には4∼6月と8∼ 10 月が最も多く、国別客 に「世界癌学会」がザンクトガレンで開催さ 数では、国内が最も多く 53%で、ついで隣国 れている。(参加 2,800 人) 38 (ザンクトガレン) ○アメリカに対してのマーケティングでは、 に興味を持った取材をしていた。 スイスツーリズムや他州と共同で「スイスは 最高のものを」を謳い文句に広報活動を展開 している。 ○メディア対策としては、世界から8局程度の テレビ・写真班を観光局の経費負担で招いて いる。また、ドイツからは常時メディア情報・ 記事を送ってもらう等の対応をし、マーケ ティングに努めている。 ○東スイスは山岳部でなく、国内的には観光 メディアの取材 条件は不利なため、平坦地を活かした「サイ クリング」や会議・コンベンション等に力を いれ、観光の隙間を縫い充実を図っている。 メディア名 一 つ の 例 と し て、約 30Km 四 方 の 道 路 を ラジオ/ラジオSG シャットアウトした 111Km の自転車レース等 テレビ/テレトップ、テレ9 を実施している。 新 聞/タダヴラット また、新たな動きとして 2004 年のカジノ設 置に向けて今具体的な取り組みが進められて いる。 7.おわりに ○GB観光局のナコスティン女史の感想とし 観光は、経済的効果はもとより、地域の活 て、 「私は 13 年間この仕事を担当しているが、 性化や人々の心にも豊かさを与えるといった 地域を理解してもらい、来ていただくための 効果をもたらすものである。 広報活動はいかに重要かがわかり始めてき ライフスタイルの変化等により、観光に対 た」と締めていた。 するニーズは大きくなってきており、私達の 以上がGB観光局を訪問して説明を受けた 住む北海道は、自然や観光資源に恵まれ観光 観光概要であるが、勤務時間を超過しての親 スポットとして注目をあびている。 切な説明に感謝!感謝!感謝! このザンクトガレンは「雄大な雪を頂く 峯々・・・」といった、「俗に言うスイス観光」 6.メディアによる取材 的条件には恵まれていない地域であるが、街 我々のザンクトガレンの調査に対して、新 の歴史の重みや地理を活かし、スイス観光の 聞ラジオ・テレビ局等の取材を受けた。 隙間を縫っての観光や会議・コンベンション・ これは観光局が各メディアに周知したもので イベントに取組む等の積極的な姿勢が見受け 我々には調査開始前に通知があり、当初は簡 られた。 単に終わると思っていたが、随所で団長・副 歴史の浅い北海道とは条件が違うものの、 団長のインタビューを交え、終日に渡る取材 北海道の優位性を活かした今後の「北海道観 が続けられた。主に州のメディアであったが、 光」の発展と活性化を期待し調査報告とした このような日本それも北海道からの調査団訪 い。 問はザンクトガレンでは珍しく、調査目的等 (ザンクトガレン) 39 ザンクトガレン市での我々調査団に対する地元紙の密着取材の概要を紹介します。 ◎ 取材新聞:ザンクトガレン市日刊新聞(2002 年 10 月 23 日付) ◎[見出し] : 「日本の牛乳は濃い」ザンクトガレン市への日本人訪問団の談 ◎[記事概要] ・ 日本における大きな問題は、社会福祉であり世界的な問題になる前のヨーロッパの一部においても同じ問題があった。 ・ 世界遺産の修道院付属図書館を非常に驚き、歴史などの説明を受けていた。 ・ サッカーについて、両国とも情熱をもって会話が進んだ。また、農業問題では、食料自給率とか後継者問題について、 スイスでの取り組みに関心があった。 40 (ザンクトガレン市日刊新聞報道記事) エトリート・ ハスラー 記 ・ 「北欧・ヨーロッパ4カ国紀行」 副団長 深川市収入役 ・「ヨーロッパ4カ国を訪ねて」 今井 敏雄 42 北見市企業局次長 ・ 「秋のヨーロッパ4カ国を訪ねて」 ・「ヨーロッパとの出逢い」 函館市市民部長 紋別市総務部渚滑出張所長 吉田 明彦 48 ・ 「オランダ、フィンランド、スウェーデン、 スイス見聞録」 富良野市建設水道部長 小野寺 一利 50 綱川 忠晴 53 松本 正之 55 北欧・ヨーロッパ4カ国紀行 深川市収入役 今井 敏雄 〇はじめに WTOへの強い関心を持ち逆に私たちに質 環境の時代といわれる 21 世紀に入り、地方 問をしてきた。 分権一活法の施行などもあって地方の時代が 地球温暖化に関し京都議定書にも関心を スタートした。地方自治体が自ら各行政課題 もっていた。 に対応した個性豊かなまちづくりが求められ グローバル化を見た思いである。 ている。 ● 10 月 15 日 17 時 30 分ヘルシンキのホテル こんな中で北欧・ヨーロッパ4ヵ国の自治体 に入ると部屋のテレビが日本の北朝鮮拉致家 の施策を学び、その歴史、文化、自然に触れ 族の帰国を映していた。画面は見慣れている る機会を得たことは望外の喜びである。 NHKのニュースであるが、念の入ったこと 各地の視察テーマは参加者で分担報告される に日本の自動車のコマーシャル入りであった。 ので私からは折に触れた状況とその感想を記 ストックホルムでも日本語放送が視聴できた。 すこととする。 情報のグローバル化を示すものであろう。 ● ヘルシンキからストックホルム間は海路 《グローバル化と情報化》 の移動である。ホールで喫煙している時、突 ● 今回の視察は昨年実施予定であったが9 然若い男に声(英語)をかけられた。市長会 月1 1日のアメリカで発生したテロ事件で中止 の居上参事と二人で一応カンボジアの学生と となった。その影響もあったのか、今回は千 分った。またハッキリとマンガと言うのだが 歳からアムステルダムの直行便がなくなり成 我々にはチンプンカンプンである。でも「ニ 田からの出発になった。 ンテンドウ」・・任天堂と聞けば日本製のゲー この費用、時間ロスは大きく、機内のナビ ムらしい。また「ナカタ」「オノ」と聞けば ゲーションで表示される飛行ルートが成田か サッカー選手であることは理解できる。 ら北海道日本海を北上するのを見て悔しい思 世界で活躍する日本に鼻を高くしている自 いがした。 分と英語のできない自分が恥ずかしい。 早く千歳からの直行便を望みたいものだ。 でも私たちが日本人であることは確実に通 反面、 1年遅れで今年2月からEUの通貨統 じた。外見で分ったのかもしれないが? 一がありオランダとフィンランドがユーロで ● ストックホルムの市庁舎は1923年竣工で ある。国境があっても人の往来、物流が容易 あるがノーベル賞の晩餐会(ホール)舞踏会 となることを考えると将来のEUが経済はも (黄金の部屋)を行うことで有名である。旅 とより、政治上世界の強国となるように思え の直前に今年は日本人の3年連続と同時に2 る。 人の受賞が決まったのを知っている私たち団 ● 各国の光景であるが日本企業の進出と 員は小柴氏、田中氏がスピーチする演台で一 日本の工業製品の氾濫である。訪問した国は 人ひとりが立ち記念写真を撮った。 農業をベースにした国づくりをしており食糧 両氏がここでどんな話をするか楽しみであ 自給に努めている印象が強い。 る。 42 (今井 敏雄) ● アムステルダムのアンネ・フランクの隠 がオープンするようになったという。この運 れ家は「アンネの日記」として日本でも良く 河のまちには自転車泥棒が多いそうである。 知られている。この家に入る時の説明書(パ 1885 年開館した国立美術館にはオランダ人 ンフ)は日本語のほか10カ国語にも及ぶのが 画家レンブラント(夜警)、フェメール(台所 並べられていた。 女中)など展示されているが、当時の富裕な 平和を世界に発信するには当たり前かもし 市民をお得意様としていたのだろう。 れないが、戦争を風化させない努力を見た思 次のゴッホ美術館にはフィンセント・ファ いである。 ン・ゴッホと彼に影響を与えたといわれる ゴーギャン、ロートレックなど馴染みの画家 《オランダ》 の作品がある。今夏、札幌でゴッホ展があっ ● 昼過ぎに成田で乗った飛行機はスキポー たこともあり親しみを感じ鑑賞した。 ル空港に夕方5時頃に着いた。この間 11 時間 その夜はホテルから近い運河の船着場にあ 半である。私にとって 10 月 12 日は 31 時間で るプチレストランで、寒い中での夕食であっ 最も長い一日(The Longest Day)を体験した。 た。芋ばかり多い食事で今一であったが、こ 通訳でポーランド人のドローダさんの出迎 こが本拠地のハイネケンビールで乾杯できた えを受け初めてヨーロッパの土を踏む。 のは幸せでした。 秋も深まったような肌寒いなかホテルに直 行する。 築後 100 年を経たホテルが立派に感じ るのは不思議である。どうも周りの風景に迷 わされているようだ。 国名オランダを辞書でひくと Holland// Netherlands とある。市長会のパンフによれば オ ラ ン ダ 政 府 観 光 局 は Netherlands Board of Tourism と表記されている。標高が海抜下で地 下の島がオランダであると知るのは、視察地 アムステルフェーン市であった。 アムステルダム「王宮」前にて ● その夜、日本を離れて初めて全員が揃っ ての夕食である。美味しいワインも手伝って 皆さん饒舌で、地方分権、市町村合併、ごみ ◎ アムステルフェーン市 処理など侃侃諤諤である。 アムステルダムから小雨の中、一時間弱で 中でも都会中心と言えるメディアへ地方か 着く。この地方は領主アムステルが支配して ら発信するにはどうすべきか? 首長に権限 おり漁業のまちであった。13 世紀に水害を防 が集中しているが分担の方法がないか? 地 止するためダムを造った。これが今のアムス 方議会の改革が必要でないか? が特筆され テルダムで、その後に干拓で造成されたのが る議論であった。 このまちである。 ● アムステルダムの街並は、17 世紀に東イ スキポール空港もこのまちにあり、広い工 ンド会社の本拠地があり,多くの国々との貿 業団地には世界の企業がある。日本の企業も 易で栄華を極めたことを今日に伝えている。 沢山誘致されており在留邦人も約 1,800 人と 日曜日なので車も少なく、店の多くは休み 多い。 である。ごく最近になって午後からデパート ここでは『アムステルダムの土地は市有、 (今井 敏雄) 43 このまちは企業有』とさえいわれているそう ◎フォルサ市 である。 行政委員会室で市長(Tapani Venho 氏)か 不足している住宅地や工業団地とそのイン ら歓迎を受けた。若い市長は選任されたばか フラは全て市が造る。その際必要となる隣接 りで、このまちの出身でないという。 市長は の農地は農地価格で市が買い取り事業化する 公募(応募約 20 名)で議会(43 名)が指名選 方式である。 任し特別の事由がない限り 65 歳定年である。 将来を見越した計画と事業の実施に学ぶこ 人口 18,000 人、周辺人口 37,000 人の紡績工業 とが多い。 で栄えたまちで、今は食品加工、建築資材、 余談であるがインターネットでアムステル 金属加工、ITが主な産業のこの国では中規 フェーン市を検索すると、ヨーロッパで初め 模のまちである。 て囲碁会館を建てたとある。日本のプロ棋士 この地を訪れる日本人は少ないという。 岩本薫氏(9段 , 故人)が囲碁普及の拠点とし 最初の視察は高等職業訓練校である。校舎 たもので私の好きな囲碁がこのまちから発展 は古い紡績工場の外観を残し改装したもので、 しているのが嬉しい。日本の企業進出が文化 そのレンガ造りは美しい。また使われていな の振興に役立っている思いである。 い煙突も残されたままで周りの緑と良くマッ チしている。 《フィンランド》 ここでは学校と企業が結ばれていて理論と ● スキポール空港から二時間半の飛行で昼 実践を習得できるようになっている。 過ぎにヘルシンキ空港に着く。気温1℃、小雪 さらに企業がその費用を負担して社員の確 の天気である。いよいよ北緯 60 度の北欧にき 保を図っていることに特徴を見た。 た感がある。既に空港では岩塩と砂が散布し てあるそうで、さすがスパイクタイヤの発祥 地である。 この国は 1950 年頃まで大国による占領と干 渉に抵抗した歴史であった。対ソ連戦の敗戦 によって、ソ連への賠償金が莫大であったが このことで国内に一種のナショナリズムを巻 き起こし、賠償金は5ヵ年(1948 ∼ 1952)の 短い期間で完済した。これがその後の工業化 の契機にもなり農業国から先進工業国に変 わったといわれている。 フォルサ市庁舎にて 近世の歴史が似ていることもあって日本に は親近感を持っているという。 つぎがアグロポリス・プロジェクトである。 1952 年オリンピックが開催されており友愛 これは国立農業試験場(MTT)の研究成果 に満ちた大会として有名で、水泳の<フジヤ を事業化して地域の活性化に資するため、周 マのトビウオ>といわれた古橋広之進、陸上 辺の自治体が出資してアグロポリス(株)を の<人間機関車>といわれたザトペック選手 設立した。(詳細は団員報告) は今も語り草になっている。 地域としては農家戸数の減少が問題とされ 農業者以外から農業従事者にならない悩みが ある。これは日本とも似ていてサラリーマン 44 (今井 敏雄) の高収入、都会志向が要因であるという。 栄えた。ここに大聖堂(150 年の歳月をかけ 広域自治体で力を合わせているこの会社は 1435 年竣工)がある。 MTTと連携で単に農業生産に止まらず製品 また、15 世紀の北欧最古の王立ウプサラ大 開発、マーケティング、ITを利用したネッ 学は今日では 30,000 人の学生が学んでいる。 トワークなど農業クラスターとしての可能性 バイオ、医学、自然科学、環境の研究が有名 があり地域一体の取り組みに見るべきものが と聞く。 ある。 ここの教授から7人がノーベル賞を受けて 将来は湖沼の多いことから観光と農産物の いると言う。 付加価値が重要と力説していたがまさに北海 この3施設は町の最も大切な宝と言ってい 道と共通の課題と思う。 た。 ここでは環境保全が視察のテーマである。 《スウェーデン》 2000 年に策定されたウプサラ 2020(副題・・ ● ヘルシンキを夕方6時近くに出港した客 市のビジョンと戦略)のPR用冊子によると、 船は翌朝9時半ストックホルムに着岸した。緯 この計画は今後数 10 年の土地と水利用の方針 度は高いが暖流が半島の沿岸を流れているの を示し住民、各団体、企業さらに周辺自治体 でさほど寒くないと聞いていたが今朝は強烈 の共同で課題に取り組むとしている。 に寒い。真っ直ぐバスに乗り込んだ。 また、経済、社会さらに生態学上の利益を 旅も後半に入り食事にも大分慣れてきた。 長期に亘って対応することが具体的に示され プチレストランの昼食には寒さも手伝ってか、 ている。除雪や住宅暖房、ごみ処理などの行 全員がワインを注文する。この頃になれば食 政サービスと肩を並べて汚染されていない空 事のとり方も分ってくる。最初にスープと一 気や安心して飲める水のある環境を作り出そ 緒に出るパンは少なくしないと後のメニュー うとしているのである。 は消化できないボリュームである。余す原因 これを実現する組織も徹底しているようだ。 はパンと知る。 開発計画には環境大臣と各セクションが この国は第2次大戦後、速やかな経済発展を ネットされており、コミューン、専門家(技 遂げ人口に比較して強力な経済を維持して高 師)、学校などから意見を求める仕組みである。 福祉国家として名高い。政治体制が立憲君主 上からの指示でなく下からの流れ(住民の意 制で日本とは皇室外交でも知られている。 見)を基本として環境問題に対処しているの スェーデンの地方自治はコミューンと県で である。勿論啓蒙、情報の伝達が大切である あるがその関係は私達には複雑で非常に分り ことを強調していた。 づらいものである。国と地方団体の職員は全 しっかりとしたコンセプトと長期に継続す 労働人口の三分の一で、政府、地方関連企業 る信念が貫かれている。 体を含めると 40%まで高まるという。 生ごみのバイオガス処理ごみ焼却場施設を 視察した。ともに発生したガス、熱は全てエ ◎ウプサラ市 ネルギー公社が電気、暖房、冷房、スチーム ストックホルムから 64km にあるこのまち として利用し、さらにピート(泥炭) 、林業廃 に以前王室が住んでいた。建国の父といわれ 棄物を主燃料にして市内の約 95%の家庭や企 る初代国王がウプサラ城(要塞)を 1523 年に 業に供給している。 建設している。現在の市街地から5㎞ 離れた旧 この資源エネルギーを大切にしていること ウプサラは 500 年代には政治、宗教の中心地で には驚きの一語である。 (今井 敏雄) 45 観光の目的で 100 年前に建設された鉄道で あるが快晴に恵まれた幸運もあってか乗り心 地は良い。山頂駅(3,454m)の外は氷のブリ ザード、なかの氷河のトンネルを歩いたがも う寒さはもうコリゴリの思いであった。 明日の視察をするザンクトガレンにバスで 向かう。山間部は道幅が狭く、カーブも多い。 平地に近づくにつれて徐々に陽射しが強くな り車内の温度も高くなってきた。 山登りの ウプサラの「地域暖房プラント」にて 時のマフラーをバッグに押し込みセーターも 脱いだ。 ウプサラに限らずスウェーデンは湖沼や河 途中の高速道路では、日曜日は大型トレー 川も多く水資源も豊富と言うが住民に節水を ラーの通行が禁止となっているため順調に流 呼びかけているなど資源や環境に配慮した国 れ、4時間で到着である。 づくりをしていると言う。 ◎ザンクトガレン市 《スイス》 8世紀に僧院(修道院)が建てられこれに付 ● 最後の訪問国スイスに向かうため早朝4 属していた図書館が世界遺産であると言う。 時 15 分のモーニングコールで起床した。 当時宗教を学ぶには、まず数学、天文学、語 クローテン空港から三時間弱でチューリッ 学を修得する必要があったので図書館が設け ヒ空港に着く。一週間ぶりのまぶしい太陽の られた。 出迎えである。暖かい陽射しは気持ちを晴れ 15 世紀に印刷技術が発明される前の手書き 晴れとし、グリンデルワルドに向かうバスは の本が 2,000 冊に及ぶと言う。一冊の本は 200 陽気な運転手のせいもあって疲れている団員 頭の羊の皮が必要で手書きの労力を推察する も笑顔で明るい。 と莫大な資金を要したと思われる。 車窓からの牧場が連なる緑の風景はより美 また、新教と旧教の争いが 250 年間も続きま しいと感じた。 ちが城壁で分断されていた歴史を持つ町であ アイガー北壁を真近に見えるホテルからは る。ここは標高約 700 mにあり農業を諦めて麻 ミニチュア模型のように家々が散在しており を作り繊維のまちとして栄えた。 絵に描いたような眺めである。 16 世紀には海外まで進出しており当時の栄 少し経って夕映えの射す眺望は感傷的にな 華を偲ぶ石造りの出窓が残されている。この るもので小さなテラスでタバコを燻らし暫し まちは書籍と繊維のまちであると説明された。 眺めた。 コンベンションと観光が視察のテーマであ さすが観光で国際的に有名な国である。 るが市長との懇談では観光は州が主体である 翌 10 月 20 日は日曜日、シーズンオフとあっ との説明があって専らまちづくりが主題と てホテルの休業が目に付く。そして店舗もお なった。 土産屋を除き休みのようだ。 人口約 70,000 人(スイスで七位)で小さく 私達と同じように日本人の団体が朝から動き て足で歩けるまちと紹介され『見通しがきく 出している。 8時過ぎの登山鉄道でユングフラ まちはデメリットではない』という。 ウヨッホ(4,158m)に向かう。 スイスは自治体の自治権が強く都市間の競 46 (今井 敏雄) 争(人口、企業誘致など)が激しく、マーケ 局のインタビューで、スイスの食事は美味し ティング、企業誘致には最大の努力を払うと い、サラダが特に美味しいしチーズも美味し 言う。 いと答えたが日本の米が最高ですと言うべき 市長は今後のまちづくりの課題を広域行政 だった。 (共同)活動と国と州と市の経済調整をあげ この素晴らしい視察研修を企画敢行された た。 市長会の皆様と終始団員をリードされた親松 日本にも共通することであり思いを強くし 団長、日通旅行の佐野添乗員に心から感謝申 た。 し上げますとともに、一緒に行動いただいた 事前にマスコミの取材が申し込まれていて 団員各位にお礼申し上げます。 州をエリアにしているテレビ局と新聞社が終 日、視察先に同行した。親松団長へのインタ ビューは『何故このまちを視察地に選んだの か?』 『このまちの印象はどうか?』が各社の 質問である。日本からの視察が珍しいことも あるのか熱心であった。 翌朝のテレビニュースではトップで放映さ れたそうである。朝刊には載っていない。後 日のようだ。 ザンクトガレン市庁舎にて 地元マスコミの取材を受ける ○おわりに 出発の結団式で言葉も通じないことを知り ながら国際交流に努めたい、旺盛な探求心を もってなどと表明したことが恥ずかしい。 短い期間でしたが言葉も人種も自治体の制 度も異なる国々を見聞させて頂き書ききれな い沢山の発見と思い出ができました。 帰国のJALの機内食に鶏そぼろ丼や竹の 子の山菜煮がでた。ザンクトガレンのテレビ (今井 敏雄) 47 秋のヨ−ロッパ4カ国を訪ねて 函館市市民部長 吉田 明彦 はじめに たが、第二次世界大戦中のナチスによるユダ 北海道市長会の第 26 回海外都市行政視察調 ヤ民族弾圧の恐怖を痛感し、つくづく平和の 査団の一員として、海外派遣研修に参加させ 尊さを感じた。 ていただき、貴重な体験ができたのは上司、 同僚の深いご理解の賜であり心から感謝いた したい。 期待と少々の不安をもっての旅であったが 10 月 12 日(土)の早朝、千歳空港での今井副 団長の力強い「決意表明」により、我々8名 の旅が始まった。 《オランダ》 成田空港を出発し 11 時間半、アムステルダ ムのスキポ−ル空港に到着する。 17 世紀、東インド会社の本拠地として隆盛 をきわめた港町アムステルダム市は現在もオ ランダ経済の中心地として発展しており、ま た、水の都と言われる所以の扇状に張り巡ら された運河、路面電車さらには往時を偲ばせ アムステルダム市内の王宮前ダム広場にて 大道芸人とともに る歴史的な建造物の数々(建物の高さ , 壁の色 等が厳しく規制されている。)が紅葉を迎えた 樹木と見事に調和し実に美しい佇まいを見せ 《フィンランド》 ていた。特に、運河クル−ズで船上から眺め オランダを離れ空路、森と湖の国フィンラ た街並みは今まで映像や雑誌でしか見ること ンドに向かう。国際線とはいえ小型機で少々 ができなかったヨ−ロッパを肌で感じ大いに 不安であったが無事ヘルシンキに到着。 感激した。 さすが北極圏の国、10 月中旬というのに気温 また、オランダの文化、芸術は世界的に高 はマイナス以下で雪もちらついていた。 い水準にあり美術館や博物館も 1,000 近くあ フィンランドは国土の 68%が森林、10%が るとのこと。我々もアムステルダム市にある 湖沼で約 190,000 湖あるという。まさしく森と 国立博物館や国立ゴッホ美術館を見学し、レ 湖の国である。樹木も松や白樺が多く何とな ンブラントの「夜景」やゴッホの「ひまわり」 、 く北海道にいる錯覚に陥った。 「自画像」等優れた作品を多数鑑賞でき芸術 我々が宿泊したヘルシンキ市は、人口約 56 に疎い自分であるが圧倒される感覚を覚えた。 万人、街並みは永年ロシア支配下に置かれて さらに、アンネ・フランクの隠れ家を訪れ いたことから、ロシアの名残を残す建物が多 48 (吉田 明彦) く見られた。また、港の近くの市場で「寿司 大な自然に何とも表現できない感動を覚える。 屋」を見つけ、 「日本食にありつけた」と全員 翌朝、登山電車で標高 4,158 mのユングフラ で食べたが旨さはイマイチで寿司はやはり日 ウヨッホに向かう。途中クライネ・シャイデッ 本と改めて認識する。 クで乗り換え、切り立った岩盤をくり貫いた 産業クラスタ−の調査で訪れたフォルサ市 トンネルを進み岩盤内にある世界一高い山頂 の概要を熱心に説明してくれたタパニ・ベン 駅(3,454 m)に到着する。猛吹雪のため展望 ホ市長は、 2ヶ月前に就任したとのことである 台から外に出ることが出来なかったが、折角 がここでは市長を新聞広告で募集し多数の応 来たのだから記念の写真だけは撮ろうと外に 募者の中から議会が選出することになってい 1歩出たが突風で吹き飛ばされそうになり、慌 る。お国の違いを感ずる。 てて中に戻ったが居上氏に写真だけはしっか り撮っていただいた。 《スウェ−デン》 折しも、この日は自分の誕生日だったので 夕暮れのヘルシンキを離れ豪華客船「バイ 山頂の郵便局から家族に記念の絵葉書を出す。 キングライン」で翌朝ストックホルムに到着 生涯忘れることの出来ない思い出となり、改 する。船内はレストラン、カジノ、免税店、 めて訪問できたことに感謝した。余談である サウナ等があり、快適そのものであった。生 が山頂に日本の赤い郵便ポストがあったこと まれて初めてカジノに挑戦し5千円ほど負け には少々驚いた。それだけ日本人が多く訪れ たが楽しい思い出となった。 ている証であるとつくづく感じた次第である。 今年、750 歳を迎えた首都ストックホルム市 は大小 14 の美しい島からなっており、特に1 番大きな旧市街地である南の島の展望台から の景観は抜群であった。また、ノ−ベル賞の 授賞パ−ティ−で有名な市庁舎を訪れたが、 その重厚で優美な建物とともに「黄金の間」 の装飾に使われている 1800 万枚を超える金箔 のモザイクは圧巻であった。 今、日本で時の人となっているノ−ベル化 学賞受賞者田中耕一さんもここで晴れの日を ユングフラウヨッホ山頂で突風に吹き飛ばされそ うになりながら・・・ 迎える。 おわりに 《スイス》 この度の視察でそれぞれの国の歴史や文化 最後の訪問国スイスはぜひ一度訪れて見た を学び、またひとつ自分の財産を増やすこと いと思っていたがイメ−ジどおり素晴らしい ができ心から感謝しております。また、親松 国であった。天気も快晴、ヨ−デルを歌うバ 団長はじめ団員の皆様と楽しくそして有意義 スの運転手の名ガイドを聞きながらチュ− に過ごした 12 日間は生涯忘れることのできな リッヒ空港から屋根のついた木橋で有名な い思い出として心に残っております。今後も 「ルツェルン」を経由し、夕焼けに輝くアイ この貴重な体験を生かし微力ながら郷土発展 ガ−北壁の麓の町グリンデルワルドに到着す のため努力して参りたいと考えています。 る。山小屋風のホテルから見たアルプスの 峰々は、時刻によって色、形を変え、その雄 (吉田 明彦) 49 オランダ 、 フィンランド 、 スウェーデン 、 スイス見聞録 富良野市建設水道部長 小野寺 一利 はじめに ていた。 第 26 回海外都市行政視察調査団の一員とし 9時、ビクトリアホテルを専用バスで市内施 て、10 月 12 日より 23 日までの 12 日間にわた 設視察に出発、気候は肌寒く富良野の 10 月下 り、オランダ外3カ国を訪問する機会をいただ 旬のような気候である。アンネフランク・ハ き理事者及び職場の同僚に心からお礼申し上 ウスミュージアムを見学、運河沿いのプリン げます。 センフラント 263 番地の「隠れ家」には表の 10 月 12 日、新千歳空港は快晴、早朝7時団 家と裏の家があり、屋根裏ですごすユダヤ人 員7名が集合し、出発にあたり赤平市長親松団 少女の息苦しさ、見つかれば殺される恐ろし 長に対し、今井副団長より第 26 回海外視察調 さが伝わってくる雰囲気である。周辺の街並 査の団結式において決意表明が行なわれ視察 みは歴史と伝統の重みを感じられる建築物が 調査が始まった。 立ち並んでいる。レンガ造りの家、レンガ造 新千歳空港から羽田国際空港を経由し、12 りの古い道路である。街並みを保存するため、 時 40 分新東京国際空港から日本航空 411 便に 厳しい規制が行なわれており、いずれの建築 て一路オランダ、アムステルダムのスキポー 物も一様に間口が狭く奥行きがあるように見 ル空港に向け出発、現地時間 17 時 10 分に到 える。これには理由があり、昔から税金は建 着、約 11 時間半の長い空の旅であった。 築物の間口の広さによって決められており、 さっそく、全員空港で円からユーロに通貨 税対策によりこのような形態になったと説明 を交換、一万円を両替したところ紙幣で 50 された。 ユーロ、20 ユーロ、5ユーロ各一枚、コイン で2ユーロ、50 セント、20 セント、10 セント、 5セント各一枚が返ってきた。 スキポール空港の外は曇り空で肌寒い天気 である。団員一同、日本との時差は約 7 時間 であるが、異国の緊張のせいかあまり感じて いないようである。ホテルはアムステルダム 中央駅前のビクトリアホテルである。 到着 早々、レストランで安着祝いを行い明日から の視察・調査に向け早々に床に入った。 アムステルダム運河沿いの街並み 《オランダ・アムステルダム》 10 月 13 日、7時モーニングコール、朝食は レンブラントの「夜警」、フェルメールなど バイキングであり、チーズ、野菜等が豊富で 17 世紀の優れた作品を収蔵するオランダ最大 ある。チーズは口に合いとても美味しい。レ の国立博物館、ゴッホの作品 750 点あまりを収 ストランでは日本人の方が多く食事をし 蔵する国立ゴッホ美術館を見学して、日頃絵 50 (小野寺 一利) 画などの芸術に関心の薄い私にとって大いに 建物である。 感動した時間でありました。 オランダは、九州とほぼ同じ広さの面積で あり、人口は 1,550 万人、国土の 25 パーセン トは海面より低い国である。アムステルダム は、1,300 あまりの橋と大小 165 本の運河から なる水の都である。運河に沿って道路があり、 石畳の自転車道、歩道にはプラタナスの街路 樹、ベンチが置かれ市民の散歩道となってい る。歩道には運河に転落を防ぐフェンスは無 い、車止めだけである。 アムステルダムの街づくりに対する一例を ヘルシンキ・マーケット広場の マーケットホール 感じたしだいである。 《フィンランド・ヘルシンキ》 フィンランドが生んだ世界的作曲家ジャ アムステルダム・スキポール空港から約 2 時 ン・シベリウスを記念してステンレスパイプ 間半でヘルシンキ・バンター空港に到着であ のモニュメントがゆったりとした緑豊かなシ る。外は雪が降っている。フィンランドは人 ベリウス公園に設置されていた。 口約 519 万人の森と湖の国であり、世界で最も バスの窓から見るヘルシンキの街はレンガ 生活水準の高い先進福祉国家と言われている。 の家並みは見当たらない。ロシア風の建築物 空港からヘルシンキに向かうバスの窓からは、 が微妙な調和と景観を保っているまちである。 北海道を感じる風景である。シラカバ、ナナ カマドが紅葉している。 《スウェーデン・ストックホルム》 ヘルシンキは、三方を海に囲まれた人口約 ヘルシンキからスウェーデン・ストックホ 56 万人の坂の多いモダンな街である。市長は ルムには船の旅である。ヘルシンキのマー 女性であり、大統領も女性、国会議員 200 人 ケット広場に面したエテラ港から国際航路バ の三分の一強は女性である。また離婚率は イキング・ラインでスタットゴーズハムネン 50%であると説明された。 港まで約 15 時間である。朝9時半に、到着、 街の建築物は高さ、色、形が規制され一階 天気は悪く肌寒い気候である。 は店舗、二階は事務所等、三階以上は住居の ストックホルムは 14 もの島にまたがる森と ようである。見学地であるエテラ港に面した 湖の街である。13 世紀からの古い街並みをも マーケット広場は、果物、野菜など生鮮食料 とに、人間環境を大切にする近代的な都市理 品を売る露店が立ち並んでいる。 論により何世紀もかけて造り上げてきた人口 ヘルシンキ市民の生活を肌で感じる場所で 約 75 万人の近代都市であると説明を受けた。 ある。 メーラレン湖に面した赤レンガの市庁舎は、 マーケット広場から赤レンガ造りの教会が ノーベル賞授賞者の晩餐会、舞踏会が開かれ 高台に見える。ウスペンスキー寺院である。 るところである。建物は市庁舎というよりも 1860 年ロシア人の建築家によって建てられた 宮殿を思わせるものであり、二階にある黄金 ものであり、壁にはキリストと 12 使徒が描か の間は、壁面が金箔モザイクで飾られ豪華絢 れている。帝政ロシアとの歴史を感じさせる 爛そのものである。ここでノーベル賞授賞 (小野寺 一利) 51 パーティーの舞踏会が開かれるとのことであ ルドは日本人の人気の高いアルペン・リゾー る。 ト村である。アイガー、メンヒなど 4,000 メー スウェーデンの古い建物が集められている トル級のアルプス山脈が目の前に雄大そびえ スカンセン野外博物館は百年以上の歴史ある 立っている。登山鉄道で標高 3,454 メートルの 博物館である。ここは、子供のころの遠足の ユングフラウヨッホ駅に到着、空気は薄い、 場所であり、やがて自分の子供の乳母車を押 展望台は吹雪である。雄大な青白い氷河、ア し、最後は孫の手を引いて遊びに来るストッ ルプスの山々はただ圧倒されるばかりの風景 クホルムの人々の生活の一部になっていると である。グリンデルワルドは訪れる人々を飽 ころである。 きさせない施設、登山鉄道、村の景観など心 旧市街を歩くと、狭い路地の両脇にびっし と体全体で感じるリゾート地である。また、 り建物が並んでいる。道路はデコボコの古い ここは日本人観光客が大変多く日本語案内板、 石畳である。通りにはギャラリー、モダンな 日本語の話せる店があり、日本の遠くて身近 銀細工の店など、歩いていると楽しい雰囲気 な観光地であることを実感したところである。 がある。また、中世の古い歴史も感じる不思 議な通りでもある。ストックホルムの街は魅 力あるまちである。 グリンデルワルド・ユングフラウの 登山電車駅 ストックホルム・旧市街の街並み 最後に、今回、4カ国の視察調査にあたり共 通して感じたことは、歴史を大切にした、歴 《スイス・ルツェルン・グリンデルワルド》 史あるまちづくり、景観づくりを肌で感じた 最後の視察地であるスイスに向けストック 次第であります。 ホルム・アーランダ国際空港よりスイスク おわりになりますが、親松団長をはじめ、 ローテン国際空港に約2時間半で到着である。 北海道市長会の居上参事さん、12 日間にわた 飛行機の窓から見た景観は絵葉書のように美 り同室でお世話になりました、北見市の綱川 しい田園風景である。 さん、各都市から参加されました皆さん、視 四つの森と国と湖のほとりに栄える中世の 察全般に亘りお世話になりました日通旅行の 面影を残す街ルツェルン市は人口約 25 万人の 佐野さん、12 日間に亘り思い出深い視察、交 街である。ロイス川に架かる世界最古と言わ 流をさせていただきましたことに心からお礼 れているや屋根付き木橋「カペル橋」、ライオ 申しあげます。 ン記念碑には多数の観光客などが訪れていた。 アイガー北壁のすそ野にあるグリンデルワ 52 (小野寺 一利) ヨーロッパ4カ国を訪ねて 北見市企業局次長 綱川 忠晴 はじめに て保存に努力しております。 この度、第 26 回海外都市行政視察団員の1 員としてオランダ、フィンランド、スウェー デンそしてスイスの4カ国を視察研修してま いりました。 海外研修の機会を与えて頂き、大変貴重な体 験をさせて頂きました関係各位に感謝申し上 げます。 《オランダ》 私にとって初めての海外の土を踏む地と なったのは、オランダで 10 月 12 日(土)17 時 10 分位で現地はまだ明るかった。 アムステルダム郊外の風車前にて スキポール空港からバスでアムステルダム の街に入ると自転車が多いのには驚きました。 《フィンランド》 オランダは平坦なので自転車が多いのは想像 フィンランドに着くと雪景色で今年3回目 できましたが、変な表現かもしれませんが自 の雪とのことですが私にとっては初雪で寒さ 転車が右往左往していました。 が身にしみました。 道路には車道と歩道の間に自転車専用の道 「森と湖の国フィンランド」の郊外をバスで 路が確保されている。自転車が多いのでアム 走ると北海道の郊外を走っている錯覚がしま ステルダム駅横には世界一の駐輪場もありま す。フィンランドはオランダの砂地と違い岩 した。 盤の地であります。その特徴を生かした教会 オランダは土地が少なかったので湿地など がありますが、1969 年に建てられたテンペリ 砂混じりの水をくみ上げ砂地の土地を造り木 アウキオ教会を見学しました。 杭を打ち建物を建てたことから「オランダの 岩盤をダイナマイトでくりぬき、大きな穴 地はオランダ人がつくった」と言われていま をつくりダイナマイトの爆発でできた岩を周 す。運河もオランダの特色ですが土地が少な 囲に積み上げその上に明かりが入るようガラ いこともあり運河には住宅として使用してい スを使い天井は銅板を葺いて教会として、ま る船が沢山あり、船の住宅に住むことが夢と た音響効果が良いことからコンサート会場と なっています。現在は電気、水道がつながり しても使用され珍しい建築物であり大変興味 下水道にも接続できます。 を持ちました。 長崎のハウステンボスにあるような街並み フィンランドは 1995 年にヨーロツパ連合に がならび 17 ∼ 18 世紀の建物が現在も使用さ 加盟し農業従事者は大打撃を受けました。現 れており街並みを保存するために改修・新築 在、フィンランド農業は農産物の差別化をし のときは形、色、高さなどの建築制限をかけ 付加価値のある農産物をめざしております。 (綱川 忠晴) 53 その一つとして農薬を使用しない有機栽培に 北欧2ヶ国は非常に寒く皆震えていました 国をあげて取り組んでおります。 が、スイスは暖かく心地良い気分になりまし また、 環境対策にも力を注いでおり1例とし た。 て農地の土、肥料、家畜の糞尿が河川に流れ 現存する屋根付木橋では世界最古の木橋で て河川を汚染しないようにバッファーを設け あるカペル橋を見た後にアルプスの麓にある ているとのことで、河川の水を飲料水として グリンデルワルドまではヨーデルの歌を聴き 利用している私達としては素晴らしい政策と ながらのバスの旅で、車窓から見る景色の美 思いました。 しさはまるで緑のジュータンの上に住宅を置 《スウェーデン》 いてあるようでバックに見える雪を少しか フ ィ ン ラ ン ド の 首 都 ヘ ル シ ン キ か ら ス ぶった山々が、それと融合し景色は格別で感 ウェーデンの首都ストックホルムまでは豪華 動しました。 客船バイカルラインの旅で船酔いが心配でし スイスの中都市ザンクトガレン市には世界 たが揺れはほとんど無く快適な旅でした。 遺産の修道院があり、ここに保存されている ストックホルムは北欧のベニスとも言われ 本を見せていただきました。羊の皮に手書き るように水と島の美しい街で、郊外の小さな で書いた本がありましたが、その中の1冊は、 島々には別荘が立ち海底ケーブルで電気も供 800 ページの本で1頭の羊から4ページ分しか 給されているようでした。 羊皮紙がとれないので、この本を作るのに 200 スウェーデンと聞けばノーベル賞が浮かび 頭の羊を使ったとのことでした。 ます。今年は日本から田中耕一氏と小柴昌俊 また、私たちがザンクトガレン市を訪問し 氏の2人が受賞することとなりましたがノー た時に、日本の北海道から視察研修に来たと ベル賞受賞後に行われます公式晩餐会会場な のことで地元の新聞社、テレビ局の同行取材 どを見学し、 2人が出席する姿を重ねますと感 がありました。新聞社は夕方まで同行しまし 慨深いものがありました。 たので後日新聞に出るとのことでしたがテレ ビには次の日の朝にトップニュースで放送さ れました。 《おわりに》 ヨーロツパ4カ国を訪問し感じたことの一 つとして北海道には無い長い歴史がありそれ を、後世に伝えるべく大事にしております。 政治・文化などにおいても各国がそれぞれ特 徴を持つており、各国が現在まで歩んできた 歴史をもとに作りあげているように感じまし た。 ノーベル賞の晩餐会が行われる会場にて 4カ国を訪問して感じ、刺激を受けた貴重な 経験を今後の仕事の中に少しでも反映するこ 《スイス》 とが出来れば、と考えております。 最後の訪問国スイスへの旅は、定員 50 ∼ 60 おわりになりますが、団長はじめ団員の皆 人位の小型ジェツト機で何度か大きく揺れて 様には大変お世話になり、心から感謝申し上 少し不安な空の旅でしたが無事スイスに着き げます。 ました。 54 (綱川 忠晴) ヨーロッパとの出逢い 紋別市総務部渚滑出張所長 松本 正之 はじめに の「ウスペンスキー寺院」をはじめ、岩盤を 昨年の9月「アメリカ同時多発テロ」のた くり貫き岩肌を活かした、総ガラス張りの「テ め行政視察は中止となり半ばあきらめていた ンペリアウキオ教会」や、ツートンカラーの が、上司の配慮で今回参加することができた。 カラスがいる「作曲家シベリウス記念公園」 昨年準備は出来ていたので渡航は万全と思っ 等々、岩盤に覆われた土地を最大に活かした ていた矢先に、 「右腓腹筋皮下部分断裂」いわ 建築物や工法が特に目をひき、オランダより ば「アキレス腱周囲の肉離れ」を起こし、完 もゆったりゆとりのある街並みとの感じを受 治しないままのビッコを引きながらの参加と ける。 なった。 この国での調査は出発間際になって変更さ 《オランダ》(10 月 12 日∼ 14 日) れ、ヘルシンキから約2時間のフォルサ市を訪 成田空港から 11 時間半、満席の飛行機の旅 問したが、当日は雪交じりの寒い日で、途中 を経て、オランダのスキポール国際空港に到 車窓からの景色は、ヨーロッパ赤松・カバの 着し、約 12 時間ぶりのタバコを一服 木等、北海道の風景とあまり変わらなく感じ 「! う ま い !」 た。 13 日は日曜日のため「北のベニス」と呼ば 調査終了後、急いでスウェーデンに向かう れる運河の街アムステルダム市内視察である。 客船に乗るため一路ヘルシンキへ戻る! この街は「中世都市」の歴史的形成過程の中 《スウェーデン》17 日∼ 19 日 で培われてきた「町並み保存の市民意識」と 「厳しい規制」の中で、今も歴史の深さと重 さがうかがえる。 市内には美術館・博物館が多く「国立美術館」 ・ 「ゴッホ美術館」では、絵画鑑賞のあまり興 味と経験のなかった私にとっても、実物を目 のあたりにし、深い感動を受けた。また、14 日のアムステルフェーン市の調査では、質の 高い高齢者福祉に感心するとともに、高齢者 住宅での満面に笑顔を見せ幸せそうなおばあ バイキングライン(約 4 万トン、10 階建) ちゃんの笑顔が特に印象に残っている。 《フィンランド》10 月 15 日∼ 16 日 ヘルシンキとストックホルムの間を往復す 空路で2時間をかけ、フィンランドの首都で る客船「バイキングライン」に乗った 14 時間 「バルト海の女神」の愛称をももつ街ヘルシ の船旅は、この旅で特に期待していたが余り ンキに到着し、さっそく麻薬犬の歓迎を受け の乗客の多さに驚く。 ビックリ!さっそく市内視察に。 船内では、 7階の多種多様な食べ物があるバイ 13 の黄金に輝くキューポラを持つ赤レンガ キング形式のレストランで夕食後、カジノ・ (松本 正之) 55 免税店など一通り見て廻り、サウナ風呂で旅 くにつれ、 「アイガー北壁を始め巨大な白峰ユ の疲れを癒すが、船内各階ロビーで若者が朝 ングフラウ連山の大自然」が目の前に迫り、 まで酒を飲みたむろしているのが気にかかる。 「山麓は緑の絨毯に牧歌的家々や放牧された 同室の吉田氏と早朝のデッキから見えるス 牛」など、スイスに来たとの実感と感動に酔 ウェーデンの島々の景色の美しさと雄大さに いしれる。 感激!!! 次の日は、氷河の山肌を縫うように登山電 スカンジナビア半島の東半分を占めるス 車で山頂駅(標高 3,454m)へ!! ウェーデンの首都で 14 もの島々からなり「北 大自然の雄大さと美しさ、岩盤をくり貫いた のベニス」と呼ばれる街ストックホルムに着 トンネルや氷河の洞窟等、空気の薄さと息切 き、さっそくの市内視察では、市内を一望し れの連続の感動と体験! 中世の暮しと生活様式を保存してある 30 万㎡ もの「スカンセン野外博物館」や、木製帆船 模型が趣味の私にとって興味ある 17 世紀に造 られ、処女航海で海底に消える運命となり 20 世紀になって引き上げられた全長 68m の壮麗 な「ヴァーサ号」などを興味深く視察する。 また、ストックホル ムの象徴でノーベル賞 授賞会場の「市庁舎」 ユングフラウ連山と登山電車 を見学し、今年の日本 の受賞者小柴・田中さ 下山後3州を通過して、調査地ザンクトガレ んに先んじて演台で記 ンに向かうが、日曜日で高速道路は大型ト 念撮影。 ラックが走れないため快適なバスの旅。 視察では、環境保全 21 日のザンクトガレンを最後に全調査が終 対策の調査等を対象に 了し、夕食時には団員一同無事終わったこと ウプサラ市を調査した ノーベル賞受賞者演台 に乾杯。思い出話にも皆安堵が見える。 が、施設規模の大きさ 翌日はヨーロッパ最終日で、チューリッヒ に驚く。 旧市街地等の視察後、一路我日本へ!! 《スイス》 (10 月 19 日∼ 22 日) ◎おわりに 早朝チューリッヒ空港を出発し、海外視察 ヨーロッパとの出逢いは初めてで、怪我が 最後の国で、私にとっては一度行ってみた 完治していない体調での参加であったが、歴 かった待望の「スイス」に向かう。 史と文化の重さと自然の雄大さに感激と感動 クローテン国際空港に到着し、19 日の目的 の連続の旅であった。 地「グリンデル・ワルド」に向かう。 今回の貴重で楽しい体験ができたことは、 途中スイスの発祥の地と言われる人口約6 団長を始め団員・北海道市長会の皆さんや紋 万人のルツェルン市で、フランス革命で戦死 別市長を始め上司の皆さんの心づかいがあっ したスイス傭兵を記念して自然石に浮き彫り たればこそと、深く感謝申し上げます。 された「瀕死のライオン像」や、ヨーロッパ ありがとうございました。 で最も古い屋根つきの「カペル橋」等を視察。 山間部を縫い目的地グリンデルワルドが近づ 56 (松本 正之) あ と が き 第 26 回海外都市行政視察調査の機会をいただき、高齢者福祉施策、産業クラスター、環境保 全対策及び観光振興とコンベンションなどの取組みについて、北欧・ヨーロッパに多くのことを 学ぶことができました。 北海道市長会主催のこの調査は、前年度が 01 年9月 11 日の同時多発テロの影響で中止となっ たため2年振り行われたものです。調査団出発の直前に訪問市の変更があり事前準備に不十分さ を持ちながら新千歳空港で親松赤平市長の団長挨拶と副団長の今井深川市収入役の決意表明に より結団式を行い、総勢7名の団員は成田経由で最初にアムステルダム市に入りました。 訪問都市における調査の詳細については、団員の皆様の綿密な調査結果と報告書作成の分担に より、個性あるこの報告書にまとめておりますので、ここでは特に印象が強かった事項について 記述しました。 訪問国の地方自治制度について、首長は日本の大統領制と異なり公募した中から議会が任命し たり議長が首長になるなど議員内閣制をとり、行政の各執行機関は、議員で構成する委員会の下 に置かれている場合が多く、政治主導の地方自治制度となっている。 北欧もヨーロッパも石造り文化をいかんなく発揮して、歴史と伝統を生かした素晴らしい景観 と街並みを形成し、観光産業にも大きく貢献している。これは、地震の影響が少なく、良質な石 材が豊富で、地盤も比較的良いことから、建築物の耐用年数が極めて長いことと、併せて良い物 は守っていくという国民的コンセンサスが古くから出来ていることが背景にあると聞き、なるほ どと納得したところです。我が日本も世界最古の木造建築で世界遺産の法隆寺をはじめ多くの文 化財、遺産、火山や温泉など世界に誇れるものが数多くあり、今まで以上に自信を持って世界に 向けて情報発信を続けていくべきと再認識したところです。 スイスの食料問題について、第2次大戦中は自給率 100%であったが、コスト高の問題等から 現在は 60%台まで低下し、食の安全性も含めて課題のようであった。 特に、農薬問題がある国からの野菜などの対策は、速やかに輸入禁止措置を講じているし、我々 が食した「りんご」は、訪問国の全てが同様であったが、大きさ、形、表面の斑点などから無農 薬に近いものと推察することができた。 訪問国の中で、EUに加盟している国はオランダとフィンランドであったが、特にフィンラン ドでは農業関連の産業がEU内では脆弱であることから、この分野の産業クラスターに努力を続 けていて、まだ大きな成果は出ていないが、長いスパンでベンチャー企業の育成や農業の振興、 そして食料の安全性などを目指している様子が窺えた。 終わりに、この報告書にあるように、これからの北海道 の各都市が取りうる施策に何らかのヒントになればこれ 以上のことはなく、全員無事目的を達成し帰国できたこと は、親松団長、今井副団長はじめ団員各位と添乗員の佐野 さんのご協力のたまものと感謝申し上げ、編集後記といた します。 チューリッヒの聖母大聖堂と グロスミュースター教会を背景に 57 平成 15 年2月 北海道市長会事務局参事 居上 英二 第 26 回海外都市行政視察調査報告書 平成 15 年2月 ▼編集・発行 北海道市長会 〒 060-0004 札幌市中央区北4条西6丁目自治会館 tel(011)241-2803 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